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ナイン・ゴッズ―秋降る雪は永遠に―

 ――On Line――
■Viewer Name: 九綾寺水鈴 Place: ナイン・ゴッズ PM3:35■
 そこは大きく開けた荒野だった。乾いた風が吹き、黄塵が舞う。
 他のプレイヤーの反応はまるでない。
 地平線の向こうに沈みゆく紅い太陽を背に、秋雪がログインしてくるのを待った。ここは二日前、この時のためにログアウトした場所。辺りを気にせずに、思い切り力を出せるようにこの場所を選んだ。
 倖介から秋雪の話を持ちかけられた時、水鈴は自分の耳を疑った。
『お前の部下に神薙秋雪って奴がおるやろ。アイツな、はぐれ管理者や。久遠のお気に入りやってんけど、ちょっとしたトラブルがあってな、辞めてもーたんや』
 ギリ、と強く奥歯を噛みしめる。
 秋雪は社内では決して目立つ部類の人間ではなかった。どんな仕事でもそれなりに時間を掛けて、それなりにこなすが、何かに抜きん出ているわけでもなく、かといって致命的なミスを犯すわけでもない。気を抜けばそこにいることすら忘れてしまいそうな、特徴のない人間だ。
 つまらない男――それが水鈴から見た秋雪の印象だった。確かに自分の部下ではあるが、取り立てて気に掛けたこともない。知らぬ間に、どこかに行っているだろう空気のような存在。保持している思考具現化端末デモンズ・グリッドのランクもDであり、入社当時からまるで変わっていない。
 しかし――
(管理者ですって? って言うことはランクS? はっ! 冗談じゃないわ!
 能ある鷹かは爪を隠す? バカじゃないの? そんなこといきなり言われて信じられる訳、無いじゃない!)
 水鈴の会社は『ナイン・ゴッズ』を介して幅広いサービスを提供している。自然の香りや感触を味わえる仮想空間、自分だけのリゾートを作り出すこと出来るデバイスのデータ。そして難関なクエストへのサポートや、思考具現化端末デモンズ・グリッドのランクアップの為にエネミー・シンボルを倒し続けるという単純作業の代行など。
 平和的な利用から、戦闘を重視したプレイヤーの要望まで、数多くのリクエストに応えてきた。そうなれば当然、自分の思考具現化端末デモンズ・グリッドのランクは会社での地位を左右する。
 水鈴のランクはAだ。そして、倖介の管理者補佐システム・エージェント
 ココまでの条件がそろえば、わずか二十九歳という若年でも部長クラスにまで上り詰めることが出来る。このスピード出世は、水鈴の会社が創立以来、初めての出来事だった。
「うわぁ、また随分と殺風景な場所ですね」
 ヴン、と羽虫の飛ぶような音がして水鈴から十メートルほど離れれた場所に秋雪が姿を現す。
「遅かったわね。ログインするのに随分と時間がかかったじゃないの」
 まるで貴方の仕事ぶりを見ているようだわ、と胸中で付け加え、水鈴は鋭い眼光を秋雪に叩き付けた。
 秋雪の姿は、リアル体と殆ど変わらない。
 意思の感じられない瞳と、はにかんだ笑みの張り付く口元が醸し出す、弛緩した表情。倖介との会話で見せていた精悍な表情は影もない。ただ特徴的なのは髪の色。前髪が眉にかかる程度のバランスで、全体を切りそろえた銀髪は鮮烈な印象を相手に与える。
「いやぁ。管理者権限でログインするには、色々と制約がありまして」
 黒いタートルネックとジーンズ。首には紅玉のアクセサリーというラフな格好で、秋雪は柔和な微笑を返す。
(気に入らない)
 その仕草は水鈴の神経を逆撫でした。倖介に秋雪が管理者だと聞かされてから、水鈴の目に映る秋雪の一挙一動が彼女のはらわたを煮えくりかえらせる。
「それじゃあ、早速始めましょうか」
 秋雪の言葉も待たずに、水鈴は思考具現化端末デモンズ・グリッドを立ち上げた。視界の左上に半透明の黒いモニターが現出する。
