人形は啼く、主のそばでいつまでも

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  Level.10 『ちゃんと、責任とりなさいよね……』  

 戦闘態勢に入った私を見つめながら不敵な笑みを浮かべるラミス。
 アイツの後ろにいるドールマスター全員を蹴散らして逃げられればいいのだが、今の感情ではハウェッツをまともに操ることなどできないだろう。
 だがそんなものは関係ない。私はレヴァーナに会わなければならないんだ。まだアイツに謝ってない。私はアイツに謝ってないんだから……!
「勘違いしないで」
 だがラミスは冷静な声で言って、静止の合図を送るかのように片手を軽く前にかざす。
「私はただ一緒に戦って欲しいだけ。リヒエルが完全に教会側に付いたのが最終合図。相手はコチラの戦力を誤認している。総攻撃を仕掛ければ潰せるわ」
 ラミスの言葉に、私は全身を緊張させたまま目を細めた。
 一緒に戦って欲しい? 総攻撃で潰れる、だと?
「どういう、ことだ……?」
 低い声で聞く私に、ラミスは小さく肩をすくめて続ける。
「リヒエルが教会と繋がってることなんて最初から知ってたのよ。彼はいわゆる二重スパイ。それでも教会の情報を色々と流してくれるから私は気付かないフリをしていただけ。全権限を任せて彼を信頼している演技をしていたの。まぁ彼のことだからきっと王宮にも入り込んでいたんでしょうね。だから三重スパイ。たった二週間で王宮の兵力全部を抱き込むなんて離れ業、できるはずがないからね。リヒエルは私達を潰すために最初は教会の勢力だけで攻めてきた。けど劣勢になり始めて王宮の勢力まで加えた。でも本当はそんなことしたくなかったはずよ。だって自分からこのままでは負けるって公言しているようなものですもの。彼の誤算はヴァイグルの力を読み間違えたこと。ヴァイグルのおかげで教会の兵の底が知れたわ」
 薄く開いた目の奥に怜悧な光を宿し、ラミスは小さく鼻を鳴らした。
「でも向こうは攻めきれなかった。ヴァイグルと、貴女の力に怯えて総攻撃を仕掛けてこなかった。つまり向こうは教会と王宮、二つの力を合わせてもコチラの兵力と互角かそれ以下ということ。だから私は待っていたのよ。彼が焦って、表だって裏切ってくれるのをね。私が隠しておいた兵に関する情報を持ち帰らないで、戦略を練ってくれるのを」
 言いながらラミスは、後ろで待機しているドールマスター達に視線を向ける。皆、目つきが普通じゃない。ちゃんとした戦闘訓練を受けた者達ばかりだ。
 コイツら全員、隠し弾……。最初、随分アッサリと私にドールマスター達の指揮権を渡したと思っていたら。つくづく食えない女だ。
「まぁ、まさかこんな姑息な作戦に走るとは思ってもみなかったけど。それだけ追いつめられているってことと、貴女の力を驚異に感じているんでしょうね」
 余裕の笑みを浮かべて、ラミスはすでに勝ち誇ったような表情を向けてくる。
「本当に、私を引き渡すつもりはないんだな。自分の息子が人質に取られていたとしても」
「人質は無事だからこそ意味があるの。貴女ならともかく、私にとっては孤児院の人達がどうなろうと知ったことじゃないわ。だから私を抑止するにはレヴァーナさんを生かしておく必要がある。だったら今は大きな戦力になる貴女を取るわ。それにちゃんと交換してくれるっていう保証なんてどこにもないしね」
 相変わらず一歩引いた物の考え方をする女だ。義理とは言え自分の息子さえ道具としてしか見ていないということか。
「なら孤児院の人達はどうなる。まさか死んでもいいと考えてるんじゃないだろうな」
「まさか。そんな考え方をすれば貴女が私に協力してくれなくなるのは明白。心配しなくて良いわ。その人達はきっと殺されない」
「なぜ言い切れる」
「一つ目にあの羊皮紙に孤児院の人達のことが全く書かれていなかったということ。彼らを人質にとって貴女を抑止したいなら絶対に書くべきはずなのに。二つ目に相手が本気で人質として使うという意思が現段階で明示されていないこと。彼らはレヴァーナさんと違って何十人もいる。一人や二人殺しても代わりはいくらでもいるわ。なら、自分達が本気だということを伝えるために、見せしめとして死体をいくつか送りつけてきてもおかしくない。残りの奴等もこうして欲しくなければってね。私ならきっとそうしてるわ」
 恐いことをサラッと言ってのける女だ。もしそんな物があったら、きっと私は理性を保てていない。
「もし殺すとしても多分、貴女の目の前でやるはずよ。レヴァーナさんから聞いたんだけど、貴女にちょっかい掛けてきてるミリアムっていうのは貴女が絶望しているところを見たいそうじゃない」
 レヴァーナの奴、余計なことを……。
 だが、確かにラミスの言うことにも一理あるかもしれない。いや、そうであって欲しい。これ以上、私の知らないところで大切な人が傷付くなど……!
「それほど多くの時間が与えられているわけじゃないけど、今夜はゆっくりするのね。私もまだ色々とやることがあるから。貴女もこんな遅くに孤児院まで行って疲れたでしょう? 寝て、目が覚める頃には準備を整えておくわ。その時には貴女の傷も完治してるはずよ」
 人の上に立つ者としての威厳と風格、そして優美さと気品さえ漂わせ、ラミスは微笑をたたえたまま言った。そして私に背を向け――
「待て」
 立ち去ろうとした彼女に声を掛け直す。
「何かしら?」
「私とレヴァーナを交換しろ」
 肩越しにコチラを振り返り見たラミスに、私はハッキリと言った。
「どういうこと? さっきはあんなに嫌がってたじゃない」
「選択肢を押しつけられるのと、私が選択するのとでは全く違うということさ。お前がまだそれだけの兵力を隠していて、教会を潰すために全てを投入するというのなら上手くすれば挟み撃ちにできるかもしれない」
「挟み撃ち?」
「私は教会の内側から叩く。お前は外側から叩く。あとは中で合流して完全に潰してしまえばいい」
 そう。こうすれば今すぐにでもレヴァーナの安全が確保できる。上手くすれば孤児院のみんなも逃がせる。そうなれば何も遠慮することはない。全力で暴れ回るだけだ。
「ダメよ」
 しかし、ラミスは即答で否定した。
「あまりにリスクが大きすぎるわ。レヴァーナさんと交換するのは貴女だけ。そこにいる強力なドールは指名されてない。貴女とそのドールは二つで一つ。バラバラになったんじゃ武器も鎧もない兵隊と同じ」
 言いながらラミスは、ルッシェの肩に止まっているハウェッツに視線を向ける。
「教会を舐めない方がいいわ。絶対に貴女とドールを引き剥がす作戦に出てくるはずよ。それに、向こうだってひょっとしたらまだ戦力を隠し持ってるかもしれないし、私の作戦は貴女の力なくしては成り立たないものだから」
「だが……!」
「落ち着いて下さい! 先輩! レヴァーナさんを心配する気持ちは分かりますけど無茶です!」
 ラミスに掴みかかろうとした私を後ろから押さえつけてルッシェが叫んだ。
「お願いですから、今は冷静になってください。私情に走らないで。先輩の力は、レヴァーナさんのことを想うからこそ、心の底から助けたいって願うからこそ、強くなるんじゃないですか……」
 誰かのために感情を注ぐ。ソレがハウェッツを操る上での必須条件。そしてレヴァーナを守るために持たなければならない最低条件。
「メルムさん。ルッシェさんの言う通りよ。冷静になって考えなさい。仮に貴女と引き換えにレヴァーナさんがココに戻って来たとして、あの子は喜ぶのかしら?」
「……っ」
 コチラに体を向け、諭すような口調で優しく言うラミスに私は言葉を詰まらせた。
 ……どう、思うんだろう。あのバカは。何て、言うんだろう。
 もし、私がレヴァーナの代わりに教会に捕まって、レヴァーナが私の代わりにココに戻って来たとしたら……アイツは、あの変態で非常識で、向こう見ずで無駄に真っ直ぐなアイツは、何をするだろう……。
「本当に馬鹿だなキミは! 一人で解決するのは下手クソなんだから周りに相談しろと言っただろう!」
「な――」
 突然後ろからした声に私は大きく目を見開いて振り返る。
 ソコではルッシェが涙目になって険しい顔付きをコチラに向けていた。
 今のは……ルッシェ……?
「まったくあのロリロリロンリーハートは手間を掛けさせおって! しょうがない、俺が愛と友情と努力の名の下に勝利を奪い取ってきてやろうじゃないか!」
 さらにハウェッツの口からもレヴァーナそっくりな文言が叫ばれる。
「あの坊ちゃんなら絶対にこう言って一人で突っ走るな。だから結局同じなんだよ。だったら二度手間にならないよう、お前は暴走せずに冷静になっとけよ」
「ハウェッツ……」
 私は自分で生み出した最高のドールの名前をゆっくりと呼び、
「ハゲが言っても格好つかないぞ」
「お前のせいだーろが!」
 自分の頭部を両の羽根で覆い隠してまくし立てるハウェッツに、私は嘲るような笑みを浮かべて言った。
「ったく! せっかく心配してやったのによ! あームカツク!」
 ふてくされ、ルッシェになだめられるハウェッツ。そんな光景を見ていると、不思議と体の緊張が解けていくのが分かった。
 ……ありがとう、ハウェッツ。やっぱりお前は最高の相棒だよ。
 それからもう一人、お前とは違ってバカで最低で救いようのない変態のパートナーがいるんだが、どうしてもソイツを助けたいんだ。助けて、謝らなければならないことがあるんだ。
 疑って悪かったなって。
「ハウェッツ」
 そのためにお前の力、貸してくれるか?
「何だよ」
「寝るぞ」
 私は短く言うと、レッドカーペットの上を歩いてその場を後にした。
 目が覚めたら、教会に行く。それまでに気持ちの整理を付ける。
 より強い力を得るために。より確実に、レヴァーナを助けるために。

