アシェリー様のお通りだ!

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第六章

 パルア=ルーグ、十六歳。蒼き黄昏の年、静謐なる晩餐の日の生まれ。アシェリーの復讐を糧に生きてきた彼女は今、酷く戸惑いを感じていた。
(コイツらが、どうして……)
 ゼイレスグ城の地下牢を監視する宝玉。ソレが送ってきた映像を見てパルアは愕然となった。
 アシェリーが捕まったという情報を得てゼイレスグへと戻って来た次の日、突然の侵入者に城内は混乱の渦中にあった。それはこの監視室で、『満月』と『双月』に二人の居場所を知らせている『深月』も例外ではない。
 漆黒の魔導防護壁で仕切られた立方体の部屋には、壁や天井に無数の巨大水晶が埋め込まれている。監視宝玉を破壊されたせいか、その殆どがノイズを映し出すだけとなり果てているが、地下牢に残った宝玉は生きていた。
(確か、ヴォルファング=グリーディオとリュアル=ロッドユール……)
 アシェリーに関しては殆どのことを調べ上げている。この二人も自分と同じく、アシェリーに恨みを持って追い続けていた者達のはずだ。それがどういう訳か、今はアシェリーを助けるために極めて危険な橋を渡っている。
「何て強さだ……コイツら。本当に一般人なのか……」
 絶望的な口調で水晶を見つめる団員の一人が呟いた。
(確かに、強い……)
 狭い通路での戦いとはいえ、たった二人で何十人もの騎士団員と互角の戦いをみせている。ゼイレスグの王家騎士団は世界に誇る最強の軍隊のはずだ。それがたった二人の侵入者相手に苦戦している。
 水晶の映像の中で、ヴォルファングが何か叫んだ。それに応えてリュアルが下がり、アシェリー達の閉じこめられている牢の前に移動する。彼女が扉に手を触れたと思った次の瞬間、ソレは歪にねじ曲がって蝶つがいごと外れた。扉はそのまま浮遊すると、兵士とヴォルファングの間に入って盾となる。
「信じられん……ガイラ素材の扉を……」
 最硬のガイラ素材は物理的には勿論のこと、外部からのあらゆる干渉に強い。当然、ディヴァイドにしようとすれば、それ相応のエネルギーを要求される。例え『満月』であっても、少なくとも三人掛かりでエネルギーを注がないと無理だという話を聞いたことがあった。
「まずいぞ! このままだとアイツらを繋いだ鎖も……!」
「心配するな」
 狼狽える団員に声を掛けてきたのは黒衣を身に纏った長身痩躯の男。
「レグリッドさん」
 自分にとって最大の協力者であり理解者でもある男の登場に、パルアは破顔する。
 腰まである漆黒の長い髪を揺らしながら、レグリッドはパルアの横に立った。
「アシェリー=シーザーを繋いだ鎖は絶対に切れん」
 自信に満ちた断定的な言葉。ゼイレスグ王の片腕である軍師の言葉に、不安に駆られてた団員達が少し落ち着いたのが見て取れた。
「絶対に切れない……?」
「あの鎖は特別だからな。パルア、お前にもアシェリー対策として持たせただろう」
 言われてようやく思い当たる。
 レグレッドがこの世界には存在しないと言う金属で作り上げた特殊な鎖。捕らえた者の力を吸い取り、特定の言葉を言わない限り物理的に外れることはない。
「見てみろ」
 落ち着いた様子でレグリッドは地下牢の映し出されている水晶を指さす。ヴォルファングが牢の扉を盾にして時間稼ぎをしている間に、リュアルがアシェリー達を助ける算段だったのだろう。
 しかし、牢の中から出てきたのは鮮やかな紅髪を持ったエフィナという少女一人だけだった。
「もういい。兵士達を一端引かせろ」
「……は?」
 レグリッドの提言に、団員の一人が目を丸くして素っ頓狂な声を上げた。
「このままでは埒が開かん。相手は狭い通路を利用してコチラの力を封じている。騎士団の力を最大限に発揮できる場所で戦うべきだ。いいか、これから私の言うとおりにしてアイツらを誘導するんだ」
 流れるような口調で淀みなく指示を出すレグリッドの横顔を、パルアは憧れの眼差しで見つめていた。
 ――三年前、両親をアシェリーに殺されたパルアを心身共に支えてくれたのはレグリッドだった。
 あの時、アシェリーと刺し違えることもできず、絶望と悲嘆にくれ、何もかもがどうでも良くなっていた。このままのたれ死にして両親の元に行くのも悪くないと本気で考えていた。そして当てもなく放浪しているところをレグリッドに拾われた。彼も旅の途中だったらしく、温かいスープとパンをパルアに与えてくれた。体が食べることを拒絶していたせいもあり、何日もまともな食事をしていなかったパルアにとってはそれでもご馳走だった。
 食べながらアシェリーの話をした。誰でも良かった。とにかく吐き出してしまいたかった。話しながらいつの間にか泣いていた。
 ソレが、両親が死んだ後、初めて流した涙だった。


