約束の保証、してくれますか?

依川柚木よりかわゆずきの告白◆

『わかった。約束するよ』
 電話の向こうで聞こえたその声に私は思わず顔をほころばせた。
『でも保証はしない』
 マテ、オイ。
 ほとんど間を置かずに発せられた今の言葉を心の中で反芻しながら、私は笑顔を引きつらせた。
 保証されてない約束? ソレは約束じゃないんじゃ……。
「え? でも、ちょっと一緒にお祭り回るだけだよ?」
 私は出来るだけ平静を保ちながら、彼に聞き返した。しかし彼――北条一弥ほうじょうかずや――は、当然のように言ってくる。
『その日までに僕に別の用事が出来るかもしれない。交通事故に遭うかもしれない。もしかしたら大雨でお祭り自体中止になるかもしれないだろ?』
 そうだ。そうだよ。こういう人だ。北条君は。
 私はベッドの上で枕をぎゅっと抱きしめながら、深呼吸を一つした。携帯を持つ右手に入った力を少し緩める。
「ま、まぁ、そうかもしれないけど、さ。とりあえず、水比良神社の裏鳥居に六時待ち合わせって事でいい?」
『別に良いけど……なんてそんな場所で? 駅前とかじゃダメなの? そっちの方が夜店は近いと思うんだけど』
 そんな目立つ場所で待ち合わせたら、友達とかに見つかっちゃうじゃないっ。
 右手に汗が滲む。私は左手に持ったお守りを握りしめながら、頭をフル回転させた。
「ほ、ほら。こういうのは雰囲気作りが大事でしょ? 最初は静かに、それから少しずつ賑やかに。ね? そっちの方が楽しめると思わない?」
『思える、とは言えないけど、思えない、とも言えない』
 ああ! もぉう! こんな時くらい適当に返事してよね!
 北条君はとにかく断定的な発言を嫌う。それは別に優柔不断だからではなく、彼が責任感の強い人だからだ。彼は自分で断言した事は必ずやり遂げる。今まで、そんな彼の姿を何度も見てきた。
 そして、そんなところに惹かれた……。
「じゃ、じゃあ、私がそっちの方が楽しめるのよ。だから私のワガママに付き合って?」
『分かった。別に断る理由も無いしね』
「あ、ありがとっ」
 ヤリィー! コレで第一関門突破ー!
『保証はしないけどね』
 ああ……。悪気は無いとは分かっていても、ちょっぴり傷つく……。
「それじゃ、あさっての六時に水比良神社の裏鳥居の前で待ってるから」
『うん。それじゃおやすみ』
「おやすみなさい」
 短く言って私は電話を切った。そして大きく息を吐く。私の中で張りつめていた何かが急速に弛緩していくのが分かった。パジャマの上から自分の胸に手を押し当てる。ジワリ、と汗で張り付く嫌な感触。そして掌に伝わってくる私の鼓動。いつもよりかなり早くなったソレは、私が自覚している以上に緊張していたことを物語っていた。
「見てて、天国のおばあちゃん。私、依川柚木はきっとこの恋を成就させてみせる!」
 力一杯叫んで、握りしめた左拳を高々と天井に向かって付きだした。拳の中にはおばあちゃんから貰った大切なお守りが入っている。
 おばあちゃんが私にくれた恋愛成就のお守り。おばあちゃんは、このおかげでおじいちゃんと結ばれたらしい。私もその魔力にあやかる!
「エックスデーは八月十六日! 場所は水比良神社! ターゲットは北条一弥その人! 必ず彼のハートをワシ掴んでやるわ!」
「うっせーぞ! この妄想色情魔! 発情してんじゃねー!」
 その日の夜。私はノックも無く入ってきた弟を血祭りに上げたおかげでグッスリ眠ることが出来た。

 水比良神社の裏鳥居。私はそこで、待ち合わせの一時間も前から北条君を待っていた。
 裏通りに面したこの場所は元々人通りも少ないし、この時間帯になると更に減る。二人っきりの待ち合わせにはもってこいだ。
 申し訳程度に設置された街灯が、まるでスポットライトの様に紅い鳥居を闇夜に浮かび上がられていた。
「くふふふふ」
 私は自分の姿を見下ろして、一人妖しい笑みを浮かべていた。
 長い栗色の髪はアップにして、おばあちゃんが使っていた高そうなかんざしでまとめている。慣れない作業なもんだから三十分もかかった。
 白地に綺麗な水色の花が描かれた浴衣は、納得のいく着付けに一時間もかかった。しかも一万五千円の出費は、高校生の私にとってはかなり痛い。
 履き慣れない下駄のおかげで、ここに来るまでに何度も転びそうになった。けど……。
 完璧! 完璧よ! 依川柚木! 完璧だわ!
