貴方に捧げる死神の謳声 第三部 ―黄泉路からの慟哭―

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十四『連なる不意』


◆歪んだ期待 ―水鏡魎―◆
 倒木のベンチ、枯れ草のベッド、木漏れ日のランプ。
 密林地帯の一角。ココは人の手など一切入っていない、自然が生み出した生活空間。
「うーん、あの嶋比良久里子という女性……なかなかやるなぁ」
 太い木の幹に背中を預け、魎は土御門財閥の館の方を見ながら呟いた。
 先程、冬摩達が出て行くのが見えた。自分を探すために。冬摩の単独行動ではなく、全員一緒だった。
「冬摩を上手くコントロールしている。きっと仁科朋華を引き合いに出しているだろうが、それでも大した物だ。私も昔は色々と手焼いたからなぁ、はっはっは」
 前髪を掻き上げ、広い額をぺしぺしと叩きながら魎は鷹揚に笑う。
「まぁ、冬摩本人も成長しているという事か。その辺どう思う、玖音」
 サングラスの位置を直し、腰まで伸びたストレートの黒髪を梳きながら魎は目線を僅かに上げた。
「さぁな」
 獅子と同等か、ソレ以上の巨躯を誇る漆黒の凶鳥、『無幻』の背中であぐらを掻き、玖音は不機嫌そうに返す。一見、自由に見えるが、強力な『烈結界』が両手両脚を拘束中だ。同じ姿勢のままでは辛いだろうから、一応定期的には変えてやっている。
 その甲斐あってかどうかは知らないが、最初の時よりは随分大人しくなってくれた。
 いや、大人しくなってしまった。
 諦めたのか、脱出の機会を窺っているのか、それともやろうと思えば抜け出せるが今は束縛されているフリをしているのか。
 ――情報を引き出すために。
 まぁ何にせよ玖音とこうしてお喋りしているのは楽しいし、何か企んでくれているのならソレはソレで趣があるというもの。良い刺激になる。何千年も生きていると、こういうスパイスがないとすぐに退屈してしまうからな。
「あー、私の予想だと保持者達の自爆に我を忘れて飛び出してくるかと思っていたんだがなぁ」
 嶋比良久里子の予備の携帯電話の使い方といい、この辺りの『予知』が出来ていない事といい、まだまだ『虹孔雀』を使いこなすには至っていないようだ。ひょっとすると紫蓬にしか使いこなせないよう、プロテクトのような物が仕込まれていたりしてな。
 龍閃と同じく、アイツだって使役神に小細工できた可能性もある。
「その時に第三段階もついでに終わらせようと思っていたんだが、コレはちょっとアテが外れたなぁ。いやぁ参った参った」
「随分と嬉しそうだな」
「結果が分かってしまっている以上、過程を楽しむしかないからな」
「『予知』か」
「そう」
 玖音の言葉に魎は片眉を上げながら短く答えた。
 ――《荒神冬摩は負ける。水鏡魎に敗北する》
 『予知』が現実となる日が近いのか、内容がより鮮明な物になってきた。
 冬摩の敗北。ソレは恐らく死を意味する。
 つまり、自分の計画通りに事は運ばないという事だ。
 当初の予定ではアレだけを手に入れるつもりだった。その他の使役神に興味はない。
 龍閃が創りだした五体の神鬼、『死神』、『鬼蜘蛛』、『天冥』、『餓鬼王』、そして『獄閻』。
 『死神』には『飛翔』、『真空刃』、『復元』といった基本的な能力の他にも、保持した者の肉質を龍閃の嗜好に合わせるいう裏の能力が備わっていた。
 そしてアレにも表向きの能力とは別に、もう一つの役割を担わせていた。
 五体のうち、すでに二体に異質な力が隠されていた事が分かっている。なら、残った他の三体もそういった力を秘めていると考えるのが自然だ。
 だから避けたかった。ソレらを継承する事だけは。
 気付かぬ間に精神を侵蝕され、全く違う自分になってしまうなど考えただけでぞっとする。龍閃の思考は読めない部分が多すぎる。
 そのために色々と実験を重ね、望んだ一体の使役神のみを冬摩の中から引き出す方法を確立したのだ。
 しかしソレが失敗に終わる事を『予知』してしまった。
 ほぼ間違いなく、自分は冬摩を殺す事でアレを手に入れる事になるだろう。厄介なオマケ付きで。
 だがココまで来てしまった以上もう仕方がない。今更、計画を中断するという選択肢は無い。運命に逆らう事なく答えにたどり着くしかない。
 アレを手に入れるために。
 それに純粋な興味もある。
 計画が上手く行かないのだとしても、ソレがどうして上手い行かないのか。一体、誰がどのように阻むのか。いつ? どこで? 人数は? 使う道具は? 納得のいく方法? そとれも強引で無計画な物?
 逆にその部分に好奇心をそそられる。
 例え行き着く答えが同じだったとしても、ソコに至るまでのプロセスを楽しむ事が出来ればソレはソレで意義があるというものだ。
「あー、私の計画は大きく五つの段階があるという事は前に話したよなぁ」
 例えば、コチラの出したヒントから玖音がいかにして正解を導き出すか。
 ソレを楽しむのもまた一興という物だ。多分、玖音は割と早い段階で答えに行き着くだろう。そうなると分かっていたとしても、洗練された秀逸な思考プロセスを聞く事が出来れば良質な刺激となる。
「第一段階と第二段階はすでに終了。第三段階は冬摩君が自制してしまったために未完。第四段階は終了……と思っていたんだが、コチラも冬摩君の自制により微妙な所だ。まぁ着実に進んではいるがな。そして最後の第五段階はそろそろ着手しようかといったところ。さて、コレらの情報から私の計画の全容が見えるかな?」
 魎はおどけたような口調で言いながら、不愉快そうな表情を浮かべている玖音を見た。
 玖音は何も答えず、ただ黙ってコチラを睨み付けている。しかし軽く口の端を吊り上げたかと思うと、確信めいた言葉を口にした。
「第五段階とやらは荒神冬摩を自分の召鬼とする事」
「ほぅ」
 玖音の答えに魎は感嘆の声を上げる。
 正解だ。まさしくその通り。
「根拠は?」
「お前は自分の召鬼をあまりに多用し過ぎだった。美柚梨、嶋比良久里子、そして龍閃の死肉を埋め込んだ一般人。まるで何か、『実験』でもしているようだった。自分の支配力がどの程度の物なのか確認していたんじゃないのか?」
 なるほど。言われてみれば使いすぎていたかも知れない。
 確かに自分の支配力を見極める必要があった。そのために芹沢美柚梨を召鬼にしたのだから。
「それからお前が捨て駒にした三人の保持者。彼らはすでに式神を保持していない。お前に奪われてな。じゃあどうやって奪ったのか。答えは『閻縛封呪環』と召鬼化の組み合わせさ。彼らを召鬼化して荒神冬摩の所に送り込むのは、美柚梨や嶋比良久里子を召鬼にして放っておくのとは比較にならないくらいリスクが大きい。その三人は、“お前がどのようにして自分達から式神を奪ったのか見ている”からな。荒神冬摩による再支配で意識を取り戻し、その方法を喋られでもしたら間違いなく計画に支障が出る。だから普通、そんな危ない真似はしない。しかしお前は召鬼の状態で送り込んだ。つまり彼らは最初からずっとお前の召鬼だった訳だ。お前の『実験』に付き合わされてな。召鬼である事が当然になっていたから情報漏洩の可能性すら頭に浮かばなかった。始めから終わりまで召鬼づくし。気に留めるなという方が無理な話だ」
