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ナイン・ゴッズ―秋降る雪は永遠に―

■Viewer Name: 葛城那緒かつらぎなお Place: A地区 政府官内 久遠自室 PM2:49■
 白い空間。約五メートル立方の白く塗りつぶされた部屋の中央に久遠は座っていた。
 そこには久遠の座る椅子以外何もない。外景を映し出す窓も、室内を彩る調度品も、時を刻む何かも。あるのは壁自体が放つ白い光だけ。
「久遠様。先程、神薙秋雪の部屋で夜崎倖介が死亡しました」
 久遠の前で膝を折り、恭しく頭を垂れて那緒は報告した。
「そうか」
 表情変えることなく久遠は素っ気なく言う。
 背中まで伸びた長く黒い髪を手で梳き、胡乱気な視線を那緒に向けた。吸い込まれそうな蒼い瞳。高い鼻筋。顔の彫りが深く、どこか異国的な雰囲気を醸し出している。
 防弾エナメル素材の黒いトレンチコートに身を包み、膝まである褐色のブーツに覆われた長い足を組み直して、久遠は低い声で続けた。
「牽制のつもりでミュータント・キラーの事を教えたんだがな。まぁいい。刃が始末してくれたおかげで手間が省けた」
「あの、久遠様……」
 那緒は申し訳なさそうに言葉を紡ぎ、上目遣いに久遠を見た。
「刃は……ミュータント・キラーはどうしてあのタイミングで現れたのでしょうか。それに、あいつが使っていたのはどう見ても思考具現化端末デモンズ・グリッド……。いったい……」
 それ以上、那緒の言葉は続かなかった。
 久遠の冷徹な視線が那緒を射抜いている。すべてを見透かすような、無限の深淵を秘めた双眸。心中を強制的に露出させられたような錯覚にとらわれ、那緒は体を強ばらせた。
「す、すいません」
 出過ぎた言葉に慌てて謝罪する。
「管理者は死なない」
 しかし、久遠の口から出たのは許しの言葉ではなかった。
「それは、ルールだ。光が影を生むのと同じくらい当然のルール。だから、アイツが出てきた。そして生き残った。生き残るべくして、な」
 那緒は久遠の言葉を呆然とした表情で聞いていた。
 単語の羅列があまりに断片的すぎて意味を成していない。
「え、えーっと……」
「ロゼの方はどうだ。反乱分子と、未洗脳者の始末は順調か?」
 理解に苦しんでいる那緒を無視して、久遠は別の話題を振る。とっさに頭を切り換え、那緒は問いに対する答えを探した。
「は、はい。久遠様が指名したAランクとFランクのプレイヤーは、殆ど現実死リアル・ロストリアル・ロストしています」
「急がせろ。刃が出てきた。予定よりも早い。アイツは秋雪とは違う。自分の用が済んだらロゼのリアル体を躊躇うことなく殺すぞ」
「わ、分かりました」
 また一つ、那緒の中で疑問符が浮かび上がる。
(『自分の用』……彼がロゼにいったい何の用があると言うんですの?)
「アイツのことだ。必ずロゼを挑発してくる。それに乗ったら奴の負けだ。まだ、ソウル・ブレイカーは完璧ではない。お前が行って抑えてこい」
「かしこまりました」
 立ち上がり、慇懃に礼をした後、那緒は久遠の部屋を後にした。

 ――On Line――
■Viewer Name: 九綾寺水鈴 Place: ナイン・ゴッズ PM3:39■
 それはちょっとした気まぐれだった。
 仕事も人間関係も巧くいかずイライラしていた時、会社の端末で何気なく見ていた『ナイン・ゴッズ』のネット掲示板に、面白いトピックスが掲載されていた。
 《クエスト『鮮血の宴』で、すでに九百人抜きしているプレイヤーがいる》
 書き込まれた時刻は今から二分ほど前。
 水鈴は気分転換にと、それを見るため『ナイン・ゴッズ』にログインした。
 巨大大陸アピスの中心都市、アピス・シティ。現実世界以上に発達した文明を誇る常闇の都市の中心部で、そのクエストは行われていた。
 透明な特殊シールドで覆われた、半径百メール程の半球隔離エリア。内部の照明を幾方向にも乱反射し、暗い世界に浮かび上がる様にして存在する空間は、さながら世界の中心で胎動する巨大な卵。卵細胞がたった一つの精細胞のみを招き入れるように、そこは一人のプレイヤーしか入場できない仕組みになっている。
 最上階が雲に呑み込まれるほど高度に直立したビル群に見下ろされ、『鮮血の宴』は行われていた。各地から『魔法』やテレポート・ゲートを使って転移してきた多くのプレイヤー達が、その戦いぶりに熱い視線を送っている。
 だが、生け贄となっているのは明らかにエネミー・シンボルの方だった。
「ッはぁ! 次ぃ!」
 隔離エリアの横に設置されたカウンターが、また一つ加算される。すでに九百五十を越え、エネミー・シンボルはすべてドラゴンタイプやデーモンタイプ等の巨大で凶悪なものしか出現しない。
 それらを相手に哄笑を上げ、喜々とした表情を浮かべながら、そのプレイヤーは血に酔いしれていた。『鮮血の宴』の演出の一つで、プレイヤーやエネミー・シンボルがダメージを受けた場合、それ相応の血に似せた紅い液体が、ダメージ箇所から吹き出すようになっている。
 だが、プレイヤーの方は全くと言っていいほど、血を滴らせていなかった。
 彼がエネミー・シンボルを一つ倒すたびに周りから歓声が上がる。当然だろう。通常、何人かでパーティーを組んでようやく一匹倒せるかどうかといったレベルのエネミー・シンボルを、たった一人で複数匹相手にしている。にも関わらず圧倒的に押しているのだ。
(あれ、は……)
 ものすごいスピードで縦横無尽に動き回るプレイヤー。その顔が視界をかすめた時、水鈴は驚愕に目を見開いた。
(神薙君……)
 銀髪を振り乱し、返り血を浴びて、狂ったように吼えているプレイヤーは秋雪だった。
 秋雪の両腕は肩までスッポリと、青白い輝きで覆われている。ソレは冷たい炎のように揺らぎ、流動的にまとわりつきながら、手の部分で鋭い爪となっていた。
「諦めろ虫けら!」
 秋雪の叫び声。歓喜と狂気を孕ませながら、秋雪はドラゴンの眉間に降り立ち、右の拳を力一杯突き立てた。
 黒光りする分厚い鱗が次々と捲れ、内蔵された赤い皮膚を露出させる。それでも拳の勢いは衰えることなく、更に奥にある灰色の脳髄を貫いた。
 物理力を伴った強烈な振動波。断末魔の叫び声が隔離エリア外に響き渡った。
「何だよ! 全然物足りねーな!」
 声と同時に秋雪の左手が白い光を放ち、青白い鉤爪が異常に伸びる。そして殺したばかりのドラゴンの頭を左手で鷲掴みにすると、力を込めた。朽ち木が枯れ落ちる様な音と共に肉片が四散する。その血肉や破骨物を、まるで祝福の光でも受けるかのように恍惚とした表情で浴びながら、秋雪は凄絶な笑みを浮かべた。
(違う……神薙君じゃない……)
 無意識に頭を振り、水鈴は隔離エリアから後ずさる。周囲の熱気を余所に、水鈴の周りだけ切り取られたように静寂が広がっていった。
 今、圧倒的強さを誇って歓声を浴びている神薙秋雪は、今まで自分の頭の中にいた神薙秋雪という人物像からは、あまりにもかけ離れていた。しかし外見の特徴や声色が酷似しすぎている。加えてあの強さ。彼が管理者という事であれば辛うじて納得がいった。
(そうよ、彼は管理者。こんなコトして良いはずないわ)
 管理者はあくまでも『ナイン・ゴッズ』を管理する立場であって、利用する立場にはない。そのために一般プレイヤーよりも強力な権限が与えられている。そこに違反すれば、それなりの罰則を受けることになる。そんな基本的な事は当然秋雪も知っているはずだ。
「どーしたさっきから。掠りもしねーな。よーし、じゃあ当ててみろ」
 秋雪の声と、割れんばかりの歓声で水鈴は我に返った。
 見ると秋雪が三匹のデーモンを挑発している。左手を腰に当て、右の人差し指を、撃ってこいとばかりに二、三度軽く折り曲げた。
 ソレを受けてデーモン達は、黒水晶のような瞳を紅く輝かせ、異常に筋肉のせり出した肩を更に膨らませる。背中にある巨大な蝙蝠の羽を広げて高く宙に舞い上がると、胸の前で手を合わせた。そして針のように鋭い体毛で覆われた手ををゆっくりと広げていく。
(上級暗黒ソーサリー、デッドリー・ゴー・ラウンド……。それが三つ。アレを受け止める気?)