 浴衣と晴れ着は女の魅力を何倍にも引き上げる! そして夏祭りの演出する開放的な雰囲気! 夜店のにぎわいで盛り上がった二人は、やがて自然と手を取り合い、闇の中に消える。そして交わされる熱い口づけ。そのバックで上がる花火が辺りを彩る。まるで二人のこれからを祝福するかのように……。
「あぁん!」
 私は自分の頭に咲いたピンクの妄想に身をよじらせた。そして帯の中にしまったお守りを握りしめる。
 おばあちゃん! 私に力を貸して!
「おまたせ」
「ぅどわ!」
 突然に正面からかかった声に私はびっくりして後ずさった。
「だ、誰だ!」
 警戒の眼差しを持って、その相手を睨み返す。
「北条君……」
 前に立っていたのは私の想い人だった。一瞬、妄想の産物かと思ったけど、普段通りの無表情からするとどうやら実物のようだ。
 北条君はジーパンにTシャツ、その上に白のカッターシャツという至ってシンプルな服装だった。通った鼻筋と、鋭角的な輪郭がみせる精悍な顔つきは、まるで彼の意志の強さを具現化したよう。北条君は短く切りそろえた黒髪をいじりながら、鈍色の瞳で私の方をじっと見ていた。
 やばい……今の見られた?
「は、早かったわね」
「そう? 六時ピッタリに来たつもりだったんだけど」
 そう言われて時計を見る。
 あ……ホントだ。私がアッチの世界に行っている間に時間が過ぎ去ってしまったらしい。楽しい時間のたつのは早いものだ。
「じゃ、じゃあ行きましょうか」
 場を取り繕うようにして私は早口で言った。北条君は「ああ」と短く言うと、別に何も気にした様子もなく、私の隣に並んで歩き始める。
 さぁ、勝負よ! 北条一弥!
 帯の上から、おばあちゃんのお守りに手を当て、私は胸中で一人試合開始の合図を下した。

 夏祭り。私には楽しかった思い出しかない。
 暗闇の中、無数の照明やちょうちんの光で浮かぶ、沢山の夜店はどこか幻想的であり、神秘的ですらあった。鉄パイプの骨組みと、ビニールや板で作られた即席の建物が、魔法の空間のようにすら思えた。
 テンポのいい夜店の主人の呼び声。家族や恋人同士の楽しげな会話。そして、かすかに聞こえる虫たちの小さな歌声。綿菓子やリンゴ飴の甘い匂いが鼻腔をくすぐり、浴衣やはっぴの艶やかな色彩が目を楽しませる。金魚すくいや射的に熱中して汗ばんだ手も、この時だけは何故か心地良かった。
 耳に入る音、目に映る光景、手に触れる物。それらすべてが新鮮で、昼間の閑散とした神社とは全く別の顔を私に見せてくれる。
「北条君……」
 だから、
「オヤジ、もう一回だ」
 もっとお祭りを、
「兄ちゃん、もう二十回目だぜ? 金、大丈夫か?」
 楽しもうよ。
「僕は手に入れると決めたら、絶対に手に入れるんだ」
 キッパリと言って北条君は、二十回目のくじ引きに挑んだ。一回二百円だから、すでに四千円も使っていることになる。
「これだぁ!」
 気合いと共に叫び、北条君は一枚の茶封筒を目の前の箱から取り出した。そして中に入っている紙を見る。
「五十二番だ」
「はいよ、ライター」
 差し出されたライターを悔しそうに受け取りながら、北条君は財布をとりだした。
「もう一回だ」
 双眸に壮絶な物を浮かべ、中から百円玉を二枚取り出す。手が震えていた。まるで呪いでも込めているかのように。
「ほ、北条君。他のお店まだ全然回ってないし。そろそろ次に行かない?」
 そう。このお店はまだ一件目だ。裏から回ったことが災いしたのだろうか? 一番最初に目に入った、くじ引きのお店。そこで北条君は他からの視線も気にせずに、延々とこの調子でお金を浪費していた。
 そして私は『はずれ』の景品を持たされている……。おかけで朱の可愛い巾着袋は、巨大シュウマイのように膨れあがっていた。
 ああ! こんなの好きな人と回る夏祭りって感じじゃないわ! もっと私を見て! このドレスアップされた私の姿を!
