人形は啼く、主のそばでいつまでも

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  Level.4 『また、アタシを裏切るのか』  

 なぜこんなことにと嘆くべきなのか、それとも想像よりましだったと楽観するべきなのか。
 少なくとも私個人の感想では後者だった。
 ウェディング・ケーキのようにロールが多重に積み上げられた巨大な噴水。高さ五メートルはあるソレを中心として四本の太い道が東西南北に伸びている。第一から第四まで名前の付けられた各ストリートの末端には王宮、教会、ジャイロダイン派閥、アカデミーがそれぞれ区画分けされ、ストリートの両サイドには一般層の家や商店が立ち並んでいた。
「コレは酷いな……」
 噴水を中心に警戒態勢を敷いている鎧兵に見つからないよう、第一ストリートの中部当たりにある手頃な木陰に身を隠しながら、私とレヴァーナは中心街の様子を探っていた。
 地面に隙間なく敷き詰められていた褐色のレンガは捲れ上がり、砕け、大きな穴となって爪痕を残している。街中の至る所で煙が上がり、方々で誰かの泣き声や助けを呼ぶ声が聞こえてきた。
 ソレに混じって重くのし掛かってくるのは血と肉の焦げた匂い。赤黒い染みや、原形などとどめていない何かの塊が、要らなくなったゴミクズのようにあちこちで散見される。
 少し前まで平和で賑わっていたはずの活気ある街は、今や死と暴力が支配する無慈悲な戦場と化していた。
「どうしてこんな……」
 私の隣でレヴァーナが真剣な声で間の抜けたことを言う。
「教会とジャイロダイン派閥。あれだけの力を持った二つが真っ正面からぶつかり合ったのなら当然の結果だ。それにこんなのはまだまだカワイイ方さ。お互いにまだ相手の出方を見るために、先兵を差し向けたに過ぎない。戦いはこれからだぞ」
 私は鎧兵の数を大雑把に数えながら小声で説明した。
 三十弱、か……。ココだけでこれくらいなら全体としては百前後っところか。まだまだ本腰じゃないな。
「大体、王宮の対応が遅すぎるんだ。こうやって実害が出る前に手を打つのが理想なんだが、お役所なだけにそうもいかないんだろうな。ま、今回のことで少しは反省するだろ。傷付かないと分からないってこともあるさ」
「……傷付いてからじゃ手遅れってこともある」
「まぁな。その時は諦めるしかないさ。今回だって何十人もの死者が出ただろ。ソイツらは残念ながら運がなかったんだよ。この先の平和の礎になってくれたと思って冥福でも祈るしかない」
「……どうして、人が死ぬんだ? どうして傷付くんだ?」
 いつになく沈んでいくレヴァーナの声に、私は眉を顰めながら顔を向けた。
「お前、さっきから何を言ってるんだ? 紛いなりにもラミスの息子なんだ、いつか大きな抗争になることくらいは知ってただろ? そして抗争になれば死人くらい出る」
「俺はドールを使ったドール同士の争いだとしか聞いてなかった。だからドールマスターは誰も傷付かない、誰も死なないと……」
 レヴァーナは包帯をきつく巻かれた自分の腕を見ながら渋面を浮かべて言う。
 前々からズレてるズレてるとは思っていたが、ここまで致命的とは……。
「母もドールマスター達にはそう言って契約していた。教会の方もソレは分かってるからって。殆ど暗黙のルールだからって」
 ああ、それであの時あんなことを……。

『ドールで攻撃するならドールを狙わんか!』

 全く、このバカは……。 
「この先間違いなく教会と抗争が起こり、その時には命がけで戦って貰うことになるなんて、最初から全部馬鹿正直に話していたら誰も契約なんかしてくれないさ。ドールマスターの半分くらいはまだ学生だ。自分の優秀さを世間に見せつけて知名度を上げようとか言って自己顕示欲をくすぐるくらいでないと付いてはこない」
「しかし、それが嘘だったとバレれば契約を破棄して――」
「契約の破棄には契約者とドールマスター両方の承認がいる。一旦契約を交してしまえば一方的に反故にすることはできない」
「だがキミの説明だと契約には拘束力はない。逃げ出すこともできる」
「一度大っぴらに抗争が始まってしまえば同じことさ。逃げたとしてもラミスと契約している以上、教会から見れば立派な敵だ。敵を攻撃しなければ自分が攻撃される。それはラミス側のドールマスターも同じこと。結局、殺されたくなれば相手を殺すしかない。実に単純で、実に分かり易い構図の完成ってわけだ」
「そういう、ことか……」
 悔しそうに鼻に皺を寄せ、レヴァーナは俯いて下唇をきつく噛み締める。
 やれやれ、随分と割り切った物の考え方をする少しは気合いの入ったヤツだと思っていたが、単に認識の甘いお坊ちゃまってことか……。
 まぁ……世間知らずのクセに言うことだけは大きいというのが、コイツの個性でもあるんだが。
「レヴァーナ。お前、母親を超えるんだろ?」
 私の言葉にレヴァーナは顔を上げてコチラを見た。
「お前はそれを示すために教会を制圧したかった。私は教会が下らないちょっかいを掛けてきたから潰そうとしている。一応、利害が一致したから取り合えず手を貸してやると言った。契約もしてるしな。で、どうする?」
 私はモノクルの位置を直しながら、レヴァーナに試すような視線を向ける。
「どうする、とは?」
「このまま続けるのか? 私のそばにいれば、少なくとも普通よりは近くで人の死を目の当たりにすることになる。教会からも私を狙って仕掛けてくるだろうしな。教会を潰すというのはそういう意味だ。それが分かっていても、私と一緒に来るのか?」
「ぬ……」
 はっきりと言われてレヴァーナは呻き声を上げ、その場にあぐらを掻いて腕組みしながら考え込む。
 よく考えた方が良い。ココからは綺麗事じゃない。自分の命を賭けなければならない。相手と生死のやり取りをしなければならない。それだけの覚悟がないなら、ラミスのところで隠れていた方が賢いやり方というものだ。
 しばらくレヴァーナはその体勢で固まっていたが、やがて一つの結論を導き出したのか顔を上げた。
「メルム、キミはどうなんだ?」
 そしていつものように、迷いのない目で聞いてくる。
「キミこそ何の抵抗もないのか? 人を殺すということに何の違和感も覚えないのか?」
 その言葉に私は自嘲めいた笑みを浮かべた。
「私は一度壊れてしまったからな。多分、その時に頭のどこがイカれてしまったんだろう。全く抵抗がないと言えば嘘になるが、必要とあらば躊躇はしない」
 それにもうここまで巻き込まれてしまったら大人しくしている方が危ない。私が一人で静かに過ごすことを望んでいても、相手が放って置いてくれないのならコチラから打って出るしかない。そして叩き潰すしかない。
 まぁ、返り討ちにあってしまったのなら、ソレはソレでしょうがないと諦めるさ。私には運がなかっただけだと。
「そうか」
「で? お前の方のはどうなんだ?」
「続投だ」
 私の問い掛けにレヴァーナは即答した。
「ただし目的を変更する。母に俺の力を示すためではなく、抗争を一刻も早く終わらせるために教会を制圧する」
 なるほど、そう来たか。実にコイツらしい答えだ。
「だが抗争を終わらせたいんなら、お前がラミスを説得して引かせるという手もあるぞ?」
「勿論、最初はソレを考えた。せめてドールマスターができるだけ傷付かないような戦い方をしてくれるよう掛け合ってみようかと思った。しかし母の性格を考えると難しいだろうし、コチラだけブレーキを掛けたような戦い方をすれば逆に傷口が広がってしまうかもしれん」
 まぁ、ラミスは息子に言われたくらいで素直に説得されるような女じゃないし、力が均衡しているのにハンデを背負ってもな。
「それに今回の落ち度は教会の方にあると思う。キミも見ただろう、さっきの教会のドールマスターの無茶苦茶なやり口。キミを連れて行きたいと言っているのに殺してやると言わんばかりの勢いだった。言ってることとやってることが噛み合ってない。支離滅裂だ。恐らく、この抗争で先に仕掛けたのも教会の方だろう」
 かもな。確かに、私も教会の強引なやり方には辟易している。
 後はまぁ、自分の母親を完全には否定できないっていうのもあるんだろうな。
「と、言うわけで改めてヨロシク頼むぞ! 一刻も早く元の平和を取り戻そうじゃないか!」
「のバカっ!」
 目に炎を浮かべ、熱を帯びた声を発しながら握り拳を掲げるレヴァーナの頭を押さえつけ、私は茂みの中に身を沈めた。
「誰だ!?」
 直後、鎧兵の鋭い声が頭上に突き刺さる。

