人形は啼く、主のそばでいつまでも

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  Level.12 『私は一番目だぞ』  

 急に視界が開けたかと思うと、そこは熱と爆風、そして悲鳴に近い烈声の飛び交う戦場だった。ほとんど音のない空間からいきなり放り出された私の耳はあっと言う間に麻痺し、すぐに何も聞こえなくなる。
 ――と、後ろから強引に頭を押さえつけられて身が沈んだ。
 直後、さっきまで私の頭があった位置を巨石が通り抜け、地面に深々と埋め込まれる。
 隕、石……?
「行くぞ!」
 耳元で聞こえるレヴァーナの大声。体が僅かに浮かび上がったかと思うと、不規則な上下運動と共に熱と怪音の発生源から遠ざかっていった。
 ――あれ?
 レヴァーナに抱きかかえられ、戦場から離れていっていることは理解できる。だが、何だ。
 ――この既視感は。
 私は以前に一度、似たような経験をしたことがある? あの時は、そう。耳のすぐ近くで荒い息づかいがして、今みたいに歪な間隔の振動が体を襲って、生臭い血の匂いと、男の苦しそうな呻き声、そして咆吼。女の人の声が聞こえて、それから……それから……。
「まいったな」
 体の揺れが止まり、私を地面に下ろしながらレヴァーナは小さく舌打ちした。もう音は大分遠ざかっている。教会の方を見るとあの巨大な尖塔がかなり小さくなってた。
「状況は早速絶望的って訳か」
 レヴァーナの言葉に私は目を細めて教会の敷地内を広く見回す。
 四本の小塔は全てなくなって地面と一体化し、残す真ん中の尖塔もいたる所が深く抉れていた。ドールの数自体も私が最初に見た時と比べてもう四分の一くらいになってしまっている。だがやはり封印体らしきモノの姿はどこにもない。
 そして、押しているのは教会側の勢力だった。
 僅かに感情を持ち、自律的かつ複雑な動きのできるドールの存在が大きい。ドールマスターさえ殺せば、その人が操っていたドール全てを無力化できるのと違い、彼らの場合はドールその物を破壊しなければならない。さらに、いくらラミスの私兵が戦闘訓練を受けているとは言え、体の一部を真実体にできるドールと戦ったことのある者などまずいない。
 焦り、戸惑い、怖れ。それらは集中力を著しく奪い、ドールの制御に支障をきたす。
 そして何より最も大きいのはヴァイグルの戦線離脱。
 彼がいたからこそ、教会も攻めあぐねている感じはあった。あの狂気にあてられて、後込みしている者は少なからずいた。しかしソレが取り除かれた今、士気は一気に上昇する。それに教会側の主戦力であったジェグもまだ生きている。死に体を引きずって戦っている。
 戦況の全てが教会の追い風となっていた。このままでは全滅するのは時間の問題だ。
「どうする。キミにはドールがない。館に引き返して作り直すか」
「そんな暇はない」
 今すぐにでもこの状況を立て直さなければならない。いくら強力なドールを生み出しても私一人ではどうでもならない。こちらに流れを引き戻すには……。
「ジェグだ。ジェグを叩く」
 アイツの力を何とかして封じれば、まだ勝機はある。いや、ここは戦場だ。封じるなんて生易しいことは言ってられない。
 ――殺す。
 そうしなければ今のアイツはきっと何回でも立ち上がってくる。ミリアムの命令を守るために。
 だが、できるか? ミリアムの冷たい態度を見て、あんな体になってもなお尽くそうとするジェグを見て……私は少なからず同情してしまった。それにアイツの言葉の意味もまだ……。大体、私には武器が――
「その必要はないみたいだ」
 難しい顔で呟いたレヴァーナの視線の先を追う。そこでは、ジェグのドールと互角の戦いを繰り広げる者がいた。
「ラミス……」
 ジャイロダイン派閥の総指揮官。本来は後ろに下がって兵を操るポジション。しかし彼女は自ら前線に立ち、三体のドールを同時に操りながらジェグと対等に渡り合っていた。
 大したものだ。ドールマスターランク一位のヤツ相手に……。
 だがジェグの方も凄い。あの傷でまだあれだけドールを動かせるか……。
「母上は昔、キミと同じくドールの研究に没頭してたんだろ? なら、きっと大丈夫だ」
 どこが冷めたような、それでいて表に出せない感情を押さえつけているようなもどかしい表情。やはりラミスのことを仇だと思っているのか、それとも彼女の信念を見極めようとしているのか、私にはレヴァーナの胸中を知ることはできない。
「レヴァーナ、ルッシェを探そう」
 しかし、今はそんなことを考えている時ではない。私達も一刻も早く戦闘に参加しなければならない。何もしないまま自分の無力さに打ちひしがれているだけではミリアムの思うつぼだ。絶対に絶望などしない。
「ルッシェ君を? だが援護しようにも武器がない。返って足手まといになるだけだぞ」
「武器ならあるさ」
 私は言いながら腰に巻いていたガンホルダーから二挺の拳銃を取り出した。向こうが気付かなかったのか、認識できなかったのか。どうやらコレは無事だったようだ。
「しかし、その銃はなぜか俺には使えないし、キミの腕がいいとは思えんが……」
「ゴチャゴチャ言わずに探すんだ。今のところ、あの子のドールに賭けるしかない」
「話が見えんな」
「説明は後だ! 行くぞ!」
 言い捨てて私は教会に向かって走り、戦域の外側から回りこむ。
 できれば、今ラミスが操っている私の生み出したドールが欲しい。ソレなら間違いない。けど状況から考えて不可能だ。ラミスからドールを取り上げれば彼女は死ぬ。
「じゃあキミは右から行け、俺は左に行く」
「分か――」
 後ろからしたレヴァーナの声に私は急停止し、左にある深い茂みに向かおうとしたレヴァーナの腕を掴んだ。
「……っと、何だ? 何か言い残したことでもあるのか?」
「お、お前も私と一緒に右から行くんだっ」
「なぜ? 纏まっていては恰好の的になるし、なにより非効率的だ」
「いいから! お前は私のそばにいろ! それでちゃんと盾になれ! 弾避けしろ!」
 これ以上、私の知らないところで傷付くな……!
「キミな……」
 半眼になり、呆れた声で返すレヴァーナの双眸が急に大きく見開かれたかと思うと、私に覆い被さるようにして飛びかかってきた。そして体勢を低くしたレヴァーナの背中の上を小鳥型ドールが突き抜けていく。
「相変わらず、キミは放っておけないな」
 言いながらレヴァーナは私を抱きかかえ、右の茂みに飛び込んで腰を沈めたまま走り始めた。
「俺は飛んでくる物に集中するから、キミはルッシェ君を探すことに専念しろ」
「わ、分かった」
 レヴァーナの走りに合わせて揺さぶられる体にまた妙な既視感を覚えながらも、私は戦場に目を向ける。数を四分の一に減らしたとは言え、それでもまだ百以上のドールやドールマスター達が乱戦状態になっている。だがあの大きなリボンとウシ柄のポンチョは目立つはずだ。何とか見つけて、この銃を――
 空気の悲鳴が聞こえた。続けて地面に何十本もの細い柱が突き立てられるのが視界の隅に映る。無意識に引き寄せられる視線。ソコにあったのは硬質的な輝きを持った槍のような触手だった。そしてソレによって串刺しにされた人型ドール。
 アレは、私が生み出した……。
「クソ……!」
 短く息を吐く音がして近くにいた馬型ドールが後ろに跳んだ。しかしその着地点を狙って無数の蜂型ドールが突き刺さる。バランスを崩し、よろめいた馬型ドールから振り落とされたのはラミスだった。
 押されている。ラミスがドール戦で押し負けている……。
 彼女が睨み付けている先に目をやる。そこには顔面を紅く染めながらも、両脚でしっかりと地面を捕らえて立っているジェグの姿。彼の双眸には凄絶な輝き。そして隣には凶悪な爪を持った虎型ドールが構えていた。
「死ねぇ!」
 ジェグの叫声が轟く。ソレに応えて虎型ドールは大地を蹴り、真上からラミスに襲いかかった。落下と同時に爪を繰り出し、弧を描く軌道で無慈悲な刃がラミスへと肉薄する。ソレを横手から割り込んできた人型ドールが両腕をクロスして受け止めた。が、鈍い音と共に肉を割かれ、骨を断ち切られ、胸を大きく抉られて封印体へと戻る。
