ひらきなおりのド天然、してくれますか?

★真宮寺太郎の『アイツはアレでいいんだよ』★
 楓の嬉しそうな声を家の外で聞きながら、太郎は塀にもたれて満足げな表情でタバコを吹かしていた。
「切れたんじゃなかったの?」
 ソレを三分の一ほど吸い終えた時、少し遅れて出てきた蘭乱が面白そうな声で話しかけてくる。
「お前に礼を言おうと思ってな。こんなトコ、楓に見られたくないだろ?」
「ワタシが付いてくるのもお見通しだったってわけ」
 マッチをつけ、その火を煙管の火皿に近づけながら蘭乱は返した。
「お前が色々と楓にちょっかい掛けてくれたおかげでアイツは自信を取り戻せた。昔のアイツに戻った。もぅこれで俺に必要とされてるかなんて下らないこと思わないだろ」
「その口振りだと最初から全部知ってたって感じね。でも勘違いしないで。別にアンタのためにやったわけじゃないわ。だからお礼なんて言われる筋合いない。気持ち悪いから柄にもないことしないでよね」
 妖艶に曲げたブラック・ルージュの唇で煙管をくわえ、蘭乱は大袈裟に肩をすくめて見せる。
「それから、色ちゃんは昔に戻ったんじゃないわ。元々持ってた良いところを取り戻したのよ。アンタと長くいすぎたせいで忘れちゃってた大切なモノをね」
「そうだな」
 言われて太郎は苦笑し、溜息混じりにタバコの煙を吐き出した。
 楓は元々、何度失敗してもできるまでやり通す女だった。
 失敗すればやり直せばいい。その気があるならどんなことだってやり直しがきく。
 それは二年前、太郎が楓から教わったことだ。
 昔の自分は失敗が恐かった。記憶にはなくとも深層心理に植え付けられた恐怖の光景。かつて、自分の失敗のせいで色葉楓という初恋の教師を失うことになってしまった。
 だから失敗を恐れた。そして他人との関係を必要最低限に押さえ、自分の身の回りのことにのみ集中してソレら全てを完璧にこなしてきた。
 もう二度と失敗しないように。もう二度と悲しい過ちを犯さないように。
 しかし、今自分のそばには楓がいる。大切な女性が近くで笑ってくれている。
 致命的で絶対に取り返しなど付かないと思っていた過去の過ちを解消することができた。その証とも言うべき存在を手に入れることができた。
 どんな失敗でもやり直せる。
 太郎は楓のおかげで身を持って実感できた。そして揺らぎようのない自信がついた。
 失敗を恐れない心。ソレは太郎をより鋭く磨き上げ、持ち前の超人的な力と相まってどんなことでも完璧以上にこなせるようになった。
 失敗などとは無縁の生活。ソレは一緒にいる楓も同じこと。
 しかしそのことが楓から精神的なタフさを奪ってしまった。失敗しないことが当然になってしまい、かつての本来の姿を見失わせてしまった。
 楓が悩んでいるのは自分に責任がある。だから可能な限り手助けしなければならない。
 二年前、楓が自分にそうしてくれたように。
「あの子は強い子よ。きっともう大丈夫だわ」
 そう。もう大丈夫だ。
 楓自身で気付いて貰うため、あまり直接的を言ったりしたりできずに色々ともどかしい思いをしたが、ソレももう終わりだ。
 楓の持つ最強の武器を取り戻した。
「と、ゆーわけだ夜水月。お前の役目もコレで終わりってことさ」
 短くなったタバコを異空間に投げ捨て、太郎は低くした声を何もない空間に向かって発した。
「あらあら、ソッチの方まで最初から知ってたの」
 目を少し大きくして蘭乱は呆れたような表情で言う。
 当然だ。秋葉原の大通りにバナナの皮を置き、『水晶ボンデージガール』を壊しやがったのはコイツなのだから。 
「どーせ楓をヘコまして幽霊界に連れ戻そうとかクダんねーこと考えてたんだろ」
「大アタリー」
 蘭乱は扇で口元を隠しながら、涼しげな顔で言う。
