冬摩と芝居とマッドサイエンティスト

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 漆黒の闇が重く鎮座する世界。その中の一部が光の柱で切り取られ、浮かび上がった白い空間に冬摩は立っていた。
「そろそろ死ぬか」
 龍の髭で縛られた長い髪を解き、冬摩は邪悪な笑みを顔に張り付かせて、足下で這いつくばる獲物に歩み寄る。
 苦しそうな顔でコチラを見上げてくる男。彼を無慈悲な視線で睥睨し、冬摩は嘲笑を浴びせた。
「ま、まだだ……」
 男は持っていた剣を支えにして立ち上がり、荒く息をしながら冬摩を睨み付ける。
「ほぅ、まだ目が死んでないな」
「当たり前だ! 私に世界の希望を託した多くの人が居る! ココまで共に戦い抜いてきた友が居る! 帰りを待ってくれている妻が居る! 私は必ず貴様を倒す!」
 疲弊した体を鼓舞するかのように強い語調で吐き捨て、男は剣を構えた。
「はあぁぁぁぁぁ!」
 男は裂帛の気合いと共に冬摩に斬りかかる。
 そして、銀に輝く刀身は一直線に冬摩の体に呑み込まれた。
「や、やるな……これが、愛と希望と友情の力か……」
 刺された部分を押さえ、冬摩は苦悶の表情の中にどこか満足げな笑みを浮かべて、大地へと倒れ込んだ。

「カアアァァァァットッ! オッケーオッケー! 荒神君サイコー!」
 さっきまで真っ暗だった空間が突然明るく開け、穂坂御代の満足げな声が体育館に響き渡る。
「あークソ……なんで俺がやられ役なんだよ……」
 納得のいかない顔で起きあがり、冬摩は髪をもう一度縛りなおした。そして舞台の上から、観客席でメガホンを振り回している御代に不満げな視線を向ける。
「だって荒神君ってどー見ても悪役なんだもん。やっぱり私の目に狂いはなかったわっ」
 少し鼻息を荒くして、御代は熱っぽく語った。
 一年ほど前は、朋華を虐めていたり、そのおかけで冬摩に召鬼と間違えられて殺されそうになったり、『死神』との戦いに巻き込まれたりと色々あったが、今では演劇部を仕切る部長だ。
 さっきまでやっていたのは、今度の文化祭で演劇部が上演するお芝居のリハーサル。
 題名は『聖騎士と魔王の戦い』。ストーリーは勧善懲悪をそのまま踏襲しただけの陳腐な物だが、見せ場はアクションシーンにある。
 体操部から助っ人で呼んできた男子生徒を聖騎士役に、冬摩を魔王役に配置し、二人がラストシーンで繰り広げる戦いは圧巻だ。
「いいか。こんな下んねー事、最初で最後だからな」
 部員の一人からスポーツドリンクを受け取り、冬摩はソレを一気に飲み干した。そして脱いでいた学ランを羽織り直し、長い髪の毛を外に出して背中に垂らす。
「分かってるってー。どーせ、私も荒神君も来年卒業でしょ。きっと良い思い出になるわよ。ね、朋華っ」
 頭の両側で纏めた黒いツインテールを尻尾のように振り、御代は観客席に座っている朋華に声を掛けた。
「お疲れさまです、冬摩さん。とってもカッコ良かったですよ」
 栗色のショートヘアーを揺らしながら、朋華は二重のパッチリとした視線を冬摩に向けた。
 冬摩が御代からのお願いを聞き入れた理由は勿論、朋華にある。御代に話を持って来られた時、側にいた朋華が『冬摩さんがお芝居してるところ見てみたいですっ』と言わなければ決して受けなかった。
「カッコイイかぁ? あんな無様にやられる役がよぉ」
「そんな事ないですよ。冬摩さんが最初に魔王の強さを演出するからこそ光る聖騎士なんですから。私には冬摩さんの方が主役に見えます」
「……まぁ、お前がそう言うんなら別に良いけどよ」
 朋華から賛辞を浴び、冬摩は照れたように後頭部を掻いた。
「それじゃ、本番まであと一週間しかないから。しばらく休憩したら、最初から最後まで通しでもう一回やってみましょうか」
 やる気に満ち満ちた御代の声。
 冬摩はダルそうにしながらも、台本に目を通し始めた。

