廃墟オタクは動じない

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  第十八話『不幸中の後悔』  

 昨日の公園の出入り口側にある道路を渡り、少し歩いた場所にある申し訳程度の大きさの看板。それにしたがって裏路地へと入り、右折と左折をそれぞれ三回繰り返した先にある雑居ビルの四階に、私が寝泊りしているカプセルホテルがある。
 近くのコンビニまで徒歩二十分、最寄り駅までは三十分という、素晴らしい立地条件だからこそ出せる超格安の宿泊施設だ。
 まあ両方とも使わないから、どうということはないが。
 ……あ、コンビニは一度だけ利用したか。
 だが百均ショップが同じ雑居ビルの十階に入っているから、それで大満足だ。惜しむべくは、このビルのエレベーターが常時故障中であることくらいか。
 だがその雑な管理体制のせいで、屋上への扉も常時開放中。
 おかげでこうして、公園全体が一望できる。
 昨日、あれ以降。『光トカゲ』からの返信が来ることはなかった。
 一晩中考えていたのか、あるいは行かないと決め込んで特に反応しないだけなのか。
 私のイメージした『光トカゲ』では前者だな。彼女(仮)の性格からして、行かないならそう伝えてくるはず。
 なら脈ありか? 今こうしているあいだにも、行こうか行くまいか迷い続けているのか?
「そろそろ、か……」
 時計を見る。
 午後二時五分前。
 待ち合わせは時間は二時と伝えてある。あと五分。さて、現れるか……。
 百均ショップで買った新しい髪ゴムで長い後ろ髪をまとめ、塗装の剥げかかった鉄柵から身を離す。そして待ち合わせ場所として指定した公園を、改めて全体視した。
 ほぼ正方形の形をした公園だ。四隅には常緑樹とおぼしき木々が植えられ、それらに囲まれる形で一通りの遊具がそろえられている。
 だが周りに住宅はまばらで、無骨なコンクリート剥き出しの建物や、黒煙を惜しげもはなく吐き出す工業地帯が敷地の殆どを覆っている。幅の広い道路には、重量トラックが何台も行きかい、とても子供たちが遊んで安全な場所とは思えない。
 大方、工業用地を広げたことによる空気汚染を緩和するという名目で作れた、意味のない緑化事業の一環なんだろう。抗議でもあった時に言い訳するためだけに作りましたという、無能で単細胞な行政臭がぷんぷんする。
 まぁ、その劣悪な環境のおかげで、格安の寝床が確保できたのだから文句ばかり言ってられないのだが。
 それに監視場所として、これ以上ない絶好スポットだ。見つかる心配はないし、相手の位置を遠くからでも把握できる。公園から半径百メートルほどは、私の視野内だ。
「ふーむ……」
 ざっと見たところ、それらしい人物が近づいてくる気配はない。
 公園の中では、昨日見た少年少女達が仲睦まじく遊んでいる。勢力図がさらに傾いたのか、少女達の手には良くしなる枝で作られた鞭が握られていた。逃げ回る少年もいれば、真っ向から立ち向かう者、嬉々として受け入れる者など、彼らの将来像を如実に映し出しているようでなかなか興味深い。
「っと、いかんいかん」
 そんな男女関係の縮図を観察している場合ではない。
 私の目的は、あの公園に一人で近づいてくる大人。熟女令嬢であればなおよし!
 ……ここだ聞くと卑猥だな。
 まぁそんなことはどうでもいい。
 にしても待っているだけというのは暇だな。かといって考え事の整理は、昨日あらかた終わってしまったし。教育実習を真面目に進める気などサラサラないから、予習などといった無駄極まりないことはしたくない……。
 もう一度時計を確認する。
 二時十五分。
 まぁこちらから一方的に宣言した待ち合わせ時間だから、守る必要など全くないのだが、無反応というのはちょっとおかしくないか? 何か一言くらいあっても良いだろうに。それともすでに来ていて、私の視界のさらに外側から監視しているのか?
 私のイメージとしてある『光トカゲ』は、そのようなことができるほど猜疑心に満ちてはいないのだがな。
 とにかくもう少し待ってみるか。こういう作業に焦りは禁物だ。
 さて。有効に時間を潰すにはどうすれば良いのか。
 ん? いやいや、潰そうとしている時点ですでに時間の有効利用はできていないか。だが待て。この場合に限ってみればどうだろう。ここで待ち続けることこそが私の存在意義なのだから、例え無為に潰したとしてもそれはあくまで客観的な結果なのであって、私個人の主観から判断すれば有意義と受け取れるのではないか?
 そうか“潰す”という言葉が駄目なんだ。この後ろ向きな表現がネガティブな印象を与えてしまって、いかにも無駄な行為をしていますよと主張しているように聞こえるんだ。
 ならこれを別の言い方に変えてしまえばいい。例えば、“流す”はどうだろう。
 “有効に時間を流す”
 うーむ、なかなか美しい響きだが、いまいち主体性が感じられないな。何も考えることなく、放心したまま大きな流れに身をゆだねているようだ。
 では“満たす”はどうだろう。
 “有効に時間を満たす”
 確かに先ほどの問題点であった主体性のなさは改善できた。だが、『時間を満たす』というのは、『時が満ちる』という言い回しと酷似しており、すでに目的の瞬間に達したかのような印象を与えてしまう。私はまだ過程にいるのであって、到着したわけではない。
 なら“進める”はどうか。
 “有効に時間を進める”
 これなら主体性もあり、なおかつ未だ道中で試行錯誤を繰り広げているというニュアンスを見事に描写できているのではないだろうか。いやしかし、『時間を進める』というのは、あたかも時計の針を進めるかのような容易な響きがある。そこにはまるで自分が神にでもなったかのごとき尊大さが含まれていないだろうか。私は謙虚な一人の人間であり、そのような傲岸不遜な思想とは対極に位置する。
 それならば――

