人形は啼く、主のそばでいつまでも

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  Level.8 『全部あのバカが悪いんだ!』  

 どうする! どうすればいい! 何とかしてココを出る方法はないのか!
 扉を蹴破るにしても私の力では弱すぎる! 飛び降りるには高すぎる! ロープのような物を使ってチンタラ下りようものなら格好の的にされる!
「おい! 誰か! 誰かいないのか!?」
 結局外側から開けて貰うしかないのか!
「誰でもいい! ココを開けろ! 開けてくれ!」
 扉を何度も叩きながら私は声を張り上げる。しかし突然攻めて来た敵の大群に、館の奴等全員出払っているのか、声や足音どころか気配さえもしない。
 クソッたれ! 何か、何か方法は……!
 激しく揺れる室内で両足を踏ん張って立ちながら、私は何か役に立ちそうな物がないか辺りを見回す。
 超合金のクローゼットを扉にぶつけて……いや、そもそも持ち上がらない。鏡なんか役に立たない、水晶モニターもゲームソフトも! 笑う観葉植物なんか論外だ!
 ああクソ! おかしな物ばかり揃えやがってあの変態!
「よーしそこまでだ! これ以上俺の家を壊すのはやめて貰おうか!」
 レヴァーナの声が窓の外から聞こえてくる。私はソチラに走り寄り、中庭を見下ろした。
 そこではレヴァーナが一人、両腕を大きく広げた格好でジェグの方に歩いている。何も武装もなく、誰のガードも付けないで。
 アイツ……! 死ぬぞ!
「何の、つもり、だ? ん? ん……?」
 ジェグは真横に腕を伸ばして、相変わらずの気持ちの悪い喋りで言葉を発する。ソレに応えてドールからの攻撃が止んだ。館の揺れも収まる。
「ドールマスターランク一位、ジェグ=ドロイト! この部隊の指揮はお前が取っているので間違いないな!」
 無防備に歩み出るレヴァーナを取り囲むドールマスター達。その外側からさらに鎧兵が包囲する。二重になった敵の円陣の中心にいながらも全く怯むことなく、それどころか堂々と胸を張ってレヴァーナは一歩一歩進み出た。
「だから? なん、だ? ん?」
「貴様を男と見込んで頼みがある!」
 叫んでレヴァーナは、ジェグから十歩ほど離れた場所で足を止め、
「取り合えず話し合ってみないか!」
 両手を腰に当てて無意味にふんぞり返りながら言い放つ。
 お前……今更何を……! そんなモンで解決できると思っているのか! どこまで甘ちゃんなんだ!
「レヴァーナ様! お戻り下さい! 危険です!」
「若! どうか御自重を!」
「殿下! 今助けに参りますぞ!」
 真下から口々にレヴァーナを呼ぶ声が聞こえて来たかと思うと、白いスーツを着た十数人の男達が館から飛び出した。コチラも全くの無装備だ。自殺行為だとしか思えない。
「お前達は来なくていい! 俺は今から男と男の話し合いをするんだ!」
 鎧兵に阻まれ、斬りつけられ、それでもなお突進しようとする白スーツ達を、レヴァーナは怒声に近い声で止める。
「そうだな、ジェグ=ドロイト」
「お前、頭、おかしい、な?」
 ジェグはいやらしい薄ら笑いを浮かべた後、指を小さく鳴らした。次の瞬間、ジェグの隣にいたクラゲ型ドールがレヴァーナの方に触手を伸ばす。
「レヴァーナ!」
 が、ソレは浅く頬を薙いだだけで背後へと通り過ぎた。
 安堵とともに全身の力が抜けていくのが分かる。冷たい汗が思い出したかのようにどっと吹き出してきた。
「ジェグ=ドロイト、お前は無防備な男とすらまともに話せないと言うのか」
「関係ない、な? 敵、邪魔。殺す。それだけ、な?」
 触手がレヴァーナの太腿を掠める。だがレヴァーナは仁王立ちのままビクともしない。
「いいだろう。お前がそのつもりなら俺は独り言を言わせて貰うとしよう」
 もぅいい! お前が馬鹿で大馬鹿で超特大の馬鹿だということはよく分かったから戻ってこい! なぶり殺されるぞ!
「俺はハッキリ言って争い事が嫌いだ。皆が手と手を取り合い、互いに想い合い、愛と努力と友情を掲げていくことが理想だと思っている。その信念は今も変わらない。しかし! 世の中そんな綺麗事だけではまかり通らないということも良く知っている。特にこの抗争が始まってからはそのことを悲惨なくらい思い知らされた」
「自分で言ってて、恥ずかしくない、か? ん? ん……?」
 悪魔的な冷笑を浮かべたまま、ジェグはレヴァーナの肩を、腕を、頬を削り取っていく。しかしそれでもレヴァーナは顔色一つ変えずに続ける。
「人と人との争いに無意味なものなど一つもない。それぞれが主義主張を持ち、ぶつかり合い、切磋琢磨して互いに高め合っていく。実に結構なことだ。だが! そこに無関係の人を巻き込み、さらに命のやり取りが関与してくるとなると話は全く違ってくる。命を奪うということは、その人の人生を奪うということ。引いては彼の者の魂を背負うことに他ならない。命を奪う者はその重みに耐えられるだけの覚悟が必要になってくる。ジェグ=ドロイト、お前にそれだけの覚悟があるのか!」
「弱い奴が、死ぬ。弱い奴が、悪い。死んだ奴が、悪い。コレで何も考えなくていい、な? な?」
 肩から血の飛沫が上がった。アレは掠めたなんてものではない。かなり深く抉られた。
 何とか……! 何とかしないとレヴァーナが……!
「ならばお前は教会に何を求めた。何を欲して教会に入会した。お前をそこまで突き動かす理由は何だ。お前ほどの優秀な力を平和目的で活用せず、軍事や人殺しに向けされた動機は何だ。金か、名誉か、権力か!」
「お前には関係ない、な?」
「軍事や人殺し、俺の大嫌いな言葉だが不要だとは思わん。むしろ必要悪だと考える。ただし! ソレを使うのは大切なモノを護る時だけだ! 私利私欲のために行使するモノではない! 己の欲望を成就させるためだけに用いるモノでは断じてない! お前が単に上からの命令を受けてこのような行為をしているならば、ソレは許すまじき悪だ! 滅すべき邪だ! だが! もしお前が誰かのために、自分の強固なる信念のもと、このようなことをしているとすれば話は別だ!」
 レヴァーナは傷付けば傷付くほど、出血が多くなればなるほど、萎縮するどころか逆に激しく燃え盛っていった。
「もう喋るな、な? いいから黙れ、ん?」
「フ……甘い! 甘いぞジェグ=ドロイト! この俺を黙らせたくば命を絶て! 俺の心臓はココだ! さぁやってみろ!」
 あの馬鹿……! 自己陶酔で気でも違ったか!
「ち……」
「できないだろう! ふははははは! お前はそういう男だ! 目を見た時から分かっていた! お前には大切な人がいる! その人の命令で仕方なくやっているんだ! いや、その人を思うからこそ、かな……? んん!?」
 僅かに顔を伏せて舌打ちするジェグ。ソレを機にレヴァーナが一気に優勢へと転じた。
「ならばズバリその人の名前を言ってやろうか! ミリアムだろう! お前らが『終わりの聖黒女』として崇拝しているミリアムこそが、ジェグ=ドロイト! 貴様の大切な人だ! どーた! 当たりだろう! フハーッハハハハハハハ!」
 レヴァーナの高笑いはやがて大気を激震させる哄笑へと変わり、周囲に怪音をまき散らせる。これではどっちが悪者か分かったものじゃない。
 ココからではよく聞こえないが、ジェグの口からくぐもった音で何かが紡がれた。そして――
「お前ごときが、あの人の名前を気安く、呼ぶな!」
 珍しく感情的になって叫ぶ。
 どう、なってるんだ……?
「ほぅ! さては図星かジェグ=ドロイト! だがいい目になった! 男と男の話し合いができそうだ!」
「殺、す……!」
 ジェグの殺気を込めた怒声に応えて、クラゲ型ドールが何本もの触手を一度に伸ばす。今度は威嚇などではない、本気でレヴァーナの体を貫くつもりだ。
「戦いの中で語り合おうという訳か! よし良いだろう! 受けて立つ!」
 レヴァーナは真横に転がって辛うじてかわしながら元気に叫び、黒スーツの中から銃を取り出す。ソレは私が持っていた二挺拳銃のうちの片割れだった。
 まさかアレで応戦するつもりなんじゃ……。
 触手が軌道を変え、レヴァーナの背後から襲いかかる。ソレらに狙いを定めて銃を構え、レヴァーナはトリガーを引き絞った。
「あれ……?」
 だが弾は出ない。
 当然だ。アレは私にしか使えないように細工してあるのだから。
「ジェグ! コッチを見ろ! 私はココにいるぞ! お前の狙いは私だろう!」
 私は少しでも注意を逸らそうと窓枠から大声で叫ぶ。
 だが届かない。戦いに集中しているジェグの耳に私の声は入らない。だったら……!
 私は窓から離れて部屋の隅に置いてある姿鏡に蹴りを見舞う。そして派手な音を立てて割れた鏡の破片を拾い上げ、ついでにそばにあった観葉植物も引きずって再び窓枠に戻った。
「のひぁ!」
 眼下からレヴァーナの声が聞こえてくる。地面を転がり続けて何かと触手から逃れてはいるがいつ掴まってもおかしくない。
 私は強く握り締めた鏡を陽光に晒し、反射した光をジェグの目元に合わせる。
 突然刺すような光を受け、ジェグの双眸が細められた。
「ココだジェグ! そんな雑魚相手にしてても面白くないだろう! 私と戦え!」
 がむしゃらに叫びながら私は観葉植物を思いきり揺する。そのショックで上げる奇声の音量が増大した。
「どいつも、こいつも……!」
 ジェグがコチラに顔を向ける。
 よしこれで注意を……!
「死ね!」
 クラゲ型ドールの触手がレヴァーナから私に標的を変えた。そして直線的な動きで窓枠を突っ切り、部屋の中に侵入してくる。
 ソレを見た瞬間、私の頭の中で何かが弾けた。
 コレだ……!
