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ナイン・ゴッズ―秋降る雪は永遠に―

■Viewer Name: 神薙秋雪 Place: A地区 総合病院 屋上 AM3:52■
 黒い影が眼前を通り過ぎる。
 横凪に払われた久遠の剣撃を紙一重でかわし、秋雪は身を低くして懐に潜り込んだ。足を大きくたわめてバネにし、一気に開放して上に伸び上がる。その勢いに乗せて繰り出した右の剣閃を久遠は僅かに身を引いてかわした。かわし終わりの位置を狙い、左の黒剣を遅れて放つ。
「どこを狙っている」
 手応えの変わりに、低い声が横からした。
 さっきまで久遠の頭があった位置には何も無く、無機質な黒い夜空が広がっている。
(まただ!)
 胸中で悪態をつきながら、目線だけを声のした方に向けた。久遠はすでにソウル・ブレイカーを振り切っている。避けられる間合いではない。
『メイン・メモリーからのオート・アクション。
 バリアント・デバイス "Lunatic_Requiem" を顕現します』
 青白い光が秋雪の右脇に現出する。それは定まった形を取ることなく闇色の剣を受け止めた。
 視界が揺れる。ガードの上からでも充分すぎるほどの衝撃が秋雪を襲い、その勢いは殺されること無く体を浮かせて吹き飛ばした。
「っ……は!」
 屋上の不浄コンクリートで一度バウンドした後、柵に用いられている軟性金属に叩き付けられてようやく止まる。
「ルナティック・レクイエムか。お前が作り上げたデバイスだったな。良い出来だ」
 今度は耳の裏から声がした。鮮烈な恐怖を伴った戦慄に襲われ顔を上げる。しかし、久遠の居る場所からは十メートル以上離れていた。
(感覚が狂わされている……! ありとあらゆる感覚が!)
 まばたきを一回するうちに、久遠の姿が急激に大きくなった。そして気が付けば、目の前でソウル・ブレイカーを振り上げている。
 秋雪は未だ座り込んだ状態まま体勢を立て直せていない。受け止めるしかなかった。額の辺りで両腕をクロスさせ、そこに青白い光を持っていく。光は破裂するようにして広がると、秋雪の両腕に巻き付いて篭手を象った。
(来る!)
 接触するタイミングを見計らい、秋雪は両腕に力を込めようとした。しかし、予想よりも格段に早く打撃が伝わってくる。だが秋雪の視界の中では、久遠のソウル・ブレイカーは未だ振り上げられたままだった。
(深層精神制御プログラム……ロスト・エンシェントか。恐らく、それとソウル・ブレイカーをコンバインさせて、五感を狂わされているんだ)
 不完全な体勢のまま久遠の剣撃を受け止め、秋雪の頭が下がる。そこに久遠のブーツが突き刺さった。顔面を蹴り上げられ、血を撒き散らせながら秋雪は大きく仰け反る。
 がら空きになった心臓の位置を狙って久遠がソウル・ブレイカーを構えるのが見えた。後退を足で踏ん張った時にはすでに、黒い剣が間近に迫っている。
(早すぎる。コレは違う……!)
 ソウル・ブレイカーが秋雪の体に埋め込まれた。しかし痛みはない。幻影でも見てるかのように久遠の体ごと秋雪を透過していく。
(今だ!)