 アイツが来てからというもの、本当に色んなことがあった。
 アカデミーで酷い罵倒を受けて引きこもり、もう誰にも心を開かないと思っていたのに、あのバカはソレを力ずくでこじ開けやがった。こじ開けて、私の中に強引に入り込んできやがった。
 落ち込みそうになったらバカ話をして励ましてくれて、気まずい空気になったらバカ行動をとって場を和ましてくれて、私が危険に晒されたらバカな登場の仕方をして助けてくれて……。
 そしていつの間にか、私の中でこんなにも大きく……。こんなにも大きな支えになっていた。アイツが私の家に押し掛けてきてからというもの、ずっと支えられてきた。
 いや、そうじゃない。もっと前からだ。もっともっと前から、名前すら知らない時から、アイツは私の心の中にいたんだ。

『初めましてミス・メルム=シフォニー。貴女の発表、非常に興味深く大変な感銘を受けた。できれば是非責任を取っていただきたい』

 三年前、初めてアカデミーで会った時、いきなりのバカ発言に私は目眩を覚えたものだ。だがそのおかげで、ほんの少し嫌な気分が和らいだ。

『責任?』
『どうかね、ここは一つ俺と両手ジャンケンをして、もしキミが負けたら俺と契約するというのは』
『私が勝ったら?』
『契約されてあげよう』

 ……何というか。あの時は私もどうしてバカのバカ話に付き合ってやったの分からなかった。でも今なら分かる。私はあの時から誰かに助けを求めていたんだ。もう一人で立っているのに疲れたから支えてくれと叫んでいたんだ。
 しかし、まだプライドが押し勝った。私が契約すべき人間はこんな低俗な奴じゃないという意地が上回った。もしあの時アイツと契約していれば、私はもっと早く救われていたかもしれないのに……。

『物好きだな、お前も。私などに同情したところで何の得もないぞ』
『いや、俺は純粋に素晴らしい研究成果だと思っただけだ』
『私にそんなことを言うのはお前くらいのものだ』
『まぁ、天才とは往々にして世には認められない物なのだよ』

 天才。
 自分以外にも私のことを褒めてくれる人間がいる。理解してくれる人間がいる。
 アイツの言葉のおかげで、体が軽くなったような気さえした。
 たった一人の味方。
 何十人、何百人もの人間が私を罵り蔑む中、アイツだけは私の味方でいてくれた。その事実が、私に勇気をくれた。希望をくれた。それから三年間、アイツのあの言葉は大きな支えとなった。

『私は天才なんかじゃない。ただの落ちこぼれだ』
『自分の力をそれだけ客観的に評価できるのもキミの天才性ゆえだ』
『……ソレはけなしているのか?』
『まだ毛はある方だと思うのだが』

 ……いや、本当に。あの時は頭のおかしい奴だと思ってまともに取り合わなかったんだが……アイツは間違いなく本気だったんだろうな。
 でも、あのバカと話をしていると自分の悩み事がなんだか途方もなくちっぽけなことのように思えてきたんだ。肩意地張ってないでもっと気を楽にして、こんなバカみたいな生き方をするのも悪くないかもなとか、そんな考えが頭をよぎったりしたんだ。

『一応、礼は言っておく。……アリガトウ』

 だからその言葉も自然に出た。ちょっとは元気が出たから、出して貰えたから。

『何となく、放っておけなかったからな』 

 そして最後に、アイツの優しさに触れた。素直に嬉しかった。また機会があれば話してみたいと思った。
 でも、その後でラミスに食いかかって、ハウェッツに裏切られて、私は荒んでいったんだ。
 けどアイツはまた現れた。まるでピンチの時に駆けつけてくれるヒーローみたいに、でも相変わらずバカ丸出しで、アイツらしさ全開で。

