廃墟オタクは動じない

モドル | ススム | モクジ

  第十四話『発症者』  

 旧校舎正面入り口。
 濃い錆の付いた傘立てに腰掛け、紫堂明良はタバコの煙を吐き出した。細く、長く。たっぷり数秒は掛けて。
「ただまぁ、それが直接的な原因とまでは断定できねぇ。確証はないんだよ。あくまでも“可能性”止まりだ。けどよ――」
 不敵な笑みを浮かべながら、紫堂明良は白髪交じりの黒髪を乱暴に掻き毟る。
「“可能性”があるってんなら、そいつに賭けてみたくなるってモンだろ? 男だったら本能的によ」
 茶化すかのような問いかけに、私は無意識に頷いていた。
 ドラッグ。麻薬。
 そう。少し前にもひっかかりを覚えていた。
 紫堂茜が亡くなった直後、彼女が麻薬系のドラッグを使用していたという噂がたったことがあった。心無い奴らが面白半分で巻いた作り話だとばかり思っていた。現にそんな非現実的な話はすぐに聞こえなくなった。
 だが――そうではなかった。
「検出されたドラッグの特性は可能な限り調べてもらったよ。構造式は大麻に似てるってよ。大麻で心臓発作っていやぁ、よく聞く話じゃねぇか。ま、残念ながら今回の場合はそういう定型的なヤツじゃないみたいだけどな。それから揮発性が結構高い可能性があるって話だ。仮にこいつが茜の死因だとして、それにしちゃあ体内に残存していた量が少なすぎるんだってよ。だからあっという間に蒸散しちまうんじゃねぇかって推測だ。実験的にも、一応それらしいデータは出てる。あとは揮発した場合、そいつが空気より重いってことくらいか」
 腰を上げ、紫堂明良は旧校舎の奥へと進みながら話を続ける。
「匂いは……まぁこういうモンの感じ方は人それぞれらしいけど、クサいって言う奴もいれば香水みたいな感じって奴もいる。ああ、甘いって言ってた奴もいたか。ま、人間の鼻なんざこんなモンだろ」
 匂い、ね。
 新校舎はいつも香水のような香りで満ちている。旧校舎は甘い匂いがすることがある。今はしないが。そういえば女霧が教室で“儀式”をしていた時も柑橘系の匂いがしていたな。あれもまぁ、甘い匂いの一種と考えられなくはない。
 何にせよ、“無臭ではない”ということだ。
「このあたりがドラッグに関する一通りの超極秘情報ってヤツなんだが……どうだ?」
 足を止め、フラッシュライトでこちらの胸元あたりを照らしながら、紫堂明良は面白そうに聞いてくる。
「どう、とは?」
「何かピンとくることとかないかねぇ、と思ってよ」
「……特には」
 私の返答に大きく頷き、紫堂明良は前に向き直って歩き出した。
「ほんじゃ、勝手にベラベラ喋ってるからよ。気になることでもあったら言ってくれ」
 新しいタバコに吸い変え、溜息でもつくようにして煙を吐く。
 紫堂明良が自分から喋ってくれている間は何かを言うつもりはない。ただで聞ける情報は貰っておくさ。
「狐憑き、ってあるだろ? この学校。茜の口からも聞いたし、実際この眼で何度も見た。あれはドラッグの症状だと思う」
 言葉とは裏腹に、断定的な語調で言い切った。
「いきなり暴れてみたり、叫んでみたり、そんで暴言吐いて気絶して。確かに狐様にでも取り憑かれたような御奇行の数々じゃあございませんか。けどよ、誰も彼もがそんな学校の都合よく、オカルト信じ込むわけじゃあねぇよなあ。特に警察みたいな、人を疑うことが仕事の人種はよ」
 校長はオカルトを見せ球にして何かを隠そうとしている。
 それはもう間違いない。ドラッグ説もすぐに受け入れられる話ではないが、こちらの方がまだしっくり来る。
