人形は啼く、主のそばでいつまでも

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  Level.11 『誰が泣くか!』  

 外から聞こえてくる轟音や悲鳴をどこか遠くの世界の出来事のように聞きながら、私はリヒエルと対峙していた。
 薄暗い教会内。燭台から漏れ出る橙の炎を黒曜石が反射して、柔らかくそして繊細な光をまんべんなく落としている。まるで深海に身を委ねているかのように幻想的で、神秘的で、そして底の見えない恐怖に満ちた空間。
「人生ってのは、なかなか上手く行かないもんだねぇ。嬢ちゃん?」
 正面門を背中に、リヒエルはおどけたような口調の中に不気味な何かを孕ませて言葉を紡いだ。
 ――何だ、コイツ。
 私は目を細めて体を緊張させる。
 ――何か、違う。
 僅かに腰を落とし、神経を研ぎ澄まして臨戦態勢を取った。
「そんなに固くなんなよ、嬢ちゃん。知った仲だろ?」
「気軽にお喋りするような仲でもないな」
 私の返答にリヒエルは小さく鼻を鳴らして後ろ頭を掻き、長机の一つに腰掛ける。
「じゃあこういうのはどーだ」
 そして目の奥に酷薄な輝きを宿し、
「孤児院のガキ共と、レヴァーナ=ジャイロダイン」
 薄ら笑いを浮かべながら言った。
 人質……。ソレが解放されるまでは向こうのペースに合わせるしかないということか。
「私の命が望みか」
「いーや」
 リヒエルはスラックスのポケットに両手を入れながら視線を移動させ、私の肩の上で止めた。
「俺が用があるのはソッチの鳥の方でね」
「ハウェッツに?」
 私は眉を顰めてハウェッツを一度見た後、すぐにまたリヒエルを睨み付ける。
「ずっと知りたかったんだ。なんでそのドールは人間のような感情を持ちながら、力を使っても体が腐らないのか、ってな」
 リヒエルは長机から体を放し、無表情になってハウェッツを見つめた。
「前にラミスが嬢ちゃんに聞いたろ? ヴァイグルとハウェッツの違いを。できればあん時に突っ込んで聞きたかったんだが、ラミスが興味ないのに俺が必死になるのも不自然だったからな。けど、今はもうそんなこと関係ない。コレだけグチャグチャになっちまえば演技もヘッタクレもないってもんだ」
「ミリアムのためか」
 ミリアムもドールだから。人間のような感情を持っているから。力を使えばきっと体が腐ってしまうから。だからその解決方を探していたというのか。
「ミリアム、ね……。確かに、あのお姫様のためにも色々してやったなぁ。嬢ちゃんがラミスのとこに行く決心した時、恐いくらいのタイミングで俺が現れてレヴァーナ坊ちゃんを疑わせたり、ラミスの館にコッチの戦力を手引きして坊ちゃんを半殺しにしたり、孤児院のガキ共と坊ちゃんをいっぺんにさらってきたりとかよ。いやー、骨が折れたぜ。あのお姫様満足させるには」
 世間話でもするかのような軽い口調でリヒエルは言った。
 反吐が出る……。アレは全部私への当てつけ。私を悩ませ、苦しませ、絶望させてミリアムを満足させるためにやったこと。そのために、レヴァーナを巻き込んで……。
「けどよ、今回のはそーゆーんじゃねーんだ。ま、個人的な興味ってヤツだな」
「知ってどうする」  
「教えて貰ってから考えるさ」
 ニヤニヤと何を考えているのかよく分からない笑みを浮かべながら、リヒエルは片眉を上げて見せた。
 クソ……。このままじゃコッチが圧倒的に不利だ。だが人質を取られている以上、迂闊に手出しはできない。何か、何かキッカケのような物があれば……。
「精神ショックだよ」
「精神ショック?」
 私の言葉に、リヒエルはポケットから手を出しながら聞き返した。
「ある程度感情を持ったドールに精神的なショックを与える。その反動でドールは極めて人間に近い感情を持つようになる」
「……で?」
 リヒエルの冷めきった言葉。まるでそんなことは分かっていると言わんばかりの落胆の表情。
「その先は? そこからさらに何か加工するんだろう? だからハウェッツは力を使っても腐らないんだろう?」
「知らない。私はそれ以上手を加えた覚えはない」
「ショックならヴァイグルも受けたさ。だから今みたいにドールでありながら人間と変わらない感情がある。けど、腐る。力を使えば使うほどにな。それじゃダメなんだよ。ハウェッツのように、力をいくら使っても体に負担が掛からないようにするにはどうすればいいんだ」
 コイツ……まさか……。
「随分と熱心に聞いてくるんだな。まるで――」
 私はモノクルの位置を直して腕組みし、
「自分の体を心配してるみたいじゃないか」
 口の端をつり上げながら言った。
 リヒエルの表情が一瞬だけ曇る。しかしまたすぐに軽薄な顔へと戻った。
「昔、教総主って悪い奴がいてな。ソイツは頭の底からイカれてて、自分の目でこの世の終わりを見たいって思ったのさ。でも世界が終わるまで生きられるはずもない。不老不死の秘薬なんて夢物語を追い掛けるほどメルヘンでもなかった。だからよ、教総主はこう考えたんだ」
 そこまで言ってリヒエルは一旦言葉を句切り、
「自分が長生きできないのなら、世界の寿命を縮めてしまえばいいってな」
 侮蔑に顔を染めて吐き捨てるように言った。
「それから『神創り』が始まったのさ。この世界を抹消できるだけの力を持った奴を創り出そうとしやがった。なら神の候補として上がるのは何か。神とは万物の頂点に立つ者。絶対的な存在。他からの追随を許さぬ者。永遠に進化し続ける存在。すなわち、ドール。まだまだ未知なる可能性を秘めたドールこそが神となるに相応しいと教総主のアホタレは考えやがったのさ」
 馬鹿にしたような口調で言って嘆息し、リヒエルはカッターシャツの襟元を緩めながら続ける。
「神になる者は崇高なる考えを持っていなければならない。人間の頭じゃとてもじゃねーけど思いつかねーよーなブッ飛んだ考え方が必要だ。だから教総主は、ドールに感情を持たせることにした。で、まず手始めに人間と同じように扱って社会に溶け込ませりゃいいんじゃねーかと考えたワケだ。ドールは生まれたての赤ん坊みたいなモンだからな。ガキが見よう見まねで言葉覚えるように、ドールも自然と人間っぽくなっていくんじゃないかって思ったんだろーぜ。けど、その狙いは残念ながら外れた。社会奉仕って名目で人間と一緒になって色々とさせてたみてーだけど、ドールは所詮ドールのままだった。じゃあどうすればいい。ドールに感情を持たせるには、ドールを神にするには。今までとは全く違った発想が必要だった。そこで思いついたのが――」
「ドールにドールを創らせる」
「そう」
 リヒエルは私の言葉に深く、ゆっくりと頷いて人なつっこい笑みを浮かべて見せた。
「人の手で神を創れないのなら、神の候補の神を創らせればいい。その目論みは見事に成功。けどよ、残念ながら大成功とまでは行かなかったんだな、コレが。ヲハハハ!」
 まるでその失敗を歓迎するかのように、リヒエルは下品な声で豪快に笑う。
「感情は持った。けど人間にはほど遠かった。何が足りない。どうすれば人間に、そして神に近づけられる。教総主はまた頭を悩ませるわけだな。で、何年かして閃くわけだ」
