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ナイン・ゴッズ―秋降る雪は永遠に―

■Viewer Name: 神薙秋雪 Place: A地区メイン・ストリート PM2:15■
 ドームと呼ばれる閉鎖空間。それが、今の現実世界に残された居住区域のすべて。AからZまで二十六の地区に区分けされたその場所に収容されている人口はわずか一千万人。
 日照時間や天候、気温、空気の成分まで政府の人間によって管理されている。そこは一切の自然物を排除し、万物を制御下に置こうとした結果生み出された人工都市。
(もう一つ位で今日はお終いにするかな)
 秋雪は何気なく上空を見上げながら、細い溜息をついた。
 中空にはエアカー専用の道である巨大なクリアパイプが、ビル群の間を血管のように縦横無尽に走っている。
「さてさて、秋雪。次はどの共用型固定端末ターミナル・ボックスでログインするのじゃ?」
 頭上から沙耶のはしゃいだ声がした。秋雪は今、沙耶を肩車の状態で運んでいる。端から見れば父親が子供に家族サービスを行っているように映るのだろう。その微笑ましい光景に、時折周囲からは暖かい笑い声がした。
「そうですね……」
 秋雪は視線だけを左右に振る。
 ビルの壁面に張り付くようにして浮遊し、最新情報を提供し続ける巨大ビジョン・スフィア。ロータリーに設置された立体ホログラムは、様々なマスコットを映し出して人々の目を楽しませる。その脇には、この地区の治安維持に多大な貢献をしているガードロボット。そして新陳代謝を高める光を照射する、ヒーリング・レイが内蔵された街灯。
「アレにしましょうか」
 秋雪が指さした先にあるのは、黒いボックス。丁度人が一人入れるくらいの大きさの直方体で、外装は無く極めて無骨であるが、すこぶる頑強さを誇る金属で設計されている。『ナイン・ゴッズ』にログイン中はリアル体が全くの無防備になるため、それを保護する手段には細心の注意が払われているのだ。
 その共用型固定端末ターミナル・ボックスが使用されている事を示すランプは、現在点灯していない。
「よーし、ならば行け!」
 沙耶は秋雪の銀髪を握りしめながら、ソレで舵を取るかのように前に向かって引っ張った。
「いたたたたっ、はいはい。すぐに行きますから」
 苦笑を浮かべながら秋雪は小走りに、黒いボックスへと近づく。
(まぁ、機嫌も直ってくれたようだし、よかったよかった)
 雨のせいで長く続いた室内生活の鬱憤を晴らすため、沙耶は体が壊れんばかりの勢いで秋雪に外出をねだった。倖介からの依頼により、堂々と会社を休んで良いことになった秋雪に断る理由もなく、二人はとりあえずマンションの周りを散歩し始めた。
(まぁ、僕も丁度外に行こうと思っていたことだし)
 ドームの天蓋を覆うように貼り付けられ、晴天の情報を反映しているウェザー・シートを見上げながら、秋雪は目を細める。
(夜崎倖介の言うとおり、例のプレイヤー・キラーを見つけるには、とりあえず電子トラップをしかける所から始めた方が良さそうだ)
 かつて秋雪がその使用を得意としていたアシスト・デバイス”ウェブ・スカベンジャー”。それはすなわち蜘蛛の巣を張ること。違うのは、その糸がプログラムで出来ているということだ。その巣にかかれば、自分がログインしていなくても、アクセスバンドを通じて罠にかかったプレイヤーの情報がもたらされる。
(だが引っかかる……)
 この電子トラップは確かに管理者の中では、秋雪が最も得意だったが、別に他の管理者が使用できない代物ではない。
(まぁ、久遠が絡んでいることだ。何か裏があるに決まっているさ)
 そう分かっていてもこの依頼を断るわけには行かなかった。それだけの恩を、秋雪は久遠に感じていた。
「まっ、待てっ、秋雪! ストップじゃ!」
 流れる歩道を横切ろうとした時、沙耶が悲鳴に近い声で秋雪を静止させた。
