貴方に捧げる死神の謳声 第三部 ―黄泉路からの慟哭―

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弐『幼き狂喜、猛き殺意』


◆胡乱な魔人 ―嶋比良久里子―◆
「クソッ!」
 繋がらない携帯を乱暴に切って縦長テーブルに叩き付け、久里子は苛立ちも露わに腰掛けた。密度の高い樫の木製の椅子が僅かに悲鳴を上げ、久里子の体を受け止める。
(どないなっとんねん!)
 片手で額を押さえつけ、久里子は舌打ちして顔を歪ませた。そしてもう片方の手でテーブルを小突きながら、壮絶な視線で中空を睨み付ける。大ホールの高い天井に吊されたシャンデリアが、いつもと変わらぬ温かい光をたたえていた。
 さっき、白原家と繭森家から連絡があった。
 ――保持者が居なくなった、と。
 対応が遅れてしまった宗崎家の一件から、もし保持者に何かあったらすぐに知らせるようにと言ってある。例えソレが取り越し苦労だとしてもだ。
 その連絡をしたのがつい一週間ほど前。
 そして今日、その二家からほぼ同時に行方不明の知らせが来た。
 これで草壁の分家である三家の保持者が全員消えた事になる。しかもこの一ヶ月程の短い期間にだ。
(ありえへん……!)
 もはや偶然などではない。明らかに誰かの意思が関与している。
 それも闇の中でただジッとコチラに見つめている様な、狡猾で底冷えする雰囲気の持ち主だ。
 どんな理由かは知らないが、三人を連れ去りたいのなら同時に出来たはずなんだ。白原と繭森に宗崎を加える事くらい訳ない。そしてソチラの方が大事であると気付かれないウチに自分達は姿を消せる。仮に出来なかったとしても、一月も空ける事はないんだ。
 だが向こうは敢えて宗崎だけを消し去り、時間を置き、その通報を土御門財閥に送らせて警戒させた。そしてその上で残りのに二人を連れ去った。
 非常事態なのだと知らせるために。
 コレは完全に宣戦布告だ。向こうはコチラを挑発してきている。
(何するつもりや……)
 草壁の分家を使って、一体どうするつもりなのだ。まだ覚醒にすら至っていないというのに。宗崎は『勾陣』、白原は『天后』、繭森は『大陰』。十二神将の三体を使って何を企んでいるというのだ。
「ちっ」
 七分袖のオーバーブラウスを脱ぎ捨て、黒のタントップシャツ一枚になって、久里子はもう何度目かも分からない舌打ちをする。ベージュのフィットパンツを履いた脚を組み替え、久里子はロングブーツの爪先を何度も大理石の床に打ち付けた。
(あー、ホンマイライラする!)
 自分の知らない所で何かが動き出している。とてつもなく重大な何かが。しかしまだ自分は何も把握できていない。何一つとして分かっていない。焦りが苛立ちを呼び、すぐに怒りへと昇華する。
 皺の寄ったテーブルクロス、細かな傷の入った銀の燭台、一部ツヤの剥がれた椅子の背中、僅かな欠けが見える足元の床、そしてフルーツバスケットからこぼれ落ちて散乱しているマスカットの房。
「誰やねん! ぎょーぎの悪い!」
 目に映る物全てが体内の炉を暴発させる起爆剤となる。
 八つ当たり気味にマスカットを脚で潰し、久里子は大きく息を吸い込んで椅子に座り直した。
(あかん、落ち着かな……)
 そう自分に言い聞かせ、久里子はもう一度最初から頭の整理を始めた。
 こういう時は下手に動いてはならない。絶対にソコを狙われる。相手の思うつぼだ。よく考えて行動しなければ。
(まずあの三人は……)
 覚醒者ではない。だからいくら自分の『千里眼』でもあの三人を見つけ出す事は出来ない。
(せやったら……)
 連れ去った方の出方を先読みするしかない。
 相手がコチラに戦う意思を見せつけた以上、すぐにでも何らかの行動に出るはずなんだ。なら、三人はすでに殺されたと考えるのが自然なのか? しかし三体もの式神を保持出来る術者が現代に生き残っているなど――
(玖音、か……)
 彼と同様、先祖返りによって人の身にして魔人の血を引く者が現れたとなれば……。
 久里子は針先のように目を細めながら、テーブルに放り出された携帯に視線を向ける。
 どういう訳か玖音と連絡が取れなくなった。何度コールしても出ないのだ。彼の知恵を借りるためにも真っ先に情報を伝えておこうと思っていたのだが。
(まさか……)
 すでに巻き込まれた?
 この宣戦布告が土御門財閥に対してだけではなく、保持者全員に向けられた物だとすれば。向こうの狙いが三体の式神だけではなく、全ての使役神鬼だとすれば。
 あり得る。いや、十分過ぎる程に考えられる。使役神鬼にはまだ、自分達も知らない事が沢山隠されているはずなんだ。かつては玖音もその情報を狙って冬摩と朋華を襲った。
 そう、冬摩と――
「トモちゃん!」
 久里子は頭によぎった者の名前を叫び、椅子を蹴って立ち上がった。そして無駄に大きなテーブルの上に身を乗り出し、投げ捨てた携帯を掴み上げる。
 忘れていた。朋華にも今の状況を伝えないと。まぁ彼女の場合、いつも近くに冬摩が居るからまず大丈夫だとは思うが……。
(けど……)
 久里子は携帯のメモリーから朋華のナンバーを探しながら、もう一人の保持者の事を思い浮かべる。
 九重麻緒。
 僅か九歳にして『玄武』に覚醒した天才児。だが、三年前に前線から退いて貰った。
 当時まだ小学五年生だった彼は、まだまだやり直しが出来た。こんな血生臭い世界に浸ってしまう前に抜け出し、普通の人生を送り直す事が出来た。だから久里子が半ば強引に日常へと戻した。
 龍閃が死に、退魔師の存在性が希薄になった今、彼に必要なのは親の愛情や同年代の友達との交流という、極々一般的な幸せだ。
 勿論、最初の頃は随分と抵抗された。自分を殺して土御門財閥を乗っ取ってでも、退魔師としての生活を続けるとまで言われた事もあった。
 しかし再三の説得にようやく応じてくれ、麻緒は本来あるべき生活へと戻ってくれた。
 あれから何度か連絡を取り、向こうでそれなりに楽しくやっているとの知らせを受けた。声もだんだん柔らかい物になり、無事順応してくれているのだと感じ取れた。久里子はその事にほっとしていた。
 だが――
「そーはいかんかもな」
 久里子は朋華にコールしようとした携帯を切り、眼鏡の位置を直しながらゆっくりと立ち上がった。
「そーやったな。人の事ばっかりでスッカリ忘れとったわ。ウチかて立派な保持者やもんな」
 そして、いつの間にか一番奥の椅子に腰掛けていた男に向かって攻撃的な視線を向ける。
「あー、連絡はいいのか? 別に十分や二十分、ココでのんびり待たせて貰っても一向に構わないんだが」
 胡乱気な雰囲気を纏った捕らえ所の無い男だった。
 長い黒髪、足元まで覆うダークコート、闇色のブーツ、そして黒のサングラス。全身を包んだ異様なまでの漆黒が、男の朧な気配と相まって不気味な様相を呈している。
「イツからおったんや」
「あー、誰か、とは聞かないんだな」
 長い脚をテーブルの上に投げ出したまま、男は不敵な笑みを浮かべた。
「思い当たる人物が一人しかおらんからな」
「ほぅ、私も有名になったモンだ。光栄だな」
 軽薄そうな口調で言って、男はサングラスをはずす。ソレをコートの胸ポケットに入れながら、彼は立ち上がった。酷く遅い、極めて緩慢な動きで。
 ――なのに、どうやって立ったのか分からなかった。