 夜水月が関わっていることは早い段階から分かっていたが目的までは分からなかった。だから一度だけ楓を泳がせた。一人でデパートまでお遣いにやることで。その途中で楓と蘭乱、そして蘭乱と夜水月の会話を聞いた。
 平行世界に身を隠せば誰の目にも触れることなく、堂々と尾行できて実に楽だ。
「俺の気分がいいウチにとっとと出てこいよ。今ならまだ許してやる」
 新しいタバコに火を付け、一口吸い込んだところで蘭乱の隣りの空間が暗くなった。闇はすぐに小さな人型を取ると、大きなシルクハットをかぶった子供の姿になって安定する。
「こ、これは真宮寺様。いやー、相変わらず鋭い感覚をお持ちでいらっしゃるデス。さすがデスデスなー」
 もみ手しながら現れた夜水月は、媚びるような笑いを浮かべてヘコヘコと頭を下げた。
「運がよかったじゃねーか、夜水月。まだ気付かれてないと思って、しつこく楓にちょっかい出してたら『星クズになるがいい』を叩き込んでいたところだ」
「そ、そんなちょっかいだなんて……。ボクは元上司として楓君の再教育をデスね……」
「なるほどねぇ。まぁお前のおかげで楓が元気になったのは事実。なかなかヤルじゃないか」
「お、お褒めにあずかり光栄でございますデス、はい……」
 たださえ小さな体を更に小さくして、夜水月はビクビクとコチラの様子をうかがう。
「その礼と言っては何だが、カレーでも食うか?」
「はい?」
 どこからか取り出したカレーを差し出す太郎に、夜水月は早い間隔でまばたきしながら甲高い声を上げた。
「なんだ、食わないのか? せっかく……」
「ああ! いェいェ! ありがたく! ありがたく頂戴いたしますデス!」
 不機嫌な顔になりかけた太郎の手から大皿に盛られたカレーをひったくり、夜水月は短い腕を必死に動かして口の中にかき込んでいく。
「どうだ? 美味いだろう? 楓が腕に技を仕込んで作り上げたカレーだ」
「う、美味いデス! すんごく美味いデス!」
 とても味わう余裕などないだろうが、夜水月はひたすら褒めちぎりながらカレー平らげていった。そして食べ終わる直前――
「うっ!」
 夜水月が苦しそうな声を上げたかと思うと、突然全身の筋肉が弛緩したかのようにヘナヘナとうずくまる。
「こ、この脱力感は……」
「なぁ夜水月」
 楓カレーによって立ち上がることもできなくなった夜水月を、太郎は冷徹な視線で見下ろした。
「教育もいいが、ちょっとヤリ過ぎたな。あそこまで失敗だらけだと俺に怪しんでくれって言ってるようなモンだ。行動があまりに露骨すぎるんじゃないのか?」 
 そして深く吸い込んだタバコの煙を吐き出す。
「コソコソやりたいんなら、もう少し上手く立ち回らないとな」
 ここ数ヶ月、楓の失敗回数は異常だった。毎日のようにミスを連発。楓の叫び声を聞かない日など一度もなかった。いくら楓でも、あれ程失敗が続いたことはかつてない。
「あ、アレは、違……。ボクは殆ど、やってな……」
「やれやれ。ココまで来てまだ見苦しい言い訳か。よーし、そんな意地っ張りなお前に大サービスだ」
 言いながら太郎はまたどこからか、金のナタと銀のナタと銅のナタを取り出す。
「この三つのナタから好きな物を選べ。それでお前を葬ってやろう」
「は、話が違う……許してくれるって……」
「学習しないヤツだな。『記録と規則と約束は破るためにある』。前にそう教えたろ?」
 四つん這いになり、苦しそうに体をわななかせる夜水月に、太郎は嘆息しながらサラリと答えた。
「く……。じゃ、じゃあ……この女だって同罪だ……」
 顔をしかめて憎々しげな表情になり、夜水月は語調を変えて蘭乱を睨み付ける。
「あーら。ワタシに罪を着せる気?」
「着せるも何も実際に……」
「この女はいいんだよ」