 ◆◇◆◇◆
 
 そんな彼らの様子を体育館の二階から見守る影が一つ。
「ウフフー、使えマースネー。コレはー」
 奇妙なイントネーションで独りごちた影は、口の三日月の形に曲げておぞましい笑みを浮かべたのだった。

 ◆◇◆◇◆

 昼休み。
 校舎の裏にある緑地帯。午前中は日陰が多いが、午後が近づくと陽の高さが変わり、昼休みには燦々と陽光が照りつける。この暑い時期には、誰も近寄りたがらない場所だ。
「美味しいですか? 冬摩さん」
「美味い」
 しかし逆に言えば、二人きりになれる場所としては絶好であった。
 暑さなど我慢すればいいし、魔人の血を引く冬摩や、彼の召鬼である朋華に取ってみれば、気にするまでもない気温だった。
 今日も昨日と同様、放課後には演劇部の練習が待っている。それは二人で居られる時間を著しく削がれる事に等しい。今のウチに少しでも多く、二人だけの時間を持とうするのは、二人の共通意識として定着していた。
「――でさ、あそこのセリフなんだが」
「ああ、それなら……」
 芝生の上にキャンプシートを敷き、二人は朋華の作ってくれたお弁当を食べながら楽しく語り合う。
 二人だけの幸せな時間と空間。
 しかし、概してそう言う物は長くは続かない訳で……。
「スキアリイィィィィィィ!」
 突然、頭上から聞こえてきた奇声に冬摩は反射的に身を引いた。勿論、お弁当は死守してだ。
「チィ! 相変わらず良イ反射神経ネ!」
 いきなり空から降って湧いたソイツは、奇妙なイントネーションで悪態を付いた。そして地面に付きそうな白衣を翻し、両手に注射器を構える。
「血液チョウダアアァァァイ!」
 重心を低く構え、ソイツは冬摩を追って跳躍した。
「何やってんだテメーは」
 弾丸の如きスピードで迫り来る人影の脳天に、冬摩は踵を叩き付けて突進を遮断する。
 べっ! というカエルが潰れたような声と共に、ソイツは地面に這いつくばった。
「だ、大丈夫ですか? 永原さん」
 朋華が心配そうな顔で、倒れた女子生徒――永原冥琉(ながはら めいる)の元に駆け寄る。
「イタタタタタタ……。何スルデスカー! リョーボク、タイハーン!」
 恐らく『暴力反対』と言っているのだろう。
 冥琉は朋華に支えられてヨロヨロと起きあがると、悔しそうな視線を冬摩にぶつけて来た。
「それはコッチのセリフだバーカ。いい加減しつこいんだよ、お前は」
 お弁当箱から卵焼きをつまみ上げ、冬摩は口に放り込みながら冥琉を見下ろす。
 綺麗なロングブロンドの女子生徒だった。
 カナダ人と日本人のハーフらしく、地毛は勿論黒なのだが、日本人と差別化を図るために脱色しているらしい。体型はカナダの血が濃いのか、モデル並に出るところは出て、締まるところは締まっている。それでも久里子にはほど遠いのだが。
「ダッタラ、大人しく採血されなサーイ!」
 びしぃ! と人差し指で冬摩を指し、逆の手で注射器を構える。
 冥琉は生物部の部長で冬摩達と同じ高校三年生。見た目通りの変な性格と、生き物オタクからマッドサイエンティストの呼び声高い、留年候補生ナンバーワンだ。ちなみにナンバーツーは冬摩だったりする。
「嫌だ。なんで勝手に俺の体調べられなきゃなんねーんだよ」
「ソレはモチロン! ルイジンの輝かしい将来のタメニ!」
「ウソ付け」
 冥琉の詭弁を一蹴して、冬摩は鮭の塩焼きを頬張る。
 彼女に初めて襲われたのは、去年の冬。龍閃との一件が片付き、冬摩が朝霧高校に通い始めてしばらく立ってからだった。
 龍閃の召鬼であった鷹宮秀斗との戦いを見ていた冥琉は、冬摩の異常に高い身体能力に目を付けた。その後も冬摩が体育の授業中、バットで打とうとしたボールを跡形もなく粉砕したり、腕立てを五万回やっても顔色一つ変えなかったり、走り高跳びで十メートル以上跳んだりするのを観察ながらデータを取り続けていた。
 そしてついに、自ら『サンプル採取』に乗り出したのだ。
「永原さん。人の嫌がる事をするのはいけないと思いますよ」
 朋華が諭すような口調で、正論を述べる。
「だいたい俺の髪の毛持ってったろーが。アレで十分だろ」
 一度だけ、不覚にも髪の毛を一本奪われた事がある。当然直接などではなく、たまたま抜けた一本を冥琉が拾い上げただけなのだが。
「十分じゃナイ! もっと沢山のサンプル集めないと『冬摩クローン』作れナイ!」
 思わず飛び出た冥琉の最終目的に、冬摩と朋華が固まった。
「……一応聞いておくが、俺のクローンなんか作ってどうするつもりだ?」
「世界セーフク!」
 冬摩の頭の中に、自分と全く同じ顔をした無数のクローンが、哄笑を上げながらビル群を破壊して行く光景が浮かぶ。
「てぃ」
 一瞬で冥琉の後ろに回り込んだ冬摩は、彼女の首筋に手刀を振り下ろし、根こそぎ意識を奪い取った。
「朋華、燃えないゴミはどこに捨てるんだったかな」
「B棟の裏にある倉庫ですよ」
 即答した朋華に冬摩は深く頷いた。

