貴方に捧げる死神の謳声 第零部 ―復讐の業怨―

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六『気高き決意、卑しき破綻』


◆疑う者 ―荒神冬摩―◆
 目に映るのは殺すべき者の姿、耳に入るのは悲鳴混じりの絶叫、鼻を突くのは濃密な血の匂い、口に広がるのは出所の分からない鉄錆の味、そして肌で感じるのは冷たい夜気と死の気配。
 足下に転がる武田兵の喉を爪でかき切り、冬摩は獣吼を上げて次の獲物に跳びかかった。
「ガアアアァァァァァ!」
 自分の口から発せられるけたたましい叫び声が、どこか遠くの方から耳鳴りに聞こえてくる。
 意識全てを殺意に染め上げ、冬摩は本能が命じるままに拳を振るい続けた。 
 周囲を照らすのは予め用意されていた篝火(かがりび)。
 自分達は信玄の待ち伏せを受けたのだ。コチラの夜襲をすでに見抜かれていた。
 ソレは武略、知謀、人徳、あらゆる面に秀でた信玄の采配力が成せる業なのか、それとも内通者が居たのか。
 どちらかは分からない。だがそんな事はどうでもいい。
 頭上に広がるのは狂おしいまでに輝く無数の星々、そして夜空を紅く切り取る真円――すなわち紅月。
 今宵は魔人の血がもたらす殺戮衝動が解放される時。絶大な力を宿す瞬間。
「キエロ――ッアアァァァァァ!」
 頭の中を埋め尽くし、身悶えする程に渇望するのはただ死、死、死。
 視界に映る者の死だけ。
 もう迷わない。何も考えない。ただただ思うがままに腕を振るい、足で踏み抜き、歯を突き立てる。それだけだ。
「――ッ!」
 突然、目の前が昼間のように明るくなった。
「気を付けな! あんま飛び出すと危ないよ!」
 鞭声のように鋭い女の叫び声がしたかと思うと、黒く焦げた男と馬の体が眼下に映る。
 草壁の保持する使役神の一つ、『勾陣(こうちん)』が放った『天雷』。その雷の一撃が、すぐそばまで迫っていた武田の騎馬隊を沈めていた。
 ――余計な事を。
 冬摩は顔をしかめ、炭と化した人だった物の亡骸を踏みつけて別の場所へと飛んだ。
 一人でいい。俺は一人で十分だ。俺一人の力で全てをねじ伏せる。
 そうすれば迷わなくて済む。余計な事を考えずに済む。

『水鏡魎には気を許さない方が良い』

 あんな奴に気を許した事など一度もない。ただの一度も。
 最初から鬱陶しいだけの存在だった。自分のやりたいようにさせてくれない。自分から自由を奪っていくだけの目障りな男。

『多分、アイツは裏で龍閃と繋がってる』

 だから何だ。ソレがどうした。
 もう魎が何を考えていようと関係ない。アイツが敵だというのなら、龍閃と一緒に纏めて殺すだけだ。アイツはいつだって自分の邪魔ばかりしてきた。

『あー、そりゃ、まぁ。私はお前のお目付役だからな』

 本当に嫌な野郎だった。虫酸と怖気が同時に襲ってくるくらいクソッタレなガキだった。

『冬摩。お前も誰かを好きになれば分かるさ』

 いつも知った風な口を利いて。

『あー、やっぱり何か吹き込まれたな。龍閃に』
 
 何でも見透かしたような事ばかり言って。

『神楽さんを――殺す』

 利用できる物は何でも利用するような下衆野郎だった。
 今まで従う振りしてきたのは神楽が居たからだ。あの女が居たせいで呪針だの、召鬼だとの色々と振り回されてきた。
 だが、ソレももうお終いだ。
 もう完全に吹っ切った。他の誰かがどうなろうと関係ない。知った事ではない。
 自分が正しいと信じた事をする。自分のやりたいようにやるだけだ。
「死ねオラアアアアァァァァァァ!」
 騎馬兵の腹を右腕で貫いた後、すぐに馬の腹を蹴って別の馬へと跳ぶ。そして乗っていた兵の頭を吹き飛ばし、また馬の腹を蹴って次の馬へと跳び移った。
 攻撃から回避へと連続的に繋げていき、冬摩は相手に反撃の隙を与える事なく、次々と武田の兵を葬り去っていく。
「冬摩、ヌシもいつの間にか随分と腕を上げたものぞ。見違えたぞ」
 隣で低い女の声がした。
 紫蓬だ。自分と一緒に武田に夜襲を仕掛けた者の一人。露出度の高い羽衣を翻しながら、舞うようにして敵の喉笛を噛み切っていく。
「スッゲー! スッゲー! 馬鹿なりにスッゲー頭使ってーるー! スッゲー!」
 『月詠』に抱きかかえられながら、儀紅は何十枚もの霊符を自在に操って自分に降り注ぐ矢を跳ね返していった。
「草壁!」
「あいよー!」
 儀紅の声と同時に草壁が『天雷』を放つ。目を灼く圧倒的な光量が儀紅の頭上に舞い降りたかと思うと、真上に掲げた霊符がソレを四方八方に弾き飛ばし、雷の矢となって武田の騎馬兵を直撃した。
 だが力を分散させたせいで致命傷には至らない。しかし一瞬の怯みが生じる。
 その隙をついて紫蓬、そして冬摩が跳んで止めを刺した。
「良い動きぞ。まだ粗いが以前のように力任せだけではなくなったな」
「ウルセェ!」
 自分はただやりたいように戦っているだけだ。
 より多くの敵を殺すために。より強くなるために。より力を得るために。

『少しお前に戦い方を教えてやろう』

 あの野郎のくだらない言葉など関係ない。

『龍閃に復讐したくないのか?』

 あの野郎の言葉など無くとも、自分は一人でやってこられた。

『お前がいつも行ってた神社があるだろ。あそこに未琴さんの墓を作っておいた』

 あの野郎が居なくても、一人で乗り越えられた。

『だがまだだ。お前はもっと強くなる』

 あの野郎の声などなくても、一人で強くなれた。

『非情になれ、冬摩』

 だからあの野郎が裏切り者でも……!

 冬摩の思考を中断するかのように、背後で大気を鳴動させる大声が聞こえてきた。
 一人や二人ではない。何百、いや、何千という数だ。
「ゲェ! あの旗って……毘沙門!?」
 儀紅が喉の潰れたような声を出す。
「上杉ー!? やっべー! スッゲーヤッベー! なんでー!?」
 そして目を白黒させながら恐慌に陥ったような仕草をして見せた。
「さすがにこの二つの軍を相手にするのは分が悪い。引くぞ」
「サンセーサンセー! スッゲーサンセー!」
「アタシも!」
 紫蓬、儀紅、草壁の三人が迷う事なく、二軍から離れるようにして散り散りになっていく。
 だが、冬摩は動かない。大群で押し寄せる上杉の兵達に向かっていく武田軍。地鳴りすら聞こえる程の大きな流れに取り残されたように棒立ちになり、冬摩は両軍に一瞥をくれる。
「オモシレェ……」
 そして口の端に凶笑を浮かべ、冬摩は二つの軍がぶつかり合った場所を睨んで疾駆した。
「冬摩!」
 背中に掛かる紫蓬の声。だがそんな物は聞こえないかのように冬摩はさらに加速すると、雄叫びを上げながら激しい剣戟の響き合う渦中へと突っ込んだ。