【セカンド・サーバーからの読み込みを開始します。
 ……ソード・デバイス "Critical_Blade" を常駐、顕現します。
 ……アシスト・デバイス "Truth_Bringer" を常駐。
 ◆
 ……サード・サーバーより特殊ソーサリー "Million_Odds" をダウンロード…………完了。
 マジック・デバイスに保存、常駐します。
 ◆
 "Critical_Blade" と "Truth_Bringer" をコンバイン。
 以降の攻撃にはすべてクリティカル判定が付加されます。

 "Million_Odds" を併用。ゼロ以外のすべての確率を百にします。
 相手シールドを百パーセントの確率で無効化可能です】
「ず、随分と物騒なコンバインの仕方をするんですね。それに奇跡術を併用ですか……」
 怯えたような秋雪の言葉に、水鈴は警戒の色を強めた。
(私のコマンドラインが見られている……どうやらSクラスっていうのは本当だったようね)
 他人の思考具現化端末デモンズ・グリッドに記された内容を閲覧するには、少なくとも相手と同等か、それ以上のランクが要求される。加えてハッキングの技術も必要だ。
(私のプロテクトは三重……結構自信あったんだけど)
 それをあっさりと破られた。その事実が水鈴の理性を徐々に駆逐していく。
「行くわよ!」
 大きく吼えて体を前傾させ、地を力一杯蹴る。
 右の掌に直接生えたソード・デバイス”クリティカル・ブレード”を胸の前で固定させ、その構えのまま秋雪に接近した。
「本当に、やるんですよね……」
「まだそんな事を!」
 この期に及んで気のない返事を返す秋雪に、水鈴は心底苛立ちを感じながら、力一杯右手を振り上げた。そして秋雪の左肩を狙い、袈裟斬りに振り下ろす。
 視界に映るのは、未だ覇気を感じさせない顔つきの男。会社にいる時と何ら変わらない、ただそこにいるだけの存在。
(死ね!)
 本気にそう考えながら、憎しみを込めてソードを秋雪の体に滑り込ませる。
 手応えはない。防御力無視のクリティカル攻撃だ。加えて、管理者補佐システム・エージェントである水鈴の攻撃力。一般プレイヤーであれば即死だ。
「やっぱりやめませんか? こんなこと。無意味でしょう?」
 声は後ろからした。
 さっき水鈴が斬りつけた秋雪の体は、一瞬大きくブレたかと思うと音もなく消失する。
(幻影体? 本物と変わらない擬似フレームを一瞬で作りだした? それとも、視覚操作? 私の認知能力までハッキングされたというの!?)
 どちらにせよ、自分が手玉取られたことには違いない。怒りに加え焦燥がこみ上げてくる。
【……エンハンス・デバイス "Quick_Drive" を起動。移動速度を強化します。
 速度倍加指数を入力してください】
(五倍!)
 風が止む。音が消える。
 気が付くと視界が後ろへと向き、その方向にいる秋雪との距離を縮めていた。思考と行動が一致していない。考えが浮かんだ時には、すでに結果にたどり着いている。感情だけがかろうじて体を制御していた。秋雪を倒すという感情だけが。
「ッ!」
 気合いの声すら出す間もなく、水鈴のソードは秋雪の胸に埋まっていた。その光景を見て、初めてソードを突きだして攻撃したのだということを理解する。しかし――
「凄い攻撃ですね。さすがです」
 余裕を帯びた声が上からした。秋雪は両腕を広げたまま、まるで迎え入れるかのように水鈴の攻撃を受け入れていた。
「くっ!」
 危機を感じ水鈴が体を離そうと考えた時には、すでに十メートル以上の間合いが出来ていた。
【メインメモリが不足しています。これ以上、高速移動を維持するには、他の常駐デバイの解除が必要です】
(ヒットした……けど……。まだ足りない!)