「ただ残念なことに、ドラッグの陽性反応が出た頃には警察はほとんど引き払っててね。それに陽性っつっても、そいつが直接の死因とまでは結び付けられなかったから、結局満足な調査はできなかったんだよ。一番色々と聞きたい、お前さんの代の生徒さんらにはな」
 卒業してしまったから。
 紫堂茜の死から卒業まで二ヶ月。いったん事故として処理し始めてしまった件を、事件として再調査するには足りなさすぎた。時間も証拠も。
「その代の生徒が一番怪しいんだよ。当たり前だけどな。だから連絡の取れる奴らのトコ片っ端から当たってみたんだが……まぁ駄目だったよ。電話じゃ相手の顔色も見えないからな。ただでさえ警察からの連絡ってだけでも萎縮しちまうのに、その上案件が重いもんだから、錆びた植木バサミみてーに口も固くなっちまって。中には会ってくれる奇特な奴も何人かはいたんだが、やっぱり記憶があいまいでな。ま、つっても一番の問題は俺自身なんだけどな」
 二階へと続く階段を踏みしめるように上りながら、紫堂明良はハンっと自嘲気味に鼻を鳴らした。
「あいつのこと考えるとどーも突っ込みきれねぇんだわ。俺が変なこと聞いたせいで、変にかんぐられて、変な噂流されたらって思うとよ。なんせ相手が死人だろ? 文句は言わねーわ、気は遣わなくていーわで、言いたい放題ヤリたい放題のオンパレードだよなぁ。暇をもてあます大学生の話のネタとしちゃあ、もってこいだよ、ホント」
 ドラッグに関する情報は欲しい。だが娘の生きた道に傷はつけたくない。
 苦しい板ばさみ。
「どっかで踏ん切りつけなきゃならねーんだが、なかなか上手くいかなくてな。直感つーのか、刑事のカンっつーのか。どいつと話しても、こいつじゃねぇ、何か違うの自問自答日より。けど、今よーやっと理由がわかったよ」
 紫堂明良は歩きを止めないまま首だけをひねってこちらを振り向き、
「俺が今まで会った奴らの中に、お前さんみてーに面白そうな奴は一人もいなかった」
 人懐っこい笑みで、にかっ、と笑った。
「貴方の話し相手になってくれる、ボランティア精神あふれる人がいなかっただけじゃないですか?」
「ならお前さんは介護師の免許をとった方がいい」
「出世祝いはカツ丼でお願いしますよ」
「特別取調室も予約しておこう」
 フラッシュライトを機嫌よさそうに振りながら続ける。
「まーそれでも、だ。ドラッグの元締めを調べ上げる自信はあったんだよ。なんせ発症者が大勢いたからな。そいつらたどっていきゃあ、いずれ分かんだろって。時間の問題だって、そう思ってた。けどこのざまだ」
 両腕を高く上げて息を吐き、紫堂明良は廊下を曲った。
「お前さん、昨日言ってただろ。あの三人娘の場所に俺が来たのが、たまたまなんかじゃなく、意図的なんじゃねぇかって」
 三人娘……ああ、ABC子のことか。A子が「殴ってみなさいよ」とか挑発してきた時のことだな。
「大ビンゴだよ。ご察しの通り。あの子は発症経歴ありだからな。目ぇつけてる奴の一人なんだよ」
 発症経歴……以前にも何度かあったということか。だが彼女はまだ一年生だろ? ということはこの五ヶ月ほどの間に、紫堂明良に目をつけられるほど何度もあんな風に?
「五年間もこんなこと続けてりゃ目は肥えてくるさ。ちょっとの変化にも敏感になる。嫌でもな」
 こちらの思考を察したのか、紫堂明良は付け加えるようにして言った。
「あと、ま。も一個理由があってな。どーゆーわけか、発症者の中には一年生が多いんだよ。だから分かりやすい。それと、男子生徒よりも女子生徒の方が目立つ。なぁ、お前さん。こいつについてどう思う」
 狐憑きは一年生の女子生徒に多い傾向にある?
 一年……女性……。
 単純に全校生徒の中で最も体力の低いグループだから? それでドラッグに耐性がない?
