人形は啼く、主のそばでいつまでも

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  Level.1 『どうして私を放って置いてくれない』  

 耳元で聞こえる男の荒い息づかい。体を襲う不規則な振動。
 視界は暗く閉ざされ何も見えない。ただ鼻腔を突く生臭い液体が体中に張り付き、声を上げそうなくらいの不快感をアタシに突きつける。
 ――そこにいるのは誰?
 言うことを聞かない手を必死に伸ばして、闇の中にある男の声をつかみ取ろうとする。
 だが、届かない。
 どれだけ伸ばしてみても、アタシの手は彼に届かない。
 こんなに不安なのに、こんなに恐いのに。誰もアタシを見てくれない。誰もアタシに声を掛けてくれない。
 一際強い衝撃がアタシの体に伝わってくる。男は苦しそうな呻き声を上げ、そして激しい咆吼を発して大きく身を躍らせた。そしてまた何事もなかったかのように今までと同じ作業に戻った。
 しかし、さっきよりも弱々しい。
 ――アナタは誰? アタシのパパ?
 言葉にならない音だけがアタシの口から紡がれる。
 やがて男は動きを止めた。そしてアタシは固い場所に置かれる。目の前から届く男の呼吸音は激しい物からか細い物へ、大きく荒々しい物から聞こえないくらい小さな物へと変わっていった。

「素晴らしい……」

 遠くの方から女の人の声が聞こえてくる。

「男を運びなさい。子供は二人とも放って置いていいわ」

 ――アナタは誰? アタシのママ?

「これだけの感情を持ったドール……。面白い素材になりそう」

 ――ドール……? 感情を持った……?

 ‡ ‡ ‡

 ‡ ‡

 ‡

 ――人形は啼く、主のそばでいつまでも――

 ‡

 ‡ ‡

 ‡ ‡ ‡

『あなたは死にました。コマンドを選んでください』
 ○あきらめる。
 ○お金を半分にして生き返る。

⇒○データを書き換えて最強になる。

 私は天才だ。
 今まで苦労なんかしたことはない。そしてこれからもすることはない。
「なぁー、メルムよ。ンなズルばっかやってて楽しいか?」
「楽しいぞ。もの凄くな」
 肩の上に乗っかった角オウムが、水晶モニターに映し出されている英数字の羅列を覗き込むようにして見ながら呆れた口調で言ってくる。
 原色に近い黄色が横目にも突き刺さってきて実に腹立たしい。胴体以上に長く伸びた尾羽根が実に邪魔だ。
「こーゆーゲームはよ。キャラのレベル上げたり、アイテム駆使したりして進めるのが面白いんじゃねーのか?」
「そんなモノはしたい奴がすればいい。私のように天才で可憐な美少女には似合わない地味な作業さ」
 データの書き換えを終え、私はプログラムを一度閉じた。そして左目にしたモノクルの位置を直しながら、お団子に纏めた紫色の髪を撫でる。自分の髪ながらフワフワとしていて実に気持ちがいい。
「それに私は忙しいんだ。不要な時間は極力排除する」
「……ならゲームなんかやってんなよ」
「研究の息抜きには必須の作業なのさ」
 ゲームを起動し直し、待つこと十数秒。二本の剣がクロスしたタイトル画面が現れ、

『データに異常が見つかりました。強制終了します』

「ガッデム!」
 実に腹立たしい事態が発生した。
「だーから、言わんこっちゃない……」
「ハウェッツ。私は今、実に機嫌が悪い。言葉は選んで口にして貰おうか」
 引き抜いたコードをぷらぷらさせながら、私はしかめっ面になってキューブ端末の置かれている台の上に頬杖を付く。隣に積まれたソフトの山が、一瞬ぐらりと揺れた。
 エーテル・エナジーの供給が絶たれ、ただの黒い箱になってしまった水晶モニターには口を尖らせた美少女の姿が映し出されていた。
 丸みを帯びた子供っぽい顔の輪郭とは裏腹に、鋭く見開かれた二重の双眸には実に知的で大人びた輝きが灯っている。直線的な眉、ソコに僅かに掛かるくらいで切り揃えられたストレートの前髪、なだらかな丘を描く小鼻、瑞々しいピンクの唇。
 極限まで計算され尽くした造形のパーツ全てが、このメルム=シフォニーという絶世の美少女を創り上げていた。まさに完璧だ。
「……おぃ、気持ち悪いから自分の顔見てニヤニヤすんのやめろよ。そこの幼児体型」
「鞄と革靴、どちらに加工して欲しい」
 ハウェッツの頭に生えた小振りの角をつまみ、私は指先で亜空文字を展開させる。白で縁取られた紅い文字が、私の指を中心にしていくつもの同心円を描いた。
 ドールを生み出し、制御するための情報伝達手段だが、
「いってえええぇぇぇぇ!」
 こういう使い方もできる。
「あー、無駄なエネルギーを使ってしまった。実に不本意だ」
「この……!」
 ハウェッツが鼻息を荒くして、くちばしを私の方に向けた時、室内に鈴の音が鳴り響いて来客を告げた。

『扉を開けると、その向こうには――』
 ○お金を持った足長おじさんが。
 ○光り輝くハンサムボーイが。

⇒○滞納家賃の集金オバサンが。

「ハウェッツ。コレから五分間、喋ることを許可しない」
「はいはーい。今出ますよー」
「焼き鳥決定!」
 言いつけを無視して飛び立ったハウェッツに、私は着ている白衣の胸ポケットからペンを取り出して投げ付けた。しかしハウェッツは長い尾羽根で軽く払うと、黒い円形のドアの真ん中に命中させてアンロックボタンを押す。続けて細い鳥足で外側に力強く蹴り開けた。
 ……鳥のくせに器用なことを。全く、実に不可解だ。
「ココはミス・メルム=シフォニーの住まいで間違いないか?」
 ドアの向こうから声が聞こえてくる。
「人違いだ。お帰り願おうか」
 下方向に緩やかにスロープし、他より一段低くなった場所に置かれているキューブ端末の前から離れて私は来客を見た。
「む……お前は」
 実に残念なことに見たことのある男だった。
 まぁ三年前に二言三言喋っただけの、名前すら知らないどうでもいい奴だが。
「覚えていて頂けたとは光栄だな」
「忘れないさ。この私に実に下らない同情を掛けてくれた奇特な奴だからな」
「いやいや。キミの方こそあの時と全くちっとも全然一ミリたりとも変わっていない姿で何より。すぐに本人だと分かったぞ」
 針のように尖った直毛を真上に逆立て、鋭角的な顔立ちをした大バカ野郎はいきなりケンカをふっかけて来た。攻撃的につり上がった逆三角形の目からは、本人の意思とは無関係に殺気が滲み出ている。
 長身で細身。私との身長差から、素でコチラを見下ろしている。シワ一つない白のフォーマルスーツを着こなし、無駄に優美な一挙手一投足からは育ちの良さそうな雰囲気が窺えた。
 ……実にいけ好かない奴だ。
「それじゃあもういいな」
「待ちたまえ!」
 ドアを内側に閉めようとした私の手を掴み、ソイツは大きく目を見開いて強い語調で叫んだ。
「俺が何のためにココに来たと思う」
「知るか」
「時を遡ること二年前。俺は決心したのだ。母親を超えることを。自分の力を皆に知らしめることを。では力とは何か。ソレはドールだ。今この世界で人間以上の数を占めるドール。育児から戦争まで、幅広い用途をカバーできるドールという存在はまさに力の象徴。そして彼らを統べるドールマスターこそが俺の求める人物。だがキミも知っての通り、ドールマスターとなるには特殊な才能を要求される。残念ながら俺にはその才能はない。ならば外に求めるしかない。しかし、ギルドに登録されているドールマスターは殆どが契約済みで差し押さえられている。残っている者は全員、ランクの低い者ばかりだ。彼らでは俺の野望を果たせない。そこでキミのことを思い出したのだよ、ミス・メルム」
「帰れ」
 聞いてもいないことをベラベラと。実に理解不能だ。
 しかし、ソイツは私に顔を近づけて更に熱弁を振るう。
「ミス・メルム、三年前のアカデミーでのキミの発表、本当に素晴らしかった。『感情を持ったドールの創出と、彼らによる世界作り』。ドールを我々人間と同じグレードで考えた崇高な内容の発表だった。神の知恵と言っても良い」
 お前以外には全くウケなかったがな。
「そんな発想と技術を持ったドールマスターは、すでにどこかの財閥と契約を結んでいるのだろうと半ば諦めていた。だが! どういう訳かキミは契約どころかギルドに登録すらしていない。全くのフリーのドールマスターだったわけだ!」
 脱会したんだよ。二年くらい前にな。
 どうでも良いがそれ以上顔を近づけるな。本気で殺したくなる。
「俺は直感した! 彼女こそが自分の願いを叶えてくれると! 彼女こそが俺の求める人材だと! そこでだ! 是非俺と契約して欲しい! キミの力は俺のために使われるべきだ! 俺こそがキミのパートナーとなるべきなんだ! キミは俺と一緒になるために生まれてきたのだよ! ミス・メルム!」
 私は無言でこの電波男の顔面をワシ掴みにし、亜空文字を展開させた。
 直後、ビクンッ! と大きく電波男の体が震える。
「……痛いじゃないか」
 しかし、ソイツは冷静な声で短く返してきた。あまり効いていないらしい。実に厄介な輩だ。
「私はもう止めたんだよ。そういうのは」
「なぜだ! キミほどの才能を埋もれさせるなど百害あって一利なしだぞ!」
 訳の分からんことを。
「待ってくれ! せめて話を! 話を聞いてくれ!」
 じゃあ今までのは何だったんだ。
 それに私にしてはよく聞いてやった方だ。あの時の庇いがなければ問答無用で追い返している。
「じゃあな」
 冷たく言い、私はドアを内側に引いた。しかし、やはり電波男がソレを阻止しようと手を掛けてくる。

