貴方に捧げる死神の謳声 第零部 ―復讐の業怨―

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七『母子が紡ぐ謳声』


◆嵐の前の ―荒神冬摩―◆
「あー、怨行術『業滅結界』を発動させる呪針が全て揃った」
 土御門の保有する武家屋敷。拠点を江戸方面へと移し、山紫水明の広大な敷地に築かれた平屋作りの建物。人二人分の高さはある堅牢な外壁に囲まれた屋敷は厳かな雰囲気を醸し出し、難攻不落の城塞を彷彿とさせた。
 その中心にある中央殿。三十畳ほどの広い畳の間に、魔人、そして人間の保持者が一堂に会していた。
「あー、実に長い期間を要したが、ようやくその苦労が報われる時が来た」
 他からは一段高くなった上座に座った黒衣の男――水鏡魎は、普段よりは若干引き締まったように見える顔付きで皆を見回す。
 ――あれからさらに四百年の月日が経っていた。
 龍閃が突如として実行に移した大都市の破壊活動。かつて平安の都で巻き起こした凶行のように、ソレは何の前触れもなく突然降りかかってきた。
 自国の領土を広げるため、各国でいがみ合っていた猛者達。尾張の都市、清洲が沈められた時は織田の勢力の弱体化に喜びの声を上げていた者も数多く居たが、同じ惨事が自分の国でも起こり始め、大名達の認識は変わり始めた。
 最強の魔人、龍閃。紅月の日には大龍へと姿を変える事が出来る、圧倒的な破壊力を秘めた存在。
 今まで、龍閃が表舞台から遠のいていたために霞み、消えかかっていた悪夢のような記憶が、大都市の一夜破壊という異常現象によって鮮明な輪郭を取り戻し、再び人々の間で恐怖の象徴として君臨し始めた。
 皮肉にも人々は龍閃の凶行によって争いを止め、あらゆる力を以て龍閃を討つというかつての構図が再浮上した。
 人間側の指揮は当時の最大勢力だった徳川が執る事になった。徳川は鎖国体制を敷く事で、万が一にも龍閃が外に逃げる事を封じた。さらにこれまでは異国への出航に使用していた船を全て使い、魎が作りだした呪針を大量かつ迅速に全国へと埋めていった。
(まさか……ここまで読み切ってたワケじゃねーよな……)
 魎の真っ正面に座り、冬摩は目を細めながら魎を見上げる。
 あれだけ遅々として進まなかった呪針を埋める作業が、驚くくらい順調に進んだ。
 龍閃が壊す数よりも沢山の呪針を人海戦術で埋めていったからというのもある。国取りを止め、その作業だけに専念できたというのも理由の一つだろう。
 だが、コレは全て偶然なのか? 
 龍閃の都市破壊が始まったのも、ソレによって人間が一致団結したのも、そしてこの時期に『業滅結界』が完成したのも。
 もし、魎がこれまで埒の開かないイタチごっこを続けていたのが、龍閃を苛立たせるためだとしたら? その苛立ちを爆発させて、表舞台に出てくるように仕向けたのだとしたら? そして――
「あー、もうすでに、次、龍閃が襲うだろうと思われる都市の位置は大体把握できている」
 相手の裏をかく方法を最初から画策していたのだとすれば?
「あー、残念ながら一つにまで絞るのは難しいし、無駄に限定するのは失敗の危険を多く孕む。だから候補となる都市を三つ上げた」
 この四百年間、龍閃の破壊した都市を調査し続けてきた。人間から被害が報告され、冬摩達がそこに行った時には全てが手遅れだった。三人以上で一組になり、全国に散らばって待機していた事もあったが、ソレを嘲笑うかのように被害は最も離れた場所で起きた。
 今はまだ龍閃が法具を身に付けている。力が抑えられている状態なら、全員で立ち向かわなくとも三、四人で時間稼ぎは出来る。その間に他の仲間に来て貰えばいい。
 しかし、日増しに龍閃の力が解放されてきている気がする。法具の効力が弱まっているのか。それとも、他に何か――
 皆、不安と焦りだけを積もらせていたが魎は違った。
 全てが後手に回る中、冷静に龍閃の動向を探っていたのだ。
 龍閃は一年掛けていくつもの都市を破壊した後、約十年間は沈黙を守るという事。破壊は紅月の日の前後に起こるという事。そして破壊された都市を地図上で結ぶと、沢山の六芒星が出来上がるという事。
 龍閃は破壊する都市を無作為に選んでいたわけではない。場所も時期も、何らかの法則に基づいていた。
 今年はまさに龍閃が暴れ始めた年。すでに五つの都市が壊滅に追いやられている。次は六芒星を完成させる最後の都市だ。だからある程度の絞り込みはきく。
「あー、一つ目は陸奥にある出羽、二つ目は駿河にある富士、三つ目は信濃にある諏訪だ」
 地図を広げて見ながら、魎は一つ一つ確かめるように言った。
「随分と離れておるな。もう少し近くに固まっても良さそうな物だが」
 自分の隣りにあぐらをかいて座った紫蓬が、腕組みした姿勢のまま聞く。
「あー、まぁ六芒星と言ってもそれほど奇麗な形ではないからな。都市の再生具合、龍閃の無意識の癖のような物を考慮すると、可能性として考えられる主要都市はこんなところだ」
「……そうか」
 魎の説明に納得行かない声を出す紫蓬だが、それ以上は追及しない。
 もう今まで一緒にやってきた。そして多くの犠牲は出ているものの、最終的に事は上手く運びつつある。ならば信じるしかない。魎の事を。龍閃の討伐という大規模な作戦を指揮する男の事を。
「それで! オレっちは何をすればいいんでぃ! 龍閃の大馬鹿野郎をボコボコにするにはよ!」
 紫蓬の前に座した巨漢の筋肉男――牙燕が両の拳を固く握りしめながら、鼻息を荒くしてまくし立てる。
「あー、お前は……」
「庭掃除ならさっきやったぜぃ!」
「じゃあ……」
「廊下の雑巾がけも完璧よ!」
「そうだな……」
「障子の張り替えは昨日のウチに全部終わらせといたぜ!」
「…………」
 魎の言葉をことごとく遮り、牙燕は得意げに言い放った。押しつけようと思っていた雑務を全てこなされていたのか、魎は広い額を撫でながら低い声で呻く。
「あー、分かった分かった。ソレじゃあお前は、篠岡殿と宗崎殿と一緒に陸奥の出羽に行ってくれ」
 言いながら魎は、牙燕の近くに座っていた『貴人』と『青龍』の保持者、篠岡と、草壁の分家の一つである『勾陣』の保持者、宗崎を指名した。
「あー、それから駿河の富士には、紫蓬、岩代殿、嶋比良殿で当たってくれ」
「うむ」
 続けて紫蓬と『朱雀』の保持者、岩代と『天空』の保持者、嶋比良を二つ目の候補地に指名する。
「あー、最後の信濃の諏訪には、冬摩、九重殿、神楽さん、真田さん、有明殿、繭森殿の六人に頼む。ココは他よりも都市が大きいからな。最初に言った三人、後に言った三人の二組に分かれて、二方向から監視してくれ」
 そして最後の候補地に、魎を除く全員を指名した。
「いいか、絶対に自分達だけで龍閃を倒そうとするなよ。龍閃はまだ力を隠しているかも知れん。私が行くまでの時間稼ぎをする事を最優先させろ。私はこの屋敷で待機してお前達の波動の乱れに常に気を配っておく。感じたらすぐにその場に行って『業滅結界』を発動させる。コレが決まれば私一人でも十分勝てるはずだからな」
「おい、魎」
 魎の言葉を黙って聞いていた冬摩が、初めて声を上げる。そして鋭い視線で魎を射抜いた。
「あー、分かってるさ、冬摩。なるべく止めはお前にくれてやるつもりだ。だがな、もし事態が急を要する場合、いつまでもお前を待ってやる事はできんぞ」
 魎の言葉に冬摩は何も返さない。
 ただ、目に射殺さんばかりの殺気を乗せて魎を睨み続ける。
 先程魎が上げた三つの地はそれなりに離れている。例え他で波動の乱れがあったとしても、余程強くない限りは感じ取れるか分からない。もし感じたとしても、駆けつけた時にはすでに事が終わってしまった後だという可能性も十分に考えられる。
 八百年。
 この八百年の間、龍閃の事が頭から離れた事はなかった。未琴と母親の仇として、絶対に殺さなければならない存在として。
 その大願が今まさに成就しようとしている。だが、自分で手ではないかも知れない。それでは意味がない。
(どうする)
 どうすればいい。
 いや、何を悩む必要がある。簡単な事ではないか。
「魎、俺はお前と居る。お前が動くまでこの屋敷から出ねーからな」
 そう。こうすれば確実に龍閃の居る場所に行ける。魎が波動の乱れを感じた場所に付いて行けば、その先には必ず龍閃が居る。
「あー、ソレは困るな。さすがに九重殿と神楽さんだけでは心配だ。二人とも攻撃と言うよりは後方支援が主体の使役神鬼なのでな」
「けっ、ンな事知るかよ」
 ココまで来ればもう後の事はどうでも良い。龍閃にこの手で止めをさせさえすれば。
「あー、では何か? 神楽さんが龍閃にやられてもいいのか?」
「かまわねーな」
 神楽と未琴は全くの別人だ。龍閃に喰い殺されようが、八つ裂きにされようが知った事ではない。
「……そうか。だがな、もし龍閃が神楽さんを殺した場合、『死神』は龍閃の物になる。そうなってしまえば形成は一気に逆転だ。いくら私でも、『復元』を使える龍閃に勝てる自信はない。例え『業滅結界』を使ったとしてもだ。当然、お前の死は確定し、未琴さんの仇は討てなくなる。それでもいいのか?」
 魎の言葉に、冬摩は眉間に皺を寄せながら重く息を吐いた。
「なら神楽を安全なトコに置いときゃいいじゃねーか。別にわざわざ連れ出さなくてもよ」
「あー、じゃあ逆に聞くが、安全な場所って言うのはどこだ。一人でどこかに閉じこもっていろと言うのか? そんな事をすれば恰好の餌食になるだけだと思うがな」
「他の奴等に守らせりゃいいだろ」
「それでも絶対の保証はない」
「じゃあ俺だって同じ事じゃねーか」
「お前が守るという事はつまり、お前の居る場所に龍閃が現れるという事でもあるな。そうなって欲しいんだろう?」
 自分の言葉に被せるようにして言ってくる魎に、冬摩は不機嫌そうな顔になって足を落ちつきなく揺すり始める。
「あー、ま。そう言うわけだ、冬摩。お前が今、一番の近道だと思ってるやり方は、最も遠回りになる可能性がある。確実に龍閃を仕留めたいんなら、素直に私の言う事を聞いて神楽さんを守ってやるんだな」
 扇子で顔を扇ぎながら涼しげに言ってくる魎から、冬摩は舌打ちして顔を逸らす。
 確かに魎の言う事は正論だ。龍閃が『死神』を手に入れてしまっては勝てる見込みが激減する。
 だが――納得行かない。いつもこうして言葉巧みに言いくるめられている気がする。いつも知らぬ間に魎の調子に乗せられている。
「それとも……お前の場合もっと分かり易く、力ずくで言う事を聞かせた方が良いのか?」
 声に少し剣呑な色を乗せ、魎は鈍色の瞳を針先のように細めた。
 先程までの浮ついた空気はなりを潜め、獲物を狩る猛獣のような冷徹さが鎌首をもたげ始める。
「もうそのくらいにしておけ、魎。冬摩、ヌシも魎のやり方は了承済みのはずぞ」
 険悪な雰囲気が漂い始めた室内を、紫蓬の低い声が緩和した。
「……分かってるよ」
 まるで悪戯を叱られた子供のようにふてくされた顔になり、冬摩は投げやりに言い捨てた。
 紫蓬の言うとおり、自分はもう受け入れたはずだ。魎のやり方を。そして納得したはずだ。魎に従う事を。
 弱者は強者に服従しなければならない。龍閃を殺すには魎の力が必要だ。
 この四百年、自分にそう言い聞かせてやってきた。そして実際に龍閃を追いつめる事が出来た。
 これでいい。これでいいんだ。
 今は魎を信じる。それが自分で正しいと決めた道だ。
「あー、冬摩。それにな。今回私が上げた候補地も確実ではない。あくまでも可能性が高いというだけだ。その周りの都市に現れる可能性も十分にある。もしかすると、ココに居ては感じ取れないが諏訪なら龍閃の波動に気付けるかも知れんな」
「取って付けたみたいに、くだんねー事言わなくていいんだよ。で、いつから見張ってりゃいいんだ?」
 乱暴に後ろ頭を掻きながら言う冬摩に、魎は苦笑して続けた。
「あー、そうだな。じゃあ今から分かれて散ってくれるか。今日、龍閃が現れてもおかしくないからな」
 今日は紅月の二日前。前回の時は、紅月の日を過ぎて現れたが今回もまたそうだとは限らない。
「っしゃああぁぁぁぁ! いっちょおっぱじめるとするか! 最後の特大決戦ってヤツをよ!」
 全身の筋肉を大きく隆起させ、牙燕は裸の上半身をこれでもかと強調して見せた。
「冬摩、ヌシの場所に龍閃が現れると良いな」
 口に子供っぽい微笑を浮かべ、紫蓬は円筒形に纏めた桃色の髪を直す。
「全くだぜ。それと神楽、テメーは死ぬんじゃねーぞ」
 面倒臭そうに紫蓬に返した後、冬摩は立ち上がって神楽を見下ろしながら言った。
「え? あ、はいっ。も、勿論です!」
 巫女装束の襟元を正しながら、神楽は冷や汗を袖長白衣で拭って上擦った声を上げる。龍閃との戦いを前にしてか、明らかに体が固くなっている。
(おいおい、大丈夫かよ……)
 いきなり先行きが暗くなった作戦に、冬摩は深く嘆息した。

