ロスト・チルドレン -screaming the deadly ambition-

BACK | NEXT | TOP

  Nightmare.2【思惑 -dream or scheme-】  

Inner Space #9.
Governmental Organism.
School Area "Dining Block".
PM 06:05

―第9インナー・スペース
 政府組織
 スクール・エリア『ダイニング・ブロック』
 午後6時05分―
 
View point in ミゼルジュ=レイ

 ピアス・ナイフに特級純度の媚薬、か……。
 ったく……あのオッサンも好きだねー……。しかもソレをアタシに買いに行かせるところが変態過ぎるっていうか何て言うか……。
「ま、好きにすりゃいいけどさ……」
 こんな安物の躰でいいんなら、いくらでも差し出すよ。
 アタシは溜息混じりに独り言を零しながら、20メートル以上はある巨大なカーブ・カウンターに腰掛けた。コレがガラス製とかならバーカウンターみたいで雰囲気も出るんだろうけど、生憎と頑丈さだけが取り柄の無愛想な金属製。
 そしてこのダイニング・ブロックの作り自体も、空洞の金属球を半分に切り取っただけみたいな空間で、窓の一つもありゃしない。天井はやたらと高いんだけど、インテリアがマザー・ファッキンに地味で、しかもオール金属だから狭苦しく感じる。
 ホント、このスクールはどこを見回してもメタル、メタル、メタル。
 アウター・ワールドからのおかしな風に拭かれても全然平気な、ナントカっていう特別な金属で出来るらしいけど、ここまで徹底する事ないじゃん。檻の中に押し込められてるみたいで気が滅入っちゃうっての。
 変えられる時が来たら、まずはこういう身近なトコから変えていかないとねー。
 まぁソレはまだ先の話で、今はともかく、
「ディナー、ディナーっと」
 アタシはカウンターに埋め込まれたタッチパネルを操作し、映し出された見本写真の中から出来るだけボリュームあるヤツを選ぶ。
 ……今夜はまた体力使うだろうから、しっかり食べとかないとね。
 注文を終え、料理が運ばれてくるまでの待ち時間。アタシはカウンターに片肘を突いて、何気なく辺りを見回した。
 まだ早い時間だが、ソレなりに人の出入りはある。その中で、こうして1人ポツンと居るのはアタシと、数名のインストラクターくらいのもの。あとのオッドカードのメンバー達は、大抵3、4人で固まって談笑しながら食事している。
 まぁ同じチームなんだから、せめて生きてる間くらいは仲良くやっていこうって事なんだろうけどさ。
 オッドカードは常に52の人数を保っている特殊部隊。全員がトランプの絵柄と数字を続けて読むコードネームを持っている。例えばアタシなら『ダイヤ・フォー』、アディクなら『スペード・ワン』、カーカスは『クラブ・サーティーン』、リスリィは『ハート・テン』といった具合に。
 コードネームに各人の能力を示すような意味は無く、ただ単に入ってきた者から順に割り振られる。そしてオッドカードの中の誰かが死ねば、そのコードネームは一時的に欠番となり、次の補充員が入るまでは宙ぶらりんの状態となる。
 オッドカードは基本的に4人で1つのチーム。それぞれの絵柄から1人ずつ選ばれる。
 そのセレクションがランダムなのか、戦闘適性を考慮した上でなのか、あるいは性格的な物に配慮しているのかは知らないが、コチラの意思は反映されずにトップダウンで来る
 で、チームが同じなら、請け負うミッションも受講するクラスレッスンも同じで、リビング・ブロックにある個室もなるべく近い場所にさせられる。
 ま、シットな言葉で言えば、お互いに絆を深め合って、ミッションの成功率を上げろって事なんだろうけど……アタシはまっぴらだ。だからリーダーがアレで助かってる。
 人と人は相手を利用し利用されるだけの関係でしかない。必要以上に親しくなったって重荷になるだけだ。それに明日死ぬかもしれないような奴と一緒に居るよりも、確実に力を持っている奴と居た方が――
「へっへー、ケッコーな揉み心地ー」
 胸元に生じた不快な違和感と、良く知った下品な声に、アタシは振り向きざま肘を突き出す。
「おっとぉ」
 肘先が空を切り、その先にいたのはショボいブロンド……いや、色褪せた茶髪の軽薄男。
「玉、ねじり切るわよ」
 アタシはカーカスを下から睨み付け、本気の口調で言い放った。
「おー、恐い恐い。ちょっとしたスキン・ハラスメントじゃねーか。大目に見ろよ。同じチームだろー?」
 まるでドランカーのように足元をふらつかせながら、しかし紅い瞳だけはやたらとギラギラさせてカーカスはアタシの隣りに腰掛ける。
 コイツ……ハイってる……?
「ワリーワリー、今キゲン悪いんだったか。リスリィにあんな事言われたモンだからよ」
 いつになく滑舌の良い喋りで早口に言い、カーカスはタッチパネルを適当な手つきで操作した。そしてカウンターの上を磁力に乗って滑ってきた大メタルジョッキを掴み、ソレを一気に飲み干す。
 横目にカーカスが今注文した物を見る。水だった。
 間違いない。あの目つき。この喉の渇き。
 コイツ、ココに来る前にドラッグをキメてきたんだ。
「親殺しは辛いよな、お互いによ」
 どこか誇らしげに言いながら、カーカスは二杯目を注文する。