『俺の名前はレヴァーナ! レヴァーナ=ジャイロダイン! キミのパートナーとなるべくして生まれた男の名前だ!』

 ふふっ……。
 思い出すだけで色んな意味を込めた笑いが漏れる。
 ああそうだな。そうだよ。本当にそうだ。
 お前は私のパートナーになるために、いつも私の隣にいて支えてくれるために生まれてきたんだよ。
 なのに……ダメじゃないか。私から離れたら。お前の存在意義がなくなってしまうだろ?
 バカで脳天気でちゃらんぽらんで非常識で、熱血で一直線で強引で無駄な行動を私のそばでしてくれないと困るんだよ。
 ――お前の顔が見たい――お前の声が聞きたい――お前と話がしたい――お前に触れたい――
 本当にお前は肝心なところで気が利かない奴だな。気付けよ……お前が私の中でこんなにもふくれ上がってることに……。
 まだ、アイツがいなくなってからほんの数時間しか経っていないというのに、私はこんなにも、アイツのことを……。もし、二度と会えなかったらと思うと……。
「やれやれ、だな……」
 私は鼻の奥で生まれたツンとしたモノを力一杯吸い込んで飲み込み、ベッドから這い出た。そして毛布の敷き詰められた巣で寝息を立てているハウェッツを起こさないように気を付けながら、窓のそばに歩み寄る。
 暗い空の上では真円を描いた月がコチラを見下ろしていた。
「おい、メルム=シフォニー。お前はいつの間にこんなにも弱い女になったんだ?」
 窓に映った自分に自嘲めいた声で話し掛ける。
 昔は一人でいても何とも思わなかったのに。愚痴を言う相手にハウェッツがいればそれで良かったのに。今は、胸の辺りにぽっかりと大きな穴が開いたようで……。
 全部あのバカのせいだ。あのバカが私の精神ををこんなにも貧弱にしたんだ。アイツが寄り掛かってこいというから寄り掛かったのに、一人じゃ立てなくなるほど一生懸命支えなくても良いじゃないか……。
「ちゃんと、責任取りなさいよね……。アタシは、取ったんだから……」
 教会の方を見つめながら、アタシは小さく呟く。
 駄目だ。しっかり寝て明日に備えないといけないのに全く眠れそうにない。
 私はベッドに戻ってファー付きのスリッパを履き、足音を殺して部屋の外に出た。
 キッチンに行ってアルコールを調達してこよう。ソレで強引にでも体を眠らせる。
「……ん?」
 暗い廊下を歩いて突き当たりを曲がったところで、明かりの漏れている部屋を見つけた。
 あそこは確か園長先生がいる部屋……。まだ起きてたのか。
 私はその部屋の前まで行き、軽くノックをした。
「どうぞ。メルムさん」
 すぐに中から声が返ってくる。しかも名指しで。どういうこと……?
「あ、失礼します」
 私は少し戸惑いながらもノブを回して扉を内側に押し開いた。
「待っていましたよ、メルムさん」
「待って、た……?」
「眠れないんでしょう?」
 園長先生は読んでいた本から顔を上げ、老眼鏡を取り外して私の方を見る。
「ホットミルクを用意しておきました。ブランデーを少し入れて飲むとすぐに眠れますよ」
 言いながら先生は椅子から立ち上がり、大きめのソーサーに乗ったティーカップを差し出した。カップの隣には琥珀色の液体が入った小瓶が添えられている。
 全部お見通しか……。かなわないな。
 私は先生からホットミルクの入ったカップを受け取り、用意してくれた椅子に腰掛けた。部屋は暗く、壁から直接生えたチューリップ・ランプが私達のいる場所だけを淡く照らし出してくれている。光の闇のグラデーションが掛かったこの狭い空間は静かで、落ち着きがあり、幻想的ですらあった。
「昔のように子守歌でも歌いましょうか? それとも英雄伝をお話ししましょうか?」
 先生は私の方に優しい目を向けながら、柔和な口調で言う。
「そんな……。私はもう子供じゃありませんよ」
 ブランデーを注いたホットミルクを一口含み、私は微笑を浮かべて返した。
「そうでしたね。メルムさん。貴女は本当に大きくなりました。それに立派になった。大切な殿方のために戦うなんて強い女性の証拠です」
 ブッ!
 ちょ……鼻に入ったじゃないですか、ミルク……。
「あ、あのですね、先生。私は別にあのバカがどうなろうと知ったことじゃなくて、その……教会には元々個人的な恨みがあったから、ソレを達成するついでに、そう、ちょっとした片手間に助けてやってもいいかなー、なんて思ってるだけですよ。だから大切だとかそういうのじゃなくて……」
「貴女のそういうところ、昔からちっても変わってませんね」
 先生は包み込むような笑顔を浮かべて続ける。
「覚えてますか? 貴女が七歳の時、男の子を泣かせたこと」
「そ、そんなことありましたっけ?」
「えぇえぇえぇえぇ。ありましたとも、ありましたとも。ハッキリ覚えています。貴女と一緒に遊びたがって寄ってきていたのに、『このグズ! 使えないわね! ビー玉を五つ持ってきなさいって言ったのにどうして六つも持ってくるのよ!』『このパンはアタシが食べてあげるって言ってるのが分からないの!? どうしようもないバカね!』『べ、別にアナタを気にしてるんじゃなくて、単に気に入らないだけなのよ! このドアホ! 少しは考えなさい!』と散々罵った結果、私の所に泣きついてきて、以来その子は女性恐怖症になって今でも精神的な病を患っているということです」
 そ、そうだったのか……。それは申し訳ないことをしたな……。とゆーかどうして一字一句違わず覚えてるんだ? この人は。
「他にも『ほ、ほら! コレあげるわよ! 別にアンタを男らしくしてあげようとかそういうんじゃないんだからね!』と言って、クモやらムカデやらをプレゼントされた男の子が昆虫恐怖症になって今もノイローゼ気味だとか、『べ、別にアンタを選んだんじゃなくてたまたま近くにいただけなんだからね!』と毎晩毎晩真夜中に叩き起こされてトイレに付き合わされた男の子が今も不眠症で苦しんでいるとか、『あ、アンタなんか図体が大きいだけが取り柄なんだから、アタシの足代わりになってちょうどいいのよ! 使って貰えるだけありがたく思いなさい!』と言って四つん這いにさせて文字通り馬車馬のように扱っていた男の子が酷い腱鞘炎になって今では車椅子生活を余儀なくされていることとか。ホントに色々とありましたねー」
 それはアッサリと流していい話題なのか。とゆーかそんな後日談、聞きたくないぞ。
「あの頃から貴女は気に入った子に辛く当たってたから、今もきっとそうなんでしょう?」
「い、いやだから、本当に私は何とも……」
「では貴女は何とも思っていない人のために身代わりになろうとしたり、感情的になったり、今こうして眠れないくらい神経を昂ぶらせていたりするんですか?」
「そ、れは……だから……」
 園長先生の言葉に私は思わず言い淀む。
 何と返そう。何て答えればいいんだ。
「べ、別に私は……」
「好き、なんですね? レヴァーナさんという殿方のことが」
 ダメだ……考えが纏まらない。あんなちょっとのブランデーで酔いが回ってしまったのか?
 ……そうか、私は今酔ってるんだ。だからいつもの私じゃない。酔っぱらいが戯言を口走ったところで何の不思議もない。そう、私はちょっとおかしくなってるんだ。
「……はい」
 そう考えると、言葉は自然に出た。
「私は、レヴァーナのことが好きです」
 だから助け出したい。だから落ち着いてなんかいられない。だからアイツのことで頭が一杯で眠れない。
 だからこんなにも心配で、胸が締め付けられるんだ……。
「人を好きになるということは素晴らしいことですよ。愛の力は全てを凌駕しますから」
 まるでレヴァーナが言うような恥ずかしいセリフ。
「あとそれと、友情と努力もですよね。その力で勝利を掴み取るんですよね」
 園長先生がその気なら便乗してしまおう。私は今酔っ払っているんだ。
「そうですね。素晴らしい言葉ですね」
 頬の皺を深くして笑う園長先生に、私は素直に頷いた。
 愛とか友情とか努力とか勝利とか。こんな狙いすぎたセリフを何の臆面もなく、それも素面で口にできる人間など世界中探してもあのバカくらいのものだ。加えて、気合いだの根性だのと叫んで非常識な行動を当たり前のようにとるのもアイツくらいしかいない。
 他にもまだまだある。
 私のような根暗で引き籠もりにしぶとく付き合ってくれたのも、私のことをずっと否定しなかったのも、私を自然体で居続けさせてくれたのもアイツだけだ。
 私に偉そうに命令できるのも、その命令を私に受け入れさせられるのも、言われた通りにして良かったと思わせられるのも、アイツだけ。
 それから、私をこんなにも変な気持ちにできるのも――アイツだけだ。アイツ以外には誰もいない。アイツ以外には考えられない。
 この先もずっと、一緒にいたいと思わせてくれるような奴は……。
「いい表情になりました、メルムさん。もう、大分落ち着いたでしょう?」
 言われて私は園長先生から視線を逸らし、自分の心の状態を確かめる。
 本当だ。いつの間にかあの辛くて物悲しくて、置き去りにされてしまったような気持ちはどこかへ行ってしまっている。信じられないくらい体が楽になった。喉の奥に詰まっていたもの全部を吐き出してしまったかのように、快感とさえ言える爽快感が体を包み込んでいる。
 コレはやっぱり、私が受け入れたせい……?
「ありがとうございます、園長先生。ホントに、園長先生のおかげです」
 やっぱり園長先生は頼りになる。それはそうだ。だって私の母親なんだから。私のことは何だって知ってる。いや、私だけじゃない。孤児院の人達みんな、園長先生には返しても返しても返しきれない恩義を抱いているはずだ。
 だから、逆に不安になる時がある。みんなのことをいつも気遣うのは素晴らしいことだけど、園長先生自身は大丈夫なのかということ。
 例えば、今だって……。
「先生は、どうしてそんなに落ち着いていられるんですか?」
 自分の子供同然の大切な人達が敵にさらわれたというのに。最悪、明日にでも彼らの中の誰かが……。
「そう見える?」
 私の問い掛けに、園長先生は静かな口調で返した。
「私だって、本当は心配心配で、今すぐにでも飛び出して行きたい気持ちで一杯。でも、私には貴女のような力がないから……。実を言うとね、私も眠れなかったのよ。勿論、貴女を待ってたっていうのは本当。貴女とお話して、少しでも自分の不安を紛らせたかったの」
 園長先生は苦笑しながら言って、ブランデー入りのホットミルクを一口すする。
 全然そうは見えなかった。園長先生が、私と同じようなことを考えていただなんて。
 でもどうしてだろう。何か、安心できる。自分じゃとてもかなわない高見の人だとばかり思っていた園長先生が……どんなことでも全部受け入れられて適切な大人の対応ができる人なんだと考えていた園長先生が、実は私と同じ場所に立っていただなんて。
 ……そっか、そういうことか。
 あのバカと一緒にいるとなぜか安心できるのはそういうことなのか。
 ようするに私もバカなんだ。バカで子供で世間知らずで自意識過剰。
 私もアイツと同類だから、アイツの前では自然体でいられるし、考え方も受け入れられるし、受け入れて貰えるんだ……。そういうことなのか……。
 じゃあ、アイツも……? アイツも、私の前では……?
「話ができて良かったわ。おかげで私も大分落ち着きました。何とか眠れそうです」
「それは良かったです。私なんかが園長先生の力になれて」
「謙遜しないで、メルムさん。貴女はずっと私の支えだし、愛おしい存在だし、誇りです。これからもずっとね。だから貴女が持つその力、存分にふるってきなさい。孤児院のみんなと、貴女の大切な人のためにね」
「はいっ」
 即返した私の言葉に、園長先生は満足そうな笑みを浮かべて頷いた。
 大丈夫。もう大丈夫だ。
 これで間違っても私怨で戦ったりするようなことはない。私が戦うのは孤児院の人達を助けるためと、あのバカを、レヴァーナを救い出して、謝るために……。
「そう言えば先生、色々とドタバタしてて聞いてなかったんですけど。孤児院の地下室って、アレいつの間に作ったんですか?」 
 気持ちの整理ができて大分余裕が生まれたのか、私はもっと早く聞くべきことを口にした。
 みんなが生きてくれていたのは本当に嬉しい。けど、あの状況でよく全員……。
「ああ、アレは地下室じゃなくて地下倉庫ですよ。非常用の食料をしまっていたんですけど、ずっと使ってなかったものだからどこにあるか忘れてて。見つけるのに苦労したわ。まさか冷蔵庫の下にあったなんて……」
 言いながらアハハと乾いた笑みを漏らす。
「……よく、それで間に合いましたね」
「言われてみればそうね。教会の人達も意外とのんびり屋さんなのかしら」
 それはない、と胸中でツッコミを入れて私は嘆息してた。
 一歩間違えれば地下倉庫が敵に見つかって全員殺されるところだったというのに……。非常用の食料があったから何日もあの中で生きられたということか。冷蔵庫の下に扉があって見つかりにくくなっていたのも運が良いというか何というか……。
 ――冷蔵庫の下?
 私はそのフレーズに強烈な引っかかりを覚えた。
 確か、ヴァイグルが扉を見つけたのも『冷蔵庫の下』と言っていた。もし全員が地下倉庫に移動したのなら、いったい誰が扉の上にもう一度冷蔵庫を戻したんだ……?

