ロスト・チルドレン -screaming the deadly ambition-

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  Nightmare.1【内面 -anxiety and jealousy-】  

Outer World.
Discarded Laboratory in Underground.
Incubation Room.
AM 08:35

―アウター・ワールド
 地下旧研究所
 培養室
 午前8時35分―
 
View point in アディク=フォスティン

 灼け溶けた肉の臭いが纏わりつく。腐臭を放つ薄茶色の体液が視界を汚す。
 悲鳴とも呻き声ともつかない濁音をまき散らせながら、生命の失敗作達が沈んでいった。
 ああ頭が痛い……。やはりこういう不衛生極まりない場所は遠慮したいものだ……。
「ッハハ! 何だよコイツら! マジにやる気あんのかねぇ! なぁアディク!」
 後ろで喜悦にまみれた哄笑が上がる。ソイツの甲高い声を聞くたびに、頭痛が酷くなっていくのが分かる。大声でリアルネームを……有り得ない。
「死ね! 死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね!」
 罵声、叫声、そして銃声。脳にまで響く不快なフルコーラス。
 ああ煩い……。頭がガンガンする。跳弾でコイツの足でも撃ち抜こうか。
「ソッチはどうよ相棒! 片付いたかぁ!?」
「……別に」
 俺は適当に返し、マグナムのカートリッジを新しい物に変える。そして銃を両手でゆっくりと持ち上げ、トリガーを引き絞った。
 肩を経由し、内臓を大きく揺さぶる反動。金色の弾丸は正確な軌道で少年の眉間を貫通し、脳漿を辺りに飛散させて背後のリアクターに突き刺さった。
 流れ出した黄色の培養液に背中を押され、崩れ落ちるようにして倒れていく変異生命体。
 筋肉の異常発達した赤黒い左肩を痙攣させ、まだ幼い顔立ちとはあまりに不釣り合いな巨躯は、その生命活動を停止した。そして強酸でも浴びせられたように、激烈な臭いを吐き出しながら溶けていく。
「相変わらずのピンポイントだなぁオイ! 差し込んでもないのによ!」
「……別に」
 短く返しながら俺は2発目の弾丸を放つ。頭部に牙付きの花を咲かせている変異生命体が、大きくノックバックして壁に衝突した。そして倒れるようなモーションを見せた直後、節くれ立った指がコチラに向けられる。
「ち……」
 小さく舌打ちしてハンドガン・モードに切り替え、鞭のように伸びて来る指を1つずつ打ち落としていく。目の前で断続的に舞う薄茶色の液体。空気に触れて粘性を帯び、皮膜のようになった体液を突き破って別の指が急迫してきた。
 俺は銃の腹でソレを受け止め、武器を手放して変異生命体との距離を詰める。そしてインプレート・ウェアの手首に取り付けられたポケットから、インサート・マターを取り出し――
「ッハァ!」
 変異生命体が潰された。
 上から振り下ろされた圧倒的な破壊力によって。硬質金属の床にめり込む程に。
「チンタラやってんなよ相棒。こんな寄せ集めグラバッグ共によ」
「……別に」
 口の端を凶悪に吊り上げながら言う単細胞から目を逸らし、俺は溜息を付いて後ろを確認した。
 さっきの奴で全部だ。この薄暗い培養室には、自分達以外に誰も居ない。
「あークソ! まだ喰い足りねぇなぁ! 次だ次! とっとと次行こうぜ相棒!」
 くすんだショート・ブロンドを乱暴に掻きむしり、自称俺の相棒――カーカス=ラッカートニーは野獣のような紅い双眸をぎらつかせた。
「馬鹿言うな。データ抽出してからだ」
 ソレに冷たく返し、俺は先程手放したハンドガンを取り上げる。そして再びマグナム・モードに形態変化させ直し、太腿のガンホルダーに差し込んだ。
 ココまでろくなデータが取れていない。そろそろアタリが欲しいところだが……。
 何も映し出されていない巨大モニターに近寄り、俺はその前にあるコンソール・パネルを操作する。型式はかなり古いモノだ。システムが生きてくれてさえいれば、情報を引き出すのはそう難しい事ではないんだが……。
「……よし」
 何度目かのトライアルに反応したコンソールに、俺は小さく呟いて指を走らせた。黒いモニターに六角形の平面フォルダがいくつも表示される。
 ネットワークは……さすがに死んでるか。テロリスト共の他の研究所の位置が分かれば、上への最高の手土産になったんだが……。
「おぃアディクー。まだかよー」
「コードネームで呼べ馬鹿」
 退屈なのか、割れたリアクターやら外部チューブで遊んでいる馬鹿の言葉を一蹴して、俺はコンソール・パネルを叩き続けた。
 全く、この落ち着きの無さ……。自分より1つ下とはいえ、14になった人間とは思えないな。
 ネットワークが死んでいるのも、ひょっとしてコイツが無意味に暴れたからなんじゃないのか? 大体コイツはこういうミッションに向いてないだろ。こんな大昔の研究所の調査なんか、別に俺1人でも十分なんだ。上の連中は何を考えているんだ……。
「どーせ何も出ねーよ。こんなトコよー。テロの連中だってそんなファッキン・ヘッドじゃねーって。なー、『スペード・ワン』さんよー」
「煩い黙れ」
 そんな事お前に言われなくても分かってる。こんな寂れた研究所、俺だってブレイク・スルーがあるとは思っていない。だがミッションの目的は『最大限の情報収集と施設の爆破』だ。不要だったり既知の情報だったりしても、持ち帰れる物は全部回収するのが鉄則だ。スクールの授業でそう教えられただろう。
「なー、アディクー。やっぱマップとか相手の戦力とか、最初からバッチリ分かってるのは、あんま面白くないなー」
 サイレントブーツの機能をオフにしてわざと足音を立てながら、カーカスは俺のすぐ後ろを歩き回る。
 ああ鬱陶しい。少しはじっとしてられないのか。ただでさえ下らない情報ばかりで苛立っているというのに。
「ステルス・サーチャーか何か知らねーけど、ホント便利な世の中になったモンだよなぁ、相棒」
 バイオドールの育成プログラム。ロスト・チルドレンの生体固有値の重要性。失う人間性と発現するサイキック・フォースの関係について。
 どいつもこいつも時代遅れの情報ばかりだ。どうやら相当初期に立てられた研究所らしい。打ち捨てられて一体どの位経ってるんだ? あるいは敢えてこういう物だけを残しているのか? 俺達のような侵入者を想定して。
 とにかく、今すぐに閲覧できるファイルの中にめぼしい情報はない。後はプロテクトの掛かった物に期待するしか……。
