ロスト・チルドレン -screaming the deadly ambition-

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  Nightmare.3【侵蝕 -bio_disaster-】  

Inner Space #9.
City Area.
Second Entrance.
PM 01:39

―第9インナー・スペース
 シティ・エリア
 第2エントランス
 午後1時39分―
 
View point in アディク=フォスティン

 パスゲートとアンダーウェイを抜け、小高い金属の壁で囲まれた一般生活地区。
 金属製の道路。金属の埋め込まれた木々。金属入りの服を着た人間達。
 どこを見回しても金属、金属、金属。そのうち食べ物や空気までもが金属になってしまうんじゃないかと思わせる、おぞましい光景だ。
 左方向に緩やかなカーブを描いて伸びる道をホバーバイクで進みながら、俺は大きく溜息を付く。ひょっとするとこの息の中にはもう、金属が混じっているかも知れない。
 オッドカードのメンバーになった時点で体をかなりいじられている。スロット以外にも、角膜に付けられたK値カウンター、そして公にはされていないがきっと発信器のような物も埋め込まれているだろう。
 俺達は文字通り政府のカード。手札の位置は把握していなければ意味がない。
「…………」
 視界の隅に武装した軍の人間の姿が映る。この辺りはスラム・エリアに近いからだろう。あそこの連中は気性が荒い奴が多い。
 だが軍の人間は俺達とは違い、20歳未満でもなければ親と別離した訳でもない。インプレート・ウェアを身に付けている訳でもなければ、スロットも持っていない。当然インサート・マターなど使わない。
 白無地の軍服に身を包んだ40歳前後の壮年の男だ。他にも何百といる、その他大勢のうちの1人。彼らは基本的に、このインナー・スペースの治安維持にあたっているだけで、テロ組織を潰そうという動きはしない。そういう役割は全部オッドカードに回される。
 いくらでも入れ替えのきく、使い捨ての駒に。
 誰もやりたがらない面倒事処理班。他のメンバー達は取り合えずそういう事で納得している。身寄りのない自分達を拾ってくれて、一般レベル以上の生活を約束してくれた政府組織。彼らには恩があるのだから、命で報いるのはしょうがない事なのだと。どうせ一度は死んだも同然の体、今更どう使われようが関係ないと。
 達観と開き直りをない交ぜにして、みんな考える事を放棄している。今のこの時の楽しむ事だけに専念している。
 俺もその1人だ。兵隊は考えなくて良い。上からの絶対的な命令に従っていればソレでいい。ソレが理想の兵士だ。完璧な駒だ。
 捨てろ。人間らしさなど。考えたところで明るい未来が待っている訳じゃない。行き着く果ては不安と欺瞞が蔓延する、暗い絶望の世界だけだ。
 疑問など抱かず、詮索などせず、ただ人形のように――
「あっ! アディクさん! とっ、止めて! 止めて下さいっ!」
 後ろから掛かったリスリィの声に、俺はまた大きく溜息を付く。そのまましばらく走らせた後、気怠い声を漏らしながらホバーバイクを道の隅に止めた。
「……何」
「あ、アレっ」
 少し震えている指を向けた先には、薄汚れたフードマントを目深に被った2人組。そしてその前には、布きれを適当に巻き付けただけの痩せた男達が4人。彼らの手にはナイフ。
 あまり切れなさそうだが、気の弱い奴等への脅しくらいには使えそうだ。
「アレが何」
「な、何って……助けないと」
「何故」
「なぜって……し、死んじゃうかもしれないじゃないですかっ」
「だから?」
「たっ、助けないと……」
 リスリィの返答に俺は3度目の溜息を付き、
「ココの治安維持は俺達の仕事じゃない。軍隊に任せておけばいい。それにこの辺りじゃ別に珍しい光景じゃない。絡まれそうな雰囲気出してフラフラしてる方が悪いんだよ」
 アクセル・グリップを回す。ホバーバイクは音もなく車道に戻り、スクールへの道を――
「ま、待って下さい!」
 後ろから身を乗り出してきたリスリィが、グリップを強く握り締める。その拍子にドライブ・モーメントが大きくずれ、車体が反対車線へと飛び出した。
「チ……!」
 リスリィの手を弾いてグリップを持ち直す。バランスを戻して車体を引き付け、前から来た大型のコンテナトラックを辛うじてやり過ごした。強振動のクラクションが遠のいていく。そして冷たい汗が一気に吹き出してきた。
 この、野郎……。
 俺はホバーバイクをまた道の脇に止め、後ろを睨み付けた。
「下りろ」
 そして声を低くして言う。
「すっ、すいません……」
「下りろ。死ぬなら1人で死ね。助けたいなら1人で行ってこい」
 繰り返した俺の言葉にリスリィは俯き、何も言わずにホバーバイクから下りた。
 今回のミッションは元々リスリィ1人の担当だ。俺はヴェインの個人的な命令で付き合っただけ。別々に戻っても何の問題もないさ。
 俺は何も言わずにアクセル・グリップを回し、ホバーバイクを走らせる。そして左へと徐々に折れていく中、自然とさっきの奴等が視界に入り――
 アイツらは……。
 過去の記憶が断片的に蘇る。
 確か、昨日スラム・エリアにいた知的障害者グロスと、その付き添い……。アイツらまだ居やがったのか。せっかく人が気まぐれで助けてやったのに。
 自分の身を守る事も出来ないクセに、こんな危なっかしい場所をうろついてるんだ。アレじゃ殺されても文句は言えないな。いや、殺されて当然だ。死ね。そのまま死ね。
 アイツらもリスリィも、死にたい奴は勝手に死ねばいい。だがそこに俺を巻き込むな。
 俺はごめんだ。訳も分からないまま無様に死ぬのだけは、絶対に……。

 自室。
 ベッドに横になり、俺は見慣れたホワイト・スケール製の天井をぼーっと眺めていた。円盤状のシーリング・グラスに封入された酸素原子の連続励起が、部屋全体を明るく照らしている。金属の壁の裏から当てられている誘電性素粒子が、金属原子の膨張を促してクラシック音楽を奏でてくれていた。
 さっき、一応ヴェインに報告してきた。
 目的のレコード物質を無事手に入れた事。ソレをもうすぐリスリィが持って帰ってくる事。現場でロスト・チルドレン2体と遭遇した事。ソイツらを殺す事なく捕獲した事。
 アイツは別に驚いたような仕草は見せなかった。いつも通り飄々として、そうか、問題なかったか、と聞いてきただけだった。俺もいつも通り、特に問題有りませんでしたと返した。
 最初からある程度は予想できていた。予想外の事態が発生する事に。ならソレはもう予定調和だ。特段の問題点としてあげる事ではない。