『モンスターに気付かれた。コマンドを選んでください』
 ○何も言わずにじっとしている。
 ○動物の鳴き真似でごまかす。

⇒○囮を用意する。

「レヴァーナ」
「おぅ」
「気合いで何とかしてこい!」
 私は亜空文字を強く展開させてレヴァーナの体を弾くと、茂みから放り出す。
「ンへぁ!?」
 突然の痛みに奇声を上げてのたうち回り、鎧兵からの注目を一身に浴ているレヴァーナを後目に、私は身を低くしたままその場から離れた。
 許せレヴァーナ。ドールマスターで、しかも教会にもジャイロダイン派閥にも属していない私がアイツらに見つかると色々面倒なんだ。これからのことを考えると、私の顔を簡単に割らせるわけにはいかないんだよ。
「おい! コッチにも変なヤツが!」
 鎧兵の怒鳴り声と共に、重い金属音が二方向に分かれて散っていく。
 私達以外にも誰かが? 教会かジャイロダイン派閥の偵察部隊か?
 ある程度距離を取ったところで私は足を止め、破壊された家屋の物陰に身を隠しながら後ろを振り返った。
 そこにいたのは鎧兵に羽交い締めにされてもがくレヴァーナと、どうしていいか分からないといった様子でオドオドしているウシ柄のポンチョ。
 あれは、ルッシェ……。
 と、言うことは――
「テメーら! ゴツい手でこの子に触ってんじゃねーぞ! 別に何もしてねーだろーが!」
 ハウェッツ……。あのバカ鳥。
 なかなか帰ってこないと思ったらまだルッシェのそばにいたのか。
 ……まぁずっと励ましてくれていたのかも知れないが。
「あ、あの。わたし何もしません。大人しくしますから乱暴はやめてください」
「お前、ジャイロダイン派閥側のドールマスターだな?」
 鎧兵の一人が、持っていたファイルとルッシェの顔を見比べながら低い声で言う。
「そう、ですけど……」
「取り合えず王宮に来て貰おうか。色々と聞きたいことがある」
 怯えた口調で言うルッシェに、鎧兵は冷たく返した。
「おいテメー! この子は怪我人見に来ただけだ! いいから手ぇ放せよ!」
「ウルサイ鳥だ」 
 面倒臭そうに言いながら鎧兵は腰から剣を抜き放ち――
「やめろ!」
 クソ!
 レヴァーナの怒声――私は茂みから飛び出――
「その辺にしといてやりましょーや」
 軽薄そうなしゃがれた声と共に、甲高い金属音が辺りに響き渡る。
 ハウェッツに斬りかかろうとしていた鎧兵の剣を、後ろから小太りの男が叩き落としていた。
 アイツは――
「貴様!」
 激昂して後ろを向く鎧兵。が、すぐに動きが止まった。
 頭の上から爪先まで全身をすっぽりと覆うタイプの鎧で、表情など全く読みとれないが、それでも動揺の気配がハッキリと伝わってくる。
「リヒエル!」
 羽交い締めにされた体勢からレヴァーナが叫んだ。
 リヒエル……ソレがアイツの、あのチビデブの名前……。
 私はもう一度茂みに隠れ直し、突然現れた闖入者を注意深く見守った。以前、雨の日に公園で会った時に連れていたヴァイグルとかいう大男はいない。今日は一人だけだ。
「や、いつもご苦労様です、ホント。ヲハハ。コレ、少ないですが……」
 腰を低くして言いながらリヒエルは鎧兵に何かを握らせる。
「あ、ああ。仕事だからな……」
 ソレを受けとった鎧兵はどもった声を出しながらぎこちなく頷き、他の仲間に声を掛けてあっさり別の場所へ行ってしまった。
「やー、ぼっちゃん。奇遇ですなー、こんな所で」
 リヒエルは太い眉毛をイジリながら人の良さそうな笑みを浮かべてレヴァーナに話しかける。
 ぼっちゃん? アイツら知り合い?
「うむ全くだ。しかし助かった。おい鳥、リヒエルに礼を言え」
「ハウェッツだ! あと俺は別に助けてくれって頼んだ訳じゃないからな!」
 いや、そんなに驚くほどのことでもないか。
 あのチビデブとヴァイグル、それとラミスはグル。ならラミスの息子であるレヴァーナとリヒエルが知り合いだったとしても何ら不思議はない。むしろ当然だ。
「今この辺りはかなりヤバイ状態ですからね。不用意に出歩くのは自殺行為ですよ」
「うむ。しかし俺にも野望があるからな。色々と見識を深めておかねばならないのだ」
「へーぇ。野望、ですか。こりゃご立派で。さすが次期ジャイロダイン派閥の当主様」
 私の前ではあんなに偉そうだったのにレヴァーナには随分と低姿勢じゃないか、あのチビデブ。だがレヴァーナと繋がりがあり、格下だと分かったのは大きい。アイツも私をハメようとした奴の一人だ。レヴァーナから色々と情報を聞き出して、報いをキッチリ受けさせてやる。ついでにヴァイグルって奴のことも聞いてみるか……。
「あ、あの、リヒエルさんって言うんですか……。どうも有り難うございました! わたしルッシェ=メルヘンヴェールと言います! ラミス様にはいつもお世話になってます!」
 ウェイブ掛かった銀髪を揺らして、ルッシェが横から頭を下げた。ハウェッツは相変わらずの仏頂面でそっぽを向いている。
 まぁ、自分の見せ場を持って行かれたようなもんだからな。冷静になって考えればハウェッツならあんな剣を弾くことくらい造作もないんだ。私もまだまだ修行が足りないということか。
「これはこれはどーもご丁寧に。あ、ですが『リヒエル』って名前はあんまり大声で言わないで下さいね。一部の人しか知らない名前なんで。まぁ、そうですな、さすらいのサンタクロースとでも呼んで下さい。ヲハハ!」
 コイツのセンスのなさは殺人級だな。
 それにしても一部の人しか知らない? 他に聞かれたくない? そう言えば私と会った時も名乗らなかったな。普段は偽名を使う必要があるってことなのか?
 だがレヴァーナは知っていた。恐らくラミスも。しかしルッシェは知らなかった。ジャイロダイン派閥でも上の方の奴等は知っていて、末端には知られてない……。となるとあのチビデフ、見かけによらずかなり重要なポジションにいるってことか。ならアイツやラミスと一緒にいたヴァイグルって大男も……。
 この辺りのこと、レヴァーナがまとめて把握してくれていると楽なんだが、あまり期待はしない方が良さそうだな。
「それじゃ私はこれで。またいつ教会の奴等が攻めてくるか分からないんで、なるべく単独行動は控えてくださいね、ぼっちゃんにルッシェさん」
 だらしなく伸ばしたクセの強い黒髪を頭に撫でつけながら言うと、リヒエルは人目でもはばかるようにコソコソとどこかへ行ってしまった。
 正直言うと後を付けたいところだが、今は……。
「あの……それじゃ私もそろそろ戻りますね。リヒ……サンタさんの言うとおり、わたしなんかがウロウロしてたらラミス様にご迷惑をお掛けするだけみたいですから……」
 気落ちした様子でルッシェは言い残すと、レヴァーナに背中を向けてとぼとぼと歩き出した。
 やはり、私が言ってしまったことを気にしているのだろう。当たり前か……。
 よし、ここはちゃんと謝――
「だから気ーにすんなって、あんな根暗幼児体型の言ったことなんかよ!」
 全身が瞬く間に硬直していくのが分かった。
「ほら、アイツってホント根に持つタイプだから、ルッシェちゃんのサクセスストーリーに嫉妬してたんだよ。だからあんなヒネヒネ曲がったことしか言えねーんだ、あの能なし胸なしはよ」
 ハウェッツ……どうやら丸ごとドールの素材になりたいらしいな。
「だから何回も言うよーだけどルッシェちゃんは全然悪くないんだぜ? ま、世の中にはああいう変態もいるってことで、一つ良い社会勉強になったって思ってくれればソレでいいんだよ。な?」
 さて、最も苦痛が長引くレシピは、と……。
「けどよ――」
 ソコまで言ってハウェッツの語調が変わった。