『アシェリーを殺したいか?』


 全てを話し終え、レグリッドにそう訊ねられた。無意識に首は縦に振られていた。


『私もそうだ。私もアシェリーを……黒王を殺さなければならない』


 レグリッドから語られたことは今でもはっきり覚えている。とてもすぐには信じられない話だ。だから余計に耳に残った。
 人は大人になるまで星の恵みで育てられ、そこから老いて死ぬまでは逆に自分のエネルギーを供給する。その代謝サイクルを繰り返すことで、持ちつ持たれつの関係が成り立っているらしいのだ。
 レグリッドは亜邪界と言う、ココとは別の星の住人だった。ソコでは星自体がすでに寿命を向かえようとしているため、エネルギーが枯渇してきているのだという。
 力の弱い住人達は次々に星に喰われ、死に絶えていった。亜邪界を救うには別の星を喰うしかなかった。
 黒王は亜邪界の王。つまり星自体を操る力を有する。黒王は亜邪界に他の星を喰わせ、自分の星を生きながらえさせた。しかし、何百年も同じことをしているうちに黒王は迷い始めた。そしていつしか、これから喰う星の最期を見届けるようになった。
 自分の足で、実際にその星に行くことで。
 黒王がいずれ星を喰うことを止めてしまうのは目に見えていた。そしてその時が来た。この物質界を生かすため、ドレイニング・ポイントを閉じ続けていることが何よりの証拠。黒王は自らの行動に嫌気がさしたのだ。だか、そうなれば亜邪界は死ぬ。それだけは避けなければならない。
 レグリッドは黒王を殺し、自分が亜邪界の黒王として星を守ることにした。そして黒王が、これら喰う星の最期を見届けようと、ここ物質界に来た時に罠を仕掛けた。強大な力を持つ黒王の隙をつくには、悲哀に浸り僅かに気がゆるむこのタイミングしかなかった。
 レグリッドは黒王の力を封じて、彼女の体を物質界につなぎ止めた。黒王と一緒にレグリッドも物質界に来たが、本体は亜邪界に押し戻され、ディヴァイドを残すことが精一杯だった。
 本体の数パーセントほどしか力を持たない仮の体。レグリッドだけでは黒王――アシェリー=シーザーを殺すことはできなかった。


『私はお前の住む物質界を最終的には亜邪界に喰わせるつもりだ。自分勝手な話なのは私自身十分すぎるほどに分かっている。自分の星のためにお前の星を犠牲にするのだから。それでも、お前は私に力を貸してくれるか?』