 デーモンの両手で挟まれた空間に黒いモヤが掛かり、密度を濃くしていった。飴細工を作り上げるような手つきで、それを徐々に具現化させていく。そして黒い鎌を象った瞬間、三匹のデーモンは秋雪に向かって急降下を始めた。
 秋雪との距離が急速に狭まる。三匹のデーモンが、至近距離から同時に黒い鎌を放った。
(あたる!)
 水鈴がそう思った時、秋雪の眼前に一瞬だけ黒い物が浮かんで消えた。それは、本当によく見ていなければ見逃してしまうほど一瞬の出来事だ。
(今のは、思考具現化端末デモンズ・グリッド……。まさか、あれだけの時間で何かできたの?)
 水鈴の疑問に対する答えが目の前で起こっていた。
 秋雪に黒い鎌がとどくことはなかった。その前に琥珀色の盾によって阻まれ、勢いを殺されて霧散していく。
(アルティメット・ディフェンス……。それも完成型。メイン・サーバー『アピス』からのダウンロードをあの短時間で……)
「残念」
 勢いのつきすぎたデーモン達を待ち構えていたのは、秋雪の振りかざす青白い両腕。それが巨大な顎のように開き、取り込んだ獲物を咀嚼していく。
 ――そして、カウンターは九百九十九にたどり着いた。
「まさか、こんな形で会うことになるとはね」
 血にまみれた戦場には相応しくない透明感のある声。
 甘美な音色の中に毒を混ぜて、彼女は高い位置から秋雪を睥睨していた。
「なーに、少しでも早くお前に会いたくてな」
 声のした方に秋雪が視線をやる。両腕にべっとりと付着した鮮血を振り払いながら、悠然と体を向けた。
「第二ラウンドの幕上げた。ロゼ」

■Viewer Name: ロゼ=ローレンスヴィール Place: ナイン・ゴッズ PM4:11■
 ロゼは強制召喚されたその場所で、忌々しげに秋雪を見下ろした。
 照明を受け、夜闇に映える銀髪は血にまみれ、黒のタートルネックとジーンズからは幾筋もの紅い線がしたたり落ちている。迷彩模様のスニーカーで足下に転がるデーモンの頭部を踏み抜き、秋雪は不敵な笑みをこちらに返してきた。
(なんだ……コイツ)
 違和感。以前会った秋雪とは明らかに雰囲気が違う。
 血を浴び、暗い世界の中でなお爛々と輝く眸も、殺戮に酔い、悪魔的な冷笑を浮かべる酷薄な貌も、以前には無かった物だ。
「どーした。早く下りてこいよ。こっちは中途半端な戦いで、おあずけ喰らってんだ」
 そして相手を嘲り、自信に満ち満ちたふてぶてしい口調も。
「まぁ、いい……そんなことは事はどうでも、な」
(貴様が親の仇であることには変わりないのだから)
 ロゼは秋雪には聞こえない程度に、そう呟くと思考具現化端末デモンズ・グリッドを立ち上げた。
【マスターキーを用いて上位からシステムにアクセスします。
 コマンド・シェル解除。セキュリティ・デーモン解除。
 ――デバイス・エディットモード起動――
 オメガ・マトリックスのエリア指定。W−16XTフォルダへ移行します。
 痛覚付加プログラム "Endless_Pain" を常駐。
 管理者権限でのアクセスを確認。
 プログラムの限定解除。痛覚インジェクションの上限を抹消しました。
 ◆
 深層精神制御プログラム "Lost_Ancient" のサブユニットを併用……常駐。
 管理者権限によりプログラムの限定解除。感覚フィードバック率を百倍に設定します。
 ◆
 システム・エージェント解除。オメガ・マトリックスを離脱します。
 ID入力…….承認。第一パスワード入力……承認。第二パスワード入力……承認。第三パスワード入力……承認。
 メイン・サーバー『アピス』へのダイレクト・アクセスを許可します。
 フォルダー・ナンバー0013。シークレット・ランクS。
 ブラック・スキーム強制変換デバイス コード・ネーム 《Soul_Braker》 Run
 管理者権限によりデバイス能力の限定解除。変換能力を抹消能力にアップグレード。管理者及び管理者補佐システム・エージェントへのダメージ付加が可能です。
 ◆
 "Soul_Braker" をベース・デバイスとして "Endless_Pain" 及び "Lost_Ancient" のサブユニットをコンバイン。顕現します】
 ロゼの両手に黒い剣が現れる。二本のソウル・ブレイカーを固く握りしめ、ロゼは大きく目を見開いた。
「今度こそ……殺す!」
 裂帛の怒声と共にロゼは秋雪に狙いを定めて急降下を始める。空気が耳元で渦巻き、うなりを上げた。視界に映る物が真上へと加速する中、中心に捕らえた秋雪の姿だけが激的に大きさを増していく。
「はああああぁぁぁぁ!」
 下腹に力を込めると共に肺から空気を押しだし、右手の黒い剣へと力を連動させていく。剣を横に寝かせ、それを思い切り前に突き出す形で、ロゼは右のソウル・ブレイカーを秋雪の顔面めがけて叩き付けた。
 堅い手応え。秋雪は笑みすら浮かべながら、青白い光を放つ篭手で剣撃を受け止めていた。接触点に集中した力の塊が堰を切って溢れ、辺りに蒼い波動となって辺りに広がる。
「オオオオオオオオ!」
 咆吼を上げ、ロゼは左のソウル・ブレイカーを、受け止められた右の剣に重ねるように押しつけた。黒い十字架がまるで墓標のように秋雪の体にのし掛かる。
「チッ!」
 舌打ちを一つして秋雪は青白い篭手を傾け、剣からの力を逃がすようにロゼと体を入れ替えた。つっかえの外れたロゼの黒剣が解放され、秋雪の背後に凄まじい剣風を巻き起こす。ロゼは剣の勢いを殺さぬまま、秋雪が居るであろう場所に向かって追撃を掛けた。
 秋雪に背中を向けたまま放たれた剣撃はやはり堅い手応えに阻まれ、ダメージを与えるには至らない。
【マジックデバイスより攻撃用プログラム 最上級暗黒ソーサリー "Leo_Gu_Zord[レオ・グ・ゾード]" を読み込みました。
 ◆
 アシスト・デバイス "Crazy_Trans-gate" を常駐。
 使用可能な任意の攻撃プログラムを数値化。ベース・デバイス "Soul_Braker" の攻撃力に上乗せします】
 ロゼのもつ黒剣が暗い輝きを増す。鈍い感触が肩に伝わり、剣自体が生きているかのように胎動した。
「っな!」
 後ろからした秋雪の狼狽の声と同時にロゼは振り返り、その回転を利用してソウル・ブレイカーを横薙ぎに払う。右の黒剣を左腕でガードされたことを確認すると、僅かに開いた左胸に狙いを定め左の黒剣を突き出した。
 剣の切っ先が胸板に触れたのとほぼ同時に、秋雪はバックステップでソレをやり過ごす。液体の蒸発するような音を残して二人は距離を取った。
「いいねぇ。やっぱり戦いはこうでないとな」
 声を押し殺して笑いながら、秋雪は右手をロゼの方にゆっくりとかざした。青白い輝きが増し、鉤爪が呼吸するかのように明滅する。その手が緩慢な動作で開かれたかと思った次の瞬間、ロゼの視界が青白い世界で覆われた。
「――!」
 何も反応できない。
 気付いたときには顔面を掴まれていた。右一本で体を高々と持ち上げられたかと思うと、凍てつくような悪寒を伴った浮遊感が全身を襲う。
「っ……は!」
 背中に強い衝撃があった。吸気が気道を逆流し、乾いた空気が繊細な器官を削って吐き出される。地面に体を埋めながら、ロゼは眼前で紅い飛沫が舞うのを見た。
(な、ぜ……痛みが……)
 相手は自分と同じ管理者である秋雪だ。ダメージを受けることくらいは覚悟していた。しかし『ナイン・ゴッズ』には痛覚は持ち込まれない。ソウル・ブレイカーのように特殊な仕掛けを施さない限り、ダメージに痛みが付随することはないはずだった。
「まさか、お前の専売特許だと思っていたわけじゃないだろーな」
 ロゼを悠然と見下ろし、秋雪は銀髪をかき上げた。乾いて凝固した血液の残滓が風に舞う。
「元々この世界は久遠がオリジナルの思考具現化端末デモンズ・グリッドを使って創世した物だ。痛覚を無くすというルールくらい、こっちもオリジナルを使えば無視できる」
(オリジナルの思考具現化端末デモンズ・グリッド? 何を訳の分からないことを……)
 秋雪の意味不明な言葉に内心毒づきながらも、痛みを精神力で押し殺し、ロゼは右手に力を込めた。まだ動く。左手も大丈夫だ。両足も問題ない。骨にひびくらい入っているかもしれないが折れてはいない。一つ一つ自分の体の状態を確認していく。