 恐らくその事はヴェインも同じだ。必ず何か有ると踏んでいた。だからリスリィに俺を付けた。彼女1人では、“真に予想外”の事になってしまうから。
「…………」
 こういう気分を味わうのはもう何度目だろう。
 何かある。俺の知らないところで何かが動いている。まるでコチラが罠に嵌るのを、どこかで隠れて見られているような……。危険を危険だと知らされずに、手遅れになってようやく自分が置かれている状況を理解できる。そんな得体の知れない恐怖。
 本当の危険というのは何の前触れもなく、ある日突然やってくるんだ。
 朝起きたら両親が死んでいたように、絶望の訪れというのはいつも唐突なんだ。
 そして自分には何も出来ない。何の予防も対策も講じる事が出来ぬまま、その理不尽に刈り取られる。
 なら不安になるだけ損だ。どうせ自分ではどうにもならないと分かっているのなら、最初から諦めてしまえばいい。抗おうとせず、流れに逆らおうとせず、ただありのままを受け入れて、時がくれば死ねばいい。
 そんな事はとっくに分かってる。分かってるのに、どうして……。
 嫌だ。そんなのは嫌だ。そんな事で死にたくない。そんな訳の分からない事で死にたくない。そんな無様な死は絶対に……。
「チ……」
 舌打ちし、俺はベッドから身を起こして床に下りる。柔らかい素材のスニーカーを履き、冷たい輝きを返してくるクローゼットの前に立った。取り付けられているタッチパネルを数回叩き、待つこと2秒。クローゼットの表面に小さな黒い口が開き、ソコから手持ちサイズのクリーナーが出てきた。
 棒に沢山の綿羽根を取り付けただけのレトロなデザイン。今は静電気の力を使った、もっと効率的な埃取り器具があるが、俺はこの綿羽根タイプの方が好きだ。掃除をし終えた後の達成感が格段に違う。
 こういう下らない事を考えている暇があるなら掃除だ。部屋が綺麗になれば少し落ち着く。そしたら熱いシャワーでも浴びて今日はもう寝てしまおう。メディカル・ブロックに行って睡眠薬を大目に調達してくれば、きっと明日の朝まではグッスリだ。いつも頭痛薬で世話になってるから、少しくらいの無理は聞いてくれるだろう。
 よし決まりだ。じゃあまずはショーケースの中からだな。モデルガンを全部、パーツにまで分解して――
『アディク、いるかー? なぁオイー。居たら返事しろってばよー』
 ああ、頭がガンガンする……。
 コールベルを鳴らさずにドアを乱暴に叩く大馬鹿野郎は、知ってる限り1人しか居ない。
 ここはもう居留守を決め込む以外選択肢がないな。
『アディクー。アレっ? 居ねーの? マジで?』
 居ないんだよ。だからとっとと向こうへ行け。
『しょーがねーなー』
 そうだ。諦めろ。去れ。消えろ。
『っと……こんな、感じ、かな……?』
 そしてドアの向こう側から聞こえてくるカチャカチャという細かな異音。
 何だ。一体何をしてるんだ。
『……で、こうっと』
 コイツ、さっきから1人でブツブツと――
「アレ? 何だよ居るじゃねーか。そんな不発のポップコーンみたいに小さくなって。何やってんだよ」
「……ソレはコッチのセリフだ」
 悪びれた風もなく、くすんだブロンドを面倒臭そうに掻いているカーカスを、俺は下から力一杯睨み付けて低く凄んだ。
 今、この馬鹿との間に隔たりは何もない。数秒前まで確かにあったはずの白いドアは、部屋の主の意に絶大な反抗を見せて開ききっている。
「どーよコレ。苦労したんだぜー。ちょっとずつパーツ買い集めてさー。完成品だとまーた没収だからなー」
 得意げに言いながらカーカスが見せびらかしているのは、小さな円筒状の台座から無数の細かい端子が突き出している物体。多分……いや間違いなく、あの端子が伸びて俺の部屋のカードリーダーをハッキングしやがったんだ。そしてアンロック・コードを探し出して、ドアを開けた。
「いやー、コッチもやられてばっかじゃシャクだからよ。ちょっとはヤリ返そうかと思って。あの40万のインサート・マターは取り返さねーとなー」
 へっへー、とガキっぽい笑みを浮かべて、カーカスはハッキング・ツールを手の上で弄ぶ。
 この馬鹿……。ホントに後先考えてないな。インストラクターに取り上げられた物を盗み返す? 見付かったらどうなるか分かってるのか。
「没収だ」
 俺は半眼になって短く言い、カーカスの方に手を出した。
「っははー。まーた。ソレよりさー、実はエグいポルノ手に入れたんだー。なぁ、今から一緒に見ねぇ?」
「他人の個人空間への無許可侵入、並びに非合法物の無断所持。スクールの規則11−Dおよび、インナー・スペースの規法98−Cに違反している」
 可能な限り表情を廃し、俺は淡々とした口調で言う。
「だ、だからさー。ジョークじゃんジョーク。俺達同じチームだろー? ほら、ここはユージョーってヤツを深めねーと。な?」
「お前も良く知ってると思うが、ベッドの端に付いているボタンを押せばすぐにヴェイン教官と繋がる。せめてもの情けだ。選ばせてやるよ。どっちに没収されるのがいい?」
「マジかよ……」
 ようやく俺の真剣味が伝わってくれたのか、カーカスは泣きそうな顔付きでハッキング・ツールを差し出してきた。
「大体ポルノってのは1人で見るもんだ。気持ち悪い誘いをするな。頭痛がする」
 ソレを受け取り、俺は制服のズボンポケットに押し込んで溜息混じりに返す。
「そうか? 女の具合の良さ語り合うのもイイと思うけどな」
「興味ない」
 容赦なくはねつけ、俺はカーカスに背中を向ける。
「お前ってホント何考えてるかよく分かんない奴だよな」
 そして後ろから掛かった彼の声に内心苦笑した。
 そりゃあそうだ。自分でもよく分からないのに、お前に分かるはずがない。
「マジでマイペースってか、無駄に自信たっぷりってか」
 が、続けられた言葉に、不快な引っかかりを覚える。
「自信、たっぷり……?」
「聞いたぜ。昨日の今日でまたやり合ったんだって? ロスト・チルドレン共と。しかも殺さずに捕獲とはね。さすがはリーダー様。俺じゃそんな大それたチョイス、とても出来ねーわ」
 振り向いて聞き返す俺に、カーカスは両腕を大きく広げながら言う。
 ソレは感心するというよりは、皮肉めいた響きが込められた――
「最近なーんとなく分かってきたよ。俺とお前の違い。よーやくな。こりゃ勝てねー訳だ。俺はまだ自分にそんな自信、持ててねーからよ」
 力無く薄ら笑いを浮かべながら、カーカスは自嘲気味に紅い瞳を細めた。
「ま、何にせよ頼りにしてるぜ。俺の代わりはいくらでも居るだろーけど、お前みたいなリーダー格はそうそう出てこねーだろーからな」
 そして俺に背中を向け、片手を投げやりに振りながら立ち去っていく。
 コイツ……何を勘違いしてるんだ? 自信たっぷり? リーダー格?