 そうか。確かにその可能性は考えなかったな。まぁ捕まる前に自爆させる自信があったという事もあるが。
 それにもう、使役神を受け継がせる三番目の方法に関しては、すでに玲寺が喋っているだろう。
 九重麻緒との戦いを終えてからというもの、彼の心にあった靄がどんどん晴れていくのが分かる。ようやく居場所を見つけられたと言ったところか。恐らく、二度と自分の元には帰ってこないだろう。いや、それどころかある種の嫌悪感を抱いていると考えるのが自然だ。
 だから玲寺は喋る。自分から聞かされた事を、何気なく聞いていた事を。
 まぁどうせ自分の計画が上手く行かない事は分かっているんだ。今更少しくらいの支障が出たところで問題はない。
 それよりも玲寺がこれからどういう行動に出るのか楽しみだ。何やら陣迂と結託していたようだが。
 用済みになった実験材料は、新しい使役神鬼を生み出す素材にでもしようかと思っていたが、まだまだ利用価値は有りそうだ。
「『死神』に『閻縛封呪環』を施す事。コレが第三段階。三人の死を見て逆上した荒神冬摩相手なら簡単に出来ると思っていた。しかしそう上手くは行かなかった。第一段階は荒神冬摩の周りの戦力の無力化。僕はこの様、九重麻緒は荒神冬摩のコピーで読みやすい、嶋比良久里子はお前の召鬼。荒神冬摩を自分の召鬼にするつもりなら、嶋比良久里子の支配権はお前の物だろうからな」
「凄いな、玖音。今のところ全て正解だよ」
 大枠ではな。
 魎は口笛を吹き、軽く手を叩きながら胸中で付け加える。 
 第三段階が使役神に『閻縛封呪環』を施す事だというところまでは合っているが、『死神』ではない。あんな性悪高飛車女に興味はない。
 第一段階が冬摩に手を貸そうとする者を封じる事というところまではあっているが、九重麻緒は断じて冬摩のコピーなどではない。あの先の読めないトリッキーな動きと、予測不能の自己進化は冬摩なんかよりずっと厄介だ。
 しかし彼の事はよく分かった。何をどのように考え、どんな答えに行き着くのか。そして彼には実に『共感』できた。だからもう敵ではない。
 まぁこの辺りは当初の予定から随分と狂わされた。
 最初は自分が嶋比良久里子を、玲寺が玖音を、そして陣迂が九重麻緒を捕らえてくるはずだった。しかしアイツらの独断と無責任思考によって見事に頓挫。
 仕方なく自ら動いて九重麻緒から何とかしようと思ったのだが、情けない事に押されてしまったという訳だ。そして『分身』まで使うハメになり、更には『歪結界』を維持できなくなって大騒動になってしまった。
(ううむ……あれからしばらくは離れなかったな……)
 狂気に酔い、哄笑を上げる麻緒の顔が。まるで覚める事のない悪夢のように。
 だが悪い事ばかりではなかった。
 玖音は自分がそんな初歩的なミスを犯すはず無いと深読みしてくれたし、自分が冬摩の位置を把握できたのは麻緒に何か目印のような物が付いているからだと見誤ってくれた。まさか単に後ろから付けて行って居場所を知った等とは、考えもしなかったのだろう。
 とは言えここまで狂わされると、大きく方向修正するしかなかった。
 麻緒を強敵だと自分の中で再認識し、彼の動きを観察する事にした。そのために冬摩と戦って貰った。危うい精神状態の彼が、冬摩を陣迂と勘違いする事は明白だったから。 
 だが彼の事が最もよく分かったのは冬摩との戦いからではなく、死肉の培地達への扱い方からだった。
 何の躊躇いもなく殺し、その返り血を浴びて悦に浸る麻緒を見て確信した。
 ――同種だと。
 麻緒は人間だが本質的な部分は魔人に近い。
 他の命を消す事に何の抵抗もなく、戸惑いもなく、ただ自分の欲望に突き動かされるままに力を振るう。
 冬摩や陣迂、紫蓬や牙燕などよりずっと魔人らしい。非常に近しい存在だ。
 玲寺や陣迂との戦いぶりも見させて貰ったが、あの破滅的な戦い方には惚れ惚れしてしまった。『共感』でき、そして大いに気に入ってしまった。
 それだけに、次自分に向かって来た時に殺してしまうのが実に惜しい。
(まぁ向こう次第だがな)
 もし、麻緒の方からも自分に共感してくれたのなら――
「あー、で、だ。第二段階と第四段階はどうだ?」
 倒木のベンチに腰掛け、魎はダークコートのポケットから青汁の紙パックを取り出して聞く。
 この辺りは少し難しいぞ。玖音も確信のある物から順に言っていったんだろうからな。
「第二段階は荒神冬摩への死肉の使用」
「ほぉう」
 コチラを真っ正面から見据え、断定的な口調で言い切った玖音に魎は感心したように頷いた。
 玖音はカマ掛けによって、冬摩に龍閃の死肉を使うつもりである事をすでに知っている。だから計画の一部にソレが盛り込まれていたのを言い当てた事自体は何ら驚くべき事ではない。
 ココで凄いのは、ソレをまだやり残しのある第四段階ではなく、すでに完了してしまった第二段階に当てはめたところだ。甘い読みはしない彼の性格ゆえなのか、ソレとも他に何か理由があるのか。
「龍閃の死肉は荒神冬摩の支配力を下げるために使ったんだ。お前が荒神冬摩を自分の召鬼にするには、当然アイツの支配力を上回る必要があるからな。そして本当に上回ったかどうかを調べるために、あえて美柚梨を拘束しなかった」
 分かっている。
 この男は全てお見通しだ。さすがは儀紅の血を引いているだけある。
「あー、その通りだ。玖音。いいぞ。素晴らしい」
 紙パックに付属のストローを突き刺し、青汁を勢いよく吸い出しながら魎は大きく頷いた。
 龍閃の死肉の効果は、その使用量や服用期間等によって大きく四種類に分かれる。
 一つ目は擬似的に龍閃の召鬼となり、人外の力を得られる事。
 コレは少量を服用した場合だ。召鬼化も一時的な物で、時間と共に効果は薄れ、いずれは元の体に戻る。今のところ後遺症のような物は見つかっていない。
 二つ目は服用者の体の肉を龍閃の死肉と同質の物に変える事。
 コレは効果が完全に消えてしまう前に再度服用する事によって起こる現象だ。
 最初、自分が求めていたのはこの効果だった。有限である龍閃の死肉を増殖させる方法を求めて、一般人や真田家の女達を使って色々と実験を重ねた。
 ソレは現世で魔人の核を得るため。その核からまた新たな神鬼を創り出し、自分の力に変えるため。
 篠岡玲寺。彼は冬摩と戦う力を得るために、自ら龍閃の召鬼となった。そして龍閃の死後、約一年。玲寺は魔人の波動を放つようになった。龍閃と同質の気配を帯びた。
 龍閃の死肉を大量に服用し、尚かつソレが体の中で安定化すれば人は魔人へと転生する。
 その事を玲寺が教えてくれた。