『ミリアム様を、助けてくれ……』

 まさか……。
 わざわざ、避難し終えるのを待って……?
「いやー、でも大きな男の人に扉を上げられた時にはビックリしたわー。もうダメかと思いました」
 明るい調子で発せられた園長先生の言葉に、私は思考を中断した。
 まぁいい。ジェグが何を考えていようと私がやることは変わらない。
「ソレはヴァイグルですよ。ラミスのボディーガード。彼に園長先生達を探してもらっていました。おどかしてしまってすいません」
「ああ、いえ。いいのよ、別に。特に何をされたというわけでもありませんから。そう……ラミスさんの」
「知ってるんですか?」
「そりゃあジャイロダイン派閥のトップの名前くらい知ってますよ。実際にお会いしたのは今日が初めてですけど……とっても、強い女性ですね」
 言い終えて表情を沈ませ、園長先生は俯き加減になって続ける。
「でも酷く脆い、そんな印象を受けました」
 強い、のはそうなんだろう。女一人で派閥をここまで大きくしてきた手腕からも窺える。そして脆い、か……。そう言えば、ヴァイグルに平謝りしていたことがあったな。あの時は二重人格かとさえ思ってしまった。
「彼女は優しい女性です。けど、ソレが脆さに繋がる。今回はそのことが裏目に出かねない。上に立つ人間は時に自分の感情を押し殺して冷徹にならなければなりません」
「十分冷徹じゃないですか」
 レヴァーナをことを道具の一つくらいにしか考えていないというのに……。
 いや、レヴァーナだけじゃない。私は勿論のこと、ルッシェや他のドールマスター達のことも、そしてもしかしたらヴァイグルのことも……。
 リヒエルのことをあれだけ裏読みして利用していたんだ。泣き落としで言うことを聞かせるくらい平然とやるだろう。
「いえ、彼女は温かい女性ですよ。ただ不器用だからソレをなかなか表に出せないだけで。メルムさん、貴女と同じようにね」
 面白そうに言いながら、園長先生は口元に手を当てて小さく笑う。
 私がラミスと同じ? いや、いくら何でもソレは……。
「あー、なんだか随分と話し込んじゃいましたね。そろそろ寝ましょうか」
 園長先生はカップを持って立ち上がり、窓際のサイドテーブルに置いてベッドに腰掛ける。
「久しぶりに一緒に寝ますか?」
「え? あ、いえ。もぅ、大丈夫ですから。それに私は……」
 子供じゃないと言いかけて口をつぐむ。
 いや、十分に子供だったな。あのバカと同じで。
「辛くなったらまたいつでも来なさい。どんな相談でも乗ってあげますからね」
「はい。ありがとうございます」
「メルムさん、頑張って。ここが正念場ですよ」
「はい」
 園長先生の言葉に私はもう一度頷く。
 そうだ。ここが頑張り所だ。園長先生の分まで、私が頑張らないといけないんだ。
 孤児院のみんなもレヴァーナも絶対に、絶対に無事連れ帰る。絶対に。
「先生、おやすみなさい」
「おやすみなさい」
 私は椅子から立って深く頭を下げ、園長先生の部屋を後にした。
 次に目が覚めたら、その時は――

 目が覚めたのは夕方近くだった。窓の外の太陽は大分西に傾き、空を茜色に染め上げている。どうやら完全に寝入ってしまったらしい。きっと精神的な重圧から解放されたせいだろう。
 だが、やはり足りない。
 欠けてしまった体の一部だけはどうしても戻らない。
 昨日のことが全部夢で、アイツが近くにいてくれたら私はどんなに――
「おい、ソコのデレ末期症候群」
「誰がだ!」
 隣でした声に私は思わず怒声を上げるが、すぐに驚愕へと変わり、
「よぉ。やっとこさお目覚めか?」
「なんだ……お前か……」
 落胆へと沈み込んだ。
「誰だと思ったんだ? ん?」
「うるさいな」
 私は不機嫌に言いながらベッドから這い出る。
 何となく、あの非常識バカなら一人で勝手に抜け出して、『キミが来るのが遅いからだろうが』とか言ってくれそうな気がしたんだ……。
 私はクローゼットの中から白衣を取り出し、細く息を吐き出しながら袖を通した。
 しっかりしろメルム=シフォニー。今さら落ち込んでどうするんだ。昨日、園長先生と話して気持ちの整理は付けたはずだ。レヴァーナはちゃんと生きている。孤児院のみんなだって絶対に無事なんだ。だから助けに行くんだ。これから。
 ラミスがどんな作戦を用意しているのかは知らない。ソレで本当に教会を潰せるかどうかなど分からない。だが人質は必ず助け出す。
 あのバカには今までずっと助けられっぱなしだった。だから今回は、その借りを返す意味も込めて――
「ハウェッツ」
「おぅ」
「お前の力を使うことにもう怯えたりはしない。連れて行かれた人達のために全力で行くぞ。いいな」
 二丁の拳銃が入ったガンホルダーを白衣の上から確認し、私はハウェッツを真っ正面から見据えて言い切った。
「へっ、良い顔付きになったじゃねーか」
 ハウェッツは私の肩に止まり、嬉しそうな声で返す。
 そう。もう躊躇ったり恐れたりなんかしない。今なら絶対に大丈夫だ。有り余るほどの確証がある。自信が漲ってくる。
「だからお前は何があっても私のそばから離れるなよ。分かったな」
「ああ、分かった」
 私達は互いに頷き合い、確かな想いを胸に部屋を後にした。

