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ナイン・ゴッズ―秋降る雪は永遠に―

■Viewer Name: 漣鏡一朗 Place: A地区 総合病院 五〇四四号室 AM0:16■
「それじゃあねっ、先生っ。また明日っ」
 病室の中から笑顔で手を振る未玖に、鏡一朗は辛うじて笑みを浮かべて頷いた。
 右手の痛みが限界だった。麻酔と鎮痛剤で何とか誤魔化していたが、それも長くは続かない。
(まったく、ついてないな。こんな時に当直を交代させられるなんて)
 白く、なだらかな曲線を描く壁に身をあずけながら、フラフラとした足取りで廊下を歩く。リフレッシュ・ルームにあるソファーに倒れ込むようにして座り、前左右と三方に設置された窓から外景を臨んだ。黒いバックに、色とりどりの光華が咲いている。
 時刻は夜の十二時を回った辺り。周囲に人の気配はない。最低限の人員だけを残して、後はガードロボットが警備をしている。異様なまでの静けさの中、薄明かりだけで照らし出されている今の状態は、まるで自分だけがこの世界に取り残されてしまったような錯覚をもたらした。
(とにかく、この痛みを何とかしなくちゃな)
 白衣の上から右の上腕部を抑える。軽く触れただけで激痛が走った。自分の意志とは無関係に、冷たい汗が噴き出て来る。外傷があるわけではなかった。内出血しているわけでも、骨が折れているわけでもない。一見すれば健康的な腕と何ら変わりはない。しかし確かに痛みはそこに存在した。
 と、遠くの方で硬質的な音がした。ハイヒールが廊下を叩く音だ。それはゆっくりと、そして確実にこちらに近づいてきていた。
「つらそうですわね」
 闇が人の形を取る。黒い海から生まれ出てきたかのように、影の中から一人の看護婦が姿を現した。
「葛城君……君も、泊まりかい?」
「貴方に最後の忠告に来ましたの」
 鏡一朗の言葉を無視して、葛城那緒は腕を組み、高圧的な態度でこちらを見下ろす。
「もうまもなく、神薙秋雪がここにやってきますわ。ミュータント・キラー、刃として」
 ビクン、と鏡一朗の体が跳ね上がった。
 ミュータント・キラー。刃。その二つの単語が、鏡一朗の血液を沸騰させんばかりに体内で暴れ回る。右腕の痛みが、怒りと悦びに置き換えられ、徐々に薄れていくのが分かった。
「やはり、君はあの時のピエロなんだな」
「ええ。最初からずっと、貴方を監視するためにココに派遣されました」
 鏡一朗の顔が歪む。
「結局、貴方はソウル・ブレイカーを完成させることはできなかった。しかし、反乱分子と未洗脳者の抹殺は達成した。その点を久遠様は高く評価してらっしゃいます」
「反乱分子? 未洗脳者? 何のことだ?」
 訝しげな顔になって、鏡一朗は聞き返した。
 那緒はシャギーカットの髪を軽く梳き、ナースキャップをはずす。
「『リバース・アピス計画』に必要のない者達。『ナイン・ゴッズ』の一般公開に反対した政府関係者であるランクAの者と、『ナイン・ゴッズ』依存症となっていないランクFの者」
 目を細め、軽蔑するかのような視線を鏡一朗に向けた。
 久遠が鏡一朗に力を与える変わりに要求したこと。それは思考具現化端末デモンズ・グリッドのランクAとFの指定されたプレイヤーを、ソウル・ブレイカーで現実死リアル・ロストさせること。久遠には試し切りをして、ソウル・ブレイカーを完成型に導けと言われていた。
「『リバース・アピス計画』ってなんだ」
「現実世界の住人をすべて『ナイン・ゴッズ』に住まわせること。かつて実在したと言われている超巨大大陸アピスの復活(リバース-Rebirth-)。これまで、仮想世界でなかった空間が現実世界となる」
 職業柄、嘘かどうかは目を見れば分かる。恐らく、今那緒の言っていることは本当だろう。壮大な計画だが、久遠の権限を持ってすればあながち不可能な事ではない。
 しかし鏡一朗にとってそんな事はどうでも良かった。今のこの状況で重要なことは別にある。
「どうして私にそんなことを話す」
 嫌な予感がした。とてつもなく嫌な予感が。
「貴方にはこれから一仕事して頂かなくてはなりません。その報酬を前払いしただけですわ」
 那緒はニッコリと微笑み、ナースキャップに手を入れる。そして取り出したときには、小型のレーザーガンが握られていた。
