廃墟オタクは動じない

モドル | ススム | モクジ

  第九話 『美術室は愛の巣で魔物の巣』  

 旧校舎一階。
 正面入り口から入って左に曲がり、廊下を少し直進して左手。
 そこに美術室の扉がある。
 私が三年生の時。卒業式を一か月後に控えた二月。
 この中で一部の生徒がふしだらな行為を行っていたとして、突然立ち入り禁止となった。
 単に鍵がかけられただけでなく、扉が二度とスライドしないようにレールを壊し、さらに放課後には見張りの教師を日替わりで立たせるという徹底ぶりだった。
 そのあまりの厳重さから、当時は一体誰と誰がどんな行為を行っていたのか、根拠のない噂や風聞がそこら中で飛び交っていた。
 そういうことに興味の尽きない年齢だ。想像力の行き着く先は果てが見えない。謹慎処分を食らった生徒はいないようだったから、教師同士か、あるいは保護者も関与していたのか、などという下世話な会話が方々で沸き上がっていた。そこに狐憑きの騒動が加わり、おかしな言動を取る奴らが、かつてない規模となった。
 おかげで受験直前だというのに、全く授業にならないことが何度もあった。
「で? どこですか?」
 美術室内に一歩踏み入れ、私は前を行く紫堂明良に聞く。
 扉は乱暴に壊されていた。蹴破ったのか、何か道具を使ったのかは知らないが、スチール製の扉は真ん中あたりが大きくへこみ、室内に倒れ込むようにして横たわっていた。
「その隅っこのところだよ」
 フラッシュライトの光が伸び、美術室の後方を明るく照らす。
 旧校舎を被写体として描かれた沢山の絵画作品が、壁に浮かびあがるようにして現れた。その下には丸められた課題ポスターや、作りかけの彫刻、茶色く変色した皿などが無造作に散乱している。
 私達が卒業後もずっと出入り禁止だったのだろう。分厚く埃が降り積もってはいるものの、ここを誰かが使用していたであろう痕跡は、未だに色濃く残っていた。
「最初ここに来た時は、『なんだこりゃ?』って感じだったが、廃校の開かずの間ってのは、随分と興味を引く響きじゃねぇか。なぁ?」
 革靴のかかとを鳴らして歩き回りながら、紫堂明良は面白そうに言った。
 開かずの間、か。確かに、外から来た人間がここを見れば、そういう形容の仕方になるか。旧校舎の中でも特に近寄りたくない場所になると同時に、最も探ってみたくなりそうな領域に。
「どこですか?」
 紫堂明良が示した辺りを注視するが、地下室の入り口らしきものは見つからない。
 というか、そんな大層な物が本当にあるのか? 三年間この校舎を使っていたが、全く気付かなかったぞ。
「そこだよ、そーこ。その角のところ」
 紫堂明良はどこか面倒くさそうに言いながら、教室の隅に置いてある大きなロッカーの足元を照らした。掃除用具の入った、無骨な作りの直方体。紫堂明良が移動させたのか、少し傾いた状態で鎮座している。
「ん……」
 一瞬、移動させた時にできた傷かと思った。
 ロッカーの下の床に切れ目が入っていた。壁のラインと平行に。敷かれたピータイルを切るようにして、真っ直ぐ。
 私はロッカーを自分の方に傾け、引きずって手前に移動させる。それを適当に窓際へと押しやり、さっきの切れ目の場所をLEDライトで照らした。
 蓋……?