 三時三十分。
「……ん?」
 “有効に時間を秒殺する”でまとまりかけてきた時、視界の端に人の姿が入った。
 背丈からして子供ではない。かといって子供をつれている訳ではない。体格と服装からして女性だ。年齢までは分からないが、身につけている物は決して安くはなさそうだ。
「来たか?」
 眼力を最大限まで引き搾るが、これ以上は確認できない。双眼鏡などという高級アイテムは当然持っていない。
 どうする……彼女を『光トカゲ』だと見るか? 
 女性は周りを覗うような仕草できょろきょろと見回しながら、公園の中へと入る。そのままベンチに座り、持っていたバッグからペットボトルを取り出すと、両手で持って中身を飲み始めた。
 偶然ここに来ただけなら、しばらくすれば立ち去るはず。だがそのまま居座るならば……。
 彼女はペットボトルをしまうと、スカートのポケットから何かを取り出して操作を始めた。
 あれは、携帯か? つば幅の広い帽子を被っているから、手元が良く見えないが。指の動かし方からするに、私のとは違ってタブレット端末だな。何かを調べているのか?
 それを手に持ったまま立ち上がり、また周りを見回して移動を開始した。
「違う、か……」
 少し落胆の息を吐いて、私は目に込めていた力を緩める。
 たまたま通りがかっただけか。察するに地図アプリを見ながら歩いているようだが……。
 なんとなく彼女の後を目で追う。頼りない足取りで公園をいったん出るが、周りをぐるりと一周すると、またベンチに座って端末を操作し始めた。
 目的地近くまでは来ているのだが、あと一歩のところでたどり着けない感じだな。
 ……。
 ……待てよ。
 ひょっとしてこの公園が目的地のはずなんだが、待ち合わせの相手がいないので、近くに別の公園がないか探している、とか? ではやはり彼女が『光トカゲ』?
 どうする。こちらもアクションを起こすか?
 待ち合わせの時間から、すでに一時間半が経過している。もし『光トカゲ』が道に迷い、気持ち的にも迷いながらここまで来たとすれば、妥当な時間か……?
 鉄柵から身を離し、もう一度公園の周囲を見渡す。
 それらしい人影は他にない。
 決めるか? あまり考えている時間はないぞ。相手も遅刻していることは分かっている。他に公園がなくて、待ち合わせているはずの相手もいないとなれば、すでに帰ってしまったと考えるのが普通だ。なら自然な流れで彼女も帰ってしまう。『光トカゲ』かどうかを確認するためには、“こちらからのメールをきっかけにして”帰ってもらわなければならない。
 どうする……。
 ……。
 ……まぁ、今日の待ち合わせに関しては、殆ど好奇心でやっているに近いからな。『光トカゲ』が無害であることは、ほぼ確定しているんだ。仮にここで失敗したとしても、それほど大きな痛手ではないか。
「よし」
 胸中で考えをまとめると、私は携帯を取り出して『光トカゲ』にメールを送る。内容はいたってシンプル。