 あるいは心理的な理由? 例えば、一年生は入学したばかりで学校に関する知識が薄い。それはつまり噂や憶測に対して無防備ということであり、外部からの情報操作を受け易いということだ。また一般的に男性より女性の方が感受性が高いとされている。もし彼女らが強い思い込みで、自分は狐憑きに陥っているという自己暗示にかかっているとしたら……。
「……さぁ、どうでしょうね」
 数秒考え、私は答えを濁した。
「そうかい。じゃあ続けるけどよ」
 紫堂明良は特に気にした様子もなく話を進める。
「あん時の女の子なぁ……って、まぁ別に名前で呼んでも今さら問題ねーか。宮園英子ってんだけどな」
「えっ」
 思わず声が出てしまった。
「ん? 何か引っかかったか?」
「彼女、“A子”って名前なんですか?」
「ああ、”英子”って名前だな」
 どういうセンスなんだ。
「……そうですか」
「あん? そんな珍しい名前でもないだろ?」
 どういう神経なんだ。
「……続けてください」
「そこに引っかかるのかよ。てか、覚えとけよ。仮にも自分の教え子だろ?」
「はい。“仮”の教え子です」
 やれやれ、と肩越しに呆れ声を漏らし、紫堂明良は再び前に向き直る。
「ええと、どこまで話したか……ああ、そう、宮園英子が発症者の一人ってとこまでだな。俺が最初に目ぇつけたのは五月の真ん中くらい、だったかな。あの子もよ、別に最初っからあんな飛ばしてた訳じゃねぇんだ。ちょっとヒステリックになるって程度のモンだったんだよ。ま、それだけ見る分にはちょっと癇癪おこしたのと変わらねぇ。例えば女性特有の生理現象とか、バイオリズムとか言われても納得できるレベルだ。ただ――」
 明後日の方向に煙を吐いて、紫堂明良は一旦言葉を切り、
「決定的に違うのは周りの反応さ」
 指先でタバコをもてあそびながら言った。
「どいつもこいつも顔中ハテナマークで一杯になりやがる。脈絡がないんだよ。いきなり攻撃的になる。催眠術にでもかかったみたいにな。それはお前さんも経験しただろ。あの時」
 ――あの時。
 A子の雰囲気がある瞬間を境に変わった時。
 そして五年前、親友だったあいつが突然暴言を投げかけてきた時も。何の前触れもなく、微塵も予兆などなく。何かに取り憑かれたように一変した。
「そいつがドラッグの作用か副作用かは知らねーけど、それが特徴なんだよ。発症者のな。ま、そういうデータだけは、この五年で無駄に蓄積してきたからなぁ。今となっちゃあ、周りの反応拝まなくても直感できるレベルになっちまったよ」
 多分、そんな芸当ができるのは、紫堂明良の観察眼があるからなのだろう。そもそも見分け方からして特殊だ。普通は本人にばかり目がいって、周りの人間の反応など気にも掛けないだろうに。
「で、そんな観察歴五年の俺の目から見るとだな――」
 足を止め、紫堂明良は体ごとこちらに向きなおる。
「お前さんからも、発症者の匂いがするんだが」
 丸い目を、す、と細めて紫堂明良は真顔で言い切った。
 フラッシュライトの間接的な光で浮かび上がる容貌。二つの瞳は真っ直ぐこちらへと据えられ、揺らぐことはない。全身を射抜かれ、精神に不可視の手錠でも掛けられたかのような錯覚。まるで犯人を弾劾するかのような雰囲気だ。
「自分が、ですか」
「ああ」
 発症者……私がドラッグを……?
 当然、ドラッグを服用した覚えなどない。
 だが服用“させられた”かもしれない。
 その可能性にはすでに至っていた。
 旧校舎の音楽室や図書室で聞こえた幻聴。そして意識の混濁。あれが本当に薬物によるものだとすれば……。いや、恐らくは薬物なんだろう。
 今日の昼休み。七ツ橋と一緒に音楽室にいた時に聞いた『声』。あれは紫堂茜のものではない。しかも内容まで変わっていた。あんな物を事前に準備することは不可能だ。
 だが方法が分からない。仮に新校舎のオシャレ香がその類のものだとすれば、全校生徒に症状が出ているはず。だが紫堂明良の口ぶりからして、全員が発祥しているわけではなさそうだ。勿論、個人差はあるんだろうが、それだけでは紫堂明良の言っていた『一年生に発症者が多い』ことの説明にはならない。在校期間の長い三年生の方が、オシャレ香を長く吸い続けているのだから。
 なら別の方法か?