 大広間に行くとラミスが一人で夕食を食べていた。こんなだだっ広い空間なのに無駄なスペースを感じさせないのは、この女の持つ貫禄ゆえなのだろうか。
「あら、起きたのね。行動は夜からだからもう少し寝ていればいいのに」
 すくい上げたシチューを戻してスプーンをテーブルに置き、ラミスはナプキンで口元を軽く拭く。そして微笑を浮かべてコチラを見た。
「睡眠はもう十分に取った。それより、お前の方は全然寝てないんじゃないのか?」
 私はラミスの近くの席に腰掛けながら聞く。
 化粧で大分誤魔化しているのだろうが、彼女の目の下にはうっすらと黒い痣のような物ができていた。頬も少し痩けたように見える。
「心配いらないわ。三十分は仮眠を取ったから」
「指揮官がそんなことで良いのか?」
「色々とやることがあるのよ。それに人間は全く寝なくても一週間は生きられるそうよ。まぁその後、発狂寸前になるらしいけど」
「お前の頼みの綱が発狂しないように、しっかりとブレーキを握っとくんだな」
「その判断力が落ちるほど疲れてないわ。貴女の方こそ、感情にまかせて肝心なところで暴走したりしないでよ?」 
 ラミスは胸のブローチを軽く触りながら、口元を歪めて皮肉っぽく返した。
 まぁ、いつも通りか。
「その点は大丈夫だ。気持ちの整理は付いた」
「みたいね。恋する乙女って顔してるわ」
 フフッとラミスは意味深げな艶笑を浮かべる。
 ……これだけ憎まれ口が叩けるんなら何も心配はいらないな。
「じゃあ聞こうか。お前の作戦とやらを」
 私は咳払いを一つして早口に言った。
「そうね。時間もたっぷりあることだし」
 頷いてラミスはフルーツバスケットを引き寄せる。そして中から大きなリンゴを一つとり出して私の前に置いた。
「コレが今晩攻めるターゲット。教会よ」
 言いながらラミスはさらにブドウを取り出し、房を一つずつ外してリンゴの周りに並べていく。
「そしてコレが教会の兵。ドールやドールマスター達」
「随分と多いな」
 紫の房であっと言う間に周りを埋め尽くされてしまったリンゴを見ながら私は言った。
「敵の戦力を過小評価するのは愚か者のやることよ。もしかするとこれでも少ないかもしれない」
 さらにラミスはチェリーをブドウの周りに並べていく。
「ソレがコチラの兵というわけか」
「そう。ドール十体一組のチームを二十組作るわ。各チームを構成するドールは横一直線に並んで貰って、まずは教会の前面を覆うように攻める。まあこのチェリー一つで二体分だと思って」
 棒状に並べた五個のチェリーを取り合えず三本作り、リンゴを囲んでいるブドウの周りに配置していった。丁度、紫色の円に赤い線が等間隔で接する形となる。
「チームの真ん中当たりにいるドールは敵のドールと戦いながら徐々に後ろに下がっていく。ソレに合わせるようにして両サイドのドールは前に出ていくの。不自然にならないように気を付けながらゆっくりとね」
 チェリーの棒はV字を経てU字へと変わり、ブドウを少しずつ飲み込んでいく。そして――
「敵は気が付けば周りを囲まれているってわけよ」
 完全な丸となってブドウは母体から切り離された。
「同じようなことを他の全てのチームでやって貰う」
「そうやって確実に向こうの数を減らしていくわけか」
 四方八方から攻撃すればどれだけ強力なドールでも沈めることができるだろう。各個撃破の拡大版みたいな物か。
「違うわ。一度に操れるドールに限りはあってもドールの数自体はほぼ無制限に出てくると思った方がいい。だから教会のドールを壊滅させて潰すっていうのはあまりに非現実的だわ。ドールマスターを殺そうにもこれだけ密集していたら確実にドールに阻まれるでしょうしね。つまり、コレは道を切り開くためのステップでしかないの」
「道を?」
「組織というのはトップがいなくなってしまえば残りは自然に崩れる物なのよ。私達の狙いは教総主ただ一人だけ」
 ラミスは目を細めて言いながらマスカットを取りだす。そして大きな房を一つもいでチェリーの更に外側へと置いた。
「敵の戦線が崩れてきたらヴァイグルに動いて貰うわ。彼の力を無駄に使う訳にはいかないから出るタイミングはよく見極めるけど」
 ラミスはリンゴをぐるりと囲んでいたブドウを前面に寄せ、さらにソレらをチェリーで囲いながら分散させていく。集まりが解かれ、密度の濃淡が出始めた。
「私が適切だと判断したら、最も兵の薄い場所にヴァイグルを突っ込ませるわ。ソレで一気に教会の建物まで攻め込ませる」
 なるほど。沢山の兵を教会の中まで行かせるのは難しいかもしれないが、一人なら何とかなる。そしてヴァイグルなら例え一人であっても何十人ものドール相手に立ち回れる。けど――
「そう簡単に行くかな。最初に向こうの兵を分散した時点で、その戦法を読まれたとしても不思議じゃない。多分向こうはリヒエルが指揮を取るだろうから、お前の考ることくらいお見通しなんじゃないのか? ソレにヴァイグルの戦い方は目立つからな。温存していることくらいアッと言う間にバレるぞ」
「でしょうね」
 私の言葉に、ラミスはあっさりと認めて頷いた。
「正直、ヴァイグルが教会内部までたどり着けるとは思ってないわ。途中で阻まれると思う。恐らく、あのジェグとかいうランク一位のドールマスターにね」
「なら……」
「彼も囮よ。教会の戦力を建物の前面に引き寄せるためのね。ずっと注意を払い続けていたヴァイグルという驚異がようやく出てきてくれた。教会は安心して兵の大半を差し向けるはずよ。そこでメルムさん、貴女の出番って訳」
 私の方に一度だけ目配せした後、ラミスは小振りの桃を取りだしてリンゴのそばに置く。
 ……どうして桃を選ぶんだ。
「ココまで前面に兵を集中させれば自然と後ろは手薄になるはず。貴女にはソコを狙って欲しいの」
「知っているとは思うがハウェッツの真実体もかなり目立つ。私が戦っていないこともすぐに分かってしまうぞ」
「黄色い馬のドール、白い翼の鳥型ドール、雷を操れるドール。一人じゃ無理かもしれないけど、何体かドールを集めれば貴女のドールの真似事くらいはできるわ。もっとも、性能は随分と違うでしょうけど。まぁもしかしたら、貴女がまだ使いこなせていなくて弱い力しか出せないと思ってくれるかもしれないわね」
「私一人で教会の中の奴等を何とかしろということか」
「頼めないかしら?」
 挑発的な視線をコチラに向け、ラミスは片眉をつり上げて見せた。
 ふん……。
「上手く行く可能性はどのくらいある」
「教会内部に入り込める確率が五割。貴女が一人で教総主を始末できる可能性が四割。ま、勝率二割ってとこかしら」
「上等だ」
 例え一パーセントでもやるつもりでいた。それが二割もあるなら十分すぎる。
「決まり、ね。判断は貴女に任せるわ。自分のタイミングで行ってちょうだい。でも教会に入るまではなるべく力を使わない方が良いわ。温存の意味合いもあるけれど、人目を引くには十分すぎる力だから。辺りが暗いと余計にね」
「わざわざ言われなくても分かってるさ、そのくらい」
 私の返事に笑顔で返すラミス。彼女は並べた果物をそのままにして立ち上がり、ヒールを鳴らして出入り口の方に歩を進める。
「四時間後、教会と接触するわ。貴女はその頃に教会の裏手で待っていて。最初から私達と徒党を組む必要は全くないわ」
 そして私に背中を向けたまま言った。
「助かるよ。集団行動は苦手でね」
「期待してるわ」
「コッチもな」
 ラミスは肩越しに振り返ってもう一度私と目を合わせた後、どこか儚げな笑みを残して大広間を出ていく。静まりかえった室内。言いようのない疎外感。
 ……やはり、私一人だとこのスペースは持てあますな。
 苦笑しながら、私は何気なく桃を手に取った。 