 そして一呼吸置き、心臓の位置を青白く輝く両腕でガードした。直後に重い手応えが腕を伝わり、内蔵を揺さぶる。目の前の誰もいない空間がゆらりと揺れ、漆黒の剣を突き出した久遠が姿を現した。
「良いカンだ。度胸も有る。しかしまだ足りないな」
 久遠は低い声でそう言うと、バックステップで距離を取り、鋭い眼光をこちらに向けた。
「本気でやって貰わないと困る。これは他の七人の創世者を殺すための予行演習も兼ねているんでね」
 ソウル・ブレイカーを消し、久遠は右手を腰に当てて、屋上の出入り口を横目に見る。
「あの少女だけでは足りないようだ。ならもっと分かりやすいきっかけを与えようじゃないか」
 冷徹な笑みを顔に張り付かせ、久遠は出入り口へと瞬間的に移動した。
「何を……するつもりだ」
「なに。ちょっとタイムリミットを設けようと思ってね」
 パチンと指を鳴らす。それだけで超防弾性の硬質金属でできた扉が、紙素材のように皺を寄せる。続けて金属同士を摺り合わせる嫌な音を立て、どんどん小さくなっていく。そして原型を留めないくらいに破壊された時、その向こう側にはよく知った女性がいた。
「九綾寺……さん。どうして……」
 驚愕に目を見開き、恐怖に足をすくませて、水鈴は今目の前で起こった信じがたい出来事に、ただただ呆然としていた。
「覗きとはあまり良い趣味じゃないな。部下に示しがつかない。罰が必要だ」
 ヨロヨロとおぼつかない足取りで水鈴は久遠の前に歩み出る。
「九綾寺さん! 来ちゃ駄目だ!」
「あ、足が……勝手に……」
 水鈴は自分の意志に反する動きに、今にも泣き出しそうになりながら、秋雪に助けを訴える視線を向けた。
「さて。ショータイムの始まりだ」
 久遠の前まで歩かされた水鈴のみぞおち辺りから、黒い剣が生える。ビクン、と水鈴の体が一度だけ大きく痙攣した後、糸の切れた人形のように地面へと吸い込まれていった。水鈴の体を中心として、じわじわと紅い染みが面積を広げていく。
「急所は僅かに外してある。ただし長くは持たない。だが、思考具現化端末デモンズ・グリッドデモンズ・グリッドを使えば簡単に治療できる。この意味が分かるな?」
 つまり、水鈴が絶命する前に久遠を倒さなければならない。
(どうしてこうなるんだ……)
 大きく目を見開いたまま、秋雪は久遠と水鈴を交互に見つめた。
(どうして僕はこんな力を持っている? いったい何の役に立つというんだ。最初から父さんや母さんと一緒に殺されていれば、こんなに苦しむことはなかったのに……)
 熱いモノが頬を伝う。
 コレまで何百回、何千回と繰り返してきた自問。答えは出ること無く、延々と秋雪の精神を蝕み続けた。
(僕がこんな力を持っていなければ、周りに迷惑を掛けることもなかった。傷つけることもなかった……!)
 吐き気がする。体がダルい。今すぐにでも家に帰って、毛布に頭までくるまり、永遠に醒めることのない眠りにつきたかった。
「どうした、秋雪。時間は待ってくれないぞ」
 久遠の声がどこか遠くの方から聞こえてくる。揺れる視界。混濁する思考。逃げ出したかった。すべてから。
(こんな時、どうしていたっけ……。そうだ、刃だ。刃に代わろう。アイツなら多分、何とかしてくれる。楽になれる)
 刃――ミュータント・キラー――ミュータント――沙耶。
 ――大切な存在。
(そうだ……沙耶だ……。帰らないと。早く、沙耶の所へ……)
 焦点を引き絞り、目の前にいる人物に傾注する。
(久遠……)
 彼女の足下で横たわる人物にも。
(九綾寺さん……)
 そして刃の顔が頭に浮かぶ。いつも自信に満ち、圧倒的な破壊力を持って他者を葬っていく死神。無数のミュータントを葬り、歴史に残る程にまでなった強大な存在。秋雪は刃のことを嫌いながらも、いつも心のどこかで頼りにしていた。刃ならば自分よりは何でも巧くやってくれるという暗示に掛かっていた。
(いつまでもアイツをアテにしてちゃだめなんだ)
 水鈴との会話で刃が見せた本音。刃の行動はすべて秋雪を想ってのことだった。秋雪の為に自ら汚れ役を、そして憎まれ役をかって出てくれていた。
(今度は、僕がアイツの期待に応える番だ)
 心にわだかまっていたモヤが晴れ始める。
 今は難しいことを考える必要はない。その余裕も無い。短絡的だがシンプルが思考が秋雪の頭に浮かぶ。
(九綾寺さんこうなったのは僕の責任――絶対に助ける――そのためには――)
「久遠、邪魔だ」
 体は驚くほど軽かった。背中に羽根でも生えたかのように、一瞬で久遠との間合いが詰まっていく。
『空間制御デバイス "Primary_Shift" を常駐。動作フレーム数を百分の一に設定します』
 目の前の光景がコマ送りになる。動作に必要な時間がすべて百分の一に削減され、あらゆる挙措が脳からの命令と同時に終了していた。 
(コイツは邪魔だ。僕のしたいことをさせてくれない。なら排除すればいい。僕には力がある。受け入れろ、受け入れるんだ! 刃のためにも、そして僕自身のためにも!)