 閃いた時には体が勝手に動いていた。一気に収縮し、元の長さに戻ろうとする触手を掴んで私は体を浮かせる。内臓が押し込められるような感覚。空気の塊を頭でのけやりながら、私は窓を飛び出した。そして触手に引きずられる形で宙を舞う。
 振り落とされないようにしっかりと両手で触手を握り締め、クラゲ型ドールに当たる直前で手を放した。体を丸くして衝撃を最小限に抑え、芝生の上を転がって勢いを殺す。そして上下感覚が戻ったところで立ち上がった。
 体の状態を確かめる。大丈夫。痛くない。コレなら全然平気だ!
「レヴァーナ! 大丈夫か!?」
 私は辺りを見回して、すぐそばで呆気にとられているレヴァーナの元に駆け寄る。
「キミは、何という無茶を……」
「お前に言われたくない! いいからさっさと私のドールを出せ!」
「いや、それがな……置いてきた」
「置……!」
 一瞬、目の前が暗くなった。
 直後、背後で大きな気配が立ち上がる。
「じゃあ銃だ! 銃を貸せ!」
 振り向いている暇などない。一か八か!
「でもあの銃は……」
「いいから!」
 風が上げた悲鳴のような音と共に何かが飛来し――
 間に合わ……!
「使え」
 低く野太い声。そして重い物が落ちる音。
 私の手の中には【カイ】と【フェム】がいた。
「ヴァイグル! 皆殺しにしなさい!」
 館の方から届くラミスの声。
「言われなくとも――」
 空気の質が激変した。闘気の渦巻く熱いモノから、恐ろしく斬れる刃物のように冷たく、鋭く、そして黒い殺意を孕んだモノへと。
「そのつもりだ!」
 後ろを振り向く。顔に生暖かい液体が飛んできた。
 視界の中には深くしゃがみ込むようにして身を低くし、両手を真横に伸ばしだレザーコートの男の姿。
 そして――胴体から切り離された数人のドールマスター。
「っはぁ!」
 さらに続けざま、数体のドールの首が飛ぶ。 
 まるで円舞でも踊るかのように流れる動きで疾駆するヴァイグルに合わせて、朱の軌跡が引かれていった。
「殺、せ……! コイツを殺せ!」
 紅く染まった脇腹を押さえながら、ジェグは悔しさで鼻に皺を寄せて叫ぶ。ソレでようやく我に返ったのか、目の前の殺戮劇に放心していたドールマスターや鎧兵が一斉にヴァイグルへと襲いかかった。
「ッハハ!」
 口の端を異様につり上げ、ヴァイグルは飛ぶ。上空の鷹型ドールの翼を引き裂き、後ろから跳びかかってきた熊型ドールの心臓を握りつぶし、着地地点にいた鎧兵の頭を踏み抜いた。
 右手に生み出した剣をドールマスターの眉間に突き立て、貫いて奥に押し込み、後ろにいた別のドールマスターの喉を切り裂く。右腕を大きく振るって二人を飛ばし、剣が描く円弧に鎧兵の胴を巻き込んで二つに割る。そして飛ばした二人のドールマスターで虎型ドールと豹型ドールの視界を遮り、一瞬の隙をついて四肢を切り離した。
 全ての動きを連動させ、攻から守へ、守から避へ、避から攻へ。一切の無駄な挙措を排除し、相手を迅速に葬り去ることだけに特化した機械のように精密な動き。
 戦場に舞う修羅の如く、全く他を寄せ付けない。
 ――だが、半数を葬り去ったところでヴァイグルの体が止まった。
「グ、ゥ、ァ……」
 そして苦しそうな呻き声を上げ、その場に膝を付く。
「クタ、バレ……!」
 そこにジェグの巨大な蜘蛛型ドールが、覆い被さるようにして足を突き立てた。
「ちぃ!」
 ヴァイグルは左腕を盾のように掲げて受け止める。が――
「な……」
 四本の脚から体を庇った腕が、肩口から崩れ落ちた。
 ヤバイ! 腐敗が進みすぎてる!
「【カイ】! 【フェム】!」
 私は両手に亜空文字を展開させ、竜型ドールと人型ドールを真実体化させる。
「行けぇ!」
 そしてヴァイグルにのし掛かっている蜘蛛型ドールに飛びかからせた。人型ドールの【フェム】が蜘蛛型ドールの脚を逆関節に曲げ切ると、ヴァイグルの倍以上の高さから竜型ドールの【カイ】が炎で焼き払う。
「一端引け! 後は私がやる!」
 熱に蹂躙され、大きく仰け反った蜘蛛の腹に【フェム】の拳が突き立てられた。緑色の汚汁を撒き散らせながら、蜘蛛型ドールは封印体である小さなバッヂへと姿を変える。
「お前、が……? アイツもいないのに、この数を、か……? ん? ん……?」
 ジェグは爬虫類のように無機的な視線を私の方に向け、口の端に嘲笑を浮かべた。そしてジーンズのポケットの中から小さなとトカゲを取り出して亜空文字を展開させ、体長五メートル近くある鰐型の真実体へと変貌させる。
 アイツ……ハウェッツのことか。確かに今、ハウェッツはいない。圧倒的な力を持った麒麟型ドールは使えない。だが、私には大切な二人のドールと、
「お前こそ。そんな体で私に勝てるとでも思っているのか」
 このバカがそばに……。
「メルム。勝機はあるんだろうな」
「お前次第だな」
 身を寄せて聞いてくるレヴァーナに、私は短く返した。
 【カイ】と【フェム】にはハウェッツのような妙なプロテクトは掛かっていない。確実に私の言うことを聞く。そこにレヴァーナの怪情を乗せられれば――
「ク……」
 横手から漏れた吃音に皆の視線が集中する。
「ヴァイグル。いいからラミスの所に戻れ」
「ククッ……ンハハッ。ハハハハッ――」
 地面に落ちた左腕をジッと見つめながら、ヴァイグルは気でも触れたかのように乾いた笑いを並べ立てた。
「ッハハハハハハハハ! ギャハハハハハハ!」
 そして突然勢いよく顔を上げると右手を真横に付き出し、咆吼のようにけたたましい凶笑を轟かせた。
「殺す、殺してやる……!」
 きつく噛み締めた歯と歯の間から泡立った唾液を垂れ流し、ミラーシェイドの奥で狂おしいまでに紅く染まった双眸を輝かせて、ヴァイグルはおぼつかない足取りでフラフラと私の方に近寄る。
 コレは、まさか……。
「教会の奴等全員、皆殺しニ、シテヤル!」
 暴走!
「ラミス!」
 私は叫ぶと同時に【フェム】を近くに呼び寄せる。
『ガアアアアアァァァァァ!』
 そして獣吼と共に放たれた右の裏拳を、【フェム】が両腕をクロスさせて受け止めた。
 よし、止め――
『ゲアアアアアアアアァァァァァァァ!』
 な――
 気が付くと私の体は後ろに吹き飛ばされ――レヴァーナを巻き込み――勢いは殺されることなく――背中に強い衝撃――
 な、何が起きた。どうなったんだ。
 大きく揺れる視界の中、辛うじて焦点を合わせ直して私は前を見る。
 【フェム】の上半身がなくなっていた。
 まるで巨大な手で強引にもぎ取られたかのように、ささくれ立った歪な断面を晒している。
 信じられない。たったの一撃で……。【フェム】は戦闘に特化させて生み出したドールなのに。もし彼がいなければ、もし呼び寄せていたのが【カイ】だったら、私がこうなっていた。
『コロズ……! ゴロズ! ゴ、ヲズ!』
 ヴァイグルは壊れたスピーカーのようにブレた声で何度も同じ言葉を言いながら、コチラに近づいてくる。そして筋肉が弛緩したように右腕をダラリと下げ、顔だけを大きく突き出して緋色の視線を向けた。
 駄目か……!
 片目を瞑り、私は無意識に顔を手で庇う。
 だが――ヴァイグルはそれ以上近寄ってこない。まるでコチラを観察でもするかのように、幽鬼の如く朧気に立ちつくした体勢のまま見つめている。
 何、だ……?
「メルム……シフォニー……」
 老婆のようにしゃがれた声で私の名前を呼び、
『ガオオォアアアアアアァァァァァァァァ!』
 再び絶叫を上げた。そして右腕を高く振り上げ、
 ――視界が黒く覆われた。
 何か長い物が私を守るように覆い被さっている。肌に触れる滑らかで固い感触。
 コレは、鱗……?
「さっさと、立って、逃げろ……!」
 そして耳に届くジェグの声。じゃあ今目の前にいるのは、彼が真実体にした鰐型ドール……? でもどうして……。
 だが思考は何かの潰れる嫌な音で遮られた。
 クソ! 今はアイツの言ったとおり逃げる!
「おいレヴァーナ! 立てるな! 走るぞ!」
 私は後ろにいるはずのレヴァーナに声を掛ける。しかし返事はない。
「レヴァーナ! こんな時に悪ふざけは……!」
 尻餅をついた姿勢のまま、私は上半身を後ろに向ける。
 そこにいたのは、まるで地面に吸い込まれそうなくらい深々と体を横たえたレヴァーナだった。
「お、おぃ……」
 声を掛け、揺さぶってもピクリともしない。そして彼に触れた私の手が気持ちの悪い湿り気を帯びた。手の平を目の高さまで持ち上げる。
 真っ赤な十枚の花弁が咲いていた。
「何だ、コレは……」
 耳の奥の方で声が聞こえる。
 ――ナンダコレハ。
 どうしてレヴァーナはこんなにも。気付かなかった。彼がどれだけ無理をしていたのか。分からなかった。気力だけで意識を繋ぎ止めていたことを。
「メルム……シフォニー……」
 後ろからまたさっきの声が聞こえる。
 振り向くと、頭から真っ二つに裂けた鰐型ドールの向こう側にヴァイグルが立っていた。彼は私に何かを求めるような視線を向け――
 糸が切れたように倒れ込んだ。
 ……ようやく、ラミスがブレーキを掛けてくれたらしい。
「メルム! 大丈夫か!」
 そして上空から届くハウェッツの声。
 あのバカ鳥。やっと来たか……。
「引く、ぞ……!」
 それから間髪入れずにジェグが叫ぶ。教会のドールマスターと王宮の鎧兵は逃げるようにして館の敷地内から姿を消していった。
 随分と統率の取れたことだ。戦いの方は三流でも逃げ足だけは超一流だな。
「は、ははは……」
 どうしてだ。どうして私は笑っているんだ? 笑っているのにどうして、こんなにも胸が……。 
「ハウェッツ、レヴァーナを運ぶのを手伝ってくれ……」
 私は静かに言うと亜空文字を両手に展開させた。