『あなたは村人Zにプロポーズされました。コマンドを選んでください』
 ○受け入れる。
 ○断る。

⇒○脳天に風穴を開ける。

「帰れ。これ以上は言わない」
 私は白衣の下に付けたガンホルダーから二挺の銃を抜き取り、両手に持って電波男の額に押し当てた。
「お、教えてくれ……。どうすればキミの力を貸してくれる」
「何をしたって無駄だ。母親を超えたいんなら自分の力だけで何とかするんだな。お坊ちゃん」
 寄り目になって銃口に視線を寄せる電波男に、私は薄ら笑いを浮かべながら言う。
「か、金か? け……契約金なら頑張って払おう」
 顔の筋肉が強ばっていくのが分かった。
「最低な奴だな、お前は。私はお前のような人種が大嫌いだ」
 あの時は他の奴とは違うと思っていたが、どうやら買いかぶりすぎていたようだ。
 私は銃を持つ手に力を込め、電波男の体を押し返す。すくんで腰に力が入っていなかったせいか、ソイツはあっさり後ろに下がると何かにつまづいて尻餅を付いた。
「じゃあな」
 目を細め、私はモノクルの位置を直しながら後ろ手に扉を閉める。
 やれやれと息をつき、ドアの下の方にあるロックボタンを押した。
「また来るぞ! 絶対にキミを俺の物にしてみせる!」
 しかし電波男の大声が、私の家の防音壁を物ともせずに飛び込んで来る。
 コイツは、恥ずかしいことをデカい声で……。
「いいか! 俺の名前はレヴァーナ! レヴァーナ=ジャイロダイン! キミのパートナーとなるべくして生まれた男の名前だ! 絶対に忘れるな!」
 ジャイロ……ダイン……。
 心臓に氷結の杭を打ち込まれたような悪寒が全身を突き抜けた。
 忘れない。忘れられるはずがない。
 この三年間、そのファミリーネームにどれだけの苦渋を舐めさせられたことか。目眩がするほど頭に血が上った。吐き気がするくらい、はらわたが煮えくりかえった。全身がバラバラになるほどの精神苦痛を受けた。
 ――そして、私は負け犬になった。
 ジャイロダイン派閥。
 そこのトップ、ラミス=ジャイロダインが私の人生を滅茶苦茶にしたんだ。
「レヴァーナ……ジャイロダイン……」
 アイツは……あの女の息子か。

『いや、俺は純粋に素晴らしい研究成果だと思っただけだ』

 馬鹿にしやがって。

『まぁ、天才とは往々にして世には認められない物なのだよ』

 馬鹿にしやがって!

『何となく、放っておけなかったからな』 

 馬鹿にしやがって馬鹿にしやがって馬鹿にしやがって!
 そうか。そういうことか。
 最初から私をからかうためにあんな下らない芝居を……!
「おぃ、メルム……」
「心配するな。私は大丈夫だ」
 ドアに背中を預け、鋭い視線を中空に這わせていた私に、ハウェッツが頭の上から声を掛けてくる。
「大丈夫。大丈夫だから……」
 自分に言い聞かせるように何度も同じ言葉を呟きながら、私は向かいの壁にあるスチールラックの前に立った。五段の棚を持つソコには、動物や昆虫、そして人間の形をした人形が整然と並べられている。
 彼らは私が生み出した可愛いドール達。私の研究成果であり、私の全てでもある。
「みんな、あの腐った派閥の関係者が来たわ。でも大丈夫。アタシは全然気にならなかったから。あんな奴等が言うことなんか、鼻で笑い飛ばせるくらいになったから」
《強くなったね、メルム》
《立派だよ、メルム》
《僕らは絶対に裏切らないからね、メルム》
 ドール達から温かい声が聞こえてくる。
 大丈夫。アタシは大丈夫だ。三年前とは違う。あの時とは違うから。もう完全に割り切って、全部吹っ切ったから。
「なぁ、メルム。その……悪かったな。変な奴入れちまってよ……」
「別にいいのよ。裏切り者さんらしい行動だったわ」
「だから悪かったって。それと……やっぱお前はその喋り方の方が似合ってるぜ」
 ハウェッツの言葉に私はハッとなった。
 いけない。私はもう昔の私ではないのだ。
 あの頃のメルム=シフォニーはもう――死んだ。
「ハウェッツ」
 私は緩やかなスロープを降りながらハウェッツの名前を呼び、キューブ端末の前で座る。
「格闘ゲームをやろう。付き合え」
「へぃへぃ……」
 私の隣りに羽根を下ろし、十個のボタンが付いたコントローラーを両足で器用に掴んでハウェッツはやる気なさそうに零した。

=================報告書====================
■メルム=シフォニーについて■
 レヴァーナ=ジャイロダインが接触。目的はメルムと契約を交わすこと。
 この行動が本体からの指示なのか、独自行動なのか確認する必要あり。
 保持ドール数に変化なし。
 その他、変わった点なし。

■教会側の動向■
 諜報員からの報告では、新規に契約したドールマスターの人数が増加。少なくとも百以上は待機していると思われる。
 危険度はB+と判断。
 『終わりの聖黒女』は確認できず。恐らく地下室に隠されているものと思われる。教会の幹部クラスでなければ接触は困難。

■本体側の動向■
 新規契約のドールマスター一名。ジャイロダイン賞の受賞歴あり。
 現時点で九十五名のドールマスターが待機中。数では教会に劣るが、ギルドでのランクを考慮すると五分五分と判断。