 目では絶対に見ていたはずなのに、脳が認識していない。立ち上がるまでに時間が掛かったという事は覚えていても、その結果に至るまでの過程がすっぽりと抜け落ちてしまっている。
 ココに来る時も、恐らく彼は堂々と目の前を通り過ぎたのだろう。そして一番奥の席でくつろいでいた。ただソレを自分が認識できなかっただけ。
「まさかホンマに生きとったとはなぁ、ビックリやで……水鏡魎」
 久里子の言葉に、黒ずくめの男は面白がるかのように片眉を上げて見せた。
 二百前、龍閃を喰い殺そうとした真性魔人であり、随一の怨行術の使い手。中でも結界術の腕は桁外れで、強制力を持った超規模結界――『業滅結界』を扱えるの唯一の存在。
 しかし龍閃との戦いの最中に姿を消した。彼の保持していた使役神を龍閃が所持していなかった事からまさかとは思っていたが。
 いったいどうやって。そして何故このタイミングで現れた。
 分からない。ソレをこれから聞き出さなければならない。
 だが、一つだけ納得出来る事があった。
 人海戦術による大規模な捜索にも自分の『千里眼』にも、宗崎家の保持者が引っかからなかった理由。
 この男が絡んでいたとなれば、悔しいが取り合えず頷ける。
「あー、まぁ。ヒーローはいつの時代でも復活するものなのさ」
「三人をどないするつもりや」
「あー、やれやれ、君もなかなかなせっかちさんだなぁ。最初から人を疑って掛かるのは悲しい事だよ。お父さんとお母さんに学ばなかったのかい?」
「『も』? ほんなら冬摩には会ったゆー事かい」
 芝居掛かった仕草で肩をすくめて見せる魎に、久里子は用心深く身構えながら聞き返した。
「あー、確かにアイツはせっかちだなぁ、うん。まぁ、そういう次元では無いような気もしなくもないが」
「使役神集めてどないするつもりや」
「さて、どうしようかな。まぁその件については集めてから考えるという事で良いんじゃないのか?」
 鷹揚に笑いながら魎は言ってまた椅子に座り直した。
「アンタの相棒は何しとるんや。今は玖音のトコかい」
「あー、昼寝でもしてるんじゃないのか?」
「六体も使役神持っとったら紅月の時大変やろ。アンタも冬摩みたいに暴走する口かい」
「私ももう年でね。アイツみたいな元気は無いんだ」
 テーブルの上に置かれた銀の燭台を弄びながら、魎は肯定するでもなく否定するでもなく、曖昧な返答を続ける。
 予想はしていたが、こういう手合いから情報を引き出すのは簡単ではない。けど、何か一つでも確定的な事があればソレを切り口にして……。
「あー、さて。お得意のカマ掛けはもうお終いか?」
 駄目だ。このままだと向こうのペースだ。魎の目的も、次に何をするつもりなのかも分からない。わざわざ目の前に現れるような事をしてまで、一体何がしたいというんだ。
 自分を連れ去るのが目的ではないのか? 使役神を奪うのが目的ではないのか?
 時間稼ぎ? コレは時間稼ぎなのか? 自分をこの場所に縛り付けておく必要がある?
「あー、そう言えば失明は治ったんだな。深い色をした良い瞳だ。古い言葉を使うなら、吸い込まれそうという表現がピッタリだな」
 急に話を変えられ、久里子は訝しげな顔付きで魎を睨み付けた。
「玖音の持つ『六合』の力、『再生』だな。目の調子はどうだ?」
「……おかげさまでな。すこぶる良好や」
 確かに、玖音の力で自分の目は再び光りを取り戻す事が出来た。迷惑を掛けたせめてものお詫びらしいが。だが今、何の関係がある? やはり単なる時間稼ぎか。
 どうする。強引に突破するか。どうせこのままだと相手の手中だ。全く、土御門財閥の本拠点で何という様だ。
「だろうなぁ。紫蓬の血を宿し、儀紅の頭脳の受け継いだだけの事はある。彼は優秀だよ。まぁその優秀さ故に、悲惨な過去が付きまとってしまったが。一部の人災も含めてな」
 勝てはしないだろう。だが、この状況を無茶苦茶にしてしまえば、少なからず相手の計画を破綻させる事にはなるはず。そこに何かしらの活路を見出す事が出来れば……。
「あー、ところで。この洋館の周りにある樹海に張られた結界。アレもなかなか優秀だとは思わないか? 張ってから何百年も経つというのに、未だに効力を衰えさせない。私の結界術も大したモンだろう?」
 幸い、この大ホールには自分と魎の二人しか居ない。広範囲無差別攻撃、『回帰爆』を使うスペースは辛うじてある。
(やったる……)
 久里子は覚悟を決め、力の発生点である『目』に力を込めて――
「な……」
 突然、全身にのし掛かってきた脱力感に、久里子はその場に膝を付いた。
 体がまるで言う事を聞かない。何百キロという重りを付けられたみたいに、床に引き寄せられる。
「あー、結界に使う呪針というのは割と簡単に出来るものでな。手で触れて、ある種の念を込めれば完成だ。例えば、君の足元で無惨に踏み潰されたマスカット。『烈結界』程度の小さな物になら、十分呪針として使える」
 魎は椅子から立ち上がり、後ろ頭を掻きながら気怠そうに言った。
「後はソレを固定させて、いくらか時間を取って成長させれば結界の出来上がりという訳だ。単純な物だろう?」
 まるで料理番組の司会進行をするかのように、魎は淡々とした口調で説明する。
 全部最初から仕組まれていた。そして読まれていた。
 床にマスカットが散乱していたのも。ソレを見た自分が苛立って踏み潰してしまうのも。魎から何かを聞き出そうとして時間を食ってしまう事も。
「そんなにアッサリ出来んの……アンタくらいのモンちゃうんかい……」
 震える両手を冷たい床に付いて体を支え、久里子は顔に大量の汗をかきながら苦しそうに言った。
「あー、君の事だ。私が時間稼ぎをしているかも知れないという事くらいは読めたんだろうな。だが行動に移すまでに時間が掛かった。警戒心が強すぎるのも程々に、だな」
 魎が近付いて来る。ゆっくりと。一歩一歩を確かめるようにして。
「多分、失明していた頃の君ならこんな結界、すぐ見破れたんじゃないか? 視覚が使えるようになった分、失った感覚もあるという事をもう少し認識しておくんだったな」
「へっ……偶然上手い事いっただけのクセにイバんなや……」
「あー、まぁ確かにな。なかなか荒の多い作戦ではあった」
 言いながら魎は自分のすぐ側でしゃがみ込む。
「だが引っかかってくれて良かった。もう一つ考えていた方はなかなか過激でね。女性を傷付けるのは出来るだけ避けたいところだった。それに一応、玲寺との約束もあるしな」
 な――
 魎の口から出た名前に、久里子の体に冷たいモノが走った。
 今、何と言った? レイジ? 玲寺と言ったのか?
「アンタ……玲寺って……」
「あー、篠岡玲寺の事だ。『青龍』と『貴人』の保持者。君も良く知っているだろう?」
 どうして……どうして魎の口から玲寺の名前が。
 この三年間、ずっと姿を見せなかった人が魎の側に……?
「あー、すぐに会える。話があるならゆっくりすればいい。ま、アイツは意外とせっかちだからのんびり出来んかもしれんがな」
 どこか冗談めかした風に言いながら、魎はダークコートの袖をまくり上げて腕を露出させた。
「痛いっ、痛いなー、クソー」
 そしてわざとらしく苦鳴を上げ、腕の肉の一部を引きちぎる。
 コレは……まさか……。
「なかなか美しい召鬼が出来そうだ」
 口の端を吊り上げ、魎は蠢く自分の肉片を近づけた。

