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● 記憶の施術者 ◆第二話『愕然! コレが幸せの結末!?』◆ ●


刀wこの世には見てはならない物が二つある。
  一つは月末の預金残高。もう一つは喪服の中身だ』

 春。
 日差しはかなりキツイが春だ。教室内がうだるように蒸し暑いが春だ。セミの鳴き声が聞こえるが春だ。夏休み間近だが春だ。
 誰が何と言おうと春だ。完全無欠に春だ。
 ついに自分にもそんな桃色の季節が到来したんだ。
「ふへ……ふへへへへへへ……」
 口元が自然と緩む。更に目元も緩んでしまう。ついでにベルトも緩めたくなってくる。
 今までは何の色気もない淋しい淋しいワンルームだったが、今日は帰ればブロンドの喪服美少女が……。
「えへ、へへへへへ……」
 どうしよう。どうすればいい。どうするべきなんだろう。
 手っ取り早く親密になるには。一気に距離を詰めるには。自分なしでは生きられない躰にするには。
(俺に興味がある、かぁ……)
 昨日、アリュセウに言われた言葉を頭の中で繰り返す。
 あんなことを言われたのは生まれてこのかた初めてだ。
 ああ、なんて甘美な響き。なんて芳しい香り。もう心の涎が出まくって止まらない。
 六畳一間の部屋に若い男女が二人きり……。
 ヤバい! ヤバすぎる! ヤバすぎるくらいに美味しすぎる!
 行けと!? そのまま突っ走れと!? ついに『ご卒業』しろと!? 神はそう命じたもうか!
 よし分かった! 謹んでお受けいたそう! 
 では今夜! プラン・タイプCを実行に移す!
 昨日はまだ肉体的にも精神的にも道具的にも色々と準備ができていなかったが、今日なら……!
「キミの顔は見てて飽きないな」
「ぅお!?」
 突然真正面から声を掛けられ、真夜は椅子から転げ落ちそうになりながら声の主を見上げる。
「いよぉ。珍しいな、一人とは。いつも誰かしらとツルんでいるのに。ところでその軽そうな頭の中に一面のお花畑が広がっていた様子だが、何か楽しいことでもあったのかい?」
 日直が消しかけている黒板をバッグに、緑色のオカッパをした色気のない女が立っていた。
 胸元に紅いリボンの付いた白のフレアブラウス、そして青と紺のチェック地が美しいスクールスカート。この可愛い制服を着たくて青蓮学園に入学する女子生徒も少なくないらしいのだが、やはりコイツだけは別格だ。
 色気がない。うん。やはり色気がない。まぁコイツに色気を求めるなど、極道に友愛活動を強要するようなものだ。ハナから期待してない。
「ほぅほぅ分かるかね五月雨朝顔君。さすがだな」
 長い前髪をキザっぽく掻き上げ、眉を大きく動かしながら真夜は機嫌良く返した。
「だてに七歳と五ヶ月、十二日と五時間三十二分十六秒から付き合ってないからな」
「腐れ縁とは恐ろしい」
「とゆーかソレだけニヤけてたら誰でも気付くぞ」
「もうすでに昼休みなワケだが、言われたのはキミが初めてだよ、五月雨朝顔君」
「気色悪くて近寄りたくなかっただけだろ。だからフルネームに君付けで呼ぶのはやめて貰えると助かる。でなければキミが十歳と三ヶ月、五日と三時間十五分二秒の時に伯母を本気で押し倒そうとして伯父から本気で殴られたことを校内放送で発表しなければなくなる」
 腕組みし、残念そうな顔で朝顔は溜息混じりに言う。
 この野郎……滑舌の良い喋りでデカデカと。
 ……まぁいい。些細なことだ。所詮は過去の甘ぢょっぱい過ち。今重要なのは自分が超絶に幸せだということ。普段なら適当にあしらうところだが今日は特別だ。隣のクラスからわざわざ何を話しに来たのかは知らんが、腰を据えてジックリ聞いてやろうじゃないか。
「で、どうした」
「キミは昨日、自分が何をしたか覚えてないのか?」
 開いている前の席に腰を下ろし、朝顔は足を組んで聞いてくる。
 昨日? はて? 何かまずいことでもしただろうか?
「ところでその腕の怪我はどうした。まだ新しそうだが」
 言われて真夜は自分の腕を見る。昨日、アリュセウを捕まえた時にアスファルトで擦ってできた傷だ。
「まぁ、ちょっと色々あってな」
 やばい……アリュセウのことを思い浮かべただけでまた顔が……。
「その色々とやらをやる前、キミはどこにいたか覚えているか?」
 自分から目を外し、綺麗になった黒板に落書きしている男子生徒達を見ながら朝顔は言う。
 その前……? アリュセウに出会う前……? はてさて……。
「より具体的には昨日の十七時十八分三十三秒、キミはどこで何をしていた」
 十七時……五時……放課後……。
「おおっ」
 ポン、と手を打ち、真夜は何かを思い出したかのように顔を上げた。
「手芸部っ」
「んむ」
 朝顔は再び真夜の方に向き直り、満足そうに頷いて続ける。
「ではもう少し記憶を遡ってみようか。キミは何故、普段あまり顔を見せない部活動に出ようという気になったのかな?」
 何故って……アレは確か……。
「あ……」
「思い出してくれたようだね。嬉しいよ」
 開けられた窓から入ってくる風に緑髪を揺らし、満面の笑みを浮かべる朝顔。
「皆を送るべき人間が真っ先に帰ってどうするんだ? ん?」
 真夜の机に両肘を付き、朝顔は穏やかな口調で言いながら詰め寄ってくる。色気はないくせに殺気だけは人一倍だ。
「いやだから、アレはその……まぁ色々とあってだな」
「興味深いね。ではその色々とやらを具体的に聞かせて欲しいんだが」
 組んだ両手の上に顎を乗せ、朝顔は眼を細める。
 いかん……コイツ相当根に持ってるぞ。たかだか約束をすっぽかしたくらいで。約束を破ったくらいで……約束を……。
(俺が悪かったか……)
 ふぅ、と息を吐いて真夜は観念したように俯く。
 だがどうする。アリュセウのことを話したところで信じてくれそうにないし。いや信じられると逆に困るし。下手したら通報されかねない。
 通報……ちょっと待て。
 冷静に考えてみたらアリュセウが自分の部屋にいるというのはかなり危険な状況なんじゃないのか? 自分と違い、彼女には当然両親がいるだろう。心配もするだろう。不在が続けば当然探し出そうとするだろう。そしてめでたく見付かった場合……自分は犯罪者?
 確か未成年の子を家に連れ込むと、本人の意思とかは関係なく処罰されるって……昔、自分のために調べた記憶が……。今やっているのはまさにその違法行為なわけで、帰ったらゴツイ警官が部屋の中で待ちかまえてて、『じゃあ、行こうか』とか……。
 いやいや待て待て。でもアイツ【記憶の施術者】とか言って、いわゆる魔法少女なんだろ? そもそもなんか異世界の住人っぽいし。となると日本の法律は適応されないわけで、御上もしょっ引くことはできないわけで、むしろ欲望の赴くままにしたいことをしてもオッケーだったりするのか? でもさすがになぁ……。
「考えはまとまったかい?」
 朝顔の声に真夜はハッとなって顔を上げた。
「ま、そんなに言いたくなければ別にいいさ。嘘の話を聞かされても時間の無駄だからな。そもそもキミのその記憶力のなさからして、意図せずに嘘話になりそうだ。だからやっぱり遠慮しておくよ」
 身を引いて足を組み直し、朝顔は片目だけ器用に瞑って苦笑する。
 全く失礼な奴だ。自分が忘れるのは興味のないことだけで、女の子の情報はいつでも引き出せるよう完璧にインプットされているんだぞ。
 必要のないことは即座に忘れる。過去を引きずらないという点では素晴らしいことではないか。
(……なるほど、ね)
 そこまで考えて真夜は一人納得したように浅く頷いた。
 確かに、記憶を失うというのは悪いことだけではない。ショッキングな出来事を消し去ってしまえるのはありがたいことだ。
 必要な記憶と必ずしもそうでない記憶。
 アリュセウはそのあたりの判別をちゃんと行って例の作業をしていると言っていた。
 例えば身体や日常生活に重篤な影響の出る記憶は消さない。通院患者の中からかかりつけの医師の記憶を消したり、重大な仕事の取引先の相手の記憶を消してしまうなどといったことはしない。
 あと赤ん坊も対象から外れるらしい。コレはまだ記憶の形成が未熟で、この時期に変にイジると、予期しない後遺症のようなものが発症する可能性があるからだそうだ。
 記憶を消す対象として最も無難なのが友人関係や恋人関係らしい。
 最初聞いた時には少し引いたが、改めて考えてみると本当に必要な人間関係というのは意外と少ないのかもしれない。ただの惰性で付き合っているケースが大半。そんな気もしなくもない。