「絡みに来たんなら帰って。今はそういう話する気分じゃないの」
 昔、“行為”の帰りに運悪くカーカスと会って、うっかり口が滑ってしまったらしい。どこまで話したのかはよく覚えていないが、カーカスが自分と“同種”だと勘違いしてくれたのはラッキーだった。余計な詮索をされずにすんだ。
「まーた負けちまったよ。あの野郎によ……」
 カーカスはアタシの言葉など聞こえていないかのように、水を煽りながら呟く。 
 “あの野郎”……アディクの事だろう。カーカスは何かにつけてアディクをライバル視している。表向きは飄々と振る舞って『相棒』だなんて言っているが、一皮剥けば嫉妬の塊が顔を出す。
 別にその事を悪いなんて思わない。嫉妬だって立派な向上心の1つだ。コイツはコイツなりに頑張っている。必死になって今の状況を何とかしようとしている。
 そういう意味ではコイツとアタシは何か通じる物がある。今のコイツの苦しみには共感できる。同じチームの中ではコイツと喋っている時が一番自然体で居られる。
「まだまだドリョクってヤツが足んねーのかね。もっと肉体改造に励めってか」
 丸みを帯びた鼻を鳴らし、カーカスは口の端を曲げて自嘲めいた笑みを浮かべた。
 コイツの言う“肉体改造”は、きっとそのままの意味なんだろう。文字通り、肉体を人工パーツで改造する。
「アレさえあればなー……。鬼神クライスト・キラー……。ヴェインの野郎……」
 より強いインサート・マターを使う。
 鬼神クライスト・キラー。バックアップが専門のアタシでも聞いた事くらいはある。
 筋力増強ハイ・ブースト耐久強化ソリッド・アーマ神経暴走オーバー・ブラストの効果を一度に発現し、さらに効果度合いがスロットからの距離に依存しないインサート・マターだ。当然、イリーガル。
 普通、インサート・マターのよる肉体強化の度合いはスロットから離れれば離れるほど薄れてくる。
 例えば右腕にスロットをつくり、筋肉増強ハイ・ブーストを差し込むと右腕の筋力は飛躍的に増強されるが、そこから最も離れた場所にある左脚の筋力はあまり変わらない。だから左脚も強化したいのであれば、そこに近い部位にスロットを作る必要がある。
 しかしスロットは限られている。数も場所も。戦闘中、無理をしてスクラップにならないよう、各人の先天的な肉体強度を考えて制限されている。
 だから通常のインサート・マターでは、どうしても体の一部しかブーストできない。
 しかし鬼神クライスト・キラーは違う。全身をまんべんなく強化できる。しかも1枚のインサート・マターで。
 まぁその分、体に掛かる負荷は相当な物だろうけど……。
「くっそー、納得行かねー。なんで俺のはダメでお前のはいいんだよ」
 首の筋肉が弛緩したように顔をゆらゆらと揺らしながら、カーカスは紅い双眸に殺気を宿して言ってくる。もう大分イッてしまっている。コレは当分帰ってきそうにない。
「ナイフはともかく、薬はぜってーアウトだろ」
 どうしてアタシだけセーフかって? 簡単な事よ。
 アタシがココの飼い猫だから。アレを没収なんてしたら、そのインストラクターは速行でクビか、下手したら殺されるわよ。
「なぁ、教えてくれよー。あのクソ野郎共の監視抜ける方法をよー」
 軽い口調とは裏腹に、カーカスの目から滲み出る狂気的な光はどんどん強さを増していく。きっと頭の中では悲鳴と絶叫が大オーケストラを繰り広げているんだろう。今のカーカスは爆発寸前のスチーム・ポットだ。だが――
「日頃の行い、かしら?」
 アタシは自慢のスカイヘアーを掻き上げながら、からかい口調で言った。
「テ、メ……!」
 予想通りカーカスの目の色が変わる。
「う、ご……ぇ!」
 そして予想通り顔面が蒼白になった。
「バーッド・トリーップ・ターイム。行ってらっしゃーい」
 メタルジョッキの中身をブチ撒け、カウンターに突っ伏したカーカスにアタシは冷たく言う。
 アッパー系かダウナー系か知らないけど、ヤク中の哀れな末路だ。せいぜい楽しい旅行を楽しんできてよ。しばらく隣りで見ててあげるからさ。
「可哀想な子……」
 カウンターの下をブーツの先で軽く小突きながら、アタシはカーカスを横目に漏らす。
 こんなに追いつめられて、こんなに苦しんで、ソレでもまだ進もうとしている。アディクに勝とうとしている。
 けどきっと無理だ。このままでは来世まで掛けても追いつけやしない。
 アディクとカーカスとでは根本的な何かが違う。ソレをダスティな言葉で言い表すとすれば――才能だ。
 生まれた時から勝負は決まっている。ハナから負け組と勝ち組に別れている。普通にやっていたのではその関係を覆せない。
 だから勝つためには、“ズル”をしなければならない。
 自分がどうとか言うよりも、もっともっと広い捉え方、物の考え方。
 アタシは、ソレで――
「……ッ!」
 一瞬、内蔵が裏返ったかと思った。血が氷ったかのような全身悪寒と同時に、凄まじい吐き気が襲ってくる。
「っ、ぇ……ぅ……」
 まただ。どうして。最近コレの間隔が短くなっている気がする。
 避妊薬はちゃんと飲んでいるはずなのに……。
『オマタセシマシター』
 そして最悪のタイミングで運ばれてくる、山盛りのミートスパゲッティーと分厚い人工蛋白ステーキ。
 アタシは楕円柱型のアドバイザー・ロボットを蹴り飛ばし、ダイニング・ブロックを立ち去った。