◆失せ人からの挨拶状 ―荒神冬摩―◆
 西の空に身を沈めていく橙の太陽。
 今日も一日が終わってしまった。いつも通り――大声で叫びたくなるくらいいつも通り――何も無いまま――極々普通の時間が過ぎ去ってしまった。
(どうすれば……)
 川沿いの土手を歩きながら、冬摩は難しい顔付きで頭を悩ませる。
 いつも通り。
(どうすれば朋華とより親密に……)
 その中身もまたいつも通り。
(やっぱ、どー考えてもコイツらが……)
 冬摩はジト目になり、欠伸を噛み殺しながら自分の隣を浮いている『死神』、川に近い原っぱでしゃがみ込んでいる『羅刹』、そして買い物があるから途中まで一緒にと付いて来る御代を順番に見た。
 この一人と二匹が付きまとっている限り、自分と朋華の距離は絶対に今以上には近付かない。そう確信出来る。
 ――いつも通り。
 そう。毎日毎日、金太郎飴をブッタ切ったように全く同じ思考を行ったり来たりしている。
 だがいくら考えてもこの難題を打破できる方策は思い浮かんで来ない。ただ悩んで悩んで悩み抜いて、いつの間にか寝てしまって次の朝を迎える。
 この繰り返し。
 『死神』、『羅刹』は邪魔だ。しかし朋華の事を思うと消せない。
 御代は邪魔だ。しかし朋華の親友だから力ずくでという訳にもいかない。
 結局、朋華の事を大切に想えば想うほど、自分は朋華から遠ざかっているように思える。
 あと七十年くらい待ては御代は寿命で死ぬだろう。しかし『死神』と『羅刹』は今と変わらないまま居残る。と、いう事はこの先何千年生き続けたとしても自分と朋華の関係は今以上に進展しない? ずっと二人と二匹、仲良しこよしで両手を繋いで?
 ……考えただけで目眩と吐き気がしてくる。
 何とかしてこの忌まわしき矛盾と堂々巡りの鎖を断ち切らねばならない。しかしそれにはどうやら自分の力だけでは無理のようだ。自分の頭ではどうやっても先に進まない。だから――
「なぁ、穂坂」
 敵に救いの手を求めるのは癪だがこの際仕方ない。血を呑んで受け入れるしかない。
 朋華との明るい未来のためにも。
「何?」
「お前、好きな男居るか?」
「ブッ!」
 キャンパスで買って歩きながら食べていたクレープを吐き出し、御代は激しく咳き込んだ。
「な、な……えーっ?」
 そして早い間隔で目をパチパチとさせながら、信じられないモノを見るような視線を冬摩に向けてくる。
「居るのか? 居ないのか?」
 しかしそんな御代の戸惑いもどこ吹く風。冬摩は顔色一つ変える事なく同じ質問を繰り返した。
「え、えーっと、まぁ……その……。居なくも、ないけど……」
「お前、ソイツにどうされるのが一番嬉しい?」
「へ?」
「どういう事を言われたりされたりすれば、その男にもっと近付こうという気になる?」
「ち、近付くって?」
「抱かれても良いとすら思えるようになる?」
「ブッ!」
 体を大きく震わせ、御代は持っていたクレープを地面に落とした。そして夕日に溶け込んでしまうくらいに顔を紅くし、冬摩の顔とクレープを何度も見比べる。
「な……な……なん……はぇ……?」
「俺は真剣に聞いてるんだ」
 歯車の取れたカラクリ人形の如く、カクカクと不審な動きをする御代に、冬摩は真っ正面から強い視線を向けて言った。
 冬摩としては、朋華の方からももっと求めてきて欲しい。
 別に肉体的にという訳ではなく、精神的にだ。もっと自分を頼って、我が儘を言って、周りが呆れ返るくらいに振り回して欲しい。朋華は多分、そのくらいで丁度良い。
 今の朋華はどうも受け身過ぎるような気がする。昔はもっと積極的だったのに、外野が賑やかになり始めからというもの、どんどんどんどんどんどん……。
「相変わらず表現が直接的よのぅ、冬摩。そんな事じゃから仁科朋華に嫌がられるのじゃ」
「な、何……!? 嫌がられてるのか!?」
 袖長白衣の袂で口元を隠しながら、顔の近くで呆れたように言う『死神』。その言葉に冬摩は心臓がひっくり返るほどの動揺を覚えた。
「当たり前じゃろう。今時の表現を借りるとすれば『ドン引き』という奴じゃ。最悪、二度と口をきいてもらえんようになるかもしれんぞ」
「な、何てこった……」
 長い睫毛を伏せて言う『死神』に、冬摩はバックに落雷を轟かせながら後ずさる。
 今までも二人きりになった時は、何度か朋華に似たような言動を示してきた。時にはデリカシーが足りないとハッキリ言われ事もあった。しかし、本気で嫌がっているようには見えなかった。表面上のすれ違いはあったとしても心の一番深い所では繋がっていて、お互いに修正を重ねながら少しずつ近付いて行けるものだと信じていた。
 なのに――
「冗談じゃ」
 そんなの冗談じゃ――
「は……?」
「仁科朋華は間違いなくお主を好いておる。目先の事だけ追い掛けずにもっと腰を据えて構えんか。愚か者が」
「テ、メェ……」
 拳を固く握り込み、冬摩は全身を震わせる。
「言――」
「私は……誘ってくれればすぐその気になっちゃうな」
 ――って良い事と悪い事の区別もつかねぇのか! と『死神』に掴み掛かろうとした冬摩を、横手からした御代の声が押し留めた。
 その隙に『死神』は飛び去り、川縁で虫と戯れているだろう『羅刹』の元に飛んで行ってしまう。
「あん? 今何つった?」
「に、二回も言わさないでよ! だ、だから、向こうから……声を掛けてくれればって……。そりゃ勿論……相手が好きな人なら、ね」
 コチラを上目遣いに見ながら、御代はツインテールを両手で下に引っ張ってボソボソと呟く。
 ソレを受けて冬摩は視線を少し上げ、何か考えるように目をせわしなく動かして、
「だーめだ……ンな事言ったらまた気絶しちまう……」 
 大きく肩を落として落胆の息を吐いた。
 似たような事を温泉旅行の時にやった。そしてアレが原因で朋華は病気になってしまった。あんな悲劇、二度と繰り返すわけには……。
「……荒神君、今すんごいシチュ想像しなかった?」
 頭上から溜息混じりに降ってきた御代の言葉に、冬摩は面倒臭そうに顔を上げて、
「危ねぇ!」
 彼女の体を庇うように抱きかかえた。
「くっ……!」
 直後、背中に強い衝撃と熱が走る。
「オラァ!」
 そして振り向きざま右の裏拳に乗せて、背後から何かを撃ち出してきた人影を狙って力の塊を放つ。しかしソレは目標を大きく逸れて原っぱに着弾すると、爆風と煙を巻き上げて地面に呑み込まれた。
「『死神』! 『羅刹』!」
 冬摩の声に応え、御代を守るように一瞬で展開する『死神』と『羅刹』。
「そこだ!」
 彼女を二人に任せ、冬摩は禍々しい波動の発生源に向かって跳躍した。
 三十メートル以上あった距離を一息に詰め、冬摩は握り込んだ拳を大地に打ち下ろす。影はソレを大きく横に跳んでてかわし、更に後ろへと――
「ケッ!」
 すでに放っていた右の蹴りが相手の腹部に突き刺さった。足の裏に確かな手応えを感じ、冬摩は左脚だけて地面を蹴って追撃を掛ける。相手の体に覆い被さるようにして跳び、冬摩は真下に右の拳撃を突き出した。そして拳の先が相手の胸部に呑み込まれる直前、敵は空中で身をよじって直撃を免れる。
 しかし冬摩の拳撃はそのまま相手の服を裂き、肉を引きちぎり、鮮血を撒き散らしてようやく力を逃がした。『鬼蜘蛛』の力で攻撃範囲が拡大されている冬摩の拳は、少し身を逃しただけではかわしきれない。
「どうしたオラァ! コッチは手加減してやってんだぞ!」
 強烈な敵愾心を剥き出しにして、冬摩は自分から一端距離をとった相手に怒声を浴びせる。
 気を抜けば殺してしまいそうになる。
 頭の中で朋華の顔を思い浮かべてないと本能に身を任せてしまいそうになる。
 コレは、間違いなく――
「テメェ! 昼間の野郎か!」
 ――龍閃の波動だ。
 龍閃は死んだ。だがその死肉を体に埋め込む事で、擬似的に龍閃の召鬼となる。
 今目の前にいるコイツからは、吐き気がするようなあの忌々しい気配しかしない!
「逃がすと思ってんのか!」
 あっけなく背中を向けた相手を追い、冬摩は土手を蹴る。耳元で風が呻り声を上げ、真横の景色が急速に後方へと追いやられていった。そして冬摩は標的の背中に手を伸ばし――
「――!」
 突然、大気の成分が激変した。
 息苦しさを覚える程の圧迫感。魂を持って行かれそうな程の虚脱感。
 重力が何倍にもなったような錯覚と共に、冬摩は大きくバランスを崩して不自然な格好で地面に叩き付けられた。
(こ、いつは……!)
 四つん這いになって草原に身を起こし、冬摩は震える両腕を見つめる。刹那、脳裏にかつての記憶が蘇った。そう、何百年も前にコレと似たよな感覚を――
「クソッ、タレ――」
 しかし冬摩は重みを増していく自分の体に抗い、歯を食いしばって膝を立てた。そして両手で大地を押し返し、
「――ガアアアアアアァァァァァァ!」
 黄昏の空に獣吼を上げ、鬱陶しい縛鎖を弾き飛ばす。
「ッの野郎!」
 その勢いに乗せて冬摩は再び跳び、龍閃の召鬼が消えて行った方向を睨み付け、
「と、冬摩さん!」
 下からした声にまた体勢を崩した。
 やむなく一度着地し、顔を上げた時にはすでに龍閃の波動は全く感じられなくなっていた。
「ああクソッ!」
 拳を大地に打ち付け、川縁に小さなクレーターを穿ってから冬摩は立ち上がる。そして近寄って来た朋華の方を見た。
「と、冬摩さん! 今のって……!」
「ああ、龍閃の波動だ。間違いねぇ」
 朋華もソレを感じてココまで来た。もう疑う予知など欠片も無い。
 しかし何故。
 ――いや、考えるまでもなかったか。龍閃の死肉を持っているのはただ一人。
「どうやら、お揃いみたいだな」
「よぉ、丁度良かった。テメーに聞きたい事が出来たんだ」
 いつの間にか自分から少し離れた場所に立っていた玖音に、冬摩は殺意を乗せた視線を向けた。コイツも朋華と同じく、龍閃の波動に誘われてココまで来たんだ。
「先に言っておくが僕の祖母は無関係だ。もうすでに確認してある。それに別の所で龍閃の死肉を持った奴に会った」
「なにぃ?」
 神妙な顔付きで言う玖音に、冬摩は眉間に皺を寄せて胡散臭げに聞き返す。
「テメー、適当な事ヌカしてんじゃ……」
「篠岡玲寺だ」
 冬摩の喋りに被せて発せられた玖音の言葉に、すぐ隣りで朋華が息を呑むのが聞こえた。
「玲寺、だと……?」
 三年前に自分と一対一で戦い、紙一重で敗れた人間。そしてそのまま行方を眩ませた。
 確か玲寺は、力を得るために自ら龍閃の召鬼に……。
「アイツの体の中にはまだ龍閃の死肉が埋め込まれたままだ。だから龍閃と同じ波動を出せる」
「けどさっきの奴は全然違う野郎だった。どういう事なんだよ」
「後ろにまだ黒幕が居るって事さ。龍閃の死肉を所持し、篠岡玲寺を操っている人物が居る。そしてソイツは間違いなく、宗崎家の保持者失踪にも関わっている」
 龍閃の死肉……玲寺を操れる程の力の持ち主……保持者の隠蔽……そして、川縁で自分を縛り付けた――
「心当たりがあるって顔だな。多分ソレで正解だよ。さっきお前を捕らえたのは怨行術 壱の型『破結界』」
「魎……」
「また厄介な奴に絡まれたモンだな」
 苦笑混じりに言いながら、玖音は小さく鼻を鳴らした。