(心拍数も正常に戻りつつある。出血は口の中だ。臓器まではやられていない。回復しなくても、攻撃に移ることが出来る)
 一通り自己診断を終えると、ロゼは最大の力を出せる機会を虎視眈々と窺った。 
「しかし組む相手を間違えたな。久遠はお前のことを捨て駒として見ていないぜ」
「……だ」
 ロゼは口の中で呻くように小さく呟く。
「あぁ? なんだって?」
「お……せ……だ」
 聞き取りにくい音を拾うため、秋雪は僅かに体を前屈させた。そして、ロゼの瞳が殺戮の狂気に輝く。
 ギリギリ射程範囲に入った秋雪の首筋に、渾身の力を込めて左のソウル・ブレイカーの先端を走らせた。至近距離から繰り出された何の予備動作もない攻撃。避けられる間合いではない。
「惜しかったな」
 しかし秋雪は黒い刀身を右手で掴み、平然と言ってのけた。
「判断力は悪くない。しかし姑息だ」
 意地の悪い笑みを浮かべて秋雪は手に力を込める。青白い光が一筋の束となり、何か呪的な紋字を中空に描いていった。紋字は螺旋を形作りながら、ソウル・ブレイカーを捕縛していく。
「っく!」
 本能的に危機を感じ取ったロゼは残った右の黒剣を動かそうと腕に力を込めた。その部分に灼熱の如き衝撃が走る。
「ガアアァァァァァ!」
 叫び声は自然に出ていた。大きく目を見開き、苦悶に顔を歪めながら、ロゼは首だけを右に向ける。肘から上が潰されていた。
「心配するな。傷はリアル体にフィードバックしていない。まぁ、痛みくらいは残るかもしれんがな」
 口の端をつり上げ、禍々しい笑みを浮かべながら、秋雪はロゼの左腕を潰した右拳をゆっくりと持ち上げる。
「やはりソウル・ブレイカーの原始情報は久遠が管理しているみたいだな。ま、最初から期待はしていなかったが」
 ロゼに馬乗りになった体勢で秋雪は嘆息した。ソウル・ブレイカーを包み込むように展開していた紋字はいつの間にか消えている。
 秋雪は立ち上がると、ロゼをどこか冷めた顔つきで見下ろした。そして事も無げに言う。
「じゃあ死ね」
 突き放したような口調。躊躇や呵責とは全く縁が無く、断定的で絶対的な韻を孕んだ言葉がロゼを射抜いた。
(殺られる)
 自分の顔に狙いを定めた右の鉤爪が、獰猛な野獣の牙のように映り、それがスローモーションのようにゆっくりと、確実に大きさを増していく。そして限界まで近づき――
「アッハハハハハ! 相変わらずパワホーだね! でも女性はもっとソフトに扱わないと、スーグにセイ・グッバイされちゃうよー?」
 オモチャ箱をひっくり返したような、拍子抜けに明るい声が秋雪の背後からした。その直後に秋雪が身を引く。さっきまで秋雪のいた位置を、巨大な黒い鎌が通り抜けていった。
「ピエロか……」
 舌打ちをして秋雪は忌々しげに突然現れたピエロ姿の男を睨み付ける。
「ブラッドって呼んで貰ってもいいかーい?」
 ピンクと黄色の縞模様にデザインされた三角帽を取って胸の前に持っていき、ブラッドは慇懃に礼をした。
 目が痛くなるような原色で彩られたピエロ衣装。顔に半分ずつ施された、好喜と悲哀のペインティング。
「空気の読めない奴はもっと嫌われるぜ」
「リアル体じゃバライティーに富んだトラブル、がっつり抱えてんのよー。このファンタジー・ワールドくらいガス抜きさせてくれてもいいんじゃねー? ミュータント・キラーさん!」
 叫び終わると同時にブラッドは秋雪に向かって疾駆する。派手な衣装に全く似つかわしくない凶悪な鎌を、後ろ手に肩まで持ち上げ、ボーリングの玉を打ち出すような姿勢で下から振り上げた。ソレを後ろに跳んで軽々とかわし、秋雪は喜々とした表情を浮かべる。
「なるほど、ストレス解消って訳だ。いいぜ、付き合ってやるよ。チップはお前の命だがな」
 続けて振り下ろされる鎌の軌道を冷静に見切り、秋雪は半身を引いて紙一重で避けた。鎌と秋雪との間はわずか数センチ。さらにブラッドは、振り切るタイプの攻撃終わりで体勢を大きく崩している。致命的だった。
「ゲェ!」
 カエルが潰された時のようなくぐもった声を上げ、ブラッドの体が大きく後ろに吹き飛ぶ。数回地面にバウンドし、ようやく衝撃が殺された。
「アッサリとは殺さない。横ヤリを入れたことを死ぬほど後悔させてから、殺してくれと泣き叫ぶまでお前の体を切り刻む」
 鉤爪の形で安定していた青白い光が揺らぎ、秋雪の手の中で形を変えていく。数秒後、それは刀身が二メートルはある巨大な剣に変貌していた。
「オー、イテテテ! 強いねー、ボーヤ! こーりゃ、油断してっとあっちゅー間に、閻魔様ハローってな事になりそーだ!」
 ブラッドは寝た体勢から両腕をたわませて地面を押し上げると、その反動を利用して軽い身のこなしで立ち上がる。
「ほぉ、その程度のダメージか。さすがは久遠の管理者補佐システム・エージェントだけのことはあるな」
「おーっと、そっから先はトップシークレットだ!」
 立てかけた鎌にもたれながらブラッドは右の指をパチンと鳴らした。それを合図にして透明だった隔離ドームが墨を流し込んだかのように黒く塗りつぶされていく。周囲からの歓声も全く聞こえなくなった。
「真っ暗でもノープロブレムだよね。だって俺達ダークサイドじゃん! 闇は友達じゃん! ヒャッハハハハハ!」
 狂ったように爆笑するブラッド。秋雪は両腕から放たれる青白い光のせいで、浮かび上がるように存在していた。ブラッドから見れば格好の的だ。
「何をしていますの、早くログアウトして」
 突然、ロゼの背後から声がした。今まで腕の痛みと、突然の闖入者に放心状態にあったロゼの体が小さく震える。
(この、喋り方は……)
 直後に風が吹き抜けた。その数秒後、秋雪の背後から音もなく鎌が現れる。まるで闇から生み出されたような漆黒の凶刃は、正確に秋雪の心臓部を狙っていた。秋雪は後ろを見ることなく、その攻撃を左手の鉤爪で弾く。
「っは! 姑息な戦術は久遠ゆずりか!」
 あらゆる角度から次々と繰り出される鎌を右手の剣と左手の鉤爪でいなしながら、秋雪は嘲笑を浮かべた。
「そこだ!」
 叫んで左の闇の中に腕をつっこむ。首を掴まれたブラッドが、鉤爪の放つ青白い光で浮かび上がった。だが鎌は持っていない。両手を顔の高さまで上げて掌と甲を交互に見せ、そのことを強調する。
「ちぃ!」
 慌てて身を低くした秋雪の頭上を鎌がかすめていった。鎌はそのままブラッドの手に収まると、再び空間を断裂する勢いで振り下ろされる。秋雪が身を引いたせいで光源か遠ざかり、ブラッドは闇の中へと熔け込んだ。
(すごい……)
 あの秋雪と対等の戦いを見せるピエロの姿をロゼは呆然と見ていた。そしてさっきの言葉を思い出す。
(悔しいが、今の私ではだめだ。もっとソウル・ブレイカーを進化させないと)
 思考具現化端末デモンズ・グリッドを立ち上げ、ログアウトのコマンドを選択する。
 本来必要な三十秒というタイムラグを無視して、ロゼの体は光の粒子を残して消え去った。

 ――Off Line――
■Viewer Name: 九綾寺水鈴 Place: A地区 マーケット・ウォール PM10:23■
 A地区の南端に位置するマーケット・ウォール。そこは昼間とは全く違った顔を見せる。
 浮遊タイプの情報発信端末であるビジョン・スフィアは、緩やかなグラデーションを経て変色するカラーボールへと変わり、空気にとけ込んだナノレベルの発光体が暖かい燐光を放ち始める。
 夜だけの開店を許可されたミュータント専用の特殊なバーからは、昂奮した客の放つ紅い光が絶えず、異様な賑わいと熱気に包まれていた。
「こんなところで会うなんて奇遇ね、神薙君」
 完璧にコーディネートされた蒼のスーツに身を包み、水鈴は待ち構えていたかのように秋雪を向かえた。事実、待ち伏せしていたのだ。
 最初にマンションで会った時、倖介が秋雪の体内に侵入させたチップは、水鈴の持つ携帯型ログイン端末に秋雪の居場所を知らせてくれていた。もちろん秋雪を監視するという命令を遂行するためだ。
 ばったりと出くわした秋雪の方は、一瞬戸惑いの表情を浮かべたが、すぐに真顔に戻って微笑を浮かべる。
「確か秋雪の上司だったな。いつも秋雪が世話になっている」
 銀髪をかき上げ、自分の事を他人のように喋る秋雪に水鈴は違和感を持たなかった。むしろ安心した。