 夜。スクール内の殆どの照明が落とされ、原則として個室から出る事を許されない時間帯。見張りのインストラクター達の目をかいくぐり、アタシはスタッフ・ルームが並ぶ通路の一番奥にたどり着いた。巡回パターンは完全に頭に入っているから簡単だ。
 目の前にあるのは、VIP専用のエレベーター。
 アタシは制服のポケットからカードキーを取り出し、操作パネル脇のカードリーダーに通した。赤く点灯していたロックランプが緑に変わり、エレベータの扉が音も無く開く。
 カーペットやら鏡やらカーテンやら。スクールの中では珍しく金属以外の物で装飾された1人用の箱に乗り、アタシは1つしかない階層ボタンを押した。
 扉が閉じ、この特別な乗り物はアタシを上へ上へと運んでいく。
 そう。アタシはコレで特別になるんだ。特別な力に手を伸ばして、そして特別な力を手に入れるんだ。
 自分の周りを大きく変えてしまう程の、特別で最高の力を。
 エレベータを下り、アタシは淡い緑色の燐光を放つ通路を真っ直ぐに進む。ココを歩くたびにいつも考える。いや、自分自身に言い聞かせる。
 コレが一番の近道なんだって。
 こんな人間兵器を育てているような訳の分からない場所に放り込まれて、でも生きるためにはソレしかなくて、でもこの先どうなるか全然分からなくて。
 ミッションで死ぬかも知れなくて、テロに殺されるかも知れなくて、インナー・スペース自体が無くなるかも知れなくて。不安で恐くて呑み込まれそうで。
 ソレを何とかするために、アタシは“ズル”をする事にした。きっと他の誰にも通れないだろう近道を進む事にしたんだ。
「ミゼルジュ=レイです」
 銀色の扉の前で足を止め、アタシは自分の名前を口にした。数秒の間が空き、扉が静かにスライドする。部屋の中は真っ暗だった。先の見通せない闇を体が本能的に拒絶する。が、アタシはソレを何とか堪えて一歩踏み入れた。
「待っていたよ」
 背後から男の声。そして覆い被さるような抱擁。部屋の扉が閉じ、外から入ってきていた僅かな光も遮断される。
「まずは物を渡して貰おうか」
「はい……」
 アタシは制服のポケットから、昼間買ってきたピアス・ナイフと媚薬を彼に渡した。
 また少し吐き気が込み上げてくる。だがココまで来たら、そんな下らない事を気にしてなどいられない。
 今からアタシの躰はアタシの物じゃなくなる。おぞましい変態嗜好をもった、このスクールの最高権力者であるディレクターの玩具になる。
「あの……今日は、明かりは……?」
「たまにはこういう趣向も良いかと思ってね。いつ、どこから、何を使って、何をされるのか。ソレが分からずに不安に歪むキミの顔を見てみたくてね」
 このキ○ガイ野郎キンキー・マッドが。
 高性能の暗視ゴーグルでも付けているんだろう。ソレでアタシが怯えているトコを見るのが、今夜のテーマらしい。
 分かったわよ。アンタのお望み通り、無抵抗な雌猫を演じてやろうじゃないの。
「さて、まずはいつものお薬からだな」
 大きな手がアタシの口を塞ぐ。いや、口の中に何かを放り込む。続けて太い指が入り込み、ソレを強引に喉の奥まで持って行った。
「ぅ……ぇ、げ……」
 自分の意思ではどうしようもない拒否反応が、汚らしい指を胃液で押し流そうとする。
 食道の入口までせり上がってきた酸っぱい物をそれでも何とか飲み込み、アタシはディレクターの用意した薬を体の中に入れた。
「今日は少し痛くなるかもしれん。だがあまり大袈裟に暴れたりするなよ? 目でも突いたら大事だ」
「は、い……」
 効果は激的だった。
 躰が異様な火照りを帯び始め、全身の穴という穴から液体が滲み出す。膝がガクガクと震え、もうまともに立っていられない。さっきまで苦しいだけだった吐き気が快楽へと変わり、空気の流れだけで感じてしまう。
 暑い。服が邪魔だ。こんな物脱ぎ捨てて、早くアタシに何か――
「――っ」
 左胸に鋭い痛み。しかしソレもすぐに甘い調べとなる。
「おっと、薬の量を少し間違えたかな。まぁいい」
 愉しそうな嗤い声。地肌に添えられる冷たい感触。痛み。そして性感。
 耳元でキンキン鳴り響く声はどんどん大きくなり、そのたびに痛みの間隔は狭くなり、熱は大きなり、目の前が白くなり――
 みんな、アタシが自傷癖持ちだと思ってる。自分で自分を傷付けて、辛い事から目を逸らしてるんだと思っている。
 馬鹿が。この短小の下手クソ共が。
 そんなの1度もした事はない。アタシの躰の傷は全部、このキンキー・マッドが付けた物だ。痛みに悶えて体中に赤い化粧をした女にブチ撒けるのが、コイツのヤリ方なんだとさ。
 それにアタシは目を逸らしたりなんかしない。情けなく縮こまったりなんかしない。
 変えてやるんだ。根っこの所から変えてやる。
 今はコイツの言いなりになってやって、アタシの躰の味を覚え込ませて、そのうち逆にアタシがコイツを操ってやる。
 自分が強くなるには限界がある。持って生まれた下らない才能に左右される。
 だったら他の奴を使えばいい。自分が力を持てないのなら、最初から力を持っている奴を利用すればいい。そいつを使って周りを好きなように変えていけばいい。利用できる物は何でも利用すればいいんだ。
 アイツが教えてくれた。アイツはその事をずっと教えてくれていた。
 アタシのロスト・バージンは6つの時。相手はアイツだ。実の父親。
 次の日から客を取らされた。泣きじゃくるアタシに行為を強要する事で悦びを覚えるクソ変態共ばかりだった。
 けどあの時のアタシには何も出来なかった。ただ言われた事に従うしかなかった。
 唯一の肉親だったから。生まれた時に母親と死別したアタシにとって、たった1人の身寄りだったから。どんなに最低の奴でも、アタシにはアイツしか居なかったから。
 アタシが我慢しさえすれば、ソレで2人一緒に暮らせるのなら、別にいい。
 いつの間にかそんなオメデタイ考えが根付いていた。
 けどアタシが9歳になった時、状況は一変した。
 アタシはスラム・エリアの娼館に売られる事になった。娼婦フッカーになって、臭い野郎共相手に小銭を稼げと言われた。
 事実上の絶縁だった。
 結局、アタシにとっては唯一の父親でも、アイツにとってのアタシは単なる金づるでしかなかった。客がアタシに飽きて離れて行ったから……利用価値が無くなったから、アタシは捨てられた。
 使い捨てのコンドームみたいに、汚物にまみれさせるだけまみれさせて――捨てた。
 だから殺した。
 最後の夜だからとアイツをベッドに誘い込んで、ナイフで首を突いてやった。錆びていてよく刺さらなかったから、汗だくになって何回も突いた。喉からひゅーひゅーと面白い音を出すもんだから、アタシは真っ赤に染まったシーツの上で笑い転げた。
 生まれて初めて心の底から笑って、疲れたからそのまま寝た。どんどん冷たくなっていくアイツの体を抱いて、アタシは熟睡した。
 目が覚めて、アイツにおはようを言って、シャワーを浴びて、有り金全部持って外に出た。適当にうろついて、食い物を買って、金が無くなったら盗んで、ソレでも足りなければ自分の躰を売った。利用できる物は何でも利用した。人も沢山殺した。
 そして政府の関係者が現れた。捕まって殺されるんだと思った。意外に長くもったなと思った。
 しかし、アタシはオッドカードのメンバーとなった――

