アシェリー様のお通りだ!

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第三章

 ゼイレスグに行く方法はなにも石渡り船だけではない。オビス島まで来れば地下を渡る方法がある。ただし、飼い慣らされた地龍をレンタルしなければならないため、それなりに値は張るのだが。
「地龍のいる街までどのくらいだい?」
 額の汗を拭いながら、アシェリーは肩の上でダレているガルシアに聞いた。
 オビス島は湿度の高い熱帯地域だ。今歩いている密林地帯には、無数に乱立する木々のせいで風一つ吹かない。おまけに獣道すらない完全な大自然だ。気を抜けば方向感覚が奪われる。
「あー、そうだなー……だいたい三日って所か……。くっそー、飛竜のガキ逃がさなけりゃよー……」
「これだけ背の高い木ばっかりなんじゃ、いても一緒だよ。あの子はそんなに高く飛べないからね」
 人間に卵から育てられた飛竜の子供を飼い慣らすのは簡単だ。しかし、せいぜい十メートル程度しか飛び上がれない。成竜になれば何百メートルも上空に行けるのだが、その頃には野生を取り戻し、制御するのは不可能となる。
「ほら、エフィナ。足下気ぃ付けるんだよ」
 アシェリーはエフィナの前を歩き、蔦や巨大植物を刈り取りながら道を作っていく。だがこの辺りの植物は生命力が強いのか、刈った端から再生を始めていた。
(コレじゃきりがないねぇ……)
 五節棍で肩を軽く叩きながら、アシェリーは溜息をついて目線を上げた。
(いっそのことエフィナを抱きかかえて、上でも走ろうかな)
 天を突かんばかりに直立している木々の枝。男の腰回りと同じくらいの太さを持つソレらを見ながらアシェリーが目を細めた時、視界を光の帯が覆った。
「な――」
 叫び声を上げる間もなく、光沢を放つ紐は全身にからみつきアシェリーの自由を奪う。
「なんじゃコリャー!」
 ガルシアが耳元で叫びながらあがくが、紐は暴れれば暴れるほど食い込んでくる。何か特殊な方術でも施してあるらしい。
(アタシとしたことが油断したねぇ……!)
 暑さで集中力が途切れていたらしい。自分のふがいなさに奥歯を噛み締める。五節棍を取り出そうと手を腰の後ろに持っていくが、紐が意思を持ったかのように蠢き、両手を縛り上げた。
(この動き……ディヴァイドか!)
「くそ! エフィナ! 大丈夫かい!?」
 体を強引に捻り、後ろにいるはずのエフィナを確認する。
 彼女も自分同様後ろ手に縛られ、地面に突っ伏していた。
「誰なんだい!? このアシェリー様に、こんなくだらないマネするのは!?」
 殆ど八つ当たり気味に周囲に叫び散らす。それに応えるように、数人の人影が深い茂みの奥から姿を現した。
 蒼い瞳。針金のような獣毛で覆われた厳つい体。長い尻尾。
「獣人……アッドノートの連中かい!」
 彼らはかつて領土の拡大を求め、ゼイレスグに戦争を仕掛けて敗れた国――アッドノートの民族だった。気性が荒く、攻撃本能の塊のような人種だ。人と交わることを嫌い、自らの国土に独特の文化と慣習を持つ民。それ故に『純粋なる者達アッドノート』という国名を付けた。
(そういやココはまだアッドノートの領域だったね。国境が近いんで油断したよ)
 戦争に負け、表向きはゼイレスグの従属国家となったが、彼らの牙が完全に折れたわけではない。終戦から十年以上たつというのに、未だゼイレスグが残党狩りをやっているくらいだ。アッドノートの戦闘意欲は底が知れない。
「アタシ達をどうするつもりだい」
 質問する前から答えは分かっている。自分達は彼らの獲物だ。このままじっとしていれば待っているのは死。ゼイレスグの出身だと分かれば、喜んで血祭りに上げるだろう。
 彼らは何も言わずに鋭い眼光でコチラを睨みながら、周りを取り囲む。手には刀身が波打つ形に曲げられた剣。使いようによっては相手の得物を粉砕できる、ソードブレイカーの一種だ。
(あの剣をかわして、この紐を切る!)
 剣先に意識を収集させる。この紐さえ切れればこっちのものだ。逃げるだけなら何とかなる。
「……あしぇりー」
 足下からエフィナの小さな声が聞こえる。少しでも安心させるため、横目で返した笑顔が合図となった。厚い獣毛の上からでもハッキリ分かるくらい筋肉が盛り上がる。剣を頭上に掲げ、アシェリー達を取り囲んでいた獣人達が一斉に跳んだ。
 敵の位置、襲いかかってくる角度、そして振り下ろされる剣の軌道を冷静に読み、アシェリーが体を流そうとしたその時、
「待て!」
 野太い男の声が密林に響きわたった。その声が不可視の盾にでもなったかのように、アシェリーの眼前で獣人達の剣が止まる。
「その御方はかつて我々を救ってくださった方だ。傷つけることはならん」
 獣人達の後ろから現れたのは、彼らよりも更に頭一つ分背丈の大きい獣人だった。二メートルは軽く越えている。
 顔を覆う獣毛はたてがみのように雄々しく伸び、尻尾は二又に分かれていた。目の色は蒼と言うより藍に近く、その深い色が威厳と風格を醸し出している。
「アンタがボスって訳かい」
「その通り。この島に住む我らが部族を纏める者だ。突然の非礼、この者達に代わって私が詫びよう」
 低い声で言って、彼は軽く握り込んだ拳を額の高さに掲げた。どうやらコレが彼らの間での謝罪の意らしい。
「で、アタシがアンタらの恩人だって? 覚えてないけどねぇ」
 後ろにいた獣人の一人がアシェリーを縛っていた紐を切って解放してくれる。食い込んで赤くなった手首をさすりながら、アシェリーは皮肉めいた口調で言った。
「ゼイレスグの残党狩りに会った時、貴女は私の妻と娘を救ってくれた」
 残党狩り、と言えば一度しかやったことがない。思い出すだけで胸が悪くなる。
「ああ、あの時に助けたおチビちゃんと綺麗な髪した女獣人の……」
 ゼイレスグの兵達は自国の民をも殺して勝利をもぎ取ろうとしていた。敵国の者であれば、非戦闘員でも躊躇などしない。だが、アシェリーはソレを許せなかった。
 今まで磨き上げてきた戦闘の腕は弱者をいたぶるためのモノではない。守るためだ。それは敵国の者であっても同じこと。だから助けた。
「いつか礼をしたいと思っていた。ここで会ったのも何かの縁だ。我らが村に来てはくれまいか。是非もてなしたい」
「そうだねぇ……」
 罠、とは考えにくい。最初に襲って来た獣人達の殺意は本物だった。それにアッドノートの獣人達は凝った芝居が出来るほど利口ではない。
 考えを巡らせながらガルシアに視線を向ける。
「俺ぁ、絶対反対だぞ! コイツらの村なんか行ったら変な儀式の生け贄にでもされるのがオチだ!」
 続けてエフィナに。
「……ん」
 獣人達の腕に捕まって起きあがりながら、エフィナは曖昧な笑みを浮かべた。任せる、と言う意味だ。
「決まりだね。じゃ、そのもてなしとやら、ありがたく受けさせて貰おうか」
「おお、感謝するぞ」