『最上級神聖ソーサリー "Ima_Jayshiar[イマ・ジャイシャー]" をメイン・サーバーより読み込み完了。制御数値変換デバイス "Crazy_Trans-gate" を常駐。指定対象 "Ima_Jayshiar" を数値化。バリアント・デバイス "Lunatic_Requiem" を強化します』
 神経が研ぎ澄まされていく。高純度のドラッグでもキメた後のように思考が晴れ、自分は万能だという感覚が、何の根拠もなく確固たる物に仕上げられて行った。
(今まで邪険に扱って悪かったな。もう手加減はいらない。思い切り暴れろ……!)
『ジェネシス・キーを用いて最上位からシステムを読み込みます。全限定解除。
 思考具現化端末デモンズ・グリッド・エミュレーション・プログラム "Chaos_Spell" Run』
 黒いモニターが分裂するかのように数を増していく。
 それらは久遠を取り囲むように展開すると、厚みを持たない表面から黒い剣を生み出した。十数本のソウル・ブレイカーが一斉に久遠に襲いかかる。連続性を持たずに進行する視界の中で、久遠は両手に漆黒の剣を生み出し、迫り来る同質の剣をたたき落としていった。
『物質制御デバイス "Bloody_Christ" を常駐。リモート・インジェクションを行います……完了。ターゲット認識。オート・ホーミングを開始します』
 地に落ちたソウル・ブレイカーがまるで命を吹き込まれたかのように持ち上がり、再び久遠に狙いを定めて飛ぶ。久遠が舌打ちするのが聞こえた。
(決める)
 すっ、と目を細め、自動的に久遠を追尾して攻撃する黒い剣の動きにタイミングを合わせる。そして久遠が剣を弾いた瞬間を狙い、足のバネを最大限に解放させた。
 次の瞬間、秋雪の左腕は久遠の細く白い首を掴んでいた。まるでトロフィーでも掲げるようにして久遠の体を片手で持ち上げる。
『バリアント・デバイス "Lunatic_Requiem" を接触点に集中。固定します』
 青白い光が秋雪の左腕を伝わり、手の部分に凝集していく。異様に大きくなった左手を鉤爪の様に曲げて食い込ませ、久遠の首を締め上げていった。
「じゃあな」
 右手にソウル・ブレイカーを生み出す。そして躊躇うことなく久遠の体に潜り込ませた。紅い飛沫が秋雪の顔に飛ぶ。左手を解放し、地面に崩れ落ちた久遠を興味なさげに一瞥した後、秋雪は踵を返して水鈴の元に向かった。
 血溜まりの中に横たわる水鈴の体は、非常にゆっくりした間隔ではあったが、呼吸していることを示すように上下していた。
(……よかった。間に合った)
 思考具現化端末デモンズ・グリッドを立ち上げ、治癒プログラムで傷を治し、血液を補充していく。
 治療が終わっても、まだ目は覚まさなかったが、とりあえず死神は追い払った。
 後は――
「いいぞ、秋雪。実にいい顔をするようになった。迷いを断ち切った者にしかできない表情だ」
 久遠の体が浮かび上がるようにして起きあがる。胸に刺さったソウル・ブレイカーを自分で抜き、秋雪に投げて返した。
(コイツは久遠が創った物だ。ソレへの対処法くらい持っていることは十分に予測できたさ)
 手元に戻って来た黒い剣を一瞬だけ見て、すぐに久遠に視線を戻す。すでに傷口は殆ど塞がっていた。
「さぁ、第二幕の始まりだ」
「終幕の間違いだろ」
 半身を引き、身を低くしてソウル・ブレイカーを構え治す。
(刃、見ていてくれ)
 自分の中にあるもう一つの人格に向けて心の声を掛ける。
(沙耶……すぐに帰るから)
 そして、帰りを待つ大切な少女の顔を思い浮かべ、秋雪は全身に力を込めた。

■Viewer Name: 神薙秋雪 Place: A地区 総合病院 屋上 AM5:11■
 黒と黒の力の奔流がぶつかり合う。凄まじい圧力で凝集されたエネルギーは、出口を求めて漆黒の波動を周囲に散乱させた。
「おおおおぉぉぉぉ!」
 裂帛の気合いと共に秋雪が強引にソウル・ブレイカーを押し切る。その力を久遠は体を半分捻って受け流し、踏み込んだ足とは逆の足で秋雪の懐に滑り込んだ。
『メイン・メモリーからのオート・アクション。
行動パターン解析プログラム "Flowers_For_Algernon" よりアクション・トレース。着弾予測地点にバリアント・デバイス "Lunatic_Requiem" を点転移します』
 久遠の剣撃が秋雪の左脇腹を捕らえる。しかし接触より僅かに早く、青白い光がその部分に集結し、勢いを削いだ。シールド越しに伝わってくる衝撃の向きに逆らうことなく秋雪は右前方へと飛び、久遠の攻撃をやり過ごす。
 そして着地と同時に振り返らないまま、左後方――久遠のさっきまでいた位置にソウル・ブレイカーを投げつけ、その勢いに乗って更に前に飛んだ。
「右」
 短く呟き、体を低くする。頭上数センチの場所を、黒い弧月が通り過ぎた。
 青白い光を肩に集中させる。下から斜め上方にタックルを掛けて久遠の胸部を突き上げ、さらに折り畳んだ腕を解放して、肘を顎先にたたき込んだ。
 大きく仰け反った久遠の顔面に、続けて裏拳をめり込ませようとした時、視界が突然左九十度に向けられた。直後に右頬に走った灼熱が激痛へと変遷を遂げる。口腔に広がった鉄錆の味を噛み締めたところで、久遠の左足が右頬に直撃したことを理解した。
(あの体勢から……)
 口の中に溜まった血を唾液と共に吐き出し、視線だけで久遠の位置を追う。
 久遠はソウル・ブレイカーを不浄コンクリートに突き刺し、空中で器用に体の位置を変えると、右足の蹴撃を放った。
(コレは囮だ! ガードするな!)
