ロスト・チルドレン -screaming the deadly ambition-

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  Nightmare.6【破壊 -self-believing-】  

Inner Space #9.
City Area.
PM 06:12

―第9インナー・スペース
 シティ・エリア
 午後6時12分―
 
View point in アディク=フォスティン

 ユティス=リーマルシャウト、だと……?
 記録の中だけに存在する最強のロスト・チルドレン。K値が1桁の……。
「お前が……?」
 俺は高い上背を持つ男を見上げながら、手に持っていた銃をガンホルダーに戻した。
 首筋まで伸びた艶のある金色の髪。純水のような透明感を持ったスカイ・ブルーの瞳。高い鼻梁、締まった頬肉、鋭角的な輪郭。
 俺達とは違う、成熟した大人の顔立ち。
「なんだよー」
 だが頭の中は未熟児並に幼い。
 人間性を失ったロスト・チルドレンの、典型的な特徴。
 しかし何故だ。どうして角膜カウンターが反応しない。コイツがロスト・チルドレンであるならば、初めてスラム・エリアで会った時にK値が表示されるはず。
 規格外だとでも言うのか? たった1桁という有り得ないK値には対応していないとでも? あるいはやはりロスト・チルドレンではない? バーチャル・ブロックで擬似戦闘をしたユティ=リーマルシャウトとは、外見がまるで違う……。いや、元々記録の中にしか存在していなかった人物なんだ。正確に再現するなど不可能に近い。さっき見せたあの力だって、俺が体験したのとは段違いの強さだ。K値が200台のロスト・チルドレンを、一瞬で蒸発させてしまうなど……。 
「けーち? ねぇまま。けーちって、なに?」
 ユティスが口にした言葉に、俺は思わず目を大きくした。
 コイツ……俺の考えている事が分かるのか……。
「……オッドカードの皆さんは、ロスト・チルドレンのK値が分かるように手術されているんでしたよね。それでどうしてこの子のK値が測れないのか、その事が疑問なんですよね」
 ユティスの頭を撫でながら、アミーナは細い睫毛を伏せて深刻な表情で言う。フードマントの下はユティスと同じくブロンドで碧眼。ただし髪は背中まで長く伸び、双眸には思慮深く、そして憂いに満ちた輝きを宿している。
「私はオッドカードの研究員ではないので確定的な事は申し上げられないのですが……今、この子のK値は――ゼロです」
「ゼロ……?」
 無意識に口が動いて、アミーナの言葉を繰り返す。
 ゼロ? K値がゼロ、だと? ソレはつまり、K値の定義をそのまま当てはめるとするならば、“使い放題”って事か……。ハッ……もしソレが本当ならまさしく最強のロスト・チルドレンだな。コイツがその気になれば、世界を終わらせる事も可能ってところか。ソレはソレで悪くない。
「最初は7だったのですが……私達が居た研究施設の爆発に巻き込まれて、生き埋めになって……。この子がどうやって私を助け出してくれたのかは覚えていませんが、その時に……」
「K値は生体固有値じゃない。与えられた状況によっては大きく変動する可能性があるって事だな。具体的には、生命の危機に瀕した時に」
 地下施設に居た、あのロスト・チルドレン共と同じように。
「恐らくは……」
 つまり追いつめられて完全に自分を放棄した時、大切な物を捨ててでも生きたいという思いが強くなって――K値が下がる。
 ロスト・チルドレンのサイキック・フォースは己の人間性と引き換え。自分の心を代償とする。いわば精神を切り売りする行為。だから心的な負荷に耐えられれば耐えられる程、繰り返し使う事が出来る。K値が低くなる。
 ソレが証明だから。甚大な精神負荷を乗り越え、失いたくない物を差し出してまで悪魔の力を手に入れた事への証明だから。
 なるほど。何となく分かってきた。
 要するに死にたくない訳だ。
 やっぱりそうだ。コイツらは俺と同じだ。無意味に死ぬのは嫌だって訳だ。死ぬくらいなら、壊れる事を選ぶって訳だ。
 ユティス=リーマルシャウト……お前もそうなのか? “最初の”とか“最強の”とか色々勝手に言われているが、一皮剥けばお前は俺と同じなのか……?
 コイツのK値は元々7だった。最初から異常に低かった。だからソレがゼロになっても、それ程大きな物を失わずに済んだ。辛うじて人間性を留める事が出来た。
 そうやって残した心でお前は何を考える? 何を求める?
 研究施設の爆発、か……。お前は母親を助けるために必死だったんだろうな。そのために残り少ない『自分』を割いたんだろうな。ひょっとして父親も、ジュレオン=リーマルシャウトもどこかで生きているのか? 一緒に救ったのか?
「ぱぱはねー。どっかとんでっちゃった。どこにいるんだろーね」
 またコチラの心を読み取ったのか、ユティスはクマのぬいぐるみを抱き締めて明るい表情で言う。
「で? “俺達が力になってくれる”ってのは?」
 ソレに皮肉った笑みで返し、俺はアミーナに聞いた。
 まぁ聞くだけ聞いてやるさ。命の恩人だからな。
「はい。では要件だけを端的に述べます」
「是非そうしてくれ」
「私は、ロスト・チルドレンの技術を完全に抹消したい」
 明確な意志の込められた視線でコチラを射抜き、アミーナは力強い言葉で言った。
「ですが、ソレが限りなく不可能に近いという事は分かっています。バイオチップを核とした技術はすでに浸透しすぎてしまいました。でも私はこの技術に一番最初から携わっていました。いつも目の前で見ていました。私には、この悲惨な事態を止める義務があります。被害を最小限に留める責任があります」
 誠実で実直な使命感、そして正義感。頭痛がする程の。
 もう40はとっくに過ぎているだろうに。年齢を感じさせない若々しさは、その精力的な献身活動から来ているのか?
 リスリィの同種がまだ他にも居たとはな。愉快過ぎて頭がおかしくなりそうだ。
「で? 具体的にはどうするんだ?」
「バイオチップの働きを止めます。遠隔操作で」
 遠隔操作でバイオチップを? ああ、そう言えば以前、ヴェインがそんな事を言っていたか。バイオチップの制御を乗っ取ったり狂わせたりする事が出来る技術が、最近開発されつつあるって。けど、どうしてアミーナがソレを?