 ソレが三つ目の効果だ。
 勿論、適性は求められる。ソレも極めて厳しい適性が。
 殆どの人間は、龍閃の死肉を過剰服用する事で発狂死する。しかし中には生き残る者も居た。魔人としての力はゴミのような物だが、核は立派に備わっている。だからソレを寄せ集めれば新たな神鬼を生み出せる。
 理論上は。
 残念ながらまだソレを試してはいない。人から転生した魔人の核でも神鬼を創り出せるのかどうかは確認していない。
 なぜなら自分が力を付ける必要が無くなったから。そんな回りくどくて時間の掛かる方法は不要になってしまったから。
 自分の精神力を強化するのではなく、相手のソレを弱体化させてしまえばいい。
 体内での安定化に失敗した人間は精神に異常をきたして死んでいった。つまり、龍閃の死肉には相手の精神を侵蝕する力がある。
 少量では召鬼化としての力しか無いが、大量の服用すると先天的な抵抗力の無い者は精神を喰われる。
 考えてみればソレは道理であり、自らも体験した事だった。
 龍閃が『悦び』の糧としていたものは、肉体的な苦痛よりも、どちらかという精神的な苦痛だ。ソレは龍閃の生肉を受けた自分自身が一番良く知っている。あの時、取り出すのがもう少し遅ければ今頃どうなっていたか分からない。
 龍閃の死肉は相手の精神力を喰う。
 コレが四つ目の効果だ。
 この効果によって、冬摩の精神力――つまり召鬼化の支配力は自分のソレを下回った。
 最初に死肉を付けたのは、冬摩が大学から帰っていた時だ。穂坂御代と一緒だったところを、死肉の二つ目の効果で培地化した人間に襲わせた。
 次が九重麻緒の中学校。
 同じく培地化した大量の人間を冬摩に差し向けた。残念ながら全員、九重麻緒によって殺されてしまったが。
 そして三回目は冬摩と九重麻緒が休んでいた公園。
 あの時、本当は陣迂が仁科朋華を連れ去るための時間稼ぎをするだけのつもりだった。冬摩が左腕の力を顕現させてしまったために予想外の反撃を受けてしまったが、ソレに見合う収穫は十分にあった。
 自分の『分身』を培地化する事で、冬摩に龍閃の死肉を付けられた事。『分身』とはいえ冬摩が自ら手で殺してしまったために悩む事になってくれた事。そして『獄閻』に『閻縛封呪環』を施せた事。
 まぁ、最後のがミスリードだという事はすぐに見破られてしまったが。
 この三回の接触で、冬摩の体にはかなりの量の死肉が埋め込まれたはずだった。
 しかし、冬摩の精神力を突き崩すには程遠かった。
 自分の召鬼とした芹沢美柚梨。彼女の精神支配をアッサリとひっくり返されてしまった。
 所詮は一般人に由来した龍閃の死肉。冬摩の精神を喰うにはあまりに質が悪かった。だから草壁三分家の保持者の肉を使った。
 派手に自爆させて、よく多くの血や肉を冬摩に浴びさせた。
 そして芹沢美柚梨と嶋比良久里子の支配権は自分の物になった。冬摩の支配力を上回った。
「あー、多分お前は私に否定して欲しいんだろうな。だからここまで説明してくれたんだ。冬摩への死肉の使用が第二段階ではなく第四段階だと言って欲しいんだろうか。だが実に残念な事にソレも正解だ。お前は妹の支配権は私にある」
「――ッ!」
 玖音の表情が一変した。
 剣呑で攻撃的な物から、焦燥に満ちた困惑の色へと。
 やはり、芹沢美柚梨の事を出されると途端に顔色が変わる。一切の冷静さが失われる。それ程、彼女の事が大切なんだろう。
「と、いうのは冗談だ。心配しなくても彼女の召鬼化は解いてある。そうしないとバレるだろう?」
 空になった紙パックを握りつぶし、魎は鼻で小さく笑いながらサングラスを外した。
 玖音から一瞬激しい殺気が放たれるが、すぐに収まると元の無表情へと戻った。ひょっとすると『月詠』がなだめたのかも知れない。
 芹沢美柚梨の召鬼化はすでに解いている。勿論、嶋比良久里子の方も。そうしなければ第二段階が終わった事が分かってしまう。
 もしそのままにしておければ自分の波動が二人から漏れる。そうなれば冬摩に悟られてしまう。知らない間に自分の精神力が激減している事を。ソレでは意味が無い。
 ……まぁ、そんな事を気にする事自体、すでに意味がないのかも知れないが。自分の計画は失敗に終わるのだから。
「あー、悪かったよ玖音。私が悪乗りしすぎた。反省してる。もう二度としない」
 魎は溜息混じりに言い、サングラスをコートの胸ポケットにしまった。
 玖音を必要以上に苦しめるのは自分の望む所ではない。彼には常に冴えた頭で鋭いツッコミをして貰わなければならない。これからは冗談でも軽はずみな発言は控えるようにしよう。
 ……まぁ、感情的になった玖音もソレはソレで良い物だが。
「さて、残るは第四段階だけとなったな、玖音。いったい何だと思う? ヒントは、すでに終わったと思っていたのに冬摩の自制により妨げられ、未だ成し得ていない事だ」
 試すような視線を向けながら言った魎に、玖音は忌々しそうに顔を歪め、
「……荒神冬摩の暴走だ。逆上させて理性を失わせ、自分の意のままに操る」
 少し間をおいた後に低い声で言った。
「あー、なるほど。で、そのために私は何をするつもりなんだと思う?」
「紅月を待つ」
 今度は即答した玖音に魎は満足そうに頷く。
「素晴らしい」
 さすがに難しかったか。
 魎は長い足を組み替え、腕組みしながら目を細めた。
 まぁコレばかりはしょうがない。今からやろうとしているのが、アレを孵化させるための栄養素の確保だなどと誰も思わないだろう。
 行動自体は分かったとしても、どうしてそんな事をするのかまでは分からないはずだ。いかに優れた勘を持つ玖音であっても。
 だが収穫はあった。
 ――紅月を待つ。
 その言葉を聞けただけでも十分だ。紅月まであと五日。もう二、三日もすれば冬摩に変調が訪れる。そして自我を保とうと必死になる。その隙だらけの時を突けば、冬摩を召鬼化する事も容易。
 そう考えるだろう。普通は。
 だから何とか紅月の前までに自分を探し出そうとする。そして自ずと焦りは積もってくる。ソレで十分だ。紅月まで待つ気など更々ない。
 第一、冬摩に施した龍閃の死肉の効果がソコまで持つかどうかも分からない。短期決戦を望んでいるのはコチラも同じだ。
「あー、さて玖音。冬摩の苦悩、陣迂と九重麻緒の戦い、穂坂御代の意識争奪戦、その他複雑な人間模様と色々見てきたが、いよいよ最終イベントだ。またその特等席でゆっくり楽しんで、後で感想を聞かせてくれ」
 言いながら魎は立ち上がり、周囲の落ち葉に刺さった黒い物体を適当に払いのける。コレで『歪結界』の範囲を玖音の周りだけに限定出来た。呪針には『無幻』の羽根を使っているから、狭くするのは楽だ。
「貴様の下らない考えは絶対に潰す」
「お前がそうしてくれる事を期待している」
 怒気を孕んだ声をぶつけてくる玖音に、魎は自嘲気味に笑って返した。 
 やはり、自分の計画を台無しにしてくれるのはこの男か?