「アイツも、アイツなりに色々と昔にあってよ。ドールの研究で挫折して、いつ自殺してもおかしくないような時とかもあったんだよ。周りの奴ら全員に裏切られたって思い込んで。まぁ、俺もアイツが落ち込む原因を作った一人なんだけどな」
 それは静かで、穏やかで。私が今までハウェッツから聞いたことのない喋り方だった。
「多分、それまでが順調すぎたってのがデカかったんだと思う。完璧だったから一回壊れるとどうやって直せばいいのか分かんねーんだよ。不器用すぎて。だから周りに当たり散らして一人で閉じこもってイジケるしかできなかったんだよ」
 沈んで落ち込んだハウェッツの表情。いつもならピンと張っている長い尾羽根も、元気なくしおれてしまっている。コレも、私が今まで見たことのない姿だった。
「それでも昔に比べたらかなり立ち直ったんだぜ? アイツなりに色々と心の整理してよ。けど、ジャイロダイン派閥の奴だとか教会の奴等だとか、昔の後輩とか……。短い間に色んな奴等がいっぺんに押し掛けてきて、自分の中で消化不良起こして、そんで爆発しちまったんだな、きっと。だからルッシェちゃんはまぁ、運が悪かったんだよ、きっと。たまたまハズレ引いちまったんだな、こりゃ」
 何だコイツは。さっきから何を言っている。私が近くにいないのをいいことに、言いたい放題言うんじゃなかったのか。いつもみたいに憎まれ口を垂れ流すんじゃないのか。
「だから、その、よ……。アイツにだって最初から悪気があった訳じゃ――」
「……分かってる」
 ハウェッツの言葉を遮ってルッシェが振り向きながら声を発した。
「分かってるよ、ハウェッツ君。アレは、わたしが悪かったの。あの時はちょっと、昂奮してたんだ。いきなりドールに襲われて、訳も分からないうちに殺されそうになって、先輩に助けられて……。わたしも色んなことが一度に起きて、消化不良起こしてたの。だって、契約した時はこんな危ない目に遭うだなんて言われなかったから……」
 あの子もレヴァーナと同じ、か……。
 もしかすると私の方がおかしいのか?
「だから先輩の気持ち、すっごくよく分かる。辛そうにしてた時も知ってるし……。それに、わたしも先輩を裏切っちゃったから」
「裏切った?」
 裏切った? 何のことだ? 私はルッシェにそんなことをされた覚えなど……。
「わたし、先輩をあんな風にしたジャイロダイン派閥のこと、最初はすごく嫌いだったの。取った賞まで取り上げちゃうなんて酷すぎるって。だからココとは絶対に契約なんかしないって思ってたの。なのに……わたしが賞を貰ったりトップの人から直々に褒められたりして、ちやほやされてるうちに、気が変わってきて……。絶対しないって思ってた契約までしちゃって……。だから、先輩からあんなこと言われても仕方ない……」
 それは――
「違うって! 気が変わるなんて誰だってあることだろ? 一度決めたらずーっと同じ気持ちでいるなんて、そんなんできたら人間じゃねーよ。バケモンだぜ! だから裏切ったとか言うなよ!」
 全くもってハウェッツの言う通りだ。人というはの些細なことがキッカケで方向転換してしまう生き物なんだ。私がラミスによってどん底に突き落とされ、二度と這い上がれないと思っていたのにバカで電波で世間知らずなお坊ちゃまによって少し救われてしまったように。
「……アリガト、ハウェッツ君。ちょっと元気出たよ」
 遠くでハッキリとは聞こえなかったが、今涙声に……。
「ホントはね、謝りたいけど……。もう二度と話し掛けませんって約束したから……。これ以上裏切るわけにはいかないから……」
 今しかない――
「バカ言うなよ! あんなのは売り言葉に買い言葉ってヤツだろ! 何なら俺が連れてきてやるよ! 力ずくでも!」
 謝るなら今出ていくしか――
「ル――」
 噴水が真っ二つに割れて崩れ去った。
 周囲に轟いた爆音で私の声はあっさりとかき消される。瓦礫と化した噴水の残骸を踏みつけ、直立する水柱の横に立っていたのは体長が六メートル以上もある巨大な熊だった。そしてそのすぐ隣には不健康そうに背中を丸めた男、ジェグ=ドロイトの姿。
「契約者、邪魔。殺す、な?」
 ジェグは不気味な笑みを浮かべながらレヴァーナを睨み付ける。直後、熊型ドールから放たれた横殴りの一撃がレヴァーナに襲いかかった。
「危ねぇ!」
 咄嗟に割り込んだハウェッツがレヴァーナの体を押しのけ、代わりに熊の凶悪な爪撃をまともに食らう。熊の巨大な手とはまるで比べ物にならない小さな体は、声を上げる暇もなく黄色い羽根を撒き散らして半壊した家の壁に叩き付けられた。
「ハウェッツ!」
 気が付くと、私は声を上げて飛び出していた。
「ち……いたのか。まぁ、いい。コイツには、勝てない、な?」
 熊型ドールが私の方に向きを変える。そして二本足で立って咆吼すると、後ろ足を高々と上げた。
 踏みつぶすつもりか!
「クソ!」
 真横に身を投げ出して転がり、私は何とか直撃を避ける。しかし熊は愚鈍そうな外見とは裏腹に俊敏な動きで体勢を立て直すと、もう一度足を振り上げた。
「殺さない、けど、半殺しは大丈夫、な?」
 ――かわしきれない。白衣の中のドールを真実体にしている時間もない。
 どうする――どうすれば――
「とぅ!」
 横手から誰かの声がしたかと思うと私の視界が真横に激しく回転する。そして何かに当たって動きを止め、今度は体を真上に引き上げられた。
「全く、やはりキミは放って置けないな」
 いつの間にか、私はレヴァーナの腕の中にいた。そして自分が抱きかかえられているのだと知り――
「こ、こら! 放さんか! 一人で立てる!」
「そうか、なら、そうしてくれると……助かる……」
 暴れる私をレヴァーナはゆっくりと地面に下ろし、そして四つん這いになって荒く息をし始めた。
 彼の背中は真っ赤に染まっていた。
「お前……」
「フ……気にするな。パートナーを助けるのは当然のことだ」
 額に脂汗を浮かべながらも、レヴァーナは強気な表情で親指を立ててくる。
 このバカ……私を庇って……。
「丁度いい。もう少しで死ぬ、な? お前邪魔だから、そのまま死んでくれ、な……? な?」
 コイツ……。
 私は地鳴りを上げて突進してくる熊型ドールを真っ正面から睨み付ける。そして亜空文字を両腕に展開させ、白衣の中にいたドール達を飛び込ませた。
 次の瞬間、私を囲むようにして三人の人型ドールが出現する。一人は後ろにいるレヴァーナを抱きかかえて遠くへ飛び、残った二人が熊型ドールの振り下ろしてきた二本の前足をそれぞれ受け止めた。
 ――殺す。
 私は両目を大きく見開き、二体の人型ドールに憎悪という感情を注いでいく。
 ――殺してやる。
 足をくるぶしの辺りまで地面に埋め込まれていた二人が、徐々に熊型ドールの腕を持ち上げ始めた。
「やる、やる、さすが。けど、な……」
 突然、真横から突き刺さってきた何かに体勢を崩され、熊型ドールの左腕を受けていた人型ドールが重圧に押し潰される。
「二回も、失敗できないよ、な?」
 囲まれていた。
 全く気付かない内に、私は囲まれていた。
 少なく見積もっても十人以上はいる。全員、黒の貫頭衣に身を包み、首からは正八面体の翡翠をしていた。教会側のドールマスターだ。皆、鳥や獣の形をしたドールを横に従えている。
 もしもの時の伏線を張っていたんだ。つまりコイツは予測していた。レヴァーナの近くに私がいることを。そしてまた押し負けるかも知れないということを。だから冷静かつ狡猾に策を巡らせていた。決して自分の力を過大評価することなく、与えられた使命を確実にこなすために。
「諦めろ、な? な? 怪我したくはない、な?」
「黙れ……」
 もっと憎め、もっと殺意を抱け。
 まだ足りない。こんな力じゃ足りない。もっと大きな力で姑息な作戦ごと叩き潰せ。もっと、もっとだ……。
 そう、あの時みたいに――