 思考具現化端末デモンズ・グリッドからの警告を無視して、水鈴は再び秋雪に斬りかかる。
 低い位置から逆袈裟に。返す刀で同じ傷口を広げるようにして狙い打つ。体を抜けたところで刃を寝かせ、真横に切り抜けた。そして、その勢いを殺すことなく後ろへと周り、背後から頭部にソードを振り下ろす。
 渾身の力を込めて繰り出す攻撃すべてがクリティカル判定。それを証明するかのように、小気味良い効果音が何度も何度も荒野に響き渡った。そして最後の一撃の残響を背に、水鈴は秋雪との距離を取る。
【メモリ不足状況下での強引な "Qucik_Drive" の仕様に伴い、過剰負荷がデバイスにかかっています。エラーが生じた危険性があります。ログアウト時に確認してください】
 しかし、今はそんなことはどうでも良かった。そんなことより、もっと重大なことが今、目の前で起きている。
「どう、なってるの……」
 驚愕に目を見開いて、未だ平然としている秋雪を見つめた。
 勿論、死亡判定など出ていない。これまでも水鈴は、何十人もの不正者を始末してきた。そのいずれも、一撃、もって二撃で死亡判定となった。
 今のこの状況は、これまでの水鈴の経験則には当てはまらない。
「これで少しは納得していただけましたか? 僕が管理者だって」
 秋雪はほっぺたを軽く掻きながら、涼しい顔で返してくる。
 悪夢。水鈴にとっては悪夢以外の何物でもなかった。
「まだ、よ……」
 苦しげに声を絞り出しながら、水鈴は体を震わせる。
(悔しい……悔しい!)
 コレまで見下ろしていた相手に、今自分が見下ろされている。これ以上の屈辱はない。もうプライドなどは残っていない。今あるのは、純粋に秋雪を倒したいという願いだけ。
「コレで最後にしましょう。今から私が行う技をまともに受けなさい。それに耐えられたら、貴方を管理者だと認めてあげるわ」
 自分でも無茶苦茶な提案だと思う。だが、今はなりふり構っていられるような精神状態ではなかった。どんな手を使ってでも、秋雪を自分の前にひれ伏させたい。
 ――これまでのように。
「わかりました」
 平然と秋雪はその提案を受け入れた。こちらがどのような種類の技を出すのかすら言っていないのに。よほど自信があるのだろう。そして、その態度がやはり水鈴には気に入らない。これまで水鈴が秋雪に抱いていた印象とは、あまりに違いすぎるその態度が。
 水鈴は大きく息を吐き、体の力を抜いて仁王立ちになる。そしてスッ、と眼を細めて精神を集中させた。
【常駐デバイスを解除。
 サード・サーバーより上級火炎ソーサリー "Black_Blaze" をダウンロード……完了。
 逆コンパイルによりソースデータを抽出……展開完了しました。
 ソースデータをデコード中…………完了。
 ファイル・エディットモードを起動。任意の位置にカーソルをあわせ、タームコードを入力してください】
 思考具現化端末デモンズ・グリッドに表された十数行の文字の羅列。本来は読めないはずの特殊な文字をデコードすることで、意味を成すタームコードとなり、水鈴の眼に入る。その一部にカーソルをあわせ、新たなタームコードを入力していった。
「深淵に眠る業火の主。その慟哭はマグマの如く、その咆吼は灼熱風の如し。雄々しき巨躯の胎動を持ちて、原初の炎を呼び起こせ!」
 水鈴の声が音声認識で文字入力され、思考具現化端末デモンズ・グリッドへと反映される。
【エディット終了。
 ソースデータをコンパイル…………完了。
 最上級火炎ソーサリー "Galfes_Ilter[ガルフェス・イルター]" Run】
 水鈴の前で莫大な熱量が物質化する。