「ん……」
 六角フォルダから派生した無数の三角フォルダの1つに、やたらと容量の大きいファイルを見つけた。しかもムービーファイルではない。プロテクトも掛かっていない。
 何だコレは……。
 取り合えず内容を閲覧してみる。ファイルアイコンが二つに割れ、モニター一杯にブラウザ・ウィンドウが開かれた。
「コレは……」
 表示されたのは黒のバックに白の線で描かれたシンプルなマップ。どうやらこの地下研究所のマップのようだが……。
「おっとぉ。こりゃ大発見だねー、『スペード・ワン』。コッチで事前に握ってた情報がこんな所にもっ。やー、やっぱお前サイコー」
 揶揄するような口調で言ってくるカーカスを無視して、俺はコンソール・パネルを叩き続ける。ソレに合わせて様々な色彩が現出と消失を繰り返し、マップの上でネオン・ボードのように踊った。
「何やってんの? コレ」
 俺の隣りに立ち、カーカスは右肩を大きく回しながら聞いてくる。インプレート・ウェアの密着度合いが完全じゃないのか、そのたびに間の抜けた音が響いた。ああ鬱陶しい……。
「ゲーム?」
 馬鹿の戯言を無視し、俺は目を細くしてマップを睨み付けた。
 コレは単なる施設マップじゃない。この研究所の状態そのものを表示している。
 生体反応は赤点で、機械反応は青点で。どのドアがロックされていて、感知システムがどこに敷かれていて、監視カメラの視界がどこをカバーしているのか。
 そういった内部情報が全てこのコンソールから閲覧できるようになっている。多分、ココだけではなく他のエリアのコンソールでも同じような事が出来るんだろう。ただそのシステムが死んでいるだけで。
 コレを見る限り自分達の生体反応は表示されていない。培養室に赤点は1つもない。政府組織の開発したこのインプレート・ウェアのおかげか。大した物だ。全身に密着したこの黒いラバースーツには、急所を保護するように硬質プレートが埋め込まれ、ソレが同時にメモリー機能や通信機能も果たしている。
 ステルス・サーチャーを使っての完璧な事前情報といい、こういった技術力はテロ共とはレベルが違うな。
 ……ただ、1つだけ気になる事がある。
 地下2階にあるこの培養室、それから地下1階にある研究室。この2つのエリアにはジャミングが掛けられている。遠隔操作に使われる通信電波は遮断されるようになっている。
 ステルス・サーチャーは、人の目にも機械の目にも映りにくい歪曲素材でコーティングされた超小型偵察用ロボット。だがそのステルス素材のせいで、どうしても電波の受信感度が落ち、ほんの少し妨害されただけで機能しなくなる。
 つまり、少なくとも培養室と研究室では動けなかったはずなんだ。
 だが事前に渡された研究所マップデータには、2つのエリアの詳細が記録されていた。ステルス・サーチャーから抽出したデータだと言って渡された……。
 ……いや、考えるのはよそう。今しなければならない事は、『最大限の情報収集と施設の爆破』。余計な詮索はしなくていい。兵隊は考えない。ただ上からの命令を忠実にこなすだけだ。
 アレコレ悩むのは面倒だしな……。
 どうせモニターに表示されている情報が誤っているとか、テロ風情のジャミングなどステルス・サーチャーには通用しなかったとか、そんなところだ。
「次に行くぞ」
 インプレート・ウェアの内蔵メモリーにコンソール内のデータを全て保存し、俺はガンホルダーからマグナムを抜き取る。
「待ってましたぁ!」
 変異生命体の臓器で遊んでいたカーカスが、喜々とした表情で顔を上げた。インプレート・ウェアが黒だから目立たないものの、今実際コイツの体は……。
 ……やめよう。考えただけで頭が痛くなってくる。
 それにしても、インプレート・ウェアからデータを本部に転送できないところを見ると、やはりジャマーが生きて……。
「ん……?」
 視界の隅で赤い色が動いたような気がして、俺は再びモニターに目を向ける。1つの赤点がこの培養室に向かってきていた。
 おかしいぞ……。さっきまでこんな物は無かったはずなのに……。
「おぃ! 何してんだよ!」
 やはりココのシステムがイカれているのか……? それとも……。
「おいアディ――」
 カーカスの叫び声がそこで止まった。そして反射的に顔が音の方へと向けられる。
 2つある出入り口のうちの1つ。東側に面したホワイト・スケール製のスライドドア。
 その向こう側から、誰かがノックする音が聞こえた。
 音の出た高さからして体長は1.5メートル前後。ある程度の知能を持った生命体。移動速度は時速にして約60キロ。
 事前情報には無い。
 何だ。あの扉の向こうに居るのは。
「へっ……」
 隣でカーカスが薄ら笑いを浮かべ、手首のポケットからインサート・マターを取り出す。ソレを後頭部のスロットに差し込み、大きく開眼して両拳に力を込めた。 
 神経暴走オーバー・ブラスト、か……。危ないヤツを躊躇いもせずによく使う。だが、アイツの判断は正しいのかもな。
 厚さ100ミリはある扉が、出来損ないのバターケーキのように溶けていく。俺は片手でマグナムを構えたまま、もう片方の手でインサート・マターをこめかみのスロットに差し込んだ。
 変化は激的だった。
 物の輪郭が必要以上に鮮明になり、ソレらとの距離がミリ単位で把握できる。
 弾を撃った時の反動は。着弾点のブレは。接触後の破壊力は。ターゲットへのダメージは。その後予想される反撃は。
 銃撃戦に必要なありとあらゆる情報が、頭の中で勝手にシミュレートされていく。
 コレが俺の愛用しているインサート・マター、精密射撃トリガー・ポイントの効果。コイツとこの、形態を自在変化させられるマルチ・シューティングがあれば、取り合えず生き残る自信はある。
 支えを失った扉がコチラ側に倒れ込んでくる。続けてペタペタという湿り気を帯びた音が耳に届き、
「ねぇ……あそぼー……」
 子供特有の甘ったるい声がした。
 そこに居たのは、全身をスッポリと覆い隠す白の貫頭衣を身に付けた、長い赤髪の女の子。光を宿さない目は虚ろに見開かれ、締まりのない口元からは唾液が滴っている。
 明らかに正常ではない。まぁ、この施設に居る時点でどこかキレていなければならないのだが。
「ファイアー・フラワーの前のパーティ・ダンスってとこか」
 彼女を嬉しそうに見ながら、カーカスは腰を落として構える。
 そして俺の角膜に直接埋め込まれたカウンターが反応した。
 視界に表示された数値は396。
「ロスト・チルドレン、か……」
 俺は呟き、マグナムのトリガーを引き絞った。