「なんの、冗談だ?」
 鏡一朗の言葉に答えることなく、レーザーガンが額に向けられる。
「すべては久遠様のため」
「やめっ……!」
 ジュッ、と肉に焦げ目が付く音を最後に、鏡一朗の意識は暗い泥土に埋没していった。

■Viewer Name: 刃 Place: A地区 総合病院 屋上 AM1:37■
 夜風が頬を撫でる。
 ドームの天蓋に貼り付けられたウェザー・シートは、満天の星空を映しだしていた。
「こんな所にいたのか」
 刃は病院の屋上でようやく目的の人物を見つけた。ポケットに手を突っ込み、ゆっくりと近づいていく。
「そろそろ来る頃だと思っていましたよ」
 待ちくたびれたと言わんばかりに、白衣に身を包んだ医師、漣鏡一朗は刃を睥睨した。落下防止のために備え付けられた軟性金属に背中をあずけ、余裕の態度で両目を細める。
「まさか出迎えられるとはね。てっきり白を切り通すかと思っていたぜ」
「貴方が私に会いに来る理由は一つしかありませんからね。刃」
 風でひるがえる白衣を意にも介さず、鏡一朗は不敵な笑みを浮かべた。
「ところで聞かせて貰えませか。どうして私がロゼのリアル体だと?」
「なに、簡単な話さ」
 銀髪をかき上げ、薄く眼を開いて刃は続ける。
「夜崎倖介の話だと秋雪は久遠の筋書き通りに行動していたみたいだからな。もし夜崎倖介が変な気を起こすことなく、秋雪がロゼのリアル体を訪ねていって死んでいることを確認した時の事を考えればいい。秋雪が真っ先に戻ってくるのは最後の手がかりとなった九綾寺未玖が入院する場所、つまりはココだ」
 右手を中空に投げ出し、軽くおどけて見せながら、つま先で闇色に塗りつぶされた屋上の不浄コンクリートを小突いた。
「一度出ていった場所にもう秋雪を一度戻したかったって事は、そこに留まっていて欲しいって事だ。なら、ココが終着駅と考えるのが妥当だろ? それにココは閉鎖空間だ。外でウロチョロ動かれたり、『ナイン・ゴッズ』で圧倒的な力を振り回されたりするよりはよっぽど仕留めやすい。つまり久遠の相方、ロゼのリアル体は病院関係者である可能性が高いって考えたわけさ」
「なるほど。それで?」
 特に動じた様子もなく、鏡一朗は無表情のまま眼鏡の位置を直す。そして視線で刃の言葉の先を促した。
「で、ちょっと思いだしたんだ。そう言えばおかしなこと言ってた奴がいたなって」
 刃は視線を僅かに上げ、何かを回想するかのように泳がせる。
「あんたは秋雪と九綾寺未玖の関係を最初に聞いた。で、秋雪はとりあえず『同じパーティーを組んでいた者』と答えた。ソレを聞いてアンタはすぐに例のプレイヤー・キラーと結びつけた。秋雪は一言も『ナイン・ゴッズ』で怪我を負ったとは言ってないにも関わらず、だ。まずは現実世界のオフ会か何かで一緒にいた時、交通事故にでも遭ったと考えるのが普通なんじゃないのか?」
 刃の鋭い追及に、鏡一朗は感心したように声を小さく上げながらも、その内面は決して崩れていそうにはなかった。むしろ、犯人役を演じきることに快感すら覚えているように見える。
「それに決定的な証拠が一つある。なぁ、あんた何で『ナイン・ゴッズ』のことそんなに詳しく知ってたんだ?」
 そこでいったん言葉を句切り、語調を強めて続けた。
「ミュータントのくせに」
 ミュータントにはIDやパスワードは一切与えられない。ソレは久遠がミュータントを嫌っているからであり、自分の世界である『ナイン・ゴッズ』に入れたくないからだ。
「よく、分かりましたね。今までばれたことはないのですが」
「職業病ってヤツさ。気にするな」
 肩をすくめ、挑発的な笑みを浮かべる。
「追加のIDを付与するには管理者権限が必要だ。ミュータントにわざわざそんなことまでしてやる酔狂なヤツは、秋雪くらいのもんだと思ってたんだがな。ま、久遠が捨て駒として使う分にはミュータントはうってつけって訳か」
 鏡一朗は静かに目を閉じた。そして追憶するかのように天を仰ぎ、大きく息を吐く。
「長かった。五年前、か……。紅坂久遠が私の復讐に手を貸してやると、この病院を訪ねてきたのは」
「復讐、ねぇ」
「お前は覚えていないだろうな。虫けらのように殺した、私の両親のことなど」
 鏡一朗は顔を正面に戻し、ゆっくりと眼を開く。緋色に染まった双眸が、刃を捕らえていた。