 話はよく理解できなかったが、パルアは頷いた。
 その時は、アシェリーを殺せるなら後のことはどうでも良かった。生きる目的ができたことが嬉しかった。
 それからパルアはレグリッドに自分の力の使い方を教わった。
 自分にどうしてこんな力があるのか。聞けば教えてくれたかもしれないが別に興味はなかった。神様が復讐のために与えてくれた特別な力だと思うことで勇気が湧いてきた。真実を知るより、天の意志が自分の背中を押しているのだと思い込んだ方が力が出てくる気がした。
 大地に干渉できる力。この力を使ってどうやってアシェリーを殺すか。そのことだけを考えて来た。
 レグリッドについて王家騎士団に入団し、世界各国の情報を得ることができるようになった。優秀な情報網を持っていたのだろう。アシェリーの居場所に関する的確な情報はレグリッドから常に送られてきた。
 パルアだけは特別措置と言うことで、長期間の単独行動も許された。全てレグリッドが上層部に口を利いてくれたおかげだ。彼はアシェリーを殺すためにゼイレスグの力を利用するつもりだった。
 何度も何度も、アシェリーを殺す夢を見た。何度も何度も、両親が殺される夢を見た。
 そのたびに憎悪は際限なく膨らみ、日々を生きるための糧となった。
 アシェリーは強かった。どれだけ大規模な自然災害に巻き込んでも生き延びてきた。だが相手は力を封じられているとはいえ黒王だ。そう簡単にはやられないだろうとは思っていた。
 しかし今、ずっと追い続けてきた両親の仇が捕らわれ、無防備な姿をさらしている。
「パルア、行って来い」
 レグリッドが軽く肩を叩いてくれた。
 さっきまで水晶に映し出されていた兵士達の波は引き、ヴォルファングやリュアルの姿もない。アシェリーのことだ。エフィナだけでも連れだしてくれと言ったのだろう。
 今、地下牢は元の静けさを取り戻していた。
 アソコの監視宝玉の位置は知っている。この騒動で『偶然』壊れたとしても、それ程おかしくはないだろう。
 ――チャンスは今しかなかった。


