廃墟オタクは動じない

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  第十七話『暴け! 『光トカゲ』の正体!』  

「やはり来ていない、か……」
 携帯を折りたたんで胸ポケットにしまい、私はベンチの背もたれに体を預けた。
 近くの公園で、この一週間の出来事を整理した後だった。
 スーツ姿でこんな場所でたそがれていると、なんだかリストラくらって帰る場所がないリーマンみたいだが、そんな可能性の低い将来像の予行演習をしているのではない。
 久しぶりに快晴となった土曜日。
 カプセルホテルに引きこもっている理由が見つからなかったので、こうして外界で精神の洗濯をしてるのだ。
 教育実習初日から昨日にかけての一週間。実に色々なことがあったからな。
 旧校舎めぐりツアーに参加したはずが、いつのまにか麻薬物捜索隊に編入していたとは。主催者に対して、ガンジーが助走をつけて殴りかかってくるレベルでのクレームが発生しそうな案件だ。
 だが、まぁ。一応、利害関係は一致しているし、事の急展開さえ納得してしまえば、私にとってもそう悪くは無い話だ。
 五年前、ドラッグが夕霧高校に存在していた。
 それは間違いの無い事実だ。あの状況で紫堂明良が嘘を付くとは思えない。
 その事実と当時の狐憑き、今の狐憑き、そして私が聞いた幻聴の原因。これらが果たして直線で結ばれるかどうかは分からない。だが否定する要素もない以上、まずはすべてに繋がりがあると考えておく。
 問題はその方法だ。
 ドラッグを服用する、あるいはさせる方法。これが分からない。紫堂明良が五年掛けても手がかりすら得られなかったんだ。そう簡単に見つかるはずもない。だが私と紫堂明良が組めば――
 そこに掛けるしかない。
 私の当時の記憶と、紫堂明良の洞察力を使って旧校舎を洗いなおし、何か新しい発見があることを期待するしかない。
 方法さえ分かれば、出所は多分すぐにわかる。
 これだけ手の込んだ手法で、服用方法を隠そうとしているということは、逆に言えばブツ自体は非常に分かり易いモノなんだろう。ひょっとすると、もうお目にかかっているかもしれない。
 そしてモノの場所が分かれば、犯人までもすぐだ。
 なにせドラッグの成分が特殊なんだ。大麻に似ていると言っていたが、似ているのと同じのとでは、今の私とリストラサラリーマンくらいの開きがある。
 何かにつけて特徴的なのだから、扱い主はすぐに特定されるだろう。
 そうなれば、紫堂茜を死に追いやった人物とご対面だ。私も何点かは質問できるだろう。協力者なのだから。それが実現できれば、これほど有意義な教育実習期間は――ない。
 そう。
 この件に関しては、道筋も動機も明白なんだ。
 ただ作業をこなすだけ。
 しかし他のところで分からないことが一つある。分からない、というよりは不可解なこと、と言った方がしっくりはくるのだが。
「突然ぱったり、か……」
 頭上で揺れる木漏れ日を見上げながら、私は独りごちた。象をかたどった滑り台から、数名の少年の声が離れていくのが聞こえる。声はブランコとジャングルジムの二手に分かれ、お互いに罵倒を始めた。二つの勢力は言葉の勢いを衰えさせぬまま距離を詰め、ちょうど真ん中に位置する鉄棒に一人の少年が登って何かを投げつけ――
 私は目を閉じた。
 結局、昨日『光トカゲ』からメールは一通も届かなかった。
 一昨日は、病的な何かを感じるほどに何通もメールが飛んできたというのに。あの時は紫堂明良との会話戦で消耗してしまって、メールに対する考察を後回しにしてしまったからな。
 だが今ならたっぷりと時間がある。
 休日の旧校舎めぐりも捨てがたいが、今はこちらの方が気になる。何か嫌な予感がするのだ。彼(仮)について考えなければならないと直感が告げている。そうしないと私にとって不利益なことが起こりそうな――
 何となく、そんな気がするのだ。
 より具体的に言えば、今これからしようとしている『犯人探し』に支障をきたすような……。さらに言うなら、私は最初から監視されていたのではないか――
 そんな懸念が頭から離れない。
 もっと言うなら、『光トカゲ』と『犯人』が繋がっている。あるいは『犯人』そのものなのではないかという疑惑……。
 一昨日の木曜日、彼(仮)からのメール回数や内容が、少々異様であることは疑う余地もない。これはひょっとすると、私が真相に近づきすぎたことによって起こってる現象ないもかしれない。遠まわしな言い方での牽制、もしくは警告。
 考えすぎかもしれないが、すでに紫堂明良への協力を約束し、危険な話に加担してしまっているのだ。考えすぎて困るということもなかろう。
「よし」
 目を開ける。