「兄ちゃん。オラァ、アンタの彼女が可愛そうになってきたよ」
 夜店のおじさんが何気なく呟いた一言に、私は少し顔が火照るのを覚えた。自然と顔がほころんでいくのが分かる。
 彼女……ああ、やっぱりそうなのね。こうやって男女二人が一緒に居るんだもん。恋人同士に見られて当然よね。くふふふふふ。
「僕が欲しいのはそんな同情じゃない」
 しかし北条君は全くペースを崩さない。
 とりつく島もなく言い捨てると、無表情のまま百円硬貨二枚を渡した。続いて目の前に沢山並んでいる茶封筒に手をかざす。
「うーん……」
 呻き声を上げながら、右へ左へと揺り動かした。まるで、中を透視するかのように。
 穴でも開けるつもり何じゃないかと思うほどの凄まじい眼力。その形相はさながら仁王像。視線の鋭さたるや斬鉄剣の如し。今、『ねぇ〜ん』とか言ったら、目で頸動脈をブッた斬られそうだ。
「これっ、だぁ!」
 叫んで、くわっ! と大きく開眼し、北条君は風を切るような鋭い動きで茶封筒を掴み上げた。わずかに残像が見えたような気がしたのは目の錯覚?
「七番……」
 そして中に入っていた紙に書かれた数字を悔しそうに読み上げる。どうやら、またはずれたようだ。
「ああ、いいよいいよ。兄ちゃん。こっちもこの景品がそんなに価値のあるモンとは思えねーからよ、敢闘賞ってことで持ってってくれ」
 小さく笑いながら、おじさんは北条君に『バンダナ』を渡した。黒地に紅く細い線が数本引かれただけの安っぽい刺繍だ。どう見てもそんなに高価には見えない。
「ほ、本当にいいのか?」
 北条君は驚愕と感動の色をありありと顔に浮かべて、おじさんから大事そうにバンダナを受け取った。そして――恐らくなくさないようになのだろう――自分の腕にしっかりと巻き付ける。
「えーっと、頭には、しないの?」
 戸惑いながら尋ねる私に、胸を張って北条君は答えた。
「そんなことしたら汚れるじゃないか」
 本当に謎の多い人だと思った。

「さて、と。どうする?」
 目的の物を手に入れて上機嫌な北条君は、少し笑顔を浮かべて私の方に視線を送ってくる。
 時間はかかったけど、それなりに得た物はあった! よし! じゃ、次よ!
「いいなぁ……」
 私は北条君の言葉には返事せず、一つの夜店に視線をやりながら呟いた。そこでは、仲のいいカップルが金魚すくいに盛り上がっている。アミが破けるたびに、女の人がキャーキャー言いながら男の人に甘えていた。
「金魚すくい、やりたいのか?」
 と、北条君が聞いてくる。予想通りの言葉だ。
「ううん」
 私は首を振り、
「あの二人が、ね……いいなぁって」
 羨望の眼差しを恋人達に向けた後、流し目を北条君に送る。
 さぁ! どぅ!? この私の、さり気ない告白にどんな反応を返すつもり!?
「なんだ」
 北条君はいつもと変わらない口調でそう言い、アッサリと続けた。
「ワイ談をしたいのか」
 猥……。ええ!? 何でそうなるの!?
 意外すぎる言葉に思わず私の目が点になる。言葉の真意を探るために、私は北条君の顔を覗き込むようにして見ながら、次の言葉を待った。
「それだったら、いつもクラスの奴らとやってるだろ? そんなに羨ましがることじゃないと思うけど」
 何でそれを知って……! じゃなくて!
