人形は啼く、主のそばでいつまでも

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  Level.7 『気持ちは分からなくもないが……』  

 レヴァーナとルッシェが戻って来たのは昼を少し過ぎた頃だった。時間にして一時間弱と言ったところか。随分と長い買い物だ。
 ま、どうせ二人で姑息な打ち合わせでもしていたんだろうがな。
「ちゃんと大人しくしていたか? メルム」
 買ってきた物が入っているのだろう紙袋を窓際のテーブルに置きながら、レヴァーナはいつもと変わらない表情で話しかけてくる。
「骨が折れてるんだ。じっとしているしかないだろ」
 私はベッドの上に上半身だけを起こして素っ気なく返した。バルコニーの枠に止まったハウェッツが、レヴァーナ達には見えない角度から『良く言うぜー』的な視線を向けてくる。羽根ペンの材料に決定だな。
「そうか。顔色も大分良くなったみたいだな。熱は下がったか?」
「みたいだな」
 いつの間にか熱は引いていた。やはり風邪を治すには、平気な顔をして動き回るに限る。
「グローサリーのおじさんがオマケしてくれたから果物沢山買ってきましたよ。風邪は治りかけが肝心ですから、ビタミン沢山取って下さいね」
 言いながらルッシェは、オレンジやリンゴを自分のベッドの上に広げた。
 なるほど。ソレがお前の特殊能力で手に入れた戦利品という訳だな。これからは心の中でダブルフェイスの称号を付けて呼んでやろう。
「ところでメルム。キミに言わなければならないことがあるんだ」
 早速きたか。
 私のベッドのすぐ隣りに椅子を持ってきて座り、レヴァーナは逆三角形の攻撃的な視線を向けてくる。
 さぁ、どんな話術を使って私をラミスに会わせる気だ。
 ありえない条件を先に提示してソレよりはましだと思わせるつもりか。それとも絶対に選びようのない選択肢を他に並べ立てて、あたかも私が自分で納得して選んだかのように持っていくつもりか。もしくは悲劇を語って同情を誘う作戦に出るか。
 どれを使うにせよ、生半可な交渉術では私の心を動かすことなどできんぞ。
「キミを母の所に連れて行く」
 直球ド真ん中だった。
「な、な、な……に?」
 壮絶な肩すかしを食らったせいで、危うく顎が外れそうになる。
 窓の外ではハウェッツの体が階下に吸い込まれていくのが見えた。
 い、いかん。冷静さを保たねば。私は今この話を初めて聞いたことになっている。それらしい反応をするんだ。
「お前、自分が何を言っているのか分かってるのか?」
「無論。男に二言はない」
 本当に何を言ってるんだコイツは。
「今の状況をよく考えるんだ。母に利用された方が身のためだぞ」
 人間の言葉を一から教え直すしかないようだな。
「あ、あの、先輩……! レヴァーナさんは本気なんです! 珍しく本気でよく考えて出した結論なんです!」
 お前も容赦ないな。
「その通り!」
 いいからツッコめよ。
「愛と努力と友情を持って勝利するには、この方策が一番だということがキミには分からないのか!?」
「さっぱりだな」
 逆立った髪の毛を炎のように揺らして熱くなるレヴァーナに、私は凍えた視線を向けて返す。
 やれやれ、これじゃ身構えていた私が馬鹿みたいじゃないか。
 まぁ、レヴァーナが器用な喋りで攻めてくると考えていた私にも落ち度はあるのだが。
「ふ……まぁキミを口で説得できないことくらい最初から分かっていたさ」
 レヴァーナは椅子から立ち上がると窓際のテーブルに歩み寄った。
 いや、全然説得してないだろ。というか最初から説得する気なんかないだろお前ら。
「だが、コレを見ても冷静でいられるかな?」
 レヴァーナはテーブルの上にあった紙袋を持って私の方に戻ってくる。鮮やかな色彩の菱形がいくつも描かれた、かなり凝ったデザインの袋だ。妙な高級感が滲み出ている。
 どうやら高級食料品店の紙袋のようだが……。
「さぁとくと拝め! コレが欲しくば俺の言うことを素直に聞くんだ!」
 紙袋に力強く手を突き入れたかと思うと、レヴァーナは中の物体を頭上に掲げて片足立ちのポーズを取った。バックではルッシェが、あらかじめ用意していた紙吹雪を散らして幼稚な演出をしている。
 ……まさかソレを作るために時間を食った訳じゃないだろうな。
「何だ、ソレは」
 私は半眼になってレヴァーナが手に持っている物を見ながら、長い紫の髪を梳いた。
 なんかどうでも良くなってきたな。
「コレは完全有機栽培で育て上げた国産果実だけを、世界一のシロップマイスターと謳われた巨匠のブレンドした糖蜜に浸し、特殊無菌樽で寝かせること一年! 風味や香りは勿論のこと、色、形、弾力等、数々の高いハードルを越えてきた物のみを金製の缶に詰めてでき上がった――」
 そこで言葉を切り、レヴァーナはポーズを変えてブツを私の目の前に突き出しながら叫ぶ。
「伝説の桃缶だ!」
「おおおおおおぉぉぉぉぉぉ! 凄いです! ハンパないです! 最強伝説勃発です! まさしく愛! 努力! 友情! 勝利! です!」
 後ろからルッシェの歓声と惜しみない拍手が届く。
 この子もだんだんレヴァーナ化してきたな……。
「さぁどーだ! コイツが食いたいだろう! 食いたいよな! 食いたいに決まってる! いいから食いたいと言え!」
 ……なんか急激に食欲が失せていくんだが。
「……で?」
 私は金色に光り輝く桃缶に冷めた視線を向け、溜息混じりに呟いた。
「いや……『で?』って……。食いたくはないのかー?」
「まさかソレが奥の手という訳じゃないだろうな」
「ふ……もし『そうだ』と言ったらキミはどうする」

『「そ、ソレがお前の切り札か……」「その通り」「なら――」』
 ○「俺の負けだ……」
 ○「この勝負もらった!」

⇒○「耳の穴から味噌を補充してやろう」

「ど、ドールを持ち出して何をする気だ!」
「いやなに。ちょっと痛いかもしれんがすぐに終わるし、お前の頭も今よりはマシになる」
 私は枕元に置いてあった【フェム】を手の上に乗せて、亜空文字を――
「ま、待て! 実は更なる奥の手があるんだ!」
「ほぅ……」
 私の目を見て本気だということが分かったのか、レヴァーナは両手を前に突き出して待ったのポーズを取った。
「まぁコレは偶然の副産物というか、最終兵器というか、俺達の明日はどっちだって感じなんだが……」
 顎下に手を当ててレヴァーナは何やら考え込むように言い淀む。
「何だ。ハッキリ言ってみろ」
 その内容次第で補充する量を決めてやる。
「うむ。実はな。この桃缶を買ったおかげで――」
 レヴァーナは神妙な顔付きで言ったかと思うと、無意味に胸を大きく張って、
「路銀が尽きた!」
 クワッ! という効果音の書かれたボードがレヴァーナの背後から生えた。
 ルッシェ……お前本当に何をして――
「――て、おい……。ソレってまり……」
「うむ。今日の宿代を払えなくなった!」
「威張るな!」
 あ……肋骨が……。
「だ、大丈夫ですか!? 先輩!」
 お前には大丈夫そうに見えるのか? 色々含めて。
「と、いうわけで、ココの主が追い出しに来るのは時間の問題というわけだ。だから母の所に行かないのであれば野宿しかないぞ」
「先輩! ソレは絶対お肌に悪いです!」
 何だこの馬鹿げた展開は……。脅迫するにしてももっとマシなやり方を思いつかなかったのか? ああ、そうか……コレは考えて行動した結果ではない。このバカがやりたいことを本能の赴くままやったがために起こった偶発の事態なんだ。
 私は痛み始めた頭を押さえて深く嘆息した。
 コイツは最初から深くなんか考えちゃいない。単に母親と、そして私のことを心配して、とにかく何とかしようとしているだけだ。
 自分なりのやり方で。真っ直ぐに。