■王宮側の動向■
 特に変化なし。依然、中立を守って黙している。本体と教会の争いが水面下で起こっている間は動けないものと思われる。

 以上
========================================

 ジャイロダインは、元々それほど大きな財閥ではなかった。
 信仰心の強かったルーク=ジャイロダインは教会と提携し、ドールに関する技術や情報を発表、交換するアカデミーの場を主催することで利益を得ていた。利益と言っても莫大な物ではなく、まぁそこそこの贅沢をして暮らしていける程度の欲のない物だ。
 しかし彼が突然病死し、主導権をその妻であるラミス=ジャイロダインが握ってからは運営方法が大きく変わった。
 今まで仲良くしていた教会と手を切り、独自にアカデミー発表の場を設けるようになった。見事受賞した優秀な発表者には、将来的な契約を前提に多額の研究資金を援助した。
 さらに他の財閥と合併、吸収を繰り返して大きな派閥となり、潤沢な資金力に物を言わせて大々的にドールマスターを集め始めた。
 ――まるで、戦争の準備でもするかのように。
 不穏な動きを見せるジャイロダイン派閥は、この国の治安維持力である王宮に当然目を付けられた。そしてジャイロダイン派閥に対抗するかのように、教会もドールマスターを呼び込み始めた。
 今、大きな力を持っているのはこの三つの組織。すなわち、ジャイロダイン派閥、王宮、そして教会。
 状勢は、ジャイロダイン派閥と教会の睨み合いを、中立戦力である王宮が監視しているところだ。しかしまだ実害が出ていないため、王宮はそれ以上何も手出しできていない。
 もっとも、私にはそんなもの全く関係ない。ジャイロダイン派閥や教会がどうなろうと知ったことではない。
 ギルドを脱会し、すでに前線から身を引いた私は完全に部外者だ。
 そう――昨日までは。
『メルム=シフォニー! キミは完全に包囲されている! 大人しく出てこい!』
 朝っぱらから私の鼓膜に突き刺さって、実に不愉快な毒電波。
 コレを早急に何とかしなければ、ドールの研究もゲームも落ち着いてできない。せっかく周りに誰もいない、中心街から遠く離れた場所に移り住んだというのに全く意味がない。
 半球体状の外観を持つ家の中で、私は円い天井を見上げながら細く息を吐き出した。そして静かに目を瞑り、大きく両腕を広げる。
「おいで。私の可愛い子供達」
 そしてドール達が置かれているラックに向かって、穏やかな口調で言った。
 小さく甲高い声と共に、軽い足音が聞こえてくる。彼らは白衣のポケットに入り、肩に乗り、髪にしがみついて私とくっつくと、《いけー!》《やれー!》とご機嫌で叫んだ。
「もういいよ。このくらいで。他の子は待ってて」
 体に乗り切れなかったドール達にそう言い残すと、私はドアの方に足を向ける。

『レヴァーナ=ジャイロダインが現れた。コマンドを選んでください』
 ○たたかう。
 ○叩きのめす。

⇒○二度と足腰が立たなくなるくらいの血祭りに上げる。

 もはや迷いはなかった。
「おい、あんま無茶すんなよ」
「大丈夫だ」
 心配そうに言ってくるハウェッツに、私は達観しきった表情で返す。
 何が大丈夫なのか言っている私にもよく分からない。
「む! ようやく出てきたか! 宣告どおりキミを力ずくで奪いに来た!」
「そういうセリフは他の女性に言うんだな」
 ドアを開け、すぐ目に飛び込んできたのは拡声器を手に持ったレヴァーナと、十数人の屈強そうな男達だった。コチラを警戒してか、家の周りに植えられている常緑樹の影に身を隠しながら出方を窺っている。取り巻きもレヴァーナと同じく白いスーツに身を包んでいるが、体の大きさが二周り以上違うため全くの別人種に見えた。
 金の次は数で来たか。つくづく最低の男だな。
「で? ソイツらはドールマスターか?」
「ふん! 愚かなことを! 俺が動かせるドールマスターがこんなにいるのならキミを頼ったりはしない!」
 威張って言うことではないな。
 ま、ドールマスターは希少な存在だ。だから契約金を払ってでも自分の物にしようという連中がわんさかいる。ドールマスターが生み出しだドールは雑務処理から護衛役まで何でもこなすし、それ自体が売り物にもなる。その場合、別のドールの素材としてだが。 
「さぁみんな、このバカ達と遊んでお上げ」
 私はどこか嘲るように言いながら、両手に亜空文字を展開させた。
 白い輪郭を持った紅い文字はリング状になって安定し、腕を伝って胴の方にゆっくりと移動しながら輝きを増していった。
 私の全身にくっついていたドール達が、我先にと亜空文字に飛び込む。そして彼らがソレに触れたかと思った直後、手の平サイズだったドール達は一瞬にして巨大化し、人や猛獣の姿をとった。
「あの小さい人形が封印体……。素晴らしい! 想像以上だ! ますます俺の物にしたくなったぞ! ミス・メルム!」
「寝言はあの世でほざけ」
 冷淡に言い放ち、私は憎悪の視線でレヴァーナを睨み付ける。その感情に応え、真実体となったドール達は素早い動きで散った。私を護衛するように人型のドールが二人、そして家を取り囲むようにして七体の猛獣型ドールが陣を形成する。
 ドールは通常、封印体の状態で存在している。私の持っているドールで言うところの人形の姿がソレだ。そっちの方がエネルギー消費が格段に少なくて済むし、当然スペースもあまり取らない。だから封印体を小さくしようとすればするほど、高度な技術が要求される。
 そしてドールへの情報伝達手段である亜空文字を使って、封印体から真実体へと姿を変える。真実体となって初めて、ドールとしての本領を発揮するのだ。
 真実体のタイプは様々で、私のドール達のように封印体がそのまま巨大化する場合もあれば、全く違う姿へと変わる場合もある。ようは変身するわけだ。まぁ例外として、何一つ姿形が変わらないドールもいるらしいが。
「欲しい! 欲しすぎるぞ! お前ら全員俺の物にしてやるからなぁ!」
 凶悪な形相で威嚇するドール達に怯むどころか、レヴァーナは昂奮気味に叫んで突っ込んでくる。
 大した物だ。あの真実体を見て全く恐怖を感じないとは。ま、他の奴等はそうでもなさそうだが。
 私は腕組みしながら、困惑の表情を浮かべている白スーツ共を見下ろす。そう、アレが通常の反応だ。実に納得できる。
「突撃! 突撃いいぃぃぃぃ!」
 奇声と共に拡声器を振り回して突進してくるレヴァーナに続き、ようやく覚悟を決めたのか他の白スーツ達も私の方に向かってくる。いや、実に勇ましいことだ。涙が出てきそうになる。
 ――笑いをこらえきれずに。
 勇気と無謀は紙一重。頭の悪い雇い主の下に付くと苦労する。
「メルム=シフォニー! 俺の熱い想いを受け入れろおおおぉぉぉ!」
 怖気の走る言葉を撒き散らしながら、レヴァーナは三頭ライオン型のドールに突撃した。ソレを迎え撃つように、ドールは後ろ足で立ち上がってレヴァーナの方に前足を叩き付ける。
「ぬうううぅぅぅぅ! この程度で俺を曲げることはできんんんんんん!」
 が、レヴァーナはソレを避けるどころか真っ正面から受け止めた。そしてドールの前足を両手で掴み、あろうことか力で押し返していく。
 ……なんなんだ、コイツの馬鹿力は。脳味噌だけじゃなく肉体の方まで電波なのか。
「せええぇぇッりゃああああぁぁ!」
 そして気合いと共に、ドールの体を押し返してしまった。
「俺に続けー!」
『おおー!』
 リーダーの武勇を目の当たりにした白スーツ達の士気が一気に上昇する。そして仰向けに倒れ込んだドールを踏みつけて、私の方へと雪崩れ込んできた。
 ……全く、実に腹立たしい。どうしてこうも上手く行かないのか。怪我をしない内に引いていればよかったものの。実に不愉快だ。
 私は苛立ちと共に奥歯をきつく噛み締め、
「ヤ、レ……!」
 明確な憎悪を込めてドールに命令を下した。
 次の瞬間、さっきレヴァーナに力負けした三頭ライオン型のドールが俊敏な動きで体勢を立て直す。そして白スーツ達の体に後ろからのし掛かり、強引に地面へと叩き付けた。
「なかなかガッツの奴だ! 褒めてやろう!」
 仲間のやられた姿を見て、レヴァーナが彼らを救出せんとばかりにドールの前に駆けつける。が――
「のはぁ!」
 前足の一振りで今度はあっなく吹っ飛んだ。
 ドールはさらに尻尾を鞭のように振り回し、残った白スーツ達の意識を刈り取っていく。一瞬にして、白く小高い山が完成した。
「他愛のない」
 吐き捨てるように言いながら、私は樹の枝に引っかかっているレヴァーナを睨み付ける。
「ドールマスターを引き込みたいんなら、怒らせない方法でも勉強しておくんだな」
「俺の激情パワーはドールなどに負けん!」
 どこまでも馬鹿な奴だ……。
 私は嘆息し、ドール達を封印体に戻した。真実体にする時と違って、集中力が切れれば勝手に戻るから楽だ。彼らが全員家の中に入ったのを確認して、私も後に続く。そして後ろ手にドアを閉めてロックを掛けた。
「お疲れさん、だな」
「ああ」
 ハウェッツの言葉に曖昧に返し、私は円い窓のそばに置かれているベッドに寝転がった。イチゴ模様の刺繍されたピンクの布団が、私の体を優しく包んでくれる。そして視界の隅で小さなドール達が、甲高い声を上げながらスチールラックに戻っていくのが見えた。
 あの子達は、私を裏切らない……。
 丸い天窓の付いた天井をぼーっと見ながら、私はさっき自分の思い通りに動いてくれたドールの姿を思い出す。
 ドールのエネルギー源。ソレはマスターの感情。怒りでも憎しみでも愛情でも保護欲でもなんでもいい。とにかく感情の昂ぶりが大きければ大きいほど、ドールにより強い力が宿る。より強大な力を行使することができるようになる。
 しかし、中には例外もいる。
 怒りや憎しみといった負の感情で力を注いだ場合、敵ではなくマスターに牙を剥く愚か者が。
 私はベッドの上に体を起こして、白衣の下のガンホルダーから二挺の銃を取り出した。そっと撫でると、鉛色の表面は固く冷たい感触を返してくる。銃身がかなり長く、重さもそこそこある。残念ながら私が使いこなせる代物ではない。
 だがしょうがない。持っているしかない。私の言うことをちゃんと聞いてくれるようになるその時まで。
「ハウェッツ」
「おぅ。なんだ、ゲームか」
「そろそろバイトの時間だ。留守番を頼むぞ」
 私の言葉になぜかげんなりとした表情になるハウェッツ。長い黄色の尾羽根が見る見るしおれていく。
「お前さー、いい加減あんな油臭いトコやめてウェイトレスでもやった方がいいんじゃねーのか?」
「激しく却下だ」
 お金以外にドールの素材まで無料で手に入る今のバイトを、そう簡単に止めてたまるか。

