ロスト・チルドレン -screaming the deadly ambition-

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  Nightmare.4【変化 -lost heart-】  

Inner Space #9.
Slam Area.
PM 08:11

―第9インナー・スペース
 スラム・エリア
 午後8時11分―
 
View point in カーカス=ラッカートニー

 夜。
 暗い暗い夜。
 辺りがマジ真っ暗になって、シティ・エリアからの光もマジに殆ど届かないスラム・エリア。
 ズボンのポケットに手を突っ込んだまま、俺は所々土の剥き出しになった金属プレートの上を歩いていた。
 スッキリしない。
 どれだけハイグレードなドラッグを入れても、体の中は空っぽのままだ。何も満たされやしない。
 だが原因だけはハッキリしている。
 アディクだ。
 いつも通り。
 我ながら情けなさを通り越して、ジェラス・ハイになっちまう程いつも通りの事だ。
 昼間のクラスレッスンで自傷癖持ちのお嬢様が出て行って。ソイツを追い掛けて、やる気ゼロの不良教官が出ていって。残った俺達3人は、退屈なクラスルームにしばらく取り残された。
 いつもなら俺は寝直して、アディクは何を考えてるのか分からない顔付きで溜息ばかり付いて、リスリィはどうすればいいのか分からずにオタオタしているはずだった。
 だが今日は違った。
 アディクとリスリィの話し声が聞こえた。思わず自分の耳を疑った。
 あの無表情無感情野郎が、ブレイン・ハッピーちゃんと普通に喋っていた。ぼそぼそと相づちを打っていただけだが、無視するような事はなかった。
 異常だ。異常事態だ。
 何かあったんだ。絶対に何かあったんだ。
 クラスレッスンの前に2人で連れ立って行ったミッション。そこで何かが起こったんだ。
 ミッションの内容は詳しくは知らないが、2人の間を取り持つような甘ったるい何かが起こったに違いないんだ。
 また、差が開いた気がした。
 アイツと俺との間に、『リスリィ』という差が出来た気がした。リスリィとの会話は俺の方が圧倒的にしていたはずなのに、彼女が懐いたのは結局アディクだった。今までろくに口も聞いてくれなかった奴が急に話してくれるようになったから、一気にソチラになびいた。
 別にリスリィに気があったとか、そういうんじゃない。俺は女なんかに興味は無い。
 女は2種類しか居ないからだ。
 娼婦フッカー毒婦ポイズン。どっちもろくな奴じゃない。
 6歳くらいの時だったか。クソ親共と別れてすぐ、俺は知らない奴に拾われた。シティ・エリアに住んでいる、それなりに裕福な家庭だった。どうでも良かったから、あまり深く考えずにソイツらの家に転がり込んだ。
 ソイツらは2人暮らしだった。
 ヒゲ面した50くらいの男と、俺と同年代くらいの女の子。どっちも良い奴だった。
 俺に食い物と服と寝床と、そして安心を与えてくれた。ソレに目隠しされて、何で俺なんかを大切にしてくれるのかなんて考えもしなかった。
 それから1年くらいが過ぎて、俺は女の子の部屋に呼び出された。
 夜だった。
 今みたいに真っ暗で、明かり1つ灯っていない部屋。
 ドキドキしたさ。胸の中が壊れたバイクエンジンみたいにバックンバックン喚いてた。しょうがない。その子は可愛かったから。多分、俺が初めて好きになった女の子だから。
 何が起こるのか楽しみで、俺は彼女に誘われるままに近付いた。
 そして――首筋に痛みが走った。
 ビックリして振り返ると、そこには彼女の父親が居た。手に何かを持っていた。俺が何をしたのか聞くと、ソイツは鬱陶しそうに舌打ちした。今までの優しかった男からは考えられない姿だった。
 太い腕が伸びてきた。俺はしゃがんで逃げた。恐くなって逃げ出した。暗闇には慣れていたから、真っ直ぐに部屋の出入り口から飛び出した。後ろから怒鳴り声が聞こえてきた。
 『待て』とか、『逃げるな』とか。ソレに混じって『薬の量が』とか、『中の物が駄目に』とか、『せっかくの金づるが』とか。『何のために育てて』とか、『殺して奪え』とか、『殺せ』とか、『殺せ』とか、『殺せ』とか『殺せ』とか『殺せ』とか殺せとか殺せとか殺せとか殺せとか殺せとか――
 逃げているうちにだんだん頭がぼーっとしてきて、足が動かなくなってきて、体が重くなってきて。何とか自分の部屋にたどり着いた時には、もう歩けなくなっていた。
 でも大きな足音と小さな足音はどんどん近付いてくる。
 俺は腕で床を這って、ベッドの下から固い塊を取りだした。
 銃だ。
 俺の父親が俺の母親を撃ち殺して、それから俺に向けてきた銃。将来に絶望して、全てを終わらせようとしていた凶器。
 父親が震える手で目の前に持ってきた時、俺は体当たりした。あっけなく床に落ちたソレを拾い上げ、父親の方に向けた。引き金を引いた。大きな音がした。耳の奥がキーンとなった。ソレを持ったまま、俺は逃げた。
 あの時の銃。拾われるまでは俺のお守りだった。どんなに恐くて不安でも、ソレを見れば不思議と落ち着いた。震えが治まった。だからずっと持っていた。
 部屋のドアが開いた。銃を構えた。大きな影を撃ち抜いた。重い音がした。その後ろに小さな影が見えた。また撃った。だが影は動いていた。また撃った。影の動きが遅くなった。また撃った。影は倒れ込んだ。また撃った。もう影は動かなくなっていた。また撃った。弾は出なかった。また撃った弾は出なかった。また撃った弾は出なかった。また撃った弾は出ない、撃った弾は出ない、撃った弾は出ない、撃って出なくて撃って出なくて撃って出なくて撃って出なくて――
 途端に怖くなった。銃が使い物にならない事を知って、俺は泣き叫んだ。
 誰かが大人数で部屋に入ってくるまで、俺は喚き続けて、そして記憶が途切れた。
 気が付いた時、俺は暗い所に捕まっていた。どんな場所かはよく覚えていない。ただずっと震えていた。そしてどのくらいか時間が経って、誰かが呼びに来た。そいつは黒い服を着ていた。
 そして俺はオッドカードのメンバーになった。
 後で聞いた話だ。
 俺を拾ってくれた2人は臓器のディーラーだった。俺の体を切り売りして金に換えるつもりだった。そのために1年間“飼育”していた。そして臓器がある程度健康になったところで、俺をさばこうとした。
 麻酔で眠らせて、もう2度と目が覚めないようにするつもりだった。だがあの夜は麻酔の量を間違えた。臓器の状態を出来るだけ良好に保とうとして、最少量を下回る投与をしてしまった。そして飼い豚に噛み付かれた。
 マジにクソ馬鹿みたいな話だ。どいつもこいつも自分の事しか考えていない。
 親も、あの2人も。人を利用して自分が満足する事しか考えていなかった。だから当然の末路だ。死んでくれて良かった。
 結局、ソイツらには変えていくだけの力が無かったんだ。自分の力だけで先を切り開いていく力が無かった。
 だが俺は違う。俺には力がある。今まで1人で生き延びてきた力がある。この腐った世界を1人で渡り歩いていけるだけの力がある。そしてその力をどこまでも証明して見せる。
 人から与えられる安心なんざ信用できない。自分の力で勝ち取らないと駄目だ。
 だからイツまでもこんな奴に負けている訳にはいかないんだ。
 確かにアディクは凄いさ。どんなド派手なバトルの中でも全く揺れないクールさ。自分と相手のパワーバランスを一瞬でイメージして、すぐにベストな戦略を立てられるファイティング・センス。チキン野郎かと思えば、いきなりビッグコックなマジにヤバい判断力。そして自分の行動への絶対的な自信。