「『鮮血の宴』、見たわ。あなたは誰? 最高管理者、紅坂久遠とどういう関係なの?」
 言葉の修飾を極力排除し、単刀直入に弾劾する。
 もちろん、『鮮血の宴』をクリアしたプレイヤーが目の前にいる秋雪だという確証はどこにもない。単に外見がよく似た、全く別のプレイヤーだという可能性も十分にあり得るのだ。
「何だ、見ていたのか」
 しかし秋雪は言い訳することも無く、あっさり認めた。
「まぁいい。あんたは秋雪の上司だ。これから秋雪を支えて貰わないといけないからな。知っておいた方がいいのかもしれない」
「何のこと?」
「色々と俺に聞きたいことがあるだろ? 俺も話しておきたいことがある。あの沙耶ってお嬢ちゃんが良いストッパーになってくれるかと思ってたんだが……別な方法を考えないといけないみたいなんでな」
 肩をすくめておどけて見せ、秋雪は軽く辺りを見回す。
 人間やミュータントの喧噪。そして旧式ガードロボットの放つ機械音。ここはA地区の中で最も開発が遅れた場所。奇妙な不協和音に包まれた、この空間に秋雪は懐古の視線を這わせ、一箇所で焦点を強く結ぶ。
「あそこがいいな」
 秋雪の目線の先にあったのは寂れた地下バー。人一人通るのがやっとといった出入り口の側には、申し訳程度の光を放つ照明看板が用意され、『ダーク・アイズ』と書かれている。とても客が入っていそうな雰囲気はない。
「あそこって……あそこに入るの?」
 不安げに声を上げる水鈴を気にすることなく、秋雪はダーク・アイズというバーに歩を進める。一瞬戸惑ったが、それでも水鈴は気丈に秋雪の後を追った。

■Viewer Name: 九綾寺水鈴 Place: A地区 地下バー『ダーク・アイズ』 PM10:43■
 予想通り他に客は居なかった。カウンターに四席と、二人がけの丸テーブルが二つしかないこじんまりとした内装だ。壁は防音と空調を一体化させた作りで、外に声が漏れる心配は無い。天井に取り付けられた不動のシーリングファンとクラシックの音楽が、レトロな雰囲気を醸し出していた。
「こういう場所はいい。暗黒街を思い出させる」
 白く淡い光を放つグラスを傾けながら、秋雪は呟く。
 水鈴は秋雪の向かいにあるテーブル席に腰掛け、落ち着かない表情で周りを見回した。まさか自分の部下と、それも少し前までは気にも掛けていなかった秋雪とこんな場所で話すことになるとは思わなかった。
(でも、彼が神薙君じゃないことは確実ね)
 喋り方から纏う雰囲気まで、何から何まで違う。秋雪を監視して変調が有れば倖介に連絡、という命令に従っているだけではなく、純粋に好奇心をくすぐられ始めていた。
「さて、何から話すか。……そうだな。まずは自己紹介からか」
 その言葉に水鈴は息を呑んだ。
「俺の名前は『刃』。秋雪がガキの頃に生み出した、もう一つの人格だ」
「じ、ん……? 人格って……神薙君が二重人格だって事?」
「そう」
 にわかに信じられる話ではなかった。だが、そう言うことであれば秋雪の豹変ぶりも辛うじて納得行く。
「秋雪が五歳の時、目の前で両親をミュータントに殺された。晩飯時の楽しい楽しい談笑は一気に阿鼻叫喚へと変わったよ。当時は今ほど治安が発達して無かったからな。あいつら、いきなり窓をぶち破って、母親の頭を棍棒みたいなやつで殴りつけやがった。勿論即死。父親は秋雪を庇って首の骨を折られた。で、まぁ、その時の精神的なショックを秋雪の変わりに受け止める為に俺が生み出されたって訳だ。名前は最初から決まっていた。秋雪の中にある凶暴性だけを集めて、俺の人格は形成されたからな。この銀髪も元々は黒髪だったんだぜ? どれくらい秋雪がショックを受けたか察してくれよな」
 頬杖をついてグラスを弄びながら、視線だけを少し上げて前髪を見る。まるで他人事のような淡々とした語りで刃は続けた。
「生まれたばかりの俺は、まず手始めに秋雪の親を殺しやがったミュータントをバラした。目玉をえぐり、歯をへし折り、爪と皮膚を剥いだ後、指の骨を一本一本砕いてやった。そんで生きたまま解剖して内臓を取り出てしやった。あいつら、可笑しいんだぜ? さっきまで、笑いながら秋雪の親殺しといて、自分の番になったら泣いて命乞いするんだもんな。反吐が出る」
 吐き捨てるようにそう言うと、刃はグラスに満ちている液体を一気にあおった。軽く手を挙げて、店のマスターにおかわりを注文する。
「で、でも待って。あなた五歳だったんでしょ?」
「どうやってそんなマネができたか、だろ?」
 運ばれてきたグラスを受け取り、刃は水鈴の言葉を先に言った。
「簡単なことさ。『魔法』を使えばな」
 そして、水鈴の目の前に黒い半透明なモニターが姿を現す。
 見覚えがあった。自分もよく使っている物だ。しかし――
思考具現化端末デモンズ・グリッド……どうして。ここは『ナイン・ゴッズ』じゃないのに」
 言葉を失った。まるで酷く出来の悪い合成写真でも見せられているかのようだ。これまで当然と思いこんでいた日常が、ある日突然蹂躙されて行くような錯覚を覚えた。
「『ナイン・ゴッズ』は久遠がこのオリジナルの思考具現化端末デモンズ・グリッドを使って創った世界だ。お前らがいつも使っているのは、コイツのレプリカって訳さ」
 黒いモニターが姿を消す。すぐに受け入れられる訳はなかった。いままで自分たちがバーチャルの世界で使っていた物が現実世界にも存在する。しかも、そちらがオリジナルとして。
「管理者は死なない。『ナイン・ゴッズ』ではそういうルールらしいな。現実世界でも同じさ。創世者は死なない。俺と久遠、そしてどこかにいる思考具現化端末デモンズ・グリッドを保持しているはずの七人はな」
 九人の創世者。創世者とは神。すなわち、ナイン・ゴッズ。
 確かに、現実世界で自分のよく知っている思考具現化端末デモンズ・グリッドを行使することが出来れば、それは神に等しい力だと言っても過言ではない。
 久遠が生み出したという仮想世界は現実世界のルールをそのまま模した物。そんな馬鹿なと否定して笑いとばしたい気分だった。しかし、実際に思考具現化端末デモンズ・グリッドを見せられた後では刃の言葉が偽りだとは思えない。
「他に、七人もいるの?」
 水鈴はグラスの中身を一口含んだ。度数の高いアルコールが、熱を帯びて胃に流れ込んでいくのが分かる。
「ああ。けどそいつらが使える状態にあるのかは分からない。こいつは創世者が死にそうになって始めて使えるようになるらしい。ヤバイ事態にならなければ、創世者だろうと一般人と変わらない生活を送ってる。秋雪の場合はミュータント共に殺されそうになると同時に俺と入れ替わったからな。今回も殺されかけると俺にバトンタッチって訳だ。相変わらず現実逃避が巧い奴だよ」
 言いながらどこか嬉しそうに笑う。まるで親が子供を思いやる時に見せる笑顔に見えた。
「殺されかけたって……いったい誰に?」
 こんな世の中だ。人一人死んだくらいで大騒ぎするほどのことでもない。しかし、自分の知る人物となれば話は別だ。水鈴は体の震えをアルコールで強引に押さえ込んで訊ねる。秋雪は要領は悪いが、真面目で誠実な青年だ。水鈴の知る限り、秋雪が誰かに命を狙われるほど恨みを買っているとは思えなかった。
「お前のよく知ってる奴だよ。夜崎倖介。あんたが仕える管理者だろ?」
 鈍器で頭を殴られたような衝撃が走った。
 水鈴は倖介の事をよく知っているわけではないが、人を平気で殺めたり出来る性格ではないと思っていた。いつも陽気で、飄々としていて。自分とは正反対の性格だったが、そこに惹かれてもいた。
「ウソ、よね……?」
「本当さ。あいつの話じゃ、元々秋雪を殺すのが目的だったみたいだぜ? 久遠の命令でな」
「訳が、分からないわ。紅坂久遠って言えばこのドームの最高責任者でしょ? その人がどうして……」
「ま、大方邪魔になったんじゃないのか? 自分と同じ力を持つ秋雪が」
 目の前が揺れた。アルコールが回り始めたのかもしれない。それに、次々と列挙される信じがたい事実が拍車を掛ける。
(オリジナルの思考具現化端末デモンズ・グリッド? 神薙君が創世者? ドームの最高責任者の紅坂久遠に命を狙われて……そして、そして……)
 夜崎倖介がその実行部隊だった。ならば、その命令に従っていた自分も秋雪の殺害計画に荷担していたことになる。
(私が、人殺しを……?)