「オイコラああぁぁぁぁぁ! 俺の意見は無視かああぁぁぁぁい!」
 耳元でガルシアが不満の大声を上げる。
「うるさねぇ、多数決で行くって決まったんだよ」
「差別だ! 不公平だ! 非民主的だ!」
「どうかしたのか? 客人」
 ガルシアの声はアシェリーとエフィナ以外には「にゃー」とか聞こえない。彼から見れば、独り言をブツブツ言っているように映っただろう。
「そう言えばまだ名乗ってなかったな。私の名前はゼド。ゼド=リステルベインだ」
「アシェリー=シーザーだよ、よろしく」


 村はそれ程大きなものではなかった。アシェリーが生まれ育った村よりは大きいが、人口にしてせいぜい百人足らずといったところだ。巨木の中を掘って居住スペースを増やしたり、木のしなりと蔦を利用して地下水を組み上げたりと、大自然を上手く利用して生活している。
「さぁ、大いに飲んで、大いに食べて、大いに騒いでくれ」
 村の中央にある広場。日が完全に姿を隠した頃、宴会は催された。
 柔らかい毛皮を円形に敷き詰めて大きな絨毯にし、その真ん中にはご馳走が石や葉っぱのお皿に盛られている。文字通り山のように、だ。だが肉料理が少なく、山菜を調理した物が多いのは意外だった。
「我々は筋肉を維持するためにエルク・グリーンという草を主食にしている。その草の主成分が体の中で筋肉の材料になるのだよ」
 豪快に笑いながらゼドは説明してくれた。
 エルク・グリーンと言えばハーブの一種だ。勿論、良質のタンパクなど含まれていない。
(体の構造が根本から違うんだろうねぇ……)
 大きな木の実をくり抜いて作られたコップにサーラ酒を注がれ、アシェリーはそれを一気に飲み干した。熱い塊が喉を通り抜けた後、口の中が心地よい冷たさに包まれる。
「おお、良い飲みっぷりだなアシェリー。この村で作った酒だ。沢山あるから酔い潰れるまで飲んでくれ」
 がはは、と大口を開けて笑い、ゼドは空になったアシェリーのコップにサーラ酒をなみなみと注ぐ。
「ああそうだ、ゼド。忘れないウチに言っとくよ。アタシがこの村を出て二、三日したらあのバカ共を離してやっておくれよ」
 コップを軽く傾けながら、アシェリーは村の端っこの方にある、魚の骨で出来た屋外牢に視線を向けた。
「ちくしょー! ここから出せぇぇぇぇ! 出さんかああぁぁぁぁ! 俺は無実潔白、清純好青年、有言不実行だあああぁぁぁぁ!」
「なんでこんなムサい男と一緒なんだヨ! いやー! 腐るー! せめてアシェリーの胸に顔を埋めて死なせテー!」
 中ではヴォルファングとリュアルが、後ろ手に縛られてわめき散らしている。
(コイツら、ホント無駄に体力余ってるねぇ……)
 村に案内されて宴の準備をぼーっと見ていた時、二人が屈強な獣人達に運ばれてきた。おそらくアシェリーを追ってオビス島の森林地帯に入ったところを捕らえられたのだろう。石海を生身で渡ってきたヴォルファングといい、殆ど体力が残っていないにも関わらず船倉を抜け出してきたリュアルといい、どこにそんな力が眠っているのか理解に苦しむ。
「客人の知り合いだ。手荒な真似はせんよ」
 ゼドは上機嫌な顔つきで微笑しながら、空になったアシェリーのコップにサーラ酒を注いだ。
「ありがとさん。恩に着るよ」
 これで間違っても殺されることはないだろう。厄介事ばかり押しつけてくる彼らだが、さすがに死なれると寝覚めが悪い。
 約束を取り付け終え、アシェリーは再び心地よい酩酊に体を任せた。そして僅かに揺らぎ始めた視界で、宴に興じている獣人達を見回す。
(ココの連中も……結構喰われてる奴いるねぇ……)
 指がない者、手首から先がない者、腿が抉れている者。様々だ。
 喰われているのは女や子供に多い。男達の方は殆ど無傷だった。
(やっぱり体格の差かねぇ……)
 ぼんやりと思いながら、自分の膝の上で肉を頬張っているガルシアに視線を落とす。
「ほらほら、ガルシア。あんまりこぼすんじゃないよ。アタシの服が汚れるだろ」
 戦闘ドレスは黒で汚れは目立たず、レザー製なので拭けばすぐに取れる。しかし別にわざわざ自分の膝の上で食べることはないではないか。
(そういやこの子はいっつもアタシにベッタリだねぇ。なかなか可愛いトコあるじゃないか)
 小さく笑ってガルシアの毛並みを撫でてやりながら、隣でちょこんと座ってルカの実ジュースをこくこく飲んでいるエフィナに目を移した。
 木の上の高い位置から吊された松明が浮かび上がらせる彼女の容姿は、いつもと違ってどこか幻想的だ。鮮烈な紅い髪の毛がそう見せているのかもしれない。
(そう言えば、ガルシアもエフィナも喰われてないねぇ……)
 今までソレが当たり前だったから考えもしなかった。
 体格の違いで喰う喰われないが決められるのであれば、ガルシアやエフィナは真っ先に喰われてしまってもおかしくはない。
(まぁガルシアは亜邪界って星から来たっていうし、エフィナは最初から星喰いが見えてたみたいだし。特別なんだとは思うんだけど)
 だがハッキリとした理由は分からない。
 ヴォルファングとリュアルも同様だ。今檻の中で暴れている二人も、全く喰われていない。
(ヴォルは良い体つきしてると思うけど、リュアルは見るからに華奢だしねぇ)
 例外が多い。恐らく的外れな推論だ。
(ま、どーでもいっか。身内が喰われるところなんてゾッとしないよ)
 今は酒を楽しみたい。難しいことを考えるのは後回しだ。それに喰われる者と喰われない者が区別できたところで、今の旅が変わるわけではない。コレまで通り、エフィナが指し示す場所に行ってドレイニング・ポイントを閉じるだけだ。
 小さく鼻を鳴らして胸中で割り切り、サーラ酒を飲み干す。
「どうしたアシェリー。さっきから飲んでばかりで全然食べてないじゃないか」
 ゼドが葉っぱの皿に野菜や肉を大盛りに盛って、アシェリーの前に置いた。
 香ばしい匂いが鼻腔をくすぐる。
「ぁあ、いいんだよ。胃袋に何か入れちまうと酔いが回らなくなっちまうからねぇ」
「ほぅ、それは酒豪のセフリだなアシェリー。結構結構」
「そう言うアンタは、飲まずに同じ草ばっかり食べてるじゃないか」
 言いながらゼドのコップの中身を見た。最初に注いだきり全く減っていない。
「私はこのエルク・グリーンが大好物でな。肉と違って勝手に口の中で溶けてくれるから食いやすい。まぁ、誰でも好きな物、食べやすい物から食っていくだろう。お前の酒と同じだよ」
 がはは、と笑いながら、大きな手で目一杯掴み上げたエルク・グリーンを口の中に押し込んだ。そして至福の表情で咀嚼していく。本当に大好物のようだ。
(好きな物、食べやすい物から、か……)
 何気なく言われた言葉に、ついさっき終結したばかりの議論が再び頭をもたげ始める。
(星も、食べやすい者から喰っていくのかねぇ……)
 屈強な男よりも、非力な女子供の方が食べやすい? そして一番食べやすいのは――
(アタシ、か?)