「ああ、勿論」
 即答した刃に鏡一朗は、カッと目を見開き激怒に顔を歪めていく。
「このゲス野郎が……。お前は目の前で親を殺された子供が、立ち直るためにどれだけの思いをして来たのか知っているのか」
「世の中のすべてを疑い、憎み、破滅させようとする。痛いほどに分かるさ。俺は、そんな秋雪の気持ちを解消するために生み出されたからな。秋雪の両親も殺された。ミュータントにな」
 鏡一朗は真紅に染まった瞳で刃を射抜き、剣呑な表情を更に深めた。
「ほぅ。なら次は私の番だな。今度は私が人間共を皆殺しにしても良い権利を得たわけだ。貴様と同じようにな」
「お前に力があればな」
「あるさ。久遠がくれた。『ナイン・ゴッズ』で絶対的な力を誇る管理者としての権限を。そして人間共を現実死リアル・ロストさせるデバイスをな」
 狂喜に染まっていく鏡一朗の顔に憐憫の視線を送り、刃は溜息をつく。
「分かっているとは思うがお前は久遠に利用されているだけだ。ソウル・ブレイカーが完成して用済みになれば、すぐにでも殺される」
「そんなことはどうだって良い。貴様を道連れに出来れば本望さ」
 口の端に浮かんだ怖気を感じさせる冷笑が、今の鏡一朗の危うさを雄弁に物語っていた。
「そんなに憎んでいるなら、どうして最初に会った時に秋雪を刺さなかったんだ?」
「私が憎んでいるのは貴様だよ、刃。待っていたのさ、お前が表に出てくるのを!」
 叫んで鏡一朗はどこからかレイ・ナイフを取り出す。三十センチほどの刀身は淡い白光を放ち、陽炎のように揺らめいていた。
(やれやれ。久遠から二重人格のことや、ミュータント・キラーの事は聞かさせていても、オリジナルの思考具現化端末デモンズ・グリッドについては何も知らされていないのか)
 両手で持った柄の部分を腹に当てて固定し、鏡一朗は叫び声を上げながら突進してくる。虚しく響く雄叫びを、どこか上の空で聞きながら、刃は嘆息した。
「おおおおおぉぉぉ!」
 急速に消失していく自分と鏡一朗との距離を、刃は虚ろな視線で見つめる。
(まぁ、少しでもコイツの気が晴れるんなら……)
 そう思い、薄い隙間を残して狭めた視界の中でレイ・ナイフが徐々に姿を変えていく。
 短刀ほどしかなかった刀身は二メートルほどにまで伸び、白い光は琥珀色を経て漆黒の闇へと変貌した。先程までは護身程度の武器でしかなかったレイ・ナイフは、禍々しい暗色に満ちた一振りの剣へと変化をとげる。
「っな!」
 刃の顔にありありと動揺の色が走った。体を捻ってかわそうとするが、距離が近すぎる。
「……っ! はっ、がぁ!」
 まるで吸い込まれるようにして黒い剣は刃の体へと埋め込まれた。
 胸元に走る激痛。それが甚大な熱量を帯び、全身に伝播していく。喉からマグマの如き灼熱を帯びた塊が込み上げ、口腔で産声を上げた。
「ぁっ! うぁ……! ゴっ! ガアアアアああぁぁあああぁぁぁ!」
 ビシャビシャと湿った音が足下で響く。自分で上げた絶叫が、耳鳴りのように鼓膜にこびりついた。頭の中に不愉快な振動波が鎮座する。吐き気を伴った目眩が刃の精神を蝕んでいった。
「そう、待っていたんだ。ソウル・ブレイカーがある程度完成し、お前が表に出てくるのをな」
「き……さ、ま……!」
 自分の体に身を寄せるようにして、冷淡な口調で言葉を発する主は、すでに鏡一朗の姿をしていなかった。
 背中まで伸びた長く黒い髪。氷結を思わせる蒼い瞳。通った鼻筋。異国的な顔立ち。
「く、おん!」
「久しぶりだな、刃。私の芝居もなかなかの物だったろ?」
 刃の吐き出した鮮血を顔面に浴び、血の化粧を施された女は冷厳な雰囲気を纏わせてこちらを見上げる。その視線は自信と余裕に満ち、支配者としての格を体現していた。
思考具現化端末デモンズ・グリッドで姿を変えて……。クソッ! ミスった! や、ばい……)
 意識が白んでいく。これまで二度体験した感覚。だが、今回は決定的に違う点があった。
(俺が、消えていくのが分かる。このまま眠ったら、二度と目覚めない……)
 改良型のソウル・ブレイカー。それは、コレまでのように刃を眠らせるだけではなく、消滅させる力を持つ。
「オオオオオオォォォォォ!」
 激しい咆吼と共に強制的な覚醒を促し、刃は己の体に突き刺さった黒い剣を掴んだ。
「ふむ。やはり不完全なままでは一撃死には至らないか」