 頭を抱えて悩んだポーズをとったり、手の平を打って閃きのポーズをしたり、芝居が掛かった仕草で語りながらリヒエルは不敵な笑みを浮かべた。
「まだあるじゃないか。ドールからドールを創り出すもう一つの方法が。より人間に近づけられる方法が。で、ソイツで生み出されたのが――」
 リヒエルは芝居をやめて私の方に向き直り、
「嬢ちゃん、アンタとウチのお姫様ってわけだ」
 フレーズの一つ一つを強調しながら試すような視線を向ける。
 ふん……わざとらしく下手な演技を。
「で? そのこととお前がハウェッツに興味を持ったこととどう関係するんだ?」
「ヲーヤヲヤヲヤヲヤ。こりゃ意外。ショックじゃないのかい? 無理しなくていいんだぜ?」
「ミリアムを喜ばせるようなことをするつもりはない」
「やれやれ、お見通しってワケか。こりゃ参ったね。なかなか勘の鋭いことで」
「ハウェッツには負けるさ」
「ほーぅ。そりゃ余計に興味が出てきたな。どーも俺は鈍くてね。ま、だから気付かなかったんだよな。教総主のやろうとしてたことによ。そりゃショックだったぜぇ、あの『生け贄リスト』見た時はよ」
 生け贄リスト?
「だからよ、聞きに行ったんだ。こりゃどういうことかって。何で俺の名前や、ヴァイグル、それに嬢ちゃんにお姫様の名前までココにあんのかってよ。そしたらアイツ、何て言ったと思う?」
 リヒエルの声の質が一変した。
 いや、声だけじゃない。リヒエルの顔が、体つきが、服装が見る見る変わっていく。
「もう、単に感情のあるドールになど興味はない。貴様らは――餌だ」
 老人のようにしゃがれた声。曖昧で、それでいて耳によく残る発音。
 低かった背は高く伸び、頬は痩け、手足は痩せ細り、カッターシャツとスラックスは一体化して黒地に菱形の紋様が縫いつけられた貫頭衣へと変わった。
「な、な……」
「だから殺したんだ。そして、俺が教総主になった」
 一瞬にして全くの別人になってしまったリヒエルに、私は吃音を上げながら目を大きく見開く。
「別に驚くことじゃないだろう? ヴァイグルは体の一部を真実体化させることで武器を生み出していた。俺は全身を真実体化することでこの姿になってるだけだ」
 じゃあ、やっぱり、リヒエルもヴァイグルと同じ……。
「教会の兵はこうやって俺が操った。ジャイロダインの兵はラミスに教会の情報を横流しして取り入ることで俺が操った。王宮の兵はジェグの軍事用ドールを与えることで買収し、教会の管轄下に入って貰った。つまり、全部俺の一人芝居だったってわけさ」
 リヒエルは元の格好に戻り、しかし表情は冷たいまま続ける。
「おかしいと思わなかったのか? どちらかが一方的になることもなく、押して押し返されてを繰り返して。本当に力が均衡していると思っていたのか? 違うな。アレは俺が調整してたんだよ。最初の頃はラミスの方の兵を裏切らせたりもしたなぁ。微調整のためによ。正直言うと、王宮の兵をあんなに早く出すつもりはなかった。アイツらには最後の後片づけをして貰う予定だったんだ。けどあのワガママ姫が勝手に始めちまったモンだから、後には引けなくなった。で、予想通り教会の兵が足りなくてヴァイグルが力押しできたモンだから、しょうがなく鎧兵どもを出したって訳だ。そしたら今度はコッチが強くなりすぎたんで嬢ちゃんを向こうに付けた。これで丁度互角くらいかと思ってたらラミスに隠し兵がいやがったとはね。オマケにジェグの野郎の裏切り行為。絶望させるつもりが逆に救っちまった。ホント、人生上手く行かないモンだよ。お互いに。なぁ、嬢ちゃん」
「お前の狙いは一体何なんだ」
 リヒエルが教会とジャイロダイン派閥、それに王宮の三つにまたがって動いていることはラミスも読んでいた。そうすることでジャイロダイン派閥を内側と外側の両方から潰そうとしていると。
 しかし、今のリヒエルの話を聞いている限り、コイツの狙いは……。
「教会とジャイロダイン派閥をぶつけて二つの兵を弱らせ、最後に王宮で両方叩き潰す。コレが俺の書いた理想的なシナリオだったんだよ」
 レヴァーナを館の敷地内で痛めつけたのは、私に苦痛を与えるだけではなく教会側の兵も削るため。館で待機していたヴァイグルを無理矢理引きずり出して腐食を進ませるため。そしてさっき『穴』からの攻撃を最初から行わなかったのは接戦に持ち込むため。ラミスの首を取らなかったのも同じ理由で……。
「何のために……」 
 いったい何のためにそんなことを。
 分からない。コイツの真意が掴めない。緻密に計算された行動のようにも、ただミリアムに振り回されているだけのようにも見える。その根底にある物は何だ? 何がコイツの行動原理になっている。
「ムカツイたんだよ。ドールを絶対的に敵視するジャイロダインの連中も、俺をこんな不完全な体で生み出しやがった教会の奴等も。だから潰す。両方な。それで俺は完璧な体になる。そこのハウェッツみたいに。それだけだ」
 ムカツイた? たったソレだけの理由で?
 ……笑わせてくれるじゃないか。
「潰してどうする。ハウェッツのようになってどうするつもりだ。お前のそんな子供じみた復讐に付き合わされて死んだ奴等はどうなるというんだ」
 そんなこと。こんな下らないこと。自分の都合だけに人を巻き込んで命を奪い取るような真似……レヴァーナなら絶対に許さない。
「突き詰めていけば動機なんてみんなチンケで子供じみてるもんさ。ラミスだってそうだろ? 教会の創る中途半端なドールが暴走して無関係な人を傷付けないために、なーんてもっともらしい大義名分かざしても、結局は自分のトラウマなんとかしたいだけじゃねーか」
「確かにあの女のしてることも褒められた物じゃない。大勢の人の命を巻き込んでいるのは事実だ。だがそれでもラミスには信念がある。護ろうとする者達がいる。お前のように自分のためだけに行動してる訳じゃない」
 私は真っ正面からリヒエルを睨み付け、強い語調で言い切った。
 リヒエルは両手を上げて口笛を吹き、大袈裟に驚いて軽く頭を叩く。
「ヒュー、ビックリしたぜ。まさか嬢ちゃんの口からそんな熱いセリフが聞けるとはね。ヲハハ! 正直、教会にもラミスにもいいように扱われてきた嬢ちゃんとなら、分かり合えると思ったんだがな。おまけに人間に近い感情を持ったドール同士とくればなおさら。残念だぜぇ」
「お前なんかと分かり合うくらいなら、絶望のどん底に突き落とされた方がましだ」
「そうかい。ならそろそろ絶望タイムと行くか。お姫様も鎖をながーくしてお待ちかねだ」
 言い終えてリヒエルは片手を軽く上げる。まるで誰かに合図でも送るかのように。そして――
「な……!?」
 突然、体が床に沈み込んだ。
「おいメルム!」
 ハウェッツが私の肩を両足で掴んで引き上げようとする。だが、体が沈んでいく速さは全く変わらない。それどころがどんどん加速している。もう顔が……!
「亜空文字を! 早く!」
 分かってる! けど、間に合わ……!
「メル――……」
 途切れたハウェッツの声を最後に、私の体は完全に床へと呑み込まれた。