 先ほどの少年グループは二勢力とも砂場で土下座し、それを女子勢力が見下ろしているところだった。 
「まずは最初からだ」
 鞄から大学ノートを取り出し、ボールペンで『光トカゲ』に関する情報を書き出していく。取り合えずは、私が夕霧高校に来る前の時点で分かっていることからだ。
《@廃墟に興味がある。
 A廃墟オタクが集まる掲示板に、約一年前にスレッドを立てて現れた。それ以来、定期的にコメントを残していっている。
 B夕霧高校を知っている。
 Cまだ旧校舎が残っていることを知っている。
 D私のメールアドレスを知っている。
 Eアドレスを交換したのは、旧校舎の状況について逐一チェックすることが目的であることも知っている(個人アドレスでのやりとりにて)。
 F私が廃墟をこよなく愛していることを知っており、その楽しみ方もある程度は具体的に知っている(個人アドレスでのやりとりにて)。
 G教育実習生として、夕霧高校に行くことを知っている。
 H私のハンドルネームを知っている。
 I私に友人が一人もいないことを知っている。》
「こんなところか」
 一通り思いつくままに書き連ねたところで、私はペンを止めた。
 ノートもペンも学校で拝借した備品だから、使っていて実に気持ちがいい。
 まずはBの夕霧高校を知っているという点だ。別に夕霧高校は、全国に知れ渡る有名高校でもなんでもない。生徒の出身県を見ても、殆どが夕霧高校のある県内から通っている。つまり『光トカゲ』も同じく、ローカルの人間であると見ていい。
 Cにあるように、『光トカゲ』は夕霧高校の旧校舎がまだ残っていることを知っている。夕霧高校のホームページには、校舎を新しく建て直したとの記載はあったが、旧校舎を取り壊さずに残してあることまでは書かれていなかった。
 ローカルの人間であっても、そのことまで知っている人間は限られてくる。
 旧校舎の位置は校門からは少し距離がある。やや小高くなった場所にあるとはいえ、近くの住居からは見えない。やはり学校の敷地内に入ることのできる学校関係者か。
 Aにあるように『光トカゲ』は一年前から旧校舎の存在を知っていた。となると学校関係者であったとしても、一年生の学生は除外される。この一年以内に赴任してきた教師もだ。
 うーむ……実習開始前の情報からの絞り込みはこのくらい――
「いや待て」
 『光トカゲ』が“知っている”ことばかり列挙してきたが、重要なことを一つ忘れていた。
 D、E、Fのように、私はこの一年間。『光トカゲ』と、ある程度密に連絡を取り合っていた。こちらの事情もなるべく正直に話している。だがその中に、この話だけは一度も出てこなかった。
《J怪奇現象の噂があることを知らない。》
 生徒や教師達の間で、これだけ高い話題性を持つ怪奇現象。『かまいたち』や『狐憑き』といったワード。ほんの少しでも聞きかじっていれば、一度くらい話のネタとして上がってもいいはず。それをしないということは、“できない”と考えたほうが自然。仮に意図的に伏せていたとしても、Gで私が夕霧高校に行くことは伝えてるあるのだから、すぐ耳に入ることは容易に想像できる。この情報を隠すことは全くの無意味。
 つまり、『光トカゲ』は怪奇現象の噂について全く知らない。
 これは大きな絞り込み要素だ。
 取り合えず今いる生徒や教師は全員排除していい。あと紫堂明良も。
 となると卒業生か、今はもういない教師……。
 『狐憑き』の話が出始めたのが、七年前だ。旧校舎での最初の死亡者である新坂康介が死んだ年の終わりくらいから、そんな噂が立ち始めた。『光トカゲ』はそれよりも以前に夕霧高校にいた人物……?
 いや、だがそれだと旧校舎が残っていることを知らないはず。
 怪奇現象の噂を知らずに、旧校舎が残っていることを知っているのは……。
「そうか! PTAか!」
 思わず声を上げてしまった。子供達が社会のゴミを蔑むような視線を向けてくるが無視だ。
 敷地内に入ることのできる学校関係者は、生徒と教師だけではない。生徒の親も特定の時期には足を踏み入れる。もしその親が子供とあまり会話をしないような家庭環境だった場合、怪奇現象の噂を知らなくても不思議ではない。
 一年以上前から今現在にかけて、旧校舎が残っていることを知っている生徒は二年生か三年生。
 『光トカゲ』はその生徒達の親の誰かで、なおかつ家庭内に不和を抱えている人物、ということになるか。
 少々強引な推理箇所もあるかもしれないが、少し具体的なイメージができて来たな。では次に、実習開始後のメールの文面から読み取れる情報を元に、絞り込んでみよう。
 私は携帯を操作し、実習初日に『光トカゲ』から受け取ったメールを開く。そして受け取った日時、件名と文面をすべてノートに書き写した。