『じゃあお前に恋人がいなかったと言い切れるですかー? 離れ別れになった親友がいなかったと言い切れるですかー? この世界の一日はどうして二十四時間なんですかー? アルファベットはどうして二十六文字なんですかー? いつ教えてもらったですかー? いつ納得したですかー?』

 つまり、最初から知らなければ別に何の問題もない。
 初めから“そういうモノなんだ”と思い込んでしまえば違和感も不自然さもない。
 人の記憶なんて元々、曖昧で変わりやすいものなんだ。強い思い込みさえあれば簡単に上書きされてしまう。都合の良いように作り変えることができる。
 自分の両親は超高齢出産した老夫婦だし、その温かい愛に包まれて何不自由なく育ってきた。高校生なのに一人暮らししているのもその延長で、自分の時間を出来るだけ多く持ちたいという贅沢な願いを成就させたわけだ。
 とまぁ、こういう風に自由自在。コレもきっと防衛本能の一つなんだろうな。いつまでも薄暗い過去に捕らわれ続けられないための。悪い記憶を楽しい記憶で塗り潰していくための。
 だから楽しいことはどんどん取り入れていかなければならないんだ。
 そう。だからこそだ。だからこそ今ある記憶をなくすなんてことはもっての他なんだ。ようやく取捨選択できてきた記憶を手放すなどありえない話なんだ。
 惰性? 腐れ縁? 上等じゃないか。
 他人から何と言われようと、自分にとってはその一つ一つが掛け替えのない大切な物。そう簡単に消されてたまるか。
「で、だな。今日は別に苦言だけを呈しに来たんじゃないんだ」
 真夜の思考を中断するようにして、朝顔は少し悩ましげな表情で言った。
「昨日、実はアレから厄介な現場に出くわしてしまってね」
 いつになく言葉が重い。まぁコイツの場合、真顔で突拍子もないことを言うから油断はできないが。
「ついにこの近くに来てしまったようなんだ、例の殺人鬼が」
 ほら来た。殺人鬼とかってそんな……。
「殺人鬼?」
「昨日話したろう。少し前に栃木で犯行をはたらいた、例の意識狩りの奴のことだよ」
「会ったのか!?」
 机を大きく揺らして身を乗り出し、真夜は顔色を蒼白にして叫び上げた。周りにいた他の生徒達の視線が二人に集中する。だがそんなモノに構うことなく、真夜は朝顔からの言葉を待った。
「いや、犯人と直接会ったわけじゃない。被害者と思われる男性を目撃しただけだ」
「被害者、って……?」
「目は虚ろ、口からは呻き声、足元はフラフラ。昨日、キミの代わりに部員を送っていた時、そんな奴を見た」
「で、で? お前はどうしたんだ」
「逃げたさ。当然。彼からも何か危ないモノを感じたからな」
「そっか……」
 大きく息を吐き、真夜は肩を落として全身を脱力させた。長い前髪が覆い被さってきて視界を塞ぐ。
 正しい。完璧に正しい判断だ。好奇心や無意味な同情心に駆られなくて良かった。自分の身の安全が第一だ。
「ま、ああいう奴に刺されたら、どれほどの痛みがあるのかということに関しては興味があるがな」
「馬鹿言うな!」
 真夜の大声にまた周りから注目が集まってくる。
「あ、あー……。お前、記憶力は良いが頭はそんなに良い方じゃないんだから、無理するなよ」
 無意識に立ち上がっていた真夜は慌てて椅子に座り直し、目を泳がせて気まずそうに呟きながらそっぽ向いた。
「んーむ……随分と妙な反応を見せるな。普段のキミなら『へっ、相手が男なら、お前みてーに色気のない女は向こうから無視してくれさ』とか言うとか言わないとか。ソレをもって私に対する『色気がない』発言二千回目記念日とし、今の感動的な心情をしたためた大学ノート五冊をタイムカプセルにしまおうかと思っていたのだが……アテが外れたな」
 ……このドMが。
 そうか、コイツに『色気がない』って罵倒するのは逆効果だったのか。気付くのが遅すぎたぜ。よし、今度からは嫌味なくらいに褒めちぎって、怖気地獄に突き落としてやる。
(それにしても……) 
 まいったな……。アリュセウのせいで変なことを考えた直後だったから、思わず頭に血が上ってしまった。我ながら情けない。こんな色気のない女……いや、目が覚めるように美しい緑髪と、大きくチャーミングな瞳、そして優美なラインを誇る鼻梁に、無駄のないスレンダーな顔立ち、更に絶妙のバランス感覚を誇るボディーラインと、長く細い美脚を兼ね備えた魅惑の女子高生相手にムキになってしまうなど。
「し、しかしアレだな。犯人の足がいきなり速くなったな。け、警察とかには言ってあるのか?」
「ああ、一応通報はしておいた。ただ、その警官本人が挙動不審な男を直接見たワケじゃないからね。どこまで真摯に対応してくれるかは分からない。もしかすると、実はただの酔っ払いだったというオチもあるからな。キミの言うように、栃木から突然東京にまで来たのにも何か引っかかりを覚えるしね」
「ま、大丈夫だろ。コレだけ事がデカくなってんだ。いくら強い者の味方しかしない最高に最低な税金のスネかじり共でも敏感になってるはずだろ」
「だといいがな」
 茶化すような口調で明るく言った真夜に、朝顔は窓の外に目を向けて漏らす。その視線はそこはかとなく憂いを帯び、何か儚さのようなモノさえ漂わせていた。
 やはり犯人のことを意識せずにはいられないのだろう。
 当然だ。朝顔は自分の目で被害者とおぼしき人物を見てしまった。いつ我が身に降りかかってきてもおかしくないと考えるのが普通だ。
(クソ……)
 舌打ちし、真夜は朝顔と同じ方向を睨み付けた。
 どうしてこんなにイライラするんだ。
 コイツのことが心配? いや違うな。こんな美人で肉付きが良くてエロい体している女のことは別にどうでもいいんだ。
 ……まぁ長い目で見ればどうでもいいことはないが、今はどうでもいいんだ。
 ソレよりももっと根本的な部分。

