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● 三度目の正直  ●

◆六月三日 藍沢那々美の始まり◆

「しまった……」
 あたしは部室のロッカールームで溜息混じりにそう言った。
 スチール製のロッカーの扉を閉めながら思考を巡らせ、そして答えにたどり着く。
 そうだ。あたしの体操服は昨日、洗濯機に入れたままだった。母さんが洗ってくれているだろうと思っていたら、昨日はあたしが洗濯当番だったんだ。
「どーしよー」
 汗の臭いが充満した、狭い部屋の真ん中にある長椅子に腰掛け、あたしは知恵を絞った。
 誰かに借りようにも、同じバスケ部の友達は自分で使ってしまっている。当然だが。
「うーん」
 クッションの悪くなった長椅子に一人座り、貧乏揺すりをする事、約一分。
「そうだ!」
 単純な発想よ。同じクラスの子に借りればいいんじゃない。
 幸い明日、体育の授業はない。なら、今日中に洗って明日返せばいいだけのことだ。
 あたしは急いで、体育館から教室に戻った。下校時刻はとっくに過ぎている。
 誰か一人でも女の子が残ってくれていれば良いんだけど……。
 部室を出てグランドを横切り、校舎に戻る。そして階段を駆け上り、廊下を疾走した。息を切らせながら教室の前に立ち、誰か残っていることを祈って扉を開けた。
 立て付けが悪いのか、ガラガラと大きな音を立てながら扉はスライドする。
「いない……」
 しかし望みかなわず、教室には誰も残っていなかった。
「あーどーしよー」
 部活はサボりたくない。試合が近いこの時期に一日でも体を動かさないと、不安でよく寝付けないのだ。
 あたしってば、意外と小心者。でもそんな可愛い自分が好き。なーんて。
「虚しい……」
 両手の人差し指をほっぺたから離し、あたしは肩を落とした。
 しょうがない。黙って借りるか……。未来の日本のエースに使われるんだから、きっと体操服も大喜びよ。うんっ。
 あたしは完全に開き直ると、友達の体操服を物色し始めた。しかし、どれも汗や泥の匂いが染みついており、とても着る気にはなれない。
 まぁ、贅沢を言える立場じゃないんだけど。
「おっ」
 諦めかけた時、あたしは新品同然の体操服を発見した。教室を見回して、その席の場所を確認する。鈴音の席だ……。
 あ、そーか。あの子いつも体育は見学だったっけ。ゴメンね鈴音。洗って返す時に、あたしの土偶コレクションの中から可愛いの一つあげるからソレで許して。
 あたしは鈴音の机の上に借りて行く事を伝えるメモを残すと、体操服を大事に抱きかかえて意気揚々と体育館に向かった。

