人形は啼く、主のそばでいつまでも

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  Level.14 『今さらアタシを放って置くんじゃないわよ!』  

『アイツも……嬢ちゃんと、おんなじさ……。完全な……人間に、なりたいんだよ……』

 そういうことか。
 今、ようやくリヒエルが何を言おうとしていたのか分かった。
 アイツは私を……『終わりの聖黒女』を喰えば完全な人間になれると確信したんだ。しかし喰い損なった。だからこうして必死になって追い掛けてきている。
 アイツがミリアムのドール? 違う。アレはもう自分の意識を持っている。極めて人間に近い存在だ。これまではミリアムに操られている“フリ”をしていただけ。
 そうしていれば『餌』が沢山喰えるから。どんどん人間に近付いていっているのが分かるから。
 人間――つまり相反する二つの心が同居する存在。多分、逆裏世界の能力とは呑み込んだ対象に真逆の偶像を見せることではなく、自分自身と同調させることなんだ。
 ソレが『喰う』ということ。
 そして喰った者の心を取り込んでいって、自分はどんどん人間に近付いていく。
 だからコイツも最初の頃は……まだずっとドールに近かった時は、同調させられる対象に限界があった。自分と同じくらいの、感情を僅かに持つドールしか喰えなかった。しかしソレを続けてより人間らしくなり、より感情に幅を持たせられるようになり、人間に近いモノと同調できるようになった。喰えるようになった。

『姉さんを食べれば……きっとこの子は何でも食べられるようになるから』

 そして私を喰えばきっと完全になる。人間そのものとも一瞬にして同調できるまでに完成する。
 なぜなら、逆裏世界が人間と全く同じ存在になるのだから。全く同じ性質のモノとはすぐに波長を合わせられるから。

