貴方に捧げる死神の謳声 第三部 ―黄泉路からの慟哭―

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十六『龍閃』


◆内からの慟哭 ―荒神冬摩―◆
 低い弾道で魎に突進し、冬摩は固く握り込んだ右拳を振り上げる。
「冬摩、一つだけ忠告しておこう。『鬼蜘蛛』は早急に戻した方が良い。術は解いてある」
 ソレを幾重にも束ねた黒鎖で正面から受け止め、魎は落ち着いた口調で言った。
「オラァ!」
 止められた右腕を引き、ソレと入れ変えるようにして冬摩は左拳を叩き付ける。
「言っても分からん、か」
 魎は眼を細めながら言い、ダークコートを翻して後ろに跳んだ。
 空を切り、地面に埋め込まれる冬摩の左拳。
「――ッ!」
 次の瞬間、視界が白く染め上げられた。
 内側から押し上げる壮絶な力で大地が捲れ上がり、逆流した力の塊が天を突いて咆吼する。ソレは周囲の木々をあっけなく呑み込み、地面を焦がして大気に凶振動を生み出した。
「――と、言う訳だ。分かったかな? 冬摩君」
 『創水晶』で中空に生み出した足場に立ち、魎は口の端を得意げに吊り上げる。
「と、もか! 朋華ァ!」
 霧状になって濃厚に立ちこめる砂塵の中、冬摩は激しく首を振りながら朋華の名前を叫んだ。
 こんな……! まさか……! まさか!
「大、丈夫……大丈夫ですから! 私は……!」
 視界の悪い中、横手から朋華の声が聞こえる。そして冬摩の中で張りつめていた気が一瞬だけ緩み、
「今更言うまでもない事だが、私は陣迂と違ってお前と正々堂々やるつもりはさらさら無い。この状況を最大限に利用させて貰う」
 さっきまで頭上に居たはず魎の声が後ろからする。反射的に真横へと飛び退く冬摩。直後、右腕に熱が走った。
「ぐ……ぁ!」
 続けて傷口を更に抉り込むような痛みと、右腕が無くなったかのような痺れ。
「例えば、こういう風にな」
 振り向くと魎は右手に黄色い燐光を放つ夜叉鴉を、そして左腕に夏那美を抱き込んで立っていた。
「……の、野郎!」
「おおっと。左腕は使わない方がいい」
「く……!」
 右腕の自由の利かなくなり、殆ど無意識に振り上げた左腕を冬摩はすんでの所で止める。そして横目で『鬼蜘蛛』の方を見て――
「――ッ!?」
 突風が真下から吹き上げた。ソレは辺りを覆っていた邪魔な靄を吹き飛ばし、無惨になぎ倒された何本もの巨木を晒す。
「貴方も一度真っ向勝負というのを経験してみると良い。きっとクセになりますよ」
 風は魎の左腕だけを狙って切り裂き、緩んだ拘束を伸びた黒鎖が突き崩した。そして解放された夏那美は玲寺の腕に抱かれて魎から引き剥がされる。
「生憎、そういう非効率的な事には向かない性分でね。勝負には勝ってこそ意味がある。違うか?」
「いえ、全くもってその通り。私達は観客ではありませんからね」
 どこかおどけたような口調で言いながら、玲寺はオーバーコートから大量の黒鎖を伸ばした。
「ッシ!」
 ソレを追う形で冬摩は大地を蹴る。
 黒鎖は魎の直前で弾けたように分岐すると、球状の軌道を描いて全方位から飛来した。
「オラァ!」
 目の前に現れた黒いカーテンを突っ切り、冬摩は力を込めた左拳を正面に打ち出す。
 が、手応えは無い。魎の姿は遙か前方に移っている。
「玲寺、お前が怨行術を使えるようになったのは誰のおかげだ?」
 魎を追って冬摩は地面を蹴り、急速に傷の再生を始めた右腕を大きく伸ばした。
「陣迂のように命まで制御は出来ないが、まぁいい」
 そして魎が指を鳴らしたかと思った直後、自分と併走していた黒鎖が一気に失速する。
「やれやれ、私は貴方の召鬼クビですか」
「クタバレ!」
 後ろからした玲寺の言葉を聞き流し、冬摩は右拳を力任せに叩き付けた。ソレに合わせて魎は夜叉鴉を上げ、
「宿来神鬼変喚――」
(『全反射』!)
 刀の腹ではなく刃をコチラに向けて、
「『紅蓮』宿来」
 拳と刃との距離が一瞬にしてゼロになった。
(チィ……!)
 拳に食い込んでくる刃を強引に押し返し、冬摩はそのまま魎の顔面を狙って――
「無理は良くないな」
 右腕を取り囲むようにして展開していた刃が肘から先を切り落とした。
 夜叉鴉の側刃……ではない。全てが主刃だ。でなければこの切断力は無い。『紅蓮』の『分身』を夜叉鴉に使って……!
「ケッ……!」
 だが冬摩は怯む事なく更に一歩踏み込む。そして魎の息遣いが聞こえそうな程の至近距離から、左拳で脇腹を狙った。
 硬い手応え。構わず冬摩はそのまま振り抜く。
「良い子だ、冬摩。『鬼蜘蛛』を戻したな。もしそうでなければ今の一撃でやられていたよ」
 拳の着弾点を黒鎖に守らせた魎は、受けた力の流れに逆らう事なく宙を舞う。そして流麗な動きで氷の足場に着地した。
「クソッ……!」
 左拳を睨み付け、冬摩は顔を歪める。
 コレしか方法が無かった。魎がこの場を離れようとしない以上、朋華達を巻き込まないためにはこうするしかなかった。例え朋華達の方から離れたとしても、魎はまたソレを追い掛けて戦域を変えるだろう。
(だから……! コレしか……!)
 大きく目を見開き、冬摩は右腕を『復元』する。
「オオオオオオォォォォォ!」
 そして咆吼を上げ、魎に向かって跳んだ。
「ふーむ、やはり問題はその異常なまでの『復元』力だな。ソレを何とかしない限り私に勝ち目は無さそうだ」
「オラァ!」
 独り言のように呟く魎を狙って、冬摩は右腕から『真空刃』を射出した。しかし魎はソレを読んでいたかのように、宙で軽いステップを踏んでかわす。
「クソッタレ!」
 間髪入れずに左腕からの『重力砕』。だが魎はすぐさま反応すると、薄暗い球状の効果範囲内から逃れた。
(あたらねぇ……!)
 『飛翔』し、冬摩は魎との距離を詰めて拳の弾幕を繰り出す。だが当たらない。掠りもしない。ソレはこれまで何度も何度も、馬鹿馬鹿しくなるくらい何度も繰り返し確認してきた事。
 完全に見切られている。

