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ナイン・ゴッズ―秋降る雪は永遠に―

■Viewer Name: 神薙秋雪 Place: A地区マーケット・ウォール PM11:51■
 夜。このドームにおいてそれは必ずしも眠りの時間ではない。一部のミュータントは闇に活性化されて、その真価を発揮する。
 街灯やネオンの光に混じって、虚ろに揺らめく紅い点。それはミュータントの瞳の輝き。
(沙耶と暮らし始めて、もう五年もたったのか)
 共用型固定端末ターミナル・ボックスを探して、夜の街を徘徊しながら、秋雪は視線を上げた。
 ウェザー・シートは煌々と光を放つ満月だけを映し出している。雲は映写されていない。遮蔽物を全く介さないその輝きは、人工であることを忘れさせられるくらい美しかった。
(僕が、管理者を抜けたときもこんな満月の夜だった)
 ――六年前。秋雪はあるクエストが原因で管理者からの脱退を決意した。
 そのクエスト名は『鮮血の宴』。管理者の一人であるロゼが作り上げた物だ。難易度は最高で、未だにクリアできた者はいない。
 内容は至って単純。一人だけでエネミー・シンボルを千人斬りするというもの。
 クエストが行われるエリアに侵入すると、強制的にパーティを離脱させられる。その後、多対一で勝ち抜いていくことを強要され、千人斬りを果たすか、プレイヤーが力つきるかするまで終わらない。ここで通常と大きく違うのはクエストに失敗したときの判定。
 普通のクエストならば、プレイヤーが戦闘不能状態になると死亡判定となる。そうなった場合、他のプレイヤーに生き返らせて貰うか、ペナルティを払って街に強制帰還するかを選ぶことになるのたが、どちらにしろプレイヤーデータは消えずに、そのままゲームは続行できる。
 しかし、この『鮮血の宴』の場合はロストさせられる。この場合、データはすべて抹消され、思考具現化端末デモンズ・グリッドのランクもまた最低のFからやり直さなければならない。
 だが、それだけのリスクを支払ってでもトライするだけの報酬がこのクエストには用意されていた。その報酬とは、思考具現化端末デモンズ・グリッドのランクアップ上限をすべて解除するデバイス。
 つまり、時間さえかければいつかは必ずAランクにになれるのだ。Dランクで止まってしまっているプレイヤー達にとっては垂涎のデバイスだった。
(今思いだしても、吐き気がする。ロゼの価値観は理解できない)
 眉をひそめながら視線を動かした。最初に目に入ったのは共用型固定端末ターミナル・ボックスではなく、アクセサリー・ショップの灯り。その前で数名の若者が一人の女性を取り囲んで口論している。両方とも昂奮しているのか、語調はかなり激しい。
 そのうち、囲まれている女性の目が紅く光り始めた。
(ミュータント……!)
 秋雪の目がそちらに釘付けになる。まるで縫いつけられたかのように視線を逸らすことが出来ない。鼓動が徐々に早さを増していき、怒りに似た焦燥が体の最深から湧き起こった。
(やばい!)