 表情を変えぬまま、久遠が抑揚のない喋り方で呟く。その間に刃は思考具現化端末デモンズ・グリッドを立ち上げた。
『ジェネシス・キーを用いて上位からシステムを読み込みます。
 ダブル・コード《ソウル》と《アーク》を解放しました。
 アルファからイプシロンまでのシステムを直結。限定エリアでのバイパスが可能です。
 任意デバイスの多重解析プログラム "Shot-gun_Resonance" のショートカット・キーを作成。実行します』
 ソウル・ブレイカーを握りしめた刃の手に青白い光が灯り、溢れだした光が複雑な紋字を中空に描いていく。その紋字は螺旋を描き、久遠の持つ黒い剣にまとわりついた。
「カンニングは感心しないな」
 低く、透き通った声で言いながら、久遠はソウル・ブレイカーの刀身をひねる。
「ッが!」
 刃の傷口が広がり、おびただしい量の血が足下に溜まりを作っていった。
『……情報取得完了。逆アセンブラによりデコードします』
「ほぅ。まだプログラムを走らせ続けるか。大した精神力だ」
 冷たく言い、剣を持つ手に力を込める。それに呼応して、ソウル・ブレイカーの黒い光が一層濃さを増した。ボコン、と刃の左肩が異常に膨れあがる。そして内圧に耐えかねたように爆ぜ、紅い飛沫を周囲に撒き散らした。
(くそ……セーフティ・プログラムの発動が遅い。これも、ソウル・ブレイカーの影響か……)
 痛みは麻痺し始めていた。しかし出血量が多い。早急に治療する必要があった。
『……デコード完了。新規情報の取得に成功しました。ソース形態で保存します』
 両目を眦が切れるほどに大きく見開く。そして力を振り絞り、久遠の体を押しのけて、体に突き刺さった異物を除去した。
「はぁ……はぁ……。クソッ!」
 口の中に溜まった血を唾液と共に吐き出し、忌々しげに久遠を睨み付ける。しかし、久遠はそれを涼しげに受け流すだけで、追撃を仕掛ける気配は見せなかった。
『ジェネシス・キーによる上位からの限定解除によりクラスSでの使用が許可されています。ライフセーフ・データバンク強制アクセス。
 セーフティ・プログラム "Resurrection" Run
 神経修復……完了。臓器修復……完了。血管修復……完了。骨格修復……完了。皮膚修復……完了。不足血液補充……完了。不足溶存酸素補充……完了』
 さっきまで満身創痍だった刃の体が、みるみる完治していく。えぐれていた肩と胸は、内側からせり出してきた肉によって補完され、あるべき形を取ると一瞬で皮がコーティングしていく。大量に流れ出ていた血液は、一時的に激増した造血細胞によって補給されていた。
「セーフティ・プログラムを遅らせることは出来ても、止めることは無理……か。まぁ、こんなところだな」
 久遠は冷静に刃の方を観察し、一人納得したように頷く。
「……まさかお前の方から出てくるとはな。予想外すぎて完全に不意をつかれたよ」
 完治した傷跡を触って確認し、刃は久遠から少し距離を取った。
「そろそろコイツの実験をしようと思ってね。ところが持ち駒が無くなった」
「作ろうとは思わなかったのか?」
「コレでも博愛主義者なんだ。裏舞台を知る者は消さないといけない。後で始末する駒は少ないにこしたことはないからな」
「反吐が出る。なら最初からお前が出てくればいい」
「そうも行かないさ。ソウル・ブレイカーを完成させるには試し斬りが必要だ。私がそんなことを『ナイン・ゴッズ』で大っぴらにしてはまずい。上に立つ者に向けられた疑いは、社会の礎に亀裂を走らせるからな」
 相変わらず無表情のまま、久遠は淡々とした口調で語る。
「それでロゼに汚れ役を押しつけるのか。姑息なヤツだ」
「狡猾と言って欲しいな」
 鼻で笑い、初めて冗談めいた微笑を浮かべた。
「ロゼのリアル体もお前が殺ったのか」
「アレは秋雪が私の元を離れるきっかけを作ったヤツだからな。それに扱いにくかった。丁度良かったよ」
「それで漣鏡一朗とかいう医者に白羽の矢が立ったわけだ」
 刃の言葉に久遠は一瞬だけ眉をひそめる。
「漣鏡一朗? ああ、さっきまで私が化けていたあの男か。まぁ、お前に恨みを持つミュータントなら別に誰でも良かった。『復讐したくないか?』と持ち掛けたら、二つ返事で快諾してくれたよ」
「で、用済みになったから殺したわけだ」