 喰われた者に触れることで癒す力。それはすなわち自分を代わりに喰わせる能力。ならば自分の方が喰い易いということになる。
 ドレイニング・ポイントにしても同じだ。いつも近くにいるガルシアやエフィナよりもアシェリーのエネルギーを最優先に喰らってくる。だとすれば二人が喰われないのは、喰いやすい自分の常に側にいるからなのだろうか。
(アタシだけが特別なのかねぇ)
 ガルシアに出会った時、自分には特別な力があると言われた。その翌年、魔女だと迫害されていたエフィナに出会って同じことを言われた。
 エフィナは星喰いを見て大規模な流行病が来ると予見していた。そしてソレが見事に的中し、災いをもたらす者だという烙印を押されて虐待を受けていた。当時まだ五歳だったエフイナを。
(自分達と違う人種は排除する。くだらない……)
 アシェリーも特別な力を持った存在だ。今はそれが良い方向に作用しているから何も咎められない。しかし、一歩間違って誰かを傷つけでもしたら……。
(アタシも疎外されちまうのかねぇ)
 ゼイレスグ王家騎士団の時のように。
(もしそうなったら……)
 自分はどうするのだろう。今度は規模が違う。国が、いや星が自分の敵に回ることになる。そうなったとしても自分のやってきたことに誇りを持ち、胸を張っていけるのだろうか。それとも……。
「あ、あの……。どうも有り難うございました」
 いつの間か考え込んでいたらしい。気が付くと、目の前に一人の少女が立っていた。
 まだ獣毛の生えそろっていない、小柄な女獣人だ。体をふらつかせながら、はにかんだような笑みを浮かべている。
「ヨルア! 寝てないとダメだろう!」
 先程まで上機嫌で食べ散らからしていたゼドが血相を変えて声を荒げた。
「だ、だって父さん。せっかく命の恩人様がいらっしゃっているのに……お礼の一つも言えないなんて失礼だよ」
「だが……!」
 ゼドは焦った声を上げて立ち上がり、自分の娘の体を支えた。そうしなければならない理由。アシェリーには痛いほど分かった。
(この子の喰われ方が一番酷い)
 体が半分以上なくなっている。そのあまりに凄惨な姿に、すっかり酔いが醒めてしまった。
(これだけ喰われてるとなると……)
 目だけを動かして、ヨルアの体を観察する。松明の明かりに照らし出された細く弱々しい躰。膝から下には獣毛が殆どなく、代わりに茶色くすすけた痣のようなモノが無数に浮かび上がっていた。
 体が枯れて萎縮する前に現れる典型的な症状だ。
(幼い子の方が喰いやすいのかねぇ)
 見たところ、ヨルアと呼ばれた少女がこの村で最年少のようだ。
「アリガトね。ヨルアって言ったっけ? どっか具合でも悪いのかい?」
 ガルシアの首根っこをつまみ上げて肩に乗せ、アシェリーはゆっくりと立ち上がる。
「すまんなアシェリー。見苦しいところを。元々体は弱かったのだが、ここ数ヶ月で急に進行してな。恐らく例の流行病だろう。男手一つでは、なかなか細かいところに目が行き届かなくてな」
 星喰いがもたらす体の変調は、一般的に流行病の一言で片付けられている。勿論特効薬はないが、アシェリーが各地のドレイニング・ポイントを閉じているおかげで、今のところ大事にはなっていない。
(ここ数ヶ月で、か……。この近くにもドレイニング・ポイントが出来たって考えるのが自然だねぇ)
 目を細めながら、ヨルアの頬を優しく撫でてやる。
 背筋を走る悪寒。体から何かが吸い取られていく感覚。自分の中の喪失感と同時に、欠けていたヨルアの体が補完されていった。
「あ、れ……?」
 早い間隔でまばたきしながら、ヨルアは目を大きく見開いた。そして体の動きを確認するように、何度もとんだり跳ねたりして見せる。
「ヨルア?」
「父さん! 凄いよ! わたし何ともなくなっちゃった! 元気いっぱいだよ!」
 明るく振る舞う少女には、さっきまでの悲壮感はどこにもない。天真爛漫そのものだ。
「良かったじゃないかゼド。ま、子供の病気なんてそんなもんさ」
 どっこいしょ、と言いながらアシェリーは座り直し、飲み直しとばかりにサーラ酒をあおる。横目にヨルアの足を見ると、痣が徐々に引き始めていた。効果テキメンだ。
「おおお、奇跡だ! アシェリー! お前が来てくれたおかげだよ!」
 感涙にむせび泣きながら、ゼドはヨルアを抱きしめて高々と掲げた。
「今夜は素晴らしい宴だ! これから『精霊の火踊り』が始まる。ゆっくり見ていってくれ!」
「ぁあ、そうさせてもらうよ」
 宴の席から離れ、ゼドは自分の家の方向に戻っていく。亡くなった妻と喜びを分かち合うつもりなのだろうか。
「エフィナ。この近くに、あるね?」
 毛皮の絨毯が敷き詰められている宴会の領域から少し離れた場所に、沢山の藁や葉っぱが集められて行く。
「……ん」
 ちょっとした丘くらいにまで盛られていく様子を見ながら、エフィナは小さく頷いた。
「どうして黙ってたんだい? ゼイレスグよりコッチの方が近いじゃないか」
「ゼイレスグの方がデカイからに決まってんだろーがよ」
 エフィナではなく、ガルシアがぶっきらぼうに答える。
「アシェリー。お前まさかこの近くのドレイニング・ポイント、閉じに行く気じゃねーだろーな」
 睨みを利かせ、真剣な口調でガルシアは言った。
「アンタもアタシとの付き合い長いだろ? わざわざ答えないといけない質問なのかい?」
 アシェリーの言葉にガルシアは大きく溜息をつき、
「お前なー、ちったぁ考えて行動しろよ。ここでお前のエネルギー喰わせちまったら、ゼイレスグの方はどうするんだよ。殆ど間ぁ空けずにドレイニング・ポイント閉じようとすりゃ、どうなるか分かってんだろ?」
 ドレイニング・ポイントを閉じるにはアシェリーのエネルギーを喰わせて、星の口を満足させる必要がある。この前、火山のドレイニング・ポイントを閉じた時も、体を持って行かれかけた。つまり一度の作業に多大なエネルギーを要するということだ。
 奪われたエネルギーをろくに回復させないまま、次のドレイニング・ポイントを閉じようとすればどうなるか。それは大袈裟ではなくアシェリーの死を意味する。
「この前のヤツ閉じてからまだ一週間くらいしか経ってねー。ハッキリ言って今の状態じゃギリギリだ。ここはスルーして、ゼイレスグに着くまでに完全な状態に戻って、それでゼイレスグの近くのドレイニング・ポイントを閉じるのが一番お利口なやり方なんだよ」
 そんなことは言われなくても分かっている。だからこそエフィナは教えなかったのだろう。アシェリーの身を案じるが故に。
「ココとゼイレスグとじゃ人口の規模が違う。沢山の人を救いたいって思うんなら、俺の言う通りにしろよ」
「イヤだね」
 だが、そんなに簡単に割り切れる物ではない。現に目の前でさっきまで辛そうにしていた少女がいたのだ。このまま放っておけば、またすぐに倒れるのは目に見えている。そうすればゼドも悲しむだろう。今はまだ一時的な治療を施したにすぎないのだ。