 スゲェよ。マジにソンケーするよ。ケーアイするよ。
 けどソイツを認めるわけにはいかない。
 例えほんの少しでも、コイツに劣っている部分を認めてはいけない。俺はもっと力を付けて、自分を変え続けなければならないんだ。
 その為にまずはアディクを越える。軽く越えてやる。
 そうすればリスリィだって俺になびくはずだ。アイツより勝っているという事を、ハッキリ証明して見せれば――
「……フン」
 ターゲットが目に入り、俺は口の端を吊り上げて小さく笑った。
 運が良いのか悪いのか。まさかこんなに早く現場にエンカウント出来るとは思ってなかった。
「オイ」
 俺は声を低くして言い、上半身の筋肉を見せつけるように晒したデカ野郎に近付く。
 最初は気晴らしのつもりで受けたタスクだった。スクールから出られる理由になってくれれば何でも良かった。そしておあつらえ向きのヤツが目に入った。

 ――《:/スラム・エリアの治安状態を改善せよ:/》――

 外に出られる。憂さ晴らし出来る。そして評価が上がる。
 まさしく俺の為に用意されたようなタスクだった。
「あぁ?」
 男はケンカ腰の声で言いながら、俺を睨み付けてくる。暗くて見にくいが、汚らしいタトゥーが入っているようだ。
「人の物取るってな犯罪だわなぁ。そのくらいそこのガキでも知ってる」
 怯えてうずくまっている子供を一瞥し、俺は鼻を鳴らして男を挑発する。
「またオッドカードか……」
 苛立たしげな男の声。どうやら以前にも俺以外のオッドカードがココに来たらしい。
「返してやれよ。ガキの食いモンなんかじゃ腹の足しになんねーだろ」
 片眉を上げながら言った俺に、男は持っていたパン切れを口の中に放り込んだ。
「テメーらみてーに食いたい時に食えて、寝たい時に寝られるような生活は送ってないんでね。生きる為には何やっても許されるってのがココのルールなんだよ」
 バタフライナイフの刃をチラつかせながら、男はガキに唾を吐きかける。
 大人げないねぇ。ただ、まぁ――
「一理、あるよな」
 こんな時間に外を1人で出歩いてたガキにも落ち度は十分ある。殺されていないだけマシだと思わなければならない。
「よぉ、ぼーず。お前、何してんだ? こんな小汚い場所でよ」
 俺はその場にしゃがみ込み、ボロ切れのフードマントを羽織ったガキの頭をわしゃわしゃと撫で回してやった。
「……ご飯」
「あん?」
「ご飯……もって行ってあげようと思って……」
 俯き、口を小さく開けてボソボソと喋る。
「誰に」
「綺麗な、女の人と……大人の、子供の人……」
「大人の子供ぉ?」
 訳の分からない答えに、俺は思わずハイボイスで聞き返した。ああ、イライラする……。
「コレ、作ってくれたから……」
 言いながらガキは、少し嬉しそうに自分のフードマントを伸ばして見せた。ソレは相手を信頼し、安心しきった表情。
 無理もないか。こんなギリギリの生活を強いられてる状況じゃ、他の奴から少しでも優しくされれば一気に心を許してしまう。
 以前、俺があの2人にそうしたように。
「なぁ、お前……」
 俺はガキの頭から手をのけ、立ち上がって――
「馬鹿だろ」
 最高の侮蔑を乗せて吐き捨てた。
 ガキのツラが泣き顔へと歪む。そしてソレがまた俺をイライラさせる。
「人に頼ってどーすんだよ。テメーの世話はテメーですんのが当たり前だろーが。ンな事やってるから絡まれるんだよ。あーもー、マジかったりぃ……」
 クセの強い髪を掻きむしりながら、俺はガキに背中を向けた。
 あー、クソ。どうすんだよコレ。スッキリするつもりが余計イライラしちまったじゃねーか。本音言うとガキをミンチにしたいところだが、後でバッドトリプりそうだしなぁ……。バーチャルで我慢するしかねーのかよ……。
「なぁ、アンタ」
 スラム・エリアの外に歩き出した俺に、さっきの男が声を掛けてきた。
 まだ居やがったのか……。
「オッドカードにも、色々居るんだな」
 そして俺の前に回り込み、へっへと下品な笑みを浮かべてくる。
「あぁ?」
「いや、アンタとは気が合いそうだと思ってよ」
 コイツ……何勘違いしてやがんだ。マジにイライラするんだが……。
「昨日見た黒髪のスカした野郎。あのオッドカードとはエライ違いだ」
 一瞬、耳の奥で泣き声のような物が聞こえた気がした。そしてのし掛かってくるようなコンプレックス。しかしソレはすぐに殺意へと変わる。
「黒、髪……?」
 俺は足を止め、男に聞き返した。
 このインナー・スペースで、いや世界全体を見渡したとしても、黒髪の人間なんかほんの一握りだ。
 オッドカードで黒髪。その条件だけで誰の事かはすぐに分かる。
「ああ。何かやたらと目つき悪くてよ。ガキのくせにオッドカードだからって……」
「アイツと、違う? 俺が、違う……?」
「え……? あ、ああ……」
 違う。俺はアディクとは違う。そう、その通りだ。
「ああ、違うさ。大違いだ……。一緒にすんなよ、あんな野郎と」
 じゃあどう違うってんだ? 俺とアイツとの違い……。ソイツをどうやって埋めればいい? どうやって、追い越せばいい?
「なぁ……教えてくれよ。どうすりゃいいんだよ……」
「お、おぃ……」
 もうずっとずっと考えてんだ。飽きて嫌になって発狂しそうなくらい考え続けてんだ。
 けど、答えはちっとも見えてこねえんだよ。
「インサート・マターか? コイツの使い方なのか? もっと強力なヤツがあればいいのか? なぁ? なぁ……?」 
「な、何……」
「聞いてんだよ!」
 拳が男の下顎を捕らえた。大きく仰け反り、男は数歩後ろに下がって尻餅を付く。
 イラつく……マジにイラつくぜ……。
 俺は制服の胸ポケットからインサート・マターを取り出し、逆の手を服の下に突っ込んで右脇のスロットを探り当てる。
「俺の拳はな、コイツはな、お守りなんだよ。銃みてーに弾切れもない。敵に奪われる事もない。飯食う時もシャワー浴びる時もクソする時も女犯す時も一緒だ。良い発想だと思わねーか? ココはアディクに勝ってるよな? な?」
 スロットに筋力増強ハイ・ブースト耐久強化ソリッド・アーマを差し込み、ソレを発動させる。
「けど駄目なんだよ。コレだけじゃ。まだ足んねーんだよ。まだインサート・マターが弱いんだよ」
 仰向けに倒れ込んだ男を見下ろす。
「だから……だから!」
 そして右腿に拳を打ち下ろした。
 柔らかい肉感と固い手応えが入り交じり、手の甲の辺りで何かがブチブチと弾け飛んで――
「ッああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
 男の絶叫が轟いた。
 激しくも心地よいデスメタル・コーラスのように。
「手に入れたんだよ……けど取られちまった! あのクソ野郎に!」
 力任せに拳を叩き付ける。何度も、何度も、何度も。
 そのたびに生まれる汚い声、肉のダンス、血の匂い、死へのハイトリップ。
「ッハハ! なぁ! 取られたんだよ! お笑いだろ! 間抜け過ぎる! 貯めに貯めてやっと買えたってのに没収ときた! えぇオィ!」
 生温かい液体がビシャビシャと顔にかかってくる。その中にブヨブヨした固形物が混じっていて、鼻に入って、口に入って……美味い。
「アレさえあれば……! アレさえありゃ勝てるってのによぉ! どーしてくれんだよ!」
 アレがあれば! あのインサート・マター……!