 夜水月の言葉を遮って太郎が短く挟んだ。
「ど、どうして……」
「胸の谷間にホクロがあるからな」
「理由になってないだろーが!」
 憂子バリのツッコミを見せ、力を振り絞って上空とへ飛び上がった夜水月に、太郎は満足げな顔でうなづいた。
「よーし、そんな元気でナイスなお前には更に超サービスだ」
 不敵な笑みを浮かべて言う太郎の手の中で、三本のナタが集まっていく。そして眩い輝きを放ったかと思う、美しい一本のナタに生まれ変わった。
「この七色のナタをくれてやろう」
 嬉しそうに言い終え、太郎は左足を高々と持ち上げて七色のナタを振りかぶり、
「真宮寺最強アターック!」
 叫び声と共に光速で射出した。
 バシュゥ! っという小気味よい声を上げながら七色のナタは音の壁を次々と打ち壊し、夜水月へと急迫する。そしてゴン、という鈍い音を上げて命中した。
 巨大なたんこぶをこしらえ、空からボウフラの死体のように落ちてくる夜水月。しかしその小さな体が中空で静止したかと思うと、明後日の方向へと浮遊していった。
「むぅ、アレに耐えきるとは。なんて非常識な」
「アンタに言われたらお終いね」
「ふ……楓の言うとおり、俺様は最強だからな」
「アンタといると、ホント退屈しないわ。あの人のこと、悲しんでる暇もない」
 クセの強い紅髪を掻き上げながらキザっぽく言う太郎に、蘭乱は苦笑混じりに返す。
「真宮寺、最強なアンタに一つだけ良いことを教えてあげるわ」
 そして夜水月を追おうとした太郎の背中に声が掛けられた。
「女ってね、当たり前すぎて下らないって思ってることほど言葉にして欲しいものなのよ。そういう肝心なこと口にしないトコなんて、ホントあの人にソックリだわ」
「肝臓に銘じておこう」
 腕組みし、胸を強調するかのように持ち上げて言う蘭乱に、太郎は短く返して夜水月が飛んでいった方向へと疾走した。

 鼻先を掠めて黒いヤリが通り過ぎる。耳元で呻りを上げる風の叫声を聞きながら、太郎は夜水月の攻撃を紙一重でかわし続けていた。
「っの! 非常識ヤロウ!」
 灼怒に顔を染め上げ、夜水月はシルクハットの中で収まっていた黒髪を太い縄のように編んで太郎に振るう。よくしなる鞭の如く不規則な軌道を描いて肉薄する髪の毛は、太郎の目の前まで来たところで暗い空間に飲まれて消えた。
「どうした夜水月。二年前より弱くなったんじゃないのか?」
 余裕に満ちた声で言いながら、太郎は二十メートルほど先にいる夜水月の体に右手を伸ばす。骨格や筋肉の作りを無視して長く伸びた腕は夜水月の足を掴み、右腕の収縮と共にその体を引き寄せた。
「こ、の……!」
 必死に太郎の腕を振りほどこうともがくが、手の平に生み出した吸盤がガッチリ捕らえてまるで緩む気配はない。
「いいか夜水月。戦いの基本は――」
 太郎は口の端をつり上げて笑いながら、握り締めた左拳を夜水月の鼻面に叩き付けた。
「鼻――」
 仰け反った夜水月の目元を狙って手刀を入れる。
「目――」
 地面で一度大きくバウンドし、再び頃合いの高さまで飛び上がった小さな体に狙いを定めて拳を打ち出した。
「そしてみぞおちだ」
 大きく後ろに吹き飛び、巨木に背中を叩き付けて勢いを止めた夜水月に太郎は悠然と歩み寄る。
「これでも手加減してやってるんだぞ? お前には世話になったからな」
「けっ……ひ、人の好意は、ありがたく受け入れるモンだぜ……。せ、せっかく楓から解放して……楽にしてやろうと思ったのによ……」
 息も絶え絶えに言いながら、夜水月は腹を押さえつけて太郎を睨み付けた。
「少し、手加減しすぎたか」
 まだ憎まれ口を叩くだけの気力がある夜水月の前に立ち、太郎はタバコを吹かしながら睥睨した。
「アイツはアレでいいんだよ。明るく失敗して、笑って大ボケかましてりゃな」