「そ、そんな話してないけど……」
 とりあえず誤魔化してみる。うなじの辺りに嫌な汗が伝うのが分かった。
「だって、いつもワイワイやってるじゃないか」
 待て。
 今、北条君の致命的な勘違いに気付いたような気がする。
「ねぇ、北条君。『台風一過』の意味って知ってる?」
「勿論。台風の家族が、そろって来ることだろ」
 どんな家族だよ。 
「じゃあ、『体操隊形に開く』ってどうすること?」
「体操用の体型になるってことだろ」
 どうやって変身するんだよ。
 ああ……でも、そんなちょっとお茶目なところも好・き。
「まぁ、せっかくだ。金魚すくいでもやってみるか」
 何故か唾を呑み込んで言い、北条君はカップルがいる夜店に歩き始めた。私も後を追うようにして続く。さり気なく北条君の隣に立ち、軽く手を握ろうかと腕を伸ばした。そして、
「北条君! こっちよ!」
 気が付くと、力一杯北条君の手を握りしめ、私は金魚すくいの夜店とは真逆の方向に全力疾走していた。

「ぜーはーっ、ぜーはーっ……」
 私は呼吸を整えるために大きく深呼吸をした。
 心臓が地響きのように大きな音を立てているのは、走った事だけが原因ではない。
 まさか……あのカップルの女が亜美だったなんて……。あの女ぁ、どれだけあたしの恋路の邪魔をすれば気が済むのかしら。
「オノレ……アミ、メ」
 忌々しく親指の爪を噛み、呪詛でも吐くかのように彼女の名前を呼ぶ。
 亜美は私の同級生。性根が曲がり、無駄に高飛車で、極悪な品位と、ガマガエルの笑い声を併せ持ったあげくに、破滅的に過剰な自意識を誇るあの女は、中学の時からの喧嘩友達だ。とにかく何かにつけて私にちょっかいを出してくる。
 今、北条君と一緒にいるところを見られれば、間違いなく過去の私の男関係を洗いざらい暴露されるだろう。それだけ危険な存在なのだ! 絶対に回避しなければならない! 
 だてに『心なき悪』の『亜』に、『身の伴わない躾』の『美』っていう名前を付けられている訳ではない。
「どうしたんだ急に。ビックリするだろ」
 北条君はほとんど息を切らせることなく、いつも通り落ち着いて私に話しかけてくる。
「あ、うん。ゴメン……」
 気落ちした声で言いながら、私は初めて気が付いた。今の状況に。
 辺りには鬱蒼と生い茂る木々。月明かりと、遠くの方から届く照明の薄い光だけが私達を照らしている。お祭りに来ている人達のざわめきは、小さく聞こえるだけ。
 ここは夜店の裏側から少し離れた場所。神社の奥まった場所にある雑木林の中。人気のない静かな場所で、男女が二人っきり。
 ――告白するには絶好の状況だ。
 災い転じて、とはまさにこのこと! この最大のチャンスを活かさない手はない!
「あの、ね。北条君……」
 私は少しうつむき加減になりながら、もじもじと両手をぎこちなく合わせた。そして上目遣いに北条君の方に目を向ける。
 き、緊張する……。心の準備はとっくに出来ていたはずなのに、やっぱりいざ本番となると別だ。
「なんだよ」
 暗くて北条君の顔色は伺えない。でも、何となく声に戸惑いが現れているような気がした。彼も察してくれたのだろうか。
 私は勇気を振り絞るために帯にしまったお守りに手を伸ばした。そして、それをぎゅっと握りしめ――
 ……無い。
「あれ?」
 私は帯がほどけそうなくらいの勢いで、お守りを探り回した。しかし、どこにもそれらしき手応えはない。
「どうした? 依川?」
 無い、無い、無い! さっき走ったときに落としたんだ! ああ、亜美! 躾のなってない悪魔の子! あんた、私に何の恨みがあるんだ!
「お、おい?」
 しょうがない! こうなったら攻撃あるのみ! あたって砕ける!