「けどなぁ……そうじゃねぇんだよ」
 自分の口から出た言葉に、頭から急激に熱が引いていく。
「そんなに、簡単な話じゃねぇんだよ……」
 そういう事じゃないんだ。そんな、インサート・マターがどうこうって話じゃない。
「もっと、もっともっと深いトコで……アイツとは差ぁ開けられてんだ……」
 ソレが何だか分からない。だからイライラする。だから不安になる。だから力が欲しくなる。
 こんな下らない苛立ちなど、ケツの穴で噛み砕けるくらいの力が有れば……。
 そうすれば自信が持てる、安心出来る。周りから与えられた物ではなく、自分で手に入れた安心なら安心して身を委ねられる。
「ま、お前に言っても分かんねーだろーけどよ。俺のボーイズ・ビー・アンビシャスな悩み事はな」
 デタラメにデコレーションされたピッツァパイのように変形した男に、俺は唾を吐き掛けて鼻で笑った。
 立ち上がり、ポケットに手を突っ込む。湿っぽい感触が纏わり付いたが、大して気にならなかった。
 そしてそのまま立ち去ろうとして、ガキと目が合った。
 笑っていた。口を半開きにして、目の焦点をセブンス・ヘブンの方向に向けて。
「なかなか笑えただろ? 人間の体ってのはな、こんなにショボいんだよ。ちょっと油断したらすぐバラバラになっちまう」
 軽く肩をすくめ、俺は男の体からはみ出した物を靴の先で踏みつけた。ガキは危ない笑い声を漏らしながら、カクンカクンと首を縦に振る。なかなか良い反応だ。
「次からはこーやって自分を守れよ、ぼーず」
 ガキに背を向け、冷たい夜の空気を肺一杯に吸い込む。少し、スッキリした。ちょっとはイライラがましになった。そのせいか、妙に冷静に考えてしまう。
 ……このままじゃ駄目だ。このままじゃ間に合わない。
 もっと、もっと手っ取り早く力を手に入れて、自分を変えないと……。

Outer World.
Armed Transporter Vehicle
AM 09:29

―アウター・ワールド
 武装運搬車輌内
 午前9時29分―
 
View point in アディク=フォスティン

 壁際に寄せられた固い金属の長椅子から、車輌の振動が直接体に伝わってくる。車体が大きすぎるせいで、重力反転装置が取り付けられていないからだ。おかげで時代遅れのホイール・カー……勘弁してくれ……。
 この揺れといい、まるで牢屋にでも押し込められたかのような閉塞感といい、頭痛を悪化させるには十分過ぎる。あまりの感動で目から胃液が逆流しそうだ。
「――と、ゆー感じで行くから。各チームのリーダーは、この流れをしっかり頭の中に叩き込んでおくよーに」
 冷たい直方体型の空間の先頭に立ち、ヴェインはレーザーポインタでモニターを指しながら言った。寝癖だかパーマだか分からないダークネス・レッドの髪を揺らしながら、相変わらずやる気無さそうに背中を丸めている。
「昨日も言ったが、バックアップは俺が直々にココで行う。お前らは全員で全力で全身全霊でミッションに当たるよーに」
 今回のミッションは3チームで共同して行う事になっている。しかも全員でだ。これから潜り込む対象の規模がそれだけ大きいからだ。
 大人数での共同作業……俺が最も苦手な事のうちの1つだ……。おかげで昨日は頭痛が酷くてあまり眠れなかった。カーカス1人でも手に余るというのに……。
「特にアーーディク。お前のチームは1人欠員なんだからなー。2人のリトルプリンセスの命はお前の双肩に掛かっているぞー」
「……了解」
 下を向いて座ったまま、俺は低く返した。
 まぁ、今回はそのカーカスが居ないから多少は楽かも知れないが。いや……逆か?
 あの馬鹿は今謹慎処分中だ。3日くらい前にスラムの人間を1人殺しやがった。
 アイツがその時に受けていたタスクの内容と、相手がナイフを持っていた事、そして何より殺されたのがスラムの人間だったから1週間程度の外出禁止で済んだらしいが……。
 アレは明らかにやりすぎだ。何もミートボールにする事はない。大体人間相手にインサート・マターを使うなど。多分、薬でも入っていたんだろう。でなけばあそこまで……。
 ……いや、アイツならやりかねないか。何回も見た訳ではないが、1度キレると本当に手が付けられなくなる。そして最近は特にその傾向が強くなってきている気がする。
 理由は……知らないな。考えたくもないし、理解したくもない。このチームの中じゃアイツとの付き合いが1番長いが、1番気が合わない。多分、周りはそうは思っていないだろうが……。
「アディクさん、大丈夫ですか? 気分、悪いんですか? あの、私、吐き気止めなら持ってますけど」
 隣りに座ったリスリィが、俺の顔を下から覗き込みながら言ってくる。
「……別に」
 俺はソレに適当に返し、リスリィから視線を逸らして溜息を付いた。
 カーカスの代わりにコイツとミゼルジュ、か……。ミゼルジュはともかく、何故リスリィまで……。コイツもココに残ってバックアップでいいだろ。人には向き不向きが有るんだ。コイツは戦闘には向いてない。足を引っ張るだけだ。上もソレが分かっていない訳じゃないだろう。それとも、今回の施設では探索がメインで戦闘発生数は少ないだろうという、お偉いさん方の素晴らしい先見でもあるっていうのか。
 大体どうして俺達のチームが選ばれるんだ。欠員しているチームをわざわざ出さなければならない理由は何なんだ。他にも手の空いている奴等は居るだろうに。
 ああクソ。考えるな。余計な詮索はするな。兵隊は考えない、だ。上からの命令をただ忠実にこなす。ソレだけだ。
「リスリィ、アンタ随分リラックスしてるみたいだけど、大丈夫なの?」
 向かいの椅子に座ったミゼルジュが、長いウォーター・ブルーの髪をアップに纏めながら聞いてくる。
「り、リラックスなんてそんな! だ、だって! 初めての、実戦! ですから!」
「ふーん……」
 蒼い瞳を大きくして首を激しく横に振るリスリィに、ミゼルジュは訝しむような声で曖昧に返した。
 初めての実戦、ね……。足手まといどころじゃないな、コレは……。
「どーせパニクってて頭が働いてないだけだろー? 新米ちゃん? ま、初体験は誰だって緊張するさー。痛くて痛くて考えてる暇なんかねーからよ」
 ミゼルジュに隣りに座っている別チームのメンバー、『クラブ・ナイン』が救いようのないくらい頭の悪い発言をしてくる。どこのチームにもいるんだな、こういう手合いは。
 ただ、リスリィがそう言われてもしょうがない。実戦経験皆無の奴がこの大きなミッションに抜擢されたんだ。馬鹿にされるのは当然。
 最初は誰だってそうさ。俺だって同じ事。上の奴等に見下されていた時もあった。だから――
「ならお前の初体験はどうかな」
 俺は『クラブ・ナイン』を睨み付けて言った。
「初めて味方に殺されるかも知れないって思った時、お前はどんなリアクションをしてくれるのかな」
 そして露骨な殺気を混ぜて続ける。
「あぁ?」
「忠告しておいてやる。流れ弾に気を付けろ」
「テメェ……」
 敵意を剥き出しにして立ち上がる『クラブ・ナイン』。俺はソレに嘲笑で返し――ガンホルスターに手を掛けて――
「止めろ」
 ソイツのチームの他のメンバー、『ハート・ワン』が『クラブ・ナイン』を手で制した。
「下らん問題事を起こすな」
 そして『クラブ・ナイン』の肩を押さえつけ、強引に座らせる。
 さすがリーダー。加えて俺よりも年齢が高いだけあって落ち着いてらっしゃる。残念ながらメンバーには恵まれなかったようだが。