 そう。楓は無理に変わる必要など全くない。アイツは今のままドジを続けていればソレでいい。苛立つどころか、逆に喜びさえ覚えるほどの不思議なドジを。
 別に今さら自慢するわけではないが、太郎にはどんなことでもできる自信がある。例え太郎以外の生けとし生ける者全員ができなくとも、自分なら上手くできるという確信がある。
 それこそ不老不死だろうと、輪廻転生だろうと、時空跳躍だろうと。
 しかし、それでは面白くなく。最初から何でもかんでもスムーズに事が運んでしまっては張り合いもヘッタクレもない。まったくもってやる気が出ない。
 だからこそ、楓のドジが必要になってくる。
 楓のもたらす数多の紆余曲折、悪鬼の如く立ちふさがる障害を乗り越え、その先にあるゴールをつかみ取った時の達成感。
 ソレはある意味屈折し、実に無駄な労力を割いているだけかもしれないが、太郎はもうそうすることでしか心を満たせない。楓という天然のトラブルメーカーを抜きにしては、何もやる気が起きない。
 太郎は一人で何でもできる。だからこそ一人では何もできない。
 一見、矛盾しているようにも思える理論の答えは、太郎が心身共に楓に依存してしまったということにある。もう楓のいない生活など考えられない。
「けど、アイツがいつまでもヘコんでちゃドジにもキレがない。かといってお前が手伝ったんじゃますます意味がない。俺はアイツがするドジを味わいたいんでね」
「利用するだけしておいて……いらなくなったら切り捨てるか……。お前の考えそうなことだな……」
 木の幹に背中を預けた体勢で力無く立ち上がりながら、夜水月は忌々しげに吐き捨てた。
「お前が言うな。反吐が出る」
 太郎は露骨に不愉快な表情を浮かべ、夜水月を睨み付ける。
 昔、夜水月の一番最初のターゲットは太郎だった。夜水月は太郎を幽霊界に連れて行きたかった。しかしまだ子供だったために成長の余地があり、一時的に見送った。そしてその繋ぎとして楓を選んだ。
 それから十年ほどが経って太郎が成長しきり、いざ幽霊界に連れ込もうとした時に楓を利用した。太郎の精神を揺さぶるための道具として。元々楓は、そのためだけに用意しておいた捨てゴマだったのだ。
「ボクにはもう後がない。コレをしくじったら居場所がなくなるんだ……」
「心配するな。今のお前のポジションより酷いところを腐るほど知っている。閻魔に直接話を通しといてやるよ。今が幸せの絶頂期だって思えるくらい、ドン底の役職をあてがってくれってな」
「……殺してやる」
 挑発的に言う太郎に夜水月は奥歯をギリ、ときつく噛み締めた。
「殺してやる! お前を殺して力ずくで楓を連れ戻すぞ!」
 夜水月の怒声に呼応して、周囲の地面が天空へと吹き上がる。
「大した気合いだ。空回りさせるのが惜しいくらいにな」
「死ねえええぇぇぇぇ!」
 裂帛の絶叫と共に、太郎に向かって黒髪を伸ばす夜水月。しかしソレらは太郎に当たる直前で急速に枯れ果て、力無く大地へと横たわった。
「終わりだな」
 冷めた声で言いながら、太郎は何かを打ち出すように人差し指を二回弾く。
「く……。な、にを……」
 触れられてもいないのに、夜水月は額を押さえてうずくまった。
「俺式デコピンだ。ソレで『一生土下座』と『死んでも服従』の秘孔を突いた。さぁ、本当の不幸はココからだぞ」
 悪魔的な笑みを浮かべる太郎の目の前に、漆黒の球体が現出する。その中から亡者の手が無数に伸びたかと思うと、あっと言う間に夜水月の体を絡め取った。
「ボ、ボクは……! ボクはどうなるんだ!」
「アッチで閻魔に詳しく聞け。まぁ悪いようにはしてやる」
 パチン、と太郎が指を鳴らすと、漆黒の球体は夜水月の断末魔ごと呑み込む。そして跡形もなく消え去った。