「お前に無駄に殺されるくらいなら、せめて最後に利用しようと思っただけだ。お前も手間が省けたろう?」
 チッ、と舌打ちし、刃は露骨に不快な表情をした。
「なぜ、こんな事をする。秋雪を殺してどうするつもりだ。秋雪はお前のお気に入りじゃなかったのか」
「さっきから質問が多いな。もう体の方は落ち着いたはずだ。そろそろ秋雪に代わってくれないか? 出番の終わった役者がいつまでも舞台に上がり続けるのはみっともない」
 軽く溜息をつき、久遠は腕を組んで斜に構える。刃は苦笑しながら、おどけたように肩をすくめて見せた。
「なるほど。同感だ。俺だって好きで出てきている訳じゃないんでね」
 細く息を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。
(さぁ出番だぜ、秋雪。ヤバくなったらまた俺と交代しな)
 右腕を持ち上げ、自分の目の前にかざした。
(でもな、お前はもう五歳のガキじゃねーだろ。そろそろ自分のケツくらいは自分でふけるようにならないとな)
『原始情報 "Soul_Braker" より物理属性を削除。
 プログラムの実行時にキャッシュ・メモリ使用を不適用に設定します。
 ファイル・コンパイル……完了。Run』
(久遠と決着するには必ずオリジナルの思考具現化端末デモンズ・グリッドが必要になる。お前が感じるんだ。コイツの重要性をな。そして受け入れろ)
 刃の右手に黒い剣が顕現する。その刀身は細く、短い。久遠のソウル・ブレイカーとはまるで別物だ。
(これが、最後の出番であることを願って……)
 胸中で祈ると同時に、刃は黒い剣を自分の胸に突き刺した。

■Viewer Name: 紅坂久遠 Place: A地区 総合病院 屋上 AM2:28■
 激的な変化があったわけではなかった。ただ、さっきまでのピリピリとした空気が若干和らぎ、夜の冷たさを感じられるようになった気がする。
「こんな形で再会する事になるとはな。秋雪」
 銀髪の向こうでこちらを見返す眸には、悲しげな光が宿っていた。
 瞼を薄く開き、今にも泣き出しそうな顔をして、無言の提言をぶつけて来る。
(思いだすよ。お前と初めてあった時の事を。あの時も、そんな顔で私の方を見ていたな)
 十六年前。暗黒街でミュータント・キラーとして名を馳せていた少年。死んだはずの秋雪が生きていたことを知り、セーフティ・プログラムが作動したことを知った久遠は、五年かけて秋雪を殺しうるデバイスを開発した。それが、最初のソウル・ブレイカー。
「僕は……貴女とは戦いたくない」
 消え入りそうな小さな声。六年ぶりに聞く秋雪の肉声は知らない人間の声のようだった。
「なら、もう一度私と共に来い。一緒に『リバース・アピス計画』を完遂しよう」
 初期型のソウル・ブレイカーで秋雪を殺すことは出来なかったものの、力を押さえ込むことは出来た。刃と入れ代わり、出てきた秋雪はなぜか思考具現化端末デモンズ・グリッドを使うことを嫌っていた。気弱で、あまり自分の意志を表に出さない少年だった。
「貴女がいつも口癖のように言っていたあの夢物語ですか……」
 殺すことが出来ないのならばと、久遠は秋雪を懐柔することにした。身よりのない秋雪を救ったように見せかけて恩を売り、自分と同じ力を発現している少年を意のままコントロールすることにしたのだ。
「もう夢物語ではない。一般配布されているアクセスバンドには仕掛けがしてある。ログインすると同時に、脳の扁桃体と海馬を刺激するんだ。『ナイン・ゴッズ』にアクセスするたびに快楽刺激が記憶されるのさ。まぁ、パブロフの犬みたいな物だ。ヘビーユザーほど洗脳が進み、抜け出せなくなる。そして洗脳されていないプレイヤーはすべて排除した」
 だが、同じ時間を長く過ごすうちに秋雪に情が移り始めた。百年以上も精神的な依り所無く、一人で生きていた久遠の隙間を、秋雪が埋め始めたのだ。
 同族愛だったのかもしれない。常軌を逸したこの力を共有できる人物に出会ったことが、久遠の冷め切った心を溶かし始めた。そして願い始めた。この男とずっと一緒にいたい、と。
「『ナイン・ゴッズ』の一般公開に反対し、私の独裁を恐れて『リバース・アピス計画』を潰そうとしていた奴らもすべて居なくなった。あとは、ドーム内の人間全員を『ナイン・ゴッズ』にログインさせて、ログアウト出来ないようにしてしまえばいい。その試運転もすでに順調だということも確認している」