 深夜。ディレクターを満足させ終え、アタシは自分の部屋へ続く薄暗い通路を歩いていた。
 一応、傷の応急処置はしたがまだ疼く。今は薬が残っているからそんなに痛みは感じないが、明日になったら、きっと……。
 金属の冷たい感触に身を預け、アタシはふらつく足取りで少しずつ歩を進める。色も形も全く同じ扉がずらりと立ち並ぶ中、4つのダイヤマークが薄く光っている扉をようやく見つけて――
「え……」
 前から驚いたような声が聞こえた。 
「ミゼルジュ、さん……?」
 そしてアタシの名前が呟かれる。知った声だった。
 カーカスがアタシを1番自然体にしてくれるんなら、この子はアタシに最悪の無理を強いる存在。
「何やってんのよ、こんな時間に……。散歩? 寝付けないの?」
 アタシは壁から体を離し、作り笑いを浮かべてリスリィに聞いた。
「あの……どこか具合、悪いんですか?」
 胸の前で両手を握り締め、リスリィは苦しそうな表情を浮かべる。まるでアタシが今、どんな顔しているのかを見せつけるように。
「べーつにそんなんじゃないわよ。ただちょっと寝起きで体がイマイチ動かないだけ」
 アタシは髪の中に指を差し入れ、ダルい仕草で梳きながら返す。
「そう、ですか……」
 ソレで納得してくれたのかどうかは知らないが、リスリィは顔を俯かせて口ごもった。
「じゃあ、寝直すから」
 言いながらアタシはリスリィの横を通り抜け、自分の部屋の前に立つ。そしてカードキーを取り出して、
「あ、あの……」
 後ろから掛かった声に手を止めた。
「何?」
 無視すればいいのにアタシはわざわざ聞き返す。きっと薬で神経が昂ぶっているせいだろう。
「昼間は……どうもすいませんでした。変な事、聞いちゃって……」
「昼間? あぁ、アレね。別にもう気にしてないわ。アタシがそんなの根に持つタイプに見える?」
「あ、い、いいえっ。そんな……」
 明るく繕った声で言うアタシに、リスリィは両手を振りながら慌てて否定する。
 全く、この2重生活も楽じゃない。
「アタシって気分屋だからさ、時々おかしくなっちゃう時とかあるかも知れないけど、まぁテキトーに仲良くやってよ。同じチームなんだからさ」
「あ、は、はいっ」
 驚きとも安堵ともつかない顔付きで返すリスリィ。
 我ながら大した2枚舌だ。心にも無い事をベラベラと。薬の力は偉大だ。カーカスがあそこまでなる気持ちも分かる。
「で? アンタの方は? 珍しいじゃないの。規則違反なんて」
 ったく……どうでも良い事を。どこまでハイになってんだ、アタシは。
「私は……その、チャペル・ブロックまで……」
「ふぅん」
 チャペル・ブロック――別名、負け犬の溜まり場ルーザー・ボア
 オッドカードに所属して死んだ者の名前は、あの辛気臭くて暗い部屋の壁に記される。大昔の礼拝堂とやらをイメージして作られたらしいが、内装の殆どが金属なので、実際どこまで再現できているのかは怪しい。
 ただしそこに刻まれるのは、名前と死亡が確定した日付だけだ。本人の肉体は欠片もない。
 誰も持ち帰らないからだ。死んだ者は“処分”し、捕らえられた物は見捨てていくように教育されている。
 どれだけ親しくとも、動かなくなった瞬間からソレはただの“物”だ。利用価値のない肉の塊だ。そんな物に気を取られて自分の身を危険に晒すなんて、今時フェアリー・ストーリーの主人公でもやらない。
 まぁ、目の前のハニー・シュガーちゃんは、ちょっと違うみたいだけど。
「で、またお祈り? こんな時間に?」
「今日は、特別な日だから……。死んだ人の魂は、夜に戻ってくるって、聞いた事があるから……」
「特別?」
 途切れ途切れに紡ぐリスリィの言葉に、アタシは視線を上げて考えを巡らし――
「私の、前の人が……亡くなった日ですから……」
「あぁ」
 彼女の答えに素っ気なく返した。
 そう言えばそうだったか。ただ言われてもイマイチピンとこないが。
 2年? いや3年前だったかな? 『ハート・テン』、つまり今のリスリィのポジションには別の奴が入っていた。アタシ達のチームのメンバーの1人として。
 だが死んでしまった。どうやって死んだのかなんて覚えていない。アタシはその時からバックアップだったし、ソイツはフォワードだった。もっとも、同じ場所で行動していたとしても覚えている自信はないが。
 ソイツが死んで、アタシ達のチームに1人欠員が出来て、その穴埋めにリスリィがスカウトされてきた。
 次の日に。いや、2日後くらいだったかな……? コレもハッキリとは覚えていないが、とにかく早かった。
 20歳未満の親無しなんて、スラムに行けばいくらでも居る。元愚族のアイツらは、放っておけば勝手に増えてるから。何とも逞しい事だ。
 ま、この子の性格からして、少なくともスラムの出身ではないんだろうけど。
 何にせよ回転が速いのは良い事だ。こうやって周りがどんどん変わっていってくれれば、そのうちアタシの気に入る環境が出来ているかも知れない。可能性としては極めて低いだろうが。
「あの……どんな人だったんですか?」
 リスリィの問い掛けの意味がすぐに分からず、アタシは首を傾げる。
「前の人って、どんな感じの方だったんですか?」
 続けて付け加えられ、ようやく理解できた。が、すぐにまた詰まる。
「どんな人って……」
 もう名前も覚えていないのに、性格なんて記憶に残ってるはずがない。大体そんな事を知ってどうするんだ? そんな役に立たない知識を詰め込んで、何に利用するつもりなんだ? 全くもって理解できない。
 ……けどまぁ、今思ってる事を全部そのまま喋ったら、この子はまた鉄錆びみたいにくらーい顔するんだろうな……。
「明るい奴だったよ。周りには気が利くし、ムードメーカみたいな感じだった」
 だから取り合えず適当に言ってみた。この子が望んでそうな答えを口にしてみた。
 もしコレで駄目ならアタシは知らない。落ち込むなり引き籠もるなり、勝手にしてくれ。
「じゃあ、ミゼルジュさんみたいな人だったんですね」
 と、リスリィは顔を輝かせて言ってくる。どうやら繕うのには成功したみたいだが……。
「アタシぃ? アタシがぁ?」
 他の部分に盛大な違和感を覚える。
「ええ。だってまさしくその通りじゃないですか」
 アタシが明るくて気の利くムードメーカぁ? ちょっとちょっと勘弁してくださいよリスリィさん。何ならアタシの本性、今ココで服脱いで語ってあげようかぁ?
「私は……ミゼルジュさんが羨ましいです。そんな風に、自然には出来ないから……」
 声のトーンを2オクターブくらい落とし、リスリィは顔を俯かせて呟いた。ソレはこの子が初めて見せる、悲痛なまでに暗い顔。いつもは元気が無くても、空元気で誤魔化していた風なところはあったけど、今はソレすらも……。
「あのさ――」
 アタシがリスリィに声を掛けようとした時、遠くの方から足音が聞こえた。見回りのインストラクターだ。
「やばっ」
 小声で言いながらアタシは何故か身を屈め、カードキーで自分の個室のドアロックを外す。
「じゃあまた明日」
 そして早口に言い、部屋の中に飛び込んだ。ドアが閉まりきる直前、外に目をやる。リスリィの姿はもう無かった。
 アタシは完全に閉まったドアに背中を預け、大きく息を吐く。ただでさえ疲れているのに、最後の最後でキングサイズのヤツが来た。
 ホント危ない。色々とアブナイ。
 もーちょっとで、『相談に乗ろうか?』なんて言いそうになっちゃったよ……。