《9/15 18:41 ―教育実習初日はいかがでしたか?―
 今日からいよいよ実習開始ですね。旧校舎めぐりは無事できましたか? あいにくのお天気でしたが、そのぶん雰囲気は出ましたね。楽しめましたか? 学校生活の方も、初日ですからきっと緊張したんでしょう。肩の力を抜いてがんばってください。》

 最初に見た時、『緊張したんでしょう』の部分に引っかかりを覚えたんだ。まるでこちらを観察しているように思えた。普通は“ん”を抜かして『緊張したでしょう』と書くのではないかと感じた。
 だが相手が五十代くらいの人間だとすれば、自分の子供とさほど年の離れていない私に対して、包み込むような感情でこう書いたとも考えられる。
 そういう視点で考えると二通目もそうか。

《9/17 18:13 ―実習三日目お疲れ様です。調子はどうですか?― 
 旧校舎めぐりは順調ですか? 教育実習は楽しめてますか? 体調はいかがですか? 教師や生徒、色んな人がいると思います。変わった性格の人や、強引な人もいると思います。少しくらい嫌なことがあっても、気を落とさずにがんばりましょう。みんな色々事情かあると思うので、もう少しお話すれば分かり合えるかもしれませんよ。》
 
 『もう少しお話すれば』の“もう少し”部分に違和感を覚えたんだったな、確か。まるで会話を途中まで見られていたかのように感じて。
 だが熟年者の包容力で、背中を押してくれているようにも思える。一つ前の文章にも『少しくらい嫌なことがあっても』とあるから、“少し”というワードを使うクセのようなものがあるのかも知れない。
「うーむ……」
 『光トカゲ』は悪意ある者という先入観から、変にうがった見方をしていたが、改めて見返してみると、女性的な優しさに溢れたいい人のような気もしてきた。
 『光トカゲ』は人を思いやる事のできる熟女、か……?
 三通目も概ねそんな感じの文面なんだよな。

《9/18 12:32 ―お元気ですか?―
 体調はいかがですか? 古い建物には変なバイ菌がいることもありますから、十分気をつけて下さい。特に最近はお天気に恵まれないので、悪い菌が沢山いるかもしれません。ひどい時は思い切って中断した方がいいですよ? 今回の実習が終わったら、色々と感想を聞かせてくださいね。沢山おしゃべりしましょう。楽しみにしています。》
 
 『古い建物』、ね……。まぁ、旧校舎のことを知っているからこういう表現をしたんだろうが。PTAの人間というのは、旧校舎に近づくものなのか?
 旧校舎とは言っても、使われなくなってまだ五年だ。周りが膨大な自然に囲まれているからこそ、この短期間で廃墟と呼べるほどの『古い建物』にはなったが、普通ここまではならない。
 『光トカゲ』は旧校舎に近づいたことがある……ひょっとすると中に入ったことがある?
 まぁ、外観もだいぶ寂れてはいるから、新校舎の五階あたりから眺めればそんな印象を抱くのかもしれないが。
 ただそれ以上に気になるのは、文面ではなく送られてきた時間帯だ。
 昼休み。ちょうど女霧と話をしていた時に受信した。
 前の二通は両方とも六時以降に来ている。私の仕事がこのくらいの時間に終わると見越してのことだろう。『光トカゲ』が社会人なのだとすれば、ごくごく自然な配慮だと思われる。
 だがこの日は違った。
 まぁ、もしこの日に届いたメールがこれだけならば、たまたま、ということで片付けてしまってもいいのだろうが、もし何か特殊な事情があったのだとすれば――
「……」
 私は四通目以降のメールを順番に表示させ、ノートに書き写していく。