「どうかしましたか?」
 少し前のめりになりながら、秋雪は慌てて立ち止まる。少し首を曲げて沙耶を見上げると、真横を睨み付けるように凝視していた。秋雪もそちらに顔を向ける。
 ビルとビルに挟まれた暗い空間。言われなければアッサリ見過ごしてしまいそうな場所。あらゆる視点から死角になっている。今いる位置からでないと、その全容を視界に収めることは出来なかった。
「仔猫じゃっ! 仔猫が、他の猫に虐められてておる!」
 焦燥に駆られた声で言い捨てると、沙耶は秋雪の肩から飛び降り、脇目もふらずにビル街に向かって走り始める。
「あっ! 危ない!」
 幸いそちらの方向には車道はなかったが、何度も人にぶつかりながら沙耶は目的の場所を目指した。ひらひらと舞う、紅い着物の後を秋雪も追う。歩道を駆け抜け、ビルとビルの間で黒いボブカットの少女を見つけた時には、事はすでに終わっていた。
「よーしよし。もう大丈夫じゃからなー」
 柔らかそうな生地の着物の袖で、怯えた仔猫を包みながら沙耶は優しげな声を掛けていた。助けに入ったときに引っかかれたのだろう、ほっぺたには数本の浅い切り傷がある。
「まったく……無茶して」
 周りの人間は何事かと沙耶の方を見ていたが、秋雪の到着を保護者の出現と見たのか、少しずつその場から離れていった。再び周囲にとけ込んだのを確認して、秋雪は沙耶の頭をそっと撫でた。
「大丈夫ですか?」
「ワシは大丈夫じゃ。しかしコイツが……」
 いつにも増して元気そうな顔を秋雪に向けた後、不安げな表情になって仔猫を見る。
 体長二十センチほどの小さな猫だった。白と黄色の縞柄に、碧色の瞳が特徴的だ。
 仔猫は耳を折り畳み、体を小刻みに震わせながら、すがるように沙耶に身を預けている。
「のぅ、秋雪。お願いが、あるのじゃが……」
 どこか申し訳なさそうな、それでいて期待と昂奮に熱を孕ませた声で、沙耶は上目遣いに秋雪を見た。
(やっぱりそうきますか……)
 次にどんな言葉が来るのかくらい、容易に想像できる。
「飼――」
「ダメです」
 沙耶が何かを言う前に、秋雪は言葉を被せた。沙耶が半眼になって、今度は睨み付けてくる。
「まだ全部言ってないではないか!」
「言わなくても分かります」
「ならば、何故ダメなんじゃ!」
 ムキー! と歯を剥きながら、沙耶は抗議の声を上げた。胸元で抱いた仔猫を更にきつく抱きしめ、宝物のように扱いながら口をとがらせる。
「僕の住んでいるマンションはペット禁止なんですよ。分かっているでしょう?」
「ならば、そこを何とかしてくれ! 後生じゃから!」
「ダメな物はダメです。追い出されて住むところが無くなっても良いんですか?」
 秋雪はとりつく島もなく、沙耶の提言を退けた。
 冷たい態度にめげることなく、沙耶は頑張って頼み込んでくるが、秋雪は首を縦に振らない。
 そんな状態が十分近く続いた後、沙耶は目を閉じて溜息をつき、軽く顔を横に振った。
(ようやく諦めてくれたか)
 胸中で安堵の息をもらす秋雪。沙耶は恨めしそうな表情で、秋雪を一瞥した後ポツリと一言。
「ワシの時は助けてくれたのに……」
 その言葉で秋雪に動揺が走る。微かに頬を痙攣させた後、眉間に皺を寄せた。
 この状況を好機と見たのか、沙耶は秋雪を指さして、まくし立てるように叫んだ。
「虐められていたワシを助けてくれた時、お前はどんな気持ちだったのじゃ!」
「う……」
 一歩、後ずさる。
「あの時、何故お前は優しい声を掛けてくれたのじゃ!」
「うう……」
 さらに、もう一歩後ずさる。
「お前のおかげでワシがどれだけ救われたか、お前は理解しておるのか!?」
「うわわわああぁぁぁ!」
 感謝の意を表明しているのか、罵倒で脅迫しているのか、イマイチ理解できない秋雪だったが、それでも精神を大きく揺さぶられたことは確かだった。さらに、一度は散開した周囲の人間が、再び秋雪と沙耶のやり取りを食い入るように見守っている。