 しかしその間にラミスは体勢を立て直し、何とか後ろに逃げて別の人型ドール二人を自分の近くで真実体化させた。そして護衛するように展開させる。
 まずい……。完全にジェグのペースだ。
 ラミスは確かに資質のあるドールマスターだ。だが、あまりにブランクがありすぎる。現役から退いて約二十年。それだけの空白を一日や二日で埋めるには無理がある。それに体力や集中力も昔に比べれば激減しているだろう。
 戦いが長引けば長引くほどラミスに不利だ。
 コレがジェグの底力。瀕死の重傷だと思っていたのに、ドールの動きはいつも以上にキレている。
 ルッシェは……! ルッシェはどこだ! 早く見つけて何とかしないと! ラミスが、死ぬ……!
 私は脳裏に鮮明に灼き付いてるウシ柄のポンチョを探す。だが目に映るのは、炎に包まれ、剣で串刺しにされ、地面に叩き付けられて息絶えていく見知らぬドールマスター達。腹を貫かれたドールが脱力し、封印体へと戻り、地面に吸い込まれていく姿だけ。教会の外側を大きく回っているとは言え、もう半分くらいまでは来ている。
 まさか……ルッシェはもう……。
「どうだ! いたか!?」
「いない!」
 レヴァーナの問い掛けに乱暴に返して私は教会の裏手を凝視する。
 いない! どこにもいない! ルッシェが……! どうして!
「……っん!」
 突然視界を縦に振られ、私は危うく舌を噛みそうになった。直後、背後で爆発が起こり、土砂を巻き込んだ強風が頭上を駆け抜けていく。
 爆弾型ドール!? それともドールの自爆!?
 いやそんなことはどうでもいい! 今はルッシェを! クソ! ハウェッツの馬鹿はどこで道草食ってるんだ! 早く出てこい!
「――ッ!」
 一瞬低くなった視界。ソコに映った物を見て、私はレヴァーナの髪を鷲掴んで動きを止めた。
「いたのか!?」
 辺りから注意を逸らすことなく、レヴァーナは叫ぶ。
 いた……いや、けど、アレは……。
 地面に横たわっていたのは確かにウシ柄のポンチョだった。
 ――紅く染まった。
「クソ!」
 しかしソレをよく確認する暇もなく、レヴァーナは後ろに跳んだ。ポンチョからそれほど離れていない場所で、巨竜型ドールの拳が鰐型ドールの体に振り下ろされる。平坦なドールを叩き潰し、なおも勢いを殺さないまま拳は地面に埋め込まれた。そして深く抉られた大地の中から、一呼吸遅れて派手な爆風が吹き出す。その余波は私達がいる場所まで呑み込み、レヴァーナと私の体を大きく吹き飛ばした。
「あ……」
 夜空に舞うウシ柄のポンチョ。
 アレは、ルッシェじゃない……。ポンチョだけだ。よかった……。
 私は疲労感さえ伴う安堵に胸をなで下ろし、再び顔を上げた。しかし、レヴァーナは動かない。
「おい、どうした! 止まるな! 危ないぞ!」
「母上……」
 頭上からレヴァーナの呟きが漏れる。
 呆然と見つめる視線の先では、ラミスが肩口を右手で押さえ、左手に亜空文字を展開させていた。白かったフォーマルドレスは土と泥と血で黒く染まり、所々で地肌を露わにしている。シャギーのブロンドはほつれ、くすみ、引き裂かれて元の形をまるでとどめていない。
 ラミスの眼前に迫った熊型ドールの爪を、立ち上がった二体の豹型ドールが前足で受け止める。が、その真横から突き出された剣で串刺しにされ、支えていた力が弱まった。だが辛うじて軌道の変わった熊型ドールの爪をラミスはバックステップを踏んでかわし――
「は……」
 振り下ろしの途中で更に長く伸びた爪がラミスの胸を抉った。
「母上!」
 鮮血が舞う。
 ラミスは大きく後ろに仰け反ったまま体を沈めていき――豹型ドールを貫いた人型ドールが剣を振り上げ――熊型ドールが力任せに腕を横に払い――ラミスの体に剣と爪が同時に――
「あ……」
 後ろから疾駆してきた人型ドールに抱きかかえられて真横に飛び、ラミスは二つの凶刃をやり過ごした。
「あ、あぁ……」
 レヴァーナの息が漏れる。
「ボサっとするな!」
 私は彼の腕から身を離して地面に下りると、その腕を掴んで力一杯真横に引っ張った。たたらを踏んだレヴァーナがさっきまでいた場所に、細い氷柱が何本も突き刺さる。
「流れ弾に当たるぞ! 走れ!」
「すまん!」
 ようやく気を持ち直したレヴァーナは再び私を抱き上げると、全力で教会の外周を走った。
 ジェグは完全にラミスだけを狙っている。他のドールマスターには目もくれていない。誰をどうすれば戦況を有利にできるのか、この混乱した中で冷静に見極めている。しかもあれだけの傷を負っているのに焦った気配もない。
 強い。ドールマスターとしてだけではなく、精神的にも鍛えられている。軍事用のドールを専門に扱っていたのはダテではないということか。
 軍事用のドール。ソレを王宮に横流しすることで買収し、教会は沢山の戦力を抱き込んだ。そしてそれからもジェグは教会の主戦力として忠実に仕えた。
 ミリアムのために。彼女を何とかして助けるために。
 それは、彼の信念なのか? 強い意志なのか?
 ――違う。利用されているだけだ。ジェグはただ教会とミリアムに利用されているだけだ。そして教会とミリアムを支配するリヒエルに。
 今だって、ジェグはミリアムの命令を聞き遂げるために力を振り絞っている。そのことだけが彼を支えている。
 強いはずだ。それだけ強烈な感情を注がれれば、ドールの力は爆発的に跳ね上がる。加えて元々持っている技術と精神力。
 勝てない。ラミスでは勝てない……。
「メルムまだか! まだ見つからないのか!」
 焦燥に満ちたレヴァーナの声。心配、しているのだろう。ラミスのことを。一刻も早く助けに入りたいと思っているのだろう。
 私だってそうしたい。ラミスが死ねば指揮が崩れるだけではなく、レヴァーナがどうなるか分からない。少なくとも、いつものコイツではなくなる。
 ダメだ。そんなのは嫌だ。コイツはバカで一直線で考えなしで強引で意地っ張りで猪突猛進で、でも誠意があって常に真剣で全力投球で譲れない強い想いを持っていて。
 とにかく、このバカはバカのまま難しいことなんて何も考えずに、愛とか友情とか恥ずかしい言葉を大声で並べ立てているのが一番なんだ。
 ルッシェ! どこだ! どこにいる!
 私は目に全神経を集中させ、どんな細かい物をも見逃すまいと戦場に視線を這わす。
 崩れ落ち、瓦礫と化した小塔。クレーター状に大きく抉れた大地。力無く横たわり、ピクリともしないドールマスター。そして咆吼を上げ、眼前の敵を噛み砕かんと飛びかかる数多のドール達。
 いない! どこにも……! どうして、どうしてなんだ!
「メルム……」
 頭上でレヴァーナが呟くような声で私の名前を呼ぶ。
「限界だ……」
 その言葉が聞こえたかと思うとレヴァーナは戦域から大きく外れ、深い茂みの方へ駆けだした。
「おぃ! 何をやって……!」
「少し、待っててくれ。ココで大人しくしていれば見つからない」
 低く沈んだ声で言うと、レヴァーナは茂みのかなり奥まで入り込んだところで私を下ろす。そして来た道を一人で引き返して行った。
「レヴァーナ!」
 アイツ! ラミスを助けに……!? 馬鹿な! 武器もないのに行ってどうするつもりだ!
「クソ!」
 速い! とてもじゃないが私の足じゃ追いつけない! レヴァーナを止められない!
 私はもがきながら茂みを押しのけ、どんどん小さくなっていくレヴァーナの背中を追い――
「な……ぁ!」
 何かにつまづいて顔から地面に着地した。
 ああ! クソ! 何だ! 一体! 落ち葉がなかったら大怪我してるところだぞ!
 したたかに打ち付けた鼻をさすりながら私は体を起こし、後ろを振り返って――
「ルッ、シェ……?」
 茂みの中で小さくうずくまって震えている人物に声を掛けた。
「セン……パイ……」
 間違いない、ルッシェだ。しかし明らかに様子がおかしい。
 顔は蒼白になり、胸の辺りに持ってきた手は不自然なほど大きく震えている。奥歯はカチカチと音を立て、綺麗だった銀髪は赤黒い物で顔に張り付いていた。
「おいルッシェ! 大丈夫か!」
 私はルッシェの元に駆け寄り、痙攣している肩を押さえつけて叫んだ。
 焦点の合っていなかったルッシェの目が、徐々に光を宿し始める。
「先輩……わたし……」
「何があった!」
「殺し、ちゃいました……」