『アンタは力もあって動きも鋭いけど、ウチらには見えへんクセがどっかにある。水鏡魎はソレを全部知り尽くしとる』

 そんな事は言われなくても分かっている。
 自分に戦い方の基礎を教えたのは魎だ。戦う上での心構えを仕込んだのは魎だ。
 そして今まで生きてきた中で最も長く付き合ってきたのも魎だ。
 だから分かっていた。自分の拳が魎に通じないという事くらいは。
 だが、ソレでも……!
「――ッァ!」
 辛うじてかわした夜叉鴉が、左脇腹を抉っていく。同時に全身を蹂躙する激痛、痺れ、そして氷結。
「おおー、私にも出来たな。二重宿来。次は三重に挑戦してみるか」
 宙で体勢を大きく崩した冬摩に、魎は間延びした声で言いながら夜叉鴉を突き出してくる。ソレは正確に核の位置を狙い、かと思えば頭部を切り落とさんと横薙ぎに振るわれる。
 どちらも食らえば致命傷だ。恐らく『復元』を使う暇もなく死ぬ。そして朋華は……。
「クソ……!」
「おーやおや珍しい。お前から引くとはな」
 後ろに飛んで一端距離を開けた冬摩に、魎は面白がるように言って口元を厭らしく歪める。
 一人では無理だ。手数に限界がある以上、全て避けられる。そして僅かな隙が自分を死に至らしめる。ならば――
「使役神鬼! 『騰蛇』! 『天冥』! 『大裳』! 三重召来!」
 素早く印を組み、冬摩は両手を力強く前に突き出した。左手から体長三十メートル近くある巨大な白蛇、『騰蛇』、右手から真紅に染まった武者鎧と二本の妖刀を身に付けた不気味な髑髏、『大裳』、そしてその中央から三つ又に別れた尻尾を持つ銀毛の猫、『天冥』が現出する。
「行けぇ!」
 冬摩の声に応えて『騰蛇』が千年樹の幹ほどもある太い尻尾を大地に突き刺す。その一点だけで全身を支え、宙に浮かぶ魎の周囲を取り囲むようにしてとぐろを巻いた。
「ほぉう……コレはコレは」
 瞬時にして出来上がった白い螺旋の足場を蹴り、『天冥』と『大裳』は左右から魎に攻め掛かる。そして冬摩はさらに高く『飛翔』し、魎の真上から一気に降下した。
「なかなか考えたじゃないか。お前にしては上出来だ」
 言いながら魎は夜叉鴉を脇に挟み、両手で韻を組み上げて――
「させるか!」
 遠い間合いから冬摩は『真空刃』を放った。
「なんてな」
 軽く口調で言って魎は後ろに飛び、夜叉鴉を持ち直して居合い抜く。
(フェイント……!?)
「こんな手に引っかかるようではまだまだ甘いぞ冬摩君」
 『真空刃』を打ち出した直後の体勢を狙って、夜叉鴉から鎌状の氷刃が飛来した。ソレを強引に身を捻ってかわし、胸と腕の肉を削られながらも冬摩は視線を戻す。
 しかし魎の姿は無い。
(後ろ!)
 頭の中で閃いた直感に身を任せ、冬摩は逆方向に身をよじった。直後、背中から腰に掛けて鋭い痛みと痺れが駆け抜けていく。
「オラァ!」
 その『痛み』に乗せて冬摩は右肘を打ち出した。だが返ってくるのは空虚な手応え。
「こういう時『獄閻』が無いと辛いよなぁ」
 そして真下から魎の声がする。
(動くなよ!)
 胸中で叫びながら、冬摩はソチラを強く睨み付けた。
 次の瞬間、『騰蛇』が螺旋の下半分を急激に締め上げて行く。
 魎は即座に反応し、白い壁を三角飛びの要領で蹴って上に飛んだ。しかし左脚が僅かに逃げ遅れる。足首を捕らえられ、魎の体が前のめりに崩れた。
 その機を逃す事なく伸ばされる『天冥』の尻尾。そして魎の頭上から鋭角的に振り下ろされる『大裳』の二本の妖刀。
「クタバレ!」
 ソレらの後ろを追い、冬摩は拳を構えた。
 もう逃げ場はない。四方八方、全て塞いだ。何をしようと、どうあがこうと、コレを叩き付ければ――
 冬摩の胸から刀が生えた。
「――……?」
 紅く鈍い光を放つソレにゆっくりと視線を落とし、冬摩はどこか眠そうに眼を細める。
「ソレは『分身』だよ。冬摩」
 背後から聞こえる魎の声。
 冷たい響きを孕んだ言葉が終わると同時に、刀は再び体の中へと戻って行った。
 『分身』……あの時、『本体』は上に残して『分身』だけを下に……。
「終わりだな、冬摩」
 目の前が昏くなっていく。全身の力が零れ落ちていく。
 何故だ……。体が言う事を聞かない。こんな、刀で刺されたくらいで……。
「お前の核、出来れば手に入れたかったがな」
 核……魔人の心臓部。ソレを、傷付けられたのか……。
「く……」
 声が出ない。音が聞こえない。全ての感覚が無い。
 死ぬ……? 俺は死ぬのか……? ココで、魎に殺されて……。
 駄目だ……呑み込まれる。意識が……暗い穴の中に引きずり込まれる。
 もう、何も考えられない。何も感じ取れない……。何も、見えない。何も……。