『俺は、そんなことでメルムを失いたくない』

 あの言葉はきっとレヴァーナの口から自然に出た物なんだろう。だが私はどこかでアイツを疑っている。ひょっとしてラミスの命令で動いているのではないかと思っている。
 コイツがそんな器用なことできるはずないと思っていても、やはりどうしても不純物が混じる。また騙されて、裏切られるんじゃないかと考えている私がいる。
 できれば取り除きたい。いや、取り除かなければならない。
 その不純物を。なぜなら――
「レヴァーナ」
 私は抱えていた頭から手を放し、顔を上げてレヴァーナを見る。
 コチラを見つめる鈍色の瞳には曇りなど一点もなく、いつも以上に真っ直ぐで迷いがない。
「先に言っておくが、気に入らなかったら私はすぐにでも出ていくからな」
 ――パートナーなのだから。
 別に特別な意味はない。特別だが特別ではない。
 そう、ただ単にコイツを疑っていると肝心な時にハウェッツを任せられないからだ。ハウェッツの扱いだけ取れば、コイツは間違いなく私より秀でている。感情の強さも質もあつらえたように合致している。
 だからラミスに確認しに行く。お前がレヴァーナを動かしていたのかと。
 目的はソレだけ。ただソレだけだ。ソイツが済んでちょっとでも頭に来ることがあれば私は即出ていく。
 ……まぁ、レヴァーナには色々と金銭的に世話になったから少しくらいは我慢してやってもいいが。だがほんの少しだけだ。指先程度、いや毛先程度の我慢だ。ソレを越えればお終いだ。
 ……まぁ、またレヴァーナがバカな説得でもしてくれば、ちょっとだけ気が変わるかもしれないが。だがほんのちょっとだけだ。五センチ、いや一ミリくらい方向修正するだけだ。またすぐに元に戻る。
 ……まあ、それでもレヴァーナが――
 って、オイ……。
「な、何だ」
 信じられないといった表情でコチラをジッと見ている二人に圧倒され、私は思わず上擦った声をあげた。
「メルム、コレはまた一歩デレ期に足を踏み入れたと解釈して良いんだな?」
「違う!」
「先輩、そろそろ素直になった方が楽ですよ?」
「誰がなるか!」
 ああああ、ろ、肋骨が、ぁ……。
「ま、ともあれコレで本人の承諾も得られたことだし、早速向かうとしようか。メルム、おぶってやろうか?」
「い、いらん。歩くくらい一人でできる」
 私はベッドから這い出ながら、差し出してきたレヴァーナの手を乱暴に払いのけた。
 あークソ、変な汗をかいたじゃないか。実に気持ちが悪い。
「しかし全財産はたいた甲斐があったというものだな。めでたしめでたしというやつだ」
 ふん、そんな物だけに心を動かされたんじゃない。
 私はクローゼットの中から白衣をとりだして身につけながら、焼け落ちてしまった孤児院の姿を頭の中で思い描く。

『大切なモノがなくなってることを伝えるために、ね』
 
 ミリアムがどれほど私を憎んでいるかということは十分に分かった。そして私が全力で彼女を阻止しなければならないことも。
 そのためには力がいる。数がいる。権力がいる。
 どんなに考えても、私が最も嫌いだった物を頼る以外に方法が思い浮かばない。
 一人では限界がある。
 大切な物を失ってからじゃ遅いんだ。だから私の陳腐なプライドを差し出すくらいでソレが守れるのなら――
「はい?」
 突然したドアのノック音にルッシェが小さく返事をした。
「うーむ、絶妙のタイミングだな。きっとココの主だろう」
 妙なところに感心しながらレヴァーナはドアの前に行き、ノブを回して来訪者を迎える。
「お前は……」
 しかしすぐに驚いたような声が聞こえてくる。オーナーじゃなかったのか?
「やー、ぼっちゃん。探しましたぜ」
 しゃがれた軽薄な声。一度聞けば耳にこびり付いて離れない。
 私は白衣のボタンを止めるのをやめ、声のした方に顔を向けた。頬の筋肉が強ばり、剣呑な顔付きになっていくのがハッキリと分かる。
「リヒエル、どうしてココが」
「まー、こう見えても情報屋の端くれなんでね。自分の網くらいはそこら中に持ってますよ、ヲハハハ!」
 下品な高笑いを上げ、リヒエルはお腹の脂肪を揺らして自慢げに言った。
「サンタさん! どうもお久しぶりです! いつかはお世話になりました!」
 ルッシェはウェィブ掛かった銀髪を揺らしながらリヒエルに深々と頭を下げる。
「あーいやいや。こりゃまたご丁寧にどーも。ルッシェさんも元気そうで何よりです。ヲハハ」
「リヒエル=リヒター。ラミスの使いっ走りが何の用だ」
 私は声を低くし、殆どケンカ腰で言い放った。その声で初めて気付いたかのような素振りでコチラを向き、リヒエルは目を細めて人なつっこい笑みを浮かべる。
 全くわざとらしい。下手な芝居をするくらいなら、レヴァーナのように正面から堂々と来い。
「ヲヤヲヤ。コレは嬢ちゃん。知らない間に随分と賢くなったじゃねーか。ぼっちゃんに俺のこと色々聞いたのかい?」
「さぁ、どうだかな」
 私は意味ありげに口の端をつり上げて嘲笑を浮かべてみせる。
 本当は何も聞いていないに等しい。レヴァーナがコイツについて知っていたことと言えばフルネームと、ラミスのそばで働いていることくらいの物だった。
 だがコイツにわざわざそのことを教えてやる必要はない。コチラが何か手札を隠しているように思わせておけば――
「俺がメルムに教えたのはお前のフルネームと母のそばで働いているということだけだ」
 バカの背中に亜空文字を展開させた。
 感電したように体を震わせて床に突っ伏したレヴァーナを踏みつけ、私はリヒエルに詰め寄る。
「で? 何の用なんだ? その腹の肉でも切り売りに来たのか?」
「痛くない方法があるんなら大まじめに検討するんだがな」
 太い眉毛をイジリながら、リヒエルはスラックスのベルトを緩めた。
「先輩、サンタさんとお知り合いだったんですか?」
「下らないことさ」
 後ろから掛かったルッシェの声に、私は吐き捨てるように言う。
「あんときゃ水はしたたってたがイイ女じゃなかったよな。今の方がよっぽどマシな顔になったぜ、嬢ちゃん。ヲハハハハハ!」
「何の用だ」
 抜いた無精髭の一本を指先で弾きながら笑うリヒエルを睨み付け、私は苛立ちも露わに舌打ちした。
「ラミス様が嬢ちゃんを欲しがってる。戦況があまりにかんばしくないんで余裕がない。だから時間と手間の掛かることは一切抜きで、素直に頭下げてお願いに来たって訳だ」
「そうか! それは好都ご……」
 レヴァーナの頭を踏みつけ直し、私は冷めた目つきで腕組みした。
 まぁ、そんなことだろうとは思っていたが。
「そんな都合の良いお願いが通るとでも思っているのか?」
「通るまで居座るさ。何日でもな」
 最低なイヤガラセだな。トイレに住み着いたゴキブリさえ逃げ出していきそうだ。
 まぁいい……。
「で? 本人が来てないってのはどういうことだ? 誠意が感じられないな」
「ラミス様はジャイロダイン派閥のトップだ。この状況下で下手に出歩いて流れ弾にでも当たったらシャレじゃ済まされない。だから俺が代わりに来た」
「ならお前が頭を下げるのは当然だよな?」
「分かってる」
 私の言葉にリヒエルは即答し、目の間にひざまづいた。
「願いしますメルム様。どうかラミス様の所に来てやって下さい」
 そして躊躇うことなく頭を床にこすりつけ、詫びの口上を述べる。
「もっと他に言うことがあるだろう。お前が私にしたこと思い出せ」
「メルム様を姑息な手で陥れようとして申し訳ありませんでした。今後、こういったことは二度としないと固く誓い、貴女様をバックアップすることに全力を投じます」
「なら私にお前らの所のドールマスターの指揮権を与えると約束するか」
「はい。もとよりそのつもりでございます」
 リヒエルは一度も顔を上げることなく、土下座の体勢のまま言った。
「あの、先輩……もうそのくらいにしてあげた方が……」
 ルッシェが後ろから同情に満ちた声を掛けてくる。  
 ふん……まぁいい。まだイジメ足りないが取り合えず今はこのくらいで許してやる。それに、メインディッシュが残っているしな。
「こうまであっさり謝られると逆に気に入らないな。私は血反吐を吐くような悔しさにまみれた顔が見たいんだ。それに、お前は仕事だと割り切って頭を下げることくらい何でもなさそうだ。やはりラミス本人から詫びの言葉が聞きたいな」
「じゃあ、来てくれるんですね?」
 リヒエルはホッとしたような声で言って顔を上げた。
「キミは本当に立派なツンデレにな――」
 レヴァーナの頭を床に埋めて私はリヒエルに立つように言う。
「一つ教えろ。お前が今日このタイミングで現れたのは単なる偶然なんだな?」
「……と、言いますと?」
 言われた内容がよく分からないといった様子で、リヒエルは太い眉を顰めた。
 私がレヴァーナに“説得”されてラミスの所に行くと決めたとたんコイツが出てきた。作為的な物を感じるなという方が無理だ。 
 本当はずっと監視していて、迷いが出始めないうちにさっさと館に通してしまおうとか考えていたんじゃないのか? あるいは、この日に私をラミスの所に連れて行く予定だから、いざとなったフォローしてくれと打ち合わせをしていたとか……。
 ラミスとリヒエル、そしてレヴァーナは繋がっている……?
「何でもない。それじゃあ案内して貰おうか」
 私は自分の頭に浮かびかけた嫌な思考を強引に振り払い、リヒエルに外に出ろと顎でしゃくった。
 さて、ラミスがどうやって出迎えてくれるのか見物だな。