「わ、わかりました……」
 秋雪は咳払いを一つして強引に平静を装うと、ポケットからマンションのカードキーをとりだした。秋雪の生体情報が記録されている。
「とりあえず、帰っていてください。僕はまだやる事がありますので」
「やったー! これじゃから、秋雪が大好きなのじゃ!」
 満面の笑みを浮かべて歓喜すると、沙耶は秋雪からひったくるようにてカードキーを奪い、あっという間にその場から姿を消した。
 残された秋雪も、大勢の人間が見守る中、こそこそと身を小さくして抜け出す。そしてそのまま何事も無かったかのように共用型固定端末ターミナル・ボックスに足を向けた。
(あれから、そろそろ五年はたつかな……)

 ――On Line――
■Viewer Name: 神薙秋雪 Place: ナイン・ゴッズ PM2:58■
 弧月を湖面に浮かばせ、水面は緩やかに脈打っていた。
 冷たい夜の風が、秋雪の頬を撫でるように通り過ぎていく。その視線の先。冴え渡る月光に照らされ、浮かび上がるようにして存在しているのは、西洋風の古城。
 真ん中の巨大な尖塔を守護するかのように、その周りには六本の監視塔が直立している。
(さて、と。さっさと電子トラップを仕掛けてログアウトだ)
 ログイン時、『ナイン・ゴッズ』に用意された巨大大陸アピスでの出現場所は、前回その端末を使用した者がログアウトした場所と同一になる。広大な空間である大陸アピスの移動手段として、ランダム要素の高い共用型固定端末ターミナル・ボックスからのログインは、娯楽の一つとして腕に自信のあるユーザーの間でしばしば用いられた。
 今回、秋雪もそれを利用して、アピスの様々な地域に罠を張っていた。
【セカンド・サーバーからの読み込みを開始します。
 アシスト・デバイス "Web_Scavenger" を常駐。

 管理者権限でのアクセスを確認。デバイス能力の限定を解除します。
 超巨大規模プログラム "Dragon_Lore" のサブユニットを併用、常駐しました。
 展開範囲を拡大します】
 管理者がもつSクラスの思考具現化端末デモンズ・グリッドを起動させ、電子トラップを展開する。淡い光の粒子が秋雪を中心として広がり、半径数十キロに及ぶ巨大な二次元の円形が広がって行った。
 それに接触したプレイヤーの情報が、秋雪の思考具現化端末デモンズ・グリッドにすべて記されていく。
(あそこにいるのは全員Dランクのプレイヤーか)
 城の方を見ながら、何となく思う。
 例のプレイヤー・キラーにロストさせられた五人の中にはAランクの者もいる。となれば、それ相応の力を持っているはず。さらにリアル体にまで影響を及ぼすことの出来るデバイスを使いこなすとなればSクラスの思考具現化端末デモンズ・グリッドの保持者、つまり管理者の誰かである可能性もある。
(まぁ、そんな物騒なデバイスを使って、網にかかればすぐに分かるさ)
 先程、沙耶が拾った猫のことを考えながらログアウトの処理をしようとした時、秋雪の思考具現化端末デモンズ・グリッドに信じられない文字が映った。
【――アシスト・デバイス "Web_Scavenger" よりの受信情報――
 全ステータス情報……測定不能
 使用可能デバイス……不明】
 そして、一番最後の行に短く記される。
思考具現化端末デモンズ・グリッド:ランクSS】
「っな!?」
 思考具現化端末デモンズ・グリッドのランクがSSである人物は一人しかいない。
 管理者を管理することの出来る権限を持つ者。政府における最高責任者。絶対権力の持ち主。『ナイン・ゴッズ』におけるルールそのもの。
(久遠……!)
 半透明の黒いモニターに白い文字で表示されている、ランクSSの人物との距離が凄い勢いで縮まって行く。二十キロから始まり、数秒後には五キロに、そして一呼吸の間に百メートルになり、一回の瞬きの後にゼロになった。
(やばい!)