 落ちていく。
 どこまでも。深く深く。底の見えない暗い場所へと。
 浮遊感はない。落下感もない。あるのは込み上げてくるような寒気と、意識を断ち切りそうなくらいの不安感。ただ暗闇に怯えているのではない。まるで、化け物の腹の中に突き落とされてしまったかのような―― 
 ハウェッツはいない。私だけが床に取り込まれてしまった。
 クソ……ラミスから言われていたのに。教会は私とハウェッツを引き剥がすつもりだと忠告を受けていたのに。分かっていて罠に掛かるなど、愚の骨頂もいいところだ。
「ん……?」
 ようやく、淡い光のような物が見えてきた。
 除き窓のような小さい『穴』。そしてその向こうにいたのは、
「ミリアム……」
 私と同じ顔をした女性。紫色の長い髪、丸みを帯びた子供っぽい輪郭の顔。そして低い背をスッポリと包み込む漆黒のローブ。
 最初に会った時と全く変わっていない。
「こんばんは、姉さん。お久しぶりね。元気そうでなによりだわ」
 私の体はミリアムの顔が映し出された『穴』の前で止まり、何の支えもなく浮かんでいた。
「お前の方こそ。姑息なところはちっとも変わってなさそうでなによりだ。こんな狭いところで他人の私生活を覗き見してるとそういうひねた性格になるのか?」
「ひねた性格、ね……。自分に言ってるようで悲しくならない?」
「人質はどこだ」
 声を低くして短く発した私の言葉に、ミリアムは嘲笑を口の端に浮かべて髪を梳く。
「彼らならさっきから姉さんの後ろにいるじゃない。見えないなら少しだけ明るくしてあげましょうか?」
 面白がるように言うミリアムに、私は言うことを聞かない体を何とか動かして肩越しに振り返る。そこには、私と同じように宙に浮かんだ孤児院のみんなが淡い燐光に照らされていた。だが、全員目を瞑っていて何の反応もない。まさか――
「心配しなくしていいわ。まだみんな眠っているだけよ。まだ、ね」
 ミリアムは同じ言葉を二度繰り返して強調した。
 コイツ、私の目の前で殺していくつもりじゃないだろうな……。
「いいわ姉さん、その顔。悔しさと恐怖にまみれた絶望の表情。でも、こんなのは序の口よ?」
 ミリアムは声に喜悦を孕ませて言うと、浮かんでいる一人の男に視線を向けた。
 伏せられても攻撃的につり上がった双眸、逆立った黒髪、そして上半身を痛々しく覆っている包帯。
 アレは……。
「ほら、姉さん。会いたかったでしょう?」
 ミリアムの言葉に応えるようにして、男は音もなく私の目の前まで連れて来られる。顔は悲壮な土気色に染まり、四肢は完全に脱力しきっていた。だが、上下している胸元が彼の生存を教えてくれる。
「レヴァーナ……」
 彼の名前を呼ぶ。ソレだけでさっきまで感じていた不安と恐怖は一気に吹き飛び、絶対的な安全圏にいるような感覚に包み込まれた。
 心を優しく覆う柔らかい感触。このバカがいなくなってまだ一日しか経っていないというのに、もう何十年も顔を合わせていないような錯覚にすら陥る。
「姉さん、彼をどうして欲しい? 爪を剥ぐのがいい? それとも皮膚? 骨を折ろうかしら?」
「や、やめろ……!」
 私はミリアムの方に向き直り、自分でも驚くほどの大声で怒鳴りつけた。
「そんなことをしてみろ……。どんな手を使ってでもお前を八つ裂きにしてやる!」
「自分が置かれてる状況をよく考えて発言してね、姉さん。身動きがとれない、ドールもいない、ココじゃ助けてくれる人もいない。今の姉さんにできることと言えばアタシに許しを請うことくらい。無様に泣き叫んでね。さぁ、どうするの?」
「ク……!」
 コイツ……どこまでも……。
 そんなに私が憎いか。そんなに私が絶望するところを見たいか。