「ぜーぜーぜーっ」
 あたしは肩で息をしながら、体育館の隅でスポーツドリンクを飲んでいた。
 バスケ部だけではなく、バレー部や卓球部も入り交じった体育館。生徒のかけ声と、先生の指示の飛び交う光景をぼーっと見ながら、あたしはもう一口ドリンクをすすった。そして大きく息を付く。
「どーしたのよ。調子悪いの?」
 シュート練習を終えた朋華が、心配そうにあたしの顔をのぞき込んだ。
 サラサラヘアーのボブカットが流れるように彼女の頬を伝わっていく。そう言えば昔、『ボブにしてっ』って美容師さんに頼んだ娘が五分刈りにされてたっけ。あれは同情したなぁ。
「だ、大丈夫。練習始まる前に教室とココ、全力で二往復したモンだから、ちょっとバテちゃって……」
 この体育館と校舎四階にある教室は、長方形をした学校の敷地の、ちょうど対角位置にある。この距離を四回も全力疾走すれば、例え陸上部でも息が上がるだろう。
「派手なウォーミングアップね」
 含み笑いを浮かべながら朋華はあたしの隣に座った。
「でも、もう大丈夫よ。ね、ワン・オン・ワン付き合ってよ」
「オッケー」
 あたしは立ち上がると、カゴからバスケットボールを取り出し、センターサークルに立つ。
「あたしが先攻で良い?」
「うん」
 あたしは朋華に目で合図を送り、ドリブルを開始した。
 彼女の目の前まで行き、右手から股下を通して左手へ。左へ行くとフェイントをかけながら、右足を起点に半回転する。
「甘い!」
 しかし読まれていたのか、あたしが前を向いた時、彼女は真っ正面にいた。
「ちぇっ」
 再び後ろを向いて体でボールを庇いながら、あたしはじわじわと後ろに下がっていく。右手と左手で交互にドリブルしながら体を左右に振り、どちらかの方向に抜きに行くと見せかけながら、あたしは後ろ向きのまま股下でボールをバウンドさせた。
「えっ」
 朋華の渇いた声が後ろでする。ボールはぴったりと密着していたあたし達二人の股下を通過して、後ろに飛び出た。
「もらった!」
 あたしは正面に向き直りそのボールを追いかけて、足の筋肉に力を込める。
 バスケットシューズが体育館の床を蹴り、その一点に集約させた力がスピードへと変換される直前――
 ブッ
 変な音がして、力は霧散した。
「きゃっ」
 短い悲鳴を上げながら、あたしは無防備な姿勢のままで前傾し、そのまま為すすべもなく床へと転がる。
「だっ、大丈夫!?」
 突然の出来事に朋華は混乱しながらも、あたしの方に駆け寄った。
「イタタタタ……」
 とっさに顔を庇った時に擦りむいたのだろう。あたしの両肘は床との摩擦で皮膚がめくれ、少し血が滲んでいた。
「あーあー。こりゃ、消毒して絆創膏でもはっといた方がいいよ」
 傷口を見ながら朋華は眉をひそめた。
「ちぇー、ついてないなー」
 でも何で転んだんだろ。別に床には何も落ちてなかったはずだけど。
 不思議に思いながら立ち上がろうとしたその時、足首に激痛が走った。
「ッ!」
 あまりの痛さに目の前がチカチカする。少し浮かせたお尻が再び床に不時着した。
「どしたの?」
「あ、足が……」
 片目つぶり、苦悶の声を上げながら、あたしは痛んだ右足を押さえる。
「ああ、原因はコレね」
 あたしの正面にかがみながら、朋華は納得したようにあたしのバスケットシューズを指さした。つられて、あたしもその指の先に視線を向ける。
 紐が切れてる。ああ、それでか。
「はぁー……」
 あたしは真ん中で切れた靴紐を見ながら、深く溜息をついた。
 転んだ理由がはっきりしてたのは良いけど、それであたしの足の痛みが引くわけでもない。この痛みからすると捻挫だけでは済まないかもしれない。とにかく明日、病院に行って看て貰う必要がありそうだ。
 けど、おっかしーなー。二ヶ月前に新しいの買ったばっかなのにー……。うー、今月のお小遣いがー。
「ん?」
 悲嘆にくれるあたしを後目に、朋華はさっきからキョロキョロと辺りを見回している。
「ねぇ、さっきから何探してるの?」
「黒猫」
 良い友達持ったよ。あたしゃ。