『――せ!』

 ……っ。

『――ロセ!』

 コレ、は……。

『コロセ!』 

「殺す……」
 誰の、声だ……?
「殺す……」
 『死神』? 自分? いや……。
「貴様は殺すぞ! 魎!」
「な――」
 背後でした困惑の声に、冬摩は左の裏拳を叩き付けた。
「く……!」
 肩を伝わり、体内を揺さぶる心地よい振動。
「ッハァ!」
 冬摩は哄笑を上げながら体を反転させ、その勢いに乗せて右拳を突き出した。
「外した……? おかしいな、そんなはずないんだが」
 身を横に寝かせてコチラの拳撃をかわし、魎は独り言のように呟きながら距離を取る。そして力無く真下に垂れた左腕を右手で押さえながら、『騰蛇』の体に腰掛けた。
 当たった! ようやく一撃を食らわせた! もう少し後ろに踏み込んでいれば、確実に魎の体をへし折っていた!
「死ね!」
 叫んで冬摩は『飛翔』し、呑気にコチラを見ている魎に急迫して――
「まぁいい」
 白い巨体が視界を覆った。
「取り合えず三匹殺せれば上等だ」
 そしてもう一人の魎の声が下からする。
 『騰蛇』の巨体が重力に引かれて行く中、反射的にソチラへと向けられた冬摩の目に映ったのは全身を弛緩させきった『天冥』と『大裳』。抵抗らしい抵抗をする事も無く、脱力したまま地面に吸い寄せられていく。
「せいぜいゆっくりやるさ」
 『閻縛封呪環』……。
 口の端を吊り上げ、不敵な笑みを浮かべたまま『分身』の姿は掻き消える。
 胸を貫かれ、使役神達の動きが僅かに鈍った一瞬の間に三体全て……。
「クソッタレ!」
 顔をしかめて自棄気味に叫び、冬摩はまた正面から魎に突進した。
 一人だけでは当たらない。だが使役神を喚べば潰される。そしてどんどん力を削られ、最後には――
「オラァ!」
 嫌な考えを無理矢理振り払い、冬摩は右拳を振るった。
 右から左に。返す裏拳を逆袈裟に。ソレを振り切った勢いに任せて左脚を突き上げ、踵を叩き付けると同時に左拳を突き出す。
「バカの一つ覚え、だな」
 当たらない。やはり当たらない。
「ッのガキぃ!」
 一人では無理だ。誰か……玖音……麻緒……久里子……陣迂――
「そういう真っ直ぐな所こそ冬摩の魅力じゃないですか」
 玲寺。
「――ッ!?」
 魎の動きが止まる。まるで宙に縫い止められたように――
「オラァ!」
 そして右拳が魎の頬に突き刺さった。着弾点で拳を更に固く握り込み、冬摩は渾身の膂力を込めて右腕を振りきる。
「貴方の目的、なかなか興味深い物でした。驚きでしたよ、貴方なりに“強さ”についての美学なんて物があったんですねぇ」
 拳をまともに食らった魎は後ろに吹き飛ばされ、しかし途中で体勢を立て直してコチラを睨む。
「殺す!」
 口腔の血を吐き捨てて構える魎を睨み返し、冬摩は一直線に『飛翔』した。そして力任せに拳を打ち出す。
「チ……」
 舌打ちして忌々しそうに顔を歪め、魎は夜叉鴉を上げて――
「ぐ……ァ!」
 その腹に左拳が抉り込まれた。
「殺す! ブッ殺す!」
 絶叫を上げ、冬摩は狂ったように左右の拳を乱打する。
 逃がさない! もう逃がさない! このまま一気に押し切り殺す!
「怨行術、でしたか。いやぁなかなか便利な技じゃないですか。興味があったのでね、自分なりに色々と試してみたんですよ。その甲斐あって基本的な事はだんだん分かってきましてねぇ。貴方の召鬼としての力が無くとも、この伸縮自在の黒いヤツくらいは使いこなせるまでになりましたよ。え? さっきの? いやぁ、アレは演技ですよ演技。ただのフリです。最後の最後で貴方を騙す事が出来るなんてねぇ、大満足ですよ」
 殺す! 殺す! 殺す!
「コレを絹糸のように細くして辺りに張り巡らし、ソレを通じて私の『声』の力を送る。まぁ貴方があまりに動き回るものですから、広く展開させるのに少し時間が掛かりましたが。結構、色々と出来るものなんですよ、コレ。便利ですねぇ。怨行術というのは。壊死した陣迂の右腕の細胞も、コレで少し活性化させられました。言ってみれば電気ショックみたいな物ですよ。厳密には違いますが。ソレを貴方の体に中に直接叩き込みました。刀を差し込む角度はズレるし、ほんの少しの間ですが全く動けないし。結構イタかったでしょう? それにしても魔人の回復力という物は本当に凄い。私は最初のキッカケを少し与えただけなのに、陣迂の右腕は短時間であれ程までに。ひょっとして龍閃の血を引いている事が深く関係しているのでしょうか?」
 もっとだ! もっと力を!
 コイツの……! この下衆野郎の顔を! 腕を! 腹を脚を肉を骨を臓物を!
 バラ撒かせろ!
「で、どうですか? 冬摩の拳は。一発一発に実に強い想いが込められていて、なかなか味わい深いでしょう? って、もう聞こえてませんかね。いやぁ、一度で良いから貴方にこうやって偉そうに講釈垂れてみたかったんですよ。それに貴方も、たまにはいつもと逆の立場になるのも良い物でしょう? おかげで私の知りたかった事、やりたかった事は大体片付きました」
 コロス! コロス殺すコロスコロス殺すコロス!

『殺せ! 嬲り殺せ! 喰らい尽くせ!』

「ただ、龍閃を死に至らしめた冬摩の左腕の力の所以が、本当に龍閃自身が仕込んだ物かどうかは謎のままでしたが」
 血を! もっと血を! 肉の悲鳴を! 臓腑の狂声を!

『力だ! 更なる力を求めよ! 解き放て! 貴様の中に宿る――我の力を!』

 殺す!
「使役神鬼――」

『殺セ!』

「『鬼蜘蛛』召来!」

『喰い殺せ!』

『ガアアアアアアアアァァァァァァァァァッ!』

 頭の中で何かが弾けた。
 ソレは業火の氷結。辛苦の悦楽。慈愛の憎悪。
 何か――ソレが何なのかはよく分からない。
 すぐに理解できる物ではない。ましてや制御などできるはずがない。
 だが、一つだけはっきりしている。
 ソレはこの力を受け入れれば。この力に身を任せれば。この力を、打ち出せば――
『死ね!』
 目の前の鬱陶しいヤツを――
「コレが……」
 壊せる!
「幕切れか……」
 消せる!
「冬摩! よせ!」
 殺せる!
「私の勝ちだ。冬摩」
 左腕が爆ぜ飛んだ。
 続けて肩が無くなり、左半身が崩れ落ちて行く。
「『鬼蜘蛛』を無くしたお前の左腕、さすがに凄まじい力だ……。一撃で滅ぼす程にな。私の躰と、お前の躰を……」
 目の前から聞こえる言葉に呼応するかのように、破壊の力は全身を蹂躙していく。
 胸から腹。腹から腰。腰から脚。
 まるで嬲るかのように、ゆっくりと。しかし確実に――
「長い付き合いだった。なかなか楽しかったぞ。冬摩」
 意識を染めていく白い力の奔流。ソレは何故か穏やかで、心地よく――全身を優しく包み込むような浮遊感が、この上ない安寧をもたらしてくれて――力が虚無へと向かい、全ての思考を取り去り――もう何もかもが――
 視界の隅の方に誰かの顔が映った。
(朋華……)
 いつも自分のそばに居てくれた女性。この世で最も大切な存在。
 コチラに向かって何かを叫んでいる。哀しそうな、怒ったような複雑な表情で。
 護れなかった……。彼女を守ってやる事が出来なかった。
 自分はにもう、朋華に何をしてやる事も……。
 ああ、白い……真っ白だ。腹が立つ程に綺麗で、狂おしいまでに白い……。
 久里子……玖音……。
 朋華を、アイツから……魎から……。
 陣迂……玲寺……。
 お前達とはまた、やりたかった……。 
 麻緒……。
(麻緒……)
 お前は、どうする……?
 魎と戦うのか? それとも――
「じゃあな」
 白い流れが麻緒を呑み込むようにして広がり、その端におさげの――

◆おやすみなさい ―九重麻緒―◆
 白い。どこまでも白い光景。
 左を見ても右を見ても。上を見ても下を見ても後ろを見ても。走っても飛び跳ねても叫んでも。何をしても何を考えても何を望んでも――
 
『ソレはもう、しょうがないわね。大丈夫よ。恐い事なんて何もないから』

 色が、生まれた。声が、した。
 ソレはまだ幼い頃の自分。小さくて、弱くて、頼りなくて……。

『お母さんがずっと一緒にあげるから』

 自分の頭を母親が撫でてくれている。その前で黙って項垂れている自分の頭を優しく、何度も、何度も……。
 コレは……自分が三歳の頃の光景。そう……初めて生き物を殺した時の……。
 あの時、もう死にかけていたセミを踏み殺して、大急ぎで家に戻って、凄く昂奮してて、『シナ』した! 『シナ』した! って何回も叫んで――

『麻緒、大丈夫だからね』

「麻緒君、大丈夫……?」
 耳元でした声に重い瞼を上げる。
 最初に目に入ったのはおさげに纏めた長い髪。そしてミルクのような甘い匂い。生暖かい感触。
「麻緒、君……?」
 知っている。自分はこの感触を知っている。よく、知っている。
「東宮さん……?」
 眠そうな声で呟き、麻緒は顔を上げた。
「良かっ、……」
 安堵した夏那美の声。ソレが途中で切れ、背中に彼女の重みがのし掛かってくる。
「ちょっと、オイ……」
 湿り気を帯びた夏那美の温もりを、麻緒は嫌そうに押し返し――
「え……」
 腕にはべっとりと紅い――