◆子から母へ ―青天鳳凰丸牙燕―◆

『よし決めた。ヌシの名は牙燕ぞ。野獣の牙のように鋭く、燕のように誇り高い魔人に育てよ』

 魔人は生まれてすぐに物心を付く。だから何を言われて、何をして、何を感じたのか。生まれた時からの記憶を全て持っている。
 牙燕の母親、紫蓬は厳しくも果てしない包容力を持った女性だった。少しでも悪さをすれば死んだ方がまだましだと思えるような躾を施されたが、そうでない時は牙燕を褒め、励まし、常に正しい方向へと導いてくれた。

『人の痛みの分かる男になれ。自分の決めた事は貫き通せ。一度決めたら一切の迷いを捨てよ』

 紫蓬は決して口数の多い女性ではなかったが、行動その物がどんな美麗な言葉よりも雄弁に、教えられた事の意味を物語ってくれていた。
 土御門の陰陽師と夫婦の関係になり、二人が仲睦まじく寄り添う姿を何度も見てきた。だが紫蓬は魔人だ。少し前までは人間とは真っ向から敵対していた存在。いくら和平を結んだからと言って、全員が全員ソレをすぐに受け入れられる訳ではない。当然、紫蓬と土御門の間柄を快く思わない者も居る。
 彼らの嫌悪感は最初は紫蓬に。そして徐々に紫蓬をめとった土御門自身へと移っていった。
 紫蓬はそんな彼らの視線を感じると、土御門から身を離した。そしてこれ見よがし土御門に命令と苦言を浴びせた。
 自分が主導権を握っているように見せるために。まるで自分が強引に土御門を奪ったように見せるかけるために。他の者の悪意を自分だけに集中させるために。
 ――自分の事で土御門の立場を悪くするわけにはいかない。
 恐らく、紫蓬はそう考えたのだろう。いつも気丈で強気な紫蓬が、土御門をなじった後だけは泣き出しそうなほど寂しげな表情をしていた。
 時間を掛け、愛し合っている様を周りに見せつけて認めさせるという方法もあった。だが紫蓬はそうしなかった。それは土御門の事を自分の事のように想っていたため。土御門の痛みを自分の痛みのように感じていたため。今すぐにでも解放してやりたいと思っていたため。
 そして、そんな紫蓬の心遣いは土御門も十分に理解していた。だからこそ二人は一層濃密な関係となり、添い遂げ続けた。土御門が天寿を全うするまで。それ以来、紫蓬はどんな男にも興味を向けなかった。
 この先一生、土御門の事だけを愛し続けると決めたから。もう完全に、迷いは振り切っていたから。
 そんな紫蓬を見ながら育ったからこそ、牙燕は全く曲がる事なく、真っ直ぐに成長した。
 弱きを助け、悪を砕く。
 そんな幼稚な正義感を胸に抱いて大きくなった。
「牙燕」
 無骨な岩肌に身を預け、夜の出羽の街を見下ろしていた牙燕に篠岡から声が掛かった。
「分かってらぁ」
 短く返して牙燕は近くに居る宗崎にも視線を向ける。大きな一枚岩の間を流れる清水を挟んで、向こう側に座っていた宗崎は緊張した面もちで小さく頷いた。
 気温が一気に低下したかのような悪寒。まるで内臓が悲鳴を上げているかのように、気を抜けば体の内側から震えが来る。そして肌を貫き、神経を断ち切る鋭利な殺気。
 間違いない。コレは龍閃の波動だ。
 だが、感じるのは街の方向からではない。眠っていても知覚できるほどの露骨な殺意は、一直線に自分達の方へと近づいてくる。
「牙燕、魎を呼ぼ――」
 宗崎は言葉を最後まで言い切る事なく、その場から飛び退いた。
 直後、さっきまで宗崎の座っていた岩石が何の前触れもなく真っ二つに割れる。
「ほぅ、さすがは草壁の血を引きし者。かわしたか」
 低く野太い声。
 夜闇の静寂を切り裂き、ソイツは突然姿を現した。
「へっ! テメもー不意打ちたぁいい根性してるじゃねぇか! それともコソコソしねぇと勝てねぇのかよ!」
 背後に現れた緋色の長い髪を持つ巨躯――龍閃を挑発しながら、牙燕は後ろに跳んで距離を取る。
「何、貴様らが殺すに足る者共かどうか、少し確かめただけだ」
 月明かりだけが周りを照らす薄暗い岩場の地で、金色の双眸を炯々と輝かせながら龍閃は不敵に笑った。
(魎さんよ……! 出やがったぜ!)
 油断無く龍閃を睨み付けながら牙燕は自分の波動を乱す。
 どうして龍閃が街ではなく自分の達の所に直接現れたのか。どうして居る場所がこれ程正確に分かったのか。
 色々と分からない点は多いがこの際どうでもいい。少し順番が逆になっただけだ。コチラから出向く手間が省けたというもの。
 それより今は、魎に龍閃の事を知らせなければならない。そして『業滅結界』を発動して貰わなければ。今自分達がしなければならないのは、それまで時間稼ぎだ。
「どうした。掛かってこないのか。長い間、我の事を探していたのだろう?」
 口の端を邪悪に歪め、龍閃は蔑笑を浮かべる。
 挑発に乗っては駄目だ。今の状態ではまだ勝てるかどうか分からない。直感だが、魎の言うように何か力を隠している気がする。今は時間稼ぎに専念する。
「貴様、牙燕とかいったか。確か紫蓬と人間との間に出来た子だったな」
 牙燕の方にいやらしい視線を向けながら、龍閃はまとわりつくような言葉遣いで続けた。
「紫蓬、か……。紅月の日、一度だけ我も抱いた事がある。獣欲に任せてな。実につまらん躰だった」
 体の中を何か冷たい物が走った。
「魔人同士の交わり、という物を知っているか? 魔人の生命力は凄まじい。簡単には死なない。だから異端の嗜好を持つ者は行為自体に血が伴う。自分の欲望を満たすためだけに相手の肉を割き、骨を砕き、臓腑を掴み出す」
 無意識に目が大きく開かれる。恐怖から来る物とはまた別の震えが全身に伝播していった。
「貴様は想像できるか? 紅月の日、我がどのようになってしまうかを。今でも明確に覚えている。紫蓬が苦痛に悶え、悲鳴を上げ、許しを請う声が」
 握り締めた両の拳の皮膚が裂け、足下に血が滴る。
「危うく殺してしまうところだった。もう少し我を満足させられる躰であれば、あのような事にはならなかったのになぁ」
「喋んなクソが!」
 怒声を上げ、両目を紅に染め上げて牙燕は龍閃に殴りかかった。
 周りから音が消える、色が消える、匂いが消える。何も頭に入ってこない。もう全てがどうでも良く思えてる。
 龍閃を殺す事以外は。
「クク……この程度で我と戦おうというのか」
 牙燕が怒りにまかせて放った拳を片手で軽々と受け止め、龍閃は反対の手で牙燕の腹を下から突き上げる。
「ぅあ……!」
 内臓が急激に圧迫され、牙燕の体の厚みが一瞬半分ほどになった。喉の奥から込み上げてきた熱い塊を吐き出しながら、牙燕の巨体が宙を舞う。
「他愛のない」
 体を包む浮遊感。しかしすぐに真逆の方向へと引き寄せられ、牙燕は派手な音を立てて地面に叩き付けられた。そのまま全身の骨が軋んだ音を立てて、本来有り得ない方向に曲がっていく。
 そして骨が限界を訴えようとした時、牙燕の体は『騰蛇』の『重力砕』から解放された。
「立て牙燕!」
 篠岡の声が頭上から降ってくる。
「ふん、『青龍』の保持者か」
 顔を上げると、足下の岩を抉り取って巻き上げるほどの強烈な竜巻が龍閃の体を覆っていた。『青龍』の『無刃烈風』だ。龍閃の分厚い筋肉の鎧を切り裂き、鮮血を巻き込んで真上へと舞い上げている。
「だが所詮は人間よ」
 体を切り刻まれながらも、龍閃は余裕の笑みすら浮かべながら篠岡に手をかざした。次の瞬間、突然篠岡の体から大量の血が噴き出す。
「けっ……!」
 苛立たしげに叫んで、牙燕は『重力砕』で出来た穴から跳んで抜け出した。
 『白虎』の『断空爪』。最初に宗崎を襲った攻撃だ。飛距離を伸ばせばそれだけ威力は落ちるが、間の遮蔽物を無視して不可視の爪を突き立てられる。
 龍閃は強い。確かに強い。
 だが、こんな物では収まらない。自分の母親を侮辱した怒りは、龍閃の死を以てしか……!
「宗崎!」
 叫ぶと同時に牙燕は龍閃に向かって突進する。
「馬鹿の一つ覚えか」
 篠岡の負傷で、さっきまで龍閃を囲んでいた『無刃烈風』は消えてしまっている。丁度良い。あんな物があっては龍閃に近づけない。
 牙燕はその巨体に似合わない速さで龍閃に急迫し、一気に間合いを詰める。そして龍閃が何か力を使おうとするのを確認して、真横へと軌道を変えた。
 つまらない物を見るかのような龍閃の顔を横目に見ながら、牙燕は篠岡が倒れ込んでいる場所に着地する。直後、牙燕の背後に激しい落雷が舞い降りた。
「――!」
 龍閃の顔に緊張の色が浮かぶ。その二の腕からは鮮血が滴っていた。
(かわしやがった……)
 宗崎の『勾陣』が放った『天雷』。雷の光を得て神速で伸びた牙燕の『影』。その力の作用点からの一撃を龍閃はかわした。体を真っ二つに切り裂くつもりだった一撃を。
「宗崎ぃ!」
 牙燕の言葉に応えて立て続けに『天雷』が突き刺さる。しかし龍閃は『影』から伸びた黒い鎌を漆黒の盾――『獄閻』の『金剛盾』で弾きながら嬉しそうな笑みを浮かべた。