「命拾いしたな」
「コイツ……!」
「止めろ。先に仕掛けたのはお前だ」
 俺の挑発にまた鼻息を荒くする『クラブ・ナイン』を、『ハート・ワン』が冷静になだめる。
「それから、お前じゃ勝てない」
 そして付け加えられた言葉に、『クラブ・ナイン』の顔色が変わった。激昂の赤から、忘我の真紅へと。
 やれやれ、このリーダーも止めようとしているのか、けしかけたいのかよく分からないな。結局どこかキレてる事には変わりない、か。
「ほーらほらほら、小僧共ー。もうすぐ散開ポイントに着くぞー。そっからは歩くから、しっかり最終チェックしとけよー」
 いつ殴りかかって来てもおかしくない険悪な雰囲気を、ヴェインの無気力な声が見事に打ち壊した。腐ってもオッドカードを纏めるインストラクターってところか。いや、腐ってるからこそ成せる技か? まぁどうでもいいな。
 俺は『クラブ・ナイン』から目を逸らし、俯いて息を吐く。なんだか、もう疲れたな。早く帰って部屋の掃除でもしたい気分だ。
「あの、アディクさん……」
 インプレート・ウェアの中の空気を抜いていると、リスリィが小声で話し掛けてきた。
「有り難うございました。あの……庇ってくれて」
「……別に」
 手首ポケットの中のインサート・マターの数を確認し、俺は短く返す。
 俺はお前のために言ったんじゃない。こんな狭苦しい場所に押し込められて頭が痛くなってきた時に、たまたま吐け口があったから発散しただけだ。勘違いするな。
 あと、せっかく小声にして貰って悪いんだが、この中じゃ全く意味が無いから。
「私、アディクさんの邪魔にならないように頑張りますから」
 ああ、是非そうしてくれ。出来ればココに残りたいと、ヴェインに強く申し出てくれれば大変助かるんだが。
「ミッション・ロールもバッチリ覚えてきましたから」
 ほぅ、心強いな。
「まずは正面から突入して陽動を行い、敵戦力を引き付けた後に爆破で攪乱する、ですよねっ」
 ……ソレはさっきのチームの奴等のロールな。

 今回のミッションの内容は、前回テロ組織の地下旧研究所に潜り込んだ時と基本的には変わらない。
 則ち、『最大限の情報収集と施設の爆破』だ。
 ただし大きく異なっている点が2つある。
 1つ目は今回の規模の方が格段に大きい事。そしてもう1つは破棄された施設ではないという事。つまり、かなりの不確定要素が絡んでくる。その時の状況に合わせて、迅速に対応しなければならない。俺も他の2人に気を割く余裕が有るかどうかは分からない。
 ただ3つのチームの中では、俺達のチームが最も安全なポジションに居るという事になっている。
 ミッションの大きな流れは、まず『クラブ・ナイン』達のチームが銃撃、爆破などで陽動を行う。そして2つ目のチームが反対側から潜入する。戦闘を避け、データ収集に専念する。もしこの2つ目のチームが全く見付かる事なく、実に運良く、実に手はず良く作業を進めてくれたのならソレで良い。そうなるに越した事はない。その場合、俺達の出番は無くなる。
 だがきっとそうはならない。もし2つ目のチームが見付かったら、彼らはそこから1つ目のチーム同様、陽動班となる。あたかも自分達がメインチームの様なフリをして、施設内を引っかき回す。
 そして次が俺達の出番だ。正真正銘のメインチームとして、施設内の情報を根こそぎ吸い取る。見付かれば戦闘。俺が何とかしている間に、ミゼルジュとリスリィに頑張って貰う。場合によってはチーム内での別行動も十分ありうる。そこはリーダー判断だ。
 本当は4本目、5本目の矢もあった方が良いんだろうが、全滅した時の損失が大きいからな。いくら使い捨ての駒とはいえ、10人以上も一気に無くなったら穴埋めが大変だ。頭数は揃えられるだろうが、使える駒として育てるまで時間が掛かり過ぎる。
 ……多分そんなところだろう。別に誰かに聞いた訳じゃないが。
 まぁ、聞いたところで本当の事を教えてくれるはずもない。例えば、施設内のマップの事前入手法とかな。もう政府組織の技術力に脱帽という事で納得するしかない。
『チーム・ガンマ、そろそろだ。準備はいいか』
 外耳に直接取り付けられた超小型振動機から、ヴェインの声が聞こえる。
「……問題ありません」
 どうやらチーム・ベータから“失敗”の連絡が入ったらしい。こうなる事は分かっていたが、やはり面倒臭い……。期待というのはほんの少しでも抱くべきじゃないな。
 俺はチーム・ベータが地面に開けた穴を見下ろす。ブロンズ・スケール製の金属で形作られた、青銅色の空間がコチラを見返してきていた。
 テロ組織の施設は基本的に地下にある。限られた『太陽の亡骸』を効率的に使うには良い方法だ。清浄化した空気がアウター・ワールドの風に直接触れる事が無いからな。
 しかしソレは人員が少ないからこそ出来る穴蔵作戦。俺達のように大所帯では、穴を掘るだけの費用も労力も無い。
『突入までカウント、10……9……8……』
 後ろに居るミゼルジュの顔を見る。フレッシュ・ブルーの瞳を大きく見開き、地下施設の中をじっと見つめていた。
 少し緊張しているようだがまぁ大丈夫だろう。両手で数えられるくらいだが、彼女には実戦経験もある。こういうのは、1回やっているのとやっていないのとでは格段の差がある。
 問題は……。
「『ハート・テン』」
 顔面を蒼白にして歯をカチカチと鳴らしているお荷物のコードネームを呼ぶ。
「俺の背中を見失うな。お前がやる事はソレだけでいい」 
「あ……」
 そして彼女の震えが少しおさまり、
『ゴー!』
 俺は穴の中に飛び込んだ。
 室内に着地すると同時にマグナムを構え、前方と背後の安全を確認する。
 全体マップで確認した通り狭い部屋だった。シーツの丸められたベッド、散らかったデスク、最新型のオーディオ機器、床には読みかけの雑誌と論文。
 どうやら研究員の個室らしい。ヴェインがこの場所を侵入ポイントに選んだという事は、中の生体反応をキャッチ出来ているという事か。素晴らしい調査力だな。感動しすぎて、目から脳漿が漏れ出そうだ。
「カッコ良いじゃーん、アディクー。どこでそんな口説き文句ジョック・ターム仕入れてきたのよー」
「……リアルネームで呼ぶな」
 続けて侵入してきたミゼルジュの軽口を流し、俺は開け放たれているドアの横に背中を付ける。
『右だ。このブロックにはもう誰も居ない』
 端的に述べられた指示に従い、俺は部屋から飛び出して右に折れた。スクールの中と同じく、金属で固められた無機質な通路が真っ直ぐ続いている。
 と、小さな揺れが床から伝わってきた。どうやら他の2チームは派手にやっているらしい。カーカスが居なくて正解だな。アイツの気性からして、自分はアッチに行くと言い出しかねない。
『左に曲がってすぐの部屋に端末がある。まずはソコからだ』
「了解」
 言われた通りT字路を左に進み――焦げた血の匂い。
 膨大な熱量で溶かされた大きな扉が、床に横たわっていた。いくらサイレントブーツの機能が優れていても、他の金属同士が立てる音まで消す事は出来ない。
 扉の残骸を蹴らないように気を付けながら、俺は室内に足を踏み入れた。
 むせ返るような臭気。
 巨大な肉の塊のような変異生命体に穴が開き、ソコからおぞましい色の液体が垂れ流されている。その脇には千切れた腕と足が3本ずつ。炭化していて殆ど原形を留めていないが……アレはインプレート・ウェアの中の金属? ひょっとしてもう何人かやられているのか?