――……
【送信者】:廃墟定食
【件名】:ざんねんでした
【本文】:
 かえります。
……――

 もし彼女が『光トカゲ』だとすれば、今見ているタブレット端末に届いたはず。何かリアクションはあるか? まだ地図アプリで何かを確認し続けているようだが――
 突然立ちあげる。
 だがまた先ほどと同じように公園の周りを一周し、元のベンチに戻ってしまった。そして首を振って辺りを確認し、疑問を呈するかのように顔を傾けてタブレット端末とのにらめっこを再開した。
 微妙だ。実に微妙だ。
 私のメールに反応して立ち上がったかのようにも見えたが、別に帰るでもなく返信するでもなく……。まぁ優柔不断な行動は、私が予想した『光トカゲ』の性格とは一致しているのだが……。
 もう少し待っていれば、恐らく彼女は帰るだろう。だがそれは私のメールが理由なのか、今探そうとしている何かが見つからないからなのか。このままでは判別が付かない。
 つまり『光トカゲ』かもしれないし、『光トカゲ』ではないかもしれないということだ。
 そんな不確かな情報を追っていても何の意味もない。
 ならいっそのこと――
「確認してみるか」
 彼女の顔を。
 相手はこちらの顔を知らないはず。そして今さっき、『帰る』とメールを入れた。ならそれ以降に面識のない男が通りかかったとしても、それが『廃墟定食』だとは思わないだろう……。
 ……いや、違うな。
 私は一度もあの公園に行っていない。今姿を見せれば、いかにも何かを確認しに来たように映る。もし、『光トカゲ』が私の視界外から観察していれば、私を尾行して、カプセルホテルの位置が分かってしまうかもしれない。
 『光トカゲ』は無害だろうが、そう断言できたわけではない。
 メールを送るのと、その場に居合わせるのとでは、リスクの大きさが違いすぎる。
 あと一週間はここに居るんだ。もう少し慎重になろう。好奇心に食われるな。情報はもう十分に得た。今日はこのまま帰るんだ。
「よし」
 頭の中を整理し終わり、私は最後にもう一度だけ公園の女を見て――
 いない。
 どうやら帰ってしまったようだ。
 考え事をする時に視線を上げる癖があるからな。今後は気をつけよう。もし今回、あの女を尾行すると決めていたら、とんだ大失態に繋がるところだった。
「ふぅ……」
 息を吐き、私は屋上の出入り口から中に戻る。そして薄暗い階段を下りて、カプセルホテルのある四階にきた時、胸ポケットから砂嵐音が鳴った。取り出してメールを確認する。

――……
【送信者】:光トカゲ
【件名】:Re:ざんねんでした
【本文】:
 本当にすいませんでした。ずっと悩んでいたんですがやっぱり行けませんでした。すいませんでした。もう少し勇気が持てたら、今度はこちらから誘わせてください。廃墟定食さんが教育実習を卒業する前に、というのは少し難しいかもしれませんが、私が卒業するまでにはなんとかしようと思っています。本当に本当にすいませんが、もう少しだけ待ってください。すいません。
……――

「……」
 ざっとメールを読んで即気になった点は二つ。
 一つはこの文面の中で“少し”を三回も用いているということ。やはり『光トカゲ』は“少し”というワードを使うクセがあるようだ。
 そしてもう一つ。
 これが重大な単語なのだが――

 “卒業”