「ク、クク……。随分と冷静ではないか。貴様は冬摩と同じ種類かと思っていたがな。アイツなら、死ぬまで頭から突っ込んできていた」
「へっ! 残念だったな! オレっちはあの直情野郎とは違うんでぇ!」
 鼻を鳴らして叫びながら、牙燕は足下にいる篠岡に声を掛ける。小さな呻き声と共に、篠岡は体を起こし始めた。どうやら気を失っていただけらしい。出血は多いが動けないほどではない。コレならまだ力を使える。
「そぅか。ならどう違うのか、見せて貰おうか」
 どこか楽しそうに言いながら、龍閃はコチラに手をかざした。牙燕と篠岡は互いに反対の方向に跳び、『白虎』の『断空爪』から身を逃す。
 そう、自分は冬摩とは違う。簡単に割り切る事が出来る。すぐに迷いをなくせる。
 ――腹立たしいほどに。
「言われなくても見せてやらぁ!」
 横に大きく跳んだ牙燕の体から、剥がれ落ちるようにして全く同じ像がいくつも現出する。『紅蓮』の『分身』だ。さらに――
「使役式神『貴人』召来!」
 篠岡の喚び声に応えて、巨大なムササビのような形をした無色透明の液体が、中空に浮かび上がる。そして『貴人』の体から板状になった液体が何枚も生み出されたかと思うと、一瞬で固化して氷結と化した。
「行けぇ!」
 そこに『勾陣』からの『天雷』が飛来する。目を灼く圧倒的な光量を内包した閃光。
 その強靱な光は『貴人』の生み出した氷の鏡で乱反射し、『分身』した牙燕の『影』を無数に作り出す。
「ほぅ……」
 四方八方から襲いかかる牙燕の『影』からの鎌を『金剛盾』で受けながら、龍閃は感嘆の声を上げた。
「いつまで余裕面してやがんでぇ!」
 連続的に落ちる『天雷』、ソレを増幅させる『貴人』の鏡、そして沢山の『分身』一人一人が乱反射した光と同じ数の『影』を有する。一瞬ではあるが、最終的に顕現される力の作用点の数は百を悠に超える。
「確かに、少々厄介だな」
 『金剛盾』とはいえ万能ではない。防御範囲を広げればそれだけ硬度が落ちる。かといって小さくし過ぎると牙燕の攻撃を防ぎきれない。
「使役神鬼『天冥』召来」
 低い龍閃の声と共に、三本の尻尾を持った銀毛の猫が具現化した。その碧色の瞳が朧な輝きを帯びたかと思った瞬間、『貴人』の鏡は石と化す。『貴人』も『石化』に抵抗し、内側から氷の刃を突き立てるが又すぐに石になってしまう。
 氷と石の状態の反復を繰り返す『貴人』。『石化』はしないものの、完全に鏡は封じられしまった。
「次は」
 龍閃が金色の双眸を宗崎の方に向ける。宗崎は立て続けに放たれる『断空爪』を後ろに跳んで避けながら、『天雷』を放ち続けた。龍閃の周りの岩を砕きながら突き刺さる雷光は牙燕の『影』を生み出し、その『影』から漆黒の鎌が這い出て龍閃の胸元を狙う。
 鏡は無くなってしまったが『分身』がある事には変わりない。力の作用点は減りはしたが無くなってしまったわけではない。そして確かに『貴人』は封じられはしたが、逆を返せば『天冥』を封じたという事だ。
 ――そう、準備は整った。
「篠岡ぁ!」
 牙燕の叫び声と同時に『青龍』の『無刃烈風』が撒き上がる。
 自分の『分身』と龍閃を凶風の目の中に取り込んで。さらに続けて舞い降りる一層強烈な『天雷』。爆音と共に出現した鮮烈な光源は、『無刃烈風』が岩と一緒に巻き上げた水の鏡に反射されて、牙燕の『影』を無数に浮かび上がらせた。
 『天雷』はただ単に光を生み出すだけの道具ではない。この岩場に流れる清水の通り道を拡大し、自分や龍閃の周りに大量の水を敷くための手段でもある。『貴人』が封じられたのなら別の水源を探せばいいだけのことだ。
 そして今、『天冥』は封じられている。この水の鏡は『石化』できない。
「死ねやぁ!」
 自分の周りを丸く囲む円筒鏡からの光を受け、牙燕は雄叫びを上げた。二百近い『影』から生み出された闇の鎌は、不規則な動きを取って一斉に龍閃へと牙を剥く。
「使役神鬼『騰蛇』召来」
 喚び声に応え、冗談じみた大きさを誇る白蛇が龍閃を庇うようにとぐろを巻いて現出した。『影』からの刃は全て『騰蛇』の巨体に呑み込まれて勢いを無くす。
「今の我に二体もの具現体を使わせるとはな」
 『騰蛇』の中心で口元を歪めながら、龍閃は独り言のように言った。
「やはり、鬱陶しいのはその光か」
 龍閃の金色の目が宗崎を射抜く。次の瞬間、『騰蛇』が飛んだ。とぐろを一気に解き放ち、自分の体をばねのようにして『無刃烈風』の外側に飛び出る。風の刃で切り刻まれながらも全く勢いを殺す事なく、岩場を抉りながら宗崎の方に急迫した。
「ちっ!」
 後ろで宗崎が舌打ちするのが聞こえる。
「死ね」
 更に龍閃の手から放たれる『断空爪』。そして『貴人』と睨み合っていた『天冥』までもが、宗崎の退路を断たんと碧色の目をソチラに向けた。
 宗崎の『天雷』からの光を無くせば『影』は生まれない。どれだけ鏡があろうと『分身』が居ようと、力の作用点を無くした牙燕は無力。
 そう考えたのだろう。
 しかし――甘い。光源は『天雷』だけではない。
 闇を切り取って頭上に浮かぶ月。確かに、太陽の光を反射するだけの夜の従者の力は弱い。この月光をそのまま受けたからと言っても濃い『影』は生まれない。力ある作用点は生み出せない。
 だが――
「テメェが死ね!」
 集めれば別だ。『天冥』から解放された『貴人』の鏡を宙に浮かせ、散乱している月光をこの戦場に集めれば『影』は濃くなる。力の作用点は強くなる。
 龍閃の前から、横手から、背後から、一つではあるが濃密な『影』を伴った『分身』が同時に跳びかかった。
「所詮は児戯よ」
「コレでもかよ!」
 更に、『影』の上に『幻影』が生まれる。
 龍閃に覆い被さるようにして突進した『幻影』の背中を貫き、『影』から伸びだ鎌が空間を切り裂いた。一撃目を『金剛盾』で受けるが、すぐに後ろから別の鎌が飛んでくる。そして鎌の斬撃に混じり、『幻影』と『分身』が拳撃を仕掛けた。
 『幻影』に物理的な力はないが『分身』との外見的な差は全くない。
 『幻影』の攻撃に見せかけて『分身』からの鎌。『分身』の拳撃に見せかけて『幻影』の体当たり。そして『幻影』だけの仕掛けによる視覚の攪乱。
 月光を集めたとはいえ雷の強烈な光にはほど遠いが、持続して『影』を生み出せる。『幻影』の力を最大限に引き出せる。
「終わりだなぁ! 龍閃よぉ!」
 龍閃は『天冥』や『騰蛇』を戻す事もせず、『分身』と『幻影』の波状攻撃に翻弄されている。それにもし戻したとしても今度は宗崎が解放される。また『天雷』の光で攻撃を仕掛ければいいだけの事だ。
「フ……」
 不敵な笑みを浮かべながら振り回した腕が、偶然『分身』に当たる。『分身』は大きく後ろに跳ばされ、分厚い岩盤へと叩き付けられた。だが大した事はない。例え『分身』の一つが死のうと、数多くあるうちの一つだ。牙燕自身にとっては小さな傷でしかない。
 龍閃の後ろから別の『分身』の鎌が伸び、腕を切り裂いた。そして体が少し崩れたところに、三人の拳撃が迫る。龍閃は腕を横に振るうが、当たったのは『幻影』。『分身』の拳は見事に龍閃の腹を捕らえた。
 このまま行けば勝てる。時間は掛かるかも知れないが、確実に龍閃を死へと追いやっている。
 魎の到着を待たずして、最強の魔人、龍閃を討ち取る事が出来る。
(ワリィな、冬摩さんよぉ……)
 冬摩も自分の手で龍閃を殺したいだろう。だが、ソレは牙燕も同じだ。
 牙燕も龍閃に大切な人を殺された。いや、自分が殺さざるを得ない状況に追い込まれた。
 自分によく懐いてくれていた葛城家の初代当主。その何代目かの子孫。保持神鬼を次の世代に受け渡した後、冬摩達が不在の時に彼は龍閃の召鬼となった。そして自分達の敵となった。
 召鬼となった者を解放するには術者が束縛を解くか、殺すかしかない。そして龍閃に召鬼化を解かせるには召鬼となった者を追いつめるしかない。龍閃が自分の居場所を知られたくないと思わせるしかない。
 だが保持者ではなくなったとはいえ、葛城の血を引く陰陽師。そんな人間が龍閃の召鬼となり、力を付けた。魎も紫蓬も冬摩も居ない状況で、手加減したまま彼を追い込むのは難しかった。
 手を抜けばコチラが殺される。そして殺されれば相手に使役神鬼を与える事になる。最悪の事態に陥る。
 殺さなければならない。
 だが殺せない。
 子孫なだけあって酷似している。自分の事を兄と慕ってくれた葛城の初代と。どんな嫌な事をも忘れさせてくれたあの笑顔。あの輝かしい容貌を憎いくらいに想起させる。
 しかし――殺さなければ。死をもってしか彼は解放されない。本意ではない行動を無理矢理取らされ、苦しみ続けなければならない。
 やらなければならない。彼の事を本当に想うのであれば。