『どうだ。回収できそうか』
 勿論情報を、という意味だ。
 室内を見回す。扇状の形をした部屋の壁にはバイオリアクターが2本。片方は割れ、もう片方には何も入っていない。そしてその隣りには、リアクターとケーブルで繋がったノートタイプの端末が3機。内2機はどう考えても回収不可能な程に壊されている。残る1機も辛うじて電源は落ちていないようだが……。
「『ダイヤ・フォー』」
 俺は前を向いたまま短く言う。
「オーケー」
 ソレに応え、ミゼルジュは俺の視線の先にある端末に駆け寄った。こういう事に関しては彼女の方が断然手慣れている。時間も短縮できるし、俺は周囲の警戒に集中出来る。それに――
「怖いか」
 硬直して立ちつくしているリスリィの方を向き、俺は声を掛けた。
 床の惨状を固く凝視し、にもかかわらず瞳の中の光をゆらゆらと揺らしている。全く器用な奴だ。
「ならソレでいい。そのままじっと見ていろ。すぐに何も感じなくなる」
 俺の言葉にリスリィは条件反射的に頷き、言われた通り死体に視線を縫い止めた。が、すぐに口元を押さえて顔を逸らす。
 多分、コレが“初めて”の時の普通の反応なんだろう。笑い転げていたカーカスや、ひたすら苛立っていたミゼルジュがどこかキレているんだ。ソレは俺だって同じ事。
 俺は何も感じなかった。8歳の時に初ミッションを受けて実戦に投入されたが、転がって動かない人間を見ても、動いている人間を殺しても、何人も何人も殺しても、何の感慨も湧かなかった。
 泣きたくなった訳でもないし、叫びたくなった訳でもない。別に逃げ出したくもなかったし、目を逸らそうとも思わなかった。
 ただ、“アレ”よりはましだとは思った。
 戦って殺されただけ、ソイツらの死にはまだ意味があった。朝起たら死んでいたという事はなかった。ちゃんと死の意味を抱いて死んでいけた。
 ならいいじゃないか。ラッキーだ。恵まれている。幸せ者だ。
 心の底からそう思った。今もその考えは変わらない。
 だからコイツの反応は――新鮮だ。
「オーケー、終わったよ。転送もバッチリ……って、リス――『ハート・テン』?」
「行くぞ」
 慌ててリスリィに駆け寄るミゼルジュを後目に、俺は部屋の外に出る。
『ずっと左だ。少し大きなホールがあるからソコを抜けてくれ』
「了解」
 そして次の指示に従って通路を進んだ。が、すぐに足を止め、後ろを振り向く。
「『スペード・ワン』、あの子もう限界近いんだけど」
「だろうな」
 追い付いてきたミゼルジュに返しながら俺はマグナムを構え、
「ア――」
 トリガーを引いた。射出された弾は音も無くリスリィの横を通り抜け、T字路の曲がり角へと吸い込まれる。そして歪な悲鳴が上がった。
寄せ集めグラバッグ……」
 すぐ側でミゼルジュが驚きの声を漏らす。さっき俺達が通って来た通路に、胸と背中から頭の生えた変異生命体が横たわっていた。2つの頭部は額の真ん中に穴を開け、そこから固形物の混ざった体液を流している。
「俺に自信を分けて貰ったんだろ? ならそんな顔するな。失礼だろ」
 マグナムを指先で回して見せ、俺は前に向き直った。
『どうした。何か問題か』
「敵1体と接触。沈黙させた」
『本当か?』
 ヴェインが信じられないといった様子で聞き返してくる。
『コチラのモニターで生体反応は確認できていない。このブロックは安全という発言は取り消す。各自十分注意して進んでくれ』
「了解」
 やれやれ……ますますカーカスが喜びそうな状況になってきたな。
 胸中で溜息を付き、俺は青銅色の通路を真っ直ぐに進んだ。壁に張り付いた血の色が緩やかなグラデーションを描いて濃さを増していき、臓腑と硝煙の混ざった独特の匂いが強くなってくる。
 神経で感じ取る死の香り。精神に直接語りかけてくる敗者の呻き声、悔恨の慟哭、意識を閉ざしてしまう事への恐怖。
 戦場を自覚させる要素の1つ1つが、確実にコンセントレーションを高めてくれる。そして頭の中でギアが1段、また1段と上がっていくのが分かる。
「フン」
 マグナムを両手で構え、俺はその場で立ち止まった。目の前にはヴェインの言葉通り、丸く開けたホール状の空間。中央にある四角いカウンター・バーの中には、割られたリキュールボトルやワイングラス。ホールの四隅にはダーツやビリヤードの台、スロットにポーカーデッキの成れ果て。
 無惨に荒らされる前は、ちょっとした娯楽空間だったらしい。悪の秘密組織にも息抜きは必要、か。笑わせてくれる。
「どうしたの?」
「居る」
 追い付いてきたミゼルジュに俺は短く返す。
 勘だ。だがある種の確信がある。間違いなく何かが待ち伏せている。
 目を細め、すり足で前進し――
 ――視界の隅でデジタル数値がカウントされ始めた。
大当たりドゥーイット
 そして数値が反応を示した位置にマグナムを撃ち込む。さっきまで何も無かった空間から突然血飛沫が上がった。
「ロスト……チルドレン……」
 強ばったミゼルジュの呟きを置き去りにして俺は床を蹴る。右前方に跳びながら、同じ場所を6点バーストで連射撃。しかし手応えは無い。角膜カウンターからの反応も無い。
 ――速い。
 頭がそう判断するより先に、俺はこめかみのインサート・マターを発動させていた。視界の中の景色が激的に書き変わっていく。
 ドーパミン、アドレナリン、エンドルフィン、エンケファリン。様々な昂奮性神経伝達物質の異常分泌による、知覚能力の急激な上昇。精密射撃トリガー・ポイントがもたらす効果。
 ――左後ろ。
 無自覚のうちに頭が決断し、マグナムの銃口が一呼吸遅れてソチラに向けられた。そこには立ちつくすミゼルジュ。だが躊躇う事無くトリガーを引き絞る。
 硝煙を纏い、銃口から飛び出す弾丸。右回りの回転力を帯びた金属塊は、一直線にミゼルジュの眉間へと吸い込まれ――
「ビンゴ」
 中空に血花が咲いた。
 そしてようやくカウンターの数値が安定する。
 ――354。
 かなり低いK値だ。この前捕まえた2体の比じゃない。 
 こんな物では倒せない。反撃が来る。バーストで封じ込める、いや――
「っく……!」
 考え切るより速く俺は身を伏せていた。直前まで上半身があった場所を、熱の塊が通り過ぎて行く。炎は勢い余って後ろの金属壁を灼き、溶かし、その奥の土を抉り取った。まともに食らえば骨まで蒸発させられてしまうだろう。
 透明化に発火能力。1人で2つのサイキック・フォース……。K値が354とは、つまりそういう事だ。出し惜しみしていたら即デスペナルティ。無意味な死が待ってる。
「ッシ!」
 左脚の筋力増強ハイ・ブースト、右脚の耐久強化ソリッド・アーマを発動させ、俺は炎の発生源の横手に回り込む。
「ふふ……ふふふふ……」
 不気味な笑い声が聞こえ、ターゲットの姿が露わになった。体を透明にして隠れていても無駄だと悟ったのだろう。なかなかお利口な奴だ。サイキック・フォースの温存という訳か。
「久しぶりだねー……おにーちゃん」
 血塗れの貫頭衣を身に纏った、長い銀髪の男だった。俺と同年代くらいか。遠慮なく殺せそうだ。
「あいたかったよー」
 全体の動きはスローなはずなのに、しっかり俺の方を目で追ってやがる。しかも2つ開けてやった穴からは、もう出血していない。3つ目のサイキック・フォースか? 厄介な奴だ。だが――
「子供は寝る時間だ」
 ロスト・チルドレンとの距離を一気に詰めた。コチラの動きに反応して両手がかざされる。そして手の平が赤い光を帯び――ソレに合わせてバックステップを踏んだ。
 俺を呑み込まんと、紅蓮の巨顎を開ける炎の塊。分厚く、しかし質量は無く、最高のカムフラージュ。
 両手でマグナムを構え、炎に向けて連射する。
 直列に。全くずれる事なく。まるで1発の弾丸のように。
 今、先頭の弾が溶け落ちた。しかしソレが切り開いた道を後ろの弾が進む。そしてまた溶け、更に後ろの弾が進み、溶け、進み、溶け――
「ちっ……!」
 俺は床に転がって何とか炎をやり過ごし、ロスト・チルドレンの方に目を向けた。
 貫通したか? 炎の海を渡りきったか?