「人が多いとか少ないとか、そんなのは関係ないんだよ。助けたいって思う奴がいるから助ける。それだけさ」
「あのなー……お前、星を助けたいんだろ? だったらこんな所でのたれ死んでどうするんだよ」
「ああもぅ、同じことゴチャゴチャうるさいねぇ。イザとなったらアンタの亜邪界って星に乗り込んで、黒王って奴をぶっ飛ばせば済む話だろ。男のクセに女々しい計算してんじゃないよ」
 今のままでは根本的な解決にならないのは事実だ。この物質界を喰らっているとかいう亜邪界を何とかしなければ、ドレイニング・ポイントは生まれ続けるだろう。しかし数が減っているのも事実。今のペースならば、新しいドレイニング・ポイントが生まれるよりもアシェリーが閉じる方が速い。
 ならば最悪この旅を続けていれば、星全体が喰われることはない。その間に亜邪界に行く方法を探せばいいだけだ。
「お前なー。亜邪界に行くって簡単に言うけどよー……」
「アンタはソコからコッチに来たんだろ? だったら帰る方法もあるはずじゃないか。文句ばっかり言ってないで何とかしな」
 亜邪界に行く鍵はガルシアが握っている。コレは間違いない。だが、どういう訳かガルシアはそのことについて話したがらない。何か事情でもあるのだろう。
(ま、この子にはこの子なりの考えがあるんだろーさ。アタシは黒王って奴のこと全然知らないんだしね。今のままじゃ勝ち目がないのかも)
 ガルシアは勝算のない戦いはしない。それは五年も付き合っていればよく分かる。ガルシアの言うことは冷静で当を得ている。だからこそ信頼して何も言わない部分もあるし、自分の考えとは真っ向から張り合う部分もある。
「……はぁ、なんでこんなヤツ選んじまったんだろーなー……」
「何か言ったかい?」
 肩の上で倒れ込むガルシアの下顎を撫でてやりながら、アシェリーは口の端を少し上げて微笑した。さっきのセリフはガルシアが折れた時の合図のようなモノだ。
(色々心配かけてすまないねぇ)
 このまま体を酷使すればどうなるかなんて分からない。順応して更に強くなれるかもしれない、アッサリ死ぬかもしれない、英雄だと祭られるかもしれない、魔女だと疎外されるかもしれない。
 けどそれは今はどうでもいいことだ。その時が来たから、その時にまた考えればいい。
 今、考えなければならないのは、この村の近くにあるドレイニング・ポイントを閉じること。ただそれだけ。
 目の前が突然昼間のように明るくなった。
 枝葉の織りなす濃い陰影が消え、代わって燦々と照り輝く炎の化身が生まれる。
「これが『精霊の火踊り』……」
 藁や葉っぱに灯された火は瞬く間に燃え広がり、業火となって暗天を突いた。炎の中にはゆらゆらと蠢く細い縦長の影。それが獣人達の奏でる民族曲に合わせて、自在な伸縮を繰り返している。
 まるで炎の中に精霊が宿り、踊っているかのようだ。
 魅惑的で、神秘的で、そしてどこか儚げな『精霊の火踊り』は、夜遅くまで続けられた。


「これはまた……随分とおどろおどろしい感じだね」
 ゼドに借りた、ムーアという二足歩行の高速鳥に乗って半日。エフィナの導きに従ってたどり着いた場所はまさしく『幽霊屋敷』という名が相応しい廃れた洋館だった。
 僅かに開けた森の一角にある二階建ての建物は、外壁のそこかしこにひび割れが走り、その傷口を塞ぐように蔦が覆っている。茶色いレンガ造りの高級感溢れる外観だが、古風で落ち着いた雰囲気は影もなく、無惨に割られた窓ガラスと、風に揺られて軋み声を上げる錆びた蝶つがいとが相まって、果てしなく不気味な様相を呈していた。
 今が昼間でなければ、気の小さい者なら見ただけで逃げ出してしまいそうだ。
「お、おい……ホントにこんなとこ入るのかよ」
 アシェリーの肩からバックパックへと移動し、体を震わせながらガルシアはか細い声を上げる。
「ここにドレイニング・ポイントがあるんだ。しょうがないだろ。ま、幸い人が住んでそうな気配はないし」
「そういう問題じゃねーだろ!」
 わめき続けるガルシアを無視して、アシェリーは悠然と洋館の出入り口に歩み寄った。後ろからエフィナがちょこちょこと小走りに付いてくる。どうやら彼女は平気のようだ。
「誰かいるかい!?」
 ライオンを象ったドアノッカーを乱暴に扉に叩き付け、アシェリーは館の主に向かって声を掛ける。しばらく待ってみたが中から返事はなく、森のざわめきと動物の鳴き声しか返ってこない。
「よし、行くよ」
 真紅の紐を胸元から取り出し、唇で軽く撫でる。少し湿り気を帯びたソレを頭の後ろに回して、クセのないセミロングの黒髪をうなじの辺りできつく縛った。
 自分の身長の倍近くある観音開きの扉を内側に開いていく。ギギギ、と重い物が擦れ合う音を立てながら、扉は緩慢な動きで洋館内の闇に吸い込まれていった。
「凄い匂いだね、こりゃ」
 すぐに鼻腔を突くカビ臭い匂い。長い年月を掛けて堆積した古い空気の層が、招かざる客によって飛散していく。
 外から入る光によってまず浮かび上がったのは、絨毯の敷かれた大きな階段。二階まで吹き抜けになっている玄関ホールが主が如き風格を醸し出し、堂々と薄闇の中に鎮座している。かつては紅かったであろう絨毯は茶色くくすみ、修復不可能なまでにほつれが伝播していた。
「エフィナ。もっと詳しい位置は分かるかい?」
 アシェリーの問いに、エフィナはすまなそうな顔で首を横に振った。
「ま、いいさ。そんなに大きな屋敷でもないんだ。しらみ潰しに探してりゃ、そのうち見つかるってモンさ」
 軽い口調で言いながら、アシェリーは洋館へと足を踏み入れる。エフィナがそれに続き、二人が完全に中に入った直後、後ろで激しい音と共に扉が閉まった。大きな光源が無くなり、割れた窓から入る頼りない光だけが館内を照らしている。
「うわあぁぁぁ! もうダメだ! 呪われる! 殺される! 一生ここから出られないんだ!」
 背中のバックパックの中から、ガルシアが悲鳴混じりの叫声を上げた。
「うるさいねぇ、ったく。こんなモンいざとなったらブッ壊しゃいいのさ。それよりアンタ、ホントに情けないねー。エフィナなんて声一つ上げてないってのに。ちゃんと男の勲章ついてんのかい?」
 言いながらバックパックに手を突っ込み、ガルシアを取り出して腹の下を見る。
「……む! アンタ、メスだったのかい!?」
「ドコ見てんだ、このボケえぇぇぇぇぇ!」
 めし、とアシェリーの顔面に蹴りを入れ、その反動で飛び上がって再びバックパックに潜り込んだ。
「あたたたた……。ちょっと意外だったけどまぁ、そんだけ元気があるなら大丈夫さ。しばらく黙ってそこで大人しくしてな。ガルシアちゃん」
 さっきガルシアと一緒に取り出した手の平サイズの筒――白光蛍筒を高く掲げ、強く握りしめて離す。白光蛍筒はアシェリーの頭上で浮遊すると、淡く白い光を放って安定した。中に入れられた発光虫は外部からのストレスで白い光を放ち、浮かび上がる。それを利用した簡易型のライトだ。