 そんな物、お前が勝手に押しつけて来てる偶像じゃないか。
 俺は別に自分の行動に自信がある訳じゃない。ただ考えないようにしているだけだ。
 仕切ってる訳じゃない。ただ関知しないようにしているだけだ。
 不安から目を逸らして、必要最低限の言動でその場を流しているだけなんだ。
 まぁ、お前の目から見てそう映るんなら別にソレでもいいさ。俺がソイツに対して何か責任を負う訳でもないし、義務を果たさなければならない訳でもない。
 好きにすればいいさ。俺が考えているのは自分の事だけだ。他人がどうなろうと知った事ではない。自分が、無意味な死に様を晒しさえしなければ……。
「…………」
 ドアを閉め、部屋に入る。
 持っていた綿羽根のクリーナーをクローゼットの中に放り込み、俺は仰向けにベッドに寝転がった。
 掃除をする気も失せた。気分が鬱だ。きっとこういう時、カーカスなら1発キメるんだろう。そうすれば気持ち良くなれる。嫌な事は全部忘れられる。
 だが俺には無理だ。
 あの自分が自分でなくなって行くような感覚。万能になり、この世の全ての矛盾や不条理から解き放たれたような錯覚。
 俺にはまだ早い。そうなる資格など無い。まだもっと考えるべき事がある。
 考えないようにするにはどうすればいいか。その事をより深く考えなければならない。
 そういう意味では、俺なんかよりアイツの方がずっと割り切れている。刹那的であれ破滅的であれ、人生を楽しめている。感情をそのまま表に出して、やりたい事をやりたいだけできている。
 正直、羨ましいとも思う。だが同時に絶対ああはなれないだろうとも思う。
 いや、なりたくもないの間違い、か……?
「…………」
 目瞑り、寝返りを打つ。
 と、何かが腿の辺りで引っかかった。ズボンポケットに手を入れ、ソレを取り出す。
 ついさっきカーカスから没収したハッキング・ツール。インストラクター達に見付からないよう、アイツがパーツを1つ1つ根気よく持ち込んで完成させた……。
「部品だけでは分からない……」
 ハッキング・ツールを目の前に持ってきて、俺は呟いた。
 部分的に見てもソレが何だか分からない。全てが揃い、完成して初めて全体像が見えてくる。
 今の俺が置かれている状況と全く同じだ。不安を煽るパーツだけを見せつけられて、全体として何に向かっているのか全く掴めない。そしてその事がまた不安を掻き立てる。
 毎日のように押し寄せ、肥大化していく嫌な感情を抱き続けながら、ただ時間が過ぎて完成品を目の当たりにする日を待つしかない。
 だがその時にはもう手遅れなんだ。
 インストラクターがコイツの持ち込みを許してしまったのと同様、全てを見せられて気付いた時にはもう遅い。だから完成する前に気付かなければならない。
 無意味に死ぬのが嫌ならば、考えて知らなければならい……。
 考える。不安を取り除き、余計な事を頭から排除するために考える。
 ヴェインはなぜ進んで規則を犯すような事をする? そういう時に限ってトラブルが起こるのは何故だ? ヴェインの行動に対して上が何も言わないのはどうしてなんだ? 何か裏の取り引きでもあるのか? 上がヴェインに対して口出しできないような理由でもあるというのか? まさかオッドカードを本当の意味で仕切っているのはアイツなのか?
 そもそもオッドカードとは何なんだ? 20歳未満、家族との別離が最低条件? 理由は? 根拠は? 大体どうして52人で縛るんだ? コードネームをトランプカードになぞらえたかったから? 馬鹿馬鹿しい。強い戦力を簡単に作れる技術があるのなら、さっさと量産してしまえば良いんだ。
 最初から訓練されている政府軍の人間にもスロットを埋め込んで、インサート・マターを使えるようにすればいい。なのにどうして対象から外す? 俺達みたいなガキだけじゃなく、大人の中にも捨て駒扱いされていい奴は沢山居るはずなんだ。
 弱いから、反抗的だから、目障りだから。理由が下らなかろうが何だろうが、使い捨ての烙印を押されてもいい奴は大勢居るはずなのに。
 技術的に何か問題でもあるのか? 手術の成功率や、その後の拒絶反応の抑制やらの点で、俺達でなければならない理由でもあるのか? あるいは資金の問題? それなら人件費はどうなる。ソコから少し捻出すれば10人や20人すぐに増やせるではないか。
 アイツらは全くと言っていいほど機能していない。インナー・スペースの外は俺達オッドカードが、中は政府軍の人間が担当するという取り決めになっているからアイツらは遊んでばっかりだ。
 テロ組織が攻めてこないから。
 強力なロスト・チルドレンを引き連れて、正面突破も奇襲も自爆工作もしてこないから。
 俺がオッドカードのメンバーになった直後くらいはソレなりに攻めてきていたのに、ここ5年くらいは全くだ。
 怖じ気づいたのか? 数に押されて戦意を失ってしまったのか? だがその差を埋めるためのロスト・チルドレンだろ? たった1体で何十もの重装兵器を圧倒する力を持ったロスト・チルドレン。狂科学者、ジャレオン=リーマルシャウトの生み出したオーバー・バイオロジー。
 元々は死滅戦争で失った人間を補おうとして生み出した人工生命体、バイオドール。そして医療技術の飛躍的な向上のために生み出したナノレベルマシン、バイオチップ。
 しかし絶対階級制度社会の再来を危惧して、政府はバイオドールの存在を認めなかった。そしてジュレオンを追放した。
 その後ジュレオンは自分の技術をテロ組織に売り、彼らと協力する事で政府組織に反旗を翻した。バイオドールとバイオチップ。当初は平和目的のために開発したこの2つを組み合わせて、ロスト・チルドレンを創り出した。
 だがバイオドールでは限界があった。どれだけ完璧な擬似人格を植え付けても、K値が200台を切る事が出来なかった。
 そこで奴等は人間に目を付けた。“失う物”を沢山持った人間なら、より強いロスト・チルドレンが出来るに違いない。そう考えた。
 そしてその予想は見事に的中した。
 人間を素体にする事で、K値が100台のロスト・チルドレンを生み出す事に成功した。ソイツは政府軍の前に現れ、沢山の犠牲を払って殺され、そして貴重な研究材料となった。
 そこまでは知っている。テロ組織がそこまで攻めの姿勢を見せていた事までは把握している。だがソレから先は無い。コチラからの攻めを迎撃する事はあっても、向こうからの攻撃は一切なくなってしまった。
 コチラからの攻めと言えば、ミッション中で伝えられるテロの居場所だって怪しい物だ。この広大なアウター・ワールドのどこに潜んでいるかなど、どうして分かる? 向こうが分かり易い目印でも下げているというのか? ……いや、もしかすると見付けているのではないのか? ただ適当にでっち上げている? あるいは――
「やめだ」
 自分の口からそう言い聞かせ、俺はベッドの上に身を起こした。
 俺は政府の技術の全てを知っている研究者じゃない。よく使ってるインサート・マターにしたって、どうしてそういう事が出来るのかっていうところまでは、はっきり知らないんだ。電気信号でホルモンや神経伝達物質の分泌を促しているとは教えられたが、ソレがどこまで本当なのかは分からない。この目で確かめた訳じゃない。与えられた物をただ使っているだけだ。
 俺の知らない事はいくらでもあるさ。当然の事だが。
 そして知らない方が幸せだって事もいくらでもある。気が狂うくらい当然の事だが。