 ――Lost Children〜screaming the deadly ambition〜――
 
 Nightmare have never been gone...Good luck.



 外に出て来たのは、ミッションを開始してから4時間後の事だった。
 砂埃を抱え込んだ乾燥風が視界を薄く覆う。果てしなく続くひび割れた赤色土が、陰鬱な光景を作り上げていた。
「オッケー、お疲れー。バッチリバッチリじゃーん」
 そんな雰囲気の中、場違いに明るい声が目の前から飛んで来る。
 自分達と同じく黒いインプレート・ウェアに身を包んだ、溌剌(はつらつ)とした容貌の女。腰まであるウォーター・ブルーの髪をポニーテールに纏め、水晶のように透き通った碧眼をコチラに向けてくる。
 ミゼルジュ=レイ。俺達のチームの1人だ。
 見ているコチラまで無理矢理元気を出さなければならないような気がして苦手だ……。名前も微妙に発音しにくいしな……。
「どうだった? 今回のアタシ達のバックアップ」
「……40点だ」
 期待に目を輝かせて聞いてくるミゼルジュに、俺は小さく返してホバーバイクにまたがる。とにかく疲れた。さっさとスクールに帰って報告して、部屋の掃除をした後に熱めシャワーでも浴びよう。
「えー? 何よソレー。一生懸命やってんのにさー」
 ジュラルミンケースに詰め込まれたバックアップ用の機材を抱え、俺の後ろに乗り込みながらミゼルジュは不満げな声を上げる。
「あっ! そーか! きっとアタシのせいじゃないわよね! まー、新人ちゃんに足引っ張られちゃあしょうがないわよねー」
「……お前のせいだ」
 反省の色の無いミゼルジュに低く言い、俺はアクセル・グリップを回した。底部に取り付けられた重力反転装置が働き、細長い流線型の車体が持ち上がる。そして速度メーターの横のオートパイロット・スイッチを押すと、ホバーバイクは音も無く走り始めた。
「なんでよー!」
「テメーが誘導ミスったからコッチはもう少しでロースト・ターキーになるトコだったんだろーが!」
 すぐ近くで併走するカーカスが、歯を剥いて叫んでくる。いつもは鬱陶しいだけの大声だが、今は少し応援したい気分だ。
 ――あのロスト・チルドレンとの戦い。
 もう少しで本当に自爆するところだった。
 俺がアイツの頭部を打ち抜き、カーカスが拳で体を2つに引き裂いたところまでは良かった。だがその後、少し面倒な事が起きた。
 分裂したのだ。
 脳を破壊され、体を半分にされたにもかかわらず、アイツは瞬時にして失った部分を再生させた。そして2人になった。
 腕をもげば3人に増え、腰を消し飛ばせば4人になった。
 とにかくコチラが攻撃を加えれば加えるほど、相手の数は増していった。
 中途半端な攻撃は完全に逆効果。だから焼き払う事にした。
 あの研究所を爆破するために仕掛けて置いた爆弾。ソレを使って跡形も残らず抹消してやれば、いくらなんでも分裂できないはず。
 方法は至って単純。爆弾を仕掛けた場所に“アイツら”を誘導し、コチラが十分に離れたところで爆発させる。生き埋めにならないよう気を付けながら。
 俺はその旨を外で待機しているミゼルジュ達に伝え、案内を頼んだ。彼女達は俺達の位置と研究所のマップ、そして爆弾を仕掛けた場所を全て把握できる。そのためのバックアップ機材だ。あそこには全てのデータを受信できるソフトとハードが揃っている。
 そして今回は幸い、ロスト・チルドレンの反応も捉える事ができた。
 戦況は俺達に圧倒的に有利。後は機械的な作業を効率的に終わらせて、さっさと撤収するはずだった。なのに……。
「だってしょうがないでしょー! いきなりなんだからー!」
「ルセー! その年でライトとレフト間違える馬鹿がどこに居んだよ!」
「ココに居るじゃないのよ! ココに!」
「開き直ってんじゃねーぞ! このドッグ・ビッチイカれ尻軽女が!」
「キャンキャンやかましく吠えるわね! チキン・ディック玉なし野郎のクセに!」
「ンだとコラー!」
「何よー!」
 ……ああ、頭痛が酷くなる。
 まぁ結局、俺が記憶していたマップと爆弾配置で何とかなったが……。あのロスト・チルドレンが攻撃用のサイキック・フォースを使っていたら、今頃どうなっていたか分からない。今回は運良く使わなかったのか、それとも使えなかったのかは知らないが、一歩間違えれば死んでいた。
 多分、バイオドールを素体とした奴なんだろう。出来の悪い人工生命体から生み出された奴だったから何とかなった。
 ――ロスト・チルドレン。
 ソレは一言で言い表せば超人体兵器。たった3人で政府軍の武器庫を壊滅させられた事もあるらしい。その凄まじい力の源は、彼ら1人1人が固有しているサイキック・フォースにある。
 一瞬にして何千度という超高温を生み出したり、逆に絶対零度を生み出したり。瞬間移動できたり、真空の刃を生み出したり。他にも透明化や無機物との同化、そして今回初めて見た分裂。
 他にも目撃例は沢山ある。そのどれもがまるで悪夢のように異常な力だ。
 そしてこの面倒な力が生み出される事になった原因は、言ってみればお家騒動。
 自分の成果を認めて貰えなかった元政府組織の研究者がテロ組織に寝返り、復讐のためにロスト・チルドレンを創り上げた。もうソイツは死んでしまったらしいが、残された技術は他の奴等がしっかり受け継いでいる。そしてどこかに隠れて、戦力を蓄えているって訳だ。
 全く面倒な話だ。ああ頭痛が酷くなる……。
 もっとも、俺達の存在価値は彼らが居るからこそ保たれているのだから、そう邪険に出来ないというのも極めて皮肉な話だが。犯罪者が居なければ軍隊もいらないのと同じ事だな。
「ったく……。いいな。今度からはぜってーテメーは出張ってくんなよ。俺はもうリスリィのバックアップしか信用しねーからな」
「はいはい、お好きにすればー。アタシだってアンタがエクスタシー迎えそうになっても、そのまま拍手して放って置いてあげるから」
「そりゃ嬉しい限りだねー。勝利の女神のアス・クラップ尻踊りって訳か」
「アンタのケツの穴に肘まで突っ込んでやるから覚悟してなさい」
 ……よくもまぁ次から次へと下品な言葉が出てくるものだ。出来ればその頭の回転の速さをさっき活かして欲しかった。
 溜息を付き、俺は顔を後ろに向ける。カーカスの運転するホバーバイクの後部座席。そこにはキャンディ・ピンクのロングストレートを靡かせた女の子が、気弱そうにジュラルミンケースを抱いていた。
 カーカスとミゼルジュの馬鹿馬鹿しいやり取りを、おろおろと見守っている。僅かに上目遣いになり、きょろきょろと細かく頭を動かす仕草に、どうしても小動物を連想させられる。
 リスリィ=アークロッド。
 2、3年前、1人欠けた俺達のチームに配属された可哀想な女だ。年齢は14。俗世間で育ってきた期間が長かったせいか、どうしても甘ったるい思考が抜けていない。だから今のところ足手まとい以外の何物でもない。
「おいアディク! お前も何か言えよ!」
「……遠慮する」
「リーダーは今、新人ちゃんをどう教育するかで頭が一杯なのよー。ねー?」
「えっ? えェッ!?」
 急に話を振られ、リスリィは声を上擦らせた。そして視線を合わせようとして来たところで俺は前を向く。
 アイツの何かを期待するような視線、苦手だ……。
「ほーら照れてないで何か声掛けてあげなさいよー。リーダーらしくビシッとさぁ」
「……別に」
 痛む頭を軽く押さえ、俺はオートパイロットからマニュアルに切り替えた。そしてアクセル・グリップを大きく回し、一気に速度を上げる。
 こういう空気は嫌いだ。さっさと戻るに限る。
 帰るべきインナー・スペースも有視界に捉える事が出来た。迷う心配もない。
「ちょ……! アーディク! 飛ばし過ぎー!」
「……煩い」
 ミゼルジュの悲鳴を無視し、巨大な尖塔が乱立する第9インナー・スペースへと急いだ。

 無人のパスゲートでDNAパターン・チェックを受け、青白い光で覆われたアンダーウェイをホバーバイクで走ること数分。殺菌通路を抜けた先に開けていたのは、醜く肥大化したメタリック・ジャングルだった。
 地面や超高層ビルの外壁は勿論のこと、樹木や愛玩動物にまで金属製のカバーリングがされている。オメデタイ顔付きで道を行き交い、談笑する人間達。彼らが来ている衣服にも、何らかの形で金属が縫い込まれていた。
 政府のお偉いさん方にしてみれば、取り合えず電気信号を流せる金属という素材は何かと便利だそうだ。要はこのインナー・スペースに居る奴等全員を自分達の監視下に置きたい訳だ。いや、操り人形にしたいの間違いか。
 今は俺達だけだが、ゆくゆくはそうなるんだろう。生存競争率の過度な上昇を防ぐ事を目的とした、発展的な平和維持と人権均衡化のためにとかいう、分かったような分からないような大義名分をかざして。
 ……まぁ、別にどうでもいいが。どうせその頃にはきっと死んでる。寿命か、あるいは戦いの中で。だから考えるだけ無駄だ。
 俺は胸中で嘆息し、ホバーバイクをスクールの方に向けて――
「ちょーっと待ったぁー」
 カーカスが車体を横から差し込んで行く手を阻んだ。
「まさかこのまま報告に帰るとか言わないだろーな?」
 そして真紅の瞳を悪戯っぽく輝かせる。
「……ソレが何か」
「おいおいー、コレだから真面目っ子ちゃんはー」
 やれやれと肩をすくめ、カーカスはオーバーアクションで溜息を付いて見せた。
 またかコイツ……。この前咎められたばかりなのに、懲りもせず……。
「久しぶりにスクールから出られたんだ。ショッピングなりベッドインタイムなり、色々やる事あんだろーによ」
「……遠慮する」
 今はこの鬱陶しいインプレート・ウェアを脱いで、シャワーを浴びたいんだ。
「まーまーそー言わずに。たまにはお前も一緒に行こーぜ。世界観変わるファンタスティックなトコ連れてってやるからよ」
 ……ああ、また頭痛が酷くなってきた。
「勝手にしてくれ。興味ない」
 言いながら俺は後ろに乗っているミゼルジュを一瞥する。コチラの意図を察してくれたのか、彼女は苦笑しながらホバーバイクから降り、カーカスのバイクのフロント部分に無理矢理乗り込んだ。
「じゃあコッチの用が済んだら連絡入れるわ」
「ああ」
 ポニーテールを掻き上げながら言うミゼルジュに、俺は短く返してホバーバイクを反転させる。
 俺達は4人で1つのチーム。基本的に固まって行動しなければならない。1人だけスクールに戻って教官に報告すれば不正と見なされる。残りの3人の行動は非常識だと追及される。だからコイツらの用事が済むまで俺はどこかで適当に暇を潰すしかない。
 ……もっとも、いくら裏工作してもバレる時はバレるんだが。
 まぁスクールに戻れば原則外出は禁止だからな。出るには今回のようにミッションを言い渡されるか、比較的重要度の低いタスクを請け負うしかない。
 こうしてたまに出られた外界で、コイツらがガス抜きしたい気持ちも分からないでもないさ。
 ……付き合おうという気は全く起きないが。
 取り合えずいつもの場所でブラブラしようかと、俺がアクセル・グリップを回し掛けた時、
「あ、あの……!」
 後ろから声が掛かった。リスリィだ。
「もし良かったら、私もアディクさんと一緒に――」
「遠慮する」
 彼女の言葉を途中で遮り、俺はシルバー・スケール製の無機質なドライブ・ウェイを引き返した。