 順風満帆な日々。だが、ロゼの創りだしたクエスト『鮮血の宴』がきっかけで、秋雪は久遠の元を離れてしまった。何度も説得した。しかし、秋雪の首が縦に振られることはなかった。
 『リバース・アピス計画』は必ず成し遂げなければならない。このドームという閉鎖空間生み出してしまった責任をとるためにも。だが、指導者は二人もいらない。同じ力を持つ者はいずれ驚異となる。自分の目の届かない場所にいて、築き上げた王国を脅かす存在となるならば、例え愛した者でも殺さなければならない。
(決意、したはずなのにな……。まだ未練があるらしい)
 すでに封印した過ぎ去りし日の想いを胸中で嘲笑し、久遠は熱弁を講じる。
「遠くない未来、このドームは人口増加に耐えきれなくなる。そうなる前に手を打たなければならない。仮想世界に移住すれば、すべての問題は解決される。誰も死なない、誰も傷つかない。飢えもない、貧困もない。天災に怯えることもない」
 秋雪を殺すため、久遠はソウル・ブレイカーを改良し続けた。そして、ほぼ完成した。先程の刃への手応え。一太刀では無理だったが、連続してたたき込めば十分に殺しうる。そしてソレが達成できれば、未だ力を発現していない他の七人の創世者への強力な武器となり、久遠の仮想世界は盤石な物となる。
「虚言を貫き通せば真実となる。夢も見続ければ現実と変わらない。秋雪、私と共に行こう」
 久遠は強い意志を持って秋雪に呼びかけた。
 永遠とも思える時間が流れ、この空間がだけが切り取られたように異質な雰囲気を放つ。
 そして、秋雪は首を横に振った。
「……そうか。残念だ」
 最初から分かっていたことだ。やはり、取るべき道は一つしかない。
 久遠の右手に、黒い剣が確かな質量を伴って具現化する。
「ソウル・ブレイカーを出せ、秋雪。さっき、刃に原始情報をくれてやった」
「僕は貴女に恩がある。だから邪魔をするつもりはない。お互いに無干渉って訳にはいかないんですか?」
「お前にその気がなくとも、私にはお前の存在自体が邪魔なんだ。不安要素は無いにこしたことはない」
「僕には貴女と戦う理由がない」
「理由ならあるさ。お前の両親を殺したミュータント共は私が用意したものだ」
 久遠の父親は『リバース・アピス計画』に反対していた人間の一人だった。
 一家皆殺しという残酷きわまりない殺害。それは、他の反乱分子への見せしめでもあった。しかし、秋雪だけは生き残った。生き残るべくして。
「どうしてそんなたちの悪い冗談を今……」
 弱々しい声を上げ、秋雪は投げやりな表情を浮かべる。
「冗談などではない。『リバース・アピス計画』は多少の犠牲を払ってでも、絶対に成し遂げなければならない。そのためなら何でもやるさ。例え、こんな卑劣な真似でもな」
 そう言って久遠は胸ポケットから半径五センチほどの発光球体を取り出す。球状の情報伝達端末は数回明滅した後、ノイズ混じりの画像を映し出した。
「那緒、私だ。今の状況を秋雪に説明してやってくれ」
 球体に口を寄せて一方的に言った後、ソレを投げて秋雪によこす。受け取り、映っている画像を見て秋雪の顔色が変わった。
「沙耶とかいう少女。お前の大切なミュータントだろ?」
 那緒には念のため、秋雪の部屋に忍び込んで沙耶を人質に取るように言ってある。
(本当はこんな手、使いたくなかったんだがな……)
 だが、秋雪に戦意を惹起させる為には仕方になかった。
「私と戦え。そうすればあの少女に手出しはしないと約束しよう」
「久遠……そんなに、僕が邪魔ですか……」
 明らかに秋雪の口調が変わった。
 浮つき、所在なさげだったモノから、低く、確かな決意の汲み取れるモノへと。
「同じ事を何度も言うほど、お人好しじゃない」
 その言葉に反応するかのように、秋雪の両手に黒い剣、ソウル・ブレイカーが生み出された。
(そう、それでいいんだ)
 満足そうに、しかしどこか悲しげに笑みを浮かべ、久遠は吼えた。

■Viewer Name: 葛城那緒 Place: A地区 秋雪のマンション自室 AM3:08■
「……戦いが始まったみたいですわ」
 久遠に持たされた、球状情報端末が完全にノイズで埋め尽くされたのを見て、那緒は離れた場所にいる男に声を掛けた。