『だから麻緒――』

 背中や顔、そして頬にはまるで涙の通り道のように――
「あ……」
 声が漏れる。
 掠れて、喉の奥から、力無く――

 ――そんなに泣かなくていいのよ?――

「ああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!」
 あの時。
 セミを殺したあの時。
 恐かったんだ。とてつもなく恐かった。
 心が壊れてしまうかと思うくらいに、どうしようもなく恐かった。
 大声で喚き立てながらでたらめに走り回り、気が付いたら家の前に立っていて、体を方々にぶつけながら中に転がり込んで、母親の胸の中で泣いたんだ。
 『シナ』した! 『シナ』した! ってガタガタ震えながら泣き叫んだんだ。
 恐くて、気持ち悪くて、淋しくて、哀しくして――
 自分はとんでもない事をしてしまったんだという、得体の知れない重みに押し潰されそうだった。どうすればこの苦しみから逃れられるのか、とにかく早く教えて欲しかった。
 しかし、母親は――

『大丈夫よ。もう何も居ないでしょ? ココに居るのは麻緒とお母さん、二人だけ。だから安心なさい。お昼寝すればきっと忘れるわ』

 曖昧な笑みを浮かべて、頭を撫でて――
「ブッ殺す!」
 所詮、そんな物なのだ。
 何かが『死ぬ』という事は。誰かを『殺す』という事は。
 適当に笑ってあっさり忘れて、ソレで済ませられる程度の軽い物なのだ。意識が裏返りそうな程の恐怖の正体は、ただ幼い精神がもたらした過剰な防衛反応に過ぎないんだ。
 だからあの時も一気に熱が引いていった。急激に昂奮が冷めていった。
 ソレでいいんだ。こんなものなんだ。
 命というのは、こういう風に扱って大丈夫なんだ。

 あの時――自分の中で確実に何かが変わった。 

 だが、それでもまだ僅かに違和感は残っていた。何かがしこりのようになって、心の隅に引っかかっていた。それから色んな生き物の死に際に立ち会い、その違和感は徐々に肥大して行った。
「ほぅ、運がいいな少年。いや、そのタフさを褒めるべきか?」
 少し離れた場所から聞こえる声。
 まだ回復しきらない視界に映る影に向かって、麻緒は正面から突進した。
「あの勇敢な少女と、ソレを庇った『羅刹』に救われたか。なかなか人望があるじゃないか」
「オラァ!」
 叫んで麻緒は、固く握り込んだ右拳を叩き付ける。
「なかなか鋭い。だが当たらなければ意味がない」
 標的の位置を通り越して流れる拳撃。そして鳩尾に突き刺さる衝撃。
 麻緒は歯を食いしばってソレを堪え、声の方に振り向きざま肘を打ち出す。だが――
「君ほど分かり易いと安心するよ、少年。気に入らない物は全て消す。邪魔な者は全て殺す。自らの欲求にのみ忠実であればいい。全くもってその通りだ。実に『共感』できる」
 背中に強い圧迫感が走り、冷たい地面の中に体が埋め込まれた。続けて内臓を揺さぶる蹴撃が槍雨のように突き刺さる。
 気に入らない物はブッ壊す。邪魔な奴はブッ殺す。
 冬摩に出会ってソレを学んで。自分の中で漠然と燻り続けていた違和感は解消された。
 母親にいくら言葉を掛けられても取り去る事の出来なかった不安感を、冬摩は何も言わずに払拭してくれた。
 やはりソレで良いんだ。自分の考え方で良かったんだ。
 『死』とは鼻で笑い飛ばして、脚の裏で踏みにじるもの。
 何も考える事はない。何かを感じる必要もない。ただ本能が命じた事に身を委ねていれば良い。
 力があればソレが出来る。
 セミを潰して殺したように、人を簡単に殺せるだけの力があれば悩む事などない。
 不満や不安、そして恐怖すらも打ち砕く事の出来る強大で絶大な力さえあれば。
「――っの、ガキぃ!」
 後ろに腕を回して男の脚を掴み、麻緒は無理な体勢から強引にソレを放り投げた。男は長い黒髪を靡かせて空中で一回転すると、余裕を持って着地する。
「死ねオラァ!」
 徐々に鮮明な輪郭を帯び始めた男を睨み付け、麻緒は両拳を真横に突き出して突進した。
「まぁそんなに怒るな少年。強い奴と戦いたいのならいくらでも用意してやる。だから一端拳を引いてゆっくり話し合おうじゃないか」
「テメーを殺した後でな!」
 後ろに飛んで距離を取り続ける魎に、麻緒は歯を剥いて叫ぶ。拳を更に固く握り締め、麻緒は身を低くして蹴り脚に力を込めた。
 強い奴。
 そうだ。力を付けるため、自分はとにかく強い奴との戦いを求めた。そして証明し続けた。言い聞かせ続けた。
 自分の考えが正しいのだという事を。命とは極めて軽い物で、ソレを壊したところで罪悪感など微塵も抱く必要などないのだという事を。力ある者にはソレを奪い取る権利が与えられ、力のない者には奪われる義務があるのだという事を。
 だから、あの時殺したセミの事など――
「惜しいなぁ、少年。君には類い希な素質がある。肉体的にも精神的にも。ココで無くすには実に惜しい。どうだ? 魔人に転生してみる気はないか? そうすれば冬摩の力の流れ弾を食らって、あそこで無様に這いつくばっている玲寺なんかよりずっと強くなれるぞ?」
「テメーもボロクズだろーが!」
 ようやくクリアになった視界の中に立っていたのは、無数の傷を負った魎だった。
 左目は完全に閉ざされて紅い筋を真下に引き、頭からの出血が髪を頬に張り付かせている。左腕は肩から先が無く、胸に穿たれた大きな傷からはダークコートの上からでもはっきり分かるほど血が溢れ出ていた。
「なぁに、このくらい大した事はないさ。あの力をまともに食らった可哀想な『分身』の事を思えばな」
「じゃあ死ねぇ!」
 拳の射程内に魎を捕らえ、麻緒は下から右拳を振り上げる。
「正しい会話の勉強をした方がいいな、少年」
 魎は上体を逸らして拳をかわし、その動きに合わせて刀を逆袈裟に切り上げた。
「ケッ!」
 しかし麻緒は体が密着する程に間合いを詰め、大振りの一撃をやり過ごす。そして真横から魎の顔面に右肘を叩き込んだ。
「何をそんなに焦っているんだ少年。まさか、あの勇敢な少女を傷付けられて逆上したなんて言わないでくれよ?」
 喉の奥で低く笑いながら、魎は刀の柄でコチラの胸を押し返す。肘が相手の鼻先を掠め、手応え無く通り過ぎた。無防備な姿勢のまま流れていく体。魎が刀を逆手に持って構え、そして閃光か走るのが見えた。
 焦っている? 自分が焦っているだと? 夏那美の事で?
 何を馬鹿な事を。
 もし気がはやっているのだとすれば、ソレはこんな無様な戦いしかできない自分への苛立ちからだ。
 自分には力がある。自分は強い。
 そう思っていた。しかしその自信を陣迂に打ち砕かれた。
 もう一度取り戻すためには、また証明し直さなければならない。自分に言い聞かせなければならない。
 だから陣迂よりずっと弱いコイツなど、
「クソッ――」
 拳だけで……!
「――タレ!」
 麻緒の右手の先に白い正六角形の枠が現れる。大きく広がったソレは刀身を丸呑みすると、対となったもう一つの枠から刃を吐き出した。
「ようやく本気か? 弱いクセに力の出し惜しみは良くないぞ?」
「ブッ殺す!」
 『次元葬』からの刀撃を首を寝かせてかわした魎に、麻緒は怒声を上げながら突っ込んだ。そして鉤状に爪を立て、喉笛を狙って放つ。
 弱い? 弱いだと?
 フザケルナ……フザケルナ!
 自分は強い。誰よりも強い。玲寺よりも陣迂よりも冬摩よりも、ましてやこんな雑魚などよりも!
 ソレを証明してみせる! 今すぐに証明してみせる!
 自分にはソレしかないんだ! もう戦いしか! 力しか! 強い奴を殺し続ける事しか残されていないんだ!
「ッラァ!」
 もう吹っ切ったんだ! 完全に割り切ったんだ!
 あの時に! 夏那美に手を上げた、あの時に……!
「――っ」
 爪の先が魎の喉の皮を割いて通り抜けた。
 一瞬、魎は戸惑いの表情を浮かべ、しかしすぐに鼻で笑い飛ばしてダークコートから黒鎖を伸ばす。麻緒は『次元葬』を体の両側で展開させてソレを呑み込もうするが、黒鎖は直角に軌道を変えて真上から降り注いだ。
 もう戻れない。自分の居場所は戦いの中にしかない。敵も味方も関係ない。
 証明しなければならない。言い聞かせなければならない。
 早く、一秒でも早く。
 自分には力がある。自分は力のある側の人間なんだ。
 その事を早く実感しなければ。でなければ……そうしなければまたあの不安が。恐怖が……!
「オオオオオオオオオォォォォォォォォォォ!」
 両腕を交差させて頭を庇い、麻緒は咆吼を上げて数多の黒撃を耐える。
 実感できないのなら、死んだ方がましだ。その方がずっと楽だ。
 だが誰も殺してくれなかった。
 龍閃も、玲寺も、陣迂も……。
 みんな戦いを中途半端に放り投げて自分を生かす。そして不安と恐怖だけが積もっていく。もう一度自信を取り戻すまで、自分はソレと戦い続けなければならない。目には見えず、形もない相手と、勝てるはずもない戦いをしなければならない。
「自虐的だな少年! ますます気に入ったぞ!」
 