 ミュータントの右頬に正面にいた若者の拳が刺さる。他の仲間が下劣な笑い声で、その行為を煽った。
 秋雪の両目が大きく見開かれる。続けて、二度三度と手加減無しに殴り続ける若者達。秋雪は全身から血の気が引いていくのを感じた。自分ではない黒い何かが、内側で首を持ち上げ、凄惨な笑みを浮かべながら理性を駆逐していく。
「っ!」
 秋雪が声を上げて争いを止めようとした時、一体のガードロボットが若者を殴りつけた。ヒューマノイド・タイプのガードロボットは、人間よりも数段早い動きで、次々と若者達を気絶させていく。
 安堵の溜息をつき、秋雪は近くにあったベンチに腰を下ろした。汗がどっと噴き出してくる。まるで何時間も走り続けたかのような、膨大な疲労が秋雪を襲った。
(この『病気』は治らないな……)
 自嘲気味に鼻を鳴らしながら、夜の冷たい空気を肺一杯に吸い込んだ。
 目を閉じる。暗い世界でロゼの顔が、さっきの若者達のように醜く歪んだ。
 『鮮血の宴』。それはブービートラップだった。絶対にクリアできないクエスト。なぜならば千人目の敵はロゼ自身だから。
 ――管理者は死なない。
 それは『ナイン・ゴッズ』における絶対のルール。久遠でなければ変えられない。
 プレイヤー達は破格の報酬を目指して、必死の形相で戦う。負ければロスト。その重圧は計り知れない。最初の余裕が少しずつ姿を潜め、撃破数が二百を越える辺りからは苦悶の表情に変わり、五百に到達した時点で後悔の念が顔を埋め尽くす。
 その光景を、ロゼはいつも至上の笑みを浮かべながら見下ろしていた。
 たった一人に容赦なく群がり、次々とライフポイントを削り取っていく。腕を落とされ、足をもがれ、目玉をえぐられる。プレイヤーは痛みを感じないとはいえ、その光景は凄絶だ。
 秋雪も管理者としての立場上、仕方なく立ち会ったことが何度かあった。
 出口のない迷宮を彷徨い続けるプレイヤー達を何人も見てきた。そして、そのたびに体内側からどす黒い感情が込み上げてくる。
 やがてソレは明確な意志を持ち始め、甘言を秋雪に囁き始めた。
 ――お前が代わりに、皆殺しにしてやればいい。
 そして、ある時一人のプレイヤーがクエスト『鮮血の宴』に挑む。そのプレイヤーの顔はどこか殺された自分の父親に似ており――
「よぅ、神薙。お前、何そんなに恐い顔してんだよ」
 突然声を掛けられ、秋雪はハッとして顔を上げた。
 声のした方に慌てて体を向けて、その相手を睨み付ける。
「っと……ご機嫌斜めだったかな?」
 申し訳なさそうな顔で立っていたのは、秋雪の同僚だった。
 会社帰りなのか、スーツ姿だ。クセのある短髪を煩わしそうに掻きながら、ネクタイを緩めて秋雪の隣に腰を押す。
「特別休暇は、あんまり楽しめてないようだな」
 悪戯っぽい笑みを浮かべ、同僚は下から秋雪の顔を見上げてきた。
(特別休暇? ああ、そういう措置にしたのか)
 水鈴の顔を思い浮かべながら、秋雪は嘆息する。
「今何やってんだよ。九綾寺さんは、プライベートな事だから詳しく言えないの一点張りで何も教えてくれねーしよ。他の奴らも知りたがってるぜ」
「ちょっとした頼まれ仕事だよ。すぐに終わらせて、また復帰するから心配しないでくれ」
 同僚から視線を逸らし、秋雪は言葉を濁した。今の精神状態では巧い言い訳が思い浮かばない。しかたなく他の会話をふることにした。
「そっちの仕事はどう? 特にトラブルは無い?」
「ああ、俺はな。朝から晩まで『ナイン・ゴッズ』にログインして、観光案内さ。いい加減別な仕事回して欲しいよ」
 いつもと変わらない、平凡な愚痴。だが秋雪はどこか違和感を感じた。
「『俺は』ってことは、他の奴らにトラブルでもあったのか?」