 甘く据えた臭いと、濃密な鉄錆びの香り。虚脱と停滞と死が鎮座し、血と暴力と理不尽が闊歩する薄暗い空間。
 さっきまで俺達が居たのがこのインナー・スペースの表の部分だとすれば、ココは真閻だ。死滅戦争前の低階級民族が傷を舐め合い、抉り合って生活している。
 この世界は最初からインナー・スペースとアウター・ワールドに分かれていたんじゃない。死滅戦争が光と影を生み出したんだ。
 もう50年以上も前の話。俺が生まれるよりもずっとずっと昔。
 人間は皇族、勇族、愚族の3つに分かれていたそうだ。その区別はあまりに明確で非情で、どんな事をしても生まれ持った階級を変える事は出来なかった。死ぬまでその運命を受け入れなければならなかった。
 階級の名称からも分かるように、愚族というのはつまり奴隷だ。皇族と勇族に玩具のように扱われ、必要以上に搾取され、不要になったら破棄される。そんな真っ暗な人生を強いられていた。
 当然、不満は募る。そして膨張し、やがて爆発する。
 そして起こるべくして、死滅戦争は起こった。
 技術力で勝る皇族と勇族、そして数で圧倒的に勝る愚族。
 戦いは10年間にも及び、大地の大半は腐敗した。異常に乾いた風と枯渇した土地が広がるだけの死地となった。
 ソレがアウター・ワールドだ。
 アウター・ワールドでは何も生きられない。俺達だってこのインプレート・ウェアを着ていなければ、1時間ほどで干上がってしまう。喉と鼻、それから目に特殊な手術を受けていなければ、まともに呼吸する事も視界を確保する事も出来やしない。空気の成分からして違うんだ。
 だから人は団結した。階級を捨て、残された生活領域を守る事に必死になった。
 そして作り出されたのがインナー・スペースだ。
 最初は今のように金属で覆われた都市ではなかったらしい。地力が衰えていくのを防ぐため、自然とこの状態に発展して行った。そして大事に守っていた土地は、その殆どが冷たい覆いによって隠されてしまった。馬鹿げた話だ。
 だがアウター・ワールドの風は強固な金属さえも徐々に喰い始めている。そして大気の浄化システムも、いずれは活動を停止する。なぜならシステムの動力は、『太陽の亡骸』と呼ばれる精製不可能な化石資源だから。
 あと百年か、十年か、それとも数ヶ月か。 
 また戦争は起きる。
 残された大地と『太陽の亡骸』の利権を巡って、必ず諍いは起きる。
 その時俺は……どうしてるんだろうな……。
 不毛な争いのために血を流しているのか、コイツらみたいにいじけて座り込んでいるのか、それとも……。
「……どうでもいいか」
 誰に言うでもなく呟き、俺は苦笑しながら改めて周りを見回した。
 朽ちて赤茶に変色したグラウンド・メタル。表面に加工処理の施されていないただの鉄板は、一部の大地を剥き出しにしている。第9インナー・スペースの最外周に位置するこの場所は、アウター・ワールドからの風の影響を大きく受ける。
 同じく鉄板の外壁が申し訳程度に建てられているが、そんな物で気体の流れを堰き止められるはずもない。それに外壁自体も使い物にならないくらい穴が開いている。もはや単なるオブジェだ。しかし政府はココを補修しようとはしない。
 この場所に居るのが元愚族の集まりだから。
 結局はそういう事だ。昔よりかなり緩和されたとはいえ、ずっと続いてきた階級制がいきなり無くなる訳じゃない。人の心に根付いた利を貪る感情は、そう簡単に拭い去れる物じゃない。
 そして誰が名付けたでもなく、ココはいつの間にかスラム・エリアと呼ばれるようになった。
 差別は無くならないさ。そして戦争も無くならない。
 だが別にソレでいい。そういう事なら受け入れるしかない。自分1人が不満を漏らしたところで何かが変わる訳じゃない。無駄な努力だと分かっているのなら、しない方が余程ましだ。流されるまま流されて、行き着くところまで行くしかない。
「…………」
 俺は1つの家の跡地で足を止めた。
 いや、元々家なんて呼べるような代物ではなかった。その辺で拾い集めてきた合板やら痩せた木、今にも破れそうな服の切れ端を寄せ集めて形にしただけの、不格好なボロ小屋。
 そう。今俺の周りに沢山ある汚物の掃き溜めが、かつてはココにも1つあった。
 俺が生まれ育った家がココに建っていた。
 だが今はない。使われていた材料は全部持って行かれてしまった。残っているのは俺の寝床だった露出した土と、そこに染み込んだ血の跡だけ。
「はっ……」
 薄ら笑いを口の端に張り付かせ、俺はブーツの底で土を踏みにじる。あの頃とは違う、乾いて固くなった感触が返ってきた。
 ココに来ると鮮明に思い出す。
 朝起きると体が重かった。目の前が真っ暗だった。自分の上に何かが乗っていた。
 そこから這い出ると父親が迎えてくれた。
 苦悶の表情を張り付かせ、首だけになった父親が。
 自分の上に居たのは母親だった。
 腹の中に大事にしまっていた物を全部撒き散らして、赤黒くデコレーションされていた。
 家は無くなっていた。周りに居た奴等は笑っていた。お前の親父、上手くやったもんだなと言っていた。俺が見付からないように、母親の死体の下に隠したと言っていた。
 俺がまだ5歳の時だった。
 何も分からなかった。どうすればいいのか何も。
 悲しめばいいのか、それとも怒ればいいのか。へらへら笑っていればいいのか、周りに居た奴らを片っ端から殺せばいいのか。
 何も分からずフラフラと放浪した。何日か、何週間か、何年か……。
 そして呼び止められた。気が付けばスクールに入れられていた。
 体をいじられ、俺は『オッドカード』のメンバーになっていた。政府公認の特殊工作員の一人になっていた。
 それからただ言われた事を言われた通りにこなし、戦い方が上手くなり、知識が増え、体が大きくなって今の俺が形成された。
 結局はそういう事だ。世の中の殆どの事は、自分の力だけではどうにもならない。欲しがっても与えて貰えない。望んでも叶えられない。
 力強い流れにさらわれて、そのまま決められた道を進むしかない。
 しょうがないさ。そういう事なんだから。俺にはこういう生き方が合っているんだ。
「あっ、あの! ソレ返して下さい!」
 横手から女の声が聞こえた。ソチラに顔を向ける。
「大切な物なんです!」
「大切? コレがかぁ?」
 全身フードを目深に被った細身の女が、刺青を入れた上半身裸の大男に抗議の声を上げていた。
「こんな腹の足しにもならねーモン持ち歩いて……目障りなんだよ」
 男が掲げた手に持っていたのはクマのぬいぐるみだった。耳は両方取れかかり、片目が飛び出し、左脚が異様に伸びた何の価値もない綿と毛糸の塊。
「お願いします!」
 しかし女は必死に叫ぶ。彼女にとっては大切な思い出でも詰まった代物なんだろう。
 だが運が悪かったな。その男の腹が一杯なら絡まれるような事もなかったんだろうが。
「なら金と交換だ」
 男は非情な声で言う。どう見ても蓄えなど無いだろう女に向かって。
「そ、んな……」
 男が持っていたナイフがぬいぐるみに添えられる。女が息を呑む声が聞こえた。
 周りに居る奴等は何も言わない。目の前の暇潰しにただ好奇の視線を向けている。
 そう。コレが正常な反応だ。極力関与せず、流され傍観を決め込む。
「失せろ」
 だとすれば、俺が今している事は異常なんだろう。
「……オッドカードか」
 銃口を向けられ、男は舌打ちして忌々しそうに漏らす。そして素直にぬいぐるみを女に返すと逆方向に消えて行った。勝ち目の無い戦いを回避するくらいの知恵はあるらしい。
「あ、あの……有り難うございます!」
 女はコチラに走り寄り、深々と頭を下げた。
「……別に。気まぐれだ」
 ソレに俺は素っ気なく返す。
 多分、俺の両親もさっきの男のように突発的な思いつきで殺されたんだろうな。そんな考えが少し頭をよぎっただけだ。
「ほら。ちゃんとお兄ちゃんにお礼言いましょうね」
 言いながら女は顔だけ後ろに向ける。隠れていて気付かなかったが、彼女の背中に寄り掛かるようにして、同じく全身フードを纏った奴が小さくなっていた。
 ソイツは女の腕を掴んだまま恐る恐る前に出ると、フードの下からコチラを見つめてくる。
「うー……」
 呻いた声は男の物だった。しかもコイツ、俺よりずっとデカいぞ。今は前屈みになっているが、真っ直ぐ立てば180くらい有るんじゃないのか?
「やだっ」
 だが喋り方はガキそのものだ。
 知的障害者グロスか……。女が妙な話し掛け方をしたのも、ぬいぐるみを後生大事に守っていたのも頷ける。
「こ、こらっ。ちゃんとお礼を言わないと……!」
「やだったらやだっ」
 女よりもこのガキの方がよく分かっている。俺は別に助けようと思ってした訳じゃない。
 本当にただの気まぐれだ。もしかしたら、俺がそのぬいぐるみを取り上げる側に回っていたかも知れないんだ。
「あっ、あのっ。どうも有り難うございました!」
 背中を向けた俺の後ろから女の声が掛かる。ソレに何も返さず、俺はスラム・エリアを後にした。