 殺し、た……?
「人殺しに、なっちゃいました……」
 ……そうか。そういうことか。あの血にまみれたポンチョは誰かの返り血を浴びて。それで逃げ出したのか。どうりで見つからないわけだ。
「ルッシェ。ハッキリ言う。お前は何も間違ってない。お前がやったことは圧倒的に正しい。みんなに褒められることだ」
「そんな……だって……人殺し、ですよ……?」
「ここは戦場だ。日常じゃない。非現実の世界なんだ。お前は夢で人を殺したからといって誰かに咎められたりするのか? されないさ。誰にもな。今はそういう状況なんだ。相手を殺さなければ自分が殺される。そういう世界なんだよ。相手だって覚悟はできている。殺されてもしかたないと思ってる。ジャンケンで相手がグーを出してきたからお前はパーを出して勝った。誰が見ても納得のいく、当然で必然の結果だ。だからしっかりしろ、お前の力が必要なんだ。味方を死なせたくないならお前に立ち直って貰わないと困るんだよ!」
 私の呼びかけにルッシェの顔色が蒼白から土気色になり、そして少しだけ赤みがかったように見えた。噛み合ってなかった歯の根が静かになり、小刻みに震えていた体が徐々に落ち着いていく。
「分かり……ました……」 
 まだ寝起きのようなぼーっとした声で呟き、ルッシェは体をふらつかせながらもなんとか立ち上がった。
「わたしでも、まだ、先輩のお役に立てるなら……」
「急いでくれルッシェ! 急がないとラミスが! レヴァーナが死ぬ!」
「ラミス様と、レヴァーナさん、が……?」
 私に手を引かれて茂みの中を走るルッシェの声に、僅かだが力が戻ったような気がした。
「ルッシェ! ドールを! できるだけ大きくて力のある奴だ!」
「大きくて、力の、ある……」
「そうだ! なんでもいい! だから早くしてくれ!」
「は、はい……」
 怒声に近い私の叫びにようやく目が覚めてきたのか、ルッシェが私の手を握り返してくる。だがまだ足に力が入っていない。
 クソ! これじゃいくらドールを真実体にしても肝心の感情が! とにかくやるしかない! じゃないとレヴァーナが……!
 私はルッシェと一緒に茂みから飛び出し、
「な……」
 ラミスのいる方を見て全身から力が抜けていくのが分かった。
「レヴァーナ……」
 倒れていた。ジェグのすぐ隣で。
 動かない――全く――全然――ピクリとも――
 間に……合わなかった……。
「せ、先輩っ!」
 隣でしたルッシェの声と共に、私の頭上を大きな影が覆う。ソレが私を庇うようにして、飛んできた何かを弾いた。けど、もうそんなことどうでも……。
「先輩!」
 ルッシェの二度目の叫声で我に返る。
 そうだ。何をしているんだ私は。ついさっきまでとは立場が全く逆じゃないか。
 まだレヴァーナが死んだと決まった訳じゃない。あの頑丈なだけが取り柄のバカがそう簡単にやられるはずがない! きっと気を失っているだけだ! 絶対にそうだ!
 上を見る。そこではルッシェの大鷲型ドールが雄々しい翼を広げて滞空していた。
 よし! アレなら……!
 私は白衣の下のガンホルダーから二挺の拳銃を取り出し――
 飛沫が舞うのが見えた。
「え……」
 上げていた視線を恐る恐る元に戻す。
 ジェグの前にいた大サソリ型ドール。それが放った尻尾の一撃を竜型ドールが受け止め、横手から来た人型ドールの剣撃を蜘蛛型ドールが身を挺して防ぎ、そして地面から伸びて上がって来た植物型ドールの根が――
 ――ラミスの背中を貫通していた。
 まるで空中に張り付けられたようにラミスの体は吊し上げられ、全身を弛緩させて両の手足をダラリと下げている。鮮血がラミスの体を伝い、根の表面を滑り、地面に染み込んでいった。
 彼女の胸元から何かが二つ落ちる。ココからではよく見えない。だが、ラミスが胸に付けていた物は……。
「ブローチ……」
 白銀素材の台の上に蒼い宝石をはめ込んだ――
 ――ヴァイグルのブレーキ。
 ソレが、今……二つになって、砕けた……?
 遠くから獣の呻るような声が聞こえる。ソレはすぐに大気を振動させる不気味な音となり、乾いた薄ら笑いを経て、
『ッイァハハハハハハハハハァッ!』
 耳をつんざく哄笑へと変わった。
 戦場の空気が一変する。まるで時が止まったかのような錯覚。
 一瞬にして呑まれていた。ヴァイグルという暴君が放つ、無慈悲な死神にも似た殺気に。
 そして、黒い影が飛ぶ。ヴァイグルの体躯以上もある巨大な鎌が、月光を反射しながら真横に薙ぎ払われた。下にいた大サソリ型ドールの動きが止まる。いや、人型ドールも蜘蛛型ドールもだ。
 地面に縫い止められたように完全なる不動となり、
『ッシャア!』
 奇声を上げてヴァイグルが着地した後、思い出したかのように十字に亀裂が走って体液をまき散らせた。
 見えなかった。横だけはなく縦にも刃を食い込ませていた。あれだけ巨大な鎌だというのにまるでスピードか落ちていない。しかも三体のドールを同時に……。
 速いなどという次元ではない。人間の目で捕らえられる領域を遙かに逸脱している。
『ィィィィィイイイイィィイ!』
 いつの間にかヴァイグルが私のすぐ近くまで来ていた。
 恐竜型ドールの胴体を一閃で切断し、熊型ドールの頭部を左手で掴んで地面に埋め込む。そして足に生み出した鋭い鉤爪を人型ドールの顔面に引っかけて真上に引き抜き、鎌から長大な槍へと変えた右腕でドールマスターの心臓部を一突きにした。
 暴走だ……。
 もう敵も味方も関係ない。目に映る物、全てを葬り去るつもりだ。
 だがブレーキはない。誰もヴァイグルを止められない。
 緋色の双眸を爛々と輝かせ、ヴァイグルは次の獲物に飛びかかろうと両足をたわめる。
 が――
「な……」
 左脚が付け根からもげ、地面に崩れ落ちた。
 腐食が異常に進んでいる……。あんな大きな鎌を生み出して、尋常じゃない速さで飛び回ったんだ。力を使った反動が左脚で一気に顕在化しても不思議じゃない。元々、ラミスがブレーキを掛けた時点でヴァイグルの体は限界だった。今はその限界を超えて肉体を酷使している。命を削って力に変えているんだ。
『ッアアアアアァァァァァ!』
 それでもヴァイグルは怪吼を上げ、残った右脚だけで大きく跳ぶ。
 ジェグの生み出した植物型ドールの頭部が内部爆発でも起こしたように弾け飛び、真下にいた熊型ドールの腰から上がずれ落ちる。二匹の豹型ドールが超重力に潰されたかのように平坦になって臓腑や骨を撒き散らせ、竜型ドールの腹にヴァイグルの右腕が深々と埋め込まれた。
 そして血飛沫を浴びながら引き抜いた時、本来あるべき場所に腕はなかった。
 竜型ドールの体内に埋まったまま、ヴァイグルの右腕は腐っていた。
『ククッ! クヒャァラッハハハハハハハァァァ!』
 だが傷付くことに酔いしれているかのように、ヴァイグルの声はどんどん大きくなっていく。そしてヴァイグルの目がジェグを睨み付け、続けてその足元に横たわっているレヴァーナに向けられた。
 血管に冷水を通されたかのような悪寒。
「やめ……!」
 ヴァイグルは左脚だけで大地を蹴り――レヴァーナに向かって倒れ込むようにして体重を移動させ――機械骨格だけとなった左腕を真下に突きだし――レヴァーナの心臓を背中から――
「な……」
 ジェグが盾型ドールでヴァイグルの拳撃を受け止めた。さらに自律タイプの蜂型ドールをヴァイグルの真横から何十匹も叩きつけ、レヴァーナから大きく遠ざける。
 どうして……。どうしてジェグが……レヴァーナを……。また、コイツは訳の分からない行動ばかり……。
『ギ、ググ!』
 ヴァイグルは蜂型ドールの流れから体を逃がして片足だけで綺麗に着地すると、底冷えするような凶悪な笑みを浮かべてジェグを見た。 
『ギャァラッハハハハハハハ!』
 そしてしゃがれた声で狂った笑いを上げると、低い弾道でジェグに急迫する。
 だがジェグは避けない。まるでレヴァーナを庇うかのように一歩前に出ると、ヴァイグルの拳撃に合わせて両の手の平を前に突き出す。
 馬鹿な……! 素手で受け止めるつもりか!
 狂声を上げながら突っ込むヴァイグルの左拳がジェグに接触し、そして――
 弾き飛ばした。