 第三ストリートの末端にあるジャイロダイン派閥の区画。
 こまごまとした建物がひしめき合っている他の区画と違って、一つ一つの館の間には十分すぎるほどの太い道と、広大な庭園が敷かれており、抗争が起こっていることなど微塵も感じさせない余裕とゆとりが静かに鎮座していた。
 その中でも一際目を引くのが、クリーム色をした三階層の館だ。コの字型をした建物の内側にへこんでいる部分にある正面門から、高さ三メールはある外壁に並んだ外門まで、ゆうに二十メートルはある。
 全く、土地の無駄遣いもいいところだな。実にカンに障る。
 敷地内の隅の方に番犬小屋のような小さな建物があるが、ソレですら私が住んでいた家より大きいというのはどういうことだ。
「さぁ、どーぞ。メルム様。中へ」
 外門の横に取り付けられた小さなパネルをリヒエルが慣れた手つきで操作すると、陽光を反射して銀色に輝く堅牢な門が内側に開いていく。
「その呼び方はやめろ。気持ちが悪い」
 私は憮然とした表情でリヒエルの前を通り過ぎ、ラミスの館の敷地内へと足を踏み入れる。昔は何度か外から見たことがあったが、例のアカデミーでの一件以来、この区画には近寄りもしていない。
 たった数年の間に随分と様変わりしてしまったものだ。以前はこんな人を寄せ付けない雰囲気はなかった。
 まぁ、私の心理変化も大きく寄与しているのだろうが。
「では、何と呼びましょうか?」
 リヒエルは私の隣りに並んで歩きながら、揉み手でもしそうなくらい腰を低くして言ってくる。
「美しく聡明なメルムお嬢様と呼べ」
「ではそのように」
「真に受けるな馬鹿」
 私は正面門へと続いている完璧に舗装された道を大股で進みながら冷たく返した。
 若草色の芝生の中を突っ切る形で伸びた黄光石の道は、さながらエメラルドの海に渡された金色の橋。密集せずまばらに植えられた大樹の生み出す木陰の下には、樫の木でできたベンチと白く塗られた丸テーブル。ソレらの生み出す陰影が庭園のアクセントとして、景観の一部に自然な形で溶け込んでいる。
 ……クソ、綺麗じゃないか。実に忌々しい。もし教会の奴等がココまで攻め込んできたら、どさくさに紛れて全部破壊してやる。
「自然に八つ当たりすんのは良くないと思うぜ?」
「ソレはお前が代わりになってくれると解釈して良いんだな」
 肩の上から話し掛けてきたハウェッツに白い目を向けて返すと、そっぽを向いてくちばしで笛を吹き始めた。
 この鋭い読心術さえ持っていなければ、サーカスかどこかでバイトでもさせるのに。
「しかし良いタイミングでリヒエルが来てくれたもんだな。正直、俺も母に何と言って会わせようか迷っていたところだ」
 後ろからレヴァーナの声が掛かる。
 相変わらず間の抜けたことを。どう考えても誰かの意思が介入しているとしか思えないだろ。とゆーか、本当にお前はもう少し考えて行動しろ。まさかとは思うが、リヒエルが来なければ私に頭を下げさせるつもりだったんじゃないだろうな。
「あまり緊張はなさっていないようですな。結構結構、ヲハハ!」
「その下品な笑いを私の前でするな。実に不愉快だ」
「これは失礼。さ、着きましたよ。美しく聡明なメルムお嬢様」
 どさくさに紛れてコイツも殺してしまおう。
 リヒエルが赤銅色の正面門を外側に引き開いていくのを睨み付けながら、私は胸中で固く誓った。
「さ、中へどうぞ」
 門に施された鈴の装飾から零れる音色を聞きながら、私は胸を張って館の中へと入る。すぐにハーブ系の冷たくも爽やかな香りが鼻腔をくすぐった。
 目の前に広がっていたのは幅三メートルはあるレッドカーペット。ソレが何の遮蔽物もなく一直線に、金色に縁取られた白亜の扉へと繋がっている。両サイドには私達を見下ろす形で、台に置かれた鷹の彫像が等間隔で並んでいた。
「コチラです」
 リヒエルは私の前に立って真っ直ぐに歩き出す。
 あの扉の向こうにラミスがいるのか。
「ああ、俺だ。ご苦労さん」
 白亜の扉の左右に立っていた筋肉質な白スーツの男二人にリヒエルが目配せすると、彼らは縦に取り付けられた金のノブを掴んで扉を真横へとスライドさせる。
 重厚そうな見た目とは裏腹に、音もなく軽やかに扉は開かれると、その向こうに大きな楕円形のテーブルが見えた。
 広い室内にいたのはたった一人だけ。テーブルの一番奥に座っている――
「ラミス……」
 無意識にその名前が口から漏れた。
 シャギーカットに仕立てたショートブロンド、鋭利な雰囲気を放つ碧眼、挑発的な微笑をたたえた真紅の唇。
 肩の大きく張った白いフォーマルドレスに身を包んだジャイロダイン派閥の最高権力者、ラミス=ジャイロダインはテーブルの上に両肘を付き、胸の辺りで手を組んでコチラを見つめていた。
「どうぞ、メルム=シフォニーさん。遠慮なく入っていらっしゃい」
 ラミスはよく通る声で言い、遠くの方で目を細める。
 ふん、そのふてぶてしい態度は相変わらずだな。どちらの立場が上なのか、理解できないほど愚か者ではないはずだが。
 もし、ソレがお前にできる最大の譲歩だというのなら――
「メルム。取り合えず冷静に行けよ」
「分かってるさ」
 ハウェッツの声に短く返して私はラミスのいる大広間へと歩を進める。
 扉をくぐった瞬間、全身を刺すような鋭い感覚が襲った。まるで濃い酸の霧の中に押し込められたように、肌が腐食し、ただれ、そして研ぎ澄まされていくような錯覚。
 緊張感? いや違う。そんなモノではない。これはラミスの纏う雰囲気からの影響だけではない。
 私自身がラミスに抱いている殺意。ソレがあまりに明確な形で表面化しているのだ。
「どうぞ。皆さんお好きなところに腰掛けて」
 私はラミスから一番離れた席に座り、あまり彼女の顔を直視しないように目を背けた。
 床から天井まで届く巨大な窓のおかげで、部屋全体が自然の光で明るく照らし出されている。壁には鹿や鷲などの剥製が掛けられ、威圧的な視線をコチラに向けていた。
「メルムさん、そんなに遠くだと顔がよく見えないわ。もっとコッチに来ない?」
「断る」
 にべなく言い捨て、私は片肘を付いて顎を乗せる。そしてもう片方の指でテーブルを叩きながら、爪先で床を小突いた。
 ダメだ。あの女の一挙手一投足。目つき、喋り方、息づかいまでもが私の神経を逆撫でする。自分で思っていた以上にラミスを嫌っている。このままでは何分ももたんぞ。
「どうしたメルム。またツンデレの伏線でも張っているのか?」
「お前は空気読め!」
 左隣りに腰を下ろしたレヴァーナに、私は思わず立ち上がって声を張り上げた。
 い、痛くない……。痛くなんかない! この女の前で絶対に弱みなんか見せるものか!
「レヴァーナさん、お久しぶりですね。随分と探しましたよ? 貴方が何日も家を空けるのは珍しくありませんが、状況が状況ですから……連絡くらいは取って欲しかったですね」
「申し訳ない母上。コチラにも色々と事情がありまして。思春期まっただ夕日に向かって走れ海のバカヤローこの一本で明日も絶好調バリに繊細なココロの持ち主がそばいたもので、彼女への気遣いを優先させました」
 悪かったな。
 て、いうか『レヴァーナさん』? 『母上』? なんでそんな他人行儀……。
 ……ああ、そうか。ラミスはレヴァーナの義母だったな。まだそれなりに溝は残っているということか。
 レヴァーナにしては珍しく引き気味じゃないか。私にはあんなに無遠慮に突っかかってきたのに。
「そうですか。でも無事に帰ってきてくれて何よりです。それからルッシェさん」
「は、はぃ……!」
 私の右隣に座ったルッシェは、ラミスの言葉に体を大きく震わせて声を上げた。
 そういえばココに来る途中一言も喋らなかったな。やっぱりまだ緊張するのか?
「どうしてメルムさんと一緒にいるの? 貴女は私と契約したドールマスターでしょ? コッチの言うことを聞いて動いて貰わないと困るの。そのくらい分かるでしょ」
「す、スミマセン……」
 ルッシェは体を小さくして頭を垂れた。
 ああ、そういうことか。
「あまり勝手な行動ばかりして戦列を乱すようなら、貴女にあげたジャイロダイン賞を取り上――」
「私が頼んだんだ」
 ラミスの言葉を遮って私は攻撃的な口調で言った。そしてラミスの方に顔を向け、片眉を上げながら嘲笑を浮かべて続ける。
「私がルッシェに一緒にいてくれって頼んだんだ。何か、文句でもあるのか?」
「く……」
 ラミスは一瞬悔しそうな表情をするが、すぐに元の冷静な顔付きに戻ると溜息混じりに返した。
「分かったわ。今回のことはメルムさんの護衛をしていたってことで済ましてあげる」
「あ、ありがとうございます……!」
「でもこの先は――」
「この先もずっとだ。ルッシェはずっと私と一緒に行動する。いいな」
 ラミスの言葉に被せ、私は一方的な要求を押しつける。
「それから他のドールマスターの指揮権も渡して貰おうか。そういう話だったよな? 小汚いサンタクロースさん?」
 目を細め、私はラミスの隣りに立っているリヒエルに声を掛けた。
 ソレを受けてリヒエルはラミスの耳元で小さく何か吹き込んだ後、ボサボサの頭を掻きながら人なつっこい笑みを向けてくる。
「……分かったわ。でもソレが、貴女が私に協力してくれる条件だと思っていいのね?」
 リヒエルからの助言を聞き入れたのか、ラミスは息苦しいのを我慢しているような表情を顔に張り付かせて言った。
 ようやく崩れ始めた高飛車な女を見ながら、私は口の端をつり上げて笑みを浮かべる。
 そう、ソレだ。私はお前のそういう顔を見たかったんだ。
 いつもコチラを見下して馬鹿にして。自分は絶対的な安全域にいながら、金と権力で数を動かして他を支配している。周りは何でも自分の思い通りで、逆らう者など誰もいないって顔が気に食わなかったんだ。
 三年前、私に被害妄想だ頭がおかしいだと散々罵倒してくれた時とはまるで逆の立場だな。いい気味だ。お前も追いつめられて余裕がなくなれば、下らないプライドが壊れないようにしがみついているだけの頭でっかちな女という訳だ。
 同じじゃないか、私と。安心するよラミス。もっと気骨のある奴だったら、私は逆にお前に共感できなかった。
 いいだろう。お前のその顔とレヴァーナに免じて協力してやるよ。
 だが――