 不気味な静寂だった。
 風の音、虫の啼き声、草葉のざわめき。本来そこにあってしかるべき物が完璧に欠如している。まるで何かに呑み込まれてしまったかのように。 
 闇がより深い闇を喚び寄せている。そんな気さえしてきた。
「随分と不用心だな……」
 第二ストリート末端。教会の本拠点。天を突いてそびえ立つ巨大な尖塔を中心として、周りにはソレを守護するかのように四本の小塔が屹立している。
 いつもなら各塔にはぞれぞれ見張りの教会員が付いて不審者に目を光らせているはずなのに、今夜はソレが全くない。まぁおかげでアッサリと教会の裏手に回れて、少し離れた茂みの中から安全に観察できているのだが……。
 時刻は十時前。ラミスの言っていた時間まであと数分だ。
 しかしラミスの兵も現れる気配がない。まさか私一人置いてけぼりってことはないと思うが……。
「気ぃ抜くなよ」
 ハウェッツが肩の上から重い声で言ってくる。
「もう誰もお前を裏切る奴なんかいねーから、気ぃ抜かずにしっかり前見てろ」
 相変わらず勘の鋭いことだ。
「ああ、分かってる」
 私は苦笑しながら返し、もう少し身を下げて低木の影に身を隠した。
 冴え渡る月明かり。その朧気で幻想的な光を受けて浮かび上がる教会の建物。 
 一瞬、何かが蠢いたような気がした。直後、さっきまで誰もいなかった場所に、様々な形をした無数のドールが現出する。まるで闇の中から生み出されたかのように。
 馬鹿な……。一体どうやって……。
「行けぇ!」
 だが考える暇もなく、鞭声のように鋭い響きを持った女性の命令が上空から飛んで来た。
 ラミスだ。反射的に上を見る。
 何十体もの巨鳥型ドールが、月光を遮って教会の上空を覆っていた。辺りがより濃密な闇に包まれたかと思うと、その背中から数多の影が飛び降りる。
 熊型、虎型、竜型、人型、剣型。全身を殺気と闘気で漲らせたドール達が烈声を上げ、地響きと共に次々に着地した。そして咆吼を撒き散らして大地を蹴ると、触手型や不定形型といった歪な形の教会側ドールと接触する。
 ほんの一呼吸、まばたき一回する間に、辺りは肌を刺激するような熱と耳をつんざく怒号で支配されていた。
 ――始まった。
 何の前触れも予兆もなく、教会とジャイロダイン派閥の全勢力をつぎ込んだ最終抗争が始まってしまった。
 体から一切の気の緩みと余計な思考が排除され、目の前の戦いに全神経が没頭していくのが分かる。意識の昂揚、無意識の戦慄。常識が駆逐され、非情が台頭してくる。
 ここは戦場。無慈悲の時間と空間。血で地を潤す鮮血と紅蓮の世界。殺し、殺され合うのが当然の狂気に満ちた場所。
 なん、だ……?
 刹那的に切り替わった自分の頭に、私は目眩を伴う違和感を覚えた。いや、違和感を感じないことへの不信感とも言うべきか。
 あまりに短絡的な思考。訓練された訳でもないのに、日常の感情があっと言う間に破棄されてしまっている。誰が死んでもおかしくない、誰が殺されても何の感傷もわかない、起こったことを何のフィルターも介することなく、そのまま事実として受け入れる。
 ――これは、本当に人間的な反応なのか?
 今まさに目の前で繰り広げられている死闘を見ながら、私は白衣の上から胸を押さえつけた。
「作戦その一が始まったぜ」
 肩の上からハウェッツが冷静な声で言ってくる。
 ラミスの言った通り、ドール達は各チームに別れて横一直線に並び始めた。しかし中には十人ではなく、八人や七人のところもある。この陣形に展開する前にやられてしまったのだろう。まぁ、最初から綺麗に行くなどラミス自身も思ってないだろうがな。
 焼けただれた牛のような姿をした教会側のドールが、体から生やした触手を熊型ドールに伸ばす。ソレを爪ではじき返し、徐々に後退していく熊型ドール。その動きに合わせて、両サイドにいる虎型ドールと竜型ドールが前に出ていった。V字からU字になり、そして教会側のドールを何体か纏めて囲い込もうとした時、地上のドールに襲いかかっていた触手が突然軌道を変えて上空の巨鳥型ドールに向けられた。
 不意を突かれ、避け損ねてバランスを崩す。その拍子に背中に乗っていたドールマスター達が中空へと放り出された。その中の一人に――
「ル――!」
 叫びそうになった私の口に、柔らかい羽根の塊が突っ込まれる。
「今見つかってどーすんだよっ」
 私の叫び声を抑えながらハウェッツが小さく怒声を上げた。 
「けどルッシェがっ」
「よく見てみろ。あの子はそんな柔じゃねーよ」
 目を戻してルッシェのいた方を見る。そこでは自分の鷲型ドールに受け止められ、額の汗を拭っているルッシェがいた。
 咄嗟にリボンを真実体にしたのか……。
 私は多大な脱力感と共に大きく息を吐いた。そして同時に怒りにも似たもどかしさが込み上げてくる。
 私も、一緒に戦えれば……ルッシェを援護してやれるのに……。あんな雑魚共、一掃できるのに……。
 だが今やっているのは突破口を作る作業だ。無数に沸いて出てくるドールを相手にし続けても埒が明かない。ラミスの言う通り、トップを潰すしかない。私の手で。
 だから早く、早くしてくれ。今みたいな場面は、もう見たくない。
 私はいつの間にか握り締めていた拳を震わせて舌打ちし、
 ……なんだ。
 目が覚めたかのような安堵を覚えた。
 ……なんだ。大丈夫じゃないか。ちゃんと、人間らしい感情が残ってるじゃないか。
 戦いの場であっても、殺し合いを目の当たりにしながらも、ちゃんと人のことを心配して思い遣やれる心があるじゃないか。
 大丈夫。大丈夫だ。私は、絶対にドールなんかじゃ――
 視界に黒い線が引かれた。
 耳の奥に呻くような嫌な音がこびり付く。触手に腹を貫かれ、黒い体液にまみれた男が巨鳥型ドールから落下していくのが見えた。
 アレは、ドールじゃない……ドールマスターだ……。
 ドールを操っているマスターの殆どが空にいると分かったせいだ。教会側の攻撃の方向性が変わった。そして地上で展開していた戦列にも乱れが出始める。チームの中に真実体から封印体に戻るドールが現れだした。マスターを殺されたせいだ。
 まずいな……。
 一チームを構成しているドールの数が減れば減るほど、包囲は難しくなる。その穴埋めをしようとドールの数を増やせば、ドールマスター一人当たりの負担が大きくなる。当然、力は落ちる。
 だが教会のドール達が分散してきているのは事実。もうここは、ヴァイグルを投入するしか――
「第二部隊出ろ!」
 遠くからラミスの指示が発せられた。
 直後、四本の小塔で同時に爆発が撒き起こる。勢いよくそそり立つ業炎に照らされたのは、冷厳な雰囲気を纏い、このむせ返るような死臭の立ちこめる中で薄ら笑いすら浮かべている者達。
 アレは、ラミスが隠していた兵……?