「フ……これにて一見落着――」
「するなああああぁぁぁぁぁ!」
 クセの強い紅髪を掻き上げながら言う太郎の後頭部に、何者かの蹴りが突き刺さる。
「む、この足のサイズは憂子か」
「コッチ見て言え!」
 眉と鼻の位置を直しながら微動だにせずに言う太郎に、背後から憂子のツッコミが入った。
「ウチの御神木になんてことしてくれんのよ!」
 さっき夜水月がぶつかった巨木を指さしながら、憂子は小さな体全部を使ってがなり立てる。夜水月を追っている間に、いつのまにか憂子の神社まで来てしまったらしい。
「心配するな憂子、やっぱりお前には巫女服がロリだぞ」
「まともに会話しろ!」
 ぜぃぜぃと肩で息をしながら、憂子は両目を血走らせた。
「だーいじょうぶよ、憂ちゃん。ワタシが何とかしてあげるから」
 しかし後ろから掛かった声で、一気に憂子の顔から血の気が引いていく。
「なかなか面白い見せ物だったわ。柄にもなくちょっと熱くなったちゃった」
 物欲しそうな視線を憂子にまとわりつかせながら、蘭乱は艶笑を浮かべて近づいてきた。そして彼女から逃げるようにして、憂子は太郎の背中に身を隠す。
「これでめでたく邪魔者は消えて、晴れて大団円ってわけね」
 ファー付きのゴージャスな扇で口元を隠しながら、蘭乱は楽しそうに目を細める。
「で? お前はわざわざこんな小さい憂子の神社まで何しに来たんだ?」
「……今、『小さい』はどっちに掛けたの?」
 蘭乱に怯えながらも低い声で後ろから聞いてくる憂子を無視して、太郎はどこからか取り出したタバコに空気摩擦で火を付けた。
「そうね。ハッピーエンドを見届けに来たってトコかしら」
 言いながら蘭乱は社の方に視線をやる。賽銭箱の横から大きなリボンが風に揺られて見え隠れしていた。
 間違いない。楓だ。
 太郎と楓の間には十メートル・ルールという不可視の繋がりがある。ソレによって楓は、太郎の家からココまで飛ばされてきたのだろう。
 しかし何をためらっているのか楓は一向に出で来る様子はない。
「色ちゃん! もう終わったから大丈夫よ!」
 蘭乱が口元に手を添えて大きな声を出す。だが楓は応えない。
「どうしたのかしら……」
「寝てるな」
「寝てるわね」
 心配そうに言う蘭乱の声に、太郎と憂子は同時に言葉を被せた。
 やることがなくなるとすぐに寝てしまうクセは健在だ。
 やれやれ、と太郎は溜息をつき、腕を十メートルほど伸ばして楓の肩を叩いた。
 さすがにビクン、と反応して楓は伏せていた頭をユックリ持ち上げる。そしてキョロキョロと周りを見回し、
「あらあらー」
 太郎達の姿を見つけるとよろけながら立ち上がった。家から寝たままココまで運ばれてきたため、服装はネコビキニのままだ。
「みなさんどうしてこんなトコにー」
 戸惑いの声を上げながらも、楓はおぼつかない足取りでコチラに向かってくる。寝起きなせいか、目を回したトンボのようにフラフラしている。
「あのな、楓――」
「ぃふぇぁっ!」
 そして妙な声を上げ、予想通り何もないところでつまづいて転んだ。
 前にも一度キッチンで似たような光景を見かけたが、ここまで理想的なドジっぷりを見せつけられると何だが照れくさくなってしまう。
 もはや天然記念物モノだが、惜しいかなあと一歩足りない。
「……太郎。アンタ今、ブロンドのウィッグ付けて欲しいとか思ったでしょ」
「何を知れたことを。なぁ小鳥遊」
「まったくだわ」
 憂子の指摘に、斜に構えて返す太郎と鼻血を吹きながら黒髪を梳く蘭乱。
「なんでやねーん!」
 ソコに楓のツッコミが炸裂した。
「今のはー、『何を』と『ことを』を掛けたんですねー。えへへー、今度はちゃんとツッコめましたー」
 砂だらけになった顔で満足そうに微笑みながら、楓はヨロヨロと立ち上がる。