 きっと何か、凄い技術を沢山詰め込んだ凄い機械があって、ソイツの凄い性能であっと言う間にテロの居場所なんて分かるんだろう。
 ああ下らない。考えるだけ無駄だ。頭痛が酷くなる。
 シャワーを浴びよう。それで睡眠薬で明日まで眠りこけて、目が覚めたらスッキリだ。
 俺はベッドから下り、制服の上着を脱ぎ捨てて――
 コールベルが鳴った。
 またカーカスかと、ドア横の小型モニターを見る。
 映っていたのは長いキャンディ・ピンクの髪の女。リスリィだった。
『あの……アディクさん、いらっしゃいますか?』
 彼女は伏せ目がちに小声で言ってくる。
 カーカスと同じように無視を決め込もうかと思ったが、ソレすらも面倒臭くなったので止めた。
「居る。だが会うつもりも話す事も無い」
 可能な限り冷たく突き放した声で言い、俺は白い0シャツの留め具を外す。
『あ、あのスイマセン。今日は……その、色々とご迷惑を掛けてしまって……』
 だがリスリィは引き下がる事なく、そのまま図々しく続けた。
『どうしてもちゃんと謝りたくて……。ホント、すいませんでしたっ!』
 だんだん苛々してくる。
『あの、無理なお願いだとは思うんですけど……出来れば嫌いにならないで欲しいんです。私……頑張りますから……』
 そしてすぐに限界が来た。
 俺は内側からキーロックを外し、ドアを開ける。
「入れよ」
 呆気にとられているリスリィに短く言い、部屋の内側を顎でしゃくった。
「え……でも……」
「入れ」
 戸惑いの色を濃く見せるリスリィを無視し、俺は声を低くして言葉を重ねる。
「嫌われたくないんだろう?」
 そしてソレが決め手となった。
 リスリィは少し怯えながらも浅く頷き、室内へと足を踏み入れる。
 一体俺は今、どんな顔付きをしてるんだろうな。こんな気分になるのは久しぶりだ。
「で? 何を謝るって?」
 シャツを脱ぎながら言い、上半身裸になってベッドに腰掛ける。
「あっ、あのっ。ですから、その……」
 顔を赤くして困惑の表情を浮かべるリスリィ。男の裸がそんなに珍しいか。どこまでも純情な奴だ。だがソレが余計に俺の嗜虐心を煽る。
「勝手な事をして、アディクさんを危険な目に遭わせてしまって……」
 閉じたドアの側で立ちつくしたまま、リスリィは顔を俯かせたまま小さく言った。
「俺はアレで死にかけた。どこかの誰かさんが、思い付くまま突っ走ってくれたおかげでな。なのにソイツは口で謝って済ませようとしている。しかも『嫌わないで欲しい』だとよ。お前どう思う? この話。ちゃんと筋は通ってるか?」
 俺の一言一言に身を震わせ、リスリィはノーブル・ブルーの瞳を潤ませる。ソレはまるでこの世に2つとない美しいレアジュエルの輝き。
 そういう貴重品ほど、汚し、傷付け、壊したくなる。
「……どう、すれば、許して貰えますか?」
「お前にも同じ目に遭って貰う」
 救いを求めるような目線でコチラを見てきたリスリィに、俺は即答した。そして立ち上がり、肩の高さほどの位置に取り付けたショーケースの前に歩を進める。光を全く反射しない透明金属で出来たクリアウィンドウをスライドさせ、中から1つの銃を取り出した。
 装弾数6発のタイプのリボルバー。弾をマニュアルで装填しなければならない、超特級のレトロ品だ。今や本物は、ウォー・ミュージアムにでも行かないとお目に掛かれない。
 俺は指の腹で弾倉をずらし、中に込められていた6発の弾丸を手の平で受け止めた。ソコから1発だけつまみ上げて込め直し、弾倉を適当に回転させる。
「ほらよ」
 リボルバーをリスリィに渡し、残った5発の弾を左手でジャラジャラと鳴らしながら俺はベッドに座り直した。
「あ、あの……」
「聞いた事くらいあるだろ? 大昔の危ない遊び、ロシアンルーレットってヤツだ」
 命を賭けて運と度胸を試す馬鹿げた遊び。銃口をこめかみに当ててトリガーを引き、弾が出なければ勝ち。出れば負け。そして死。
 確率は6分の1。ただし、1回だけならば。
「ソイツを自分に向けて2回引け。それで生きてたら許してやる」
 最初、リスリィは言われた事の意味がよく分からないようだった。渡されたリボルバーを持ったまま口を半開きにして、コチラを呆然と見つめている。
「どうした? 聞こえなかったのか? ソイツで2回自分を撃つだけで、さっきのは無かった事にしてやろうって言ってるんだ。簡単だろ?」
 まるで底の見えない断崖絶壁の前にでも立たされたような表情。恐怖と困却、悲嘆と狼狽、自失と虚無。今リスリィには、かつて味わった事のない感情が大量かつ同時にのし掛かって来ている。
 耐えきれるはずがないさ。こんな世間知らずのお嬢様に。生ぬるい価値観と、吐き気を催すような偽善にまみれた異端児に。
やるのか? やらないのか?コール? オア・ドロップ?
 お前は向いてない。一番最初にその平和そうな顔を見た時から思っていた。
 お前はこの世界に向いてない。価値のない命のやり取りを延々繰り返す、薄汚れた場所に居るべきではない。
 お前はこの世界で生きていく資格が無い。他人の苦しみを自分の事のように感じる奴では身が持たない。人を傷付ける刃が自分にまで跳ね返って来るようでは意味がない。
「やらないのならソイツを置いて部屋から出て行け。俺はお前の事を綺麗サッパリ忘れる」
 だから下りろ。ココらが潮時だ。
 俺の目の前から消えて失せろ。目障りなんだよ、お前は。
「コール? オア・ドロップ?」
 決断を急がせる俺の言葉に、リボルバーを持つリスリィの手が震え始めた。ソレはあっと言う間に全身に伝播し、立っている事すらおぼつかなくなってくる。
 ほらほら無理するな。体が拒絶してるだろ? その反応に素直に従ってろよ。
「出来ないんなら俺が引いてやるよ。ほらよこせ」
 俺はベッドから立ち上がり、リスリィの持っている銃に手を伸ばした。
 ゆっくりと。彼女の中の葛藤と畏れを煽り立て、ソレが出来るだけ長く続くように。より強く精神が蝕まれるように。
「さて、お前のビギナーズ・ラックはどの程度のものかな?」
 リスリィの左手ごと銃を掴み、俺はソレを彼女の目線の位置まで持ち上げた。たっぷりと時間を掛けて。今からする事をもう一度確認させるために。狂気の世界を演出するために。
「最後だ。アライブ? オア・デッド?」
 まるで力の入っていないリスリィの手からリボルバーを取り上げ、俺は銃口を彼女の額に押しつけた。突然生じた冷たい感触に、リスリィの目の揺れが大きくなる。奥歯がカチカチと鳴り、ただでさえ白い顔色が血を抜かれたように蒼白になった。
 そうだ。その貌だ。死に直面し、醜く歪んだ極限の表情。
 普段自分を覆っている物が全て剥がれ落ち、最も裡側(うちがわ)にある本性がさらけ出される。
 同じだ。父親も母親も、今のコイツと全く同じ顔をしていた。今まで数え切れないくらい葬ってきた人間も寄せ集めグラバッグも、死ぬ時はみんな同じだった。同じ貌になった。
 さぁお前はどんな声で啼く。どんな風に命乞いをする。
 見せてみろ、お前の本性を。今ここで全部晒してみろ。
 撃鉄ハンマーを親指で起こす。銃身内のバネが圧縮され、小さな金属音と共に止まる。弾倉が固定され、準備完了コッキングを知らせる。
「ミース・リスリィー=アークローッド。アーユー、オーケー?」
 わざと語尾を伸ばしながら言い、俺はトリガーに指を掛けた。
 リスリィは動かない。いや、動けないのか?