「私はロスト・チルドレンの研究の第一人者です。バイオチップの事は誰よりも良く知っている自信があります」
 俺の顔色を読んだのか、アミーナは少し早口になって付け加える。
「ジュレオンは研究成果の全てをデータ化していた訳じゃないんです。彼のブレイン・デバイスにしか残っていないデータは沢山あります。その1つが、バイオチップの遠隔操作です。ただコレは研究資金の都合上、途中で止まっていましたが……」
「ソレをアンタが復活させるって訳だ。で、政府の研究施設を使わせて欲しいと」
「はい。お話が早くて助かります」
「無理だな」
 期待に満ちた声で言ってくるアミーナに、俺は即否定した。
「まず第1に、アンタを信用できない。適当な事を言って政府のデータを盗み出そうとしているだけかも知れない。アミーナ=リーマルシャウトとユティス=リーマルシャウトは、公式上では死んだ事になっているからな。仮に生きていて、アンタが本当にアミーナ=リーマルシャウトだったとしても、上の奴等は間違いなく拒否する。元々敵同士なんだから当然だ。第2に、俺にはそんな権限はない。俺は駒であって指揮官じゃない。身元不明の奴に、政府の抱えている重要な技術を触らせる事なんて許可出来るはずがない。そのくらい少し考えれば分かりそうなもんだがな」
 俺の言葉にアミーナは少し顔を俯かせ、苦しそうに息を吐きながら浅く頷いた。
「……ええ、ソレは勿論。自分でも無茶なお願いだという事は分かっています。ですが、もう時間が無いんです。これまでの沈黙を破ってテロリストが仕掛けてきたという事は、きっとそれなりの自信があるという事なんでしょう。単発で終わるとは思えません。ですから次が来る前に……」
「なら勝手にやればいい」
 鼻を鳴らし、俺は口の端を吊り上げて続ける。
「どうやったのかは知らないが、アイツら実に手際よくコッチを混乱させてくれた。おかげで政府はガタガタだ。軍事施設だけじゃなく、研究施設までもな。普段当たり前のように張り巡らされてるセキュリティ・チェックは相当甘くなってるはずだ。それらしい格好をして潜り込めば気付かれないさ、多分な。ま、2人分の研究員の制服くらいなら取ってきてやるさ」
「あ……」
「ヤバくなったらソイツに何とかして貰えばいい。K値ゼロのロスト・チルドレンなんだろ? 瞬間移動なり認識操作なり、適当なサイキック・フォースを好きなだけ使えばいいさ」
 そうやって連中を引っ掻き回してやれ。どんどん周りを変えていってくれ。
 望むところだ。このまま進んでも希望なんか無い。だったら激的に変わってくれた方が良い。そうすれば、俺も……。
「あの、本当に有り難うございます。本当に助かります」
 アミーナは少し瞳を潤ませ、両手で俺の手を握り込んできた。
 本当に馬鹿だな。分かってないのか? 俺はお前らを単に駒として使っているだけだ。
 俺が望んでいるのはバイオチップの遠隔操作なんかじゃない。政府の壊滅だ。そこの最強さんが大暴れしてくれる事を、せいぜい期待させて貰うさ。
「やっぱり、アディクさんって優しいですよね」
 あぁそうだ……。もう1人馬鹿が居たんだったか……。クソ……頭が痛い。目眩もする。
 いつの間に復活したんだ。あのままずっと死んだフリをしていれば良いものを……。
「私……最初はこんな事全然考えてませんでした。この子と、どこかでひっそり暮らせて行ければソレで……。でも貴方達の事を……オッドカードの事を考えると、とても……。だからずっとスラムを調べていました。貴方達のような人が沢山輩出されたっていう場所を……。どうしてココから選ばれるのか知りたくて……」
 声を沈ませ、重苦しい表情で言うアミーナ。
 どこかの誰かさんと同じで、気苦労の多い奴だ。ロスト・チルドレンの事だけじゃなく、俺達の心配までとはねぇ。どうして力を持っていない奴ほど、他人の世話を焼きたがるんだ? 不思議でしょうがないな。
 いや逆か? 自分の身すら守る事が出来ないから、せめて他人に捧げて満足感を得ようとしているのか? 自分はこんなにも余裕が有るんだという事を、見せびらかしているのか? ま、何にせよ理解できないし、理解したいとも思わない。
 とにかく今重要なのは、この女の奇特な性格のおかげで、俺の周りがガラリと変わる可能性があるという事。せいぜい応援させて貰うさ。
「ご存じのように、オッドカードの力も根幹の部分はバイオチップによる物。貴方達が辛い目に遭っているのも、元を正せば私のせいなんです」
「え……?」
 リスリィの漏らした小さな声。ひょっとすると俺の口からも同じ言葉が出ていたかも知れない。
「本当にすいません。まさか、もうこんなにも拡散してるなんて……」
「おい待て。どういう事だ」
 低い声で言い、俺は少しアミーナに詰め寄って――
「――ッ」
 何か不可視の力に押されて後ろに弾かれた。
「ままいじめたら、ばいばいしちゃうよー?」
 アミーナを守るように背中から抱き締め、ユティスはしかめっ面になって不満声を漏らす。
 く……コイツ……。
 腕を見る。インプレート・ウェアで覆われていたはずの左腕が剥き出しになり、所々内出血を引き起こしていた。
 他のロスト・チルドレン共と違って、攻撃時に予備動作が全く無い。何なんだコイツは……。
「大丈夫よ、ユティス。ママはどこにも行かないわ」
 アミーナは優しい声で言ってユティスの唇にキスし、微笑みながら頭を撫でた。
「うんっ」
 満面の笑みを浮かべ、あっと言う間に上機嫌になるユティス。
 ……安っぽい性格だ。吐き気がする。
「もう一度聞く。さっきの言葉はどういう意味だ」
 ユティスからの剣呑な視線を受け流し、俺はもう1度同じ質問をした。
「あの……ひょっとして知らされていないんですか?」
「どういう意味かと聞いている」
 僅かに語調を荒げて言った俺の足元に深い亀裂が走る。ホワイト・スケール製のグラウンド・プレートが易々と切り裂かれ、暗い底がコチラを見返していた。
 予備動作も無ければ溜めも無い。ソレでコレだけの出力。異常って表現だけでは済ませられないぞ。
「……私は元テロリストのメンバーですから、敵対していた貴方達の事は色々と調べていました。どのような構成で、どのような年齢層で、どのようにして力を引き出して、どのような戦闘スタイルなのか。インサート・マター。貴方達がそう呼んでいる小型チップが力の発生源。様々な種類のチップを表皮下にまで差し込む事で、筋力増強、反応速度向上といった効果を得られる。そこまですぐに分かりました」
 目元を引き締め、アミーナは滑舌の良い喋りで整然と言う。
 ソレはまさしく研究者としての顔付き。聞く者を自然と納得させてしまう、妙な説得力を帯びた言葉運び。
「最初は、電気信号を巧みに操る事でホルモンや神経伝達物質の分泌を制御し、一過的な生体チャネルの開閉を引き起こす事で、それらの効果を得ているんだと思っていました」
 そう。スクールではそう教わった。
「ソレは半分正解で半分は間違い。効果を及ぼしていたのは電気信号だけじゃない。あのインサート・マターというチップにはバイオチップが詰められていた。電気信号はあくまでも補佐的な役割でしかありませんでした。すなわち小型チップの挿入口付近の微繊維筋肉が身体緊張によって収縮した時、その信号を電気に変えて小型チップに伝えるんです」
 つまり、ソレが自在にインサート・マターの発動と停止を行える原理って事か……。
「メインの機能は、その電気信号を受けた小型チップが体内に放出するバイオチップにあります。このナノマシンが生体機能を直接的にコントロールする事で、身体能力を大幅に向上させる事が可能です。ただしコレには欠点があって、バイオチップが血流に乗って作用点まで到達しないと効果を発揮しません。まぁ、元々放出量が少なすぎるという事もあるんですが……」
 インサート・マターの効力がスロットから離れれば離れるほど落ちるのは、そういう事か……。
「ですが適性に見合わない過剰量を受ければ、肉体は拒否反応を示します。バイオチップへの適性は先天的な物。政府では恐らく、貴方達がバイオチップに侵蝕されないように何らかの配慮をしているはずです」
 オッドカードのメンバーになるためには、戦闘適性を調べられ、角膜カウンターやスロットを埋め込む手術を受けなければならない。そのスロットの数、そして与えられるインサート・マターの種類は全て、自分の肉体がどれだけのバイオチップに耐えられるかを基準に決定されていたということか……。
「つまり極論を言ってしまいますと、インサート・マターは貴方達の体の一部を“瞬間的にロスト・チルドレン化する事で力を与えている”という事になります」
 最初の弱々しい印象とはまるで違う、畏れすら覚える口調で言い切るアミーナ。俺はただ薄ら笑いを返すしかなかった。
 バイオチップで、ロスト・チルドレンに、か……。
 おいおい、今更何を驚いているんだ? たかがインサート・マターのカラクリを知らされたくらいで情けない。コイツは生き残るためにどうしても必要だった道具。電気信号だろうが、バイオチップだろうが、力を与えてくれれば何でも良かったはずだろ? だから今まで深く考えようとしなかったんだろ?