『人の痛みの分かる男になれ。自分の決めた事は貫き通せ。一度決めたら一切の迷いを捨てよ』

 一晩中迷った後、答えは明確な物となって告げられた。
 牙燕は誰もが嫌がる役目を自ら引き受け、そして殺した。
 もう迷いはなかった。そう教えられてきたから。そうする事が正しいのだと思ってしまったから。
 冷徹だ非情だ無神経だと自分を罵る事もなかった。あっけなく吹っ切ってしまったから。
 ――憎たらしいほどに。
 だから羨ましかった。冬摩の事が。
 もし未琴を龍閃の召鬼にされたらどうするのか。
 四百年前、若狭まで一緒に呪針を埋めに行った時、そう聞いた後の冬摩の反応を見て牙燕は羨望の眼差しを一層強くした。
 自分とは違い冬摩は未琴の事を、大切な人の事を想い続けている。失った時と変わらぬまま、いやそれ以上に。
 妬ましかった。 
 大切な物をいつまでも自分の中に留めておく事の出来る冬摩が。苦しみ、悩み、葛藤しつつも、全く色褪せさせないまま心にしまっておける冬摩が心底妬ましかった。
 あの時の冬摩の拳には嫌と言うほどの迷いが乗っていた。自分はソレを断ち切ろうと躍起になっていた。
 冬摩を思うが故にではなく、羨むが故に。
 牙燕は冬摩と拳を交わす事で紫蓬からは教わらなかった事を学んだ。
 ソレは例え心に迷いがあろうとも強い力を発揮できるという事。むしろその迷いこそが冬摩の強さの源になっているのだという事を。もがき、抗い、抜け出そうとする思いが強さに繋がるという事を。
 それ以来、牙燕にとって冬摩は自分が目指すべき目標となった。
 羨みと妬みは、尊敬と憧れに転化した。
 自分も冬摩のようになりたいと思った。大切な物をいつまでも抱き続け、迷いと不安を抱えながらも勇気を持って前に踏み出していく。そんな力強い存在になりたいと願った。だが――
「クソ……!」
 肩で荒く息をしながら牙燕は龍閃を睨み付けた。
「どうした? もうお終いか?」
 背後からの漆黒の鎌を『金剛盾』で受け止め、龍閃は余裕の笑みを浮かべる。続けて左から拳撃を繰り出して来た『分身』の胸元に腕を埋め込み、核を握りつぶして葬り去った。
 効いていない。冬摩との闘いを思い出し、溢れんばかりの『情熱』を乗せて『影』からの一撃を打ち出しているのに、篠岡から『無刃烈風』の援護もあるのに、龍閃に傷らしい傷を負わせられない。
 いや違う。そうではない。異常なのだ。龍閃の回復能力が。
 鎌や風の刃で肉を抉られ、出血した瞬間から再生が始まっている。最初の頃に付けた傷など跡形もなくなっている。
 何故。今夜はまだ紅月ではないのに。
「息が上がってるぞ。『騰蛇』と『天冥』を戻して、あの雷使いの力を使わせてやろうか?」
「フザッ――けんな!」
 二体の『分身』の動きに合わせ、牙燕は咆吼を上げて跳ぶ。
 二体。あれだけ居た『分身』が、もうたった二体しか居なくなってしまった。
 龍閃は『幻影』に惑わされていた。何回も空振りをしていた。しかし『分身』に当たる事もあった。そして少しずつではあるが確実に減らされていった。そのたびに新たな『分身』を増やした。
「弱いな」
 『分身』の『影』が放った鎌を素手で受け止め、龍閃は短く言う。
 『分身』はその数を増せば増すほど、個々の力は弱くなっていく。今の『分身』の、そして牙燕自身の力は、この闘いを始めた時とは比べ物にならないほど弱くなっている。
(化け物が……!)
 誤算だった。まさかこれ程までに力の差があるとは思わなかった。こんな戦法とすら呼べない単純極まりない作業で自分の力が撃ち破られるとは思ってもみなかった。
 しかし、時間稼ぎは出来たはずだ。
「へっ! テメーなんざ魎の大将が来ればイチコロよ!」
 もういつ魎が現れてもおかしくない。魎が来て『業滅結界』を発動してくれれば戦況は一気に逆転する。魎さえ来てくれれば。
「クク……。魎、か。めでたい奴だ」
 『分身』の一人を『幻影』ごと貫き、龍閃は喉を震わせて低く笑う。
「貴様、おかしいと思わないのか? 何故、我は貴様らを難なく見つけられた? 何故、『影』を封じる夜を選ぶ事が出来た? そもそも、何故貴様らは離れた場所に戦力を分散させている? 三に分けるにしても、もう少し固まった方が良いのではないのか?」
「な――」
 龍閃の言葉に牙燕は驚愕に目を見開いた。
 どうして知っている。コチラが戦力を三つに分けている事を。それらが離れている事を。
「さぁ、一人になったな」
 最後の『分身』の頭を砕き、龍閃は金色の双眸を悦楽に染め上げた。
「クソ……!」
 今は考えている時でない。何とかしてこの状況を脱しなければ。
「篠岡! 宗崎! 引くぞ!」
 逃げる。このままでは殺される。そして龍閃に力を与えてしまう。他の者の負担になる。それだけは駄目だ。それだけは何かとして避けなければならない。
 しかし二人の声は返ってこない。そして突然、自分を照らしていた濃い月光がなくなる。
「二人には眠って貰った」
 代わりに後ろから声が聞こえた。
 良く知った、待ちに待ち焦がれた声が。
「魎……!」
 叫びながら振り向くと、目の前には紫色の燐光を放つ臓腑が差し出されていた。
 核だ。魔人の心臓部。だが、誰の……。
「悪いな、牙燕」
「テ、メェ……」
 魎の手にある核と、暗い穴の開いた自分の胸部を見比べる。
 膝が落ちる。意識が茫漠とした物になり、悪寒を伴う虚脱感が全身を支配した。
「魎、期待外れだ。これならば昼間でも良かった」
「ああ、それはスマンな。だが次はきっと満足できると思うぞ?」
 遠くの方から魎と龍閃のやり取りが聞こえる。
「まぁ良い。最後にこの雑魚がみせた絶望の表情、実に心地よかった。力のない者はないなりに我の悦ばせ方を心得ている」
 嘲り、罵るような龍閃の声。
(力、が……ない……だと……)
 ――結局、自分は冬摩のようにはなれなかった。いつまでも心に残しておく事は出来なかった。大切な者の死を悲しむのは一時的なもので、ほんの僅かな迷いや苦しみを感じてすぐに吹っ切ってしまう。そして一度切り替えてしまうと、本当に頭から無くなってしまう。そしてまた同じ悲しみを味わう事になる。
 学習しない。過去の苦悩を活かせない。だから成長しない、強くならない。肉体的にも、精神的にも。
 あれから何人もの肉親の死を見てきた。寿命で死ぬ者も居た、戦いの中で死んでいく者も居た。彼らを失った悲しみを乗り越え、吹っ切り、空っぽになったところにまた同じ悲しみが降りかかる。
 全く変わる事なく、いつまでも繰り返される苦しみの牢獄。
 ココから解放されるには――
(あん時、殺しちまって……悪かったな……。今オレも……そっちに逝くからよ……)
 冷たい岩肌に体を横たえ、牙燕は静かに目を閉じた。