 ――じゃあ、どうして学校では……?

「ガアアアアアアアアアァァァァァァァァァッ!」
 学校では……耐えられたんだ?
 龍閃に負けて冬摩に助けられて、その後すぐに久里子から別れを告げられたのに……。自信を取り戻す時間などなかったのに……。
「クタバレ!」
 どうして……。
「ほぅ、三組目の『次元葬』か。素晴らしいぞ、少年」
 どうして、普通に……。
「オラァ!」
 そうか……。
「だが無駄な――」
 夏那美か……。
 きっと夏那美がずっと付きまとっていたから、そんな事を感じる暇がなかったんだ。彼女がしつこすぎて……。
「殺す! テメーは殺す!」
「な――」
 いや、違う。そうじゃない。
 あの時、はっきりと実感できていたんだ。
 自分は強いのだと。力があるのだと。
 夏那美が持ってくる『遊び』に付き合っていたから。そのたびに彼女を守っていたから。
「ブッ殺す!」
「ちぃ……!」
 そんな物はただのまやかしだ。自分を上手く誤魔化していただけだ。
 クソ弱い邪霊相手から、何の力もない女一人守ったところで本当の強さを実感できるはずなどない。
「オオオオォッラァ!」
「く……!」
 ――だがソレでも、紛れていた事は事実だった。
 あの恐怖から……喰らい潰されそうな程の罪悪感から目を背けられていた。
 命を全うしようと生きていたセミを、ただの興味本意だけで殺してしてしまった自分の愚かしい行為から……。
「死ねぇ!」
「調子に――」
 命を奪って生きている命は、いつ刈り取られてもおかしくない。誰かを殺した者は他の誰かに殺されても文句は言えない。例えどのような理由があろうとも。
 だから自分がいつどこで誰に殺されたとしても――
「乗るなぁ!」
 凍結させた左腕で真横に薙がれた刀を受け止め、僅かに軌道をずらして辛うじてやり過ごす。滑稽な程に高く澄んだ音を立てて崩れていく左腕を後目に、麻緒は頭を下げて魎の懐に潜り込んだ。そして伸び上がりざま、頭上に瞬間移動させた『次元葬』に右拳を突き上げる。
「ご……!」
 二枚重なった『次元葬』を貫き、麻緒の拳は魎の顎を捕らえた。
 いや、むしろその方が好ましい。
 誰か早く自分を殺してくれ。そうすれば負けるたびに力を証明する必要もないし、女を平気で殴ろうとするまでに堕ちた自分を蔑む事もない。ついでに、あの時のセミへの罪滅ぼしまで出来る。
 まさに一石三鳥。
 さぁ早くしてくれ。もう疲れた。寝たいんだ。
「下らんマネを!」
「じゃあ殺してみなよ!」
 コチラの眉間に狙いを付けて突き下ろされた刀を『次元葬』で呑み込み、麻緒は魎の胸に爪を抉り込ませた。そして傷口を更に大きく広げ、魎の体内で『司水』を発動させる。
 内側から蒸発し、急激に干涸らびていく魎の体。
「フン」
 後ろから声がした。反射的に右へと飛び――
 左脇腹から刀が生えた。
「ぐ……!」
「君とは分かり合えるような気がしたんだがな。アテが外れたか」
 刀を真横に抜き取り、宙に鮮血の帯を靡かせながら麻緒は魎から離れる。
「――ッ!」
 突然目の前が白くなったかと思うと、全身を痺れにも似た痛みが駆け抜けた。
 コレは電撃……? 『天雷』か……。
「殺して『玄武』を頂くとしよう」
 大気を引き裂き、刀の放つ冷たい輝きが首筋に飛来する。麻緒は倒れ込むようにしてソレをかわし、『次元葬』に飛び込んだ。三組の枠を連続的に経由し、魎から大きく距離を取って体勢を立て直す。
 体が思うように動かない。雷による麻痺が残っている。反射的な動きはもう無理だ。肉体が意識に付いてこない。
(潮時、か……)
 自嘲めいた笑みを浮かべ、麻緒は何重にもブレて見える魎を木の上から見下ろした。
 『幻影』か『分身』か、それともさっきの雷撃で自分の目がおかしくなったのか……。
 どちらにせよ――
「ッハァ!」
 もうお終いだ。 
「じゃあな、少年」
 枝を蹴って飛んだ麻緒を取り囲むように、ブレていた魎の体が分裂して円状に展開する。そして全方位から刀が振り下ろされ――