『きっとストロレイユの仕業ですよー。このエリアにいるって噂は聞いたことがあるですよー』

 自分は犯人を知っているという事実。
 人間ではなく、アリュセウのように特殊な力を持った、プラクティショナーという存在が関与しているという事実。
 昨日、一緒に夕飯を食べながらテレビを見ていた時。例の犯人について報じていたニュースを見てアリュセウがさっきの言葉を口にした。

『ストロレイユは【意識の施術者】ですよー。こんなことくらい簡単にできるですよー』

 【意識の施術者】。
 アリュセウが釣り竿の形をしたオペレーション・ギアという道具を使い、不要と判断した“記憶”を消していくのに対して、ストロレイユという名のプラクティショナーは“意識”を消すことができる。ソレは【記憶の施術者】よりもワンランク上の存在。
 【記憶の施術者】としてポイントを積み、ある程度溜まったところで【意識の施術者】への昇格権が与えられるらしいのだ。そして【意識の施術者】となれば、【記憶の施術者】よりも効率的に大量のポイントを集められるようになるという。
 “記憶”という人間の精神を形成している一点のみを奪い去るのではなく、“意識”という多点を同時に制御できるから、というのが理由らしいのだが。
 しかし、それだけに意識を奪う人間の選抜は極めて慎重に行わなければならない。一瞬にして廃人同然にまで追い込んでしまうのだ。だから【意識の施術者】となるようなプラクティショナーは、強靱な精神力を求められる。
 決して力に溺れることなく、そして傲ることなく。古い意識を正しき方向に導き、新しい生命の源に昇華させるという天命を、いついかなる状況であろうと全うしなければならない。
 だからこそのポイント制なんだとか。
 ポイントとはすなわち生命の源。
 アリュセウによると人間の肉体と精神は、プラクティショナー達の間でポイントと呼ばれている通貨のような物で形作られているらしい。そしてプラクティショナー達の仕事は不要なポイントを集め、必要な生命を創り出すこと。母親の胎内に新生児を宿させること。
 前世の記憶が残っている者がごくまれに現れるという現象は、この作業が不完全だった場合に起こるのだとか。
 人の記憶に触れ、生命の欠片に触れ、その本質を見抜けるまで触れ続けた者が【意識の施術者】になる資格を得ることができる。力を行使する上で適格な精神純度であると認められた者のみが【意識の施術者】となれる。
 だが――

『アイツは今、立派な賞金首ですよー』

 ストロレイユはソレに背いた。
 理由は分からないが、彼女が今していることはプラクティショナーとしての行動規範に真っ正面から反する。
 つまり、本来必要な意識までもいたずらに狩り取っている。だから目を付けられた。賞金首として指名手配されることになった。
 ただ妙なのは――

『連鎖を使ってないですよー。不思議ですよー』

 ストロレイユは連鎖を使っていない。
 意識を消した場合も記憶の時と同じく、そのことが不自然にならないよう周りの人間の記憶は連鎖的に消えていくらしい。最初から誰も彼のことなど知らなかったように、離れ、立ち去り、遠のいていく。
 記憶という意識の一部を消した場合と違い、突然ありとあらゆる者から孤立する。
 だが死ぬわけではない。多くの場合は精神異常者として保護され、またそこで新しい社会を生み出していく。リハビリを重ね、これまでとは違った人格を形成していく。
 言ってみれば人生のリセットだ。
 【意識の施術者】とはそういった高度で危険な精神干渉力を持っている。
 しかし、ストロレイユは違う。
 意図的に連鎖を使わず、あえて周りの人間の記憶を放置している。
 ソレに一体どんな意味が隠されているのかは知らないが、ストロレイユ自身にとって不利な環境であることは確かだ。
 そのせいで沢山の目撃情報や手掛かりを残してしまっているのだから。
 逃避行を楽しんでいるのか、それとも他の理由が何か……。
 とまぁ、コレが今回の事件の真相……らしいのだが。
 はっきり言って昨日までは半信半疑だった。いや、半分以上……九割がた疑っていた。
 知らない世界での決まりごとをいきなりツラツラと並べられて、はいそうですかとアッサリ受け入れられるほど、自分は人間ができていない。
 大体そんな危なっかしい奴、賞金首などにするのではなく、もっと絶対的な治安維持機構が出てくるべきなんだ。自分達の世界で言うところの警察とか、自衛隊とか、FBIとか、ターミネーターとか。

『人数が全然足りてないんですよー。そんなモン結成するくらいならポイント稼ぎしてた方がいいですよー。ま、討伐隊を組むかどうかは完全に上層部判断で、オレは知らないですよー』