《9/18 13:05 ―大丈夫ですか?―
 今元気ですか? ちゃんと食べられいますか? 食堂のメニューは口に合いますか?
 気分が悪くなったら、無理をせずすぐに帰ってくださいね何ごとも体が資本ですから》

《9/18 13:45 ―つらいですか?―
 ストレスですか? 教育実習はそんなに疲れますか?
 もしつらいときにはすぐ美容院に行ったほうがいいですよ。雨に濡れたらすく乾かしてください。疲れたら休んでくださう。》

《9/18 14:22 ―明日これますか?―
 もし疲れすぎていたら、教育十種は休みましょう。理由があればきつと大丈夫ですよ。残念でしか、教育実習をやめてしまっても良いかもしれません。お話できなきなるのは残念ですが。》

《9/18 14:55 ―いきてますか?―
 死ぬは一番いけないことです。何かつらいこどかあるのなら、やめほうが良いです。教育実雌雄はやめましょう。もう旧校舎にいくのはやめましょう。》

《9/18 15:33 *件名なし
 きても旧校視野はやめてください。本当に効けんんです。死んでしまうます。やめましよう。》

 その日の放課後は紫堂明良と会う約束をしていた。その会話中に携帯が鳴ったら鬱陶しいので、あらかじめ電源を切っておいたんだ。三通目を受け取ってすぐに。その後で女霧とも話があったから、それで切るのを忘れないよう、早めにオフにしておいた。
 そして次にカプセルホテルで電源を入れた時、サーバーからこれだけのメールが送られてきたのだが……。
 誤字脱字に変換ミス、メール頻度の高さに文面の単純化。
 明らかな焦りがうかがえる。何としてでも私からの返信が欲しかったのだろう。
 だが私の文面は非常に簡素なもので、必要最低限のことしか書かない。だから返信内容に意外性や誘笑性など期待できない。すでに何度もやり取りはしているのだから、『光トカゲ』もそのことは熟知しているはず。
 とすると返信の内容ではなく、返信の有無を確認したかった?
 私が返信することで発信される電波をキャッチし、私の居場所を特定する? 仮に『光トカゲ』にしか受信できないGPSアンテナが、私の携帯に埋め込まれていたとしたら可能かもしれないが、そんな小細工をされた覚えはない。一応、携帯は肌身離さず持ち歩いているからな。
 だとすればもっと別の何かを確認……。最も単純なことで言えば、私がメールを打てる状態にあるのかどうか、だ。分かり易く言えば安否確認だ。
 メールの最後の方では、旧校舎には行かないよう警告してきている。
 『光トカゲ』は旧校舎で私が何かに巻き込まれるのを知っていた? 返信はなくとも、私が読んでくれていることを信じて、何通も送り続けてきた? 『光トカゲ』は私を守るために監視している?
 なぜ? なんのために?
 分からない。
 それは分からない、が。彼女(仮)がこちらの動向をメールでしか把握できていないのは間違いなさそうだ。『光トカゲ』PTA説は濃厚となったな。
「ふーむ……」
 ここまでを一度整理しよう。
《@二年生か三年生の生徒の母親である可能性が高い。
 A子供との関係が上手くいっていない可能性がある。
 B旧校舎に実際に足を運んだ可能性がある。
 Cメールでしかこちらの動向を把握できない。
 D味方として監視している可能性がある。》
 こんなところか。
 ま、すべて私の考えすぎで、的外れな被害妄想なのかもしれないが。
 それならそれで別にいいんだ。今は最悪の可能性を想定して仮説を組み立てているからな。
 私がこれからやろうとしていることは、本職刑事と手を組んでのドラッグ捜索とその密売人探し。警戒してし過ぎるということはない。
 月曜の放課後から本格的な活動が始まる。できれば時間のある土日のうちに、『光トカゲ』についてもう少し情報を仕入れたいところだが……。
「……送ってみるか」
 こちらからメールを。
 教育実習が始まってから、こちらからメールを送ったことは一度もない。時間がなかったと言えばその通りなのだが、元々その気もなかったと言えばその通りでもある。夕霧高校の旧校舎を自身の目で確認できてしまえば、『光トカゲ』と積極的に情報交換をする理由がなくなるからだ。
 私の目的は、教育実習開始前に旧校舎の取り壊しが行われないかを確認し続けることであり、彼女(仮)とメール友達になることではないからな。その確認作業をしている時ですら、向こうからのメールが殆どで、私から送った物は数える程しかない。
 だがもし――そんな筆不精な相手から、普段とは明らかに違う雰囲気のメールが届いたら――
 例えば、漢字を混ぜて打つ、とか。
 例えば、二十文字以上の長文を打つ、とか。
 例えば、文章レベルを中学生くらいまで引き上げる、とか。
 まぁ何にせよ、相手の動揺を誘ってその反応から人物像を割り出す、という手法は効果的だと思う。だが時間が必要だ。
 さすがに一日に何通もやり取りすれば、向こうだって怪しむだろう。できれば土日である程度判断したい。そのためにはインパクトのある文面で勝負する必要がある。
 そのためには――例えば、『光トカゲ』本人に興味がある内容にする、とか。
 最も単純で分かり易いのは、「会えませんか?」という意思を伝えてみることだ。
 メールのやり取りだけでは物足りなくなって、実際に会ってみたいと思うのは、昨今の若者達の感覚では自然なこと。本当に会えれば人物像どころか、人物そのものが分かるし、もし会えなかったとしても、どういう反応をするかで距離感がつかめる。
 会うことに全く抵抗がないのか、少し考えさせて欲しいと言ってくるのか、もしくは頑なに拒否するのか。
 どのような文章内容でその距離感を伝えてくるかで、『光トカゲ』の雰囲気が今よりは掴めるはず。そのメールを足がかりにして、今度は理由について聞ければ、『光トカゲ』本人だけでなく周りも見えてくるだろう。そこまで把握できれば、収穫としては十分だ。
 まぁ、相手が悪意もって虚偽の情報を混ぜていなければ、の話なんだが……。
「悪意、ね……」
 そもそもメールでしかこちらを追えていないのに、監視していると考えるのもおかしな話だ。少々変わり者ではあるが、そんなに悪い奴ではないような……。そんな気がしてきたな。
 だが今は最悪の事態を想定しなければならない。石橋を叩き壊して自分で建て直してから渡る、くらいの気構えで行かないと。
 『光トカゲ』が危険な人物ではないということを、もう少し確認したい。
「……取り合えず、送ってみるか」
 もし相手が悪意を持って監視していた場合、こちらに警戒心を抱くことになるだろう。だがそうなったらなったで別にいい。警戒心が相手の足枷になるかもしれないし、監視人員を増やしたとすれば、見付け易くなるのはこちらも同じだ。
 とにかく、昨日全くメールが来なかったのが気に掛かるんだ。もしすでにメールをする必要がなくなっていて、次のアクションに移っているのだとすれば、それへの牽制もしておきたい。
 いずれにせよ、送らない、という選択肢はないな。色々と考えたが、リスクよりもリターンが勝る。
 今ここで送るべきだ。
「よし」
 心の中で自分に言い聞かせ、『光トカゲ』へのメール送信画面を開く。そして左手に携帯を持ち、右手の薬指でボタンを一つ一つ押していった。