『ミリアム様を、助けてくれ……』

 ジェグ。どうやら私にもできそうにない。この女を救うなど。私にはコイツに同情することなどできはしない。もう憎しみしかわいてこない……!
「私が許しを請えば、お前に謝罪すれば……レヴァーナは助けてくれるんだな……」
「姉さんの態度次第ね」
「じゃあ土下座するから、この動きにくい体を何とかしてくれ」
「そのままでいいわ。そのまま、言葉だけで私にお願いしなさい。ポケットのドールには触れないでね」
 クソ……さすがに読まれているか……。
「分かった……」
 私は目を瞑って一度大きく深呼吸すると、ゆっくりと開いてミリアムの目を見た。そして――
「ミリ……」
「キミが頭を下げる必要などない」
 後ろから声がした。
「コイツ……!」
 狼狽し、鼻に皺を寄せるミリアム。彼女は私の後ろに視線をやり、目に力を込める。が――
「ぬううぅぅぅおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
 獣の叫び声にも似たレヴァーナの咆吼。彼は大きく口を開けたままコチラに手を伸ばし、まで高粘度の海の中を渡ってくるかのように緩慢な動きで、しかし確実に近づいてくる。
「レ、ヴァーナ……」
 必死の形相で一歩、また一歩と歩み寄ってくるレヴァーナ。奥歯を食いしばり、腕を震わせながら前に突き出す彼の姿を見て、私の中で何かが弾けた。
「レヴァーナ!」
 喉の奥から声を上げ、私は強引に体をひねってレヴァーナの方を向く。そして渾身の力を振り絞って前に出た。
「メル……ム!」
 レヴァーナが一歩近づく。ソレに合わせて私も半歩だけ前に滑らせた。
 激流の中にいるかのようだ。少しでも気を抜けば、ほんの少しでも力を緩めれば体を後ろに持って行かれる。だが、絶対にそんなことはさせない……!
「レヴァー、ナ……!」
 私は彼の名前を呼びながら押し戻されそうになる体を何とか立て直し、半歩ずつ、ゆっくりと、着実に進んでいく。
 あと少し、あと少しで手が届く。
 もうちょっとだ。もうちょっとで触れられる、このバカに。人の心配はするクセに自分の心配は全くしない大バカ野郎に。無鉄砲でいい加減で適当でドンブリ勘定で破茶目茶な、世界一の非常識バカに……!
「メルム!」
「レヴァーナ!」
 気が付くと、私はレヴァーナの胸の中にいた。そして背中に腕を回して抱き寄せ――
「のはああぁぁぁぁぁ!」
 明後日の方向に吹っ飛ばされた。
「し、信じられない、抵抗できるなんて……。まだ、アタシが扱いに慣れてないせいか……」
 遠くの方から聞こえてくるミリアムの悔しそうな声。
 どうなった? 私達はどうなったんだ?
「大丈夫か、メルム」
 頭の上からレヴァーナの声がする。自然と胸の中に広がる温かい安堵感。言いようのない充足感。そして――
「い、いきなり抱きつくなこのバカ! 変態!」
 逃げ出したくなるような焦燥感と、夢なら覚めてと懇願する非現実感。
 体の内側で信じられないくらい激しく心臓が泣き喚いている。太陽を間近に持ってこられたかのように全身が熱い。目の前がクラクラする。耳の奥ではグワングワンと不協和音が奏でられている。
 何だコレは。私はどうしたんだ。一体何をしたんだ。どうしてレヴァーナが目の前に……! こんなに近くに……!
「こ、コラ! 暴れるな! また離れてしまうだろうが!」
「だから離せと言っとるんじゃー!」
「キミの方からも近寄ってきただろうが」
「そんなこと知るか! アレは幻覚だ! ドッペルゲンガーだ! お前の妄想の産物だー!」
「お、落ち着け。今離れたら二度と近付けないかもしれんのだぞ。さすがにあれだけの力はもう出せんからな」
「構うか! 誰がお前なんかと抱き合いたいと思うか! いいから離せ!」
「……全くしょうがないな」
 レヴァーナは私の前で大きく溜息をつき、私を抱きかかえていた腕を緩めて――
「……で、何をしてるんだ? キミは」
 呆れたような声を出す。
「べ、別に何もしてない!」
「ほぅ、では俺の首筋に回されているこの腕はなんだ?」
「し、知るか!」
「俺にはキミの方から抱きついてきているように見えるんだが……」
「気のせいだ!」
 ああ、クソ……。自分でも何をやって何を言ってるのかサッパリ分からん。
 私は、本当に何をしてるんだ……。コイツに会いに来たんじゃないのか。コイツを助けるためにこんな所まで来たんじゃないのか。それから、コイツに謝るために……。
 なのに、レヴァーナに触れたとたん思考が綺麗サッパリなくなってしまった。
 大体コイツが悪いんだ。いきなり抱きついてくるなんて非常識にもほどがあるぞ。真のバカもいいところだ。
 でも……ソレは……あのまま別々だったらミリアムの思うつぼだったし……あれだけレヴァーナと近づけるチャンスは、あの時を逃したらもうなかったかもしれないし……コイツの頑張ってる顔見たら、頭の中で『行け!』って声が聞こえたのは事実だし……。
 レヴァーナに手が届いた時は大切な物を掴んだ感じがしてしまった訳で、もう誰にも渡さないとかちょっとだけ頭によぎった訳で、今は私がこうして抱きついている訳で……。
「あぁ! クソ!」
 私は叫んでレヴァーナを睨み付けると、
「いいな、絶対に、離すなよ……」
 尻窄みになりながら言葉を紡いだ。
「おぅ、任せておけ」
 レヴァーナは強気に言い切って私の背中に腕を回し直し、もう一度強く引き付ける。白衣ごしに伝わってくる彼の鼓動と温もり。そして口から音が漏れ出しそうほど、大きく強く鳴り響く私の心臓。
 体が熱い……でも、イヤじゃない。落ち着かない……でも、安心できる。コイツといると、何が起こっても大丈夫だって根拠もなく思える。本当に、不思議な奴だ。
 頭から少し血が下りてきたところで辺りを見回す。いつの間にか真っ暗になっていた。何も見えない。さっきまでミリアムが顔を覗かせていた『穴』はどこにもなかった。また何かよからぬことでも企んでいるんだろうか。
 まぁいい。その時はその時だ。気合いと根性でなんとかしてやるさ。
 …………。
 ……私にもこのバカの考え方が感染してきたな。全く、実に嘆かわしいことだ。知的で聡明な天才ドールマスターが、こんな愚の骨頂品に感化されるなど。
 …………
 ……まぁ、いいか。
「おぃ」
 私はレヴァーナの顔を見ないようにしながら、乱暴に話しかけた。暗闇の中なのに顔を合わせられないとは我ながら情けない。
「何だ」
「どうして……私に手を伸ばした」
 呟き声のように口の中でゴニョゴニョと言う。ああ、クソ。本当に情けない。
 しばしの沈黙。レヴァーナの方から少し考える気配が伝わってきて、
「さぁ……?」
 間の抜けた声が返ってきた。
「『さぁ』って……。またお得意の頭より体が先にってヤツか」
「まぁそんなところだな。強いて言うならあの時はそうしなければならないと確信してしまったというか、天からのお告げが聞こえた……と言えばキミはまた馬鹿にするんだろうな」
 そっか。コイツも一緒だったのか。なんだ……。そっか……。
「キミの方こそどうなんだ。いつになく必死だったじゃないか」
「誰が必死か」
「ふざけているようには見えなかったんだが」
「お前が変な顔して寄ってくるから合わせてしまっただけだ」
「そうか……ついに心で繋がり合えたかと思ったんだが」
「寝言は全てが無に帰してから言え」
「……残念だ」
 コイツ、変なところで素直だな。いや、いつだってこのバカは真っ直ぐだったか。私が一方的にひねくれ曲がった解釈をしていただけだったな。そしてずっと疑った目で見てきた。だから、どうしてもソレを清算しなければならない。
「レヴァーナ……」
「何だ」
 私はレヴァーナの逆立った髪の毛を右手で鷲掴みにして深呼吸を一度し、
「その……」
 二度し、
「あの……」
 三度、
「えと……」
 四度、
「言っておくがそんこと何回やっても胸は大きくならんぞ」
「悪かったな!」
 大声で謝罪してやった。
「ふん! ど、どーだ! コレでいいだろう!」
「だからどうやったって六十三のダブルAだというのに」
「何で知ってるんだ!」
「見たからな」
「堂々と言うな!」
 このバカはどうしてそういう恥ずかしいことを何の臆面もなく……じゃなくて!
「だから悪かったと言ってるんだ! すまなかったと!」
「いやなに、そこまで自分を卑下することはない。コレはコレで需要があるというもの。ただ大きければいいという訳ではない」
「ちがーう! いい加減私の胸から離れろ!」
「この体勢では不可能だな」
「だーかーらー!」
 あーもー! 何て言えばいいんだ! どーすればこのバカに伝わるんだ!
「さっきからいつにも増して様子がおかしな。何か悩み事でもあるのか」
「お前だお前! 諸悪の根元はお前なんだよ!」
「む! ソレはいかん! パートナーとして見過ごすわけにはいかないな! さぁ俺の胸の中で全てを打ち明けてみろ!」
「まだ胸のことを言うかー!」
 ……はっ。い、いかん。自分で言っててツッコミどころ満載だ。
 落ち着け、落ち着くんだメルム=シフォニー。コイツのペースに巻き込まれるな。冷静に、冷静にだ。私に胸がないことは自分が一番よく知っている。なぜなら十三の時に成長が止まってしまったからな。だから今さらそのことを言われてところで……って、そうじゃなくて! 確かにレヴァーナの胸板は厚くてなかなか頼もしくはあるが、比較しなくてもいいじゃないか。そもそも女と男なんだから体の規格が……ってコレも違う!
 