 体勢を崩し、片足だけでは自分の体を支えきれず、ヴァイグルは地面に突っ伏す。だがすぐに左手で上体を起こし、ジェグの方を見て不気味な笑みを浮かべた。
 ジェグの両腕が爆ぜ、鮮血に染まっていた。
 当然だ。片足で跳んだとは言え、ヴァイグルのあの拳撃を真っ正面から受けたのだ。【フェム】の上半身を吹き飛ばすような凶撃を。
 腕の骨は微塵になり、筋肉は細切れになるまで切断され、毛細血管は至る所で破裂を起こす。
 だがそれでも、ジェグは両腕を垂らしながら立っていた。もはや奇跡と言っていい。
 いったい、どうやって……。
「え……」
 もう二度と使い物にならないはずのジェグの両腕がゆっくりと持ち上がる。そして腕の表面が何かで覆われたかと思うと、鉤爪の形になって安定した。
 何だ、アレは……。まさかジェグもドール……? いや、いくらなんでもドールが亜空文字を生み出せるはずがない。今だって肩の辺りに灰色の光を放つ同心円が……。
 肩? 手ではなく?
 ……そうか。ドールだ。薄い皮のような形のドールを両腕に張り付かせているんだ。ソレを手の平で盾のようにして……。今ジェグの両腕を動かしているのは彼だが彼ではない。ドールを介して操っているんだ。
「ああああああああぁぁぁぁぁ!」
 ジェグはまだ倒れ込んでいるヴァイグルに向かって、鉤爪を真上から叩き付ける。左腕を頭上に掲げ、ソレを受け止めようとするヴァイグル。しかし爪は歪に軌道を変えると、ヴァイグルの後頭部に突き立てられた。
 人間の骨格を無視した本来では考えられない腕の動き。ジェグの骨が完全に粉砕されきっている証拠。恐らく、もう何の感覚もないのだろう。すでにジェグの腕は単なる肉塊となり、ドールの宿主と成り果てている。
 このため? 盾型ドールを使わずにあえて自分の手で受け止めたのは、腕を『物』にするため? 痛みもなく関節に動きを制限されることもなく、純粋な『武器』とするため?
 どうして……どうしてここまで……。お前がそこまで身を削ってレヴァーナ守る理由は何だ。
『ギェアラハァ!』
 ヴァイグルの獣吼が上がる。刺さった鉤爪から逃れようともせず、ジェグの心臓目掛けて左腕を突き出した。右腕を胸元で折り畳んでソレを受け止めるジェグ。だが勢いを殺しきれず、そのまま大きく後ろに跳ね飛ばされた。
 鉤爪は、ヴァイグルの後頭部に深く差し込まれたままだった。 
 ちぎれた。
 ジェグの左腕の肘から先が、体から引き剥がされた。だがすぐにその断面をドールが覆い、吹き出る血の勢いを止める。
『ゲ、グ、ァ……!』
 もはや人間からは遠く離れた吃音を発しながらヴァイグルは立ち上がり――
 右脚が崩れ落ちた。
 胴体だけになって地面へと叩き付けられるヴァイグル。だが、それでも左腕だけで体を起こし、這い進んでいく。
 あまりに凄惨な光景。いつの間にか、辺りは静まりかえっていた。
 ヴァイグルの凶行に戦意を喪失し、集中力を飛散させ、二人の異常な戦いに恐怖で絡め取られて、見入っていた。
 体が動かない。どうすればいい。私は何をすればいい。
 ジェグは敵だ。だが今はレヴァーナを守ってくれている。ヴァイグルは味方だった。しかし今では完全に暴走し、破壊と死を貪る狂人だ。
『ッガァラハァ!』
 叫び声と共にヴァイグルが――跳んだ。
 左腕一本で大地を押し返し、ジェグに向かって一直線に跳んだ。
 もうジェグに避ける力は残っていない。いくら止血しているとはいえ、あまりに大量の血を流しすぎている。特に額からの出血は収まるどころか、激しい動きのせいでさらに酷くなっていた。
 ジェグはその場に立ちつくしたまま、左肘を覆っていたドールを鉤爪に変え――
「な……!」
 両腕を広げた。
 まるでヴァイグルを迎え入れるようにして。
 ジェグの背中から機械骨格の腕が生える。だが、腹を貫かれながらもジェグは鉤爪をヴァイグルの後ろに回し、上半身だけとなった体をしっかりと固定した。
 そして――ヴァイグルの全身を無数の槍が内側から突き破った。
 その力に押され、緩慢な動きで離れていく二つの体。
 ヴァイグルの顔からは表情が消え、ジェグはどこか満足気な笑みすら浮かべて後ろに倒れ込んだ。
 彼の腹から飛び出しているのはヴァイグルを貫通した無数の槍。血塗られた槍型ドール。
 腕に巻き付けた鉤爪型ドールと同じようにして、腹にもドールを仕込んでいた。
 動かない。もう二人とも動かない。
 大地に根を這わしたように固定され、微動だにしない。
「あ……」 
 掠れた呟き。ソレが自分の口から漏れた物なのか、それともただ単なる風の音なのか。
 気が付けば、私の体は前に出ていた。そして自分の息づかいが聞こえた時には走り出していた。
 ジェグ、レヴァーナ、ヴァイグル、ラミス。
 四人の体が私の視界の中で大きくなっていき、そして立っていたのは――ジェグの目の前だった。
「酷い……」
 遠くで見ていた時に想像していた傷の深さを遙かに上回っている。
 集中力がなくなり、覆っていたドールを失った腕はまるで打ち捨てられた流木のようだった。至る所がささくれ立ち、赤黒い肉を露出させ、皮膚との隙間を血が埋めている。骨がその機能を完全に放棄してしまった腕は不気味に波打ち、触手のように横たわっていた。
 額から流れ出る血は乾いて固まり、ジェグの顔を仮面のように覆っている。ヴァイグルの左腕が埋め込まれた腹には黒い空洞ができ、体にまとわり付くだけになってしまったカッターシャツの切れ端を深い色に染めていた。
 そして剥き出しになった脇腹からは、ヴァイグルを貫いた槍型ドールの封印体が――
「え……」
 埋め込まれていた。腕と同じように腹の表面に巻き付けていたのではない。ジェグの“体の中に”こぶし大の白い球体が沈んでいた。
 ……脇腹? 館でヴァイグルが暴走した時、ジェグが深く傷付けられた場所?
 ソコに、わざわざ封印体を埋め込んで……。
 本当に最後の手段だったんだ。体の外に巻き付けていたのでは戦いの中ではぎ取られてしまうかもしれない。腕と違って腹は動きに融通が利かないから器用に避けることもできない。特に、ヴァイグルとの戦いのようなギリギリの局面に追い込まれれば、ソチラに注意を払っている余裕などない。それでは、いざという時に役に立たない。
 だから確実に安全な隠し場所で、しかも真実体にした時に力が逃げないように、しっかりと根元を固定できるように、自分の体の中を選んだ……。
 両手に鉤爪を生み出した時にはこうなることを覚悟していたんだろう。ヴァイグルを止めるには相打ちに持っていくしかないと。だから、一度掴んだら絶対に離さないような武器を……。コイツ、そこましでして……。
「ああ……ミリアム様……」
 か細い声でジェグの口から言葉が紡がれる。
 まだ、生きてる……!
「ジェグ! しっかりしろ!」
 そして私はジェグのそばにしゃがみ込み、大声で叫んだ。
 もう教会とかジャイロダイン派閥とかは関係ない! ジェグはレヴァーナを守ってくれた! ジェグがいなければレヴァーナは死んでいたんだ!
「よかった……外に、出られたんですね……」
「ジェグ……?」
 コイツ……。
「申し訳、ありませ、ん……また、貴女を裏切って、しまっ、て……」
 まさか……私のことを……。
「僕、は……貴女に、幸せになって、欲しかった……」
 ミリアムだと……?
「生まれた時から……閉じ込められて、楽しいことなんか、何も……なくて……。だから、貴女を幸せにするために、なんだって……やり、ました……。貴女の言うことは、何でも、聞きました……」
 もうはっきり見えてないんだ。だから顔の似ている私を、ミリアムだと間違えて……。
「メルム、シフォニーを……絶望……。アイツが、嫌がること、を……ソレが、貴女の……幸せ……」
 声が小さくなり、どんどん言葉が聞こえなくなっていく。
 眼の光が消えていく。体が悲惨なほどに白くなっていく。命の炎が、目に見えて小さくなっていった。
「でも……ダメ、でした……。アイツの、絶望……顔は……ミリアム、様が……落ち込んで、る……よう……。貴女を、傷つけて……る……うで……耐えられ……」
「ジェグ……お前……」
 ……ジェグは、私にミリアムの姿を重ね合わせていたんだ。外見のよく似た私を、いつの間にかミリアム本人のように見ていた……。