『だがまだだ。お前はもっと強くなる』

 分かってるさ。そんな事。お前に言われなくても俺は強さを貪り続ける。そのためなら何でもしてやる。龍閃を殺すために必要なら何でも。

『非情になれ、冬摩』

 ああ、なってやるとも。誰を殺しても、どんな酷い事をしても何も感じないくらいに。
 何を言われても、どんな目に遭わされても全く動じないくらいに。
 気にいらない物はブッ潰す。気に入らない奴はブッ殺す。そして龍閃を殺す。
 単純が良い。信念は分かり易い方がいい。迷いが生まれない。
 そう、もう沢山だ。
 迷って不安になって、戸惑って躊躇って、面倒臭くて……苦しい思いをするなどもう――

 意思を取り戻した時、最初に感じたのは鼻腔をくすぐる米の甘い匂いだった。
 暗い室内。僅かに開いた襖の合わせ目からは、頼りない光が射し込んでいる。匂いはその光の向こう側から来ているようだった。
 冬摩は殆ど無意識に布団から這い出て襖を開ける。
「起きたか冬摩」
「何、やってんだよ。テメー……」
 幅の広い大きな膳の前に座り、紫蓬は円筒状に纏めた長い桃色の髪を揺らしながらコチラに顔を向けた。
 十畳くらいの質素な和室。壁には滝の描かれた掛け軸が掛けられ、部屋の隅にある漆の塗られた棚には茶器が一通り揃えられている。開け放たれた障子の向こうは中庭になっているのか、小さな池のそばに形の良い松の木が植えられていた。
 ココは街道沿いにでもある宿屋の一室なのだろうか。
「見て分からんか。食事ぞ」
 二十人くらいは悠に囲めると思われる巨大な膳の上には、白米が目一杯詰め込まれたおひつが五個、一抱えはある樽に並々と注がれた味噌汁、畳一畳分くらいの大きさを誇る大皿に山盛りに積み上げられた天麩羅、鯛の尾頭付きが三匹、小型の木船のような器に盛られた木の実、そして元々人を運ぶために使われていたであろう籠には溢れんばかりの金平糖が。
「食事って……般若天狗のか……?」
「そんな御伽話の化け物が居るわけなかろう。ワシのぞ」
「……一月分か?」
「一食分ぞ」
 自分はまだはっきりと目が覚めていないのだろうか? 寝起きのよさには自信があったのだが。
「……あれからどうなった」
 頭を軽く振りながら、冬摩は疲れた声で紫蓬に聞いた。
 武田に夜襲を掛けたがソレを見破られて逆に待ち伏せされ、戦っていたところに上杉の軍が攻めてきた。逃げた他の三人を置いて自分は二つの軍勢を相手に戦いを挑んだ。そして紅月からの破壊本能に身を任せて、目に映る者を片っ端から殺していた時、近くで紫蓬らしき声が聞こえていたのは覚えている。
 だが、ソコから先の記憶がない。
「ワシがヌシの意識を奪い取って連れ帰った。全く世話を焼かせおって」
 意識を……。そうか、『虹孔雀』の『超知覚』か。ソレで自分の知覚度を下げて。
「なんで余計な真似しやがった」
「ヌシは以前、織田の城に攻め込んだ時も似たような失態を犯していたな。それではいつか死ぬぞ。あまり自分の力を過信するな」
 一瞬で空になった一目のおひつを畳の上に置き、紫蓬はつり上がった空色の目で睨み付けながら言った。
「俺がどうなろうとテメーの知ったこっちゃねーだろ」
「ヌシは貴重な戦力ぞ。簡単に失うわけにはいかん」
 鯛の尾頭付きに丸かぶりし始めた紫蓬に、冬摩は不機嫌そうに舌打ちした。
「けっ……魎みたいな事言いやがって……」
 どうせ利用し、利用されているだけの関係だというのに、何を今更そんな大層な建前を。
「冬摩、何をそんなに焦っている。魎に何ぞ言われでもしたか」
「何でテメーはそんなにのんびり構えてんだよ。なんとかって結界は完成しねーわ、龍閃の居場所は分かんねーわ、苛々すんのが当たり前だろーが」
「それで一人で何とかしようと躍起になっているわけか」
 涼しげな顔で返し、紫蓬は早くも骨だけになった鯛を皿の隅によけた。
「ああ」
 そうだ。その通りだ。
 魎も誰も頼らずに何でも一人で出来ればこんな苛立つ事もない。そのためには力が必要だ。龍閃など遙かに凌ぐ強さが。
「ならばどうして本当に一人にならない。どうして魎に従う。正直、ワシはヌシが共に戦ってくれるとは思わなんだ。魎の話術か何かは知らんが、最初から一人で暴れ回っている方が余程ヌシらしいわ」
 自分、らしい……暴れ回っている方が。
 同じ事を紗羅にも牙燕にも言われた。
 確かにその通りだ。そう言えば自分はどうして魎と一緒に龍閃を倒そうと思ったんだ? どうして一人では無理だと思ったんだ?
「一度は納得したのではなかったのか。魎に荷担する事に。共に戦うと宣言した時のヌシの顔は、晴れやかなものだったぞ」
 そうだ。あの時。未琴の墓前で誓いを立てたあの時。
 あの時はそれで納得していたんだ。魎に付いていけば何とかなると思っていた。『業滅結界』とかいう術を使って龍閃を捕らえられるはずだったんだ。
 だがこの四百年間、全く成果が上がらぬまま過ぎ去ってしまった。
 だから揺らぎ始めた。本当にコレで良いのかと。このまま魎に従っていてもいいのかという疑念が混じった。おまけに吹っ切ったはずの未琴と神楽の重ね合わせまで……。
 不安と不満で埋め尽くされていたところに、儀紅の言葉が降りかかった。
「まぁ、ヌシの気持ち。分からんでもない。正直、ワシも魎の隠し事の多さには辟易しておる。ワシとて魎の作戦の全てに納得しているわけではない。むしろ腑に落ちない事の方が多い」
 味噌汁の入った樽を小さな体全部使って抱きかかえ、器用に傾けて一気に飲み干した後、紫蓬は円筒形の髪を直しながら言った。
「呪針を埋める場所も何故もっと工夫しない。アレでは最初から龍閃に壊させるために埋めているようなものぞ。召鬼にしても同じよ。魎は人間への被害を抑えるためとかぬかしておったが、ワシらがこうして人間を殺すのはお咎めなしぞ。殺された三人の保持者にしてもそうぞ。魎ほどの先見を有する者なら、少なくとも二人目以降は適した対処法を講じてもよいはず」
 確かに、そうだ。言われてみればおかしい。
 これではまるで最初から――