 まぁいいさ、どちらでも。お前がこれからやる事は、泣き叫ぶ事と、白目を剥く事と、おもらしする事だけだ。
 指に力を込める。トリガーからの抵抗が大きくなり、手の形が拳に近くなり――
 ハンマーが落ちた。圧縮されていたバネの力が解放され、弾倉の尻を叩く。
「ラァァァァッキィィィィィ」
 だがソレだけだった。
 銃口から弾は出ない。
 視線を下げてリスリィの体を爪先から頭の天辺まで観察する。さっきと大きな変化は無い。股間が濡れている様子も無い。
 思った以上のメンタルタフネスだ。だが、2発目はどうかな?
「動けないのか? 声も出ないのか? ならそのまま気絶しろ。真似でもいい。そうしたら止めてやる。この馬鹿なお遊びから解放してやる」
 さっきと全く同じようにコッキングの状態まで持っていく。
「死ねば全てが終わりだ。楽しい楽しい馬鹿喋りキャクルも出来ないし、美味しい美味しい豚の飯スウィルともグッバイ。さぁ、2回目はさっきより分が悪いぞ? どうする?」
 長々とお喋りしながら。リスリィの精神を完全に砕きながら。
 トリガーに指を掛ける。少しずつ力を込め、引き絞って行く。
「ッハッハー。楽しいなリスリィ。どーだ気分はー。もうすぐ頭が腐ったパイみたいになっちまうって時の感想はー」
 人差し指とグリップの距離が狭くなっていき、ハンマーが僅かに動いて――

 ――バンッ!

 ブルーの瞳が大きく見開かれる。リスリィの体はそのまま崩れ落ち、ドアにもたれ掛かって動かなくなった。全身の筋肉が麻痺したように手足を投げだし、彼女は空気を求めるように口をパクパクと動かす。
「フン」
 俺は鼻を鳴らしてリボルバーを下ろし、リスリィの横にしゃがみ込んだ。
 彼女の顔をよく見る。ソレはこれまで見た事のない、あまりに間抜けであまりに笑える顔付き。涙が口の中に侵入し、唾液と混ざって口の端から垂れ落ちそうになっている。
 コイツはこんな顔で死ぬって訳か。なかなかイカす死に化粧だな。
「おい。起きてるか?」
 俺は彼女の頬を軽く叩き、耳元で話し掛ける。だが返事は無い。もう1度繰り返す。条件反射的なものしか返ってこない。仕方がないのでしばらく放って置いてみる。
「……ぅ」
 数分後、ようやく呻き声のようなものが聞こえた。
「目ぇ覚めたか? 眠り姫」
 俺はリボルバーのトリガー部に指を入れて回しながら、リスリィに声を掛けた。
「……ぇ? カーカス、さん……?」
「あんな脳無しの声と聞き間違えんな」
 不快に返し、俺は大袈裟に溜息を付く。
「ぇっ、あ! アディクさん!?」
 飛び起きようとして体が付いていかず、リスリィは後頭部をドアに打ち付けた。痛々しい音が室内に響く。どこまでも間の抜けた奴だ。
「わっ、私っ、えっと……」
「よだれ」
 挙動不審に辺りを見回すリスリィに、俺は短く言ってやる。
「はわぁ……!?」
 慌てて制服の袖でぬぐい取り、異常に早い間隔でまばたきを繰り返すリスリィ。恐がったり、気絶したり、寝ぼけたり、驚いたりと忙しい奴だ。
 俺はベッドの縁に腰掛け、軽く口の端を吊り上げた。
「約束だ。昼間の事はチャラにしてやるよ」
 そしてリボルバーのグリップで肩を叩きながら言う。
「えっ……? へっ……? えっ……?」
 言われた事がよく分からないといった様子で、リスリィは何度も吃音を発した。
「俺に許して欲しかったんだろ? 嫌わないで欲しかったんだろ? お望み通り、そうしてやるって言ってんだよ」
「え……ど、どうして……」
「どうしてって……」
 コイツ、あまりのショックに記憶障害にでもなったのか?
「昼間、スラムの野郎共に絡まれてる奴をお前が助けようとした。俺は無視しようとした。お前は俺を止めた。ホバーバイクが反対車線に飛び出した。コンテナトラックと真っ正面からケンカしそうになった。俺はキレた。お前が謝りに来た。ロシアンルーレットで償う事になった。お前は勝った。で、今だ。思い出したか?」
 最初から丁寧に説明してやって俺に、リスリィは口をぽかんと開け――
「あ、あー……っ」
 感情のこもってない声で曖昧に返した。
「はい、はい、はい……」
 自分の中で情報を整理するかのように大きな動作で頷く。1回首を振るたびに、目の焦点が合っていくようだった。
「あの……」
 そしてリスリィは床に座り込んだままコチラを向き、
「初めて見ました……。アディクさんが、そんなに沢山喋ってるとこ……」
 果てしなくズレた事を口にした。
「いつも、もっと無口で、ちょっと恐い顔してて、近寄りにくいみたいな感じだったから、ビックリして……」
 コイツ、まだ頭の中が混乱してんのか? まぁいい。今は取り合えずそういう事にしておいてやる。死線を越えたご褒美だ。
「あっ、ゴメンナサイっ。でも別に悪い意味じゃなくて、その……1人で何でも出来るっていうか、いつも自信たっぷりっていうか、自分の中で全部完結できてるっていうか……」
 焦った様子でリスリィは早口に繕う。
 またか……。カーカスといいコイツといい、俺の事をどう見たらそういう印象になるんだ?
 自信たっぷり? 何でも出来る?