 鼻からの吸引とは限らない。ドラッグの服用方法として一般的なのは注射だが……そんなものされれば、いくらなんでもその場で気付く。
「覚えがありませんね」
 私は表情を変えないまま端的に返した。
「そうかい」
 すぐに頷いて見せるも、紫堂明良の視線は固定されたままだ。僅かな変化も取りこぼすまいと、鋭利な眼光をこちらの内面に這わせてくる。
 確かに、A子の身に起きた症状と、私が旧校舎で体験した変調は似ている。
 妙に思考が攻撃的になり、その後でしばらく気を失った後に目が覚める。
 A子にも幻聴が聞こえたかどうかは知らないが、それらの点においては一致している。
 もし仮に、紫堂明良がこの五年間で鍛え上げた“刑事のカン”の通り、私も『発症者』なんだとすれば、私が『発症者』である原因と、A子が『狐憑き』となった原因が、同じドラッグによるものである可能性はある。そして私がドラッグに関与しているのではないかと疑う気持ちも分かる。
 だが現段階では推測だ。邪推と言ってもいい。そもそも今こいつは私に協力を求めている立場ではなかったか? これ以上根拠のない言いがかりを付けてくるなら、こちらとしても考えが――
「ああ悪い悪いっ」
 不快感が顔に出てしまったのか、紫堂明良は声のトーンを上げて頭を下げた。
「今日はそんな探り話をしにきたんじゃないんだった。ここでお前さんの機嫌を損ねたって、誰も得しねぇのにな。ついクセでよ。いや、本当にすまなかった。忘れてくれ」
 適当に作り笑いを浮かべた後、また歩き出す。
「まぁそんな訳で、発症を重ねるたびに攻撃性が増す。ま、ドラッグの依存度合いで変わってくるんだろうな」
 そして何事もなかったかのように説明を再開した。
 ……どこまでもマイペースな奴だ。
「で、ある程度の回数を重ねると、気絶する奴も出てくる。気絶時間は発症回数が多いほど長くなる。宮園英子のはまだ短い部類だな。長い奴で十分以上昏倒してたケースもあった」
 で、こいつはそれをじっと観察した後、尾行なり質問なりをした、と。
 実に仕事熱心なことだ。深い娘愛に頭が下がる。
「この五年間、発症者としてマークした数は、教師も含めて学校全体で百六十七人。そのうち一年生の時に発症した奴が九十一人。半分以上だな。そん中で女子生徒が六十五人。偏りがあるって考えるには十分な数字だろ?」
 確かに。
 だが数字の偏り以上に気になるのは、それだけの数がいるにもかかわらず、紫堂明良が一回も服用現場を押さえられていないということだ。
 紫堂明良は決して無能ではない。彼の観察眼と考察力は相当なものだ。となれば服用方法が特殊だと考えるのが自然。そのあたりに何かヒントのようなものがあれば……。
「で、俺はさらに二人加わると考えてる」
「二人?」
 思考を中断して私は聞き返した。
「そう。七年前に旧校舎で死んだ新坂康介と、六年前にグラウンドで死んだ上村真治の二人だ」
 旧校舎が生徒の間で恐怖の対象とされている原因のひとつ。実際にあの敷地内で死亡した二人。
 だが彼らが死亡したのは紫堂明良が調査を開始するより前だ。それに二人とも男性。新坂康介に至っては教師だ。さっき紫堂明良が説明した傾向とは一致しない。
「根拠は?」
「茜との共通点が二つある。一つは死亡状況が不自然であること」
 新坂康介は翌日の授業の準備をし終えた後、帰宅時に階段から足を踏み外して転落。後頭部を強打したことで死亡。
 上村真治は夏休みに野球部の練習中、グラウンドで倒れて病院へと搬送。その一時間後に死亡。身体状況から熱中症と診断。
「特に不自然とは思いませんが」
「新坂康介が死んだのは七月の二十五日、午後六時から七時の間。陽の光はまだ十分にあった。周りは明るかったんだ。それに彼が持っていたのは鞄一つ。大きな荷物で両手を塞がれていたのならともかく、三十二歳なんて若さの男性が、ろくに受身も取らずに落下するもんかねぇ」
