人形は啼く、主のそばでいつまでも

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  Level.5 『お前達がいてくれて良かった』  

 辺りは真っ暗だった。いつの間にか夜になっていたらしい。頼りない月明かりだけが、人気のないこの場所をうっすらと浮かび上がらせている。
 いつもならこの時間、私は何をしていただろうか。
 ゲームか? 食事か? それともドール創りか?
 少し前まで当たり前のように存在していた日常。
 しかしこの短い間に蝕まれ、蹂躙され――破壊された。
「やれやれ、だな……」
 薄ら笑いを浮かべながら髪の毛を解き、私はついさっきまで家だった物を見つめた。壁はその役割を全く果たしておらず、家の中を惜しげもなく晒している。申し訳程度の広さしかなかったキッチンスペースはいとも簡単に瓦礫に埋まり、長年愛用してきたキューブ端末は、溶けた氷のように熱で歪んでいた。
 ハウェッツと私の匂いが染みついたベッドも、傷だらけだった中古の調合釜も、丸一日掛けて修理した冷蔵庫も、ドール達が綺麗に並んでいたスチールラックも、全て私の記憶の中だけに映像を残してなくなってしまった。
 一体、何が悪かったのだろうか。
 すすで黒く染まり、無惨な断面を晒している家の外壁の一部に腰掛けながら、私は深く溜息をついた。
 孤児院で育ち、ドールという物に出会い、世間に評価され、かと思えば罵倒され、裏切られ、イジケで、ヒネクレて、一人で籠もり、ようやく安住の地を得て落ち着けたと思っていたのに、その場所さえも奪われてしまった。
 ――そして、また裏切られた。
 何だというのだ。私はこんな目に遭うために生まれてきたというのか。