 そんな風になれる方法が有るんなら是非教えて欲しいモンだな。俺みたいな臆病者はそうそう居ないぞ。
「だから……そんなアディクさんになら、いいかなって、思って……。アディクさんに殺されるんなら……他の人よりも。このまま嫌われちゃうくらいなら、いいかなって、思って……」
 言いながらリスリィは薄く笑う。
「私……ココに売られたんです」
 しかしすぐに溜息が漏れ、疲れた表情で呟いた。
「1年半前……100万ベルグで。あの時は高いのか安いのかよく分かりませんでした。まぁ今も、よく分かってないですけど……」
 唐突に始まったリスリィの身の上話。極めて退屈そうだが……まぁいい。
「父親の知り合いに政府の関係者が居て、その人を通して、ちょっと普通とは違う方法でココのメンバーになりました」
 オッドカードのメンバーになるには親と別離していなければならない。だがリスリィの場合はフライングで、親と別離する事を“前提”としてココに来た。
 リスリィの意思は完全に無視して。
「私の家族は本当に普通の家族で、父が居て、母が居て……3人家族でした。私はココとは違う、別のインナー・スペースに居たんです。でも、私が4つの時、『太陽の亡骸』が無くなってしまって……ココに移民する事になりました。私はよく覚えてないんですけど、その時に政府側から支給された防護服がそんなに良い物じゃなかったみたいで……。色々と、問題があったみたいなんです」
 生身の体でアウター・ワールドをうろつけば1時間と持たない。だから俺達はインプレート・ウェアという特殊な戦闘服を支給されている。頭を露出していても平気なのは、手術を受けているからだ。
 だが、ソレは52人という少人数だからこそ出来る事。千以上も居る住民達全員に、そんな特別措置を取る訳には行かない。当然の結果として、1人当たりの防護服は質が落ちる事になる。多分、中には最初から見捨てられた人間も居ただろう。
「それでも私達はちゃんとココに来られる事は来られたんですが……全く何もなかった訳じゃなかったんです」
 両親のどちらかが肉体に異常をきたしたか? 精神が喰われちまったか? それとも――
「私が……おかしな病気にかかってしまって……」
 アウター・ワールドには、まだ名前も知られていないウィルスが無数に存在する。そんな場所を貧弱な装備で渡り歩けば感染もするさ。ましてやその時コイツは4歳だろ? 自己免疫力が完成しきっていない若い体は、ウィルス共の温床に等しい。
「その病気を治療するために、父と母は私を何度もお医者さんの所に連れて行ってくれました。沢山働いて……私のために何回も何回も、連れて行ってくれました……。でも、全然治療法が分からなくて……検査費用も凄くかかって……」
 どんどん金は減っていった、か……。
「服も買えなくなって、食べる物もギリギリで……。母が倒れて、父が2人分働いて……。でも……」
 そんなもの長くは続かないさ。そして極限まで追いつめられた時、一気に吹き出すんだ。
「『お前は俺達を殺す気か』って、言われました……」
 人間の一番醜い部分を、惜しげもなく露呈させるんだ。
「『お前は失敗作だ』って……『癌の塊だ』っ、て……」
 どんな綺麗事で包み隠したって、一番大切なのは自分自身なんだ。人間ってのは自分の事しか考えない生物なんだ。自分を守るためなら何だってやるさ。自分を擁護する時はどんな事だって正当化されるんだ。ソレが人の本質だ。
 何も間違っちゃいない。お前の父親は極めて真っ当な事を口にしただけだ。
「ソレで、私はココに入れられました……」
 ただ、その事を知らされるのが少し遅すぎた。もう心が大分完成しきった後に教えられたのが不運だった。最初から“そういう物なんだ”と思っていれば、特に動じる事もなかった。
「そんなヤバい病気にかかってるようには見えないけどな」
 途中で挟んだ俺の言葉に、リスリィは弱々しく頷く。
「見た目はそうなんです。たまに熱が出たり、咳が酷くなったりするくらいで。このウィルスは、私の中では安定みたいなんです。ただ、他の人の体に入ると……」
「感染経路は?」
「粘膜、から……」
 成る程。
 キスしたりセックスしたり出来ない。子供を生む事も出来ない。躰で金を稼ぐ事も出来ない。だから失敗作、か。
「どうしてって、思いました……。どうして私がこんな目にって……。でも、そんなの勝手すぎますよね。悪いのは私なんですから。迷惑ばかり掛けて、私がちゃんと良い子にしてなかったから……捨てられちゃったんですから……」
「関係無いさ」
 自虐的な笑みを浮かべるリスリィに、俺は小さく鼻で笑って続ける。
「そんなモン全く関係無い。お前が良い子だろうと悪い子だろうと、『太陽の亡骸』は消耗するし、ウィルスは入り込むし、親はお前を助けようとする。お前がどう努力しようが拒絶しようが、全部最初から決まってんだよ。この世界は考えたら負けなんだ。何も疑問を抱かずに、黙って周りに順応して納得してりゃ1番上手く生きられる。もしソレが出来ないんなら、せめて全部他の奴のせいにしてしまえ。そうすりゃ少しは楽になる」
 両腕を大きく広げ、俺は口元を歪めた。
 一体どれだけ恵まれた家庭で育ったのかは知らないが、コイツは正真正銘の馬鹿だ。頭の中がお天気過ぎる。こんなのでよく今まで発狂もせずに生きてこられたものだ。まぁ俺の知った事ではないが。
「そう、ですよね……」
 リスリィはか細い声で啼くように言って俯く。が、またすぐに顔を上げ、弱々しい作り笑いを浮かべた。
「やっぱりアディクさんって凄いですよね。そうやって、自信持って言えるトコとか……。私には、とても真似出来そうにないです……。だから凄く、羨ましい……」
 馬鹿だ。本当に馬鹿だ。救いようのない馬鹿だ。
 その事をいちいち指摘するのが異常なまでに面倒になる程の大馬鹿野郎だ。
「私、パパとママには感謝してるんです。ココまで育ててくれて有り難うって。だから、もっと頑張らないと。今度こそ、捨てられないように……嫌われないように……」
 もう完全に病気だな。いや、むしろ芸術か? 一体どういう思考サーキットを組み込んでいれば、そんなオメデタイ考え方が出来るのか是非教えて欲しいものだ。
「な、なんかスイマセン。急にこんなつまらない話しちゃって。ご迷惑でしたよね」
「いや、なかなか面白かった」
 反吐が出る程に笑える話だった。
「そ、そうですか? そう言って頂けると、なんだか凄くホッとします……。こんな事、なかなか言える人が居なくて……」
 ソレで正解だ。他の奴に話せば、間違いなく『嫌われる』ぞ。
「あの、お話出来て良かったです。アディクさんと話せて。なんだかちょっとだけ、変われた気がします」
 気のせいだ。果てしなく気のせいだ。そんなに簡単に変われるなら、世界はココまで腐ったりしない。
「捨てられたくないんなら追い続ければいい。嫌われたくないんなら考えなければいい。単純で簡単な話だ。特別な力なんかいらない」