Inner Space #9.
Governmental Organism.
School Area. Aisle.
AM 09:56

―第9インナー・スペース
 政府組織
 スクール・エリア 通路
 午前9時56分―
 
View point in リスリィ=アークロッド

 朝起きてすぐに、ヴェイン教官から呼び出しを受けた。
 もう次のミッションが入ったらしい。2日連続だなんて、ココに来て初めての事だ。しっかりと気を引き締めていかないと。いつまでも私だけお荷物で居るわけにはいかない。
 制服のカラーがしっかり首の上まで来ているかを確認し、私はヴェイン教官のスタッフ・ルームの前に立つ。
「リスリィ=アークロッド、到着しました」
 左手は体にピッタリと付け、右手で顔を覆い隠して声を張り上げた。
 自分では頑張っているつもりだが、どうしても通りが悪い気がする。やっぱりアディクさんのようなハキハキとした喋りには程遠いなぁ……。
「おーぅ、入れ入れー」
 中から柔らかい口調の声が聞こえたかと思うと、綺麗な銀色の扉が横にスライドした。私達の個室は白だから、きっとソレよりは上等な材質で出来ているんだろう。
「おっ、わーりぃな。昨日の今日でよ。上から急なお達しってヤツが来てなー」
 人なつっこい笑みを浮かべながら、ヴェイン教官が部屋の中から言ってくる。
「失礼します」
 私は敬礼の姿勢のまま一礼し、部屋の中へと足を踏み入れた。壁に沿って蔦のように走る電子チューブが淡い緑色の輝きを生み出し、沢山のコンソール・モニターが白い光を浮かび上がらせている。
 ホント、いつ来ても幻想的な空間だ。思わず溜息が出てしまう。
「じゃーコレ。ミッション・データなー。まぁざっと目ぇ通してくれ」
 教官が差し出してきた球状記録媒体オーブを受け取りながら、私は目だけを動かして周りを見る。まだ誰も来ていない。私が1番乗りだ。
 少し感動を覚えながら、球体に1つだけ付いている突起を押す。すぐに球状記録媒体オーブから黒い光が照射され、ソレは小型のモニターとなって中空で安定した。続けてこの第9インナー・スペースを中心とした、アウター・ワールドの簡略マップが映し出される。
『このミッションはハート・テン、リスリィ=アークロッド1名によって行われる』
 そして流れてきた電子音声に、私は自分の耳を疑った。
 今……何て? 1名? リスリィ=アークロッド? 私、1人……?
『目標ポイントは座標BY−259−α10。目的はこの地点で反応が確認されたレコード物質を回収してくる事。期間は12時間。ミッション・レベルD−。以上』
 淀みなく、必要最低限の情報を簡潔に読み上げる球状記録媒体オーブ。モニターは消え、何事もなかったかのように静かになる。
「あー……まぁ、そういう事だ」
 赤と黒の混在した猛る炎のような髪を掻きながら、ヴェイン教官は苦笑しながら付け加えた。
「そんな……1人、って……」
 真っ白になっていく思考を必死に掻き集め、私は震える声で呟く。
 そんなの無理だ。絶対に無理だ。たった1人でなんて出来るはずがない。自信なんて全く無い。
 ただ単に調べて取って来るだけだから? だから私1人でも十分なんとかなる? こんなホバーバイクもろくに運転出来ないようなお荷物に? たった1つしかスロットを持ってないような出来損ないに?
 無理だよ……そんなの無理だよ……。恐い、恐いよ……。
 もしホバーバイクが故障したら? もし途中でインプレート・ウェアが破れたら? もし目標地点に敵が居たら?
 きっと死んじゃう、死んじゃうよ……。
 ひょっとしてまた……? また捨てられるの? ココに入った時みたいに、また……?
 気を付けていたと思っていたのに。もう二度とあんな思いはしたくないから、頑張っててきたつもりだったのに……なのに……。
「――が、やっぱお前1人だと、ちと心許ないよなぁ〜。レベルD−なんて、こんな簡単なヤツ失敗でもされたら、俺がココに居づらくなっちまぁからなぁー」
 ヴェイン教官は丸めた背中を面倒臭そうに掻きながら、間延びした声で言った。
 ソレって……どういう……。
『アディク=フォスティン、到着しました』
 部屋のどこかに取り付けられたスピーカーから良く知った声が発せられる。続けて壁のコンソール・モニターに映し出される、とても良く知った男性の姿。
 眉に掛かるくらいまで伸ばした真っ直ぐの黒髪は、折り目正しく清潔な雰囲気を醸しだし、鋭く見開かれた鈍色の双眸には、理知的で強い意志と、溢れんばかりの自信が宿っている。造形されたように整った鼻と引き締まった唇からは、上に立つ者としての風格が滲み出ていた。完璧に着こなした制服には左胸に1本、青い縦線が引かれている。
 オッドカードのコードネーム、『スペード・ワン』を表す、識別表記だ。
「おー、噂をすれば、ってヤツだな。入れ入れー」
 ヴェイン教官は手首に巻かれたマイクに向かって言い、コンソール・パネルのボタンを押す。ドアが開き、廊下の光が室内に入ってきた。
「失礼します」
 低い声と共に後ろで人の気配が生まれ、ドアが閉まると同時にまた仄暗い空間へと戻る。
「アディク、次のミッションだ」
「内容は」
「リスリィー」
「えっ……!?」
 ヴェイン教官の声で我に返り、私は後ろを振り向く。そこには確かに私達のチームのリーダー、アディクさんが立っていた。
「は、はぃ……!」
「ソレ、見せてやれ」
 軽く折り曲げた人差し指が指していたのは、私の手の中にある球状記録媒体オーブ
「は、はぃぃい……!」
 自分でも悲しくなる程の上擦った声で返し、私は小さな球体を両手でアディクさんに差し出す。
 アディクさんは何も言わずにソレを取り上げ、ボタンを押して記録内容を見始めた。
「……彼女1人のミッションのようですが」
 モニターが消え、アディクさんは無表情のままヴェイン教官に聞く。
「ンなこた言われなくてもわーってる。だーからお前を呼んだんだ」
「規則25−Bに違反します」
「まー固い事ゆーなって。責任は全部俺が持つからよー」
「同意しかねます」
「よし分かった。じゃーこーしよう。お前は“俺の命令で”ソコに行く事になった。で、たまたま現場でリスリィと鉢合わせした。困ってたんで助けてやった。どーだ? コレなら文句ねーだろ?」
 髪先を指で丸めて弄びながら言うヴェイン教官。アディクさんは何も返さない。僅かに眉を顰め、じっと見つめている。
「アーディク。上からの命令も俺からの命令も、お前に取っちゃ同じはずだろー?」
「……了解」
 そして念を押すような口調で言ったヴェイン教官に、アディクさんは不満そうな表情で漏らして敬礼した。
「ぃよーし、決まり決まりー。じゃー気が変わらないウチにさっさと行った行ったー。あと11時間30分。頑張ってこいよー」
「失礼します」
 もう一度敬礼して足早に部屋を出ていくアディクさん。
「あっ、しっ、失礼しましたー!」
 その背中を追い、私は早口で言い残して部屋を出た。