 ◆◇◆◇◆

 そして平和に向かえた文化祭当日。
 周りの高校や大学からも人が集まり、朝霧高校は活気と熱気に包まれていた。
 タコの入ってないタコ焼きや、味のない焼きそば、水のように透明感のあるミックスジュースが飛ぶように売れていく。
 皆、文化祭という特別な雰囲気に酔いしれていた。

『聖騎士と魔王の戦い ただ今絶賛上演中』

 本館からは少し離れ、校庭の隅にある体育館。その扉の前に、太い文字で力強く演題の書かれたポスターが張られていた。
 高さ二メートル程の扉を左右に開け、中に一歩踏み入れると、そこは暗黒の世界。
 舞台に当てられたスポットライトが、役者だけを幻想的に浮かび上がらせている。観客席はすでに満席だった。御代の作成したプロモーションビデオによる宣伝効果もあって、チケットはあっという間に完売となった。
 体育館の壁を伝い舞台の袖に入ると、自分の出番を待つ役者達でごった返している。
 その中には冬摩も居た。次はいよいよラストバトル。
 まずは魔王が圧倒的な力を見せつけるシーンだった。

 ◆◇◆◇◆

「荒神君。もう思いっきり暴れてね」
 舞台袖の暗がりで、御代が顔を上気させて話しかけてくる。
 ココまでは上々。ミスらしいミスはなく、丁寧なナレーションと単純なテーマのおかげで、話自体は非常に分かり易い。尚かつ所々に挿入されるコメディーと痛快なアクションシーンが見る者を飽きさせなかった。観客は完全に物語に引き込まれている。
 コレから始まるクライマックスへの準備は全て整っていた。
「あぁ、相手怪我させない程度にヤってくるよ」
 魔王の衣装である漆黒のマントと、角のアクセサリー、紅いカラーコンタクトを付け、冬摩は出番を待つ。
 舞台袖の隙間から観客席を見ると、最前列の中央に陣取った朋華がハンディーカムを構えていた。100GBのHDDを搭載し、最長二十四時間まで連続記録が可能な優れ物だそうだ。
 昨日、電気街で貯金をはたいて購入し、丸一日掛けて使い方をマスターしていた。
(ま、俺もちったぁカッコイイとこ見せないとな)
 微笑しながら舞台袖を閉める。
《ついに魔王城の最上階までやって来た聖騎士団! しかし、彼らの前に魔王自らが立ち塞がった!》
 舞台の上に取り付けられたスピーカーから響く御代のナレーション。
 いよいよ冬摩の出番だ。
 鳴り響く荘厳なBGMと共に、悠然とした足取りで舞台に姿を現す。観客席から「冬摩さーん、頑張ってー!」と周囲からの反感を買う事も恐れずに、朋華が魔王を応援した。
 冬摩は気を取り直して舞台中央まで歩み寄ると、体操部員が扮する六人の聖騎士達と対峙する。
「そんな貧弱な戦力で良くココまで来れたモンだな。それは褒めてやろう。だが、ココが貴様らの墓場となるのだ!」
 使い古されたおきまりのセフリを吐き捨てると、冬摩は漆黒のマントを派手に取り払う。
 ソレが戦闘開始の合図だった。
「はぁぁぁぁぁぁぁ!」
 右前にいた聖騎士が雄叫びを上げ、アルミホイルでくるまれた段ボールの剣で斬りかかって来た。その剣を右腕で受け止め、左拳を彼の腹部にめり込ませる。
「ぐはぁ!」
 拳撃を食らった聖騎士は、大きく吹っ飛んで床に伏し、そのまま動かなくなった。
(大丈夫、ちゃんと寸止めしてる……。多分……)
「怯むな! バラバラに攻撃してはダメだ! 一斉にかかれ!」
 聖騎士の一人が言うと、残りの五人がバラバラに襲いかかって来る。