◆母から子へ ―紫蓬―◆
 牙燕は紫蓬にとって初めての子供だった。牙燕を生むまで千年以上生きてきたが、一度たりとも身籠もった事など無かった。それは深層心理下での拒絶、恐怖の記憶に対する精神の拒否反応。
 龍閃によって凄惨極まりない手法で純血を散らされた紫蓬は、他人との交わりに対して過剰なまでの抵抗感と汚物感を覚えていた。
 だが、子供を授かった。人間との間に、自分の血を濃く宿す立派な息子を天から譲り受けた。
 紫蓬にとって、牙燕は過去の悪夢を断ち切った事への象徴であり、自分の分身であり、未来への希望でもあった。
 牙燕が真っ直ぐに成長していく様子を見ているだけで紫蓬の心は満たされた。
 ――出来の悪い息子ほど可愛いとはよく言ったモノだ。
 魎にからかわれ、冬摩との喧嘩に負け、あらゆる作戦で失態を犯す牙燕を遠くから見ながら、紫蓬は自分の中で日に日に大きくなっていく母性を噛み締めていた。
 どんなに牙燕が傷付いても、落ち込んでも、直接優しい言葉を掛ける事はなかったが、いつもそばに居て正しいと思った道を示し続けてきた。そして牙燕は自分の行動からその事を読み取り、己の中で咀嚼し、精神の血肉と成してくれた。
 親子だからなのか、魔人の血を濃く引いているからなのか、紫蓬と牙燕は心で繋がり合っていた。互いにその事を実感できていた。
 だからこそ分かった。牙燕の限界が。
 魔人としての強さの。内面の完成度の。そしてソレが、精神的に成長しきってしまった事に起因しているのだという事が。
 だがソレは龍閃も魎も、そして紫蓬自身も同じだ。もう自分の中で、あらゆる物に対する答えがすでに出てしまっている。
 その点、冬摩はまだ伸びる余地を多分に残している。今残っている魔人の中では、間違いなく最も未知の力を宿している。
 いつまで経っても精神的に完成しない。一見、弱さとも取れるその一面が冬摩の最大の強さだ。魔人の強靱さと、人間の優しさを併せ持つ。ソレが荒神冬摩の最強の武器。
 冬摩はこれからもまだまだ強くなる。魔人としても。人間としても。
 だが、紫蓬にとっては冬摩の成長よりも、牙燕の何気ない日常を眺めている方が楽しい。いくら将来有望だとはいえ、他人である事に変わりはない。
 それよりも牙燕の事を、自分の息子の事を見守っていたい。
 自分は魔人としては完成されているが、母としてはまだまだ未熟だ。そういう意味では自分も成長の余地を残している。そして牙燕も自分の子供として、これからも色んな物に影響を受けて、数多くの幸せな経験をして欲しい。
 そう、心から切に願う。
 もしこの戦いが無事終わり、二人とも生き残る事ができれば、その時は――
(……出おったな)
 突然、背後に立ち上った凶悪な殺気に紫蓬は茂みの中で身を低くした。
 ココは富士の街を一望できる山林の中。遠くの方で茜色に染まった朝日が柔らかくも力強い光を放ち、山の稜線を鮮明に浮かび上がらせている。
「紫蓬、素直に出てきた方が良い。無抵抗のまま死なれるのは我としても本意ではない」
 まるで耳元で囁かれたかのように、低い声が黒い矢となって紫蓬の鼓膜を貫いた。
 すでに自分が潜んでいる事は見抜かれていた。だから街に行く前に邪魔者を消すため、ココに来た? それとも――
「久しりぶりぞ、龍閃。隠密活動に徹していたヌシがどういう風の吹き回しか。街で何ぞ美味そうな肉でも見つけたか?」
 紫蓬はからかうような口調で言いながら、口の端を高くつり上げる。
 見抜かれているのは自分一人だけか? 他の二人にはまだ気付いていない? いや、龍閃ほどの者が気付いていないわけがない。今は演技をしているだけだ。
「クク……まるで魎のような口振りだな」
 喉で低く笑いながら、龍閃は金色の双眸を細める。
「長い間付き合っていれば自ずと似る部分も出てくる」
「貴様も魎が来るまでの時間稼ぎをするつもりか?」
 このやり取りを楽しんでいるかのような顔付きで言いなから、龍閃は太い腕を軽く広げた。それだけで近くにいた小動物達がざわめき、逃げ出していく。
「貴様、『も』……?」
 龍閃の言葉に違和感を感じ、紫蓬は柳眉を潜めて聞き返した。
 どういう事だ。まるで自分の他にも同じような事をした者が居たような口振りではないか。
「牙燕は死んだぞ。魎の手でな」
 コチラの反応を窺うようにして言う龍閃。目を好奇に輝かせ、厭らしい笑みを口に張り付かせている。
「そうか」
 しかし紫蓬は動じる事なく、冷淡な口調で短く返した。
「ほぅ、驚かんのか。味方の裏切りと息子の死で動転するかと思っていたが」
「ヌシの言葉など信じるに値しない。それに今更何が起こっても驚きはせん。百が百一になったところで大差ない」
 人間と和平を結んでから八百年。もうすでに一生分の驚愕を体験したと思っている。
 自分が人間などに身も心も許してしまった事に始まり、龍閃の凶行、冬摩の秘めた力、牙燕への想い、そして最後になるまで真意が掴めない魎の作戦の数々。
 龍閃の都市破壊の仕方もそうだ。魎が得意げに予想していたが、あんな決められた法則に則った単純な行動をするのはおかしい。龍閃という男はもっと小賢しくて狡猾だったはずだ。破壊都市の位置が六芒星になっている事は分からなかったが、それ以外の点は魎に言われるまでもなく気付いていた。
 そして、その単純な行動をそのまま読み、先手を打つ魎もおかしい。自分ですら龍閃の行動は妙だと感じているのに、魎が違和感を覚えないはずがないのだ。
 魎の疑わしい点は星の数ほどある。だが、今は信じるしかない。何か裏の思いがあるのだという事を。律儀にも自分の願いを叶えてくれた魎の事を。
「なるほど。肝が据わっている。確かに少しは楽しめそうだ。牙燕は我を一歩も動かす事なく死んだ。貴様はどうかな?」
 野太い声で言いながら、龍閃は片手で複雑な印を組んで前に突き出す。
「使役式神『白虎』召来」
 龍閃の喚び声に応え、純白の獣毛と黄金の双眸、そして奇怪な屈折率を持つ透明の爪を有した巨大な虎が具現化した。
「舐めるな」
 殺気を乗せて短く言い、紫蓬は重心を低くして真っ正面から龍閃に疾駆した。両腕を広げて爪を立て、紫蓬はコチラに跳びかかってくる『白虎』を迎え撃つ。
 中空で交錯する白と桃の影。残像すら生じるほどの速さで互いにぶつかり合い、押し負けたのは『白虎』の方だった。
「ワシに力が無いと思うてか」
 崩れた体勢からさらに振り下ろしてきた『白虎』の爪を手の甲ではじき返し、紫蓬は針のように逆立った獣毛の覆う喉元に腕を埋め込んだ。耳元で木霊する『白虎』の絶吼。
 大気を激震させ、周囲の枝葉を刈り取るほどの物理的な衝撃を発し、『白虎』は大きく仰け反った。そしてがら空きになった腹に飛び移り、紫蓬は『歯』を深く突き立てる。
「不味い」
 吐き捨てるように言ったその一言が、まるで無へと帰す法術にでもなったかのように『白虎』を白い燐光へと変えた。
「ほぅ」
 前から龍閃の感嘆の声が聞こえてくる。
「貴様が力技など珍しいではないか」
「ワシの全てを知ったふうな口を叩くな」
 大地を蹴り、紫蓬は爪を構えて更に加速した。今まで悠然と立ちつくしていた龍閃が腰を落とし、初めて迎え撃つ姿勢をとる。
「試してやろう」
 大きな手をコチラに伸ばし、龍閃は緋色の爪を横薙ぎに振るった。
「馬鹿な事を」