「どうですかー、たーくん。嬉しんで貰えましたかー」
「うむうむ」
 何やらよく分からないが、楓に合わせて太郎は大きくうなづいた。
「そうですかー。実は私も嬉しいですー。ちゃんと残ってたんですねー、十メートル・ルールー」
 ようやく今の状況が飲み込めてきたのか、楓はファミレスメイド服に衣装を替えながら歩いてくる。
 この時の見えそうで見えないチラリズムが素晴らしい。
 パンモロよりもパンチラ。全チチよりも半チチ。
 何か障害がある方が萌えるのは、万物に共通のようだ。
「コレぞ究極のエロチシズム」
「だから真剣な顔で唐突に卑猥なこと言うのやめてくれないかしら」
 隣で冷静に言う蘭乱の言葉を、太郎は華麗にスルーする。
「あー、そーそー。私ー、たーくんに言わないといけないことがあるんですー」
 ようやく目の前まで来た楓が、息を整えながら言った。
「やっと分かったんですー。イヤなモヤモヤの正体がー、原因がー」
「イヤなモヤモヤ?」
 楓の独特すぎる表現に、さすがの太郎も理解が追いつかない。
「たーくんのことやー、失敗した時のこと考えると出てくるモヤモヤのことですー」
 言われてすぐに、「ああ」と思い当たる。
 楓のモヤモヤの原因。
 それは他ならない、太郎自身だ。
 楓は以前、まだ太郎と一緒にいなかった頃は失敗を繰り返しながらも、何度もやり直して最後には自分一人で何とかしていた。しかし一人で何とかするということは、それだけ大きな負担が掛かるということでもある。だが楓はその重荷を物ともせず、ガンバり続けることができた。
 持ち前の精神的タフさ、すなわち――
「私ってー、前はすぐに『もーいいやー』ってなってたんですよー」
 ひらきなおりによって。
 ソレこそが色葉楓の持つ最大最凶の武器。
 しかし、太郎と一緒にいるようになってからは楓の負担は減った。
 以前ならばあっという間にピークに達し、ひらきなおりによって解消していたモヤモヤがなかなか溜まらなくなった。しかし、少しずつではあるが確実に蓄積されていく。結果としてモヤモヤを抱え込む期間が長くなり、イヤな思いを明確に感じ取るようになってしまった。
「でもー、なんか最近なかなかそうならなくなってー、なんでかなーって考えてたんですー。そしたらー、分かりましたー」
 そう。全ては自分の責任だ。
 楓のことを思うが故に引き起こしてしまった無意識の――
「私が年をとらなくなったからなんですねー」
「……は?」
 予想外の結論に太郎は間の抜けた声を上げる。
「私ってー、たーくんの守護霊になった時点で年が固まるんですよー。ずっと昔のままー。外見も中身も変わらないままー。だからー、周りからドンドン置いてかれちゃうー。たーくんも失敗もドンドン新しくなっていくのにー、私だけが昔のままだからー、ちょっと心細くなってイヤなモヤモヤが溜まってたんですねー、きっとー」
「いや、あのな、楓……」
「でも気にしないことにしましたー。そっちの方が楽だしー、久しぶりに『もーいいやー』ってなったからー」
 全てを言い切ってスッキリしたのか、楓はニコニコー、と満面の笑みを浮かべた。
 楓が今回ひらきなおれたのは、ようやくモヤモヤがピークに達したからだろう。だがそんなことには気付かず、楓は的外れな結論で満足している。
 実にバカバカしく、実に楓らしい結論で。
 しかしソレでいい。ソレでこそ楓だ。この天然の発想こそが、自分が楓に求めるモノだ。
「楓、何も心配することはない。お前が変わらなければ、俺もお前の失敗も変わらない。ずっと今のままだ。絶対に置いていったりはしない」
「そうなんですかー?」
「そうだ。間違いない」
「分かりましたー。たーくんがそう言うんなら信じますー」
 太郎の断定的な言葉に、楓は素直にうなずいた。