 ――かなりの重傷ですね。特に背中の傷が酷い。

 最初、なんのことか全く分からなかった。だってアタシが見ていた限り、レヴァーナは背中を傷付けられたりなんかしてなかったから。

 ――ココだけは他のよりも傷が古いですね。その時にろくに消毒もせず、包帯だけ巻いたのでしょう。菌が入って化膿してきています。

 そこまで言われてようやく思い当たった。あの時だ。ミリアムに会いに行く前、ジェグの熊型ドールからアタシを庇って背中を爪で……。重傷だと思った。しばらくは動けないだろうと思っていた。なのにアイツは――

『あんなもの、俺の中に眠る『愛、努力、友情、勝利』の力と、持って生まれた比類なき気合いと根性を合わせてやれば、ぱっぱらぱーってなものよ。はっはっは』

 どうしてあの時、気付かなかったんだ。レヴァーナが無理をしているのだということに。

『だが残念なことに俺は出血多量だったんで記憶が曖昧なんだ。そんなわけでルッシェ君、よろしく頼む』

 アタシにバレないように、本当のことをわざと茶化していただけだということに。
 そして黒いスーツが、包帯だけでは止めきれなくなってきた出血を隠すためだということに。
「アンタって、ホント、バカよね……」
 全身に包帯を巻かれ、痛々しい姿で眠っているレヴァーナを見ながらアタシは誰に話し掛けるでもなく呟いた。
 きっとさっきだって精神力で立っていたに違いない。ジェグにあれだけやられたんだ。普通なら痛みで気を失っていてもおかしくない。でも、コイツはいつだって底抜けに明るくて、前向きで、元気一杯で……。だから気付いてやれなかった。

『俺の名前はレヴァーナ! レヴァーナ=ジャイロダイン! キミのパートナーとなるべくして生まれた男の名前だ! 絶対に忘れるな!』

 第一印象は最悪だった。またジャイロダイン派閥の奴が下らないちょっかいを掛けに来たと思った。本気で殺意が沸いた。

『メルム=シフォニー! 今日こそキミのハート貰い受けに来た!』

 でもアイツが本当に何回も何回も、呆れるくらいしつこく通い続けるモノだから、契約してやったんだ。教会とラミスへのイヤガラセの意味を込めて。ただソレだけだった。ソレ以上のことをするつもりなど全くなかった。なのに――

『あの時も言ったはすだ。ミス・メルム、キミを放っておけないと! そして今また強く思う! 現在のキミはあの時以上に放っておけないと!』
 
 いつの間にかコイツのペースに乗せられて、アタシ達は一緒に行動することになった。
 それからはトラブルのオンパレードだった。でも、そのたびにコイツはアタシを支えてくれた。