 冬摩が何かを振り払うように大きく手を動かすと、突然生み出された突風が騎士団の前進を止めた。
 一応機材を使った事になっているが、勿論そんな物はない。冬摩が自ら生み出した風圧だ。
「遅いな」
 短く言って足をたわめると、冬摩は一瞬のうちに聖騎士達の後ろへと回り込んだ。
 観客席から「おおおおおお!」と凄い歓声が上がる。彼らには冬摩が瞬間移動でもしたように見えたのだろう。
 冬摩が近くにいた二人の脳天に両の手刀を振り下ろすと、彼らは真に迫る悲鳴と派手な音を立てて床に突っ伏した。
(やべ……ちょっとカスった。ま、いいや)
「もう半分になったな。どうする?」
 腕を組み、冬摩は高い視点から聖騎士達を見下ろして蔑笑を浮かべる。
「か、囲め!」
 声と同時に、残った三人が冬摩を包囲した。
「突撃!」
 そして低い角度から、三本の剣が同時に振り上げられる。
 タイミングを見計らい冬摩は軽く二メートル程跳躍した。それに触発されて、またも沸き上がる観客の熱声。
 一応ピアノ線で吊った事になっているが、勿論そんな物はない。冬摩が自分の脚力で跳んだだけだ。
「はぁ!」
 空中で体を入れ替えて回転力を付け、冬摩は蹴撃を三人の側頭部に放つ。
 ゴ、という鈍い音と共に残った聖騎士達が膝を折った。そして声を上げる事も無く、吸い込まれるように床へと横たわった。
(いや、今のは首をひねらなかったアイツらが悪い。俺は悪くない)
 ちょっとタイミングが早過ぎたかも知れないが、その辺は臨機応変に対応して欲しいものだ。
「クックック。脆い、脆いな! コレが誉れ高き聖騎士団の実力か!」
 舞台の中央でふんぞり返り、冬摩は高々と勝利を宣言する。
《圧倒的な力で聖騎士団を倒した魔王! 絶望と恐怖が世界を支配するかと思われた時! 最後にして最強の勇者が現れた!》
 ナレーションと共にBGMが高貴な物へと変わり、新たなる聖騎士が舞台に姿を現した。
 鎧の色も形もさっきまでの聖騎士とは違う。頭部までスッポリと鎧で覆い隠されたフルプレート。聖騎士団のリーダーだ。
 ある程度まで彼を追いつめた後、正義の力で冬摩がやられれば劇は終了となる。
(気乗りはしねーが。ま、いいか)
 チラリと観客席を見る。それに気付いた朋華は手を振りながら、冬摩の一挙手一投足をハンディーカムに収めようと、いつになくはしゃいでいた。
(アイツが楽しんでくれてればよ)
 苦笑しながら、聖騎士の方に体を向ける。
「遅かったな。残念ながら、貴様の仲間は全員死んだ」
 大きく両腕を広げ、倒れて身動き一つしない者達を嘲笑った。
 しかし、聖騎士は無言のまま剣を構えている。
(……ん?)
 おかしい。確かこんな間は無かったはずだ。
 不審がる冬摩を余所に、聖騎士はおぼつかない足取りで近づいてくる。
「おい、どうしたんだよ。お前のセリフだろ。『よくも大切な友を、仲間を……!』だろ」
 体が密着するくらいにまで近寄った聖騎士に、冬摩は小声で話しかけた。
 しかし聖騎士は突然剣の柄部から注射器を取り出すと、冬摩に向けて突き出して来る。
「おわっ!」
 反射的に身を引いてかわす冬摩。しかし次の注射器がすぐ目の前まで迫っていた。
「何やってんだテメェは!」
 叫びながら冬摩は手刀で注射器を叩き割る。乾いた音を立てて舞ったガラスの破片が、照明を浴びて光の雨のように降り注いだ。
 コレも演出かと、観客からは興奮した声が上がる。
「ちぃ! さすがに素早いデスネー!」