 そこには扉と呼べるような代物はなかったが、簡素な作りの蓋とおぼしき物が姿を現した。丁度、地下式の消火栓の蓋を、人が入れるくらいに大きくした感じだ。
 しかし目立つようにデザインしてある消火栓とは違い、ここの蓋は床との境目が殆ど分からない程に一体化している。しかもこの上にロッカーが乗せられていて、完全に隠れていたんだ。おまけに明りもない。
 言われなければ――いや、例え言われたとしても、見つけられるかどうか……。
「な? あったろ?」
 とぼけたような声で覗き込んでくる紫堂明良。
 ……こういう観察眼は本職ならではといったところか。
「鍵は壊してあるからよ」
 悪びれた様子もなく言ってくる紫堂明良を横目に見ながら、私は蓋の隣で片ひざを付いた。ほぼ正方形のそれの一端に、工具か何かで壊されたような跡がある。恐らく鍵穴があった箇所だろう。そのすぐそばには、蓋にめり込む形で取っ手があしらわれていた。
 寝た状態の取っ手を起こして手を入れ、私は腕に力をこめる。
 ――美術室の地下室。
 その言葉が引っかかったのは、もしかしたらそこに立ち入り禁止になった理由が隠されているかもしれないと思ったからだった。
 もし、私達が聞かされたのとは別の理由で、ここが立ち入り禁止になったのだとしたら。
 もし、そのことが紫堂茜の死に関係しているのだとしたら。
 紫堂茜の死、美術室への立ち入り禁止、旧校舎の取り壊し。
 短い間に起こった一連の流れ。
 全く関係ないかもしれない。単なる考えすぎなのかもしれない。
 だが、もしかしたら――
「……保管室、ですね」
 蓋を開け、地下室の中をLEDライトで照らしながら私はそう言った。
「やっぱ、お前さんもそう思うか」
 やや落胆した声で紫堂明良が呟く。
 蓋の下に広がっていたのは二畳ほどの狭いスペースだった。そこに木製の三段棚が押し込まれている。大きさからして中で組み立てたのだろう。枠組みに棚板が置かれただけの、非常に簡素な作りだ。
 多分、美術の作品を一時的に保管する場所だ。ただ使われなくなって久しいのか、作品は一枚も無く、それどころか棚のあちこちが腐って黒ずんでいる。部屋中に張り巡らされた異様なまでの蜘蛛の巣の密度が、ここが閉じられてからの年月を雄弁に物語っていた。恐らく十年以上は経っている。私が知らないのも当然だ。
 この校舎が建てられた直後は使われていたんだろうが、私達の代ですでに保管室は別にあった。多分、生徒数が減って無人となった教室を有効活用したんだろう。結果、この保管室は使われなくなった。
 元々、地下なんていうカビの温床のような場所は、作品の保管場所には向かないんだ。だからこの有様。カビと蜘蛛の巣以外にも、床に黒い繭のような物まで転がっている。この中でどんな生命体が育まれてきたのか興味はあるところだが、降りて確認しようという気にはとてもならない。
 取り合えず、この場所が美術室立ち入り禁止となった理由でないことは確かだ。あとは紫堂明良の方だが――
「何があるのを期待してたんですか?」
 蓋を静かに閉じ、私は顔を上げて聞く。
「まぁー……秘密の取引現場、ってところかな」
 紫堂明良は一旦視線を中空に這わせ、煙を細く吐きながら返した。
「秘密の取引現場?」
「いや、お前さんも初めて見たってんなら別にいいんだが……何か噂とか聞いたことないか? 例えば、誰かがよくここを内緒で使ってた、とか」
 ふしだらな行為。
 言われてまず最初にそのフレーズが連想された。そして同時に違和感。
 こいつ、まさか……。
「まぁドアがあんな調子じゃあ、使えるモンも使えねぇか」
 知らないのか? 美術室が立ち入り禁止になった理由を。
 私は表情を崩さないよう気をつけながら、思考を巡らせた。
 今、意図せず呆気に取られたせいで、こいつは私が何も知らないと勝手に判断している。私のリアクションを見て、隙あらば探りを入れようとしていたのに、当てが外れたんだ。『そんなことも知らないのか』という私の表情を、『何の話をしているんだ』と言ったように勘違いしている。
 相手はそういう状態だ。
 考えてみれば当然のことかも知れない。
 警察が何らかの調査を校内で行うとなれば、校長に断りを入れるのは絶対条件。事件ではなく事故なのだから、大きな強制力は振るえない。
 ならば学校側は隠そうとするだろう。校内でふしだらな行為が行われていたことは。学校関係者には指示が出されているはずだ。余計なことは言うなと。
 こいつは知らない。
 そして私は知っている。