 そんな事をしてもしょうがないって。兵隊は考えないって。余計な詮索はしない方が自分の為だって。ソレでずっと納得してきたんじゃないか。なのに今更……。
 第一この女の言っている事も、どこまで本当なのか分かったモンじゃない。こんな素性の知れない科学オタクマッドギーク知的障害者グロスの組合せ、言う事を信じろって方が無理な話だ。今まで通り、何が本当かなんて事は曖昧にしておくのが一番楽な方法だ。
「1つ、教えてくれ……。ロスト・チルドレンになるための条件に、年齢が20未満なんて項目はないか?」
 なのにどうして、俺はこんな事を聞いているんだ?
「ソレは最も重要な条件です。ロスト・チルドレン化するために行う神経浸食ニューロ・ハックは、探査針を脳の血管にまんべんなく差し込んで、そこからバイオチップを注入します。年齢が20を越えると脳細胞が劣化し過ぎて、この時の負荷に耐え切れません。手術は100パーセント失敗します」
「そうか……」
 やはり、そういう事なのか。
 ロスト・チルドレンとオッドカードの関係……。
 分かった。分かってしまった。オッドカードという組織の役割。その本当の姿が。
 ソレなら説明が付く。全て納得して理解できる。
 上から降ってくるミッションで、どうしてテロの居場所が正確に分かっていたのか。中の構造までも。なぜヴェインがおかしな命令の仕方をしていたのか。テロの地下施設にオッドカードの詳細な情報があったのか。“当機関のエージェント”の意味。オッドカードのメンバーの大多数が、スラム・エリア出身である事。そしてこのインナー・スペースが、これ程までに手際よく半壊させられた理由。
 全く……『数奇な手札』とはよく名付けてくれた物だ。なかなか皮肉が利いてるじゃないか。
「ふざけるなよ……」
 耳の奥で歯の軋み声が聞こえる。感情の昂ぶりで全身が総毛立って行くのが分かる。
 気が付けば両拳を固く握りしめ、スクールの方を睨み付けていた。
 ふざけるな。フザケルナふざけるなフザケルナ……!
 そうかよ……そういう事かよ。お前達がその気なら俺にも考えがある。
 丁度良い。今のこの混乱した状況は、恰好の狙い目だ。
 見てろ。どっちの力が上なのか、ハッキリさせてやる……!
「あ、アディクさん!」
 潰してやる。全部。
 お前ら纏めて皆殺しだ……!

 スクールの中は異様なまでに静まりかえっていた。
 鼻腔を貫く濃密な血の匂い。重厚に鎮座する死の気配。
 エントランスはすでに満員だった。冷たい冷たい金属の床に、みんな仲良く折り重なって気持ちよさそうに眠っている。その大半が避難してきた一般人。だがスクールの関係者もたまに目に入る。
 おいおい参ったな。ひょっとして俺の分が残ってないんじゃないのか?
 口元を緩め、俺は死体の背中を踏み越えて広いエンストランスを左に折れた。血塗られた大きなウィンドガラスを左手に見ながら、弧月を象ったオブジェの横を通り過ぎる。そして見えてきたのはダイニング・ブロック。
 半球状の巨大な空間に、奥まで続く長大なカーブ・カウンター。何枚もの金属紙を重ねて作られたインテリアが天井からぶら下がり、紅い雫を滴らせてゆらゆらと揺れている。なかなか趣があって結構な事だ。
 さっきのエントランスでの密度を考えると、ココは少し空いている。だが目的の奴は居ない。クソッタレなインストラクター共の姿は無い。
「お前、は……」
 カウンターの奥の方から声が聞こえて、俺は銃を構えたままソチラに脚を向ける。ウェイターの役割を果たすアドバイザー・ロボットの影に隠れるようにして、黒い制服を着た男が顔を歪ませていた。コードネームを表す縦線は血で赤黒く染まり、色の数も確認できない。
「他の奴等はどうした。どこに居る」
「知って、どうする……。まさか、助けに行く気か……?」
「まさか」
 掠れた声で苦笑混じりに言うソイツの側に片膝を付き、俺は鼻で笑いながら返した。
 逆だよ。全くの正反対だ。
「じゃあ、何をしに……」
「お前、この傷じゃもう無理だな。どうする?」
「……掃除、かよ」
 また苦笑してソイツは目線を左下に下げた。
「……弾、持って行けよ。1発は、俺の分……な……」
 そこにはマルチ・シューティング用のカートリッジが6個、白衣を着たメディカル・スタッフの腹の中に転がっていた。
「分かった」
 カートリッジを取り出して付着した臓物を適当に拭い去り、ソレを太腿のポケットに入れる。そしてハンドガン・モードに切り替え、俺は銃口をソイツの額に押し当てた。
「もし、お前は自分が餌だと分かったら、どうする?」
「……ぁ?」
 トリガーに指を掛けながら聞いた俺に、ソイツはどこか眠そうな声で返す。
「今まで考えていた世界が根底から覆されて、味方が敵だったとしたら、どうする?」
「……ハッ」
 ソイツは力無く笑い、
「良くある……話だ……」
 目を閉じ、体の力を抜いた。
「そうだな」
 銃声。振動。静寂。
 もう喋らなくなったソイツを見下ろしながら、俺は立ち上がった。
 そうだ。コイツの言う通りだ。
 良くある話だ。どうでもいい。そんな面倒臭い事考えたくもない。時間を割くだけ無駄だ。
 少し前の俺ならその一言で済ましていた。なのにどうして、今はこんなにも……。
 分からない。分からないな。だがやらなければならない事ははっきりしている。ソレだけは救いだ。
 どこだ。どこに居る。他の奴等はどこに隠れているんだ。
 俺は銃をマグナム・モードに切り替え、天井に狙いを付ける。そして脳がはじき出した1点に向けて銃弾を放った。湾曲した金属プレートで弾は跳ね返り、四角いメタルテーブルでバウンドして上に方向を変え、そして別の角度からまた天井を経由して、さっきサヨナラした男の眉間に突き刺さる。
 バイオチップ……神経侵蝕ニューロ・ハック……脳の血管に、か……。俺のスロットは1つがこめかみにある。多分、他の奴等よりは早いんだろうな。
 まぁどうでもいいさ。別に長生きするつもりはない。無駄な死、無意味な死が嫌なだけだ。
 ダイニング・ブロックを出る。そのまま右に曲がり、スクールの奥へと進んだ。血肉のこびり付いた太い金属路を真っ直ぐ歩き、T字路に突き当たった所で左に折れる。
 この先にあるのはチャペル・ブロック。別名負け犬の溜まり場ルーザー・ボア。いや、犬死にの掃き溜めサクリファイス・ヒルだな。
 コイツらは捧げられたんだ。駒として。餌として。
 ごめんだ。そんな死に方だけは死んでも嫌だ。無様すぎる。
 他の奴の勝手な都合で振り回されて、気か付いたら手遅れだった?