 直径五メートルほどもある巨大な火炎球は、真上にかざした水鈴の右手からわずかに放れて安定した。その表面から炎の管が、蛇のように出入りしている様は太陽フレアを想起させる。
「行くわよ」
「どうぞ」
 これで確認ができる。秋雪が管理者であるかどうか。
 さっきの乱舞攻撃の時も薄々気付いてはいた。管理者が持つ最大の権限。それはこの仮想世界のルール。
「ハァァァ!」
 気合いと共に、水鈴は右手を秋雪めがけて投げつけるように差し出した。それにあわせて、圧倒的なエネルギー塊が秋雪に肉薄する。だが、秋雪は宣言通り避けない。ただ立ちつくしたまま、被弾するのを待っている。
 ――そして秋雪の体が紅く染まった。
 火炎球は秋雪に接触する同時に爆発し、辺りの地形を巻き込みながら膨大な振動波を周囲に放つ。大地が揺れ、熱風が辺りを支配する。まるで天空が落ちてきたような轟音と共に、巨大な火柱が黄昏の空を突いた。
 炎が収まるまで、水鈴は一時も眼をそらせることなく、秋雪のいた場所を注視していた。
 やがて、紅い暴君はその怒りを静め、辺りには変わらぬ静寂が戻った。
「これで、ご納得いただけましたか?」
 そこにいたのは、無傷の状態で手を広げてみせる秋雪。
 さすがに水鈴も認めざるを得無かった。
 ――管理者は死なない――
 それはこの仮想世界『ナイン・ゴッズ』のルールーだ。人間は空気がなければ生きられないのと同じくらい当然のルール。水鈴に勝ち目があるわけが、無い。
「わかったわ。私の負け。それじゃ、ログアウトしましょうか? 管理者様」
 自嘲気味に笑いながら、水鈴は溜息をついて肩をすくめた。

 ――Off Line――
■Viewer Name: 神薙秋雪 Place: マンション自室 PM4:29■
「よー、ようやく戻ってきたか。待っとたでー」
 ログアウトを完了し、現実世界に意識が戻ってすぐ、秋雪は倖介に声を掛けられた。その声はどことなくトーンが低く聞こえる。
 堅くなった体をほぐすため、大きくのびをしてソファーから立ちあがった。隣では水鈴が肩に手を置いて首を回している。
「ほんで、どうやった。水鈴? 秋雪は」
 話をふられ、水鈴は小さな溜息をついた後、「そうですね……」と言葉を濁した。そしてしばらくの逡巡後、自分に何かを言い聞かせるように頷くと、
「とにかく会社の方は何とかしますよ。それでは、私はこれで」
 早口でそう言い、アクセスバンドを鞄にしまい込んでソファーを立った。そのまま、秋雪と倖介の顔を見ることもなくエントランスへと足をはぶ。
「あ、あの、九綾寺さん……」
 秋雪が申し訳なさそうな顔で水鈴の背中に声を掛けた。しかし水鈴は取り合わない。自動ドアの前に立ってスライドさせると、無言で部屋を出た。ヒールの硬質的な音が遠のいていく。
「ああー、怒らせてしまったー」
 頭を抱えてうずくまる秋雪。『ナイン・ゴッズ』で何か粗相は無かったかと、思い返す。出来るだけ穏便に、水鈴のプライドを傷つけることなく事を運んだつもりだ。
(けど、プライドはズタズタだろーなー。
 でもしょうがないよ。今は僕が管理者だと認めて貰わないと会社に復帰できなくなるもんな)
 無断で何日も休めば、当然それなりの報いを受けることになる。それを防ぐためにも、水鈴には頑張って貰うしかなかった。秋雪には今後、管理者権限を使って生活を潤そうという考えは全くない。むしろ、今すぐにでも剥奪して欲しいくらいだ。
(最初から力を持っていなければ嫌な場面にも遭遇しないし、悩むこともない)
 脳裏に嫌なシーンが鮮明に浮かび上がる。
 雨の降る日――深夜の路上――数人の男達――その中心にいるのは力を持たない者――そしてふるわれる心なき暴力――