◆奸計の一角 ―水鏡魎―◆ 
 コンクリートと鉄骨が剥き出しになった無骨な造りの部屋。いや、部屋とすら呼べない。そこはただの空間。家具などは勿論の事、窓も扉も仕切りもない無愛想な広がり。
 隅の方にうずたかく積み上げられたダンボールに腰掛け、魎はたった今報告された散々たる結果に溜息を付いた。
「あー、つまり、だ。お前らは失敗した。そういう事だな?」
 室内の暗闇を照らすのはたった一つの裸電球。その頼りない明かりに晒された男に、魎は諭すような口調で話し掛ける。
「全力を尽くした結果ですよ。あの真田玖音相手にこれだけ善戦したんですから、むしろ褒めて欲しいものですね」
「ほぅ、その割に傷一つ負っていない様に見えるが……」
「きっと暗闇のせいでしょう。あー痛い痛い」
(コイツ……)
 わざとらしく腰を押さえてうずくまる玲寺を半眼になって見ながら、魎は不満気に長い黒髪を撫でつけた。そしてまた小さく嘆息して視線を逸らし、ネオンの煌々と灯る夜景に目を向ける。
「陣迂(じんう)。お前はどうなんだ。まさか九重麻緒に苦戦したとか言うんじゃないだろーな」
「馬鹿言うなよ。楽勝だラクショー」
 空間の縁に腰掛け、シルエットだけを浮かび上がらせた男が面倒臭そうに返した。
「じゃあどうして連れてこない」
「別にあんな奴ほっといても大丈夫だろー? チョロチョロするだけで大した邪魔にはなんねーよ」
「邪魔かどうかは私が判断する。お前が勝手に決めて良い事ではない」
「じゃあアンタが行けば良いじゃねーか。弱い物イジメみたいなのは性に合わねー。俺はゴメンだね」
(コノヤロウ……)
 使えない。嗚呼、使えない。なんと嘆かわしい。
 真面目に仕事をしようという気概のある奴は自分一人だけか。
 ……まぁ、元から仲間意識が強かった訳ではないし、自分もあまり期待はしていなかったのだがまさかココまでとは……。特に玲寺に関してはほぼ惰性だからな。陣迂についてもかなり不満が溜まっていると見える。龍閃の死肉を使った実験に少し時間を取りすぎたか……。
 この二人を思い通りに動かすには……やはり冬摩だ。
 だが、まだ早い。持ち駒の出し所を間違ってはいけない。
「へっ、こらまたエライ苦労してるみたいやなー。世紀の大策士、水鏡魎さんよー」
 横手から掛けられた声に、魎は怠そうに後ろ頭を掻きながら顔を向けた。
「今からこない仲間割れしとったらこの先シンドイでー」
 縁の無い眼鏡の奥から挑発的な視線を向け、久里子は小馬鹿にしたような笑みを浮かべた。
「あー、そうでもないさ。このくらいは予想の範疇だ」
 彼女が座り込んでいる場所に歩みより、魎はどこか冷たい声で返す。
「さっきまで頭抱えとった奴の言うセリフやないなー」
「身動きの取れない奴が言うセリフでもないな」
 言いながら久里子の前で片膝を付き、魎は長い髪を掻き上げながら片眉を上げて見せた。
 今、久里子は縛られている訳ではない。拘束具を付けさせられている訳でも檻に閉じ込められている訳でもない。
 束縛など何もせず、ただそのまま放置されているだけだ。
 だが彼女は動けない。指一本動かせない。自由に出来るのはそのよく回る頭と、騒がしい口くらいの物だ。残りは全て自分の手中にある。
 彼女を召鬼とした、自分の思うがままだ。
「へっ、女相手にこんな姑息な手ぇ使わな捕まえられへんような奴に言われたないわ! 殺すんやったらさっさとせんかい! どーせウチの『天空』が目当てなんやろーが!」
 鼻息を荒くしてまくし立てる久里子に、魎は額を軽く叩きながら息を吐き、
「あー、確かに君が相手ならこんな面倒臭い事をする必要もなかった。例えば、四肢を切り落として動きを封じる事だって出来たんだ。ほら、蟹を食う時に一本一本もいでいくだろう? 丁度アレと同じ感覚だよ。そして喰い終わった餌はゴミとして捨てる。なんなら、今からやって見せようか? 四本もあるんだ。一つや二つ失ったところで大した不自由は無いだろう?」
 酷薄な声で言いながら目を冷たく細める。
 脅しなどではなく、本音をそのままさらけ出しているのだという光を灯して。
 魎の左手が久里子の肩に添えられる。薄桃色のオーバーブラウスが少しずつ内側へと食い込んでいき――
「魎」
 玲寺の声が後ろから掛かった。
「あー、冗談だ」
 ソレに軽い調子で答えて魎は立ち上がる。
「人間の肉はもう不味くて喰えたものじゃない。胃がムカムカするんだ。後始末も大変だしな。ソレに、お前との約束もある」
「私の約束は最後ですか」
「あー、もう少し間に何か挟んだ方が良かったか?」
「で? 次はどうするんですか? 今度は貴方が玖音とやりますか?」
「いや、やめておこう」
 玲寺の問い掛けに魎は即答した。
「今回の玖音は冬摩と結託する。玖音に手を出せば必ず冬摩が付いてくる。アイツと直接やるのはまだ早い」
「玖音が冬摩と? 何故」
「借りがあるからな。自分でしてしまった事とはいえ面倒な事になった」
 言葉とは裏腹に面白そうに言いながら魎は苦笑する。
「冬摩は冬摩で玖音に危険が降りかかれば助けようとする。口では反対の事を言うだろうがな。まぁそうでなかったとしても、仁科朋華は間違いなく何とかしてくれと言うだろう。そして彼女の言葉を冬摩は拒絶出来ない。どちらにせよ、これで冬摩と玖音は一組になった訳だ」
「では、しばらく放置ですか」
「あー、そういう訳にも行かない。まだまだ足りてないからな。それに、危険な戦いでなければ相手を助けるような事はしない。油断もするだろうから都合が良い。特に冬摩のように、直情的なクセに相手にとどめを刺す事も出来ないような奴なら尚更な」
「また捨て駒ですか。あまり感心しませんね」
「使える物は何でも使えばいい。人間など放っておけばいくらでも増える」
「歪んだ選民思想はいずれ身を滅ぼしますよ?」
「純粋なら問題無い訳だな」
 少しおどけた様子で言いながら、魎は一端会話を区切った。
 計画の第一段階が終わってから第二段階に移ったのでは遅い。第二段階は時間と根気の要る作業だ。だからこの二つは並行して進めなければならない。
「それでは麻緒の方は私が行ってきましょうか」
「あー、いや。ソッチは自分でやる。お前に行かせて、また陣迂のように情けを掛けられてはたまらないからな」
 微動だにせず夜景を見つめている陣迂に一瞬だけ視線を向け、魎はダークコートから取り出したサングラスを掛けた。
「あー、ソレに。お前はお前で色々と積もる話もあるだろう?」
「……柄にもない事を考えていると、意外な所で足元を掬われますよ?」
「せいぜい気を付けるさ」
 鼻を鳴らして言いながら、魎はずっとコチラを睨み続けている久里子に視線を向ける。
「あー、予備の携帯電話。有効利用できるといいな」
 少し驚いたように目を丸くした久里子を満足気に流し見、魎は陣迂の隣から夜の街へと舞い降りた。