 プラクティショナー達の世界は極端な人手不足で、全員合わせても百人足らずらしく、余程のことがない限り治安は自警で維持しているそうなのだが……納得などいくはずもない。
 そもそも実際に力を見せて貰ったアリュセウのことすら、完全には信じきっていない。
 今、自分にとって最も重要なのは、金髪喪服美少女との同棲生活。
 この一点のみだ。取り合えず彼女がそばにいてくれるのであれば何だっていい。
 その他のややこしくて難しいことは後々々々回しだった。
 だからストロレイユのことも頭の奥の奥にこびり付かせておいて、まぁ火の粉が降りかかってきたらまた考えるかと軽く構えていたのだが……。
(さっそく来やがったか……)
 切れ長の目をさらに細くし、真夜は呻くような声を漏らした。
 このまま何もしなければ被害者は確実に出るだろう。それも自分のすぐ近くで。
 今回、朝顔はたまたま犯人自身に遭遇しなかったが、そんなラッキーが何度も続くとは思えない。
 人の話をすぐに信じるほどできた人間ではないが、台風が過ぎ去るのをじっと待っているほど臆病者でもないし、全てを人任せにするほど薄情でもない。
 犯人がいなくなるまで全校生徒を自宅謹慎にするわけにもいかないだろうし、生徒一人一人に警察がボディーガードに付くわけにもいかない。
 となればやはり根本的な所を何とかするしかないのだ。
 そして自分はその根本とやらを知っているかもしれない。アリュセウの話を信じるのであれば。
(しょうがねぇ、な……)
 クラスの面々を改めて見回す。
 下ネタ話に華を咲かせるアホ面した野郎共。固まって噂話でもしているんだろう、美人度あと一歩クラスの女子グループ。弁当のおかず一品で真剣にケンカしている禁煙パイポとYMCA。
 この中で自分が気軽に声を掛けられないクラスメイトなど一人もいない。皆、バカでマヌケでガキっぽさが抜けない究極の脳天気五月バエ共だ。
 そんな奴等が真面目に悲しそうな顔をしているところなど、想像しただけで絶対零度まで突き落とされる。
 特に――
「ほら、見なよ。あの黒い雲……」
 この色気のない女が落ち込んでいるところなど。
「どんよりとして分厚い……。キミが……らしからぬ反応をするからだ」
 苦しそうに俯いているところなど……。
「“人ぁ見”かけによらぬもの……。これは“一雨”くる、な……ぶはッ! べへはははははははははははははは!」
 ……見れるワケねーか。

 放課後。友人から掛けられた遊びの誘いを全て断り、真夜は家路を急いでいた。
 一足前に出すごとに、アスファルトに溜まった雨水が高く跳ねる。すでに制服のズボンの膝から下は大量の水を含み、ずっしりと重みを増していた。
「えぇぃクソ!」
 顔をしかめ、忌々しそうに言葉を吐きながら真夜はひた走る。放置されていた汚い置き傘を拝借してきたのだが、サイズが小さすぎて肩はびしょ濡れだ。こんな錆びだらけの物ではなく、もう少しマシなヤツを取ってくれば良かった。