 ――私が“卒業”するまでにはなんとか――

 これが意味するところを普通に考えれば、『学校を卒業』、という解釈になる。
 だが私の予想だと、『光トカゲ』は五十代くらいの令嬢熟女なはず。
 まぁ、年を取ってからもう一度大学に入りなおす、というのは割とよく聞く話だ。金と暇をもてあました熟女が、有効に時間を秒殺するためにどこかの大学に通っているのかもしれない。
 今のところそう考えるのが自然。
 だが、普通そういう意味で“卒業”すると使う場合、ある程度の事情を前置くものではないのか? 例えば、『現役時代に入れなかった大学に、今になって通い始めまして』とか。でないと相手は絶対に誤解する。
 誤解、というか自然な受け取り方、というか。
 私は『光トカゲ』からのメールを詳細に考察して、彼女(仮)のイメージ像を掴んでるから、この様な解釈になっているのであって、何の前知識もなく“卒業”といわれたら、普通は『学生を卒業』と取るだろう。
 つまり、『光トカゲ』を中学生か高校生と考える。
 そこに『旧校舎が残っていることを知っている』という条件を当てはめると、夕霧高校の学生となってしまう。
 だが怪奇現象の話題を、この一年間全くしてこなかったという事実から、『光トカゲ』が夕霧高校の学生という線は消えたはずなんだ。
 ――“卒業”
 今までの考察を覆しかねない情報が出てきた。
 取り合えず、『入りなおした大学を卒業』という意味合いで保留しておくが、その先入観にとらわれすぎると痛い目を見るかもしれないな。
 ま、なんにせよ今日、公園の女の顔を確認しないという選択は極めて正しかった。
 今後も変な好奇心は捨てて――
「あ」
 目の前から声がした。
「あ」
 私も声を発していた。
「ホントにいた」
 なぜなら目の前に――
「な、ぜ……」
 公園にいた女が立っていたから。