 この三年間、一日たりとも忘れたことはなかった。
 この三年間、この日が来ることをずっと夢見てきた。
 ――これからアシェリー=シーザーをこの手で殺す。
 以前、廃洋館でアシェリーに手渡されたナイフをぎゅっと握りしめ、パルアはゆっくりと地下牢へとの階段を下っていた。
(コレで、終わる……)
 そう思うと体か震えた。
 武者震い? ソレもある。体の奥から沸き上がってくる言い知れぬ悦び。
 だが、それだけではない。同時に感じる得体の知れない恐怖。何だコレは。自分はアシェリーを殺すために今まで生きてきた。なのにいざその時になると、体が拒絶しているのだろうか?
(そんなはず、ない……!)
 下唇をきつく噛み締め、パルアは地下の廊下を進む。そして、アシェリーがいる部屋の前に来た。ココまで来る前に壊すはずだった監視宝玉のことはすでに頭の中になかった。
 扉は異常な力でねじ切られ、牢屋の中を剥き出しにしている。その中央。緑の鎖によって壁に繋がれ、座ったままアシェリーは静かに顔を上げた。ゼミロングに伸ばしたストレートの黒髪が、頬をさらさらと伝っていく。
「おやおや、誰かと思ったら……」
 どこか諦観したような顔つきで、アシェリーは口の端に軽く笑みを浮かべて見せる。
「貴様を、殺しに来た」
 何も飾らない単刀直入な言葉。しかしアシェリーは全く動じることなく、相変わらず薄ら笑いを浮かべたまま瞑目した。
「別に今更ことわる必要なんてないよ。アンタがアタシに会いに来る理由なんてソレしかないじゃないか」
「……そうだな」
 パルアはナイフの刃を起こし、牢の中に入ってアシェリーの前に立つ。
「私の両親を殺したこのナイフで、貴様を殺す」
 思えば、こうしてアシェリーを見下ろすのは初めてだった。どこまでも強く、どこまでも鋭く、そしてどこまでも憎かった人物は今、酷く小さく見えた。
 ナイフを振り上げる。あとはコレを真っ直ぐアシェリーの首元めがけて突き刺せば全てが終わる。アシェリーの死が間近に迫っている。なのに――
(なぜコイツは抵抗しないんだ)
 なぜ抗おうとしない。なぜ命乞いをしない。なぜ言い訳をしない。
 今まで散々自分は仇などではないと言い続けてきたのに。
「なぜ、あの時私を助けた」
 ナイフを高い位置に固定したまま、パルアは呟くような声で言った。そして言った直後に後悔する。こんな下らないことを聞いて時間を稼いでも、気持ちの整理どころか躊躇いが増すだけだというのに。
「あの時?」
「貴様がこのナイフをよこした場所。あそこが崩れ去った時、私を見捨てていれば貴様は私から解放された」
 廃洋館は霊を介したパルアの内的な干渉により、僅かに残っていた耐久性を駆逐された。そしてパルアが気を失ったことで崩壊を始めた。生き埋めになると思っていた。だがパルアが次に目を覚ましたのは、見知らぬ街の見知らぬ宿の一室だった。
 アシェリーに――自分の親の仇に助けられたことを知って愕然とした。そんな情けを掛けられるくらいなら死んだ方がマシだと思いながらも、戸惑いを隠しきれなかった。
「ぁあ、あの時のことかい。別に特別な理由なんて無いさ。そうするのが当然だと思っただけだよ。あいにくと深く考えるのは苦手でね」
 思った通り、期待した答えは返ってこなかった。
(期待? 私は何を期待していたんだ?)
 恩着せがましくすがりついてくることか? それとも……。
(もういい、考えるのは止めよう。早く終わらせてしまおう)
 頭は何度も同じことを考える。そしてナイフを振り下ろすように指令を下す。だが、体の方は一向に動く気配がない。
「……そう言えば、アンタとこうしてゆっくり話すことなんてなかったねぇ。せっかくの機会だ、最期にちょっとだけ話そうか」
 何度も逡巡している間に、アシェリーは静かに言葉を紡いだ。
 話? ようやくお涙頂戴の言い訳が始まるというのか? 
「アタシはさ、これまで自分のしてきたことに信念持ってた。誰に何言われようと、胸張って言い返すだけの自信があった」
 だが、彼女の口から紡がれた言葉は全く別の内容だった。
「でもね、アタシは自分のやってることが絶対に正しいなんてこれっぽっちも思っちゃいなかったんだよ。矛盾してるように思うだろ? けど、その矛盾も含めてアタシの信念ってヤツなんだろうねぇ。所詮アタシがやろうとしてることは綺麗事だよ。誰も傷つかなきゃそれに越したこたないけど、何か大きなことを成すためには多少の犠牲が必要だってことも理解してる」
 なんだコイツは。いったい何を喋っている。仇を目の前にして動かない自分自身に、ただでさえ混乱しているというのに。
「けど、やっぱり気に入らないんだ。殆ど悩みもせずに、はいそうですかってその言葉受け入れて平気な顔して人殺す奴がね。国のため国のためって、アンタ自身はどう思ってんのかって聞いてやりたいよ。アタシはそういう奴らを何人も見てきた。だからソイツらとは真逆の道を歩きたかったのさ」