『まぁ、キミも気を付けてくれ。言いたかったのはソレだけだ』

 結局、朝顔に落ち込んだ様子は見られなかった。部活動も続けるらしい。
 もっとも、昨日のように長居はしないと言っていたし、禁煙パイポと道祖神を見送り部隊として力ずくで置いてきたから大丈夫だとは思うが……。
(三人目、か……)
 雨合羽を着て自転車に乗っている制服警官を横目に見ながら、真夜は自宅マンションへと続くT字路を右に曲がった。
 コレで今日見つけた見回りの警官は三人だ。
 朝顔からの通報を受けての行動かどうかは知らないが、完全に無能というわけではないらしい。いつも鬱陶しいだけの存在だが、この時ばかりは頼もしい。
 大きなアーチになっているマンション・エントランスをくぐり、真夜は二段飛ばしでコンクリートの階段を駆け上がった。電灯がまばらに灯っている薄暗い三階廊下を走り抜け、端部屋のドアにカギを差し込む。半分回し、ガチャンと開錠の音がしたのを確認してドアを乱暴に押し開けた。
「アリュセウ!」
 そして間髪入れずに大声で叫ぶ。が、返事はない。
 足元を見る。玄関には彼女が履いていた一本歯の高下駄が転がっていた。
 外には出ていない……。だが姿はない。
 ココは六畳一間の狭い部屋だ。隠れられる所など……。
(まさか……)
 真夜の全身に戦慄が駆け抜ける。そして呼吸を止め、心臓の音を押さえ込み、全神経を耳に集中させた。
 ――聞こえる。
 確かに聞こえる。
 簡易キッチンのすぐ隣にあるユニット式のバスルームから。想像力を掻き立てむしり抉り沸騰させて崩壊せしめんとする雨以外の水音が……。そして扉の前には綺麗に折り畳まれた喪服と二メートルはある釣り竿……。
 そう――
(コレは……)
 まさかの濡れ場ルート!
(こ、こんなにも早く訪れようとは……)
 出会った次の日にゴールインなど……ちょ、ちょっと待て。まだ心の準備が……。
 落ち着け、落ち着くんだ。ココからは些細なミスも許されない。せっかく棚からボタ餅と紅白饅頭と金太郎飴と非常時用カンパンが同時に転がり落ちて来たというのに、僅かな油断でソレら全てがパアになる。
 まずは目を瞑って大きく二回深呼吸。ワン・トゥー。そしておもむろに壁に片手を付き反省のポーズ。更に爪先立ちになって両腕を天に掲げ、白鳥の舞の格好で渾身の懺悔。
 ああ神様、ありがとうございます。村雲真夜は本日をもって、大人への階段を五段飛ばしで砕き、破壊し、蹂躙したくりまっす。
「……よし」
 真顔に戻り、真夜は持っていた鞄を部屋の隅に置く。そしてローデスクの引き出しを開け、中にあるCDを一枚一枚丁寧に吟味し始めた。
 こういうのは雰囲気作りが何よりも大切だ。
 外は雨。邪魔な騒音は天の零す冷たい涙によって掻き消されている。この涼やかな静謐を彩るのに相応しい音楽は何か。
 クラシック? いやいや。ベタすぎる。もっと個性を全面に出さなければ。そうすれば『え? コレって何て曲?』『コレはね、キミの心に響く甘い鎮魂歌さ』『まぁステキ。じゃあ今夜は黒ミサを開かないとね』という会話も生まれるだろう。何よりアレだけ奇抜なファッションセンスの持ち主だ。意表を突いて突きすぎるということはない。
 となればココは――
「コレ、だな」
 真夜は勝利を確信したかのような笑みを浮かべ、ジャケットに何も書かれていないCDを一枚取り出した。ソレを小型のCDラジカセにセットし、おもむろにスイッチオン。そして室内に流れ出す野太い男の声。堅苦しい内容の歌詞。
 コレは真夜の高校の校歌。放送委員を押しつけられてしまったために泣く泣く所有することになったのだが、まさかこんな所で役に立つとは。
(勝った!)
 拳を握り込み、高々と突き上げる真夜。
 間違いない。このチョイスで完璧なはずだ。アリュセウのハートをブロークンできるはずなんだ! 跡形もなく! 粉々に!
 では自分の立ち位置はどうする。さり気なくテレビでも見ているか。男らしく筋トレでもしているか。それとも今ちょうど帰って来たフリをして、濡れた体を温めるためにバスルームへ、そして偶然……。
「よし!」
 コレだ。もうコレしかない。やはり音楽で雰囲気作りなどというまどろっこしいやり方は性に合わない。ココは潔く覆水盆に返らずで……!
「お……?」
 決心し、バスルームの方に勢いよく向き直った時、真夜の目の前に誰かの顔が映った。
 ソレはまだ小学生の頃の自分の顔。必死に明るく振る舞おうとして、ソレが逆に影を落としていたことに気付いていなかった頃の……。
「アル、バム……?」
 ガラステーブルの上には太い背表紙の付いたB4のアルバムが、開かれた状態で置かれていた。そしてテーブルの下には別のアルバムが数冊重ねられている。
 精神がトリップしていたせいか、今まで気付かなかった。一体誰が――
「って……」
 考えるまでもなかったか。
 この部屋にいたのはアリュセウだけ。なら彼女が見ていたと考えるのが自然だ。全く、暇だったから部屋荒らしとは……。本やビデオの類は昨晩のウチに始末しておいて大正解だったぜ……。
 にしても、自分に興味を持ってくれるのは嬉しいが、さすがにコレは少し恥ずかしいな。
 真夜は苦笑しながらテーブルの前に座り、アルバムに目を落とす。そして昔を懐かしむように、一ページ一ページ丁寧に捲っていった。
 小学五年生の時の林間学校。クラスの男子全員の協力を仰いで綿密な作戦を練り、若い女の先生の胸元に顔を埋めている自分。キャンプファイアーの時、暗闇に紛れて片っ端から女子のスカートを捲っている自分。そして炎の前で追い掛け回されている自分。帰りの電車の中、一人だけ良い思いしやがってと、男子全員から顔にラクガキされている自分。
 中学三年生の時の文化祭。飛び入り参加のライブショーを繰り広げ、途中から気持ちよくなりすぎてギターの女の子を抱き締めている自分。そして客から石を投げられている自分。ダテ眼鏡と禁煙パイポの三人で客引きをしていたら、いつの間にかナンパになり、彼氏連れに手を出して大喧嘩している自分。後片付けをしていた時、YMCAと一緒に重い映写機を運んでいる自分。直後に後ろから朝顔が膝カックンをしてきて、とてつもなく痛い目を見ている自分。
 高校二年の時に初めてやった合コン。とてつもないブサイクに気に入られて、キスされかかっている自分。ボーリングの球を二つ同時に投げたせいで手首を捻り、それ以降参加できずにブサイクに慰められている自分。カラオケのボイスチェンジャー機能を使って女の声で歌い、酔っ払ったダテ眼鏡に女と間違われて襲われかけている自分。
 ……とにかく、色々あった。そしてきっとこれからも色々ある。
 幸か不幸か、自分はこういうドタバタ騒ぎには事欠かない。常に誰かが一緒にいてくれて、バカバカしすぎる日常のせいで全くと言っていいほど退屈しない。
 寂しさを感じる暇も、我が身の不幸を呪って落ち込む時間もない。
 自分は今の生活を目一杯楽しんでいるし、周りもソレに合わせて盛り上がってくれている。
 ただ、残念ながら彼らとももうすぐお別れだ。大学に進学する大半の生徒達とは違い、自分は高卒で就職するつもりだから……。
 しかし別に会えなくなるわけではない。その気になれば、いつだって……。
