廃墟オタクは動じない
第四話 『不思議な声は懐かしの声』
警察、だと……?
突然そう名乗り上げた男に、私は真正面から懐疑的な視線を向けた。
警察手帳に書かれた名前は紫堂明良。役職は警部補。
だがこの手帳の真贋は、本物を見たことのない私には分からない。なら偽物と疑ってかかるのが自然だろう。そもそも街中で会うならともかく、こんな場所にいるなんて信じろという方が無理な話だ。校長や初老の教師にも何も聞いていないのだから。
「おいおい、そんな怖い目で見るなよ先生。おっとまだ先生見習いだったか。まぁどっちでも良いな」
はっはっは、と鷹揚に笑いながら、自称刑事はニットキャップをかぶりなおした。
「ところであんた、こんなとこで何してんだ? 立ち入り禁止なんだろ?」
「そちらこそどうなんです? 校内は部外者立ち入り禁止ですよ」
「俺は関係者だよ。ちゃんと校長にも許可を取ってる」
どうだか。
「もっと警察の権限悪用して、無断でずかずかと入ってこられりゃいいんだが、なかなかそうもいかなくてなぁ。事件がなけりゃ一般人と変わんねぇよ」
言いながら自称刑事はトレンチコートのポケットから何かを取り出し、首から提げてこちらに見せ付けてくる。
それは校内見学許可証だった。ちゃんと夕霧高校の校印も入っている。こちらは本物のようだ。
「なぁあんた、名前は?」
「……天草終一朗」
一瞬迷った後、私は素直に答えることにした。
私の直感がこの怪しげな男のことを拒絶しているが、ここはできるだけ穏便に、そして迅速にことを運ぶべきだ。
今、立っているこの場所。角度によっては新校舎からも見える。人物の特定までは難しいまでも、誰かがいることくらいは分かる。まじめで時間をもてあました教師に見つかれば、この場を押さえられて注意されるだろう。
だが『注意』で済むのは一回目だけだ。
二回目からはそうはいかない。何かしらの処分を受けることになる。最悪、実習中止だ。そんな貴重な一回を、こんな場所で潰したくはない。
「天草終一朗……どこかで聞いたような……」
自称刑事は私の名前を聞いて思案げに目線を泳がせた。
こいつ、何が狙いなんだ? そんなとぼけた芝居にいつまでも付き合っているわけには行かないんだ。
「あの――」
「まぁいいや」
私の言葉に被せるようにして、自称刑事はタバコの煙を大きくふかした。
「とりあえず入ろうぜ、こん中」
そして大型のフラッシュライトで旧校舎の方を指しながら片眉を上げてくる。
「は?」
「は、じゃねぇだろ。お前さんもここに用があるんだろ? だったらそいつをしながらでも話はできるわな?」
何を言っているんだこいつは。確かに私は旧校舎に用事がある。だがこんな奴と一緒では台無しだ。何をとち狂って、こんな怪しげな自称刑事と旧校舎探索をしなければならないんだ。
「別に中に用があるわけじゃないんで」
クソ、しょうがない。悔しいが今日はあきらめよう。まずはこの男のことを誰かに確認しないと。
私は新校舎への緩やかな斜面に一歩を踏み出し――
「誰かに報告したら困るんだろうな」
男の言葉に足を止めた。
「例えば、校長にこのことを言ったら、あんたは困るんじゃないのか?」
少し低くなった声が背中にまとわりつく。
「一度は良くても二度目は厳しい。三度目の仏の顔なんざ、実際どの程度拝めるのかね」
こいつ、脅しているつもりか?