 聖騎士は奇妙なイントネーションで言いながら鎧を脱ぎ捨てた。中から現れたのはブロンドの女子生徒。
 永原冥琉だった。
「お、おま……! 何でココに!」
「死ネーーーーーー!」
 双眸に爛々と狂喜の光を宿し、冥琉は新たな注射器を両手に持って高く跳躍した。
「なにぃ!?」
 その高さ、およそ三メートル。
 重力加速度に乗って落下した冥琉は、残像すら生み出すほど速さで注射器を繰り出してきた。
(は、速い……!)
 さっきの跳躍といい注射器の連撃といい、常人の域を遙かに越えている。
「ウフフーー! ドーピング強化した我が輩は無敵! サイキョーーー!」
 奇声を上げながら、冥琉は手数を更に増していった。
 だが――
「この馬鹿」
 冬摩はアッサリ動きを見切り、冥琉の両腕を押さえつける。
 いくら速いと言っても所詮は人間。魔人の血を引く冬摩からすれば止まって見えた。
「アッハハァ! ひっかかったぁ!」
 しかし冥琉は得意げな笑み浮かべると、ぐりんと体を前方回転させる。腕が不自然な方向に捻られ、冬摩が「折れる!」と手を離そうとした瞬間、冥琉の腕が肩からすっぽりと抜け落ちた。
「ソッチはニセモノーーーー!」
 冬摩の真下に着地した冥琉は、まるでトカゲの尻尾のように新しい腕を生やすと、持った極太の注射器を両手で突き上げて来た。
「くっ!」
 不意を突かれた冬摩だが、体を仰け反らせて何とかやり過ごす。
 だがそれすらも囮だったようで、今度は冥琉の右足の甲に接着した注射器が、回し蹴りと同時に飛んで来た。
「この……!」
 苛立ちが頂点に達し始める。
「チェックメイトオオォォォ!」
 喜色に顔を染めた冥琉の足を一端左肩で跳ね上げ、反対の右腕で掴み直すと、そのまま上空にむかって放り投げた。
 辛うじて加減できたため骨は折れていないだろうが、冥琉の体は照明の支えに叩き付けられんばかりの勢いで舞い上がった。
「チッ!」
 舌打ちして跳躍しようとした冬摩の視界で、冥琉が体を反転させる。そして逆立ちの体勢のまま照明の支えに両足を付くと、蹴り返して宙に舞った。小さく丸まって回転した後、後も立てずに華麗に床へと降り立つ。
「ちっちっちー。まだまだツメが甘いネ、ユー」
 奇跡の生還を果たした冥琉は、人差し指を軽く左右に振りながら冬摩を挑発した。
 直後、地鳴りのような響きを伴って、爆声が観客席から噴出する。
《なんとおおぉぉぉ! 聖騎士リーダーの中身は金髪の美少女! 注射器という奇怪な武器を手に、果敢にも魔王に立ち向かいます!》
 それに会わせて、御代が熱の籠もったナレーションを入れた。
(あのヤロウ……後でぶっ飛ばす)
 固く誓い、冬摩は冥琉を睨み付けた。
「なんでこんな所まで来やがった」
「トーマに簡単に近づけるチャンスだったからネー。それにココなら邪魔は入らない。まさか逃げるつもり? 魔王サマ?」
 勝ち誇ったように言う冥琉に、冬摩は冷めた視線を向けると、
「馬鹿か、お前。それで挑発してるつもりか? 俺は朋華が喜びそーのねー芝居なんざ続ける気はねーんだよ」
「でも喜んでるみたいヨ?」
 言われて観客席を見ると、「冬摩さーん、やっちゃえー!」と大はしゃぎの朋華。
「と、とにかくだ。怪我したくなかったら、とっとと舞台下りろ」
 気を取り直して冬摩は冥琉を諭す。
 先程、もう少し力を込めて冥琉を放り投げていれば、間違いなく足の骨が砕けていただろう。そうなれば当然着地など出来ず、大怪我を負っていたはずだ。