「想像以上に交友関係が広いですよー」
「なな……!?」
 突然後ろから掛かった声に、真夜はアルバムを荒っぽく閉じて立ち上がった。
 そして鼻腔をくすぐる芳しいリンスの香り、背中で感じる温かい湯気の感触。
(まさ、か……)
 真夜は喉を鳴らして生唾の呑み込み、ゆっくりと振り向いた。
「おかえりですよー」
 長いブロンドをアップに纏め、アリュセウが深い蒼の瞳でコチラを見上げていた。
 たった一枚のバスタオルを体に巻き付けて。
「なななななななななななななななななななな!?」
 狼狽の声を盛大に上げ、真夜は激しく後ずさる。そしてパイプベッドの縁に足をぶつけ、背中からシーツの上にダイブした。
「お前のその特異体質のヒントがあるかと思って調べてたですよー」
 しかしアリュセウは何事もなかったかのようにガラステーブルの前に正座し、耳元の後れ毛を掻き上げてアルバムを捲り始める。
「お前も何か心当たりあったら言うですよー。その方がオレも助かるですよー」
 何だ。何だこの状況は。
 自分は今試されているのか? 目の前に転がっている甘くて美味しいスイーツをどう食するのか。神がその礼儀作法を見極めようとしているのか?
「ところでさっきからこの曲、耳障りでしょうがないですよー。消すですよー」
 ローデスクの上のCDラジカセに伸びるアリュセウの白い腕。喪服の上からでも細いことは分かっていたが、ソレにプラスして瑞々しく張りがある。陳腐な例えだが、まさに取れたての果実のように。
「しかしまぁ知り合いが沢山いるですねー。お前の事前調査をしてた時から無駄に多いと思っていたですが、ざっとアルバムを見ただけで百は下らないですよー。これは大連鎖の予感ですよー」
 アリュセウはピンク色の唇を僅かに曲げてニッコリと微笑みかけてくる。ソレはまるで誘うかのような笑み。一見、無垢な童女のようでありながら、どこか大人びた雰囲気を内包させている。そんなミステリアスな魅力がフェロモンとなって、自分の脳髄を溶かし込んでいった。
「ああそうそう。帰ってきたら聞こうと思ってたことが一つあるですよー」
 バスタオルに包まれた胸元にふくらみはない。完全無欠の平坦。
 だが別段問題ではない。朝顔のように中途半端にあるくらいなら全くない方が何百倍もましだ。それにアリュセウはまだ成長の余地を十分残している。その過程を間近で見守るというのも……いや自分で成長させていくのみ一興というものだ。すなわち光源氏計画。
「ひょっとするとオレが見落としているだけかも知れないですが……」
 いい! すごくいい! 超絶にいい!
 なんたる素晴らしきシッチュエぃっション!
 一つ屋根の下で若い男女が二人きり! そして女は生まれたままの姿に薄布一枚!
 誘っている! コレは間違いなく誘われている!
 据え膳食わぬは末代、いや来世までの恥! ここはもう煩悩を全開に……!
「お前が両親と一緒に写ってる写真が一枚もないですよー」
「……っ!」
 一瞬、何を言われたのかよく分からなかった。
 ただ、頭に上っていた血が一気に下りてきたことだけは理解できる。
「これだけ色々あれば一枚くらいあってもよさそうなものなのに、どうしてないですかー? ちょっと不思議ですよー」
 アリュセウの言葉が冷たい手となり、皮膚の裏側に這わされていく。嫌な汗が噴き出し、心臓の音が急にうるさくなった。
「聞いてるですかー? 質問にはちゃんと答えないと……」
「黙れ!」
 気が付けば声を出していた。
 アリュセウを真っ向から睨み付け、真夜は奥歯をきつく噛み締める。揺らぐ視界の中で彼女は目を丸くし、何か恐い物から逃げるように手を後ろに付いた。
「っと……」
 そんなアリュセウの反応ですぐ我に返り、真夜はバツ悪そうに顔を逸らす。
「わ、ワリ……イキナリ、でかい声だして……」
 そして長い前髪を指先でいじりながら、制服のネクタイを緩めた。
 きっと怯えてしまっただろう。頭に血が上った時の自分の顔はなかなかの迫力らしいからな。クソ……もう雰囲気も何もあったモンじゃない。全てが台無しだ。
 だがいくら可愛くても、嫌な過去を掘り起こすような真似をされて、冷静でいられるほど寛大ではない。
 子供の頃からずっと付き合いがあるというのならともかく、昨日知り合ったばかりの奴にそんなことを勘ぐられたくはない。
「やっぱり……お前子供の頃に何かあったですねー」
 だが、アリュセウはやめようとはしなかった。
「もし何かキッカケがあったとしたら、まだ生まれて間もない頃だと思ってたですよー。意識形成の未熟な時期に“施術”すると、人格を構成している精神の網の一部が狂って、たまに特異な体質を持った人間ができてくるですよー。だからオレ達は赤ん坊を対象から外すですよー」
 身を乗り出し、アリュセウは探るような、そして期待に満ちた視線をコチラに向けてくる。
「お前、小さい時にプラクティショナーの誰かと会ったですねー? 彼に何かされたですねー。例えば、彼の力によって親と離れ離れになってしまったんじゃないですかー? お前の中から親の記憶を消し……」
「テメェ!」
 近付いてきたアリュセウの肩を両手で掴み、真夜は握りつぶさんばかりに力を込めた。
「アタリ、ですかー?」
 アリュセウは痛そうに顔を歪めつつも、声に喜色を混ぜて言う。
 もしコイツが男だったら確実に殴りつけている。しばらくまともな生活などできない体にしている。こんなにも無遠慮に、こんなにも図々しく人の心に上がり込んでくるなど……!
「オレなら、元に戻せるかもしれないですよー? オレの力は何も記憶を消すことだけじゃないですよー。縫合したり、埋め込んだり、蘇らせたりもできるですよー」
「けっ……!」
 苦しげに言うアリュセウを解放し、真夜はパイプベッドに座り直した。そして舌打ちして腕を組み、殺気を滾らせた目線を天井に向ける。
 記憶を戻す、だと? 何を今更。今更そんなことをして何になる。いきなり仲の良い親子の関係に戻れるとでもいうのか。馬鹿馬鹿しい。
 自分の親は自分を養護施設から引き取り、こんなに大きくなるまで育ててくれた気の優しい老夫婦の二人だけだ。他にはいない。
「まぁ、今日はこのくらいにしておくですよー。あまりお前に嫌われるわけにもいかないですからねー」
「なら二度とすんな。今度したら追い出すぞ」
 バスタオルを巻き直し、息を吐きながら言うアリュセウに真夜は威圧的な声で言った。
 全く、気分が悪い……。いくら女相手でも限度というものがあるぞ。もし、今度この話題に触れやがったら……。
「実はオレも親のことは全然知らないですよー。とゆーか、ここ四、五年くらいの記憶しかないですよー」
 後ろ手に体を支えて足を投げ出し、アリュセウは楽な姿勢になって再び口を開いた。
「昔の自分のことをよく覚えてなくて、どこで何をしていたのかさっぱり分からない。というのは、なかなか不安でしょうがなかったですよー」
 ソレは話し掛けているというよりは独り言に近く、他人にというよりは自分に言い聞かせているような喋り方だった。