 同じじゃないか。俺の両親と全く同じだ。
 ふざけるな。あんな無様な最期……俺は絶対に……。
「へぇ……」
 防護シャッターの解除コードを壁のタッチパネルから入力し、分厚い扉が開いた先にはまだ動いている奴が何人か居た。
 他よりは3段ほど高くなった場所。パイプオルガンという楽器に似せて作られた、巨大なオブジェのすぐ近く。身を寄せ合うようにして固まっている一般市民が6人。そして側にはスクールのインストラクターが2人。
「やっと、見つけた……」
 整然と並べられた金属製の長椅子の間を抜け、俺は彼らの方にゆっくりと歩み寄る。
「何だ、オッドカードか……」
 安堵の声を漏らし、両サイドから政府軍の人間が3人湧いて出てきた。
 良いねぇ。盛り上がってきた。
「『スペード・ワン』、か。良く戻って来た。お前でやっと25人。まだ半分か……」
「最初はアンタか」
 溜息を付きながら近寄ってきたインストラクターを下からねめ上げ、俺はソイツの襟元を掴んで引き寄せる。
「な、何……」
「オッドカードってのは何だ」
 何か言おうとしたインストラクターの言葉を遮り、俺は顔を近付けた。
「何を目的として集められた。本当は何をさせる為の集団なんだ」
「貴様……!」
「なぁ、教えてくれよ。聞きたいんだよ、アンタの口から直接。スッキリさせたいんだ。ストレスもセックスも溜め過ぎは良くないだろ? 全部吐き出して楽にならないとなぁ」
 喉に銃口を突き付け、少し間延びした声で凄む。
「『スペード・ワン』、自分が今何をしているのか分かっているのか」
「イライラさせんなよ、オイ。こっちはミッションから上がったばっかりで疲れてんだよ」
「お前がこんな馬鹿な真似をするとはな」
 そしてインストラクターの視線が俺の後ろへと向けられ、小さく頷いて――
「どうしてオッドカードが52人しか居ないのか、考えた事はあるか?」
 後ろに向けた銃をまたインストラクターに押し当て、俺は片眉を上げながら聞く。
「どうしてこんな力を持った奴をもっと生み出さないのか。その理由を考えた事はあるか?」
 扉の方から重い音が3つ。狙い通りなら、額に穴の開いた木偶が3匹完成しているはずだ。
「あんな役立たず共より、よっぽど優秀な俺達をなぜ量産しないのか。知っているか?」
 目を大きく見開いたまま首を横に振るインストラクター。
「簡単な事さ。優秀すぎるからだよ。もしソレ以上の数を作って、ある日突然牙を剥かれてみろ。政府軍じゃもう抑えきれないんだよ。俺みたいに、“本当の事”を知ってしまったオッドカードは間違いなく離反するだろうからな。ソレを見越しての人数制限だ」
「さっきから、何の話だ……」
「オッドカードってのは何だ」
 声を低くし、マグナムを握る手に力を込める。そしてトリガーに掛けた指を少しずつ引き寄せ――
「お、オッドカードは……対ロスト・チルドレン用の特殊部た……」
 4つ目の木偶が転がった。
「待たせたな。次はアンタだ」
 喉口から泡の混じった血を垂れ流すインストラクターを踏み越え、俺はパイプオルガンの方に歩を進める。
「ま、待て! 貴様どういうつもりだ! 何故こんな事を……!」
 おいおい、銃を持ってる手が哀れなくらい震えてるぞ。偉そうに戦闘技術を講釈する事は出来ても、実戦となると全く駄目か? こんな奴等の言う事を素直に聞いていたかと思うと、我が身悲しさに頭痛と目眩がしてくる。
「オッドカードってのは何だ?」
 銃口の向きを冷静に観察しながら弾丸を避け、俺は1歩1歩確かめながら前に進む。
「本当は何をさせる為の集団なんだ? ん?」
 インストラクターの手を撃ち抜いて段差を上がり、ソイツの鼻先に照準を合わせて同じ質問をした。が、苦痛に顔色を青くしているだけで、何も喋ろうとはしない。
 やれやれしょうがないな、その程度の軽い傷で。少しは俺達を見習って欲しいもんだ。
「よし、じゃあ質問を変えよう。テロがこの数年、ずっと大人しくしていたのはどうしてだと思う? 何故好きなだけ攻めさせておいて、何の反撃もしてこなかったと思う? アイツらは俺達が居るインナー・スペースの場所を知っているのに」
 うずくまろうとするソイツの髪を掴んで顔を上げさせ、口の中に銃身を突き入れる。
「そして俺達もずっと攻め続けているのに。沢山の研究施設を壊しているのに。それでもアイツらがクソウジ野郎ビッチコックみたいに涌いて来るのはどうしてだと思う?」
「た、ふけれ……くへ……」
「俺は真面目に聞いてるんだ」
 両目に涙さえ浮かべて懇願してくるインストラクターに、俺は銃を更に奥へとねじ込んだ。
「おかしいよなぁ? どう考えても。ずっとおかしいとは思ってたんだよ。けど考えないようにしてきた。お前らお偉いさん方が裏で凄い作戦を展開していて、そのおかげで何とかなっているんだって思うようにしてきた。涙ぐましい努力で必死に自分を納得させてたんだよ。偉いだろう? 褒めてくれよ。ちゃんと駒は駒らしくしてたんだぜ? けどな――」
 自然と顔が綻び、喉の奥から笑いが込み上げてくる。
「残念な事にバレちまったんだよ。っはは。ざーんねん、ざんねんだったなー、ホントに。ずっと隠し通してきたのになー。頑張ってきたのになー。どうしてこう、努力って代物は裏切られる時は一瞬なんだろうな。不思議だよなぁ? ええオイ」
 声が妙に弾む。心が異様に躍る。
 何だこの昂揚感は。この未だかつて味わった事のない気分は。
「で? そろそろ素直に話す気になってくれたか?」
 そうか。そういう事か。
「ひ、らなひ……」
 原因はきっとそういう事なんだな。
「グッナイ」
 自信があるからなんだ。
 今の自分の考えと行動に自信があるから、俺はこんなにも怒ってるんだ。こんなにも悔しいんだ。こんなにも愉しいんだ。 
「やれやれ」
 参ったな。ココに来てか。もう全部無茶苦茶になった後で、今更思い出したように。オイオイ勘弁してくれよ。コレが今まで頑張って来た事へのご褒美ってヤツなのか? 呆れを通り越して壊れたくなってくる。
「お前らは何か知ってるか?」
 返り血にまみれたマグナムを一般市民の方に向け、俺は彼らを見下ろしながら聞く。しかし男が一人、自分の子供だろうガキを庇いながら否定するだけで、俺の望む答えを言ってくれる気配はない。
 ま、そうだろうな。
「おいガキ。オヤジの命しっかり守ってやれよ。政府のエージェントさん達からな」
 ソレだけ言い残し、俺は出入り口の方に向かう。
 まぁいいさ。良い事を思い付いた。確実に答えてくれて、居場所もはっきりしている奴が1人居る。ソイツに全部聞けばいい。洗いざらい喋って貰えばいい。そしてその後で、全ての責任を取って貰えばいい。
 ソレでココは終わりだ。ココが終わったら、次は――

 ディレクタールームの前。左手に持った玩具を弄びながら、俺はシルバー・スケール製のドアをスライドさせた。
 オッドカードのメンバーとなった時、1度だけ通されて訓辞を受けたゴージャスな部屋。トップにだけ与えられた特別な空間。
 起毛の立った絨毯が広い部屋一面に敷かれ、木製の大きなデスクが中央に鎮座している。隅の方には100以上のリキュールボトルが並べられた、5段式のウッドディスプレイ。その隣には俺の背丈と同じくらいの観葉植物が、瑞々しい葉を茂らせていた。窓の側に吊られた籠の中では数匹の小鳥が戯れ、そのさえずりに合わせるようにしてカラフルな魚がアクアリウムの中を泳いでいる。
 あの時の印象と同じく、この部屋だけ“生きている”。
 どこまでも突き放され、見捨てられたこの世界の中で、ココだけは生気に満ちている。