「……」
「野球部員は上村真治も含めてあの時三十人ほどいた。けど彼だけが熱中症になった。他の部員は体温、体調ともに全く問題なく正常。死に至るほどの深刻な熱中症患者が出たってのに、周りの連中はこれっぽっちも異常値を示さないってのは、どうしてなんだろうなぁ」
 まるで台本のセリフを棒読みするかのように、紫堂明良は抑揚のない声で言葉を平らに並べた。
「二つ目の共通点は?」
「死ぬ前に一人でいた」
 私の言葉に被せるようにして、紫堂明良は即答する。
「新坂康介は次の日の授業の準備をするために“一人”で化学準備室にいた。上村真治は部活に来る時、ほとんどの場合遅れてきていた。あの日も例に漏れず、遅刻して来た。つまり部活に参加する前、部室で“一人”だった」
 つまり、その“一人”の時にドラッグを服用し、あるいはさせられ、その後“不自然な死”につながった、と。
 紫堂茜の場合も、死亡時に目撃者がいない以上、死ぬ前は図書館で“一人”だった。司法解剖の結果により、典型的な要因で死んだわけではなさそうだという疑いが浮上した。“不自然な死”というカテゴリーに分類された。何より体内からドラッグが検出された。だから紫堂明良はこうして必死に捜査している。
 その気持ちが貪欲に情報を求めさせ、僅かな手がかりでも紫堂茜のことに絡めたがるんだろうが――
「少々強引過ぎると思いますけどね」
「だよなぁ」
 意外にも紫堂明良は反論することなく、あっさり引いた。そして天を仰ぐようにして首を持ち上げ、深い嘆息とともに煙を吐き出す。
「いやぁ我ながら随分なゴリ押しだと思うよ。俺の大嫌いな先入観ってやつに、どっぷりつかっちまってる。暴論もいいとこだ。けどな――」
 足を止めて新しいタバコに火をつけ、紫堂明良はなぜか機嫌よさそうに続けた。
「可能性として考えられないわけじゃない。今は想像でしかないが、当時の状況を知ってる奴の話聞いていきゃあ、ちっとはまともな理屈になるかも知れねぇ。全く別の可能性が浮かび上がってくるかも知れねぇ」
 そしてタバコを指に持ち替え、火先をくるくると回して円を描いて見せる。
「要は、俺がお前さんに聞きたいのはそういうことなんだよ。お前さんは俺が知ってるより前の夕霧高校を知ってる。もっと言や、茜が死ぬより前の時期に、何かドラッグ絡みの情報がなかったかを知ってる。ドラッグって表現でピンとこなけりゃ、狐憑きでもいい。例の二人が死んだ時期に、お前さんはこの旧校舎で生活してた。まだ茜が元気に学校生活を送ってた時に、お前さんはその場所にいた。妙な行動をとる生徒や教師の姿を見てきてるはずなんだよ。今は覚えてなくても、これから色々意識して見てきゃ思い出せることはたくさん出てくるはずだ」
 いつになく興奮気味な口調で、紫堂明良はまくし立てるように早口で言ってくる。
「お前さんは茜の同級生で、頭もキレて肝も据わってる。茜のこともある程度は特別に見てくれていた。けどそれ以上にお前さんが特別なのは、こうやって現場見ながら話ができるってことだ」
 そして何かを指し示すように、フラッシュライトの光を上に向けた。その先にあるのは教室名の書かれたプレート。
 図書室。
 中から漏れ出すように漂ってくる古い紙の匂い。長い年月をかけて蓄積された、停滞と静寂の雰囲気。それは廃校になる前から変わることなく、この場所に鎮座し続けている。
 紫堂茜の死んだ場所。
「俺の娘はドラッグに手を出すような奴じゃない」
 私は無意識に頷いていた。
「あいつをドラッグに関わらせた奴がいる。その証拠がここに残ってる。あいつを死に追いやった犯人の手がかりが、この旧校舎のどこかに残ってるかも知れねぇんだよ」
 可能性はある。
「正直、俺一人じゃあ手詰まり感があった。けどお前さんが協力してくれりゃあ何か新しいモンが見つかるかも知れねぇ」