『モルモットに自由なんてない。ただそれだけ』 

 なるほど。そう考えると楽かもしれないな。
 私はただのモルモット。
 利用され、振り回され、奪われるだけの矮小な存在。
 ――ふざけるな。
「ふざけるなよ……」
 両拳を握り締め、奥歯を噛み締め、凄絶な視線で中空を睨み付けて私は立ち上がった。
 終わらせない。このままでは終わらせてたまるか。
 私はドールなんかじゃない。人間だ。
 使われる側ではなく、使う側に立つ者。支配する階級にいる人間だ。
 ――違う。
「そうじゃない……」
 私にとってドールは友達。大切な家族。なくてはならない存在。使うとか使われるとか、そういう区分けのできるモノじゃない。
 だからこんなにも胸が痛い。家と一緒に、今まで生み出してきたドールがみんないなくなってしまったから。
 彼らだけだった。苦しい時、私を支えてくれたのは。私を励ましてくれたのは。ドール達が身近にいてくれたからこそ、私はなんとかここまで立ち直れた。そしていつも一番近くにいたのは――あの裏切り者。
 アイツがあの時、私の命令を素直に聞いてくれていれば。ミリアムを殺してくれていれば、少しはこの嫌な気持ちもましだったかもしれないのに。憂さ晴らしになったかもしれないのに。
 ――イヤだめだ。
「ソレも違う……」
 アイツは私に殺してくれと言っていた。なら、あのままハウェッツが私の言うとおりにしていれば、私はアイツの願いを叶えてしまったことになる。
 敵の願いを聞き入れる? 『ずるい』などという下らない理由で私の人生を滅茶苦茶にしたアイツの願いを実現させてやるだと? それこそ最悪だ。今よりもっと気分が悪くなる。
 ならハウェッツは正しかったのか? そうならないように自分で留まってくれたのか? あれは裏切りなどではなく、私のことを想ってしてくれたことなのか?
 本当に? 本当にそうなのか?
 ――そうじゃない。
「そんな訳、ないだろ……」
 アレはどう見てもそんなことを考えている雰囲気ではなかった。ただ、戸惑いと躊躇いが脚を止めていただけにすぎない。
 なら何が本当なんだ。何が真実なんだ。私はどうすれば良かったんだ。
 ダメだ。頭が混乱する……。
 どうしていいか分からない。こんな時、いったいどうすれば……。
「メルム、あのな……」
 へしゃげた調合釜の上に乗り、項垂れていたハウェッツが申し訳なさそうに声を掛けてきた。
「お前に、言っとくことがある」
「ほぅ……」
 私に言うこと、だと? 決別の言葉でも叩き付けるつもりか? ん?
「もしかすると、俺の力は――」
「先輩?」
 突然、樹と樹に挟まれた深い闇の中から、聞き覚えのある声がした。
「あ、やっぱり、先輩だ……。よかった。無事……だったんですね」
 そして月明かりを反射した銀髪と、ウシ柄のポンチョが姿を現す。
「ルッシェ……」
 私は立ち上がり、おぼつかない足取りでコチラに近づいてきているルッシェを抱き留めて支えた。
「お前、その格好……」
 ルッシェの顔は汗や涙やらでびしょ濡れになり、そこに砂や埃が張り付いて真っ黒になっていた。あの特徴的だったチェック地のリボンはなくなっており、ポンチョも方々が破れ、焼けこげ、引き裂かれている。
「どうして、お前が……。ラミスのとこに戻ったんじゃないのか」
「コレ……」
 私に体重を預けるようにしてもたれ掛かりながら、ルッシェはポンチョの下から取りだした物を私に差し出した。
 それは二体のドールだった。
「【カイ】、【フェム】……」
 私が生み出した、竜型ドールと人型ドール。
《このねーちゃんに助けられたぜー!》
《元気だぜー!》
「ゴメン、ナサイ……。わたしの力じゃ、二人が精一杯で……」
「お前……」
 私は二人を受け取り、ルッシェをその場に座らせる。
「あの、教会の人達が先輩の家を壊してたから、わたし止めようとしたんですけど……」
「ありがとう」
 ドール達を白衣のポケットに大事に入れ、私はルッシェの頭を胸の中に抱き入れた。
「それから、本当にすまない。私は、あんな酷いことを言ってしまって……。今さら言い訳はしない。だから許してくれとは言わない。ただ、謝らせてくれ。それと礼を言わせてくれ。本当に、ありがとう」
 ルッシェは驚いたようにしばらく放心していたが、やがて私の腕の中で小さく首を左右に振ると涙声で言葉を紡ぐ。
「わたしの方こそ、先輩の気持ちも考えずに本当にごめんなさい……。それに、先輩には助けて貰ってばっかりで……。自分で勝手に飛び出して、教会のドールマスターと鉢合わせして……。ホントは、わたしも戦わなきゃいけないのに、足がすくんじゃって何もできなかった……。先輩が凄いドールで、無茶苦茶ガンバって強くてバンバンやっちゃってるとこ、見てることしかできなかった……。なんかホント、バカみたいですよね。自分から志願して、戦うって決めたのに、いざ本番になってみると何もできないんですから。その点、やっぱり先輩は凄いです。尊敬しちゃいます」
「だが、お前はもうソレを乗り切った」
 ルッシェから体を放し、私はしゃがんで彼女と目線を合わせた。
「教会の連中とたった一人でやり合って、私の大切な家族を二人も救い出してくれた。さすがジャイロダイン賞を取っただけのことはある。私なんかよりずっと優秀なドールマスターだよ、お前は」
 そして白衣の袖でルッシェの顔に付いた埃をぬぐい取ってやりながら、私は優しく言った。
 ルッシェは私なんかより余程強い。悩んでも問題を抱えても、ちゃんと自分と向き合って、目を逸らすことなく逃げることなくイジケることなく、自分の中で消化して解決している。
 残念ながら、私にはできない……。今だってルッシェが声を掛けてくれなければ、際限なく落ち込んでしまっているところだった。
 昔の私は何でも一人でできていたわけじゃない。何でもできる気になっていただけだ。