 だから幼いながらに思ったものさ。もしかするとこうなるかも知れないって。コイツに従ってずっと生き続けていれば、俺の周りもこうなってくれるかも知れないってな。
 けど、結局そうはならなかった。当たり前で面白味の無い答えを突き付けられただけだった。だからしょがない。俺の方も何の工夫もせず、シャレもウィットも利いていない退屈な返答をするしかない。俺が悪いんじゃない。芸も知恵も誠意も無いお前が全て悪いんだ。
「どこだー? 最高責任者さんよー」
 マグナムにこびり付いた血を上質のカーテン生地で拭き取りながら、俺は室内を練り歩く。居ないはずがないんだ。ココがもぬけのカラなのであれば、エレベーターの前に見張りが立っているはずがないんだ。デカい騒ぎにならないように、面倒臭い気遣いをしながら殺す必要は無かったはずなんだ。
 居る。確実に居る。
 自信がある。間違いなくココに居る。
「はっ……」
 デスクの裏手に周り、俺は鼻から嘲笑を漏らした。
 1から9のナンバーが記された、埋め込み式のタッチパネル。何桁の数字をどの順番で押すかは知らないが、そんな物は関係ない。心強い味方が居るからな。
 俺は左に持った玩具をタッチパネルにかざし、持ち手のボタンを押した。円柱形の台座に接続された細い端子が触手の様に伸び、タッチパネルと机の間の狭い隙間を探し出して入り込んでいく。
 以前、カーカスから取り上げた非合法のハッキングツール。ディレクタールームのカードリーダーもコイツでくぐり抜けた。まさかこの玩具がここまで役に立ってくれるとはな。今どこで何をしているか知らないが、カーカスに会ったら一言くらい礼を言っておかないとな。
 俺はハッキングツールが蠢く様を見下ろし、視線を細めて――
 触れてもいないのに、タッチパネルのナンバーが高速で入力されていく。そして最後に安っぽいビープ音が鳴り、
「へっ……」
 薄ら笑いを張り付かせて、いつの間にか消え去っていた壁の一部に目を向けた。
 シークレットルーム、ね……。親玉って奴はどうしてこう……。
 まぁいいさ。そんな事はどうでも。
「お楽しみのところ悪いな」
 俺はソチラに脚を向け、マグナムで肩を叩きながら声を掛ける。
「何。エンターテインメントにハプニングは付き物さ」
「その割に余裕だな」
「この程度で動じる程、若くはないからな」
 円形のキングサイズベッドで横になり、前後左右にはべらせた女達に体を預けながらディレクターは片眉を上げた。
 均整の取れた筋肉質な体躯を惜しげも無く晒し、脚を組み換えて左の女の首筋に口を寄せる。甘く蕩けるような喘ぎ声。布きれ一つ纏わず、相手の躰で自分を包み隠し、5つの裸体は陶然とした雰囲気で絡み合っていた。
「特等席でご観戦とは、さぞかし良い気分だろうな」
「英雄色を好む。ショーを見ながらの一時はまた格別だ」
 薄暗い室内で燐光を放つ、いくつもの風景。ベッドをぐるりと取り囲むようにして、無数のモニターが俺の方を見つめていた。そこに映し出されているのは、俺達の個室やスクール内の各ブロックの光景、そしてシティ・エリアやスラム・エリアといったインナー・スペースの様子。
 今はもうノイズだけになったモニターが目立つが、まさかここまで筒抜けとはな。プライバシーも何もあったもんじゃない。
 裏の事情に気付きそうな奴は、すぐ生け贄にして口封じ、か……。成る程ね。対策は万全って訳だ。
 じゃあコイツは俺が気付いている事も知ってるはず。話が早くて助かるよ。
「オッドカードってのは何だ?」
 ベッドの周りをゆっくりと歩きながら、俺はもう飽き飽きしてきた質問を繰り返す。
「知っているからココに来たんだろう?」
「オッドカードってのは何だ?」
 もう一度同じ言葉を並べた俺に、ディレクターは溜息を付きながら長い薄紅の髪を掻き上げ、
「贈り物さ。テロリスト達への。彼らがインナー・スペースに攻め込んでこない事を条件に、貴重な実験素体を提供していたんだ」
 つまり、テロと政府は裏で繋がっていた。互いの利害を補完し合っていた。
 その事自体には割と早い段階から気付いていたさ。
 ミッション内容の的確さ。この鬱陶しいくらいに広いアウター・ワールドで、テロの施設の場所を正確に割り出し、しかも内部のマップまで完璧。疑うなという方が無理な話だ。
 だが、その事は同時に安心感をもたらしてくれてもいた。非の打ち所のない情報に裏付けされた戦略は、俺達を前に進ませる糧にもなった。
 肉体的にも内面的にも。
 だから疑念を抱きつつも、ソレから目を逸らす事ができた。自分を納得させる事が出来た。
 コイツの思惑通りに。
「例えば、だ。君のチームのリスリィ=アークロッド。彼女は贈り物としては最適だったよ。人に嫌われる事を極端に畏れ、素直で純粋で優しい性格ときた。しかも戦闘能力は極めて低い。不安に駆られつつも必死に頑張り、そして虚しく散っていく。あの時ヴェインが君を付けなければ、彼女は間違いなく死亡扱いになっていた」
 リスリィにたった1人でレコード物質を取りに行かせようとしたミッション。ヴェインに呼び出され、仕方なくリスリィに付き合ったあの鬱陶しいミッション。
 アレはリスリィを生け贄として捧げる為の物だった。
 レコード物質を取ってくるだけ。確かに内容だけ聞けば、誰にでも出来そうな下らないミッション。
 だがそこにロスト・チルドレンが配置されたとなれば、状況は一変する。
 政府の情報に誤りなど有るはずがないと思い込んでいればいる程、この手のトラップの成功率は上昇する。
 俺もヴェインが妙な指示を出したのでなければ、殆ど疑いもせずに突っ込んで不意打ちを食らっていただろう。最悪、リスリィは2体のどちらかに連れ去られて――
「そしてロスト・チルドレンとなって俺の前に帰ってきた、か?」
「そう」
 右の女の乳房を揉みしだきながら、ディレクターは得意げな声で返す。
「もう君は対面したのかな。自分の知っている顔が、ロスト・チルドレンとして生まれ変わった姿に」
「ああ、ついさっきな」
「ソレは良かった。で、感想は?」
「別に、だな。言われるまで気付かなかった。リスリィの前の『ハート・テン』だったらしい」
「クッ……」
 俺の答えにディレクターは喉を震わせ、
「ッハハハハハ!」
 大声で笑いながら、前の女の頭を鷲掴みにする。そして力任せに自分の股間へと顔を埋めさせ、乱暴に振り動かし始めた。 
「良い答えだ。実に素晴らしい答えだ。パーフェクト。君のような人間が居てくれるから退屈しなくて済む。どうだ? 今回の事は全てリセットして、私の近くに来ないか? もっと面白い事が分かると思うんだが」
「で、ロスト・チルドレン化したオッドカードを回収して、テロ共の技術を盗もうって訳だ」
 馬鹿の戯言を無視して、俺はディレクターの真後ろから聞く。
 インナー・スペースに攻撃しない事が、人間を素体として捧げる条件。だがソレだけではないはずだ。ソレだけではテロの火力を無駄に高めるだけになってしまう。いずれ取り決めは破棄され、K値の低いロスト・チルドレンを集めたテロに全てを持って行かれてしまう。
 今回、そうなりかけたように。
 だからその事態を回避するために、コチラも戦力を蓄える必要があった。技術を盗む必要があった。
 捧げた生け贄を再び取り返す事で。
「その通り。テロ共はバイオドールを大量生産する事は出来ても、人間の数を増やす事はさすがに出来なかった。だが強いロスト・チルドレンを生み出す為には、人間が必要だった。ロスト・チルドレンとなりうる20歳未満の人間が。だから私はアイツらに提供した。ミッション中の事故に見せかけて。そうしなければコチラの技術力も上がらないからな。何か大きな物を得る為には、相応の犠牲が必要という事さ。ま、一部のインストラクターは何かと反抗してくれたが」