『全くもってキミは悪くない。一片の非もない』

 ルッシェに昔の嫌な記憶を掘り起こされた時も、

『また何か変なことを考えていただろ。キミがそういう目をしている時は、思い悩んで落ち込む一歩手前だ』

 ミリアムに言われたことで沈みかけていた時も、

『今は怪我を完治させることだけ考えろ』

 ジェグに折られた肋骨が痛んだ時も。
 このバカの行動はバカだったけど誠意があった。いつだってアタシのことを気に掛けてくれていた……。なのに自分のことには無頓着で、こんな余計なやせ我慢なんかして……。

『俺は、そんなことでメルムを失いたくない』

 アンタが先にどっか行っちゃったら、意味ないってこと、分からないの……?
「バカ……」
 アタシはそっとレヴァーナの顔に手を伸ばし、優しく頬を撫でた。
 冷たい……。
 出血が酷かったせいだろう。今はまだ辛うじて胸が上下しているが、悲惨なくらい頼りなくてか細い。いつ止まってもおかしくない。まばたき一回する間にレヴァーナの鼓動が弱まっていく気さえする。
 もしこのまま目が覚めなかったら。もしこのまま声が聞けなくなったら。もしこのまま動かなくなってしまったら。もしこのまま、もしこのまま、もしこのまま――
 頭の中で嫌な想像が膨らむたびに、体が内側に吸い込まれていくような錯覚すら覚える。息苦しい、目の奥が痛い、耳鳴りが聞こえる、喉はカラカラだ……。
 なによコイツ……いつの間にアタシの中で、こんなにも……。
「ほら、早く起きなさいよ……。アンタ、アタシのパートナーなんでしょ……。誰が勝手に、こんなになれって言ったのよ、バカ……」
 声が震えてくるのが分かる。ダメだ。アタシがこんなことじゃダメだ。今はアタシがコイツを支えてやらないと。
 何かないのか。アタシにできること。コイツは散々アタシに余計なお節介をしてくれたのに、アタシはコイツに何もできないのか。コイツに、何一つとして恩返しを……。
「レヴァーナ……アタシね、アンタのこと、大嫌い……。だってそうでしょ? いつだってアンタは自分の考えを押しつけて、滅茶苦茶に引っかき回して、なのに無意味に自信満々で、自分は正しいって感じで無駄に胸張ってて……」
 そんなアンタに、アタシには救われてきた。
「さっきだってそう。誰が、あんなことしてくれって頼んだのよ。アタシのこと心配する前に、自分のこと心配しなさいよ……。そのせいで、アタシがこんなになってるんだから、ちゃんと責任取ってくれるんでしょうね……。ホント、大嫌い……」
 大嫌いすぎて、苛立ちすぎて、ムカツキすぎて……アレ? なんだっけ……。
「でも、許してあげるから。特別になかったことにしてあげるから、だから……」
 ダメだ、目が熱くなって……もぅ……。
「さっさと目、開けなさいよ……」
「キミは怪我人をいたわるという言葉を知らんのか」
 え……。
「全く、人が出血多量、疲労困憊、満身創痍、自画自賛で倒れているというのに、ろくに寝かせてもくれないんだな、キミは」
 顔を上げる。
 包帯に覆われた上半身をベッドの上に起こし、レヴァーナは逆立った髪の毛を面倒臭そうに掻きながら大きく欠伸をした。
「耳元で馬鹿だの大嫌いだのと、少しは優しい言葉の一つも掛けて欲しいもんだな。死人に鞭打ち蝋燭を垂らすとはこういうことを言うんだぞ。真性のSなのか、またツン期に戻ってしまったのかは知らんが、少しは相手のことを気遣ってだな……」
「バカ!」
「な――」
 コイツは、人の気も知らずに……!
「馬鹿とは何だ馬鹿とは! 馬鹿に馬鹿って言う奴が馬鹿だ、この馬鹿!」
「じゃあアンタは大馬鹿なのよ! 起きてるんならさっさとそう言いなさい!」
「キミが目を開けろと言うから気合いと根性で覚醒を促したんじゃないか! なのに人の渾身の努力を罵倒するとは何事だ! 愛と正義の名の下に鉄槌を食らわせてくれるぞ!」
「その体でやれるモンならやってみなさいよ! このクソバカ!」
「ク、ソ……!? キミこそ目薬なんか使ってそんな下手クソな演技したくらいで、『あぁ、気にしなくていいんだよハニー』『嬉しいわダーリン』なんて展開になるとでも思ってるのかー!」
「誰がそんな展開期待しとるかー!」
 私の右ストレートがレヴァーナの顔面に突き刺さった。
「オッおゥ……」
 ソレをまともに受け、レヴァーナの体が再びベッドに沈む。
「大丈夫か! レヴァーナ! しっかりしろ!」
「キ、キミという奴は……」
 再び体を起こし、半眼になって不満を漏らすが声はハッキリしている。これだけ元気なら心配ないだろう。相変わらずコイツの回復力は尋常じゃないな。
 おっと、いかんいかん。この前はそう思い込んでコイツに無理をさせてしまったんだ。二度と同じ轍は踏まないようにしないとな。
「とにかく、今度はお前が安静にする番だ。それから、さっきみたいな無茶は二度とするなよ。黒スーツも没収だ。分かったな」
「メルム……俺は間違っているのか?」
 いつになく沈んだ声でレヴァーナは言葉を紡いだ。だが目つきだけは鋭く、強い意志を宿して虚空を睨み付けている。
「ん?」
「誰も傷付かないで争い事を終えられるならソレにこしたことはない。誰も傷付けないで自分の野望を叶えられれば理想的だ。だがソレが綺麗事だということは分かっている。大きなことを成すためにはソレに見合う犠牲が必要なんだ。俺だって自分の思想を貫き通すために色んな人を巻き込んできた。母を越えるためと言ってキミには多大な迷惑を掛けた。ソレは分かっている。十分に自覚している。けど、やはり納得いかないんだ。この抗争に参加している奴らは全員、誰かを殺してまで得たい物があるのか? 道徳的、倫理的観念から考えて明らかに間違っている殺人を犯してまで、勝ち取りたい物があるのか? ソレは罪の意識や惰性、一時的な欲求などいった曖昧なものではなく、確固たる強い意思に支えられた物なのか?」
 擦り合わさる音が聞こえてきそうなほど奥歯をきつく噛み締めながら、レヴァーナは怒りでもぶつけるように猛る語調で言い切った。
 何だろう。この感じは。レヴァーナのこの言葉、不特定多数へではなく、限定された人物へぶつけらているように聞こえる。レヴァーナの極々身近にいる誰かへ。
「主義主張は人それぞれさ。残念ながら、極めて軽い動機で人を殺す奴もいる、殺すという行為自体が目的で殺人を重ねる奴もいる。誰しもがお前のような考え方をしている訳じゃない」
「そうか……」
「だが、お前と全く同じとまではいかないまでも、似たような考え方をしている奴等だって沢山いる。ルッシェなんかはお前にかなり近いだろうな」
 息を吐きながら残念そうに言ったレヴァーナに、私は即座に言葉を被せた。
「キミは、どうなんだ?」
 聞かれることは予想していた。
「……さぁな」
 そしてこう返すしかないことも。
 今の私にはこう言うしかない。できることなら『お前に近い』と言ってやりたいが、残念ながら……。
「キミは正直だな。有り難う。話を聞いて貰えて少し吹っ切れたよ」
「みんなお前みたいなバカな奴等ばっかりだったら、こんなこと起きないのにな」
「取り合えず褒め言葉と受け取っておこう」
 褒めたんだよ。
「少し寝たいな」
「ああ、好きなだけ眠るといい。もう邪魔はしない」
「その前に包帯を取り替えたいんだが」
 言いながらレヴァーナは自分の背中を押さえつける。分厚いガーゼの上に何重にも巻いたはずなのに、少し血が滲んでいた。表面でコレなら、きっと中の方は真っ赤になっているだろう。
 他の傷は縫うことで完全に止血できたが、背中の傷だけはただれていたので消毒して皮膚の再生を待つしかなかった。
「包帯ならココにあるぞ」
 だから何回も巻き変えることを前提で、ベッドに脇には大量の包帯がピラミッド型になって積まれている。
「そうか。じゃあ悪いが頼むぞ」
「頼、むって……?」
 言われたことをよく理解できずに聞き返す。
「さすがに自分じゃ上手くできないからな」
 え、ちょ、待て……包帯を巻き直すってことは一回包帯を外すってことで、包帯を外すってことはその下にレヴァーナの地肌が――
「どうした、そこの傍若無人プチトマト」
「誰がだ!」
 怒りによる追撃で、顔が噴火直前くらいに灼熱を帯びていく。
「何をそんなに照れとるんだ。男の裸がそんなに珍しいか。お父さん……はいないから、孤児院の男の子達と洗いっことかしなかったのか?」
「するか! 大体今と昔とじゃ違いすぎるだろ!」
「何がだ?」
「な、何もかもがだ!」
 コイツはどうして恥ずかしいことを何の臆面もなくベラベラと。天然なのか? それともわざとなのか? イヤガラセなのか?
「そんなことはない。少なくともキミに関しては俺が幼少の頃、一緒に水遊びしたゲゼルグ=デス=ハザードちゃんとなんら変わりなかったぞ」
 なんだそのイカツイ名前は。
 ――って、オイ。
「ま、俺だけ見てる分には忍びなかったが、コレでお互い様ということになるな」
「お前、まさか……」
 やっぱりあの時、私の固定帯を付け替えた時……。
「うむ、実に見事だった」
「な……な……」
 腕組みして頷くレヴァーナに、私は焦燥にも似たかつてない羞恥を覚え、
「見事に何もなかった」
「死ねー!」
 灼怒へと昇華した。