 久遠の持つ権限ならば、本来死ぬことのない管理者をロストさせる事も可能だ。
 殆ど本能的に危険を感じ、秋雪は大きく跳躍してその場から離れる。
 コンマ数秒後、さっきまでいた場所に大きなクレーターが出来ていた。しかし轟音はない。爆風も来ない。ただ悪夢のような結果だけが、確かにそこに存在していた。
「さすがだな、秋雪。いや、レノンザードか。私を捕らえることが出来るのは、お前の電子トラップだけだ」
 凛とした、よく通る声。それは暗い闇を切り裂く一条の光のように、明確なコントラストを持って秋雪の耳に届いた。
 クレーターの中央に立っているのは、長く紅い髪を持つ女性。彫りの深い異国風の顔立ち。金色に輝く双眸。華奢にすら映る肢体に纏うのは白銀の鎧。肩、腕、胴、足。顔を除くすべての部位に存在する鎧は、体に密着することなく流動的に漂っていた。
「随分と盛大な歓迎の仕方ですね、久遠。それともクロイツと呼んだ方がいいですか?」
「好きな方で構わない。それに、離れて久しい想い人をもてなすんだ。もう少し派手にやってもいいか?」
 シニカルな笑みを浮かべながら、久遠は背中に生えた十二枚の白翼を使って、体を浮かせる。そして先程の攻撃に使ったであろう、冗談じみた大きさを持つ武器を片手で軽々と肩に乗せた。
「相変わらず、見る者を威圧する外見ですね」
「私の趣味でな。着せ替えゴッコもこの仮想世界の楽しみ方の一つさ」
 担ぎ上げた巨大な得物を更に高く上げ、攻撃の意思を示す。
 その武器は刃渡り十メートル、刃幅五メートル。それは剣と呼ぶにはあまりに程遠い、巨大な板だった。その左下に申し訳程度に持ち手が取り付けられ、久遠の細腕へと繋がっていた。
 板は青白い光を放ち、輪郭を朧にしている。まるでそれ自体が生きて呼吸しているかのように、明滅を繰り返していた。
「今度は本気で行くぞ」
「貴女の行動はいつも理解に苦しみますよ」
「愛情の裏返しというヤツだ」
 クック、と面白そうに顔を綻ばせ、久遠は上空から秋雪めがけて急降下を始めた。
【マスターキーを用いて上位からシステムにアクセスします。
 コマンド・シェル解除。
 ――プログラム・エディットモード起動――
 メイン・サーバー『アピス』より必要なデータを自動ダウンロードします。
 対衝撃属性シールド展開。対打撃属性シールド展開。対即死属性シールド展開。対状態異常シールド展開。対ソーサリーシールド展開。対精神属性シールド展開。
 ソースデータ コンパイル完了
エグゼキュート・ファイル "Ultimate_Defense" コンプリート Run】
 秋雪の眼前に琥珀色の盾が現出する。ソレは振り下ろされた久遠の剣と接触すると、わずかにたわんで力を殺し、エネルギーを吸収した。盾ごしに覗く久遠の顔が満足そうに弛んだかと思うと、剣と盾の接触点に力が加わり、その反動で久遠は秋雪との間合いを取る。
「安心したよ。腕は衰えていないな。状況判断、処理速度、そして度胸。いずれも問題ない」
「光栄ですね」
 久遠は巨大な剣を軽く空中に放り投げると、ソレは光の粒子を残し、空気に溶けるに様にして消えた。十二枚の羽根を折り畳み、久遠は秋雪の方に一歩、歩み寄る。
「どうだ。調査の方は。順調か?」
 秋雪のつま先から頭まで、品定めでもするかのようにゆっくりと金色の目を這わせた。
「まだ始めたばかりでしてね。とりあえずは電子トラップを張って様子見ですかね」
「また、犠牲者が出た。二人だ。明日にでも公になるだろう」
 そんな悠長な事は言ってられないとばかりに、久遠はわずかに語調を強める。
思考具現化端末デモンズ・グリッドのランクは?」
「AとFだ」
 久遠の答えに、秋雪は面白そうに眉毛をつり上げた。銀髪をかき上げながら、得心したように頷く。
「狙われているのはその二つのランクのプレイヤーですね。七人も連続すればほぼ間違いないでしょう」