 これは立派な武器になる。
「私が卒業直前、ここは立ち入り禁止になりました。突然ね」
 立ち上がり、ゆっくりと言葉を並べる。
「ほぉ」
 暗がりの中、紫堂明良の丸い双眸が、す、と細くなったように見えた。
「理由は?」
「先に質問していいですか?」
「どうぞどうぞ」
 軽く鼻を鳴らし、紫堂明良は余裕の表情で口元を緩める。
 そう来ることは予想の範疇内。雰囲気がそう言っている。
 癇に障る態度だが、話が早くて助かる。
「昨日の手品の種明かし、教えてくださいよ」
「手品ぁ?」
 私の質問に、紫堂明良は少し声を裏返らせながら返した。紫煙を吐き出し、怪訝そうな顔つきで私の方を見てくる。
「ええ。昨日、教室で見せてくれたじゃないですか」
 私はややおどけた声で「スリー、ツー、ワン」とカウントダウンして、指を鳴らした。その仕草でようやく察したのか、紫堂明良は「あぁ」とうめくように言いながら後ろ頭を掻いた。
「あんなモン、別に何てこたねーよ。似たような場面に何回か出くわしてるから、ああコイツもそうなんだろーなって思っただけだ」
「タイミングが随分と正確でしたが」
「たまたまだよ、たーまたま」
 近くに転がっている丸椅子を起こし、紫堂明良は適当に埃を払って腰を下ろす。声と態度から、ありありと退屈そうな気配が伝わってきた。
 ――まず紫堂茜のことを聞いてくるはず。
 そう思っていたんだろう。あるいはさっき意図的に匂わせた『秘密の取引現場』。どちらかに食いつくと踏んでいた。だがそのどちらでもなかった。
 完全に肩透かしを食らった形だ。
 これでいい。このまま相手のペースを乱す。
 今、紫堂茜のことを聞いても、あらかじめ用意していた答えを返されるだけだ。そこに私へのメリットは少ない。もしくは全くないかもしれない。
 ならまずはそれ以外のことを聞いて探りを入れる。そして最終的に本音を聞き出す。
 これでいい。このままいく。
「たまたま、偶然、ですか。私もああいう狐憑きの状態の人間は何度か見てるんですよ。現役時代に。狐憑き、知ってますよね?」
「あぁ」
 紫堂明良は知っているはずだ。初めて会った時、このフレーズは彼自身の口から出ていた。
「狐憑きの状態になると、一種の昂揚状態になるみたいで、普段絶対に口にしないような暴言も吐くようになるみたいです。あの時の女子生徒みたいに。けどね、気を失うまでにはなかなかならない。そんな事例、聞いたことくらいはありますが、実際に見たのはあれが初めてですよ。それとあの日、他のクラスでも狐憑き騒動が起きてましてね。教師が全員で止めにかかったそうなんですよ。そのことについて今朝職員会議があったんですが、気を失った生徒がいたなんて話は一人も報告していませんでした」
「あー、お前さんよ……」
 私の回りくどい説明に我慢できなくなったのか、紫堂明良は鬱陶しそうに話をきった。
 当然の反応だ。わざとそういう話し方をしたのだから。だから次に来る言葉は――
「何が言いたいんだ?」
 だろうな。
「つまり、そんな稀なケースに、果たしてそう何度も立ち会えるのか、ということですよ」
「俺が嘘をついてるってことか?」
「えぇ。ただし――」
 私は短く切って続ける。
「その場に立ち会ったのが、“偶然”ではなく“意図的”ではなかったのか、という点に関してですが」
 一瞬、紫堂明良の眉が動いたように見えた。
「例えば、何か気になる点があって、彼女のことを調べていた、とか」
 あの時、あまりにもことの運びがスムーズすぎた。紫堂が言ったように、マジックショーでも見ているかのような錯覚を覚えた。まるで誰かが裏で見えない糸を引いているかのように。
「だから彼女が気を失うタイミングも、気が付くタイミングも知っていた」
 勿論、紫堂が本当にああいうシーンを他で何度も見ていたという可能性もある。指を鳴らしたタイミングが、ただ偶然A子の覚醒に合っただけという可能性すら残っている。もっと低い確率で言えば、紫堂とA子がグルだということもありえなくはない。
 考え出したらきりがない。
 ならカマをかけるしかない。紫堂明良のリアクションから読み取るしかない。
 向こうが自分に対してそうしてきたように。
「その調べていたことというのは、例えば、何か凶器となりうる物の受け渡し、とか」
 さっき私がした回りくどい説明は事実だが曖昧だ。
 別に私は狐憑きの専門家でもなんでもない。どの状態が例外で、何が普通かなど知らない。気を失った原因が狐憑きなのかどうかすらも。職員会議にしたって、単に面倒なことになるから報告していないだけかもしれないし、教師が来た時には気絶から回復した後だっただけかもしれない。