 その言葉を聞いて、同僚は何故か得意げな顔になる。そして突然、秋雪の肩を引き寄せ、口を耳元に寄せると衝撃の事実を告白した。
「実はな。今、九綾寺さんがすっげートラブってんだよ」
「えっ?」
 驚愕に目を見開き、秋雪は上げそうになった大声を何とか呑み込む。無意識に周囲を確認して、関係者がいないことを確かめると、「本当か?」と聞き返した。
 同僚は力強く頷いて続ける。
「ああ、なんかミスばっかり連発しててさー。この前なんか企業レベルでのデバイスの取引、ダメにしたらしいぜ? なんでも、発注したデバイスの種類も数も滅茶苦茶だったみたいでよー。あの人らしくないよなー」
 水鈴の仕事の正確さと迅速さには定評がある。
 思考具現化端末デモンズ・グリッドのランクがAで、しかも管理者補佐システム・エージェントということもあるが、現在会社が行っているサービスの主軸である、『ナイン・ゴッズ』内での安全な観光経路の確保は、水鈴が先導して完成させた物だ。
 彼女には一部の上層部の人間も頭が上がらないとまで言われている。
「体調もあんまり良くなさそうなんだよなー。ちょっと痩せたかな? この前なんか、週の最初っから二日酔いでさー。機嫌も悪いし。ありゃー、絶対にやけ酒だぜ」
 普段、冷静沈着な水鈴が崩れていることが面白くてたまらないのか、同僚は愉快そうにカラカラと笑った。
「で、だ。今、面白い噂が社内で飛び交っててな。九綾寺さんが調子崩したのと、お前が特別休暇取り始めた時が一緒なんだよなー。だから二人の間で、なんか致命的なトラブルでもあったんじゃないかって」
 秋雪の背筋に冷たい物が走り抜けた。
(やっぱりそうなのか……)
 これまで下位の存在でしかなかった秋雪が、管理者だったという現実。そして、掛け値なしの戦いで敗れたという事実。人間、完璧であればあるほど、それが壊されたときの恐怖は大きくなる。この二つは、水鈴のプライドを粉砕するには十分すぎたのだろう。
 悲壮に歪む水鈴の顔が、秋雪の頭に浮かんだ。
「なーんてな! じょーだんだよ、冗談。九綾寺さんと、お前の間で何かあるわけねーか! ハハハ!」
 同僚は秋雪の背中を叩きながら茶化す。しかし当然、秋雪にとっては笑い事ではなかった。かといって、自分がどうこうできる問題でもない。例え管理者権限を剥奪されたとしても同じ事だろう。一度刷り込まれた強烈な印象を色褪せさせるには時間が必要だ。
(しょうがない、よな……。九綾寺さんには悪いけど……)
 自分に言い訳し、強引に気を落ち着かせる。
 そして同僚に声を掛けようと口を開いたその時、秋雪の黒いロングコートのポケットからアラーム音がした。その音が、それまでの秋雪の思考をすべて遮断する。
 顔の筋肉が強ばり、全身に戦慄が走った。脳に直接、香草を塗り込められたかのように意識が鮮明になり、あらゆる事象が極めて明確に認識される。
「お、おい?」
 普段見たことのない秋雪の顔つきを目の当たりにしたせいか、同僚は遠慮がちに声を掛けた。
「おい、この辺りに共用型固定端末ターミナル・ボックスは無いか」
 力を持った視線で同僚を射抜き、秋雪は切迫した表情で突き放すように訊ねる。
「あ、ああ。ここを真っ直ぐ行ったヒーリング・レイの下に一人用のが有るけど……」
 その言葉が終わるか終わらないかの内に、秋雪は弾けたように走り出した。
 耳元でうねりを上げる冷たい夜風を感じながら、ポケットに手を突っ込みアラーム音を発していた物体を取り上げる。
 それは『ナイン・ゴッズ』の電子トラップ情報を伝えるようにセットしたアクセスバンド。AかFランクのプレイヤーのロストと、データバンクに登録されていないデバイスの使用が、近距離で確認された場合に反応するようにしてある。
(間に合ってくれ!)