◆望まざる共鳴 ―荒神冬摩―◆
『とにかく、や。出来るだけ人気の無いトコ適当に動き回り。ウチらが絶対に見つけたるから。ほんですぐにアンタに知らせたるから』 

 久里子に言われたのは、そんな曖昧極まりない指示だった。
(あの野郎……)
 仏頂面のまま、冬摩は横について走る『白虎』をひたすら啼かせ続ける。
 だが共鳴は無い。深い森の中に虚しく響き渡るだけだ。
 しかしソレはもう分かっていた事。久里子の読みでは、魎は自分との距離を一定に保ち続けているらしい。そうやって観察しているのだと。
 自分が悩み、追いつめられていく様を。
 だからこうしていても魎は見つからない。コレはあくまでもパフォーマンス。コチラが魎の行動を読み切れていないと知らせるための。
 魎を見つけるのは麻緒達の役目。自分達はそれまで待つしかない。
 そんな事は分かっている。分かってはいるが――
(気にいらねぇ!)
 誰かからの知らせを期待するなどといった消極的な手法など。
 作戦自体が地味なのはもうしょがない。ソレしかないのならと諦めもつく。
 だが、その作戦に積極的に参加できないのは我慢できない。苛立ちが累々と積もっていくだけだ。

『ええか。とにかく冷静に、や。水鏡魎の狙いはアンタを精神的に思い込む事。イライラしとったら相手の思うつぼや。……まぁ、こんなゆーたかて無駄かも知れんけどなー』

(無駄だ!)
 久里子に言われた事に胸中で力一杯反発し、冬摩は舌打ちした。
「……っ」
 その拍子に、腕の中に収まっていた温もりが小さく震える。
「あ……ワリィ」
 そちらを見ながら呟き、冬摩は無意識に強めていた腕の力を緩めた。
 自分の貸した服を着たおさげの少女が、不安そうな表情で俯いていた。
(クソ……)
 夏那美から目を外し、冬摩はまた前を向いてひた走る。
 最初は朋華が抱きかかえて走ると言ったのだが、彼女に負担を掛けてはならないと自分がやる事にしたのだ。正直、夏那美から嫌がられるかと思ったのだが、意外にもアッサリ了承してくれた。そして文句一つ言う事なく、しおれたようにじっと……。
(調子狂うな……)
 とてつもなく。途方もなく。際限なく。
 街中で久里子を探していた時、小脇に抱えたコイツがギャーギャーと喚いていたのが嘘のようだ。あの時とは全くの別人だ。
 やはり、麻緒にされた事が相当こたえているのだろう。久里子から話を聞いただけだが、その時の状況が頭の中で容易に再現された。
(あの野郎……)
 また小さく舌打ちし、冬摩は目だけを動かして夏那美の顔を見る。
 右頬にうっすらと引かれた赤銅色の筋。ソレは麻緒が付けた物。もし『獄閻』の『金剛盾』がなけば、最悪――
『昔のお主よりも凶暴な奴よのぅ』
 頭の中で『死神』がぼやく。
 昔の自分。まだ朋華に出会う前の自分。
 麻緒はあの時の自分を見て、ずっとソレを真似てきたはずなのに……どうして……。
『あの少年とお主とでは過ごしてきた時間が違いすぎる。赤子が鉄砲を玩具にして遊んでいれば、何かの拍子に母親を殺したとしても誰も不思議がるまい』
 自分と麻緒とは違う。今の自分とは勿論の事、三年前の自分のとも。
 あの他人に対しても自分に対しても平等に向けられる冷徹さ。戦う事でしか自分を見出せない偏った価値観。アレは、いったいどこから……。
(クソ……!)
 大きく顔をしかめ、冬摩は頭を振って思考を追い出した。
 今は他人の事を心配している余裕なんか無いんだ。魎を見つける事だけに専念しないと。何としてでも魎を見つけ出して、そして――
(殺す)
 ソレはもう決めた事だ。人の命をあんな風に軽く扱う屑野郎を。目的のためなら手段を選ばない下衆野郎を――殺す。
 だから、その事を……。
 冬摩は視線を横に向け、『白虎』を挟んで向こう側を走っている朋華を見た。
『結局、言えなかったのぅ。全く情けない奴じゃ』
 うるせぇな……。
 そんな事は言われなくても自分が一番よく分かっている。
 ――魎をこの手で殺す。
 その決意を、冬摩は未だ朋華に伝えきれずにいた。話す時間はたっぷりあったのに。麻緒が眠っていた丸一日の間、その事ばかり考えていたのに。
 言わなければと思えば思うほど、言葉は喉の奥へと沈み込んで言った。
 受け入れてくれると自分に言い聞かせれば言い聞かせるほど、不安がせり上がってきた。
 