『貴女が落としたのはこの銀の胸ですか? それとも金の胸ですか?』
 ○銀の胸
 ○金の胸

⇒○どうあがこうと無駄であるという“旨”、お伝え頂けますでしょうか。

 あああああああああああああ! 違ううううううううぅぅぅぅぅぅ!
「ああ、いや……俺が悪かったよ。何も言わずに聞くからゆっくり話してみろ」
 ……逆に謝られてしまった。
「だから、な……」
 私は肩で荒く息をしながら両手でレヴァーナの髪の毛を強く掴み、
「私は、ずっとお前のことを……疑っていたんだ」
 声がしぼんでしまわないように喉の力を振り絞りながら続ける。
「ラミスに言われて、私を引き込んだんじゃないかって……。芝居をして、私をラミスの所に連れて行ったんじゃないかって……。そう、思ってたんだ……」
 最後まで言い終え、私はレヴァーナの髪の毛から手を離した。何十キロも走り続けた後のような疲労感がのし掛かってくる。ぐったりとレヴァーナに体を預け、私は彼からの言葉を待った。
「で、今はどうなんだ? 俺はまだ疑われているのか?」
「ち、違う! もう疑ってなんかない! 全然! ちっとも! 断じて!」
 なぜかムキになって私は全力で否定する。コイツと話しているとたまに体が勝手に動くから気持ち悪い。
「そうか。なら全然問題ないじゃないか」
「ソレ、だけか……?」
 他に言うことはないのか? もっと謝れとか、キミには失望したよとか、もう顔も見たくないとか。お前は覚えのない疑いをずっと掛けられていたんだぞ?
「愛や友情に障害は付き物だ。ソレを努力で乗り越えてこそ、初めて真の勝利を掴み取れる。とにかく今、俺達の心の結束はより強固な物になったという訳だな」
 全く……素直にもほどがあるぞ。まぁ、実にコイツらしいがな。
「じゃあ、そういうことにしておいてくれ」
 私は小さく笑って息を吐いた。
 よかった……。許して貰えた……。本当に、よかった……。
「キミも最初に比べると随分と素直になったものだ。ほとんど別人と言っていい」
 お前のせいだろ、まったく……。
「背と胸以外はな」
「ソレはケンカを売っていると解釈していいんだな?」
「ソレはケンカするほど仲が良いという言葉を証明すると解釈して良いんだな?」
 ……なんか、だんだんどうでも良くなってきたな。
「お前の前向きな曲解には頭が下がるよ」
「修業の成果だ」
 何の修業だか。
「昔な、俺もキミのように疑って日々を送っていた時期があったんだ」
 私が嘆息と共によく分からない安堵感に浸っていると、レヴァーナは何かを思い出すような口調で呟くように言った。それは、辛い過去を掘り起こしているかのようで――
「俺の父が死んだのは、今の母上が原因なんじゃないかってな」
 突然、空気の質が変わったような気がした。
 ラミスが? レヴァーナの父親を? どういうことだ?
「父が母上と再婚した一年後に、父は死んだ。そしてジャイロダイン家の権限は母上の物になった。母上はその力を存分に使って教会と手を切り、派閥を作り、ドールマスター達を集めていった。非常に手際よく、極めて迅速な行動だった。そう、まるで――そうなることを知っていたかのようにな」
 レヴァーナの喋り方は達観したような、落胆したような、そしてどこか怒りに満ちたような感じで……。
「俺だってそんなことは考えたくなかった。母上が優れた手腕の持ち主で、人の上に立つ資質に満ち溢れている選ばれた者なんだと思いたかった。けどな、同じだったんだよ。死に方が。父と、俺を生んでくれた母のな。二人の死因は結局よく分からないままだったが、眠ったまま二度と目覚めないという死に方だけは全く同じだった」
 私にはなぜか、子供が泣きながらだだをこねているようにすら聞こえた。
「父は真面目で実直な人だった。尊敬してたし、俺の目標だった。けど、ある時突然家に寄りつかなくなって、それからしばらくして母が他界した。その直後に、今の母上と再婚した。最初は、父も寂しいのだと思っていた。母の死から来る悲しみを紛らせようとして他の女にすがったのだと思っていた。けど、何かおかしいんだ。何か違和感のようなものが引っかかって、ソレがいつまで経っても拭い去れない。葬儀は滞りなく行われたが、機械がやったような型どおりの物だった。泣いて母の死を悲しむ祖母や母の知人に対して、父はずっと無表情だった。何かを堪えていると言うよりは、ただ他人事のように傍観しているように見えた。その後も父が母の墓地に足を運ぶことはなかった。ひょっとして、父は母の死を本当に悲しんでいないんじゃないか。俺にはそう思えてならなかった。しかし父には父なりの考えがあるんだと思ってその時は何も聞かなかった。何年かして、俺も自分の心の整理がついたら聞いてみようと思っていた。けど、その前に父は他界した」
 私の体を抱きかかえるレヴァーナの腕に、少し力が込められる。私もレヴァーナの首に腕を回しなおし、何も言わずに彼の言葉に耳を傾けた。
「それからよく夢を見るようになった。俺が父と母と一緒に話をしている夢だ。起きた時には何を喋っていたのかは覚えていないが、楽しかったことだけは記憶している。その時は、夢の中に今の母上は出てこなかった。まだ距離があった。どうしても、俺は今の母上を受け入れることができなかった。あの冷たい目を真っ正面から見ようという気にならなかった。そんなことより俺にはやらなければならないことがあった。父と母の死因をつきとめることだ」
 レヴァーナは一度大きく息を吸い込み、そしてゆっくりと吐き出して続ける。
「ある時な、父の遺品を整理してたら変な薬が出てきたんだ。白い粉薬だった。父は病気持ちじゃなかったし、勿論俺には薬の専門知識なんかないから、何に使う物なのか分からなかった。けど、憶測だけはできたんだ。いや、邪推に近いな。母が死んだ後の父の反応を見ていて、そんなことを考えてしまう自分が嫌になったが、専門家に調べて貰った。そしたら、大当たりだ」
 奥歯を強く噛み締める音が、暗闇の中に小さく響いた。
「毒薬だよ。致死量が極めて少ないからなかなか検出されないし、遅効性だから服毒した時間も推定しにくい。俺の中にあった仮説が、真実味を帯び始めた」
 つまり、レヴァーナの母親を殺したのは、父親……? そして父親を殺したのは……。
「聞いたよ。今の母上に。父の時のように、聞く前に死なれたら困るからな。嘘でも何でもいいから否定して欲しかった。けど、母上は何も言わなかった。俺が薬を見せても、ずっと黙っていた。黙ったまま、去っていった。正直、聞かなければ良かったと思ったよ。義理とはいえ自分の母親がそんなことをしたなんて考えたくなかったからな。でも聞いてしまった。そしてほとんど確信してしまった。けど、俺は自分にも責任があるんじゃないかと思っていた。両親からの威光を少なからず拒絶して、二人がいなければなんて馬鹿なことを考えていた時期だったからな。だから母上のせいにはしなかった。自分だけのせいにして、自業自得なんだと言い聞かせることで、辛うじて納得させていた。よく分からないことに、ひたすら自分を責めることで俺はなんとか救われていたんだ」
 相変わらず、バカな考え方をするヤツだ……。
 そんなもの全部他の奴に押しつけてしまえばいいのに。私はそうした。自分の研究成果を理解しない奴等が悪い、罵倒する奴等の頭が腐ってるんだと言い切って、私は一人で逃げた。
 ……まぁ、そのせいで引きこもるハメになってしまったんだが。
「それからはひたすら物は言いよう考えようというヤツだ。両親が死んだのは自分のせい。だから自分で責任を取らなければならない。ならまず成すべきことは両親を死に至らしめた愚かな考え方を取り除くこと。親の威光などという物を気にせず、誰の力も頼らずに一人でやっていけるということを自分自身に証明することだ。今の母上はそのために両親が残した置きみやげ。そう勝手に解釈して、俺はがむしゃらに頑張った。頑張ろうとした。けど、なかなかできなかった。頑張り続ける自信がなかった。コレで本当に正しいのかという確証が持てなかった。やはり、どこかで母上のせいにもしたかったんだろうな」
 すればいいじゃないか。というよりするべきなんだ。お前が一人で背負い込む必要なんか、いや、ほんの少しでも肩代わりしてやることなど全くないんだ。
 お前は何一つとして悪くないんだから。
「そんな時だ。またキミに会ったんだよ。アカデミーで」
 急に話をふられて、私は思わず小さく声を上げてしまった。
「まだ言ってなかったが、実は六年程前にキミに一度会ってるんだ。まぁ、俺が遠くからキミの発表を見ていただけなんだが」
 知ってるよ。お前がルッシェと二人で買い物に行った時に聞かせて貰ったからな。
「あの時は生みの母が亡くなった直後で気持ちが沈んでいてな。ちょっと、何か気分転換になればと思ってアカデミーに行ってみたんだ。そしたらなんか小っこいのが注目を集めてて、まぁせっかくだから俺も聞いてみたんだ」
「小っこくて悪かったな」
「褒めてるんだ」
「イヤミにしか聞こえないぞ」
「もしキミの背が高くてスタイル抜群でそのうえ頭脳明晰ときたら俺は多分、興味を惹かれてなかったと思う。今のキミのように各パーツのギャップが絶妙のバランスで組み合わさっているからこそ、俺は見てみたいという気になったんだ」
 やはりコイツの言ってることは理解できん……。
「で、感想はどうだったんだ?」
 もういい。コイツの言うことにいちいち目くじらを立てていては身が持たないことはよく分かった。
「素晴らしかった。冗談ではなく、本当に輝いて見えた。キミのような人間なら、あの時俺が持っていた悩み事など一瞬で昇華してしまえるんだろうなと思った」
 バカ言うな。お前でどうもならない悩みを私なんかが何とかできる訳ないだろう。
「とにかく、キミのおかげで少し元気が出た」
「それはなよりだ」
「けど、その一年後に父が死んだ」
 …………。
「俺はまた、キミに会えないかと思ってアカデミーに行った。奇跡的に出会えた。運命だと思った。だが、キミは会場中から非難を浴びせられていた」
 ……ああ、あの時か。
「助けてやりたかったが、人に気を遣えるほどの余裕はなかった。自分のことで精一杯だった」
 そりゃその短い間に両親を失えばな。
「その二年後だ。さっきの話に戻って、俺が辛うじて開き直ろうとしたけど、いまいち自分に自信が持てなかった時だ。またキミを探しに行ったんだよ。今度は偶然には頼らず、自分から会いに行った。どうしても会わなければならない気がしたんだ。キミはまた、言いたい放題言われてたな」
 あの辺りが……限界だったな……。
「けど、キミはあくまでも毅然とした態度で堂々としていた。二年前にあれだけ酷いことを言われたにもかかわらず、ドールの研究をし続け、アカデミーで発表し続け、自分を貫き通していた。今度は元気だけでなく、勇気を貰ったよ。キミを見て確信できたんだ。自分という物をしっかり持って貫き通せば、キミのように強くなれるのだと。あの時、俺には少しだけ余裕があったから、もしキミが少し休みたいのならその寄り台になってもいいと思っていた。元気と勇気を貰ったお返しにな。けどその必要もなかった。キミは非常に強い女性だった」
 強くなんかない。ギリギリのところで耐えていただけだ。虚勢を張って泣くのをこらえていただけだ。あの時、素直に寄りかかっていればよかった……。契約していれば良かった……。
 そうすれば、私はもっと早くお前のことを……。
「おかげで完全に開き直れたよ。底知れない自信が持てた。根拠もなく、俺は間違っていない、俺は正しい、俺は何一つとして悪くないと思えるようになった。それからは暗いことなど一切考えずに、ひたすら前向きに突っ走れた。母上を越えることだけに専念できた」
 じゃあ何か? お前が今みたいな性格になったのは私のせいだというのか? 全く、世の中訳の分からない巡り合わせがあるもんだな。私がお前に元気を与えて、それで電波になったお前が私を支えてくれたという訳か。『電波量保存の法則』とでも名付けて今度アカデミーで発表してやろうか。
「その時点で、俺は母上を少し受け入れたんだ。俺が勝手に邪推したことを母上はしたかもしれない。けど、俺は許していたんだ。証拠もないのに、いつまでも疑い続けるのは辛かったから。だから抗争についても、ある程度の理解を示すつもりだった。示してきた。けどな――」
 レヴァーナはそこで言葉を切り、深呼吸を一度して全身の力を抜いた。まるで、込み上げてくる怒りを静めるかのように。
「キミも聞いただろう。母上は父の愛人だったんだ。生みの母が亡くなる前から交流があった。そんなこと……あの時初めて聞いた。それから、母上が父に近付いた理由もな。思ったよ」
 脱力していた腕に再び力がこもる。
「やっぱりそうか、ってな」
 そして、低く、明確な怒気を孕んだ声で呻く。
 見たことのないレヴァーナの側面に、気が付けば私は彼の首筋に強く抱きついていた。
「本当に、裏切られた気分だった。今まではそんな訳ないと自分に言い聞かせて、母上を信じてきたから。けど、違っていた。だから許せなかった。絶対に。自分の過去を清算するためだけに沢山の人を抗争に巻き込み、そのためだけに父に近付いて――殺した母上を」
 あの時の言葉。

『道徳的、倫理的観念から考えて明らかに間違っている殺人を犯してまで、勝ち取りたい物があるのか? ソレは罪の意識や惰性、一時的な欲求などいった曖昧なものではなく、確固たる強い意思に支えられた物なのか?』