『ミリアム様の幸福は、お前の絶望。お前の幸福は、ミリアム様の絶望。それじゃ、ダメだということ、だ』

 そういう、ことか……。一人を幸せにするにはもう一人を絶望させなければならない。片方のミリアムは笑っていても、もう片方のミリアムは泣いている。その状況に、ジェグは耐えられなかった。

『ミリアム様を、助けてくれ……』

 だから私に救いを求めた。
 私がミリアムを幸せにできれば、私が選択した方法でミリアムを助けることができれば、少なくとも私は不幸にはならない。絶望しない。ジェグはそこに希望を見出した。
 ミリアムのためにソコまで……。こんなになってまで……。
「ミリアム、様……どうか、お幸せに、なって、くだ……。僕は、貴女の笑顔が、見たかっ、た……」
 最初はきっと同情だったんだろう。閉じ込められて、モルモットのような扱いを受けているミリアムを、何とかしてやろうと思っていたんだろう。でも、だんだん別の想いが大きくなっていって……。
「二人、とも……笑って……。姉妹、……だから……」
「……分かったわ」
 儚くしおれていくジェグの声に、私はできるだけ優しい声で応える。そして笑顔を作って彼に寄せ、頬を撫でながら続けた。
「アタシ、姉さんと上手くやってみるから。貴方のおかげで、なんとかできそうだから。だから……」
 冷たいジェグの顔。止まり掛けた肉体。
「ありがとう、ジェグ。貴方といられて、幸せだったわ」
 消え去りそうになっていたジェグの表情に一瞬だけ温もりが戻り、
「ミ……リ……様……」
 笑った。
 一度も見せたことのないような顔を私に向けて、満ち足りた笑みを浮かべた。
 そして――
「ジェグ……?」
 応えない。何も返さない。全く動かない。
 あれだけ打たれても打たれても立ち上がってきたジェグが、まるで魂の宿らない人形のように……。
「安らかに、な……」
 辛かっただろう。
 ミリアムのことを想うが故に私を嫌い、憎み、しかしそのことで自分を傷付け……。
 館でヴァイグルから私を庇ってくれた時も、孤児院のみんなを助けてくれた時も、そして今こうしてレヴァーナを守ってくれていた時も。もう一人のミリアムのためを思ってした行動は、その全てがミリアムの反感へと繋がる。
 救えない。どうやっても、何をしても。
 ミリアムを、ミリアムによく似た女を、そして――自分自身を。
 でも、きっと最後は救われてくれたはずだ。私のことを、自分の仕える主だと思って……そのそばで安らかに眠ってくれはずだ。
 でないと、ジェグがあまりに……。
 私は彼の瞳を閉じ、大きく息を吐いて立ち上がった。
「レヴァーナ……?」
 そして私と同じく立ちつくしているレヴァーナが視界に映る。いつの間にか気が付いていたのだろう。怪我らしい怪我は一つもなさそうだ。
「レヴァーナ、よかった……」
「よくはない」
 私に背を向けたまま低い声で呟いたレヴァーナに、私は駆け寄る足を止めた。
「今の気分は、これまで生きた中で最悪だ」
 レヴァーナが見つめている視線を先を見る。
 ソコには上半身だけになって虚空を見つめているヴァイグルと、彼に覆い被さるようにして体を横たえているラミス。
「俺は、こんなにも自分勝手な奴だったのか? 散々、裏切りだ人殺しだ仇だと罵っておいて……失うとこのありさまだ」
 泣いていた。
 いや、実際に涙を流していた訳じゃない。でも、私にはそう見えた。
 肩をふるわせて立ちつくし、両の拳を固く握り込んだまま、抱き合うようにして倒れ込んでいるラミスとヴァイグルをじっと見つめている。それはまるで知らない場所に置き去りにされ、どうして良いか分からずに助けを求めている子供のようだった。彼の周りだけを何か異質な空気が取り巻いているようにも見える。
「生みの母を失った時も、父を失った時も、こんな気持ちにはならなかった。多分、まだそばにいてくれる人がいたからだったんだろうな。母が亡くなった時には父が、父が亡くなった時には母上が……」
 レヴァーナは下唇をきつく噛み締め、目を瞑って一度だけ大きく呼吸した。
「母上は……俺にとってちゃんと母親だったんだな」
 そして、少し声を震わせながら言葉を紡ぐ。
「辛さを乗り切って初めて得られる強さもある。大切な物を失って初めて見えてくる世界もある。それは分かっている。父と母を失った時、自分に何度もそう言い聞かせて、気持ちを紛らせてきたからな。けど、今あるのは後悔と失望だけだ。母上がいたから、俺は自分の弱い部分を隠し通すことができていた。けどソレに気付かなかった。自分がどれだけ情けなくて、女々しい奴かってことをな。大切な物を代償にして得られたのがこれじゃあ……」
「自分の弱さを認められるのも強さうちさ。お前は強い。その強さのおかげで、私はここまで立ち直れた」
「……死ぬ直前に、母上が言ってたよ」
 レヴァーナは安らかな寝顔とすら取れるラミスの顔を見つめながら、重く口を開いた。
「『貴方だけが、ずっと私の味方だった。貴方がいてくれたから、私は前に進めた。ごめんなさい、ヴァイグル。ごめんなさい、レヴァーナ』ってな。俺の名前は、二番目だった……」
 自嘲めいた笑みを浮かべ、レヴァーナは細く息を吐き出す。
「そんなのは当然だ。俺は母上と距離を取り続けてきたからな。むしろ二番目に出てきたことの方が驚きだ。死ぬ前に、少しでも俺のことを思い出してくれただけでも、ありがたいと思ってる。けど……悔しいのはどうしてなんだろうな。どうしてこんなにも、未練がましい考えばかり浮かんでくるんだろうな。ああしておけば良かった、こうしておけば良かったなんて、母上が生きていた時には頭を掠めもしなかったことばかりが浮かんでくるのはなぜなんだ」
 レヴァーナは片膝を付いてしゃがみ、ヴァイグルの左腕を持ち上げてラミスの背中に回した。
「きっと罰なんだと思う。父を殺したのは母上なんだと勝手に決めつけて、今までずっと否定し続けてきた罰を受けているんだろうな。一人になって、自分のしたことの重大さを良く噛み締めろと言われているんだ」
「お前は一人なんかじゃないだろ」
 自分を責め続け、見たこともないくらい沈んでいくレヴァーナの背中に、私は耐えきれなくなって声を掛けた。
「お前の両親やラミスだけじゃない。館には他にも沢山、お前のことを想ってくれる奴等がいるじゃないか」
「アレは俺自身に向けられた気持ちじゃない。ラミス=ジャイロダインの息子という肩書きを持った俺に当てられたモノだ」
「違う。ソレは違うぞ、レヴァーナ。自分に荷担したところで何の利益もないと言い切ったにもかかわらず、付いてきた奴等がいるだろ。館でお前がジェグに殺されそうになった時、武器も持たずにお前を助けようとした奴等がいるだろ。それにお前を教会から助け出すために、身を挺して私に道を作ってくれた奴等だっているんだ。どう見ても後先のことなんか考えていない。肩書きなんてモノに振り回されての行動なんかじゃない。全部お前のことを想っての意思表示だ。アイツら全員、お前のことが好きなんだよ」
 最初見た時から分かっていたさ。
 このバカは親の威光だ、自分の力じゃないだと言っていたが、コイツには人を惹き付ける力があるってな。私も自分で知らない間にコイツに惹かれていた。私だけじゃない。ルッシェもハウェッツも、そしてラミスも。
 自覚はないんだろうな。だから嫌味にはならない。自然に人の心の入ってきて、気が付いたら占有されてしまっているんだ。全く、実に迷惑な話だよ。おかげで私の人生は滅茶苦茶だ。
 ……まぁ、別に悪い気分じゃないが。
「それからな、私は一番目だぞ」
 いや、良かった。私はコイツと出会えて本当に良かった。
「私の中でお前の名前は、一番最初に出てくるぞ」
 コイツはずっと私の味方だった。一度も私を裏切らなかった。
 三年前のあの時、コイツに出会っていなければ私は多分今頃、救いようのないくらいイジケて引きこもって、自分の世界に閉じ籠もっていただろう。
 あの時はまだ名前も知らないコイツの言葉が、この三年間唯一の支えだった。