 ヴェイン、か……。
 リスリィの一件だけではなく、アイツの指示は色々と整合性の取れない事が多かった。効率的に立ち回っていたかと思えば、急にソレを台無しにするような事をさせる。最短距離を進んでいたかと思えば、突然逆走させたりする。そしてそのたびに、何らかのアクシデントが発生した。
 特に、今朝の地下施設での指示は矛盾だらけだ。
 最初、アイツは俺達を殺すつもりだった。生け贄として捧げるつもりだった。先行した2チームにしたように。だからバックアップは自分1人でやると言ったんだ。
 他に人が居ては、生体反応の有無を偽る事が出来ないから。敵のただ中に誘導する事が出来ないから。
 そしてなにより、生け贄が減ってしまうから。
「しかしな、別にもうソレでも良かったんだよ。数年前とは事情が違う。そろそろ、テロ共を潰しに掛かろうとしていたところだ」
 後頭部を押さえつけていた女を解放し、ディレクターはベッドの隅に置いていたバスローブを手に取る。そしてソレを地肌の上に羽織りながら、床に足を下ろした。
「お互い、ギリギリの所で駆け引きしていたんだ。テロの戦力が増している事はコチラも把握している。そしてテロも自分達の技術が奪われている事は認識している。どちらが先に顔を上げるか。限界を感じ取るか。そう言う意味ではリスリィ=アークロッドは実に優秀な働きをしてくれた。まず間違いなく、彼女を捉えられなかった事がテロ共の焦りと怒りを買ったんだ。本当なら自分達が素体を手に入れるはずだったのに、逆にロスト・チルドレンを連れて行かれてしまった。ついに政府が約束を違えた。アイツらはそう考えた。だからこうして攻め込んできた。オッドカードが3チームも出払っている時を狙ってな」
 そのせいであの地下施設が手薄だったんだ。
 規模の割に密度が低いとはずっと思っていた。もっと沢山のロスト・チルドレンが出てきてもおかしくないはずだった。
 きっと、テロは政府の裏を掻いたと思い込んで居るんだろう。
 自分達の研究室のマップを渡す代わりに得ていた、インナー・スペース内の構造図を元に作戦を立て、真っ先に武器庫を叩いて政府の軍を沈黙させた。そして作戦は成功し、インナー・スペースを半壊にまで追い込んだ。
 あと一押し。まだ温存しているロスト・チルドレンを掻き集めて、近いうちに総力戦に持ち込めば必ず勝てる。長年の悲願を成し遂げられる。
 そう思い込んでいる。
 だがコイツの余裕を見る限り、そうではない。
「政府の軍隊はほぼ壊滅。オッドカードも半減した。不意打ちは見事に成功した。そう考えているところに、思わぬ伏兵が出てきたとしたらどうなる?」
 どうやらコチラも俺の予測は当たっていたようだ。
 間違いない。今、俺が考えている事は間違いない。
 いや、今だけじゃない。これまで考えてきた事も。薄々気付いてはいたが、確信が持てなくて忘れるようにしていた事も全て。ソレら全てが本質を突いている。
 自信を持っていい。限りなく絶対の自信を持って良い。
 俺は間違っていない。絶対に正しいんだ。
「アイツらの技術は貰う。吸い尽くしたら潰す。次は他のインナー・スペースにある『太陽の亡骸』を奪う。そして潰す。私が全てを握る」
 出てくると思っていた。こういう考え方をする奴が。
 別にソレ自体は否定しないさ。むしろ大歓迎だ。
 弱い奴は全員死ねばいい。力が無いから搾取されるんだ。虐げられるんだ。殺されるんだ。
 俺の両親もそうだった。アイツらが無力過ぎたから、無価値過ぎたから、無意味過ぎたから、無様過ぎたから殺されたんだ。
 コイツらに。政府の奴等に。
 ――俺のような人間を生み出すために。
「で、どうかな? 聡明な君ならもうこの世界の仕組みは大体分かって貰えたかと思うが」
「あぁ、大満足だ。そういう言葉を聞きたかったんだ」
 ベッドの縁に腰掛けて脚を組むディレクターに、俺は半笑いで返す。
「ソレは何よりだ」
「じゃあ死ね」
 そして左脇下に回したマグナムを放った。
 弾丸はディレクターの眉間に吸い込まれ――
「客観的に見て、君が負った傷は重い」
 不可視の壁に弾かれた。
「ココは演技をしてでも懐柔されるべきだった。その程度の判断も出来ないようでは、私の近くに寄る資格はない」
 ディレクターの言葉に応えるようにして、俺の前に4人の女達が立ち塞がる。先程までの恍惚とした表情は消え失せ、薄く開いた目には冷徹な光が宿っていた。体液を張り付かせた裸身からは、淫靡な雰囲気は微塵も漂ってこない。今コイツらの頭の中にあるのは、俺を殺す事だけだ。
「まだ“慣らし運転中”だろ? 使って大丈夫なのか?」
 言いながら俺は少し距離を取り、マグナムを構え直す。
「その段階はとっくに終わった。彼女達は生まれ変わりつつある」
「ソレは奇遇だな」
 そして視界が入れ替わった。
 目の前にあるのは女達の白い背中、細い首筋。
 軌道も描かず、何の連続性も無く、俺の体は彼女達の背後に移動していた。
「俺もだよ」
 4つの華が真紅の花弁を開かせ、床に転がる。
「な……」
 掠れたディレクターの声。
「今まではパーツでしかなかった。全体が見えなかった。けど、今は違う」
 目を大きく見開いたソイツの額に銃口を押しつける。
「当てが外れたな」
 そしてトリガーに指を掛け、
「待――」
「グッナイ」
 肩まで伝わってくる反動。
 眦が裂けんばかりに両目を見開き、ディレクターの体はゆっくりと後ろに倒れ込んだ。そしてベッドに身を沈めたソイツの顔面にもう1発ブチ込む。
「無駄死に、無駄死にだな、オイ……」
 更に1発。また1発。また1発。1発、1発1発1発。1発1発1発1発1発1発。
「ダセェ余裕見せるからこーなるんだよ。俺の傷見て油断したのか? ロスト・チルドレンの試作品を4つ並べて安心しきったのか?」
 無意味だ。無価値だ。無様だ。
 だが俺は違う。こうはならない。
 今の俺には力がある、自信がある、進むべき明確な道もある。
 俺は他の奴等とは違う。コイツらとは違う。
 ディレクターに飼われて、バイオチップの試し打ちをさせられて、中途半端にロスト化して、あっけなく死んでいった雌猫共とは違うんだ。
 ベッドの上で出来上がった、脳漿と血肉と目玉とその他諸々のミンチから目を逸らし、俺は後ろを振り返る。
 後頭部を撃ち抜かれてピクリともしない女の裸体が4つ。ソレら全てにスロットがいくつか付いている。オッドカードの証が。引退後か、それとも現役なのかは知らないが。
 つまりはそう言う事だ。
 皆、最初は何も知らなかったんだ。何も知らされていなかったんだ。そして気が付いたら、もう手遅れだった。
 良くある話だ。別に珍しくも何ともない。
 もういい。どうでもいい。今は他にやらなければならない事がある。
 俺はマグナムをガンホルダーに戻し、シークレットルームを出る。そしてディレクタールームに戻って――
「よぉ、終わったかぁ?」
 やる気の無い間延びした声が掛かった。
 皺の寄った教官服に身を包んだ、ダークネス・レッドの髪の中年男。
「いっぺん座ってみたかったんだよなー。この椅子」
 クッション材質の良さそうなディレクター用の椅子に腰掛け、ヴェインは曖昧な笑みをコチラに向けて来た。
「なかなか出てこねーモンだからよー。年甲斐もなく銃なんかブッ放しちまったよ。20年ぶりくらいかぁ? 意外と腕は落ちてないモンだな」
 感慨深そうに言いながら、革製の肘置きを叩いて勢いよく立ち上がる。が、すぐに背中を丸く曲げ、だらしなく肩まで伸びた髪を適当にいじった。