 歯を食いしばり、足下の漆黒の剣に集中する。
 闇が微かに揺れた。地面に突き刺さった久遠のソウル・ブレイカーが、一瞬胎動したように見えた次の瞬間、秋雪の足下から黒い牙が生え、襲いかかって来た。
「ちぃ!」
 ソウル・ブレイカーで何かして来るだろうとは予想していた。しかし、まさか刀身を伸ばし、しならせて地中から攻撃してくるとは思わなかった。
 上体を逸らして逃れようとするが、下半身が付いていかない。
 液体が急激に蒸発するような音を伴い、黒い炎は秋雪の右足を貫いた。
「っ! ああああぁぁぁぁ!」
 堪らず声を上げる。ソウル・ブレイカーは秋雪の右腿を真ん中からえぐり取っていた。骨が溶け、肉を焦がし、血液が気化して周囲に異臭を放つ。
 右足は殆ど絶望的だった。
「実戦に勝る訓練はない。私のソウル・ブレイカーは完成に近づきつつある」
 久遠は冷淡な声で言い、うずくまる秋雪を睥睨しながらゆっくりと近づく。
(そうだ。そのままこっちへ来い。あと数歩……)
 秋雪は痛みに顔を歪めながらも、絶好の機会を待った。
「セーフティ・プログラムは作動しないだろう? さぁ、どうする? お前の武器は手元にない。利き足もお釈迦だ。絶体絶命というやつだな」
 油断無く秋雪を見下ろし、近づく。しかし三メートルほど離れた場所で久遠は足を止めた。
「だがそれは芝居、かもな。やられたフリをしてチャンスをうかがっているのかもしれんな」
 秋雪の胸中に冷たい物が走る。
「例えば、罠に掛かるのを待っている、とか」
「試してみたらどうだ?」
 額に冷たい汗を浮かべ、秋雪は肩で息をしながら皮肉めいた口調で言った。ソレを受けて久遠は、「ふむ……」と僅かに逡巡し、
「それも一興か」
 アッサリと言ってもう一歩、秋雪の方に踏み出した。
 秋雪の両目が大きく見開かれる。同時に、久遠を取り囲むようにして無数の黒いモニターが現出した。
「カオス・スペルをこんなにも……大したものだ」
 相変わらず余裕の表情で久遠は首を巡らせる。百は下らない数のカオス・スペル。すべてが、思考具現化端末デモンズ・グリッドに類似した力を持つ。
 球状に展開した黒いモニターは、中心にいる久遠に狙いを定め、次々とソウル・ブレイカーを打ち出した。しかし久遠は避けようともしない。
「だが所詮はレプリカ」
 久遠は右手を軽く振るう。カオス・スペルより吐き出された黒い剣は、久遠に当たることなく不可視の障壁に阻まれ、弾かれて四方に飛び散った。
「ソウル・ブレイカーの本質を知る私には通用しない」
 悠然と、そして威圧的な気配を纏わせて、久遠は秋雪に近づく。秋雪は力を出し切ったのか、殆ど目の前まで来た久遠を力無い視線で見上げた。
「久遠……」
 うわ言のように呟き、秋雪は左足に全体重を乗せて立ち上がる。
 身長は秋雪の方が高い。今度は秋雪が久遠を見下ろして続けた。
「もう、諦めたよ……」
 溜息混じりにそう言い、どこか達観した笑みを浮かべる。出血が酷い。視界が霞み始めた。
「そうか。残念だ」
 心中を端的に表した短い言葉。だが言いながらも久遠は気を抜くことなく、秋雪の体に視線を這わせて来る。
『存在破壊デバイス "Soul_Braker" のセルフ・コンバイン……』
 カオス・スペルから生み出されたレプリカのソウル・ブレイカーが姿を消していく。
「なぁ、久遠。僕は大きくなったかい? それともあの時のままかな?」
 両手を広げる。まるで自分の体を誇示するかのように。
「お前は大きくなったさ。肉体的にも精神的にもな」
 久遠が右手に持った黒い剣を強く握りしめるのが見える。何故かその表情は悲しげで、そして寂しげに映った。
『……ターゲット認識。オート・ホーミング……』
「そっか。なら見えてないな。僕の後ろで何が起こっているのか」
「力を使い切った今のお前に何が……」
 久遠の言葉は最後まで続かなかった。