『私は……冬摩さんがそう思ったんなら、ソレで良いんだと思います』

 そのたびに、以前朋華から言われた事を思い出す。
 朋華が言ってくれた言葉を頭の中で何度も何度も繰り返して、自分を鼓舞した。気持ちを奮い立たせた。
(大丈夫……)
 そう、きっと大丈夫だ。
 だから――
「ねぇ……」
 不意に下から声が掛かった。冬摩は喉の奥に何かを詰まらせたような顔付きで目だけを動かし、ソチラを見る。
「苦しいの……?」
 夏那美は頭を少しだけ持ち上げ、窺うような視線をコチラに向けていた。
「あぁん?」
「辛いの……?」
 掠れ、消え入りそうなほどにか細い声。
 いきなり何言ってやがんだコイツは。
「アンタみたいに、ガサツで、無神経で、乱暴者な人でもそんな顔するんだ……」
 このガキ……。
「アンタみたいに、無茶苦茶強い人でも悩みってあるんだ……。恐い物なんて無いのかと思ってた……」
「下らねー事言ってんなよ。舌噛むぞ」
「麻緒君ね、アンタの事大好きなんだって。尊敬してるんだって……。目標なんだって……。いつか……アンタみたいになりたいんだってさ……」
 夏那美はまた俯き、口の中でボソボソと呟く。少し注意して聞いていないと、耳元で激しい呻りを上げる風の音に呑み込まれてしまいそうだ。
「暇があれば『お兄ちゃんお兄ちゃん』って言っててさ。どれだけ強くて、どれだけ格好良くて、どれだけ凄いのかって事ばっかり……。あたしはいっつもソレを聞かされてばっかり。でもまぁ麻緒君とお話しできるから別にいいやって思ってたの……。だからあたしの方からも色々聞いたのよ、アンタの事。別に知りたくもなかったけど、麻緒君がアンタの事話す時は凄く楽しそうにしてるから……」
「へっ……」
 独り言のように続けられる夏那美の言葉を、冬摩は止めるでもなく黙って耳を傾けた。
「テレビの事とか、雑誌の事とか、勉強の事とか、友達の事とか……。あたしはそういう話したいんだけど、しちゃうと麻緒君はいっつもツマラナイみたいな顔してて……。元気になるのはアンタの事話してる時と、悪魔とか亡霊とかと遊んでる時だけ……」
 言いながら夏那美はジーンズのポケットから何かを取り出して両手で握り込む。ソコから感じる微かな邪気。
(悪魔に亡霊、ね……)
 そう言えば退屈しのぎに除霊の真似事をしているとか、麻緒本人から聞いた事があるが……。
「でもね……麻緒君ね……今すっごい元気になってる。ビックリするくらい活き活きしてる……。あんな顔、あたし見た事ないもん……。させられないもん……」
 嬉しくて哀しい。楽しくて淋しい。
 夏那美の声色に、相反する二つの感情が複雑に混じり始めた。
「ホントは、見つけたらすぐに連れ戻したかったけど……なんか悪い気がして出来なくて……。断られるの分かってたし、麻緒君に嫌われちゃうのも嫌だし……だったらあたしが麻緒君に合わせればいいやって、やけっぱちで、追い掛けてきて……。あたしが麻緒君の事もっと分かれば、麻緒君もあたしの事分かってくれるかな、とか……」
 暗く気落ちした声。乾いて泣き出しそうな声。自嘲めいた半笑いの声。
 夏那美は喋りながら次々と感情を入れ替え、最後には少し鼻をすすらせる。
「でも、でもね……」
 そして声を詰まらせ、
「でも……」
 必死に言葉を探して、
「麻緒が恐いか」
 彼女の体を少しだけ強く抱き締め、冬摩は短く言った。
 夏那美は何も返さない。小さな体を更に小さく丸め、手の中にある何かを落ち着きなく触り続けている。
「……ちょっと、だけ、ね」
 そして深呼吸のようなものを何度かした後、途切れ途切れに言葉を紡いだ。 
 ちょっとだけ。ほんの少しだけ。目を瞑ろうと思えば出来るくらい僅かに。
 夏那美はきっと自分にそう言い聞かせているんだ。本当は震え上がるくらい恐いはずなのに。ひょっとしたら顔を見ただけで、声を聞いただけで、逃げ出したくなるくらいに恐いのかも知れないのに。恐いのはちょっとだけだと自分に言い聞かせている。そしてなんとか自分を奮い立たせようとしている。
 麻緒の事が好きだから。あんな事をされてもまだ麻緒の事が好きだから、必死に受け入れようとしている。
 アレが麻緒なのだと。
 粗暴でも乱暴でも凶暴でも。今の活き活きとしているのが麻緒の本来の姿なのだと。
 どうしてそこまで麻緒に入れ込めるのかは知らないが、大した物だ。少しずつではあるが、ちゃんと前に進もうとしている。
 なのに、自分は……。
「でも、さ……。その麻緒君が尊敬してて、力一杯ケンカしてもかなわないアンタでも、あたしみたいにウジウジ落ち込むんだって分かってちょっと安心しちゃったー。人がヘコんでるの見ると、なんかよく分かんない元気出るよねー」
 このガキ……。
 目元にうっすらと涙浮かべながら無理矢理明るく笑う夏那美に、冬摩は顔をしかめて低く唸る。
「悪いこた言わねぇ。もうやめとけよ、あんな奴」
「イヤっ」
「どーせケンカ以外に興味ないんだからよ。更生なんか夢のまた夢ってヤツだ」
「イヤったらイヤ!」
「またブッ飛ばされんのがオチだぞ」
「避けるモン! あたしも強くなるモン!」
「っほー、だったらテメーも俺の召鬼にしてやろーか」
「あ、うんっ! ソレいいかも!」
「ヤなこった」
「ッキー! 何なのよ! だったら言うな!」
 腕の中でギャーギャーと暴れ始める夏那美を抱え直しながら、冬摩は前を向いて苦笑した。
 やれやれだ。アッサリ元気を取り戻してくれやがって。全く子供は単純で羨ましい。
 ……いや、強いの間違いか。しかもソレは自分だけのための強さではなく、周りまで――
『まぁ年が千以上も離れておっても、そうやって学ぼうとするのはお主の良いところじゃ』
(ケッ……)
 頭の中で感心しながら言う『死神』に冬摩は胸中で毒づいた。
 しかし少なくともさっきよりはスッキリした。終わりのない螺旋を描いていた迷いに、ようやく出口が見え始めた。
(言おう)
 今なら言える。朋華に。自分の決心を。
 そして迷いの無い誓いを立てる。決して揺らぐ事のない強固な信念を。
 単なる勢いかも知れないが、今はソレでも――
「朋――」
 突然分厚い共振動が響く。ソレによって冬摩の言葉はかき消され――
「――ッ!」
 全身を襲う戦慄。先程までの思考が一瞬にして消え去り、代わって絶大な殺意が沸き上がって来る。
「朋華!」
 冬摩は叫んで朋華の前で立ち止まり、彼女を庇うように右腕を真横に突き出した。そして重心を低くして構え、『白虎』を一際高く咆吼させる。
 一呼吸遅れて目の前から返って来たのは、体の内側にまで伝播する重低音。
 ――共鳴した。
 『白虎』の咆吼に共鳴して、何かの啼き声が返って来た。
 なら、ソコに居るのは――
 冬摩は抱えていた夏那美を後ろ手に朋華に渡し、眼前を焦げ付かせるように睨み付けて、
「オラァ!」
 叫声と共に地面を蹴る。
 そして固く握り込んだ右拳を、大木の向こう側に感じた気配に叩き付けた。太い樹の幹を易々と貫通し、冬摩の拳撃は固い手応えを感じて――鈍い破砕音が響いた。
「いやー、さすがに凄まじい力ですね。まぁ、陣迂も本調子であればこのくらいは出来たんでしょうが」
(コイツ……!)
 間延びした明るく軽い声に、冬摩の中で緊張が僅かに緩み、
「ッハ! まずはテメーで様子見って訳か!」
 樹から腕を引き抜いて甘い考えを振り払う。そして意識を右腕と暗い影に集中させ、声のした方に油断無く視線を向けた。
 そうか『朱雀』ではなく『青龍』に反応して……。
 コイツは魎の仲間。つまり敵だ。
 魎は殺す。必ず殺す。なら、ソレを邪魔する敵も――
「まぁ私のした事はそうそう許される物ではありませんから。貴方が疑う事自体は否定しませんよ。ただ――」
 茂みを揺らして大きく音を立て、堂々と出てきたのは白いスーツに黒のオーバーコートを羽織った男。
「篠岡さん……」
 後ろで朋華が驚いたような声を上げる。
「私の性分故かも知れませんが、あまり時間か無さそうな気がしてならないのでね。ゆっくり話し合いをして、誤解を解いている暇は無いんですよ」
 オーバーコートを脱ぎ捨て、玲寺は両腕を軽く広げて苦笑した。
 争う気は無い。そういう意思表示だろう。無論、信用になど値しないが。
「どうもお久しぶりです仁科さん。お元気そうで何より」
 右手を胸に添えて慇懃に礼をした後、玲寺は柔和な笑みを浮かべた。
 相変わらず気に入らない野郎だ。 
「冬摩よりは話が通じそうなのでひとまず貴女に説明させていただきます。貴女に言われた事なら冬摩も素直に受け入れられるでしょうしね」
「ふざけた事ヌカしてんじゃねぇ。ブッ殺すぞ」
「冬摩さん……」
 異様なまで殺気立つ冬摩に、朋華が少し戸惑いを帯びた声で呟く。
 ――ブッ殺す。
 今まで、意識して使わないようにしてきた言葉。自分自身を戒めるために。朋華の気持ちをより深く受け入れるために。
 だがもうそんな事を言っている時ではない。殺意を抑える必要など無い。
 魎が憎い。八つ裂きにして殺したい程に憎い。だからもう躊躇わない。
 魎は殺す。ソレを邪魔するヤツも殺す。
 すでに――決めた事だ。
「仁科さん、このままでは冬摩は負けます」
「え……」
 玲寺の言葉に朋華は掠れた声を漏らす。
「聞くんじゃねぇ、朋華」
「魎の狙いは冬摩の保持している『死神』以外の使役神。一つなのか、ソレとも複数なのかは分かりませんが」
「『死神』さん、以外……?」
『妾以外、じゃと……?』
 朋華と『死神』がほぼ同時に発した言葉に、冬摩は苛立たしげに舌打ちした。
「玲寺、それ以上喋んじゃねぇ。マジでブッ殺すぞ」
「そう。ソレを得るために、魎は冬摩を自分の召鬼にしようとしている。そしてその準備は、恐らくもう――」
「オラァ!」
 玲寺の言葉が終わる前に冬摩は脚力を爆発させる。十歩ほどの距離をまばたき半回の間に詰め、至近距離から左拳を突き上げた。
 玲寺は避けない。オーバーコートから黒鎖が伸びてくる気配もない。
 彼は両脚で地面を捕らえ直し、両腕を交差させて、
「申し遅れましたが、私も貴方と同じになりました」
 受け止めた。
 踏ん張った爪先で落ち葉の下の土を抉り、しかし顔色一つ変える事無く。コチラの拳撃を真っ正面から受け止めた。
「魔人とは、なかなか興味深い物です」
「ケッ!」
 コチラの耳元で囁くようにして言う玲寺を鼻で笑い飛ばし、冬摩は強引に左拳を振り切る。玲寺の体が僅かに浮かび上がったかと思うと、そのまま大きく後ろに跳ね飛ばされて大樹に叩き付けられた。
「と、冬摩さん!」
「下がってろ朋華。すぐ終わる」
 後ろからの朋華の声に振り向く事もせず、冬摩は大股で玲寺に歩みに寄る。
「貴方のその左腕の力。絶大な精神的苦痛を感じた時にのみ顕現される圧倒的な破壊力。もしソレを魎が手に入れたとしたら、貴方は勝つ自信がありますか?」
「さっきから下らねぇ事――」
 空中で身を翻し、静かに降り立って言う玲寺に冬摩は再び突進した。
「ホザいてんな!」
 そして怒声に乗せ、右拳を前に突き出す。しかし視界が映し出したのは、大穴の穿たれた樹の幹だけ。
「龍閃の置きみやげ。ソレは貴方の中にある使役神のどれか。その使役神が左腕に力を与えている。魎はソレを取り出し、自分の力にしようとしている。再びかつての――いや、二百年前以上の力を取り戻すためにね!」
「ブッ殺す!」
 叫んで冬摩は右に跳び、玲寺に追撃を掛けた。