 もし抜けていれば頭部を捉えたはずだ。どんな再生能力を持っていても、体の司令塔を叩けば……。
「ふ……うふふふふふふ……」
 愉悦に満ちた笑い声。いや、啼き声のようにも聞こえる。
 失敗か。向こうの火力の方が勝ったか。
『ヴふ……ふふふフ、ヴブふフふ……』
 ――いや、入ってる。最後の弾丸が1発、眉間にめり込んでいる。
 だが、ソレでも生きているんだ。
『アハハハハハハハハハハハハハ!』
 狂ったような哄笑。全身を激しく痙攣させ、ロスト・チルドレンは両腕を大きく広げて天を仰いだ。
 なんだコレは。変異体化? これからおぞましい化け物になるっていうのか?
 まぁ何でもいいさ。殺せば一緒だ。末路が肉の塊って所は変わらない。
 コチラを見ようともしないロスト・チルドレンに標準を定め、俺は6点バーストを放った。火線が少しずつずれた6発の弾丸は、笑い狂うロスト・チルドレンの顔面に着弾し――
「な――」
 弾かれた。何かが軌跡を鋭角的に変え、弾丸は1発残らず床に転がった。
 ロスト・チルドレンの眼前には、いつの間にかスケルトン・グリーンの壁。そしてその奥にはあまりに冷たい瞳。まるで一切の感情を殺してしまったように、痛々しく凍える冷徹の結晶。
 静かだった。先程までの熱気と狂気が、吐き気を催すほど不自然に収まっている。
 体が動かない。いや、動かしてはいけない。
 少しでも動けばあっさり死に繋がる。観なければならない。コイツの変調を。コイツの能力を。
 “最後の人間性を犠牲にした”、ロスト・チルドレンの底力を。ソレはまるで――
「――ッ!?」
 消えた。
 スケルトン・グリーンの壁も、無貌のロスト・チルドレンも。
 最初からそこに何も無かったように、質量も気配さえも。
 だが無駄だ。コチラには角膜に埋め込まれたカウンターがある。コレでK値の所在を追えば――
「後ろ!」
 ミゼルジュの声に反応して真横に転がる。ポーカーデッキの燃えかすを背中で踏みつぶしながら体を反転させ、背後に視線を向けた。そこにはただ立ちつくすロスト・チルドレンの姿。
 威嚇するでもなく、蔑むでもなく、まるでコチラをじっと観察するように――
「何の冗談だ……」
 ロスト・チルドレンから目を逸らす事無く体を起こし、俺は半笑いになって呟いた。
 何だコレは。どうしてこんな事が起こりうる。有り得ない事だ。
 何故、“K値が196にまで低下している”。
 K値とはロスト・チルドレンの本質、すなわちKind値。その性能を端的に表現する“生体固有値”ではなかったのか。なのにどうして、変化を……。
「クソッ!」
 マグナムを両手で構え、ロスト・チルドレンの眉間を狙って速射する。が、無音で現れた碧の障壁がことごとく弾丸を弾いた。すぐに横転し、カウンター・バーの影に身を隠す。新しいマグナム・カートリッジを手首ポケットから取り出してセットし、すぐにその場を飛び出して6点バーストを放った。
 196だと!? 200を切っているだと!? すでに確認されているロスト・チルドレンの中で、トップクラスの性能だぞ!
 こんな奴をまともに相手にしていては身が持たない。以前のように、この研究所ごと爆破するしか――だが――
「逃げろ!」
 決して命中するはずのない弾を撃ち続けながら、俺は立ちつくすミゼルジュを怒鳴りつけた。しかし反応は無い。その後ろのリスリィにいたっては、意識が飛んでしまったかのように眼の光が消えている。
 コイツら……! だから邪魔なんだよ!