 水色のラインが斜めに二本入った、つば幅の広い白の帽子。その下に隠れていたのは、鼻筋の通った小顔の女性だった。細い眉、長いまつ毛と深めの二重で彩られた双眸は大きく見開かれ、誘い込むような黒い輝きを宿している。頬は少し上気したような色合いに染まり、唇に引かれた薄紅色のルージュと透けるような肌の白さが、どこか蠱惑的コントラストを生み出していた。 
「ホントに、ここにいた」
 背中まで真っ直ぐ伸びた長い髪には朱色が混ざり、この薄暗い中でも煌びやかな光沢を纏っている。一本一本が磨き上げられたように艶やかで、大人びて落ち着いた雰囲気を生み出ていた。
「いやー、ホントにいちゃったよ。いたんですねー。なんかまだいまいち信じられない感じですけど」
 ――無言だったら。
 声のトーンや喋り方は、今時の軽い女子高生そのもので、深みも重みもない。
 白と桃色のなだらかなグラデーションが描かれたワンピースの上に、紺のニットカーディガンを羽織り、肩から提げた皮製のバッグには有名ブランドのロゴが付いていた。
「あれ? どうしたんですか? 何か固まってませんか?」
 女性は下から私の顔を覗き込み、軽く手を振って見せる。まるで友人か誰かに話しかけるような、親しげな口調だ。だが私に友達など一人もいない。仮に『光トカゲ』だったとしても、実際に会うのは初めてのはずなんだから、こんな調子にはならないはず。
 それにこいつが発した言葉。
 まるで私がここに寝泊りしていることを知っていたかのような――
 何だこいつは。
 何者なんだこいつは。
 頭が無意識に急速回転し、彼女の正体の可能性と現実性を想像、仮定し始める。
 事と次第と状況と直感によれば、とんでもない脅威になりうるぞ。
 落ち着け私。冷静に対処するんだ。
「誰だ、君は」
 低く、露骨な警戒心を言葉に乗せて問う。もはや罵倒に近い語調で。
 が、相手はぽかん、と口をあけたまま呆けた表情になり、大きな目を困惑に染め上げた。
「あっはははははははははは!」
 かと思うと突然弾けたように笑い出し、目に涙すら浮かべながら大声をぶつけて来た。
「先生! 今のそれ! 絶対に本気ですよね!? 本気で『誰だ、君は』って言いましたよね!? おっかしー!」
 爆笑で乱れた呼吸を整えながら女性は言ってくる。
 “先生”? 今こいつ、私のことを“先生”と言ったか?
 一気に絞られた人物像の中から、この外見的特徴に辛うじて一致する人間が一人だけ頭に浮かんだ。
 まさか……。
「女霧、か……?」
 私の言葉に、うんうんと頷き返す彼女。
 本当、なのか? 私の知っている女霧はこんなに目は大きくないし、肌の色だって白くない。髪は確かに長くて赤かったが、こんな絹糸のような輝きはなかった。まさかこれが化粧の魔力というヤツなのか……。くノ一セレブ……侮りがたし。
 ……実は女霧のお姉さん、とかいうオチじゃないだろうな。
「そっかー、そんなに違って見えたかー。ちょっと奮発した甲斐あったなー」
 女霧は小さく独り言を言いながら、得意顔で何度も頷いている。
 やはりどこから見ても信じられない。歩いている場所によっては、モデルとしてスカウトされてもおかしくないレベルだぞ。
 ……まぁ、今そんなことはどうでもいいのだが。
 よし。取り合えず目の前の女性は女霧であると認識しよう。
「――で、どうしてお前がここにいるんだ」
 重要なのはそこだ。
 ……まぁ、もう大体察しは付いているのだが。
「え? ああ、確認しに来たんですよ。先生が本当にいるのかどうか」
「他には?」
「それだけです」
 きっぱりと言い切りやがった女霧に、私の中で脱力感が快哉を上げた。
「ちなみに近くまでタクシーで来ました」
 さらに虚無感までもがお祭り騒ぎを始めた。
 あの日の、足に重りでも付けられたかのような家路は、これで永遠に忘れることはないだろう。自分の寝床の場所など、たとえ冗談でも軽はずみに口にするものではない。
「帰れ」
 溜息と同時に私は言う。
「えっ? せっかくここまで来たのに? 苦労したんですよ? こんな場所見つけるの。地図アプリに載ってなかったから、途中から完全自力で来たんですから」
「頼んだ覚えはない」
「せめて見せてくださいよ。先生の部屋」
「駄目に決まってるだろ。見せられない物が色々あるんだよ」
「秘密の七つ道具とかですかっ?」
 目を輝かせながら聞いてくる女霧に、私の胃がフーリガン化して絶叫暴走するのを感じた。
 こいつの中では、私は特殊エージェントだったな……そういえば……。
「まぁ、それに近いものだよ」
「おおー」
 好奇に満ち満ちた女霧の両目は、ヒーローショーで盛り上がる子供のソレそのものだ。見た目と言動のギャップがどんどん激しくなっていくな。
「一つだけでも見せてもらえませんか?」
「駄目だ」
「お金払いますから」
「親から貰った金で取引するな」
「ちゃんとしたバイト代ですよ」
「バイトは原則禁止のはずだろ」
「ひどい! 誘導尋問なんて!」
「お前が故意告白したんだろうが」
「こ、恋告白って……」
「……ああ、もういい。お前が何を考えてるのかは分かる」
 眉間によった皺を指先で掴み潰しながら、私は片手を前に出して会話を中断させた。
 何をしているんだ私は。何こんな所で女霧と楽しげに話し込んでいるんだ。金曜放課後の一件以来、こいつとは面倒なことになりつつあるんだから、極力距離を置くのが定石だろうに。
 いやしかし今回は向こうから接触してきたんだ。さすがにこれを予測するのは難しかった。なら深く反省し、次回以降同じ失態を犯さないために、明確にしておかねばならないポイントがある。
 なぜ女霧はわざわざタクシーを使って、こんな場所まで私を探しにきたのか、だ。
 ……理由は一つしかないか。
 私が特殊エージェント、という設定を持っているからだ。
 つまり何か『特別な者』への憧れだ。他とは一線を画す、特殊な事情を抱えた人間への憧憬。もっと言えば非日常への入り口。そこまで誘ってくれる何かを私に求めているのだろう。
 現に彼女自身、『視える者』として周りから好奇と注目を集めてい――
 ――ん?
 違和感。
 ちょっと待て。それはおかしくないか?
「なぁ女霧」
 漠然とした引っ掛かりは、すぐに形を成した。
 仮に彼女の性格が、過去の嫌な記憶など歯牙にもかけず、自己顕示欲の強い傲慢なものだとすれば理解できる。正直、第一印象はそんな感じだった。
「はい?」
 だが金曜の帰り道で話を聞いた限り、女霧は本質はそうではない。
 表面を薄い殻で覆い、強い女性を演じようとしている。その分、内面は繊細で脆い。だから中学の時、あんなにも――
「お前――」
 『特別』になったせいで、傷ついたんじゃないのか。
 そう、言おうとして言葉を止める。
 あの時、女霧は『特別』を拒絶したから視えなくなった。『特別』のせいで思わぬ失恋を招いてしまったから、いっそ視えなければと思った。だったら普通、違うんじゃないのか? そんなトラウマを抱えて――
「お前――」
 本当は『視える者』なんかやりたくなかったんじゃないのか?
 だって自分で言ってたじゃないか。