 捨てられたくないんなら泣き叫べばいい。嫌われたくないんならもがき苦しめばいい。ココはそういう所だ。土台、無理な話なんだよ。
 使える物は何でも使う。要らなくなった捨てる。気に入らない奴は消す。
 ソレがこの世界のルールだ。誰でも知ってる常識コモンセンスだ。
「あと、人には向き不向きってのがある。お前はバックアップが向いている。俺は戦闘が向いている。お前は人の良いところを見る事に長けている。俺は悪いところを見る事に長けている。ソレだけだ。誰も特別な力なんか持っていない。自分の力とは少しだけ方向性が違うだけだ。ソレが『特別』に“見える気がする”だけだ」
 だから変わる必要なんか無い。そのまま頭の中に花を咲かせておいて、いつか誰かに踏みにじられろ。そして堕ちて行け。ココにいる奴等はみんなそういう奴等だ。お前1人だけが浮いてるんだよ。お前1人だけ楽になるなんざ、誰も許しはしないさ。
「あの……有り難うございます! ちょっとだけアディクさんの自信を分けて頂けたような気がします! やっぱりその……アディクさんって“リーダー”って感じですよね!」
 表情を明るくし、座り込んだ姿勢のまま何度も頭を下げてくるリスリィ。
 ……本当に良いところだけしか見ようとしないな。カーカスなら速行で裏読みするか、言葉尻を取るかするぞ。
「この銃な、モデルガンなんだよ。ニセモノってやつだ。弾は出ない。こんな所で脳漿ブチ撒けられたら、後の掃除が大変だからな」
 俺は口の端を釣り上げ、リボルバーを指先で回しながら言った。
「そ、そうだったんですか。です、よね……。だって、ロスト・チルドレン捕まえたんですもんね。アディクさん、優しい人ですもんね。あの、有り難うございます!」
 ……普通、怒るところだろ。ミゼルジュだったら、引っ掻き掛かってくるぞ。
「さっきの2人はどうした? お前が無茶して助けたがってた。1人“知的障害者グロス”が混ざってただろ?」
「あ、あの人達は無事でした。私でも……ちゃんと助けられました。まぁ、その……逃げちゃったんですけどね。相手の人達が。私、見て……」
 ははは、と苦笑いを漏らしながら、リスリィは恥ずかしそうにキャンディ・ピンクの毛先をいじる。
 まぁ、インプレート・ウェアはオッドカード専用の戦闘服。普通は大人が数人掛かりでも、オッドカードのメンバーには勝てないからな。逃げ出す気持ちは分かるが……。
「で、“グロス”の野郎はどうだった? 気持ち悪かったか?」
「いいえっ、全然っ。すごく良い子でしたよ。ありがとうって、ちゃんとお礼言ってくれました。アディクさん、お知り合いですか?」
「……別に」
 ひょっとして差別用語だって事すら知らないのか?
「あの、コレって心配してくれてるんですよね。有り難うございます!」
 ……もぅ何も言えない。
「あ! そろそろ時間ですね! 私、1回部屋に戻りますね。じゃあ、また後で」
「……何の話だ」
 急に立ち上がって落ち着きなく髪を整え始めたリスリィに、俺は低い声で返した。自分でも驚くくらい疲れが滲み出ている。
「クラスレッスン。あと10分くらいですよ。でもまぁ、ヴェイン教官だから20分くらいに見てて良いと思いますけど」
 楽しそうに笑いながら、声を弾ませて説明するリスリィ。
 ……余計な事を思い出させてくれる。
「それじゃ。本当に色々と有り難うございました。あの、出来ればまた、ゆっくりお話したいです」
 ……ああ、頭痛が酷くなる。

Inner Space #9.
Governmental Organism.
School Area "Lecture Block".
Classroom No.5
PM 03:15

―第9インナー・スペース
 政府組織
 スクール・エリア『レクチャー・ブロック』
 クラスルーム・ナンバー5
 午後3時15分―
 
View point in ミゼルジュ=レイ

「で、あーまー、そんな訳でだ。とっくに知ってるとは思うが、ロスト・チルドレンって奴は、このバイオチップってヤツがデカいキーポイントになる訳だな。バイオチップがロスト・チルドレンを作り出す、と。軽くおさらいな」
 薄暗くて無駄に広いクラスルームの中。部屋の物は全部ナントカっていう金属製。窓も無い、インテリアも無い。有るのは可愛げの無い直線だけの空間。
 アタシは1番前のデスクで頬杖を付き、不細工なアニメーションを続ける手元のモニターをぼーっと見ていた。
 人数分だけ床からせり上がる仕掛けになっている机の数は4個。今、レクチャーを受けているのはアタシ達のチームだけだ。
 100人は軽く呑み込めるこのバカデカい部屋にたったの4人。ああ、ヴェインも合わせて5人か。とにかく無駄だ。無駄すぎる。いざという時は避難場所代わりにするらしいけど、どうだか……。
「で、な。コイツを入れた時に体の中で上手くバラけないと、失敗する訳だな。ドカンってなってサヨナラか、まぁ寄せ集めグラバッグとか呼ばれている変異生命体になるって訳だ」
 デスクに埋め込まれたモニターの中でヴェインの声が文章化され、その下でデフォルメされた人体が爆発するシーンと、体の一部が異常発達か異常退化していくシーンが映し出される。
 ああもぅ気分悪いなぁ……。ただでさえ最近吐き気が酷いのに……。妊娠……調べて貰った方が良いかなぁ……。
「で、まぁコイツの主な原因として考えられているのが……カーカス君」
 と、ヴェインはだらしなく伸ばした赤黒髪を掻きながら、隣りに座っている……いや寝入っているカーカスの頭を軽く小突いた。
「さぁ問題です。リスリィ君のスリーサイズは上から順に?」
「はぇ……!?」
 カーカスの向こう側から悲鳴に近い声が上がる。アディクと並んで座っているリスリィが、この暗がりでもハッキリ分かるくらい顔を赤くしていた。
「……77・56・78」
「残念。80・56・81だ。リスリィは着痩せする。よく覚えておくように」
 眠そうな声で答えるカーカスの頭をノックしながら、ヴェインはいつになく真剣な声で返す。そしてリスリィの顔は……ああ、痛々しくて見てられない。でもこのくらい軽く流せないとねー。ま、そう出来ないのがあの子らしさでもあるんだけど。
「ロスト・チルドレン化の失敗。その主な原因が人間性のショボさ、な。バイオドールには感情ってヤツが備わってない。だからテロ共は人工的に植え付ける。ソイツを喰ってロスト・チルドレンはサイキック・フォースを身に付ける。人間性は当然、人間に近い方が好ましい」
 壁に埋め込まれた巨大モニターを直接手で触って操作し、ヴェインは次の画像を表示させる。
「本当は人間を素体にしてロスト・チルドレンを量産したいんだろうが、向こうは人手が限られている。俺達みたいに沢山居るわけじゃなーい。まぁ沢山っつっても大昔と比べりゃ少ないんだろーが」
 へらへらと軽い笑みを浮かべながら、ヴェインはモニター内の人体図をノックした。