◆日常からの解放 ―九重麻緒―◆
 途中から何か違うと思っていた。しかしコレで良いんだと自分に言い聞かせて来た。満足なんだと思い込ませて来た。
 自分を偽っている事から目を逸らし、仮初めの安住の地を見出していた。
 けど、いつの頃からか心の隅で僅かな歪みが生じた。ソレは日を重ねるごとに大きくなり、やがて明確な違和感となって自分の中に根付いた。
 最初の頃はソレが何なのか分からなかった。いや、ひょっとしたら分かっていたのかも知れない。けど、ずっと理解できないフリをしていた。
 楽だから。
 訳の分からない感情に悩んでエネルギーを使っているよりも、目の前の楽しい事に集中していた方が楽だから。
 そう考えると違和感は自然とどうでも良くなり、だんだん頭の端へと追いやられていった。消えはしなかったが、無視できるくらい小さな物になってしまった。
 そしてまた、夏那美の持って来てくれるトラブルと遊んだ。
 楽しかった。退屈な日常を充実した物に変えてくれるスパイス。さすがに毎日という訳にはいかなかったけれど、最低月に二回は何かしらの玩具が用意された。
 いくら好物だからと言っても食べ続けていれば飽きる。
 また自分に新しい理由を言い聞かせた。楽しい遊びをより楽しくするためなら、退屈な日常も悪くないかなとか。そんな前向きだか後ろ向きだかよく分からない考え方で、毎日を過ごしてきた。
 多分、ずっとコレが続くんだろうと思っていた。
 そしてソレをどこかで受け入れていた。
 もう、仕方のない事なんだと。コレに順応していくしかないのだと諦めていた。
 ――だが、そうではなかった。