「だからお前は今みたいにずっと『もーいいやー』ってなってろ。どんな失敗やらかしてもだ。絶対にやり直しきくから。俺がきかせてみせるから」
「はいー」
 自信に満ち満ちた表情で言う太郎に、楓は柔和な笑みを浮かべて返す。
 これでいい。楓は何も難しいことは考えずに天然のまま失敗して、天然のままひらきなおっていればいい。そっちの方が楓も自分も都合がいい。
「楓、やっぱ俺にはお前が必要だよ」
 これからの人生を面白おかしく、そして幸せに過ごすために。
「本当ですかー!? すごく嬉しいですー!」
 太郎の言葉を聞いて感極まったのか、楓は銀のトレイを投げ出して飛びついてきた。
「ぇきゃ!」
 しかし飛距離が足りず、途中で失速して地面と熱烈な口付けを交わす。
「何やってんだか……」
 呆れたような顔付きで、突っ伏した楓を見下ろしながら、憂子はどこかふてくされたようにぼやく。
「アンタのこと大嫌いなのに、ごくたまに一瞬だけ大好きになることがあるから困るわ」
 そして蘭乱が胸元のシルバー・クロスをいじりながら、悩ましげに息を吐いて呟いた。
「言っておくが、俺は三次元では楓にしか興味がないぞ」
「知ってるわよ。それにもし、アンタがワタシに興味持ったりなんかしたら、ワタシはアンタのこと超嫌いになるかも知れないわね」
「ありえん仮説だが、なんか腹立つな」
 よく分からないことを言う蘭乱に、太郎は短くなったタバコを長く再生させて返す。
「ねぇ真宮寺。一つだけ聞いていい?」
「半分にしてくれないか」
「今回はたまたま上手く色ちゃん元気付けられたけど、もしますます落ち込んじゃってたらどうしてたの?」
 太郎の言葉を無視して蘭乱は続けた。
 確かに蘭乱の言うとおり、夜水月のせいで立て続けに失敗を重ねた楓が、さらにイヤなモヤモヤに悩むこともあり得た。極めて低いにしろ、結局ひらきなおれずにそのまま幽霊界に戻ってしまう可能性だってあった。
「そうだな」
 半泣きになって憂子に抱き起こされている楓を見ながら、太郎は細く紫煙を吐き出す。
「その時は、またやり直すさ」
 そして口の端をつり上げて、どこか面白そうに言い切った。
 失敗すればまたやり直せばいい。
 そう強く思い続けている限り、実現できないことなど何もない。叶わない願いなど何一つとしてない。
「そうね」
 静かに返す蘭乱の言葉を聞きながら、太郎はこの上ない充実感を噛み締めた。

 ……おかしい。
「はわわわわー!」
 夜水月がいなくなったというのに楓の失敗が一向に収まらない。
「やっちゃったー……」
 それどころか加速しているようにさえ思える。
 最近、一日一回ではすまなくなってきた。今日もコレで三度目だ。
(見苦しい言い訳じゃ、なかったのかもな……)
 太郎はリビングのソファーに寝そべりながら、パチンと指を弾く。ソレに応えて壊れた水道の蛇口から勢いよく噴出していた水が止まった。
 何をどうやったのかは知らないが、楓が晩ご飯を作っている最中にやってしまったのだ。
「止まりましたー……」
 びしょ濡れになってへたり込み、楓は大きく安堵の息を吐く。
 水を吸ったネコビキニと、厚みを失った楓の長い髪の毛が妙な色気を演出していた。
(うむ。コレはコレでグッドだ)
 組んだ足の親指を立て、太郎は楓の大人っぽい一面にまぶたで拍手を送る。
「あらあらー、びしょびしょですー……」
 本物のネコのように体を揺すって水を飛ばし、楓はコチラに顔を向けてニッコリを笑った。
「ごめんなさい、たーくん。でも次はガンバりますからー」
 その表情からは未来への明るい意思はうかがえても、過去を悔いる後ろ向きな思念は読みとれない。
 そう。それでいい。