「で、だ。コイツを回避するために割と前からされてんのが“慣らし運転”ってヤツな。ちょっとずつ、ちょっとずつバイオチップを注入して行って本番に備える訳だ。まぁバイオチップってのは元々、政府で開発された医療技術な訳だしー。ロスト・チルドレンとかに応用する前からやられてた事だから、当たり前っちゃ当たり前なんだがなー」
 ああ、何だか眠くなってきた……。昨日はまた呼び出されたから、あんまり寝てないのよねー……。寝返り打つと傷口が痛むし。今は痛み止めで抑えてるけど……。
「で、な。ココからが本題ー。よーっく聞いとけよー。俺が研究所のお偉いさんと仲良くしてるからゲットできた、ムッチムチの生情報っヤツな」
 カーカスはバッドトリプった後もまたヤッたのかな……。コイツの場合は“慣らし運転”しすぎか……。まぁアタシも似たようなモンだけど。
「ソレによると、だ。他の方法でコレをカバー出来るようになっているらしい。詳しいデータは解析中だが、ザクッと説明するとだな。あー、注入したバイオチップの1個1個を外部からコントロール出来るんだと。コイツで全身にまんべんなく行き渡らせれる訳だなー」
 そう言えばリスリィ……あの子、さっきミッションから戻って来たばかりなんだっけ? なんかアディクと2人で行ったらしいけど。珍しい……。ソレでかな? ちょっと距離が縮まったような……? アディクはいつもアタシ達からちょっと離れて座ってるのに今日は……。
「つまり、だな。別な考え方をすれば、バイオチップの制御を乗っ取ったり、狂わせたり出来るって事だよな? 安定したバイオチップを、もう1回不安定な状態にも戻せる。当然、体には負荷がかかる。ロスト・チルドレンは大ダメージ。どうだ? こんな機械、できたら良いと思わないか? リスリィ、バックアップ専門のお前も現場に行けるって訳だ。ロスト・チルドレン、恐るるに足らず、ってな?」
「はぁ……」
 リスリィは曖昧に返しながらアディクの方をチラチラと見ている。
 あの2人が恋人同士とかになったら面白そうなんだけど……ないか。あのアディクに限って。アイツの無愛想さはビッグバン級だもんねー。殆ど機械だよ、機械。ロスト・チルドレンより人間性が無――
「お? どうした? ミゼルジュ。質問か? っておぉーぃ」
 胃の中のモノが晒される前に、アタシは部屋から飛び出した。

 さっき居たクラスルームからほんの数メートル離れた場所。
 通路の角を間がってすぐ、アタシは昼に食べた物を全部吐き出した。
「は……ぁっ、ぅ、ぐっ……」
 額を付けた壁から伝わって来る冷たい金属の感触。しかしあっと言う間にぬるくなる。
 もう胃液しか残っていない腹を抱え、アタシはフラつく足取りで通路を奥に進んだ。そして鬱陶しい臭いがしなくなった所で腰を下ろし、壁に背中を預ける。
 いつもはただ殺風景でクソッタレな通路だけど、今は気持ちいい。
 けど、足りない。
 熱い。体が熱い。いっそこんな服なんか脱いで金属の床に体を押しつけたい。
 何……? コレは何? 何なの? どうなってしまったの……アタシの躰は、一体……。
「大丈夫かー? ミゼルジュ」
 上から声が聞こえてアタシは目だけをそちらに向ける。ズボンのポケットに手を突っ込み、ヴェインが薄く開いた瞳でコチラを見下ろしていた。
「悪そうだな、具合」
「見りゃ……分かるでしょ……」
 ファッキンな事を聞いてくる役立たずブロブ野郎に、アタシは唾を吐きながら返す。
「体が熱いか?」
 猫背を更に丸めてしゃがみ込み、ヴェインは目線の高さを合わせながら聞いてきた。
「どの辺りが熱い? 全体的に熱いか? それとも、1箇所から熱が出てる感じか?」
 そして少し顔を近付けて眼を細める。まるで、何か観察でもするかのように……。
「特にスロットの辺りが熱いとか、ないか?」
 生気の無い目線をアタシの躰に這わしながら、ヴェインは探るような声で言ってくる。
 スロット……? 何の事……。何故、ココでスロットの話なんか……。
 何を知ってる。コイツは何を知っているんだ。アタシの知らない、アタシの躰に起こっている何を知っている……。
「もうとっくの昔に教えたとは思うが、インサート・マターの乱用は避けた方が良い。それからな、もっと自分の体は大切にした方が良いと思うぞ?」
「はっ……」
 呼吸を整えながらヴェインの言葉を鼻で笑い飛ばしてやる。
 お前に何が分かる。アンタがアタシの何を知ってるっていうの?
 知らない。こんな奴が知っているはずない。アタシの事なんか何も分かっていない。
 インサート・マターの乱用? カーカスじゃあるまいし、基本バックアップのアタシがあんなモンやたらと使うか。
 それに、“アレ”は自分を思っての事だ。ココを根本から何とかするために。アタシの周りをクレイジーに変えてしまうために。大きな事をするにはソレなりの代償が必要なんだ。クソ発言スクワットなら、どっかのジムでやってろ。
 大体、なんでお前がそんな事……。
「ぅ……ご……っ」
 再びせり上がってきた内容物に顔が歪む。だが口の中が酸っぱくなるだけで何も出ない。
「見てられないな」
 溜息混じりに言いながらヴェインは立ち上がり、黒い制服の内側に手を入れて何かを取り出した。
「飲め。少しは楽になる」
 そしてソレをコチラに差し出してくる。
 手の平の上にあったのはカプセルだった。だが小指の先くらいある。妙にデカい。
 この気分のクソ悪い時に、そんな物飲めるか。いや、ソレ以前にメディカル・ドクターでもないお前が持っている薬なんか……。
「ぁっ……げ、ぐ……」
「じゃ、まぁ。飲むか飲まないかはお前に任せるさ。ただ取り合えず、ココでこのまま放置、ってのはな」
 ヴェインはカプセルをアタシの腹の上に置くと、両腕で体を持ち上げた。
 正直、大暴れして抵抗したい気分だが、ムカツク事に頭と手足の神経が余り繋がっていない。
「ま、俺もお前らくらいの時は色々悩んださ」
 年齢を感じさせる笑い皺を深くしながら、ヴェインはスローな足取りでアタシを運んでいく。
「で、今でもあんま変わってない、と。はっはっはー、だな」
 何も考えて無さそうな顔付きで言うヴェインに舌打ちし、アタシは目を閉じた。
「オッドカードも色々と大変だよな。ま、俺らの時とはちょっと意味合いが違ってきてるけどよ。どちらにしろ“可哀想な駒”って事には変わりない」
 こんな奴の言う事なんかどうでもいい。こんなオトボケ野郎に心配されるくらいなら、スラム・エリアで体を売った方が――
 ――嫌だ。
 違う。何を考えているんだアタシは。そんな惨めったらしい生活をするくらいなら、テロにでも寝返った方がまだましだ。
 諦めたらそこで負けなんだ。死んだら負け犬なんだ。
 アタシは諦めない。絶対に死なない。
 変えないと。自分の周りを変えていかないと。
 じゃないと、この未来の無い世界に捕らわれたまま、一生……。
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