 結局、怪我はそれほど大きくはなく、骨にも異常はなかった。ただの捻挫だ。
 けど、その日は足が腫れ上がって思うように歩けず、学校を休んだ。
 次の日になると腫れも痛みも大分引き、普通に歩く分には問題なくなった。ただ、バスケットが出来るような状態ではなく、次の試合は欠場せざるを得なくなった。
 あーあ、楽しみにしてたのになー……。
 肩を落として歩きながら、あたしは校舎の四階にある教室に向かった。階段を上るたびに、右の足首がしくしくと痛む。地味な痛みではあったが、試合が出来ないことを何度も再確認させられているようで胸が痛んだ。つい、二日前まではこの階段を全速力で上ったり下りたりしていたのかと思うと落胆に拍車がかかる。
「あ」
 四階の階段を上がり切ったところで鈴音の姿が視界に入った。リノリウム張りの廊下をあたしの方に向かって歩いてきている。
 あ、そーだ。体操服。返さないと。結局昨日は返せなかったからなー、悪いことしちゃった。鈴音ってば、何回携帯に連絡入れても出てくれないんだもん。留守電にもなってないしさー。ホントに困った子。って、まぁ悪いのは勝手に借りたあたしの方なんだけど。
「鈴音ー」
 あしたはブンブンと大きく手を振りながら、鈴音を呼んだ。
「あ、那々美ちゃん。おはよう」
 あたしの声に気付いたのか、鈴音は三つ編みにした黒髪を揺らしながら小走りにやってくる。身長一五〇センチほどの小さな体は、頭の位置が丁度あたしの手を置きやすい場所にあった。
「ゴメンね鈴音、勝手に借りちゃった」
 いつも通り鈴音の頭をなでなでしながら、あたしは持っていた紙袋を差し出す。
「ん? 何、コレ?」
「体操服。一昨日、自分の忘れちゃって。勝手に借りちゃった」
 小さく舌を出して言い、イタズラっぽく笑ってみせる。
 鈴音はあたしの軽い言葉に伏せ目がちだった目を大きく見開くと、顔を見る見るうちに青白く染めていった。突然、鈴音はあたしの手を引くと、その小柄な体からは想像も出来ないほどの力で、あたしを人気のない屋上の扉の前まで連れて行った。
 え……そんなにヤバかった?
 意外すぎるリアクションに、冷たい汗が背筋を流れた。
「な、那々美ちゃん、だったの? 私の体操服持っていったの……」
「え、えーと。うん、そー」
 気まずい雰囲気が漂う。
 え?  なになになに? この『あなたが犯人だったの……』みたいな空気は。ひょっとしてあたしが知らない間に『他人の体操服を借りた人は、校舎引き回しの上、打ち首獄門!』なんて校則が出来ちゃったとか?
「那々美ちゃん……大変なことしちゃったよー」
 鈴音は涙声になりながら、上目遣いであたしに何かを訴えてくる。いよいよタダ事ではない感じだ。
「え? ウソ。それじゃあ、あたしゴザの上で桜吹雪見せられちゃうわけ?」
「いや、言ってることよくわかんないけど、それに近いかも」
 近いんだ……冗談で言ったのに……。
 いまいち事情の飲み込めていないあたしに鈴音は最初から説明してくれた。
 うーん、あたしがたった一日休んでる間にとんでもないことになってるなー。
 けど、メモは残しておいたのに……。風で飛んだのかな? 何か重しでも付けておけば良かった。
「でもそれなら話は簡単じゃない。あたしが本当のこと言って陽平の誤解を解けばいいだけでしょ?」
「それは……あんまりお勧めできないよ」
 両手を胸の前でぎゅっと握りしめ、鈴音はどこか申し訳なさそうにそう言った。
「凪坂君、今すっごく怒ってるから。だから、那々美ちゃんが犯人だって分かったら何されるか分からないよ?」
「だーいじょーぶよ。あんなガリ勉君、ケンカしたってバスケで鍛えてるあたしが勝つに決まってるわ」
 しかし、鈴音はあたしの言葉に首を振る。
「那々美ちゃんは中学生の時の凪坂君を知らないからそんなこと言えるんだよ」
「中学の時のアイツ?」
 ああ、そういえば鈴音はアイツと同じ中学だったんだっけ。
「ふーん、『なー、ねーちゃん。ワイと茶ぁしばきに行かへんかー』って感じだったとか?」
 鈴音は首を横に振る。
「じゃぁ、『俺に触るとヤケドするぜ』くらい?」
 またも鈴音は首を横に振る。
「まさか、『お前はもう死んでいる』クラス!?」
 と、そこで鈴音は首を縦に振った。
「ヤバイじゃん! それじゃああたし、ひ……!」
「秘孔は突かないよ?」
 突っ込むの早いじゃん。鈴音……。
 胸中でぼやきながら、あたしは言いかけた言葉を呑み込んだ。
「中学の時はね、髪の毛も金色で長かったの。でも、高校に上がるときに急にまじめになって。私の他にも、凪坂君と同じ中学からここに来た人もいるけど殆ど気付いてないみたい。みんな同姓同名だって思ってる。だからそれくらい別人になっちゃったんだよ」
 すぐに信じられる話ではない。けど、鈴音がウソを言うとは思えない。
「じゃ、じゃあ、どうすれば……」
「うーん……」
 鈴音は下顎に人差し指を当てて、視線を中空に投げる。鈴音が思考する時のいつものポーズだ。その仕草があまりに可愛くて、いつも抱きつくのだが、今はそんなことで鈴音の邪魔をしたくない。
 コレはあたしにとって死活問題なのだ。
「あ……」
 そして、鈴音が何かを閃いたようにあたしの方に視線を戻した。