=================報告書====================
■メルム=シフォニーについて■
 レヴァーナ=ジャイロダインが契約のために複数回接触。しかしいずれも成功せず。
 また、メルム=シフォニーのドールマスター推定ランクは現時点で三十位前後。ただし全力を出しきっていないのは明かであるため、正確なランク付けは不可能。
 レヴァーナ=ジャイロダインの行動は独自判断ではあるが、本体からは一切の干渉をせず観察するようにとの命令。しかし少なからず教会に対して敵意を向けることになるため、今後の状勢変化に大きく影響するのは間違いない。

■教会側の動向■
 諜報員の何人かと連絡が不通となった。殺されたとみるのが妥当。
 メルム=シフォニーとレヴァーナ=ジャイロダインの接触が原因かは不明であるが、諜報員指揮リヒエル=リヒターの見解では、殺す時期を窺っていた可能性があるとの報告を受けている。
 コレを宣戦布告と見るのは早計であるが、事態が急変しつつあることは確実である。本体の判断をあおぎたい。
 依然、『終わりの聖黒女』は確認できず。

■本体側の動向■
 コチラのドールマスターが二人殺害された。教会側に原因があると考えるのが妥当であるが、物的証拠は一切無し。
 新規に契約したドールマスターの身辺調査を終了。
 特記事項としては、アカデミー時代にメルム=シフォニーの後輩であったことが判明。