 自分の両手を見る。グラスの結露で濡れた手の平。水滴が紅い鮮血に見えてきた。
 その妄想を振り払うようにグラスの中身を開ける。それを見ていた秋雪が鼻を小さく鳴らしてマスターに同じ飲み物を注文した。
「まぁ、今すぐ全部受け入れろってのは無理な話だ。ただ、あんたは今後……」
「私は――」
 刃の言葉を遮り、水鈴は俯きながら小さく、しかし強い語調で言葉を発した。
「私は、ただ上に行きたかっただけ。偉くなって、父と母を仲直りさせたかっただけなのに……どうしてこんな事……」
 静かに置かれた新しいグラスを強く握りしめる。液面に映し出された自分の顔は、酷く弱々しく見えた。
「私の父はね、時代流れに乗れなかったの。『ナイン・ゴッズ』がビジネスとして社会にとけ込んでも、それについて行くことが出来なかった。だから思考具現化端末デモンズ・グリッドのランクは低いままだった。けど、父は上げようと努力しなかった。こんな物使わなくても、今まで通り人脈と足を使って仕事に打ち込んでいれば大丈夫というのが、あの人の主張だったから」
 そこまで言ってアルコールを口にする。さっきよりも喉に熱を感じない。その代わりに体全体が火照ってくるのを覚えた。
「ある日、父は会社をクビになったわ。理由は単純。『ナイン・ゴッズ』でのビジネスに関して全く役に立たなかったから。再就職先を探そうにも、思考具現化端末デモンズ・グリッドのランクがFのままだった父はどこにも受け入れられなかった。そして、私の家庭は荒み始めた」
 水鈴の脳裏に、辛い過去の映像が浮かぶ。
 『俺を受け入れない社会が悪い』と自分や母に当たり散らし、何もしないで貯蓄を食いつぶす父。両親は当然のように離婚し、水鈴は母親に引き取られた。毎日のように『お父さんのようにはならないで』と言われ続ける日々を送った。他に頼る相手のいない水鈴は、母親の言う通り思考具現化端末デモンズ・グリッドのランクを上げ、良い学校、良い企業に行くことだけに専念した。
「…………」
 水鈴の独白を刃は何も言わずにただ黙って聞いている。機械的にグラスを口に運び、無くなれば同じ物を注文した。
「でもね、思考具現化端末デモンズ・グリッドのランクをC以上にするには強い人脈が必要なのよ。そして人脈を形成するには足を使わないとだめ。Aランクになって、管理者補佐システム・エージェントに選ばれる為には『ナイン・ゴッズ』の中にいるだけじゃダメだった。それは、昔から何となく分かっていたこと。だから……お父さんも正しいし、お母さんも正しいの。そのことを二人に分かって欲しかった。だから、私は頑張れた。絶対に二人を仲直りさせるって決めてたから。それでまた、『よくやったね水鈴』って褒めて欲しかった……」
 アルコールが回る。だんだんと、くだけた喋り方になっていることを自覚していたが、それを修正しようとは思わなかった。ただもう、すべてを吐き出したかった。ペースを狂わせるきっかけとなり、今また訳の分からないことを言って自分を混乱させる目の前に男に。
「それが、どうして……人殺しなんかの手伝いを……」
 熱い物が頬を伝う。顔を深く俯かせ、刃の視線から逃れた。涙が口内に侵入する。
 何年ぶりかに味わう不快な塩辛さを払拭するように、水鈴はグラスの中身をすすった。
「結構いい女じゃないか、あんた」
 刃の茶化すような言葉に水鈴は顔を上げて睨み付ける。
「最初はもっと嫌な奴かと思っていたよ。高飛車で、融通の利かない行かず後家かとな」
 くっく、と声を押し殺して刃は意地悪く笑った。
「何ですって!」
 ダン! とテーブルを強く叩き付けて立ち上がり、景気づけとばかりにアルコールを飲み干す。それを見た刃は薄ら笑いを浮かべたまま、マスターにお代わりを注文した。
「そう言うアンタはどうなのよ! アンタの浮いた話しなんて聞いたこと無いわ!」
「そりゃそうだ。なにせ最初の相手が久遠だったからな。女性不信になっても無理ないわけだ」
 愉快そうに言いながら、さらりと水鈴の話を受け流す。
「……どういうことよ、話しなさいよ。私だって話したんだから」
 久遠、という言葉で頭が冷えたのか、水鈴はもう一度座り直して先を促した。
「俺は五歳で創世者としての力に目覚め、それを使って暗黒街にたむろしていたミュータント共を掃いて捨てるほど殺してきた。秋雪の怒りを静めるためにな。ついたあだ名がミュータント・キラー。ま、五年間も殺しまくってりゃ無理もないけどな」
「ミュータント・キラー、ねぇ……。よく五年間も捕まらなかったわね」
 アルコールが完全に理性を駆逐していた。『殺す』という言葉よりも、純粋に自分が興味のあることだけに意識が向く。
「秋雪が目覚めて、いつでも社会に復帰できるように仮面を使って顔を隠してたからな。声も変えた。指紋もだ」
「随分と愁傷な心がけじゃない。神薙君に一途に尽くすなんてっ」
 そう言って、陽気にカラカラと笑った。
「俺は秋雪を救うために生み出された人格だからな。秋雪のためだったら何だってするさ。ま、秋雪は俺のこと嫌ってるみたいだけどな」
「ふぅ、ん……。で?」
 どこか虚ろな視線でグラスを口に運び、一息で半分ほど飲み干す。
「五年たったある日のことだ。俺の前に久遠が現れた。勿論、俺を始末するためにだ。その時は、わざわざ最高責任者のお出ましかって思っていたが、今考えればあの時から久遠は俺の力を感じてたんだろうな。自分と同類が居る、って」
「で、ぶつかり合う訳ね。神様の力を持った二人が」
 テーブルに両肘を突き、組み合わせた手の甲に顎を乗せて、水鈴は目を細めた。
「正直ビビったよ。まさか、一対一でやられるとは思わなかった。あの時はまだ、思考具現化端末デモンズ・グリッドの使い方に関しちゃ久遠の方が断然上だった」
「負けちゃったんだ」
 笑いを含ませながら言う水鈴に、刃は一瞬顔をしかめたが、すぐに眉と一緒に両手を上げる。
「ああ、お手上げだよ。ハッキリ言ってお話にならなかった。けどな、久遠の方も決め手を持っていたわけじゃなかった。俺は創世者だ。死なないことがルールだからな」
「相変わらずズルイのね」
「相変わらずって何だよ」
「そんな能力を持っている事よ。何にもしないでも貴方は特別なんでしょ?」
 水鈴は両手でグラスを挟み、中指だけを伸ばして刃の方を指さす。顔の筋肉を弛緩させ、力無い笑みを浮かべて見せた。
(『ナイン・ゴッズ』だけじゃなくて、現実世界でも……)
 初めて秋雪が管理者だと告げられたときの事が、精神的なダメージと共に脳裏をよぎる。そう言えばあの時もこうやって酒に溺れていた。
「ひがみかよ」
「感傷よ。さ、続けて」
 やれやれと溜息をつき、刃は話を戻した。
「アイツは最後に黒い剣で俺を貫いた。すると、だ。俺の人格が薄れ、秋雪が目を覚ました。その剣こそがソウル・ブレイカーだった訳さ」
「ソウル・ブレイカー?」
「お前、俺とロゼの戦いを見てたんだろ? その時にロゼが両手に持っていた黒い剣のことだよ。ブラック・スキームを傷つけられる代物でな。管理者や管理者補佐システム・エージェントにもダメージを与えられる」
 ブラック・スキーム。それはプレイヤーの存在を形成する裏の制御数値。極悪なトラップ等でロストさせられた場合はブラック・スキームが抹消され、二度と復活できなくなる。だがそんな出来事は極めてまれで、今話題に上がったロゼという冷徹な管理者だけがその類のトラップを好んでいた。