 祈るような思いを胸に、秋雪は共用型固定端末ターミナル・ボックスに急いだ。

 ――On Line――
■Viewer Name: 神薙秋雪 Place: ナイン・ゴッズ AM0:18■
 運が良かった、というべきか。秋雪がその場所に到着した時、例のプレイヤー・キラーと思われる人物は未だそこにいた。選んだ共用型固定端末ターミナル・ボックスが良かったせいもある。エンハンス・デバイスであるクイック・ドライブを使用して超高速で移動すれば、ものの十分も掛から無かった。しかし、それ以上に大きな理由は――
「お、前……」
 黒い炎、とでも言うべき漆黒の剣を抜き身持ち、彼女は悠然と佇んでいた。
 その剣と同じ色を持つ髪の毛とイブニングドレス。口元には常に艶麗な笑みを張り付かせて、胸元に下げた髑髏の首飾りを、剣を持っていない方の手で弄んでいる。
 その足下には累々と横たわる一般プレイヤー達の死体。どれも、激痛と恐怖に顔を歪ませ息絶えていた。
「あーら、意外と早かったのね。もう一人くらい、行こうと思っていたのに」
 艶やかな髪の毛を彩る宝石類をいじりながら、まだ息のあるプレイヤーから残念そうに顔を背け、彼女は秋雪の方に体を向けた。
 大量虐殺。これによって彼女はこの場所に足を止め、その間に秋雪は追いつくことが出来た。
「お久しぶりね、レノンザード。会いたかったわ」
 唇をなまめかしく指先でなぞりながら、彼女は秋雪との邂逅を冷笑する。
「ロゼ……貴様が……」
 体を震わせ、秋雪は彼女の名前を呼んだ。
 その言葉にロゼは嬉しそうに目を細め、黒い剣を消す。ふくよかな胸の前で腕を組み、挑発的な視線を秋雪に向けた。
「シティ・エリアでテロ行為をするとどうなるか、知らない訳じゃないだろ?」
 目線だけを動かして注意深く周囲を見回しながら、秋雪は低い声で言う。
 プレイヤーの憩いの場であった広場。噴水は無惨に壊され、彩り鮮やかだった花々は炭と化していた。趣のあるレンガ造りの家も原形をとどめておらず、賑やかだった街の商店も閑散として人の気配は無い。残っているのは、プログラムに沿って行動するだけのノンプレイヤー・キャラクターのみ。
「管理者の権限を使えば、管理者補佐システム・エージェントの目をかいくぐる事なんて分けないわ」
 前髪をかき上げながら、ロゼは薄く笑みを浮かべた。片眉を上げ、「いままでもそうしてきたしね」と付け加える。
「久遠に消されるぞ」
「それが出来るんなら、とっくにそうなっていると思わない?」
 こちらを試すかのような口調。謎掛けのようなその言葉に秋雪は顔をしかめた。
(確かにそうだ。夜崎倖介の話が本当なら、久遠は管理者の行動を距離に関係なく把握できるはず。多分、僕がここにいることも、そして恐らくはロゼと会話していることも分かっているはず……)
 視線を絞り、ロゼを真っ向から見据える。まるで、その奥に隠されているはずの真意を探るかのように。
(久遠の監視システムすらかいくぐることが出来るプログラムを開発した? それとも、久遠とグルなのか? どちらも考えにくいな)
「考えはまとまったかしら?」
 ロゼは秋雪の思考の流れを断ち切るように言葉を発し、思考具現化端末デモンズ・グリッドを立ち上げた。厚みを持たない、黒い半透明のモニターが彼女の眼前に浮遊、停滞する。
「何故こんな事をする」
「貴方と戦いたかったから、って言ったら信じてくれる?」
 徐々にロゼの放つ殺気が強くなる。
 思考具現化端末デモンズ・グリッドには高速で白い文字が打ち出され、数秒後には黒い剣がロゼの右手に顕現していた。
「そんな戯れ言を真に受けるほど馬鹿じゃない」
「そう、残念ね」
 笑みを絶やさぬまま言い、黒い剣をわずかに息のあったプレイヤーに突き立てる。
 空気を切り裂き、断層を生じさせるような最期の悲鳴。それが戦い開始の合図だった。
「くたばれ! レノンザード!」