 全くあのバカは! 何を考えているんだ! 本当に頭かっさばいて脳味噌を改造してやろうか! 【フェム】が命がけで守ってくれたというのに! 可愛いドールを一人失ってしまったというのに! あんな奴、あの時【フェム】の代わりにヴァイグルにブッ飛ばされていればよかったんだ! そうすれば良い具合に脳が揺れて少なくとも今よりは正常になったはずなんだ!
「あ、先輩!」
 レヴァーナの部屋を出て、白い絨毯の敷かれた廊下を歩いていると後ろから声を掛けられた。振り向くと肩にハウェッツを乗せたルッシェが小走りに駆け寄ってきている。
「レヴァーナさん、どうでしたか? 意識戻りましたか?」
「え? あ、ああ、今はよく眠ってるぞ。大分落ち着いたみたいだ。何の心配もない」
 私はルッシェから目を逸らして自然な声で返した。
 だ、大丈夫だ。冷や汗も出ていないし、声も上擦ってない。……はずだ。
「本当かよ。どーせ大方、変なこと言われた弾みに顔面に拳叩き込んで、そんで関節決めて首閉めて、悶絶したところにみぞおちでトドメさしたんじゃねーのか?」
 なぜ知ってるんだ。
「でも、ビックリしました。治療が終わった途端、『二人にしてくれ』なんて……。やっぱり先輩、レヴァーナさんのこと……」
「ちがーう! 断じ違うぞ! 空が降ってこようが海が割れようが天地が開闢され直そうが、そんなことは絶対に有り得ない!」
「まだ何も言ってねーよ」
 ヘッ、と鼻で笑いながらしたり顔になり、ハウェッツは上から目線で見下ろしてくる。
 この馬鹿鳥ぃ……羽根全部むしり取って公衆の面前を全裸で連れ回してやろうか。
「でも、こんなことがあったらココも簡単には空けられませんね。また、いつ攻めてくるか……」
 指をコキコキと鳴らしながらハウェッツを睨み付けていると、ルッシェが俯いて暗い声で言ってきた。
「そうだな。だが向こうも大分消耗したはず。当分攻めては来ないだろう。ま、ヴァイグルの抑止力がどこまで効果あるか、だな」
 ヴァイグル……。確かに味方でいる内は強力な戦力になる。だが一度暴走すると……。ラミスのブレーキがもう少し遅ければ、私は……。これからその辺りのことをラミスと話して詰める必要があるな。それに今はレヴァーナも大人しく寝ている。あのことを確認する良い機会だ。
「それにな、少し気になることがあるんだ。コレは私の直感なんだが、今回はこの館を攻め落とすというよりはもっと別の目的があったような気がする」
「目的って?」
「そこまでは分からん」
 だが、館を壊すのなら正面でなくともいい訳だし、レヴァーナだって……あんなにいたぶる必要もない。この街の中心にある噴水で仕掛けられた時、私のドールに感情を注げるレヴァーナをジェグは本気で殺すつもりだったのだから。ましてや私を助ける必要など……。
 ジェグはミリアムの命令で動いている。そしてミリアムの目的は私から大切な物を奪って絶望させること。だから私を助けた? 死んでしまっては意味がないから。だからレヴァーナをすぐに殺さずに痛めつけた? 私を苦しめるために。
 だが別にレヴァーナは大切な人でもなんでもない。ただ成り行きで契約してしまっただけのバカ電波だ。
 ……まぁ、五万歩譲ってミリアムが勝手に勘違いしてしまったとしても、この場所で痛めつけることはない。無駄に時間が掛かれば外に出ていったドールマスターやハウェッツが戻ってくるかもしれないのに。現にヴァイグルという殺戮ドールが出てきたせいで向こうもかなりの被害を負ったはず。
 私なら、もし私がミリアムなら、レヴァーナを、あのバカを、
 ――連れ去る。
 ソレが一番確実で手っ取り早く、そして安全だ。
 だがソレをしなかったということは他に何か意味があるのか?
 ミリアムよりも上の階級……教会のトップである教総主の考えで別の動きをしている?
 分からない。だが、分からないことをいつまでも考えていてもしょうがない。今の自分がすべきことをやるだけだ。
 私がしなければならないこと。
 ソレは孤児院の人達を見つけ出すこと、そしてミリアムにもう一度会うことだ。
「ところでルッシェ。孤児院の人達、見つかるか、何か手掛かりみたいな物は掴めたか?」
「スイマセン……」
 私に言葉にルッシェは眉間に皺を寄せ、下唇を噛みながら項垂れた。
「ああ、いや。別に謝ることなんてないんだ。そう簡単に見つかるんなら苦労しないからな。それにお前まで動いてくれて助かってる。けど無理しなくていいんだぞ? お前の身に何かあったら、そっちの方が困るからな」
 そう。ルッシェは私の大切な後輩だ。ミリアムに目を付けられていてもおかしくない。もし、連れ去られでもしたら……。
「いえ! わたしも手伝います! 手伝わせて下さい! わたしだってラミス様と契約したドールマスターですから! もうちゃんと自分の身くらい自分で守れますから! 大丈夫ですから!」
 私に心配を掛けまいとしているのか、ルッシェは毅然とした表情でハッキリと言い切った。
 強く、なったな。最初に会った時とは大違いだ。今のルッシェならきっと、教会のドールマスターを前にしても震えることなんてないだろうな。
 でも、絶対に無理だけはして欲しくない。でないとまた、レヴァーナのように……。
「だから先輩はココで大人しくして怪我を完全に治して下さいね。きっとその頃には見つかってるはずですから、そしたら教会に行きましょう!」
「ああ、そうだな」
 そうだ。私が今一番しなければならないことは孤児院の人達を見つけることでもミリアムに会うことでもない。自分の体を完治させることだ。無理しないことだ。そうすれば、こんな歯がゆい思いをしなくすむ。けど、それまでは――
「ルッシェ。お前も頑張ってくれ」
「はい!」
 大切な物を守るために、大切な物を危険に晒さなければならない。
 本当にコレで良いのか? レヴァーナに言わせれば愚かで身勝手な行為なんじゃないのか? だが、レヴァーナはこうも言っていた。
 ――何かを為すために犠牲は必要。
 確かにそうなんだ。綺麗事だけではやっていけない。けど、その犠牲が取り返しの付かない物だったら……私は……。
「ラミスと話がしたいんだが、どこにいるか知ってるか」
 けどコレばかりは考えて何とかできるモノではない。とにかく、そんなことが絶対起こらないように祈るだけだ。
「いや、見てないですけど……。でも、ひょっとしたら離れかもしれません」
「離れ? 何があるんだ?」
「ヴァイグルさんの、いる場所です」