『教総主、は……そのために創ったんだ……から、な……』

 教総主の野望。ソレは世界の終焉を見ること。自分が長命になることによってではなく、世界の寿命を短くすることで。
 恐らく、教総主はこの逆裏世界を表の世界と同調させようとしたんだ。私に『私』を見せたように、表の世界にも裏の世界を見せようとした。表が発展と創造に向かっているのなら、裏は衰退と崩壊に向かう。そうして世界の心を取り込み、支配しようとした。
 そんなことが本当にできるのかは分からない。だが、これまでドールを喰い続けて人間に限りなく近付いてきたんだ。これから何百人、何千人という人間を喰っていけば、人間を遙かに越える存在なるかもしれない。世界そのものと同調できる超高域の存在になれるかもしれない。
 世界を呑み込む。
 ソレはまさしく――神だ。
「厄介なモノを……」
 私は小さく舌打ちし、教会の敷地一杯に広がった逆裏世界を見つめた。
「どうするんだメルム! 何か打開策があるのか!?」
「せ、先輩……」
 私の両隣でレヴァーナとルッシェが不安げな声を上げる。
 分かってる、分かってるさ。私だって何とかしたい。いや、絶対に何とかする。私がしなければならないんだ!
「メルム、考える余地なんかねーぜ。大砲ブッ放すしかねーだろ」
 長い角の伸びた金色の顔をコチラに向け、ハウェッツが真剣な顔付きで言ってくる。
 ……だろうな。それしか方法は残ってない。
「しかし、な……」
 私は徐々にその身を沈めていく二本の波動砲型ドールを見下ろしながら曖昧に返した。
 あんな大きな物、私達の力では到底持ち上がらない。かといってハウェッツを着地させれば、その途端に足を絡め取られてしまうだろう。
 人間である白スーツ達ですら、もうすでに足首まで呑まれてしまっている。こうして表に体を晒してきたんだから逆裏世界も本気だ。アイツもヴァイグルやリヒエルのように身を削って力を使ってきている。まだどんな攻撃を隠している分からない以上、迂闊に近づけない。
 だが、そんなにゆっくり考えている暇もない。
 白スーツ達が喰われるには時間が掛かる。まだ『口』の中に入れてすらいないのだから。
 それよりも恐いのはミリアムの存在に気付かれることだ。
 ミリアムは私と同じく『終わりの聖黒女』たる資質を持っている。逆裏世界を完全な人間にすることができる。しかも彼女は白スーツ達などより喰われやすい上に、すでに腹の中にいる。おまけに放心状態。精神的な抵抗はまずできない。
 ミリアムと私が同一の存在だと逆裏世界が知れば、躊躇うことはないだろう。今はまだ、かろうじて無事のようだが……。
 だから生半可な攻撃はできない。下手に追いつめれば手当たり次第喰い始めるかもしれない。それでミリアムに舌を這わせられればお終いだ。
「そうか、あの大筒が必要なんだな」
 私の視線を追ったのか、レヴァーナが同じ場所を見ながら頷く。そして飛び降りようとハウェッツの背中から身を投げ出――
「こ、このバカ! 何考えてんだ!」
「何も考えとらん!」
「このバカ!」
「ソレはさっき聞いた!」
「や、やめてください二人とも! こんな時に!」
 ルッシェの声が後ろから聞こえるがそんなモノどうでもいい。
「やかましぃ! だったら何度でも言ってやる! このバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカの大バカ野郎!」
「アイツらをあのままにしておけるか!」
「先輩! レヴァーナさん!」
「アイツらはお前を助けるために残ったんだろうが! その犠牲を無駄にする気か!」
「まだ犠牲になっとらんわ!」
「ヤメロっつってんだろーが! この穀潰し共がァ!」
 突然した聞き慣れない罵声に、私とレヴァーナは同時に固まった。そしてぎこちなく顔を後ろに向ける。
「あ、あの……! 今はそんなことしてる場合じゃ……!」
 今のは……まさか、ルッシェ……? そういや前にも一度……。
「掴まれ!」
 しかしその思考をハウェッツの叫び声に遮られたかと思うと、視界が突然大きく揺れた。直後、さっきまで私達のいた場所を黒い槍が通り抜けていく。 
「な、なん……!?」
「舌噛むんじゃねーぞ!」
 混乱する私達をよそに、ハウェッツは真下から連続的に突き上げられる黒槍を紙一重でかわしていった。だが槍は直線的な動きだけでは終わらず、的を外した途端向きを直角に曲げて正確な軌道で私達を追尾してきた。
 まさか、コレが逆裏世界の攻撃!?
 ぎりぎりまで引き付け、辛うじてかわしていくハウェッツ。だが避ければ避けるほど追ってくる槍の数は加速度的に増していく。そして四方を囲まれてしまい――
「メンドくせぇ!」
 閃光と共に落雷が弾けた。
 ソレをまともに浴び、焼けこげて地面へと吸い込まれていく黒槍。
「へっ! ザマァ……」
 しかし新たに生えた大木のような槍に呑み込まれ、その表面に棘として生まれ変わると迅雷の速度で突き出される。
「邪魔――」
「――するなあああああぁぁぁぁぁ!」
 暗天にハウェッツとレヴァーナの声が轟いた。
 ハウェッツの体の下で膨大な量の雷が収束し、紫電を広範囲に撒き散らせながら太くなっていく。そして上空に熱波を吹き上げ、夜闇を切り裂く一条の光が大地に向けて射出された。
 巨雷は黒槍をあっさりと呑み込んで灼き尽くし、勢いを全く殺すことなく奥にあった本体へと突き刺さる。雷は爆音と共に小規模の竜巻となり、粉塵を空高く巻き上げてようやくその怒りを鎮めた。
 しばらくして砂煙が晴れた時、眼下には闇の一部を歪に曲げた逆裏世界が広がっていた。大きく開いていた『眼』も僅かに小さくなったようながする。
 効いている……。ハウェッツの攻撃は逆裏世界に効いている……。
「よぉし! コイツでいけるぜ! レヴァーナ! 気合い入れろ!」
「任せろ!」
 確かな手応えを感じて鼻息を荒くする二人。だが――
「待て!」
 私は下を見ながら、腕を真横に伸ばして待ったを掛けた。
「何だよ!」
「駄目だ。逆効果だ」
 ハウェッツの叫び声に私は声を低くして返す。
 白スーツ達、そして波動砲型ドールの呑み込まれるスピードが速くなっている。この攻撃では中途半端なんだ。弱らせることはできても致命傷を与えることはできない。これではただ逆裏世界を追いつめているだけだ。そしてミリアムに気付くきっかけを与えることになる。
 もっと……今の巨雷よりももっと強い攻撃で……一撃で仕留めるしかない。私とレヴァーナがただ感情を合わせただけでは駄目だ。雷をいくら大きくしても恐らく足りない。
 やはり、あの波動砲しか……でも……。
「チッ! しゃーねぇ! 一か八か! 俺が蹴っ飛ばして拾い上げるしかねーか!」
「そうだな……」
 もしかするとその瞬間に足を取られてしまうかもしれない。だが、やるしかない。ソレしか方法がないのだから。
「あ、あのっ! 先輩!」
 私が覚悟を決めた時、ルッシェが躊躇いがちに声を掛けてくる。
「あの大砲みたいなのがいるんですよね。ソレをハウェッツ君に取り付けたいんですよね」
「ああそうだ」
「だったら一度封印体に戻せばいいじゃないですか。そうすればわたし達でも簡単に拾い上げられますし……」
「封印体になれば一瞬で喰われる。お前も教会の奴らと戦っていた時、地面に封印体が吸い込まれていくのを見ただろう。アレはな、コイツがその下にいて喰ってたんだよ」
 真実体だからこそまだあの程度で済んでいるんだ。
 とはいえ元々はハウェッツのオプションだった銃。すぐに『消化』されることはないだろうが、口に入れるのは容易いだろう。私自身がそうだったように。
「喰うって……」
「詳しい説明は後だ。とにかく無理なモノは無理なんだよ。行くぞハウェッツ! 気合い入れろよ!」
「おぅ! お前もな!」
 私とハウェッツは声を掛け合って逆裏世界を睨み付け、
「まぁ待て、そこの姉御肌熱血ピーチ」
「誰がだ!」
 レヴァーナに唾を飛ばして怒声を浴びせる。
「ルッシェ君の案、乗ったぞ」
「え……? でも……」
 コイツはまたバカなことを。見ろ、ルッシェだって目を点にしてるじゃないか。
「要するに、封印体に戻してアイツに喰われる前に渡せば良いんだろ? 簡単じゃないか」
 簡単って……コイツ何を……。
「俺が取ってくる」
 は……?
「俺が下に行って受け止めるからキミはタイミングを見計らって封印体に戻してくれ」