 秋雪は悪夢を振り払うかのように、首を激しく振った。
 ゆっくりと深呼吸をした後、顔を上げて倖介の方を見る。
「自己憐憫は終わったか? 終わったんやったら、とっととコイツ何とかしてくれ」
 沈んだ声で言いながら、倖介は自分の前を指さした。
 棘のある言葉がカンに障ったが、とりあえず指の先を視線で追う。そこには、冷蔵庫の上であぐらを掻き、腕組みしながら倖介の方を睨み付けてる沙耶がいた。
「あ、さっきからいないと思ったら……どうしたんですか?」
 仏頂面をしている沙耶の方に歩み寄り、毒気を抜かれた表情で秋雪は訊ねる。
「秋雪! この馬鹿は何様じゃ! 無礼にも程があるぞ!」
 着物の袖をぶんぶん、と大きく振りながら、沙耶は何度も倖介の方を指差した。
「所構わずタバコを捨てるわ、ワシの寝床に無断で上がり込むわ! 万死に値する!」
「ホンマに死にかけたけどな……」
 げんなり、とした顔で倖介は半眼になって返す。
 よく見ると顔には所々腫れ上がっている場所があった。さらに室内を見回すと、どこも丁寧に片付けられ、非常に綺麗になっている。水差しや水槽にタバコは無く、澄み切った水が張られていた。
「何があったのかは……大体想像が付くが……」
「そーか。そら何よりや。こっちは、寝起きと同時に意識が遠なるっちゅー、貴重な体験させてもーたしな……」
 みぞおちの辺りをさすりながら、倖介は深い溜息をつく。妙な哀愁が漂っていた。
「ワシの布団で昼寝などするからじゃ!」
 そう叫びながら、沙耶は手近にあった小型の発光灯を投げつける。それは倖介の額に直撃し、彼の顔を後ろに仰け反り返らせた。
「……の、ガキぃ!」
 顔を元の位置に戻すと同時に椅子から立ち上がり、沙耶を睨み付ける。
「なーんじゃ。口で負けたから、今度は力ずくか。なっさけないのぅ、子供相手に」
 沙耶は座ったまま半身を引き、冷めた目線を倖介に送って挑発した。
「……ぐ! がっ! こっ、のぉ!」
 怨嗟を込めた短音を発して体を震わせつつも、倖介は何とか手を挙げることを思いとどまる。
「とっとと去れ、この天然ゲイ!」
 べー、と舌を出しながら沙耶は更に倖介を挑発した。それに乗って、倖介の顔が怒りで紅く染まる。
「だーれがゲイや! このドアホ! 俺は至ってノーマル! この顔と体は生まれつきや!」
「だから『天然』と言ったじゃろう。外見がゲイなら、中身はゲソ級にお粗末じゃな」
「ーーーーーーーっ!」
 声にならない声を発し、倖介は限界を超えた怒りに一瞬白目をむいた。体が重力に引かれて沈んでいく。だが、膝が折れた直後になんとか意識を取り戻した。そして秋雪の肩を両手で力一杯鷲掴むと、凄絶な表情を向けてくる。
「とにかく、後は任せたで。これ以上ココにおったら気ぃ触れそうやから、退散させて貰うわ。聞きたいことあったら、ココに連絡してくれ。俺の携帯のナンバーや」
 乾いた声で言いながら指先を振るわせて、小さなメモを秋雪に握らせた。
「ほなな……」
 力無く言い残し、よろけながらエントランスへと向かう。
「カマを掘るのは車だけにしとけよー、きゃははははは!」
 沙耶の下品な追い打ちが甲高い笑い声を伴って、倖介に突き刺さった。わずかに足を止めたが、結局後ろを振り返ることはなく、倖介は黒いオーラと共に部屋を出る。自動ドアが静かに締まり、しばらく立った後で、「♂ーの、¥$%@が、★で§£と¢∞と♀uは≒なんじゃボケー!!」と遠くの方から意味を成さない言葉が聞こえた。続いて大きな破壊音。何が起こっているのかは想像に難くない。
「やー、からかい甲斐の有る奴じゃったのー」