 恐竜型や悪魔型といった、他からは明らかに一線を画する容貌のドールを横に携え、ラミス直属のドールマスター達は同時に亜空文字を展開させた。次の瞬間、彼らの目の前に拳大の昆虫型ドールが出現する。
 その数二十以上。四本の小塔でそれぞれ生み出された昆虫型ドールは、百をゆうに上回る弾丸となって中央の巨大な尖塔に降り注いだ。
 アレは自律型のドール。以前、ジェグが生み出して見せた小鳥型ドールと同じだ。マスターの命令なしで行動できるが複雑な動きはできない。だがその分、力は普通と全く変わらない。技術がある限り、何体生み出しても一人当たりの能力に差は出ない。
 こんな作戦聞いてないぞ。戦況を見て方向修正したのか。それともまだ誰にも言ってない仕掛けを他にも隠しているのか……。
 どちらにせよ、戦況はまた大きく変わった。
 昆虫型ドールは教会側のドールの体に突進して全身を埋め込むと、中で小爆発を起こす。
 小さいとはいえ内側で自爆されたのではひとたまりもない。クラゲ型ドールがその軟体を爆ぜさせて大地に吸い込まれ、そして――消えた。
 消えた?
 何だ。今何が起こった。確かに、死んだはずのドールが消えた。封印体に戻ったと思った瞬間にいなくなってしまった。そういえば封印体がない。あれだけ激しい戦いをしていれば無数に転がっていてもおかしくないはずなのに、教会側のドールもジャイロダイン派閥側のドールもやられた封印体がどこにもない。
 どういう、ことだ……。
「そろそろヴァイグルの奴の出番が来るぜ」
 ハウェッツの声に私は思考を中断した。
 今は余計なことを考えるな。一瞬の判断ミスが命取りになる。
 戦況はコチラに有利に傾きつつある。ソレが最も重要な事実だ。
 ラミス直属のドールマスター達のおかげで中央のドールの数自体が減り、さらに四本の小塔にも兵を割かなければならなくなったためにますます密度が薄くなっていった。そして塔の中からドールを操っていたマスター達も、隠れ蓑を半壊させられて外に出ることを余儀なくされ、次々に命を落としていく。
 封印体戻り、やはり消えていく教会のドール達。
 敵を徐々に包囲し、分散させて叩くという最初の戦法も相手の数の衰えと共に形を成し始めていた。
 だが、まだだ。まだ油断などできない。
 ラミスがヴァイグルや私の力を隠しているのと同じように、教会の方もジェグや王宮の戦力を出してきていない。だからまたいつ戦況が向こうに傾いたとしても不思議じゃないんだ。そのことはラミスもよく分かっているはず。 
 恐竜型ドールが小塔の一本を完全に叩き壊し、悪魔型ドールが湾曲した鎌で巨大な蛭のようなドールを真横に切り裂く。竜型ドールの炎が土ごとドールマスターを消し炭にし、鰐型ドールが凶悪な顎でクラゲ型ドールの頭部を噛み砕いた。
 完全にコチラが押していた。誰の目に見てもこのまま行けば圧勝となるはずだ。
 そしてラミス直属のドールマスター達が中央の戦いに加わろうと移動を開始した時、
「な――」
 何の前触れもなく、本人に気付かせることすらなく、彼らの真後ろから爪が生えた。
 ソレが首の前に回されたかと思うと、あっけなく頭と体が分離する。糸の切れた人形のように倒れ込み、数人のドールマスター達が同時に事切れた。
「後ろだ!」
「しゃがめ!」
 方々で上がる悲鳴混じりの叫声。
 だが、その後に撒き起こるのは鮮血と静寂。
 ――そうか。
 コレはミリアムの『穴』から……。
 最初、突然教会のドール達が現れたように見えたのも、ミリアムが作った『穴』からドールを送り出していたからなんだ。そしてコレは『穴』から爪だけを出して攻撃してきている。爪をすぐに戻せば反撃を受ける心配もなく、何の苦労もせずに相手の死角に回り込める。
 ジェグだ。確証はないが、今はミリアムのそばにジェグがいるんだ。
 あの野郎、姑息な手を使いやがって……。
 だが、なぜだ? どうして今になってこの手を使う? もっと早く、いや、最初からこうしていれば楽に勝利できたのに。それ以前にラミスの首を取ってしまえば戦いは終わるんだ。こんなことができるのなら、抗争が起こった直後に『穴』からラミスを殺してしまえばいいんだ。
 ソレをしないのはなぜだ? 今だってラミスを狙う気配は全くない。
 何か制限があるのか? 私は最初、あんなふうに爪“だけ”を出すなどできないものだと思っていた。一度『穴』に触れたら体全部を持って行かれるものだと。しかしそうではなかった。
 なら距離に制限がある? ジャイロダイン派閥の館には『穴』を出現させられない? いや、しかし教会から見て私の家とラミスのいる館は同じくらいの距離のはず。ただ方向が真逆だというだけだ。ミリアムは私をずっと見てたと言っていた。アレがそもそもハッタリ? いやそれもない。私が自分で体験したではないか。ミリアムの『穴』によって壊された家の前に放り出されるということを。
 だとすれば、あの爪の方に制限があるのか? もしくは爪が穴に制限を加えている? 例えば、あんな大きな爪を出すには『穴』を広げなければならない分、距離が稼げない、とか。
 分からない……。確かなのは、また劣勢になり始めているという事実だけ。
 ドールが、ドールマスター達が抵抗らしい抵抗もできないまま次々に殺されていく。陣形や作戦などといった細かいものはもう影もない。あるのはただただ一方的な虐殺だけ。
 ダメだ。限界だ。このままだといつルッシェが殺されてもおかしくない。
 いつまでヴァイグルを温存しておくつもりだ。このまま無駄に傷口を広げるというのなら、私が――
「うわーーーー!」
 立ち上がり、茂みから出ていこうとした時、教会の方から場違いな叫び声が聞こえた。
 確かに悲鳴は悲鳴なんだが、どこか作り物めいていて、演技をしているかのようなわざとらしさを感じさせる。本当の恐怖から出た声ではない。
 それでも半狂乱になっているのか、そのドールマスターは喚きながら教会の方に突進し、後ろから現れた爪に頭を――
 ――受け止めた。
 頭の後ろで交差した腕で、爪の一撃を受け止めた。有り得ない。人間がそんなことできるはずがない。じゃあ、アレは……。
「そぉら!」
 彼は後ろを向いて爪を両腕で挟み込むと、掛け声と同時に後ろに引いた。爪はあっけなく『穴』から引きずり出され、本体である巨大なカマキリの体を晒す。
 なんて力……。じゃあ、アレはドールマスターじゃなくて、ドール……? 感情を持った、ドール。私がラミスの館で作った、プロテクトの掛かっていない。じゃあ操っているのは?
「殺せ!」
 ラミスの声に応えて、人型ドールはカマキリ型ドールの腕を根元から引きちぎる。そして勢いよく噴出する体液を全身に浴びながら飛び上がり、
「ッしゃぁ!」
 カマキリ型ドールの脳天に腕を肘まで埋め込んだ。巨体は崩れ落ち、小さな封印体へと戻り、やはり地面に吸い込まれるようにして姿を消す。
 ラミス……あの女が操っているのか。
 そうだな。お前も、元はドールマスターだものな。