「……王家騎士団のことを言っているのか」
「まぁそうなるねぇ。ココの奴らは誰かに使われ慣れてる。もっとも、軍隊にはその精神が重要なのかも知れないけど、やっぱりどこかで自分だけの信念持ってて欲しくないかい?」
「私の知ったことではない」
「だろうねぇ。アンタならそう言うと思ったよ。アタシを殺せればそれでいい。アンタの顔にはそう書いてある。ホント分かり易い信念だと思うよ」
「さっきから何を言いたいんだ」
「けど、その信念はアンタ一人のモンじゃないだろ?」
 まるでコチラの内面を見透かしたようなアシェリーの一言。動揺が顔に表れないよう、必要以上に平静を取り繕う。
「アンタは自分の意志だけでアタシを殺そうとしてるみたいだけど、実際には違う。だから躊躇う。アタシが本当に自分の両親の仇なのか、ソイツをどこかで疑ってるから、もう一人の意志で補ってるんだ。自分以外にもアタシを殺したいヤツがいる。だから自分の思いが勘違いであったとしても、行動までは間違っていないってね。けどそんな弱い信念じゃ、いざとなったら体は動かないモンさ」
 確かに、パルアはアシェリーが自分の両親を刺し殺す場面を実際に見たわけではない。パルアが見たのは結果だけ。血の海に沈み、ピクリともしない両親とその側に立ちつくすアシェリーの姿。
「お前に私の何が分かる!」
 激昂し、ナイフを握る手に力を込める。しかし感情にまかせても体は動かない。
「分かるさ。アタシも弱い信念の持ち主だからね」
 アシェリーは自らを皮肉ったような乾いた笑いを浮かべる。
「今まで忙しすぎたからねぇ。きっと変なこと考えないように無理矢理そうしてたんだろうけどさ。けどココに入れられて時間ができた。で、ちょっと変なこと頭よぎったら悪循環の始まり始まりさ。最後にゃ、エフィナやガルシアも自分のために利用してただけなんじゃないかって……笑えるだろ?」
 アシェリーを追い続け、彼女の行動をずっと見てきた。困っている人は放っておけない。弱い者を見たら迷わず助ける。時には自分の命すら省みない。そんな彼女の姿を見ている内に、アシェリーが本当に両親の仇なのかどうか、小さな疑問が生じて来た。そしてその疑問をレグリッドの意志でもみ消してきた。
 ――彼もアシェリーを殺したがっている。
 そう思うことで自分の行動から迷いを振り払った。振り払ったつもりだった。
「アタシも、この旅は一人じゃ続けられなかっただろうからねぇ」
 一人。そう、パルアは怖れていた。一人ぼっちになることを。だからレグリッドの話に乗った。彼から生きる目的を貰った。だからアシェリーを追った。
 もし、ここでアシェリーを殺してしまえば自分は生きる目的を失ってしまう。共通の目的が無くなった以上、レグリッドと一緒にいる理由も無くなる。
 本当はアシェリーが両親の仇かどうかなんてどうでも良かったのかもしれない。ただ余計なことを考えたくなかった。アシェリーを殺すことだけを考えて生きていれば、憎しみで悲しみが覆い隠される。両親を失った時の悲しみを。
「アンタの気持ちはよく分かるよ。なにせアンタとアタシは似てるんだ。親を失って、復讐のために騎士団に入って、特別な力に目覚めて、体を動かすことで考えることを放棄してる。そっくりだと思わないかい?」
 そっくり。確かにそっくりだ。
「アンタにはアタシを殺せないよ。誓ってもいい」
 床に響く甲高い音。ソレが自分の手からナイフが落ちたのだと気付くのに十秒以上かかった。
「パルア、アタシを憎みなよ。もっともっと強く。自分の意志だけでアタシを殺そうと思うくらいに。ソレ全部受け止めてあげるからさ」
「……黙れ」
 こういう人間なのだ。アシェリーという人間は。楽な道を選ばせてくれない。自分も選ばないように。
 廃洋館で自分を見殺しにすれば追われることも無くなっていた。楽になれたはずなのにそうしなかった。それがアシェリーの言うところの信念なのか。今のパルアには分からない。だが、自分にも他人にも厳しいお人好しで向こう見ずの言葉には、妙な説得力があった。
 アシェリーを憎んでいたはずの二人の侵入者も、こういう訳の分からないところに惹かれたのかもしれない。そう考えれば辛うじて納得行く。
「言われなくても殺してやる。いつか必ずな。『悠久の刻を掛けても自らの想いをとげるために』」
 パルアの言葉が言い終わると同時にアシェリーの体が前のめりに崩れ落ちる。コレまでアシェリーを束縛していた鎖が外れたのだ。パルアが開呪の暗号を言うことで。
「これで廃洋館での借りはなしだ。今度会ったら……殺す」
 低い声で言って下に落ちたナイフを蹴り返し、パルアはアシェリーに背中を向けた。
「楽しみにしてるよ」
 後ろから聞こえるアシェリーの言葉。自分の口が笑みの形に曲げられているのが不思議でしょうがなかった。