――……
【送信者】:廃墟定食
【件名】:こんにちは
【本文】:
 あす、あえませんか?
……――

 こんな感じでどうだろうか。
 直球過ぎるかもしれないが、これで相手の気が動転してくれれば素に近い反応が見られるだろうし、牽制の意味合いでは変に飾らないほうがいい。
「送信、と」
 画面中で、封筒が砂となって崩れ落ちていく。これで完了だ。
 さあ、どう返して来る。
 私は携帯を折りたたんで胸ポケットにしまい、水でも飲もうかと公園の蛇口場へと向か――
 砂嵐の音。
 乾燥した音が胸ポケットからくぐもって響く。
 メールを受信したようだ。
 まさか、な……。
 思いながら私は再び携帯を取り出し、開いて中を確認した。
 『光トカゲ』からだった。 

――……
【送信者】:光トカゲ
【件名】:Re:こんにちは
【本文】:
 急にどうしたんですか? 急にどうかしたんですか?急に何かあったんですか? 急に具合が悪くなったんですか?
……――

 ……まぁ、普通は驚くか。
 にしても返信が早いな。そのせいなのか文面が幼い気がする。『急に』を連固しているあたりが特に。今までのイメージと違う。
 さて、どう返すか。向こうの返信が早い以上、ゆっくりとは考えてられないぞ。こちらから誘ったのだから。

――……
【送信者】:廃墟定食
【件名】:Re(2):こんにちは
【本文】:
 いつもありがとう。だから、あいたいとおもいました。
……――

 とにかく直球だ。動転を加速させろ。

――……
【送信者】:光トカゲ
【件名】:Re(3):こんにちは
【本文】:
 こちらこそ、いつもお世話になってます。いつも返信を下さってありがとうございます。でも、直接お会いするのは、ちょっと……。
……――