「まぁいい。あんたの気が変わったんなら俺は別に止めはしない。そこまでの権利はないからな」
そう言う男の声が、徐々に遠ざかっていく。肩越しに後ろを振り向く。男は旧校舎正面玄関の扉に手をかけていた。
「くそ……」
こいつに見つかったのは私の失態だ。周囲への注意が足りなかった。禁止事項を実行しているという認識が甘すぎたのかもしれない。
これは教訓だ。二度と同じ過ちを犯すなという教訓。
今はそう言い聞かせるしかなかった。
旧校舎の正面扉に鍵はかかっていなかった。多分、この男がはずしたんだろう。そして裏口の扉も同様にして。やりたい放題だな、全く。
旧校舎一階、正面口。スチール製の靴入れが書庫のように並んだ入り口スペース。
ここから入るのはこれが最初だ。できれば一人で色々な感慨に浸りたかったが、今はとてもそんな心境でも状況でもない。
「俺はここの許可ももらってる。つまり俺と一緒にいりゃ、見つかったとしてもお咎めなしってわけだ。そう考えりゃ便利なもんだろ? なぁ?」
はっはっは、と笑いながら、男はぽんぽんと私の肩を叩いた。
「で、刑事さんがこんなところに何の用なんですか?」
自称刑事から半歩距離を取り、私はできるだけ声を低くして聞いた。
このまま向こうにペースを持っていかれたまま会話するのはまずい。具体的な不具合は思いつかないが、何かまずい。とりあえず気に入らない。
「さぁてなあ。警察が捜査内容を簡単に喋るってのは、ちょっと問題ありなんじゃないか?」
「ならそちらが欲しがっている情報も得られないかもしれませんね」
間髪いれずに返す。
この男が私に何かを聞きたがっているのは明白だ。それを餌にしてぺースを奪い返す。
「おーいおぃ、市民は警察に協力するもんだろ」
「質問に対して『知りません』と返すだけでよければいくらでも」
「下手な嘘を見抜くくらいの自信はある」
「真実を引き出す自信の方は?」
そこで一度言葉が途切れる。
男は小さく舌打ちし、持っていたフラッシュライトを灯した。想像していた以上の光量がうす暗かった校舎内を照らし、陰影のグラデーションをかき消していく。
「お前にはそれだけの価値があるってか?」
「それを見極めるのはあなただ」
廊下の角や天井の隅、掃除用具が投げ出されたロッカーの中や傘立てと壁の隙間まで。日の光が届きにくい場所を的確に照らしていく。異様に慣れた手つき。この場所にどの程度踏み入れているのかを如実に物語っていた。
「どこまでもうぬぼれの強い小僧だ」
「こういうのは初めてですか?」
「かもなぁ」
どこか面白そうに言ってライトの光を切り、男は深く吸い込んだ紫煙を一気に吐き出した。
さっきの明るさに慣れてしまったせいか、雨だった昨日よりもさらに暗く感じる。洞窟にでも押し込められたかのようだ。
「少なくとも、俺に初対面でそこまで言える奴は」
フラッシュライトを脇に抱え込み、男は短くなったタバコを携帯灰皿に押し込んだ。そしてすぐに二本目をくわえ込み、安物のライターで火をつける。
最初の一目でヤバいと思ったからな。雰囲気、そして額の傷。というよりこちらにヤバいと思わせるのが狙いだったんだろう。精神的に優位に立つために。だったらこちらは相手の期待を力一杯裏切るだけだ。
「まぁいい」
一口目の煙を吐き出し、男は丸みを帯びた目でこちらを見た。
「ところでこの建物、昔は軍事病院だったって話、知ってるか?」
無造作な足運びで廊下を歩きながら男は聞いてくる。
「つい昨日、知りました」
「なかなかぞっとする話じゃないか。捨てられた校舎、軍事病院。そりゃあ生徒さんたちの間で、おっかない噂話も立つよなぁ。実際、結構見てる奴もいるらしいぞ、ここで」
教室の前の廊下を通り、男は階段の方に足を向ける。
話題を変えてまた主導権を取り戻しに来たのか? 姑息なことだ。
「何年か前だったか。狐憑きなんて古風な呼び方で言われててな。霊でも乗り移ったみたいに、妙な行動に出た生徒が大勢いたとかでよ。その時の名残が、今でもまだそこいらに漂ってるんだとさ」
ライトを消したのはこの話をするためか。暗がりで怪談話をすれば心理的に追い込めるとでも?