 例のプレイヤー・キラーの仕業だと思われる過去の五件を調べだが、Aランクが二人、Fランクが三人だった。
「だろうな。だがそれが分かったところで、何の手がかりにもならんぞ」
 夜風に紅い髪を靡かせ、久遠は試すような視線を秋雪に向ける。それを受けて、秋雪は大げさに肩をすくめて見せ、意味ありげな微笑を浮かべた。
「でしょうね。でも、何もないよりはマシですよ」
「そうか。期待している」
 あまり感情を感じさせない声でそう言うと、久遠は秋雪から体ごと視線を外し、夜空に浮かぶ三日月に目をやる。しばらくそのまま沈黙が続き、数分たったところで久遠が思いだしたように言葉を紡いだ。
「ところで、『病気』の方はどうだ?」
「……おかげさまで」
 あまり思い出したくないことなのだろう。わずかに不平を混じらせ、秋雪は呟くように言う。
「それはなによりだ。しかし、お前も変わったな。まさかミュータントと同居しているとは思わなかったよ。毒を持って毒を制す、というヤツか?」
 体をそのままに視線だけを秋雪の方に戻して、久遠は片眉をつり上げて見せた。
 秋雪が何も答えないのを見て、更に続ける。
「あんなちっぽけなミュータント、『じん』の奴が暴走したら一瞬であの世行きだぞ」
「彼女には沙耶という名前があります。それにミュータントであることはあまり大きな声では言わないで下さい。沙耶自身も気にしていることですから」
「それは悪かった」
 再び月を見上げながら、久遠は別に悪びれた様子もなく短く言った後、小さく溜息をついた。そして、どこか思い詰めたような表情で秋雪の方に体を向ける。
「秋雪。もう一度、私の元で働く気はないか?」
「その件の関しては、六年前に決着しているはずですが」
 久遠に反論を許さない、強い言葉で秋雪はハッキリと言った。その答えが予想通りだったのか、久遠は少し悲しげな笑みを浮かべ、瞑目する。
「そうか、残念だ」
 冷たく、張りつめた空気が流れる。切り立った崖の上に立たされているような錯覚。ほんの僅かでも選択を誤れば、取り返しのつかない事態を引き起こしかねない。切迫した雰囲気が辺りを支配した。
「貴女は僕を買いかぶりすぎていますよ」
 意を決したように、秋雪は言葉を発した。ここが現実世界であれば、握りこんだ手にびっしりと汗を掻いていたであろう。
「そんなことはない。お前の力は非常に強力だ。単にソレを使いこなせていないだけに過ぎない。お前の方こそ、自分を過小評価しすぎだと思うぞ」
「『刃』の事を言っているのですか?」
「どうかな」
 意味ありげにそう言った、久遠の瞳に玲瓏な輝きが宿る。
 すべてを見透かし、内面を露呈させる視線。支配階級の者が纏う独特の雰囲気。気が付けばこちらが傀儡となり、操り人形と化している。名状しがたい屈辱感と、決して拭い去れない敗北感に秋雪は襲われた。 
「もう一度確認させてください。この一件が終わったら、僕を管理者から抹消してくれるんですね?」
 眉間に皺を寄せ、無理矢理絞り出したような掠れた声で言う。
「ああ。いつまでもお前に未練を残していても仕方ないからな。良い機会だ」
 秋雪が苦悩する様を楽しんでいるかのように、久遠は愉悦に満ちた表情で挑発的な笑みを浮かべた。
「その言葉、信じますよ」
「お前に対しては、私は常に誠実でいるつもりだが」
 いったん大きく気を吸い込み、そしってゆっくりと吐き出す。秋雪は深呼吸の後、少し余裕を見せて口を開く。
「まるで他のことに関しては別だと言いたげですね」
「疑り深いところは変わっていないな」
 秋雪の言葉に久遠は小さく笑い、思考具現化端末デモンズ・グリッドを立ち上げた。
「久しぶりに話せて良かったよ。機会が有れば、リアル体で話をしてみたいものだ」
「僕の方はいつでも歓迎しますよ」
 久遠の目の前で浮遊する、黒い半透明のモニターに白い文字が刻まれていく。
 最後に『ログアウト』と記され、久遠は片手を上げた。