『よぉ、麻緒』

 懐かしい声。懐かしい姿。そして懐かしい雰囲気。
 攻撃的で野性的で、力という言葉をそのまま体現したような厳つい体つき。
 自分の良く知った人物が助け出しに来てくれた。
 いや、正確にはその人と瓜二つの別人が。
 突然目の前に現れ、そして訳も分からないまま殴られ、意識を刈り取っていった人物。
 彼は冬摩などではなかった。
 自分の知っている冬摩は、あんな何かを企んでいるような表情はしなかった。
 しかし、別にそんな事はどうでもいい。むしろ冬摩でなくて本当に良かったと思う。
 今重要なのは、冬摩の姿をした人物が自分を欺くために現れ、喧嘩を仕掛けてきたという事実だ。そして彼が普通の人間などでは決してないという事実。
 あの常人離れした力、動き。まず間違いなく保持者だ。
 そんな奴が迎えに来た。
 自分を日常から脱却させるために。
 意識を奪われる程の痛みを噛み締めながら、ようやく取るべき行動に気が付いた。いや、自分を上手く丸め込んでいた下らない言い訳を吐き捨てる事が出来た。
 所詮、遊びは遊びでしかなかった。
 楽しいのは一時的な物に過ぎない。すぐに虚しさが襲ってくる。
 今まではソレに慣れたフリをして、自分を誤魔化し続けてきた。二度と本当の戦いは出来ないのだと、納得して受け入れてきた。
 出来るだけ周りの期待に応えるために。自分を周りに合わせて行くために。
 だが、もう誰にも文句は言わせない。久里子が何を言おうと関係ない。夏那美が本当の自分を見てどう思おうが知った事ではない。
 売られた喧嘩を買って何が悪い。土御門とか使役神とか退魔師とかそんなややこしい物は関係ない。
 コレは自分の問題だ。自分の身に降り掛かってきた戦いだ。
 ソコに小難しい理論や、小賢しい言い訳はいらない。
 ――気に入らないから叩き潰す。
 単純で明快な思考。
 コレこそが自分の本来あるべき姿なんだ!
「……あ、起きましたねー」
 瞼越しに突き刺さった光で顔を歪ませ、麻緒は目を開けた。
「気分はどうですか? 痛いところはありますか?」
 声のした方を見る。
 若い看護婦がカルテを胸の前に抱いて、覗き込むようにしてコチラを見ていた。
「ああ、凄く気分がいい。最高だ」
 腹に受けたダメージはもう完全に抜けた。取り合えず骨にも内臓にも異常は無いようだ。口の中がまだ少し腫れているが大した事はない。
 ベッドの上に身を起こし、麻緒は辺りを見る。
 白を基調とした簡素な造りの一人部屋。鼻腔を突く薬品独特の匂い。
 どうやら病院に運ばれたらしい。
「あー、よかったー。お母さん心配したわよ麻緒ー。急に怪我しただなんて連絡……心臓に悪いわ」
 母親が看護婦の隣で胸をなで下ろしている。父親はまだ仕事中なのか姿は見えない。 
「で、どうしたの? 何があったの? 誰に殴られたの? 顔は見た?」
「……あの子は?」
 母親の言葉には答えず、麻緒は病室内を見回しながら聞く。
「あの子?」
「東宮、夏那美さん。一緒に居たはずなんだけど」
「ああ、東宮さんでしたら別の病棟に居ますよ。何か強いショックを受けたみたいで。外傷は無いんですけどまだ意識が……」
「そぅ」
 ソレに興味無さげに返し、麻緒は疲れたように俯いて息を吐いた。
「母さん、ちょっと寝かせてもらっていいかな。話はまた明日でも良い?」
「え? あ、ああっ。そうね。まぁ怪我もそんなに大した事無いみたいだし、ゆっくり休んでね。学校にはお母さんの方から言っておくわ」
「有り難う」
 淡々とした機械的な喋りで言い、麻緒は再びベッドに横になって目を閉じる。
 看護婦と母親の気配が出入り口の方に向かい、部屋の明かりが消えて扉が閉められたところで麻緒は目を開けた。そして左腕に付けられていた点滴のチューブを乱暴に引き抜く。
「良い夜だ」
 窓の外を目を向ける。
 今夜は新月。
 月が姿を消した漆黒の夜空。闇の従者による宴の日。
 紅月の日とはまた違った昂奮が惹起される。
 ハンガーに掛けられていた詰め襟を羽織り、いつものスポーツシューズを履いて、麻緒は窓枠に脚を掛ける。そして鍵を外して窓を開け放ち、躊躇う事なく外へと身を踊らせた。
「ッヒョオオオオォォォォォウ!」
 体に吹き付けてくる夜気と全身を包み込む無重力感に身を任せ、麻緒は大声を上げながら真下へと落下する。三階辺りまで来たところで病院の壁を蹴り、真横に飛んで電信柱へと移った。ソコからすぐに隣りの雑居ビル、マンション、家の屋根へと連続的に身を移し、勢いを殺さないままアスファルトへと降り立った。
「アッハハハハハハハハハッ!」
 無邪気な顔付きで大きな笑い声を撒き散らし、麻緒は人混みを綺麗に避けていきながら夜の街を掛け回る。
 快感だ! 今まで味わった事のない開放感! 充足感!
 無理矢理抑え込んでいた物を全部外に吐き出して、一気に身が軽くなった。
 もう誰にも邪魔させない! もう何にも捕らわれない!
 今この時から、ボクは晴れて自由の身だ!
「――!」
 ィン、ときつく張られた金属糸を爪弾いたような音。
 直後、麻緒の周りの世界が塗り替えられた。
 色も匂いも音も消え、無機質で立体感の無い扁平な景色が広がっていく。人は地面と一体化し、建物は厚みを失って背景と同化した。ソレはまるで二次元の空間に迷い込んだかのような――
「あー、探す手間が省けたな」
 そして、頭上からやる気の無い声が降って来た。
 直感的に何かを感じ取り、麻緒は好戦的な笑みを浮かべて声の主を見上げる。
「コッチもな」
 血流が激しく波打ち、心臓が痛いほどに体の内側を叩く。
 信じられないくらいの昂揚感。体の最深から沸き上がる戦闘欲。とても抑えきれない狂喜。
 さっきまでの晴れ晴れとした明るい気持ちが紅く染め上げられ、血と痛みと悲鳴を渇望する獣欲が激的に膨れ上がる。
 ――コレだ。
 麻緒の中で誰かが言った。
 ――コレだ!
 誰かが叫んだ。
「お前も、ボクを迎えに来てくれたのかい?」
 口が裂けたような危ない笑みを浮かべ、麻緒は雄叫びを上げ始めた自分の野性に耐えるかのように体を抱きしめた。