「北条君!」
 私は彼の肩をガッと掴むと、意を決して真剣な眼差しを向けた。
「は、はい」
「私は……!」 
「びえええええええぇぇぇぇぇぇ!」
 突然後ろからした泣き声に、私の告白は見事にかき消された。
 疲れた表情を浮かべ、私は声のした方を見る。そこには小学生くらいの男の子が泣きながらこちらに歩いて来ていた。
 なんなのよ……アンタまで私の恋路の邪魔をする気?
「迷子、かな……?」
「断定は出来ないが、状況から考えてその可能性は極めて高いな」
 断定しようよ。これくらい。
 北条君はいつも通りの口調に戻って、男の子に駆け寄った。
 もうさっきまでの、どこかいい雰囲気は完全に霧散してしまっている。また一からやり直しだ。はぁー。
「少年。お父さんとお母さんはどうした?」
 私の落胆をよそに、北条君は男の子の目線に会うように腰を低くすると、淡々とした喋りで聞いた。
「わっ、わからないのー」
 ぐしぐし、と鼻をすすらせながら、男の子は涙声で言う。
「そうか。なら僕が探すのを手伝ってやろう」
 北条君は躊躇うことなく、力強い言葉でそう言った。
 ああ……ステキよ北条君。困っている人は放っておけないのね……。
「パパとママ……見つかるの?」
「それはやってみないと分からない」
「びえええぇぇぇぇぇぇぇぇ!」
 真顔で即答した北条君の力強い言葉に、男の子は最初よりも激しく泣き始めた。
 ああ……北条君。アナタの責任感の強い性格はよく知ってるけど、こういう時はちょっとくらい無責任でも良いと思うの。
「まぁ、泣くな少年。とりあえず名前を教えてくれ」
 北条君は男の子の頭を撫でて、なだめながらそう言った。
「よりかわ……ハル……」
「ヨリカワか。よし、分かった」
 えっ、ヨリカワって……私と同姓?
「よーし、とりあえず、人が沢山いるところに行くぞ。ヨリカワ君」
「は、はいっ」
 と、思わず返事をしてしまう私。北条君は『お前じゃねーよ』という顔をしている。
 告白に失敗したと思ったら、今度は迷子のおもりかぁ……。あーあ、なんだか妙なことになってきたなー。

 ――で、こういうときに限ってまた出くわすんだ、コイツと。
「あーら、柚木じゃないの。こんなところで会うなんて偶然ですわね」
 樹齢五百年と言われている御神木を背にふんぞり返り、高圧的な視線を私の方に送りながら、亜美は愉悦に顔を歪ませた。そして金に物言わせて磨き上げた、腰まであるストレートヘアー(元ちぢれ毛)を、見せつけるかのようにかき上げる。
 亜美の恋人だろう男の人が、戸惑いの視線を私たちの方に向けた。
「あーら、ホントに偶然ねー。腐れ縁って恐いですわー」
 私も胸を張り、亜美のお嬢様口調を真似て言い返す。
 ここは露店の並びから若干離れているとはいえ、御神木に縁結びの御利益があるせいか人の視線は絶えない。しかし今は、そんな事どーだっていい。
 こうなったらヤケだ。溜まりに溜まった鬱憤を全部コイツにぶつけてやる!