「足りないな」
 私は酷薄な笑みを浮かべて足を組み、背もたれに体を預けて冷徹な声で言った。
「足り、ない?」
「詫びの言葉を聞かせて貰おうか。リヒエルは土下座して謝った。お前はどんな謝り方を私に見せてくれるんだ?」
 私の言葉に、ラミスは鼻に深く皺を寄せてコチラを睨み付ける。奥歯を噛み締める音さえも聞こえてきそうな苦悶の表情。
 そう、その目だ。多分、三年前は私がそういう目をしていたんだろうな。
 悔しさと憎しみと殺意に満ち、壮絶な感情を内包した目つきを。
 ラミスは少し俯いて小刻みに体を震わせた後、深く息を吐いて強ばっていた肩の力を抜いた。
「分かったわ――」
 そして憑き物でも落ちたかのような、穏やかで自然な笑みを浮かべる。
「私が、貴女に酷いことを言ったりしたりしてきたのは事実ですものね」
 ラミスは言いながら立ち上がり、口を真一文字に結んで真っ直ぐな視線をコチラに向け、
「過去の度重なる非礼、誠に申し訳ありませんでした」
 体を直角に折り曲げて頭を下げた。 
 耳の奥で細く甲高い金属音が聞こえてきそうな程の静寂が辺りを支配する。この場にいるだけで神経が疲弊していくような張りつめた空気。窓の外で上がった野鳥の啼き声で、ようやく雰囲気が弛緩し始めた。
 どの位の時間が経ったのだろう。数秒? 数分? 数時間?
 ラミスはゆっくりと顔を上げると、微笑して私の方を見た。
「コレで、どうかしら? まだ足りないなら貴女が気の済むまで謝り続けるけど」
「……いや、もういい」
 なぜか気まずさを覚えて私はラミスから顔を逸らす。
 随分と素直になれるものだな。教会に勝つためにはしょうがないということか。
 ……私も、そのくらい割り切って考えることができていれば、あるいは――
「分かった。ソレでいい。十分だ」
「ありがとう」
 透き通った声で言って、ラミスは椅子に座り直した。
 別にお前から礼を言われるようなことをした覚えはない。
「じゃあ早速、状況の説明をするわ。私が契約したドールマスター全員の指揮権をこれから貴女に託すんだから良く聞いててね。リヒエルお願い」
 ラミスに言われ、リヒエルは一歩前に出て何かを思い出すように頭を掻きながら口を開く。
「えー、そうですな。まず最初に、王宮側の兵力が全て教会側に付きました。理由は分かりません」
 知っている。ジェグを鎧兵が庇うところを目の前で見たからな。
「実は王宮側の兵力に関してはコチラも目を付けておりまして、私が根回しして上層部まで抱き込んだはずでした。本来ならジャイロダイン派閥側に付くべき兵力が、どういう訳か全て教会に奪われた形となっております」
「大失態じゃないか。そんな使えない奴、いつまでもそばに置いていていいのか? ラミス」
「リヒエルを解雇すれば王宮の兵がコッチに付くのならとっくにそうしてるわ。だから原因を究明するまでタダ働きさせているのよ」
 なるほど。まぁ、傷口が広がらなければいいがな。
「それにリヒエルは優秀な諜報員でもあるの。そう簡単には手放せないわ」
 優秀、ねぇ……。自分でそう言ってるだけの奴を良く知ってるがな。
「じゃあ、どの位でその根回しとやらを終えたんだ?」
「そうね……二週間ってところかしら」
 二週間……。確かに早いな。
 だが、本当にたったそれだけの期間で王宮の奴等を抱き込めるものなのか? ちょっと早すぎる気もするが……。『優秀』の一言で片付けてしまって本当にいいのか?
「っえー、話を続けますがよろしいでしょうか」
「ええ、続けて」
 リヒエルとラミスの声に思考を遮られ、私は再開した話に集中した。
 まぁ、そういうこともあるか……。
「とにかくソレによって均衡は大きく崩れました。戦力的には圧倒的に不利な状況下にあります」
 ならいっそのこと王宮が教会の味方をしていることを大々的にバラすか……。そうすれば多少なりとも動きにくくはなるはず。いや……そんなことをすれば混乱が大きくなるだけか。
「ですが教会側からの攻撃は今のところ止んでいます。コレは恐らく、コチラ側の主戦力であるヴァイグルに寄与するところが大きいと思われます」
 ヴァイグル……アイツか。
「四日前、第三ストリート中前部にある孤児院に、教会側の主戦力であるジェグ=ドロイトが攻め込んで来ました。ソレを迎え撃ったのがヴァイグルです。その時にかなり絶大な力を見せつけたようで、教会側のドールマスターはソレに驚異を感じているものと思われます。ですからそのような強力な戦力をまだ隠し持っているのではないかと思わせていることが、抑止力になっているものと考えられます」
 確かに。あの力は異常だった。
「しかしソレは残念ながら味方の力も抑止してしまっているようです。ヴァイグルは一度戦闘が始まると見境が付かなくなってしまいます。完全に理性が飛んでしまうと目に入る者全てを殺そうとします。ですから彼と一緒に戦いたがるドールマスターがいないのは勿論のこと、近い戦域にいたいと思う者すらいません」
 腰抜け共が……。
 まぁ、普通の奴等があの力を見せつけられてはすくみ上がるのも無理ないか。
 平気なのは私のように一度何かが壊れた者か、レヴァーナのように頭が最初からおかしい奴くらいのものか。
「さらにヴァイグルの力は長くは持ちません。強い力を使えば使うほど、体が腐食してしまうからです」
「それはアイツがドールだからか?」
 私の言葉にラミスが驚いたような視線を向けた。
 半分くらいは勘だったんだが、当たったようだな。
「だが普通のドールじゃないな。近くでドールマスターが操っている気配はなかったし、自律タイプにしては動きが複雑すぎる。なによりあれだけはっきりとした感情を持っているし、痛みも感じるようだ」
 そう、ハウェッツと同じように。
 だから多分、ヴァイグルも激的な精神ショックを受けたタイプなんだ。しかしそれには最初からある程度感情が備わっている必要がある。だが一般的なドールには感情などない。私以外には感情を持ったドールを生み出せないなどと自惚れるつもりはないが、知っている中でそういうことに一番興味を持っていそうなのは――
「アイツ、元は教会が創り出したドールだろ」
 ラミスの目が更に大きくなった。 
 どうやらコチラも当たりのようだ。我ながら冴えてる。
 にしても、この女があんな顔するなんてな。もっと冷徹でポーカーフェイスを貫く奴かと思っていたが……。
「さすがね、メルムさん。正直、そこまで見抜いてるなんて思わなかったわ」
「そりゃどうも」
 私は少しふざけた口調で言いながら、大袈裟に肩をすくめて見せた。
「……いつ、彼がドールだと分かったの?」
「ルッシェからヴァイグルの戦いぶりを聞いた時にもしかしてと思った。孤児院で自分の目で実際に見てみて一つの仮説がたった。ひょっとしたら、“体の一部だけを真実体にできるドールなのかもしれない”ってな」
 モノクルの位置を直しながら、私は意味ありげな笑みを浮かべる。
「真実体っていうのはドールが真の力を発揮するために取る別の形状だ。だがその形が決まっているわけじゃない。封印体がそのまま巨大化する者もいれば、完全に別の姿に変わってしまう者もいる。ヴァイグルの場合、後者の力を体の一部に適応したんだろ。亜空文字の補助なしで。だから体に負担が掛かって、ソレが腐食という形で表に現れる。推測だがこんなところじゃないのか?」
「正解よ……」
 ラミスは半笑いになって息を吐きながら、お手上げといった様子で眉を上げた。
 ま、こんな発想、ハウェッツみたいな特例がそばにいないとできないだろうがな。
「じゃあアイツを生み出したドールマスターを連れてくるか、もしくはプロテクトを解除して誰でも扱えるようにできれば体が腐る心配もなくなるという訳だな。操れれば制御もできるようになる。けど、ソレをしないのはなぜだ?」
 ヴァイグルの正体を知っているのなら極めて普通の発想なのに。
「できないのよ。ヴァイグルは人の手で創られたドールじゃないから……。だからマスターはいない。プロテクトは掛かってないけど誰にも制御できない」
「人が創ったんじゃない? じゃあどうやって」
「ドールよ」
 ラミスは何かを思い出すかのように目を瞑った後、薄く開いて続けた。
「ヴァイグルは教会のドールによって創られたドールなの」
「ドールが、ドールを……?」
 聞いたことがない。そんなことができるのか? いや、仮にできたとしても、なぜわざわざそんなことをする必要がある?
「教会の思想は知ってるでしょ? ドールを神格視し、次世代の生命として崇めている。世界はドールによって支配、統治されるべきだと本気で思ってる。彼らは自分の手で神を生み出そうとしている。でも、人の手では限界があった。どうしても理想とするドールは生み出せなかった。なら、ドールにドールを創らせればいい。神となる資質を秘めたドールならば、人間が創るよりも神に近いドールが生み出せるもしれない。彼らはそう考えたのよ」
 頭のイカたれ宗教団体の考えそうなことだ。
「亜空系の素材さえドールが生み出すことができれば、ドールにドールを創らせることができる。生体系と機械系はドールその物を素材として調合釜に入れれば確保できるからね」
 ドールの体は生体系と機械系の素材で創られているからな。しかし全部にドール、ドール、ドールか……。ここまで徹底されると気持ち悪いな。
「亜空文字、とはまではいかないまでも、方陣や呪的な道具を使うことでドールでも亜空素材を生み出せたわ。そしてドールからドールが生み出すという構想は実現した。けどドールに感情はない。だから力を注げない。新しく生まれた方のドールは力も使えずに、そのまま意味のない存在になって別のドールの素材になるはずだった。けど、思いもよらないことが起こったのよ」
「そのドールが感情を持っていたって訳か」
 私の言葉にラミスは静かに頷いて続ける。
「教会の奴等の思惑通り、より神に近いドールができた。ドールにドールを創らせれば感情を持ったドールができることが分かった。マスターから力を注いで貰えないなら、自分の感情で力を確保するしかない。生命が生命としての存在意義をまっとうするために行った、一種の生存本能だって教会は解釈したわ」
 ドールから生まれたドールは感情を持つ……。