「そう言えば、例のプレイヤー・キラー。アイツがやってる事って『ナイン・ゴッズ』でのロストを現実世界にフィードバックしてるんでしょ? 案外、ロゼって管理者が犯人で、そのソウル・ブレイカーを改造してたりしてね。アッハハハハ!」
「なかなか良いカンしてんじゃねーか。まさしくその通りだよ」
 感嘆の声を上げ、瞠目しながら首肯する刃に、水鈴は目を丸くする。
「……ねぇ、冗談は思考具現化端末デモンズ・グリッドだけにしてよ」
「冗談はカレーの次に嫌いなんだ」
「カレーが嫌い!? そんな馬鹿な……じゃなくて! 本当なの?」
 自分にツッコミを入れながら、水鈴は真顔で聞き返す。刃はそんな水鈴の行動を面白そうに見ながら、変わらない動作でグラスに口を付けた。
「ホントに忙しい奴だな。秋雪が管理者で二重人格で、しかも創世者で現実世界で思考具現化端末デモンズ・グリッドが使えて。こんだけ驚いてもまだ足りないらしい」
 言われてみればそうだ。ここまで来て、管理者がプレイヤー・キラーだったくらいで驚く方がどうかしているのかもしれない。
(私は今酔っぱらってる。何が正しくいて、何が間違いなのかなんて難しいこと考えられないわ。とにかく今は全部聞くだけ聞いて、明日頭を冷やして考えましょう)
 一人得心したように頷き、水鈴は話の正否の取捨選択を放棄した。
「で、ソウル・ブレイカーがどうしたの?」
「急に本線かよ。まぁいい。とにかく俺は久遠のソウル・ブレイカーで秋雪と入れ替わった。その時は理由なんて分からなかったし、どうでもよかった。秋雪の気分が落ち着いて、表に出てきてくれればそれで良かったからな。秋雪は五年の間に何とか立ち直り、表に出るきっかけを探していた。久遠がそのきっかけをくれたのさ。久遠も秋雪を殺せるとは思っていなかったんだろう。こっちに敵意が無くなったと分かったとたん御親切にも秋雪を引き取ってくれた。管理者権限なんておまけまで付けてな」
「どうしてそこまで」
「またいつ俺が目覚めて危険分子になるかわからない。なら野放しにしておくよりも、自分の目の届く範囲に置いておいた方が安心だ。そんなところだろうよ」
 なるほど、と水鈴は頷く。
「秋雪もそう感じていたが、自分の面倒を見てくれる久遠に徐々に恩義を感じ始めた。何せまだ十歳のガキだ。甘えたい盛りなのさ。久遠の包容力に惹かれ、安住の地を得て余裕の出始めた秋雪は俺を憎み始めた」
「どうして? 貴方は神薙君のために一生懸命だったんでしょう?」
「俺が表に出ている時も秋雪の意識は途中から覚醒していたのさ。そしてミュータント共の殺戮をいつも特等席で見ていた。俺を生み出したきっかけはミュータントへの憎しみであることに違いはないが、ミュータント全体を恨んでいたわけじゃない。自分の両親を殺した犯人はとうの昔に殺している。憎しみは時間と共に薄れ、ある時点で罪のないミュータントを殺しているという悔恨の念がソレを上回った。そして自分の力を嫌悪するようになり、その力を躊躇い無く振りかざす俺に矛先が向けられたってわけだ」
 自嘲気味に笑いながら刃は気ダルそうに頭を掻いた。
「そんなのって……」
 刃のしていたことは決して許される行為でない。しかし、秋雪の気を落ち着けるため盲目的に奉仕していたことに変わりはないのだ。愛する人のためならば罪さえもいとわない。だが、その行為を想い人に拒絶されたのであれば全くの無駄だったことになる。後に残るのは救いようのない罪を犯したという暗い事実と虚無感だけ。
 水鈴の頭に、義理の妹である未玖が浮かんだ。
「まぁ何かを憎むことで生きる糧を得たっていうんならそれでいいさ。憎しみってのは感情の中で一番強い。事実、秋雪は俺を二度と表に出させまいとして強い精神力を養った。結果オーライってヤツだよ」
 そんな風に割り切ることの出来る刃が羨ましかった。
(私には、出来ない……)
 水鈴が十五の時、母親は再婚した。そして突然会ったこともない父親と妹が出来た。元々、両親の離婚を修復することが目的だった水鈴は、その間に割って入った義理の父親の事を好きになれるはずがなかった。
 しかし、義理とはいえ父親になってしまった以上、この先一生嫌い続けることは辛い。それに母親の幸せもある。もう自分の父親との復縁を成すことが難しい状況になってしまったのではあれば、ある程度は現状を受け入れなければならなかった。
 勿論、両親を仲直りさせることを諦めたわけではない。今は、一時保留にするだけだ。
 そう言い聞かせて、幸せな家庭を築くことに専念した。何とか義理の父親と妹とうち解けあい、仲むつまじい家族になりたかった。
 義理の父親は穏やかで優しい男だった。彼と仲良くなることはそれほど難しいことではなかった。しかし妹、未玖は違った。いつまで立っても自分や母親になつこうとしない。それどころかどんどん距離が離れていくような気さえした。自分たちが何を言っても突っぱねられ、無視され続ける。だが、父親と接しているときはいつも笑顔だった。
 きっとまだ家族として認められていない。
 そう考え、水鈴は父親との仲をより深めることにした。未玖が自然体で接する父親に心から家族だと思われれば、きっと未玖も自分を認めてくれるだろうと思ったのだ。
 だが、ある休日。父親と二人で買い物に行こうとした水鈴に未玖は思いもよらない言葉を発した。
『この泥棒! あたしのお父さんを取らないでよ!』
 一瞬、目の前が真っ白になった。
 義理の父親が未玖の頬を叩いたところまでは覚えているが、その後何を言って何をしたのかまるで覚えていない。気がつくと自室のベッドで毛布にくるまり、泣いていた。
 自分はいったい何をしていたんだろう。母親の幸せを考え、別に好きでもない義理の父親と仲良くなる努力を続けた。未玖とも打ち解けるために、更に努力を重ねた。
 その結果、未玖には心底嫌われ、更に彼女の本音を知ったために、父親と仲よくする事も出来なくなった。その余波は実の母親までにも及び、家族という団らんのひび割れは修復不可能になった。自分が良かれと思ってやってきたことがすべて裏目に出たのだ。
 居たたまれなかった。やるせなかった。自分の無力さを痛いほどに感じさせられ、悲嘆にくれた。力が欲しかった。何でも解決できる絶対的な力が。
 それが有れば、両親をもう一度仲直りさせることも出来るし、努力が空回りすることもない。だから水鈴は上に行った。管理者補佐システム・エージェントになり、そして管理者に選ばれればきっと幸せを掴むことが出来る。未玖とも仲良くできるようになる。
 根拠も無くそう思い続けることで、水鈴は辛うじて前に進むことが出来たのだ。
 しかし、そろそろ限界を感じていた。そんなところに秋雪が管理者であるという事実を聞かされ、水鈴は一気に崩れ落ちた。
(どうして、こんな苦労知らずがって、思ってたけど……。私以上に苦労してるのね、神薙君も、そして刃君も)
「何だよ、ニヤニヤして。気持ち悪いな」
「うっさいわねー。気持ちよくなってきたんだから邪魔しないでよ。すいませーん! これボトルで持ってきてくださーい!」
「おいおい、いくらなんでも飲み過ぎなんじゃないのか?」
「大丈夫よ。私稼いでるから。で、続きは?」
「いや、金の話じゃないんだが……」
 運ばれてきたボトルの中身をグラスになみなみと注ぎながら、水鈴は刃を煽る。溜息と共に小さく肩をすくめると、刃は話を戻した。