『いや、俺は純粋に素晴らしい研究成果だと思っただけだ』

 コイツだけが評価してくれた。

『まぁ、天才とは往々にして世には認められない物なのだよ』

 コイツだけが受け入れてくれた。

『何となく、放っておけなかったからな』 

 コイツだけが――救いだった。
 何十人何百人と敵がいる中で、コイツだけが味方でいてくれた。だからアタシは後ろに下がることなく、辛うじて踏みとどまることができたんだ。そしてまたコイツと再会して、前に進めた。
 たった一人。でもその一人が背中を押してくれたからこそ、今のアタシがある。
 きっと、ラミスにとってもヴァイグルはそういう存在だったんだ。分かる。分かるよ、ラミス。貴女がどれだけヴァイグルのことを想っていたのかって。どれだけ大切な存在だったのかって……。
 だからヴァイグルに彼の過去を教えなかった。教会にいたことを知ってしまえば、ソコで生み出されたことが分かってしまえば、ヴァイグルはラミスの元を離れて教会に行ってしまうかもしれない。
 ――復讐のために。
 ラミスがヴァイグルを拾った状況から考えて、彼が何か酷い目にあっていたことは明白だ。ソレを思い出して欲しくなかった。ずっと自分のそばにいて欲しかった。
 もうラミスにとってヴァイグルは、想い人そのものだったのだろうから。
 自分のドールが暴走して両親を失って、王宮の地下牢から出てきた時には世界が一変していた。灰色に塗り潰された空、薄暗くもや掛かった空気、どす黒く湿った地面。
 視界に映る物全てが羨ましくて妬ましくて憎たらしくて。やり場のない怒りと焦りと困惑で頭が一杯になって。そんなところに一つだけ光を差し入れられれば、どんな誰だってソレにすがりつきたくなる。頼って寄り掛かって、救いを求めるのが当然だ。
 でもラミスは自分に甘えを許さなかった。変なプライドが邪魔をして弱い自分を受け入れなかった。
 だから自分の力で過去を乗り越えようとした。教会を潰すという目標を立てて、ひたすらソレに打ち込んだ。
 大切な者の命を削って……。
 アタシと同じだ。自分は弱いんだって認めればいいのにソレをしない。支えて貰えば楽になるのに拒絶する。全てはちっぽけで下らないプライドを守り通すため。どうでもいい自意識を満たすため。弱さを受け入れる勇気がないため。
 そしてやめておけば良かったと後悔するのは、決まって大切な者を失った後なんだ。
 だからアタシは幸せ者だ。失う前に、そのことに気付けたから……。
「ヴァイグルは……」
 レヴァーナは立ち上がり、私に背中を向けたまま小さな声で呟いた。
「ヴァイグルは母上のこと、どう思ってたんだろうな……。ドールとマスター。それだけの関係だったのかな……」
「それだけだったらこんな姿になるまで戦いはしないさ。ラミスを想うからこそ、その目的を遂げさせてやりたかったんだ」
 もはや推測の域を出ないが、ヴァイグルはラミスのことをマスターとしてではなく、一人の大切な女性として見ていたんだと思う。だからラミスの期待に応えたかった。体を腐らせても、精神に異常をきたしても、ずっとラミスの味方だったんだ。
「母上の目的……教会を潰すこと、か……。せめて遺志は、継がないとな……」
 レヴァーナは少し色濃くなった地面をゆっくりとした足取りでたどっていった。ラミスがココまで這ってきた時にできた、血の跡を。道が途切れた所でしゃがみ込み、落ちていた物を拾い上げる。
 ソレは二つに割れたブローチだった。レヴァーナはラミスの遺品をズボンのポケットに入れ、
「ん……?」
 他にも何かを見つけて別の場所に手を伸ばした。
 そして持ち上げたのは、細長いチェーンの取り付けられた翡翠の正八面体。教会員であることの証。
 アレはラミスの物か……? いや、確か取り上げられてしまったと言っていたが……。
「どういう、ことだ……」
 レヴァーナはソレをじっと見つめながら、信じられないといった様子で言葉を漏らす。そして大きく開いた目を私の方に向けた。
「どうかしたのか?」
 何だ? 何か変なことが書かれていたのか?
「メルム……シフォニー……」
 そしてレヴァーナは改まって私のフルネームを言いながら近寄り、コチラに翡翠の首飾りを差し出した。受け取り、表面に書かれている文字を見る。