「これでよし、と」
 昼休み直前。四限目の授業を早めに抜け出したあたしは、得意顔で陽平のシューズボックスを閉じた。中には、陽平の靴と一緒にあたしからのラブレターが入ってる。
「あとは、何人集まってくれるか、ね……」
 低い声で言って、あたしは体育倉庫の裏へと移動した。あそこなら、隠れる場所はいっぱいあるし、何より校門からの距離が近い。
「うまく行きますよーに」
 天に祈りながら靴を履き替える。
 鈴音の閃いたシナリオはこうだ。
 まず陽平に頭の悪そうな不良達とケンカをするようにし向ける。そして陽平はボコボコにされる。気を失った陽平をあたしが保健室に運び込み、その枕元にそっと鈴音の体操服を返しておく。
 訳が分からず、顔を腫らしたまま体操服を鈴音に返す陽平。そして、鈴音がわざとらしく『真犯人はあの人達だったのね! 教室から見ていたわ! 取り返してくれて有り難う!』と感激の言葉を述べるのだ。そうすれば、陽平は濡れ衣だったって事になるし、あたしが黒幕だったって事も気付かれない。
 ここで重要なのは、ケンカを教室からでも見えるよう出来るだけ目立つ場所でやるということ。そして、陽平には必ず負けて貰わなければならないということ。
「少なくとも三人くらいは欲しいなー」
 ケンカ相手は、強そうなのを適当に見繕って、陽平からの挑発の言葉を書いた手紙を鞄や机に入れて置いた。陽平のノートをふんだくって、出来るだけ筆跡を似せたつもりだけど、どこまで近づけることが出来たかはあやしいもんだ。とにかく、何人集まるかは分からないけど、三対一くらいならまず負けることはないだろう。
「お、いるいる」
 あたしが体育倉庫の裏から校門の方を見やると、そこにはすでに悪そうな顔をした男が三人来ていた。顔の迫力もさることながら、体つきも良い。これなら大丈夫だろう。
 内心ホッと胸をなで下ろす。
 陽平はあたしがお昼ご飯を外で一緒に食べようって誘っておいたから、あの手紙は確実に見るはずだ。
 ああ! ゴメンね陽平! やっぱりあたし自分が可愛いみたい! お詫びにあたしの大好きな、納豆パフェおごってあげるからそれで許して!
 心の中で懺悔していると、昼休みを告げるチャイムが鳴った。
 数分後、校舎の方から陽平がこちらに向かってくる。
 そして、ケンカが始まった。