■王宮側の動向■
 依然として目立った動きはなし。

 以上
========================================

 全くしつこい。実にしつこい男だ。
 もう連続五日目だぞ。いい加減うんざりしてくる。
「俺は諦めん! 絶対に諦めんからな!」
 今日も今日とて私の可愛いドール達にのされたレヴァーナは、毎度同じ顔ぶれの白スーツ達が横たわる中で尻餅を付き、一人元気に叫び散らしていた。
「俺はキミの力を手に入れる! そして自分の野望を成し遂げるためだけというエゴイズムのために使わせて貰う! とにかくキミのペースを奪い取って振り回しまくってやる! いいな!」
 銃弾をレヴァーナの足元に打ち込んだ。
「あああ、あああアブ危ないじゃないか!」
 おっと、手元が狂ってこめかみを吹き飛ばしてしまった。やはりこの銃は私では扱いきれん。
「こういう目に遭いたくなければもう二度と来るな。何度来ても無駄だということは十分に分かったはずだ」
「全然分からん!」
 真上に逆立った直毛をさらに鋭く直立させ、レヴァーナは逆三角形の目でコチラを睨み付けながら、地面の芝生を力任せに引きちぎって投げ付けた。
 本当に馬鹿だな、コイツは。見ているだけでイライラする。
 何度繰り返しても、どれだけ努力しても、気持ちだけではどうにもならない物があるということがまだ分からないのか。
 ならば私が教えてやろう。自分のしていることが、どれほど愚かでエネルギーの無駄使いかということを。
 あの時とは全く逆の立場、か。まぁソレもいいさ。
「また明日来るからな! 必ずキミの力を俺の物にして、後悔するくらいに引っかき回して使い込んでやる!」
「……お前は少し本音と建て前を使い分けるということを学んだ方がよさそうだな」
「断る!」
「客人のお帰りだ。くれぐれも粗相のないようにな」
 私の言葉に応えて小竜型のドールが鋭い爪でレヴァーナ達を掴み上げたかと思うと、乱暴に翼を動かして大空へ舞い上がった。
「キミはもっと本音を口にすることを要求するううぅぅぅぅ!」
 それこそお断りだ。
「昔のキミはもっと素直で! 輝いていて! 躍動感に満ちあふれ――ぇわああぁぁぁぁぁ!」
 おっと、うっかり爪を緩めさせてしまった。
 ま、一応木の上に落としてやったから、全身打撲の全治二週間ってトコで済むだろ。
 運が良ければ。
「さ、お前達。もうお休み。今日は弟を作ってあげるからね」
《わーい!》
《やったー!》
《おとうとー!》
 私を守るように取り囲んでくれていたドール達は、小さく可愛らしい封印体に戻ると、甲高い声を上げて家の中へと入って行った。
 小竜型のドールが戻って来たのを確認して私も家に入り、モノクルを外してお団子に纏めていた髪の毛を解く。一瞬、頭が軽くなったかと思うと、紫色のロングヘアーが腰の辺りまで伸びて止まった。
「ふぅ……」
 小さく息を吐きながらモノクルを白衣のポケットに入れ、私はベッドの隣に置いてある調合釜のそばに歩み寄る。見た目は私が両手で抱えられるくらいの寸胴だが、特殊な作りの五重構造になっていて、今借りているこの家を土地付きで買い上げられるくらいの価値はある。新品ならばの話だが。
 自分の子供とも言うべきドールを生み出せるこの調合釜は、命よりも大切な物と言って何ら差し支えない。私にとってはドールの研究こそが全てなのだから。
「で、今度はどんな形のドール作るんだよ」
 頭上で羽ばたきながら、ハウェッツが興味ありげに聞いてくる。
「それはできてからのお楽しみってヤツね」
 私はご機嫌で言いながら、釜の隣に置かれている素材ボックスを開けた。斗缶のような形をしたこの素材ボックスは、一見何の変哲もない斗缶だが、実はバイト先からかっぱらってきた極めて何の変哲もない斗缶だ。
「さーっ、さっそくこの前の貰った素材を試そーっと!」
 気分が乗って異様なほどにウキウキしてくるのが分かる。どんな嫌なことも、この時ばかりは忘れられる。やっぱりドールを生み出す瞬間はたまらない。最高だ。
 とにかく、とんでもないカワイイ男の子を生み出しちゃうわ!
「……お前さ、目にハートマーク浮かべんのやめてくんねーかな。鳥肌立つんだけど」
「鳥だけに鳥肌!? ウマイじゃない! でもクダラねー! あ、アンタの羽根ちょっとちょうだいね」
「いってええぇぇぇ!」
 アタシは素材ボックスをあさりながら、ハウェッツに手を伸ばして黄色い羽根を何本か引っこ抜く。そしてソレを調合釜に入れた。
「テメーちゃんと考えてやってんのかよ!」
「だーいじょーぶ。研究はインスピレーションが勝負だから。その時の直感でぱぱーってやっちゃえばそれなりの物ができるのよ」
「“ぱぱー”ってなんなんだよ!」
「あー、うるさいなー。その辺分かんない人にはいくら言っても分かんないのよ、ってあったあった!」
 アタシはようやく見つけた新素材を取り出し、天窓から差し込む陽の光に晒してまじまじと見つめた。
「うーん、なかなかいい形してるわよねー。このクリスタル時計」
 バイト先のメカニック・プラントからタダで貰ってきた物だ。不良品と判定され、商品にはならなくなった物だが、針は問題なく動いている。ただ盤台に埋め込まれているクリスタルの輝きが規定値に達しなかったので、はじかれてしまったのだ。
 こういう物は再利用されることなく、そのまま捨てられる。ホントに勿体ない。だからアタシが有効利用させて貰う。
「はーい、クリスタル時計はいりまーす」
 普段より一オクターブ高い声で言いながら、アタシは新素材を調合釜の中に入れた。
 ドールを生み出すために必要な素材は、生体系、機械系、そして亜空系の三種類だ。
 生体系はアタシ達人間の体一部、機械系はそのまんま機械。で、亜空系ってのはまぁ術を発動させるベースみたいな物で、亜空石とか亜空水とかあるんだけど、アタシの場合は亜空文字でオッケー。ま、天才だからね。
「えーっと、あとはー。このガリガリ式扇風機と、もうやんないポータブルゲーム機入れてー、あっ、そーそー。隠し味にアタシの髪の毛とかちょっと入れてー、ハウェッツの血もついでに入れてー」
「いってえええぇぇぇ! ちゃんと消毒してあんのかよ! その注射器!」
「で、後は仕上げに、アタシの亜空文字でちょちょいっとねー」
 鼻歌交じりに言いながら、アタシは両手に亜空文字を展開させた。 
 白い輪郭の蒼文字が手の回りで波紋のように広がり、淡い燐光を放ちながら調合釜の中に入っていく。亜空文字に触れた生体系と機械系の素材は、互いに寄り合うようにして動き始めると、相手の中に呑み込まれて一つになっていった。
「あとは良い感じに熟成したら、さっと上げるだけー。さー、どんな男の子が生まれるっかなー」
 素材としての原形をとどめず、いまやゲル状の液体と化した物体は、鼓動するかのように時折脈打っている。これで母胎は完成だ。今この中でドールの胎児が育っているはず。
「お前ってホント適当だよなー」
「ソコがアタシの天才性のゆえんよね」
「言ってろよ」
 半眼になって呻くように言うハウェッツを後目に、アタシは調合釜の中をジッと見守る。母胎の色が赤から青へ。さらに緑を経て白に変化した時、アタシはためらうことなく母胎に手を入れて、指先に触れた物を取り出した。
「おー! 人型だー! 予想以上にカワイイ男の子ー!」
 調合釜から出てきたのは、まだ目も開ききっておらず髪の毛も生えそろっていない、お腹がぽこっと大きく膨れた人間の赤ん坊そっくりのドールだった。ただし大きさは人形サイズだが。
《生まれたー!》
《おとうと!ー》
 スチールラックから他のドール達が跳び降りてきてアタシの周りを囲み、新しい家族の誕生をお祝いしてくれている。
「よーし、何て名前がいいかなー」
 アタシは彼を大事に抱きかかえ、色んな名前を頭に思い浮かべながら家の中を歩き回っていると、来訪者を告げる鈴の音が鳴り響いた。
「ち……またあの電波か……」
 まるで悪寒でも駆け抜けたように、昂奮が全身から引いていくのが分かる。
 私は生まれたての人型ドールを他のドール達に預け、大股でドアの方に歩み寄った。
「【カイ】【リッタ】【シュウ】おいで」
 そして最も戦闘能力の高い三体の竜型ドールの名前を呼ぶ。
 至福の一時を邪魔するヤツは許さない。まだ痛みが足りないと言うのなら、どうしても諦めきれないと言うのなら、その脳裏に恐怖の記憶を刷り込むだけだ。
 私は三体のドールを肩に乗せ、ドアのロックを外した。
「いい加減しつこいぞ!」
 そして乱暴に扉を開け放ち、立っていた男に向かって怒声を放つ。
「……誰だ、お前」
 しかし、ソコにいたのはレヴァーナではなかった。
「メルム=シフォニー様、ですね?」
 黒い貫頭衣を身に纏い、首から正八面体の翡翠をさげた白髪の老人がしゃがれた声で私の名前を呼んだ。
「人違いだ」
 短く返して私がドアを閉めようとした時、
「五年前、貴女の人生を狂わせたのは我々教会です」
 老人は意味不明なことを口走った。
 しかし――私の手を止めるには十分過ぎた。
「五年前。アカデミーで貴女の発表を罵倒し、その後ドールの研究に関するありとあらゆる賞から遠ざけたのは我々教会の者です」
 私は無言で老人が首からさげている正八面体の翡翠を掴み上げる。そして針先のように目を細めて真贋を確かめた。
 偽物……ではない。輝き、色つや、なにより表面には異常なまでに緻密な鴉の紋様が彫り込まれている。そしてその下には老人の名前らしき文字の羅列。
「信じていただけましたでしょうか」
「で? そんな下らない戯言を私に伝えてどうする。ソレを信じて今から価値観を逆転させろとでもいうのか」
「それは心外な。我々教会は貴女と契約に参りました」
「契約、だと?」
 私は実に不愉快だと言わんばかりの口調で言い捨て、鼻で小さく笑い飛ばした。
「自分が何を言ってるか分かっているのか? アンタの言うことが本当だとすれば、教会は私を陥れたことになる。どうしてそんな相手と契約を交わさなければならない」
「アレは全て貴女を思ってのこと。将来的に教会に仕えることを決められた優秀なドールマスターを他に渡さないために、我々が裏で手を回して差し上げました」
「差し上げた、だと……?」
「はい。あの時、貴女を孤立させたのは貴女を他の組織に取られないようにするため。才能のないオチコボレだと思わせておけば、貴女と契約したがる者などいないでしょうから。我々は貴女の力が成熟するのを影で見守っていたのですよ。そして今日、こうしてお迎えに参上したわけです」
「さっきから聞いていれば……」
 好き勝手なことぬかしやがって。
 私が教会に仕えることが決まっていた? 成熟するのを影で見守っていた?
 ふざけるな。
 フザケルナ。
「フザケルナ!」
 私は亜空文字を両手に展開させ、肩に乗っていた三体のドールをその中に飛び込ませた。
 次の瞬間、家の高さを上回るほどの大竜が出現する。私の感情の昂ぶりに呼応して、真実体の力も強まっているのだ。
「都合の良いことばかりホザきやがって! 貴様の首を教会に送りつけてやろうか!」
 三体の巨大な竜型ドールを前にして腰を抜かしている老人を見下ろしながら、私は長い髪の毛を振り乱して激昂した。
「ひ、いぃぃぃぃ……!」
「ヤレ!」
 そして無様な叫び声を上げる老人に、固い鱗で覆われた竜の前足が振り下ろされる。
 が――
「馬鹿なことしてんじゃねぇ!」
 家の中から飛び出してきたハウェッツが、竜の一撃を全身で受け止めていた。
「ンなことしてたら王宮に目ぇ付けられんぞ!」
「黙れ裏切り者! また私に逆らうつもりか!」
「牢屋ブチ込まれたらドールの研究もできなくなるんだぞ! 負け犬以下になってもいいってのか!」
「――ッ!」
 ハウェッツの言葉に、魂でも抜き取られたかのような虚脱感が全身を襲った。
「いやだ……イヤダ……ドールは、ドールは私の全てだ……。ソレを奪われるなど……」
 頭を抱え、私はその場にうずくまる。
「どうして……そっとしておいてくれないんだ。どうして……私は、アタシは……誰にも邪魔されないで、誰にも傷付けられないで、好きなことをやっていたいだけなのに……誰にも、迷惑なんかかけてないのに……なんで……」
「メルム……」
 頭上から降ってくるハウェッツの声。そして冷たい雫。
 地面を叩く小さな水音と共に、湿気を含んだ濃密な空気が立ちこめ始める。突然降りだした雨滴に身を晒し、私はゆっくりと立ち上がった。
 そう言えばあの時も、こんな雨の日だったな……。

『ドールに感情!? 馬鹿馬鹿しい!』
『奴等は人形だ! 人間に使われる“物”なんだよ!』
『ドールが意思を持てばややこしい問題が起きる! そんなことも分からないのか!』

「おっ、おぃ! メルム! どこ行くんだよ!」
「少し……頭を冷やしてくる。他のドール達を、頼む」
 封印体に戻した三体の竜型ドールを横目に見ながら、私は俯いて歩き始めた。
 水気を含んだ髪の毛のせいで、頭が酷く重かった。