底が浅い。この流れで次に来るセリフは、
「それにここじゃ――」
「実際に人が死んでるんでしょう? 知ってますよ。亡くなった方の一人とは同じクラスでしたからね」
男の言葉に被せる形で言い、私は自信に満ちた声で続ける。
「ですがそんなものは関係ない。この旧校舎に怪奇現象なんて存在しない」
それが人為的に作られたものだと確認したばかりなのだから。
「先入観ですよ。そこにあると思うから、ない物まで見えた気になる。聞こえないものまで聞こえた気になる。単なる思い込みだ。それとも刑事さんはそんなオカルトを信じてるんですか?」
勝った。
先を読んで相手の言葉を潰した。主導権はいまだ私の手の中にある。
その証拠に見ろ、こいつの間抜けな表情を。階段を上がることも忘れて、この暗がりでもはっきり分かるくらい目を見開いているじゃないか。
さぁ次のセリフは何だ。また叩き潰してやろうじゃないか。
「同じ、クラス……?」
まるで独り言のような、方向性を持たない呟き。
その言葉に、自分の中での興奮の熱が一気に冷めてくるのを感じる。
しまったな、うかつに喋りすぎたか? 勝ちを確信するあまり、先走りすぎたか? まさかそこに食いついていたとは思わなかった。
「天草、終一朗……」
男は私の名前を呼びながら、くわえていたタバコを右手で取る。そしてまだ長さのあるそれを携帯灰皿に押し付けた。
これはどういうリアクションなんだ。落ち着け。平静を崩すな。向こうに動揺を悟らせてはいけない。
「そうか……」
軽く首を縦に振りながら、男はなぜか階段を下り始める。
「教育実習生……お前、ここの卒業生か……」
そしてトレンチコートの内ポケットに手を入れ、何かを取り出した。
「悪い、先生。なんか、呼ばれてるみたいだ」
手に持っていたのは古い機種の携帯電話。マナーモードにしているのか、うるさい振動音が鳴り続けている。
「ま、お近づきのしるしだ。一応これ、渡しとくわ」
電話に耳を当てながら、男は紙片を差し出してきた。
それは彼の名刺だった。名前と階級、勤務している警察署の名称と住所が書き記されてある。
「じゃあ、またな」
一方的に言い残すと、男は通話口を手で隠して話しながら去って行った。
突然の状況変化に付いていけず、私は彼の後を目だけで追ったまましばらく立っていた。そして強引に渡された名刺に視線を落とし、
「まずは確認か」
言いながら短く息を吐く。
他の教師が知っているのかと、この場所にこいつが存在するのかを。
それにしても、携帯が振動する前に取り出すなんて神がかった技だ。体内にアンテナでも内蔵してるのか?
「ふぅ」
半笑いになって私も階段を下りる。とてもではないが旧校舎探索をする気にはなれない。
そういえば今日は甘い匂いがしないな。女霧の小遣いが底をついたか?
そんなことを考えながら、私は旧校舎を後にした。
紫堂明良。
五十四歳、珠ヶ丘警察署勤務、警部補。夕霧高校からは電車で一時間ほどの場所に住んでいる。
初老の教師には、校内見学許可証を作成する際に必要だった書類を見せてもらった。珠ヶ丘警察署には偽名を使って電話をかけた。紫堂明良という名前の男は確かにそこにいた。
まぁ、さすがにこのくらいでボロは出さないか。
それよりも……。
「……」
私は見ていた名刺から目をはずし、前に座っている初老の教師に視線を向けた。彼はあわてて私から顔を逸らすと、お茶を飲むフリをしてごまかす。が、湯のみが口ではなく頬にあたっている。顔と腕の動きが連動していない。動揺がはっきりと見て取れる。
校内に警察が入り込んでいることが教育実習生にバレたんだ。まぁ、気持ちは分かる。ひょっとして、ここ数年実習生を招かなかった理由はこれか?
「あの……私、別に事情を聞いたりしませんから」
できるだけ穏やかな口調で、はにかみ笑いを混ぜながら私は言った。
勿論、気にならないといえば嘘になる。しかし興味本位で探っていいことでもない。これは非常にデリケートな問題だ。関わらない方がいいに決まっている。
――自分の身に火の粉が降りかかってこない限りは。
幸い、あの男はいつでも自由に出入りできる訳ではないし、何でもできる訳でもないようだ。
校内に立ち入るのは放課後だけ。事情聴取などの警察権限を、生徒には適用しない。生徒には身分を明かさない。
これが条件だ。
昨日は不意打ちだったから出会ってしまったが、次にはそうは行かない。ようは放課後の探索時に気をつけていれば良いんだ。最悪、昼休みだけ堪能するようにすれば全く問題はなくなる。
警察だろうがFBIだろうがCEOだろうがAKBだろうが、私の廃墟ライフを妨げることは何人たりともできん。
「紫堂明良……」
私は一度だけその名前を小さく呟く。
あの男の苗字だと思うと嫌な気分だ。自分の青春が汚された気分になる。
もう少し先にしようと思っていたが、今日行ってみるか。
彼女が亡くなった、図書室に。
昼休み。
私は昼食もとらずに旧校舎に来た。
時間が惜しかった、というのもあるが、食欲がわかなかったというのが本音だ。
一階で例の甘い匂いがしたことに、妙な安堵感すら覚える。我ながら滑稽だ。昨日の夕方かげなかっただけで、もう恋しくなってしまうとは。気持ちが沈んでいるせいか?