『とんだ被害妄想ね。言いがかりもいいところだわ』

 どん底に突き落とされた時のように――

『昔ちやほやされすぎて、頭どうかしちゃったんじゃないの?』

 怒りで頭が真っ白になった時のように――

 ――そうだ。
 もうこうなったら、一か八かだ。
 どうせくたばるなら、コイツら全員道連れだ!
「あああああぁぁぁぁぁぁ!」
 アタシは喉の奥から声を上げ、熊型ドールの右腕を受け止めていた人型ドールを自分の隣りに呼び戻す。そしてアタシを抱きかかえさせ、重心を低くして疾駆させた。
「逃げ、る? 無、駄」
 誰が逃げるか!
 一斉に掴みかかってくるドール達の間をかいくぐり、アタシはジェグの横を通り過ぎてその遙か後ろに向かう。邪魔な瓦礫を蹴り飛ばし、太い倒木を飛び越えて、半壊した家屋のそばにたどり着いた。
「逃がさないって言った、な? な?」
 後ろから巨大な気配と共にジェグの声が聞こえる。そして訓練されたように統率の取れた動きで、他のドールマスター達がアタシを囲み直した。
「いい加減大人しく――」
「するかぁ! この根暗ヤロウ!」
 アタシは叫びながら地面に落ちていた黄色い物体を掴み上げ、亜空文字を展開させる。直後、目を灼く閃光と共に痛みを伴う痺れが全身に走った。
 アタシが最初に生み出したドール。これまで創ってきたドールのなかで最高のドール。どんな時もそばにいたドール。
 そして――アタシを裏切ったドール。
「なん、だ? ん? ん……?」
 また裏切るならソレでもいいさ。けど今回は絶対に止めたりしない。
 ココにいる鬱陶しい奴等全員、皆殺しにしろ!
「あああああああぁぁぁぁぁぁぁ!」
 アタシの視界の中で、黄色い角オウムだったハウェッツが見る見る姿を大きくしていった。
 突起でしかなかった小さな角は鋭く伸び、頭部とくちばしが一体化して縦長の顔となる。黄金色の胴体からは雄々しく張りのある四本の脚がはえ、羽は背中へと移動して大鷲を思わせる大翼となった。そして長かった尾羽根は艶やかな尻尾となり、鞭のようにしなって地面を叩く。
「麒麟……。麒麟型の、ドール……」
 呆然とした表情で呟くジェグの目の前に、全身に雷を纏わせた麒麟が悠然と降り立った。
「行けぇぇぇぇぇぇぇ!」
 苛立ち、怒り、殺意。そして不安、焦燥、恐怖。
 数多の感情をない交ぜにして、アタシは喉が潰れるほどに激しく叫ぶ。
 真実体となったハウェッツはソレに応え、アタシの方を振り返り見て――
 ――ダメか!?
 宝石のような蒼い瞳で何か合図したかと思うと、ジェグの熊型ドールに突っ込んだ。
 次の瞬間、アタシの瞳が捕らえていたのは腹に大きな穴を穿たれた熊だった。
「な――な……な……」
 ジェグの口から吃音のような短い言葉が何度も紡がれる。
 見えなかった。命令したアタシでさえ何をやったのか全く分からなかった。
「く、そ……! ソイツをなんとか、しろ!」
 だが、一つだけはっきりしたことがある。
「逃げ、るな……!」
 ――勝てる。
 雷で敵のドールの動きを止め、視界を奪い、その隙に回りこんだ死角から一撃で急所を貫く。相手からの反撃を許すことなく、逃げる暇を与えることなく、圧倒的な力で息の根を止める。そして去り際に尻尾をドールマスターに叩き付けて意識を刈り取っていく。
 まさしく迅速の動きでドールを葬り去り、ドールマスターを戦闘不能にしていくハウェッツを見ながら、アタシは知らない間に哄笑を上げていた。
 操れる! あの時と違ってちゃんと操っている!
 そしてこの力! 素晴らしい! 他のドール共など足元にも及ばない! あのジェグのドールさえもたったの一撃だ!
 目を大きく見開き、アタシは更に声を張り上げて大声で笑い――
 心臓を鷲掴みにされたような悪寒が駆け抜けた。
「レヴァーナとルッシェは……!」
 アタシの言葉が終わる前に黄金の麒麟は、苦しそうにうずくまっているレヴァーナと、近くで寄り添うようにしているルッシェの方に向かい――
 ――ダメだ! 
 体に纏わせている雷をより眩く光らせて――
 ――その二人は!
 深く抉るほどに後ろ足で強く地面を蹴り――
 ――その二人はアタシの……!
 空中で直角に方向転換すると、最後の豹型ドールの喉笛をかみ切った。同時にそのドールマスターを前足で蹴散らして気絶させる。
 そして、ハウェッツは元の角オウムに戻った。
 気が抜けてアタシの集中力が一気になくなったせいだ。
 危なかった……もう少しでアタシは取り返しの付かないことを。
 冷たい汗が思い出したかのように噴き出してくる。立っていられないほどの疲労が突然のし掛かってきて、アタシはその場に腰を落とした。
 が、すぐに重大なことを思い出して慌てて立ち上がる。脳が揺さぶられるほどに勢いよく周りを見回し、目的の人物を見つけるとすぐにソイツの前に走り寄った。
「起きろ」
 地面にうつ伏せになって気を失っているジェグの頭を蹴飛ばし、私は乱暴に覚醒させる。「うぅ……」という呻き声を吐き、不健康にやせ細った男は腕を立てて体を持ち上げた。
「案内して貰おうか」
 白衣の下から抜きはなった銃をジェグの額に押しつけ、私は声を低くして言う。
「なん、だと……?」
「案内しろと言ったんだ。教会へ。私に会いたいとか言ってる酔狂な奴の所へな」
 遅かれ早かれ潰すつもりでいたんだ。ラミスの勢力に紛れて、もっと強いドールを生み出して、私から日常を奪った教会の連中を叩き潰してやるつもりだった。
 その予定が少し早まっただけだ。
 ラミスの力を利用しなくとも簡単に内部に潜り込める方法が目の前に転がっていた。わざわざ強いドールを生み出すまでもなく、最も身近な所に大昔から存在していた。
 コレは『行け』という合図だ。天の意志が私の背中を押してくれている。そんな気さえした。
「私は自分のドールに体を拘束させてお前の後ろを付いていく。お前は私を捕まえたフリをしてソイツの所に連れて行け。もしお前が変な動きをしたら即撃ち殺す。いいな」
 コイツは教会の中でも間違いなくトップクラスのドールマスター。それなりの地位を与えられているはず。そんな奴が直々に私を連れ去りに来た。なら私に会いたいと言っている奴は、コイツよりは位が上の人間。もしかすると幹部クラスかもしれない。
 ソイツの所まで一気潜り込んで教会を潰す。手段は選ばない。人質を取ろうが、敵意のない奴等も皆殺しにしようが良心など全く痛まない。
 もっとも、ハウェッツのあの力があれば力押しだけでも何とかなりそうだが。例えどんな形で追い込まれようとも、最悪逃げ出すことはできるだろう。
「随分と、大胆な作戦、だ、な……。上手く行くと、思ってるのか? か?」
「余計なことは言わなくていい。さっさと連れて行け」
 私は銃口を強く押し当て、冷徹な声で吐き捨てるように言った。そしてジェグを立たせ、コイツが封印体を隠し持っていないか亜空文字を当てて調べる。
 ドールは普通、ソレを創り上げたドールマスターしか操れないようにプロテクトが掛かっている。自分で意図的に掛けるものもあれば、無意識に掛かってしまうモノまで。最初から掛からないようにすることもできるが、逆にソチラの方が難しい。
 そしていくら強固なプロテクトでも亜空文字に触れれば何かしらの反応はする。プロテクトが解けて真実体にまでなってくれれば一番分かり易いのだが、ジェグほどのドールマスターが相手だとそうもいかない。
 だが、少なくとも何かを知覚することはできるはずだ。
「メルム、待て……」
 私がジェグの身体検査をしていると、後ろから弱々しい声が掛かった。
「キミは、何を考えているんだ……」
「ルッシェ」
 レヴァーナの言葉を遮るようにして言いながら、私は彼を介護しているルッシェを見る。
「悪いが、そのバカをよろしく頼む」
「せ、先輩! あの……!」
「こっちにケリが付いたら私の方から謝る。だから、少しだけ待っていてくれ」
 私の言葉にルッシェは目を丸くして驚いたような表情を浮かべ、胸につかえた何かを吐き出そうと口を開けたり閉じたりを繰り返した。しかし、結局それ以上は何も言わなかった。
 すまないな。悪いのは私の方なのに何もかも一方的に押しつけて。
 もう少し、もう少しだけ待っていてくれ。
 ハウェッツを操ることができて、忌々しい教会の中に潜り込む絶好のチャンスを得て、もう少しで何かが掴めそうなんだ。この流れに乗ることで、まだ頭の中でモヤモヤとしている何かをもう少しで理解できそうなんだ。
 ルッシェにはちゃんとした言葉できちんと謝らなければならない。だから絶対に戻って来るから。今の私とはまた違った私になって戻ってくるから。
 だから、少しだけ待っててくれ。
「ハウェッツ!」
 ジェグがもう封印体を持っていないことを確認した後、私は最高のドールの名前を呼んだ。気絶している時に真実体化を行ったせいか、自分の身に何が起こったのか分からないといった様子で呆けたように辺りを見回している。
「ハウェッツ! 来い!」
 もう一度名前を呼ぶと黄色い角オウムはようやく頭を上げ、私の方に顔を向けた。そしてぎこちない羽ばたきでコチラに飛んでくると、ふらつきながらもなんとか肩の上に乗る。
「目は覚めたか」
「お、おぅ。まぁよ……」
「教会に行く。お前の力、当てにさせて貰うぞ」
「……ああ」
 神妙な顔付きで頷くハウェッツを横目に見ながら、私はジェグに視線を戻した。
「さぁ、行け。しばらくの間、お前は見事私を連れ帰った英雄だ」
 嘲るような口調で言う私をジェグは不満そうな表情で睨む。しかしすぐに小さく息を吐くと、諦めたように肩を落として歩き始めた。
 さて、どんな奴が出迎えてくれるのやら。