「で、お一人かと思いきや、面白い人と一緒に居るんですのね」
 亜美は整形で大きくした(に違いない)二重の目(きっとアイプチ使用)で北条君の方に視線を向けた。
「僕のことを面白いと言ってくれたのは君が初めてだ」
 いや、きっとそう言う意味じゃないと思うの。北条君。
 相変わらず真顔で返す北条君に、亜美は一瞬言葉を詰まらせ目線を外す。その先に居たのはハル君。短い黒髪のツンツン頭に、クリクリとした愛くるしい目。子供特有のポッチャリとしたほっぺたはお餅のように柔らかく、ぷくっと膨らんだ小鼻は思わずつまみたくなるくらい可愛らしい。
 そのハル君の左手を私が、右手を北条君が握っていることを確認し、亜美は勝ち誇ったような顔で、まさしく悪魔的な冷笑を浮かべた。
「ねぇ、それあんた達の子供? さっすが柚木。遊び人ね! ゲラゲラゲラゲラゲラ!」
 口に手を当て、ガマガエルの笑い声を惜しげもなく披露する。光沢のある紅い唇(コラーゲン注入済)がそれにあわせて、がま口の様にパカパカと開閉を繰り返した。
 あ、隣にいる恋人引いてるよ。
「なーに? 羨ましいの? 亜美だって両手の指だけじゃ足りないくらい居そうじゃない」
 私は膨れあがる怒気を何とか制御し、軽い口調で返す。ここでムキになって否定すれば亜美の思うつぼだ。
「まー、失礼な。ワタクシなんて、どこから見ても草花を愛する、純真無垢な乙女じゃない」
「ええ、そうね。どこから見ても、マッド菜園ティストだわ」
 亜美の顔が険悪な色に染まる。
「この品行方正、才色兼備のワタクシをつかまえて、よくもそんなことを」
「淫行方正、最悪兼備の間違いでしょ?」
 目元をひくつかせ、低い位置から三白眼になって私の方を睨みつける。
「テメェ……」
 地獄の釜が開いたようなしゃがれ声と悪鬼の形相は、彼女を見事なまでに悪魔の子に仕立て上げていた。
 あ、恋人後ずさりしてる。もう一押しか。
「ところで、最近調子はどう?」
「え? そりゃぁー……」
 私の言葉に亜美は少し余裕を取り戻し、自慢話をひけらかそうと口を開いた。
「豊胸パッド」
 その口が毒電波を垂れ流す前にショートさせる。
「今関係ねーだろ!」
 顔を真っ赤にしてツッコミ返す亜美。
 バカが……まんまと術中にはまりおって。
 私はフン、と鼻を鳴らして亜美の隣――さっきまで恋人らしき男がいた場所を指さした。つられて亜美も視線だけをそちらに向け――
「ああっ! 大阪城君!」
 誰だよ。
「やーん、待ってー!」
 亜美は怖気が走るくらいの猫なで声に戻って叫ぶと、彼女の正体にドン引きして姿をくらませた恋人の後を追った。
「ふ……勝った」
 北条君とハル君の冷たい視線をヒシヒシと感じつつも、私はこの上ない充実感に包まれていた。

「すいませーん! ヨリカワさん、いませんかー! ハル君が迷子ですよー!」
 北条君は手を口に当てて拡声しながら、夜店の並ぶ大通りをゆっくり歩いていた。三人で手をつなぎ、横一列になって歩いてるので他の人たちにぶつかることも少なくない。
 それはもー、目立つ目立つ。このおかけでさっき亜美にも見つかったのだ。ただ不幸中の幸いなのは、北条君が亜美の言葉を真に受けなかったこと。単なる嫌みだと思ってくれたらしい。
 はぁ……。
 何となく投げやりな気分になり、胸中で溜息をつく。私は自分の左手をしっかりと握りしめている男の子に目をやった。
 ヨリカワ ハル君。七歳。私と同姓の男の子。最初と比べて幾分落ち着いたのか、殆ど騒ぎもせずに素直に着いて来てくれている。
 浴衣は少しサイズが大きく、裾の辺りが泥で汚れていた。
 そう言えば私の浴衣も、いつの間にか汚れてたり破れてたりするのよねー。多分、雑木林の中に入ったときに引っかけたんだと思うけど……。
「はぁ……」
 今度は本当の溜息が出た。
 せっかく、北条君に『キレイだよ』って言って貰うためにオシャレしたのになぁ……。
 アップにまとめていた髪はいつの間にか解け、汗で首筋に張り付いていた。化粧も落ちてきているかもしれない。左右から降り注ぐ、夜店の明るい光が憎かった。
「ヨリカワさーん!」
 でも……まぁ、いいか……。
 私と同じ名前を呼んで、ハル君の親御さんを捜している北条君をちらりと横目で見ながらそう思った。そして今の自分達を姿をもう一度見る。