 白光蛍筒の真ん中に結わえつけた長い紐を引っ張りながら、アシェリーは取りあえず二階へと歩を進めた。
 階段を上がるたびに、足下からミシミシと不満の声が聞こえてくる。
「――ん?」
 上がりきった所に置いてある鉄鎧の置物。アシェリーより少し背丈の高いソレが、今僅かに動いたように見えた。
「気のせいか」
言いながらすぐ前を通り過ぎようとした時、見た目からは想像できないほどの素早い動きで、鉄鎧が手にしていた剣を振り上げる。
「なんて言うとでも思ったのかい!」
 だがソレを予測していたのか、アシェリーはすでに左手に持っていた五節棍を鉄鎧の首に巻き付け、力一杯引っぱった。鉄仮面は音もなく外れ、中から暗い空洞を覗かせる。
「はん! 幽霊様のお出ましってわけかい! 上等!」
 鉄仮面を解放し、五節棍の真ん中を持って両端の節を鉄鎧に叩き付けた。腕の付け根を狙った一撃は正確に標的を貫き、鈍い音を立てて鉄鎧の両腕が床に転がる。更に、五節棍を引き寄せる時に両足を叩き、バランスを奪い取った。
「鉄クズがこのアシェリー様にケンカ売ろうなんて一万光年早いんだよ!」
 五節棍の端を持ち直し、空中で大きく振って勢いの付いたソレを、鉄鎧めがけて思いきり叩き付ける。体勢を崩したところに食らった一撃は致命傷となり、鉄鎧は頑丈そうな胸板をへこませて一階に落下した。
「おととい来な!」
 ハンッ、と小気味良く鼻を鳴らしたアシェリーの視界に何か光る物が映る。ソレは見る見る大きさを増し、反射的に身を低くしたアシェリーの頭上を掠めて後ろの壁に突き刺さった。切り取られた髪の毛が視界の隅を舞っていくのが見える。
 それは銀製のナイフとフォークだった。どこから飛んできたかの、錆び付いていてもおかしくないはずのソレらは、鏡と見まごうほどの輝きを持って次々と飛来して来る。
「ちぃ!」
 鼻に皺を寄せて舌打ちし、アシェリーは五節棍をヌンチャックのように振り回して自分の周囲に物理的な結界を張る。
 金属同士がぶつかり合う甲高い音を響かせ、アシェリーは迫り来る刃物を全てはじき飛ばしていった。
(コレじゃきりがないねぇ……!)
 自分一人ならともかく、エフィナを守りながらだとこの場所から動けない。無駄に体力を消耗するだけだ。
「エフィナ!」
 頭を低くしてうずくまるエフィナに声を掛け、アシェリーは床を蹴った。そして右腕で彼女を抱きかかえると、二階の廊下を疾駆する。
(あそこなら!)
 五メートルほど前にある他よりも一際豪勢な作りの扉。五節棍を伸ばしてドアノブをたたき壊し、扉の前で急停止して内側に蹴り開ける。室内に入ったところで右に跳び、開いた扉を回し蹴りの要領で強引に閉めた。
 直後、扉を強くノックするような音が立て続けに響く。部屋の壁に背中を付け、しばらく様子を窺っていたが、刃物は室内に侵入することなく音は収まった。
「っはぁー……」
 エフィナを床に下ろし、大きく息を吐く。思い出したかのように冷たい汗がどっと噴き出してきた。
「アレってやっぱり、誰かのディヴァイドなのかねぇ」
 五節棍で肩を叩きながら、取りあえず室内を見回す。
 床に敷かれた絨毯は起毛が立ち、壁には猛獣の剥製が飾られている。部屋の隅には王様が寝るような天蓋付のベッド。その隣には太い一枚板で作られた机が置かれていた。更に横には天井に届きそうなほどの本棚が三つ。かなりの蔵書数だ。
 部屋にある全ての家具から上流階級の気品が漂い、荘厳な雰囲気を醸し出していた。
『なぜ、静かに眠る私達を起こす』
 突然響いた声に、アシェリーは咄嗟に身構える。
『貴様、あの娘の知り合いか』
 先程まで誰もいなかったはずの椅子。コチラに背中を向け、誰かが座っていた。
「誰だい、アンタ!」
『この屋敷の主に対して随分な口の利き方だな』
 椅子を浮かして回転させ、振り向いたのは初老の男性だった。頭の覆う髪の毛は白く染まり、顔には深い皺が幾筋も刻まれている。頬はこけ、体はやせ細り、椅子に座っていても杖を持っていなければ倒れてしまうのではないかとさえ思わせた。
「主? ソレは悪いことしたね。一応ノックはしたんだけど返事が無くてさ。土足で悪いんだけど勝手に上がらせて貰ったよ」
『あの娘……なぜわざわざ私達を起こす』
「あの娘? さっきから誰のこと言ってんだい」
『私達、大地に眠る霊を呼び覚まし、貴様らを殺そうとしている娘のことだ』
 自分達を殺そうとしている娘。その言葉で惹起される暗い過去。アシェリーは急激に体温が下がって行くのを感じた。
「まさか――」
『覚えがある、という顔だな。あの娘の力は強力だ。百年も前に深い眠りについた我々を叩き起こし、自分の道具にしている。あの娘の目的は貴様を殺すこと。原因は明らかに貴様にある。何とかするんだろうな』
 死火山の噴火。古代魚の暴走。そして眠れる霊の覚醒。これらは全て大地そのものへの干渉。三年前、エフィナのディヴァイドの一人が制御を外れたことで手に入れた力。
「……心配しなくていいよ。最初からそのつもりさ」
 やるせない思いを胸に、アシェリーは苦渋に満ちた顔を上げた。
「その子からの命令は今どうなってるんだい? この部屋出たらすぐに攻撃を始める気かい?」
『さぁな、そこまでは分からない』
 つまり、いつ目の前の老人が操られて攻撃に移ってもおかしくはないと言うことだ。さっきの鉄鎧やナイフのように。
「とにかくアタシは行くよ。こんなところでじっとしててもしょうがないからね」
『健闘を祈るよ』
 老人の無責任な言葉を背に、アシェリーは部屋を出た。


 結局あれからドレイニング・ポイントを見つけるまで、襲われることは一度もなかった。
 ドレイニング・ポイントは一階の空き部屋にあった。窓が一つ申し訳程度に取り付けられているだけで、家具は一つもない。
「分かってるな。アイツの狙いはお前がコイツを閉じた後だぞ」
 バックパックの中からガルシアが忠告する。
 そう、今自分達を狙っている少女の狙いはドレイニング・ポイントを閉じ、体が弱った時だ。彼女にドレイニング・ポイントは見えていないはず。だがどういう訳か存在は知っているようだ。そして閉じた後、アシェリーがどうなってしまうのかも。
 火山でのタイミングの良すぎる噴火と、今静観していることが何よりの証拠。
「分かってるさ、それくらい」
 冷たい汗が頬を伝う。だが逃げるなどいう選択肢はない。
 ドレイニング・ポイントを閉じることを止めるつもりはないし、少女と直接話が出来るなら願ったりだ。
(二つ同時でないとかなわないってのが厄介なところだね)
 皮肉めいた笑みを浮かべながら、アシェリーは螺旋に歪む空間に手を伸ばした。
「――!」
 直後に全身を襲う名状しがたい倦怠感。続けて心臓を冷たい手で鷲掴まれたような、躰の最深から湧き上がる怖気。生きることに絶望し、死に安寧を求める。無条件で精神を蝕んでいくのは、死神の甘言。脳の一部が麻痺し、緩慢な変遷を経て腐食していく。そんなありもしない幻影がアシェリーを包み込んだ。
(負け、ない……!)