 満足そうに笑いながら、沙耶は勝者の笑みを浮かべる。
(結構、良い奴なのか……? アイツ……)
 少し倖介に同情しながら、沙耶の方を見た。それに気付いた沙耶は、何事もなかったかのように屈託のない笑顔を返す。
「さて、しばらくは会社も休みじゃな。秋雪と長くいられてワシは嬉しいぞ」
 その言葉を秋雪は素直に喜ぶことは出来なかった。

■Viewer Name: 九綾寺水鈴 Place: 社員寮自室 PM10:56■
「冗談じゃないわよ!」
 薄暗い部屋の中、水鈴は一人で酒をあおりながら怒鳴り散らしていた。
 ダンッ、と強化プラスチックのボードにグラスを叩き付けるように置く。中に入っていた琥珀色の液体が飛びはね、水鈴の白い手にかかった。だが別に意に介した様子も無く、そのまま顔をボードの上に預けて体を弛緩させる。冷たい感触が頬に伝わった。
 そのボードのスタンドであるスチール製の黒いフレームを、絶えず足で蹴りつけながら、熱い吐息を吐く。もう随分と出来上がっているようだった。
「なによ、なんであんな奴が管理者に選ばれるのよ……」
 ぼやける視界でグラスを見つめる。ゆらゆらと揺れる液体の動きを目で追いながら、水鈴は秋雪の顔を思いだした。
『初めまして。神薙秋雪と申します。今日からここで働かせていただくことになりました。どうぞヨロシクお願いします』
 入社直後。上司への挨拶回り。中途採用と言うことで、しばらく目をかけていたが、別に特別な能力があるわけでもない。よくこの会社に入ることが出来たな、と水鈴は何度も思った。だが元管理者であれば納得が行く。恐らくは政府からの大きなコネでも有ったのだろう。
「卑怯者……」
 わずかに瞳を潤ませながら、水鈴はポツリ、と呟いた。
 『ナイン・ゴッズ』はゲームとして一般公開される前は、政府の上層部のみが使用できた電子空間サイバー・スペースだった。遠くにいながら、顔をつきあわせて会議が出来る。相手の視線の動きや顔色、身振り手振りまで鮮明に反映するバーチャル空間。
 だが、その超技術を一部の人間だけに使わせるのは惜しいと言う発言があり、超体感ネットゲームとして一般公開された。ソレが『ナイン・ゴッズ』だ。
 『ナイン・ゴッズ』を利用するために必要な、IDとパスワード、アクセスバンドに携帯型ログイン端末は無償で政府から支給された。さらに利用費用もコレまでの民間会社のネットゲームと大差ない。
 ユーザーは最初こそ戸惑いがあったものの、ほんの数ヶ月で『ナイン・ゴッズ』に病み付きになった。
 ゲームとは思えないほどの体感のリアルさ。コレまで空想でしかなかった魔法の使用。仮想空間の世界は広大で、ドームと呼ばれる閉鎖空間の中に存在する現実世界とは比べ物にならない。すべてのユーザーが民間会社との契約を解約するのに時間はかからなかった。
 白旗をあげることを余儀なくされた民間会社は、経営の方向性を変える。これまで培ってきたネットゲーム上での発想や情報を元に、『ナイン・ゴッズ』を介したサービスの提供を始めた。水鈴がいる会社はその中でもトップシェアを誇っている。当然、出世競争は苛烈を極めた。
(私はずっと一人でやってきた……。自分の力で人脈を築き上げ、自分の力だけで上に行けた。周りの期待以上の成果を出し続けてきた)
 グラスの中の氷がカラン、と澄んだ音を立てて崩れる。水鈴は体を起こすと、残ったアルコールを一気に飲み干した。熱い塊が喉を通り、胃に達する。その感触をゆっくりと味わいながら、湿った吐息を漏らした。
『スイマセン、まだ出来ていないんです。何とか今日中に仕上げますから』