Inner Space #9.
Governmental Organism.
School Area "Staff Room".
PM 01:28

―第9インナー・スペース
 政府組織
 スクール・エリア『スタッフ・ルーム』
 午後1時28分―
 
View point in カーカス=ラッカートニー

 壁やら天井やら足元やらに埋め込まれた無数のモニター。薄暗く不健康そうな金属部屋の中で、ソイツらが息でもするみたいにして、弱く光ったり強く光ったりを繰り返している。そして俺達以外には誰も居ない。
 全く、いつ来てもマジに辛気くさい所だ。立ってるだけで気分がブルーになってくる。
「以上。口頭報告を終わります」
 が、俺の相棒は相変わらずのポーカー・フェイスで、淡々と今回のミッションの報告を終える。そして右手で顔全体を覆い隠し、軽く一礼して1歩下がった。
 政府お抱えのスーパー・ヒーローズ、オッドカードの基本敬礼だ。アディクの後ろで並んでいた俺達3人も、同じ動作をして下がる。ああ、かったるぃ……。
「よーしヨシヨシ。はいよゴクローサン。ま、細かいトラブルはあったみたいだけど、おーむね問題無しってトコかなー」
 そして目の前のオッサンも背中を丸めたままダルそうに返し、丁度良い位置にあったコンソール・パネルの上に腰掛けた。
 一応コレでもオッドカードをまとめ上げるインストラクターの一人。
 その名をヴェイン=クロスガード。最強にいい加減かつ無意味にテキトーな不良教官だ。
 まるで手入れのされていない赤と黒の入り交じった髪は、フリーダムな曲線を描きながら肩口あたりまで伸びきり、薄く開けられた目は、デブ野郎の筋肉ほどもヤル気無さそうに垂れ下がっている。
 だらしなく胸元の開けられた黒い制服は、ドライサラダみたいにシワくちゃで、履いているブーツはサンダルと見間違えるほどにボロボロだ。コレが俺達のチームを担当してるってんだから、マジにダーク・ブルーだ……。
「……特に問題有りません」
 一呼吸の間をおいてアディクがよく通る声でヴェインに返した。
 おいおい、そりゃねぇぜ相棒。テメーの中じゃ、あのクソッタレなロスト・ガキ野郎とのバトルも、ノープロブレムって訳かい。いやー、凄いねー。マジでソンケーしちゃうよ。さすが頼りになる我がチームのリーダー。
 まぁ、こうして無事生きてられんのもお前のおかげだとは思ってるけどよ。
「オーケーオーケー。分かった分かった分かった。じゃー、いつも通り次のミッションまで各自待機。文書報告はまー、気分の乗った時にでもテキトーに書いてくれればいいぞー」
「了解」
 俺達に背を向け、部屋の奥の方へと消えて行くヴェインにわざわざ敬礼するアディク。
 やーっと終わったぜぇ、この退屈な時間……。マジに死ぬ……。
「あーそうそう。ソレとな」
 と、俺のストレッチを嘲笑うかのようにヴェインは肩越しにコチラを振り向き、
「カーカス。お前がアーケード・ウォールで買ってきたインサート・マターな。アレ危な過ぎるから取り上げといた」
「ちょ――」
「覗きと監視は紙一重〜♪ た〜のしいな〜♪ ル〜ラララ〜♪」
クソ野郎コック・サック!」
 呑気に鼻歌を歌いやがる不良教官に吐き捨てて床を蹴り――
「やめろ」
 真横に伸ばされたアディクの腕で止められた。そしてすぐに目が合う。
 冷たい冷たい、どこまでもクールでクレバーで、そしてその奥でひっそりと息づくクレイジーでマッドな目つき。
 コイツとの付き合いが長いせいか、体が勝手に反応してしまう。そして俺の頭の中でキンキンとウルサい喚き声が聞こえる。
 逆らうな、抵抗するな、ってな。
「没収だけで済んだんだ。有り難く思え」
 刃物のようにさえ映るストレートの黒髪を揺らし、アディクは無表情のまま前を向いた。同時に、いつの間にか硬直していた俺の体にも自由が戻る。
「……わーったよ」
 小さく舌打ちし、俺はアディクの腕を押し返して斜に構えた。いつものように。
 ったく、パブロフ・ドッグかってんだ……。
「アディク=フォスティン以下3名、退出します」
「あー、はいはい。ゴクローサン。ゆっくり休めよー」
 そして俺はミゼルジュに腕を引っ張られるようにして、ヴェインのスタッフ・ルームから出た。