 私は物心ついた時には孤児院にいた。
 父親と母親については、名前どころか顔や声すら思い出せない。院長先生に聞いてみても私を預けた人のことは分からなかった。
 私は置き忘れられた荷物と同じように、孤児院の前に捨てられていた。
 血まみれで。
 持っていた物は一つだけ。
 ソレは正八面体の翡翠。教会に所属する者だけが所持することを許されるネックレス。
 私の首に掛けられていたソレを見て、院長先生は教会を訊ねた。しかし教会は私の受け入れを拒否した。所属リストに名前が記載されていないと言われた。私が持っていたネックレスは偽物だとされて取り上げられた。
 そして、私の孤児院での生活が始まった。
 父親も母親もおらず、最初はどうしようもない寂しさと言いようのない不安で押しつぶされそうだった。しかし親がいないのは私だけではない。周りにいる者達全員、捨てられたり、見放されたりした人間ばかりだ。
 そう思うと、少しだけ気持ちが和らいだ。
 徐々に周りにうち解け始めた私に、みんなも優しく接してくれた。
 七歳の時、私は自分の手が時々おかしくなることに気が付いた。すぐに院長先生に相談した。あの時のびっくりした顔が面白くて、今でもはっきり覚えている。
 ソレが亜空文字だと知ったのは、少し後のことだった。
 その半年後、私は最初のドールを生み出した。
 鮮やかな黄色をした、小さな角と長い尾羽根が特徴の角オウムだった。ハウェッツと名前を付けていつも話し相手になって貰った。昔は今のように饒舌に喋るようなことはなかったが、幼い私には十分だった。
 私のドールマスターとしての才能は、その時完全に開花した。
 それから好奇心の突き動かすまま、私は独学でドールについて学んでいった。
 素材の選定は勿論のこと、入れる順番、亜空文字の強度、ドールを取り出すタイミング。自分だけの条件を設定し、自分だけのドールを生み出していった。
 八歳の時、私の生み出したドールと他の人が生み出したドールに決定的な違いを見出した。彼らのドールは文字通り人形だった。感情が全くなく、話しかけても何も答えてくれない。獣型は勿論のこと、人型でさえも。
 さらに私のように亜空文字を生身で扱えるドールマスターは少数派だった。皆、道具や儀式の力を借りて、亜空系の素材としていた。
 私は自分が選ばれたドールマスターなんだと勝手に思い込み、一人優越感に浸りながら周りからの注目を集め続けた。
 九歳の時、手の平サイズにまで封印体を小さくすることに成功した。ここまでドールを小さくできたのは私が初めてだった。ただハウェッツだけは昔から一緒で、私にとって特別なドールだったから、そのまま大きさでいてもらった。
 十歳の時、試験を受けてギルドに登録した。ドールマスターのランクは二十位。最年少記録を更新した。
 十五の時、飛び級の特待生としてアカデミーに呼ばれた。入学金や授業料は全て免除された。孤児院を出て、アカデミーの寮に入った。生活費はアカデミーが支給してくれた。
 十八の時、ジャイロダイン賞を受賞した。ドールマスターとして最高の名誉だった。ギルドでのランクも五位にまで上り詰めた。
 それから私は何の不満も不安も抱かないまま、さらなる高見を目指してドールの研究に没頭した。その研究成果で得たお金を、世話になった孤児院に寄付して恩返しをした。
 とにかく毎日が充実しきっていて、他には何も要らなかった。このままずっと、幸せで楽しい日々が続くのだと信じて疑わなかった。
 しかし二十の時。アカデミーでした発表をきっかけに、私は絶頂から一気に転げ落ちることになる。
 発表の内容は『ドールに感情を持たせることへの意義』。
 私が長い間ずっと温め続けてきたテーマだった。
 私が生み出すドールはある程度の感情を持っている。その技術を私は皆に使って欲しかった。誰でも感情のあるドールを生み出せるようになって欲しかった。
 ドールを道具としてではなく、一人の人間として扱うのが当たり前の世界になれば、今よりもっとドールは社会に浸透し、ずっと楽しくなる。
 ドールを愛し、その研究に生涯を捧げると誓っていたあの頃の私は、そんな恥ずかしく幼稚な思想に何の疑問も抱かなかった。これまでのように皆が私の発表をもてはやし、賛同してくれるのだと信じていた。
 しかし、評価は散々たるものだった。
 発表の終了を待たずしてヤジが飛び交い、激しい批難の声を浴びせられた。
 下らない、馬鹿馬鹿しい、頭がおかしい、つけあがりすぎ、しょせん小娘。
 三百人を収容できる大ホールで私の発表を聞いていた人達全員が、口を揃えて罵声を浴びせ始めた。中には物を投げつける者もいた。
 あまりに突然のことに私は混乱し、反論することさえできず、会場の係員に庇われながら壇上から下りた。そしてホールの出入り口に差し掛かった時、二度とドールの研究をするなとまで言われた。
 休憩室に連れて行かれ、私は一人放心していた。まるで心がどこか遠くに行ってしまったかのように現実感がなかった。夢の中にいて、自分で自分を見つめているような気がした。
 ――どうして。
 頭に浮かぶのはそのフレーズだけ。
 ――どうして。ドウシテ。どウしテ。
 問い掛けだけが脳裏で渦巻き、どんどん大きくなっていく。しかしいつまでたっても答えは出ない。出るはずがない。
 こんな経験、今までしたことなどなかったのだから。
 褒められ、尊敬され、たたえられては来たが、罵られ、蔑まれ、愚弄されたことはかつて一度もなかった。
 だから分からない。
 どうすればいいのか。どんな気持ちになればいいのか。どんな表情をすればいいのか。
 そしてどうすればこの得体の知れない恐怖から逃れられるのか。
 周りは敵ばかりで、力を貸してくれる者など誰一人としていなかった。誰も、私に答えをくれなかった。
 少し冷静になって考えれば、あの時の雰囲気はおかしいということに気付けた。異常だと感じられた。
 しかし完全に混乱しきっていた私の頭は、そんなことを思う余裕など欠片もなかった。しばらく何もする気になれず、アカデミーの寮でふさぎ込んでいた。心配した後輩が呼びに来てくれたりしたが、私は誰とも会わなかった。ドール達の声も、どこか安っぽく陳腐に物に聞こえた。
 無意識に創り上げていたプライドを微塵に破壊され、私は完全に自信を失っていた。ドールの研究など本当にやめてしまおうかと思った。
 心が渇ききりそうになりながらも、私は自問自答を延々と繰り返し、そして一つの結論を導き出した。
 それは――私はドールの研究が好きだということ。
 あんな目に遭っても、私はドールに触れていたいと思った。ドールのことを考え続けていたいと思った。
 今の私を、このメルム=シフォニーという人格を作り上げたのはドールだ。ドールこそが私の全て。私にとってなくてはならない物。そう簡単に手放すわけにはいかない。
 私は強引に自分を納得させ、アカデミーの研究室に戻った。
 だが、ソコで待っていたのは温かい出迎えの言葉などではなく、冷たい十数通の封書だった。
 ――受賞経歴の抹消。
 私が今まで受けてきたドールの研究に関する名誉は全て剥奪されていた。
 アカデミーで発表したあの一件により、私のこれまで出してきた研究成果全てに物言いが付いた。そして全てが無効と判断され、受賞を取り下げられた。
 当然、ジャイロダイン賞も。
 ギルドでのランクは最下位にまで転落していた。
 一体何が悪かったか。自分が何をしたのか。どこで間違ってしまったのか。
 気を抜けば陥りそうになる暗い循環思考を振り払い、私はそれでもドールの研究に没頭し続けた。全てを忘れ、もう一度最初からやり直すのだと自分に言い聞かせて。
 しかし、その努力が報われることはなかった。
 効率的なドールの創出方法を提案しても、封印体の縮小法を論文発表しても、亜空文字の未知なる力について講演会を開いても、マスターの感情エネルギーが真実体の力以外に与える影響についてアカデミー発表しても、誰も取り合ってはくれなかった。
 それどころかあの時と同じように、一方的に悪者と決めつけられて傷付くだけだった。
 後輩達が優秀な功績を収めてどんどん上に行く中、私だけが取り残されて無様に地べたを這いずり回っていた。
 そして私が二十二の時。アカデミーの発表会場で、私は信じられない言葉を耳にした。

『アイツ頭おかしいんじゃねーの? もう何したって認められるワケねーのによ』
『出元が孤児院じゃな。今向きじゃねーんだよ。教会と一緒にやってた時ならともかくよー』
『あの家柄のなさはもはや罪だね』