 だが紫堂明良の内面に揺さぶりをかけるには、このくらいでちょうど良い。考える余地を残しておいた方が、思考の空白を生みやすい。その空白は隙となる。
「それは小さくて簡単に隠せる。だからなかなか持っている瞬間を押さえられなくて尾行していた」
 そしてはったりの質問をする上で中心となるのは、紫堂明良の行動原理だ。
 娘、紫堂茜を殺した犯人探し。
 これが嘘である可能性は低い。紫堂明良はこれを起点として私に話を持ちかけてきたんだ。もし嘘なら、それが知れた瞬間取り引きは終了。そんなリスクを、この男が取るとは思えない。
 これは地盤なんだ。
 紫堂茜の死。
 これは私と紫堂明良の間での共通の地盤。
 ならそれを中心に据えてカマをかけるのが最も効果的。
 それは向こうだって分かっている。分かっているからこそ、紫堂茜についての直接的な質問に関しては答えを用意している。
 だがそんな物が聞きたいんじゃない。
 こっちが聞きたいのは、相手の口から自然に出た言葉。裏表のない歴然とした事実。
「お前さん、なかなか良い刑事になれるぜ」
 黙って私の話を聞いていた紫堂明良が、ようやく口を開いた。
「そこまで想像力豊かな奴は、そうそういねぇ。なるほどなぁ。小さくて簡単に隠せる凶器、ね」
 そして椅子から立ち上がり、吸っていたタバコをもみ消して新しい一本に火をつける。
「例えば針、とかか?」
 片眉を上げて見せ、楽しそうな口調で紫堂明良は続けた。
「ありえねぇ話じゃねぇなぁ。針なら体のどこにだって隠せる。ケツにちょいと髪の毛でも巻いときゃ、すぐ取り出せるしな」
 多分、紫堂明良の言っている“体”というのは“体内”のことを指すのだろう。体の中に埋め込んで持ち運べると言っている。
「まぁそんなモン使ってたらなかなかシッポ出さねぇだろうから、尾行は必要かもなぁ。当たりつけて、そこだけバラすって手もあるにはあるが」
 “バラす”? 解体する、ということか?
「ンで? お前さんの質問はなんだったっけか?」
「手品の種明かしですよ」
「手品……あー、そーか、そーかー。そーだったか。お前さんの超展開が面白すぎて、忘れてたよ」
 はっはっは、と大げさに笑い、紫堂明良は盛大に煙を撒き散らした。
「本当にたまたまだよ。狐憑きで気ぃ失くすやつも何人か見てる。それにあん時も言ったろ? “あんなに上手くいくとは思ってなかった”ってな。宝くじも買い続けてりゃ、そりゃいつかは当たるさ。金額は別としてな」
 言い終えて、紫堂明良はまた一際大きく笑う。そのたびに彼が持っているフラッシュライトが大きく揺れ、暗い室内を光の束が暴れまわった。 
「そうですか」
 愉快そうな紫堂明良に短く返し、私は細くため息を付く。
 今のリアクション。後半は茶化したような感じで随分と余裕があったが、一番最初に見せた妙な反応。A子の覚醒を予見したのが、偶然ではなく確証に基づいたものではないのかという点。
 その理由については多少的外れだったかもしれないが、ほぼ意図的に行った行為であるという点については、当たらずも遠からずってところか。
 狐憑きとなった女子生徒。突然の気絶。予見されていた覚醒。
 紫堂明良がA子に対してどんな勘繰りを入れているのかは不明だが、こいつは狐憑きについて私より知っている。狐憑きについての新しい知見を持っている。
 そしてそれは紫堂茜の死に何か関係があるんだろう。
 普通に考えれば、紫堂茜も狐憑きだったということか……? いやしかし彼女は大人しい性格だったし、暴れたり暴言を吐いたりしたことは無かったはず……。何か個人差のようなものがあるのか? 仮にあったとして、じゃあ何を基準に狐憑きと判断するんだ? 大人しい狐憑きなんて、普通の生徒と見分けが付かないではないか。
 つまり、紫堂明良はそれを知っている? 挙動以外の判別方法を。それをもって、あのふざけた手品をやってのけた?
「じゃあ今度はこっちの番だな」
 紫堂明良の声に私は思考を中断した。そして伏せていた視線を上げ、彼の方を見る。
 どっこいしょ、という重々しい声と共に、紫堂明良は再び丸椅子に腰掛けなおした。
 何が来るかはもう分かっている。美術室が閉鎖になった理由についてだ。
 まぁ、正直これが本当の理由かどうかは知らないが、校長の口からそう聞かされたんだ。胸を張って、堂々と――
「お前さん、茜のこと、どう思ってたんだ?」
「ふしだらな――」
 ……は?