 もうどうでもいい。知った事ではない。自分を最優先させるのは当たり前の事だ。戦場で命を落とすのはソイツが間抜けだからだ。スクールでもそう教わった。
 俺はごめんだ。馬鹿で間抜けな最期は嫌だ。意味の無い死は絶対に嫌だ。
 生きる。無様でも何でもいい。とにかく生き延びる。そうしなければ意味が無い。
 そうさ。俺にはまだきっとやらなければならない事があるはずなんだ。ソレが何なのかは分からないが、こんな所でくたばってしまったら永遠に闇の中だ。
 生きるんだ。生きて生きて生き続ければ、そのうち周りが変わって、自然と俺が成すべき事が見えてくるはず。だからその時までは絶対に――
「――ッ!」
 このホールに入って来たのとは反対側の通路へ抜けようとした時、視界がエメラルド・グリーンで覆われた。先を見通せない、硬質的で冷たい壁。マグナムの弾丸をまるで寄せ付けない障壁よりも、更に分厚い……。
 後ろを見る。もうミゼルジュもリスリィも居ない。同じように通路を塞いだ碧の壁の向こう側に追いやられてしまった。
 出口は完全に閉ざされた。逃げ場の無い閉鎖空間に、K値196の化け物と2人きり。
 嬉しいね。嬉し過ぎて全身の毛細血管が爆発しそうだ。
「そんなに俺とお喋りしたいか」
 肩の力を抜き、マグナムをだらりと下げて俺は呟く。
「そんなに共倒れがお望みか」
 こめかみ、左脚、右脚。3つのスロットにささったインサート・マターを同時に発現させ、俺はターゲットを見据える。
 もう腹をくくるしかない。腹をくくって、短期決戦に賭けるしかない。体の方もそろそろ限界だ。インサート・マターを使い過ぎた。細胞があちこちで悲鳴を上げているのが分かる。これ以上使えば、例え勝ったとしても体に何らかの障害が残るだろう。もう普通に生活する事すら出来ないかも知れない。
 だがしょうがないさ。生き残るためには。
 ソレは相手だって同じ事。生きるために最後の精神を捧げたんだ。
 “自分を壊して”力を得たんだ。
 そう。同じだ。
 俺とコイツは同じ。俺もきっと“あの時”、どこかが壊れた。イカれてしまった。そうでなければ生きていけなかった。事実をそのまま受け入れるにはあまりに重く、かといって突き放す程の力は無く、とにかく幼すぎてどうする事も出来なくて、結局そうするしか方法が無かった。
 感情の一部を切り離して、踏み抜いて、叩き壊すしか。
 だがまだ足りなかった。コイツに比べれば全然ヌルかった。
 もっと粉々にしなければ。絶望と壊死が我が物顔で闊歩している、このトチ狂った世界で生きて行くには、もっと壊れてなければならないんだ。だから――
「さぁ――」
 マグナムを構える。目を大きく開く。口元が緩む。
「踊ろうか」
 床を蹴る。真っ正面から突っ込む。相手の手が動く。さらに加速する。
 鼻先が熱を――視界が紅く――右腕を突き出す――全身が熱く――トリガーを引いて――
「……ッァ!」
 爆風と銃からの反動に体を持って行かれ、足が床から離れた。そのまま宙を泳ぎ、背中から固い壁に打ち付けられる。肺から空気が押し出され、硬直したまま滑り落ちて床に着地した。
 重くなった顔を持ち上げて前を見る。スケルトン・グリーンのフィルター越しに、コチラをじっと見つめる無表情な人形が1匹。
 どうやらまたアレに遮られたらしい。ゼロ距離から撃ち込めば何とかなるかと思ったんだが、そう簡単に事は運ばないようだ。
 相手に損傷は無い。だがソレはコチラも同様。炎に包まれてそのまま灼き尽くされるかと思っていたが……。
「フン……」
 なるほど。炎と壁、この2つを同時に操る事は出来ないようだ。さっきは壁を出すために炎を消した。ならば――
「シッ!」
 また真っ直ぐに床を蹴り、銃をハンドガン・モードに切り替える。片手で構え、12点バーストを放ちながら距離を詰める。そして眼前で横に飛び、半呼吸で相手の側面へと回りこんだ。
 虚ろな瞳がコチラに向けられる。碧の障壁が瞬時にして立ちはだかり――俺は銃口を相手に突きつけ――12点バーストを撃ち出し――
 真上に投げ捨てた。
 支えを失った銃がバーストの反動で自らを跳ね散らし、でたらめな火線方向に銃弾をばらまく。そして邪魔な碧はソチラへと向けられ――
「ッラァ!」
 左の蹴りを真横から叩き付けた。
 鈍い音を響かせ、俺と似た体型の胴が半分くらいにまで圧縮される。そのまま足を振り抜き、ロスト・チルドレンを体ごと跳ね飛ばした。
 声を上げる事も無く、スロットマシンを2つ壊して壁に激突する生体兵器。
「くっ……」
 ソチラを睨み付けたまま、俺はその場に膝を付いた。
 左脚、つまり筋力増強ハイ・ブーストのインサート・マターが最も効いている側での肉弾攻撃。普通ならこんな事はしない。筋力増強ハイ・ブーストの効果が多少落ちようとも、耐久強化ソリッド・アーマのよく効いている右脚を出す。骨や筋肉への負荷を極力抑え込むために。
 だがソレでは駄目だ。そんな常識的な思考では生き残れない。もっと、もっと壊さないと。肉体的にも、精神的も。
 近くに落下したマルチ・シューティングを拾い上げ、俺は立ち上がる。
 左脚に走る激痛。そして肩や腕から滴る血。
 ハンドガンからの流れ弾が貫通したんだろう。頭上で手綱を放したんだ。脳天を打ち抜かれなかっただけ幸運だ。
 後は、ロスト・チルドレンにどれだけのダメージを負わせられたか……。コレで死んだなどという事は無いだろう。そんな都合の良い期待をしてはならない。するつもりもない。だが、ある程度の深手は……。
 視界の中でロスト・チルドレンの体が起き上がる。銀髪に自らの血をこびり付かせ、頭をぐったりと垂らして脱力して。まるで幽鬼の如く立ちつくす彼の顔が少しずつ上がり――
「ち……!」
 左肩を炎の舌が舐め取っていった。反射的に身を低くしたが、肉の焦げた臭いがすぐ側から漂ってくる。左脚からの痛みで体が思うように動かない。
 インサート・マターを痛覚遮断ペイン・キャンセラーに切り替えるか。いや、そんな事をしている暇はない。なにより筋力増強ハイ・ブーストを取り下げる訳にはいかない。
 まだ足りないんだ。まだ壊し足りない。痛みなど感じなくなる程に、もっと自分の中の物を破壊しなければ。もっと、もっと……!
「アアアアアアァァァァァァァ!」
 俺は“左脚”で床を蹴り、ロスト・チルドレンに向かって跳ぶ。そして右脚で着地し、ソレを軸足にして左の蹴りを繰り出した。足先に熱が生まれる。大きく口を開けた灼熱は俺の左脚を丸呑みにし――ショットガン・モードに切り替えた銃を左腕だけで撃ち放った。
「――ッく!」
 体内にわだかまる嫌な感覚。確実に関節は外れた。下手をすれば二度と動かせない。
 元々ショットガンの反動を片腕だけで抑えきれはしない。しかも今は重度の火傷を負っている。こうなる事は分かっていた。だから別に構わない。意味のある破壊は望むところだ。
「ガアアアアアァァァア!」
 叫声で痛みを掻き消し、逆回転の力を得た左の踵を回し蹴りの要領で叩き付けた。ソレはロスト・チルドレンの首筋に食い込み、中に通っている骨を粉砕する。
 手応えはあった。コレで少しは――
 踵が押し返される。くの字に曲がったはずの首が真っ直ぐになっていく。瞬時にして頸椎が復元されていく。
 信じられない。信じられない回復能力だ。
 コレがK値100台のロスト・チルドレンが持つサイキック・フォース……。自分を限界まで壊した者が持つ力……。
「く……!」
 いつの間にか左脚を掴まれていた。完全に固定されていた。
 異常な能力に見入っていて反応が遅れた。致命的な失態だ。
 左脚を捨てたい。銃で撃ち抜いて切り離したい。だが無理だ。ショットガンは左手から落ちて床の上。ココからでは届かない。
 やられる。殺される。死んでしまう。
 こんな下らないミスで、無意味な死を――
「え……」
 体に自由が戻った。不意に左脚が解放された。
 ロスト・チルドレンがうずくまっている。両手を床について頭を垂れている。
 苦しんでいるんだ。もう表に感情は出てこないが、体が確実に限界へと向かっているんだ。サイキック・フォースからの負荷に耐えきれなくなってきているんだ。
 俺は右手を伸ばして銃を拾い上げ、ロスト・チルドレンから距離を取った。そしてマグナム・モードに切り替え、6点バーストを放つ。が、すぐにソレらを遮るようにして現れ、全弾を弾くスケルトン・グリーン。
 構わないさ。ずっとそうやって防いでいろ。ソレだけでもお前の体は削られていく。弾が切れるのとどっちが先かな。
 炎を出してくるなら別にソレでもいい。俺が灼かれるのが先か、お前の回復能力が尽きるのが先か勝負するのも悪くない。
「どうした」
 そんな思い詰めた顔をして。
 まさか怖いのか? 死ぬのが。それとも、無意味な死が怖いのか? なら俺と同じだな。
 オッドカードとロスト・チルドレン。
 よく考えみると色々と共通点がある。
 力を使うのに対価を必要とする事。その力が異常レベルに強力である事。精神のどこかが壊れている事。そして誰かの駒である事。
 あとは年齢もそうか? っはは。そう言えば年を食ったロスト・チルドレンなんか聞いた事もないな。ま、そんな奴等は“チルドレン”とは呼べないだろうしな。ジュレオンってイカれた科学者が付けた名前なんだろ? ガキにしか興味のない変態嗜好の持ち主だったのか?