 ああ……なんて、ことなの……。
 放課後。あたしは誰もいない屋上で独り頭を抱えた。長い間風雨に晒され、老朽化した鉄製の柵に身をあずけながら天を仰ぐ。
 まさか、陽平かあんなに強かったなんて……。
 ゴツそうな三人組相手に余裕の勝利。しかもあたしがアイツらに書いた手紙まで見られてしまった。あの時の陽平は、遠目でも分かるほど勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。多分、陽平が受け取った手紙と差出人が同じだということは気付かれただろう。しかし、それを書いたのが私だとは気付かないはず。
「うーん。どーしよー」
 こんな事なら正直に謝っておけば良かったと後悔するが、もう遅い。陽平のあの強さを見せつけられては、『やっちゃったっ。テヘッ』『こぉの、いたずらっ子めっ。エイッ』ってなノリではすみそうにない。
 これ以上鈴音に迷惑をかけるのは忍びないし……こうなったら!
「時効成立を待つ! これっきゃないっ!」
 拳を高々と掲げながら、あたしは胸を張った。
 バタン!
 その声に呼応するかのように、屋上の扉が勢いよく開く。反射的に視線はそちらに向き、そして最も会いたくない人物をあたしの網膜に写した。
 短く切りそろえた黒い髪。黒縁眼鏡の奥には刃物のように鋭い三白眼。彫りが深く、通った鼻筋はどこか日本人離れしているように見える。
「ぃよう。那々美」
 扉の向こうにいたのは陽平だった。肩を怒らせ、両手に一通ずつ手紙を握りしめて、ゆっくりとあたしの方に歩み寄ってくる。
「や、やぁ、陽平。どうしたの? 恐い顔しちゃって」
 陽平は両目に壮絶な光を宿しながら、一歩、また一歩と、まるで獲物を追いつめるように近づいてきた。背後に黒いオーラが見えるのはあたしの気のせいか?
「実はお前に聞きたいことがあったんだが……さっきの叫び声でその必要もなくなった」
「え? さっきのって……『歯垢清潔』ってヤツ? いやー、あたし今歯磨きに凝っててさー」
「この手紙は、お前が出したんだな?」
 あたしの冗談には何の反応も示さず、陽平は低い声で言うと、ゆっくり二通の手紙をあたしに見せる。
「ど、どこにそんな証拠が?」
 我ながら往生際が悪いと思う。でも、分かるの早すぎない? あたしが陽平にノートを借りることはあっても、貸した事なんて無いのに。
「とある情報筋から、この字がお前の字だと教えて貰った。お前のノートと比較して確認したから間違いない」
「とある情報筋って何よ」
「それは言えない。女同士の友情にヒビを入れるのは遠慮したいからな」
 っかー! こーの偽善者! いい!? 『人の為』って書いて『偽り』って読むのよ! 良く覚えておきなさい! 
 あー、でも誰だろう。誰だか分からないけど、とにかく今はソイツのせいであたしは追いつめられている。ああん! 誰よ! そんな余計な事したの!
「何でこんな事をした?」
 陽平の声にわずかに殺気がこもる。眼光が鋭さを増した気がした。とてもいつもの陽平からは想像できない。
 ちょっと、ちょっと、ヤバくない? この状況。落ち着け、落ち着くのよ、あたし。落ち着けばきっと良い打開策が浮かぶはずよ。そう言えば、今日の晩ご飯は何だったかしら。ああ、そうだ。今日は二人とも仕事で遅いんだった。だったら出前でも取ろうかなーって、違ーう! そんなこと落ち着いて考えている場合じゃないのよ!
「いい、陽平。落ち着いて」
「冷や汗を浮かべて言うセリフじゃないな」
 えーと、今日の七時からは『刀山の銀さん・世界一周打ち首物語』があるから早く帰って録画の準備をしないとーって、コレも違ーう! あたしの灰色の脳細胞! ちゃんと働け!
「筆跡なんて、やろうと思えば真似ることだって出来るわ」
「それはお前の字がココに書いてあることを認めるってことだな?」
 そう言えば、ヤモリって爬虫類だっけ? 両生類だっけ? イモリも居るからややこしいのよ! 誰よ、こんな紛らわしい名前付けたの! ペンタゴンに訴えるわよ! ってああー、そんなことどうでもいいの!
「陽平がそう言ったんじゃない」
「そうだったな……」
 狡猾そう言って、陽平は二枚の手紙を広げてあたしに見せる。そこには何も書かれていなかった。ただの白紙だ。
「この手紙を見せた時の反応だけで十分だったよ。『どこに証拠が?』なんて何も知らない奴が、いきなり言う言葉じゃない。まず最初は『何のこと?』だろ?」
 ハメられた!? ハメ……ハメ……ハメ……ハメハメハ大王! ってなんでやねーん! それ、ゆーんやったらカメハメハやろー! ってああ! ノリツッコミしてる場合じゃないのに!
「さっきから大丈夫か? お前。一人で飛んだり跳ねたりして。悪いモンでも食ったのか?」
 陽平は少しあきれた顔であたしの方を見ている。心なしか語調が和らいだ気がした。
 さすがあたし! 無意識のうちに相手の戦意を刈り取っていたのね!
「ったく。お前のことだ。どーせ、軽い気持ちでやったんだろう。明日から学校中回ってキッチリ説明して貰うからな」
「……はい」
 やれやれ、と陽平は溜息をついてあたしにそう言う。あたしはそれに恭順の意を見せるべく素直に頷いた。どうやら丸く収まりそうな感じだ。ホントに良かった。
「で、理由くらい聞かせてくれるんだろ。なんで、こんな事書いたんだ?」
「いやー、それは……」
 あたしは最初から話そうと口を開いたが、陽平の差し出した手紙を見て呆気にとられた。

《あなたのブルマは僕が大切に使わせていただきます 凪坂陽平》
  
「ナニ、コレ?」
「お前、まだそんなこと……!」
 陽平の顔が再び怒りに染まっていく。
「ちょ、ちょっと待って。本当に知らないの! あたしが書いたのは、陽平のシューズボックスに入れたやつと、不良達に宛てた手紙だけ! そんな文章見たこと無いわ。それにあたしの字じゃないでしょ!?」
 焦ってまくし立てたあたしの言葉に陽平の顔から怒りの色が消えていく。
「……確かに。それにお前が芝居下手だと言うことはすでに証明済みだしな」
 悪かったわね。
「けど、僕はコイツのせいで犯人にされたんだぞ」
 そう言いながら陽平は手紙を睨み付け、ウーンとうねった。
「え?」
 ちょっと待って。あたしが聞いた話と違う。
「陽平。あんた、誰かに見られた訳じゃないの?」
「見られた? 僕が葉山の体操服を盗むところを? まさか。僕は立派な帰宅部だぞ。残業はしない」
 いや、ンな事で胸張られても。
「でも、あたしはそう聞いたけど」
「誰から?」
「鈴音」
 もうすぐ夏だというのに、ひんやりとした空気が、あたし達の間を吹き抜けた。




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