「あァン?」
 脳内がリセットされたのと、紫堂明良からドスの利いた声が飛んできたのは同時だった。
「テメェ、今なんつった」
 それはこっちのセリフだ。
「すいません。質問をもう一度いいですか?」
 頭の中を急いで再起動し、私は辛うじてその言葉だけ告げる。
「茜のことをどう思ってたかって聞いたんだよ」
 不機嫌な声で言い直された質問内容を、私はもう一度自分の中で反芻する。
 『茜のことをどう思っていたのか』。私が紫堂茜に対してどのような感情を抱いていたのか。五年前、高校三年の時に。彼女に対してどのような個人的感情を抱いていたのか。
 ……。
 ……は?
「……その質問にどんな意味があるんですか?」
「それはお前さんの知ったこっちゃねぇだろ」
 ……確かに。
 一つ聞いたら一つ返す。
 質問の内容や質はこの際どうでもよく、数の上での等価交換を繰り返す。言ってみればそれが今回の取り引きの上での暗黙のルール。ただし紫堂明良の方にのみ、それを破る権利が与えられている。
 なぜならこの話し合いの場を希望したのは私の方なのだから。
 普通にしていては相手のペースなんだ。突然、一方的に質問されてもおかしくない。だからこそ、私は武器となる情報を事前に集めた。予想しうる不測の事態に備えるために。
 しかし紫堂明良がまだルールの上でやり取りしている以上、私も当然それに従わなければならない。でなければ自分の立場が不利になる。相手のさらなる横暴を認めることになるのだから。
 それは分かっている。分かっているのだが……。
「もっと他に聞くべきことがあるんじゃないですか?」
「これもその一つなんだよ」
 頭の中がまとまらない。
 まさかそんなことを聞いてくるとは想定していなかった。
 とにかく考えるしかない。最も無難で、最も当たり障りのない返答を。
 この質問の真意や、紫堂明良が私に何を期待しているかなどどうでもいい。これ以上引き伸ばすな。表情を読み解かれる。動揺を露呈させるな。平静を保つんだ。
 冷静に、かつ慎重に、極めて一般的に――
「クラスメイト。ただそれだけです。特に親しかったわけではありません」
「ああ、そうかい」
 私の答えに、紫堂明良は納得したように軽く頷き、
「今時、黙って片思いたぁ珍しいねぇ」
 タバコの煙を大きく吐き出した。
「……人の話、聞いてましたか?」
「ああ、聞いてたさ。親しくはできなかったが、親しくしたいとは思ってたってことだろ?」
「ですから――」
「何もねぇってこたねぇだろ」
 器用に片目だけをつむって見せ、紫堂明良は得意げに続ける。
「茜の名前出しただけで、あんだけ派手に反応したんだ。それが何でもねぇはずねぇだろ?」
 昨日の放課後。A子とのやり取りがひと段落した直後か。
 あの時のあれは、タイミングが悪かった。その日の昼休みに、図書室で聞いてしまったんだ。紫堂茜の声を。だから必要以上に過敏になってしまった。その名前に。
「いや、正直な話よ。まさかあそこまで食いついてくれるとは思ってなかったんだよ。まぁ同じクラスだし、名前くらいは覚えてんだろってくらいの軽い気持ちだったんだよ。それがあれだろ? 一瞬、ひょっとしてお前さんが犯人なんじゃないかって思ったよ。こいつは万馬券引き当てちまったかもってな。だから“茜は殺された”ってとこまで言ってみたんだが……」
 言いながらくっく、と紫堂明良は喉で笑う。
 落ち着け。相手の言葉を良く聞いて、本質を捉えるんだ。
「“明日どうですか”と来たもんだ。もしお前さんが犯人なら、日を改めて俺と話したいなんざ思わないだろ、さすがに。できるだけ関わり合いになりたくないって考えるのが普通だわな」
 今だって力一杯そう思ってるけどな。
「だーから興味がわいたんだよ。どうしてお前さんがあんな反応をしたのか、お前さんが茜のことをどう思っているのか」
 私がああいう反応をした理由と、紫堂茜に抱いていた感情は、必ずしも関連性があるわけではない。紫堂明良は勘違いしているようだが好都合だ。
 よし。これで行こう。
 質問の答えにもなるし、ややこしいことを考えすに済む。さらにその流れで、こちらの質問に持っていける。紫堂明良本人がこういう聞き方をしてくれたからこそ生まれたチャンスだ。必ず物にする。