『多分、アイツは裏で龍閃と繋がってる』

「まぁ、魎がこういう事をするのはワシは何百回も見てきたがな。多分、裏で何か妙な企てでもしているはずぞ。ワシらに悟られぬようにな。別に騒ぎ立てるほどの事ではないが、アヤツの事をあまり知らんヌシならば不満を持って当然ぞ」
 いや、自分も魎とは四百年以上も付き合ってきたのだ。この手の扱いは紫蓬ほどではないが数多く受けている。
 魎はいつだって回りくどい事をしていた。だから本当は何をしたいのかが最後になってみないと分からない。あの囮作戦の時だってそうだった。本当の囮は自分ではなく神楽だった。
 これまではそういった種明かしを割とすぐにやってくれていた。長くて一月だ。
 だが、今回の相手は龍閃。それだけに慎重と時間を要するのか?
 自分達には何百年も本当の事を黙っておいて、知らぬ間に龍閃を追いつめるつもりなのか?
「とにかく魎の言う事を一々額面通り受け取るのは止める事ぞ。深く考えていては身が持たん」
 溜息混じりに言って、紫蓬は天麩羅の両手で掴んで口に放り込み始めた。あれだけ食べているというのに、胃に入る速度は落ちるどころか上がっているようにすら見える。
「……よぉ、紫蓬」
 躊躇いがちに言う冬摩に、紫蓬はつり上がった目だけを向けて応じた。
「テメーはどう思ってんだよ……魎の事」
「無論、信じておる」
 冬摩の問いに、紫蓬は間髪入れず即答する。
 何故だ。何故すぐに言い切れる。自分は魎どころか、自分自身さえも信じていないかも知れないというのに。
「……何でだよ。どうやって決めたんだよ」
 先程、魎の作戦に納得していないと言ったばかりではないか。腑に落ちない部分の方が多いと。
 冬摩の言葉に、紫蓬は天麩羅の無くなった大皿を畳に置いて木の実を鷲掴みにすると、不思議そうな顔付きで返してきた。
「随分とおかしな事を聞く。別に理屈などではない。アヤツは昔から共に居る仲ぞ。だからワシが勝手に信じると決めた。ただそれだけよ」
 迷いなど欠片も見せる事なく一息に言って、紫蓬は木の実を口一杯に頬張る。柔らかそうな頬が、餌を口にかき込んだリスのように膨らんだ。
「けっ……。わけ分かんねーよ」
 乱暴に後ろ頭を掻きながら、冬摩は仏頂面になって顔を逸らす。
「ヌシも未琴の事は理屈抜きで信じていたではないか。アレと似たようなものぞ」
 そこに突き刺さる紫蓬の言葉。
 未琴と同じ……? 紫蓬が魎を信じるのは、自分が未琴を信じていたのと同じだと?
 笑わせてくれる。
「じゃあテメーは肝心な時には魎を信じないわけだ」
 自分がそうだったように。
 自分は一番肝心な時に未琴を信じてやれなかった。絶対に信じなければならなかった時に。それこそ無条件で。
「肝心な時、か……。そうかも知れんな」
 自嘲めいた口調で言った冬摩に、紫蓬は白米の盛られたおひつを両手で持って口へと傾ける。
「魎の真意を確かめた上で、ソレが間違っているとワシが判断した場合は当然見限る。ワシはその時点で自分が正しいと思った事をする。まぁそんな事はないと願いたいが」
 正しい事? 自分が正しいと思った事を、だと?

『貴方も未琴さんも、どっちも自分が正しいって思う事をしただけなんでしょう? なら、二人とも悪くないです。貴方も未琴さんも、二人とも正しいです』

 あの時は真尋のあの言葉で全てを吹っ切ったはずだった。未琴の死を受け入れたはずだった。だが今は、正しい事が何だったのかさえ分からなくなってきている。
「テメーの言ってる事はわけ分かんねーんだよ。どっちなんだよ。はっきりしろよ……」
「何でも白黒つけたがるのは実にヌシらしいが、ワシら魔人も人間も理屈だけで動くものではない。冬摩、ヌシはまだ若い。魔人は千年以上生きて初めて一人前ぞ。若い内に沢山悩んでおけ」
 空になった二つのおひつを畳に置き、紫蓬は新たな二つを手に取った。
「……けっ、この俺をガキ扱いかよ」
「齢千五百を超えるワシから見ればヌシなどまだまだひよっこよ。大体ヌシはワシの息子とそう変わらんではないか。子供扱いされて当然ぞ」
 口の端に微笑を浮かべて返す紫蓬に、冬摩は不満げに呻く。
「……息子?」
 しかしすぐに紫蓬の言葉に違和感を感じて聞き返した。
 そうだ。そう言えばそうだ。
 こんな幼児みたいな外見だから忘れていたが、コイツは立派な子持ちの人妻だ。
「……なぁ、テメーよ。何で使役神鬼三匹も人間なんかにくれてやったんだよ」
 ずっと疑問だった。どうして紫蓬が保持していた三体もの使役神鬼を葛城の血族に受け渡したのか。
 魎の話では元々人間との間に魔人の血を濃く引く子供を沢山作り、戦力が整ったところで人間達との和平を解消し、反旗を翻すつもりだったらしい。だから子供を作ろうとしたのは分かる。
 牙燕が生まれたのは龍閃が暴走する前だった。だから『紅蓮』を受け継がせた。戦力とするために。
 しかし葛城と草壁、双子の初代当主が生まれたのは暴走の後だ。龍閃との戦いに備えるため、自分で保持しておくのが筋というものではないのか? 受け渡した子供が魔人の血を濃く引いているかどうかなど生まれてみなければ分からない。そんな分の悪い賭けをする必要がどこにある? 余程の奇跡でも起こらない限り、紫蓬が保持していた方が有効に使える事は間違いないのに。しかも結果は人間の血を濃く引いた子供が出来てしまった。完全な裏目だ。
 何か別に考えでもあるのか? まさか紫蓬も龍閃と繋がりが?
「冬摩、さっきも言ったように魔人も人間も理屈だけで動くものではない。あの時、ワシはこうするのが正しいと思った。それだけだ」
 答えになっていない答えを返し、紫蓬は空になった二つのおひつを置いて金平糖の入った籠に手を差し入れた。
(正しい、ね……)
 魎といいコイツといい、本当に何を考えているのかさっぱり分からない。そして自分自身も。
「……テメーよ、いい加減食うか喋るかのどっちかにしろよ」
「くふふ。それはなかなかの無理難題だな」
 外見通りの幼児のように無邪気な笑顔をしながら、紫蓬は金平糖をガリガリと噛み砕いていく。
「冬摩……一応、牙燕の事は魎に頼んではいるが、最悪の場合……ヌシに頼む事になるかもしれんな」
「あぁん? なんで俺があの筋肉馬鹿の面倒なんか見なきゃなんねーんだよ。テメーがやれよ。息子なんだろ」
「まぁ、そういう事ではないのだがな……」
 曖昧な返事をして、紫蓬は金平糖を籠ごと丸呑みし始めた。
「じゃあどういう事なん……」
「スッゲー! 殆ど無くなってーるー! スッゲー魔人! 魔人スッゲー!」
 聞き返した冬摩の言葉に被さって、下手クソな文字の塊が怪音波となって飛んでくる。
「ねーねー! ホントに一人でスッゲー食べたーのー!? スッゲー一人ーでー!?」
 儀紅は冬摩達の居る部屋に押し入ってくると、熱を帯びた口調でまくし立てた。
「あー紫蓬さん悪いねぇ。結構遠くまで探しに行ったんだけど、食いモン売ってるトコが見つかんなくてさ」
 儀紅の後ろから、草壁が入ってきて申し訳なさそうに言う。
「別に構わん。腹八分くらいの方が体にもいい」
「……お前、ソレ本気で言ってんのか?」
 平然と言う紫蓬に、冬摩は呆然と返す事しかできなかった。