 監視室に戻って来てみると、いたのはレグリッドただ一人だけだった。
 彼はどこか儚げな表情をして、自嘲めいた笑みを浮かべている。
「おかえり」
 ――どうしてアシェリーを殺さなかった?
 短く言ったレグリッドの顔には、そう書かれていた。
「他の兵達はどうしたんですか?」
「侵入者を排除するため、全員持ち場に着いている。アイツらにアシェリーが加わったとなれば出し惜しみしている余裕はないからな」
「……すいません」
 アシェリーを殺す絶好のチャンスを逃したばかりか、味方を危機に陥れている。
 どう言い訳しようか考えていると、レグリッドの方から声を掛けてきた。
「いや、謝るのは私の方だ。お前には色々辛い思いをさせた。本当にすまないと思っている」
 言い終えてレグリッドは深々と頭を下げる。
「ちょ、ちょっと待って下さいよ。どうして私がレグリッドさんに頭を下げられなくちゃならないんですか? だって私はレグリッドさんに……」
「お前の両親を殺したのは私なんだ」
 パルアの言葉を遮り、レグリッドはコチラを真っ正面から見据えて言った。
「……え?」
「お前も、アシェリーが仇でないことは薄々気付いていたはずだ。だがそれでも私に従って動いてくれた。お前がアシェリーの行動を逐一連絡してくれたから、私はアシェリーを捕らえることができた。私はずっと、お前を利用していただけだった。本当にすまない。だが、私にはそれでもやらなければならないことがあるのだ」
「あ、亜邪界って星を救うんでしょ? 分かってますよ。ですからそんなタチの悪い冗談言うの止めて下さい」
「偶然だった。アシェリーを殺し損ね、逃げようとした所にお前の両親がいた。焦っていた私は邪魔をされると思った。そして反射的に手が剣に伸び、気が付いたら二人を刺し殺していた」
 おかしいとは思っていた。父と母は鋭利な刃物で斬られて殺されていた。アシェリーの武器は五節棍。どうやってもあんな傷が付くはずはない。だが予想していた通りナイフは持っていた。きっとソレで殺したのだと自分に言い聞かせていた。
「信じてもらえなくて当然だと思うが、私がお前に近づいたのは謝罪をするためだった。許してもらおう何て思ってはいない。それでも私はお前に一言謝りたかった。だが、お前の力を見て最低の打算が働いてしまった」
 あんな所でアシェリーを殺したいと思っている人に、よく偶然出会うことができた。
 どうしてレグリッドは自分にこんなにも親切にしてくれるのだろうか。
 ただアシェリーを殺したいだけなら、なぜ星の話をしたのだろう。
 レグリッドに対する疑念が全くなかったわけではない。だが、それでもパルアにとってレグリッドはまさに命の恩人だった。レグリッドがいなければ、きっと今頃誰にも看取られることなく野垂れ死んでいただろう。
「お前には本当にすまないことをしたと思っている。お前がアイツのディヴァイドでなければ利用したりするつもりはなかった。しかし、私には自分の星を生きながらえさせるという義務がある。使命がある。だから星のことを話した。全てを包み隠さず話した上で、お前の強大な力を利用させてもらうことにした」
 自分がディヴァイドだという話はレグリッドから聞いた。だからディヴァイドを生み出せないのだと。しかし代わりにもっと大きな力がある。アシェリーを殺すため、神が与えてくれた力が。
「だから悪いな。最後にもう一度、私に付き合ってくれ」
 今のレグリッドは、まるで子供が母親に許しを請うているようにも見えた。
(勿論付き合いますよ、レグリッドさん。だって貴方は、色んな意味で私を救ってくれた人だから)
 よく纏まらない頭の中に、そんな考えが浮かぶ。
 レグリッドがゆっくりとコチラに近づいて来た。今にも泣き出しそうな顔をしている。何か悲しいことでもあったのだろうか。
 パルアの眼前にレグリッドの掌がかざされる。そして、パルアの意識は暗転した。




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