 必死に低頭して水鈴に許しを請う秋雪の姿を何度も見てきた。苛立ちを感じつつも、そのたびにどこか優越感に浸っていた。
 ――私だったら、三日前には仕上げている。
 秋雪に限ったことではない。他のどの社員よりも水鈴は仕事が速く、そして正確だった。だからこそ今のポジションにいる。それが水鈴のすべてだ。自分がどんな人間かと聞かれた時、水鈴は迷うことなくこう言うだろう。
 ――『ナイン・ゴッズ』へのサービス会社の中で、トップシェアを誇る企業の部長だ、と。
(昔から……私は周りの目を気にして、その期待に応えて、そして褒められてきた……)
 それは嬉しかった。だが、そのたびに周囲の希望度合いは増長していく。過剰な期待をかけられ、押しつぶされそうになりながらも、必死になって頑張り続けてきた。頑張らなければならない理由があった。
(父さん……待ってて)
 水鈴は幼い頃、両親が離婚し、母親に引き取られていた。そんな家庭の事情もあり、母はそれを機会に英才教育を始めた。
 友達と遊ぶ時間を削られ、自分のスキルを高めることだけに注力させられた。良い学校を卒業して、良い会社に勤めて、良い人と結婚する。水鈴の母は、そんな時代遅れのステレオタイプな思想の持ち主だった。
 だが、それでも水鈴は良かった。いい成績を出せば、母だけではなく周りも自分を褒めてくれる。自分を認めてくれる。そしていつか、父親と母親を仲直りさせることが出来る。水鈴にとって、動機はソレで十分だった。
 しかし、いつまでも同じレベルの成果では納得行かない。周りの人間も、そして水鈴自身も。
 学校のテストで満点を取った次は、学内で一位にならなければならない。次は全国模試で一位に。次は有名大学に入学。次は大学で研究成果を上げて、論文発表。次は優良企業に就職。次はそこで成果を上げ、そして上位のポジションに着かなければならない。
 次は、次は、次は。
 ハードルは上がり続け、水鈴の負担も大きくなる。だが、それらをすべてクリアして来た。
(私は、出来る人間なんだ……。他の人が出来なくても、私なら出来る……)
 際限なく上がり続けるのは何も周りの期待だけではない。自分への絶対的な自信。肥大した自意識は、孤高のプライドを確固たる物に仕上げていく。そして完璧であり続ければ、あり続けるほど、それが崩壊したときの恐怖も膨れあがる。
『お前の部下に神薙秋雪って奴がおるやろ。アイツな、はぐれ管理者や』
 倖介の言葉。それは、水鈴の世界観を根底から覆すほどの破壊力を持っていた。
(管理者……思考具現化端末デモンズ・グリッドのランクSってどういう事よ……)
 空になったグラスに、なみなみと琥珀色の液体を満たす。室内に充満するアルコールの匂い。水鈴がこれ程崩れたのは初めてのことだ。ここまで弱々しい姿は、親にさえ見せたことはない。それほど、秋雪に思考具現化端末デモンズ・グリッドのランクで劣っていたことは衝撃的だった。
 思考具現化端末デモンズ・グリッドのランクは一般ユーザーにはF〜Aまで用意されている。ただし、遊び感覚で『ナイン・ゴッズ』をうろつき、エネミー・シンボルを倒したり、クエストをこなしたりして上がるランクはDまでだ。それ以上は特殊なデバイスを入手して、ランクアップ上限を解除しなければならない。
 そして、その特殊なデバイスの入手というのが曲者だった。
 『ナイン・ゴッズ』は政府の管轄下にある。その管理者は実質、政府の運営権を握っていると言っていい。思考具現化端末デモンズ・グリッドのCランク以上はそう言った、政府の人間に近づくことと見なされるのだ。つまり、ランクアップ上限を解除するデバイスを手に入れるためには、社会的に地位の有る人間に取り入らなければならない。平たく言えば、根回しが必要なのだ。