 一番右が私、真ん中にハル君、そして左端に北条君。
 三人一緒に手をつないで仲良く歩く。なんだか家族みたいだ。
 こういう夏祭りも風情があって良いかもしれない。多分、こういうのが一番印象に残る夏祭りになると思う。
 と、突然手が後ろに引かれた。
 見ると、ハル君が今にも泣き出しそうな顔をしながら立ち止まっている。
「どーしたの?」
 私はしゃがんでハル君に聞いた。
「……足、痛い……」
 そう言えば捜し始めてもう大分立つ。不安も相当な物だろうから、精神的な疲労も上乗せされるのだろう。大人しかったのは、そのせいだったのかもしれない。
「あれ? ハル君、怪我してるじゃない」
 よく見るとハル君の右膝が軽くすりむけて紅く滲んでいた。
「ちょっと待ってて、今ハンカチ出すから」
 私は巨大シュウマイと化した巾着の中からハンカチを取り出そうとした。しかし、北条君の『はずれ』景品が邪魔をしてなかなか取り出せない。思わず逆さまにして中身を全部ぶちまけたい衝動に駆られるが、紛いなりにも大好きな北条君がお金を賭けて得た商品だ。そんなことは出来ない。
「ハル君、コレで」
 私が悪戦苦闘していると北条君もしゃがみ込み、さっきまで腕にしていたバンダナをハル君の血が出ている部分に巻いてあげた。
「ちょ、ほ、北条君。それって……」
「いいんだ。依川の巾着をそんなにしてしまった責任は僕にあるんだから」
 ああ……何てカッコイイの、北条君。あんなに必死になって取った景品を、アッサリ人助けのために使えるなんて……。ステキだわ……。
 でも血の涙を流してなかったら、もっとステキだったのに。
「それじゃあ二人はどっかで休んでてくれ。僕が一人で探してみる」
 毅然とした口調で言うと北条君はポケットから携帯を取り出し、カメラでハル君の顔を写した。
「じゃあ、依川」
『はい』
 私とハル君の言葉がはもる。北条君は少し困ったように指で頬をかきながら私の方に視線を向けた。
「この子を連れて別宮の前辺りで待っていてくれ」
 別宮はこの大通りを抜けて、少し行った場所にある。そこまでは夜店も伸びてないし、静かでゆっくりと休めるだろう。
「うん、わかった。北条君もあまり無理しないでね」
 北条君は軽く手を挙げると、先程までと同じくハル君の親御さんを探しに行った。だんだん小さくなる『ヨリカワさーん』という声が妙に心地いい。
 私も北条君に探されてみたいなぁ。
 そんなことを考えながら、私は北条君が人混みに消えて見えなくなるまでぼーっと眺めていた。
「お姉ちゃん……」
 下でした声に私は我に返った。ハル君が不安げな顔で私の方を見上げている。
「あ、ゴメン。じゃ、行こっか」
 私はハル君を抱きかかえると、別宮に向かった。

「あーあ、もうお祭りも終わりかぁ」
 私は誰に言うでもなく、一人そう呟いた。
 別宮へと上がる短い石造りの階段に腰掛けながら、私とハル君は北条君の帰りを持っていた。ハル君は、北条君が最初のくじ引きで当てた『はずれ』の商品で暇を潰している。
「あっ」
 ハル君が遊んでいた竹とんぼが、予想よりも大きく空に舞い上がった。それにつられて私の視線が暗い空へと移動する。
 その時、遠くの方で響いた低い音と共に、さっきまで黒一色だった重い空に極彩色の花が咲いた。
「わぁ、花火」
 ハル君は空を見上げながら、色と光の終曲に聴き入っていた。
 本当は北条君と二人で見るはずだった光景。少なくともこの時には告白しようと思っていた。それなのに、バッチリ決めた髪の毛はクシャクシャになるし、三ヶ月分のお小遣いをかけた浴衣はドロドロのビリビリになるし、おまけにおばあちゃんから貰ったお守りは無くすし。踏んだり蹴ったりとはまさにこの事だ。
「あぅ〜、北条くーん」
 私はガックリと肩を落とし、『はずれ』の景品の中から笛をとりだした。息を拭くと、ぴーっという高く乾いた音がして、先端に丸められた紙の部分が勢いよく伸びる。もの悲しさが一層増した気がした。
「ねぇ、お姉ちゃん。さっきのお兄ちゃんのこと、好きなの?」
 ハル君は私の隣に座ると突然そんなことを言い始めた。
「……うん。大好きだよ」
「どんなところが?」