Outer World.
AM 11:22

―アウター・ワールド
 午前11時22分―
 
View point in アディク=フォスティン

 狂おしいまでに乾燥した風が吹き荒れ、無数の亀裂が入った赤色土が延々と広がる死の世界。
 まさか、二日連続で駆り出される事になるとはな。今日は部屋の大掃除でもして時間を潰そうと思っていたのに、とんだエクストラ・ミッションが入ったものだ。
 とにかくさっさと終わらせて帰ろう。場所は昨日の旧研究所の所だし、目的も極めて単純。2時間も有れば十分だ。
 何もトラブルが発生しなければ。
「あの……アディクさん……」
 ホバーバイクの後部座席から、リスリィがおどおどとした調子で言ってくる。
「す、スイマセンでした……ホントに……」
 もうコレで5回目となる謝罪。聞く事すら面倒になってきた。
「けど、ホントに助かりました……。私1人でどうしようって、思ってたから。ホントに有り難うございます」
 別にお前を助ける為にやってるんじゃない。命令で仕方なくだ。面倒だから勘違いするな。
「あと、アディクさんと2人でミッションに行けて、嬉しいです。こういう機会でもないと、なかなかお話も出来ないから……」
 お話? お話だと? 一体何を考えてるんだコイツ。レクリエーションか何かと勘違いしてるんじゃないのか? ミッション・レベルほどアテにならないものは無いんだ。D−か何か知らないが、こう言う時こそ緊張感を持った方が良い。ソレをコイツは……。だからいつまで経ってもお荷物なんだ。
「いつもカーカスさんとお2人だから、ちょっとだけ……カーカスさんが羨ましかったり……」
 お前が弱いからだ。弱いから戦闘に参加しても邪魔になるだけ。だからバックアップを任せている。ソレしかできないから。
 そう、そんなバックアップを専門にしているような奴を1人で行かせる事自体まずおかしい。そしていくら簡単なミッションだからと言って、単独行動をさせるのもおかしい。
 個人が自由に請け負うタスクならともかく、コレは政府のトップクラスから直々に下りてくる正式な任務だ。失敗は許されない。少しでもリスクを軽減できるのであれば、労力は惜しむべきではない。
「そう言えば初めてですね。アディクさんの後ろに乗るのって。いつもカーカスさんに乗せて貰ってるから」
 それからヴェインの取って付けた命令だ。今回に限った事ではないが、アイツは時々ああいう訳の分からない事をしてくる。
 突然、他のチームとの共同作業にしてみたり、集合場所を変更してみたり、果てには通達するのを忘れていたり。そしてそういう時に限って予想外のトラブルが起きる。
 アイツも元オッドカードのメンバーで、現役時代は結構な凄腕だったらしいが、指揮官としては3流以下だと言わざるを得ないな。振り回されるコッチの身にもなってくれ。
 ……まぁ、何か裏は有るんだろうがな。あのピエロめ……。
「アディクさんって運転お上手なんですね。殆ど揺れないです」
 ……中でも1番おかしいのは、こういうとんでもなく胡散臭い状況にコイツが何の疑問も抱かない事だ。頭の中にホーリー・ワールドでも広がってるんじゃないのか? 全く、頭痛が酷くなる……。
 だが、全部ひっくるめて別にどうでもいい事だ。
 今俺がやらなければならない事は『あと10時間以内に昨日爆破した研究所跡地からレコード物質を見つけてくる事』だ。余計な詮索はしなくていい。兵隊は考えない。ただ上からの命令を忠実にこなす。ソレだけだ。
「あの、アディクさんっていつもどんな事……」
「着いた」
 ダラダラと垂れ流されるリスリィの言葉を遮り、俺は短く言う。
 ようやく目的地が見えた。昨日、派手に埋めて、変形させてやった地形が見えてきた。
「えっ? もうですか?」
 なんだその残念そうな言い方は。お前はココでドライエステでもしていたいのか。
「さすがですね。最短距離ですね」
「オートパイロットだ」
 言いながらホバーバイクのドライブ・モーメントを均衡に戻し、重力反転装置を切って乾いた土の上に止める。そして太腿のガンホルダーからマルチ・シューティングを抜き取り、マグナム・モードにして構えた。
「あの……」
「ココから歩いて近付く。お前は待ってろ。危険を感じたらすぐに逃げろ。運転は出来るな」
「で、でも……コレってレコーダーを取ってくるだけじゃ……」
「きっとソレだけじゃないさ」
「ど、どうして、そんな事が……?」
「勘だ」
 ソレだけ言って俺は目的地に徒歩で近付く。1歩踏み出すごとにコンセントレーションを高めていき、感覚の中で腕と銃を一体化させていった。
 何かある。絶対に何かある。コレはそんなに単純なミッションじゃない。裏に何か隠されている。今まで実戦の場で培ってきた勘が俺にそう告げている。だから――
「――ッ!」
 角膜に埋め込まれたカウンターが反応した。そして相手の数値を計測していく。
 ビンゴだ。いや、大当たりジャックポットだ。
 ロスト・チルドレン。数2。K値は2530と3650。
 この前より断然雑魚だ。所詮は出来損ないのバイオドールから作られたロスト・チルドレンか。サイキック・フォースを使われる前にケリを付ける。
 ――いや。
 俺はインプレート・ウェアの手首ポケットから2枚のインサート・マターを取り出し、右脚と左脚の内腿にあるスロットに差し込んだ。
 左には筋力増強ハイ・ブースト――差し込んだスロット近くの筋繊維周辺でアセチルコリンの過剰分泌を促し、電気信号を一時的に強化する事で通常の何倍もの筋力を生み出す。
 右には耐久強化ソリッド・アーマ――破骨細胞の動きを止め、造骨細胞の動きを活性化する事で骨の強度を上昇させる。さらに超回復のスパンを短くしてやる事で筋繊維の断裂を防ぐ。コレがないと筋力増強ハイ・ブーストからの負荷で、体のパーツがあっと言う間にイってしまう。
 どちらも急激なホルモン分泌を伴うから、過度な使用は成長障害や知能発達障害といった様々な異常を引き起こす可能性がある。が、上手く使えば自分の戦闘スキルを何十倍にも高めてくれる。
 どういう技術がこのインサート・マターに使われているのか、詳しくは知らない。が、別にそんな事はどうでもいい。効果と、その使い方さえ分かれば――