 ――『もう気付いてるんでしょ? あんなの、ただの子供だましだって』

 自分に言い聞かせてたじゃないか。

 ――『そういう雰囲気を楽しんでるだけですよ。退屈な退屈な日常から逃げ出して、神秘とロマンに満ち溢れた非日常に憧れを抱いているだけです』

 そうやって自分も周りも騙して、楽しんだ気になっているだけの虚しい毎日。
 そんなやる気のない人間が、校内で有名人扱いされるのか? 教師陣からも一目置かれるほどの『視える者』になれるのか? それも入学してたったの五ヶ月ほどで?
 もしかして、これは女霧の意思なんかじゃなく、誰か別の――
「先生? どうしたんですか? 新手の『お前お前詐欺』でも思い付きそうなんですか?」
 茶化してくる女霧の言葉で我に返った。
「お前――大体、私のことは嫌いだったんじゃないのか?」
 会話の流れはもはやあいまいだが、とにかく早く終わらせたかったはず。
「そ、そりゃあ、嫌い、ですよ……?」
「だったら休日にまで顔を見にくることないだろーに」
 ならもう強引にでも終結させる。
「ちょっとだけ……」
「ん?」
 よく聞こえなかった。
 いや違う。何気なく自分で言った言葉に気をとられたんだ。
 女霧は今日ここに来た。私を探しに。だが『特別』への憧れではない。
 だったらなぜ?
 女霧の性格を見誤ったか? 金曜の帰り道でのアレが嘘?
 分からん。どちらが正解で、どちらが不正解なんだ?
「あーもー! 分かりましたよ! 帰ります! 帰ればいいんでしょ! 先生は私のことが嫌いなんですね!」
 女霧は突然大声で癇癪を起こすと、子供のように頬を膨らませた。
「はぁ? どうしてそうなるんだ?」
「あれ? じゃあ嫌いじゃないんですか?」
 かと思うと目を輝かせて、覗き込むようにして聞いてくる。
 分からん。こいつが何をしようとしているのか全く分からん。
「別に嫌いじゃないだろ。お前には情報提供してもらったこともあったしな」
「あっ、そんなこともありましたねー」
 余計なことを言ったか……?
「じゃあせめて、外でタクシーを捕まえるくらい、してくれてもいいんじゃないですか? 私のことが別に嫌いじゃないなら」
 何だよ。だから何が言いたいんだよ。
「ああ、分かったよ。じゃあそれですぐに帰れよ」
「ええー。じゃあエスコート、お願いします」
 芝居がかったような口調で言いながら、女霧は半歩ほど壁側に移動して通路を空けた。
 先に行け、ということらしい。
「はいはい、分かりました。分かりましたよお嬢様」
 もういい。こいつの謎の行動について考えるのは止めだ。どうせ猫の気まぐれみたいなもんだろう。そこに論理的な理由など存在しないんだ。きっと。むだ無駄ムダ。
 胸中でそう決め付け、私は階下へと続く階段の方に足を進めた。

 ――まぁ、予想していたことではあるが、こんな工業地区にタクシーなど来やしない。だからある程度、街の方まで歩かねばならなかった。そしてタクシーを呼び止めようとしても、人生で一度もやったことがないのだから勝手が良く分からない。だから『空車』に向かって手を上げればよいのだということに、一時間近くも気付けなかった。
 で、結局。あれから二時間以上も掛かって、私は女霧が帰る用のタクシーを捕まえることができたのだ。
 その間、女霧の機嫌がずっと良かったのは、災い中の不幸と言わざるを得ない。私が四苦八苦十六苦する姿を見て、存分に楽しんでいただけたようで何よりだ。
 こんなことなら、土日はやはり旧校舎めぐりに興じていたほうが良かった。
 例え、『光トカゲ』の扱いがおざなりになろうとも、私はそうすべきだったのだ。
 断固、そのように行動すべきだったのだ。

 月曜日。
 私は呆然としたまま、心底後悔することになった。



 ――旧校舎がなくなっていた。



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