 ジェグと王宮の奴等が直接館に攻めて来た時。レヴァーナが一人で話し合いをしに行って、その後にベッドの上で零した言葉。
 アレは、ラミスに向けて発せられたもの……。
「それでお前はあの時、自暴自棄になってジェグと馬鹿な交渉したって訳か」
「都合良く襲撃してくれたからな。あの時は、別に死んでもいいと思ってた。腹の中に溜め込んだ鬱憤全部ぶつけてスッキリして。俺が死んで母上も死んで館も全部なくなって、そして抗争が終わって。そういう結末もありなんじゃないかと考えてた」
 この馬鹿は……。
「で、今はどうなんだ?」
「死ななくてよかったと思ってるよ」
 私の問い掛けにレヴァーナは即答した。
「俺のしようとしていたことは責任放棄だ。あの瞬間から、母上は父の仇となった。だから俺はどうしても父の無念を晴らさなければならない」
「……ラミスを殺すつもりか」
「まさか。そんなことをしても泥沼になっていくだけだ。母上を殺したとしても、その後には何も残らない。たとえ殺したいくらい憎んでいたとしてもだ。ならどうすればいいか。俺はずっと一人で考えた。時間はあったからな。そしてつい今しがた閃いたんだ」
 レヴァーナの声に昂奮の熱が混じり、
「俺がジャイロダイン派閥のトップになればいいんだよ」
 喜びに弾んだ言葉が強い口調で紡がれる。
「なに、単純なことだったのさ。目標は最初から何一つして変わっていない。母上を越えること。ソレはつまりジャイロダイン派閥の頂点に君臨するということ。そうすれば母上の策謀は崩れ去り、父上の無念も晴らせる。まさに完璧な作戦というわけだ」
 ……そんなの別に作戦でも何でもないだろ。
「で? 具体的にどうするつもりなんだ? 今こうして教会の地下に捕まっている状況下で」
「ソレはこれから考える」
 このバカは……ホントに……。
 けど安心したよ。やっぱりお前はお前のままだった。ただ、行動の動機がな……。
「ラミスは、確かに自分の過去を清算したいからこんな馬鹿なことをしているのかもしれないが、あの女はあの女なりに強い信念があるんだと思う。端から見れば取るに足らないような下らないことでも、本人にしてみれば凄く重要なことだって沢山あるんだ」

『先輩にとっては『そんなこと』かもしれませんけど、わたしにとってはもの凄く重大なことなんです』

 ルッシェにだって。

『ムカツイたんだよ。ドールを絶対的に敵視するジャイロダインの連中も、俺をこんな不完全な体で生み出しやがった教会の奴等も』
 
 リヒエルにだって。

『――ずるい、ってね』

 ミリアムにだって。
 そして勿論、私にだって……。
「それに、ラミスがやったっていう証拠がある訳じゃないんだろ? ただあの女の行動から推察してその可能性が非常高いってとこまでだろ? 大体どうしてあの女はお前に毒薬を見せられた時、何も言わなかったんだ? 適当に白を切れば済んだのに。お前もあの時はそうしてくれることを望んでいたんだろう? けど、あの女はソレをしなかった。わざわざ疑われるような行動をとった。ひょっとしたら真実は別の所にあって、あの女なりに苦しんでいるのかもしれないな」
「メルム……」
 レヴァーナは驚いたような声を上げ、
「キミのツンデレは同性にも適応されるのか」
「何でだ!」
 私は喉の奥から叫んだ。
「いや、だって……今は一応手を組んではいるが、キミも母上のことは大嫌いなはずだろ?」
「べ、別にあの女のために肩を持ったんじゃない!」
「じゃあ何のために」
「だ、だから……!」
 憎しみを糧にして行動するなんてお前らしくないだろ! ラミスを越えたいんなら、もっとお前に合った理由が山ほどあるじゃないか! ただ単に自己満足のためだとか、愛だの友情だののためだとか、気分的に乗ってきたからだとか、無性に電波を撒き散らしたくなったからだとか! もっと最初のお前みたいにバカバカしくて空回りしてて、端から見ればどうでもいいような下らない動機で暴走してればいいんだよ! お前は!
「だから……」
「だから?」
 どうやら逃がしてくれるつもりはないらしい。レヴァーナは私が何か言うのをじっと待っている。そしてしばしの沈黙が続いた後、
「私のためだよ! 私の! 私がそうしたいからしたんだ! 何か文句あるか!」
 八つ当たり気味に大声で叫び散らした。
 ああ! クソ! 本当に下らない所にツッコミやがって! 今はお前の話をしてるんだから私のことなんか、それこそどうだっていいだろ! それとも何か!? お前にとってはこんなことが……!
「ひょっとして、キミは俺を元気付けようとしてくれているのか?」
「だったらなんだ!」
「凄く嬉しいぞ」
 重要な、ことだとでも……。
 ……え?
「あれからな、また夢を見るようになった。俺を生んで育ててくれた母と父。それを今の母上が奪いに来るという夢だ。父も母も、どうしてあんな意味のない死に方をしてしまったのか。さぞかし無念だったと思う」
 なんだ? また話が戻ったのか?
「けどな、不思議なことにキミもよく登場するんだよ。俺の夢の中に。順番はいつも決まってて、まずキミ、次に両親、母上、そして最後にまたキミだ。これはいったいどういうことなんだろうな」
 私に聞くな……。
「ただ一番最近のは最後にキミが現れる前に真っ暗になってしまってなー。起きた時、どーにも目覚めが悪かった。何というか、気持ちが沈んだままなんだ。いつもはそれなりに落ち着いてるんだが……」
 そ、ソレって、私が……?
「それになぜか鼻が潰れていた。アレは痛かった」
 ちょ、ソレって、私が……。
 ま、待てよ。じゃあ何か? あの時このバカが寝言で言ったのは、
 『メルム……』『どうして……』『そんな、意味のない……』
 『胸』、じゃなくて『無念』?
「どうしたメルム。体が震えているようだが、ひょっとして寒いのか?」
「べ、別に何でもない!」
「まぁ遠慮するな。包帯を余分に巻いてあるから、ソレをはぎ取ってマフラー代わりにでもすればいい」
「できるか!」
 そんな恥ずかしい真似! お前の地肌が見えたら……! って、暗闇だから見えねーよバーカ! とかノリツッコミしてる場合じゃなくて! 怪我人をいたわるというか、大体そもそもこんなしっかりと巻かれていては取ろうにも取れ……! る……?
 そう言えば、あまりしっかりとは巻かれていないんだったな。この包帯。
「レヴァーナ……」
「何だ」
「この包帯、誰に巻いて貰ったんだ?」
 ルッシェは自分で違うと言っていたが、本当に……?
「あぁ、コレは自分で巻いたものだ。さすがに難しいな。上手くやるにはかなりの鍛錬が必要のようだ」
「ルッシェにやって貰えば良かったじゃないか。あの子はお前のことを甲斐甲斐しく看病していたんだから」
「それはできん」
「なぜだ」
「恥ずかしいだろ」
「……は?」
 すぐに言葉の意味が理解できなかった。
「女性に肌を見せるにはそのなりに心の準備が必要だと言ったんだ」
「おま……私の時は、あんなに軽々しく言っておいて……」
 じゃあ何か? 私はお前の中で女というカテゴリーの中にすら入ってないというのか? 貧乳だからか? こんな喋り方だからか? いきなり凶暴になるからか?
「うーむ……確かに言われてみればそうだな。キミの時は別に何も感じなかった」