=================報告書====================
 戦闘があった場所に行くと、教会側のドールマスターは全員気絶してやがった。あのジェグとかいう奴の姿はなかった。雑魚ばっかりだ。誰が横取りしやがった、俺のご馳走を。
 男と女がいたがコッチ側の奴等だった。
 戦いたい、暴れたい、血を見たいと思っていた時、都合良く鎧兵が出て来やがった。確かリヒエルの奴が抱き込んだはずだが、関係ない
 俺に剣を向けたんだ。
 殺す理由はソレだけで十分だった。
 だから潰した。取り合えず目の中に入る奴は全員。
 倒れていた教会側のドールマスター共もついでに消しておいた。
 それなりに満足はできた。
 だがまだ足りない。
========================================

 教会はジャイロダイン派閥と違い、ドールを人間と同じように扱おうという思想を抱いている。ソレは人型ドールについてだけではなく、獣型や昆虫型ドールについても同じことだ。
 とにかく自分達の手で創り上げた物だから好きに扱って構わないという訳ではなく、むしろ新たに生まれた貴重な生命種として最大限の敬意を払うべきだという考え方が根本にある。
 そういった思想に賛同するドールマスターは少なくはなく、ドールを扱うことのできない一般人達も共感できる部分があるのか数多く入会している。だから教会の区画は、常にそれなりの賑わいを見せていた。
 ――昨日までは。
「ご苦労様です」
 人型ドールの肩に担がれた私の視界に入ってきたのは、物々しい警備体勢が敷かれた広大な敷地だった。重苦しい静寂に包まれ、自然の紡ぎ出す音以外は全てが遮断されている。
 そして王宮の城面積にすら匹敵するほどの広さを誇るソコには、巨大な尖塔が五本。
 二十メートル以上ある一際背の高い建物を中心とし、ソレを守護する形で残りの四本が屹立していた。各尖塔の頂点を結ぶと、正四面体が完成する配置だ。
 天を突き刺さんばかりに細く鋭く伸びた黒い五本の塔の周りには、それぞれに十数人の教会服を纏った人間が見張りとして付いている。特に中心の巨大な塔には二十人以上は張り付いているように見えた。
 全く、やる気満々といった感じだな。
 先に仕掛けたのは教会の方、か……。レヴァーナの奴が言っていたこともまんざら外れというわけではなさそうだ。
「メルム=シフォニー、を、捕まえてきた……」
「ご苦労様です」
 ジェグの言葉に、警護の人間が抑揚のない喋りで返してくる。彼は無言でジェグの前に立つと、機械のように一分の狂いもなく手足を動かして中央の塔に歩き始めた。
 コイツ……ひょっとしてドールか?
 十分に考えられる。警護に当てるのならば生身の人間よりはドールの方が断然適している。彼らには痛みもなく感情もない。ただ命じられたことをその通りに遂行するだけだ。この場を守れと言われれば、その身が朽ちるまで守り続けるだろう。
 しかし、こういう使い方は教会の教えに反するはず。まぁ、戦争になれば綺麗事など言ってられないってとこか。
「おぃ、本当に大丈夫なんだろうな」
 白衣の中からハウェッツが小声で話しかけてくる。私はソレに『黙ってろ』と目だけで返して、怪しまれないように体をグッタリとさせた。
 ハウェッツがドールであることくらい、少し力を持ったドールマスターならすぐに見抜くだろう。そしてドールマスターランク一位のジェグが扱う封印体の大きさではないということも。普通ならすぐに私のドールだと分かり、即没収だ。
 しかし、ソレをジェグ本人が見逃しているとなれば話は別だ。自分達が単なる角オウムをドールだと勘違いしてしまったのだと思い込むか、それともジェグに何か考えがあるのだと解釈するか。
 どちらにせよコイツが私を連れている限り、大体のことはパスできるはず。ジェグよりも地位の低い奴等はそれこそ掃いて捨てるほどいるはずだから。
 それにまぁ、もしヤバくなったら力ずくで逃げ出せはいいだけのこと。ハウェッツのあの力があれば簡単だ。
「どうぞ」
 見上げるほどもある黒いのっぺりとした大きな扉を内側に押し開き、案内してきた教会関係者は手を塔内に差し伸べた。
 ココからはお一人でということなのだろう。彼には中央の巨大な尖塔に入る資格がないのか? もしくは、ジェグが何か合図でもしたのか……?
 私は少し体を緊張させ、人型ドールに中に入るように命じた。
「美しい、場所、だろう?」
 例えるなら、ソコは黒い宝石の内側だった。
 外から見た時は六階か七階くらいに階層分けがなされているのだろうと思っていたが、視界を遮る天井は一つもなかった。塔内の内壁は緩やかに湾曲しながら目眩すら覚えるくらいの高さで頂点を結び、等間隔で炎の灯された燭台が浮かんでいる。
 燭台のすぐそばには黒曜石が埋め込まれ、淡い橙光を反射して幻想的な輝きを生み出していた。よく見ると壁には複雑な意匠が彫り込まれ、そこに流された金色の液体金属が胎動するかのように明滅している。ソレはまるでこの建物全体が呼吸しているかのようだった。
 私も塔を外から見たことはあるが、中に入るのは初めてだ。まさかこんな造りになっていたとは……。
「すっげー……」
 感嘆の声を上げるハウェッツの頭を顎先で殴りつける。
 そして何も言わずに歩き始めたジェグの後ろについて、私は人型ドールを動かした。直後、背後の扉が重々しい音を立てて閉ざされる。
 外界からの光が完全に遮断され、化け物の胎内に捕らわれたような錯覚すら覚えた。私達以外に誰もいないから余計にそう感じる。
 まぁ、いいさ。ここまできたらタダでは帰るつもりはないし、向こうも簡単には帰してくれないだろう。会いたいって言ってきた奴の顔を拝んで、私に関わらないように要求して、それが受け入れられない場合は……しょうがない。実力行使しかないな。
 無数の長椅子に挟まれるようにして通っている大理石の通路を進み、私は塔の中央付近まで来た。ソコだけ僅かに丸く開けており、前後だけではなく左右にも通路が伸びている。
 ジェグはその場に片膝を付いてしゃがみ、床に手を当てて亜空文字を展開させた。白い輪郭を持った黒文字が大理石の中へと吸い込まれるようにして消える。
 次の瞬間、床の丸い形に添って金の光が走ったかと思うと、足場が白い燐光となって消え失せた。そして代わりに現れたのは手すりすらない黒い螺旋階段と――
「コレ、は……」
「逆裏世界へようこそ、メルム=シフォニー……」
 私が今いる建物と全く同じ構造の空間だった。
 ――全てが逆さまとなった。  
 黒曜石の位置、壁画の模様、そして燭台や炎の向きまでが反転して地下に再現されている。ソレはまるで鏡の中の世界その物だった。
 一体どれだけの技術がココに注がれているんだ。他の四本の塔もこんな地下室があるのか……?
 他の四本――そうか、なるほど。
 私はジェグと共に螺旋階段をゆっくりと下りながら得心する。
 外から見た時、五本の尖塔は巨大な正四面体に見えた。もし同じ形の物が地下にも再現されていたとすれば、正四面体ではなく正八面体になる。
 つまり、教会の関係者が首から下げている翡翠の形と同じに。あの首飾りの作りはココから来ていたか……。
「落ちるな、よ。な……?」
 前を歩いているジェグが振り向かずに背中で言ってきた。
 確かに、誤って足を踏み外せば一瞬であの世へ行けることは間違いない。
 無限に続くかと思われる黒い螺旋。硬質的な音を立てながら、私達は一歩一歩下りていく。そして下るたびに、体にまとわりつく空気の密度が増していく気がした。重力さえも制御されているのではないかとすら思えてくる。 
 見上げると出入り口はいつの間にか閉ざされていた。
 これで一層深く、私は化け物の腹の奥へと足を踏み入れてしまった訳だ。
 なのに、なんだ……?
 ――この昂揚感は。
 不安と恐怖に押しつぶされないために、体が行っている防衛反応なのか?
 いや、昂揚感だけではない。言葉にはしにくい、何かぼんやりとした安心感のようなもの。羊水に全身を浸したような浮遊感。
 私は、ココを知っている?
「着い、た……」
 そんなことを考えていると、前からジェグの声が聞こえてくる。
 気が付くと、私は尖塔の下の頂点に立っていた。
「ミリアム、様。ジェグ=ドロイト、です。メルム=シフォニー、を、連れて参りまし、た」
 どこか恭しく言いながらジェグは頭を下げる。するとその声を迎える入れるように、何もなかった目の前の空間にぽっかりと黒い穴が開いた。ソレは人が通れるくらいの大きさになって安定すると、どこかの部屋の内部を映し出す。
 ミリアム……ソレが私に会いたいとかいう奴の名前。女か……?
 ジェグは着いてこいと目で合図した後、ためらうことなく穴の中に入った。
 罠……かもしれない。十中八九罠だ。
 どうする……。いや――
 覚悟を決めろ、メルム=シフォニー。ココまできて弱気になってどうする。
 大丈夫。ハウェッツのあの力があれば、どんなことが起きても切り抜けられる。
 ――違う。そうじゃない。私は逃げるためにココに来たんじゃない。私の平穏を脅かすこのふざけた事態を収拾するため、そして頭の中で漠然と渦巻いている何かをハッキリさせるためにココに来たんだ。
「行くぞ、ハウェッツ」
 私は小声で言い、人型ドールを歩かせる。そして中に入った途端、穴は閉ざされてしまった。
「ようこそ」
 すぐそばで、ドコかで聞いたことのある声がする。
「久しぶりね。会いたかったわ――姉さん」
 目の前にいたのは紫色の長い髪を持った女性だった。背は低く、子供のように丸みを帯びた顔立ちをしている。少し膨らんだだけの小鼻。桃色の唇。薄く見開かれた二重の双眸には怜悧で、そして冷たい輝き。
 ソックリだった。
 私の顔と。