 侮蔑の笑みを浮かべ、紫蓬は殆ど最高速にまで達していた自分の体を、土に腕を突き立て一瞬で止める。続けて地面を力強く脚で押し返し、龍閃から一気に距離を取った。
 龍閃の爪が空を切った直後、その巨体を爆炎の塊が呑み込む。
 岩代の保持する『朱雀』の能力『火焔』。何もないところに突然現れた炎の暴君は、樹を焼き、土を焦がし、天を突いて灼熱の咆吼を上げた。
「正面だ紫蓬!」
 横手から聞こえた嶋比良の声に、紫蓬は仰向けになって地面へと身を沈ませる。さっきまで自分の頭があった位置を、灼熱の卵から抜け出し、炎を纏った龍閃の拳撃が通り過ぎた。そのまま勢いは殺される事なく、龍閃の体は虚しく宙を泳ぐ。
「惜しい」
 嘲笑を浮かべて言いながら、紫蓬は龍閃の金色の双眸を狙って爪を繰り出す。龍閃は反射的に首をひねるが完全にはかわしきれず、紫蓬の爪が頬の肉を抉り取った。だが――
「終わりだな」
 地面に手を付いて体が流れるのを止め、龍閃は不気味な笑みを浮かべる。
 紫蓬は今、大地に背中を付けている。そこに覆い被さるようにして体を固定させた龍閃。もう逃げられない。
 ――紫蓬一人ならば。
 横から伸びてきた腕が紫蓬の体を抱き上げる。重力が真横に移行したかのような錯覚。視界の景色が一瞬ぶれて消え失せた。
 気が付くと、紫蓬は龍閃からかなり離れた木の枝に飛び移っていた。
「礼を言う」
 岩代の腕から離れて地面へと降り、紫蓬は龍閃を睨み付ける。
 『朱雀』のもう一つの能力『瞬足』。ソレによって紫蓬は危機を脱した。計算通りに。
 龍閃の力の作用点は『全身』だが、数自体は一つしかない。魎のように二つの作用点を持っているわけではない。だから一度に一つの力しか発揮できない。
 一番最初の囮作戦の時。龍閃の背中に噛み付いた自分を叩き落とすため、冬摩への『重力砕』を解いたのが何よりの証拠だ。
 ならば勝機はそこに見出せる。
 コチラは三人。力の作用点は三つ。紫蓬が“牙”、岩代が“脚”、嶋比良が“眼”としての機能を果たす事で龍閃を上回る事が出来るはずだ。
「少々、貴様を見くびっていたようだ」
 『餓鬼王』の『大喰い』で深く穿った穴の下からコチラを見上げながら、龍閃は自分の頬から滴り落ちる血を舐め取る。
「強気を装いつつも、常に我に怯えていた貴様はもう居ないというわけか」
「そういうヌシは変わらぬな。そうやって言葉で嬲って相手の動揺を誘おうというのか。無駄ぞ」
「クク……確かに。貴様はそうかも知れぬな」
 自分の背後の木の上に居る岩代、そして遠くの茂みから様子を窺っている嶋比良に一度ずつ目を向け、龍閃はわざとらしい口調で説明するように続けた。
「だが他の二人はどうだ? 我がココに現れ、貴様らの作戦を見抜いていたという事はどう説明する? 我が魎と結託していると考えるのが自然ではないのか? 魎は魔人。我の元に付き従うのが本来の姿。思い出してみろ。今まで魎の行動に不審な点はなかったか? 果たして、魎は貴様らが信頼するに足る男なのか?」
 耳朶を腐敗させ、脳髄にまで浸食の手を這わす不快な声。
「戯れ言ぞ。耳を傾けるな」
「一つ、約束をしてやろう。今すぐに我に傾け。そうすれば命を保証するだけではなく、かつて無い力を与えてやろう」
 どこか諭すように紡がれる甘い言葉。まるで二人の迷いを増幅させるかのように、龍閃は紫蓬の声に言葉を被せた。
 本当にこの男は変わっていない。絶大な力を持っていながら最初から全力で戦う事はなく、同士討ちや裏切りといった胸の悪くなるような状況を作り出したがる。そしてソレを心底楽しむ。自分自身の『悦び』に繋げるために。より圧倒的な力を保有するために。
 自分はもう二千年近く魎と付き合っているが、他の二人はせいぜい十数年。生死を分かつ緊迫した雰囲気下で不可解な事実を押しつけられ、それでもなお魎を信じるのは難しいかも知れない。
 だが二人を説得している時間などない。岩代と嶋比良の二人がどのような結論を出そうと、このまま龍閃に喋らせるのは得策ではない。調子づかせるだけだ。
「ヌシ達がどう判断しようとワシは責める気はない。好きなようにせよ」
 龍閃からは目を逸らす事なく紫蓬は言い残し、眼下に広がる深い穴の中心に向かって跳躍した。
「ふん見限ったか。実に良い事だ」
 悦を孕んだ龍閃の声。迷いの生じてしまった二人を自分が見捨てたと思っているらしい。全く――
(『哀れ』なヤツぞ……)
 自分と同じく、人との間に子をもうけた龍閃。
 紫蓬は変わった。励まされた。救われた。そして大切な存在がいくつも出来た。ソレを護ろうとする新たな自分の一面を垣間見る事が出来た。二千近い齢を重ねているにも関わらず、土御門と共に過ごしたほんの十年余りの歳月は未だに輝きを失っていない。それどころか年経る事に一層強く輝いてくる。
 彼と過ごした時間は自分にとって掛け替えのない宝物。
 だが、龍閃は昔と全く変わっていない。紗羅と一緒に居た時間はまるで最初から無かったかの如く、獣欲の命じるまま本能に押されるまま、誰かの血肉と死を求め続ける。
 『哀れ』だ。
 実に『哀れ』だ。
 そしてソレは自分にも言える。こんな下衆に従い、怯えていた時期の持つ自分自身にも。
「ワシが引導を渡してくれる!」
 咆吼し、紫蓬は龍閃へと肉薄した。
「調子に乗るなよ」
 一瞬で横手へと回った紫蓬に油断なく目を向けながら、龍閃は低い声で言う。奇麗な球体に抉れた穴の形状を利用し、紫蓬は立体的な角度を付けて龍閃の周りを跳び続けながら、際限なく加速していった。
 左から後ろへ。後ろから上へ。そして上から正面と見せかけて、再び背後へと回る。
「そこか」
 気配でコチラの動きを読み、背中から『大喰い』を放つ龍閃。だが力が顕現するよりも、勢いに乗った紫蓬の方が僅かに速い。
 数百分の一秒の差で紫蓬は『大喰い』を越え、龍閃の背後を取る。そして『歯』を立てて肉を抉り、次の反撃が来る前に飛び退いた。
 『大喰い』によってまた周囲の地形が変わる。そして紫蓬の跳ぶ角度が更に多彩なモノになり、龍閃の視界を大きく攪乱した。
 紫蓬は憐憫の視線を龍閃に送りながら、次々と『歯』で龍閃の躰を削り取っていく。そしてそのたびに、龍閃の動きが鈍くなっていった。
 『虹孔雀』の『超知覚』。その力で少しずつではあるが龍閃の知覚度を下げている。このまま続ければいずれは動けなくなる。
(龍閃、いつまでもヌシの持つ力が最強などとは思うな)
 口に入った龍閃の不味い肉を吐き出しながら、紫蓬は加速を続けた。
 確かに龍閃は強い。最強の魔人と謳われていただけの事はある。かつては自分もその力によって絶大な恐怖を植え付けられ、従属し続けていた。
 ――龍閃に逆らってはいけない。
 いつの間にかソレが絶対的な真理のように心に根を張り、紫蓬を縛りつけていた。その思いはすぐに『龍閃の役に立たなければならない』という恭順に変換され、紫蓬は人間を狩り続けた。そして多くの使役神鬼を手に入れた。
 龍閃が人間と和平を結ぼうと言い出した時もすぐに意図を汲み取り、より強い子孫を残そうと土御門の当主に近づいた。
 そう、彼の元に行った最初の理由はそれだった。愛情などとほど遠い、ただ単に利用するためだけの冷めた思い。子を作り、彼の使役神鬼を魔人の血を濃く引く者に受け継がせる事だけを考えていた。
 何度目かの契りを交わし終えた後、床の中で御簾越しに月を見ながら土御門が言った。