「な――」
 吃音の様な言葉を残し、久遠は自分の身に起きた出来事を、唖然とした眼差しで見つめる。
 秋雪の腹から黒い剣が生え、そのまま久遠の腹を貫いていた。
「諦めるよ……沙耶の所に帰るのは」
 右手を背後に回し、レプリカを吸収して力を増したソウル・ブレイカーの柄部を握りしめる。そして、自分の背後から飛ばし、久遠の体もろとも貫通させた漆黒の剣をしっかりと固定した。更に左腕で久遠の体を引き寄せ、逃れられないように自分の体に密着させる。
「秋雪、お前……」
 久遠が苦しそうに顔を歪めた。
「随分と、分の悪い賭けだな……」
 それでもまだ余裕があるのか、久遠は秋雪の体を押し返そうとする。
「そうでもない」
 殆ど全体重を久遠にあずけながら、秋雪は最後の力で思考具現化端末デモンズ・グリッドを立ち上げた。
『制御数値変換デバイス "Crazy_Trans-gate" により指定対象を数値化します』
(対象は……僕、自身……)
 自分の体に意識を集中させる。急速に力が抜けていくのが分かった。
『数値化を開始。ベース・デバイス "Soul_Braker" の攻撃力に上乗せします』
 睡魔に似てほど遠い、自分の存在さえ忘却せしめる圧倒的な脱力感。漆黒の闇に意識が吸い込まれ、砕かれた魂が崩落していった。
「秋雪! お前、本気か!?」
 初めて久遠の表情が崩れた。驚愕に顔を染め、秋雪の体を引き剥がそうとする。
「……もう、貴女は一人じゃない」
 秋雪の言葉に久遠の体が小さく震えた。困惑と悲哀、そして諦観の眼差しを秋雪に向け、抵抗をやめる。背中に感じる暖かいぬくもり。久遠は自ら秋雪の体に手を回し、どこか満足げな笑みを浮かべて小さく鼻を鳴らした。
「皮肉な結末だ」
 久遠が目をつぶる。
(ごめんね……沙耶)
 同時に秋雪の視界も暗転していった。

■Viewer Name: 神薙秋雪 Place: A地区 バック・ストリート 5 years ago PM11:25■
 ――五年前。強い雨の夜だった。人気のない裏路地で、その少女は泣いていた。
 頭や口から血を流し、顔を腫らして、しゃくりあげる。秋雪は出来る限り優しい声で、その少女の名前を聞いた。
『……沙耶』
 蚊の啼くような小さな声で少女は名乗った。
 傷の手当てをするために、秋雪は沙耶を自室へと連れて帰った。シャワーを浴びせて泥と血を洗い流し、暖かい部屋でとりあえず自分の服を着せた。丁寧に傷口を消毒し、その上に治癒包帯を巻く。その間、沙耶は一言も喋らなかった。口を真一文字にきつく結び、拗ねたような、泣き出しそうな顔のまま俯いていた。
 保護者が心配しているからと、秋雪は沙耶の住んでいる場所を聞いた。沙耶は何も答えず、ただ首を小さく横に振る。ボブカットの黒髪がサラサラと揺れた。
 秋雪は待つことにした。暖かい飲み物を二つ用意し、一つを沙耶の前に置く。もう一つを少しずつ飲みながら、何も言わずに待ち続けた。
『ワシは、ついさっき捨てられた……。帰る場所など、無い』
 目の前に置かれたカップに手を伸ばし、ポツリポツリと沙耶は語り始めた。
 沙耶は孤児だった。物心ついた時から人間の中に混じって暮らしていた。周りは自分を人間だと思って接してくれていた。だから沙耶はミュータントだと言うことを隠すのに必死だった。
 平凡な日々。贅沢なことは一切出来なかったが、それでも沙耶は楽しかった。
 しかし悪魔は突然やってきた。
 凶暴という言葉を体現したかのようなミュータント達の襲撃。彼らの目的は社会に溶け込んだミュータントの殲滅。管理者でありミュータントである夜崎倖介に向けられるはずだった怒りの矛先が、罪のない者に向けられた。
 沙耶がミュータントだということを知り、孤児院の散々たる有様を目の当たりにした責任者は辛辣な言葉を沙耶にぶつけた。
 ――出ていけ! この疫病神!