 黒い剣を胸元で真横に構え、ロゼは黒い風となって秋雪に向かって跳ぶ。
「っな!?」
 不意をつかれた秋雪だったが、右下から払い上げるように繰り出された剣撃の軌道を読み、左に倒れ込んでかろうじて回避した。そのままレンガ張りの地面を転がってロゼから離れる。少し勢いに乗ったところで片腕を地面に叩き付け、その反動で体を起こした。そして、ロゼの姿を確認することなく大きく跳躍する。
「ハハハハハ! どうした! 逃げ回っているだけか!」
 さっきまで秋雪がいた場所に黒い剣を叩き付けられる。轟音と共にレンガがめくれ上がり、周囲に飛散した。
【マスターキーを用いて、メイン・サーバー『アピス』よりデバイスをダウンロードします。
 アシスト・デバイス "Gravity_Ruler" を常駐。重力地場を制御出来ます】
 思考具現化端末デモンズ・グリッドを立ち上げ、秋雪は空中で静止する。眼下で悠然と構えるロゼ見下ろしながら口を開いた。
「珍しいじゃないか。お前が真っ正面から戦いを挑んでくるなんて。得意分野は心理戦だろ? それに、いつから右利きになったんだ?」
【アシスト・デバイス "Silver_Eyes" を常駐。ターゲットを指定してください】
 秋雪の視界が緑色に染まり、黄色い線が格子状に入る。
(狙いは……あの黒い剣)
 紅い光点が秋雪の目線に会わせて動き、ロゼの持つ剣に合わさったところで止まった。
【ターゲット確認。サーチを開始……拒否されました。
 マスターキーを用いて上位からシステムにアクセスします。
 コマンド・シェル解除。システム・エージェント解除。セキュリティ・デーモン解除。
 オメガ・マトリックスを離脱します。
 アナザー・メソッド:ブラック・スキームを使用。
ID入力…….承認。第一パスワード入力……承認。第二パスワード入力……承認。第三パスワード入力……承認。
 ハッキング・モードに入ります。強制サーチ開始】
(よし……)
 思考具現化端末デモンズ・グリッドが分析を開始した事を確認して、秋雪は再びロゼに視線を戻す。しかし、すでにそこに姿はなかった。
(後ろか)
 直感で判断を下し、消失させていた重力を復活させる。直後、秋雪の銀髪が数本、体から離れて風に舞った。
「今のはきわどいぞ! 次は避けられるか!」
 哄笑を上げ、ロゼは嬉しそうに黒い剣を振り上げる。落下していく秋雪をその構えのままで追い、射程範囲に捕らえたところで自重と重力加速を剣撃に乗せ、一気に振り下ろしてきた。
【"Gravity_Ruler" により重力地場を左側面へと移行します】
 真下に落下していた秋雪の体は直角に右方向へと軌道修正し、ロゼの攻撃をやり過ごす。
【――擬似生命体エディット・モード起動――
 フレーミング……コンプリート。テクスチャリング……コンプリート。
 一時召喚プログラム "Scape_Goat" Run】
 秋雪の体が一瞬大きくぶれる。次の瞬間、剥がれ落ちるようにして、全く同じ姿をした秋雪の分身が何人も現出した。
「小賢しい!」
 苛立ちの声を上げ、ロゼは黒い剣で次々と秋雪の分身を葬っていく。分身は何の抵抗もせぬまま斬られ、光の粒子を残して空気に溶けた。
(妙だ……)
 そんなロゼを見ながら秋雪は違和感を感じていた。
(ロゼは最初から手を下すタイプじゃない。それにいきなり肉弾戦を仕掛けてくるような奴でもない。もっと陰湿な攻めを好むはずだ)
 『鮮血の宴』をはじめ、これまでロゼが創りだしてきたクエストは、仲間割れを引き起こさせたり、プレイヤーの家族と同じ姿のエネミー・シンボルを配置したりと、不愉快な物ばかりだった。
 そういった精神を疲弊させるような設定を組み、本来の実力を封じておいてとどめを刺す。そんな展開を好んでいた。
「戦え! レノンザード! 私の前に出てこい!」
(これ程、感情をむき出しにするロゼは初めて見る。ひょっとして僕と戦いたかったという言葉は本当なのか?)