「バ、バカ言うな……! そんなことしたらお前が喰われるだろうが!」
「すぐに喰われないことはアイツらで証明済みだ」
「そういう問題じゃない! お前がちゃんと受け止められる保証なんてどこにもない! 受け止められとしても私の所まで投げられるかどうかなんて分からない! 私が受け取れるかも分からない! 大体ソレであの化け物を何とかできるって決まった訳でもないんだ! もしできなかったらお前は二度と戻って来れないかもしれないんだぞ! ソレが分かって言ってるのか!」
「勿論だ」
 奇声に近い私の叫び声に、レヴァーナは真っ直ぐ見つめ返して即答した。
 コイツ……。
 いや、絶対に分かってない。ただその場限りの思いつきで言ってるだけだ。直感に身を任せて、根拠もなくソレで良いと思い込んでいるだけなんだ。
 けど……コイツがこういう顔をする時はもう誰の言うことも聞かない。自分の信じた道を突き進む。今まで何度もそうやって無茶しているところを見てきた。
 コイツはそういうバカな奴なんだ。そして私は、このバカのそんなところに……。
「……波動砲に触れたら合図しろ。ソレに合わせて封印体に戻す。そうすれば多少は受け止められる確率が上がるだろう」
「分かった」
 まるで私が了承することを最初から分かっていたかのように、レヴァーナは深く頷いた。
 全く……コイツは……。
「それじゃあハウェッツ君、少し下りて。レヴァーナさんならともかく、わたしはさすがにココからじゃ跳べないから」
 すぐ隣でしたルッシェの言葉に、私は目を大きく開いて顔を向けた。
「ルッシェ!?」
「言い出しっぺがやらないわけにはいかないでしょう? それに大筒は二つ。あんなに離れてたらもう一つ取りに行く前に動けなくなっちゃいますよ」
「け、けど一つあれば何とか……!」
「ダメです。また逆効果になったらどうするんですか。ココまで来たらやれることは全部やっておきましょうよ。後悔しないためにもね」
 言い終えてルッシェは明るい笑顔を浮かべた。そこには一抹の不安も僅かな躊躇いもない。あるのは勝利を信じて疑わない確信だけ。
 後悔、か……。確かに、もう後悔はしたくないな。
 思えば、私の人生は後悔の連続だった。ドールの研究に没頭して孤児院に寄りつかなくなった時も、自分の力を認めて貰えなくて引きこもってしまった時も、ハウェッツを裏切り者呼ばわりしてしまった時も。久しぶりに会ったルッシェに辛辣な言葉を浴びせてしまった時も、レヴァーナの背中の怪我に気付いてやれなかった時も、孤児院のみんなの誘導をリヒエルに任せてしまった時も。
 そして、疑っていたことを謝る前にレヴァーナが連れ去られてしまった時も。
 嫌だ。あんな思いはしたくない。あんな辛い気持ちはもう沢山だ……。
「ルッシェ」
 私は微笑むルッシェの顔をジッと見つめ、
「絶対に勝つぞ」
 強い想いを乗せて言い切った。
「はい!」
「ハウェッツ。行けるところまで下りてくれ」
「アイアイサー」
 私の声に応えてハウェッツが高度を下げる。
 絶対に勝つ。何としてでもこの馬鹿でかいドールを仕留めてみせる。
 私一人じゃ無理でも、コイツらと一緒なら必ずやり遂げられる。そうだ。絶対にできる。できるはずなんだ。
 ――私はもう、昔みたいに一人じゃないんだから。
「おわ!」
 突然ハウェッツの叫び声が聞こえたかと思うと、視界が大きく横に揺れた。直後、私の髪の毛を黒い槍が掠めて通り抜けていく。お団子に纏めていたのが解け、長い紫色の髪が夜闇に靡いた。
「このクソッタレが! もうちょっと大人しくしてろよな!」
 吐き捨てるように言って、ハウェッツは下から迫り来る黒槍をなんかとか避けていく。そして大きく旋回しながら更に高度を落とし、反射的に避けきれるギリギリの所まで体を下ろした。
「悪いけど止まれねぇ! 自分でタイミング計って飛び降りてくれ!」
「おぅ!」
「うん、分かった!」
 ハウェッツの言葉にレヴァーナとルッシェが頷く。そして大鷲型ドールと一体化していた波動砲型ドールの真上まで来た時、
「えぃ!」
 ルッシェが跳んだ。一瞬、空中でバランスを崩しそうになるがなんとか持ち直し、無事黒い地面へと降り立った。
「わっ」
 だがすぐに足が呑み込まれ始める。もうあそこから一歩も歩くことはできないだろう。
 クソ……喰う速さがどんどん上がってきてる。早くケリを付けないと、白スーツやそれに孤児院のみんなまで……。
「先輩! オッケーです! 戻してください!」
 波動砲に触れたのか、ルッシェが大声で合図を送ってきた。
「よし!」
 真横から来た黒槍を頭を低くしてギリギリやり過ごしながら、私は波動砲型ドールの一本を封印体へと戻した。
「よっと」
 そして銃の形となったソレを、ルッシェは両手でしっかりと受け止める。
「ハウェッツ君!」
 ルッシェはハウェッツの飛行軌道を読み、自分の真上へと銃を投げた。
「っしゃあ!」
 絶妙のタイミングと高さで放り上げられた銃を、ハウェッツは口でくわえて受け取る。そして素早く首を後ろに回し、私に銃を渡した。
 よし! あともう一つ!
「俺の番だな」
 レヴァーナは私の手の中にある銃を見ながら頷くと、すっと目を細くして下りる機会を計る。そして腰まで呑まれてしまった白スーツ達の上をハウェッツが通りかかった時、
「せぇりゃぁ!」
 裂帛の掛け声と共にハウェッツの背中を蹴った。そのまま空中で無駄に二回転し、片膝を付いた姿勢で着地する。
 っのバカは余計なことを……! そんなことしたらもう立ち上がれないだろーが!
「むっ!?」
 予想通り膝を固定され、レヴァーナは不満げな声を上げた。
 ああ! イライラする!
「とっととしろ! このバカ!」
 顔に叩き付けられる膨大な風で片目しか開けていられない。全身を襲う凄まじい遠心力と戦いながら、私は大声で叫んだ。
「やかましい! 馬鹿に馬鹿って言う奴が馬鹿だ! このツンデレ!」
「関係ないだろ! それより絶対に落とすなよ!」
 なんとか波動砲に触れたレヴァーナを確認して、私はもう一つの方も封印体に戻した。
「うわっち!」
 が、銃はレヴァーナの手から逃げて宙に投げ出され、
「あ、アブネェ……」 
 膝を付かなかった方の足を伸ばして受け取められた。
「いきなり戻すな! 落とすところだっただろ!」
「お前が下らないことしてるからだ! この変態!」
「やかましい! 変態に変態って言う奴が変態だ! この貧乳!」
「だから関係ないだろ!」
「関係なくとも事実だ!」
「事実でも名誉毀損の罪が適応されることを忘れるな!」
「さっさとせんかぃ! このド家畜共がァ!」
 鼓膜に突き刺さったルッシェの怒声によって、一瞬で我に返る。
 そ、そうだ。今はこんな馬鹿なやり取りをしている時ではない。にしてもルッシェ……。ああいや、心の整理はまた後でゆっくりしよう。
「レヴァーナ!」
「落とすなよ!」
 レヴァーナはしゃがんだままの不自然な体勢から腕を振るうと、ハウェッツの目の前に銃を投げ飛ばした。ハウェッツはさらにスピードが上げて滑空し、大きく口を開けて――
「くっ!」
 何の前触れもなく目の前で立ち上がった太い黒槍に勢いを削がれる。銃の軌道が放物線の頂点へと達し、そして下降し始めた。
「ハウェッツ!」
「分かってる!」
 叫び返してハウェッツは黒槍を雷撃で炭にし、体当たりで強引に崩して銃を追う。重力に引かれ、黒い地面へと吸い込まれていくもう一つの銃。
 ダメだ! 行くな! じゃないとレヴァーナの頑張りが……!
 しかし、私の願いは届かない。
「これ以上は無理だ!」
 すでにハウェッツが高度を下げられる限界のラインを下回ってしまった。
 クソ! もうしょうがない! こうなってしまった以上、一つで何とかするしか――
 金属同士がぶつかり合う甲高い音が響いた。
「え……」
 視界の中で銃が大きくなったかと思うと、丁度私の目の前まで持ち上げられる。
 どうして……一体何が……。
 頭を混乱させながらも私は手を伸ばして二つ目の銃をしっかりと握り締め、急激に高度を上げていくハウェッツの体にしがみつきながら下を見た。
 黒い地面の中から腕が生えていた。そして本来手があるはずの部分はライフルへと変わり、銃が落下を止めた辺りに狙いを定めている。
 リヒエル……。
 アイツが弾いてくれたのか? もう喰われかけているというのに最後の力を振り絞って……。