「――ッシ!」
 小さく息を吐き、変色した土の下からもそもそと出てくる1人目のロスト・チルドレンに向かって跳ぶ。現れたのは薄汚れた貫頭衣に身を包んだ、10歳くらいの子供。彼の眼前で方向を変え、俺は横に跳びながら銃を構えた。そしてハンドガン・モードに切り替え、トリガーを引き絞る。
 彼の頬を掠めて1発、腕を掠めて2発、脇腹を掠めて3発。
 全て狙い通りの軌道を取り、ロスト・チルドレンの背後へと消え去った。
「あ……ぅ……」
 初めてコチラの存在に気付いたように、彼は虚ろな視線を向けてくる。一瞬、その瞳の焦点が戻り、気配に僅かな変化が生まれて―― 
 俺の視界が入れ替わった。
 半呼吸前まで彼を正面から捉えていたのに、今は側面に回りこんでいる。そしてさっきまで俺の居た場所の土が、大きく抉られていた。
 コレがインサート・マターの力。発動させるのはコンマ数秒でいい。使い所さえ見誤らなければ、たったソレだけでロスト・チルドレンの強力なサイキック・フォースをいとも簡単にやり過ごせる。
「オイこっちだ」
 彼の横手から鼻先を掠めるように弾丸を打ち込み、俺はまた横に跳んだ。右脚で踏ん張って着地し、同時にインサート・マターを発動させて上空へと飛び上がる。直後、眼下で舞い上がる砂塵。
 コレで2回目。せいぜいあと1、2回がいいところか。
 マルチ・シューティングをショットガン・モードに切り替え、両手で持って斜め上に放つ。長くなった銃身からの反動を全身で受け止め、俺は上昇から一気に下降へと転じた。そしてさっき立ち上がった土の塊が、まるで時間でも止められたかのように静止する。
 コレが2体目のサイキック・フォース、ね……。
 着地し、俺はもう1人のロスト・チルドレンに向かって散弾を打ち込んだ。中空で十数個に分裂する弾丸。しかし女型のロスト・チルドレンに着弾する前に勢いを削がれる。
 後ろに跳んで距離を取りながらもう1発。突然生じた爆風に視野が奪われていく中さらに1発。
 そこでインサート・マターを発動させ、俺は戦域から大きく離れた。そしてマグナム・モードに切り替え、2体のロスト・チルドレン達が居た方向に銃口を向ける。
 コンセントレーションが最高域まで達し、超微細な動きさえ逃すまいと眼球が自分の意思から離れて動きだした。インプレート・ウェア越しに伝わってくる風の流れさえ筋肉が読み取り、反撃が来た場合のシミュレーションを脳が勝手に行い始める。いまだに収まる気配を見せない砂煙の1粒1粒を意識が追い、命が乾ききっていく様を舌先が感じ取って――
「終わり、か……」
 俺は銃を下ろした。ソレをガンホルダーに収め、大股で歩を進める。
 徐々にクリアになっていく視界の中、映っていたのは身動き1つしないロスト・チルドレン達。男型と女型、2体ともうつ伏せになり、口の端から唾液を垂らして全身を弛緩させている。サイキック・フォースを無計画に乱発した末路だ。
 兵力で圧倒的に劣るテロ組織が政府組織に対抗するため、異端の技術を寄せ集めて創り出した生体兵器、ロスト・チルドレン。彼らが生まれる時、持っていた人間性を犠牲にして身に付けるサイキック・フォースは確かに強力無比だが、決して使いたい放題という訳ではない。
 俺達が身を削ってインサート・マターを使っているのと同様、彼らも命を献上している。使い続けると、目の前のコイツらみたいにスクラップになる。2度と動けなくなる。
 それだけ消耗が激しいんだろう。強大な力を使うのに何かしらの代償が求められるのは当然の事だ。
 そしてその消耗度合いを表す数値が、俺の左目の角膜に直接映し出されている数値、K値だ。正確にはKind値と言われ、ロスト・チルドレンの“本質”という意味らしい。
 この数値が低ければ低いほど、サイキック・フォースを使った時の消耗が軽減される事になる。つまり優秀なロスト・チルドレンという訳だ。
 コイツらは2530と3650。
 一般的な基準からすればそんなに強くはない。ただサイキック・フォースの種類にも大きく左右されるから、油断などは出来ないが。
 しかしそれでもK値が3桁の奴等とは格が違う。昨日、旧研究所で出くわした奴もそうだが、以前にも何度か戦った事がある。奴等の強さは別格だ。
 200台クラスになると、超重装甲の戦車を玩具のように扱われる。100台は核シェルターをチョコレート・クリームのように溶かすと言われている。
 そして2桁の後半ではインナー・スペース1つを簡単に蒸発させ、前半ではアウター・ワールドの地形を大きく変えられるという話だ。
 1桁まで行くと、この世界の命そのものを掌握できるとか何とか。ココまで来るとレジェンド・ストーリーの域を出ないが。
 だが記録には存在していたらしい。K値が1桁のロスト・チルドレンが。
 ユティス=リーマルシャウトという、人間を素体としたロスト・チルドレンが。勿論、本当に実在したのかどうかは不明だが。
 一応、スクールのバーチャル・ブロックに行けば、ソイツのサイバー体と戦える。だがアレで再現できているとは考えにくい。まぁ、ソレでもボロ負けしてしまったが。
 現在実際に確認されているロスト・チルドレンのK値は、最も小さい物で100台後半。そのくらいならまぁ……逃げ切る自信はあるな。
「さて、と……」
 俺は呟いてロスト・チルドレン達から目を外し、当たりを見回す。
 目標座標ポイントはBY−259−α10。ソレだけ絞り込めていれば有視界で探したとしても大した労力じゃない。
 インプレート・ウェアの左腕部に表示させた現在地座標を見ながら少しずつ移動し、全ての英数字が一致したところで脚を止めて、
「コレ、か……」
 俺はレコード物質と思われる物体を拾い上げた。
 約20センチ4方のキューブ型。色はエメラルド・グリーン。記憶容量が30テラのタイプ。レコーディング・フォーマットは《ケルベロス》。通信機能は内蔵されておらず、完全にスタンドアローン。
 何だこの大昔の遺物は。今時、アンティーク・ショップにでも行かないとお目に掛かれないぞ。低容量、低性能、そして高体積、高重量。
 もしコイツに何か利便性を求めるとすれば、ソレは“見付かり易い”事だ。