『だーかーらー、どうしてそんなにボロボロになるのー? あんなのラクショーじゃん』

 なんだよコレ。今更何なんだよ。

『悪霊さんにわざと殴られて面白いワケ? 楽しいワケ? 麻緒君ってひょっとしてそーゆー趣味の人?』

 うるさいな、君は。いつもいつも。ボクがどう遊ぼうと勝手だろ。
 コレで良いんだよコレで。コレで全てが丸く収まる。

『何よ何よ! キィー! 何よその態度! 誰が勉強教えてあげたと思ってるのよー!』

 そっちが押しつけがましく言い寄ってきたんだろ。頼んだワケじゃない。

『あたしは麻緒君の恋人なの! 彼女なの! コレで決定!』

 あー、はいはい。悪い事言わないから、こんなのとまともに関わらない方がいいよ。いずれ身を滅ぼす事になるから。

『ムッキィー! 何よー! “こんなの”ってぇー! 人を物みたいにー! 大体誰が助けてあげたと思ってるのよ!』

 だから別に頼んだ訳じゃないだろ? ボクはあのまま殺されていても全く問題なかったんだ。むしろそうなって欲しかったんだ。
 なのに君が、また勝手な事を……。
 それも一度だけじゃなく……。

『麻緒君、大丈夫……?』

「へっ……」
 薄ら笑いを浮かべ、麻緒はゆっくりと立ち上がった。
 そう言えば最初から変な奴だった。
 黒魔術だか何だか知らないが、おかしな強迫観念にとらわれて、妙な儀式に没頭して、それで自爆して大泣きするようなイカれた奴だった。かと思えば何事も無かったのかのようにまた『遊び』を再会し、自分のこの異常な力をいくら見ても全く動じない、どこかキレた奴でもあった。
「良い勘だ少年。私の『予知』では君は間違いなくコレで死んでいた」
「嫌な勘、の間違いだろ?」
 刀を『次元葬』から抜き取る魎に目を向けながら、麻緒は自虐的な笑み顔に張り付かせた。
 一本だけにしておいた。
 自分を取り囲んでいるのが本体と『幻影』だけだと決め込んで、その中から直感だけで一人選んだ。そしてソイツの持っている刀に『次元葬』で狙いを定めた。
 もしあの中に一人でも『分身』が混じっていたら、今頃自分は首を切り落とされていただろう。だが的中した。的中してしまった。
「洒落たロシアンルーレットだ」
「まさか当たるとはね」
 なら続きをやるとしよう。
 残った二組はすでに自分の両足を呑み込んでいる。そして対となる二枚の『次元葬』は魎の顔の横に――
「ボーナスチャレンジ」
 目の前が白く爆ぜた。 
 神経を侵蝕する熱波。内臓を圧迫する凶振動。
 景色が蒸発し、大地が陥没し、空気が灼け付いていく。
 そのあまりにも強大であまりにも絶望的な流れに意識を呑み込まれ、全身からありとあらゆる力が抜けていくのが分かる。
(コレで、お終いだ……)
 白い世界に身を委ね、麻緒は力無く笑みを零した。
 両足の十本の指全てを使った原子崩壊。ソレを魎の真横で起こした。
 いくら魔人とはいえ、コレをまともに食らって生きてられる訳がない。
 避けた様子も逃げた気配も無かった。確実に魎の顔面を吹き飛ばした。
 コレで全てが終わったんだ。間近に居た自分もただでは済まないだろう。上手く行けば相打ちという事になる。
(いいね……)
 理想的だ。やっと楽になれる。
 ただアレだけ派手な爆発だ。少しは離れているとは言え、他の人も少なからず被害を受けるだろう。下手をすれば誰か死んでいるかもしれない。
 可能性として一番高いのは、召鬼でも魔人でもない、夏那美か……。
(いや……)
 彼女はもうとっくに死んでいるのかもな。あの出血量は普通じゃなかった。それとも辛うじて生きていて、ソコに自分がとどめを刺したか……。
(まぁいいや)
 もう止めだ。考えるのはよそう。全部終わったんだ。
 大体こんな世界に首を突っ込んだ彼女が悪いんだ。自分と関わりを持った夏那美自身にも落ち度はある。
 本当に色々と迷惑な女だった。何度目の前から消えてくれと思ったか分からない。口では偉そうな事を言うクセに、遊んでいる時に危なくなるといっつも『麻緒君、麻緒君』って。
 自分は保護者じゃないし、いちいち構ってられるほど暇でも律儀でもない。それに――
(あー、やめやめ……)
 止めよう。本当に止めよう。
 考えるな。もう何も考えるな。
 夏那美がどうなろうと知った事ではない。死のうが悪運強く生き延びようが自分の関与するところではない。
 悪運……。
 そう、悪運だけは強い女だった。
 競争率が極めて高い購買のパンを一度も買い逃した事がないし、予習を忘れた日は絶対に先生から当てられないし、何回も儀式に失敗してるのに傷一つ負わないし。今回だって病院の八階から飛び降りて無事だったみたいだし、自分が本気で殴ったのに『獄閻』に助けられたし、何よりこれだけ血生臭い環境にいて生き続けている。普通なら百回は死んでいてもおかしくない。
 だから、ひょっとすると……。
(だーかーらー)
 どうして考えてしまうんだ。
 本当にどうでもいいのに。今まで何十人も殺してきたし、何百人もの死に際に立ち会ってきた。その時は別に何も感じなかった。軽く流していた。なのに……。
(初めて、か……)
 この手で殴り殺そうとし、そして今も自分のせいで死んでしまったかも知れない初めての女。
 そう考えれば少しは納得できる。自分の中で少しだけ特別扱いしている事を受け入れられる。
(あーあ……)
 まぁ、ソレももう関係無くなるが……一応、最後くらいは……。
(ゴメンネ……)
 謝っておいても――
「そうか少年。気持ちが変わりつつあるという事か。私が『共感』できない方向に。なるほど、それで『予知』が狂った訳だ」
 ――ッ!?
 いつの間にか閉じていた目を見開き、麻緒は声のした方に顔を向けた。
「……っぁ!」
 首を持ち上げ、視線を動かす。
 たったソレだけの動作なのに体が悲鳴を上げている。内側から軋んだ音が聞こえてくるのが分かる。
「まあ多感な年頃だものなぁ」
 立ちこめる砂塵の中、目の前に魎が立っていた。
 左目を閉じ、左腕を無くし、全身を血に染めた満身創痍の状態で。
 だが変わっていない……。最初と殆ど変わっていない。顔に少し火傷の跡があるくらいで、他に傷らしい傷はない。
 まさか効かなかったのか? アレだけ凄まじい原子崩壊が効いていない? どうして……。
「冬摩と同じように『分身』に『全反射』を使わせて消し飛ばしても良かったんだが……気が変わった」
 『分身』? 『分身』だと? 
 ではあの時避けなかったのはわざと? わざと『分身』を置き去りにした? 『全反射』を使わせるつもりだったから……。自分を確実に殺すために……。
「惜しい、やはり惜しいぞ少年。その力。その才能。そしてその精神。君に興味がある。実験に付き合って貰おうか」
 動かない。体が全く動かない。
 不可視の縛鎖で拘束されたかのように、体がまるで言う事を聞いてくれない。