『ミリアムを、助けて、やってくれ……頼む……』

 全く、ジェグといいリヒエルといい。どうして私に頼むんだ。ちゃんと生きて、お前らがやればいいだろうが!
「行くぞハウェッツ!」
「おう!」
 ミリアム、待ってろ! すぐにこの化け物の腹の中から出してやるからな!
 私は二挺の銃を両手に持ち、亜空文字を展開させる。白い輪郭を持った紅文字が私の腕を中心として重層展開し、そして銃に触れた。一瞬にして質量の増大した二つの銃は金色に光り輝く大筒となり、私の手を放れてハウェッツの背中に吸い寄せられる。
「きたきたぁ! 三年ぶりのこの感触! このフィット感!」
 二本の巨大な波動砲はまるで咆吼を上げたかのように一際強い光を放ったかと思うと、昂奮気味にまくし立てるハウェッツと同化した。
「行っくぜええええぇぇぇぇぇ!」
 体の両サイドに波動砲を携え、ハウェッツは一層高く飛び上がる。そして分厚い雷の防護壁を身に纏い、しつこく追ってくる黒槍を灼き払った。炭化し、黒い塵となって本体に戻っていく槍の残骸。ソレをどこか冷たく見下ろすハウェッツの両目が大きく開かれる。
 私もハウェッツに合わせて視線に力を込め、
「大切なモノ全部! 返して貰うぞ!」
 頭に想起された人達の顔を一人一人確認しながら、ありったけの感情をハウェッツに注いだ。
 孤児院のみんな、白スーツ達、ルッシェ、レヴァーナ、そして――ミリアム。
 波動砲の砲口に光が集まっていく。私の感情を力へと変え、絶大なエネルギー塊となって砲内に蓄積されていった。ソレは濃縮され凝縮され洗練され、より純粋な力へと高まっていく。そして闇を抹消する圧倒的な光量が砲口から漏れだし――
「コレで終わりだああああぁぁぁぁぁ!」
 白い力の奔流が漆黒の海へと解き放たれた。
 辺りが夜から一瞬にして真昼となる。莫大な力を内包させた白銀の龍は下から伸び上がってきた黒槍を呑み込み、噛み砕き、完全なる無へと帰してさらに加速する。触れた闇を浄化させ、見る者の心を白く染め上げながら、もはや空の支配者となった光王は顎を大きく開けた。
 そして――黒の大地に牙を突き立てる。
「く……!」
 地面で産声を上げる爆音、熱波、光の雄叫び。大気を激震させ、物理的な衝撃波すら生み出す絶叫が周囲に轟いた。
 コレは……逆裏世界の悲鳴……!?
 鼓膜に突き刺さり、脳髄を破壊されそうなほどの怪吼。
 憤怒、嫉妬、羨望、焦燥、絶望。
 ありとあらゆる負の感情をない交ぜにして、逆裏世界は白い光に抗おうとする。
 痛いか。苦しいか。そうだよな……お前だってこんな目に遭いたくないよな。消えたくないよな。分かるさ。けどな――
「お前はアタシの大切なモノを傷付けた!」
 アタシの大切なドールをお前は喰った! アタシの大切な人達を呑み込んだ! アタシの大切な父を……! 妹を……!
「あああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
 白い光の柱が太さを増す。覚醒したかのように大きく胎動し、全身を一気に黒い大地の中へと沈め込んだ。
 そして唐突に訪れる無音。
 光の流出が収まり、辺りが再び闇へと包まれる。何も映し出さなくなった視界。ようやく目が慣れ始めた時、眼下にあったのは水たまりくらいの大きさになった逆裏世界だった。
「やった、のか……?」
 私はハウェッツの背中にもたれ掛かり、肺の中の空気を全部吐き出した。
 体に力が入らない。激情を力に変えたことによる精神的な疲労が重くのし掛かり、顔を持ち上げることすらできないようにしていた。
「先輩スゴーイ! やりましたね! ついに無敵伝説勃発ですね!」
 足を解放されたルッシェが、両手を上げて跳びはねながら喜びの声を発する。
「さすがだなメルム! やはり俺が見込んだパートナーだけのことはある!」
 親指をグッと突き立て、レヴァーナは白スーツ達に胴上げされながら笑顔を向けてきた。
 はは……勝手に押し掛けて来ただけのクセによく言う……。
 けど、勝ったんだ……。あそこにいるのはきっと逆裏世界の封印た――
「な……!?」
 黒いシミでしかなかった逆裏世界の封印体。その表面が風に揺られて小さく波立ったかと思うと、一瞬にして大きく盛り上がり、私と視線を並べるほどの巨人へと変貌した。
 黒い体には何もなく、ラバースーツで覆われたかのようにのっぺりとしている。まるで人の影をそのまま立体化させたような全身。そして頭部には水晶が埋め込まれたかのような一つの目。
 コイツ……こんなにも表に出てくることができるのか。いったいどこにそんな力……。
 まさか……!
「ミリアム!」
 視界をよぎった人物の名前を喉の奥から叫ぶ。水晶の目の奥に、苦しみもがいているミリアムの姿が映し出されていた。
 喰ってるんだ! ミリアムを喰って完全体になろうとしている! ミリアムから力を得て、人間に……!
『お前……喰う……』
 二重ぶれた怪音が響いた。それは言葉を覚えたての赤子のように曖昧で、聞き取りづらく――
 喋っているのか……。逆裏世界が声を発しているのか……。
 まずい。ミリアムを『消化』し始めている。自分の糧にしようとしている。
「ハウェッツ! もう一度だ!」
「お、おぅ……! って、おわぁ!」
 下から振り上げられた腕を横に飛んで何とかかわし、ハウェッツは悲鳴混じりの声を上げた。しかしすぐに二撃目、三撃目の拳が飛んでくる。動き自体はそれほど早くない。だが手数が多すぎる……! コレでは波動砲を撃つだけの“タメ”が作れない! 例え撃てたとしても仕留められなければまたミリアムの『消化』を加速させてしまう……!
 どうすればいい! いったいどうすれば……! ミリアムを救い出すにはどうすれば!

『そりゃあ……嬢ちゃんが、一番よく……知ってんじゃ、ねーのか……?』

 リヒエルの言葉が耳の奥で蘇った。
 同じことを……ミリアムにも私と同じことを……!
「ミリアム! 手を伸ばせ!」
 私はハウェッツにしがみつきながら、逆裏世界の眼に向かって叫んだ。
「聞こえるわけねーだろ!」
「うるさい! お前は黙って近くに行け!」
「ンな無茶な!」
 ミリアムは拒絶している。逆裏世界に喰われることを拒んでいる。心の支えを失って、絶望して、それでも生きたいと思っている。

『今までずっと思ってきた。死ぬことができたらどんなに楽なんだろうって』

 嘘だ。 

『自分で殺すこともできない。できないようにプロテクトが掛けられているから』

 あんなのは全部嘘だ。
 最初から分かっていた。ミリアムは自分にそう言いきかせて暗い安息感を得ていただけだ。不幸せな自分の身をさらに貶めることで、後ろ向きの満足感を得ていただけなんだ。
 どうせ死ぬんだからと自棄になっているだけなのに、自分はあらゆる物に対して達観した視線を向けられる高域の存在なんだと思い込んでいる。自らの命すらも客観視できる、選ばれた者なのだと。
 しかし実際に死に直面して、ようやく本心をさらけ出した。
 ミリアムはただ恐かっただけだ。死ぬのが恐くて、そんなこと考えたくなくて、だから諦めたフリをして誤魔化していた。
 けど、もうそんなことをする必要はない。嫌なら嫌だと声を上げて叫べばいいんだ。
 死にたくないなら死にたくないと。助けて欲しいなら助けて欲しいと。
 今までの自分とは全く逆のことを考える、もう一人の自分を受け入れてやればいい。
 ソレが――人間だ。
「ミリアム! コッチにこい! 私がお前を救ってやる! お前の全てを受け止めてやる!」
 水晶の中で身をよじらせ、涙を流し、口を大きく開けて何かを必死に叫んでいるミリアムに、私はハウェッツから身を乗り出して思いきり手を伸ばす。
「危ねぇって!」
「ミリアム! 私を見ろ!」
 逆裏世界の顔の周りを飛び回りながら、私は声を上げ続けた。上から振り下ろされた腕をかいくぐり、横に大きく薙がれた拳撃を飛び越えて、逆裏世界の真っ正面に立つ。
「ミリアム!」
 そしてようやく、目が合った。
 ミリアムの口から言葉が飛び出す。いくつもいくつも同じ言葉が。
 だが聞こえない。聞こえはしない。しかし、唇の動きで何を言っているかは分かる。

 ――姉さん!