『おいおいマジかよ……。ったく、その冷徹さ。ソックリだな……』

『恐い顔だ、な。見れば見るほど、ソックリ、だ……』

 リヒエルとジェグの言葉。
 アレは、このミリアムとかいう女性と私を比べて……?
 それにコイツ今、私のことを『姉さん』って……。 
「ありがとう、ジェグ。もういいわ。貴方は席を外してちょうだい」
「え、え……!?」
 ミリアムに言われて、ジェグは丸い大きな目を更に丸くして驚愕の声を発する。隠しきれない狼狽が体に現れたのか、顔は何かを拒否するように左右に振れ、膝はガクガクと震えていた。
 コイツが大きな声を上げてこんな表情をするなどコッチが驚きだ。
「ミ、ミリアム、様……!? で、も……!」
「貴方が連れてきてくれたんでしょう? だったら姉さんには抵抗する力なんて残ってないはずよね。ドールも持ってないだろうし。ならアタシ一人でも大丈夫よ」
「そ、ソレ、は……!」
 ジェグの額から悲惨なくらい冷や汗が流れ出してくる。
 ソレはそうだろう。私はまだピンピンしているし、ドールを持っていないのはジェグの方なのだから。
 いや、もしかすると持っているのかもしれない。この部屋にこっそり置いているのかもしれない。だからこそジェグは素直に私をココへ通した。
 しかし、ソレを操るドールマスターがいなくなってしまえばただの人形だ。見たところこの部屋にはミリアムとかいう女以外誰もいない。ジェグがいなくなってしまえば彼女を守る者は誰もいなくなる。コイツがドールマスターでない限りは。
 好都合。実に好都合だ。
 もっとも、ジェグが保身に走って自分の失態を隠し、正直に事情を打ち明けなければ、の話だが。
「ミ、ミリアム様……! 実は……!」
 ま、そう上手くは行かないか。
 私は両手に亜空文字を展開させ――
「大丈夫。分かってるわ、ジェグ。貴方が姉さんにやられて、ココまで連れてこさされたってことくらいは」
 な――
「どう、して……」
「姉さんが本気になれば貴方が勝てるはずないもの。アタシは姉さんのことずっと見てきたのよ? だから姉さんのことなら何でも知ってる。勿論、性格もね。そういうわけだから下手な芝居はやめて、二人でゆっくりお話しましょ、姉さん」
 コイツ……。一人で私に勝つ自信があるのか? だとすればジェグ以上の力を持ったドールマスター?
 十分に考えられる。二人の会話を聞いている限り、やはり地位はこの女の方が上だ。しかしジェグは権力だけに従うような奴じゃない。ならドールマスターとしての力も上だと考えるのが自然か。
 だが、もしそうだとするとジェグのあの異常な慌て方が気にくわない。
「い、いけません……! 僕が教総主様に怒られてしまいます……!」
「大丈夫よ。姉さんは話の分かる人だから。いきなりアタシを攻撃したりはしないわ」
 どうだかな。話の内容にもよるが。
「し、しかし……!」
「ジェグ……アタシの言うこと、何でも聞いてくれるんじゃなかったの? それとも二回も逆らうの?」
「そ、れは……」
 まさかこの最低な男を哀れに思う時が来るとはな。
 とにかく今のジェグからは爬虫類のような不気味さも肉食獣のような凶暴さも窺えない。
 ただ子供のように怯え、泣きたいのをじっと堪えているだけだ。
「分かったら出て行ってちょうだい。さぁ」
 その言葉が終わると同時に、ジェグの前にぽっかりと穴が開く。ソコには教会の外の光景が映し出されていた。恐らく、この部屋に入ってきた時に開けられた穴と同じ性質のモノだろう。
 だとすれば、コイツは空間を操る力でも持っているのか?
「……できませ、ん」
 ジェグは俯いたまま、息苦しそうな言葉遣いで小さく言った。
「僕がいなくなれば、コイツは、ミリアム様を殺そうとします! ですから絶対に、ココから出ていきません……!」
「そぅ……なら、仕方ないわね」
 憂いを帯びた表情で言うミリアムに、ジェグはほっと胸をなで下ろし、
「姉さん。アタシと二人で話したいでしょう? 悪いけど、姉さんの力でジェグを放り出して貰えないかしら?」
「な――」
 ジェグの口から悲鳴に近い単音が迸った。そして信じられないといった表情でミリアムの顔を見つめる。
「そうだな」
 もう芝居を続ける必要もないか。
 私は人型ドールから下り、口の端を不敵につり上げながらジェグを見た。
「この部屋に三人は多すぎる」
「やめ――」
 まるで助けでも求めるように私の方に手を差し伸ばしてきたジェグの体を、人型ドールに命じて突き放す。そしてミリアムが開けた穴の中に放り込んだ。
 抵抗することもできずにジェグは吸い込まれ、一瞬で姿を消したかと思うと穴はすぐに閉じて跡形もなくなってしまう。ジェグなど最初からココにいなかったかのように、私の目に映るのはただ薄暗い部屋の内装だけだった。
「これでやっと落ち着いて話せるわね、姉さん」
「随分と自信たっぷりなんだな。何か奥の手でも隠し持ってるのか?」
 私はハウェッツを肩に止まらせ、油断なく辺りを見回す。
 天井の低い倉庫のような部屋だった。壁にはスライド式の本棚がいくつも並び、部屋全体を圧迫するように私達を取り囲んでいる。真ん中にはミリアムの小さな体に合わない玉座のような大椅子が置かれ、その周りにページが開かれたままになった読みかけの本が積み上げられていた。
 窓も扉もない一人用の狭い部屋には起毛の長い絨毯が敷かれ、天井のシャンデリアからは少し赤みを帯びた光が落ちてきている。絨毯の上には首の無くなった人形や手足をもがれたヌイグルミが散乱し、まるで全身が鮮血で染め上げられているようにも見えた。何だか本当に化け物の胃袋の中に迷い込んだような気がする。
「まさか。アタシは姉さんみたいに優秀なドールマスターじゃないもの」
 ミリアムは皮肉るように言いながら微笑すると、椅子に腰掛けて脚を組んだ。
 同時に、重い金属を引きずるような音がどこからか聞こえてくる。
「お前、その鎖……」
 その音の発生源を見つけて、私は目を細めた。
 ミリアムの服の下からは四本の太い鎖が伸びていた。今までは体をすっぽりと包み込む大きめの黒いローブに隠れて見えなかったのだろう。
「フフ……。どう? 姉さん。綺麗なアクセサリーでしょう? ココに連れ戻されてから、アタシはずーっとコレを付けてきたわ。逃げ出さないようにするためにね」
 ミリアムは鎖を見せびらかすように両腕を広げながら、自嘲めいた笑みを浮かべて言う。
「逃げ出さない? お前、教会の関係者じゃないのか?」
「関係者は関係者だけど、モルモットって言った方がいいかもね」
 モルモット? 何かの実験目的のために監禁されているってことか?
「それより姉さん。アタシのこと『お前』じゃなくて『ミリアム』って呼んでくれない? それじゃまるで赤の他人みたいじゃない」
「“まるで”じゃなくて完全に他人だろう」
「こんなにソツクリなのに?」
「顔の似ている奴等なんか、世界には腐るほどいるさ。それとも、そんな下らない戯言で精神的な揺さぶりを掛けないとまともに話もできないのか?」
「たった二人の肉親なのに……悲しいわ」
 どこか面白がるような表情で言いながら、ミリアムは椅子の肘置きの上で指を走らせた。そこにスイッチでもあったのか、本棚がスライドして奥から金属の箱が現れる。
 ミリアムは床に下りて箱の前に歩を進め、中を開けてグラスとリキュールボトルを取り出した。
「姉さんも飲む?」
「これ以上、私に下らないちょっかいを掛けるのはやめて貰おうか」
 ボトルをコチラに差し出しながら聞いてくるミリアムに、私は冷徹な声で言う。
「私のことを昔から見ていたとか気に掛けていたとか、どうして今になってそんな話を持ち出す。なぜ私の平穏を壊すようなことをするんだ」