 それは偶然というよりは、むしろ私に聞かせるために発せられた言葉だった。
 より深く絶望させるために。
 私はソイツらに詰め寄って、知っていることを全部話させた。下品な薄ら笑いを浮かべながら、二人はからかうような口調で話し始めた。まるで、最初からそうするつもりだったかのように。
 ドールに関する研究で評価されるためには、優秀な発表内容、そしてある程度の社会的権力を持った家柄を保有していることが必須条件だった。
 それはジャイロダインの実権がルーク=ジャイロダインから、彼の妻であるラミス=ジャイロダインに移り、派閥が教会から別れて独自にアカデミーでの発表を主催し始めてからのことだった。
 つまり、私は最初から評価対象から外されていたのだ。孤児院の出であることを理由に。
 ラミスの手によって。
 そのことがすぐには理解できず、ただ目の前が白くなった。体中の全ての感覚がなくなり、意識を持って行かれそうなほどの脱力感に襲われた。
 気が付くと、私はアカデミーの主催者室に飛び込んでいた。そして大きな円卓を囲っている奴等の中にあの女の姿を見つけ、私は怒声を上げた。
 しかし、あの女は涼しげな顔で鼻を鳴らしながら返した。

『とんだ被害妄想ね。言いがかりもいいところだわ。昔ちやほやされすぎて、頭どうかしちゃったんじゃないの?』

 もう、何も考えられなかった。
 権力と金と数で私からドールの研究への意欲を奪い取り、心を半壊させ、そしてかつて抱いたことのない黒い感情を燃え上がらせるこの女を殺すこと以外は。
 私は灼怒に顔を染めて亜空文字を展開させ、そこにハウェッツを飛び込ませた。そして真実体へと姿を変えた私の最初のドールに、殺意の命じるまま感情をとばした。
 突然の事態に騒然となる室内で、ハウェッツが牙を剥いたのは――私だった。
 なぜ。
 なぜナゼなぜ。
 どうして私が……。どうして私の方に……!
 私は何もしていないのに。私は悪いことなど何もしていないのに。悪いのは全部、この女の方なのに……!
 裏切られた。
 ドールの研究だけではなく、ドール自体にまで。
 あの時、私は全てを否定されたのだ。

 私は誰もいない公園で一人、ベンチに腰掛けて灰色の空を見上げながら自嘲めいた笑みを張り付かせた。
 水を吸った白衣は体に重くのし掛かり、長い髪の毛はベンチの変な隙間に入って絡みつき、少し動くだけで頭皮が引っ張られる。
 こんな所で何をやっているんだ、私は。
 実に無意味だ。実に愚かしい。
 視線を下げる。
 白と黒のレンガが丸く敷き詰められた公園の中央には、Y字型をした白亜のオブジェが建っていた。その手前にはどこかの子供が放っていったプラスチックのシャベル。近くにはお菓子の紙箱も投げ捨てられ、その残骸には甲殻アリが無数にたかっている。
 長く長く続く甲殻アリの行列。末尾では名前も知らない虫の死骸が運ばれていた。
 体のあちこちが剥がれ落ち、実に無様な姿を晒している死骸。
 まるで――あの時の私のように。

 それからの生活は実にみじめなものだった。今思い出しても笑えてくる。
 私はアカデミーから退学勧告を受けるまでもなく自主退学し、ギルドから脱会し、ドールに関する全てのことから足を洗った。そして郊外に小さな家を借り、誰とも会うことなく静かに暮らし始めた。
 当面の金は今まで生み出してきたドールを全て売り払って作った。アカデミーでは全く評価されなかったのに、なかなかの金になった。
 だがハウェッツだけは売れなかった。
 実に忌々しいことに、あの時からハウェッツの感情面が激的に進化したのだ。殆ど人間と変わらないくらいに。これでは素材にならない。
 何度も捨てた。
 もう戻ってくるな。二度と顔も見たくないと強い口調で言って放ってきた。
 しかし、どうやってもハウェッツは私の元に戻ってきた。
 そんなことを繰り返しているうちにだんだん面倒臭くなり、私はハウェッツをそばに置くことにした。みじめな自分の姿を決定的な物にしたドールと一緒に暮らすことで、自分をよりみじめな状況へと追い込むために。
 要するに私はイジケてしまったのだ。全てのことがどうでもよくなり、自虐的な行動で歪んだ自意識を満足させるようになっていた。
 それからはお互いに憎まれ口を叩き続け、反発し合う毎日が続いた。
 いいからやる気を出せというハウェッツの言葉と、こうなったのは誰のせいだ裏切り者がという私の声が、気の遠くなるくらい何度も被さり、被せられた。
 実に無意味で実に非建設的な毎日。何の進化もなく何の進歩も見られない、怠惰で後ろ向きな日々。
 幸せで充実しきっていたあの頃とは、まさに光と影。
 しかし、そんな生活を一年も送っている内に、完全に捨て去ったはずの感情が再び私の中で蠢き始めた。
 ――ドールに触れたい。
 もう二度と関わらないと誓った。どんなことがあっても見向きもしないと、何度も何度も言い聞かせたはずだった。
 あんな馬鹿馬鹿しく、あんな労力を空回りさせるだけの作業など。
 しかし、体の奥底で何かがうずく。焦燥にも似たある種の感情が私をかき立てた。
 ゲームやバイトにのめり込んでドールのことを忘れようと努力した。だが、ドールのことを意識すればするほど、研究への想いは膨らんでいった。
 全く本当にお笑いだ。笑いすぎて涙が出てくる。
 結局、私は断ち切れていなかった。未練がましくも、ドールへの好奇心を中途半端に残していたのだ。
 最初は少しイジる程度だった。古き良き時代の思いに浸りながら今の自分を見下し、自嘲的な行為で遊んでいるだけだった。
 しかし、行動は徐々に加速し始めた。
 亜空文字を展開させて眺めているだけだったのが、散歩がてらにドールの素材探しを行い、組合せを考え、気が付くと新しいドールを生み出す方法を思い描いていた。
 中古で一番安く手に入る調合釜を探して買い、バイト先から色々な素材を仕入れて、思いついた組合せを片っ端から試していった。
 一年のブランクがあったこともあり、最初は多少ぎこちない部分も見られたが、体が覚えていてくれた記憶を頼りに私はドールを次々と生み出していった。そして時間を忘れて没頭した。
 悔しいが、やはり――楽しかった。
 やはり、私はドールの研究が好きなのだと思った。
 そしてそんなことをしている内にだんだん腹が立ってきた。
 姑息なことをしでかしてくれたラミスだけではなく、ソレによってドールの研究を止めてしまった自分自身に。
 何もやめることはないではないか。公にしなければいいだけの話だ。自分の中で楽しむ分には、誰かに邪魔されることも、誰かから傷付けられることもない。
 もぅ誰にも認められなくていい。誰からも褒められなくていい。
 ただ自分を楽しませられればそれでいい。
 それに私は天才なのだ。天才ドールマスターなのだ。これだけの才気を腐ったバカ女のために埋もれさせるなど惜しすぎる。
 ラミスへの怒りを研究への情熱に転化させて、人知れず最高のドールマスターになればいい。そしていつかラミスの奴が人づて私の力を素晴らしさを知り、契約を申し込んできた時に思いきり突っぱねてやる。
 そんな子供じみた復讐を考えながら、私はドールの研究を再開した。
 他の誰かに役立てるためではなく、自分を満足させるためだけに。
 自分の世界に閉じこもって、誰からも惑わされないように、誰も刺激しないように。
 私はその環境に満足し、納得していた。そしてずっとこの生活が続くと思っていた。
 なのに―― 