「あー、なんだぁ? もっと大人しい印象だったんだがなぁ」
「いつの話してんだよ! ボケェ!」
 戸惑いの表情を浮かべながら後ろ頭を掻くダークコートの男を見据え、麻緒は両膝をたわませて高く跳躍する。
「おぃおぃ、アブない少年だな」
 呆れた様子で呟くと、男は何もない空間を蹴って麻緒の突進をかわした。
「あー、少しは落ち着きたまえ」
 すぐ後ろから声がする。
 麻緒は頭を下げて体の上下を入れ替えると、その回転に乗せて男の腹に踵を叩き付けた。続けて彼の体を蹴って真下へと飛び、急降下しながらまた上下を入れ替える。そして着地と同時に地面を蹴り返し、麻緒は再び大きく飛び上がった。
「ちょ……」
「オラァ!」
 弾丸のように飛来しながら、鉤状に曲げた右腕を男の真下から突き出す。彼は横から力を加えて腕の火線をずらし、
「死ねぇ!」
 間髪入れず放った左の二撃目は逆の手で受け止められる。その手の平に麻緒は爪を食い込ませ――
「く……」
 腹部に衝撃が走った。
 脳天に突き抜ける灼熱の矛先。だが、今は――
「ッハァ!」
 この痛みすら心地よい。
 麻緒は反射的に身をよじって相手の蹴撃から逃れ、立てた爪で太腿を抉った。
「ち……」
 男から聞こえる舌打ち。振り下ろされる右拳。しかし、ソレは虚しく空を切る。
 麻緒は男の体を蹴り、すでに真横へと飛んでいた。
「使役式神! 『玄武』召来!」
 そして両手で素早く印を組み、大きく前に突き出す。
 周りの景色を呑み込みながら眼前に現出したのは、竜の首、鰐の手足、蛇の尻尾を有した巨大な亀。その硬質的な甲羅を踏み台にして更に高く飛び、麻緒は男の頭上に躍り出た。
「ちょこまかと……」
 鬱陶しそうな視線を上に向け、男は麻緒を迎え撃つ形で左手を掲げる。ソレを確認して『玄武』を体に戻し、麻緒は男の左腕に狙いを付けて、
「な――」
 男の口から驚愕の声が漏れた。
「どこ見てんだこのタコ!」
 麻緒の目の前にあったのは男の脚だった。
 男の“足元”から勢いよく飛び出し、麻緒は彼の腹に爪を突き立てる。
 そして――『力』を込めた。
「はあああぁぁぁぁぁぁ!」
 液体が急激に蒸発していく音。紅い蒸気が上がり、相手の皮膚に見る見る深い皺が刻まれていく。力の発生点である爪から『玄武』の力を送り込み、麻緒は一呼吸の間に男の体を干上がらせた。
「ヤリィ!」
 勝利の声を上げる麻緒。
「残念」
 寒気のする気配が後ろで膨れ上がった。
 距離を取る暇も振り向く時間も無く、麻緒の首筋に男の指が食い込む。
(な、んだ……)
 先程まで体内で燃え盛っていた闘意が、冷水を浴びせられたように引き始めた。
「あー、使えるのは『司水』だけだと思っていたんだが『次元葬』までとはな……。少々見くびっていたようだ、少年」
 視界に映っているのは落下して行く男の体。そして後ろから聞こえるのも男の声。
(どうなってるんだよ……)
 白い正六角形の枠が二つで一組になり、片方で吸収した物をもう片方から吐き出させる『次元葬』。
 ソレを使って男の頭上から足元に転移する僅かの間に、いったい何をしたというんだ。
「しかも人殺しに抵抗無し、か……。なるほどなぁ」 
 分からない。分からない、が――
「――の、ガキィ!」
 強引に身をよじって右の裏拳を男の顔面目掛けて打ち込んだ。
「が、ガキって……。あー、少年。私と君にどれ程の年の差が有るのか分かっているのかね」
 しかし拳はあっさりと受け止められる。だが――コレで良い。
 麻緒は間髪入れず爪から『次元葬』を展開させた。ソレで自分の腕ごと男の手を呑み込み、対となったもう一つの六角を目の前に持ってくる。
「オラァ!」
 無防備に晒された男の手に狙いを付け、麻緒は左の爪を打ち込んだ。
「やれやれ。子供は元気だねぇ」
 しかし、男は予め分かっていたかのように手の平を返し、爪の標的の位置を僅かにずらす。
「あー、もう少しだけ大人しくしてくれれば、後で飴玉を買ってあげよう」
 爪は男の手だけではなく、自分の右拳にも食い込んでいた。
「へっ……」
 面白い。
 麻緒は危ない薄ら笑いを浮かべ、
「チキンレースって訳だ」
「ちょ、コラ……!」
 爪から『司水』を発動させた。
 だが男はまた自分の行動を予測していたようにすぐさま麻緒の手を解放すると、『次元葬』から腕を引き抜く。その反動で男の体が僅かに泳いだ。
「オラァ!」
 その隙を逃す事なく、麻緒は男の脇腹に肘を打ち込む。
「ぐっ……」
 苦鳴。自分の首筋を掴んでいる男の腕が緩んだのを見て、麻緒は身をよじりながら束縛から抜け出した。そのまま自然落下に身を任せて着地する。ソレを追う形で男も地面に降り立った。
「あー、どうするつもりだ? その拳、もう使い物にならんかもしれんぞ?」
「へっ」
 百以上の齢を重ねた老人のように枯れてしまった右手を一瞥し、麻緒は余裕とも取れる笑みを浮かべる。
「だったら? お前が気にする事じゃないだろ?」
「せっかく人が気を遣ってやっているのに台無しにして……。あー、少年。子供の時からそんな破滅的な思考していては立派なサラリーマンになれないぞ?」
「さっきからゴチャゴチャうるせーんだよ! 子供扱いすんな!」
 怒声を上げ、麻緒は重心を低くして地面を蹴った。
「そーゆー所が子供なんだがなー……」
 やれやれ、と肩をすくめてみせる男に、下から爪を突き上げて――
 ――ィン、と。またあの甲高い音が耳元で鳴り響いた。
「げ」
 色が、音が、匂いが。失われていた世界の彩りが再び溢れ出してくる。
「と、いう訳で本日の営業は終了だ! ちゃんと歯ぁ磨いて早く寝ろよ! 少年! お父さんとお母さん悲しませるんじゃないぞっ!」
 コチラが繰り出した爪撃を飛んでかわした男は、足場も何もない空中を蹴って更に跳び、大きく距離を取った。そのまま背を向けて逃げ出し、あっと言う間に夜の闇の中へと消えてしまう。
 冷たい夜風。ざわめく人々。奇抜な色合いのイルミネーション。
「……あ」
 呆気にとられていた麻緒は車のヘッドライトを浴びて我に返り、
「コラ待てー!」
 男の去った方向に疾走した。