 ……まさかお前らも、20歳未満でないと“なる”資格が無いなんて、言わないよな。
「どうなんだ? その辺。知ってるなら答えろよ」
 マグナムからの反動を右肩で殺しながら俺は呟く。
「お前らは何のために飼われているんだ? 何を克服して、どこに行くのが目的なんだ?」
 近づく。1歩ずつ。ゆっくりと。
「お前らに、終着点はあるのか?」
 精密射撃トリガー・ポイントを発動させる。より強く、より昂く。
「お前らは、俺達と一緒なのか?」
 頭の中にもう1つ脳味噌が出来て、ソイツが勝手に考える。勝手に計算していく。
「分からないよなぁ。お前らは考えないもんなぁ。俺と同じだ」
 今までのデータと合わせて。撃ち、そして弾かれた後の軌道を全てトレースし、緻密に組み上げていく。
「兵隊は考えない。パーツが全体を見渡す必要は無い。ただ黙って言われた事に従っていればソレで良い。なぁ?」
 弾丸の角度、軌跡。その行き筋。スケルトン・グリーンで跳ね返り、ホール内の壁でまた跳ね返り、そして――
「楽だろ? そういう生き方も悪くないだろ? 疑問を持たなければ幸せだろ?」
 鮮血が舞う。まずは肩に1発。膝が折れる。今のは左脚だ。
「けどなかなか割り切れないんだよ。残念ながら俺達は機械じゃない。人間だ。お前も俺も、“元は”人間なんだよ。残念ながらな」
 右脇腹、右大腿部、左上腕部。ロスト・チルドレンの体から連続的に紅い飛沫が散る。
「だから考えてしまう。いくら考えないように努力しても、結局考えてしまう。面倒臭い、どうでもいい、頭痛が酷くなる。どれだけ必死に拒絶したところで無駄なんだよ。俺達は“そういうふうに出来ている”」
 外れる気がしない。まるで弾が吸い寄せられるように、ロスト・チルドレンに命中していく。
 跳弾は今までにも何度かやってきた。だがココまで精密に出来た事などかつて無い。イメージの中での着弾点と、実際の着弾点の距離が1ミリ以内に収まっているなど。
 ナンダコレハ。
 インサート・マターの使い過ぎで頭がどうにかなってしまったのか?
 言い知れぬ自信が体の底から沸き上がってくる。ありとあらゆる物の輪郭が鮮明に、そして濃密に写る。神経が異常なまでに研ぎ澄まされている。まるで、薬でもキメたかのような――
「どうすればいいと思う? この得体の知れない不安から解放されるためには、どうするのが最適だと思う? なぁ、知ってるなら教えてくれよ。なぁ――」
 気が付くと空撃ちしていた。間の抜けた金属音が、間断的にホール内に木霊している。
「アディク!」
 横手からの叫声。ソレに腕が勝手に反応し、銃口を向けてトリガーを引いた。
「――ッ!?」
 相手の顔が一瞬で恐怖に染まる。蒼い瞳を大きく見開き、首でも絞められたかのように息を呑み込んでいた。
「お前か」
 駆け寄ってきた女から目を逸らし、俺は手首のポケットから新しいカートリッジを取り出す。そしてマグナムに弾を装填しながら、改めて彼女の方に目を向けた。
「ロスト・チルドレンは殺した。問題無い。次に行くぞ」
 銃をガンホルダーにしまいながら声を掛けるが、ミゼルジュは相変わらず表情を強ばらせたまま動こうとはしない。
「ア、ディク……?」
「リアルネームで呼ぶな。何度も同じ事を言わせるんじゃない」
 カーカスじゃあるまいし。少しは学習してくれ。頭痛が酷くなるだろ。
「あ……うん。ゴメン。けど、大丈夫なの……? 手とか、肩とか……」
「ん? ……あぁ」
 言われて初めて気が付いた。両手の表面が炭化して真っ黒になっている。きっと炎を目眩ましに使って連射した時にこうなったんだろう。今までグローブの色かと思っていた。けど本当に表面だけのようだ。見た目ほど大げさな火傷じゃない。
 インサート・マターの使いすぎで、イカれたと思っていた左脚からも不思議と痛みが引いている。
 左肩は……コレもいつの間にか治ってるな。関節もちゃんと入っている。無意識にやったんだろう。少し痛むが大きな問題はない。炎に灼かれた跡も意外と大した事ないな。K値196とはいえこんな物か。
「ヴェイン教官、指示を」
 体の調子を一通り確認し終え、俺は次に進むべき方向を聞いた。だが反応はない。
 参ったな。戦っている時に壊れたのか?
『アディク……生きているのか?』
 が、二呼吸ほど遅れてヴェインの声が直接耳の中で響く。
「ええ、問題ありません」
『そうか……』
 安堵したような、それでいてどこか消沈したような声。
 まるで俺に死んで貰わないと困るといった風にも取れる。考え過ぎか? いや……。
 まぁどうでもいいさ。今は――妙に気分が良いんだ。
『今回の謝罪は戻って来た時にゆっくりしよう。今はそのままホールを抜けて進んでくれ。突き当たりを右に曲がった所に下への階段がある。そこからB2に降りてくれ』
「了解」
 事前に頭の中に叩き込んできた施設マップと照合し、俺は頷きながら返した。
 そして指示された通路へと向かい――
「『スペード・ワン』……」
 ミゼルジュの声で立ち止まった。
「何だ」
 彼女の方を見る。
 もう動かなくなったロスト・チルドレンに、遠くの方から不安げな視線を送っていた。そして何か考え込むように――
「……何でもない」
 が、すぐに軽く頭を振り、俺の後へと続く。
 何だ。あんな物が珍しいのか? ああ、そうか。こんなK値の低い奴を見るのは初めてだったな。外見は他の奴等と全然変わらないだろ? 油断していると一瞬であの世送りだ。
 まぁお前よりは、アッチの方が先に逝くだろうがな。
「『ハート・テン』」
 ホールの入口付近から未だに動こうとしないリスリィに声を掛ける。が、予想通り自失したままの直立不動。
 俺はガンホルダーからマグナムを取り出し、
「アディ……!」
 ミゼルジュの声と同時にトリガーを引いた。
 弾丸はリスリィの頬を僅かに掠め、キャンディ・ピンクの髪を貫通して背後の通路に消えていく。
「行くぞ。俺の背中を見失うな」
 ソレだけ言い残し、俺はホールを抜けてまた狭い通路に出た。
 狙い通りだ。もうコンマ1ミリの狂いも無い。さっきのロスト・チルドレンとの戦いで、射撃の腕が飛躍的に上がった。ウォーズ・ハイによる一時的な物かも知れないが、まるでインサート・マターを使ったかのような――
 何かが変わりつつある。
 俺の中で確実に何かが変わりつつある。
 面白い。面白いじゃないか。
 身を任せてみよう。このまま行く所まで行ってやる。もしかしたらその先に、俺の望む答えが有るかも知れないから――
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