『冬摩、アンタの左腕の力。ソレ、龍閃の力かも知れん』

 昨日、久里子が言っていた言葉が脳裏に蘇る。
 陣迂から情報を引き出し、久里子が立てた仮説。あまりに飛躍的で、あまりに信憑性の薄いただの戯れ言。

『龍閃は自分の体分ける事でなんぼでも力の作用点作り出せた。腕切り落としたらその腕が、肉もぎ取ったらその肉がな』

 ソレは二百年前にこの目で見た。
 確かに、龍閃は自分の体から切り離された腕や肉を操る事が出来て、ソレが力の作用点となった。

『陣迂が持っとる力の作用点。本人がゆーにはどっちも普通に使える。何の制限も無くな。アンタの左腕みたいに、辛いんが限界にならんと力出ーへんみたいな事はない。ほんでもう一つ、龍閃の力の発生点の『悦び』。アレは明らかに相手の精神苦痛を楽しんどる。人が追いつめられて苦しむんを喰いモンにしとる。つまり、どういう事か――』

 龍閃の肉は龍閃の力の作用点。
 自分の左腕は絶大な『精神的苦痛』を感じないと力を発揮しない。
 龍閃の力の発生点である『悦び』は相手の『精神的苦痛』によって……。

『アンタの左腕には龍閃の肉が埋まっとるかも知れん。アンタの左腕は龍閃の力の作用点かも知れん』

 自分の左腕に、龍閃の肉が……?