 そこは離れ、と言うよりは隔離施設だった。
 広大な敷地内の端。本館裏手に位置する背の低いキューブ型の建造物。申し訳程度の扉が一つあるだけで、窓も通風口も何もない。高さ、面積は私の家の半分くらいだろうか。そこは日中影に覆われて、陽が当たることはない。スチールワイヤーが幾重にも張り巡らされ、見る者を威嚇し、拒む雰囲気が自然と滲み出ていた。
「おい、ホントに入んのかよ」
「当たり前だ」
 肩に乗ったハウェッツに短く返し、私は異様な空気を漂わせる建物に近づく。
「絶対にヤバいって」
「分かってる。そんなこと」
 あそこはヴァイグルの『収納場所』。むしろコレくらい厳重であってしかるべきなんだ。
 私は建物の周りで複雑に交差したスチールワイヤーを見つめる。中に電流を蓄積するタイプのようだ。側面だけではなく天井の方にまで張り巡らされている。多分、触れれば一瞬で黒こげだろう。
 しかし、もしラミスが入って行ったとすれば。
 私は足元の芝生を何本か抜き取ってワイヤーの上に撒く。銀色の線に触れた芝生は何事もなかったかのようにそのまま滑り落ちた。
 やはり、今は電流は通っていない。
 念のためワイヤーに一瞬だけ触れてすぐに手を放す。たが痺れも痛みもない。このスチールワイヤーはただの囲いでしかない。
「行くぞ。静かにしてろよ」
「ったく、物好きな……」
 ブツブツと不満を零しながらもハウェッツは一旦私の肩から飛び立ち、ワイヤーをくぐって中に入った。そして私の体が内側に入ったところでまた肩に止まる。
 扉にノブはなかった。ただ中央に波紋のような広がりを持つ同心円が描かれている。 
 ――なるほど。
 目を細くしてその模様を眺めた後、私は緑色の輪郭を持った黒い亜空文字を生み出して扉に押し当てる。ソレは吸い込まれるようにして消えたかと思うと、扉は自然に奥へと開いた。
 確かラミスは昔ドールマスターだったな。亜空文字くらい生み出せても不思議じゃないか。
 私は扉が開ききったのを確認して建物の中に足を踏み入れる。すぐにかび臭い匂いが鼻を突いた。まぁ、コレだけ密閉されていれば当然だろう。
「誰もいねー……」
 肩の上で声を出すハウェッツのくちばしを強く掴んで閉じさせる。
 いる。下、か……?
 建物の中にあるのは厚く堆積した埃だけ。しかし部屋の隅のだけが僅かに薄くなっている。視線を低くしてよく見ると、上下に並んだ大小二つの三角形と大きな楕円がソチラに向かっていた。
 コレはヒールとブーツの跡だ。ほぼ間違いなくラミスとヴァイグルの足跡。
 私は足音を立てないようにして埃が薄くなっている部屋の隅に移動した。そして片膝を付いてしゃがみ込み、下から聞こえてくる声に耳をそばだてる。
「本当に……ゴメンナサイね……」
 耳に神経を集中させると、ハッキリとラミスの声が聞こえた。間違いない。ラミスはココにいる。そしてヴァイグルに話し掛けている。
「こんな、体にしてしまって……」
 ラミスの声から生気は感じられない。
「本当に……ゴメンナサイね……」
 ただセリフを棒読みするかのように同じ言葉を繰り返している。
「こんな、体にして……しまって……」
 その二つのフレーズをどれだけ反復しただろうか。
「いいから、お前は左腕を何とかすることだけ考えろ。とにかく戦えるようにしろ」
 更に奥の方から低い男の声が聞こえた。ヴァイグルだ。
「私が、貴方に興味を持たなければ……こんなことにはならなかった……」
 ソレに応じてラミスの言葉も変化する。僅かだが、声に人間味が宿った気がした。
「そんな昔のことはどうだっていい。お前は俺に力をくれた。それに、物を壊す愉しさと、人を殺す悦びを教えてくれた。お前が拾ってくれなかったら、俺は今頃どうなってたか分からない」
「ごめん……なさい……」
 普通に会話するヴァイグル。そして涙声で謝り通すラミス。
 どちらも普段の姿からは想像しにくい状態だ。
「で、そろそろ喋る気になってくれたか? 俺がお前に拾われる前、どこにいたのか」
 ヴァイグルの言葉に息を呑む気配が伝わってくる。
 話してないのか? ヴァイグルが教会に追われているところをラミスが拾ったのだということを。なぜ。どうして隠す必要がある?
「……まぁいいさ。今回の抗争で大体見当は付いてきた。教会の奴等を見ると無性に殺したくなるんだ。多分、アイツらがなんか関わってるんだろうな」
 ヴァイグルは教会が生み出した感情を持つドール。そして何か大きな精神的ショックを突きつけられた。恐らく、ソレが原因で教会から逃げ出した。だとすれば教会に復讐心を抱いていてもおかしくない。
「ラミス、覚悟決めろよ。もうお互いに後戻りなんかできない。行くところまで行くしかないんだよ。お前も初めて人を殺した時にそう思ったはずだ。抗争を起こして、教会を潰すしかないってな」
 殺した? ラミスが? 誰を。
「だったら俺が叶えてやるよ。お前には恩がある。もう効きにくくなったそのブレーキ手放して、俺を教会に突っ込ませろよ。爆弾だと思えばいい。お前の願いを叶える爆弾だ」
 自嘲めいた笑みを漏らしなが言うヴァイグル。しかしラミスは何も返さない。
 そのまま音も何もない無の時間がしばらく続いた後、
「貴方の死に場所は私が決めるわ。勝手な考えは起こさないで」
 いつもの高圧的な語調に戻ったラミスがきっぱりと言い切った。
「左腕はこれで何とかなるはずよ。動かしてみて」
「お……。おお、さすがだな。これでまた機械の部分が増えたか」
「他の腐敗した部分は自然治癒力で治るのを待ちなさい。これ以上機械系の素材で補うと、貴方だったところがどんどんなくなっていくわ」
「俺は別にソレでも良いんだが」
「私が許可しないわ。貴方はこれからもずっと私のそばで働くの、いいわね」
「できればな」
 そしてヒールの音がコチラに近づいてくる。
 やばい! 出てくる!
「何で逃げ……」
 ハウェッツのくちばしを乱暴に押さえつけて私は建物から飛び出した。そして外側から扉を閉じて元通り亜空文字で施錠すると、館の方に全速力で走った。
「だから何で逃げるんだよ! ラミスに会いに来たんじゃねーのかよ!」
「何となくだ」
「はぁ?」
 何となく、聞いてはいけない会話のような気がした。誰かに聞かれたとラミスに思わせてはならない、そんな気がしたんだ。