「じゃあな。なるべく迅速な事件解決を願っているよ」
 ヴン、という耳障りな音と、光の粒子を残して、久遠の姿は消失する。
(……やっぱり、一筋縄ではいきそうにないな)

 ――Off Line――
■Viewer Name: 夜崎倖介 Place: 暗黒街 PM10:36■
 ドームの大部分はガードロボットの設置が進み、高い治安力を誇っている。また、一般使用許可のおりている武器の充実化や、対ミュータント用ウィルスの開発によって、自己防衛の手段も豊富になってきていた。
 しかし、そういった高いセキュリティに追いやられるようにして、アウトロー達のたまり場と化している区域が存在する。
 二十六に分けられた地区に属することなく、独自の文化とルールを築き上げてきた二十七番目の居住区域。通称、暗黒街。
 そこには清潔な水も、暖かい食べ物も無い。彼らを満たすのは、憎悪、嫉妬、執念。
 車のヘッドライトが刻む光の鎖も、闇を照らす街灯も存在しない。常に薄暗い、不気味な空間に妖しい光を放ち続けるのは、人外の瞳。
 存在するルールは至って単純――弱肉強食。
「相変わらず辛気くさい場所やなー」
 その陰惨な雰囲気の中で、場違いなほど明るい声を上げながら、倖介は顔に手を当てた。線の細い麗美な顔には、ソレを台無しにする無骨な白い治癒テープが張られている。
 沙耶が作った傷跡だ。 
「なー、お前らもそう思うやろー!?」
 長年放置され、老朽化が進んだ建物の一角に向かって、倖介は叫んだ。
 瓦礫と瓦礫の間に存在する闇が、突然せり出したかと思うと人の形を取る。まるで、影から生み出たようにして、数人の男達が物陰から姿を表した。
「おー、一発ヒットか。我ながらなかなかええカンしとるな」
 ケラケラと陽気に笑いながら、倖介は腕組みをして男達を見上げる。
 身長百八十はある倖介よりも、さらに頭一つ分高い上背。埃と泥にまみれ、薄汚れた衣服の下では、異常に発達した筋肉が隆起している。
 そして何よりも特徴的なのは、緋色の光を放つ両目。
 ミュータントが昂奮しているときに現れる特徴だ。
「おーおー、やる気満々っちゅー感じやなー」
 その軽い声には全く反応を示さず、五人のミュータントは無言で倖介を取り囲むように動く。陣形を取り終えた後、リーダー格とおぼしき一人が口を開いた。
「裏切り者が何のようだ」
「人聞き悪いのー。出世頭言わんかい」
 茶化す倖介にリーダー格は警戒を緩めることなく、目に怨嗟の念を込めて睨み続けている。倖介は肩をすくめて続けた。
「まぁええわ。お前らにちょっと聞きたいことがあってな。A地区からわざわざ足運んだんや」
 地区名は出来た順番にアルファベットがふられる。すなわち、A地区とは最初の街。このドームの中心区域だ。センターとも呼ばれ、政府組織が集結している。
「相変わらずA地区に住み続けているのか……このクズ野郎!」
 ミュータントは倖介の言葉に気色ばみ、声を荒げて叫んだ。
 当然だ。人間社会に順応しきれないミュータント達を、暗黒街に押し込む事を提案したのはA地区の人間達なのだから。
「まーそー、目くじら立てんなや。別に『大掃除』しに来たわけちゃうんやから」
 まとわりつく陰鬱な空気を払うように、長い髪の毛を手で梳きながら、倖介は唇の端をつり上げた。
 居住空間を広げるため、過去に政府が行った大規模な実験。その失敗によって生みだされた産物から逃れるために、このドームは建設された。
 放射線の異常放出。超高密度電磁場の形成。人体変異ウィルスの発生。
 様々な説が唱えられているが、未だ確定的な公式発表はされていない。ただ、明確な結果として残ったのは莫大な死者とミュータントの存在。ごく限られたスペースの人間を残し、被害に巻き込まれた人達は大多数が死滅。そして一部はミュータントへ変貌するにとどまった。
「俺達がA地区の奴らを嫌っている事は知っているはずだ。目的は何だ!?」