「それから……そうだな、だいたい十年くらいか。秋雪は久遠と一緒に『ナイン・ゴッズ』の管理者を勤めたわけだ」
「十年も!? 普通は二、三年で交代させられるのに。貴方の言うとおり、よっぽど側に置いておきたかったね」
 管理者の任期はそれほど長くはない。プレイヤーからの不評があったりした場合は一年で交代させられる時もある。そうやって絶えず変化させることで、多種多様なクエストを生み、プレイヤーを飽きさせないようにしているのだ。
「そう。そして男と女の関係になれば、更に離れられなくなる。久遠の奴は役者だからな。立派にアネさん女房気取りだったぜ」
「ねぇ、紅坂久遠って何歳なの? 『ナイン・ゴッズ』の創始者って言うくらいだから、すんごいおばあさんのはずなんだけど」
 視線を宙に浮かせ、久遠の容姿を想像する。
 『ナイン・ゴッズ』が一般公開されたが今から約四十年前のことだ。それから爆発的に一般に広まっていき、五年ほどでドーム内すべての人間に定着した。
 仮に久遠が『ナイン・ゴッズ』を立ち上げたのが三十歳だとすれば、今は七十歳と言う計算になる。
「オリジナルを使えるんだぜ? 見た目くらいどうにでもなる。寿命さえもな。俺の聞いた噂じゃ、ドーム建設の前からいたって話だけどな」
「永遠の美って訳? 女の夢をアッサリ叶えてくれちゃって」
 愚痴りながら、水鈴はボトルに直接口を付けた。
「で、どうして辞めたの? 居心地良かったんでしょ? 何てったって管理者様ですもんね」
 濃いアルコールを喉に流し込み、皮肉めいた口調で揶揄する。
「そーでもないさ。色々気苦労も多い。上に行けば行くほど仕事は多く、難しくなる。アンタだってよく知ってるだろ?」
「…………」
 意地悪く笑って切り返された刃の言葉が、水鈴に重くのし掛かった。
「新しいクエストの創出。ソレの管理。使える管理者補佐システム・エージェントの抜擢。マナーの悪いプレイヤーの対応。そして久遠のお相手。上げ出したらきりがない。それに秋雪は真面目だからな、手を抜くって事をしらないのさ。だから疲れは溜まる一方。で、だんだん押しつぶされていく」
 まるで自分に言われているようだった。
 人の上に立ち、完璧であり続け、現在のステータスを維持、向上させるために水鈴は必死になっていた。常に何かを考え行動し、気の休まる時間は殆ど言っていいほど無かった。
 自分ならできる。自分はやらなければならない。
 強迫観念にも似た焦燥が、無理矢理水鈴を突き動かしていた。
「で、ついにそれが爆発するときが来たわけだ。管理者の一人、ロゼの創りだしたクエスト『鮮血の宴』。ロゼが不在の時にな、たまたま秋雪がその管理を任された時期があったんだよ。あんたも管理者補佐システム・エージェントなら知ってんだろ? あのクエストの陰険さをよ」
 黙ったまま水鈴は頷く。
 たった一人でエネミー・シンボルを千匹も倒さなければならない。途中棄権は不可能。そして負ければロスト。今までの努力はすべて水の泡と化す。現実世界で同じ事が起こったとすれば、それはもう集団リンチに他ならない。
「ある時な、無謀にも一人のプレイヤーがそのクエストに挑んだんだよ。ランクはD。よっぽどCランクに上がりたかったんだろうな」
 クエスト『鮮血の宴』の報酬は、思考具現化端末デモンズ・グリッドのランクアップ上限をすべて解除するデバイス。本来、政府関係の人間に取り入り、現実世界で多大な労力を費やして獲得しなければならない代物だ。
「でな。たまたま、そのプレイヤーの顔が、秋雪の父親の顔に似てたんだよ」
 ゴクリ、と唾を飲み込む。何となく先が分かったからだ。
「そのプレイヤーが、エネミー・シンボル共にボコボコにされて行くのを見て、秋雪はまた思いだしちまったんだよ。あの日のことを」
「そして、貴方が出てきた」
「そう」
 刃はそこで少し間をおき、ゆっくりとグラスを傾けた。どす黒い過去を語ることで汚れた喉を、洗い清めるかのように。
「あん時も暴れたなぁ。もーちょっとで、千人斬りってところで久遠が現れた。なんか偉い悲しそうな顔してよ。ビックリしたぜ。あの冷徹で何にも動じたことのない女が、今にも泣きそうな顔でコッチ見てんだからよ。でも、すぐにその理由は分かった。俺を油断させるための演技だったんだよ。一瞬で良かったんだ。ほんの一瞬、俺に隙を作る事が出来れば、あとはソウル・ブレイカーをたたき込んでお終いってわけだ。まんまとやられたよ。まだ、秋雪の心傷は癒えてないってのにな」
 忌々しげに言って、グラスの残りを一気に飲み干す。そして、水鈴からボトルと奪い取ると中身を注いだ。
「演技、なんだ……」
「なんだよ。まさか、久遠の奴が、本当に秋雪を心配したとでも言うのか? あのお人好しの秋雪でもそんなこと思わなかったぜ?」
 不愉快だと言わんばかりに笑い飛ばし、刃は続けた。
「秋雪は管理者を辞めたいと願い出たが、受け入れられなかった。で、しょーがないってんで、一方的に辞めて来たのさ。もう秋雪は十分に久遠のために働いた。このまま続けてまた、あんな光景を見せられたんじゃあ、精神がもたないからな。最初から、管理者の権限なんてなければ。オリジナルの思考具現化端末デモンズ・グリッドなんて代物を受け継いでいなければ。そう考えて、秋雪は必死に一般人にとけ込む努力をしたって訳だ」
「そぅ……」
 分を過ぎた力は身を滅ぼす。最初は理解不能だった秋雪の行動が、今では胸を締め付けるほどに分かった。
「まー、最初の一年くらいは平穏無事たったんだがな。運命の女神様は秋雪にさらなる試練を与えてしまうんだ、これが」
 気取ったように言いながらテーブルに頬杖を突き、遠い目をする。
「よく覚えてるよ。雨の強い夜だった。秋雪が同僚の誘いを断りきれずに、遅くまで飲んでいた帰り道だ。一人の少女が何人かの大男に追われてた。大男達の方はその異常な体格からすぐにミュータント達だって分かった。けどな、意外なことに少女の方もミュータントだったのさ。瞳が紅く光っていたからな」
「ミュータント同士の喧嘩?」
「そんな生易しいもんじゃねーよ。一方的な暴力だ。しかも少女は人間で言えば十歳くらいのチビだ。顔腫らして、口や鼻から血ぃ流して、ふらつきながら必死に逃げてた。男達は楽しんでたんだろうな。恐怖に顔引きつらせて、逃げ回るガキの事を。でなきゃあ、とっくに追いつかれてボコられててもおかしくないぜ」
 水鈴は五年前、話題になったニュースを思いだした。
 ミュータントによるミュータント狩り。人間とミュータントの争いは珍しくないが、ミュータント同士のもめ事はそうは起こらない。彼らは、人間達に迫害された小規模の種族だ。その仲間意識は非常に強い。例え社会にとけ込んだ者達と、とけ込めず暗黒街に住み続ける事を余儀なくされた者達の間でも、お互いの生活を尊重しあう暗黙のルールがあるほどだ。
(事件が解決して聞いた話だと、『夜崎倖介を追ってきた』っていう理由だったらしいけど……。結局、管理者を狙ったテロ行為だって事になったのよね。で、ソレをきっかけに治安が大幅に改善された)
「思いだしたって顔だな。そう。要するに、そのチビは事件の煽りを食らったわけだ。大方、夜崎倖介がなかなか見つからないんで、同じミュータントで社会にとけ込んでいる奴を狙ったんだろーよ」
「そう……ん?」
 刃のセリフに違和感を感じる。
(『同じミュータントで』……って?)