「っだークソ! 何なんだよ! 何だよあのドグサレ野郎は! アレどんだけしたと思ってんだよ!」
 俺達の個室があるリビング・ブロックへと続く通路。合わせ目の無い銀色の金属だけで構成された、色気も飾り気もないクソッタレな空間。
「40万だぞ! 40万! この3年間コツコツコツコツ溜めに溜めてきたのに!」
 ブーツの底を床に叩き付けて歩きながら、俺は隣りのミゼルジュを睨んだ。
「なーんでアタシに言うのよ。見付かったアンタがマヌケだったって事でしょ」
 半眼になり、ミゼルジュは長い水色の髪の毛をアップにまとめ上げながら返してくる。
「だから何で俺だけなんだよ! テメーだって危なっかしそうな光モンとか、ヤバそうなドラッグ買ってたじゃねーか!」
「はぁー? 何のことー? アタシさっぱりだわー」
 ミゼルジュは惚けた口調で言いながら、首の上までスッポリ包み込んでいる制服のカラーを緩めた。そして黒地に黄の縦ラインが4本、左胸に密集して入っている上着を脱ぐ。
 ミゼルジュのコードネーム、『ダイヤ・フォー』を表す識別表記だ。
「買ってたじゃねーかよ! デカい針みたいなナイフとパープル・パッケージの薬! アレぜってー媚薬だろーが! テメーあんなモン使ってナニするつもりなんだよ! その程度の体で上の奴ら抱き込もうってんじゃねーだろーな! 笑わせんな!」
「何でアンタごときにそこまで言われなきゃなんないのよ! 押すか引くくらいしか知らないクソ童貞ブービー・チェリーに! サイズもなきゃテクもないくせに!」
「ンだと! テメー見たことあんのかよ!」
「まん丸お鼻にほっぺにソバカス! アンタのガキっぽいツラ見てりゃ、チェリー臭がプンプン漂って来んのよ!」
「なら見てみやがれ!」
「ッハ! お粗末なモンだったら擦り潰すわよ!」
「ちょ、ちょっと……! 止めてください……! お2人とも!」
 制服のベルトを抜きはなった所で、後ろから待ったが掛かる。
「さっきから……恥ずかしい事、大声で……」
 リスリィは深く俯き、顔面をチリソースのように真っ赤に染めていた。髪の色がカムフラージュ効果を発揮しているようにすら見える。
 ったく、たかがこのくらいで……。ピュアだねー。どこかのビッチ女とは大違いだな。同じチームなんだから少しは見習って欲しいモンだ。
「あークソ、気分悪ぃ……」
 俺は強ばった顔の筋肉をほぐしながら低く呻く。
「男廃業にならなくて良かったわね」
 ハン、と鼻を鳴らし、制服の上着を右肩に掛けて持つミゼルジュ。そして下から出てきたのは迷彩模様のタンクトップ。サイズが一回り小さいのか、ボディーラインがハッキリ見える。
 ……無駄にデカイ胸しやがって。お喋りな口と、変な趣味無くせば割といい女なのによー。
「お前、また増えたんじゃねーか?」
 クセの強いブロンドをわしゃわしゃと掻きながら、俺は溜息を付いて言う。
「……アンタには関係ないでしょ」
 長い水色の髪を尻尾のように振り、ミゼルジュは俺から視線を逸らして不機嫌そうに言った。その首筋に紅い線が走っているのが目に入る。まだ新しい傷だ。
「お前、首はやめとけって。せめて腕とか脚にしとけよ」
「アタシがアタシの体どうしようと勝手でしょ」
 澄んだブルーの瞳に強い感情を宿らせ、ミゼルジュは俺を真っ向から睨み付けた。
 強い強い、呆れるくらいの意地とメンタル・タフネスの塊。けど脆い。
 カリカリに焼き過ぎたモーニング・トーストみたいに、外は固いけど中はスカスカだ。
 ソレが露骨に分かっちまうから、かえって変な同情を買ってしまう。残念ながらアディクの野郎のとは質が違うな。哀れなくらい違いすぎる。
「両親が与えてくださった、ありがたーい体じゃねーか」
「冗談でしょ?」
「当たり前だ」
 嘲笑混じりに言ってくるミゼルジュに、俺は不必要に顔を緩めて返した。
 親の事なんざ考えるだけシナプスの無駄だ。特にコイツの場合はな。
「あの……」
 と、後ろから申し訳なさそうな声でリスリィが言ってくる。
「お2人は……その……ご両親の事、恨んでるん、ですか……?」
 そして何か探るようなたどたどしい喋り方で続けた。
 俺もミゼルジュも少しだけ振り返る。が、すぐにまた前を向き、無言のまま歩き始めた。
 やれやれ……マジに平和だねぇ……。こういう人種はオッドカードの中じゃ極めて貴重だな。
 オッドカードに入るために最低満たしていなければならない条件は2つ。
 20歳未満である事。そして何らかの形で親と別れている事。両方満たしている奴の所にスカウトマンが現れて勧誘する。
 詳しい理由はよく知らないが、要するに“訳アリ”の巣窟って事だ。このスクールは。
 ま、兵器として使い捨てるのに丁度いいとか、どーせそんなところだろうとは思うが。
「すっ、すいませんっ! 変な事聞いちゃって!」
 焦って声を上擦らせながら、リスリィは詫びの言葉を早口でまくし立てる。そして金属の音を響かせ、隣りに走り寄ってきた。
「あぁー、別に気にしちゃいねーけどさ。ココじゃそういう詮索はしない方がいいぜ? タンコブになってる奴が多いからよ。コレ、俺からの貴重な貴重なアドバイス。な?」
 下唇を噛み締め、凄絶な顔付きで歩くミゼルジュを横目に見ながら俺は軽い口調で返す。まぁコイツのに比べたら俺の方は全然ぬるいさ。単に無理心中に巻き込まれかけたのを、親ブッ殺して逃げてきたってだけだからな。
 にしても、リスリィもココに居るって事はソレなりの事情ってヤツを抱えてるはずなんだが……。
 ま、どうでもいいな。そんな下らない事を知ったところで、俺のインサート・マターが返ってくる訳じゃなし……はぁ……。
「あれ? アイツは?」
 どうでもいいで思い出したが、不干渉がモットーのご立派なリーダー様は? さっきから声も姿も見あたらぬ……。
「え? アディクさんなら途中で別れてどこか行っちゃいましたけど。あの……お二人が喧嘩してる時に……」
「あ、そ……」
 ったく、マジにマイペースだよな。あの優等生は。古株かなんか知らねーけど、1人で何でもかんでもやってくれちゃってよ。まぁ、別にいいけどさ……。
「じゃー俺らも解散解散っと。寄るトコあるから俺コッチね。そんじゃな」
 言いながら俺はミゼルジュとリスリィから離れ、T字になった金属通路を小走りに左へと折れる。
「えっ? ど、どこ行くんですか?」
「ストレス発散」
 背中に掛かるリスリィの言葉に短く返し、俺はバーチャル・ブロックへと足を向けた。