 ロゼを憎みこそすれ、憎まれるようなことをした覚えはない。だが、それはあくまで秋雪が勝手にそう思っているだけのこと。
(まぁ、丁度良いさ。これでお前を倒す大義名分が出来た。鬱憤の解消と、久遠からの依頼の達成。まさに一石二鳥だな)
 離れた場所からロゼを見つめ、その視線の間に思考具現化端末デモンズ・グリッドを挟む。
 そこにはサーチ結果が記されていた。
【デバイス名: "Soul_Braker"
 保持者:ロゼ=ローレンスヴィール。
 効果:痛覚情報の付加、感覚フィードバックシステムの強化、ブラック・スキームの抹消。
 追記事項:このデバイスを使用するには管理者権限が必要です。痛覚情報が強化されてリアル体にフィードバックされるため、ダメージが深刻になった場合、リアル体が死亡する可能性があります。ブラック・スキームが抹消されるため、失われたバーチャル体のパーツは管理者権限によってのみ再生、復活出来ます。ブラック・スキームの抹消と痛覚情報の付加は連動しています】
(なるほど、ね)
 記された情報に目を通し、思考具現化端末デモンズ・グリッドごしにロゼを見る。
(つまりはブラック・スキームの抹消効果を打ち消せばいいわけだ)
 『ナイン・ゴッズ』におけるバーチャル体の体は、レッド/ブルー・スキームと呼ばれる表の制御数値と、ブラック・スキームと呼ばれる裏の制御数値で構成されている。この二つを例えるなら、レッド/ブルー・スキームは衣服であり、ブラック・スキームはその内側にある肉体ということになる。
 ダメージを受けたり、ステータスが変動した場合、レッド/ブルー・スキームが書き換えられ、プレイヤーの状態として反映される。この数値は可変的な物で、どのランクの思考具現化端末デモンズ・グリッドであっても、手段さえ有れば書き換え可能だ。
 一方、ブラック・スキームはレッド/ブルー・スキームの内側にある数値で、プレイヤーの存在自体を表し、『そこにいる』という事を保証している。サーチ系のデバイスから逃れるためには、このブラック・スキームをいかに強固なレッド/ブルー・スキームで覆えるかどうかにかかっている。 
 ブラック・スキームは管理者と、その部下である管理者補佐システム・エージェントにしか書き換える権限が無く、プレイヤー・データが完全に無くなる『ロスト』を意味する抹消は管理者にしか出来ない。
 ロゼの創りだしたオリジナルのデバイス”ソウル・ブレイカー”は、ブラック・スキームを抹消する事によって、痛覚情報を付加し、その情報を強化してリアル体にフィードバックさせていた。
(どうやって創ったんだ、そんなデバイス……)
 明らかに、『ナイン・ゴッズ』のプレイヤーを通してリアル体を殺すために創られたデバイス。純粋な殺人目的にのみに特化したその効果に、秋雪は底冷えする何かを感じた。
「こっちだ! ロゼ!」
 叫んで秋雪は無数に散らばった分身を消す。
 声に反応して、ロゼは鬼のような形相を秋雪の方に向けた。美しかった髪の毛は乱れ、装飾は殆ど取れてしまっている。
(どうして、そんなに僕を殺したいのかは知らないけど、今のお前じゃ無理だ。以前より格段に弱い)