(飛び込みの営業……嫌な接待……微塵も思っていない美辞麗句の羅列……セクハラなんて、数えるのが馬鹿らしくなるくらい受けた)
 酷い時には肉体関係を迫られたこともあった。勿論、出来るだけ穏便に断ったが。
 自分を偽り続けて政府の人間との友好な関係を構築し、必死に上を目指した。
 水鈴のような人間は珍しい。ランクC以上は殆どが世襲制だ。使いこなせもしないのに、政府関係者の子供だというだけで高いランクの思考具現化端末デモンズ・グリッドを保持している。だから、ランクBのプレイヤーがランクDのプレイヤーに負けることも珍しくない。思考具現化端末デモンズ・グリッドはランクが上がれば、行使できる権限範囲が広がり、戦術性も飛躍的に増すが、その分扱いが難しくなる。
(せっかく苦労して手に入れたAランクの思考具現化端末デモンズ・グリッド……管理者補佐システム・エージェントの地位……)
 管理者補佐システム・エージェントはAランクのプレイヤーから、管理者が自分の手駒として独断と偏見で選出する。そして、次の管理者はその管理者補佐システム・エージェントの中から管理者が選ぶ。つまり、管理者補佐システム・エージェントとは、次期管理者候補なのだ。
 それだけの資格を得ている水鈴が、会社内で優遇されないわけがない。
 事実、管理者補佐システム・エージェントという肩書きは出世に大きく影響した。ソレがなければ、今のポジションに入られなかっただろう。
 波瀾万丈の人生。しかし苦労した分、報われた。水鈴の夢は管理者となり、両親のヨリを取り戻すこと。その夢にようやく手が掛かったと思った時、秋雪のことを知らさせた。
『アイツな、はぐれ管理者や』
(なによ、はぐれ管理者って……意味分かんないわ)
 水鈴が夢見ていたポジションにすでに秋雪はいた。確実に格下たど思っていた人間が、実際は格上だった。なにより一番気に入らないのは、そのことを隠し続けていたことだ。管理者であることを告げれば、確実に今のポジションよりも遙か上に行くことが出来る。水鈴には、隠すことのメリットが見つからなかった。
(管理者権限使ってIDの再発行までして、ランクをDに落として、人にこき使われて、へらへらして……)
 何のためにそんなことをするのか理解できない。水鈴の価値観とは正反対に位置する。愚の骨頂以外の何物でもない。
(管理者って、思ったほど良くないのかな……)
 管理者になればどういった境遇に置かれるのか。それはなってみなければ分からない。
(アイツ、強いのかな……)
 秋雪と実際に戦いはしたが、水鈴の方から一方的に攻撃しただけだ。秋雪はただ、何もしないで立っていただけに過ぎない。
(分からない、分からないことだらけよ……)
 アルコールが回る。視界が狭窄し、意識が薄れていく。
(とにかく、今私がしなければならないことは……)
 混濁する思考の中、倖介に言い渡された命令をかろうじて思い出す。
『お前がやるんは、秋雪の無断欠席を庇うこと。それと――』
(監視すること……)
 何故、監視しなければならないのか。理由は聞かされていない。とにかく秋雪の捜査状況を聞き出して、逐一報告することを命じられた。
(私、何でこんなコトしてるんだろ……)
 疑念で頭が一杯になる。しかし、それを解決する手段は持ち合わせていない。
 明日は確実に二日酔い。仕事は巧くいくだろうか。そんなことを考えながら、水鈴は静かに目を閉じた。




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