 いつもの冥琉ならともかく、今のドーピングをしている彼女相手では、いつ大事に至ってもおかしくない。手加減は冬摩が最も不得手とする事なのだから。
「冬摩が血をくれたら下りてアゲル」
「断る。もう一度言う、下りろ」
 冬摩の威圧に怯む事なく、冥琉はやれやれと肩をすくめながら、半眼になって観客席の方を見た。
「我が輩もホントはこんな事したくないんだケド。しょうがないヨネー」
 そして、狙いを定めた一人の人物に急迫する。
「な――」
 冥琉の意外な行動に冬摩が声を上げた時にはすでに遅かった。
「サァ! コレでどう!?」
 観客席に乱入し、羽交い締めにした相手は朋華だった。
 後ろから注射器を朋華の首筋に押し当て、犯罪者のように凶悪な笑みを浮かべる。
《これは意外な展開! ブロンドの聖騎士は、魔王の恋人を盾に降伏を迫る!》
「テメェ!」
「動くナ!」
 怒声を上げ、観客席に下りようとした冬摩を冥琉が大声で止めた。
 それに従って大人しくなった冬摩に、冥琉は満足げな笑みを返す。
 ――残念ながら、冬摩が大人しくなった理由は冥琉の一喝などではないのだが。
「大切な恋人を離して欲しケレバ、コノ注射器にユーの血を入れロ!」
 完全に犯罪者になりきり、冥琉は朋華に押し当てているのとは逆の手に持った注射器を、冬摩に投げて渡した。
《卑劣な手を使うブロンド聖騎士! 魔王の反応やいかに!?》
 冬摩は飛んで来た注射器を受け取ると、面倒臭そうに見つめた。
「血で、良いのか?」
 そして静かな口調で言う。
「ナニ?」
「血で良いのか? この際だから肉をやろうか?」
「ホ、ホント!?」
 唐突な冬摩の提案に冥琉は目を輝かせた。
 冬摩は左腕に右手の指をめり込ませると、顔色一つ変える事なく引き抜く。
 鮮血の滴る自分の肉片を注射器のシリンジに詰め込むと、冥琉に投げ返した。
「わ。わ。わ。やた、ヤッタ。トーマのお肉だっ」
 冥琉は子供のように喜びながら、大事にソレを受け取った。
 しかしまだ朋華は解放しない。
「デハ、我が輩はコレにて失礼ツカマツル」
 言いながら朋華を盾にしたまま、すり足で体育館の出口へと向かった。恐らく安全な場所まで逃げ切ったところで解放するつもりなのだろう。
(馬鹿が……)
 目を細め、冬摩は冥琉の持つ肉片に力ある視線を向けた。
「え? エ?」
 間の抜けた冥琉の声。
 冬摩の肉片は意思を持ったかのように蠢き、冥琉の首筋に絡みつく。
「わ。ワ。ワ。な、ナニ、これ」
 蛭のように蠕動(ぜんどう)しながら顔まで上りつめると、肉片はそのまま冥琉の口腔へと滑り込んだ。
「ヒ――」
 悲鳴を上げようとした冥琉の体が、ビクンと大きく跳ねて硬直する。
 魔人の肉片を人間の体に融合させる事で生み出す存在。すなわち召鬼。
 召鬼は主である魔人には絶対に服従。
「朋華を解放して、とっとと帰れ」
「イエッサー」
 訓練された自衛隊のような敬礼をすると、冥琉はロボットのようにカクカクとした動きで体育館を後にした。
 冥琉の姿が完全に消えたのを見届けた後、冬摩は舞台から下りて朋華の元に歩み寄る。
「怪我はないか?」
「はいっ。有り難うございます。冬摩さんっ」
 優しく語りかける冬摩に、満面の笑みで返す朋華。
《魔王の愛強し! その互いを信頼して止まない深い純愛の前に、極悪非道な勇者は自らの卑劣を恥じ! 二度と姿を現す事は無かったという!》
 御代のナレーションが終わると共に、万雷の拍手が冬摩と朋華に降り注いだのだった。