 ロゼは未だにソウル・ブレイカーしか使っていない。最初は手を隠しているのかと思っていたが、分身であそこまで苦戦しているところを見ると、そうではないらしい。
思考具現化端末デモンズ・グリッドの使い方を忘れたのか? ロゼ。そんな醜悪な顔するなんて、お前らしくもない」
 自分の顔つきが変わって行くのが分かる。余裕と自信を孕んだ視線をロゼの方に向けた。
 かつて、管理者レノンザードが勝利を確信した時に見せた表情だ。
「黙れ! 貴様だけは絶対に殺す!」
 ソウル・ブレイカーを振り上げ、五十メートルはあろうかと思われる距離を一息で詰める。
【マスターキーを用いて上位からシステムにアクセスします。
 ――スキーム・エディットモード起動――
 限定解除。規定エディターからの逸脱が許可されました。
 コマンドラインより、直接タームコードを入力してください】
「負界に棲みし妖凶喰らう、異端の嗜好持ちし者……」
 渾身の力を込めて振り下ろされる黒い剣。秋雪は両腕を交差させることでソレを受け止めた。
「っな!?」
 ロゼの顔が驚愕の色に染まる。それを後目に秋雪は、黒い波動に浸食されつつある腕を見ながら、冷静にタームコードを連ねる。
「其の胎内に内包せし混沌を吐き出し、恵迅の輝きに換えよ!」
【ブラック・スキームの抹消を逆転。再生、復元を開始します】
 腕を切り落とさんばかりに食い込んでいた黒い剣が徐々に押し戻され、眩い光を伴って中程まで切られたはずの秋雪の腕が完治していく。
「おのれ! オノレェェェェ!」
 悔しさと焦りに咆吼し、ロゼはソウル・ブレイカーを持つ手に力を込めた。
「邪悪を安寧に、瓦解を創造に、嘲弄を賛美に! 流転を絶ち斬り、悉く正界へと向かえ! 我かかげるは瑠璃色の剣針。精細なる光の輝きは万物を祝福する!」
【再生、復元の加速を確認。接触デバイスの存在核を取り込み完了。ブレイク】
 金属糸をつま弾いたような、高く澄んだ音。
 完全に押し戻され、秋雪の体から離れたソウル・ブレイカーは光の粒子を残して跡形もなく消え去った。
「そ、んな……」
 絶望に両目を見開き、ロゼは力無く後ずさる。
「元々コマンドラインの扱いは僕の方が上なんだ。それに何があったかは知らないが、今のお前は昔より弱い。そのデバイスに頼りすぎたせいか?」
「弱い、だと? この私が……?」
 ギリ、と奥歯を噛み、下から壮絶な形相で秋雪を睨み付ける。『弱い』という言葉に触発されたのか、一度喪失しかかった戦意が再びロゼの中で復活したように見えた。
「貴様だけは、貴様だけは絶対に殺すぞ! 『刃』!」
 吐き捨てるようにそう言い残し、ロゼは秋雪に背中を向けて走り出した。
 何かのデバイスを使っているのだろう。驚くべき速度で、その姿が小さくなっていく。
「に、逃がすか!」
 二呼吸ほど遅れて、秋雪も追うために思考具現化端末デモンズ・グリッドを立ち上げる。
(アイツ! 今、僕のことを『刃』って!)
 反応が遅れた理由はソレだった。
 秋雪がミュータント・キラー――刃――であることを知っている人物は、非常に限られている。久遠と、その関係者。だが久遠は理知的で計算高い人間だ。自分にメリットがない限り、不用意にそのことを吹聴したりはしない。
(とにかく! ココで逃がすわけには行かない!)