 ――ヴァイグル=シフォニー――



「え……」
 磨き上げられた翡翠には、持ち主の名前がそう記されていた。
「アタシと同じ……ファミリーネーム……」
 何……何コレ……いったい何の冗談なの。

『特殊な方法で生み出されたドールであるアタシ達は、興味深い研究対象として――』

 静かに横たわっているヴァイグルを見つめるアタシの脳裏に、断片的な言葉が蘇る。
  
『母が気絶したキミの顔を見て『あんまり似てないわね』とか言っていたから――』

 あの時、アタシと比べていたのは……。

『アカデミーの名簿から初めてお前の名前を見つけた時のラミスの顔は傑作だった』

 あの時、ラミスが見ていた名前は……。

『まだあるじゃないか。ドールからドールを創り出すもう一つの方法が。より人間に近づけられる方法が』

 ソレって、まさか……。

『アタシ達はあの男が生み出したのよ。“人間と同じ方法でね”』

 ヴァイグルは、アタシの――“父親”……?
 アタシは、ドールとドールから“産まれた”ドール……?
 ヴァイグルは、“自分の子供”を連れて教会から逃げてきた……?
「ヲハハハハハハ! どーだい嬢ちゃん。真実を知った感想は。ショックかい? ショックだろーな、オイ! 自分の父親をみすみす見殺しにしたんだからな!」
 尖塔の方から聞こえてきた下品な声に、アタシは首だけを動かしてソチラを見る。
 ハウェッツを肩に乗せたリヒエルが、醜く顔を歪めていた。
 見殺し……? アタシ、が……?
「ヲイヲイ。なに今さら驚いた顔してやがんだよ、嬢ちゃん。コイツが孤児院で戦ってた時も、ラミスんチでジェグの馬鹿を迎え撃った時も、ついさっき決着付けてた時も、嬢ちゃんは何にもせずにぼーっとつっ立ってやがっただけじゃねーか。しかも今、真っ先に駆け寄ったのが味方で父親の方じゃなくて、敵で裏切り者の方だってんだから傑作だ。親不孝な娘を持ってヴァイグルの奴も浮かばれねぇなぁ、こりゃあ。ヲハハハハ!」
 リヒエルはハウェッツの頭を撫でながら、楽しむようにして一歩一歩近付いてくる。
 アタシは……ヴァイグルを……見殺しに……? 自分の父親を……? アタシはドール……? 僅かに感情を持ったドール同士から産み出された、ドール……?
「言いたいことはソレだけか、リヒエル」
 低い声が聞こえたかと思うと、アタシを庇うようにして誰かが前に立った。
 レヴァーナ……。
「下らない戯言でメルムを絶望させ、ミリアムに捧げるつもりか。下衆らしい発想だな」
「ヲヤヲヤ。コチラは随分と立ち直りの早いことで。でもあまり無理なさらない方がよろしいですよ? 坊ちゃん。ラミスは貴方が殺したようなものなのですから。あの女は貴方が人質に取られていたから焦ったんですよ。でなければこんな無様な戦い方はしない。教会を潰すとか大きな目標を掲げていたのに、結局情に流されて大局を見失ったんですなぁ。所詮は女。精神面の弱いこと弱いこと。大昔のトラウマを引きずり続けるだけのことはありますなあ。ヲハハハハハ!」
「母上を愚弄するな!」
「ヲーヤヲヤ。コレはお恐いことで。このリヒエル、初めて見るレヴァーナ様のお顔ですなぁ。ラミス様が見たら何と言うか」
「貴様ぁ!」
 挑発的なリヒエルの言葉に怒声を上げ、レヴァーナは拳を握り締めて殴りかかる。
 ダメだ……レヴァーナ。そんなのお前らしくない……。
「く……!」
 しかし、レヴァーナはリヒエルに届く前に足を止めた。
 彼の目の前にはまるでリヒエルを庇うようにして滞空する黄色い角オウム。
「ハウェッツ……」
「邪魔だどけ!」
 ハウェッツを押しのけ、レヴァーナは強引に前へと踏み出す。しかし、押し返されたのはレヴァーナの方だった。真横に跳ばされて地面に尻餅を付き、舌打ちしながら立ち上がる。
「ほーぅ。さすがは嬢ちゃんの創った最高のドール。封印体でもこの威力か。素晴らしいねー。ヲハハハ!」
 自分の肩に止まり直すハウェッツの頭を撫でてやりながら、リヒエルは豪快に笑った。
「お前……アタシのハウェッツに何をした!」
「なーに。ちょっと裏の世界を覗いて貰っただけさ。したらすーぐ素直になってくれたぜー」
 裏の、世界……?
「教えろ、メルム=シフォニー。どうすればハウェッツのように完璧なドールになれる。どうすれば力を使っても腐らない体になる」
 おどけたような口調から真剣で冷淡な喋り方になり、リヒエルは獲物を狙うかのように目を細めた。
「知らないわ。精神ショックを与える以外のことは知らない」
「まだそんなことを……」
 リヒエルは小さく鼻を鳴らして、薄く開いた視線を横手に向ける。ソレはレヴァーナを通り過ぎ、さらに後ろにいるヴァイグルへと注がれた。
「アイツも、相当なショック受けてたな。自分の子供がモルモットにされるって知ってよ。もう二度と会えないって分かって、連れさりやがった」
 何か感傷に浸るような口調で言い終えた後、リヒエルはアタシの方に視線を戻して続ける。
「嬢ちゃん知らねーだろ、ドールとドールから子供が産まれる確率がどんだけ低いか。外見は人間と全く同じでも、中身は全然違うからよ。一緒に寝たからってそうポコポコできるわけじゃねーんだよ。結局、嬢ちゃんとウチの姫さんだけだったよ。この方法でできたドールは。けど世界を終わらせる力なんて持ってなかった。何十人ものドールマスターに研究させたけど、力の付け方なんか誰にも分からなかった。コレじゃダメだ。話になんねーってんで、我らが教総主様はまた別の方法を思いついたんだな。ドールからドールを創り出す方法で、しかもそのドールが確実に力を付けていく方法を。何だと思う?」
 リヒエルは太い片眉をつり上げて見せ、口の端に嘲笑を浮かべながら小馬鹿にしたような口調で言った。
 アタシや、ミリアムのようなドールを産み出して、ソレを確実に育てていく方法……?
「よーし、じゃあヒントをやろう。大ヒントだ。嬢ちゃんを産んだ母親はもうこの世にいねー。ソイツの餌になっちまったからな」
 え、さ……。