「簡単なことよ。モルモットに自由なんてない。ただそれだけ」
 口の端をつり上げて言いながら、ミリアムはグラスに琥珀色の液体を注いだ。その動きに合わせて鎖が重い音を立てる。
「私が、モルモット?」
 奥歯をきつく噛み締め、私は呻くような声で言った。
「そう。アタシも姉さんも教会が生み出したモルモット。『終わりの聖黒女』と名付けられ、この世界を壊すために飼われてきたドール。ソレがアタシ達の正体」
「ドール、だと……?」
 私がドール? ふざけたことを。
「そんな作り話を聞きに来たんじゃない」
「あら、信じてくれないのね。アタシはあっさり受け入れたのに。ま、今言われるのと赤ちゃんの時に言われるのとじゃあ違うってことかしら」
「殺して欲しいのか」
「願ったりだわ」
 鎖を引きずりながらミリアムは椅子に座り直し、グラスの中身を一気に飲み干した。そして付いた片肘に顎を乗せ、目を細くして口元を歪める。
「姉さんならきっとそう言ってくれると思ってた」
「何だと?」
「アタシを殺してくれるのは、姉さんしかいないと思ってた」
 試すような視線でコチラを見ながら、ミリアムは静かに言ってくる。彼女の双眸には磨き上げられた刃物のように、冷たく狂気的な輝き。
 他人の命は勿論のこと、自分の命を奪うことにさえ何の感情も感慨も抱かない。そんな危うい目つきだった。
「今までずっと思ってきた。死ぬことができたらどんなに楽なんだろうって。でもね、誰もアタシを殺してくれない。『終わりの聖黒女』様って崇められ、敬れ、飼育されて、アタシはこれまでずっと生きてきた。自分で殺すこともできない。できないようにプロテクトが掛けられているから。何でも言うことを聞いてくれるジェグにも頼んでみたけど、断られた……」
 自虐的な笑みを顔に張り付かせ、ミリアムは力なく言葉を紡ぐ。
「アタシは何もできずにココに捕らわれているだけ。この狭い部屋がアタシの世界の全て。この鎖のせいで、いくら大きな穴を作っても出られない。『終わりの聖黒女』としての力を出せるようになる日までずっと。そんなの姉さんなら耐えられる? 嫌でしょ? だから――」
 ミリアムは持っていたグラスを高く上げると、手から力を抜いて放した。支えを失ったグラスは椅子の肘置きに吸い込まれ、甲高い音と共に砕け散る。
「アタシを殺して」
 飛び散った破片がミリアムの頬を浅く切り、紅い線を引いた。
「それが私を呼びだした理由か」
「半分はね」
「半分?」
「そう、半分よ。もう半分は、姉さんとお話したかったの。昔のことをね」
 肘置きの上に残ったグラスの破片を指先で弄びながら、ミリアムは楽しそうに続けた。
「昔むかーしのことよ。まだ姉さんが物心付く前のお話。特殊な方法で生み出されたドールであるアタシ達は、興味深い研究対象としてすぐにモルモットになるはずだった。今のアタシみたいにね。けど、アタシ達を連れ去った人がいたのよ。その人はアタシ達を連れて遠くに逃げた。でもすぐに教会のドールマスターに追いつかれて、結局アタシ達を置いてどこかに行ってしまったの。教会は男を探したけど、見つからなかった。でも目的はアタシ達の回収だったから、男の追跡はすぐに切り上げられたわ。どう? この辺のことちょっとは覚えてる?」
 私は無言で首を横に振る。
「でしょうね。でもアタシはハッキリと覚えてる。姉さんと違って生まれた直後からの記憶がある超天才児だったからね」
 紫色の長い髪を梳きながら自慢げに言った後、どこか儚げな雰囲気を纏ってミリアムは話を進めた。
「教会のドールマスターに回収され、アタシ達は二人揃って戻るはずだった。でも、その時一緒にいた教総主が突然言ったのよ。『一人は別の環境で育ててみよう』ってね。その一人に選ばれたのが姉さんの方って訳。まだ言葉も理解できないオチコボレだからっていうのが理由だったわ。優秀な方のアタシを手元に置いておきたかったんでしょうね」
 自分は優秀で他はオチコボレか。
 お前を見ていると少し前までの私を思い出してしまうよ。
 まぁ、今はあの変態バカのせいでほんの少し変えられてしまったが。
「姉さんは孤児院の前に捨てられ、アタシは教会に連れ戻された。それから、アタシのモルモットとしての生活が始まったの。逃げないよう盗まれないよう、教総主にこの部屋に閉じ込められて鎖で繋がれて、アタシは『終わりの聖黒女』になるための調教を受けた。力を引き出すために肉体的、精神的な苦痛を毎日のように受けさせられ、アタシみたいなドールを量産できるように色んなドールマスターが観察したり実験したりしていったわ。ジェグもそんな奴等の一人だった。ま、アイツは優しい方だったし、色々と言うことも聞いてくれたけど」
 観察はまだしも『実験』、か……。
「呪ったわ。周りの連中全員。どうしてアタシだけがこんな目に遭わないといけないのかって毎日思ってた。姉さんはあんなに楽しそうに暮らしてるのにって、コレ見ながらずっと思ってたのよ」
 言いながらミリアムが取り出したのは正八面体の翡翠だった。ソレを投げてコチラによこす。
 かつては美しい輝きを誇っていただろう首飾りの表面はズタズタに傷付けられ、六つある角は全て欠けてしまっていた。そんな中に埋もれるようにして、直接彫り込まれた一つの名前。
 ――メルム=シフォニー。
 コレは私が持っていた首飾りだった。
「アタシの怒りを姉さんにぶつけられる唯一のものだった。調教で身に付いた力を使って、『穴』からずっと姉さんのこと見てたわ。ドールマスターとして周りから認められて、ちやほやされて、幸せそうな姉さんの顔をずっとね」
 ミリアムの瞳に宿っていた狂気的な輝きが一層増す。
「ずっと見てて、ずっとずっと思ってたの――」
 不気味なほどに唇の端がつり上がり、殺気にも似た気配が立ち上がった。
「――ずるい、ってね」
 呆けたように半開きになった口から、乾いた笑いが漏れ始める。まるで何かに取り憑かれたかのように、ミリアムの表情は壊れ始めていた。
「いつか必ずアタシと同じ目に遭わせてやる。いつか必ず、その幸せを奪い取ってやる。そしていつか必ず――絶望させてやる、って」
 ミリアムは自分の体を服の上から掴み、痣ができるほどに強く指を食い込ませる。
「きっと神様も、そんなアタシの願い事を叶えてくれたんでしょうね。頑張ったからご褒美をくれたのよ。ある時急にね、調教がやんだの。アタシのところに実験目的で来る奴がいなくなった。代わりにアタシは崇め立てられた。まるで神様みたいに。ひょっとしたら『終わりの聖黒女』としての力を身に付けて、少なくとも教会の中で神になっていたのかもしれない。そんな大層な扱いだったわ。みんなアタシの言うことは何でも聞いてくれた。どんなことでもしてくれた。だから、ソイツらに言ったの」
 そこまで言ってミリアムは言葉を句切り、鎖の音を室内に響かせて椅子から立ち上がった。そして凶気に満ちた表情で言う。
「姉さんを、無茶苦茶にしてって」
 そこには理性など欠片もない。殺意という黒い感情を剥き出しにして、ただただ自分の中の衝動を晒している。
「まず最初に姉さんをドールの世界から遠ざけてあげたわ。思い切りね。ジャイロダイン派閥と手を切ったと言っても、まだまだアカデミーへの影響力は十分に残ってたから。姉さんの発表の聴講者を全員教会の関係者で埋め尽くして、思いきりなじらせたわ。初めてのことだったからビックリしたでしょう? あの時の姉さんの顔……今思い出しただけでもゾクゾクする」
 自分の話に酔い始めているのか、昂奮に体を震わせながらミリアムは続ける。