「おかげで納得行くまでゆっくり喋れただろー? 感謝しろよー?」
 へっへ、と品の無い笑みを浮かべながら、ヴェインは両手をポケットに突っ込んで部屋の出入り口の方に視線を向ける。
 すでに死体が積み上げられていた。政府軍の人間とインストラクターが数名。異変に気付き、ディレクタールームに駆けつけたんだろう。だが殺された。
 全員うつ伏せに倒れ込んでいる。後ろから撃たれたんだ。姑息な真似を……。
「オッドカード」
「あん?」
「オッドカードもアンタが?」
「まさか」
 俺の問い掛けに、ヴェインは腫れぼったい両目を細くする。
「アイツらは何も悪くない。単なる被害者だ。けどコイツらは死んで当然の奴ら。勿論、俺も含めてな」
 自虐的な笑みを顔に張り付かせ、何度か浅く頷いた。
「他のオッドカードの連中には教えておいた。お前らがどういう目的で集められて、今後どういう末路を辿るのかって事をな。素直に信じる奴半分、戸惑う奴半分ってトコか。けどなーぜか真っ向から否定する奴はいねぇ。まぁ何となく怪しんでいた奴らが殆どなんだろうよ。で、ぬくぬくと内っ側で過ごしてた奴等と大乱闘。下は今頃、文字通り血の海だよ。一応、無関係の一般人は逃がしておいたがなぁ」
「ならアンタはどうしてこんな所でお気楽に喋ってるんだ?」
 攻められるはずもない場所を守り続けて、危ない事は全てオッドカードに押し付けてきた政府軍。そしてオッドカードをテロに捧げてきたインストラクター。
 ヴェインの言う通り、そんな奴らは殺されても文句は言えない。
 ならインストラクターであるアンタはどうして生きている? 平然と、傷1つ負う事なく。
「そーなんだよー。なーんでかなー。誰も俺を殺してくれねーんだよ。困ったもんだよぁ」
 はっはっは、と場違いに明るく笑いながら、ヴェインはクセの強そうな髪を乱暴に掻いた。そしてディレクターのデスクに腰掛ける。
 コイツが殺されない理由。そんな物は簡単だ。唯一コイツだけが、インストラクター達の中で異端だったから。だから他の奴等もアンタの言う事をすぐに信じたんだ。
「俺も元オッドカード、ってのは知ってるわな? もう随分前の事だけどよ。あん時はまだ20歳までって制限は無かったなぁ。戦えるならずっとってヤツだった。ただインサート・マターはその頃からしっかりあって、原理は今と同じバイオチップだった。アレは元々政府で開発された医療用技術だったから、当時の性能としてはまだ政府の方が上だった。血ぃん中入り込んで体を内側から直接いじれるんならってんで、軍事目的の使用もその時から考えられてたんだよ。で、ヤリすぎると過負荷やに拒絶反応やらで、体にガタがくんのも分かってた。けどごくたまーに上手く使いこなす奴が居て、体の方は何て事ねーんだけど頭の方がおかしくなっていった奴が居たのな。ソイツがまぁロスト・チルドレンの原形なんだが、昔はそんな事知らねーもんだから、そういう奴らは全員殺されてたんだよ。こっそりと、な。でなきゃ便利な便利なインサート・マターを使う奴が居なくなっちまう。しっかり働いた挙げ句、味方に殺されるんじゃ堪ったもんじゃねーだろ? ところが、だ。そーゆー裏の事情全部知っててなお、インサート・マター使い続けた大馬鹿野郎が居るんだよなー」
 いつの間にか手に持っていた銃の先を自分の額に押し当て、ヴェインは口元を緩める。そして「バンッ」と銃声を声真似し、
「俺だよ」
 実年齢より遙かに幼く見える悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「研究所に仲の良かった奴が居てなー、ソイツと酒呑んだ時に聞いたんだけどよ。ジュレオン=リーマルシャウトの同期らしくって、今じゃ研究所を統括するトータルチーフ様。ま、もう殺されてんじゃねーのか? オッドカード達によ」
 銃口に息を吹きかけながら、ヴェインは気取った仕草で言う。
「それからまぁ、政府もテロのロスト・チルドレン盗んだりしてきて、だんだん仕組みが分かってきて、オッドカードの意味合いが変わってきた。昔はインサート・マター使い続けて、非業の最期ってヤツを遂げるのが仕事だったんだが、今は程々に“慣らし運転”しておいて、“本番”に備えるって役割になっちまった。全く、お偉いさん方の考える事は残酷だよなぁ?」
 どちらにしろ“数奇な手札”って事には変わりないさ。
「で、なんでかなぁ。お前らが後輩だからかなぁ。何となく放っておけなくなってなぁ。気が付いたらオッドカード引退してて、柄にもなくインストラクターなんてモンになっててなぁ。もうよくは覚えてないが、なりたての頃は燃えてたんじゃないのか? 使命感と情熱ってヤツによ。っはは。自分で言ってて鳥肌立ってきたなー」
 言いながら下手な芝居で体を震わせ、ヴェインは溜息を付く。
「けどよ、結局変わらなかった。昔と同じだ。大きな流れに寄り掛ってねーと、自分を支えられない。皺が増えて、背中丸くなっても、一皮剥けばお前らガキと同じ。どっかで安心感ってヤツを求めてるのさ。しかも自分の中じゃなく外にな。やー、悲しきお役所勤めってヤツだねー。関係ねーか。そーかそーか。っははははッ」
 膝を叩きながら1人で楽しそうに笑った後、ヴェインはデスクから降りて真顔に戻った。
「インサート・マター使い続けりゃ体のどっかがおかしくなる。そうならなかったとしても頭がイカれて味方に殺される。コイツから逃げるにはオッドカードを辞めるしかない。けど俺にはその選択はなかった。辞めてどうなる? 一般市民に戻ったところで安全が保証されるわけじゃない。誰かが安心を与えてくれる訳でもない。ならココにいた方がまだましだ。取り合えず流れの中に居る間は、余計な事を考えなくて済む。政府組織っていう自分よりデカい意思に従ってりゃ、紛いモンだろーが何だろーが安心した“気にはなれる”。いざという時、守ってくれそうな“気がする”。だから俺はオッドカードであり続けた。体に本格的にガタが来て、どうしようもなくなるまでしがみ付き続けた。で、リタイアした後もこうやって粘ってる。カッコ悪いだろ? なのに心のどっかじゃお前ら助けなきゃって考えてる。自分の身の丈に合わない事しようとしてる。今度は俺がお前らに安心を与える番だって。俺が政府の人間で、俺の方がよく知ってて、お前らよりは大きな存在だって。下らない幻想抱いてる。けどやっぱ無理だったよ。最初から分かってたけど、改めて思い知らされた。俺は自分の事しか考えられない、卑小な人間だってな」
 首をダルそうに回しながら、ヴェインは持っていた銃を放り捨てた。
 そう。だからコイツの指示は妙な事だらけだったんだ。
 俺達を助けたい、でも政府の犬に成り下がっていたい。他人を助けようとしつつも、やっぱり自分の事を優先して救いたい。
 時に俺達が生け贄になるのを妨げ、時に生け贄として捧げようとしてきた。
 へらへらと何も考えて無さそうな顔の裏で、コイツなりに激しく葛藤していたんだ。
 俺と同じような事を考えて。
「悪かったな。年寄りの下らない懺悔に付き合わせて。もういいぞ」
 言いながらポケットに手を入れ直し、ヴェインはどこか満足そうな顔付きで呟く。
「そうか」
 ソレに短く返し、俺はマグナムの銃口を向けた。
「最後にアンタと話せて良かったよ」
「そうか」
 アンタと同じ末路を辿らずに済みそうだからな。
 ああ無様だよ。無意味だよ。無価値だよ。
 こんな生き方、死んでも嫌だ。言いなりになり続けた先に待っていた物は、取り返しの付かない後悔と自己憐憫って訳か。
 お前は自分が可哀想で可哀想でしょうがないんだろう? だからココに来たんだろう?