 そして数分後、私は偶然を装って館のエントランス・ホールでラミスと会った。ハウェッツは余計なことを口走らないように、ルッシェの所に行かせてある。
「あら」
 ラミスは一瞬驚いたように眉を上げた後、ブロンドのショートシャギーを梳きながら微笑を浮かべた。
「レヴァーナさんは元気になったみたいね」
「あのバカがそう簡単に参るはずないだろう」
 私は白衣のポケットに左手を入れ、右手でモノクルの位置を直しながら憮然と返す。
「そうね。でもあの時の貴女の顔、悲惨だったわよ? この世の終わりみたいな感じで。よっぽどレヴァーナさんのことが大事なのね」
「ふ、ふざけたことを言うな! 誰があんな奴! アイツは……そぅ! 私の下僕だ! 小間使いだ! 所有物だ! だから特別な感情など持つはずがない!」
 気か付くと顔が熱くなって叫んでいた。
「ふふ……ムキになっちゃって」
「お、お前にだってなくなったら少しくらい困る物があるだろう! ペットとか! ブランド物のバッグとか! 愛用のペンとか! アイツはそういうのと同じレベルだ!」
「そう、ね……」
 唾を飛び散らせながら発した私の言葉に、ラミスは思慮深げな表情で小さく笑みを浮かべる。
「全く、つまらないことを言うな。実に不愉快だ」
「ああ、ゴメンナサイね。そんなつもりじゃ……」
「で、孤児院の方はどうなってるんだ?」
 私は鷹の彫像が置かれた台座にもたれ掛かりながら、腕組みして聞いた。
 全く、変な汗をかいてしまったではないか。実に気持ち悪い。
「そっちはリヒエルに任せてあるわ。こういうの、彼が得意だから」
「大丈夫なのか。大失態を犯した後なんだろう?」
「なら人は普通、汚名を返上しようと頑張るものよ。それに、リヒエルには次はないって言ってあるしね。どうして敵がああも簡単に乗り込めたのかも調べさせてるわ。返上して、挽回させるためにね」
 相変わらず一歩引いた物の考え方をする。冷静で客観的で合理的。さっき隔離施設で聞いたのはラミスによく似た別の人間の言葉だったのか?
「それで? 私に何か聞きたいことがあるんじゃないの?」
 試すような視線を一度私の方に向けて、ラミスは奥にある大広間を見た。
「立ち話も何だから座ってゆっくり話しましょうか」
 お見通し、と言う訳か。もしかすると、離れに行ったことも気付かれているのかもな。
「いや、ココでいい。すぐに終わる」
 私は台座から体を離し、ラミスの目を真っ正面から射抜いた。
「お前は私を引き入れるためにレヴァーナを利用したのか? 自分の手駒として」
 そして単刀直入に弾劾する。
 もう、レヴァーナを疑っているわけではない。あのバカはそんな下らないことには荷担しないし、知らず知らず利用されていたとしてもアイツが悪い訳じゃない。
 しかしそれでも……いや、だからこそハッキリさせておきたいんだ。自分の気持ちに区切りをつけるために。それと、まぁついでに何だ……アイツのことでモヤモヤしてる気持ちとかも……。
「そうよ」
 僅かに間を空けて発せられたラミスの言葉に、私は自分の心臓が跳ね上がるのをハッキリと感じた。そしてこの場から逃げ出してしまいたい思いに駆られる。
 だが、ソレは駄目だ。最後まで聞かなければ気持ちがスッキリしない。ココで聞き逃せば今まで以上に暗い爪痕が残る。
「最初は、貴女からの謝罪の気持ちを煽るつもりだった。貴女が私を恨んでいることがどれだけ的外れかということを知らせるつもりだった。そのためにそれらしい老人や、リヒエルとヴァイグルを差し向けたの。リヒエルはずっと教会に潜伏してたから、例の教会員の証ってヤツも簡単に手に入れられたしね」
 ミリアムの言う通り、か。
「けど、レヴァーナさんが貴女に上手く取り入り始めたからソッチを利用することにしたの。Aプラン……ああ、貴女から私に謝りに来るように仕向ける作戦は結構骨が折れそうだったからね。急遽立ち上げたBプランは、逆に私を憎ませることでレヴァーナさんと貴女が契約するように仕向ける作戦。だからプランAの導入部分を利用して、私が自作自演をしていることを貴女に知らせた。貴女は思惑通り私を心底憎んで、その当てつけにレヴァーナさんに手を貸してくれた」
 やはりアレは全部、ラミスの策略の一部だったのか……。
「後はレヴァーナさんを上手く操って貴女を私の所に連れてくるだけ」
 じゃあ、やっぱりレヴァーナは……。
「だったんだけど。私はレヴァーナさんに何もしてないわ」
「……は?」
 急に語調を軽くして言ったラミスに、私は思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。
「私がBプランに介入したのは一番最初だけ。ヴァイグルと一緒に貴女と会うところまでよ。それからは全くのノータッチ」
「けど……現にレヴァーナは私をお前の所に……」
「全部レヴァーナさんが自分の判断でしたことよ。ま、放って置いても面白いくらいに貴女とレヴァーナさんの結束が強くなっていったから、私が横から何かをするまでもなかったっていうのが正直なところなんだけど」
 肩をすくめて見せながら、ラミスは半笑いになって眉を上げた。
「じゃあ、宿屋でリヒエルが私を勧誘しに来たのは……?」
 レヴァーナに『説得』された直後にリヒエルが入ってきた。余りにも絶妙すぎるタイミング。まさかアレも……。
「あら、リヒエルがまた変な粗相でもしたの? 私は可能な限り丁重にもてなすようにと言っておいたんだけど」
 偶然、なのか……?
「ラミス、もう一度聞くぞ。私をココに連れてくることに関して、お前はレヴァーナを操ったりしていた訳じゃないんだな?」
「ええ、一切ね。それに、あの子は出歩いてることの方が多いから。捕まえようにもなかなか捕まえられないのよ。この館にいるのが嫌いみたい。何なら本人聞いてみるといいわ。私とレヴァーナさんの会話の少なさが分かるから」
 寂しそうな諦めたような表情で言いながら、ラミスは細く溜息をついた。
 本人に聞けないからお前に聞いてるんだろーが!
 しかしまぁ、言われてみれば芝居がかった様子も、不自然で唐突な会話もなかった。
 ……ただ、アイツの場合は全ての言動が芝居がかっていて唐突で不自然で非常識で変態だから違和感がなかったとも考えられるが……。
「まぁいい」
「信じてくれた?」
「……取り合えずそういうことにしておいてやる」
「有り難う」
 たまたま私の頭の中にあった仮の答えと合致したから少しだけ素直に受け入れたてやっただけだ。礼を言われる筋合いはない。
「他には? 二人じゃないと聞けないこととか。あるなら今言っておいてくれた方が助かるわ。余計なしこりを残したままじゃお互いにやり辛いでしょうからね」
 言われて私は少し考えた後、
「別に……」
 お団子に纏めた紫色の髪を触りながら、私はラミスから目を逸らして返す。
 聞きたいことはある。ヴァイグルのこととか、ラミス自身のこととか。だが聞いてはいけない気がするし、私の気持ちを整理するには関係ない。人の過去には興味本位で無闇に足を踏み入れてはいけないんだ。思い出したくないことの方が多いのだから。
「それより孤児院の方を早く進めるんだな。まぁ焦ってもどうにもならないのは分かるが」
「ええ、できる限りの人員を割くつもりでいるわ」
 私の言葉にラミスは微笑し、穏やかな口調で続ける。
「けど貴女も随分と冷静になったわね。自分の怪我を治すのが先だって自覚できたのは凄いことだと思うわ」
「べ、別に誰かに言われたからじゃない……!」
「誰かに言われたの?」
「違う!」
「そんなに強く否定しなくても……」
 あー、クソ! あのバカのせいだ! あのバカが調子を狂わせているんだ!
「と、とにかく! そっちは任せたからな!」
「ええ、分かったわ」
 自分でも驚くほどの大声で言い残し、私は逃げ出すようにしてラミスの前から立ち去った。
 全くあのバカ! ただで済むと思うなよ!