 相変わらず敵愾心を剥き出しのままリーダー格のミュータントは目を紅く輝かせる。他の四人は、いつでも飛びかかれるように身を低くして構えていた。発達した牙を覗かせて威嚇し、丸太のような腕に力を込める。ただでさえ分厚い胸板が更に一回り大きくなり力を躍動させた。
(こいつらに話し合い持ち掛けても無駄か……。ドタマ悪そうやからなー)
 倖介は嘆息して、ズボンのポケットに両手を入れた。
 ミュータントは人間をベースとしてはいるが、外見を始め、嗜好、情動などを異にする。中には人間性を完全に欠損し、動物のように本能のまま行動する者もいる。
 発生当初は、人間に忌み嫌われ、お互いに反目し合う日々が続いていたが、時間がその溝を徐々に緩和し、今では一般人として生活にとけ込んでいるミュータントも少なくない。
 だが、それは体つきが小さく、大人しい性格のミュータントだけ。頑強な肉体へと生まれ変わり、凶暴で粗雑な性格を有するミュータントは相変わらず人間達と敵対している。また、人間達の中でもミュータントというだけで疎外し、排除しようとしている者も多くいる。特に政府組織が存在し、ドームを作り上げてきた人間達の集まるA地区では、その傾向が非常に強い。
 ドームは元々、外からの異物の侵入を遮断するために作られた物。その異物の象徴とも言うべきミュータントがドーム内にいて、同じ空気を吸っていることに嫌悪感を示すのも、ある意味では自然な感情であった。
「長々とした口舌は抜きにしよか。単刀直入に言うで。『刃』って名前、知ってるやろ」
 倖介の言葉にミュータント達の間で、動揺と激情の熱が潮騒のように広がっていく。お互いに顔を見合わせながら、憤怒とも畏怖とも取れる複雑な表情を浮かべていた。
「ま、二十年近く立っとるとはいえ、さすがにこの暗黒街で忘れとる奴はおらんやろ」
「貴様! あのミュータント・キラーの知り合いか!?」
 物理的な力すら伴って、ミュータント達の殺気が倖介へとぶつけられる。先程までの危うい雰囲気からは一転し、露骨な敵意と殺戮衝動を持ってミュータント達は倖介へと襲いかかった。
「電磁シールド、オープン」
 間延びした倖介の言葉に応えて、イヤリング型のジェネレーターから白く細い線が発生する。ソレは何層にも渡って、倖介を中心とした真円を描き、繭のように体を包んでいった。
 ミュータントの巨大な手がその繭に触れる。次の瞬間、ビクン、と一度だけ体を大きく震わせた後、白目をむいて気絶した。
「馬鹿力でどーにかなる時代は、とーの昔に終わったでー」
 ダルそうに頭を掻きながら、倖介はリーダー格のミュータントに向きなおる。
 所々コンクリートが割れている道を、一歩だけ踏み出して近づいた。
「もう一回言うで。俺は『大掃除』しに来たわけやない。話し合いに来たんや。そこんとこ、ちゃんと理解してくれるか?」
 声を一オクターブ下げ、剣呑な視線で残った四人を威圧しながら、最後に気絶した一人に目を落とした。こうなりたくなかったらな、と暗に示している。
「……わ、わかった。とりあえず用件を聞こう」
 冷や汗を流し、声を震わせてリーダー格のミュータントは言った。
 その言葉に倖介は満面の笑顔で頷くと、
「英断や。ほんなら、聞くで。刃の面影、コイツにあるか?」
 シャツのポケットから掌サイズのフォト・メモリーを取り出し、その画面に秋雪の顔を映し出す。この前、秋雪のマンションに行った時に、ボタン型カメラで撮影した物だ。
 ミュータント達は、困惑した表情を浮かべながら視線で会話する。何度か首を振った後、リーダー格が頷いて終わった。
「残念だが、顔は見ていない」
「見てないやと? どーゆーこっちゃ」
 予想外の答えに、倖介は素っ頓狂な声で返す。
「あの悪魔はいつも仮面を付けていた。だから素顔は分からない」
「仮面……」
 呟きながら目を細めた。指先で耳をいじりながら、視線を中空に漂わせる。