 本当は周りの人から色々と助けて貰っていたのに、知らない顔をして勝手な解釈で自尊心を満たしていた。だから本当に一人になってしまうと何もできなくなる。さっきみたいにどうして良いか分からなくなる。
 そして――結局最後は自分の殻に籠もってイジケで終わりだ。
 もう少しでまた同じことを繰り返してしまうところだった。またどうしようもない悪循環に陥ってしまうところだった。
 今の私は昔の私じゃない。
 痛みを知っている。あの時の辛さを知っている。
 嫌だ。あんな思いをするのはもう嫌だ。自分の世界だけに閉じ籠もるのはもう沢山だ。
 ならどうすればいい。一人でダメならどうすればいい。
 ――簡単だ。
 実に単純なことだ。
 誰かを頼ればいい。くだらない意地やプライドなど殴り捨てて、助けてくれと声を上げればいい。救いを求めればいい。
 やはり、一人でやっていくには限界がある。お互いに依り合っていく必要がある。
 少なくとも、私にはそういう存在が必要だ。
 そうか。そういうことか。今、分かった。
 ミリアムに会う前まで感じていた、モヤモヤとした気持ち。
 ソレは依り合い、気持ちの通じ合える存在をいかに大切に想うかということ。だからこれ以上アイツらを巻き込まないようにと、私はミリアムに会いに行った。
 あの時、私は失いたくなかった。ルッシェを、そして――
「そ、そう言えば、な。ルッシェ……」
 私は咳払いを一つして後ろを向き、ルッシェから顔を逸らして続けた。
「あのバカは今どうしている」
「『あのバカ』……?」
「そう。あの変態で非常識で向こう見ずのバカのことだ」
「ああ! レヴァーナさん!」
 私の説明にルッシェはポン、と手を打って納得の声を上げる。
 あの形容で通じたところを見るとアイツは四六時中ああなのか?
「ソレが大変なんです!」
「どうした!?」
 切羽詰まったルッシェの声に、私は勢いよく振り向いて彼女の肩を掴んだ。
 確かにあの時の傷は酷かった。だが致命傷ではなかったはずだ。ちゃんとした治療を受けて安静にしていれば、早くて一週間。遅くとも二週間で回復するはず。
 だが、妙な菌でも入って変に化膿してしまったら……。いや、ジェグの熊型ドールの爪に毒が塗られていた可能性もある。もしかすると思ったよりずっと深くて内臓にまで達していたとか!?
「あの、レヴァーナさんが……!」
「レヴァーナが!?」
「先輩の後ろに」
 ……は?
 私は油の切れたブリキ人形のようにギギギと頭を動かして後ろを向く。
「ほーぅ、こりゃまた派手に壊されたな。さすがに俺のポケットマネーだけでは再建は不可能か。ま、母に債券を発行して貰えば造作もないことなんだが。『再建』に必要なのは『債券』。ふ……どうだメルム。この俺のウィットに富んだジョークは」
 銃弾がレヴァーナの足元に撃ち込まれた。
「鐘一つ、か……。なかなか手厳しいな」
 コイツは……。脳天をブチ抜いて入院の口実でも作ってやろうか。
「お前、傷はどうしたんだ」
 何だかバカバカしくなってきたが、一応聞いてやる。
「あんなもの、俺の中に眠る『愛、努力、友情、勝利』の力と、持って生まれた比類なき気合いと根性を合わせてやれば、ぱっぱらぱーってなものよ。はっはっは」
 腰に手を当てて大威張りで高笑いを上げるレヴァーナに、私は脳髄から痛みがわき出て来るのを感じた。 
 全く、少しでも心配してしまった自分が恥ずかしい。実に非常識な奴だ。
「さて、と。取り合えずキミが無事戻って来てくれて何より。だがこんな場所では落ち着いて話をすることもできんな。メルム、キミには色々と聞きたいこともあるし、コチラから話しておきたいこともある。そこで、だ。取り合えず今日のところは俺の家に泊まらんか。空き部屋なら五万と……はないが十個くらいならあるぞ」
「断る」
 腕組みし、無意味にふんぞり返ってしてきたレヴァーナの提案を、私は即行で却下した。
 誰があんな女のいる場所になど。例え金を積まれたとしても嫌だ。
「まぁ、キミならそう言うだろうと思って街の方に宿を取っておいた。心配しなくても俺の自腹だ。母の力は一切借りていない」
「……そうか。悪いな」
 私は唇を尖らせて少し気まずく返した。
 全く、そうならそうと最初から言ってくれればいいものを。コイツは妙なところで気が利くんだが、基本的に頭のおかしな奴だからな。最初から言葉を額面通り受け取ると、疲れるだけだ。
 ……って、オイ。
「何だ」
 なぜかコチラをまじまじと見ているレヴァーナとルッシェ。二人とも信じられないモノでも見るような視線を私の方に向けてきている。
「随分と素直な性格になったではないか。見違えたぞメルム。これでまだ一歩、ツン期からデレ期に進んだというわけだな」
「誰がだ!」
「何かホント、この短い間にビックリするくらい丸くなりましたね。コレがレヴァーナさんの言う『愛』の力なんですか?」
「違う!」
 全く、何なんだコイツら。言いたい放題言いやがって。実に不愉快だ。不愉快極まりないぞ。
「まぁ、素直に受け入れてくれるのなら話は早い。ではまた教会の奴等と出くわさないうちに行こう。作戦会議だ」 
 先頭に立って歩き始めたレヴァーナの後ろに、ルッシェ、ハウェッツと続き、一番後ろから私が付いて行こうとした時、
「時にメルム=シフォニー」
 レヴァーナが立ち止まり、改まった様子で声を掛けてくる。
「そういえばキミはどうしてソコまで母を気嫌いするんだ?」
「……言わなくても大体分かってるだろ」
 何を今さら……。
「キミの口から聞いておきたいんだ。俺はラミス=ジャイロダインの息子だが、キミのパートナーでもある。キミがどのくらい母のことを嫌っているかによって、俺の身の振り方も多少変わってくると思うんだ。まぁ勿論、無理に話せとは言わないが」
 全く、普通は聞きにくいことを相変わらずズバスバと突っ込んでくる奴だ。気が利くのか利かないのか分からないな。
「だから――」