 誰も助けてはくれなかった。周りすべてが敵となった。
 どこをどう走ったのか、まるで覚えていない。ただ何も考えずに、泣きながらアテもなく逃げ続けた。逃げる途中何度も転んで、凶悪なミュータントに追いつかれた。彼らは致命傷にならない程度に沙耶を痛めつけると、何故か放置し、再び沙耶が逃げるのを待った。そして追いかけ、追いつくと乱暴して放置。ソレを繰り返した。
 彼らは無力な同種をいたぶることに快感を覚えていたのだ。
 何度目かの暴行を受け、気力も体力も尽きかけていたときに秋雪と出会った。
『ワシは……どうすればいい。どこへ行けばいい……』
 酷く弱々しく、儚い声。今にも消えて無くなってしまいそうだった。
 秋雪はなかなか言葉が出なかった。自分の中にはミュータント・キラーとまで言われた刃という人格が眠っている。もし彼が表に出るようなことがあれば、間違いなく沙耶を傷つけるだろう。
 ――僕と、一緒にいますか?
 気が付くと、言葉が自然と口をついて出ていた。
 沙耶は一瞬呆気にとられたような表情を浮かべ、すぐに破顔する。ようやく、少女の心にもぬくもりが生まれるのを感じた。
 簡単なことだ。刃を出さなければいい。すべてを否定して。ミュータント・キラーのことも、オリジナルの思考具現化端末デモンズ・グリッドの事もすべて。自分は普通と変わらない一般人だ。最初から何も知らなかったし、これからもソレは変わることはない。
 自分に言い聞かせ、秋雪は強く決意した。

■Viewer Name: 神薙秋雪 Place: ? ? ?■
「けど、俺も結構役に立ったろ?」
 刃の声。辺りは暗く、体は心地よい浮遊感に包まれている。
「オリジナルの思考具現化端末デモンズ・グリッドが必要になったろ?」
 秋雪は声の発生源を探そうとした。しかし、右を向けば左から、上を向けば下から声は聞こえて来る。
「秋雪……よく、頑張ったな」
 諭すような声。赤子をあやしつけように優しい声で刃は言った。
「もう一人で大丈夫だろ?」
 ――どこにいる! 刃!
 声を出したつもりだった。しかし出ない。言いたいことは沢山あった。
 感謝しなければならない。謝らなければならない。水鈴に喋ったことが彼の本心だとすれば、自分はとんでもない勘違いをしていたことになる。
「久遠の方は俺に任せろ。お前が死ぬと悲しむ奴が沢山いるからな」
 ――何を言ってるんだ?
「久遠はもう諦めてる。お前が追いつめたんだ。お前の覚悟が久遠の精神を上回った。後は俺一人で十分だよ」
 ――だから何を言っている!
 叫ぼうとするが、声はでない。苛立ちの中に焦燥と不安が混じり始める。
「良かったな秋雪。これで俺が表に出ることはもう二度と無い」
 ――刃! 待て!
「お前の力になれて良かったよ、秋雪。楽しかった」
 ――刃!