『『終わりの聖黒女』と名付けられ、この世界を壊すために飼われてきたドール。ソレがアタシ達の正体』

『特殊な方法で生み出されたドールであるアタシ達は――』

 まさ、か……。
「教会はドールに感情を持たせる方法を確立して、次々に似たようなドールを量産していったわ」
 量産……?

『アタシみたいなドールを量産できるように色んなドールマスターが観察したり実験したりしていったわ』

「そ、そのドールは簡単に量産できたのか?」
「ええ」
 そ、そうか。簡単に量産できたのか。なら、やはりミリアムに言っていたことは嘘になるな。
 一瞬の安堵。しかし――
「でも人間のような感情にはほど遠かった」
 また、体が凍り付いた。
「教会が望んでいたのは人間のような感情を持ったドール。今貴女の肩に止まってる、麒麟の真実体をもつドールみたいにね」
 人間のような、感情を持った……。
 もし、その後の研究でそんなドールを生み出していたとしたら? ドールにドールを創らせるという過程を改良して……でもその成功確率が極めて低いとすれば? ミリアムはその成功率を高めるために飼われていた?

『モルモットに自由なんてない。ただそれだけ』

 ――私も、ドール?
「おい、そこのゲーオタ直情一方通行」
「誰がだ!」
 私はいきなり挑発してきたレヴァーナの胸ぐらを掴み上げて歯を剥いた。
 肋骨に響くがこの際どうでもいい。
「またおかしな思考に陥っていたな? キミは自己解決が下手っぴなクセにどーも一人で悩む傾向がある。良くないことだぞ。いいから打ち明けてみろ」
「……イヤだ」
 またコイツは変なところで人の顔色読みやがって……。
 拷問されても言えるか。こんな所で。
「ま、キミならそう言うだろな。しかし俺もパートナーだ。少しでもキミの苦しみを取り除いてやる義務がある。そこでだ」
 レヴァーナは一人で納得したように頷き、ラミスの方を振り向いて口を開く。
「時に母上、どうしてそんなに詳しいのですか?」
 ……そうだ。確かにレヴァーナの言うとおりだ。なぜラミスが教会の内部事情にそこまで精通している? リヒエルからの情報? だがドールからドールを創り出すことで感情を持ったドールができるなんてトップシークレット事項、そんなに簡単に入手できる物なのか? まさかココまで来ていい加減な情報を流すとも思えないが……。
「……まぁ、これだけ話しておいて今さら隠してもしょうがありませんね」
 ラミスは僅かな逡巡を見せた後、軽く溜息をついて続けた。
「私は昔、教会の関係者でした」
 な――
 リヒエルを除いて全員の視線がラミスに集中する。
 この女が元教会員だと? 今は潰したいほど教会の考え方を嫌っているのに……。
「メルムさん。貴女ほど優秀じゃなかったけど、私もドールマスターだったのよ。もうドールを創るどころか触りすらしなくなったけど、若い時はそれなりに目を輝かせてたわ。自分にしか創れない特別なドールを生み出したい。そう考えて毎日研究に没頭してた」
 想像しにくいな。この女がそんなことをやっていたなんて。
「ある時ね、父のツテで教会が感情を持ったドールを創り出そうとしてるって情報を聞いたの。私はその技術を知るために教会に入会した。それから二年間、教会の教えに素直に従って社会奉仕したわ。昔は今ほど極端な思想を持ってなくて、単にドールを社会のためにもっと役立てようっていう平和的な団体だった。共感できたし、このまま教会にいて社会に尽くすのも悪くないかもって思ってた。その甲斐あって私は順調に教会の中での地位を上げていって、ついに感情のあるドールを見ることができた。感動したわ。私が創ってきたドールとは全然違ってたから。ドールに話しかけられた日は昂奮して震えが止まらなかった。眠れなかった。だから思ったの。私もこんなドールを、もっと感情豊かなドールを創り出したいって」
 ラミスの言葉がだんだん熱を帯び始める。目にも好奇心に溢れた子供のような輝きが灯り始めた。
 悔しいがその気持ち、分かる。手に入れた技術を独自に発展させて、自分だけのドールを創りたくなるんだ。
「でも、教会は私にそのドールを触らせてくれなかった。どうやって創ったのかも教えてくれなかった。何年もその状態が続いて、我慢できなくなって――」
 ラミスはどこか自嘲めいた笑みを浮かべ、
「私は盗んだの。創り方の記された教本と、ドール自体をね」
 溜息混じりに言葉を紡いだ。
「ソレがヴァイグルだったのか」
「そう」
 随分と思い切ったことをしたもんだ。バレれば追放だけじゃ済まないぞ。
「どんな事情があったのかは知らないけど、彼は教会から逃げてた。どういう訳か、教会で見た時より遙かに人間らしい感情を持ってた。私はソレが嬉しくて、周りなんか見えなくなるくらい研究に打ち込んだ。こんな素晴らしい素材、他に誰も持ってないって優越感に浸りながらね。でも教本のどこにも彼の創り方に関する記述は載ってなかった。ヴァイグルに聞いたけど、彼は教会にいた頃の記憶を失っていた。かといって、まさか教会に直接聞くわけにもいかない。だから私は自分だけで何とかその方法を確立しようとしたの。何体も何体も失敗作を生み出して、何年も同じことを繰り返して、でも結局できなかった。ヴァイグルのように人間らしいドールは創れなかった。中途半端に感情を持った人形だけができた。そう、本当に――何もかもが中途半端だった」
 ラミスは強調するかのように同じ言葉を繰り返した。
 声が沈んでいくのがはっきりと分かる。ココからが人生の岐路というわけか。
「ある日ね、教会での慈善活動を終えて、家に戻ってくると廊下が真っ赤だったわ。血まみれになった父から、雇っていた使用人が何人か殺されたって聞いた。母も殺されたって。殺したのは――私。私の創ったドールだった。中途半端に感情を持ったドールが暴走したのよ」
 感情を持ったドールの暴走。ソイツもきっと突きつけられたんだろうな。何か衝撃的なことを。
「そのドールは王宮の鎧兵に片付けられたけど、他のドールもいつ暴走するか分からないってみんな出ていったわ。当然よね。それから私は王宮の地下牢で五年服役したわ。私がドールを操っていた訳じゃないってことが証明されたから、比較的軽かった。でも、出てきた時には何も残ってなかった。父は私のドールに受けた傷が悪化して他界。教会員の証である正八面体はなくなっていて名簿からも抹消されてた。ドールは勿論一体残らず破壊されてた。前科付きの人間と一緒にいたいって思う人なんてどこにもいない。ホント、あの時はどうしようか途方に暮れたわ。死のうかとも思った」
 壮絶な人生だな。温室育ちのお嬢様かと思っていたが、とんでもない勘違いだ。
「でも、一人だけ私に話し掛けてくれた人がいたの。ヴァイグルだったわ。王宮の奴等も彼がドールだなんて思わなかったみたい。それだけ人間らしかったんでしょうね。ヴァイグルは一人でずっと私の帰りを待ち続けてくれていた。嬉しかったわ。けど……恐かった。彼もいつ暴走するか分からなかったから。だから思ったの。完全にコントロールしないとって。あの時は中途半端だったから失敗した。取り返しの付かないことをしてしまった。けど、完全に制御できれば二度とあんなことは起きない。私は彼を『改造』したわ。色んなプロテクトを掛けたり、機械系の素材を後から無理矢理融合させて電子的にコントロールできるようにしたり、遠隔操作で動きを束縛できる拘束服を着せたりもした。それから彼については徹底的に研究したわ。完全に研究し尽くした。その時にさっき説明したような、ヴァイグルの力の使い方を知ったの。彼は私のすることに逆らうことなく、何でも受け入れてくれた。精神的にも物理的にも、私は彼を完全に支配できたのだと確信した。完全にね」
 自分に言い聞かせるようにラミスは『完全』というフレーズを何度も口にする。
 私が自分に天才だと言って現実から目を背けていたように、彼女もまた自己暗示を掛けることで安息を得ていたのだろう。
「私は何でも完全に、完璧にやりたかった。中途半端を全て潰したかった。だから教会にいる中途半端なドール達もみんな壊してやろうと思ったの。暴走して誰かを傷付ける前に」
 多分、自分を拒絶したことへの復讐も込められているんだろうな。
「でも私は一度追い出された身。普通にしていては近づけない。だから私はルーク=ジャイロダイン、レヴァーナさん、貴方のお父さんに取り入ったのよ」
 レヴァーナの方を見ながら、ラミスはどこか申し訳なさそうな表情で言う。
 何か思うところがあるのか、それとも何も考えていないのか。レヴァーナは腕組みして黙したまま、じっとラミスの方を見つめている。
「ルークは教会と仲が良かったから。私は彼の愛人として、十年ぶりに教会に足を踏み入れた。私の外見が大分変わっていて向こうが気付かなかったのか、それともルークの顔を立ててくれていたのか、教総主は色々と喋ってくれたわ。私は中途半端に感情を持ったドールを潰す完璧な機会を待ち続けていたけど、ソレが来る前に教会の狂った思想を聞いてしまった。ルークは冗談半分に聞いていたけど、彼らがそんな集団でないことを私は良く知ってる。潰さなきゃって思ったわ。ドールだけじゃなく、教会全部をね。ドールに人間を支配させるなんて思想その物を、完全に、完璧に」
 気持ちは分かる……が、病気だな。まぁ、私も人のことを言えた義理ではないが。
「だから私は兵を集めたの。教会を潰すに足る兵を。順調だった。ドールマスターとしての戦力は五分五分でも私にはヴァイグルという切り札があった。勝てるはずだった。けど王宮が教会側に付くという予想外のことが起こった。だからメルム=シフォニーさん、どうしても貴女の力が必要になったの。その麒麟型ドールの持つ、超絶な力がね」
「なるほど……」
 私は一瞬だけハウェッツに視線を向けた後、再びラミスを見た。