 レヴァーナの部屋のドア。派手に輝く宝石類で無節操に装飾された極悪趣味な扉。
 その前で、私は一人ドアノブを掴んだまま固まっていた。
 回せない……。
 どういうことだ。体が言うことを聞かない。ココに来るまでにイメージトレーニングは散々済ませたはずなのに。
 ドアを蹴り開ける。お前のせいで最近調子が悪いぞと罵倒する。そして去り際に少し疑っていたことを謝る。
 この相手に有無を言わせぬ連続コンボを決めればソレで事は済むはずなのだ。私の気持ちもスッキリして、モヤモヤに邪魔されずに他のことを色々と考えられるようになる。
 なのに、どうしてドアの前まで来て動けなくなっている? 今更何を躊躇うことがある? それに顔のこの火照りは何だ。なぜ心臓がバクバク怪音を立てている。
 手が震える。考えが纏まらない。目の前が白くなってくる。こんな所、誰かに見られたらそれこそ変態扱いだ。レヴァーナじゃあるまいし。
 慣れないことをしようとしているからか。私が人に頭を下げるなどといった、らしからぬことを画策しているせいなのか。やはり全部あのバカが悪いのか。あのバカのせいで全ての調子が超怒級にイカれてしまっているのか。クソ、実に不愉快だ。不愉快極まりない。
 ……だが。ちゃんとケジメだけは付けなければならない。気持ちを区切らなければならない。私がレヴァーナを疑っていたことは事実だし、アイツが潔白だったということも事実だ。そして勝手に冤罪を着せてしまった私に非があるのも事実。だからここは私が謝らなければならない。私が悪かったんだ。
 けど……。

『この扉をくぐればエンディングは目の前。しかし鍵がない。どうする?』
 ○出直す。
 ○中から開けて貰う。

⇒○消し炭にする。

「【カイ】」
 私は亜空文字を展開させて竜型ドールの【カイ】を真実体にすると、扉目がけて業炎を吐かせた。分厚いが所詮木製の扉は見事に灰と化し、崩れ落ちるようにして姿を消した。
「よし」
 私は頷いて【カイ】を封印体に戻し、部屋に足を踏み入れる。ココまで来たらもうどうあっても後には引けない。
「レ、レヴァーナ! あのな……!」
 しかし意を決して放った私の言葉は途中で呑み込まれる。
「メルム……お前、そこまで俺のことを憎んで……」
 部屋の中にはレヴァーナと、
「先輩……何、してんですか?」
 ハウェッツを肩に乗せたルッシェがいた。
 ルッシェの右手にはスプーン。レヴァーナの膝の上にはトレイに乗せられたスープ皿。スプーンの下にはルッシェの左手が添えられ、その行き着く先はレヴァーナの――
 ――口。
 えーっと、コレはスープを飲ませようとしているのであって、飲ませているのはルッシェで、飲もうしているのはレヴァーナで、ルッシェは私の後輩で可愛くてアカデミーでは人気があって女の子で、レヴァーナは脳味噌の腐ったバカで変態で非常識で、でも背は高くてそりなりに整った顔立ちをしていて私が落ち込んだ時には色々励ましてくれて、まぁ優しくて。えっとえっと……。

『ホント頼りがいありますね、レヴァーナさんって』

 頼りがいがあって、えっとえっと……、

『そうですね。わたしもレヴァーナさんのこと知りたいですし』

 色々知りたくて、えっとエットえっと……。

『寄り添う男女が一緒に食事をしていればそれは――』
 ○恋人同士 ○恋人同士 ○恋人同士 ○恋人同士 ○恋人同士 ○恋人同士
 ○恋人同士 ○恋人同士 ○恋人同士 ○恋人同士 ○恋人同士 ○恋人同士

⇒○恋人同士⇒○恋人同士⇒○恋人同士⇒○恋人同士⇒○恋人同士⇒○恋人同士

「おっ、お邪魔しました!」
 走った。
 とにかく走った。
 息もせずひたすら走った。
 走って走って走って走って! 走って! 走って! 走って! 走りまくって――

 ――逃げた。

 アタシは一体……何しに来たんだったっけ?

 夜。
 館の最上段にあるルーフバルコニー。遮蔽物も何もココでは、冷たい夜風が直接頬に触れる。熱を帯びて火照った体がようやく落ち着いてきた。
 私は……何をやっているんだ。
 レヴァーナに一言謝るだけなのに、どうしてこんな醜態を晒さなければならない。どうしてこんなにも神経を擦り減さないといけないんだ。全く、自分でも情けなくなってくる。
 ルッシェがレヴァーナとどうなろうと別に私には何の関係もないのに。平気な顔して部屋に入って、いつも通り上から目線で一方的に吐き捨てて戻ってくるだけでよかったのに。
 私は……。
 よく分からないんだ。ああいう場面に出くわした時にどういう反応をすればいいのか。自分では、経験したことがないから。ずっとドール達とだけ喋ってきたから……。
「やれやれ、だな……」
 私は一人ごちて、前を向いたまま輝石製のバルコニー・フェンスに体を預ける。ココからだと街が一望できた。エーテル・エナジーの通った街灯が、第一から第四まで、十字にクロスした太い道を浮かび上がらせている。
 このどこかで、孤児院の人達は生きてくれているのだろうか。あのチビデブはちゃんと働いてくれているのだろうか。教会側の勢力はどこかに隠れてコチラの隙を窺っているのだろうか。
 そして、ミリアムは今の私の姿を見ているのだろうか。
 早く私も動きたい。そしてこのもどかしい気持ちに決着を付けたい。けどその前に怪我を完治させなければならない。でないとまた、あのバカが……。

『レヴァーナさん……ひょっとして先輩のこと……。好き、なんですか?』

『いや全く』

 あの馬鹿が。
「――って、オイ!」
 何考えてるんだ私! どうしてあの時の会話を思い出す! なぜイライラしてるんだ!
 あーもー! ムカツク! 何もかもが思い通りに行かないから腹が立ってしょうがないぞ! クソ!
 何か! 何かストレスを発散できる物はないか! この鬱憤をブチまけられるヤツは……!
 ……ん? 羽ばたく音……?
 後ろからかすかに聞こえてきたソレは徐々に大きくなり、
「ハウェッツ! 良いところに来た!」
 私は後光が差しそうなくらい最高の笑みを浮かべて後ろを振り返った。
『元気そうだ、な。メルム、シフォニー』
 そして一気に体温が下がる。
 そこにいたのはハウェッツではなかった。大きさが丁度同じくらいの黒い鳥。
 いや、鴉型ドール。それにこの声は……。
「ジェグ……!」
『ご明察。お前にメッセージを伝えに来た、な? な……?』
 ドールを介して自分の声を送っているのか。近くに本人がいる? それとも自律型?
「メッセージ、だと?」
 全身を緊張させて目だけで辺りを見回しながら私は聞き返した。
『心配しなくても、孤児院の奴等は全員、生きている、な?』
 鴉型ドールは私から少し離れた場所に下り、無機質な表情でいやらしく言葉を紡ぐ。
 この声を聞いてるだけでアイツが今どんな表情で喋っているのかハッキリと分かった。
「何、だと?」
『孤児院には地下室がある、ん? 全員そこに避難している、な? な……?』
「信用するとでも思ったのか」
『好きにすればいい、さ。けど、お前は必ず探そうとする。絶対に、な? けど、罠かもしれないから、十分に気を付けろ? ん? ん……?』
 コイツ、何が狙いだ。
 当然罠だろう。間違いない。だが、もしかしたら本当にいるかもしれない……。そういう気持ちがほんの少しでもある限り、私は探すかもしれない……。例え罠だと分かっていても。何か手掛かりが得られるかもしれないから。
『確かに、伝えた、からな? な?』
 不気味な声で言いながら鴉型ドールは空へと羽ばたいた。
『メルム、シフォニー……』
 そして静かに私の名前を呼ぶ。先程までとは、明らかに異質な言葉で。
『ミリアム様を、助けてくれ……』
 それだけ言い残すと、鴉型ドールは街とは逆の方へと飛び去って行った。すぐに夜の深い闇と一体化して見えなくなる。
「なん、なんだ……」
 言われたことがすぐに頭の中で理解できず、私はしばらく一人で立ちつくしていた。
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