「こんなにも早く次の対象が見つかるとはな。なぁに、良い子にしていれば悪いようにはしないさ。きっと君にとってもプラスになる」
 場違いに朗らかな口調で言い、魎はゆっくりとコチラの手を伸ばして、
「な――」
 突然切迫した声を上げたかと思うと、身を横に流し――
「が……」
 胸から腕が生えた。
 そして良く知っているはずのその手には、血よりもなお紅い緋色の爪が――
『久しいな、魎』
「そ、の……! 声は……!」
 低く重々しく、聞く者に否応なく恐怖を摺り込むこの声は……。
「龍、閃……!」
 血反吐を吐きながら叫んだ魎の体が軽々と持ち上げられたかと思うと、埋め込まれていた腕が大きく振るわれる。おびただしい量の鮮血を撒き散らし、魎は背中から大樹にめり込んで力無く地面に横たわった。そして麻緒の前に立っていたのは――
「お、兄ちゃん……?」
 冬摩だった。
(いや……)
 違う。冬摩ではない。
 口の端から覗く牙、漏れ出す獣じみた息遣い、金色の光を宿す双眸、そして全身に纏う次元違いの威圧感、殺気。コレは――
「アッハハハハハハハハハハハッ……!」
 遠く方から狂ったような笑い声が聞こえてきた。
「そうか! そう言う事か! 妙だと思っていたんだ! 核を吹き飛ばしたはずなのに! 全てが無くなったはずなのに! 確実に死んだはずなのに! どうして使役神が私の物にならない! やはり冬摩は何か特別なのか!? それともまだ生きているのか!? いや違う! そうじゃない! 答えはもっと単純だ!」
 風穴の開いた胸を押さえ、魎は口からごぼごぼと血を溢れかえらせながらも昂奮した様子でまくし立てる。
「孵化だ! 孵化したんだ! 『鬼蜘蛛』が! やはり私の考えは間違っていなかった!」
 血走った目を危なく輝かせ、魎は刀で辛うじて身を支えながらコチラに近付いて来きた。
「冬摩の核は消え去ったが、代わりに龍閃! お前の意識が体を支配したというわけだ! そして瞬時に『復元』! コレが『予知』の答えという訳か! 素晴らしい! 想像を遙かに越える結末だ! 素晴らしいぞ龍閃!」
 立っているどころか生きている事すら不思議な状態であるにもかかわらず、魎は自分の叫び出す言葉に酔いしれるように顔を歪めていく。閉じていた左目を眦が裂けんばかりに開き、血涙を流し、胸の傷穴を右手で握りつぶすように強く力を込めながら……。
『肉は……』
 狂気に支配されて昂揚する魎とは対照的に、冬摩は龍閃の声で冷たく呟く。
『肉は美味かったか?』
 その言葉に、魎は一瞬訝しそうに眉を顰め、
『二百年前、貴様が喰らった我の肉は美味かったかと聞いている』
 続けられた声にまた凶笑を浮かべた。
「ああ美味かった! お前は最高だったぞ龍閃! お前の肉が持っていた可能性は最高だ! 最高の玩具だったぞ龍閃!」
『そうか』
 早口で叫ぶ魎に龍閃は短く返し、左手に付いた血と肉片を舌で舐め取る。
『だがお前のは――』
 そして左腕から力を抜き、だらりと垂らした状態から億劫そうに持ち上げて振るった。
 直後、周囲のあらゆる音が消える。静寂ではない。鼓膜が張り裂けそうなほどの無音。まるでソレ自体が物理的な破壊力を持っているかのように。
「――ッ!?」
 魎から声にならない声が上がる。そしてその目が戦慄に見開かれた。
『不味い』
 底冷えするような龍閃の声に応え、魎の右肩が鋭利な断面を晒して削げ落ちる。支えを無くした右腕が重い音を立てて落下し、思い出したように鮮血が噴出した。
「――ッハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!」
 自らの返り血を顔面に浴び、魎はそれでも哄笑を上げる。より高く、より狂おしく。
「何だ今のは! 『真空刃』か!? それとも『断空爪』か!? 素晴らしい! 素晴らしい破壊力! いや! 抹消力! だがな! やはりお前は力だけだ!」
 両腕を失い、揺れる上体を大樹に預けて固定しながら魎は口の両端を吊り上げる。
 そして麻緒の目の前で異音がした。
 目線を下げる。そこにあったのは冬摩の右腕だった。
 切り落とされた魎の右腕と全く同じ角度で、赤黒い筋組織を露出している。
「さぁ私を殺してみろ龍閃! お前のその力をぶつけてみろ! 『復元』と『全反射』! どちらが勝るか賭けてみるのも悪くない!」 
『成る程。確かに厄介な力だ』
 失われた右腕を『復元』し、冬摩はその動きを確かめるかのように手の握り開きを繰り返した。
「卵は孵化した! 保険はもう無い! 次死ねばもうソレでお終いだ! 二度と表に出て来られない! さぁどうする!」
『お前は何か勘違いしてないか? 魎』
 冬摩は腕組みして魎の方に半身を向け、金色の瞳を細めて低く言う。
『『鬼蜘蛛』は保持者の精神苦痛を糧として成長し、ソレが進みきれば我の意識が保持者を乗っ取る。そして役目を果たした『鬼蜘蛛』は消失する。そう、考えているのではないのか?』
「ッハ! ココまで来てハッタリか龍閃! 堕ちたな! お前の意識の一部を切り取って創り出したのが『鬼蜘蛛』だろう! 成長しきって中身を吐き出した抜け殻に何の価値がある!」
『そう、その通りだ。そして貴様のおかげで思いの他早く外に出られた。魎、貴様は実に頭が切れる。ソレは認めてやる。だがな、突飛な仮説に終始し過ぎて、簡単な事を見落とす嫌いがある。昔からそうだった。『死神』に保持者の肉質を変える力があるというなら、我の肉にも何らかの力が宿っていると考えるのは至極自然な流れ。だがかつて貴様はソレを見落とした』
「失敗から学ぶ事の方が多いという事さ! お前の肉に殺されそうになったおかげで、お前の力を手に入れる方法を思いついた! まぁソレも失敗したがな! ッハハ! だが所詮は些細な事! ココでお前を殺せば力が手に入る! その力の使い方と一緒にまたゆっくり考えるさ! 新しいやり方をな!」
『何だ、分かっているではないか。魎』
 空気が一変した。
 体の芯を凍てつかせる冷徹な物から、精神の内側を蹂躙する破壊の胎動へと。 
 口の端に酷薄な笑みを浮かべ、冬摩は正面から魎を見据える。
『それとも、今のは我の使役神を手に入れるという意味か? 或いは我の死体を貴様の召鬼とするという意味だったのか?』
 魎は何も返さない。
 先程までの狂人のような雰囲気が一瞬にして霧散し、代わって言い知れない圧力に耐えかねているかのような苦面を張り付かせる。
『魎、孵化した卵はその後どうなると思う?』
 そして、魎の目がまた大きく見開かれた。昏い感情に支配されて。
『いい貌になったぞ、魎。実に良い表情だ。そうだ、その貌だ。貴様も気付いただろう。自分がどれほど無謀な戦いを挑んでいるか』
 まるで冬摩の一語一語に気圧されるようにして、魎の顔に浮かぶ苦悶の色が濃くなっていく。 