「そーかそーか。ごくろーさんやったな」
 特徴的な喋り方をするその男は、腰まで伸びた長い黒髪をいじり、カラカラと陽気に笑った。そして適当な椅子に腰掛け、セイバーガンの照準を那緒から外す。
「聞かせてくださる? どうして貴方が生きているのかを。夜崎倖介さん」
 めんどくさそうに頭を掻きながら、倖介は那緒の後ろを指さした。
「当たるで」
「え?」
 振り向いた那緒の視界が小さな足で一杯に埋め尽くされる。
「とー!」
 甲高いかけ声と共に、沙耶のドロップキックが那緒の顔面に突き刺さった。
「この無礼者が! 人の部屋にズカズカと上がり込みおって! 覚悟は出来ておるな!」
 ボブカットにまとめた髪の毛を逆立て、がーがー、と沙耶は怒鳴り散らす。
「あんま怒らせんほーがええでー。この嬢ちゃん、恐いからなー」
「お前もじゃ、このドアホー!」
 愉快そうに笑う倖介の頭に、携帯型ログイン端末の角が命中した。
「っな、なんすんねん……。俺は嬢ちゃん助けたったんやんかー……」
 本気の涙を流し、倖介は鼻をすすらせながら弁明する。
「この前ワシを麻酔銃で眠らせた罰じゃ。これでチャラにしてやるからありがたく思えよ」
「……はい」
 膨れあがった側頭部を痛そうに撫で、倖介は素直な返事を返した。
「で、そ、そろそろ本題に入らせていただいてもよろしいかしら?」
 那緒は赤く腫れ上がった鼻筋をさすり、倖介に目配せする。
「ああ、そーやな。まぁ、別に何のことはない。刃の奴が俺を殺さんかっただけや」
 怯えたような視線で沙耶の方を盗み見ながら、倖介は部屋の中をキョロキョロと見回す。他に凶器となりそうな物がないかを探しているのだろうか。
「でも、私は確かに貴方が死ぬのをこの目で……!」
「アイツはオリジナルの思考具現化端末デモンズ・グリッド使えんねんで。お前の目ぇ騙すくらい訳ないわ」
 那緒も実際に見ていた。現実世界で行使される『魔法』。自分の詰めの甘さに、ほぞをかむ。
「しかしビックリしたで。まさか、あのミュータント・キラーに情けかけられるとはな」
「馬鹿者。ワシ方がもっとビックリしたわ。秋雪の奴、こんな大事なこと黙っておって」
 ソファーに腰掛け、膝の上で猫の整った毛並みを撫でながら、沙耶はぶっきらぼうに言った。
「まぁ、嬢ちゃんはミュータントやからなぁ。嫌われる思ーたんやろ。しゃーないで」
「ワシがそんなことくらいで秋雪を嫌うはずなかろうが。まったく……」
 ほっぺたを膨らませながら、拗ねたような顔をする。猫が少し苦しそうな声を上げた。
「けど刃は何で俺殺さんかったんやろーな。その辺、なんか聞いているか?」
「奴はこれ以上秋雪に嫌われたくないと言っておった」
 その言葉に倖介は目を丸くする。
「けど俺はアイツ殺そーとしたんやで? ほっといたら、いずれ迷惑なコトするって考えんのが普通ちゃうんか。例えば、嬢ちゃんの命を狙うとか」
「それならワシは麻酔銃などではなく、実弾でとうに殺されておる。奴もそう考えたんじゃろ。それに、奴はお前のこと結構気にいっとったみたいじゃぞ」
 倖介はどこか照れくさそうに頭を掻き、はにかんだような表情を浮かべた。
「それで、その恩返しって訳ですの? よく先回りできましたわね」
 久遠に念のため沙耶を人質として確保するように言われたのは、ついさっきの事だ。情報が漏れたとは考えにくい。
「俺かてアイツと五年一緒におったんやで? あーの陰険女の考えそうなことくらい予想つくわ。目的のためやったら手段選ばん奴やからな」
「あの人のこと、何も知らないクセに勝手なことばかり言わないで欲しいですわ」
 久遠は確かに目的のためには何でもする。しかし、それは確固たる責任感ゆえだ。『リバース・アピス計画』は何も久遠が万物の頂点立ちたいからとか言う、個人的な感情で行っているのではない。ドームを作るきっかけとなった事件。それを引き起こした者の一人として、責任を果たすために行っているのだ。
「なー、お前何でそんなに久遠に肩入れするんや。他の管理者でも久遠を嫌っとる奴は、ぎょーさんおんで」
 椅子を前後逆にして座り、背もたれに体重を掛けながら、倖介は呆れたような声で聞いた。
「……貴方に喋る必要はありませんわ」
「へーへー、そーゆー思ーとったで。ま、ええわ。別に興味ないしな。後は久遠と秋雪の戦いが終わるまでここでじっとしといてくれや。アイツが本気になったら久遠に勝てるかどうかは、ごっつ興味有るところやからな」