「ふぅ」
自嘲気味に笑いながら、私は息を吐いた。
旧校舎二階、図書室。音楽室から廊下を挟んで、正面入り口側に位置する部屋だ。
一つしかない出入り口の真上。そこに掲げられたプレートに、“図書室”と書かれているのを確認して私は扉を真横にスライドさせた。
さして抵抗も無く開き、中からは高密度の古い紙の匂いが漏れ出してくる。まぁここは現役の時代からこんな感じだった。特に本を読む趣味はなかったが、結構な頻度で通いつめていた。
彼女がよくここにいたから。
埃の降り積もったタイルカーペットをゆっくりと踏みしめて奥に進む。空になった木製の本棚に左右から見下ろされ、濃さを増した影の中を一歩一歩。確かめるような足取りで。
やがて本棚の列の最後尾にたどり着く。
その先は四人がけのテーブルがいくつも置かれた読書スペース。
かつてと変わらない姿で鎮座している先住者の間を通り抜け、さらに奥へと進む。
窓際で、壁から一つ手前。
「ここだ」
遮光カーテンの隙間から差す弱い日の光で、まるでスポットライトでも浴びるかのようにして、そのテーブルは浮かび上がっていた。
昔、彼女はこの場所でよく本を読んでいた。分厚い専門書から、海外の絵本まで。
私はすぐ後ろの席に座って、ただ彼女の背中を見ていた。
「紫堂、茜(しどう あかね)……」
あの男と同じ苗字のクラスメイトの背中を。
高三で初めて同じクラスになって紫堂のことを知った。いつも一人でいる、物静かで線の細い女子生徒だった。体が弱いのか、体育の授業はいつも教室で自習していた。
好き、だったのかどうかは分からない。別に彼女と付き合いたいだとか、一緒にお喋りがしたいだとか、そういう感情は特になかった。
ただ、本を読んでいる彼女の姿を後ろから眺めるのが、いつの間にか日課になっていた。何かの拍子に目線が合っても、お互いに会釈するだけで何の会話もない。単なるクラスメイト同士。ただそれだけ。
ひょっとしたら向こうは変に思っていたかもしれない。いつも自分のことを見ている男子生徒がいると、誰かに相談していたかもしれない。
そういう雰囲気を感じたらやめようと思っていたが、結局何もないまま時間が過ぎていった。ひょっとしたら心のどこかで、何かアクシデントを期待していたのかもしれないが、今となってはそれももう分からない。
卒業式を二ヵ月後に控えた五年前の一月六日。
紫堂はここで死んだ。
死因は急性心不全。ようは原因不明の心臓停止だ。
事故直後は何回か制服の警察の姿を見かけたが、すぐにいなくなってしまった。紫堂の体に目立った外傷がなかったこと、体が弱く日常的に薬を服用していたことなどから事件性はないと判断されたらしかった。
担任の教師からもそれ以上の説明はなかった。生徒たちの間では、紫堂が麻薬系のドラッグを使っていたという噂が一時期飛び交ったが、自然と聞こえなくなった。そして二ヶ月後、私達は何事もなかったかのように卒業した。
誰も気にしていないのか、それとも気にしないようにしているのか。卒業式中、卒業者として紫堂の名前が呼ばれた時も、誰も何も反応しなかった。
私も含めて。
なんとも扱いの軽いことではないか。たった二ヶ月で風化してしまうなんて。廃墟ですら十数年はかかるというのに。
この高校では紫堂の他に、少なくとも二人死んでいる。私が高一の時に教員が一人、高二の時に生徒が一人。どちらも事故死としか記憶にはない。その当時は確かに死んだ状況を耳にしていたはずなのに。直接的な関わりがないと、記憶というのはあっという間に溶けて消える。
「……」
私は椅子を引き、紫堂が座っていた席に腰を下ろす。一つ前には同じテーブル。その先にはコンクリートが少し顔をのぞかせた壁。
これが、紫堂が図書室でずっと見続けた景色。
そして突然、心臓が止まった。
「……」
私は席を立ち、後ろのテーブルに向かう。何も言わず、かつての私の定位置に座った。
見慣れない風景。
幾度となくここにいたはずなのに、まったく見覚えがない。ただただ違和感。もしかすると、紫堂がいない時にここに座ったのは初めてかもしれない。
「ふぅ……」
私はここに来て何がしたかったんだろう。何を得たかったんだろう。
あの男のことがなければ、もっと後回しになっていたはずなのに。入念に心の準備をして訪れたはずなのに。それだけの不安を乗り越えてでも得たい何かがあったはずなのに。
ここにくれば彼女の幽霊と話ができるとでも思っていたのか? 馬鹿馬鹿しい。
仮にできたとして何を話すというんだ。