『お前さんは、ほんに不思議なおなごよのぅ。特に何をするでもなく、私の心を掴んでおる』

 それを聞いて紫蓬は実に簡単だと思った。魎の言ったとおり、人間の男は女に言い寄られる事に慣れていない。躰を差し出せば、気持ちなど後からいくらでも付いてくるものなのだと。
 だが――

『私は、自分が恥ずかしい。正直言うとな、私の目当てはお前さんの持っとる神鬼だったんじゃよ。お前さん使役神鬼を私の子供に受け継がせようと思っておった。いつか、この和平が破棄された時に備えてな』
 
 その言葉を聞いて紫蓬の甘い考えは一気に吹き飛んだ。
 全く同じだった。自分の考えと。そして戦慄した。この男があまりに的確に先を読んでいた事に。 
『ま、お前さんも似たような事考えて私に近づいたんだろぅなぁ。けどなぁ、お前さんが誰かに脅されて私のような老人と望まぬ行為をしていると思うと哀れでなぁ。まぁ、どこの誰にそんな酷い事をされたのかは知らんが、取り合えず今ふと頭に思い浮かんだところで、仮に龍閃とでも呼ぶとすると、なんとなくソイツからお前さんを護ってやりたくなってなぁ』

 片手で足りるほどの月数しか共に過ごしていないのに、土御門は紫蓬の根幹の部分を見抜いていた。寒気すら覚えるほど正確に。
 だが、その時はまだ彼の事を見下していた。やはり利用するための道具としか見ていなかった。
 護る? 自分を?
 馬鹿馬鹿しい。人間に身を預けるほど落ちぶれてはいない。自分より身体能力の劣る者に寄りかかるなど愚の骨頂だ。
 心ではそう思いながらも、紫蓬は土御門に話を合わせて夜を共にし続けた。彼から使役神鬼を奪い取るために。
 ある日の夜、魎から頼まれ事を受けた。
 それは帝の側室として、一夜限りの相手をして欲しいというもの。そうしてくれれば大量の食料を約束すると。
 紫蓬はソレを二つ返事で受けた。別に何と言う事はない。権力者のくだらない遊びに少し付き合ってやれば良いだけだ。たったそれだけで有り余る自分の食欲を満たす事が出来る。
 そんな軽い気持ちで引き受けた。
 だが、何故か自分の体は帝を拒絶した。共に寝るどころか、触れられる事にすら果てしない嫌悪感を感じた。
 ――まだあの悪夢から逃れられていないのか。
 龍閃からの凶悪な獣欲を受けて以来、紫蓬は種族を問わず男という物を拒絶し続けた。あの時の恐怖が時間と共に薄れ、辛うじて乗り越えた気で居られるようになるまで何百年も要した。
 しかし下衆な男の醜態を見て、忘れていたはずの悪夢が蘇ってしまった。
 そう思っていた。それ以外に考えられなかった。
 そして帝に抱いた感情を意識しすぎたせいか、その日から他の男に近寄られる事に対しても違和感を覚えるようになった。

『ほぅほぅ。また笑ったのぅ。最近、お前さんの笑顔をよーっく見れるようになって私は幸せじゃわぃ』

 しかし、土御門は別だった。
 あの男だけはそばに居ても、触れられても、同じ寝床に入っても、全く抵抗がなかった。それどころか、自分の方から彼の存在を求める事すらあった。
 ――コレは土御門の気を惹き、確実に使役神鬼を奪い取るための演技だ。
 自分の中に生まれたかつてない感情を、紫蓬は無理矢理そう言い聞かせて納得した。

『今までは魔人との戦いで忙しすぎたのぅ。おかけで子作りも出来なんだ。式神は若い世代に託した方がええ。私はもう年だ。ゆっくり茶でも飲んでいる方が似合う』

 早く自分の子供を見てみたい。魔人寄りでも人間寄りでも構わない。紫蓬と一緒に過ごした事への証を早くこの胸に抱きたい。
 土御門は毎日、口癖のように言っていた。
 そしてこの平和な日々がいつまでも続きますようにと願っていた。
 和平の破棄。ソレを最初から見越していた男の言葉とはとても思えなかった。

『もし仮にお前さんがまた敵になったとしても、私は何もせんよ。お前さんの事を心底気に入ってしまったからのぅ。こんな老いぼれの命でよければお前さんに捧げるよ。体を動かすのはもぅ疲れたしのぅ』