「じゃあな」

■Viewer Name: 神薙秋雪 Place: A地区 マンション自室 PM2:23■
「刃!」
 ようやく声が出た。慌てて周りを見回す。
 白を基調とした、落ち着いた内装の室内。よく見知った光景。懐かしい匂い。
 自分の部屋だった。そこで三人の顔が、目を丸くてこちらを見つめている。
 一呼吸ほど間が空き、体に柔らかい衝撃があった。
「秋雪ぃ!」
 黒髪のボブカットに、目の覚めるような紅の着物。
「沙耶……」
 自分の首に手を回して、思い切り体を摺り寄せる華奢な少女の頭を撫でながら、秋雪は残った二人を見た。水鈴と倖介。二人とも軽く吹き、微笑ましそうな視線を向けてくる。
「えーっと、僕は……」
「感謝せーよ。水鈴がお前かついでここまで運んでくれたんや」
 倖介の言葉に触発され、徐々に思考が力を取り戻していく。霧の晴れ始めた脳は、重大な疑問を秋雪に告げた。
「そうだ! 久遠は!?」
 自分と久遠の体をソウル・ブレイカーで貫いた後、秋雪は意識を失った。それからここで目覚めるまでの記憶は一切無い。
「私が気が付いたときには、貴方一人だったわ。紅坂久遠の姿はどこにもなかった」
「ったく、しぶとい女やで。ホンマ。那緒の奴もそれ聞いた瞬間、『久遠様を探しに行きますわっ』とかゆーて出ていきおったわ」
 那緒の口調を真似ながら、倖介は茶化した。
「そっか……」
 さっき見た生々しい夢を思い出す。
(刃は、僕の代わりに久遠と……。今、僕が生きているのは刃のおかげだ)
 秋雪は自分の体を数値化し、ソウル・ブレイカーの破壊力を増強させた。しかし自分の半身とも言うべき刃がそれを肩代わりしてくれたおかげで、こうして生き延びることが出来たのだ。
 胸に手を当て、ゆっくりと目をつぶる。今まで感じていた、もう一つの意識。それが今はもう無い。まるで体の一部が欠如してしまったように、空虚な思いが秋雪を支配した。
「で、どうするんや? 俺らも久遠、捜すんか?」
 倖介の言葉に秋雪は、横に小さく首を振る。
「いや……放っておこう。それに久遠は僕らにしっぽを掴ませるようなヘマはしない」
 刃は自分の存在と引き替えに、大切な物を秋雪に残してくれた。
「そうかもしらんけど、また何か悪巧み考えとるんちゃうんか? 手負いの獣は恐ろしいっちゅーで」
「その時は、また倒してやるさ」
 もう負い目を感じることはない。胸を張って言える。
「オリジナルの思考具現化端末デモンズ・グリッドでな」

 ――On Line――
■Viewer Name: 神薙秋雪 Place: ナイン・ゴッズ 2 years later PM1:46■
「よぅ、久しぶりやな」
 『ナイン・ゴッズ』で沙耶と一緒に散歩中、秋雪は後ろから声を掛けられた。
 視界一面い広がる大草原。澄み渡り、雲一つない蒼い空。背の低い草花をそよがせる薫風が頬を出る。それに乗って香る花の息吹が、心地よく鼻腔をくすぐった。
「いいのか? こんなところでサボってて」
「たまにはガス抜きも必要や。それに、メンドいことは管理者補佐システム・エージェントにやらせとる。しっかし、二年前とちーとも変わらんのー、嬢ちゃん」
 相変わらず胸元をはだけさせたラフな格好で、倖介は沙耶の頭をぐりぐりと撫でた。
「こっ、これはバーチャル体だからじゃ! リアル体のワシは素敵なレディーに成長しつつあるわ!」
 顔を真っ赤に染めて、沙耶が激昂する。ぶんぶんと手を振り回すが、倖介には届かない。
「そっちの調子はどうや。水鈴とは巧いことやっとるか?」
「完全に補佐役に回されたよ。で、よく飲みに連れて行かれる。そのたびに刃の話をさせられるよ。よっぽどアイツの事が気に入ったらしい」
 どこか嬉しそうに言いながら、微笑する。
「なんや複雑な関係やなー。お前やけど、お前やない奴に入れこんどるっちゅーわけか」
「そっちは? 久遠代理様」
 言われて倖介は渋面を浮かべた。長い髪の毛をぞんざいにかき上げ、ジト目でこちらを見る。
「なーお前がやっくれや。やっぱ俺は器や無いわ」
 最高責任者である久遠の座が空位となり、その後釜として現在の管理者の中から倖介が抜擢された。かつて久遠の右腕として働き、五年以上も管理者を勤めているというのがその理由だ。
「そんな事はないさ。お前のおかげでこうやって堂々と沙耶と一緒に『ナイン・ゴッズ』を楽しむことが出来る。なかなか画期的な政策だと思うよ」
 倖介はミュータントにも『ナイン・ゴッズ』にアクセスする権限を与えた。獰猛なミュータントもバーチャルの世界で鬱憤を晴らしてくれれば、少しは現実社会での犯罪率も低下するだろうというのが表向きの理由だ。