◆心の岐路 ―水鏡魎―◆
 薩摩――現在の鹿児島県――にある東福寺城。
 島津貞久の居城となったその場所のすぐ近くにある大きな城下街。異国との貿易の拠点ともなっている八幡には大勢の人々が往来し、独自の文化を築き上げて栄えていた。
(あと少し、か。あともう少し大きくなれば……)
 八幡を一望できる山の高台で、魎は十数万の人間を見下ろしながら目を細めた。
 計画は順調だ。今のところ全ては上手くいっている。だが、自分の事を勘ぐり始めた者も何人か出始めた。
 紫蓬もその一人だが恐らく丈夫だろう。口調は厳しいが、お人好しな面がある。彼女とは千年以上の付き合いだ。今回も自分の事を信頼して、最後まで騙されていてくれるはず。でなければあのような頼み事などはしない。
(全く、馬鹿な女だ)
 だが儀紅は違う。まだ子供だと思って少し侮っていた。さすがは『月詠』の保持者。魔人の血がそうさせるのか、なかなか本質を見抜く力を持っている。あまり余計な事を吹聴して回るようであれば、彼を消す事も視野に入れなければならない。
 牙燕は問題ないだろう。ああいう手合いは扱い方を間違えなければ良い駒になる。冬摩を刺激する事も含めて、上手く使わせて貰う。
 そう、冬摩だ。
 今回の『業滅結界』がもし完成しなかった場合、いや例え完成したとしても、作戦の要となるのは間違いなく冬摩だ。
 恐らく冬摩自身、気付いていない。自分の力に。
 四百年前、龍閃が暴走した直後。自分の拘束をあっさりとはねのけ、平安の都からあの暴君を追い出した力。
 新たに『左腕』に現れた力の作用点。あの力を存分に引き出す事さえ出来れば。
 冬摩の力の発生点は『痛み』。自分のように作用点を複数持つ者は多く見てきたが、発生点は例外なく一つだけだった。
 ならば『痛み』の出所が違うはず。物理的な『痛み』ではなく、精神的な『痛み』。ソレが『左腕』に力を与えたのだと考えるのが妥当だ。
 魔人の力の発生点は全て精神的な物に依存する。紫蓬の『哀れみ』、牙燕の『情熱』、自分の『共感』、そして龍閃の『悦び』。
 恐らく、冬摩の本当の力は『精神苦痛』に依存しているのだ。どういう訳かは分からないが、『物理苦痛』の方が表に出てきてしまっているが。多分、生まれた時から力を行使するため、補足的に発現した発生点なのだろう。『精神苦痛』はなかなか感じ取れるものではない。
 それに、冬摩が『左腕』の力を行使するために必要な『精神苦痛』は膨大な量を要する。生半可な心の痛みでは発動しない。それは神楽を使って何度も確かめてきた。
 もっと大きな『精神苦痛』――そう、未琴を失った時のような、自我が崩壊せんばかりの『精神苦痛』が必要なのだ。
 少なくとも今の状態では。『左腕』を使いこなせていない今の状態では、そういう普段では滅多に起こり得ない偶発の産物に頼るしかない。
 だがもし、相手を思い遣れる優しい心と、相手を躊躇い無く殺せる非情さを両立させる事が出来れば、あるいは自由に使いこなす事が可能かも知れない。
 相手の『痛み』を理解し、ソレを自分の『痛み』へと転換する。そして相手を想うが故に容赦なく力を振るう。
 コレが出来れば、『左腕』の力を自在に発揮できるかも知れない。
 勿論、言葉で説明しても駄目だ。心で理解しなければならない。
 最初は石牢に閉じ込めて様子を見た。思った通り、冬摩は自分の無力さを嘆き、自身を攻めた。未琴を想うが故に。そして今は神楽を通じて、常に未琴の事を意識させている。まだ完全に吹っ切って貰っては困る。それは力の使い方を覚えた後だ。
 『業滅結界』が完成するのが先か、冬摩が『左腕』を使いこなすのが先か。
 あまり時間ばかり掛けてはいられない。どちらかには見切りを付けなければならない。
 もうそう長くは自分自身を抑え付けられない。今もどんどん心が傾いていくのが分かる。龍閃の方へと――
「魎」
 低く野太い声を後ろから掛けられ、魎は振り返った。
 乱立する背の高い木々を後ろに、筋肉が異常に発達した厳つい体つきの大男が立っていた。
 地面に付きそうなほど長く伸びた緋色の髪の毛。見る者を威圧し、震撼させる金色の双眸。女の腰ほどもある二の腕。人の頭を三つ一度に鷲掴めそうな大きな手の先には、鮮血を思わせる紅の爪。黒の内着の上に纏った白の陣羽織は、胸の筋肉に押されて大きく盛り上がり、大きめの袴をはいているにもかかわらず、太い足の形ははっきりと分かった。
「随分と早いな、龍閃。約束の時間はまだ先だぞ」
「何、貴様の土産が待ち遠しくてな。我慢できなくなった」
 口の端から牙を覗かせ、龍閃は凶悪な笑みを浮かべた。
「食い意地の張った奴だ。まあ紫蓬には遠く及ばないがな」
 言いながら魎は、手に持っていた大きな風呂敷包みを足下に置く。そして頂点で結んでいた縛りを解き、中身を晒した。
 ソコに居たのは一人の女性だった。年は三十半ばといったところだろうか。
 長い黒髪、鋭角的な顔付き、身に纏うのは巫女装束。
 神楽に、そして未琴に驚くほど良く似ていた。
「いつものように術で眠らせてある。持って帰って好きな時に喰えばいい」
「そうか」
 龍閃は満足げに頷くと、彼女の前に歩み寄ってしゃがむ。そして白く細い首筋を指先で自分の方へと引き寄せ、口を大きく開けた。彼女の喉元に鋭い牙を突き立てたかと思うと、龍閃は一息で喉笛を噛み切る。
「美味い……」
 首を半分以上抉り取られ、一瞬で絶命した女を見下ろしながら龍閃は口の中で彼女の肉をゆっくりと咀嚼する。心の底から味わうように。至福の一時を噛み締めるように。
「悲鳴を聞きながら喰うのも良いが、こうして静かに喰らうのもまた一興よ」
 目の前で血肉の塊と化し、どんどん“小さく”なっていく女。
 龍閃の方を無表情で見下ろしながら、魎は『食事』が終わるのを身動き一つせずに待っていた。
 山林の中に、肉が潰され骨が砕ける音と、仔猫が水を舐め取るような湿った音が響く。
 ゆうに半刻をかけて、龍閃は『食事』を堪能し終えた。
「『大裳』の『擬態』はどうであった」
 立ち上がり、龍閃は魎に確認する。
「ああ。問題ない。相変わらずいい仕事してるよ、アイツは」
「そうか」
 魎の返答に、龍閃は口の端をつり上げて邪悪に笑った。
「そんなに美味いか? 『死神』で熟した肉っていうのは」
「当然だ。我の舌に合うようになっているのだからな」
「芸の細かい事だ」
「貴様ほどではない」
 金色の双眸を面白そうに輝かせながら龍閃は言う。
 『死神』は龍閃が創り上げた十鬼神の一人だ。そして龍閃が自分のためだけに生み出した使役神鬼でもある。
 『死神』の本当の役割は陰陽師の十二神将に対抗する事でも、魔人にとっての回復の要となる事でもない。
 ソレを保持した者を龍閃の口に最も合う肉へと変化させる事だ。
 体内に宿す事で、血の濃さを変え、肉の質を変え、骨の強度を変える。そして龍閃のための最高の『食事』となる。その過程で顔や性格、声質や嗜好までもが変わっていく。
 だから『死神』を受け継いできた神楽の家系と未琴は、顔や声が似ていた。
 冬摩と龍閃は親子。動機は違えど、同じような女性に惹かれたのだろう。冬摩は愛するために、龍閃は食欲を満たすために。
 だから『死神』を保持し、『復元』を行使できたはずの魔人は死んでしまった。龍閃がそうなるように仕向けたから。人間に殺され、『死神』が人間の間で受け継がれるように。そして美味い肉を作り続けるように。
 肉は同族である魔人よりも人間の方が美味い。ソレが一般的であり、魔人の誰もがそう実感している。人間の方が柔らかく、まろやかで、味に深みがあると。
 龍閃は何百年もの間、『死神』で熟した肉を喰らい続けてきた。保持者が『死神』を次の世代に託し、次の保持者に『死神』の力が浸透したの確認して、もう『死神』を有していないただの至高の餌となり果てた肉を喰い続けてきた。
 喰い続けるためには人間が必要だ。人間が滅亡してしまってはもう美味い肉は出来ない。
 つまり、龍閃には最初から人間を完全に消し去るつもりはなかったのだ。ある程度まで追いつめ、必要最低限の人間を“飼う”事が出来ればソレが理想的だった。
 しかし現実にはそう上手くは行かなかった。人間の陰陽師達に押され始め、龍閃は一度和平を結んだ。そして『食事』を絶った。人間の信頼を得るために。
 『死神』で熟した肉どころか、普通の肉も喰えなくなった龍閃は徐々に飢えていった。
 そして――
「だがな、やはり最も美味かったのは我の妻、紗羅の肉よ。あの味に比べれば、もはや『死神』で熟した肉ですら見劣りする」
 歯止めが利かなくなった。
 自分の欲望に負けた。
(ソレは違うぞ、龍閃)
 紗羅の肉が特別美味かったわけではない。ただ、あまりの『空腹』を満たした肉だったからそう感じただけだ。極限まで切迫された血の渇きを、肉の飢えを、殺戮への情欲を満たした者が紗羅だったから、そう思い込んでいるだけだ。
 涙を流し、歓喜で身を打ち振るわせるまでに満たされたから。
 その時、紗羅と龍閃の間で何があったのかまでは知らない。だがきっと些細な事なのだろう。あの日は紅月の夜だった。ほんの少しの事でも、龍閃の理性は食欲に屈したはずだ。
 そして龍閃は人間と魔人、両方の敵となった。
 だが、魎は少し違った。
 見境が無くなり、自分の命まで狙ってきた龍閃に敵意を抱きつつも、興味を持ち始めた。
 ――人間は魔人にとって単なる餌に過ぎない。
 ソレに関しては魎も同感だった。実に共感できる事だった。和平と同時に食事を絶たれ、変わったのは龍閃だけではない。魎もそうだ。
 人間を喰わなくなって、人間達と同じ食事をし、同じ生活をしながら色んな事を考えた。そして一つの疑問に関心が向いた。
 ソレが龍閃の暴走と同時に一気に弾けた。だから龍閃に興味が湧いた。見てみたいと思った。龍閃がどこまで行くのかを。
 龍閃の暴走から十年程度が経ったある時。冷静に話が出来るくらいには落ち着いたかと判断して、魎は龍閃と会った。
 見つけるのはそれ程難しくはなかった。最初の囮作戦の時に目印を埋め込んでおいたから。手みやげに自分が見繕った女を二、三人差し出すと、疑わしげな視線を向けながらも美味そうに平らげた。
 どうやら少しは理解してくれたらしかった。自分も『そちら側』であるという事を。
 そこで凶行の理由を聞いた。