 何だ。一体どうなると言うんだ。何の話をしているんだ。
『我は死なぬ。永遠に滅びぬ。この底の見えぬ食欲を満たしきるまではな』
「そういう……訳にも行かないんですよ……。時代遅れの、魔人さん……」
 後ろから掠れた声がした。
 しかしまだ体は動かない。ソチラに顔を向ける事は出来ない。だが声で分かる。
「荒神冬摩の体にそんな物騒な物がな……。迷惑な、話だ……」
 この声も。
「すまんな冬摩……ほんでトモちゃん……。手加減なんか出来る相手ちゃうからな……」
 この声も。
「今のアンタは、ヤバいぜ……兄者」
 この声も。
『ク……』
 そして冬摩の口から龍閃の声が漏れ、
『クッ、クク……』
 喉を震わせて低く笑い、
『ッハーッハハハハハハハハハハハハハハッ!』
 大気を鳴動させる怪笑が轟いた。
 鼓膜の奥にまで突き刺さり、脳の中に鮮烈な痛みが駆けめぐる。周りの木々が枝葉を揺らして震え上がり、あらゆる生き物の気配がこの場から逃げて行った。
『死に損ない共が雁首揃えて何のつもりだ! 笑わせてくれるではないか! それとも我を悦ばせるための芝居か!』
「貴方の方こそ何も分かっていない……冬摩の体には、私と陣迂の血が入ってる。コレがどういう事か分かりますか……?」
 玲寺はまるで麻緒を庇うようにして前に出、肩で荒く息をしながら冬摩の方を見る。
 背中が真っ黒に爛れていた。左腕は完全に炭化し、二周りは痩せ細っている。
『ああ、そうだったな。そうやって召鬼化の力を拮抗させ、魎の召鬼化から冬摩を救ったんだったな』
「つまり、いずれ貴方は私か陣迂の召鬼になるという事です」
『そう自分に言い聞かせていないと不安でしょうがないか』
 鋭い牙を覗かせ、冬摩は金色の双眸を炯々と輝かせる。まるでコチラの意識を喰らい尽くすかのように。
『この体は一度抹消寸前にまでなり、『復元』によって再構築した。我の死肉やら、貴様らの鬱陶しい召鬼化媒体を除去するためにな。貴様は分かってる。ソレが分かっていて言っている。否定される事に一縷の望みを掛けて。だが――』
 冬摩の長い髪の毛が不可視の何かによって持ち上げられた。そしてソレは一気に長さを増して地面に届く程にまで伸びると、鮮血を思わせる朱に染め上げられて行く。
『家畜の願いなど通じぬ』
 冬摩は緋色の爪を目の高さまで持ち上げると、大きく真横に薙いだ。
 そしてまた音が止む。僅か一呼吸の間、無音の世界が辺りを支配し、次に音が戻った時には耳をつんざく轟音が響き渡っていた。
 ようやく動きを取り戻し始めた体を捻り、麻緒は首を後ろに向ける。
 ソコにあったのは胴を切り落とされた無数の大樹だった。その茶色い“道”がどこまで続いているのか、ココからでは端を見渡す事は出来ない。あまりに桁違いの力で、あまりに絶望的な力だ。
 自分以外の四人は皆その場に倒れ込み、辛うじて首を繋げている。だが誰一人として起きあがる気配はない。あの強大過ぎる力の一部を食らってしまったのか、それとも最初から立っているだけで精一杯だったのか。
 三年前、自分はこんな化け物と戦ったのか? こんな奴に勝つつもりで居たのか?
 とんでもない勘違いだ。仮に十世代の運を全て使ったとしても勝てる気がしない。
『こんな物か』
 今や龍閃そっくりの外見になった冬摩は独り言のように呟き、そして何気なくコチラを見た。
 まるで取るに足らない卑小な存在を見下ろすかのように。
 ――恐い。
 頭の中で誰かが言った。
 ――助けて。
 また、知らない声が聞こえた。
 何だコレは。一体誰が言っているんだ。こんな情けない台詞、いったいどこから。
『我が恐ろしいか人間』
 心臓を掴み上げられたような錯覚。
『死ぬのが恐いか人間』
 体の内側に直接手を這わされ、喉元を締め上げられるような怖気と恐怖。
 何だコレは。一体何なんだ。
 こんな感覚、かつて一度も――
『虫けらが。似合いだ』
 虫けら。
 ボクは、虫けら……?
『消えろ』
 そして龍閃の脚が振り上げられ――
 ――目の前が真っ白になった。 
 ああ、そうか……ボクはセミだ。
 あの時踏み潰したセミなんだ。興味本位で殺してしまったセミなんだ。
 きっと、こんな気持ちだったんだろう。
 暗くて、寒くて、淋しくて、恐くて……。
(ゴメンネ……)
 今更もう遅いけど。あの娘ももう死んでしまったかも知れないけど。
(ゴメンネ……)
 最後に自分に出来る事は、コレくらいしか……。
『やはり、まだ抵抗するか』
 鼻先まで迫っていた脚が止められた。
『そうだ。貴様はそうでなくてはならぬ。我を殺した貴様には、我を完全な形で黄泉還らせる責務がある』
 そして目の前が明るくなる。
『だがまだ足りぬぞ。この程度では』
 視界に映っていたのは、顔を僅かに上げて満足そうに喋っている龍閃の姿。だが相手はどこにも居ない。その言葉は何もない中空に向けられている。
『喰らうか。貴様の大切な女を。無惨に散らしてやろうか。かつて、未琴にそうしたようにな』
 龍閃の顔付きがこれまでになく凶悪な物へと変貌した。
 口は裂けたように吊り上がり、唾液をまとわりつかせた牙が獲物を求めて鈍い光を放っている。目の金色は一層光量を増し、殺戮の凶気に浮かされていた。揺らめく紅髪は邪気が立ち上っているようにも見え、朧な燐光に包まれた緋の爪はソレ自体が殺意を発しているかに思える。
『ブッ……ろす」
 龍閃の口から零れる言葉。
 だがソレは龍閃の物ではなく――
「そうだ、いいぞ冬摩。もっと我を憎め、もっと足掻き苦しめ」
 龍閃の表情がまた徐々に変わっていく。
 冷徹無慈悲で寸分の呵責すら宿さない物から、猛る炎の如き鬼神の容貌へと。
 ソレは恐ろしくも、どこか頼もしく――
「ブッ殺す……」
 「決して忘れるな」
「ブッ殺す……!」
 「我は常に貴様と共に――
「ブッ殺すぞコラアアアアアァァァァァァァァ!」
 そして、冬摩の獣吼が開けた密林に響き渡った。
 危険を感じる程に大量の汗を掻き、僅かな空気を求めるかのように必死に呼吸する龍閃……いや、もう――
「……ねぇ」
 か細く、殆ど聞き取れないくらいの小さな声。
「あァ!?」
 しかしその声に反応し、彼はコチラを睨み付けた。
 顔には凄絶な殺気が込められていたが、感情を剥き出しにしたソレは自分がよく見知った物で――
「なーんだ……」
 無意識に声が漏れた。
 そして睡魔にも似た脱力感が全身を襲う。
「あァ!? テメー今何つった!」
 きっともう大丈夫だ。
「オラ麻緒! ブッ殺すぞ!」
 後の事は冬摩が何とかしてくれる。
「オラァ! 起きろオラァ!」
 何かもう疲れたよ。
「――ッ! 魎! どこ行きやがったあのガキ!」
 おやすみなさい……。





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