 血が滲むほどに唇をかみしめ、生じた痛みによって辛うじて意識を繋ぎ止める。笑う膝で体を支え、ドレイニング・ポイントから手を離すまいと必死で腕を伸ばした。
(……ッ!)
 そして視界が開ける。
 さっきまで澱のように沈殿していた粘着質な黒い塊は払拭され、清涼感溢れる神々しい物質で体が満たされて行った。
「……任務、完了……だね」
 肺一杯に新鮮な空気を吸い込み、アシェリーはゆっくり吐き出した。
「アシェリー」
 肩の上でガルシアが体を緊張させながら呟く。
「分かってる」
 そして、ゆっくり後ろに振り向いた。
「パルア……久しぶりだね。随分と大きくなったじゃないか」
 木製の扉の前に立っていたのは銀髪の少女。双眸はリュード族の証である碧。アシェリーより僅かに低い目線から、敵愾心を剥き出しにした鋭角的な瞳で睨み付けてくる。
「貴様への憎しみが私を育てた」
 腰まで伸びた艶かな髪の毛を揺らして、パルア=ルーグは右手を真横に伸ばした。その力強い動作に応え、彼女の後ろから三体の鉄鎧が重々しい動作で現れる。
「ゼイレスグの王家騎士団に入団したのかい」
 腰の後ろから抜きはなった五節棍を真横に構え、アシェリーは体勢を低くしてパルアの服装を見た。
 体にぴったりフィットした白のラバースーツ。黒地に複雑な金の刺繍が施された貫頭衣をその上から纏い、動くのに邪魔にならないように腰でしっかり縛っている。
 ゼイレスグの王家騎士団『深月しんげつ』に所属する女性が身につける戦闘服だ。六年前までアシェリーも着ていたからすぐに分かった。
「王家騎士団がこんなところで油うってていいのかい? 単独行動はよっぽどの理由がなきゃ許されないはずだろ?」
「協力者がいるからな。貴様を殺すために私に力を貸してくれている」
「協力者、ねぇ……アタシも随分と恨まれたモンだ」
 団員に単独行動の許可を出せるのは副隊長クラス以上の人間だけだ。
(まー、確かに迷惑は掛けたけどさ。何も殺すことないじゃないか)
 かつて世話になった『深月』の隊長の顔が頭をよぎる。勿論、パルアの言う協力者が彼だと決まったわけではないが、今のところ思い当たる人物が他にいない。
「今でもまだアタシを憎んでいるのかい?」
「当然だ」
 鉄鎧はゆっくりと三方向に散り、アシェリーを取り囲む。
「アンタの勘違いだって言っても、信じてくれないよね」
「何度も同じことを……見苦しいぞ!」
 パルアの怒声と共に、鉄鎧は一気に間合いを詰めた。
 エフィナを抱きかかえ、五節棍を伸ばしてたった一つの窓ガラスを叩き割る。甲高い音と共に飛散するガラスの破片に背を向け、エフィナを守りながら大きく後ろに跳んだ。
「逃がすと思っているのか!」
 叫んでパルアは、右手を思い切り床に押しつける。
 次の瞬間、アシェリーの真下の床が不自然に盛り上がり、内圧に負けたかのように弾け飛んだ。中から出てきたのは力の塊。不可視ではあるが、自分に害為す何かが肉薄していることは知覚できた。
「エフィナ! しっかり捕まってるんだよ!」
 胸に抱いたエフイナの前で五節棍を折り畳み、盾のようにして迫り来る衝撃に備える。直後、甚大な圧力が五節棍を支えていた両肩に襲いかかった。まるで肩の関節が外れたのではないかと思わせる一撃。
(随分と大地への干渉が上手くなったじゃないか……!)