『ひょっとして先輩のこと……好き、なんですか?』
『いや全く』

 コイツ……。
 そうか。そういうことか。いや、私が馬鹿だった。今までいったい何を考えていたんだ。どうでもいい下らないことに心を乱されすぎた。全く、実に不愉快だ。
「レヴァーナ、とにかくココから出る方法を考えるぞ」
「おぅ。そうだな」
 ふー、やれやれだ。本当につまらない、くだらない、何かもうどうでもいい。
「白衣のポケットに【カイ】がいる。取り出せるか」
「任せろ」
 本当に、どうでもいい……下らない、こと……。
「早くしろっ!」
「まぁ焦るな」
 でも……。
「まだかっ!」
 それでも、私は……。
「ないぞ」
 ……は?
「キミのポケットの中は空だ」
 熱っぽい思考は中断され、私の口からは空気が漏れたような間の抜けた声が飛び出した。
「そんな馬鹿な! ちゃんと探したんだろうな!」
 【カイ】を落とした? いや、そんなはずはない。例え封印体であっても【カイ】には意識がある、感情が宿っている。振り落とされないように自分でしがみつくこともできるはずなんだ。
「じゃあ他の子たちは!?」
 館で調合釜を借りて他にも何人か生み出したはずなんだ。ラミスや他のドールマスター達の分と私の分を。彼らまでいなくなっているというのか!?
「何もない。ポケットは全くの空だ」
「本当に全部探したんだろうな! 左右のポケットと胸のポケット!」
「左右は探した。そして胸の方は探すまでもなく……」
「何もなくて悪かったな!」
 どーせ私は女ですらありませんよ!
 だが今はそんなことを議論している時ではない。どうして、いったいいつの間に、誰が、どうやって……。
 無数の疑念と疑問が渦を巻いて脳内を浸食していく。だが一向に答えの出る気配はない。
 確かに【カイ】はいたはずなんだ。少なくともこの教会内に入るまでは。ポケットの中からちゃんと気配を感じていた。じゃあ、ココに入ってから……。いや、この暗闇に呑み込まれてから……?
「そろそろクライマックスが近付いてきたわ。姉さん」
 突然喜色に満ちた声が聞こえたかと思うと、横手から光が射し込む。闇の中に不自然に開いた『穴』からコチラを覗き見ながら、私とソックリな顔をした女が口元を不敵に歪めていた。 
 ミリアム……。やはり、コイツが何かをしたと考えるのが自然か。
「感動の再会は無事はたせたかしら?」
「まだだと言ったら延長してくれるのか?」
 長い紫色の髪の毛を梳きながら得意気に言ってくるミリアムに、私は鼻を鳴らして嘲笑を浮かべながら返す。
「いいわよ。でもソレに見合うだけの対価が必要。つまり――」
 ミリアムの隣りにまた別の『穴』がもう一つ開いた。
「姉さんの、絶望が」
 そこに映し出されていたのは、十体以上ものドールを同時に操るジェグ。そしてたった一人でソレらに立ち向かっていくヴァイグルだった。
 そして優勢なのは――ジェグの方だった。
「アタシを散々失望させてくれたけど、最後はちゃんと頑張ってくれてるみたいね」
 辛そうに顔を歪めているジェグを見ながら、ミリアムは満足そうに頷く。優勢とは言え、ジェグも決して楽な戦い方をしているわけではない。むしろ満身創痍という言葉が正しかった。
 シャツやジーンズは原形を留めないほどに破れ、全身の方々から血が滲み出ている。頭からの出血で髪は額に張り付き、服はどす黒い色に染まっていた。特に左脇腹からの出血が酷く、押さえている右手が完全に紅く染まっている。以前、ヴァイグルに抉られた傷が更に開いたのだろう。
 それでもジェグは集中力を途切れさせることなく、巨竜型や大蛇型といった強力なドールを繊細な動きで操っている。私が教会の中に入ってずっと戦い続けていたのだとしたら凄まじい精神力だ。それもあのヴァイグル相手に。彼をあそこまで突き動かしているのは、やはりミリアムへの想いなのか……?
「本当は孤児院の子達も何人か殺しているはずだった。それで姉さんをかなり絶望させられるはずだった。でもジェグが役立たずだったから、リヒエルが尻拭いすることになった」
 ミリアムの言葉と同時に周りが急に明るくなる。いや、ただ明るくなったわけではない。ココに捕らわれている孤児院の子達の体が淡く光っているのだ。
 私に、見せつけるために。
「けど、今からでも遅くないわ。ほら、どの子がいい? 姉さんの好きな子を殺してあげる」
「く……!」
 コイツ、またレヴァーナの時のように……!
「心配するなメルム。彼女にそんな力はない」
 ミリアムを睨み付ける私をなだめるような口調で、レヴァーナは静かに言った。
「何を、根拠に……」
「俺が散々試したからな」
「試した?」
「うむ。ココに来て、ひたすら彼女を挑発し続けた」
 ……は?
「殺せるものなら今すぐ殺して見ろ! 俺の心臓はココだ! 外さずしっかり狙え! とな。まぁ他にも色々と俺の主義主張を並べ立てながらけなしてみたんだが、体の位置を動かすことはできてもそれ以上のことはできないようだ」
 ……またコイツはそんな下らないことを。ひょっとして最初にぐったりしてたのは挑発し疲れてたのか?
「それで本当に殺されていたらどうするつもりだったんだ、お前は」
「ソレはソレでと考えていたな。あの時は」
 あぁ、そーかそーか。そーだったな。それでついさっき考え方を変えたんだったな、お前は。全く……まさかミリアムに感謝しろとでも言うつもりなんじゃないだろうな。
「いいから、もう二度とそんな危ない真似はするなよ」
「分かっているさ。キミに泣かれても困るからな」
「誰が泣くか!」
「冗談だ」
 あーもー! 全く腹の立つ! コレがコイツ流の挑発か! ミリアムもこういうバカがそばにいたら落ち込んで悩んでいる暇もなかったのにな! 全く運の良いヤツだ!
 ……何言ってだ? 私は。
「ほら、姉さん。ちゃんと見てないと。姉さんの大切な人が死んじゃうわよ?」
 冷酷な響きを孕ませたミリアムの言葉に、私は舌打ちして『穴』の映像に目を向けた。
 ……大切な人が死ぬ? 誰のことだ? このバカはココにいるし……じゃなくて!
「限界だな」
 いつになく真剣な声で呟いたレヴァーナに、私も音の聞こえない映像に集中した。
 確かに、ヴァイグルはもう限界だった。いや、限界などとうに超えているのかもしれない。
 ミラーシェイドは完全になくなり、その奥で輝く無機質な紅い光点も今では弱々しく明滅を繰り返すだけになっている。レザーコートは切れ端だけが体にまとわりついており、その下にある黒のボディスーツも包帯のように一部を隠すだけで、筋肉質な地肌を夜気に晒していた。
 そして剥がされた皮膚の裏には硬質的な機械骨格。左腕、右太腿、そして後背部。頭部にまで侵食している機械部位を考えると、すでに生体部分よりも機械部分の方が多い。力を使い、その代償として腐食した体を支える非肉体。極めて人間に近い感情を持ったドールという存在から一歩一歩離れていき、温もりを宿さない金属の塊へと姿を変えていく。
 だがそれでも、ヴァイグルは力を振るい続けた。
 口を大きく開いて何かを叫び、剣化した右腕を熊型ドールに突き刺す。そして埋め込んだまま真上に引き抜き、上昇の勢いに体を乗せて大きく跳躍した。倒れ行く熊型ドールの頭を蹴ってジェグの上へと躍り出、落下の加速度に自重を付加してヴァイグルは両の拳を打ち下ろす。
 ――が、両サイドから現れた二体の人型ドールによって拳撃は受け止められた。そして三体目の人型ドールの蹴撃によって、ヴァイグルは大きく後ろに跳ね飛ばされる。
 地面で何度かバウンドし、ようやく勢いを止めたヴァイグルの全身に弾丸のように突き刺さる小鳥型ドール。何十匹も、何百匹も。
 生体部分と言わず機械部分と言わず、ヴァイグルの体は容赦なく削られ、抉られ、壊され、しかしそれでもヴァイグルは立ち上がる。頼りないはずの紅い双眸に不気味な光を炯々と宿して、幽鬼の如く立ち上がったヴァイグルは、右腕を巨大な鎌に変えてジェグへと突っ込んだ。
 その突進を阻むようにして立ち塞がる五体の人型ドール達。
 真横に薙いだ大鎌の一閃で一人目の首を跳ね飛ばし、そこから伸ばした左腕で二人目の顔を掴んで力任せに握りつぶす。三人目は下からすくい上げるようにして放った大鎌で体を貫き、四人目は――
「な……!」
 串刺しにされたはずの三人目が自分の体で鎌を固定し、ヴァイグルの動きを強引にとめた。その隙を逃すことなく、残った二人がヴァイグルに急迫する。
 そして――ヴァイグルの背中から四本の長剣が生えた。
 ゆっくりと、仰向けになって倒れ込んでいくヴァイグル。その向こう側で、両手に剣を生やした二体の人型ドールが口の端を歪めていた。
 アレは、ドール、じゃない……? いや、まさか……。
 
『教会はドールに感情を持たせる方法を確立して、次々に似たようなドールを量産していったわ』

 ヴァイグルと同じようにして創られた感情を持つドール。
 ヴァイグルほど人間に近くはなくとも、自分の感情を力に変えることができる。恐らく、一人一人の力はヴァイグルとは比較にならないくらい弱いだろう。中途半端な感情では、力もそれ相応の物しか出せない。だが向こうは量産型。数で圧倒的に勝る。
 あのヴァイグルが劣勢に立たされている理由はコレか……。
 ジェグが自ら操るドール、単純ではあるが自律的に行動するドール、そして力のために自らの体を削って複雑な動きをする人型ドール。
 この三種のドールに翻弄されて、ヴァイグルは押されているんだ。
「そろそろ、終わりかしら?」
 横手からミリアムの勝ち誇った声が聞こえる。
 終わり……。ああ、もう終わりだろう。ヴァイグルがまだ戦えたとしても、ラミスが止める。もういつブレーキを掛けてもおかしくない。むしろ遅いくらいだ。いくら最後の戦いになるだろうとは言え、もうこれ以上は……。
「あら、まだ頑張るのね」
 ヴァイグルの前にいた二体の人型ドールの首が飛ぶ。爪先から細いワイヤーのような物を靡かせて、ヴァイグルは緩慢な動きで立ち上がった。
 アレは、ヴァイグルの隔離施設を覆っていた物と同じ材質の……?
 まだ、止めないのか。まだ戦わせる気なのか。このままでは嬲り殺されるのは目に見えているぞ。どうして――