「図書室でね、声を聞いたんですよ。娘さんの声を」
「あん?」
 想像していた答えとはあまりにかけ離れていたんだろう。紫堂明良は少し裏返った声を出して、怪訝そうな顔をする。
「昨日の昼休み。ここの図書室で紫堂茜さんの声を聞いたんですよ。勿論、私はそれが怪奇現象などとは思ってません。人為的な嫌がらせだと思っています」
「おいおいちょっと待った待った。俺が聞いてんのは――」
「ですからそれが理由なんですよ。私が紫堂茜さんの名前に過剰反応したのは。昼間、下らないイタズラで妙に彼女のことを意識させられた後に、刑事さんの口から名前が出たものですから必要以上に驚いてしまったんですよ。一体、何の偶然だってね」
「じゃあ今日会って話したいってのは」
「その図書室での現象について聞こうと思ってましてね。私の考えでは、校長が刑事さんに対して嫌がらせをしてるんじゃないかと踏んでるんですよ」
「あー待て待て。色々とツッコミたいことはあるが、今は保留だ」
「取り合えず場所を変えませんか? 二階の方がまだ明るい」
「お前、茜のことをどう思ってる」
「ただのクラスメイトですよ」
 苛立ち混じりに同じことを聞く紫堂明良に、私は即答する。
 よし完璧だ。一度も言いよどまなかった。
 これで紫堂明良からの質問には答えたし、紫堂茜に対して特別な感情は抱いていないと明言できた。最も致命的な失態を返上できた。
 この先、紫堂茜について質問することがあったとしても、それはクラスメイトとしてだ。事故死だったはずの同じクラスの女子生徒が、実は殺人事件に巻き込まれていたと聞かされれば、それほど親しい間柄でなくとも気にはなるだろう。むしろ自然な反応だ。
 それが今後の私の立ち位置。
 クラスメイトの謎の死に、やや興味のある廃墟オタク。
 その認識を誤らなければ、変に突っ込んだ質問を投げかけられることもない。そのまま残りの実習生生活を終え、ただの参考人Aとして元の生活に戻る。
 このシナリオだ。これで行く。
「お前さん今、完璧だって思ったろ?」
 嘆息と落胆の声。
「これでこの話はオシマイ。そう思ったろ?」
 残念そうな視線。
 さっそく揺さぶりに来たか。だが焦る必要はない。紫堂茜の名前に驚いた理由も、もう一度話をしたかった理由も理路整然と述べた。その上で紫堂茜は単なるクラスメイトだと言った。全てにおいて辻褄が合っている。これ以上の説得力はない。
「いきなりオカルト話持ち出されて、ハイそうですかってなるわけねぇだろ?」
 ……。
 ……ん?
「図書室で茜の声が聞こえたぁ? だから茜の名前にびっくりしたぁ?」
 ……えーと。
「おまけにそいつが校長が仕組んだ罠で、狙いは俺だぁ? だからもう一回詳しく話を聞きたいぃ?」
 ……待て待て。
「お前さんよぉ、『飯はまだかいの』つってるジジイでも、もちっとマシな言い訳すんぞ」
 ……。
 ……確、かに。
 私は図書室で紫堂茜の声を聞いたし、校長が紫堂明良に対して嫌がらせをしているのではという推測もある程度の理屈にのっとったものだ。が、客観的に聞けば末期的に苦し紛れな言い訳としか取れない……か?
 焦っていたのか。自分の中では当たりでも、それを他人が聞いた時にどう取るのかまで考えが及ばなかったのか……。
「まぁいい年こいた大人が、真顔で自信満々に言うんだ。まるっきりの嘘でもないんだろーが……なんだかなぁ……」
 戸惑いと哀れみ、そして余計な気遣い。
 『私が受けたくない感情ベスト5』にランクインしている三つをない交ぜにして、紫堂明良は申し訳なさそうに言ってくる。
「まぁ、取り合えず、アレだ。行くか、図書室。なっ?」
 紫堂明良は私の肩を軽くぽんぽんと叩くと、先に美術室を出て行ってしまった。
 一人残された私は自分の左頬を思い切り殴り、
「落ち着け、落ち着け」
 さらに壁に二回頭突きをかまして図書室へと向かった。
モドル | ススム | モクジ





空メールでも送れますが、一言添えていただけると大変嬉しいです。
Copyright (c) 2013 飛乃剣弥 All rights reserved.
 

-Powered by 小説HTMLの小人さん-

inserted by FC2 system