「それから二度と立ち直れないように、姉さんがこれまで残してきたドールに関する功績を全部消し去って、最後はソレをジャイロダイン派閥のせいにしてあげたわ。ジャイロダイン派閥の実権があのラミスとかいう女に移った時期と、姉さんを最初に罵倒した時期が殆ど同じだったからね。トップが変わったから自分が評価されなくなった。納得するのにこれ程素晴らしい理由はないと思わない? それから姉さんは的外れな怒りを持ち続け、勝手にどんどん堕ちていってくれた。アタシはそんな姉さんの姿を見ているだけで、とっても幸せだったわ。生まれて初めて、生きてる喜びを感じられた」
 ――確かに似ている。
 完全に自分の世界に浸ってしまったミリアムを、私は不思議なくらい冷静な目で見ていた。
 自らを天才だ優秀だと称し、自分の不遇を呪ってイジケ、そして感情が病的なまでに不安定ですぐに極端な思考に走ってしまう。
 外見的にも内面的にも、このミリアムという女と私は似通った点があまりにもありすぎた。
「なるほど、そういうことか。全部お前が仕組んだことだったというわけだな。実に筋の通った説明だ。ようやく納得いったよ」
 根拠があるわけではないが、コイツの言ってることは多分本当なんだろう。
 あんな顔をして作り話ができるとは、どうしても思えない。
 目を見れば分かる。コイツが私を妬み、羨み、憎んでいる感情は本物だ。そして、あまりにも純粋だ。
 だが、どうしてだろう。なぜか怒りはわかなかった。
 私から全てを奪ったと言っている奴が目の前にいるのに、どういう訳か目の前が熱くならない。
 もしかすると、私は彼女に同情しているのかもしれない。
 ひょっとして、レヴァーナが私に初めて声を掛けてくれた時もこんな気持ちだったのか?
「それで私を隔離して孤立させて、成熟したら回収しようって思っていたわけか?」
「そうね。勿論、いずれは回収する予定だったわ。ソレが教会全体の意志でもあるから。でもまだその時期じゃない。姉さんにはまだまだ絶望を味あわせて、立派な『終わりの聖黒女』になって貰わないといけないからね」
 底冷えするような笑みを浮かべながら、ミリアムは暗い喜びに満ちた声で答える。
「では、私の所に現れた教会の関係者とかいう奴はやはりラミスの差し金だったんだな?」
「そういうことね」
 なるほど、な。まぁコレで裏が取れたということか。
「だから、姉さんをココに呼んで全部話すことにしたの。ジャイロダイン派閥に抗争を仕掛けてまでね。ま、コッチはついでで、本当の目的は姉さんに会うことよ。姉さんを力ずくで連れてくるには、どうせドールの力を大々的に使うからね」
 ミリアムはもう一度椅子に座り直し、脚を組んで続けた。
「何だと?」
「あの女が姉さんを勧誘しようと裏でコソコソ動き始めたから、わざわざ手間を掛けて連れてきて、姉さんに本当のことを話したの」
「……どういうことだ」
「あの女はあえて姉さんからの怒りを買うことで、姉さんにやる気を出させた。すぐに自演だとバレるような下手クソな芝居をわざとしてね。そうすることで自分の持ち駒である息子への協力を自然な形で取り付けさせる。後は彼を介して姉さんに指示を出せば、間接的に自分の戦力として使えるって訳。あの女らしい姑息な戦法でしょ?」
 ラミスの息子……レヴァーナが? レヴァーナが、ラミスの駒……?
「そうやってちょっかい掛られているうちに、姉さんはだんだん立ち直り始めた。アタシはソレが気に入らなかった。アタシが姉さんにしたことをラミスが逆に利用してるって思うと余計にね」
 レヴァーナはラミスの命令で私を……?
「あのまま放っておけば、ずっと殻に籠もっていてくれれば、限界まで堕ちたのに。潰れてしまうと思っていたのに。なのに姉さんはラミスの思惑通り、強力なドールマスターとして教会と敵対した。だから呼んで全部話したの」
 先程までとは一転して、ミリアムは肘置きに体重を預けながら落ち着いた口調で言った。
「もう一度、姉さんを絶望させるために」
 しかし、すぐにまた凶気が混じり始める。
「自分が利用されてるだけだということを知って貰って、それからココでこうしてお喋りしてる間にも、大切なモノがなくなってることを伝えるために、ね」
「な――」
 高所からの失墜にも似た悪寒。
 私の驚愕に応えるようにして目の前の空間に穴が開く。ソコに映し出されたのは私の家だった。
 ――単なる瓦礫と化した。
「お前!」
「さぁアタシを殺してくれる? それとも先にお家に行く? どっちでも好きな方を選ぶといいわ、姉さん」
「なら望み通り殺してやる!」
 私は両手に亜空文字を展開させ、ソコにハウェッツを飛び込ませた。
 眩い金色の獣毛に包まれた、鋭い角を持つ麒麟が出現する。しかし、猛々しさの象徴とも言える雷は纏っていない。そばにいるだけで奮い立つような、荒れる狂う力強い雰囲気もなかった。
「行けぇ!」
 それでも私は命令する。
 ミリアムを殺せと。目の前で挑発的な笑みを浮かべているこの女を殺せと。
 ――だが。
「あらあら、自分のドールもまともに使えないの?」
 動かなかった。
 ハウェッツはまるで床に縫い止められたように微動だにせず、長い尻尾を力なく床に垂らしている。
「ハウェッツ!」
 激情を乗せた怒声をハウェッツの背中に叩き付けた。
 しかし、動かない。
 こんなに憎んでいるのに。こんなに強い感情を込めているのに……! どうしてさっきみたいに思い通りに動かない!
 憎い!
 ――同じだ。
 アタシから大切な物を奪ったこの女が憎い!
 ――あの時と。
 八つ裂きにして、コロシテヤル!
 ――オナジダ。
「もぅいい!」
 アタシは自分の隣りにいる人型ドールを睨み付けて叫ぶ。
「殺せ!」
 そしてありったけの黒い感情を注ぎ込んだ。ソレに応えて人型ドールは両足をたわめ、ミリアムの方に飛びかかり――
「な……」
 彼女の細い首に伸ばした手が途中で止まった。
 ――鋭い角に腹を貫かれて。
「ハウェッツ……」
 アタシは無意識にその名前を呼びながら、呆然と麒麟型ドールを見る。
 どれだけ命令しても全く動く気配を見せなかったハウェッツは、人型ドールの突進を力ずくで止めていた。
「お前……」
 また、裏切るのか……。
 あの時の同じように、またアタシを……。
「あっははははははは! なにソレ! バッカみたい! ドール同士でケンカしてたら世話ないわね! それから姉さんのその顔! 最ッ高だわ! ねぇもっと! もっとよく見せてよ!」
 狂ったように高々と上がるミリアムの笑い声をどこか遠くの方で聞きながら、アタシは全身から急速に力が抜けていくのを感じた。
「メルム……」
 麒麟型ドールからくぐもった声が届く。
「スマン……」
 体を襲う浮遊感。
 ソレがハウェッツによって持ち上げられたのだと理解した時には、アタシの体はミリアムが開けた穴の中に吸い込まれていた。

=================報告書====================
 教会の奴等がまた攻めてきやがった。
 暴れたりなかったから丁度よかった。ドール共の固い装甲を力ずくでばらし、中の柔らかい肉を抉り出す時の感触がたまらない。快感だ。
 特に郊外で暴れた時は最高だった。誰だかの家をブッ壊してやがった教会のドールマスター共を、片っ端から潰してやった。逃げた奴等も全員捕まえて殺した。どういう訳か感情が爆発して、信じられない力と快楽だった。もう少し理性が飛んでいたら、そばにいやがったコッチ側のドールマスターも殺してただろう。

 短い間に力を使いすぎたせいか、かなり体の腐敗が進んできた。近いうちに俺は死ぬだろう。だが別に構わない。それよりもっと血を、肉を、悲鳴を! 教会の奴等の死体をもっと積み上げろ!
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