「どうして、私をそっとしておいてくれない……」
 私は深く俯いて小さく呟いた。そして奥歯をきつく噛み締める。
 なぜ私を表に引きずり出そうとする、なぜ私の心を乱すようなことをする。
 五年前の大批判の元凶が、ラミスではなく教会だと? 私をあんな目に合わせておいて契約したいだと? 私のためを思ってだと?
 ふざけるな!
 そんなこと、誰が信じて……!
「おーやおやおやヲや。嬢ちゃん、こんな天気に日向ぼっこたぁ、なかなか良い趣味だねぇ。オジサン達も混ぜて貰っていいかい?」
 頭の上から軽薄そうな声が降ってきた。
 私はゆっくりと顔を上げ、声の主を睨み付ける。
「誰だ。お前ら」
 白衣の下に忍ばせてあるガンホルダーに手を掛けながら、私はいつの間にか目の前にいた二人の男にケンカ腰の声をぶつけた。
 妙な組合せだった。
 一人は見るからにだらしのなさそうな男。無精髭にやたらと太い眉毛。長くもなく短くもない黒髪が跳ねているのは、湿気を含んだせいだけではなさそうだ。よれよれのカッターシャツに皺くちゃのスラックス、泥だらけの革靴。面倒臭そうに差した傘は、骨が何本か折れている。背は低く小太りで、唯一の救いは人の良さそうな柔らかい表情だろうか。
「まぁーま。訳あって本名は言えねーけどよ。季節外れのサンタさん、とでも呼んで貰おうか。ヲハハハ!」
 ……下品な笑い声のせいで、顔の方も台無しだ。
「じゃあ人さらいか。先に言っておくが私は貧乏だぞ」
 二挺の銃をチビデブの鼻先に突きつけながら、私は声を低くして凄む。
「ほぉーお。良い銃持ってんじゃねーか。あー見たことねー型だな。お前、知ってるか?」
 言いながらチビデブは隣りに立っている長身の男に顔を向けた。
 緩慢な動作で首を横に振る男は、私と同じく全身を雨の中に投げ出していた。
 オールバックに纏めた蒼い髪。ミラーシェイドで大きく隠れていて目元は見えないが、通った鼻筋と引き締まった唇から、かなり精悍な顔立ちをしていることが窺える。私より頭三つ分、チビデブにより頭二つ分も高い上背を覆うのは黒いレザーコート。露出している手には白いレザーグローブがはめられ、足には硬質素材で補強されたブーツを履いている。
 そして異様なのは、コートに巻き付けられた何十本ものベルト。まるで自分の力を抑え付ける拘束服のようだ。
「けどよ、嬢ちゃんに使いこなせんのか? その銃」
「お前の知ったことじゃない」
「確かに、な」
 チビデブは肩をすくめて見せながら、人なつっこい笑みを浮かべた。
「ま、あんま警戒心あおっても何なんで手短に行かせて貰うわ。いつまでもンなトコつったっててもサミーだけだしよ」
 太い眉毛をどこか自慢げにイジリながら、チビデブはカッターシャツの胸ポケットからネックレスを取り出した。
 ソレは正八面体の翡翠だった。
「さっき嬢ちゃんトコにショボいジーさん行っただろ。ま、アレの念押しってトコさ。教会のお偉いさん達は嬢ちゃんのことエライ高くかってんだよ。だから正式に契約しねーか?」
 この男達もか。
 この男達も私を放っておいてはくれないのか。
「教会の奴等は馬鹿ばっかりか? 傷付けて、野放しにして、成長したから回収する? そんな自分勝手な言い分が通るとでも思っているのか?」
「いやー、まーよ。確かに都合良すぎるわなぁ。実は俺も嬢ちゃんが即オッケーしてくれるなんざ思ってないのさ。今回は取り合えずご連絡までってやつだ。ヲハハ!」
 豪快に笑うチビデブに私は苛立ち、顔をしかめる。
 クソ……こんなことならドールを連れてくればよかった。
「でもよ、取り合えず信じてはくれたみてーだな」
「何をだ」
「俺達の話をだよ。五年前、嬢ちゃんにアカデミーで大恥じかかせたのがジャイロダイン派閥じゃなくて教会だったってこと。そんでソレが嬢ちゃんのためを思ってしたことだってことをだ」
「本気で死にたいのか、貴様」
 神経を逆撫でし続けるチビデブの眉間に銃口を定め直し、私はトリガーに指を掛けた。
「嬢ちゃん、できねーことは言うもんじゃねーな」
 しかしチビデブは全く動揺することなく、相変わらずヘラヘラと憎たらしい笑みを浮かべている。
「私が撃てないとでも?」
「さぁーなー」
 絶対に脅しだとタカをくくっているのか、それとも隣の大男が確実に助けくれるのか。
 まぁどっちでもいいさ。
 やってみれば分かる!
 心で叫んで大きく目を見開いた直後、重低音と共に辺りが一瞬白光に包まれる。
「ほらな?」
 しかしチビデブの顔は紅く染まることなく、嘲るような薄ら笑いを浮かべたままだった。
 外れた……。別に外すつもりなどなかった。
 人殺しになって王宮の牢に捕まえられようが、処刑されようがどうでもよくなっていた。そっちの方が誰にも邪魔されずに一人の世界に閉じこもれると思っていた。
「最初に言ったろ? 使いこなせんのかって。嬢ちゃんにゃデカすぎんだよ。その銃。んで、そんなモン構えてくっちゃべってたら当然腕も疲れてくる。だから撃っても肩が反動を吸収しきれずに、火線がぶれる。結果、当たらないってことだ? どーた? 分かり易いだろ? 俺のレクチャー。ヲハハ!」
 一通り説明し終えた後、チビデブは愉快そうに腹から笑う。
「しっかしアレだな。まさか本気で撃つとはな。ちょっとチビっちまったぜ。さっすが教会に捨てられた女。肝が据わってらっしゃる」
 その言葉に私は鋭い眼光をチビデブに叩き付けた。
「ま、ガキの頃に一回ハジかれたからって気落ちすんなよ。あんときゃあん時なりに大人の事情ってヤツがあったんだ。今こーしてちゃんと迎えに来てやったから、あんま気ぃ悪くすんなよな」
 大昔の、下らないことを引っ張り出しやがって……。
「コレでちったぁ信憑性出たかな? 教会は嬢ちゃんが生まれた時から気に掛けてたってことさ。ま、別に今日、明日中に答え出せって言ってるわけじゃねーからよ。じっく考えて嬢ちゃんが一番納得のいく結論出してくれや。俺たちゃ寛大な気持ちで待ってるからよ」
「時間など要らない」
 答えなどとっくに出ている。
 私は片方の銃を捨て、残った一つを両手で持って構える。これでもう火線はブレない。
「おー、恐い恐い。ココはひとまず退散しますよっと。降参降参」
 おどけたような仕草で両手を上げたチビデブの眉間に狙いを付け、私はためらうことなくトリガーを引き絞った。
「はぇあ!?」
 そして轟く素っ頓狂な悲鳴。
 だが銃から放たれた弾丸は、大男がチビデブを庇うように伸ばした右手によってあっさりと受け止められた。
 コイツ、素手で……。
「おいおいマジかよ……。ったく、その冷徹さ。ソックリだな……」 
 余裕をなくした表情でぼやきながら、チビデブは大男の影に隠れるようにして逃げ出した。
 クソッ、ドールさえあれば……。
 私は舌打ちしながら大男を見上げる。
 彼は銃弾を手に受けたにもかかわらず、声も上げず顔色一つ変えず、そして血一滴流すことなく静かに立っていた。
 何なんだ、この男は。ドールなのか? それとも……。
 私が銃を構えたまま大男を睨み付けていると、彼は無言で後ろを向く。そして、
「早くここから離れた方が良い」
 低くシャープな声で言った。
 直後、固い金属で大地を踏みしめたような重い音がいくつも聞こえてくる。恐らく、王宮の鎧兵が銃声を聞きつけて来たのだろう。
「アタシは絶対にアンタらの言うことなんか聞かない。絶対にだ」
 早口でそう言い残すと、アタシは鎧兵の足音とは反対の方向に駆け出した。

=================報告書====================
■メルム=シフォニーについて■
 レヴァーナ=ジャイロダインからの接触があるが効果は見られず。
 本体の用意した教会の使者接触後、リヒエル=リヒターが追加接触。
 教会に対してかなりの不信感を抱かせることに成功。
 また、感情の起伏が激しく非常に不安定で、極めて冷徹な一面があることを確認。

*追記『メルム=シフォニーの保有するドール技術についてのまとめ』
 ・ドール創出の手順書がない(その場での判断)。
 ・創られたドールは最初からある程度感情を持っている。
 ・創出直後から封印体が小さい。
 ・予め性別を決められる。
 ・ドールマスター推定ランク、十位以内。

■教会側の動向■
 本体側の行動に気付いた形跡はなし。
 しかしまた諜報員の何人かと連絡が不通となった。やはり殺されたとみるのが妥当。
 危険度Aと判断。
 これ以上の人員投入は控えることをリヒエル=リヒターより提案。また危険度の上昇にともない要求金が増加。
 依然、『終わりの聖黒女』は確認できず。

■本体側の動向■
 教会側の不審な動きに備え、メルム=シフォニーと契約するための行動を開始。現時点では順調。引き続き揺さぶりを掛ける。
 さらに教会との交戦時、本体側が有利となるよう王宮側の末端への接触を開始。担当はリヒエル=リヒター。

■王宮側の動向■
 メルム=シフォニーの暴走により、警戒を強めた可能性あり。

 以上
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