「ちょ、ちょっと待って。夜崎さんは人間でしょ?」
「アイツもミュータントだよ。まー、詳しくは知らねーが、暗黒街で久遠か誰かにスカウトされたんだろ。勿論、捨て駒としてな。久遠は根っからのミュータント嫌いだ。で、ソレを恨みに思ったミュータント共が追いかけてきた。いくら仲間意識が強くても、管理者になられちゃあな」
 確かに筋は通っていた。当時不明だったミュータント同士の争いも、動機としては十分すぎる。管理者は人間社会の頂点に立つ者達だ。そこにミュータントが就いたとなれば、それは裏切り行為に他ならない。仲間意識が強いだけに、そういった異端分子は極力排除しようとする方向に動くのが自然というものだ。
 しかし、倖介を見つけられずに苛立ちだけがつのり、その矛先が本来仲間であるはずのミュータントに向けられた。あの時彼らの目には、社会にとけ込んでいるというだけで裏切り者に見えたのだろう。
「夜崎さんが……ミュータント……」
 ショックだった。言葉が出ない。しかし、これは刃が勝手に言っていることだ。自分は倖介の瞳が紅く輝いていることは見たことがない。
(直接、確かめる? でもどうやって? 『あなたはミュータントですか?』なんて聞けるわけない)
 困惑する水鈴に、刃は優しい表情で声を掛けてきた。
「まぁ、俺が言うのも何だが、ミュータントだって普通の人間と変わらねーよ。ミュータント・キラーって呼ばれてたこの俺でさえ、ミュータントのガキと一緒に暮らしてんだからな」
「え? それってどういう?」
「さっき話で追いかけられてたチビの名前は沙耶。ああ、そうか。お前は会ってないな。今、秋雪と同居してる、座敷わらしみたいなガキのことだよ」
「同居って……じゃあ、助けたんだ。やっぱり……」
 報道では、テロの犯人と思われる十数名のミュータント達は全員路上で死んでいたらしい。死因は心臓麻痺。外的な損傷は殆ど無い。
「貴方がその時も出てきたの? それで思考具現化端末デモンズ・グリッドを使って……」
「いや、俺は出てこなかった。秋雪は何とか抑えきったのさ。まぁ、リンチされていた相手が母親似とかだったら分かんねーけどな」
 鼻を鳴らして、軽く笑みを浮かべる。
「え? じゃあ何? 神薙君も使えるの? そのオリジナルの……」
「当然。まぁ、あいつは使いたがらねーけどな。コイツのせいで色んな苦労してきたからな」
 そう言った刃の眼前に黒い半透明のモニターが浮かぶ。そこに、光る白い文字で何か書かれた思うとすぐに消えた。次の瞬間、水鈴の体が軽くなった気がした。アルコールの昂揚感から変化した倦怠感がウソのように消え去る。
「とにかく、だ。秋雪は精神的に一歩成長したのさ。何せ俺はミュータント・キラーだ。気を緩めて俺を表に出しちまえば、沙耶にまで手を出しかねない。そういう意味合いもあって、あのお嬢ちゃんは秋雪の良いパートナーとしてやっている訳だ」
「でも、貴方はそのお嬢さんに手を出すなんて事、絶対にしないわ」
 妙な確信があった。さっき会ったばかりなのに、刃の性格は殆ど掴めているような気がした。
「当たり前だ。これ以上、秋雪に嫌われるわけにはいかねーからな。けど、ま。そう思うことで自分をコントロールできるんなら、俺は喜んで嫌われ役を引き受けるよ」
 そう、こういう性格なのだ。
 凶暴で粗雑で、何も考えずに感情のまま行動しているように見えるが、誰よりも秋雪の事を想っている。秋雪を救うためであれば、何の躊躇いもなく自分の身を削る。
「けど、さすがに今回みたいな事が起きると、やっぱり俺が出て来ちまう。だからアンタも秋雪の力になって欲しい。オリジナルの思考具現化端末デモンズ・グリッドは災いを呼ぶだけじゃないって事を教えてやって欲しいんだ。そうすれば、もう俺は必要なくなる」
「大変な仕事、簡単に言いつけてくれるわね」
「アンタは仕事できそうだからな」
 自然と笑みが零れる。何となく今までくすぶっていた物が全部昇華していくような気がした。
「貴方と話せて良かったわ」
 こんなに素直にお礼を言ったのは何年ぶりだろう。
「そりゃどうも」
 これまで自分を偽り続けて、人のためになることを最優先に行ってきた。自分を押し殺し、家族のために上に行くことを願っていた。それでも良いと覚悟を決めたつもりだったが、まだまだ足りなかった。
 自分はまだ未熟だ。それを刃に教えられた。
 自分の家族はまだ幸せだ。それを秋雪に教えられた。
 神薙秋雪という人物が自分よりも格下だというこれまでの認識は間違いだった。
「それで、これからどうするの? 神薙君と交代する方法はあるの?」
 今度はこっちが何かをする番だ。自分で出来ることがあるならば、何でもしたい気分だった。
「ソウル・ブレイカーの原始情報が必要だ。ロゼは持っていなかった。これからリアル体に会ってくるが。多分ハズレだろうな」
「そっか。もう紅坂久遠に頼むわけには行かないもんね」
「ああ。それに、今アイツのソウル・ブレイカーは危険だ。ヘタしたら殺されかねんからな」
「でも……貴方は死なないんでしょ?」
 水鈴の言葉に刃は顔をしかめ、思索に耽る。たっぷり三十秒ほど考えた後、口を開いた。
「ソウル・ブレイカーはブラック・スキーム、つまり裏の制御数値を書き換えられるって事は話したよな?」
「ええ」
「俺は秋雪が生み出したもう一つの人格。つまり裏の人格だ。だから十歳の時、久遠のソウル・ブレイカーで刺されて俺だけが眠ったんだと思う。推測の域を出ないがな。勿論、ソレは久遠にとっても予想外のことだったんだろう。けどな、アイツはココに大きなヒントを見いだしたのさ」
 手にしていたグラスを置き、今まで見せたこと無いような真剣な表情になって刃は語る。
「『ナイン・ゴッズ』でソウル・ブレイカーを改良して、ブラック・スキームを消滅させるデバイスに作り上げる。ソレをオリジナルの思考具現化端末デモンズ・グリッドで再現できれば、俺を殺すことが出来るかもしれない。多分、久遠はそう考えた。ロゼはそのために抜擢されてプレイヤー・キラーになり、ソウル・ブレイカーの試し切りをしていたんだ。そして、改良点を見つけて進化させていった」
「でも、神薙君も使えるんでしょ? そのオリジナルの思考具現化端末デモンズ・グリッド。だったら貴方だけを殺しても、神薙君を殺したことにはならないわ」
 刃は水鈴の目を真っ正面から捕らえ、「そう」と首肯した。
 刃を殺すと同時に、肉体に致命的なダメージを与えたとしても、秋雪が思考具現化端末デモンズ・グリッドを使えるならば死ぬことはない。ルールに従って生き延びる。
「……確かに肉体は無事だろう。けど、今回みたいに現実逃避して俺と入れ変わろうとしたらどうなる? もう俺は居ないんだぜ? カラッポの肉体。つまり植物人間のできあがりって事になりかねない。秋雪がオリジナルの思考具現化端末デモンズ・グリッドを受け入れず、邪魔物扱いしている今は危険な賭けだ」
 錐のように細めた視線の奥で、数多の思考をない混ぜにしながら刃は水鈴を見る。それはありとあらゆる可能性を想定し、少しでも成功率の高い選択肢を必死になって見いだそうとしているように見えた。すべては秋雪のために。
「今回、夜崎倖介に殺された時、秋雪は生き延びるためにオリジナルの思考具現化端末デモンズ・グリッドを使わざるを得ない状況に追い込まれた。けどソレは失ってしまいたい力だ。この五年間ずっと使わずにやってこられた。もしここで解禁してしまえば、今後もそれに頼ろうとする場面が出てくる。ならば、自分が使ったことにしなければいい。で、俺にバトンタッチって訳だ」
「でも、貴方が出てくれば沙耶って娘を傷つける可能性があるんでしょ?」
「そうだな。そっちが最初に頭に浮かぶか、受けた傷に即死性が無くて、もう少し考える時間が有れば、秋雪は思考具現化端末デモンズ・グリッドを使うことを選択したかもしれない。けど残念ながら今回はそのどちらも無かった。切羽詰まったときに、楽な道が見つかれば何も考えずにそちらに飛び込みたくなるもんだ。どんな聖人君子でもな。だから久遠を返り討ちにするにしろ、俺から卒業するにしろ、秋雪にはオリジナルを受け入れて貰わなければならない。自分と、自分の大切な物を守るのに必要な力だってな」
 もし、秋雪が受け入れないまま完成型のソウル・ブレイカーを喰らった場合、刃が居ないにもかかわらず、秋雪は交代しようとするかもしれない。そうなると、秋雪の人格は眠った状態になり、表には誰も出てこないことになる。つまり、さっき刃が言ったように植物状態になってしまう可能性があるのだ。
「俺は俺の思いつく最善の方法で秋雪を救ってみせる。だが、もしダメだった場合。アンタが何とかしてくれよ?」
「分かったわ」
 答えはすぐに出た。ここまで知って、関わってしまったのだ。今更ノーと言えるはずもない。だが、どうやって? 正直、水鈴にはその術が思い浮かばなかった。
「じゃあな。決着は明日つく。俺のいる場所は、分かるな?」
「……知ってたの?」
 刃の体には、彼の居場所を告げるチップが埋め込まれている。
「今日の出会いが偶然だなんて、ホーリーランドの妖精でも信じないぜ」
 キザっぽく言って、刃は席を立った。あれだけ飲んでいたのに全くふらつく素振りも見せない。恐らく、さっき水鈴にしてくれたように思考具現化端末デモンズ・グリッドでアルコールを中和したのだろう。
「今度また、ゆっくり飲みましょう」
 水鈴の言葉に刃は顔を少し緩めて背中を向ける。軽く上げた手をヒラヒラと振りながら、刃は地下バーを出た。
(プレイヤー・キラーの犯人はロゼ。今からそのリアル体に会いに行くって言ってたわよね)
 好奇心がくすぐられる。酒は綺麗に抜けていたが、テンションは相変わらず高いままだった。
(いいよね、少しくらい。私が生まれ変わった記念にちょっと拝むくらい)
 自分に言い訳をし、水鈴は刃の後を付け始めた。




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