『だから、ソイツらに言ったの。姉さんを、無茶苦茶にしてって』

 ――違っていた。
 ラミスじゃなかった。私の人生を滅茶苦茶にしたのは。
 私を陥れたのは、ミリアム……。内側も外側も、私にソックリな女。
 だが、それでもラミスが私に下らないちょっかいを掛けて来たことには変わりない。アイツはミリアムの策略を利用して、私を自分の駒にしようとしてきた。

『自分の持ち駒である息子への協力を自然な形で取り付けさせる。後は彼を介して姉さんに指示を出せば――』 

 レヴァーナを使っ、て……?
「ああ、すまない。言いたくないんなら別にいいんだ」
 頭上から降ってきたレヴァーナの言葉に、私はいつの間にか自分が俯いて立ち止まっていたことに気が付いた。
 クソ……何を考えているんだ、私は。このバカがそんな姑息なことからは最も遠い場所にいることくらい、今まで嫌と言うほど確認してきたじゃないか。コイツは思っていることを包み隠さず何でも垂れ流す電波で、まぁ良く言えば素直な――
「先輩?」
 ――だからこそ、利用されやすい?
 自分が利用されていることにすら気付かない……?
 もしかして、私がレヴァーナとこうしているのもラミスの策略の一部なのか? 最初から全部手の平で踊らされていただけ? 私を、教会と敵対させるために。
 白衣のポケットに手を突っ込む。指先に当たるのはルッシェが守ってくれていた【カイ】と【フェム】の感触。そして、ごつごつとした翡翠の正八面体。

『モルモットに自由なんてない』

「先輩!」
 耳元でしたルッシェの大声に、私はようやく我に返った。
「大丈夫ですか? やっぱり教会で何かされたんですか?」
「ああ、いや。大丈夫だ。少し、考え事をな……」
 全く、怪我人に体調を心配されるとはな。とは言え、ルッシェの言うことも当たらずも遠からずってトコか。
「とにかくレヴァーナ。お前はそんな下らないこと考えずに、いつも通りやってればソレでいいんだよ」
「ふ……ソレは俺の愛を受け入れる準備ができたと解釈していいんだな?」
 銃声が闇夜に轟く。
「お前はもう少し自分の言葉を吟味した方がいい」
「キミの方こそ今の状況をよく吟味することをオススメする」
 頬に引かれた紅い筋を拭い去りながら、レヴァーナは不敵な笑みを浮かべた。
 そして、遠くの方から鎧兵の重い足音が聞こえてくる。
「今度からはサイレンサーでも取り付けないとな」
「ツッコミに銃は使わないという発想は思い浮かばないのかね」
「一理あるな。じゃあ次は大砲を検討してみよう」
「む、その目は本気だな」
「しょうがない、特別に見せてやろうか」
「キミの瞳に完敗」
 そんなやり取りをしながら、私達は街の方に向かって走り出した。
 ハウェッツがさっきから一言も喋っていないのが気になるが……まぁいいか。アイツなりに落ち込んでいるのかもな。

 レヴァーナがとった宿の部屋は、簡素な造りで落ち着いた雰囲気を持っていた。
 部屋にあるのはベッド、クローゼット、テーブルに椅子。そして出窓には小さなプランターに入れられた花が飾られていた。窓の外にはちょっとしたバルコニー、そして眼下には王宮へと続く太い第一ストリート。教会とジャイロダイン派閥のどちらからも遠く、最も治安がいいとされるこの辺りは抗争の爪痕があまりない。
 ゆっくりと考え事をするには打って付けの場所だ。
 ――ベッドが三つなければ。
「おい」
 私は部屋の出入り口に立ちつくし、ベッドの上でヨガのポーズをとっているレヴァーナを半眼になって睨み付ける。
「どうした」
「どうしたじゃない! 何でトリプルの部屋なんだ!」
「そりゃあ、誰だって床には寝たくないからなぁ」
「そんなこと聞いてない! なんでお前らまで泊まる気満々なんだ! 情報交換だけじゃないのか!」
「おいおい、俺達パートナーだろ? み・ず・く・さ・い・ぞ」
「寄るな見るな喋るな呼吸するな!」
 皮膚の下に蟲を這わされたような怖気を覚え、ほふく前進で近づいてくるレヴァーナから距離を取った。
「あー、いいお湯でしたー」
 そこに首からバスタオルを下げ、厚手のローブを羽織ったルッシェが戻ってくる。ココに着いてすぐどこかに行ってしまったと思っていたら、バスルームなんかに……。
 コイツら……。
「先輩もどうですか? サッパリしますよ?」
「おい!」
 私は床を強く踏みしめ、喉の奥から声を張り上げた。
「緊張感がなさすぎるぞ! お前ら! 旅行に来たんじゃないんだ! この宿屋だっていつ抗争に巻き込まれるか分からないんだぞ!」
 叫びながら私はルッシェの方に歩み寄り、バスローブの上から細肩を鷲掴みにする。
「ルッシェ! お前、まさかまだ人は死なない、傷付くのはドールだけだなんて考えてるん、じゃ……」
 強い口調で発した私の言葉が尻窄みに小さくなっていく。
「お前……震えて、るのか?」
「え……?」
 引きつった笑みを顔に張り付かせながら、ルッシェは小刻みに体を震わせていた。最初は腕だけだったのが、肩を伝って胴へ。そして腰を経て傍目にもハッキリと分かるくらい膝が笑い始める。
「あ、アレ……? おかしいな……。そんなはず、アレ? 止ま、止まらない……。ハハハ、何でだろう……。ごめんなさいね先輩。変なトコ見せちゃって。こ、こらっ。いつまで震えてるのっ」
 ルッシェはぎこちなく言いながら、膝の震えを止めようと強引に腕で押さえつけた。しかし、収まるどころかより強い波となってルッシェの体を揺らし始める。
「ルッシェ……」
「アハ、あはは。ホントにすいません、先輩。す、すぐ、収まりますから」
 声すらも震わせながら言うルッシェの目元が少し潤んだかと思うと、すぐに頬を伝う大粒の涙となって床に湿っぽい足音を刻んだ。
「ま、誰もがキミのように強くはないということだよ。正直言って俺も恐い。だから誰かと一緒にいて軽口でも叩いてないとやってられないんだ。多分、彼女の場合は俺なんかよりずっとそういう気持ちが強いと思う」
 そうだ。ルッシェはついさっきまで教会のドールマスターとやり合って私のドールを守ってくれていたんだ。気持ちの整理なんて付いているはずがないのに。
 だからその恐怖を必死に紛らそうとわざと明るくして、緊張感のないように振る舞って……。