 私が当時の記憶を思い返しながら、旧校舎をめぐれば、あるいは――
「協力、してくれねぇか」
 紫堂明良の雰囲気は完全に変わっていた。
 背筋が伸び、普段より頭一つ分は高い視点から、こちらを真っ直ぐに見つめている。双眸に曇りはなく、この暗がりでも明確な意志が感じ取れた。力み過ぎず、かといって緩み過ぎず、自然な形で下ろされた両腕は体の横に添えられ、革靴のかかとは寸分のずれもなく合わさっていた。
 否が応でも伝わってくる真剣な空気。
 あいまいな返答では決して引き下がらないだろう。
 もっとも、するつもりもないが。
「いいですよ」
 短く言った私の言葉に紫堂明良の両目が大きく見開かれた。
「ありがとう」
 丁寧に体を折り、感謝の言葉を口にする紫堂明良。
 別に礼を言われる覚えはない。根幹のところで利害は一致してるんだ。
 私は紫堂茜への感情を整理するためにここに来た。彼女の死の真相が分かるなら願ったり叶ったりだ。そのついでに、狐憑きだの、謎の声だの、ドラッグだの、犯人だのを一緒に片付けたところで大した手間じゃない。まぁせいぜい、こちらも警察の力とやらを利用して、効率的に寄り道させてもらうさ。
「やっぱり俺の見立ては正しかったよ」
 こいつは、ドラッグが紫堂茜の死因である『確証』はない、とは言っていた。だが『確信』はあるんだろう。でなければ五年間も調査など続けてはいない。おかげで紫堂茜の死について、自分の考え方にも自信が持てた。
「で、協力の代わりといっては何ですが、こちらからも一つお願い事を聞いて貰っていいですか?」
 喜色に満ちている紫堂明良の顔色を伺いながら、私はネクタイを少し締める。
「おお。そりゃまぁ、大抵のことならな」
「刑事さんが深い親交を持ってる人達の力をお借りしたいんですが」
 僅かに、警戒の色が宿ったように見えた。
「随分と分かりづれぇ言い方だな」
「直接的な表現はあまりに品がないんでね」
「お前さんが吐くには、今さら過ぎるセリフじゃねぇか?」
「レコーダーの編集点くらいは作って差し上げようかと思いまして」
 私の言葉に紫堂明良はタバコをくわえると、鼻を鳴らしてトレンチコートのポケットに手を入れる。そして中で何かを動かした後、煙をくゆらせながら手を出した。
 今までの会話は当然録音済みだ。“何かの時”に使うために。
 だがここから先は記録する意味がない。なぜなら彼にとっても不都合な会話の内容になるのだから。
「ヤクザの力を貸して欲しいんですよ」
「軽い気持ちで言ってんなら止めとけよ。お前さんに怪我でもされたら俺が困る」
「否定しないんですね」
「どうせカマ掛けでも何でもして、白状させる気なんだろ? お前さんとの腹の探り合いは、もうやめるって決めたんだよ。ついさっきな」
「話が早くて助かりますよ」
 ネクタイを緩めなおし、私は長い前髪を軽く左右に散らした。
 ドラッグ。
 刑事の口からそのワードが出てきた時点で、ヤクザ者との絡みはあると見ておいて間違いない。紫堂明良の意志が強ければ強いほど、彼らとの繋がりもまた強くなる。アンダーグラウンドの流通はその専門家に聞くのが手っ取り早いからな。
 それに、女霧にも紫堂明良と『怖そうな連中』が一緒にいる話は聞いていたし、何よりあの風貌だ。カタギの仕事ばかりであんな額の傷はつかないだろう。
 ま、色々とつつく要素はあるが、本人が認めてくれるなら手間が省ける。
 私の予想だと、紫堂明良とヤクザの繋がりは相当強い。校長にも働き掛けていそうだからな。
 だが、そちらでもドラッグの正体を暴ききれなかったから、こんな寂れた旧校舎にかすかな希望を求めているんだろう。化学構造自体は大麻に似ているらしいが、相当珍しい種類のドラッグのようだ。
「で? 何をして欲しいんだ?」
「七ツ橋ひなた、という名前の生徒、ご存知ですか?」