「目が覚めたら周りで偉そうな奴等があれやこれや勝手に議論してて、世界の構成やら、今後の行く末やら、小難しいことをベラベラと吹き込んでくれて、それで自分ため周りのためにポイントを集めてこいって、この国の担当にさせられたですよー」
 言いながらアップにしていた髪を解く。ボリュームのある長いブロンドが流れ落ち、白いカーペットの上に金色の溜まりを作った。
「力の使い方を覚えて、効率のいいポイントの集め方を考えて、ターゲットの身辺調査をしたり、消して良い記憶かどうかを見極めたり、寝泊まりする場所を探したり。やることは沢山あって、自分のことをゆっくり考える時間がなかなか持てなかったですよー。でも少ない時間で頑張ってみたですよー」
 顔を上げ、天井を見つめる。そしてアリュセウはゆっくり目を瞑った。
「必死に思い出そうとしても思い出せず、力を使って何とかしようとしても何ともできず。まだ使いこなせていないのか、それとも【意識の施術者】にならないと記憶を取り戻せないのか。分からないけど今はとにかく頑張るしかないですよー。いっぱいポイントを集めて、昔のことを思い出したいですよー」
 そこまで言ってアリュセウは顔を戻し、あどけない笑みを浮かべてコチラを見る。深い蒼色の瞳には、自分を騙そうとするくらいに明るく前向きな光が宿り、しかしその奥にはもうどうでもいいと放り出したい、そんな投げやりな色が垣間見えた。
 無理をしている。
 かつての自分と同じように。
 コイツも苦しんでいる。必死にあがいている。忘れてしまった自分を取り戻すために。
 ……調子狂うな、クソ。
 別にコイツが今言ったことの全てを信じたワケではないか……見事に親近感が湧いてしまった。自分と似たような境遇の奴っていうのはこんなにも……。
「……他の奴等に何とかして貰えばいいじゃねーか。いるんだろ? お前より偉い奴等はいくらでもよ」
 真夜は組んでいた腕を解き、アリュセウを気遣うような口調で言う。
「記憶を消せばポイントが溜まるということは、記憶を蘇らせるにはポイントを使わないといけないですよー。自分に何の得もないのに他人のためだけにポイントを使うなんて、そんな奇特なプラクティショナーはいないですよー。だから自分で何とかするしかないですよー」
 ソレにアリュセウは子供っぽく笑いながら返した。
「薄情な奴等だ」
「普通ですよー。みんなそんなに暇じゃないですよー」
 そう言えば百人弱しかいないんだったな。そのプラクティショナーってのは……。
 コイツが日本の担当ってことは、似たようなのが世界中に散らばってるってことか。
 百人足らずで世界中をカバー……。過労死万歳な労働環境だな。
「ま、そんなワケでお前を使った連鎖は絶対に成功させてみるですよー。大量ポイントゲットですよー」
 伸ばした足をバタバタとせわしなく動かしながら、アリュセウは希望に満ちた表情でコチラを見てくる。
 大量ポイント、ね……。
「一つ聞きたいんだが、何で俺なんだ? まぁ別に他に奴等なら良いって意味じゃねーけどよ」
 今まで深くは考えなかったが、本来なら最初にするべき質問をアリュセウにぶつけた。
「交友関係が広いからですよー。連鎖は記憶から消した人物が周りに知られていればいるほど起こりやすいですよー。そのために色々と身辺調査をするですよー」
 誰かの中から自分に関する記憶が消された時、ソレが不自然でなくなるまで周りの人間から自分の記憶は消える。そしてその過程で生まれた新たな不自然さを解消するまで、記憶は連鎖的に消え続ける。
 つまり、連鎖の中心には常に自分がいて、自分と知り合っている人数が多ければ多いほど繋がっていくわけだ。
 だからアリュセウは自分を選んだ。
(なるほどね……)
 突然周りから忘れ去られてしまうのは大きな恐怖だが、今のところコイツにそうするだけの力はないらしい。本当に自分が特異体質なのかどうかは知らないが、コイツが自分をターゲットにして時間を浪費している間は、他の奴等に被害が及ぶことはないわけだ。
 そういう意味では好都合だな。 
「まぁ、勿論ソレが一番の理由ですが……ソレ以外にも、何かお前は目立つですよー」
「目立つ?」
 少し戸惑ったような表情で付け加えたアリュセウに、真夜は眉を顰めて聞き返した。
「そうですよー。普通はいきなりこんな突っ込んだこと喋らないですよー。どうしてわざわざ丁寧に説明してやらなきゃならないですかー」
 いや、そんなこと聞かれてもなぁ……。
「きっとコレもお前の特異体質のせいですよー。まったく面倒臭い奴ですよー」
 自分が勝手にベラベラと喋ったクセに、どうして文句を言われなければならないんだ。
 全く持って不条理だ、不公平だ、不具合だ、不動明王だ。
 ……ま、類は友を呼ぶとか、同類嫌悪とか、きっとそんなところなんだろう。
 コイツも自分と同じく、自身のことを良く知らない。どうやって生まれたのかも、誰と誰が本当の親なのかも知らない。
 忘れ子。
 生まれた時から、誰にも知られていない存在。そこにいたことすら忘れられ、ずっと放置されていた。誰も自分のことを知らず、自分も周りの人間を知らない。
 完全な孤独。
 ソレを生まれてすぐに味わった。その恐怖を体が覚えてしまった。
 だからなのかもしれない。自分の周りに常に誰かを置きたがるのは。ずっと自分のことを忘れることなく、ずっとそばにいて欲しいと思ってしまうのは。
 いや、きっとそうなんだろう。もう詳しいことは覚えていないが、赤ん坊の頃にした体験の反動が今の自分を形成しているんだ。
 孤独という名の恐怖を、もう二度と感じないために。
「案外お前だったりしてな。俺の記憶いじったのは」
「かもしれないですよー。確率は百分の一ですからねー」
 おどけたように言う真夜に、アリュセウは冗談めかして返す。
 今まではずっと出産事故なんだということで片付けていたし、納得のできる説明など誰もしてくれなかったが、もしあの時、アリュセウのようなプラクティショナーという存在が暗躍していたとしたら……。
 自分から周りの記憶を消して、周りから自分の記憶を消して……。
(クソ……)
 一体どいつが……。ポイント集めだか何だか知らないが、もし見つけたら絶対に――
「ま、ソレはともかくとして、そろそろ服を着るですよー。ちょっとの間出てて欲しいですよー」
 立ち上がり、アリュセウはバスルームの前に置いていた喪服と釣り竿を取り上げながら言う。心なしか体が震えているようにも見えた。
 いくら夏が近いとは言え外は雨だ。日も差さず、気温もいつもより低い。タオル一枚の格好でずっといたのでは風邪を引いてしまう。
 ……まぁ、個人的にはそのまま看病ルートに突入してもいいのだが。
「じゃあ今度は俺が風呂に入ってるよ」
「出るですよー」
 ニコやかな表情で言葉を被せるアリュセウ。
「しゃーねぇ。ならクローゼットの中に……」
「出るですよー」
「やれやれ。なら厳重に目隠しを……」
「出るですよー」
「まいったな。そんなら……」
「出・る・で・す・よー」
 ……くそ。どうあっても追い出すつもりか。せっかくのチャンスなのに……。
「わーったよ、ったく……」
 長い前髪を掻き上げながら立ち上がり、真夜は半眼になってぼやく。
 まぁいい。時間はまだまだたっぷりあるんだ。焦る必要などない。これからゆっくり愛を築き上げて、ねっとり鑑賞を……。