「あれは単に同族に対する情けや。おもろいモンはみんなで共有した方がええやんか」
 あまりに子供じみた発言に、秋雪は小さく吹き出す。
「やっぱり向いてるよ、お前。そんな感じでやっていってくれ」
 秋雪の態度が理解不能だったのか、倖介は怪訝そうに眉をひそめた。
「あー、そうそう。一番最新の調査結果やとな、五割上回ったで。一日に二十時間以上『ナイン・ゴッズ』におる奴」
 久遠の使っていた洗脳機能が付加されているアクセスバンドは、メンテナンスという名目で、いったんすべて回収された。しかしプレイヤー・キラーの問題が解消されたことも手伝い、『ナイン・ゴッズ』の利用時間は減るどころか、毎日着実に増えている。ドーム内の住人の殆どが『ナイン・ゴッズ』で生活しているといってもよかった。
 すでに『ナイン・ゴッズ』内で、リアル体の睡眠時間を確保するサービスは大きく広まり、さらに食事の摂取も出来ないかと多くの企業がこぞって技術を開発しつつあった。秋雪の勤める会社も例外ではなく、早ければ半年後には導入される予定だ。
 そのシステムは空気からの物質生成。空気中に存在する炭素、水素、窒素、酸素の分子を用いてタンパク質や糖を合成し、半永久的に栄養補給するという物だ。コレまでも医療関係では用いられてきたが、安価で一般的に普及すれば一生『ナイン・ゴッズ』で過ごし続けることも夢ではなくなる。
「なんやかんやで、久遠の計画が達成されるのは時間の問題っちゅー感じやな」
 久遠の立案した『リバース・アピス計画』。それは、現実世界の住人をすべて『ナイン・ゴッズ』に移すこと。バーチャルの世界であれば、どれだけ人口が増えようとも十分に対応できる。非常に将来性に富んだ構想だった。しかし久遠の独裁を恐れ、多くの反乱分子を生み出す結果となった。
「久遠の計画とは違うさ。今の『ナイン・ゴッズ』は自然の産物だ。久遠から押し与えられた物じゃない」
「まぁな。けど、今のこの状態見たら久遠の奴なんて言うやろーなー……」
 久遠と、その管理者補佐システム・エージェントであった那緒は未だ見つかっていない。倖介が久遠の座に着く前に、ドーム内をすべて洗い出したが発見には至らなかった。
「『大きくなったな』って言うんじゃないのか?」
「は? 何やそれ」
「『ナイン・ゴッズ』は久遠が生み出した空間だからな。いわば自分の子供みたいな物だ。成長して悪い気はしないんじゃないのか」
「ほんなら俺らは久遠の子供の胎内にいるっちゅーことやな。ゾッとせんで」
 そう言ってカラカラと笑う。しかし、秋雪はまるで笑えなかった。倖介の何気なく発っした言葉が妙に的を得ている気がしたのだ。
(久遠の子供の胎内……まだ僕らは久遠の手中ってことか……)
 二年前、倖介が言ったように久遠はまだ何かを考えているのかもしれない。今は期を伺ってじっと身を顰めているだけかもしれないのだ。
「ん? どないしたんや、神妙な顔して」
 言われて秋雪は顔を上げる。
「ああ、何でもない」
(ま、いいさ。その時は何とかしてみせる)
 退屈そうに欠伸をしている沙耶の顔を見る。秋雪の視線に気付いたのか目を合わせた。そして屈託無く微笑む。
(沙耶……)
 今までは逃げることばかり考えていた。この力を封印し続け、無かったことにしてしまえば、死んだ両親を思い出させるような場面に遭遇する事もなくなるし、沙耶を傷つけることもない。それですべてが解決すると思っていた。
 だが違っていた。久遠がソレに気付かせてくれた。刃がソレを確信させてくれた。
 今までしてきたことは、後ろに下がらないだけであり、前に進むことではない。死んでいないだけで、生きているわけではなかった。
 秋雪に足りなかったのは自分への自信。思考具現化端末デモンズ・グリッドという絶対的な力を使いこなし、受け入れるだけの自信が無かった。そして今回の事件がなければ、恐らくは一生――。
 思考具現化端末デモンズ・グリッド、久遠、刃、そして自分自身。すべてに怯えて目を逸らし続けたに違いない。
(けど、もう大丈夫。僕は――)
 守るべきモノがある。そのための力もある。そして、そのことを誇りにすら思える。
(ナイン・ゴッズの一人だ)
 心地よい風が二人を包む。まるで祝福するかのように。
秋雪は晴れやかな笑顔を沙耶に返した。

 ――Log out...success.
Disconnected the service line of the virtual world "Nine_Gods".
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