もし生きていたら、今はどんな本を読みたいですか? とでも聞くつもりか? 愚の骨頂だ。そもそも紫堂は私のことなど覚えてはいないさ。
――だが、私は紫堂のことを覚えている。
死因も、死んだ場所も、死んだ日も。
「……」
立ち上がる。意味もなく辺りを見回してまた座る。
この場所にこうして来ているということは、紫堂は私にとって少なからず特別な存在だったのだろう。決して恋愛感情ではないが、特別な存在。
例えるならそう――特に買う気もないのにショーウィンドウ内にディスプレイされているギターを毎日のように見ていて――いつの間にか気に入っていて――それを弾いている姿なんかを想像して満足して――なんとなく倹約生活を始めて金を貯めたりして――それでギターと繋がっていられるような気になったりして――
でも、ある日いつも通り見に行ったら誰かに買われてしまっていた。
そんな自分勝手な暗い感情。
誰かが悪いわけでもなく、ただ一人で喜んだり悲しんだりしているだけの閉鎖世界。
この五年間、そんな気持ちがどこかでくすぶり続けていた。
ここに来れば少しは楽になれるかもしれないと思っていた。心の整理がついて、言葉を得られて、何かが解決するかもしれないと思っていた。
「まぁ……」
そんな簡単なものでもなかったか。
いや、そんな綺麗なおとぎ話でもなかったか、と言った方が適切か。
分かってる。もう分かってるだろう。ごまかすのはやめよう。これはもっと単純な感情なんだ。
――気に入らない。
紫堂が死んでから一ヵ月後、美術室が立ち入り禁止になった。理由は中でふしだらな行為が行われていたと確認されたため。美術室はこの図書室の真下だ。
その一週間後、校舎の取り壊し計画が突然発表された。理由は建物の老朽化。まだ築二十年ほどだったが、手抜き工事が発覚したと説明された。新校舎の基本教育部分が仮設的に完成ししだい、取り壊すことになった。予定では十ヶ月後だった。
きっと私の他にも、クラスで怪しんだ奴がいたはずだ。そしてこう思ったはずなんだ。
――ひょっとして、学校は何かを隠そうとしているんじゃないのか?
何人かはすぐにその考えを捨てただろう。考えすぎだ、と。
だが何人かはさらにこう思ったはずなんだ。
――まさか紫堂に関係しているんじゃないのか?
そこでまた何人かは考えるのをやめただろう。いくらなんでもこじつけすぎる。自分は紫堂と知り合いだったからそう思うだけだ。想像だけでよからぬことを考えるものじゃない、と。
しかしこう思った奴もいたはずなんだ。
――紫堂は事故死ではないのではないか?
馬鹿馬鹿しい。普通はそう思うだろう。
警察が言っていたではないか。これは完全な事故だと。誰かに何かをされたような痕跡は見つからなかった。紫堂はもともと体が弱かった。薬も常用していた。
一体どこに疑う余地があるというんだ。
「どこに、だと……?」
誰かの低い声がすぐそばでした。怨めしく、暗い声。
あわてて辺りを見回す。しかし誰もいない。
それが自分の口から発せられたものだと理解するのに、少し時間を要した。そのくらいいつもの自分の声とはかけ離れていた。
だが今のではっきりした。
私は紫堂の幽霊に会うためにこの場所に来たんだ。そして聞きたかったんだ。
『あなたは誰に殺されたんですか?』
と。
答えはもう分かってる。確認したかっただけなんだ。
紫堂茜を殺した人物。
それは第一発見者である、ここの校長――
「……ヤバいな」
私は頭を激しく振って、先ほどまでの妄想を白紙に戻した。
どうやら頭がイカれてきたらしい。心の中のモヤモヤが消えてスッキリしたせいか、妙な昂揚感に包まれている。そのせいで想像だけで殺人犯を仕立て上げてしまった。
何を先走った思考に没頭しているんだ。我ながらどうかしているぞ。落ち着け。もう一度、考えを整理するんだ。
突然の校舎取り壊しが気に入らない。
そこまではいい。そこまでは単なる私の正直な気持ちだ。
だがその先は――
――ねぇ――
声が聞こえる。
何度か音楽室で聞いたあの声が。
――、は……どうして……しんだ……の?――
より大きく。より鮮明に。
――わたしは、どうして……死んだ、の?――
金属的なノイズ音は晴れ、はっきりと女性の声だと分かる。
聞いたことはある。何回か聞いた。それこそ片手で数えるくらいしかなかったが、はっきりと覚えている。
――私はどうして死んだの?――
紫堂茜。
彼女の声だ。
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