 コレだけ目立ってくれていれば、少々地面に埋まっていようが簡単に見つけられる。
 あと、コイツに付着している砂。この辺りの物である事には間違いなさそうなんだが、“取れ易すぎる”。
 指先で軽く撫でただけで、ピカピカの機体がご機嫌で挨拶してくれる。付いたのは、せいぜい2、3日前といったところか。いや、ひょっとすると昨日かもな。そう、俺達がミッションを終えてココから引き上げた後に、誰かが……。そうでなければあの時、俺は気付いていたはず――
「……まぁいい」
 そんな事は。どうでも。考えるだけ無駄だ。
 とにかくミッションは完了した。レコード物質も手に入れたし、ちょっとした土産も出来た。すぐに帰って報告して、部屋の掃除に移らせて貰うさ。今度こそ誰にも邪魔はさせない。頼むからそっとして置いてくれ。ただでさえ頭痛が治まらないというのに……。
「あー、クソ……」
 俺は軽く額を押さえたままロスト・チルドレン達の所に歩み寄り、2体を両脇に抱えてホバーバイクの方へと向かう。
「少し窮屈になるが我慢してくれよ」
 そしてリスリィが座っている前に彼らをうつ伏せにして乗せ、彼女にレコード物質を持たせて俺は操縦席に半分だけ座った。アクセル・グリップを回し、重力反転装置を作動しさせ、細長い流線型の車体が地面から僅かに離れて――
「すっごーい!」
 後ろから馬鹿デカい声が飛んできた。危うくオートパイロットのスイッチではなく、ミリタリィ・モードのボタンを押しそうになる。
「何だよ……」
 改めてオートパイロットに設定し、俺は露骨に嫌な声で返した。
「だ、だって! あっという間! あっとゆーまでしたよ! ロスト・チルドレンを! 2人も! あっとゆーまに!」
 昂奮した口調で早口にまくし立てるリスリィ。
 ああ、勘弁してくれ……。頭の奥にまで響く……。
「あ、ご、ゴメンナサイ……。でも、何だか私、感動しちゃって……。アディクさんが戦うトコ、見たの初めてだったから……」
 大きく肩を落として付いた溜息が功を奏したのか、リスリィのボイスボリュームが下がった。後は耳元で騒いでいる風の音が、彼女の声を掻き消してくれれば完璧なんだが……。
「でも、ホントによかったです。アディクさんに付いてきて貰って。ヴェイン教官、さすがですねっ」
 そんなに甘くはないらしい。今度からは無駄にやかましいエンジン音を轟かせる、旧式のジェネレーター・バイクにでも乗ってくるか。
「私1人だったら、今頃どうなってたか……。どうなってたもこうなってたも、絶対死んでましたね……あはは」
 力無く笑いながらリスリィは小声で漏らす。
 まぁそうなったとしても、代わりのオッドカードが1人スカウトされるだけだ。別に気にする必要はない。
「私、どうしてオッドカードに入れたんだろ……。対テロ組織用の特殊部隊なんて……。こんな、足手まといでしかないのに……」
 自分以外の奴の頭の中なんざ分かる訳ないさ。だから上手く行くんだよ。余計な事を知らないから、何も考えずに進んでいける。例えばこの辺りがサテライト・キャノンの標的区域だと教えられれば、こんな平和な話しながらドライブなんか出来ないさ。
「でも、でもね……。ちょっとずつは変わっていけてるのかなって、思うようにしてるんです。じゃないと、恐いから……」
 恐い? 恐いだって? いつも安全な場所でバックアップしているだけなのに恐い? 言ってる意味がよく分からないな。
「アディクさんみたいに強い人の側に居れば、なんだか自分まで強くなったような、そんな気がするんです」
 錯覚だ。まぁそんな安っぽい妄想で安心感が得られるんなら、好きなだけやればいいさ。
 ただし俺以外の奴でやってくれ。頼むから俺には迷惑を掛けないでくれ。
「それにアディクさんって優しいんですね。今まではちょっと、冷たい人なのかなーって思ってたんですけど、大間違いでした」
「優しい……?」
 あまりにカンに障る言葉に、俺は思わず聞き返していた。
「あ、はいっ。だってこの子達、ちゃんと生きてるから」
「……ハッ」
 そしてリスリィの返答を思いきり鼻で笑い飛ばしてやる。
 馬鹿が。本当に頭の中一杯にフラワーガーデンでも出来てるんじゃないのか?
 ソイツらを殺さなかったのは、単にロスト・チルドレンの体を調べるためだ。ラボの連中に渡せば喜んで“実験”に没頭してくれるさ。そして有用な情報を抽出してくれる。対ロスト・チルドレン用の武器だって出来る。より有効なインサート・マターの開発にだって繋がる。
 ソレを優しい? 可哀想だからコイツらを殺さなかったと思っているのか?
 逆だよ。完全に逆だ。今からコイツらに待っているのは地獄だ。殺された方がよっぽどましだってくらいのな。
 俺は冷徹なんだよ。父親や母親を悪趣味なオブジェみたいにされても、全く動じない程に心が壊れてる。ウジの涌いた腐った脳味噌してんだよ。だから下らない事を言って笑わせるな。頭痛が酷くなるだろ。
「リスリィ」
 俺は顔を後ろに向け、彼女の名前を呼ぶ。
 綺麗に手入れされたキャンディ・ピンクのロングヘアー。慈愛と献身を讃えたノーブル・ブルーの瞳。柔らかくキメの細かそうな肌の色はアイボリー・ホワイト。首から下を覆う黒いインプレート・ウェアの着こなしは、彼女の心のように穏やかだ。
 まるで全身の至る所から死臭が漂ってきているかのように。
「は、はいっ」
 リスリィは少し驚いたように目を大きくし、声を上擦らせて返す。
「早く強くなれ。1日でも早くバックアップから卒業しろ」
 そして俺の隣に立て。
 そうすれば俺がどういう人間なのかがすぐに分かる。そしてソレが分かった頃には、お前はゴッド・ヘブンに召されている事だろうさ。
「は、はいっ!」
 リスリィは表情を引き締めて大声で言い、慣れない仕草で俺に敬礼した。
 今までろくに話した事もなかったから分からなかったが……随分と堕とし甲斐のありそうな女だ。
BACK | NEXT | TOP
Copyright (c) 2008 飛乃剣弥 All rights reserved.
 

-Powered by 小説HTMLの小人さん-

inserted by FC2 system