『腹が減ったからな』

 龍閃らしいと思った。将来的な戦力として目を掛け、育てていたはず冬摩を捨て、自分や紫蓬にまで牙を剥いた理由がはっきりした。単純明快で、実に分かり易かった。
 そこで『死神』の話を聞いた。ますます興味が湧いた。だから龍閃に従おうと思った。そのため、『死神』で熟した人間の肉を定期的に捧げる約束を取り付けた。
 そのためにまず、『大裳』を保持していた人間の保持者を龍閃に殺させた。
 居なくなった神楽の代役を、『擬態』で神楽と全く同じ姿になった『大裳』につとめさせるために。最初に捧げたのは真尋だった。
 さらに龍閃からの信頼を得るため、『白虎』、『羅刹』を保持していた人間も捧げた。
 コレで龍閃の保持する使役神鬼は七体。人間の施した法具を自力で取り外す事くらいは出来るようになったはずだ。今はまだ、その必要がないから付けているだけ。力を抑え込まれている振りをしているだけ。
「魎。貴様の用意した余興はまだ終わらんのか」
 龍閃は今、『死神』を欲している。
 『死神』の『復元』と召鬼化で紗羅を黄泉還らせるために。この世で最も美味い肉を喰うために。
 だが、まだソレをさせるわけには行かない。『死神』はいざという時の切り札だ。
 冬摩にとっても。そして自分にとっても。
 もし『死神』を自分の物できれば。『復元』を使えるようになれば。あるいは……。
(いや……)
 確実ではない。例え『復元』が使えたとしても、龍閃をどうにか出来るかは分からない。今はまだ、冬摩の『左腕』の力を引き出す道具として使いたい。それに『死神』を渡してしまっては『業滅結界』を完成させる時間が作りにくくなる。
 これからは失敗は許されない。もう最初から作り直している時間はない。そして確実に決めなければならない。
 強力な力を持つ『業滅結界』。しかしその安定性は極めて悪い。だからその呪針は周りに何もない、誰も居ない場所に埋める必要がある。人が多く居ると、弱いが雑で邪な波動に晒され、それだけ術の型式が崩されてしまう。そうなるといかに怨行術の名手である魎であっても、発動させる事は不可能だ。最良の状態でさえ、維持し続けるには多大な集中力が要求される。
 機会は一度きり。それも極めて短時間だ。
「まぁもう少し待て、龍閃。私の方にも色々と事情がある」
 まだ時間が必要だ。準備が全て整うには。
「貴様は頭が良い。我に従う振りをして置いて、首を取る機会を窺っているのかもしれんな」
 龍閃は太い腕を組み、コチラを試すような視線で見下ろした。無造作に取った、たったそれだけの挙動でも、気の弱い者なら恐怖にすくんで内面の全てをさらけ出したくなるだろう。
「まさか。色々と情報を流してやってるじゃないか」
 魎は眉を少し上げ、おどけたような仕草で広い額を撫で上げた。
 次にどんな作戦で、どこに攻め込むのかという情報は殆ど龍閃に教えている。
 以前、武田に掛けた夜襲が見破られたのも、前もって自分が龍閃に教えておいたからだ。だが、それでも紅月に影響を受けた冬摩達は武田の軍勢を撃ち破るはずだった。
 もし、上杉が横から入ってこなければ。もし、魎が龍閃にこの事を教えていなければ、儀紅に召鬼の記憶を読まれていたかもしれない。
 しかしまだ早い。龍閃と対峙するにはまだ尚早だ。
「呪針だってどうしてわざわざ自国に埋めてやっていると思ってるんだ。お前が壊す呪針の周りをわざと手薄にして、他の奴等に気付かれないようにしてやるためだろう」
 壊しやすい呪針の正確な位置。ソレも全て龍閃に教えている。
 こうやって時間稼ぎをしていれば冬摩は次第に苛立ってくるだろう。焦りが生じるはずだ。そしてもっと強い力を求めるようになる。どんどんに非情に傾いていく。
 それでいい。それでこそ計画通りだ。冬摩にはまだまだ力を付けて貰わないと困る。
 それは冬摩自身のため。そして、引いては自分のため。
 冬摩同様、龍閃もまだ終わりではない。まだ最終地点まで行き着いていない。
 見てみたい。どこまで行くのか。どこまで自分を満足させてくれるのか。
「ふん……変わり身の早い男だ」 
「私は事なかれ主義でね」
 馬鹿にしたように鼻を鳴らし、疑わしげな視線を向けてくる龍閃に、魎は困ったように肩をすくめてみせる。
 『死神』で熟した肉を捧げ、コチラの戦略や呪針の位置を教えてもまだ足りないらしい。龍閃からの信頼を得るためには、まだ大きな事をしなければならないようだ。
「貴様が裏切り者だと分かった時のアイツらの、特に冬摩の顔。ソレは確かに楽しみだ。アイツは良い意味でも悪い意味でも純粋。実に嬲り甲斐がある。だがな――」
 そこまで言って龍閃は金色の瞳に狂気の色を孕ませ、底冷えするような冷徹な視線を向けてくる。
「ソレを見るまで『死神』を待つというのは、少々退屈だと思わんか?」
 殺意すら内包した、絶対的な支配力を誇る威言。
 聞く者を否応なく服従させ、体の内側に暗い恐怖を植え付ける。
 それは問い掛けと言うよりも、反論を辞さない命令。逆らえば死。龍閃は言葉の裏に底知れない重圧を乗せ、魎を体の内側からも外側からも圧迫した。
(……やれやれ、思ったより早く時間切れになったな)
 半眼になって溜息をつき、魎は胸中で苦言を呈する。
 しょうがない。冬摩を待っていられる時間はなくなってしまった。
 残念ながら遅かった。思ったよりも早く龍閃が痺れをきらした。『死神』で熟した肉に飽きてしまった。だが別に自分が悪いわけではない。結局、中途半端な力しか身に付けられなかった冬摩の責任だ。これまで自分は冬摩のために良くしてやった。
(おいおい、柄にもなく言い訳か……?)
 自嘲めいた笑みを口の端に張り付かせながら、魎は瞑目する。
 我慢できなくなったのは龍閃だけではない。自分も同じだ。ソレを冬摩のせいにするのは筋違いというものだ。もっと自分に素直なればいい。正直になればいい。
 もう、随分と前から自分は龍閃に心を奪われていた。
 最強の魔人に。圧倒的な強さを秘めた肉体に。揺るぎない精神力に。だからこそ興味を持った。だからこそ龍閃に付き従った。
(悪いな、冬摩)
 心の中で考えを固め、魎は龍閃の目を真っ正面から見た。
「分かった龍閃。お前のためにもう一つ余興を用意しよう。きっと満足してくれるはずだ」
「そうか」
 魎の言葉に龍閃は満足気に顔を歪める。そしてコチラに背を向けて立ち去り際、肩越しに振り返ってどこかからかうような口調で言葉を残した。
「貴様も随分と大人しくなったものだ。昔は我と同じか、それ以上に凶暴だったがな」
「私もそれだけ年を取ったという事さ」
 魎は苦笑混じりに返し、芝居がかった仕草で肩をすくめて見せた。