 朗らかに笑いながら冗談めかして言う土御門に、紫蓬は切なさに似た胸の痛みを感じた。
 ――この男の敵にはなりたくない。
 意識せず、頭の中でその言葉が呟かれた。
 何故。土御門が陰陽師として優れているから?
 ――違う。
 土御門が自分の敵にはなりえないほど弱い力しか持っていないから?
 ――違う。
 まだ土御門の保持神鬼を宿した子供を作っていないから?
 ――違う。そうではない。
 殺したくないから。生きて欲しいから。そして自分と一緒に居て欲しいから。
 思えば自分の事を気遣い、優しく接し、護りたいとまで言ってくれたのは土御門が初めてだったのかも知れない。千年以上という気の遠くなる時間の殆どを戦いと緊張へと費やしていた紫蓬にとって、初めて安らぎの時を与えてくれた人物だったのかも知れない。
 いつしか紫蓬は、土御門に安住の地を求めるようになっていた。
 彼と一緒に居れば落ちつく。彼と一緒に居れば大丈夫。彼と一緒に居れば安心できる。
 そんな事はもっと前から分かっていた。だが素直に受け入れられなかった。帝に触れられたくなかったのも、土御門に操を立てていたからだ。あの時から分かっていた。だが認めたくはなかった。
 彼の事を気に入っているなどとは。心を許しているなどとは。
 彼に護って貰いたい。そして彼を護ったやりたい。
 自分の本音と向き合い、紫蓬は新しい強さを身に付けた。
 自分のために振るう力ではなく、他人のために尽くす力を。
 土御門が居てくれたから紫蓬は強くなれた。彼のもたらしてくれた安堵があったからこそ、龍閃の恐怖を完全に乗り越える事が出来た。
 魎の企てた囮作戦で、龍閃に噛み付いた時にソレを実感できた。
 もう自分は大丈夫だ。怯える事なく龍閃に向かって行ける。
 いざとなったら護ってくれる者が居るから。何としても、龍閃から護らなければならない者が居るから。 
 土御門は自分に大切な物をいくつも与えてくれた。
 安息を、強い心を、そして牙燕という自分の分身を。ならばその恩に報いなければならない。
 だから二人目の子供は人間の血を濃く引いている事を願った。彼に自分の使役神鬼を託したかったから。土御門の血を濃く受け継いだ者の役に立って欲しかったから。
 死んで欲しくない。この先、何千年もずっと子孫を残し続けて、生きていて欲しい。土御門の血を宿す者に。自分が唯一愛した男の面影を残す者に。
 そして出来るなら自分も生きて、彼らと一緒に―― 
「鬱陶しいわ」
 肩の肉が大きく抉れてしまった右腕を振り上げ、龍閃は唸るような声で言った。直後、『大喰い』によって歪に削られた地面が、別の力で深く沈み込む。局地的にではない。周りの木々が何十本も、何かに押し潰されたかのように朽ちた音を立てて背を低くしていく。
 『騰蛇』の大規模な『重力砕』。『大喰い』では紫蓬を捕らえられないと見て、切り替えたのだろう。
 確かにコレならどれだけ動きが速くても関係ない。確実に紫蓬の体を呑み込む。
 だが、『重力砕』はその範囲を広げれば広げるほど力が弱くなる、そして――
「ふん」
 紫蓬は『超知覚』で自分の知覚度を限界まで引き上げ、『重力砕』の“ムラ”を縫って龍閃に迫る。
 『重力砕』の力は広範囲になればなるほど落ち、そして不均一になる。
 重力があまり強く掛かっていない場所を見つけるなど通常では不可能だが、『超知覚』を使えば観えるようになる。聴こえるようになる。
 そして躯が感じ取る。龍閃までの抜け道を。
「終わったぞ龍閃!」
 鋭角的に左右へと体を跳ばしながら、紫蓬は龍閃の背後を取った。
 『重力砕』の中に居ても全く速さを落とさない紫蓬に、龍閃の反応が僅かに遅れる。
「く……」
 紫蓬の細く小さな左腕が、龍閃の分厚い胸板を貫いた。だが、核からは外れている。反射的に体を横にずらした龍閃の右胸から紫蓬の腕は生えていた。
「捕まえたぞ。紫蓬」
 危険を感じて紫蓬は腕を引き抜こうとする。だが動かない。まるで吸い付いてしまったかのように、龍閃の体の中で固定されている。
 筋肉の収縮だ。
 龍閃はその異常に発達した筋肉を収縮させて固くし、紫蓬の腕を自分の体に縫い止めている。
「終わったのは貴様の方だったな」
 龍閃の言葉と同時に紫蓬の腕が『石化』していく。もうすでに肘から先の感覚がない。
「クソ……!」
 咄嗟に出そうになった逆の手を、紫蓬は慌てて引いた。龍閃の力の作用点は『全身』だ。今触れればも右手も持って行かれてしまう。
 『石化』が肘を通り越して二の腕にまで到達し、肩まで呑み込もうとした時、紫蓬の頭上に影が掛かった。
「すまない」
 そして短い言葉と同時に、紫蓬の腕が龍閃から剥がれ落ちるようにして抜ける。支えを失った体を抱き留めてくれたのは『朱雀』の保持者、岩代だった。
 彼はそのまま大きく跳んで龍閃から距離を取ると、嶋比良の居る場所に降り立った。
「アンタを助けるにはこうするしかなかった」
 紫蓬の左腕は、肩から先が無くなっていた。だが出血は無い。高温で灼かれたように肉がただれて傷口を塞いでいる。
 『朱雀』の『火焔』を一点に集中させて力を増幅し、紫蓬の腕を切り取ったのだろう。
「気にするな。あのまま石になるよりは遙かにましぞ。それに一月もすれば元に戻る」
 岩代の腕から下り、紫蓬は彼の顔を見ながら礼を言った。
 彼は口元がそっくりだ。土御門に。
「紫蓬、俺達はアンタを信じる。身を削って龍閃と戦ってくれてるアンタを信じる。だからアンタが信じる魎も信じる」
 岩代は強い決意を宿した眼差しで紫蓬を見つめた。もう彼の目に迷いはない。自分が正しいと思う道を見出した。
「そうか」
 はにかむようにして笑い、紫蓬は龍閃へと視線を向け直した。龍閃は穴の中心で、コチラの出方を窺うようにじっとしている。
「岩代、嶋比良、持ちうる限りの力を振り絞るぞ」
 紫蓬の言葉に二人が頷いた。
 勝つ。何としてでも。そしてまた土御門の血を引く者達と共に歩む。
 あの時、人間の子供が産めて良かった。土御門の子供を産めて良かった。使役神鬼を託して正しかった。自分は今、土御門の子孫と一緒に戦い、こうして心を通い合わせている。
 より身近に感じられる。今は亡き最愛の夫の事を。
 彼が掛けてくれた『護ってやりたい』という言葉。ソレを彼の子孫が果たしてくれた。ならば今度は自分が彼らを護る番だ。
 ――龍閃を倒す事で。
「行くぞ!」
 紫蓬は咆吼して龍閃に正面から突っ込む。そのすぐ後に続いて岩代も地面を蹴った。
「覚悟を決めたか」
 不敵に笑う龍閃。あと一歩で腕が届くというところまで一気に距離を詰め、
「嶋比良!」
 紫蓬は声を張り上げる。
 次の瞬間、自分と龍閃を巻き込んで超大な爆発が怒声を轟かせた。周りの樹と言わず地面と言わず、ありとあらゆる物をその空間から消し飛ばし、ソレによって生じた派手な炸裂音が物理的な衝撃波すら伴って大気に突き刺さる。
 嶋比良の持つ『天空』の能力は『千里眼』だけではない。彼の視界全てを無に帰すほどの強力な無差別攻撃、『回帰爆』がある。
 攻撃範囲の異常な広さが仇となり、下手に使うと味方にも余波が及んでしまうため滅多に出せないが、今の並びなら話は別だ。
 すでに紫蓬の体は『回帰爆』の中にはない。嶋比良の視界に入らない彼の背後に跳んでいる。そして後ろには自分を抱きかかえた岩代の姿。
 『朱雀』の『瞬足』より一段上の力、『空間跳躍』。体への負担が大きいために何度もは使えないが、力を温存して魎が来るまでの時間稼ぎをしていられる相手ではない。
 最初から魎に期待しているような弱い心ではあっさり殺られてしまう。龍閃を自分達だけで殺すくらいの心構えでなければ。
「同じ場所だ」
 前から聞こえた嶋比良の声と同時に、また視界が一瞬で切り替わった。
 いかに強力な『回帰爆』とはいえ、あの一撃だけで龍閃を仕留められるとは思っていない。アレは単なる目くらましだ。
 今、龍閃の周りは密度の濃い粉塵で覆われている。視界は全く利かない。自分達の出所は分からない。しかしコチラには嶋比良の『千里眼』がある。龍閃の位置は把握できる。
 次に自分の目に映った物。それは龍閃の背中。
 だが片腕では力が乗り切らない。しかし『歯』なら。
(勝負……!)
 紫蓬は龍閃の背中に深く『歯』を立てた。食いちぎるためではなく、固定するために。すぐに『石化』か『重力砕』が来るだろう。だが『歯』は離さない。『超知覚』で龍閃の知覚度を下げ続ける。
 自分意識が無くなるのが先か、龍閃の知覚度が下がりきるのが先か、賭けてみるのも悪くない。それに例え自分が失敗したとしても、足腰の立たなくなった龍閃になら岩代と嶋比良の二人で――
「――ッ!」
 口の中に広がる枯れ草のように味気ない肉の食感。
 違う。コレは龍閃の肉ではない。全く別の――
「愚策よ」
 声は頭上から響いた。
「離れろ!」
 咄嗟に後ろの岩代を突き飛ばす。
「ぁぐ……!」
 続けて横に逃がそうとした体に甚大な熱が走った。更に腹部に激烈な圧迫感が生まれたかと思うと、紫蓬は弾かれたように後ろに跳ばされる。そして樹を何本か背中で押し倒し、ようやく勢いを止めた。
「く……」
 全身の凶痛を堪え、何とか上体を起こして自分の体を見下ろす。
 右半身がなくなっていた。
 体の半分以上が何か大きな力で強引にこそげ取られ、その粗い断面からは血肉と共に臓腑が飛び出している。脇腹は深く抉られ、上半身と下半身が辛うじて繋がっているだけになっていた。
「良い出来であろう? 我の『擬態』は。『千里眼』すら騙せる」
 勝ち誇ったように悠然と歩み寄りながら、龍閃は野太い声を発した。
(『擬態』……)
 血混じりの咳をしながら、紫蓬は這うようにして後ろに下がる。
 さっき自分が噛み付いたのは『大裳』の『擬態』。龍閃の本体は真上に跳んでいた。『回帰爆』を目くらましとして利用したのは自分達ではなく、龍閃の方だった。
「貴様との戦い、なかなかに満足できた。だがまだ足りんな。やはり魎くらいの力を持つ者でなければ、我を真に満たせない」
 喉を震わせて低く笑いながら、龍閃は口の端を凶悪につり上げる。
「ふん……ヌシの、望み通り……りょ、魎はもうすぐ……来る……」
「ほぉ、まだ軽口を叩けるか」
 大量の血で紅く染まった右腕を強調するかのように持ち上げながら、龍閃は感心したように言った。
 手刀だ。自分の体は龍閃の手刀だけで易々と引き裂かれてしまった。
 これ程までか。これ程までに差があるのというのか。気持ちだけでは到底埋めきれない、絶望的なまでの力の差が。
「同族としてせめてもの情けだ。すぐにその苦しみから解放してやろう」
「……ヌ、ヌシの情けなど……受け――」
 紫蓬の言葉はそこで止まった。
「全くだ龍閃。お前らしくない事を言うな」
 声は後ろからした。首だけを回してソチラを見る。
「りょ、う……」
 ソコには不定形に揺らめく黒衣に身を包んだ男、水鏡魎が立っていた。
「遅、かったではないか……」
 そして彼の手の中で蠢動する紫色の臓物、核を見ながら紫蓬は力無く笑う。
「すまんな、紫蓬」
 力の抜けた紫蓬の体を受け止めながら、魎は穏やかな口調で言った。
「気に、するな……」
 自分は魎の事を信じた。正しい道を選んだのだと確信した。だからコレがどんな結末に繋がろうと後悔はしない。
「虫の息の者を後ろからとはな。貴様も残虐になったものだ」
「お前に言われたくないさ」
 声が耳鳴りに聞こえてくる。
「それで、やはり人間の保持者共は捨て置くのか」
「ああ、アイツらまで殺してしまったら後の楽しみがなくなるだろ? 私は強い人間の肉が好みなんだ」
 意識が白み始めた。
「好きにしろ。我は今、機嫌が良い。牙燕の時とは比べ物にならぬ程満たされたからな」
「それは光栄だ。なら次はお前の小躍りが見られるかもな」
 牙燕。
 その言葉に紫蓬の思考が僅かに戻る。
(牙燕……)
 きっと牙燕は魎が殺してくれたはずだ。
 命よりも大切な、自分の分身。だからこそ、龍閃に殺されるくらいならば……。
(牙燕……お前、だけに寂しい思いはさせん……。この不肖の母が……今すぐ、そばに行ってやるからな……)
 龍閃の暴走が始まった時から心のどこかで思っていた。
 ――自分は龍閃に殺される、と。
 人間に使役神鬼を渡したのも、薄々そう悟っていたからかも知れない。
 だから魎に願い出た。
 もし自分が龍閃に殺されるような事になったら、その前にお前の手で殺してくれと。そしてもしもの時は牙燕も頼むと。龍閃に力を与えるくらいなら、魎に託す事を選ぶ。
(ワシは……魎を、信じた……)
 魎に任せていれば間違いない。今までずっとそうだったように。裏をいくつも読む彼の深い考えには自分などでは到底触れられないが、信じる事だけは出来る。
 魎に任せておけば、きっと龍閃を……。
「魎……ワシは、ヌシの役に立てたか……?」
 掠れ、空気に溶けてしまいそうなほど儚く小さな声。
「……本当に、馬鹿な女だ」
 内面を消したように表情の無い顔で紡がれた魎の言葉を最後に、紫蓬の意識は昏い海へと呑み込まれた。





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