 ちょっと前の失敗が、夜水月の引き起こしたモノだろうと、楓が天然でやってしまったモノだろうと、どちらでもいい。
 失敗しても明るく前向きにひらきなおってくれる。
 その事実さえあれば後の細かいことはどうだっていい。
「ああ、次ガンバレ。やっちまったモンはしょーがない」
 ガラステーブルの上に置いたタバコの箱から一本抜き取ってくわえ、ジッポで火を付けながら太郎は半笑いで返す。
「ですよねー。やっちゃったモノはやり直せばいいんですよねー」
 その通りだ。
「でもー、何回やっても上手くできないんですよー。あのぬいぐるみー」
 人差し指をあご先に当て、小首をかしげながら楓は眉をひそめる。
 あのぬいぐるみ。
 それは以前、楓が壊してしまった『水晶ボンデージガール』のぬいぐるみのことだ。
 さすがに水晶で作ることはできないからと、二ヶ月間でかなり上達したぬいぐるみ作りの腕を存分に振るい、『水晶ボンデージガール』作ろうとしてくれている。
 しかしあの細い体つきを再現するのは難しく、かなり手こずっている様子だ。
「別に焦んなくてもいいぞ。俺は何百年でも待っててやるから」
「そうはいきませんー。たーくんにはちょっでも早く嬉しんでもらわないとー」
 楓がその言葉を出すたびに「『喜んで』だろ」と思うが、あえて訂正はしない。
「そこでー、こーゆーの作ってみましたー」
 楽しそうに言いながら楓がどこからか取り出したのは太郎のぬいぐるみだった。
 ――ボンデージ衣装を身にまとった。
「私ー、たーくんのぬいぐるみならー、いくつでも上手にできるんですよー、不思議ー」
 確かに、楓は太郎のぬいぐるみを作るのは上手い。
 それこそ二頭身から八頭身まで体のバランスやサイズも様々で、表情や服装、小道具にまで趣向をこらせてある。
 そして今回の新作。
 ソレは八頭身のリアルな太郎に、黒光りするレザーで作り上げたボンデージ衣装を着せた物だった。しかも恍惚とした表情に仕上げられている。
「いや、楓、あのな……」
 さすがに気持ち悪い物を感じたのか、太郎はソファーから立ち上がってヨロヨロと楓に歩み寄った。
「しかもしかもー、中の方までリアルにー」
 言いながら楓は、ぬいぐるみのボンデージ衣装に手を掛ける。
「ちょ、待……!」
 貞操の危機を感じた太郎は、やめさせようと楓に手を伸ばした。
「ご開ちょー」
 しかし一歩届かず、楓は太郎の目の前でぬいぐるみの内側をさらけ出した。
「ほらほらー、すんごくリアルー」
 すなわち――内臓を。
「たまにはこーゆーのもアリですよねー」
 観音扉のように開かれた太郎のぬいぐるみを自慢げに見せびらかしながら、楓は幸せそうに笑う。そしてその温かな感情が太郎にも伝わってきた。
(コレがホントの、ひらきなおり、か……)
「って、なんでやねーん!」
 ソコにコチラの心を見透かしたかのように楓からツッコミが入る。
「あ、今のはー。『リアル』と『アリ』をかけた私へのツッコミですー」
 嬉しそうに言いながら、楓は再び純真無垢な笑顔を浮かべた。
 蘭乱が見たら出血多量で死にそうなほどの可愛らしい笑顔を。
(ま、いっか……)
 楓がこうして明るく笑っていてくれるのなら。
 異様な姿になってしまった自分のぬいぐるみを見ながら、太郎は溜息混じりに紫煙を吐き出した。
 と、室内にチャイムの音が響き渡る。
 こんな夜遅くに来客のようだ。きっと仕事の依頼だろう。
「はいはーい。今行きますー」
 太郎のぬいぐるみを大事そうに抱いてリビングを出ていく楓。
 その後ろ姿を見つめながら、太郎は頭の中に思い描く。
 次の依頼の内容と、ソレにもれなく付いてくる楓の失敗を。

 〜おしまい〜





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