◆信じる者 ―荒神冬摩―◆
 紫蓬の言葉に納得などしたわけではない。自分なりの結論が出た訳でも、吹っ切れた訳でもない。相変わらず晴れない鬱屈とした気分は胸の中でわだかまっている。
 魎が裏切り者なのかどうか。そんな事はもうどうでもいい。最後にならなければ分からないような事を、いつまでも考えていてもしょうがない。
 今すぐに答えを出さなければならないのは、もっと根本的な事。
 それにはくだらない腹の探り合いもいらない。面倒臭くてややこしい事も必要ない。
 極めて単純だ。頭ではなく、体で理解できる。
「あー、冬摩。どうした。随分と珍しい事もあるもんだな。お前が私と二人で行きたい場所があるなど。異人の居る遊郭でも見つけたか?」
 冬摩の横に付いて走りながら、魎はとぼけた口調で聞いた。
 ココは信濃の国にある広大な湿地帯。以前、武田の騎馬隊を陽動するのに使った場所だ。今は自国の領地になっている。遮蔽物など何もない、人も誰もない閑散とした場所。あるのは膝まで伸びた、背の高い雑草だけ。
「あー、だがあまり長くは付き合ってられんぞ? 次の作戦の準備があるからな。ソレにはお前は不参加だ。少し休んで、この前の疲れを癒すといい」
「そんなに時間かかんねーよ」
 冬摩は足を止め、魎の方に体を向けた。
 確認するために。
「テメーが強けりゃな」
 自分がどこまで強くなったのかを。
「あー、どうしたんだ冬摩。もしかして私がこの前、神楽さんを口説こうとしたのを根に持っているのか?」
 そして例え魎が裏切り者だったとしても、本当に自分を従わせる力を持っている男なのかどうかを。
 何が正しくて、何が信頼に値するのか。そんなものすぐには分からない。一度迷い始めると、どんどん深みにはまっていく。
 だが、昔から自分を支え、一度も裏切らなかった物がある。
 力だ。
 理屈や論理抜きで、他者をねじ伏せる物理的な力。戦いにおける最大の武器。冬摩はいつもソレを求め、振るい、そして信じてきた。
 もし魎が自分の力を遙かに上回る圧倒的な力を持っているのなら、まだ辛うじて納得できる。結論が出せる。
 弱者は強者の要求に応じなければならない。例えソレがどのような無理難題だとしても。いざとなれば力でねじ伏せられるから。
 だから自分は一時的に魎に従っているのだと。もっと強くなり、魎を超える時まで仕方なく言う事を聞いているだけだと吹っ切る事が出来る。
「本気で行くぜ。テメーをブッ殺すくらいにな」
 腰を落として魎を下から睨み付け、冬摩は剣呑な眼光を飛ばしながら右腕に力を込めた。
「あー、それでこの場所、か。なかなか頭を使ったじゃないか」
 広い額を撫で上げながら、魎は嘆息して周りを見回す。
 身を隠してコチラの力を流し、隙を見て致命打を与える。
 ソレは魎が最も得意とする戦法だ。
 しかしソレでは駄目だ。周りの物を器用に使うような姑息な手で来られても、今あるモヤは払拭できない。
 自分の力のみを使った、一対一の肉弾戦でなければ。
「あー、何があったのかは知らんが、部下の心の管理も上に立つ者の仕事だ。少しお前に付き合ってやるよ」
「ケッ!」
 挑発的な笑みを浮かべて腕を広げた魎に、冬摩は大地を蹴って真っ正面から突っ込んだ。構えすら取ろうとしない魎の眼前まで疾駆した後、直角に方向を変えて右へと跳ぶ。着地した場所で身を小さくし、一瞬で勢いを殺した後、たわめた足を一気に開放して初速を遙かに上回る勢いで急迫した。
「オラァ!」
 殆ど地面と水平になって跳んだ体勢から、冬摩は右腕を横薙ぎに振るう。
 魎は少し後ろに身を引いてかわした後、不定形に揺らめく黒衣からよくしなる鞭のような鎖をコチラに向けて何本も放った。
「ウザってぇんだよ!」
 しかし冬摩は避けようともせず、顔を両腕で庇ってそのままの勢いで魎に接近する。
「まだまだ直線的ではあるが昔と比べると大した進歩だ。頭から来る事で打撃面積を最少にしている事も高く評価できる」
 余裕の表情で冬摩の戦い方を褒めながら、魎は黒鎖の数をさらに増やした。一本一本が意思を持ち、まるで黒い津波のように真上から冬摩の体に降り注ぐ。
 冬摩は地面を蹴ってまた直角に跳び、魎から一端大きく離れた。しかし黒鎖の追撃は止まらない。冬摩の動きに合わせて軌道を変え、大気を焦げ付かせる程の速さで牙を剥いてくる。
 その動きを肌に伝わる空気の乱れと直感だけで避け続けながら、冬摩は魎を中心に円弧を描くように移動した。
「あー、どうした冬摩。逃げ回ってるだけじゃ話にならんぞ」
 もはや黒い森とも形容できるほどに大量の黒鎖を冬摩に差し向けながら、魎は冷めた視線を向けてくる。
 しかし冬摩は魎からの煽りに応じる事なく、徐々に自分の描く円弧を小さくしていった。そして黒鎖が自分と全く同じ動きをしている事を確認し、弧の動きから脱して直線的に魎との間合いを詰める。
「ほぅ。線から点に、か。コレは少し捕らえにくいな」
 今まで円周に沿って『線』の動きをしていた冬摩が、一気に中心に跳ぶ事で『点』へと姿を変える。
「だが、出来ない事はない」
 僅かに黒鎖の対応は遅れたが、すぐに軌道を修正して冬摩の背中に狙いを付けた。
「オラァ!」
 裂帛の気合いと共に、冬摩は右腕を大振りに振るう。少し上体を逸らし、魎がその拳撃を難なくかわしたのを見て冬摩は真上に跳んだ。
 線から点へ。そして点から無へ。
 連続的に動きを変えていく冬摩に、黒鎖の動きがまた遅れた。そして上に方向を変える事が出来ず、そのままの勢いで魎の体へと吸い込まれていく。
 ――狙い通りに。
「なかなか考えたな」
 だが、黒鎖に体を貫かれながらも魎は変わらぬ声色でコチラを見上げてくる。
「けどな、コレは私の怨行術で生み出した物だ。こうやって体を透過させるのも思いのままというわけだ」