「勿論。一年D組の女子生徒だろ? 小柄で陰のある感じの」
「彼女を助けて欲しいんですよ」
 紫堂明良は何か考えをめぐらせるように中空に視線を這わせ、
「……そいつぁ、イジメ問題を解決しろって意味合いでいいのか?」
 二呼吸ほど後に発せられた言葉に、私は微笑して頷いた。
「……まぁ、お前さんがこの子にどんな特別な感情を抱いてるのか、なんて聞くつもりはねーけどよ。こういうのは外から小突いて、それがどういう結果になったとしても、あんま良い方向には行かねーと思うけどな」
「分かってますよ」
 そんなことは。
「十分に」
 最終的には当事者同士の問題。だがその過程の段階で、何かしらの補助くらいはあってしかるべきだ。
 傍観者という名の加害者。ただ見ているだけの偽善者になるくらいなら、最低の自己満足を実行した方がましだ。
 だが私はあと一週間でここを去る。
「だから“彼ら”に頼むんじゃないですか」
 効果を持続させるために。それも中途半端なものではなく、大きな成果を。
「さらっと怖いこと言うねぇ」
 口の端を吊り上げて愉快そうに笑いながら、紫堂明良は煙を吐き出す。
「ま、ヤクザもんにこういうこと頼むんだ。その意味をちゃんと知ってるってことでいいんだな?」
「ええ」
「まーお前さんがそれで満足するってんなら安いもんだ。銃を調達してくれ、なんて言われるよりは、よっぽど良心的な取り引きだぜ」
 くっく、と冗談めかした笑いをこぼしながら、紫堂明良はタバコを携帯灰皿に押し付ける。そしてトレンチコートの内ポケットから、皮の装丁がされた手帳を取り出した。
「こっちとしても大騒ぎにはしたくねぇ。なるべく穏便な方向にもっていくが、それで構わねぇな?」
「構いません」
 どのレベルが“穏便”なのかは知らないが。
「イジメに関与してる奴の中に発症者がいた場合、そいつへの対処は甘くなるか、最悪ノータッチになるかも知れねぇが、それは構わねぇな」
「できる範囲で結構です」
 A子は強運の持ち主、か。
「ま、関与してる生徒の目星はもうついてるし、二、三回小突けばすぐ大人しくなんだろ。えー、今日は金曜日、か。土日の生徒さん達は自由行動、と。週明けには殆どカタ付いてんだろ。月曜日にでも七ツ橋お嬢さんのこと、気にして見ててやっててくれよ。足りてなきゃ、もうちょっと強めにやるように指示出すから」
 鼻歌混じりに言いながら、手帳に何かを書き込んでいく。こういうことに手馴れているのか、ペンが立ち止まることはない。
「お前さんがクズだって思ってるイジメ野郎を擁護する気なんざ、さらさらねぇけどよ。クズって人種には、それはそれでニーズがあるんだよ。人間、どんなに落ち込んでも、『あいつよりはまし』とか『あのケースよりはいい』とか理由つけて、自分を元気付けたり安心する時があんだろ? もしそん時にクズがいねーと、立ち直れずにそいつがクズになっちまうかも知れねー。結局は誰かがクズやるよーにバランスがとれてんだ。ゴミ箱の中身はいつまでたっても空にはなんねーのさ」
「彼女の周りの掃除をしてくれればいいんですよ。ゴミゼロ運動なんかに興味はない」
「気持ちいい即答っぷりだねぇ」
 何か含みを持たせたような言い方をして、紫堂明良はペンを止める。
「クズに関わりすぎると、いつの間にか自分までクズになってる。感覚が麻痺するんだ。お前さんは俺みてーにならねーよーに気をつけときなよ」
 にっ、と人懐っこい笑みを見せ、紫堂明良は携帯電話を取り出した。
「お前さん、やっぱ発症者の目ぇしてるからよ」
モドル | ススム | モクジ





空メールでも送れますが、一言添えていただけると大変嬉しいです。
Copyright (c) 2013 飛乃剣弥 All rights reserved.
 

-Powered by 小説HTMLの小人さん-

inserted by FC2 system