 ――じゃあ、どうして私はこんなにも冷静なんだ?

 私だってルッシェと同じアカデミーで同じようにドールの研究をして、同じように生活してきた。ジェグのように軍事関係に走ったり、王宮が抱えているドールマスター達のように特殊な戦闘訓練を受けてきたわけではない。
 なのに、人が死ぬことや自分が傷付くことを、どうしてこんなにも客観的に見ることができる? なぜ何の感情も感慨もわかない……。
 それは私が――

『この世界を壊すために飼われてきたドール。ソレがアタシ達の正体』

 ――ドールだから?
「おい、そこの引きこもりお子様ランチ」
「誰がだ!」
 床を這ってきたレヴァーナの顔面を踏みつけながら、私は唾を飛ばして怒声を浴びせた。
「痛いじゃないか」
「なら言うな!」
 全く痛くなさそうに言って立ち上がるレヴァーナに、私は歯を剥いて激情を叩き付ける。
「また何か変なことを考えていただろ。キミがそういう目をしている時は、思い悩んで落ち込む一歩手前だ。教会で何があったかは知らんが、一人で抱えてないで打ち明けた方がいい。どうやらキミは自己解決が苦手のようだからな」
 逆三角形の目で睨み付けるようにしてコチラを見ながら、レヴァーナはいつになく真剣な顔付きで言った。
 ……全く、コイツに見抜かれるようになってしまっては私もお終いだな。
「先輩。一人で考えるより三人で考えた方がきっといい案が浮かびますよ」
「ああ……そうだな」
 気丈な笑顔を浮かべて言うルッシェに、私は含み笑いを漏らしながら頷いた。
 この子も今は自分の気持ちの整理で手一杯のはずなのに……。
 落ち込んでイジケてしまいそうになった時は、ルッシェのように無理矢理明るく振る舞うのも一つの手かもしれないな。
「分かった。それじゃ私から話そう」
 私は窓際に置いてある椅子に腰掛け、教会で見たことと聞いたことを喋った。
 教会が裏表の構造になっていたこと。『終わりの聖黒女』と呼ばれているミリアムという女性に会ったこと。彼女が死にたがっていること。私がミリアムの姉で、ドールだと言われたこと。そして、過去に私を苦しめたのはジャイロダイン派閥ではなく、ミリアムだったということ。
 だが、レヴァーナがラミスの駒だと言われたことだけは話さなかった。
「なかなか刺激的な話だな」
「どこまで本当なんでしょうね……」
 全てを聞き終えた二人は、難しい表情で呻くように呟いた。
「さぁな。だが少なくとも私はドールじゃない。亜空文字に触れても真実体になんかなれないし、ドールのように大きな力が出せるわけじゃない。だからコレは明らかに嘘だ。多分、私の気持ちを揺さぶるために言ったんだろう。自分の過去を根本から覆されれば、誰だってショックだろうからな」
「つまり、そのミリアムとかいう女はキミを絶望させるためにデマカセを言ったと」
「そうだ」
 ミリアムは恵まれた環境で育った私を心の底から憎んでいた。だからその復讐の一環としてあんなことを言った。そうとしか考えられない。
「なるほど。で、キミが昔に受けた屈辱の舞台の立て役者がミリアムであるという話。ソレは信じるのか?」
「一応、な」
「根拠は?」
「ない。直感だ」
 取り合えず言っていた内容に矛盾はなかった。ラミスが今さら自作自演までして私を勧誘してきたのも、あの時の犯人が別人だったということであれば納得できる。
 そして何よりあの目つきだ。
 自分の欲求を満たすためなら手段を選ばない狂信者の輝き。あたかも神であるかのように振る舞い、目障りなモノは己の世界から即消し去る。赤ん坊が気に入らなくなったおもちゃを壊してしまうかのように、単純で短絡的で、そして純粋。
 ミリアムはそういう幼さとも取れる、危うく脆い思考で行動しているように見えた。
 それに――
「まぁ、まだ母を憎んでいるとはいえ、その気持ちが少しでも軽くなったみたいでなによりだ。やはり大切なパートナーが自分の親を嫌っているというのは、お世辞にも気持ちのいいモノではないからな」
「べ、別にお前のためにミリアムの言ったことを信じた訳じゃないっ」
「……? 誰もそんなことは言っとらんが?」
 ベッドの上にあぐらを掻き、首を九十度曲げてレヴァーナはよく分からないといった顔付きで返してくる。
「と、とにかくこれで私の方の話は終わりだ。お前達の方はどうなんだ? あれから何があったんだ?」
 くそっ……。どうしてこんなにも顔が熱いんだ。
 全く、このバカと話していると本当に調子が狂う。実に不愉快だ。
「そうだな。だが残念なことに俺は出血多量だったんで記憶が曖昧なんだ。そんなわけでルッシェ君、よろしく頼む」
「あ、はい」
 コイツ、適当な言い訳で……。大方、自分で話すのが面倒臭いだけなんだろう。
 正座の状態から足を外側にずらして楽な体勢になり、ルッシェは自分のベッドに座り込んで説明を始める。
「先輩が教会に行った後、味方のドールマスターが来たんです」
「随分と反応の鈍いことだ」
「この抗争、最初に攻撃してきたのが教会の方だったので、まだコッチの戦闘態勢が十分じゃなかったんです」
 まぁ、ミリアムの話だと、あのお姫様の独断で抗争を始めたようなモノだから、教会側の方も十分な準備期間があったとは思えないが……。それでも向こうはジェグがいる分、戦い慣れてるドールマスターが多いんだろう。
「そしたら、王宮の方から鎧兵がやってきて。教会の方のドールマスターはみんな気絶してましたから、王宮としては治安を守るためにコッチの方を敵視するわけですよ」
「王宮の奴等も相当たるんでるな……」
 リヒエルってチビデブが鎧兵追い払った直後くらいに私とジェグがやり合い始めたんだから、もっと早く駆けつけても良さそうなモンだが……。
「で、仕方なく戦った訳か」
「はい。圧倒的でした」
 まぁ、それなりに優秀なドールマスターは揃ってるんだろうが、実戦慣れしてなければ使い物にはならないか。
「圧倒的な強さで、鎧兵を――殺して……」
 ルッシェの顔色が見る見る悪くなっていく。
 完全に血の気が引き、極寒の地に放り込まれたように奥歯をガチガチと鳴らしていた。
「その辺りは俺も少し覚えているな。アレは確かヴァイグルだ。まぁ母のボディーガードのようなヤツなんだが、実際に戦うのは初めて見た。正直、異常な強さと、残虐性だったよ……」
 レヴァーナの言葉が口の中に呑み込まれていく。
 二人の反応からどれだけ凄惨な光景が繰り広げられたのかは容易に想像できた。
「ヴァイグル……」
 そうだ、アイツだ。ラミスが私を勧誘するために家に来た時、一緒に連れていた大男だ。
 確かに身なりからしてただ者ではないと思っていたが……。
「信じられないかもしれないが、アイツは素手で鎧兵を殺すんだ。素手であの分厚い鎧を貫いて、文字通り……体を引き裂く」
「素手、で……?」
 レヴァーナの言葉に私は眉間に皺を寄せる。
 意味が分からない。どんな怪力かは知らないが、人間の領域を遙かに逸脱している。
 ソレではまるで――
「その人は、鎧兵の人達がいなくなると……今度は気絶してる教会側のドールマスターまで……殺して……」
 ルッシェの顔色が全く血の通わない悲惨な土気色にまで変化していく。
「もうそのくらいで良い。十分に伝わってきた」
 私は椅子から立ち上がってルッシェのそばに行き、顔を抱き寄せて頭を撫でた。
「はっきり言って俺達も危なかった。一緒にいたコッチ側のドールマスターもみんな逃げて行ったくらいだからな。まさかあそこまで見境ないとは……。あれじゃいつ味方を攻撃してきてもおかしくない」
「ラミスに言っておくんだな。戦力として使うなと」
「言ったが聞き入れて貰えなかった。『まだ大丈夫』だそうだ」
「『まだ』、ね……」
 何を指標にしているのかは知らないが、よほどコントロールする自信があるんだろう。そして危なくなったらすぐに捨てる気だ。
 実にラミスらしい考え方だ。反吐が出る。
「でも……先輩の家を壊そうとした人達と戦ってくれたのも、あの人なんです」
 幾分落ち着いたのか、ルッシェが私の胸の中から言ってきた。
「お前がやってくれたんじゃないのか?」
「わたしが着いたのは……戦いが殆ど終わってからでした。じゃないと、あんなのわたし一人で何とかできるはずありませんよ……。こんなに弱虫なのに……」
「弱虫はそもそも危険な場所には行かないし、ましてや自分の身を削ってまで他人のドールを守ろうとしない。ヴァイグルの凶暴性を知っていればなおのことだ。お前は強い、ルッシェ。だからもっと自信を持て」
 私の言葉にルッシェは少し涙目になって浅く頷く。
 そんな目に遭っても、恐怖を誤魔化すために明るく振る舞う。少なくとも私には絶対にできそうもない。間違いなく、ルッシェが強いからこそできたことだ。
 ルッシェも、そしてレヴァーナも、明るく振る舞ったり開き直ったり、落ち込みそうになったらちゃんと前向きな防衛反応が働いてくれる。
 私にはない……羨ましい限りの才能だ。
「ま、それから騒動が起きてないところを見ると、ヴァイグルのおかげで少なからず教会の動きを抑制できてるんじゃないのか? 母の見解では『まだ』味方みたいだしな」
「だといいがな……」
 私はルッシェから体を離し、彼女の隣りに腰掛ける。質のいい絹生地のシーツと弾性のあるクッションが私の体を受け止めてくれた。
「さて、コチラからも以上だが……」
「先輩、どうしますか?」
 二人は私の方を覗き込むようにしてみながら声を掛けてくる。
「どうして……私に聞くんだ?」
 半眼になり、私は溜息混じり返した。
「キミは俺達のリーダーじゃないか」
「いつからそうなった!」
「大丈夫。先輩ならきっとできますから」
「勝手に話を進めるな!」
 全く……コイツらは……。
「大体、ルッシェ。お前はラミスの指揮に従って動かないとまずいんじゃないのか? アイツと契約してるんだろ?」
「はい。ですから何か指示が出るまで一緒にいたいと思います」
 そんなことでいいのかオイ……。
 まぁ、別にそれでラミスが困ろうか慌てようが知ったことではないのだが。むしろそうなってくれた方が望まし……。