◆蘇る激情 ―荒神冬摩―◆
「やはり繋がらないな」
 携帯を切り、玖音は紅茶を一すすりして目の前のテーブルに置いた。
「気にいらねぇ……」
 そんな彼を憮然とした表情で見ながら、冬摩は唸るような声を漏らす。そして苛立たしげに頭で壁をゴンゴンと打ち鳴らした。
「まぁ落ち着け。ある程度は予想していた事だ」
「気に入らねーつってんのはお前がだよ! 人ン家でいつまでくつろいでんだ!」
 ダン! と床を蹴って立ち上がり、冬摩は声を荒げて玖音を指さす。
「お前がそうやってすぐに感情的になるからファミレスにも入んのだろーが」
「誰がこうさせてんだ!」
「水鏡魎だろ」
「だからお前だよ! お! ま! え!」
 呆れたような声でサラリと言う玖音に、冬摩は握り拳を震わせて激昂した。
「ま、まーまー、冬摩さん。どーどーどーどー。これからどうするべきなのか、まだ決まってないじゃないですか。ソレが終わったら一人でゆっくり出来ますから、ね?」
「くっそー……」
 自分の体をパンパンと軽く叩きながらなだめる朋華に、冬摩は渋々といった様子でまた壁にもたれ掛かった。
「冬摩は一人ではなく、お主と二人きりになりたいのじゃよ。仁科朋華、そろそろ冬摩の心中を的確に察してやらんか。もう三年ではないか」
「ちょ、ちょっと、『死神』さん!」
 黒いフレームのパイプベッドに座り、目を細めながら言う『死神』に朋華は顔を紅くして叫ぶ。
 ……いつも付きまとってるお前が言うな。
「何を照れておる。お主もやぶさかではないクセに」
「で、でも何もこんな時に……」
「そっか」
 やぶさかではないのか。
「冬摩さん!」
 怒られてしまった。
「アハハっ。朋華ってホント、荒神君の沈静剤って感じよね」
 白い革張りのソファーの上であぐらをかき、御代が明るく笑いながら言う。ソレに合わせてツインテールが元気良く跳ねた。
 全く、コイツまで付いて来やがって……。成り行きとはいえ朋華以外の女を部屋に通してしまうとは……。
「もぅ! 御代ちゃんまで!」
「ところで朋華って週何回くらいココ来てるの? ワンルームって言ってもケッコー広いよねー。十畳? 十二くらいある? 意外と生活感あるしさー。コレって朋華のコーディネートでしょ? ほら、このちっちゃい観葉植物とか、丸いミニコンポとか、モロ朋華の趣味だよねー」
「だ、だから……!」
「盛り上がってるところ申し訳ないが、そろそろ結論に移ろうと思う」
 黄色い声を飛ばし合う二人を遮り、玖音が冷静に言った。途端に部屋が静まりかえり、冷蔵庫の裏をジッと見つめている『羅刹』を除いた全員の視線が彼に集中する。
「嶋比良久里子は水鏡魎かその持ち駒と接触して、拘束されたと見て間違い無いだろう。僕の携帯の着信履歴から、早くて五時頃にはすでに連れ去られている。土御門財閥がまだ何も騒ぎを起こしていない事から、彼女をさらった人物は何の不自然もなく館に入り、そして嶋比良久里子が普通に出かけるかの如く連れ出した。こんな事が出来るのは多分、水鏡魎本人だろな。だが彼女は『天空』の保持者だ。『回帰爆』を使えば、逃げられないまでも何かしらの合図を送る事は出来る。しかし五時間経っても何の音沙汰もない。力を封じられたか、すでに殺されたかだが、恐らく殺されてはいない。僕や荒神冬摩にも仕掛けてきた事からして、『天空』を奪う事だけが目的だとは考えにくい。多分、大きな計画のほんの一部なんだ。だから嶋比良久里子はまた別の目的の為に、例えば人質か新しい手駒として使われるはず。宗崎家の保持者も同じだろうな。その場合、自分の思い通りに動いて貰わないと困る。だが魔人には相手の力を封じるのと、従順な駒にするのとを同時に行える便利な方法がある。召鬼化だ。今、嶋比良久里子は水鏡魎の召鬼になっている可能性が非常に高い」
「で? 何なんだよ、その計画ってのはよ。龍閃の死肉なんざ引っ張り出して来て、玲寺の野郎コキ使って、何するつもりなんだよ。魎の馬鹿は今どこに居るってんだよ」
 淀みなく説明する玖音の言葉を遮り、冬摩は苛立たしげに聞いた。
「そこまではさすがに分からない」
「ケッ。使えねぇ」
 人の部屋に長く居座って肝心な事が分からないのでは話にならない。今まで我慢してやっていたのに何て様だ。こうなったら持ってる使役神を全部具現化させてソイツらに――
「だからお前に聞きたい」
「あぁ?」
「水鏡魎の事は僕よりもお前の方が良く知っているだろう。実際に何百年も付き合って来たんだからな。僕は『月詠』の記憶の中でしか知らないんだ。水鏡魎は何百年間も自分以外の人間や魔人を騙し続けて『業滅結界』を完成させ、そして最後には龍閃を喰い殺そうとした。彼の行動自体は緻密に計算されているが、最終目的は自分の食欲を満たすためという実に子供じみた物だった。今回もそうだと思うか? 二百年間も姿を眩ませておいて突然現れ、昔と同じく訳の分からない行動で周りを攪乱させ始めた。アイツは最終的に何をするつもりなんだ? 直感でもいい。何かお前なりに思うところはないか?」
 まるで冬摩を追及するかのような口調で言い、玖音はいつにも増して鋭い目付きで冬摩を見た。
 魎の目的? 直感で、だと?
(アイツは、いつも……)

『あー、冬摩。出来ない事はしない方が良いと思うぞー……』

 やる気無くて、

『何を言ってるんだね冬摩君! コレは純然たる情愛の現れだよ!』

 ふざけていて、

『神楽さんを――殺す』

 冷徹で、そして――

『ギャハハハハハ! もっとだ! もっともっとお前の肉を喰わせろおおぉぉぉぉ!』

 狂気にあてられていた。
 今回も、同じだとしたら? 食欲を満たすためだとしたら、誰の……。
(俺、か……)
 魎が狙うとすれば、龍閃を殺した自分の肉しか考えられない。
 二百年前、龍閃の返り血で顔中を紅く染め上げ、哄笑を上げながらその肉を貪り喰っていた魎の姿が脳裏に蘇る。
 だったら――
「へっ……」
 そうか。そういう事か。
 簡単な事だった。
 魎は今、力を付けようとしているんだ。この二百年間、ずっと力を蓄え続けてきたんだ。それで久里子をさらったり、他の保持者に手を出したりしている。
 自分を殺してその肉を喰うために。
 玖音はまだ殺されていないと言っていたが、そう考えると久里子は死んでいる可能性の方が高い。
 久里子は、もう……。
(久里子……)
「冬摩さん?」
 急に立ち上がった冬摩に、朋華が心配そうな声を掛ける。
「朋華、絶対ついてくんなよ」
「え……」
 ソレだけ言い残すと、冬摩は部屋を飛び出した。そして五階の廊下から飛び降り、着地と同時にトップスピードに乗る。
 顔に叩き付ける風、足の裏に伝わる硬い衝撃、そして一瞬だけ見えてはまたすぐに消えていく周りの風景。
(不意打ちでも罠でも何でもいいから仕掛けて来やがれ! 魎! もし――ヤリやがったら……!)
 身を隠す所が多くあり、そして人気のない場所を探して冬摩は疾駆した。
(テメーをブッ殺す!)





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