 原則として許可無しではスクールから出られないだけあって、内部の設備はかなり充実している。
 シャワーバス、トイレ、キッチン付きの個室がずらりと並んでいるリビング・ブロック。ガン・シューティングやビデオゲーム、ビリヤードにダーツといった娯楽系が集まっているアミューズメント・ブロック。好きな料理を好きなだけ食べられるダイニング・ブロック。まぁその他色々、と。
 中でも俺の1番のお気に入りはココ、バーチャル・ブロック。
 詳しい原理は良く知らないが、コンピューターがコチラの望んだ電子エネミーを作り出してくれて、ソイツと戦う事が出来る。そういうサイバースペースの用意されたブロックだ。要するに外に出なくても実戦経験を積める、お手軽訓練施設ってところか。
「ハーイ、今日は遅かったのね」
 白衣を着たスタッフがコンソール・パネルから目を離し、片手を上げながら言ってくる。彼女の前には八重層殻の超強化ガラス。コレを挟んで向こう側にある暗い空間が、愛しい愛しいサイバースペースだ。
 金属製のパーティションによって10のルームに分けられ、中には薄緑色の細い線が立体格子状に走っている。コイツで俺の動きやダメージを追っているらしい。
「午前中はミッションだったんでね。まぁこういう日もあるさ」
 首元を緩めて黒い詰め襟を脱ぎ、俺は後ろに並べられているロングソファーに放り投げた。制服の上着には、緑色の縦ラインが左半分に10本、右半分に3本、密接して入っている。
 俺のコード・ネーム『クラブ・サーティーン』を表す識別表記だ。
「いいのー? 休んでなくって。蜂の巣になって帰ってきてもトマトケチャップの代わりにはならないわよ?」
「喰うのは俺の方だから問題ねーよ」
「相変わらずの強気ねー」
 半笑いになって言う彼女の細い指が、コンソール・パネルの上を滑らかに走る。強化ガラスの一部に縦の亀裂が走ったかと思うと、そこから蒸発するようにして穴が開き、人が1人通れるくらいの入口が出来た。
「ハーイ。今日は3番ルームね。インサート・マターは? いつものセットでいい? それとももっとキツいヤツ、試してみる?」
「いやー、いつもので」
 喜々として聞いてくるスタッフに、俺は首の骨を鳴らしながら返す。
 本当は買ったばかりヤツを使ってみたかったんだがな……ヴェインのクソ野郎が……。ちょっとくらいのイリーガル品、大目に見ろってんだ……。
「オーケー。じゃあダンスのお相手は?」
「ユティス=リーマルシャウト」
 間髪入れずに返した俺の言葉に、彼女は目を丸くして間の抜けた表情を向けてくる。まぁ無理もないか。
「本気? 寄せ集めグラバッグ100体抜きとかにしといた方がいいんじゃないの?」
「マジだよマジ。ちっと味わってみたくてね。最強のロスト・チルドレンの実力ってヤツをよ」
 最強のロスト・チルドレン。そのフレーズを口にした途端、全身を得体の知れない悪寒が駆け抜けていった。ロープ無しでバンジーしたら、きっとこんな気分なんだろう。
 別にビビってる訳じゃない。シンプルに血が騒ぐってヤツだ。コレは。
「まー、バーチャルだから死ぬ訳じゃないけどさー。精神的なショックはそのままダイレクトにフィードバックするよー? トラウマになってもう戦えないなんて事ならないでよねー」
「こんなモンで使い物にならなくなったら、そこまでの野郎だったって事さ。遠慮なくシュレッダーにでも通してくれ」
「若いのにねー。命知らずはコレで2人目、か……。興味深いわー」
 口に手を当てて頷くスタッフに、俺はブロンドをわしゃわしゃと掻きながら顔を向けた。
「2人目?」
「アンタんトコのリーダー。あのクールな子。アディク=フォスティン、だっけ? 彼が名誉あるファースト・チャレンジャー」
 アディク……アイツが……。また……アイツの方が先に……。
「結果は?」
「勿論、負けたさー。まー、アレは殆どシンボル的な意味合いで、勝てるような強さ設定にはしてないからねー」
 そうか……。アイツでも、無理だった……。あのスカした自信過剰野郎でも勝てなかった……。そうか……。だったら……。
「じゃー最終チェックね。持ち込むインサート・マターのデータリストは筋力増強ハイ・ブースト耐久強化ソリッド・アーマ神経暴走オーバー・ブラストの3種類。で、相手はユティス=リーマルシャウト。コレでいいわね?」
「あー」
 彼女の声をどこか遠くの方で聞きながら、俺はサイバースペースに足を踏み入れた。背後で強化ガラスが閉じ、外との繋がりを遮断する。室内に広がった薄緑色の線が四方八方から体を貫通し、一度だけ明るい光を放った。コンソールが立体座標の中に俺の体を認識した合図だ。
 そして握りこんだ手の中で、僅かな熱を感じる。手を開くと3枚の擬似インサート・マターがあった。見た目は通常の物と変わらないが、コイツはこのサイバースペースでのみ有効なデータ体だ。小指の先くらいの大きさしかないソレは、分かり易いように種類別で色分けされている。
 橙の物が筋力増強ハイ・ブースト。一時的に怪力になれる。
 水色の物が耐久強化ソリッド・アーマ。骨や筋肉の頑強性が増す。筋力増強ハイ・ブーストを使った時に掛かる肉体への負荷を軽減するためにも必要だ。
 そして赤い物が神経暴走オーバー・ブラスト。ドラッグを決めた時のような覚醒状態になれる。
 俺は橙と水色を右脇のスロットに、赤を後頭部のスロットに差し込んだ。
 オッドカードに入った時、俺の戦闘適性を調べて開けられたクソッタレな穴だ。体を抉って出来たこの穴にインサート・マターを差し込み、筋肉だか脳だかに電気パルスを送り込む事で、初めてその効果が得られる。
 人間をそのまま兵器にしちまうよな、化け物じみた力が。俺達オッドカードをオッドカードたらしめている力が。
 スロットもインサート・マターもオッドカードの専売特許。どういう訳か他の奴等には付けられていない。まだコイツ自体が実験段階なのか、それとも他に何か理由があるのか。
 そんな物は知らないし、知りたくもない。
 ただコイツは確実に自分を変えてくれる。このイカれたクソの掃き溜めのような世界で、生きる力と意味を与えてくれる。
 ソレだけで十分だ。十分すぎる。余計な事は見たくもないし聞きたくもない。
 俺はコイツで、どこまでも自分の力を高めて見せる。そして、アイツを――
『バトル・プログラム、レディ……』
 サイバースペース内に電子音声が響き渡る。俺は頭を切り替え、視線を前に向けた。
 そこに立っていたのは、俺と同じくらいの身長の男。首辺りまで伸ばした黒髪は勝手気ままに跳ね、薄く見開かれた紅い瞳には危ない光が灯っている。完全にヤク中のソレだ。
 服装は片袖を失った黒のフリースシャツに、足先までスッポリ覆い隠すダメージジーンズ。体のあらゆる場所から退廃という言葉が滲み出ているようだった。
『ゴー!』
 一際大きく上がった開始の合図に、俺は床を蹴って右斜め前に跳ぶ。着地と同時に直角に軌道を変え、真横からターゲットの首筋に狙いを付けた。
「フッ飛べ!」
 右脇にセットした2つのインサート・マターを発動させ、横薙ぎに払う腕に力を込める。今朝、あの巨大な寄せ集めグラバッグを押し潰した一撃だ。まともに入れば頭と胴が、あっと言う間にお別れ。避ける気配はない。このまま振り切って――
「く――」
 受け止められた。
 片腕で。アッサリと。
「あはっ、あはははははっ」
 楽しそうな笑い声。見た目からはとても想像出来ない幼い反応。地下研究所で出て来やがったロスト・チルドレンと同じように。
「――ッ!?」
 何かがすぐ横を通り抜ける。俺は反射的に体を捻り――
『左上腕部切断』
 サイバースペース内に響く電子音声と同時に、左腕の感覚が無くなる。そのままバランスを崩し、俺は床に尻餅を付いた。
 何をした!? サイキック・フォース!? 今のが!?
「クソが!」
 横転して距離を取り、俺は脚の反動だけで身を起こす。クソガキは薄ら笑いを浮かべたまま、何をするでもなくコチラを見つめていた。
 さっき、体を反らすのが少しでも遅れていたらド真ん中から引き裂かれていた。負けが確定していた。
「ん〜ん〜ん〜んっん〜」
 ご機嫌な鼻歌。まともな言葉も喋れないって訳かい。ソレと引き換えの力だもんなぁ。
「最強さんよぉ!」
 叫んで俺は真っ正面から突っ込む。そして後頭部にセットしたインサート・マターを発動させた。直後、視界が激変する。
 ボヤけていた全ての物がクリアになり、背後の光景までもが映し出される。周りの状況を頭が勝手に四次元解釈し、自分の体をどこか遠くの方から見ているような錯覚に襲われた。
 神経が異常に研ぎ澄まされ、時間の流れが遅くなっていく感覚。空気、その粒子、分子、原子、幽子の動きまでもが脳内で再生された。
 ――ロスト・チルドレン。
 そして脳裏に浮かぶ1つのワード。
 バイオチップというナノレベルマシンを脳に打ち込まれ、ソレが体内で安定的に融合する事で生み出される人間兵器。ロスト・チルドレンとなった時に発現するサイキック・フォースの強さは、手放した人間性の量と質に大きく左右される。
 それ故に“失った子供達”と呼ばれる。
 今、目の前にいるユティス=リーマルシャウトは、“最初の”ロスト・チルドレン。
 素体として“人間”を用いた最初の試験例。それまではバイオドールという人工生命体に感情を植え付けて素体としていた。
 だが限界があった。創られた人間性ではある壁を越える事が出来なかった。
 そこで人間に目を付けた。感情が複雑に入り混じり合う、質の良い人間性を持った者を素体とした。
 その狂った発想を実行に移した男の名がジュレオン=リーマルシャウト。
 コイツの父親だ。
「ッハァ!」
 ユティスの眼前で大きく息を吐き出し、俺は右腕を振り上げる。ソレに合わせて持ち上げられる相手の左手。その指先に空気の断層が生じ、真空の刃となって放たれた。
 ――見える。
 上げていた腕を後ろに流して攻撃をやり過ごし、俺は左肩からユティスにタックルを掛けた。そのまま床に叩き付け、顔面に右腕を振り下ろす。
 が、接触する直前、ユティスの体が僅かにブレて消え去った。
 右腕を強引に引き上げ、その勢いで身を起こす。体勢を立て直すと同時に、俺の視界は相手の位置を捉えていた。
 ――見える。
 背後に回っていたユティスの腹に肘を入れる。顔をしかめ、くの字に折れ曲がる体。突き出される顔。そして無防備に晒された顎先に、俺は右の裏拳を叩き込んで――
 ――また消えた。だが見える。
 頭上に浮かぶユティス。奴の両足を引き千切らんと、俺は右腕を真横から叩き付けた。
『脳内神経一部損傷』
 拳の先が脚の付け根に食い込む。肉を裂き、力任せに振り抜いて――
「チ……!」
 右腕が炎に包まれた。
 だが関係ない。このまま押し切れば相手は致命傷。
 俺の勝ちだ。あのアディクが敵わなかった相手に――最強のロスト・チルドレンに――
「な――」
 力が入らない。左腕同様、消え去ってしまったように感覚が無い。
『右腕部全焼。レベル4』
 あの一瞬で。まばたき1回するかしないかの時間で。
「クソッタレがぁ!」
 両足のバネを爆発させ、俺はユティスに向かって飛び上がる。
「死ねクソガキ!」
 そして頭から相手の顔面に突っ込み、
「あああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
 ――眉間に氷塊が生えた。
『頭部損傷。生命活動停止。プログラム・オーバー』
 その機械音声を最後に、俺の視界は暗転した。