『左腕から思うよーに力出せんのは、ソレを力にする前に龍閃の肉が喰ってもーてるからかもな。アンタのその左腕が、陣迂のゆーとった《龍閃の置きみやげ》かもな。まぁ、ホンマ突拍子もない仮説やけど』 

 だったらあの時……陣迂との戦いが終わったあの時……。
 突然、左腕の力が暴走し始めたのは何故なんだ。まるで何か束縛から解放されたかのように。
 そして朋華が自分の前に現れた時、制御などまるで出来ない膨大な力が収まっていたのはどうしてなんだ。
 分からない。はっきりした事は何も分からない。矛盾点、疑問点。どうしてもそういった不純物が残る。そして今また――
「冬摩! 私は魎にソレを奪わせる訳にはいかない! 貴方は私にとっての永遠の目標でなければ困りますからね!」
「知るかクソガキ!」
 歯を向いて激昂し、冬摩は右手から『真空刃』を放つ。玲寺は樹を蹴ってソレを横っ飛びにかわし、
「オラァ!」
 右腕を大きく払って円弧状の軌道から巨大な『真空刃』を生み出した。ソレは玲寺の着地点を狙って飛来し、大地に深い爪痕を残して消える。
「ち……」
 不安定な足場に、バランスを崩しながらも降り立つ玲寺。
「クタバレ!」
 彼の上にのし掛かるようにして、冬摩は渾身の膂力を込めた右拳を――
「冬摩さん!」
「――ッ!?」
 横手から突然割って入った朋華に、冬摩は振り下ろそうとしていた右腕を慌てて止める。しかし勢いは完全には殺しきれずに――
 高く澄んだ音。
 朋華を庇う形で差し入れられた何枚もの漆黒の盾が、冬摩の拳を受け止め、そして割れ散って行く。
「冬摩さん、篠岡さんは違います」
 黒の密度を薄くしていく『金剛盾』の向こう側で、自分に向けられる真っ直ぐな視線。
 一切の迷いも無く、畏れも無く。強い意志の込められた純粋な色。
「篠岡さんは私達の味方です」
 コチラを正面から見つめ返し、朋華は張りと力に満ちた声で言い切った。
「どけ朋華!」
「どきません」
 目に凄絶な力を込めて凄む冬摩に、朋華は一歩もたじろぐ事無く両腕を真横に広げて言う。
「ソイツは魎の……! 穂坂を……! お前の友達を……!」
「今は違います。今は味方です」
「騙されんな! ソイツは最初から敵なんだよ! 思い出せ!」
「違います。篠岡さんは敵なんかじゃありません。最初から。ただちょっと言い出せなかっただけです。自分の本心を」
「違う! コイツは魎と組んで……!」
「冬摩さんだって同じじゃないですか!」
「――!」
 朋華の言葉に、頭から一気に血が下りてくる。
 同じ……? 自分が玲寺と同じ、だと……? 
 言い出せない……本心を……。本当に考えている事を、はっきりと口に出して言えない……。魎の事を……。魎をこの手で……。
「私は……冬摩さんに負けて欲しくない。冬摩さんを失いたくない。だから……」
 白のロングパーカーの胸元を両手で握り締め、朋華は顔を俯かせながら呟くようにして言う。ソレはさっきまでとはまるで別人のようで、少しでも強く力を込めれば壊れてしまいそうな程に脆く、儚げに――
「……分かったよ」
 冬摩は溜息混じりに言いながら全身の力を抜いた。
「そーいや陣迂の時もそうだったな……。俺はお前を信じる。お前が味方だって言うんなら、取り合えず俺もそう思ってみる……」
 髪を縛った龍の髭を解き、冬摩は軽く頭を振りながらぶっきらぼうに言う。
 全く……こんなトコ玖音に見られでもしたら、嫌味や皮肉を延々垂れ流されそうだ。
「あ、有り難うございます!」
 朋華は背筋を伸ばして気を付けの姿勢になり、体を百八十度近く折り曲げて頭を下げた。
 ……まぁ、別に良いけどよ。
「で、今回の根拠は?」
「へ……? 根拠?」
「だから玲寺が味方だと思った根拠だよ」
「え……? えとー……えっとー……」
 コチラの問い掛けに朋華は視線を逸らし、チェリーピンクのヘアバンドを触りながらせわしなく頭を動かして――
 ……ってオイ、まさか……。
「朋華、お前……」
「え!? あ! だ、だから! ですから! 本当に敵なら不意打ちしてくればいい訳ですし! わざわざ自分達の企みをバラすなんて事しない訳ですし……! それに……! それから……!」
「あー分かった。もー分かった」
 両手をデタラメに動かしながら必死に言葉を探す朋華に、冬摩は疲れた声で返す。そしてもう一度後ろ髪をきつく縛りなおした。
 ……まぁ、何となくそんな事ではないかと思っていたが。
「いやー、さすがですねー仁科さん。貴女に掛かってはあの暴れん坊も形無しという訳ですかー。式の日取りが決まりましたら、是非私にもご連絡下さいね」
「し、式って……!」
「で、玲寺。話聞いてやるから分かり易く説明しろ」
 顔を真っ赤にしてわたわたと取り乱す朋華を後目に、冬摩は玲寺に鋭い視線を向けて言った。
「ええ、そうですね。ひょっとすると貴方にとっては屈辱的な事かも知れませんが、心の準備はよろしいですか?」
「とっとと言えよ」
「そうですか。ではまぁ取り合えずコレから」
 言いながら玲寺はスーツの内ポケットに手を入れ、紅い液体の入った小瓶を取り出した。