 その反動を利用してアシェリーは天井に着地し、たわめていた両足を大きく伸ばして跳躍する。鉄鎧の頭を越えてパルアの背後に降り立つと、アシェリーは彼女の入って来た扉から部屋を出た。
「悪いね、パルア。次に会う時は真犯人を見つけた後にしておくれよ」
 背後で悔しそうな声を上げるパルアを後目に、アシェリーは廃洋館の出口を探して疾駆する。ざっと見回したところ、外に続いている扉や窓は全て閉じられていた。パルアが大地を介した霊の力で洋館全体を操っているのだろう。
(それにしても……仕方ないとはいえ、人に恨まれるのはいい気分じゃないねぇ)
 ――三年前。アシェリーは森に隣接した川縁で、突然斬りかかられた。
 困っている人を助けこそすれ、自分は誰かに恨まれたり憎まれたりするようなことは一切していないと思っていた。しかし戦争の爪痕がまだ残っているようなこのご時世。よかれと思ってしたことが、裏目に出るなどよくある話だ。
 取りあえず事情でも聞こうかと思っていたアシェリーだったが、男は問答無用で斬撃を繰り出してきた。しかし、それ程鋭くはなかった。
 元ゼイレスグの王家騎士団員であり、全国を回ってドレイニング・ポイントを閉じると共に多くの猛者達と渡り合ってきたアシェリーの敵ではなかった。
 アシェリーの前にひれ伏した男に、ガルシアがしきりに『殺せ』と連呼していたのを覚えている。その時は何も命まではと思っていたが、今になってみればガルシアの判断は正しかった。
 アシェリーの油断を見て立ち上がった男は、素早い動きで敗走を始めた。
 そして偶然、本当に偶然――彼の退路にパルアの両親がいた。
 恐らく近くでキャンプでも楽しんでいたのだろう。夫婦で水を汲みに来たのか、夫の手にはバケツが握られていた。
 直線的な動きを妨げられた男は反射的に夫婦を斬り捨て、森の中に姿を消した。
 そのすぐ後だった。パルアが駆けつけたのは。
(でも、偶然……だけじゃなかったんだろうねぇ。きっと)
 アシェリーがソコに来ていたのはドレイニング・ポイントを閉じるためだった。エフィナが自分のディヴァイドを介して見つけ、一週間かけてやって来た。
 その時にエフィナが介したディヴァイド。それがパルアだ。
 エフィナのディヴァイドは人間だ。ソレも一人や二人ではない。何百という人間を自分のディヴァイドにし、彼らを拠点にドレイニング・ポイントを知覚している。しかしエネルギーを細分化しているために操ることまでは出来ない。だがレーダーとして使う分には十分だ。
 物と違い、意識のある人間をディヴァイドにするには、並はずれたセンスが要求される。星喰いが見えることもあり、エフィナも特別な人間なのだろう。そしてエフィナのエネルギーを宿したディヴァイドであるパルアもまた特別だった。
 両親の死を目の当たりにしたパルアは感情が昂ぶり、我を忘れて『暴走』した。
 川の底から熱湯が噴き出し、森の至る所で火事が起こった。
(あの時からだねぇ。もともと無口だったエフィナがもっと喋らなくなったのは)
 ガルシアが教えてくれたことをしばらく理解できなかった。
 非常にまれなケースではあるが、分身であるディヴァイドが人間のような意識体であり、その意識が無くなるほど感情の昂ぶりを見せた時、本体が近くにいる場合にのみエネルギーの流れを強くして意識を繋ぎ止めるらしいのだ。
 そして吸収されたエネルギーはディヴァイドの物となり、本体には戻らない。時間が経っても回復しない。
 ソレが『暴走』。
 パルアはこの『暴走』によってエフィナから多くの力を奪った。そして強大な力を手に入れた。
 大地に直接干渉する力を。
(アタシがあの時……アイツにトドメを刺していれば)
 悔やんでも悔やみきれない。
 パルアをあんな風にしてしまった責任は自分にもある。あそこで男を逃がさなければパルアはこんな辛い思いをせずにすんだ。
 アシェリーにはパルアの気持ちが痛いほど分かった。
 パルアは自分と全く同じ道を歩んでいる。
 両親を亡くし、王家騎士団に入り、力を付けて仇を討とうとしている。
(アタシだってアッドノートの獣人共は憎かったさ。アタシの生活を無茶苦茶にした奴らなんだからね)
 だが、狩られる側から狩る側になって分からなくなった。
 泣きながら逃げまどう獣人の子供達。ソレを護ろうとする親。自分の子供を護るのは親として当然のこと。アシェリー自身もそうされたように。
 共に戦うのは幼い頃に憧れた勇者達。だが彼らは弱者に躊躇いなく剣を振り下ろし、薄汚い言い訳で自分の行動を正当化する愚者でもあった。
 表と裏。影と光。
 敵にかつての自分が重なり、味方にかつての敵が重なる。
 今まで信じていたモノが覆され、何が正しくて何が悪いのか分からなくなった。
 そして気が付けば獣人達を護る側に付いていた。
 考えた結果の行動ではない。直感とも呼ぶべき本能的な選択だ。
 その時、何かが吹っ切れた気がした。
(パルアにだって分かる時が来るさ)
 何がキッカケになるかは分からない。しかしいつかきっと、憎しみの裏にある何かに気が付くはず。
 自分が盲信していたモノが否定された時、パルアはちゃんと立っていられるだろうか。自らの信じる道を歩むことが出来るだろうか。
(ま、ソイツをフォローするまではアンタの仇役でいてあげるよ)
 口の端をつり上げ、アシェリーは自嘲めいた笑みを浮かべて手近にある窓ガラスに五節棍をぶつけた。僅かな振動にすら耐えられそうにない古びたガラスは、その脆弱な外見とは裏腹に鈍い音を返して五節棍を弾く。
(やっぱりねぇ……完全にあの子の腹の中って訳か)
 霊を使ってこの建物全体を支配しているのだろう。死火山を蘇らせたり、古代魚を激憤させられるだけの力があれば、このくらいの芸当は簡単だ。
(随分と力付けたじゃないか。さて、と。どうやって脱出するか……)
 今はとにかく逃げるしかない。ドレイニング・ポイントを閉じた直後の状態では、恐らくパルアには勝てないだろうし、こちらから傷付けるつもりもない。
 視線だけを動かして、どこかに脱出口が無いかを探す。
「――っと」
 二階への階段を上ろうとして、アシェリーは急停止した。その反動で前に抱えていたエフィナの体が締まったのか、「……う」と短く声を漏らす。
「諦めろ、アシェリー。貴様はもうここから出られない」
 階段の丁度真ん中。いつからいたのか、パルアは腕を組んで悠然とコチラを見下ろしていた。
「残念だったね。アタシは『諦める』って言葉とはとことん縁がないのさ」
 エフィナを下ろし、彼女を守る形で前に出る。
「なら私が結び付けてやろう」
 パルアは冷笑を浮かべながら、軽く指を鳴らした。
 頭上で聞こえた小さな金属音に反応して顔を上げる。割れて凶悪な刃を剥き出しにしたシャンデリアが、すぐソコまで迫っていた。
「ちぃ!」
 エフィナを踵ですくい上げ、バックステップを踏んで辛うじてかわす。直後、派手な破砕音を上げて、老朽化したシャンデリアが床に吸い込まれるように崩れ去った。
(やばいねぇ……いつもより反応が鈍ってるよ)
 不意打ちとはいえ体が緊張しきっている今なら、上を見ることなく避けられていてもおかしくない。ソレが出来ないほどエネルギーを吸われてしまっている。長期戦は不利だ。
「パルア。そんなにアタシを殺したいかい?」
 構えていた五節棍をダラリと下げ、アシェリーは諭すような口調で話しかけた。