 そしてミリアムは自分を呑み込んでいく闇の中から腕を引き抜き、私の方に突き出した。

 ――助けて!

 余裕など何一つとしてなく、感情を剥き出しにしたミリアムの表情。
「ミリアム! コッチよ! アタシの方に! 早く!」

 ――助けて姉さん!

「ミリアム! もっと手を伸ばして!」

 ――死にたくない!
 
「ミリアム!」

 ――死にたくない! 死にたくない! 死にたくない! 

 逆裏世界の動きが止まった。

 ――お願い姉さん! 助けて! アタシまだ死にたくない!

 水晶に亀裂が走り、ソレはあっと言う間に伝播して、そして――
「ミリアム!」
「姉さん!」

 届いた。

 伸ばした手がミリアムの腕を掴んだ。
「ハウェッツ離れて!」
 アタシはミリアムの体を自分の方に強く引き寄せながら叫ぶ。そして左手で胸の中へと抱き入れ、右腕をハウェッツの首筋に回した。
「しっかり掴まってろよ!」
 ハウェッツの叫声と同時に、逆裏世界の体が急激に小さくなっていく。それはただアタシ達が遠ざかっているからだけではなく、『彼』自体が枯渇していくようにどんどんか細くしぼんでいた。
 ミリアムという力の源を失い、波動砲の一撃に体が耐えきれなくなったのだ。
『死に……たく、ない……』
 輪郭のぼやけた声が低い呻りとなった辺りにこだまする。ソレは逆裏世界の最期の言葉。
 教総主という狂った人物によって生み出され、育てられ、利用され。自我を持ち、人間の一歩手前まで来て、消えていく……。
 ソレは悲しいことだけど……でも、仕方なかった。アタシの大切な物を守るためにはこうするしかなかった。誰にだって欲しい物がある、失いたくない物がある。でも、みんながみんなソレを守り通せる訳じゃない。
 ジェグだって、ラミスだって、ヴァイグルだって、そしてリヒエルだって。他人から見ればどうでもいい下らない理由かもしれないけど、本人にとっては凄く重要なことで、みんなそれぞれの想いを持って大切な物を守り通そうとした。けど、どんなに強くソレを願っても、叶わないことだってある。
 環境の差なのか、実力の差なのか、それとも想いの強さの差なのか……。
 多分、色んなことが絡んでると思うけど、こういうのは何が悪いとか何が正しいとか、客観的に割り切って考えられる物じゃないんだ……。誰かがこうしたいって思った瞬間から、ソレはその人にとっては絶対的に正しいことになる。そう強く想っていないと、実現できないから。
 だからある人から見ればアタシのしていることは絶対的な悪で、何としてでも阻止しなければならないことなんだろう。
 視界の下の方で、逆裏世界が風化していくように体を飛散させていく。
 もしかしたらアタシが逆裏世界になってたかもしれない。アタシだって、最初は同じ目的で生み出されたんだから。それでレヴァーナやルッシェと一緒にいるのがミリアムで、みんなでアタシを殺してきて……。
 ……ダメだ。よそう、こんなことを考えるのは。どうもアタシはこの手のことを一人で考えて解決するのが苦手らしい。
 落ち着いたら他の人に相談してみよう。きっとレヴァーナなら明るく笑い飛ばして、『キミのやったことは破滅的に正しい!』とか意味もなく胸張って言い切ってくれるに違いないんだ。
 そうだ。アタシはもう昔のアタシじゃない。一人じゃないんだ。
 辛くなったら支えてくれる仲間がいる。元気付けてくれる大切な人達が沢山いる。
 だから今は素直に喜ぼう。自分が間違ったことをしたなんて絶対に思いたくない。
 ――アタシは、守り通したんだ。

 街の方から橙の陽光が届いていた。
 いつの間にか夜が明けてしまったらしい。長い……本当に長い戦いだった。 
 逆裏世界から吐き出された孤児院のみんなは全員無事だった。気を失っている子達が殆どだったが、命に別状はなさそうだった。今は白スーツ達がココと館を何往復もして一人一人丁寧に運んでいってくれている。ハウェッツとルッシェもその手伝いで大忙しだ。
 だがドール達はどこにもいなかった。もう、完全に『消化』されてしまった後だったんだろう。【カイ】や新しく生みだした子達と会えないのは悲しいが、こういう犠牲の上に私達の勝利があったんだ。誰一人として、意味のない死に方などしなかった。みんな、本当によく頑張ってくれた。
 そして――
「よぅ、なかなか男前になったじゃないか」
 半壊した教会の尖塔にもたれ掛かりながら、リヒエルは半分しかない顔を私の方に向けて苦笑する。
「なんでぇ……死なな、かったのかよ……。我ながら、しぶといぜ……」
「お前も普通のドールに比べれば十分人間らしいからな、喰われるのに時間が掛かったんだろ」
「けっ……まぁいいさ。嬢ちゃん……殺してくれ」
 見る影もなくやせ細った両手両足をだらりと弛緩させながら、リヒエルは項垂れて呟いた。
「駄目だ」
 しかし私の言葉に再び顔を上げる。
「あれだけのことをしておいて最後は死んで楽になるなど絶対に許さん。お前の体はこの天才ドールマスターである私が責任を持って修復してやるから覚悟しておけ」
「へっ……手厳しいね……。俺に、何させようってんだ……?」
 弱々しく言ったリヒエルに何も返さず、私は無言で顔を右に向けた。
 そこにいたのはミリアムだった。千切れ飛んだ鎖を手足に付けたまま、ジェグの体に覆い被さるようにして泣き崩れている。
 失って初めて大切な者の存在を知り、彼女に宿った人間的な感情がその悲嘆をむごたらしいほどに突きつけているのだろう。
「ミリアム……」
 リヒエルも私の視線を追い、そして小さく漏らす。
「今のミリアムには支えが必要だ。私一人では荷が重い。だからお前もやるんだ。大切な、お姫様なんだろう?」
 私はモノクルの位置を直しながら、リヒエルに視線を戻した。
「アイツはよ、本当に可哀想だと思ったんだ……。俺なんかよりずっと……。生まれてから今の今まで……喰われるのを腹の中で待ってたんだぜ? なんにも知らされないで……『終わりの聖黒女』だなんて、大層な呼び名付けられて……。友達も、恋人も作れずに……ずっと暗い穴ん中で……一人きりだ。楽しい思い出なんか、一つもない……。だからよ、何か、してやりたかったんだ……。アイツが楽しいって、思えること……」
 ジェグと同じ、か……。
 多分、ソレが一番の行動動機だったんだろうな。教会とジャイロダイン派閥の両方を潰すという個人的な怨みよりも、ミリアムのことを優先的に考えていた。そうでなければコイツはもっと上手くやっているはずだ。こんな体になるような無様な立ち回り方はしない。
「だったら今度はもっと、直接的な態度で接してやるんだな。お前にしろジェグにしろ、やることが遠回り過ぎるんだよ。バカっぽくても格好悪くても良いから、もっと自分をさらけ出して心の底から触れ合って見ろ。ソレくらい分かり易くないと伝わらないんだよ。ああいうひねた性格になった女にはな」
「へっ……経験者は、語るって、やつかい……」
 くっく、と喉を鳴らして面白そうに笑った後、リヒエルは深く息を吐いた。
「俺ぁ、やっぱりアンタが羨ましいよ、嬢ちゃん……。アンタの周りには、俺が欲しい物が……沢山転がってる……。どうやっても、手に入らなかった物を……簡単に仕入れていきやがる……。才能の差ってやつなのかね……」
「ハウェッツのことか」
「そう、だな……。俺はずっと、アイツみたいになりたいって……思ってた……。思う存分、力使えたら……どんなに気持ちいいだろうって……。けど、そうじゃなかった……」
「そうじゃない?」
 自嘲めいた笑みを口の端に張り付かせるリヒエルに、私は眉を顰めて聞き返した。
「一番羨ましかったのは、嬢ちゃんと……ハウェッツの、関係さ……。ドールと……ドールマスターじゃなくて、上辺だけじゃなくて……ムカツクくらいに、分かり合ってるところが……許せなかったんだ……」
「……そうか」
 ソレはきっと、リヒエルがずっと一人だったからだろう。たった一人で全てを操って、誰も信用せず、自分の力だけに寄り掛かって戦い抜いてきたから。周りを騙し、そして自分さえも騙して……。
 気を許せる相手がリヒエルの周りにはいなかった。支えてくれたり、方向修正してくれる人がいなかったんだ。だから――
「だから……壊したかった。嬢ちゃんと、ハウェッツの関係……愛だの、友情だのほざいる奴との関係も全部……ブッ潰したかったんだ……」
「けど、お前は守ったこともあったじゃないか。ハウェッツを」
 鎧兵に斬り掛かられそうになったハウェッツを助けてくれた。私の攻撃がハウェッツに当たりそうになった時は身を挺して庇ってくれた。
 最初のはともかく、波動砲型ドールからの砲撃をまともに受けてまでハウェッツを守ったあの行動。何か裏に打算を隠していたとは考えられない。あの時、そんな余裕などなかったはずだ。
 ハウェッツに私を裏切らせ、そして関係を壊したいのならあのまま放置すれば済んだのに……。
「そういや……そんなこともあったか……。へへっ……もぅ、忘れちまったよ……」
 しかしリヒエルはふざけたような笑みを浮かべて曖昧に返すだけだった。
 羨ましいから壊したい、羨ましいから守りたい。
 理屈では説明することなどできない、相反する二つ感情。
 きっとコイツも……自分では気付かないうちに……。
「じゃあ、これからゆっくり思い出していけばいいさ。時間はたっぷりあるんだ。言っておくが、お前が思ってるほど簡単なことじゃないぞ。覚悟しておくんだな」
 私だってココまで来るのにソレなりの苦労はしてきたんだ。一人じゃ絶対に来れなかった。確実に挫折していた。でも、他の人達がいてくれたら……。
「まずは、お前の体を治してやる私に心の底から感謝するんだな」
「……お手柔らかに頼むぜ……」
 朝日に身を晒しながら呟いたリヒエルの表情は、また少し人間らしくなったように見えた。