 いつの間にか黒鎖が蜘蛛の巣のよう張り巡らされ、周囲を取り囲んでいた。それはさながら自分を包み込む黒い繭のように。
「ンなこたぁ……」
 冬摩は頭を下に向けて黒鎖の一本に着地し、強く蹴って真上から魎に跳びかかる。
「分かってんだよ!」
 視界の中で急速に大きくなる魎を庇うようにして、さっき魎の体を貫いた黒鎖が冬摩を迎撃するように向かってきた。
 黒鎖に魎を貫かせたのは傷を負わせるためではない。
 魎の近くで黒鎖からの攻撃を受けるためだ。 
「アアアァァァァァ!」
 絶叫を上げ、冬摩は左腕を盾のように前にかざして黒鎖の攻撃を正面から受け止める。即座に絡み付き、骨を折らんばかりに締め付けて来る黒鎖。更に別の黒鎖が腕を貫き、出来た傷口が炭化したように黒ずんだ。
 左腕から発し、全身を蝕んでいく『痛み』。そこから生じた力が右腕に伝播し、膨大な熱量を伴って顕在化する。
「死ねオラァ!」
 自分の体に狙いを付けた黒鎖を鉤状に曲げた右手で力任せに引きちぎり、その奥にあるはずの魎の頭部めがけて振り下した。
 しかし、手応えはない。
 さっきまで魎が居たはずの場所には、切り取られたかのように不自然な空間が開けていた。
「大したものだ、冬摩。お前の成長速度には感心させられるよ。強くなったな」
 魎が発する感嘆の声が、黒い森の中に木霊する。出所は分からない。それどころか魎の気配も波動すら感じない。
 ただ声だけが不気味に響き渡っている。
「障害物が無い場所を選んだまでは良かったが……残念だったな。無ければ作ればいいだけの話だ」
 右脚に熱が走った。
 反射的にその場を跳び退いた冬摩の右肩から鮮血が迸る。続けて左脚、右胸、脇腹と四方八方から黒鎖が襲いかかって来た。
 ココは完全なる魎の支配領域。どこにも逃げ場はない。
 見つけ出すしかない。魎が居る場所を。この黒鎖を相手にしていてもしょうがない。本体を叩かなければ意味がない。
「ちっ……」
 全身を蹂躙する『痛み』で力の乗った右腕を振り回しながら、冬摩は黒い繭の中に神経を這わす。
 精神を研ぎ澄ませば感じられるはずだ。魎の思考の波を。魎から放たれる波動を。
 未琴に教えられて以来ずっと磨いてきた。相手の場所を直感的に知覚できる感性を。
 他とは違う、気の乱れを――
「そこだぁ!」
 真後ろを振り向き、冬摩は右腕に溜め込んだ力の塊を射出した。
 派手な爆音を轟かせ、甚大な熱波と視界を覆い尽くす粉塵が吹き荒れる。力に巻き込まれた黒鎖の束が、焦げ臭い煙を残して消失した。
「少し遠かったな」
 声は後ろからした。
 直後、腹部に違和感が生じる。それはすぐに灼熱と激痛へと変貌し、冬摩の躰を内側から喰い破った。口腔で産声を上げる腐食した金属の味。
「へっ……」
 しかし冬摩は薄ら笑いを浮かべながら、自分の腹を貫いた魎の腕を両手で固定した。
 場所が分からないのならおびき出せばいい。この一撃を食らうのは覚悟の上だ。そして――
「ヤレェ!」
 頭上から大きな影が降ってくる。
 『鬼蜘蛛』だ。
 さっきの攻撃は魎をおびき出すためだけの物ではない。音で召来の声を消し、煙で『鬼蜘蛛』の姿を包み隠すためだ。
「ち……」
 背後で舌打ちが聞こえた。初めて魎から焦りの気配が伝わってくる。
 黒鎖が上を向き、迫り来る『鬼蜘蛛』の巨体に突き刺さった。だが落下を止める事は出来ない。
 『鬼蜘蛛』は魎に八本の脚の先から伸びた鋭い鉤爪を突き立てると、二度と抜けない程に深く食い込ませた。
「やれやれ」
 後ろから面倒臭そうな声が聞こえたのと同時に、黒鎖が冬摩の方へと一斉に矛先を向ける。そして黒い雨のように降り注いだ。
 冬摩は魎の腕を掴んでいる手に更に力を込める。
 何があろうと絶対に離さない。『鬼蜘蛛』が魎を喰らい尽くすのが先か、それとも黒鎖で自分が絶命するのが先か、賭けてみるのも悪くない。
 だが黒鎖は冬摩ではなく、魎の体へと切っ先を向けた。
 そして背中で感じていた魎の重みが消える。
「大切な力の作用点を失ってしまった」
 前に跳んで距離を取り、後ろを振り向くと、左腕の肘から先を失い『鬼蜘蛛』の八本の爪だけを体に残した魎が悠然と立っていた。
 黒鎖で切り取ったのだ。『鬼蜘蛛』の脚と、自分の左腕を。そして束縛から逃れた。
「おもしれぇ事しやがるじゃねぇか」
 怒りに顔を染め上げ、冬摩は視線に殺意を乗せて魎を射抜く。
 別に魎自身の腕ではなく、自分の腕を切り落とす事だって出来た。残った右腕で攻撃を仕掛け、引き剥がす事だって出来たはずだ。
 だが、魎はソレをしなかった。
「あー、冬摩。お前は左腕を大切にしろよ」
 黒衣で止血した左腕を強調するかのように軽く振りながら、魎は眉を高く上げて見せる。
「フザッけんな!」
 腹に残った魎の腕を投げ捨て、怒声を上げて魎に向かって跳ぶ冬摩。しかし魎は取り合わず、身を翻して黒い森の中へと姿を消した。
 左腕を捨てただと? 自分の力の作用点を。余裕か。左腕くらい失っても問題なく勝てるという自信があるというのか。
 殺す。絶対に殺してやる。左腕だけではなく四肢を切断して苦痛にのたうち回らせながら殺す。そして、その思い上がった考えを死ぬほど後悔させてやる。
 体を動かすたびに腹の傷口が広がり、神経を断ち切るような烈痛が全身を駆けめぐるが、そんな物に気を取られてはいられない。
 魎を見つけ出してブッ殺す。
 今、頭の中にあるのはソレだけ。その考えだけが、体を突き動かしている。
 絶対に足は止めない。例え意識が無くなったとしても。
「ヤロウ!」
 冬摩の視界が魎の後ろ姿を捕らえた。
 枝のように突き出した黒鎖の上で立ち止まり、肩越しにコチラを見ながら不敵な笑みを浮かべている。
「死ねオラァ!」
 冬摩は地面を蹴って高く飛び上がり、一気に魎へと肉薄した。そして激情が命じるままに右腕を振るう。