◆煩い黙れ ―九重麻緒―◆
 見つからない……。
 土御門財閥の館を出てから約三時間。
 先頭を走っているのは竜の首と鰐の手足、そして蛇の尻尾を持った巨大な亀、『玄武』。その野太い啼き声が辺りに木霊するだけで何の変化もない。
 自分のすぐ隣りを走っている久里子を目線に向ける。
 彼女はその気配に気付いて一瞬だけコチラを見――いや、ガンをくれだが、すぐに前に向き直った『玄武』の後ろを走り続けた。
(何なんだよ……)
 魎を探し始めてからというものずっとこの調子だ。いや、館に居た時からすでにか。
 自分とは極力目を合わせようとはせず、かと思えば思い出したかのように批難の視線を浴びせてくる。
 最初、自分がこの世界に戻って来た事に腹を立てているのかと思っていた。しかし久里子はあの時ハッキリと、『魎を倒すために自分の力を頼りにしている』と言った。だから少なくともあの時点では歓迎されていたはず。なのにどうして……。
(まぁいいや)
 軽く溜息をつき、麻緒は髪の毛を乱暴に掻きながらその思考を振り払った。
 他のややこしい事なんてどうでもいい。自分にとって今重要なのは魎を見つけだす事。そして圧倒的な力でねじ伏せる事。
 そして元の自信を取り戻し、また陣迂と――
「なー、御代ン。陣迂は?」
 久里子は肩越しに振り返り、後ろを付いてきている御代に声を掛ける。自分の時とは全く違う、いたって穏やかな表情で。 
「アッチの、方……。多分、五キロくらい……」
 右前を指さしながら御代は曖昧に返す。ソレに久里子は「ふんふん」と言いながら頷き、『玄武』の甲羅を横から軽く叩いた。『玄武』は少しくすぐったそうに身を震わせた後、短い足をバタつかせて軌道を左の方に少し修正する。
 多分、陣迂と冬摩達の位置を頭に描いて命令しているのだろうが、自分にはどういう目的でこの向きに走っているのかさっぱり分からない。
「クリっちー! まだー!?」
 自分の真後ろから不満を大量に抱え込んだ声が響く。
「まだやー! もーちょっと我慢したってー!」
 風の音に掻き消されないよう、久里子は声を張り上げて美柚梨に返した。もうどのくらい同じやり取りを交わしただろうか。最初の頃は数えていたのだが、両手両足の指で足りなくなってからは諦めた。
(クソ……)
 小さく舌打ちして麻緒は鼻に皺を寄せる。
 まさか何日もずっとこの調子という事はないだろうな。魎は紅月を待っているはずだから、必ずその前に見つけだすと久里子は言っていたが、ソレが出来る保証などドコにもない。
 大体、次の紅月までまだ五日もあるではないか。という事は久里子の中では二、三日くらいはこうして探し回るつもりなのか?
 冗談ではない。そんなチンタラしていたら欲求不満が爆発してしまう。今すぐにでも思い切り体を動かしたいのに。血を見て、肉を抉って、骨をへし折りたいのに。あの生きるか死ぬかの瀬戸際を味わいたいのに。
(どうする……)
 しかしかといって自分に魎を見つける力が備わっている訳でもない。適当に走り回っていれば向こうから来てくれる訳でもない。
 なら魎以外の相手。玲寺は……駄目だ。雑魚過ぎる。
 となれば、やはり……。
 麻緒は走りながら自分の斜め後ろに目を向けた。艶やかなツインテールを後ろに靡かせ、固い表情で前を見つめている大人びた雰囲気の女性。確か穂坂御代と言ったか。
 彼女は色々あって陣迂の召鬼となってしまった。だから陣迂の位置が何となく分かる。
 魎は見つけられなくても、陣迂なら確実に……。しかし……。
「ねぇ、久里子お姉ちゃん」
 麻緒は御代にではなく、久里子に話し掛けた。
「なんや」
 コチラを見ないまま不機嫌そうに返す久里子。
「陣迂がボクを連れてきた時、アイツ何か言ってなかった?」
「なんかって何をや」
 何でそんなにツンツンしてるんだよ。やりにくいなぁ……。
「だから……その、拳がどうのとか……」
「拳ぃ? なんやソレ。アイツと拳で語りおーて何か得るモンあったんかい」
「別に……」
 そうか。言ってないのか。そっか……。
「それでアイツは誰が追い払ったの? やっぱお兄ちゃん?」
 幾分安心したような表情になり、麻緒は落ち着いた口調で聞いた。
「追い払うも何も、アイツはウチらに何もしてへん。アンタ連れてきただけや」
「何で?」
「何でて、そんなんウチが知っとる訳ないやろ。本人に聞けや」
「じゃあホントにボク連れてきただけで、そのまま帰っちゃったの?」
「あぁ」
 どこか投げヤリに言う久里子に、麻緒はいまいち納得の行かない様子で顔をしかめる。

『坊主が嫌がるような事なら喜んでやるぜ』

 本当にそのためだけに? そのためだけに……自分を晒し者にするためだけにわざわざ土御門財閥の館まで?
 馬鹿げている。とんでもなく馬鹿げている。そんな下らない事をするためだけに、たった一人で敵陣に乗り込んでいくなど。下手をすれば殺されていたって――
「ねぇ」
 そこまで考えて麻緒は当然の疑問に突き当たった。
「あぁん?」
「どうして逃がしたのさ」
 どうして捕らえなかったんだ。殺さないまでも冬摩なら陣迂を捕らえる事くらい出来たはずなんだ。自分と違って、異常に重い拳を持つ冬摩であれば……。そうすれば今頃、その陣迂に魎の居場所を吐かせる事だって出来たはずなのに。
「…………」
 久里子は麻緒の言葉にはすぐに答えず、怒ったような……それでいて哀しそうな複雑な表情を浮かべて渋面になる。
「アイツがあん時、なんで怒ったか分かるか?」
 そして重々しい口調で言葉を紡いだ。
 一瞬、何を言われたのかよく分からず、麻緒はきょとんとした顔付きで久里子の方を見つめる。
「陣迂がなんでアンタと本気でやり合う気になったんか、分かるか?」
 言いながら久里子はようやくコチラに顔を向け、語調を強めて言った。
 あの時……御代を追ってログハウスにたどり着いた時。そこに居合わせた陣迂が本気になった理由……。
 ソレは……自分が夏那美を……。
「……アレがどーしたっていうんだよ」
「『アレ』!? 『どーした』!?」
 口の中で小さく言った麻緒に、久里子は目を剥いて叫声を上げた。しかし軽く頭を振って必要以上に冷静な表情を繕うと、
「カナちゃん、泣いとったで。陣迂が連れて来たボロボロのアンタ見て、泣きついて、陣迂大声で怒鳴りつけて。ホンマ見てられへんかったわ。痛々し過ぎてな」
 一切の感情を消し去った声で淡々と言葉を並べる。
 夏那美が泣きついていた……? 自分に……?
「うっそだぁ……」
「ウソちゃう!」
 眉を寄せて白々しく言う麻緒に、久里子は再び激昂して叫んだ。
「あの子は……! あの子はなぁ……!」
 怒鳴りつけながら久里子はその場で急停止し、麻緒の胸ぐらを掴み上げて顔を寄せる。血走った目は僅かに潤み、食いしばった歯の間からは抑えきれない憤りが漏れ出ているようだった。
 本当、なのか……? 本当に夏那美は、自分の事を……?
 あんな事をしたのに……。あんなに怯えていたのに……。
 もう口を聞く事も無いと思っていたのに。コレが終われば二度と会うつもりは無かったのに。すぐに忘れると思っていたのに。
 そして――吹っ切ったと思っていたのに。
 自分は、その点だけでは……冬摩を……。
「離せよ!」
 麻緒は下から腕を振り上げて久里子の手を払いのけ、灼怒に染まった久里子の顔を睨み返した。
「アンタには関係ないだろ!」
「なんやと!」
 煩い。
 煩いうるさいウルサイ! 
 黙れッ!
 ボクはもう自由なんだ。何にも捕らわれない。誰にも束縛されない。
 自分のやりたい事をやりたい時にやりたいだけやるんだ。
 難しい考えなどいらない。周りの忠言など鬱陶しい。
 ただ血の匂いに敏感な鼻と、死を貪り喰う力があればソレで良い。
 相手と、そして自分の――
「この……!」
 久里子は目を大きく見開いて手を振り上げ、麻緒は反射的にソレに腕を合わせて、
「――ッ!?」
 久里子の顔が真横に向けられた。そして信じられない物を見たような表情で口を半開きにし、
「水鏡……魎」
 掠れた声で呟く。
「何で……冬摩の……」
 上げていた手を下ろし、全身の筋肉が弛緩したかのように脱力して、 
「出おったクソッタレ!」
 すぐに険しい顔付きに戻ると一人で走り始めた。
 残された麻緒は硬直したまま、久里子の背中を呆然と見つめる。そして――
「待てよオイ!」
 弾かれたように久里子の後を追った。





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