『色々とやることがあるのよ』

 お前も必死なんだな。自分から伏兵中の伏兵になるなんて。
 それにこの力、普通じゃない。並のドールマスターなんかじゃ足元にも及ばない。ジャイロダイン賞なんて大層な物を作るだけあるってことか。
「第二部隊は第一部隊と自分の後ろを守ることだけに集中しなさい! 攻撃はしなくていい! 第一部隊は目の前の敵を殺すことだけに専念して! 後ろは第二部隊に任せるのよ!」
 間髪入れず、ラミスの指示が大声で飛ぶ。
 攻撃用と防御用の人員を完全に分けることで迅速な攻めよりも、堅牢な守りにシフトさせた。『穴』からの理不尽な攻撃に混乱し掛かっていた戦列が一気に元の集中力を取り戻し始める。
 集中力。ソレはドール戦に置いて何よりも重視される。コレがなくなってしまえばドールは封印体に戻ってしまうのだから。ラミスはソレを一声で復活させた。
 大したもんじゃないか。ドールマスターとしても、指揮官としても。
 教会側もラミスの指示に反応したのか、『穴』からの攻撃が止んだ。もう通用しないと踏んだのだろう。出所が分からないというのは確かに驚異だが、体の一部だけしか出していない以上攻撃力は自然と抑えられる。冷静になり、防御だけに徹していれば防ぐのはそれほど難しいことではない。
 誰の指示かは知らないが教会も動きが的確じゃないか。リヒエルか? ジェグか? それとも、ミリアムか?
 ミリアム……。彼女はまた『穴』から私のことを見ているんだろう。しかしこんな暗い場所ではどこにいるかまでの特定はできないはず。だから私には兵を差し向けようにもできない。
 ――そう思っていた。
 だが、違う。そうじゃない。恐らく、知った上で見逃されているんだ。私を教会に誘い入れるために。私をより深く絶望させるために。教会はジャイロダイン派閥の兵に備えて『穴』から見張っていた。そして即座に対応した。なら、私が裏手に回ったことも知っていたはず。その上であえて看過している。
 好都合だ。実に好都合。罠だろうと何だろうと教会に入ることが――ミリアムに会うことが私の目的なんだから。そして、あのバカを助け出すことが……。
 教会の兵力が目に見えて落ちていく。もうすでに最初の三分の一もない。四本の小塔もまともに立っているのは一本だけになってしまった。
 コチラの兵も大分削られたが、相手ほどじゃない。そして確実に押している。
 中央の巨大な尖塔を守るドール達の数が更に減り、封印体が地面に呑み込まれ、そして――
「ヴァイグル!」
 ラミスの声が暗天に轟いた。
 黒い影が人ならざる速さで疾駆する。銀色の線が真横に引かれ、足を全て切り離されたクラゲ型ドールが地面に溶け込む。鋭い風の啼き声が聞こえたかと思うと、芋虫型ドールの腑が散乱していた。悲鳴すら上げることも許されるまま、三人のドールマスターの首が宙を舞う。顔の半分溶けた豚型ドールの胴体が、まばたき一つする間に二分された。
 圧倒的な力とスピード。普通のドールでは避けることはおろか、ガードすることすらできない。
 誰にも止められることなく、誰からも阻まれることなく、ヴァイグルは教会の尖塔へと急迫し――
 激震と共に、大地の一部が大きく抉れた。
「ようやく、出てきた、な? ……ん? 待ってた、ぞ?」
 鼓膜にまとわりつくような粘着質な喋り声。
 さっきまで誰もいなかったはずの場所に、背中を丸くした線の細い男が病的な笑みを浮かべて立っていた。そして隣には背中に剣を生やした大男。四メートル近くはあるだろうか。本来、手のある部分からは太い鎖が伸び、直径二メートルほどの巨体鉄球に繋がっている。
 さっき地面を抉ってできたと思っていた穴は、あの鉄球が押し潰した物だったのか……。あんな物をまともに食らえばヴァイグルとはいえひとたまりも……。
「死神に狩られるのをか」
 声は上からした。あの一瞬で大男の頭上まで飛び上がったヴァイグルは、好戦的な笑みを浮かべて剣化した右腕を前に突き出す。しかし即座に持ち上げられた鉄球の球面で力を分散させられ、甲高い音と共に弾かれた。そしてもう一つの鉄球がヴァイグルの背後から円弧を描いて襲いかかってくる。
「茶番だな」
 呟いてヴァイグルは目の前の鉄球を蹴り、背中を反らして後ろに跳びながら球撃をやり過ごした。鼓膜を突き破る激しい金属音。鉄球同士がぶつかり合い、一つは大男の顔面に、そしてもう片方はさらにヴァイグルへと追撃を掛ける。
「ち……」
 空中で体勢の変えられないヴァイグルは舌打ちと共に剣化した腕を戻し、一抱えもある鉄球を両手で受け止めた。
「おおおおおおぉぉぉぉぉぉ!」
 大気を鳴動させる獣吼。一瞬、ヴァイグルの両肩が大きく膨らんだかと思うと、硬質的な音を立てて鉄球は真ん中から二つに割れた。
 凄い……。言葉が出ない……。
 ジェグの力も確かに驚異的だが、ヴァイグルの力は更にその上を行く。アイツが敵でなくて本当に良かった……。だが今のでかなり力を使ったはずだ。また少し理性が失われ、体の腐食が進んだはず。
「ん……?」
 着地したヴァイグルの周りをグルリと囲む王宮のドールマスターと鎧兵達。彼らを一瞥してヴァイグルは嘲笑を浮かべる。
「雑魚と遊ぶほど暇じゃないんだがな」
 出てきた。ラミスの読み通り。これで教会の戦力は全て出きったはずだ。後は――
「や、れ……!」
 ジェグの命令と共に、鎧兵達は円陣を狭めるようにして突撃する。そして、剣閃が走った。
 体を真ん中から斬られて二つになった者。十字に切られて四つになった者。原形すら留めないまでに細切れにされた者。彼らの返り血を浴び、ヴァイグルは上体を大きく逸らせて哄笑を上げた。
 ジェグの巨人型ドールが鉄球をヴァイグルに向かって投げ付ける。王宮のドールマスター達が亜空文字を展開させて、歪な形をしたドールを真実体化させた。
 ――今だ!
 頭に閃いた言葉と同時に、私は茂みから飛び出す。そしてもやはガラ空きとなった教会の裏手目掛けて全力で疾駆した。視界の中で激的に大きさを増していく巨大な尖塔。
 後もう少し、もう少しで届く……!
 耳の奥で聞こえる激しい自分の息づかい。全力疾走と、そして言い知れぬ昂揚感から来る鼓動の加速。
 もう少しで、教会の中に! あの、バカのいるところに……!
 私は両手に亜空文字を展開させ、その中にハウェッツを――
「な……!」
 しかしいきなり目の前に現れた十数人の鎧兵に、私は両足に力を掛けて急停止した。
 まだ残っていたのか! クソ……! どうする。もうココまで来たんだ。多少派手にやって他の奴等に気付かれたとしてもしょうがない。ここで退くわけには……!
「オメガ両足クラッシュ!」
 私が決心した時、横手から聞き覚えのあるネーミングセンスの跳び蹴りが飛んできた。
「ゴリラごっつぁんですバックドロップ!」
「電子レンジで急所をチン!」
「犬も歩けばストレンジャー!」
 さらに連続して叫ばれるダサ過ぎる技名。後半はもはや何が何だか分からない。しかしそのひ弱そうな名前とは裏腹に、鎧兵の意識を確実に断ち切っていく。
「お前ら……」
 突然目の前に現れたやたら体格の良い白スーツの男達を見ながら、私は口を半開きにしたまま呟いた。
「メルムさん! 俺達もお手伝いしますよ! 坊ちゃんを救うために!」
「悪いとは思いましたがラミス様との話、立ち聞きさせて貰いやした! ドールは使えなくても肉壁くらいにはなりやすから!」
 そうだ。思い出した。レヴァーナが二回目に私の家に来た時、一緒に連れていた奴らだ。
「な、何だお前……!」
「脳天スズメバチツボ押し!」
「貴様ら……!」
「あったらいいなタイムマシン!」
「殺……!」
「みんなでやろうドブさらい!」
 ようやく我に返ったばかりの三人の鎧兵が地面に沈む。
「行って下さいメルム殿! レヴァーナ様をよろしくたのんます!」
 誰が『殿』だ。誰が。
「若にはいつも世話になってますから! 絶対に元気で戻って来て欲しいです!」
 『若』って……。
「後は頼みましたぜ、姉御!」
「誰がだ!」
 全くコイツら、非常識な力といい節度をわきまえない失礼な喋りといいレヴァーナそっくりだな。
「とにかくココは俺達が食い止めますから! 誰も中には入れませんから!」
 それと……無駄に熱いところとかな。
「ふ、ざけるな……!」
 気を失っていた鎧兵が立ち上がり始めた。やはりあの装甲に肉体打撃だけでは無理があるか。
 しょうがないな。コイツらを放って置くのはさすがに寝覚めが悪い。レヴァーナに何か言われそうだしな。
 まぁいい。何とかなるさ。
 私はハウェッツと目を合わせ、両手に亜空文字を展開させた時、
「ぐ、ぁ……!」
 真後ろから直撃した熊型ドールの拳で鎧兵は昏倒した。続けてまだ意識のある鎧兵達にも重い一撃が見舞われる。
 誰の、ドールだ……? ルッシェ? ラミス? それとも……。
『早く、し、ろ……』
 ジェグ……。
 熊型ドールは鎧兵を全滅させると教会の裏手に突進し、人が通れるくらいの穴を穿った。

『ミリアム様を、助けてくれ……』

 本気、なのか……? それとも、また孤児院の時のように罠。いやしかしあの時は……。
 ええぃ! 面倒なことを考えるのはやめだ! 出たとこ勝負の当たって腰砕け! 上手く行かなかったら全部あのバカのせいにしてやればいい!
 私は自分にそう言い聞かせると、崩れ落ちた教会の壁に向かって走る。熊型ドールの真横を通り抜け、夜の闇とは全く異質の昏さを持つ教会の内部に足を踏み入れた。
 直後、熊型ドールの巨体によって穴が塞がれる。
 誰も通さないから安心しろってことか? ジェグ、お前も随分と変わったじゃないか。
 内心苦笑ながら、私は前を向いた。
「よぉ、嬢ちゃん」
 そして教会内に響き渡る嘲るような声。
「ついに、来ちまったな」
 これまで見たことない表情をしたリヒエルが、私の方を見ながら一人で立っていた。
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