『もう効きにくくなったそのブレーキ手放して、俺を教会に突っ込ませろよ』

 効きにくい? ラミスはもうブレーキを掛けている? なのに、ヴァイグルがソレに応じない?
 足をたわませて重心を低くし、ヴァイグルは口を弧月のように歪めて直線的な動きで跳んだ。そして残った人型ドールの横を過ぎ去り際、真横に伸ばした右腕で腹部を抉り取っていく。ヴァイグルの口が、さらに大きく裂けた。
 『穴』から見えるのは映像だけで声は聞こえない。なのに……聞こえないはずなのに、私の耳にはヴァイグルの狂気的な哄笑が鮮明に突き刺さった。
 血と悲鳴と暴力に酔いしれ、ヴァイグルは悪鬼の如き容貌となって更に加速する。
 頭上から飛来する小鳥型ドールを叩き落とし、喰い殺し、その身に浴びながらも勢いを落とすことなく、巨竜型ドールの業炎を剣撃の風圧で切り裂いて一直線にジェグへと肉薄する。
 ジェグを護るようにしてヴァイグルとの間に割って入る大サソリ型ドール。毒で表面をぬめらせた尻尾と両爪の一撃を高く跳んでかわし、ヴァイグルは再び頭上からジェグに襲いかかる。しかしその後ろから出てくる三体の人型ドール。さっきと全く同じ構図。
 が――ヴァイグルの体がまるで地面に吸い寄せられるようにして、不自然に急降下した。月の光を浴びて銀色に輝く細い糸。
 ワイヤーだ。さっき二体の人型ドールの首を跳ばしたワイヤーを真下の大サソリ型ドールの甲殻に引っかけ、自分の体を引っ張っている。
 有り得ない角度とスピードで大サソリ型ドールの背中に降り立ったヴァイグルは、まだ反応しきれていない三体の人型ドールに突進する。
 そして夜の闇に三つの頭部が舞った。さらにヴァイグルは剣化した右腕をそのまま奥にいるジェグへと付き出し――
 ヴァイグルの前に壁がそそり立った。
 いや、壁ではない。盾だ。全長三メートルはある巨大な盾型のドール。ソレがヴァイグルの剣撃を受け止めている。
 しかし盾型ドールを支えているのはジェグ本人。盾がどれだけ強固な造りをしていたとしても、人の力でヴァイグルを抑えることなどできない。ヴァイグルは左腕で盾を横に弾いて跳ね飛ばすと、盾がジェグから剥がれ落ちるまえに剣を振り下ろした。そしてジェグの顔が半分露出したところを狙って、剣先が眉間へと吸い込まれる。
 避けられるタイミングではない。白銀の輝きを放つヴァイグルの剣がジェグの脳天を割り、鮮血が飛散する。そして――
 ヴァイグルの右肘から先が乾いた粘土細工のように崩れ落ちた。
 両膝を大地に付き、天を仰ぐようにして背を反り返らせながら大きく口を開くヴァイグル。そして左手で右腕を押さえつけ、悶絶しながら激しくのたうち回った。
 ダメだ。もう本当にダメだ。これ以上は、暴走する……!
「あらあら。ついに終わりみたい。まぁ、こんなモンね。ジャイロダインの力なんて」
 ミリアムが呟いた直後、発狂寸前だったヴァイグルの動きが突然止まった。全身を脱力させ、まるで大地に捕縛されたかのようにピクリともしない。
「本当に終わりみたいね」
 ブレーキだ。ようやく、ラミスのブレーキが効いたんだ……。危なかった。あのままだと味方にも……。
「でも次はどうするつもりなの? 主戦力を失って、まだ勝つつもりでいるの?」
「主戦力を失ったのはソッチも同じだろう。ジェグがやられたぞ。お前は何とも思わないのか」
 ジェグの死を目の当たりにして眉一つ動かすことなく泰然と構えているミリアムに、私は舌打ちして睨み付けながら言った。体が自由なら殴りかかっていたかもしれない。
「アイツはずっと、お前のことを考えてくれいたんじゃないのか」 
 ジェグは私にとって敵だった。
 私を瀕死に追い込むつもりで襲ってきて、孤児院を壊し、そしてレヴァーナを傷付けた。
 ドールマスターランク一位。戦闘に特化したドールを創り、操ることを得意とする教会員。そして、ミリアムの忠実な僕。
 だがそれ故に彼は何か思い悩むことがあった。彼のおかげで孤児院の人達は一人も殺されることなく、無事でいられた。その代わりに、ジェグは私に助力を求めてきた。

『ミリアム様を、助けてくれ……』

 その言葉の意味も聞かされぬまま一方的に押しつけられ、私はココまで来た。
 だが分からない。この女の。こんな冷徹な女のいったい何を助けろというのだ。
「ジェグはアタシを裏切ったのよ? そんな人がどうなろうと知ったことじゃないわ。それにアタシにはリヒエルがいる。彼はアタシを裏切らない。だって、彼がアタシを救ってくれた人だから」
 リヒエルがミリアムを救った……? どういうことだ。
「姉さんには話したでしょ? アタシがモルモット扱いされてた時のこと。でもある時急に待遇が変わって、神様みたいに崇められたって」
「ああ……」
「アレはね、全部リヒエルがやってくれたことだったの。前の教総主を殺して、リヒエルが成り代わって、私を大事にしてくれたのはリヒエルだったのよ。素晴らしいことだと思わない? 彼は昔からアタシの味方だった。だから絶対裏切らない。ジェグなんかと違ってね」
 双眸に狂信者の輝きを宿し、ミリアムは自分の言葉に酔いしれたように話す。
 この短絡的な思考、刹那的に入れ替わる表情。間違いなくドールの特徴だ。
「リヒエルはお前を利用しているだけだ。ジェグの裏切りはお前のためを思ってのこと。浅はかな思考は身を滅ぼすぞ」
「そんなこと、姉さんが言っても説得力ないわよ?」
「確かにな。だから私はどん底を味わった。けど這い上がれた。お前が本当に耳を貸すべきはリヒエルなどではなくジェグの言葉だったんだ」
「随分とジェグの肩を持つのね。敵同士なのに」
「メルムはツンデレだかな」
「お前は黙ってろ!」
 突然口を挟んできたレヴァーナの後頭部に肘を入れ、私は言葉を続け――
「ミリアム、キミは本当はどうしたいんだ。キミの信念とは何だ」
 コイツ……耐性ができてきやがったな……。
「何度も同じことを言うほどお人好しじゃないわ」
「メルムを絶望させ、その上で自らの命を絶つというのが自分の信念だと言い張るのならそれは断じて違う! そんな物は信念でも何でもない! キミは以前のメルムと同じ、ただ引きこもってイジケているだけだ!」
「なら、貴方がアタシをココから出してくれるって言うの?」
「良いだろう」
 おいおい……。
「ただし! 先に俺達を外に出してからだ! こんな薄暗い場所では元々出ない知恵がさらに出んからな!」
 何を威張っとるんだ、お前は。大体そんなことを言って外に出られるくらいなら苦労しな――
「いいわ。出してあげる」
 マジかよ。
「ジェグもやっと気付いたことだしね」
 ジェグが……?
 言われて『穴』を見ると、確かにジェグは体をふらつかせながらも立ち上がりつつあった。ヴァイグルの剣が振り切られる前に手が崩れ落ちたから、辛うじて一命を取り留めたのだろう。だが額からの出血が激しい。あれでは立っているだけでやっとのはず。
 なのに、どうして。どうして、アイツは亜空文字を……。
「ジェグには『邪魔者を全部始末して戻って来なさい』って言ってあるもの。これすら守れないようじゃ救いようがないわ」
「お前は……!」
「いいわ姉さん、その顔。でも本当の絶望はまだこれからよ。ココにいた方がマシだったって、心の底から思わせてあげる」
 突然、体を襲う浮遊感。私達は今見ている『穴』へと吸い込まれるように移動していく。
「姉さんのことだからまだ自分がどうやって生まれてきたのか、思い出してないんでしょう?」
 私達を横目に見ながら、ミリアムは馬鹿にしたように小さく鼻を鳴らした。
「だから何だ」
「アタシ達はあの男が生み出したのよ。人間と同じ方法でね」
 あの男……? 人間と、同じ……?
「きっとすぐに分かるわ」
 ミリアムの嘲るような言葉がフェードアウトしていくのを聞きながら、私達の体は『穴』の外へと放り出された。
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