『敵の仲間が一緒に連れて行って欲しそうにコチラを見ている。どうしますか?』
 ○引き入れる。
 ○首に縄を付ける。

⇒○血の盟約を結ぶ。

「よしルッシェ! これから私達は強固な不可視の鎖で固く結ばれた仲間だ! ラミスの言うことなんかは全部無視して私に付いてこい! 責任は全て私が持つ!」
「分かりました!」
 私の力強い言葉に顔を眩く輝かせ、ルッシェは大きく頷いた。
 よし。これで一つイヤガラセができた。
 この調子であと二、三人、ラミスと契約したドールマスターを引き込んで――
「その目は本筋を見失っている目だな。教会を潰すのがキミの目的なんじゃなかったのか?」
 ……どうして分かるんだ。クソ。
 私は真顔で忠告してきたレヴァーナを一度だけ睨み付けて、すぐに目を逸らした。
「まずはキミが行ったっていう教会の裏側に入り込む方法を考えないといけないようだな。聞く限りミリアムという女性は相当権力を持っているようだ。『ずるい』の一言で何百人もの教会員を動かしてしまうくらいだからな。トップである教総主の居場所が不明である以上、彼女と話をするのがこの抗争を終わらせる近道のようだ。一番手っ取り早いのはまた教会の関係者に案内させることだが、キミと会うという願いが達成された以上向こうからソレを望んでくることはないだろう」
 目を瞑って腕組みしながら饒舌に語るレヴァーナ。いつの間にか完全に仕切っている。
 私がリーダーじゃなかったのか、オイ。
「そうなると何とかしてミリアムを引きずり出すしかないが、どれだけ美味しいエサを撒こうとも彼女の意志で教会の地下から出られないのでは意味がない」
 『美味しいエサ』、ね……。
「かといって何もせずに傍観したところで無駄に傷口を広げるだけだ。見たところ教会とジャイロダイン派閥の戦力は均衡している。このまま戦いが終わるのを待っていては、死者の数が膨大になるだけだ。そして王宮は中立戦力であるためどちらにも荷担しない。よって均衡は崩れない。しかし、だ――」
 レヴァーナはソコで言葉を句切り、面白いイタズラでも思いついた悪ガキのように口の端をつり上げる。
「ソコに第四勢力、我ら『男前レヴァーナとそのお供達』が加われば戦況は必ず変わる!」
「誰がお供だ!」
「大丈夫! ちゃんときびだんごは用意してある!」
「聞いとらん!」
「とにかく正面突破だ! 開かぬなら開かせて見せようデレ期の門! 三人が力を合わせ! 愛と努力と友情を持ってすれば必ずや勝利が訪れる! それが熱血少年の法則というやつだ! 間違いない!」
 熱弁と共にベッドに埋め込まれた。
「鈍器としての方が優秀だな」
 私は銃身を掴んでグリップの部分を軽く叩きながらレヴァーナを見下ろす。
 もうピクリとも動かない。随分と寝付きのいいことだ。
「明日また考えよう。ルッシェ、お前も今日は色々あって疲れただろう。もう寝た方がいい」
「は、はぁ……」
 戸惑いの視線で私とレヴァーナを交互に見つめながら、ルッシェは顔を引きつらせる。
 こうして、抗争勃発の初日の夜は更けていった。