 ピリオドを打つために。自分の哀れな人生を終わらせるために。
 ずっと何かキッカケが欲しかったんだ。そして今まで仕えてきた大きな流れが崩壊した。この時を逃したら、この先一生決断なんて出来ないよなぁ。
「俺は生きる」
 トリガーに指を掛ける。
「俺はアンタとは違う」
 指に力を込め、引き絞る。
「俺は手に入れてみせる」
 そして――
「アディクさん!」
 重い銃声がディレクタールームに響き渡った。ソレはすぐに細く甲高い啼き声へと昇華し、空気に溶けるようにして消える。
「珍しいな……」
 声のした方に目を向ける。
「お前が狙いを外すなんて」
「アイツのせいだ」
 皮肉っぽく言うヴェインに俺は舌打ちして返した。
「本当かぁ?」
「次は外さないさ」
「アディクさん!」
 普段からは考えられない悲鳴じみた叫びに、俺は左手で頭を押さえながら狙いを変える。
「まずはお前からか」
 そしてリスリィの額に弾丸を放ち――
 マグナムが溶け落ちた。
「おねえちゃんは、ぼくをたすけてくれたからね」
「ユティス……リーマルシャウト……」
 汚いクマのぬいぐるみを抱きかかえ、ユティスはリスリィの背中に隠れるようにしてコチラを窺ってくる。そしてその後ろにはアミーナ=リーマルシャウトの姿。
 リスリィが連れてきたのか……。研究所の方に行って、殺されていればいいものを。
「アディクさん駄目です! その人は殺しちゃ駄目です!」
 右手の感覚が無い。さっきの1発で神経まで全部灼ききられた。
 まぁいいさ。しばらくすれば元に戻る。今の俺なら数時間あれば完治する。
 だがその前に――
「くっ……」
 ヴェインに伸ばした左手が熱を帯び、俺は反射的に腕を引いた。
「そのひとはだめだよー。おねえちゃんが、だめっていってるよー」
「コイツは死ぬ為にココに来たのさ。まぁグロス野郎のガキには分からないだろうがな」
 ユティスを睨み付けながら言い、俺は体の向きを変える。
 どうやらコイツを何とかするのが第一らしい。
 “最初の”? “最強の”?
 面白い。面白いじゃないか。
 やってやるさ。変わりつつある今の俺の力がどこまで通用するのか見てやる。
 大丈夫。きっと負けはしない。死ぬ事はない。
 自信があるんだ。今の俺が考えている事は限りなく正しいという自信がある。
「なにー? ぼくとあそぶのー?」
 緩い声で言いながら、ユティスが前に出る。同時に俺はこめかみに差し込んでいたインサート・マターを発動させた。
 今までずっと使ってきた精密射撃トリガー・ポイントじゃない。ヴェインの部屋から盗んできたイリーガル品。
 鬼神クライスト・キラー
 本当に、カーカスの奴にはいくら感謝してもしきれないな。
「あ……は、ぁあ――ぅ、ぁ……」
 脳の血流に乗って、体内へと流れ込んでいく大量のバイオチップ。効果度合いがスロットからの距離に依存しない理由は、恐らくこの過剰なまでの注入量にある。
 ソレがもたらす性的快楽にも似た昂揚感は、今までのインサート・マターの比じゃない。時間の流れが先走り、何通りもの未来が頭の中に描き上げられる。この世の有りとあらゆる矛盾が解きほぐされ、確実なる結論が告げられた。
 ――アディク……さん?
 肉体を内側から押し上げてくる光と熱の塊。脳天まで突き抜ける清涼感、凍結感、透明感、絶対感。
 だがココに来る前に試した時のような異常感覚は無い。意識はしっかりと俺の手の中にある。猛り、荒れ狂う破壊衝動を制御出来ている。
 ――お、おぃアディク、お前……。
 つまり俺にソレだけ適性があるという事さ。政府のエージェントとやらに作られた適性がな。
「ユティス……リーマルシャウト……」
 目を大きく見開き、徐々に紅くなってくる視界にユティスを捕らえる。そして体を前傾させ、右脚に体重を掛けた。
「喰い……コロス!」
 言葉と同時に意識が跳躍する。目の前の景色が原色だけで塗り固められ、そこに線画が施されていく。そしてソレが人の形を取り――
「ギ……!」
 知らない声が俺の口から漏れた。伸ばした左腕はユティスの首を後ろから掴み上げ、そのまま絞り切って、
「あは」
 くすぐったそうな声。
 直後、ユティスの姿が目の前から消失し――
「ゴ……ォ!」
 腹から床に叩き付けられた。まるで背中に重装甲戦車でも乗せられたような圧迫感。
 だが、動ける。痛みなど感じない。恐怖など微塵もない。
 吸わせろ。お前の血を。喰わせろ。お前の肉を。抉り出させろ。お前の臓物を……!
「ゲ、アアアァァァァ!」
 腕の力だけで床を押し返して立ち上がる。そして左手を前に突き出し、指先に力を込めた。頭の中で構成を編み上げ、ソレを解き放つ。
 紅い光。濃厚で、濃密で、狂気的な意思を宿した灰燼の波動。
「灼き――ツクセ!」
 ソレが俺を中心にして層円状に展開し、その内径を一気に広げる。
 ――ィリッ。
「……ッ!?」
 イマ、何かが……消えた……? 俺の中で、何かが……。
「ソウカ……」
 コレが力の代償か。何か大きな物を得るためには、差し出さなければならないってヤツか……!
「んーんん〜んっんーん〜」
 真横から呑気なハミングが聞こえる。ソチラに目を向ける。
 避けていた。ディレクタールーム全体を包んだはずの炎が、ユティスの居る場所だけを避けて通っていた。
 いや、ユティスだけじゃない。ヴェインも、リスリィも、アミーナも。
 まるで無色透明のカプセルに守られているかのように、ソイツらが居る場所だけ炎が不自然に切り取られていた。
「はっ……」
 そうかい。さすがだなぁ、オイ。
 さすがは最強様だなぁオイ。余裕って訳だ。自分だけじゃなく、他の奴等まで。
 甘い。甘いぜ。もっとガツガツしてないとなぁ。もっともっと自分の事だけを考えないとなぁ。でないと足下を掬われる。いざという時、必ず後悔する。無様な死に体を晒すんだ……!
「ガ……ィ!」
 叫んで左肘を後ろに打ち出す。その先にはヴェインの顔面。だが何か硬い物に当たって俺の腕は止められた。
 ロスト・チルドレンは2つのサイキック・フォースを同時に使う事は出来ない。
 自分以外を防御したら、テメーの方はがら空きって事だ!
「ギァ……!」
 腕を戻す。ユティスを睨み付ける。腕全体に力を込める。
 頭の中で編み上がっていく構成をより複雑にし、成形し、精製し、解放して――
 ――ィ――リッ……!
「ガアアアアァァァァァァァァ!」
 視界が真紅に染まった。
 そして一気に暗転する。全身から力が抜ける。重力感が失せる。全ての感覚が消え失せる。
 終わり、か……。コレで、オワリ……。
 無様……。ブサマだ。ぶざますぎる……。
 こんな……モノ、で……。
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