「大体の事情は飲み込めた。お前がこの戦いにどれだけの思いを乗せていて、どれだけ切羽詰まってるかってこともな。まぁ、協力はしてやるよ。私も教会は個人的に何としてでも潰したいからな。だがその前に一つだけ聞かせろ」
「何かしら」
「あの時、どうして本当のことを言わなかった」
「あの時?」
 私の質問にラミスは眉を顰めて聞き返す。
「お前がアカデミーで私を突き放した時だ。被害妄想だ何だと色々言ってくれたじゃないか。まるで自分のことを憎めと言わんばかりに。私の発表を批難したのは教会の奴等だったのに」
「ああ……」
 僅かに目を伏せ、申し訳なさそうな顔付きになってラミスは続ける。
「あの時からもう貴女には教会の監視が付いていたのよ。だから迂闊に手出しできなかった。下手に教会の名前を出すわけにはいかなかった。まだ、今みたいに教会と真っ正面からやり合えるほどの戦力が揃ってなかったからね。だから突き放して、貴女なんかに興味のないフリをするしかなかった」
 私を回収するためと、私の不幸を見届けるための監視か……。
「それに本当のことを言ったとして、納得して貰えたかしら?」
 しなかっただろうな。あの時は教会の思惑通り、犯人はラミスだとしか考えていなかった。とすれば、ラミスに辛辣な言葉を吐かせたのも教会の思惑のうちというわけか。全く、つくづく下劣な集団だ。
「他に、何か事情を説明しなきゃならないことはあるかしら?」
「……いや」
 あるにはあるがココじゃあな。少なくともレヴァーナがいない時に、できればラミスと二人の時に聞きたい。
「母上、俺から一つ聞きたい」
 腕組みした姿勢のまま、レヴァーナがいつになく真剣な声を発する。
「何ですか? レヴァーナさん」
「ご存じかとは思いますが、この抗争ですでに沢山の人が死にました。母上はこうなることを最初から知った上で始めたのですか?」
 レヴァーナの問い掛けにラミスは一呼吸ほど間を空け、
「はい」
 目を逸らすことなく真っ正面から見つめて返した。
 必要とあらば躊躇わない。自分のしていることは間違っていない。揺るぎようのない強固な意志が双眸に宿っていた。
「何かを為すために犠牲は必要です。私は絶対に教会を野放しにできません。どんな手を使ってでも潰します。そのためなら、この命も惜しくありません」
「それは一人や二人死んでも十人助かれば良いという考えですか」
「はい」
「……分かりました」
 淀みなく返すラミスに、レヴァーナは途中で言葉を呑み込んで押し黙る。
 昔に受けたトラウマが相当響いてるんだろう。中途半端なことは絶対にしたくないって意気込みだけは伝わってくる。
 ただまぁ偉そうなことだけ言って、自分は高見の見物ってのが気にくわないが……コイツには全体を纏めるという仕事があるからな。それに前線に出たところで何の役にも立たないだろうし。
 あとは、さっき言った『命も惜しくない』という言葉がどこまで本気かどうかだな。
「他に、何か腑に落ちないことは?」
 コチラを見ながら言うラミスに、レヴァーナもルッシェも何も返さない。
 どうやら質問タイムは終わりのようだな。じゃあ早速――
「ラミス様」
 私が口を開き掛けた時、ソレを遮る形でリヒエルがラミスに何か耳打ちした。そしてリヒエルからの言葉を聞き終え、ラミスは軽く首を左右に振る。
 何だ……?
「ああ、ごめんなさいね。リヒエルがメルムさんの肩にいるドールについて聞いておかなくていいのかって言ったものだから」
 ハウェッツの……? あぁ、人間みたいな感情のあるドールの生み出し方についてか。
「同じ感情を持つドールでも、どうしてヴァイグルと貴女のドールとではここまで違うのか」
 ラミスの言葉に、私は視界を無意識に細めていた。
 ヴァイグルとハウェッツの違い。
 ヴァイグルはドールから生み出された。ハウェッツは人間が生み出した。
 ヴァイグルは攻撃的で好戦的。ハウェッツは温厚で保守的。
 ヴァイグルは一人で体を真実体にできるが、力を使った反動で体が腐っていく。ハウェッツは私の亜空文字に触れないと真実体になれないが、どんな力を使ってもソレが自分に跳ね返ってくることはない。まぁ、その分妙なプロテクトが掛かっているが。
 上げ始めれば違いなどいくらでも出てくる。
「全く同じやり方でドールを生み出したとしても、マスターが違えばドールの特徴も変わってくる。個人差があるんだろ」
「だって、リヒエル。満足?」
「え? ええ、ラミス様がご納得されたのなら私はソレで。いや、興味ないのかなと思いましてね。創り方とか」
 昔はラミスも感情のあるドールを創るために色々と暴挙を犯してきたみたいだからな。
 教えてやる義理はないが……別に黙ってる意味もないな。
「止めておくわ」
 しかしラミスはキッパリと拒絶した。
「聞いたらまたドールに触りたくなるかもしれないでしょ? 私はもう、二度とドールには触れないって決めたから」
「じゃあヴァイグルはどうなんだ? 殆どお前専用のドールみたいなモンじゃないのか?」
「私は彼のブレーキを握ってるだけ。操っているわけじゃないわ。行動は全て彼本人の意思によるものよ」
 ブレーキ、ね……。
「ああ、ソレで一つ確認することを思い出した」
「何かしら」
「ヴァイグルは、『まだ』大丈夫なんだな? 『まだ完全に』制御できているんだな?」
 私はわざと強調して、少し皮肉っぽく聞いてやる。私の見る限り、アレはもう暴走しているとしか思えない。ルッシェの話だと仲間に手を出してもおかしくなかったみたいだからな。
「ええ。勿論よ」
 しかしラミスは余裕の笑みすら浮かべて頷いた。
「この前の戦いの傷がまだ癒えてないから地下で休んでいるけど、理性はしっかりしてる。貴女が考えているような状態にはなっていないわ。彼はまだまだ戦える」
 『まだ』理性はしっかりしてるってことは、このまま戦い続ければいずれ飛んでしまうということだな。ギリギリまで戦わせるつもりなのか、それとも最後は切り捨ててしまうのか。私がココに来る前から知っていたラミスなら、間違いなく後者の選択をしていただろうがな……。
「とにかく、ヴァイグルは今動けないってことだな」
「取りあえずはね。戦いが始まったらどうなるか分からないけど」
 まぁソレでもいいさ。アイツが今表だって行動してないってことが重要なんだ。
 ヴァイグルは確かに危険だ。いつコッチに火の粉が飛んできてもおかしくない。このピリピリした状況下で、そんな危ないが奴がうろついてる場所など行きたくはないだろう。
「ラミス、早速だがお前が契約しているドールマスターを使わせて貰うぞ」
 だから彼らの言い分も少しは分かる。なら、動かすとすれば今しかない。
「もう攻め込む気? 何の作戦もなしで? ちょっと気が早すぎない?」
「勘違いするな。先にやることがある。本腰入れて教会とやり合うのはその後だ」
「やりたいこと?」
「孤児院の人達を探す」
 私の言葉にラミスはしばらく黙って考えを巡らせた後、何度か頷いてシャギーブロンドを軽く梳いた。
 園長先生も他のみんなも誰も死んでないはずなんだ。絶対に。必ずどこかで隠れて生きているはず。だからミリアムより先に見つけだして、この館にかくまって貰う。
 こんな人海戦術みたいなまね私一人では埒が明かないが、ラミスの兵を借りれば――
「そうね……。貴女の故郷も同然ですものね」
「今すぐに動けるドールマスターは何人だ」
「ココに待機してるのが五十弱。その中で教会のドールマスターと鉢合わせてしてもなんとかなりそうなのが三十ってところかしら。残りは街で教会の動きを監視してるか、残念ながら精神的に戦えなくなった人達ね」
 臆病者共ってことか。
「それでいい。十分だ。探す場所については私が直接言う。お前はソイツらに私の指示に従うよう言っておいてくれ」
「分かったわ。くれぐれも穏便にね。王宮側の兵も全員敵だってこと、忘れないで」
 穏便に、ね……。なるべくそうするつもりだがな。
「よし――」
 私は気合いを入れて立ち上がり、
「まぁ落ち着け」
 上から押さえられて座り直した。
「何をする!」
 撫でているのかさらに深く座らせようとしているのか、レヴァーナは私の頭をぐりぐりとしながらコチラをじっと見てきた。
「その体で行くつもりか」
「関係ない」
 少しくらいの骨折……。
「そんな貧相なツルペタで」
「関係ないッ!」
 おぁ……今のは、効いた……。
「ほら見ろ。言わんこっちゃない。病人は静かにしているのが一番だ」
 お前のせいだろーが!
「あら、メルムさん。どこか具合でも悪いの?」
「母上。実は彼女、ツンデレ病という重篤な病に冒されておりまして」
「つ、ん……?」
「まぁ平たく言えば自分の意思とは逆のことを言ってしまう病気のことです。発病してからツン期という一定の潜伏期間を経た後、突然発症してデレ期に移行します。そうなったが最後、ツン期の反動が大きければ大きいほどデレ期では盲目的に献身し始めるのです。メルムは現在ツン期まっただ中。彼女の言葉を真に受けてはいけません」
 よく分からないといった表情をするラミスに、レヴァーナは真顔で滑舌よくハキハキと説明する。
「お、ま、え、は……。私に何か恨みでもあるのか……!」
 痛む肋骨を庇いながらレヴァーナの胸ぐらを掴み上げ、私は怨嗟を込めた声を発する。
「そうだな。強いて言うなら寝言で“復活の呪文”を唱えるのはやめて欲しいところだな」
「強いて言うな!」
「しかも実際に入力しても初期装備で初期レベルの上に瀕死でスタートポイントからときている。さてはお前、ラスボスと手を組んだな」
「入力するな!」
「まぁ主人公キャラの名前が『メルるん』っていうのが救いだな」
「救われるな!」
 あぁ……ァ……。もぅ、ダメだ……。痛みで意識が……。
「と、いうわけで母上。お抱えの中で最高の医者を俺の部屋までよこしてください」
「な、何かよく分かりませんけど……分かりました」
「お前もコイツにゃ勝てねーな」
 戸惑うラミスと意地悪く笑うハウェッツの声を最後に、私の視界は白く染まっていった。