『もう、単に感情のあるドールになど興味はない。貴様らは――餌だ』

「分かんねーかい? 生け贄リストだよ。俺や嬢ちゃん、ウチの姫さんにヴァイグルの奴も含まれてた。教総主は頃合いになったところで嬢ちゃんを回収して、ソイツの餌にしようとしてたんだよ。完成させるためにな。『終わりの聖黒女』ってのはつまり、最後の餌って意味だ」
 アタシが……最後の、餌……。
「もう分かったな? そう――ドールを喰うドールを創り出したんだ」
 アタシの母親も、そのドール、に……。
「それから感情のあるドール共をどんどん量産して、ソイツに喰わしていった。最初は一抱えくらいだったのがすぐに大人と同じ大きさになり、あっと言う間に家みたいなデカさになったかと思うとこの教会をすっぽり呑み込むくらいにまでなりがった。それからはどれだけ喰わせても大きさは変わらず、性質だけが変わっていった。つまりまぁ、だんだんと人間に近くなっていったわけだ。塵も積もればってやつよ。教総主考え方は正しかったわけだな。大したモンだ。ま、俺が殺しちまったけどよ。ヲハハハハハ!」
 教会を……呑み込む、ですって……?
「ところで嬢ちゃん。ミリアムと話してた時、嬢ちゃんがいたのはドコだと思う? なんで嬢ちゃんが持ってたはずのドールの封印体が消えてるんだと思う?」
 なくなったアタシのドール。封印体になった途端、地面に吸い込まれていった沢山のドール達。薄々は、気付いていた。どういう仕組みになっているのかまでは分からなかったけど、“教会の下にいる物が”何かをしてきているのだということは理解できていた。
「逆裏世界……教総主はそう呼んでたな」
 アタシが初めて教会に来た時、ジェグに案内された場所。全てが逆さになった異様な世界。
 母胎に包まれたような安堵感、言い知れぬ昂揚感。足を踏み入れたことなど一度もないはずなのに、なぜか随分前から知っているような錯覚。
 アレは、あそこに母親がいたせい……? 母親や父親と同じようにして生み出されたドールが、沢山喰われていたせい?
「胃袋の中だよ。嬢ちゃんが姫さんとお話ししてた時、坊ちゃんも孤児院の連中もみんな、逆裏世界の胃袋の中にいたのさ。いつだって喰えたんだぜ? でもしなかった。どうしてだと思う? 簡単なことさ」
 リヒエルは酷薄な笑みを顔に張り付かせ、
「お前を絶望させるためだ」
 凍えるような冷たい視線でアタシを射抜いた。
「あっさり喰っちまったら味気ないんでね。嬢ちゃんにはまだ色々と苦しんで貰わないとな。聞きたいこともあるしよ。さてどうだい。完璧なドールになる方法、話してくれる気になったか?」
 絶望……。アタシを、絶望させるために……わざわざこんなことを教えて……。
 アタシがドールで、ヴァイグルは父親で、私が見殺しにして、ハウェッツはリヒエルの言いなりで、レヴァーナはいつものレヴァーナじゃなくて、ドールを喰うドールが教会の下にいて、母親はそいつに喰われて、今でも成長していて、アタシは腹の中にいて、いつでも殺せたのにソレをしないで、孤児院のみんなはまだ中にいて……。
 何? コレは何なの? 何が起こってるの?
 分からない。どうすればいいか分からない……。頭がグチャグチャだ。目の前がクラクラする。耳の奥でガンガン響いて、口の中がカラカラだ。
 何が正しいの? 何が違ってるの? 何を信じればいいの? どこに進めばいいの?
 分からない。分からない分からないワカラナイわからない!
「いいねぇ、その顔。ウチの姫さんも大満足してることだろーぜ。けど、俺の方の用事も忘れんなよな。さぁ教えろよ。ハウェッツみたいなドールになる方法」
 何だ……? コイツはさっきから同じことばかり……。そんなの知らないって言ってるのに……。アタシは、ハウェッツに特別なことなんて何も……。
 特別? ハウェッツは、特別……。そう、アタシにとって間違いなく特別な存在だった。だって、ハウェッツはアタシが一番最初に……。
「やれやれ、放心したままってか。なら、ショック療法といきますか」
 リヒエルはハウェッツの首を掴み上げると、しゃがみ込んで地面に押しつけ、
「喰わせるぞ」
 狂気的な輝きを双眸に宿して言った。
「待って!」
 気が付けばアタシは叫び、リヒエルの方に手を伸ばしていた。
「言う、言うから……! だからハウェッツは……!」
「ふん……」
 リヒエルは立ち上がり、満足そうに笑う。
「多分、ハウェッツは……」
「言う必要なんてないですよ、先輩」
 後ろから掛けられた強い語調の声に、アタシの言葉はかき消された。
「こんな人の言うことなんて、これっぽっちも聞いてやる必要なんてないです」
 ルッ、シェ……?
「いい人だと思ってたのに……わたしを裏切った罪は重いですよ。このデブサンタが!」
 ルッシェは一歩前に出てリヒエルの方を指さし、かつて聞いたことのない乱暴な口調で叫んだ。愛嬌のある顔は怒りで染まり、鼻に皺を寄せて歯を剥いている。
「さっきから聞いてればベラベラベラベラベラベラベラベラと! 何様だ!」
「ル、ルッシェ……?」
「先輩は黙ってて下さい! わたしもう怒りました! プッツンしちゃいました! 完全に吹っ切れました! つーかブチギレた!」
 ルッシェはアタシの言葉を遮って叫び、銀髪を大きく振り乱してリヒエルを下から睨み付ける。
「随分と強気じゃねーか。金魚のウンチちゃん。さっきまでビビってたくせによぉ。あんま調子に乗らねー方がいいんじゃねーのか? コッチはいつだって人質殺せるんだぜ?」
「殺してみなさいよ!」
 お、おぃおぃ……。
「殺せるモンなら殺してみなさいよ! わたしだって殺したんだから! どーせわたしはもう人殺しよ! だからお前だって殺してみろ! できるモンならな!」
 お前、喋り方……いやそれ以前に言ってることが訳分からないぞ。
「できないんでしょ! できるわけないもの! だってハッタリなんだからな!」
 ハ、ッタリ……?
「先輩を絶望させたいんならこんな回りくどいことしてないで、目の前で孤児院の子を二、三人ブッ殺して見せればいいのよ! そっちの方がよっぽど効果的だし、ミリアムも目の前で見られて喜ぶ! それにソコまでされれば先輩だって吐かざるをえないはずよ!」
 な、何という過激な発言を……。
「ソレしないでこんな面倒臭いマネしてるってことは、できないんでしょ! ハッタリなんでしょ! そのドール、どーせドールしか喰えないチンケなクソヤローなンだろ! あァ!?」
「ルッシェ君の言うとおりだ!」
 いつの間にか復活したレヴァーナが、ルッシェの隣りに立って叫ぶ。
「その逆裏世界とやらに人間を喰う能力などは備わっていない!」
 声に迷いはなかった。
 怒りもなければ憎しみもない。悲嘆も自責も逃避もない。あるのはただ純然たる真っ直ぐな想いだけ。
 戻った……? いつものレヴァーナに戻ったのか……?
「ミリアムをひたすら挑発しまくったこの俺が五体満足で胸張って無駄に威張って仁王立ちしているのが何よりの証拠だ!」
 もう間違いなかった。
「姫さんが手出ししなかったのはお前にも絶望を味わって貰うためだ。お前の絶望はメルムの絶望にも繋がるからな」
「結果論の後付けもいいところね! この電波さんがそんな繊細な神経を持ち合わせてるなんて一体誰が予想できたって言うのよ! この世の創造主だって無理だわ! ありえない話よ! 不可能犯罪よ!」
「ルッシェ君の言うとおりだ!」
 親指の突き立った拳を力強く前に出しながらレヴァーナは大威張りで断言する。
 お前、それでいいのか……。
「で? どうするんだ? 仮にそうだとして、ドールを喰えることには変わりないんだぜ? ハウェッツっていう人質がコッチの手にあるどうしようもない現状をどうやって乗り越えるつもりなんだ?」
「そんな簡単な脅しに頼るよりも、まずはこの電波を喰う努力をしたらどうなの!? 障害を乗り越えた方が勝利した時の喜びも大きいってものなのよ!?」
「ルッシェ君の言うとおりだ!」
 お前ら……。
「もういい。俺は今、嬢ちゃんと大事な話をしてる最中なんだ。外野は失せな」
「分かったわ! じゃあこうしましょう! ハウェッツ君と毒電波を交換! コレはちょっとやそっとじゃ壊れないからイジメ甲斐があって人質にはもってこいよ!」
「ルッシェ君の言うとおりだ!」
 なんだかんだで良いコンビだな、オイ……。
 てゆーか、レヴァーナに対するルッシェの扱い方が加速度的に酷くなっているような気がするのだが……。
「さぁ嬢ちゃん。さっきの続きを言ってくれよ。どうすればハウェッツのように完璧なドールになれる」
 リヒエルは二人の言葉を無視して淡々と言い、ハウェッツに一度だけ視線を落として私を見た。言わなければ今度こそ喰わせる。そういう意思表示だ。
「そうだな……」
 私はレヴァーナとルッシェの後ろで、顔を俯かせて呟いた。
 やれやれ、すっかり目が覚めてしまったな……。
「先輩! 言わないで! ハウェッツ君はわたしが何とかしますから! 絶対に何とかして見せますから! 今度はわたしが先輩を助ける番ですから!」
 本当に良かった。お前達がそばにいてくれて。
「メルム! こんな奴に屈するな! 気持ちを強く持て! キミがドールだろうが何だろうが俺にとってかけがえのない存在であることには変わりないんだからな!」
 心の底から感謝するよ。
「ありがとう」
 そして――銃声が轟いた。
「コイツが……答えって訳か」
 首を横にひねって弾丸を避けたリヒエルは、薄ら笑いを浮かべながら立ち上がる。そしてハウェッツを肩に乗せ、何か面白い物でも見るかのような視線をコチラに向けた。 
「馬鹿は感染するって言うけど、本当に馬鹿げた選択だぜ。メルム=シフォニー」
「天才でいるのはもう疲れたんだよ。それに、慣れればバカもいいモンだ」
 二挺拳銃を両手に構え、私は口の端をつり上げて言う。
「先輩!」
「よく言ったぞメルム! 俺の愛がキミの心に届いたんだな! 俺は嬉し……」
「逆裏世界はハウェッツも喰えない」
 レヴァーナを足の下に敷き、私は自信たっぷりに言い切った。
「人間だけじゃなく、人間に極めて近い者も喰えないんだ」
「何か根拠でもあんのか?」
「勿論」
 おかしいと思っていた。【カイ】や他のドールの封印体はなくなっていたのに、この二挺の銃だけは無事だった。けど今、その理由がようやく分かった。
「喰い残しがあったからな」
 静かに言って、私はリヒエルの目を真っ正面から見据える。
「ルッシェ。ドールを前に」
「え? あ、はい!」
 短い言葉で全てを察してくれたのか、上空を舞っていたルッシェの大鷲型ドールが私の目の前に降り立った。それを確認して、私は両手に亜空文字を展開させる。
 次の瞬間、私の手の中にあった物はその口径を激的に大きくし、そして弾かれたように長く伸びた。すぐに私の力では支えきれなくなり、ソレをゆっくりと大鷲型ドールの背中に乗せる。
 私の手を離れても、ソレの成長は止まらない。全長はあっという間に三メートルを越え、一抱えはある太さにまでふくれ上がった。金色に輝き、僅かに帯電している外観は、ソレが内包している攻撃性を具現化させたようで、表面に描かれた複雑な幾何学模様は機械的な様相を呈している。しかし流動性を持って移り変わるその様は生態的な容貌を晒しているようにも見えた。
「コレは……」
 ルッシェが驚きの声を上げる中、私の手の中にあった二挺の銃は二本の巨大な波動砲となり、大鷲型ドールの背中へと定着した。
 よし! 思った通りだ! ルッシェのドールは昔の私のドールに近い! コレなら……!
「行けぇ!」
 突然のことに呆気にとられているリヒエルを睨み付け、私は波動砲型ドールに感情を叩き付ける。
 大気を震わせる爆音。目を灼く閃光。肌に突き刺さる灼熱。
 地面を捲り上げ、一直線に爆進した白い発光体はリヒエルの体を直撃した。局地的な爆風が撒き起こり、吹き荒れた土砂がリヒエルの体を呑み込んでいく。
「や……」
 半開きになったルッシェの口から歓喜の色が漏れ、
「やったあ! 凄い! 凄いです先輩! ハンパないです! カンドーです! 超最強伝説大勃発です!」
 両手を上げて跳びはね、全身で気持ちを表現した。
 いや……まだやってない。威力も本来よりは数段弱いし、何より波動砲が一本だけしか機能していない。それに――
「ヲハハハハ、まさかまーだそんなモン隠してやがったとはな。嬢ちゃんも往生際が悪い」
 徐々に晴れてくる粉塵の中から、さっきまでと全く変わらないリヒエルの声が届いた。
「けど、その程度で俺をどうにかできるなんて思った訳じゃねーだろ?」
 月明かりで浮かび上がったリヒエルのシルエットは、左腕が異常なほどに大きく、そして広くなっている。
「気が変わったぜ。精神的に痛めつけるのはもうやめだ」
 そして自分の腕を盾へと変えたリヒエルが、余裕の笑みを浮かべてコチラを見下ろしていた。
 リヒエルはヴァイグルと同じタイプの、感情を持ったドール。つまり有している力も全く同じ。体の一部を真実体にし、武器化できる。
 肉体の腐食と引き換えに。
 分かっていたさ。そのくらい。アレでどうにかなるなんて微塵も思ってはいない。だからさっきのは単なる合図だ。
 ――これから始まる、本当の意味で最後の戦いの。 
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