 小学生とはいえ、そう言うことに興味を抱き始める年頃なのだろうか。私は少し苦笑しながら続けた。
「責任感の強いところ、かなぁ。あと、意地っ張りなところもとかも。私さぁ、結構いい加減なんだよね。器用貧乏っていうのかなー。私って自分で言うのも何だけど、最初の内は人よりも大体巧くできるのよ。勉強でも、スポーツでも」
 そして恋愛も。
「ふーん」
「でもね、すぐに追い抜かれちゃうんだ。努力して、後から伸びてくる人に。北条君も最初はそんな中の一人だった。でもね、彼の努力のしかたは半端じゃないんだよ? やるって決めたら絶対にやりどけるまで諦めないの」
 私はそんな彼の姿を思い浮かべながら話し始めた。
「体育の授業で縄跳びがあってね、二重飛びを三十回連続でやる課題があったんだ。私も二十回くらいまでは何とか出来たんだけど、三十回まではどうしても体力が続かなくて出来なかったの」
 その時点で私は諦めていた。出来ることと出来ないことの区別が付かないほど子供じゃないわ、なんてカッコつけて。
「北条君なんてもっと酷かったんだよ? 十回も出来ないの。でもね、それから二週間くらいであっという間に課題クリアしちゃったのよ。どうやったと思う?」
「さぁ? なんかズルしたの?」
 ハル君は首を傾げながら疑問符を浮かべた。私は、首を横に振って続ける。
「ううん。私聞いたの、『何かコツあるの?』って。そしたら平日は夜に、休日は朝から、家で練習してたんですって。体力付けるために、筋トレとか、走り込みとかまでやって。図書館で縄跳びの本とかも借りて研究してたみたい。普通考えられる? たかが、体育の課題の一つよ? 別に出来ないなら出来ないで大した問題じゃなのに。ねぇ」
「お姉ちゃんは、そんなにガンバったこと無かったの?」
 私はハル君の言葉に頷いた。
 そう、私はいつも逃げてばっかりだった。『やってらんないわ』って言って、逃げてしまえば負けたことにはならないから気も楽だ。
「北条君は私の持ってなかった物、いっぱい持ってたんだぁ。だから彼に惹かれたの」
 そして努力して何かを達成した時の喜びを知った。だからこそ本気で恋愛する気になった。今までみたいな、いい加減でちょっと嫌いになったらすぐに別れるような、希薄な恋愛はもう沢山。すれ違いは努力で何度でも修正していくような、濃厚な恋愛が欲しい。
 そして相手は、そのことを教えてくれた北条君を除いて考えられなかった。
「ふーん。じゃあどれくらい、好きなの?」
「そーねー」
 私は花火が咲き乱れる空に目をやる。
「もうすぐね、一番大きなヤツが上がるんだ。このお祭りの締めとしてね。それくらい大好きだよ」
「ふーん、そうなんだー。じゃ、タイミングとしてはバッチリだねっ」
 ハル君は悪戯っぽい笑顔を浮かべて言い、少し離れた場所にある小さな木を指さした。
 へ? バッチリって?
 私の視線がハル君の指先を追う。そして、そこにいたのは、
「ほっ、北条君!?」
 木陰のすぐ横に人影が見えた。暗くてよく見えないが、時折花火の光で断片的に浮かび上がるシルエットが北条君であることを克明に告げていた。
 まさか……ずっと聞いて……?
「いや、まー。その、なんだ……」
 私に見つかったことを察したのか、北条君は気まずそうに頭を掻きながら近づいてきた。
「別に、盗み聞きするつもりはなかったんだが……。ちょっと疲れて戻ってきたら、丁度、な……」
 やっぱり聞かれてる。私の告白聞かれてるー! 
 さすがにこんな形で告白することになるとは思っても見なかった。不測の事態に私の思考が一気に混乱の渦を巻く。
「あの、な……」
 北条君はどこか照れたような、怒ったような表情で私の方を見た。
 えっ、返事!? もう返事に行っちゃうの!? ちょ、ま、待って! まだ心の準備がー!
 北条君が真剣な目つきで私の方を見る。そして口を開きかけた時、祭りの終わりを告げる最後の大花火が上がった。
 辺りが一瞬真っ白に塗りつぶされ、昼間のように明るくなる。
 遠くで鳴り響く破裂音で、北条君の声は聞き取りにくかったけど、この部分だけはハッキリと聞こえた。
「悪いけど――」




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