 エンハンス・デバイス”クイック・ドライブ”を起動させた。
 五十倍の速度倍加指数を入力し、体を前傾させる。そして足で地面を蹴ろうとした時、目の前がいきなり極彩色で覆われた。
「ハッハハハハハ! なっかなか、やるじゃん! 俺チョー痺れちゃったよ!」
 変声機を使って人為的に音域を上げたような、違和感のある甲高い声。
「けど、ショターイムはこれでジ・エーンド! 続きはまたネスクト・チャーンスって事にしてくんねーかな?」
 頭に乗せた三角帽はピンクと黄色の縞模様。全身にピッタリと張り付いたタイツは赤地に色とりどりの星印。手首、足首、首周り、そして腰には虹色に輝くフリルがあつらえられ、白く塗った顔には涙と笑顔のペインティング。
「ユーも疲れたろ? そろそろママのオッパイでもしゃぶって、グッナイ・ソングを歌ってもらっほうが良いんじゃないかーい?」
 サーカスのピエロの格好をしたその男は、右手に持った子供の玩具用のスティックを大げさに振り回し、軽快な口調で秋雪に話しかけた。
「なんだ、お前! そこをどけ!」
 突然降って湧いた道化の体を押しのけ、秋雪はロゼが去っていった方向を見た。もう、姿は全く見えない。
「ヘイ! バイオレンスはノーサンクスだ。トークで解決しよーぜ。だって俺達友達じゃーん」
【マジック・デバイスより攻撃用プログラム 最上級氷結ソーサリー "Varus_Voague[バルス・ヴォーグ]" を読み込みました。Run】
 次の瞬間、ピエロの頭上に冗談じみた大きさを持つ氷の塊が現出する。
「ワォ!」
 緊張感の無い声を上げながら、ピエロは秋雪から離れようとする。しかし体が動かない。とたんに顔に焦りが表れ、キョロキョロと辺りを見回す。
「消え失せろ」
 氷の鎖で地面に縫いつけられたピエロの足を一瞥して、秋雪はロゼの消えた方の見た。
(もう無理か……とんだ邪魔が入ったな)
 舌打ちをし、圧倒的な重量を持つ氷に押しつぶされたピエロがいる場所に視線を向ける。
「ヒュー、あぶねーあぶねー。もーちょっとで、ゴートゥーヘールするところだったぜ」
 声は後ろからした。慌てて振り向くと、スティックをうちわのように使って顔を仰ぎながら、壊れた噴水の上にあぐらを掻いているピエロがいた。
「貴様……」
 秋雪は苛立たしげな顔つきになり、険しい視線をピエロにぶつける。そして再び思考具現化端末デモンズ・グリッドを立ち上げた。
「ヘーイヘイ、俺は別にユーとバトる為に来た訳じゃナッシーン。ちょっとしたアドバイスをプレゼント・フォー・ユーって感じな、オーケー? ハハハハ!」
【ガン・デバイス "Seventh_Heaven" を常駐、顕現します】
 秋雪の両手に、ライフルのような長さを持つ二挺の銃が現れる。そして、その引き金を躊躇うことなく引いた。
 まるでレーザーポイントの様な紅い火線がピエロに接触したか思うと、その部分が突然内部爆発を起こす。ピエロの体に刻まれた紅い軌跡に沿って、連続的な爆発がまき起こった。
「アッハハ! さっすがミュータント・キラーだね! 一皮剥けば、凶暴性ハローって訳だ!」
 爆発の向こうで、相変わらずふざけた口調が平然と聞こえる。
(コイツも僕がミュータント・キラーって事を! それに、一般プレイヤーじゃない!)
 銃を消し、警戒の色を強めて煙の向こうを睨み付けた。
「どーも、話し合いになんねーよーだから、俺の方から、ワンウェイパスで行かせて貰うかな。
 さっきの、エロいねーちゃんにボコられた奴の生き残りがまだ一人残ってるぜ! ちゃんと探してみな! ソイツのリアル・ホディーはA地区の十二番街、サニィ・スカイってビリディングの二六〇五号室だ! 色々、ッタレスティンッな情報ゲットできるかもな! シーユー!」
 煙が晴れた時、さっきまでピエロがいた場所にはピエロの小さなヌイグルミが置かれていた。ソレは口に手紙をくわえており、『また会おうぜレノンザード。 ブラッドより愛を込めて』と書かれていた。
「くそっ!」
 ソレを踏みつけ、瓦礫と化した街並みを見回す。
(アイツの言葉が本当なら……)
 秋雪は半信半疑で思考具現化端末デモンズ・グリッドを立ち上げ、サーチを開始した。




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