 重い手応え。
 冬摩の渾身の一撃をまともに食らった魎の体は二つに分かれ、粗い断面を晒して崩れ落ちた。そのあまりにあっけない最期を見て、冬摩の体から血の気が引いていく。
「あー、最初の方はそれなりに冷静で良かったんだがな」
 ――罠。
 その言葉が浮かんだ直後、冬摩の体は地面に叩き付けられていた。背中から地面にめり込み、肺を圧迫されて気道を伝ってきた呼気を吐き出す事すら許されず、魎の右脚が冬摩の胸板を砕く。
「やはり頭に血が上って周りが見えなくなるクセだけは変わってないな。アレはただの人形だよ」
 人形。そう、血も何もかよっていない。魎が黒鎖で、怨行術で生み出した模造品。
「あー、それとな。私の力の作用点は一つだけではないぞ? 忘れるな」
 冬摩の胸から『右脚』を外し、魎はどこか自慢げに口の端をつり上げて言う。広大に展開していた黒鎖はあっと言う間に短くなり、瞬きする間に魎の黒衣へと呑み込まれるようにして消失した。
「けっ……」
 冬摩は不機嫌そうに顔を逸らし、上体を起こす。
 もう『無幻』の『情動制御』で戦う気力を奪われてしまった。
 終了だ。結局、左手の消失という条件下でさえ、自分の力は魎の足元にも及ばなかった。
 それに魎はまだ怨行術の全てを使った訳ではない。自分の知らない技をいくつも隠し持っている。『無幻』の具現体もそうだ。
 力の作用点から出る『無幻』の能力は戦闘向きではない。ならば具現体を喚び出して戦わせた方が、事を有利に運べるはずだ。何かを利用するが得意な魎であればなおの事。
「あー、どうだ。冬摩。少しは迷いが晴れたか?」
「……何でもかんでもお見通しって訳か、テメーは」
「お前が分かり易いだけだ」
 仏頂面で言う冬摩に、魎は微笑して返す。
 だが悔しいが迷いは晴れた。自分の力はまだまだだという事が分かった。
 そして――龍閃を殺すには魎の力が必要だという事が。
「あー、龍閃は私より強い。決戦の時までには、お前ももう少し力を付けて貰わんとな」
「……テメーはとっととあのなんとかって結界、完成させろよ」
「あー、分かってるさ。ただまぁ色々と事情があってな」
 コッチだって分かっている。ソレが魎のやり方だという事くらいは。
 関係のない事をして本質から目を逸らさせ、機が熟すのを待って一気に決める。昔から何も変わっていない。ただ今は少し、準備期間が長いだけだ。
「あー、さて。帰るか。私の腕が元通りになるには少し時間が掛かるな。こんな時、『死神』の『復元』が使えたらと思うよ」
「……神楽に使わせんじゃねーぞ」
 『死神』の『復元』には術者の生命力を大量に使う。癒す傷の大きさにもよるが、せいぜい七十くらいまでしか生きられない人間が今の魎の腕を元に戻すとなると、余生の大半を失う事になる。
「あー、分かってるさ。ま、膝枕くらいはして貰うかもしれんがな」
 魎の軽口を聞きながら、冬摩はゆっくりと立ち上がった。
「いやー、スッゲースッゲー。さすが魔人同士の戦ーいー。スッゲー迫力ー」
 ソコに子供特有の甲高い声が降ってくる。
 儀紅だ。相変わらず『月詠』の胸に抱きかかえられながら、大きめの烏帽子が落ちないように押さえてコチラに手を振っている。
「何だよ、テメーは。何しに来やがった」
「報告、ほうこーくー。水鏡っちが居ない間に、スッゲー事が起こりましーたー」
 挙手するかのように腕を耳に付けて高く上げ、儀紅は間延びした声で続けた。
「尾張にあったスッゲーデカい何とかって街が一瞬で壊滅しましーたー」
「あぁん?」
 儀紅が何を言ったのかよく分からず、冬摩は唸るような声で聞き返す。
 街が壊滅? 一瞬で?
「テメーいい加減な事ヌカしてんじゃねーぞ」
「なんで嘘付くために、こんなスッゲー遠くまでわざわざ来なきゃなんないんだーよー」
「冬摩、儀紅の言った事は本当ぞ。尾張の都市、清洲が死地と化した。嶋比良の『千里眼』で確認済みぞ」
 下からの声に目を向けると、紫蓬が腕組みして立っていた。最初から居たのだろうが、あまりに小さくて見えなかった。
「本当かよ」
 儀紅だけならともかく、紫蓬が言うなら信憑性はかなり高い。しかしそんな事が出来るのは魔人くらいのものだ。そしてやる可能性があるのは……。
「龍閃、か……」
 呟くような小声で魎は言う。
「だろーねー。でも何でかーなー。派手に動いたら、スッゲー見つかっちゃうかも知れないのーにー。それとも何か絶対にバレないスッゲー隠し球でも持ってんのかーなー?」
 儀紅は魎の方に視線を向け、顔を大きく左右に振りながら明るい声を発した。
「あー、とにかく、だ。ココは尾張に近い。今、龍閃に見つかったら事だ。一端戻って今後の作戦を考えよう」
「えー? でも四人も居たら何とかなるんじゃないーのー? それとも今は行っちゃいけないスッゲーワケでもあんのかーなー?」
 何か勘ぐるような儀紅の言葉。
 コイツは魎の事を疑っている。龍閃と繋がっているのではないかと。自分も少し前まで疑っていた。だが今は――
「ガキは黙って言う事聞いてろよ。オラ戻んぞ」
 面倒臭そうに言って、冬摩は土御門城への道を歩きだした。それを見た紫蓬が、何か面白そうに笑って後に続く。
「あれあれー? ひょっとしてスッゲーのけ者ー?」
 頬を膨らませ、不満そうな声を上げる儀紅。渋々といった様子で冬摩達の横に並び、歩き始めた。
「あー、冬摩」
 そして後ろから魎の声が掛かる。
「龍閃は絶対に滅ぼすぞ」
「あたりめーだろ」
 魎の決意の言葉に、冬摩は鼻を鳴らして返した。
 絶対に龍閃を殺す。そのためには魎の力が必要だ。だから今は従う。迷いを持たず魎の考えに沿う。
 ソレが――自分が正しいと信じた道だ。





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