 目が覚めると馴染みの顔が俺を覗き込んでいた。
 白衣のポケットに手を突っ込み、度のキツい眼鏡を近付けてくる。
「ハーイ。グッモーニンの気分はどーぉ?」
 俺がロングソファーの上で上半身を起こすのに合わせ、彼女も前屈みになっている体を引いた。
「……どうなった」
 ガンガンと痛む頭を押さえつけながら、俺は込み上げてくる吐き気をなんとか堪える。
「5分23秒。まー、よく頑張った方じゃない? 実際大したモンだと思うよ? ただしさっきの戦い方を実際に行った場合、記憶障害になる可能性があります。神経暴走オーバー・ブラスト使い方、ちょっと荒っぽかったねー。アレを出すなら短時間だけ、それから他のインサート・マターは全部外しちゃってね。併用は体への負荷が大きすぎるから。右腕の方も結構ギリだったねー。まー今回は焼かれちゃったけどさ。アレが無くても筋断裂は免れなかったと思うよ。全治二週間ってところかな。筋骨格の強化系は、相手に当たる直前に発動させて、終わったらすぐに切る。基本中の基本ね。インサート・マターは万能じゃないんだから、出し所をよく考えないとねー」
「けっ……」
 あの状況でそんな悠長な事言ってられるか。
 インサート・マターは万能じゃない? そんな基本的な事、改めて言われるまでもなく分かってんだよ。
 アレはサイキック・フォースとかと違って魔法の力を引き出してるんじゃない。ホルモン分泌量とか電気信号強度とかを変えて、身体能力を一時的に高めているだけだ。言ってみれば合法のドラッグ。使い続ければソレなりの対価を支払わなければならない。
 だが例えそうだとしてもだ。大きなリスクを背負ったとしても、俺にはコレしかない。
 俺の体に開けられたスロットの数は5つ。右と左の脇に2つずつ。それから後頭部に1つ。コレはオッドカードの中でもかなり多い方だ。あのアディクでさえ3つしかない。
 最初に戦闘適性を調べられた時、俺の体ならこのくらい大丈夫だろうと見込まれた。今後成長していけば、5つのインサート・マターの同時使用に耐えられるだろうと認定された。
 そして今まで掛かって確立してきたんだ。自分の戦い方を。
 射撃スキルの低い俺が、グラバッグ共とまともにやり合っていける方法を。
 このお先真っ暗な世界の中で、唯一コイツだけが俺を高めてくれる。俺を守ってくれる。
 俺にはコレしかない。コレが一番の近道なんだ。
 自分を変えて、この世界を変えて、そしてアイツを越える唯一の手段なんだ。
「……で?」
「何?」
「……アイツは?」
「アイツ?」
「アディク」
 俺の言葉に彼女は「ああー」と良いながら、オーバー・リアクションで両手を打つ。
「やっぱりそこは気になるのねー。同じチームで同じフォワード。ライバル心に火が付かない訳ないかー」
「そんなんじゃねーよ」
 制服の上着を羽織りながら低く言い、俺はロングソファーから立ち上がった。
「おっととー、まだ横になってた方が良いと思うわよー。フィジカルは問題なくても、メンタルの方はかーなりキテるはずよー」
「ルせーよ」
 ココに居たら余計に気分が悪くなりそうだ。今はコイツの笑えないジョークに付き合う気分じゃ――
「15分58秒」
 コンソール・ルームを出て行こうとした時、後ろから掛かった声に俺は足を止めた。
「彼は相当スジがいいわね。自分の力を極めて客観的に判断できてる。だから無理な行動は絶対にしないし、チャンスの時は一気に攻める。インサート・マターの出し時も申し分ないわ。彼の1発1発は確実に急所を捉えてた。見てて、もしかしたらって思ったくらいだから。残念ながら最後は力押しで負けちゃったけど、ホント見応えがあったわ。ユティス=リーマルシャウト相手に、あそこまで冷静なバトル、そうそう出来ないわよ」
 アディクを絶賛する彼女の一言一言が、俺の精神に牙を立てていく。自分がどれだけ無能かという事を、何度も何度も刷り込まれているようだ。
 アイツはいつもそうなんだ。何だって俺の上を行きやがる。ソレも1歩や2歩じゃない。20歩も30歩もだ。
 あと1年経ったら……。
 何回も自分にそう言い聞かせてきた。アディクの年は15、俺は14。年齢だけじゃなく、オッドカードに籍を置いている年数も丁度1年の差がある。だからそれだけの期間があれば、きっと追いつける。今から1年後に、今のアディクと同じかソレ以上の強さになっていればいい。今はダメでも、今からまた1年後。その時にダメでもまた次の1年後、そのまた次の1年後。
 そうやって自分に言い訳し続けてきた。
 そして差はどんどん開いていった。
 何が違う? 俺とアイツで一体何が違うと言うんだ? 強くなる努力は絶対にアイツよりもしているはずなのに。
 物事の考え方、捉え方? 趣味や嗜好? そとれも生死感?
 確かに全然違うだろう。だがそんな物が果たして強さに直結するのか?
 引き時と攻め時を見極める冷静な判断力? 自分の力と相手の力を量る把握力?
 確かに俺には欠けているさ。だがソレを補って余りある力がある。圧倒的な勢いで相手を押し潰す力がある。銃のように細かい狙いを付ける動作も、射出から着弾までのタイムラグも無い。相手の命を奪った事をダイレクトに感じ取れる、シンプルな力。
 ソレでは駄目なのか? その武器だけを頼りにしていたのでは限界があるのか?
 だが……俺にはコレしかないんだ。この両拳に頼るしかないんだ。
 今更アディクのように器用な戦い方は身に付けられないし、身に付けるつもりもない。アディクの真似をして、プライドをなげうって掴み取った力では意味がない。
 もっと、アイツのとは違う、全く別の種類の力が欲しい。
 自分を根本から変えて、アディクを大きく越えられて、そしてこの世界を未来を覆すような力が。そのためには、どうすれば……。
「でもま、時には思い切りも必要よ。いざという時の活路は理性じゃなく直感で切り開くもの。ここで20年近く働いてる私からの貴重な貴重なアドバイスよ。ね? まー結局はアディクも負けちゃった訳だしー、敗因は力負けなんだから貴方にもまだまだ芽はあるわよ」
「けっ……」
 ジャスト・アイディアみたいな慰めの言葉を一蹴し、俺はコンソール・ルームを出た。
 とにかく、このままじゃ駄目なんだ。もっと鍛えるか、もっと強力なインサート・マターを手に入れるか、もっと別の――
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