 どこからか入り込んだ冷たい夜風が頬を撫で、私は覚醒を促された。
 月明かりと街灯の頼りない光が室内を薄く照らし出している。窓に掛けられたカーテンが、静かに浮かぶように音もなく舞っていた。
「誰だ……?」
 私はベッドの上に体を起こし、両脇の二人を起こさないように小声で声を掛ける。
 確か寝る前にちゃんと窓を閉めたおいたはずだが。
 風に煽られるカーテンに、小さなシルエットが映し出された。ソレは角と長い尾羽根を持った鳥。
「ハウェッツ……?」
 私はそっとベッドから抜け出して、出窓のそばに歩み寄った。そしてカーテンの向こうに顔を出す。
「よぉ」
 バルコニーの枠に止まったハウェッツが、顔だけをコチラに向けて短く言ってきた。
「何を一人でたそがれているんだ? 全然似合わないぞ」
 私は窓枠を飛び越えてバルコニーに出る。コンクリートのひんやりとした感触が足の裏から伝わってきた。
「お前の方こそ色々と似合わねーことしてんじゃねーか。楽しそうによ」
 第一ストリートを見下ろしながら、ハウェッツはどこか嬉しそうに言う。
「ずっと無言、だったな……。お喋りのお前が珍しい」
 ハウェッツのすぐ隣りの枠に腕を乗せて体を預け、私は横目に見ながら返した。
「別に。あの元気で猪突猛進なお坊ちゃんに圧倒されてただけだ」
「ほぅ、お前でもそんな殊勝な気持ちになるんだな」
「お嬢ちゃんの方には落ち込んでも真っ直ぐに立ち直る方法、伝授して貰ったか?」
「お前は絶対に真似するなよ。気持ち悪いだけだから」
 間髪入れぬ私の言葉にハウェッツはまた嬉しそうに笑った。そして体ごとコチラを向く。私もハウェッツと真っ正面から目を合わせ、呆れたような諦めたような自分でもよく分からない笑みを零した。
「ソレだけ元気なら何の心配もねーな」
「お前に気を遣われるようでは私もお終いだな」
 そしてお互いにまた前を向いて視線を逸らす。
「あの二人がお前のそばにいてくれて良かったよ。アイツらが出てきてくれなきゃ、お前はまた昔みたいにイジケてただろーからな」
「……かもな」
 教会から出てきた直後のことを思い出しながら、私は曖昧な言葉を呟いた。
 否定はできない。あの時の精神状態は、私が初めて殻に籠もった時のモノと殆ど同じだった。怒りにまかせてミリアムを殺そうとして、ハウェッツに裏切られ、そして全壊した家を見て自分の不遇を呪う。
 似たような状況を過去に一度経験したくらいでは、克服できないくらい精神的に追い込まれていた。
 だが、ルッシェが希望をくれて、レヴァーナが元気をくれた。
 あの二人がいなければ、ハウェッツの言う通り今頃私はまた惨めにイジケていただろう。
「俺も昔、あの二人みたいにできてれば、もちっとお前を楽させてやれたんだけどよ。残念ながら、俺の口から出る薄っぺらい言葉じゃお前を怒らせることはできても慰めることはできなかったな」
「お前には感謝してるさ」
 自嘲めいた口調で言うハウェッツに、私はハッキリと言い切った。
「お前には感謝してる」
 そして同じ言葉をもう一度繰り返す。自分の中で反芻するかのように。
「裏切り者なのにか?」
「裏切り者だからだ。八つ当たりでも何でも、誰かに感情をぶつけて体の中から吐き出さないと、私はきっと潰れてた。イジケるとか殻に籠もるとか、そういう生易しいモノじゃすまなかった。多分、自殺を考えただろうな」
「穏やかじゃないね」
「全くだ」
 私を絶望のどん底に突き落とした三年前のことを、驚くほど客観的に見ている自分が何だかちょっとおかしかった。少し前では考えられなかった。
「だから私が今の今まで生きてこられたのは、全部お前のおかげだと思ってる」
「気持ち悪いな。鳥肌立つぜ」
「今度は何本羽根を抜いて欲しい?」
 じと目をハウェッツに向けて言った後、私は苦笑して視線を下げる。
 真夜中だからか人影は全くない。今、この暗い世界にいるのは私とハウェッツだけだ。
 日常とは明らかに異質な雰囲気。周りからは切り離された時間と空間。ソレにも一因はあるのだろう。
 こんなにも素直に言葉が出てくるのは。
「ま、こういう機会でもないと言えないからな」
「あのお坊ちゃんの毒気にでも当てられたか?」
「馬鹿なことを言うな」
「最近似てきてるって自覚はねーみたいだな」
「羽毛布団と羽帽子、どっちがいい?」
 今度は少し本気を混じらせてハウェッツに手を伸ばす。
「ホント、お前も変わったな」
 軽く跳びはねて体を後ろにやり、ハウェッツは微笑しながら言った。
「ソレはお互い様だろう?」
「俺が?」
「教会の地下では昔みたいに噛み付いてこなかった」
 私の言葉にハウェッツの表情が僅かに曇る。
「お前さっき、何か言いかけてたよな。『もしかすると、俺の力は――』何だ?」
 静かな口調の中に強い意志を乗せ、私は目を少し細めて聞いた。
 全壊した家の前でルッシェが話しかけてくる直前、ハウェッツは私に何か言おうとした。しかしソレを遮られ、今の今までずっと押し黙ったままだった。
 だが、ようやく気持ちの整理が付いたんだろう。だから私を起こした。
 二人だけで話をするために。
「ひょっとしたら余計お前に裏切り者って思われるかもしれねーから、正直迷ってたんだが……。あの二人とのやり取り見て話す気になったよ。多分、大丈夫だろうからな……」
「随分ともったいぶった言い方だな。今さら少しくらいのことでは驚かんさ」
 茶化すように鼻で笑いながら、私はおどけて肩をすくめて見せた。
 しかしハウェッツは取り合わず、真剣な表情のまま口を開く。 
「お前が自分のためだけに俺を使おうとする限り、俺はお前を裏切り続ける」
 まるで舞台の役者がわざと強調して喋るように、どこか芝居がかった現実味のない声でハウェッツの言葉が紡がれた。
「……それは、どういう……?」
「三年前、俺をラミスにけしかけた時、お前は完全な私怨で俺を動かそうとした。だから制御不能になった。プロテクトを無視して強引に動かそうとしたからな。けど昼間、教会側のドールマスターに囲まれた時、あん時はレヴァーナとルッシェを助けようとして俺を動かした。だからプロテクトには引っかからずに、俺はお前のイメージ通りに動いた。けどついさっきミリアムを殺そうとした時、お前はまた私怨で俺を動かそうとした。だから言うことを聞かなかった。昔みたいにお前を襲わずにすんだのは、俺がその感情に少し慣れてたってのと、お前の感情があの時より弱かったからだ」
「プロテクト、だと?」
 確かにドールマスターは自分のドールが他人に扱われないよう、ある種のプロテクトを掛ける。しかし、私は自分の亜空文字でしか真実体にできないようなプロテクトを掛けはしたが、他には……。
「誰かのためを思って感情を注がない限り、ドールを扱えないようなプロテクトさ。お前が掛けたんだ」
「私は、そんなこと……」
「無意識なんだろうな、多分。気付いたら孤児院で育てられて、ガキの頃から周りの人間の大切さを知ってたお前は、自然に誰かのためになることをしてきた。力を持ってない奴等に手を差し伸べてきた。だから生み出したドールも自然にそういう仕様になったんだ。けど俺はあの時、その考えとは真逆の強烈な感情を注がれた。だから暴走した。で、お前を裏切ることになって、その時のショックで……今みたいな感情を持っちまった。多分、な……」
 薄々は気付いていた。
 ハウェッツが今のようにお喋りになったのは、あの日からだ。あの裏切った時から、ハウェッツは私にとって唯一の話し相手となり、精神を保つための鬱憤のはけ口になった。
 その事実さえあれば原因などどうでもよかった。それ以上のことは考えたくなかった。私を壊した女のことなど、信じていた者に裏切られた時のことなど。だから目を逸らし続けてきた。
「ショック療法、か……。壊れたモニターじゃあるまいし、笑い話にもならないな」
 そんなことが、感情を持ったドールの創出法……。
 教会の奴等が飛びついてきそうな情報だな。いや、ひょっとしたらアイツらは知っているのか? もし、ミリアムが本当にドールだとすれば……。
「異常なくらい精神ショックを受けちまったけど……ま、ソイツのおかげでお前のストレス発散に付き合えたってんなら別に悪いことだけじゃなかったのかもな」
「しかしそんな単純なキッカケでいいんなら、もっとお前みたいなドールがいてもおかしくないはずだがな」
「普通のドールはショックもクソも、何も感じる神経持ってないからンなことにはならないんだよ。けどお前の創ったドールの場合、どういう訳か最初からちったぁ感情がありやがる。だからヘコむときゃヘコむって訳だ」
 ……なるほど。そういうことか。
「じゃあお前以外のドール達が素直に私の言うことを聞くのはどうしてだ」
 例え私怨で動かしたとしても。
「お前が俺みたいなプロテクトを掛けたドールは全部売っ払っちまっただろ? その後で創り出した奴等はお前がイジケた後だから、そんなプロテクトは掛かってない。だから自分のためだけに動かしても裏切らないってわけだ」
 昔の私が創ったドールと今の私が創ったドールとでは、内面に決定的な違いがあるということか。どうりで、いくら研究に没頭しても以前のような充実感が得られないわけだ。私の精神的な荒廃がドールにも表れていたとはな。
「けど、お前はだんだん戻りつつある。アイツらと話してる時のお前は妙に活き活きしてるからな。特にレヴァーナの奴が相手の時は」
「……そんなことはない。ルッシェも同じだ」
「『活き活き』ってとこは認めるんだな」
「シチューとスープ、どっちがいい?」
 クック、と意地悪く笑いながら言うハウェッツに、私は酷薄な声で返した。
「ま、あの二人がそばにいて、お前がそういうふうになってくれたから俺も話す気になったんだがな。あとは喋り方さえ戻せば、なんとか形にはなるんだがな」
「余計なお世話だ」
 バルコニーの枠の上で軽快なステップを踏んで私の手から逃れるハウェッツに、ダミ声を向けて半眼になる。
「とにかくよ、お前が誰かのために力を使おうって思ってる内は、俺はお前を裏切らないってこった。よく覚えとくんだな」
「……ま、特別に頭の片隅にでも置いといてやる」
 私は仏頂面になって言い、窓の方を向いてバルコニーの枠に背中を預けた。そして部屋の中で眠っているレヴァーナとルッシェに目を向ける。
 誰かのため……ルッシェと、レヴァーナのため、か……。
 できればいいな。もうすでに私は、いくら返しても返しきれないほどの恩を二人から受けている。しかし、頭に血が上ると――
「けどコッチは忘れんなよ、メルム。ミリアムの目的がお前を絶望させることだってのをよ」
 声のトーンを低くして確認するように言うハウェッツ。
「……分かってるさ」
 私は目を瞑り、嫉妬という狂気に駆られたミリアムの歪んだ表情を思い出す。