(くっそー、せっかく久遠の言葉の裏付け取ろうお思ったのに……)
 倖介が久遠に聞かされた重大な情報。
 『神薙秋雪はかつて”ミュータント・キラー”と呼ばれた男だ。迂闊なことはするなよ』
 秋雪に例の依頼を持っていく際に、久遠に言われた言葉。
 それは、いまいち乗り気ではなかった倖介に、凄まじい活力を注いだ。
 ――ミュータント・キラー。
 今から約二十年ほど前に現れ、その後五年に渡ってミュータントだけを狙う大量殺戮を繰り返した存在。
 当時は今と違って治安も悪く、自己防衛のための道具もそれほど一般には出回っていない。そんな中、たった一人で何百というミュータントを葬ってきた。その結果ついた通り名がコレ。
 殺戮の方法や理由は一切不明。神出鬼没で、狙われた者は確実に殺される。
(あの秘密主義者の久遠が俺だけに教えた情報や。信憑性は高い。けど……)
 今回の依頼は他の管理者達には伝えられていない。
 知っているのは久遠と倖介。そして二人についている、一部の管理者補佐システム・エージェントだけ。さらに、秋雪と刃が同一人物である事を教えられたのは倖介のみで、他に漏れないように堅く口止めされている。
(久遠はまだ色々隠してるはずや。今回は俺自身ごっつ興味有るからな。いつもみたいに操り人形になったる気ぃはないで)
「秋雪……刃……ミュータント・キラー……」
 その言葉だけで体が熱くなっていくのが分かる。
 心臓が活性化し、血流が早くなる。言いしれぬ悦びと、昂奮の波が倖介の精神を呑み込んで行った。
(会ってみたいやないか……。都市伝説にまでなった人物に。確かめるんや。どんな殺人術を持ってんのか)
 喜悦に目を輝かせ、底冷えするような笑みをミュータント達に向ける。
 先程までの軽く、うわついた雰囲気は霧散し、濃密な狂気が空気に熔け出した。
「何でもええ、刃について他に知ってることはないんか」
 否応なく相手を威圧する低く、重厚な語調。ここで何も知らないと言ったら、どんな目に遭わされるか分からない。そんな焦燥に駆られた思考が伝わってくるようだった。
「じ、実は五年ほど前……俺達がA地区で暴れていた時に刃を見た」
「ほぅ。五年前に、ねぇ……」
 倖介は興味深げに目を細める。五年前と言えば、秋雪が管理者を突然辞めた次の年だ。
(それに、俺が久遠に見初められた年でもあるな。理由は未だにわからんけどな)
 一瞬頭によぎった五年前の光景を振り払い、倖介は気を取り直して言った。
「けどなんでA地区におったんや。お前らが嫌う場所と……」
 そこまで言って倖介はミュータント達から放たれる刺すような視線に気付く。それはA地区の人間の代表者に向けられている物ではない。倖介自身を射抜く物だ。
(そーか、そーか。ココを裏切った俺を探して制裁加えるために……。暇な奴らやのー。まー、仲間意識が強いんはええこっちゃ)
 胸中でかつての同胞に理解を示す。そして「あー」とダルそうに言いながら長い髪の毛を乱暴に扱い、気を取り直して続けた。
「で、そん時もやっぱり仮面着けとったんか」
「いや、仮面は付けていない。だが、顔が見える距離にいた奴は皆殺しにされた」
「ほんなら何で、そいつが刃やってわかったんや」
「雰囲気だ」
 その時のことを思いだしているのか、リーダー格のミュータントのはうっすらと額に汗を浮かべて、唾液を呑み込んだ。
「アイツが誰かを殺すときには、独特の雰囲気を纏う。いや、あれは雰囲気なんて生優しいもんじゃない。何か、こう……巧く言えないが、黒い影のような物が常にまとわりついていて、殺すときには必ずソレが光るんだ」
「黒い影、ねぇ……」
 その言葉を頭に刻み込むかのように、もう一度自分口で繰り替えす。
「その辺の話。もーちょっと詳しく聞かせてもらおか」




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