「終わったら呼ぶですよー。それまで開けちゃダメですよー」
「へいへぃ」
 念を押すアリュセウに適当に返し、真夜は部屋の扉を開けて外に出る。
 胸の高さくらいまであるスチール製のフェンスの向こう側では、肥大した雨滴がひっきりなしに降り注いでいた。
 服を着ていても少し寒い。何だか雨足が強まった気がする。
 そしてそんな雨の中、ご苦労なことに雨合羽を着込んだ警察官が自転車で徘徊中。一体何が目的なのかは知らないが、税金の無駄遣いだけはやめて欲し――
「――って、オイ」
 確か自分が急いで帰ってきた理由は――
「アリュセウ!」
 重大なことを思い出して真夜は部屋の中に押し入った。
「あ……」
「あ……」
 そして彼女と目が合う。
 まさに一糸まとわぬ、あられもない姿の。
 真夜は全身を硬直させ、体の中から色んな汗が噴き出して、しかし視線は自然と下がって行き、ほんの僅かなふくらみもない胸元から浅く窪んだヘソへ。緩やかなカーブを描く小尻を通って、その反対側にある股の――
「お……」
 股、の……。
「お、ぉ……」
 股、には……。
「男おおオオぉオおおォぉおおぉぉォぉぉォぉォォぉぉオオオぉォぉお!?」
 付いていた。
 自分と同じ物が。
 いや、自分のソレよりは遙かに小さいが――
「ってンなこたどーでもいぃ!」
 ダン! ダン! ダン! と床に怒りを叩き付けるように大股でアリュセウに近付き、真夜は彼の正面に立った。そしてギン! とガンを飛ばし、クワッ! と股間を睨み付け、またズキューン! と射抜く。
「この詐欺野郎! 騙しやがったな!」
「知らないですよー!」
「何だコレは! 何のホモ・コメディだ!」
「オレは自分が女だなんて一言も言ってないですよー!」
「体で言ってるよーなモンじゃねーか!」
「表現が卑猥ですよー! 勝手な妄想ですよー!」
「大体そのナリとその声とその格好で! どー見ても女だろ!」
「“ナリ”と“格好”は同じ意味ですよー!」
「ンなこたどーもいいんじゃコラアアアアアアァァァァァァァ!」
 髪を掻きむしりながら絶叫を上げ、真夜は体を大きく仰け反らせて天を仰いだ。
 目の前が薄くモヤがかり、あっと言う間に視界を白く埋め尽くして行く。全身を包み込む脱力感、絶望感、そして虚無感……。頭の中で完璧に計画されていた桃色の同棲生活が、中途半端な破壊音を立てて崩れ去っていった。
(終わった……)
 全てが。全てが燃え尽きてしまった。
 自分の不純な青春が。卒業前の『ご卒業』が。猛り狂う下半身のアイデンティティーが。
 ――崩壊。
 完膚無きまでに崩壊、破綻、瓦解、抹消……。
 もう立ち直れない。宇宙の果てまで持ち上げられて、奈落の深淵まで一気に突き落とされてしまっては復活などできない。
 嗚呼無情。諸行無常。色即是空。空即是色。隣の客はよくきゃくきゅ――
 ……噛んだ。
 もうダメだ。本当にダメだ。何もかもがお終いだ……。
「全く、行動理念の九割以上が煩悩で構成されてる奴ですよー。とんでもない性欲の権化ですよー」
 やかましい。男として生まれてきて、ソレ以外の何でモチベーションを保てというんだ。
「でもいつまでもお前にそうされてるワケにはいかないですよー。オレはお前のことをもっと良く知らないといけないですよー」
 くそぅ、ほんの数分前までは小脳をトロかすような甘い響きだったのに、今は鼻で笑いながら舌を出してモヒカンにした頭を上下逆にしつつケツ出して挑発しているようにしか聞こえんぞ。
「さて、どうするですかねー……」
 もうどうにでもしてくれ……。何だかもう、呼吸するのさえ面倒になってきた……。
「うーん……そういえば今のお前にピッタリのお仕事があるですよー」
 仕事、だと……? 何を馬鹿なことを。
「ストロレイユを見つけて捕まえるですよー」
 ストロレイユだぁ? 誰だよソレ。聞いたことも……聞いた、ことも……。
 あれ? 確か聞いたことが……。何だったか……。
「ストロレイユはプラクティショナーの面汚しですよー。犯罪者ですよー。捕まえれば彼女の集めてた大量ポイントを一気にゲットですよー。しかも犯罪者だから何をしようが誰も文句は言わないですよー。自由自在ですよー」
 何をしようが、自由……。
 ……ウハッ。
 ああいやいや。そこじゃなくて。ストロレイユって言えば、今物騒な犯罪をしでかしてるらしい、犯人……? その被害者に昨日、朝顔が……。
「ちなみにストロレイユは超グラマラス・核兵器級ボディーの年上お姉さまで、サイズは上から102・61・93というお化けデータの持ち主ですよー」
「おおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
 室内を激震させる咆吼を上げ、真夜は残像すら生じさせる勢いで屹立した。
 体中に活力が漲ってくるのが分かる。自分の中で獰猛な肉食獣の魂が産声をあげ、その溢れんばかりの野性が血流に乗って肉体の隅々にまで行き渡っていく。
 頭の中で明滅する『核兵器級ボディーの年上お姉さま』の文字と驚異的なスリーサイズ。吐いて捨てるほどに有り余り尽くしている妄想力が、両腕で豊満な胸を持ち上げながら蠱惑的な笑み浮かべる熟艶女の姿をいとも簡単に創造していった。
「ヤルぞ!」
 両目を獣欲で爛々と輝かせ、真夜はアリュセウの両肩を鷲掴んで大声を上げる。
「ソレは捕まえた後のお楽しみですよー」
「そんなことは分かってる! だからヤルんだ!」
「死体を相手にというのは、ちょっとオススメできないですよー」
「馬鹿なことを! とにかくまずはヤッてその次にヤッて最後に心おきなくヤルんだ!」
「……もぅ意味分かんないですよー」
 いつの間にか喪服を着込んでいたアリュセウの体を、がっくんがっくん激しく揺さぶりながら、真夜は昂奮覚めやらぬ様子でまくし立てた。
 ストロレイユ。
 アリュセウが言うには、今ニュースを賑わせている大事件――意識不明者を大量に生み出している犯人。そしてその魔の手がついに自分達の近くまで迫って来てしまった。
 ソイツは自分の古くからの親友であり、絶世の美女である五月雨朝顔を己の毒牙に掛けようとした。
 断じて許すことはできない! 必ずや見つけ出し、この街に住む人々に安息を取り戻してやらなければならない! ソレができるのはアリュセウに選ばれたこの自分だけなんだ! 自分に課せられた使命なんだ! 生まれながらにして背負った罪深き業なんだ!
 分かってる。分かってるさアリュセウ。君が不安になる気持ち。
 恐いんだろう? そりゃそうさ。今から俺達は【意識の施術者】に立ち向かっていこうとしているんだ。【記憶の施術者】よりもワンランク上の強敵に。
 だがな、コッチには心強い味方がいる。最大最強の武器がある。
 何者にも屈しない、決して折れない強い心。その力の源――
「俺の煩悩は銀河一だぜ!」
「……今さら宣言する必要もねーことですよー」
 待ってろよストロレイユ! 必ず迎えに行ってやるからな!
モドル | ススム | モクジ





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