『――ずるい、ってね』

 ミリアムは私が絶望するのを楽しんでいる。心の底から。ソレが彼女にとって一番の幸せだから。
 だが、逆に言えば私がどんな状況に放り込まれても絶望しなければ、今度はミリアムが絶望することになる。そうなれば何らかのアクションを起こしてくるだろう。私をより確実に絶望させるために。
 ソレこそがミリアムを引きずり出す方法であり、レヴァーナが言っていた『美味しいエサ』だ。
 つまり、私がどれだけ精神的に追いつめられても挫けなければ。例えソレができなくとも表面だけは何とか気丈に振る舞い続ければ、ミリアムはまた何らかの形で接触しようとしてくるはず。
 その時がチャンスだ。 
 その時に会話だけで説得できれば。感情的にならずに、私怨だけで動かずに……。
「なぁ、ハウェッツ……」
「あん?」
「お前はミリアムの言っていたこと、どこまでが本当だと思う?」
「何だよ。結論出てたんじゃないのかよ」 
 ハウェッツは私の肩に止まり、ぶっきらぼうに言う。
「最近、自分の感情がコントロールできなくなる時があるんだ。もしかしたらずっと前からそうだったのかも知れない。ただ人を憎んだことがなかったから気付かなかっただけで」
「カッとなって頭に血が上るくらい誰だってある話だろ?」
「けど、私はその閾値が極端に低いように思う。単純で、短絡的で……」
 まるでミリアムのように。
「それに抗争が始まった時も、誰かが死ぬということに何の抵抗も違和感も覚えなかった。多分、レヴァーナやルッシェの反応が普通なんだと思う」
「何が言いたいんだよ」
 私は深く息を吸い込み、長い溜息のように細く吐き出した。
「私は、ドールなのかもしれない」
 そして目の前の空間を睨み付け、一言一言を確認しながら紡ぐ。
 耳元で聞こえるハウェッツの息を飲む声。しかしソレはすぐに嘆息へと変わり、
「なーにバカなこと言ってんだよ。なんで直情思考だったらドールに繋がんだよ」
 呆れたような声となった。
「ドールには人の命の重さを考える思考回路はないからな。ただ主の命令に従って動くだけだ。例え少しくらい感情を持ったとしても倫理や道徳が身に付く訳じゃない」
「じゃあ何か? 俺は冷徹で薄情なヤツだってのか?」
「そうじゃない。お前は私のために色々としてくれたからな。ただ、感情を持ったドールというのが人間と全く同じになるとは思えない」
 人間的な思考の一部を欠落していたとしてもおかしくない。
 私のように。
「そんじゃお前は誰に生み出されて、いつどこでショックを受けたってんだよ」
「そんなことは分からない。だが、私が教会で生まれたことはほぼ間違いない。ドールを崇拝しているあそこなら、ショックなどなくても最初から人間に近い感情を持ったドールを生み出す方法を確立しているかもな」
「けっ、バカバカしい。あーあ、だな。こんなことならお前に全部話すんじゃなかったぜ。寝よ寝よ」
 不機嫌な声で言いながらハウェッツは私の肩から飛び立ち、部屋の中に入ってしまった。
 アイツはいつも私のことを考えて行動してくれる。私のことを思ってくれるからこそ、憎まれ口を叩き、隠し事をする。
 少なくともハウェッツには人を思い遣る感情がある。非常に人間的で、あまりに人間臭すぎる行動を取る。あんな姿をしていなければ、とてもドールなどとは思えない。
「考え過ぎか……」
 私は呟きながら空を見上げた。
 雲一つない綺麗な暗天には、星々が海辺の砂のように輝いている。
「妹、ね……」
 今まで頭の隅をよぎりもしなかったようなことを沢山聞かされたから混乱しているのかもしれないな。ハウェッツの言うとおり、実に馬鹿馬鹿しい考えだ。
 頭上では淡い金色の弧月が、黒い空の割れ目のように浮かんで私を見下ろしている。途切れることなく、どこまでも続く夜のカーテン。ソコに撒かれた宝石のような星の一つが、
 ――紅く染まった。
「な――」
 続けて轟く爆音と怒号。
 遠くの方からの振動が地面を伝って私のいる宿屋を震わせる。
「おいどうした!」
「何ですか!?」
 すぐに部屋の中からハウェッツとルッシェが飛び出してきた。そしてバルコニーの枠にかじり付き、炎で明るく染め上げられた方角を凝視する。
「ったく、こんな夜中にはた迷惑な話だぜ!」
「あっちは第三ストリート……じゃあまた教会の方から……?」
 確かに、ルッシェの言う通りあの辺りはジャイロダイン派閥の縄張りだ。この闇に乗じて教会が攻め込んできたと考えるのが妥当だろう。ヴァイグルの抑止力も大した効果はなし、か。
「どうするメルム。王宮に任せるか? 俺達も行くか?」
「そうだな。誰かのために力を使うのなら、お前は言うことを聞いてくれるみた――」
 私の言葉がそこで止まった。
 胸の奥に灼けるような痛みが走ったかと思うと、冷たい波が全身を包み込んでいく。
 ……ちょっと待て。あの辺りにあるのは、まさか……。

『姉さんを絶望させるために』

『大切なモノがなくなってることを伝えるために、ね』

 何の前触れもなく、頭の中でミリアムの声が響いた。
「おい、メルム?」
「先輩?」
「クソッ!」
 私はバルコニーの枠を飛び越えて地面に降りると、裸足のまま駆け出す。
「メルム! 待てよ! そのまま行くつもりか!」
 すぐ後ろからハウェッツの声が聞こえてきた。
 うるさい! うるさいウルサイうるさい!
 させない! 絶対にさせない! 絶対に壊させはしない!
 あそこは、あそこは私を育ててくれた……! 大切な……!
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