 悪戯っぽい口調で言いい、倖介は奥のリビングに行こうとする。その後頭部に沙耶の鉄拳が見舞われるのを見ながら、那緒は溜息をついた。
(私は……久遠様に創られた存在。オリジナルの思考具現化端末デモンズ・グリッドでプログラムされた人工生命体。久遠様にお仕えするためだけに……)
 那緒は百年以上前から久遠に仕えてきた。多次元空間の創出に失敗した、あの事件以降から。
 ――百十三年前。人口増加の進行により、居住空間の確保が困難となりつつあった世界は三次元空間からの脱却を試みた。世界各国から莫大な資金を集め、多次元空間を創出する機械の研究を始めたのだ。
 その時、久遠はアシュレン=ゴードと言う名のスパイだった。国力が脆弱で、プロジェクトへの参加を拒否された国の諜報機関に属していた。そして、そのプロジェクトの情報を得るために密偵の一人として送り込まれた。その情報を元に脅し、自分たちの国も参入させるつもりだった。
 しかし超トップ・シークレットにそう簡単に近づけるわけはなく、スパイ容疑で捕まり、拷問にかけられた。その拷問によって他の仲間は死亡。しかしアシュレンが死にかけた時、思考具現化端末デモンズ・グリッドのセーフティ・プログラムが発動した。
 思考具現化端末デモンズ・グリッド。それはまさに『魔法』。コレまでの常識を覆し、不可能を可能にする。
 その力の真価を見極めたプロジェクトのリーダーは、すぐにアシュレンの祖国を加入させた。国としては願ったりだった。世界を救う計画の中心に立つことが出来るのだ。これで、弱小国だった自分たちの国も歴史に名を刻むことが出来る。
 アシュレンも自身の愛国心ゆえに、殺された仲間に関しては、彼らの遺志を継ぐのだと自分に言い聞かせ、プロジェクトに協力した。アシュレンの思考具現化端末デモンズ・グリッドの力を、機械の力で更に増大させ、多次元空間の創出は実行に移された。
 しかし、結果は失敗。
 アシュレンは増幅された思考具現化端末デモンズ・グリッドの力を制御しきれず、不定リザルトのオーバーフローにより、広範囲に渡って虚数空間を生み出す結果となった。
 虚数空間はプロジェクトが実際に行われた区域近辺を残して全世界に広がり、生き残った人間は僅か一千万程度だった。
 計画は一時中断。今居る一千万の人口を死守するために、ドームは建設された。建設の間、虚数空間の中から生き延びて来る人間がいた。しかし、彼らは外見を始め、嗜好や行動、物事の捉え方など、人間と異なる部分が多く、ミュータントと呼ばれるようになった。
 恐らく、虚数空間に対応するために体の一部が変化してしまったのだろう。彼らは後に、プロジェクトの失敗の象徴として、忌み嫌われる存在に貶められた。
 ドームが無事完成する頃にはプロジェクトに直接関わった人間は皆寿命で他界していた。その中でアシュレンただ一人、思考具現化端末デモンズ・グリッドの力で永遠の命を手にし、紅坂久遠と名前を変えて『リバース・アピス計画』を提唱した。
 そして今日に至るまで、気の遠くなるような根回しをして来たのだ。すべては、かつて行ってきたプロジェクトの構想を再起させるため。数え切れない程の人間の死を無駄にしないため。完璧に統治された、理想国を創り出さなければならない。
(そのためのリーダーは一人で良い。絶対的な力を持つ者は一人でなければならない。それが久遠様の口癖だった)
 鋼鉄の意志と、氷結の冷徹さを兼ね備えた支配者、紅坂久遠。しかし、そんな彼女が秋雪との出会いをきっかけに変わり始めた。口では『いずれ殺す』『駒の一つとして持っているだけ』と言いつつも、本心がそうではないことは那緒には分かっていた。
 これまでずっと自分の役割だった久遠の慰め役。千の内、一だけ存在する久遠の弱い部分。それを補うことができるのは自分だけだと思っていた。
(久遠様、どうか神薙秋雪に勝って下さい。そして二人で計画を成し遂げましょう。そのためなら、私は何でもいたしますわ)
 熱の帯びた視線を、久遠と秋雪が戦っているだろう方向に向け、那緒は強い祈りと共に目を閉じた。




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