 少し落ち着きを取り戻した感じだな。だがおかげで、最初の文章の方が素に近いことが分かった。そして『会えない』と来るのは想定済みだ。

――……
【送信者】:廃墟定食
【件名】:Re(4):こんにちは
【本文】:
 だめなりゆうはなんですか?
……――

 さぁもっと情報をよこせ。お前の素顔をさらけ出すんだ。
 立ったたまま携帯の画面を凝視し、私は『光トカゲ』からの返信を待つ。
 すぐには来ない、か。いいぞ。この時間も相手を推測する情報の一つだ。
 ベンチに座り直し、時間を計る。次の砂嵐音が鳴ったのは、こちらがメールを送信して六分十五秒後だった。

――……
【送信者】:光トカゲ
【件名】:Re(5):こんにちは
【本文】:
 何となく、です。
……――

 あいまいに濁してきたか。
 しかしあれだけ時間を掛けてこの短い返信文ということは、本当のことを書こうかどうか迷い、結局やめたということなんだろう。それらしい言い訳もしていないことから、頭の回転はそんなに速くはない、か……。それとも素直で正直なだけか? なら押しに弱い? 明確な拒絶理由を提示してこないということは、会ってみたいという感情が多少はあった可能性もある。
 だったら物は試しだ。なぁに、最初から直球で投げ続けてるんだ。不自然な流れではないはず。

――……
【送信者】:廃墟定食
【件名】:Re(6):こんにちは
【本文】:
 では、もしきがむいたらきてください。ばしょは――
……――

 この公園の位置情報と待ち合わせ時間を書き込み、送信ボタンを押す。
「ふぅ……」
 こんなに長々とやり取りをしたのは初めてだったから、少し疲れたな。だが成果はあった。
 九割方、『光トカゲ』は無害だ。
 今回のやり取りに打算を全く感じなかった。
 こちらから突然メールをしたから、というのもあるんだろうが、それにしても返信内容があまりに無防備すぎる。焦り、照れ、困惑といった感情が、文面に表れすぎている。どんな表情でメールを打っているのかが分かってしまう程に。
 『光トカゲ』は精神年齢は幼く、嘘を付くのが下手で、些細なことで動揺してしまう性格だ。
 考えられる人物像としては、幼いころから周りに可愛がられてきた令嬢。人付き合いが苦手で、自分の子供とのコミュニケーションも上手く取れていない。自己判断能力はあまり高くなく、優柔不断で周りに流され易い。
 恐らく、廃墟オタクの掲示板でも、個人的に連絡を取りたいと言われたのは初めてのことだったんだろう。ひょっとすると掲示板への書き込みすら初経験だったのかもしれない。だから向こうは私のことを特別視し、ストーカーまがいのメールをよこしてきたんだ。
 多分、『光トカゲ』は私への関心がかなり高い。
 昨日メールが一通も来なかったのは、その前に返した私からのメールで拒絶されたと思ったからかもしれないな。『つかれました。もうねます』の“つかれました”を、『メールのやり取りに疲れた』と解釈したのかもしれない。
 だとすると――
「来るかもしれないな……」
 私は携帯の画面を見ながらつぶやく。
 返信はない。考えているんだ。そして考えれば考えるほど『行かないのは申し訳ないのではないか』という感情が膨れ上がるはず。素直で正直な性格の持ち主なら。例え本人は来なかったとしても、関係者が代理で来るかもしれない。
 それで十分だ。
 公園に大人が一人で入ってくるのは不自然。それが瀟洒な身なりの人間ならなおさら。しかも私が指定した日時となれば、それはもう確定だ。
 本人だろうと関係者だろうと、もし『光トカゲ』が姿を現せばすぐに分かる。
 私は別の場所でそれを確認し、タイミングを見て『行けなくなった』とメールを送ればいい。あとはその人物の後をつけるだけで、『光トカゲ』の身元が割れる。
 ま、そこまで上手くいくとは思えないが。
 だがすでに十分な情報は得ている。これはオマケみたいなものだ。
「よし、と」
 十分ほど待っても返信メールが届かないことを確認して、私は携帯を胸ポケットにしまう。公園の真ん中辺りでは、女子が乗馬を楽しんでいた。少年達を馬扱いして。
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