 何だろう。体が軽い。
 内側にずっと沈んでいた澱のような物が取り除かれている。
 それにこの包み込むような感触。こんな柔らかい場所、知らない……。ココは雲の上か?
 いい匂いもする。芳香ではないが、吸い込むとなぜだか安心できる。
 でも……生暖かい風が顔に当たって気持ち悪――
「む、起きたかメルム=シフォニー」
「何やっとんじゃお前はー!」
 薄く開けた視界に大きく映ったレヴァーナの顔面を力一杯蹴り飛ばし、私はどういう訳か荒くなっている呼吸を整えた。
 辺りを見回す。
 まだら模様の壁で囲まれた狭い部屋だった。
 狭い、と言ってもさっきの大広間のような場所と比べればの話で、ゆうに私の家の面積の倍はある。超合金のクローゼット、波打つ姿鏡、天井から吊された水晶モニター、その横に浮かんでいるゲームソフト、奇声を上げる観葉植物。
 ……何だこの異様な部屋は。
 いや――考えるまでもなかったか。
「私はあの後お前の部屋に運ばれて、寝ているところをずっと監視されていたという訳か」
「話が早くて助かるよ」
 一人で感心しながら頷き、レヴァーナは迷彩模様のカーペットの上に倒れ込んだまま親指を立てて見せた。
「で、他の奴等はどこに行った?」
 私はどどめ色のシーツで覆われたベッドから飛び降り、改めて室内を見回す。
 どうやらこの部屋には私とレヴァーナの二人しかいないようだ。ルッシェとハウェッツは……。
 ――二人?