 それからは目の回るような忙しさだった。
 王宮を介して抗争の終結を街の人達全員に伝え、孤児院や教会を始めとする壊れた場所の修復作業に入り、二度とこのようなことが起きないよう、ドールに対する法規制の強化に立ち会った。
 その合間を縫って私はリヒエルの体を修復し、ミリアムを元気付け、そして少しでも打ち解けられるよう積極的に話し掛けていった。
 私達の処罰に関しては、教会、ジャイロダイン派閥のトップが共に死亡していること、そして王宮の機能がほぼ教会の傘下にあったことから、殆ど不問に近かった。
 そしてあの日から約二ヶ月後。ようやく綺麗になり始めた街の中で、亡くなった人の葬儀が行われた。その中にはジェグ、ヴァイグル、そしてラミスの柩もあった。参列者の中に、ミリアムの姿はなかった。
 ミリアムはあれから部屋を一歩も出ようとせず、ずっと窓の外を見つめたままベッドに横になっていた。部屋の外に嗚咽が聞こえてくることは珍しくなかった。彼女が負った心の傷は私なんかよりずっと重い。そんなにすぐに癒されるものではない。
 でも、最近は少しずつ話してくれるようになった。一分にも満たないほんの僅かな時間だけれども、ソレを積み重ねていればいずれきっと……。それに、私だって自分の心の整理もしなければならない。
「父さん……」
 第一ストリートの中部にある広い平原。そこには輝石を四角い板状に削り出して作られた石がいくつも並べられていた。全て、抗争で亡くなった人達の墓石だ。
 私はソレらの中心に置かれている一つの石の前に立ち、彫られている名前を指でなぞった。

『ヴァイグル=シフォニー』

 私と同じファミリーネーム。
「いきなり言われても……よく分からないよ……」
 今さら親子だなんて言われても、はいそうですかって受け入れられる訳ないじゃない……。父親らしいことなんか、一つも……。ううん、一つしかしてくれなかったのに……。
 あの時、父さんがアタシを教会から連れ出してくれなかったら、きっと今頃外の世界なんて全く知らないで、暗いところに閉じ込められてた。
 だから、そのことは凄く感謝してる。けど……。
「親子としての会話なんて、一つもなかったね……」
 話したことはある。けどソレはラミスのボディーガードとして、ジャイロダイン派閥の主戦力としてのヴァイグル。父親として向き合ったことは一度もない……。
 向こうも記憶をなくしていた。だからきっと、アタシのことを娘だなんて思ったことなんかなかっただろう……。
「そうでもないんじゃないのか?」
 後ろから良く知った声が掛かった。
「レヴァーナ……」
 花束を三つ携え、逆三角形の攻撃的な目をした男はゆっくりと歩み寄ってきた。
「ヴァイグルはヴァイグルなりに、キミのことを特別視していたと思うぞ」
 そして花束の一つを私の前の墓石に添え、優しく笑う。
「どうしてこんなことが分かる……」
「普通に戦っている時よりも、キミの近くで戦っている時の方が確実に強かった。それに館で暴走してキミに襲いかかろうとした時、ほんの僅かだが躊躇いがあった。多分、心のどこかでキミのことを覚えていたんだと思う」
 言いながらレヴァーナは隣の墓跡に歩を進め、二つ目の花束を置いた。
 確かに、言われてみればそんなこともあった……。そう言えば館の離れの地下で話した時も、何か様子がおかしかった……。アレは、私のことを……?
「そして母上は、そのことを思い出して欲しくなかったんだ。だからずっとキミとの関係を黙っていた。もし思い出してしまったら、ヴァイグルが自分の元を離れてキミの所に行ってしまうかもしれないから」
 レヴァーナは片膝を付いてしゃがみ込み、胸に手を当てて目を閉じた。そして十数秒そのままでいた後、目を開けて立ち上がる。
「モテるな、キミは。色んな人から羨ましがられて、妬まれて、救いを求められて」
 微笑して言いながら、レヴァーナは更に隣の墓石へと移った。
「茶化すな。そんなことでモテても全く嬉しくない」
 私は口を尖らせて言いながらレヴァーナの後ろに続き、隣りに立つ。そして彼と同じようにして、花束の添えられた墓石に祈りを捧げた。
「そうだよな。キミ一人にそんな一度に押しつけられても困るよな。しかし心配することは全くないぞ、メルム」
 自信満々に言い切って立ち上がり、レヴァーナは腕組みして大きく胸を張る。
「この俺がいつでもキミを支えてやるからな! 俺はキミのパートナー! 辛くなったらいつでも寄り掛かってこい!」
 このバカは……。相変わらず人のことばかりで自分の心配をしない奴だな……。
「お前の方こそ無理するな。いくらお前でもそんなすぐに気持ちの整理ができるほどタフじゃないだろう? だから、たまには……」
 ソコで私の言葉は止まってしまった。
「た、たまには……」
 喉の奥まで来ているのにソコから先に進まない。
「た、た、たまに、は……」
 あークソ! どうして続かないだ! コイツか! コイツの電波が私の発言を妨害しているのか!? 何と忌々しい! 実に不愉快だ!
「ふ……甘いな。俺はいつまでも暗い過去に縛られているような男ではないのだよ。何と言ってもこれからはジャイロダイン派閥のトップとして多くの人間を支えていかなければならないからな。そこにキミくらいのチンチクリンリンが入り交じったところで何の弊害もない!」
「チンチクリンで悪かったな!」
 私は思わず大声を上げ怒鳴りつけてしまう。
 あークソ……他の人が見てるじゃないか、恥ずかしい……。
 全く、どうしていつもこうなってしまうんだ……。
「じゃあようやく決心した訳だ。ついこの前まで『こんな形では納得できん!』とかゴネてたじゃないか」
 私は溜息混じりに言いながらレヴァーナに背を向け、モノクルの位置を直した。
「そう。俺がトップになるのは母上を越えたことを自他共に認め認められた時だと思っていたからな。しかし! 父の遺言ではしょうがあるまい! コレを謹んで受けずして何が漢か!」
「遺言んー……?」
 レヴァーナの言葉に私は疑いの眼差しを向けながら聞き返す。
「お前の父親の死は原因不明だったんじゃないのか? ならどうしてそんな……」
「コレを見ろ!」
 私の喋りに被せるようにして叫びながら、レヴァーナは一通の白い封筒を私の方に突き出した。
「母上の遺品を整理していた時、出てきた物だ」
「ラミスの……?」
 私はソレを受け取り、中に入っていた文書に目を通した。