 午後五時。大盛況のウチに文化祭は幕を下ろした。
 中でも最も客の入りが良かったのは、やはり演劇部の催したお芝居だ。
 第二公演以降は、最初のようなハプニングは起こらなかったが、それでも何か起こるのではないかと期待した客が沢山集まり、偽のチケットまで売りさばく者も現れたほどだった。
「お疲れさまでした。冬摩さん」
 いつもの教室で制服に着替え終え、廊下に出たところで朋華が待っていた。
 窓から差し込む茜色の輝きが、朋華の栗色の髪を神々しく照らしている。
「ああ、マジで疲れたよ」
「今日は沢山お肉買って、冬摩さんのお部屋で打ち上げやりましょうね」
「頼むよ。もう腹が減って死にそうだ」
 楽しそうに喋りながら、二人は並んで廊下を歩く。
 校内にはまだ殆ど人がいない。皆、後片づけや、最後のキャンプファイヤーの準備やらで、忙しくしている。
 後片づけは上機嫌の御代が免除してくれたし、キャンプファイヤーを見るよりも朋華と二人で居た方がずっといい。
「ところでよ」
 校門を抜けたところで、冬摩が別の話題を振った。
「お前、アレくらいの拘束、自分で抜け出せただろ?」
 冥琉に朋華を人質に取られ、怒った冬摩を止めたのは朋華の余裕の笑顔だった。
 考えてみれば当然だ。
 朋華は冬摩の召鬼。身体能力も人間などとは比べ物にならない。逆に冥琉を羽交い締めにする事も簡単に出来たはずだ。
「まぁ、やろうと思えば出来たでしょうね」
 顎先に人差し指を当てながら、朋華は視線を宙に泳がせる。
「何でしなかったんだよ」
「だって、せっかく盛り上がって来たのに面白くないじゃないですか」
 あっけらかんとした朋華の返答に冬摩は溜息をついた。 
「お前なぁ……」
「それに、冬摩さんが助けようとしてくれてるのを、もうちょっと見てたくて。ダメでしたか? 私だけのナイト様」
 冬摩の腕に自分の腕を絡めて言いながら、イタズラっぽい笑みを浮かべる朋華。
「……お前、たまにそーゆー恥ずかしいセリフ、平気で言うよな」
 指先で頬を掻きながら、冬摩は照れたように顔を上げた。
「冬摩さんのがうつって来たのかも知れませんね」
「俺のがぁ? 俺はそんな事言わねーぞ」
 いつも通りの帰宅道をたどりながら、他愛もない会話で盛り上がる。
 途中、食材を買うため、スーパーへの道に入ろうとしたところで、朋華が思い出したように声を上げた。
「そう言えば冬摩さん。永原さん、ちゃんと召鬼から解放してあげたんですか?」
「いや、忘れてた」
 あっさり言って冬摩は指を鳴らす。
「これで解放されたはずだから大丈夫だろ」
「そうですね。さ、今日は高いお肉、たーくさん食べても良いですよー」
 二人は幸せそうに笑いながら、夕暮れの空の下を歩いていった。

 ◆◇◆◇◆

 場所は変わって太平洋のど真ん中。
「ヘールプ! ヘールプ・ミー!」
 召鬼とは魔人の忠実なる下部(しもべ)。
 いかなる命令をも完璧にこなす。
「我が輩はココから、どーすればイイですかー!?」
 冬摩に『帰れ』と命令された冥琉は、本当の故郷であるカナダに戻ろうとした。
 ――泳いで。 
 召鬼としての能力が有れば造作もない事だっただろう。しかし途中で召鬼から解放され、人間に戻った途端極めて困難な作業となる。
「トーマー! 我が輩は絶対にアキラメませんヨー!」
 見渡す限りの水平線。
 さっきまで冥琉の捕まっていた板きれが、叫び声の振動に耐えきれずに――折れた……。




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