「愚問だな」
「そうかい」
 短く言ってアシェリーは五節棍を床に落とす。そしてバックパックから小型のナイフを取り出すと、パルアの足下に投げてよこした。
「だったらアンタ自身の手でやるんだ」
 アシェリーの意外すぎる行動に、パルアは少し目を大きくする。
「他のモンに頼るんじゃないよ。アンタが自分の手でアタシを刺すって言うんなら、アタシは殺されてやってもいい」
「バ……! 何言ってんだテメーは!」
 肩の上でガルシアが歯を剥いて叫んだ。
「ほら、そのナイフで刺しな。別に変な仕掛けなんてしてないよ。どこにでも売ってる、極々普通のナイフさ」
 ガルシアの叫声を無視してアシェリーは一歩前に出る。
「ナイフ……か、やはり持っていたな。これで私の両親を殺したのか」
「勝手にそう思いたいんなら構わないよ。私は野営の準備以外には使ったこと無いけどね」
 言いながら更に一歩進む。
「何を……考えている」
 自分の足下に転がるナイフを取り上げ、パルアは訝しげに目を細めた。
「別に何も考えてないさ。ただ理由はどうあれ人を殺すってことは、それなりの覚悟が必要なんだってアンタに分かって欲しくてね」
 両手を軽く横に広げ、アシェリーは武器を持っていないことを示しながらゆっくりとパルアの元に歩み寄る。
「誰かを殺すってことは、ソイツの今後の人生を自分が背負わなきゃいけないんだ。ソイツが生きてられたら過ごせた人生を、殺した人間は抱きかかえて生きてかなきゃならないんだよ。アンタにアタシの人生背負う覚悟、あるんだろうね」
 戦いが起きれば誰かが死ぬ。残党狩りの様な小規模な戦闘でも同じことだ。
 あの時、アシェリーは初めて人を殺した。生き延びるためにコチラに剣を向けてきた獣人を。残党狩りだと聞いた時から覚悟は決めていたはずだった。
 殺らなければ、殺られる。そう心に決めて一心不乱に戦った。
 だが相手を殺した後、沸き上がってきたのは勝利への喜びなどではなく、焦燥にも似た恐怖。この手で目の前の男の人生を閉ざしてしまったことへの罪悪感。
 しかしいつまでもそんなモノに浸ってはいられない。すぐに別の刃が飛んでくる。
 際限なく積み重なる暗い気持ちを端へと押しやりながら、アシェリーは戦いに没頭した。自分が今生きていることの意味を考え続けながら。


《捕虜も敵も関係ない。皆殺しにしろ》


 命の重さ、尊さが身をもって実感できた直後の残酷な命令。アシェリーには決して許すことが出来なかった。行為自体は勿論のこと、何の疑念も挟まずに実行する騎士団の神経を。
「こんな世の中だ。死んで当然の奴なんざ掃いて捨てるほどいるさ。でもね、そんな奴らほど生きたいって気持ちは凄いモンなんだよ。アタシだってそうさ。出来るならこんな所で死にたかないよ。やり残したことが山ほどある。けどアンタにしてみりゃ自分の親を殺した犯人だ。死んで当然の人間さ。ソレはよく分かるよ」
 アシェリーが近づいた分だけ、パルアは後ろに下がる。
 まるでアシェリーの気迫に気圧されるように。
「でも、アンタはアタシを殺したっていう事実から目を逸らさずに生きていけるんだろうね。できるんならアンタがその手で刺しな。飛び道具なんかに頼るんじゃないよ」
 死んで当然だと思っている人間が殺されるのを見ているのと、自分の手で殺すのとでは、後でのし掛かってくるモノが全く違う。
 果たしてパルアにソレが分かっているのかいないのか。彼女は鋭い視線でコチラを睨み付けたまま、じりじりと後ずさって行った。
「なに逃げてんだい。こんな無防備な憎き仇を目の前にしてさ。火山に古代魚に幽霊。誰かにやって貰わないと、なんにも出来ないのかい、アンタは」
 挑発しながら、一歩一歩確かめるように階段を上って行く。さっきから耳元でガルシアがギャーギャーわめいているが、ソレを除けば予定通りだった。
 アシェリーの見せた意外な行動による戸惑い。純粋な殺意に混じる疑惑と疑念。そして三年間追い続けた仇が目の前にいるという事実。
 喉が手が出るほど求め続けたチャンスは、極めて安易に与えられた。この状況は心が純粋な者ほど錯乱状態に陥り易くさせる。
「貴様……」
 パルアは必ずアシェリーの挑発に乗ってくる。
「殺しなよ。アタシがいいって言ってるんだ。それとも、こんなに簡単じゃアンタが納得行かないかい?」
「人殺しが知った風な口を利くな!」
 ナイフを鞘から抜き放ち、パルアは叫び声を上げて突っ込んで来た。
 パルアはまだ幼い。そして純粋だ。だから何か罠があると思いつつも、理性で憎しみを押さえ込むことが出来ない。
(かかった)
 す、と目を細め、ナイフの軌道に神経を集中させる。
 銀の光は下から弧を描くように伸び上がり、そして――
(――な)
 ナイフの動きが異常に緩やかになった。
 まるで粘性の高い液体の中での動作のように、ゆっくりとコマ送りに刃が近づいてくる。パルアが柄を握り込んだ角度、刃先の向き、足の踏み込み、視線の挙動。それら全てが手に取るように分かった。
(これは)
 前にも似た体験をしたことがある。
 古代魚に食われかけた時、針の先のように研ぎ澄まされた神経。高純度の麻薬でも吸った時のような昂揚感と絶対の自信。
 さっきまで空っぽだったエネルギーはいつの間にか満たされ、溢れんばかりの力が体の最深から沸き上がってくる。
(見える)
 パルアの動きだけではない。自分がナイフをかわしきり、パルアの背後に立って気絶させる動作まで全て。
 緩慢な時の流れの中で、アシェリーだけが通常通り動くことが出来た。階段の上で流れるように足を運び、パルアの脇を通り抜けて背後に出る。そして彼女が振り向く前に、白い首筋に手刀を振り下ろして脳を揺さぶった。
 気を失い、前のめりに倒れるパルアを抱きかかえたところで、アシェリーの感覚は通常に戻った。
「ふぅ」
「『ふぅ』じゃねーだろ! テメーは! なんでこんな危ないことしてんだよ!」
 一仕事終え、安堵の息を吐いたアシェリーとは対照的に、ガルシアは声を荒げて気色ばむ。
「なんだい、イチイチうるさいねぇ。こーやって無事でいるんだから別に良いじゃないか。ねぎらいの言葉の一つでも欲しいところだよ」
「そーゆー問題じゃねーだろ! 大体お前は考え無しに行動しすぎなんだよ! もっと後先のこと考えて……!」
 先を続けようとしたガルシアの言葉が、縦揺れの振動と崩落の轟音でかき消された。
 パルアが気を失い、館を支えていた霊が解放されたのだろう。彼らの力がなければ、この洋館はアシェリーの激しい動きに耐えることは出来なかった。そのしわ寄せが今になって一気に吹き出し、壁と言わず廊下と言わず至る所で洋館のほつれが見え始めていた。
「小言は後でゆっくり聞くことになりそうだねぇ」
 埃や木片が舞い落ちる中、アシェリーはパルアを背中に担ぐと階段を下り始める。
「……ったく、やっぱソイツも助けるのかよ」
 肩の上でガルシアが不満そうな声を漏らした。
「そんな、ふところの狭いこと言ってんじゃないよ」
「へーへー、どーせ猫のふところなんざ知れてますよーだ」
 拗ねたような口調で言ってそっぽを向くガルシアを横目に、アシェリーは階下にいたエフィナを連れて洋館を後にした。




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