『爪先から頭の天辺まで真っ赤っか、コレなーんだ?』
 ○ニンジン
 ○唐辛子
⇒ 
 ○自分自身

『爪先から頭の天辺まで真っ赤っか、コレなーんだ?』
 ○イカれたパントマイマー
 ○出血多量で死にそうな人
 
 ○自分自身


「ふざけるな!」
 気が付くとアタシは倒れ込んでるレヴァーナに馬乗りになり、首を締め付けていた。
「アタシに何したのよ! あんなに顔近づけて!」
 あんなに、あんなに……! 息が掛かるくらい、あんなに……!
「気にするな。母が気絶したキミの顔を見て『あんまり似てないわね』とか言っていたから誰のことだろうと考えていただけだ」
「気にするわ! 言い訳ならもっとマシなの垂れ流しなさい!」
「よしきた! じゃあもっと気になる言い訳をしてやろう! 実は寝ている間にキミの胸に『鬱』という文字を書きもうと……!」
「何ですって!?」
「したのだがそんな物どう転んで逆立ちして墓穴を掘って因果律が狂っても存在しない究極の絶無であることに気付いて見送ったのだ!」
「じゃあアンタもあの世に送ってあげる!」
 死ね! いいから死ね! 取り合えず死ね!
「時にメルム=シフォニー、その喋り方は何だ。それから、すでに俺の視界の下半分が白くなってしまったので一応注意喚起しておく」
 ――はっ! アタ……私は一体何を。
 レヴァーナの顔しか映しだしていなかった狭い視野が急に広がった。熱を帯びていた体が、夢から覚めたように冷えていくのが分かる。
「で、何をやってたんだ、お前は……」
「またそこからか。まぁいい」
 ぎこちなく体を起こして立ち上がりながら、レヴァーナは黒いスーツに付いた埃を払った。ネクタイの色もソレに合わせて赤くなっている。
 何だコイツ。白からいきなり黒に。気分転換か? ホストの真似事か?
 白はいいぞ。自分の中の汚れを洗い流してくれるみたいな感じがするからな。だから私もいつも白衣を……。
「……おい」
 私は自分の体を見下ろしながらレヴァーナに声を掛ける。
「どうした」
「白衣はどうした」
「ああ、当然脱がせたぞ。治療の邪魔になるからな」
「誰が」
「俺」
 レヴァーナの眉間に踵が突き刺さった。
 引いたはずの熱がまた戻ってくるのが分かる。
「痛いじゃないか」
「とっとと返せ!」
 薄手のカットソーと体にフィットしたニットパンツだけになった自分の体を抱きしめながら、私はあらん限りの力を振り絞って怒声を上げた。顔が焼けただれたように熱くなり、目が潤んでくるのが分かる。
「全く、乱暴な奴だな。孤児院にはその格好で行ったクセに……」
 不満げにブチブチと言いながら、レヴァーナは超合金のクローゼットに歩み寄った。
 あの時は頭に血が上ってたんだ! 大体他の奴ならいざ知らず、お前に見られるなど……!
 ……孤児院?
「おい!」
 私はシーツを引き剥がしてソレで体を包みながら、レヴァーナに大声を掛ける。
「孤児院の方はどうなった! 他のドールマスター達は何をしている!」
「心配するな。キミの指示通り街中を探させている。ルッシェ君も自分から志願して行った。ハウェッツとかいう鳥は彼女が心配だからと言うんで着いて行った」
「そうか! なら私も……!」
 私はシーツを纏ったまま部屋のドアに駆け寄り、
「駄目だ」
 レヴァーナによって阻まれた。
「どけ!」
「その格好で行くつもりか?」
 レヴァーナは私の頭上で白衣とガンホルダーを見せびらかすように揺らしながら、意地悪く片眉を上げて見せる。
「銃もないドールもないオマケに怪我人では足手まといになるだけだぞ」
「なら早く返せ!」
「キミはもう少し安静にしてるんだ。今、大分骨がくっつきかけている。派手な動きをせずに二、三日じっとしていれば完治するだろう。それまでコレはお預けだ」
 飛び上がって白衣とガンホルダーに手を伸ばすが、いかんともしがたい身長差が私の願望を阻む。
 クソ! こんな怪我もう何とも! 何ともな、い……?
 私は改めて自分の体を見た。
 痛みがない。全くと言っていいほど。ついさっきまで、大声を出すだけで意識が飛びそうになっていたというのに……。
「さすが母上お抱えの最高医師。街医者とはレベルが違うな。胸の固定帯もすぐに外せるそうだ」
 レヴァーナは私の頭に手を置いて軽く撫でながらにこやかに言う。
「三十人が三十一人になったところで大して変わらないさ。それにキミが出ていって教会か王宮の奴等にやられでもしたら、今捜索してくれている人達の努力が全て無駄になる。彼らはキミのために動いてくれてるんだからな。家宝は寝て掘れというだろ。今は怪我を完治させることだけ考えろ」
 このバカは……。
 いつも私の邪魔ばかりして、やることはハチャメチャで無茶苦茶で非常識で、口から出てくるのは愛だの友情だのと恥ずかしい物ばかりで。気が利くかと思えば鈍感で朴念仁で変態で、真剣に話しているのかと思えば言ってることは支離滅裂で荒唐無稽で我田引水で……。
 でも、コイツはいつだって真っ直ぐで力強くて、やることに訳の分からない重みがあった。強い想いが込められていた。
 全く、天才で完璧で絶世の美少女たるこの私に命令できるなどお前くらいのモンだぞ。
「……桃缶」
「ん?」
 俯きながら零した私の言葉にレヴァーナは素っ頓狂な声を上げる。
「桃缶持ってこい! お前が全財産つぎ込んで買ったアレだ! まだ食べてなかっただろう! 早く持ってこい! 綺麗な器に盛ってこいよ!」
「ほぅ、『持って』と『盛って』を掛けるとは。なかなかや……」
「とっととせんかー!」
 私はレヴァーナのすねを蹴り上げて自棄気味に命令した。そして俯いたままベッドに戻る。背中から溜息混じりに「やれやれ」という声が聞こえたかと思うと、静かにドアの閉まる音がした。
「全く……どうして私があんなバカに……。実に意味不明だ」
 一人で零しながら私はベッドから離れて窓際に歩を進める。そして顔を上げた。
 ハーフミラーになった窓ガラスに映し出されたのは、鮮やかな中庭の緑。そして――
 頬の緩んだ私の顔。
 笑って、いる……。やはり、笑ってしまっている。別に可笑しいことなど何もないのに、私の顔は、こんなにも……。
 レヴァーナ=ジャイロダイン。最初に会った時から変な奴だ変な奴だとは思っていたが、どうしてココまで私のことを……。

『まぁいい。取り合えずこれでキミは俺のパートナー』

『フ……気にするな。パートナーを助けるのは当然のことだ』

『パートナーだからな。相手のことを思い遣るのは当然だ』
 
 パートナー、ね……。
 最初はわずらわしいだけの響きだったが、今は少し……。
 私は纏っていたシーツをベッドの上に放り捨て、カットソーの胸元を少し下げて中を覗き見る。ちょっと前まで付けていたのとは違う、黒い固定帯が胸部を覆っていた。一部の隙間もなく体に密着しているし、厚みもそんなにないので付けていることすら感じさせない。骨も完全に固定されているので、声を上げたり少しくらい激しい動きをしてもビクともしない。
 さすがはラミスお抱えの最高医といったところか。まぁ礼を言っておいてやる。
 ……にしても。
「そんなにないか?」
 自分でもあるとは思っていないが、なだらかな『丘』ではあるはずだ。究極の絶無だなどと言われる覚えはない。
 ――って、オイ。
 まさかこの固定帯を付けていた時も見てたわけじゃないだろうな。いくら何でもそれは……。いや、アイツに常識は通用しない。もしかすると……。
 顔にかつてないほどの膨大な熱が集結し、
「な――!」
 突然体を襲った激しい揺れによって一気に霧散した。
「何だ!?」
 窓に顔を押しつけて外を見る。
 ソコには歪な形をした十数体のドールと、館の外壁を取り囲むように展開している何十人もの鎧兵達。いや、百は越えているか?
 そして中庭の中央でコチラを見ているのは、背中を丸くした不健康そうな男。
「ジェグ!」
 クソ! 最悪だ! このタイミングで……!
 ハウェッツもいない、ルッシェもいない、ラミスの雇ったドールマスター達もいない。今戦力になりそうなのは【カイ】と【フェム】くらいのもの。どうしろと言うんだ。
「メルム! 外に……!」
「分かってる!」
 駆け込んできたレヴァーナに、私は舌打ちして叫び返す。
 だが、どうしてこうも易々と! こんな大勢の敵が昼間から堂々と本拠地に攻め込めるなど考えられないぞ! いくらミリアムの目的が私を絶望させることであったとしても、ラミスと手を組んだ途端にコレか……! いくらなんでも手回しが良すぎる!
 ミリアムが『穴』から私を監視していたとしても、即行で兵を送り込めるほどジャイロダイン派閥の防護壁は甘くはないはずだ! なのに……!
「あぁクソ! レヴァーナ! 行くぞ! 白衣とガンホルダーをよこせ!」
 考えていてもしょうがない。今は目の前にある問題を処理することだけに集中しろ。時間稼ぎをしていればハウェッツやルッシェが戻ってくる。それまで持ちこたえるんだ!
「いや、キミはココでじっとしてるんだ! 俺が話を付けてくる!」
「ちょ……!」
 レヴァーナは言い捨てるようにして残すと、部屋を出てドアを乱暴に閉めてしまう。
「待てレヴァーナ! 白衣とガンホルダーを置いて行け!」
 私はドアに駆け寄ってノブを回そうとするが固まってしまったかのようにビクともしない。
「外側から……!」
 余計な鍵まで付けやがってあの馬鹿は!
 窓に駆け寄る。この部屋は三階。飛び降りればタダでは済まない。骨折は間違いなく酷くなる。
「クソ!」
 一人で何をするつもりだ!
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