『私は一時的な気の迷いにより、決して許されない罪に手を染めてしまった。妻の死は、私が原因である』

 達筆な文字で、文章はいきなり衝撃的な内容から始まっていた。

『レム草から抽出したエキスを三日間煮詰めた後、低温で一週間放置すると白い結晶ができる。ソコに含まれた毒を私は妻の食事に混ぜた。申し開きをするつもりはない。例え医者に余命僅かだと知らされていたとしても、私が自らの手で妻を死に至らしめた事実は変わらない。全ては、私の弱い精神が原因だった』

 予想は、できていた。レヴァーナの父親の遺品の中から毒物が見つかった時点で、そうではないかと思っていた。しかし――

『だから私はこの命をもって罪を償わなければならない。妻と同じ死に方で』

 自殺……。

『こんなことで全ての罪が消えたなどとは決して思わない。だが、私にはこれ以上生き恥を晒しているだけの気力もない。本当に、弱い人間だと思う。
 私の跡は長男であるレヴァーナに継がせる。ジャイロダインの全権限及び遺産はレヴァーナに託す』

 そうか……そういうことか。ラミスはコレが人目に触れる前に読んで、そして隠したんだ。でなければ自分がジャイロダイン派閥の権限を握れないから。人生の全てを掛けた目的を達成することができないから。

『すまない、レヴァーナ。お前に全てを押しつけてしまって。お前は私達の誇りだ。自慢の一人息子だ。皆からの人望の厚いお前なら、きっと上手くやっていけると確信している。だから自分自身の力を疑わずに信じて、お前はお前が正しいと思ったことをして欲しい。
 ラミス、短い間だったが一緒にいられて良かった。だが、やはり許された間柄ではなかった。最後に身勝手なことを言って本当に申し訳ないが、どうかレヴァーナを支えてやってくれ。

 【ルーク=ジャイロダイン】』

 ラミスは恐らく、コレを見て自分がレヴァーナの父親を追いつめたのだと思ったんだ。だからレヴァーナに毒薬を見せられて問い詰められても、何も答えなかった。直接関わらなかったとしても、自分が殺したようなものだと考えていたのだろうから。
「父は、母をできるだけ苦しまない方法で弔ったんだ。眠っている間という最も苦痛の少ない時を選んだ。病魔に冒されて死ぬよりも、ソチラの方が楽だと考えたんだ。しかし、そのことに耐えきれなくなって自殺した」
 私に言わせれば、あまりに無責任すぎる。いくら辛くても、死ぬことはなかったんじゃないのか……? 実直で真面目な性格だったらしいが、それ故に自分の僅かな破綻も許すことができなかったのだろうか……。
 だがラミスが殺したのではなかった。だからコイツはこんなにも吹っ切れて……?
 いや、そんなはずない。むしろラミスを疑っていた自分を責め、そして無実だった母親を失ってしまったことで精神的な拠り所をなくす。
 コイツはそういう奴なんだ。じゃあ、やっぱり無理をして……。
「実に潔い良いではないか! さすがは俺の尊敬する父! そして母上も見事な最期だった! きっと悔いなど全く残っていないだろう! 天上界でヴァイグルと幸せに暮らしているさ! ふははははは!」
 わざとらしく頷きながら、レヴァーナは大声で笑いを上げる。
 このバカ……空元気なのが見え見えだ……。
「レヴァーナ……あの――」
 突然、体が痛いほどに締め付けられた。
「レ、ヴァーナ……?」
「少し、このままで良いか」
 レヴァーナは身を低くして私の体を抱き締め、自分の顔を見せないように俯いていた。肩が震えている。あんなに大きくて力強かったレヴァーナが、今は一人取り残されて泣いている子供のように頼りなく見えた。
「ああ……。好きなだけこうしていろ」
 レヴァーナの逆立った髪の毛を優しく撫でてやりながら、私は微笑を零す。
 ようやく、コレで一つ借りを返せた。
 コイツにはずっと支えられてばっかりだったからな。たまにはこうしてくれると安心す――
「ちょ、だーから押すなって……!」
「ハウェッツ君ばっかりずるいー!」
「あらあらあらあらあら、まぁまぁまぁまぁまぁ。若いっていいわねー」
 ――る、って……!
「何やっとんじゃお前らはー!」
 ガンホルダーから二挺拳銃を素早く抜き取り、私は声が聞こえた太い樹の幹を連射で打ち抜く。
「む……どうかしたのかメル――」
「お前もとっとと離れんかー!」
 そしてレヴァーナの顎を真下から蹴り上げた。
 大きくのけ反り、ゆうに二呼吸の滞空を経てレヴァーナは背中から地面に打ち付けられる。 
「むぅ……数秒前に『好きなだけこうしていろ』と言ったばかりなのに、この手の平の返しようはどうだ……」
「空耳だ! お前の耳が腐っとるんだ!」
「園長先生見てください。アレが先輩の秘奥義、『ツンデレ』です」
「まぁまぁまぁまぁまぁまぁまぁ、何だか長生きできそうな気がするわ」
「っほぉ〜。俺も間近で見んのは初めてだな」
「貴様らー!」
 私は銃を投げ捨て、白衣のポケットからドールを取り出すと両手に亜空文字を展開させた。一瞬にして竜型と虎型の二体のドールが真実体となる。
「さぁ、誰からあの世に送って欲しい……。今なら埋葬まで済ませてやるサービス付きだ……」
 私は自分でも聞いたことのないような声を発しながら、木の陰から覗き見していた奴等にゆっくりと近付いていく。
 他に来ていた人達が後ろの方で悲鳴を上げながら逃げていくがそんなものどうでもいい。今はこの馬鹿共を……。
「ヲハハハ。相変わらず元気いいねぇ、嬢ちゃん。少しはコッチの姫さんにも分けて欲しいモンだな」
 三人の更に後ろから、明るく野太い声が聞こえてきた。
「何の用だ。今取り込み中だ」
 私はターゲットから目を離すことなく、声の主に短く返す。
「ヲイヲイ、王宮の許可なくドールを使えば罰せられるって、この前決まったばっかりだろ。忘れたのかよ」
 しかしリヒエルは全く意に介することなく、脂肪のたっぷり付いた重そうな体を私の目の前に持って来た。
「知らん。忘れた」
「ヲイヲイ……そういうところは最初に会った時からちっとも変わってないよな。姫さんからも何とか言ってやって下さいよ」
 リヒエルはだらしなく伸ばした髪の毛をイジリながら、視線を自分の背後へと向け――
 姫さん……?
 急に体から熱が引いていった。
「ソコにいるのか? ミリアム」
 この二ヶ月ちょっとの間、部屋から一歩も外に出ることなく過ごしてきたのに……。
「こん、にちは……。姉さん……」
 か細い声と共にリヒエルの後ろから姿を見せたのは、確かに紛れもなくミリアムだった。
 私と同じように紫色の髪の毛を頭の上でお団子に纏め、純白のワンピースに身を包んでいる。足には真っ赤なパンプスを履いていた。
「お前……外に出て平気なのか……? 別に無理しなくてもゆっくり……」
 ミリアムは私の言葉に、はにかんだような笑みを浮かべながら前に出て、
「ありがとう、姉さん。けど……もう大丈夫よ。大分、落ち着いたから……」
 柔らかい表情で言った。
「そっか……」
「それに、いつまでもジェグに顔を見せないわけにはいかないでしょ?」
 言いながらミリアムは私の隣を通り過ぎ、その後ろにあるジェグの墓石へと近付く。そして首から下げていた翡翠の正八面体を取ると、ジェグの名前が彫られた隣りにそっと置いた。
 ミリアムは胸に手を当てて目を瞑り、ジェグに祈りを捧げる。
 それは時が止まったかのような長い長い祈りだった。その間、誰も何も言わず、ただじっとミリアムの華奢な背中を見つめている。そして十分近くにも及ぶ黙祷を終え、ミリアムはようやく顔を上げて立ち上がった。
「姉さん……」
 ミリアムは私の前まで来て両手を下で合わせ、
「ジェグのこと、どうもありがとう……」
 深々と頭を下げた。
「彼が笑って逝けたのは、全部姉さんのおかげ。ジェグを幸せにしてくれて、どうもありがとうございました」
 言い終えてまた頭を下げる。
「随分と変わったな、お前も。そして強くなった」
 大切な者の死を、こんなにも早く受け入れるなど私では絶対にできない。きっと何年間も引きこもってる。だから私は、大切な者を失う前に大切だと気付けて本当に良かった。
「そうじゃないとジェグがまた言うこと聞いてくれなくなっちゃうからね」
 ミリアムは少しぎこちなく笑い、そして溜息をついた。
「アタシ、父さんにも謝らないと……」
 辺りを見回し、ミリアムはヴァイグルの名前が彫られた墓石を見つけると静かに歩みよる。そして胸に手を当てて瞑目し、また長い黙祷を始めた。
《いえーぃ! もうもどっていーぃ?》
《ポケット、ポケットー!》
 足元でした声に私は視線を下げる。いつの間にか小さな封印体に戻っていた二体のドール達が、跳びはねながら甲高い声を上げていた。
「しっ、静かに。ほら、中で寝てていいから」
 私は立てた人差し指を口元に持っていって二人を黙らせ、ポケットを広げて中に招き入れる。
「まったく……」
 まぁ、この子達に空気を読めっていう方が無茶なんだけど……。
「相変わらず、ソッチの方も元気いいねぇ。けど結局分からずじまいなのかい? ハウェッツみたいに完璧なドールを作る方法はよ」
「何だお前。まさか私が補ってやった生体パーツに不満でもあるのか」
「いいぇいいぇ! 滅相も御座いません! メルムお嬢様にあられましては、下賎な身でありますワタクシなどのためにご尽力いただき、このリヒエル=リヒター幸甚の極みでありまする」
「次にその気持ちの悪い喋り方をしたら生体パーツにお前を喰わせるぞ」
「こりゃあどうも悪ふざけが過ぎたようで……」
 へっへ、と媚びた笑みを浮かべながら後ろ頭を掻くリヒエルに、私は冷めた視線を向けて嘆息する。そして身動きせずに祈り続けているミリアムを見ながら、私はモノクルの位置を直して口を開いた。
「多分、私がドールと人間のハーフだからだよ」
「へ?」
「こういう特殊な体で生まれてきたから、ハウェッツみたいなドールが生み出せたんだ」
「どういうことだ……?」
 別に裏付けがとれた訳じゃない。ただ単に私の推測に過ぎない。けど、こう考えれば辛うじて辻褄は合う。
「つまり私は人間とドール、両方の特性を持っているということさ。ドールから生まれたドールは僅かながらに感情を持っている。だから私が生み出すドールはみんな最初から笑ったり喋ったりできる。けど当然ながら私にも感情がある。だからお前や……その、父さんのように自分自身で感情を補う必要がない。体を腐らせて力を得なくとも、私が力を与えてやれるからな。こうしてハウェッツのように感情を持ちながらも、マスターの亜空文字によって真実体になれるドールが完成する。さらにハウェッツは封印体でもある程度力を出せた。ドールからの攻撃を受け止めたり、体当たりで打撃を与えたり。これは私のドールとしての特性に起因してるんだろうな。つまり言ってみればハウェッツは、お前みたいなタイプのドールと一般的なドールの特性を半分ずつ持ってるってことさ。私が亜空文字に触れても真実体にならなかったり、精神ショックを受けなくても感情があったり、年をとったりするのは人間の特性、感情が不安定になったり、時々冷徹になるのはドールの特性。私も半分ずつだから、生み出すドールも半分ずつ。多分、こんなところでしょ」
 淀みなく並べ立てる私の言葉に、リヒエルは一つずつ感心しながら納得したように頷いた。
「ほへー、なるほどねぇー。するってーと、ハウェッツみたいになるには嬢ちゃんから生まれないと駄目なわけで、後からどんだけ努力しようが無理ってことか」
「まぁあくまでも私の仮説だけどね。ガッカリした?」
「うんにゃ、綺麗サッパリ諦めがついた」
「そぅ」
 人なつっこい笑みを浮かべて、リヒエルはアゴ下に生えた無精髭を手の平で撫でつける。
「けどよ、何でそんなややこしいことになったんだ? 教総主の奴がソコまで狙ってたとは思えねーけどな」
「間違いなく偶然でしょうね。ドールから生まれるのはドールだけっていう固定観念があったでしょうから。けど、確かに私達はドールとドールから生まれはしたけど、生み出す方法が人間と全く同じだったでしょ? きっとソレで半分は人間になっちゃったんだと思うわ。勿論仮説だけどね」
「っへーぇ! スゲー大発見じゃねーか! アカデミーで発表したらあっと言う間に時の人だぜ! 嬢ちゃん! ひょっとしたら歴史に残る大偉業になるかもよ!」
「静かにしなさい。ミリアムの邪魔よ」
「お、おぉ……悪ぃ」
 言われてリヒエルはまた後ろ頭を掻き、低姿勢で言葉を静めた。
「言っておくけど、私はそんなこと研究するつもりなんかないわ」
「え? 何で?」
「して誰かの役に立つの? どうせまた強力な兵器にしようとか考える下らない連中が出てくるだけよ。ソレに人間とドールのハーフなんて、差別とか迫害とかそういう面倒臭い問題も沢山出てくるわ。それならやらない方がましよ」
「そ、そっか……何か残念だな……。凄いことが分かったような気がするんだが……」
「変なこと喋ったら生体パーツに喰わせるからね」
「へへー」
 声を低くして言った私に、リヒエルは大袈裟に土下座して平謝りした。
「お待たせ……って、あら? リヒエル、何してるの?」
 祈りを済ませて戻って来たのか、ミリアムが目を少し大きくして、地面に額をこすりつけるリヒエルを見つめていた。
「きっとアレが得意技なんてしょ、根回し上手いみたいだから」
 私は皮肉たっぷりに言ってやる。
「じゃあ帰りましょうか。私一人で来たのに、まさかこんな大所帯になるとは思わなかったけど」
 ミリアムに肩をすくめて見せながら私が歩き出した時、
「先輩はまだダメですよー」
 ルッシェが目の前に駆け寄って来て肩を押さえながら言った。
「ほらほら、まだ先輩に言いたいことある人がいるみたいですら。帰るのはわたし達だけで。ねっ」
「お前は肝心なこと済ませてねーだろ。もう絶対に邪魔したりしねーからよ」
 更にハウェッツまでもがルッシェの主張に加わったかと思うと、彼女の肩に乗って広場を出ていってしまう。
 な、何だ……?
「そうそうそうそうそうよー。メルムさんー。一度きりの青春、悔いの残らないように全力でぶつかってねっ。乙女組リーダーとして応援してるわっ」
 お、乙女組て……。そんなモンいつの間に結成したんですか、園長先生……。
 ……って、行っちゃった。
「あー、なるほどな。こりゃ確かに中途半端だ。さ、姫。俺達はとっとと帰って『エッグ・コロシアム』でもして遊びましょう」
「え? でもリヒエル……」
「いーからいーから」
 どういう訳かリヒエルとミリアムまでもが私を置いて退場してしまう。
 後に残されたのは私と、そして何を考えているのかよく分からないがとにかく難しい顔をしているレヴァーナ。
 ――って、オイ。アイツらまさか……。
「お前ら……!」
「メルム」
 叫んで走り出そうとした私を、レヴァーナの真剣な声が止めた。
「キミに言っておきたいことがある」
「へ……?」
 思わず声が裏返ってしまった。
 レヴァーナの方を見る。彼はどこか思い詰めた表情で、真っ正面から私を見つめていた。
「な、なに……?」
「あのな、メルム」
 レヴァーナが一歩私に近寄る。
 ちょ、ちょっと待って……! なにナニ何なに!? 何なのよ! この展開!
 コイツまさか! こんな所で……!?

『男と女は二人きりで見つめ合い、そして男の方から――』
 ○「死相が出てるぞ」
 ○「拾い食いでもしたのか?」

⇒○「俺と、ずっと一緒に――」

「さっきから喋り方おかしいぞ。何か変な物でも食っ……」
「二番かあああああぁぁぁぁぁぁ!」
 私のガゼルパンチがレヴァーナの顎先に突き刺さった。
「悪かったな! 最近油断するとああなるんだよ! どーせ私には男口調の方がお似合いだ! お前の前では特に気を付けてやるから感謝しろ!」
 中指をおっ立てて、私は地面に沈み込んだレヴァーナに向かって叫び散らす。
 バカ! バカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカ!
 人の気持ちも知らないで! コイツはいつもバカなことばっかり!
 あークソ! 喉の奥から叫んだから痛くて涙が出てきたじゃないか! 全部このバカのせいだ!
「うーむ……どうやら最近またツン期にシフトしてしまったようだな。あの凄まじい戦いを愛と友情と努力で乗り越えて、かなり距離が近付いたと思ったんだが……残念だ」
「巨大な勘違いするなよ! アレは単なる成り行きだ! 成り行きでお前を助けて、成り行きでお前を元気付けて、成り行きで一緒に戦っただけだ! 私はお前なんか大嫌いなんだよ! よく覚えとけ!」
「そうか。これは失敬。ならば考え方を修正せねばならんな」
 レヴァーナは体についた泥を払いながら身を起こし、殴られた顎を軽くさすった。
 だからお前はどうしてムカツクくらい素直なんだ! 
「ま、ソレはひとまず置いといて、だな。本当に聞きたいことは別にあるんだ」
「ふんっ! どーせどうでもいいことですよ!」
 お前にとって私は所詮その程度の存在だったというわけだな! あの時口走ったのは本心からじゃなかったんだな!
「そうふてくされるな。別にそんなこと言ってないだろ?」
「うるさい!」
「やれやれ……。じゃあそっぽ向いたままでいいから聞いてくれ。あのな、そろそろキミの居住地区の申請を行わなければならなくなった」
 はいはい。だから何だ? どーせどーでもいいんだろ。
「色々とゴタゴタしていてすっかり忘れていたんだが、特定住所を持たないで三ヶ月以上経った場合、王宮が自動的に住所未確定者と認定してしまうんだ。こうなると市民権が失われるから、国からの色んな援助を受けられなくなる。公共の施設を利用できなるし、医療機関も使えない。当然、働くことなんかできない。もしそうなった場合、他の国に移住届を出すか、ココで住所を確定させた後に再度ライセンスを交付して貰うしかない訳だが……どちらも非常に時間が掛かる。ほら、キミは自分の家を教会の連中に壊されて宿屋に止まったり俺の所で寝泊まりしたりしてただろ? あの時からカウントされてるからそろそろ三ヶ月になるというわけだ。リヒエルがそう言ってた」
 ……役人共め。下らないところだけはしっかり働いてやがる。
「だから面倒なことになる前にキミの住所を確定させてライセンスを更新しなければならない訳なんだが……」
 確定、ねぇ……。
「ココでキミに二つの選択肢が与えられる。一つ目は家を元通りにして郊外に住むこと。まぁキミが別の場所を望むならソレでもいいが。資金については俺の方で負担するから心配しなくていい。で、二つ目は取り合えず今まで通り、館の一室で暮らすという方法。まぁキミがもっと豪華な場所がいいというのなら、できるだけ希望に沿えるよう努力するが。どっちがいい?」
 レヴァーナは淡々と説明し終え、軽く両手を広げて私に回答を促す。
 どっちがって……お前……。
「決まってるだろう。せっかくお前がトップになったんだ。金に物言わせてバカデカイ家でも作ってもらおうか」
「だよなぁ。分かった。聞きたかったことはソレだ――」
「と言いたいところだが」
 私は咳払いを一つしてレヴァーナの方に体を向け直した。
「お前が決めろ」
「は……?」
 私の言葉にレヴァーナは口を半開きにして間の抜けた声を上げる。
「お前が決めろと言ったんだ! 二度も同じことを言わせるな!」
「え……いや、でも。別に俺が決めることでは……」
「うるさいな! お前は私のパートナーなんだろうが! 大体お前は……! 私を……!」
 本当はどう思ってるんだ!

『キミがドールだろうが何だろうが俺にとってかけがえのない存在であることには変わりないんだからな!』

 あの時の言葉は、私を一時的に励ますだけの軽い物だったのか……?
「確かにパートナーではあるが……俺はキミのご主人様というわけではないしなぁ。やっぱりこういうのは自分で決めた方が……」
「主でも変態でも電波でも何でもいいからお前が決めろ!」
「何やら関係のないキーワードが……」
「早くしろ! お前にとってはどうでもいいことかもしれないが、私にとっては凄く重要なことなんだ!」
 あー、もぅダメだ……。このバカの顔を見ることができない……。
 コイツがモタモタしてるからいけないんだ。モタモタしてるから……余計なことを考えてしまうんだ。私は一人で考えるといつも悪い方に進むって、お前が言ったクセに……。
「全くもってどうでもいいことなんかじゃないぞ」
 俯いた私の頭の上から、低く、真剣な声が降ってくる。
「俺にとっても重要なことだ」
「え……」
「キミの今後を俺が決めてしまってもいいというのなら、迷うことなど何もない」
 レヴァーナは私の両肩にそっと手を置き、
「館で暮らすか」
 微笑を浮かべてハッキリと言い切った。

『レヴァーナ=ジャイロダインとメルム=シフォニーの関係は――』
 ○友達。
⇒○恋人。

 ○高貴なご主人様と下賎な奴隷。

 コレも、二番に……?
 顔に熱が集まってくるのが分かる。もう頭がバグってしまって何が何だかよく分からない。
「ソレって……どういう、意味……?」
 そしてアタシは掠れた声で聞いた。
「キミは俺の大切なパートナーだ」
「うん……」
 体が宙に浮いたようになる。
「キミは俺にとってかけがえのない存在だ」
「うん……うん……」
 目の前がぼやけてきた。
「でも面倒なものは面倒なんだ」
「う……ん?」
 今、なんて……?
「家一つ建てるのは結構な手間なんだよ。それに今からじゃ住所が確定する頃には三ヶ月以上経ってしまっているだろうから、どうせライセンスも再取得することになるしな。そうなるとまた手間も金もかかる。いやぁ、キミが奇特なことを言ってくれて本当によかった。あっはっは」
 コ、イツ……は……。
「それに、キミを一人で放っては置けないからな」
「ついでみたいに言うなー!」
 私のリバーブローがレヴァーナの後背部にめり込んだ。
 何だ! 何なんだコイツは! 一瞬でもときめいてしまった私が馬鹿みたいじゃないか!
「い、良いパンチだ。手首のひねり方、体重移動のさせ方、申し分ない……。さすがは俺がパートナーと認めた女性……」
「そんなモン褒められても嬉しくない!」
 もぅいい! 全部どーだっていい! こんなの奴のことなんか綺麗サッパリ忘れて、この先ずっと一人で生きてやる!
「メルム! 待ってくれ……!」
「気安く触るな!」
 うるさい! うるさいうるさいうるさいうるさい! もう決めたんだ! 今さら何を言ったって……!
「好きだ」
 何を……!
「結婚しよう」
 言った……て……?
「俺と、ずっと一緒に暮らしてくれ」
 え……? え、ぇ? え? え? え? え? え?え?え?え?え?え?
「愛してる」
 えーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!?

『ええエエェェええ、ええええええええ。えええええ?』
⇒○えーえええ!
⇒○えぇえぇ……ぇぇェええええ――

⇒○エエェエエエエ!?

「ちょ……な……」
 い、いきなり、何言っとんだ……コイツは……。
「ふー、何とか言えたか……。予想以上に勇気がいるモノだな」
 レヴァーナは顔を真っ赤にして、額から病的に流れ落ちる汗を手の甲で拭う。
 いつも恥ずかしいセリフを何の臆面もなく垂れ流しているコイツがこんな顔するなんて……。
 ひょっとして、バカなことばっかり言ってたのはコイツなりの照れ隠し……? いや、まさか、そんな……でも……。
「さ、さぁ、次はキミの番だぞ。答えを聞こうか……」
 言いながらレヴァーナは、ただでさえ攻撃的な双眸を更につり上げてそっぽを向いてしまう。その仕草があまりに新鮮で、初々しくて、可愛らしくて、アタシは思わず――
「ぷっ……」
「な、何だ! 人が真剣に告白したというのに! その態度は!」
「あ、ご、ごめんね。そんなつもりじゃ……でも、あはははははは!」
「き、キミという奴は……!」 
 全く、このバカで変態で電波で強情でとてつもない仕掛け人は……。
 ホント、笑わせてくれるじゃない。今度は笑いすぎて、涙が……。
「レヴァーナ……」
 アタシは一通り笑い倒した後、目元を拭いながら彼に話し掛けた。
「な、なんだっ」
 レヴァーナは私から目を逸らしたまま、ふくれっ面で返す。
「返事、するわ」
 その言葉に、彼の体が見た目にハッキリと分かるくらい震えた。そして私は大きく深呼吸をして、
「レヴァーナ=ジャイロダイン、貴方はアタシ、メルム=シフォニーの、お――」
「だーから押すなっつってんだろーが!」
「わたしも見たいー!」
「まぁまぁまぁまぁまぁ、せっかくの良いところが」
「姫、コレも社会勉強の一つですよ。ヲハハハ!」
「う、うん……」
 固まった。
 そしてギギギ、という軋んだ音を立てて首を九十度回し、
「き、さ……」
 二挺拳銃を取りだして、
「貴様らーーーーーーー!」
 頭が真っ白になった。
 何だ! 本当に何が何で何だかサッパリでコレは一体何なんだーーーーーー!
「やっべ……。アイツ本気だ……」
「あ、飛ぶなんて卑怯よ!」
「あらあらあらあらあらあら。百までは生きないといけないのに」
「潮時、だな」
「アタシも、いつかあんな風に……」
「待たんかコラーーーーーーーーー!」
 許さん! 絶対に許さん! 一人残らず血祭りに上げてやる!
 アタシは白衣のポケットからドールを取り出して両手に亜空文字を展開させ――
「待つのはキミの方だ! 俺はまだ答えを聞いてないぞ!」
「うるさい! 今忙しいのよ!」
「しかし……!」
「あーもー! 取り合えずアンタんトコに住むってことで申請しておきなさい!」
「ソレは告白を受け入れたと解釈していいんだな!」
「勝手にしなさい!」
「よし! 勝手にさせてもらうぞ!」
 全く! このバカは本当に大バカなんだから!
 普通あそこまで言ったら分かるってモンでしょうが! この鈍感! 変態! 唐変木!
 アタシをこんな風にしたくせに、今さら一人で放って置くなんて無責任なことするんじゃないわよ!
 ……でも、まぁ……その方がアンタらしいわ。アンタがそんなだから、アタシも一緒にいて安心できる。だから、アンタはずっとそのままでいなさい。

 アタシのそばで、いつまでもね――

 The END
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