貴方に捧げる死神の謳声 第三部 ―黄泉路からの慟哭―

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参『交わらぬ想い』


◆疑心と杞憂 ―真田玖音―◆
 冬摩が何をどのように考え、突然部屋を飛び出していったのかはハッキリと分かる。
 魎の目的が自分を喰う事だと判断し、自ら囮になる事で早く決着させようとしているのだ。そして自分から朋華を離し、彼女の安全を確保した。
 この冬摩の考えに三分の一くらいまでは賛成だ。
 魎の狙いは冬摩。
 ココは揺るがない。
 知謀に長けた者ほど不確定な要素を嫌う。だからもし計画が一人で成し遂げられるのであれば、間違いなくそうするはずなんだ。しかし今回は玲寺を使っている。もしかすると他にも居るかも知れない。
 人の力を頼らなければならなかった理由は簡単。
 相手が自分だけでは勝てないから。
 そして真性魔人である水鏡魎にその決断をさせられる人物と言えば一人しか居ない。
 あの龍閃を倒し、九体もの使役神を身に宿した混血魔人、荒神冬摩だ。
 冬摩とやり合うために、魎は今周到な準備を行っている。言ってみれば外堀を固めている段階だ。
 そこまではほぼ間違いない。確信に近い思いがある。
 だが、狙いは冬摩であっても、その肉を喰う事が目的とは限らない。今回真っ先に予想されるだろう行動を最終目的にするとは思えない。
 そしてもう一つ。
 朋華の身は冬摩が離れた事で余計危険に晒された。
 冬摩は自分が一人になればソコを魎が狙ってくれると考えたようだが、全くの逆だ。そういう真っ正面からの戦いが出来ないからこそ、久里子や宗崎を先に押さえた。だから冬摩という最強の守護者が朋華から離れしまった今、魎は遠慮なく彼女に手出し出来る。
 加えて周りが見えなくなっている冬摩に関しては、ただでさえ罠に掛かり易いのに更に簡単に嵌められるようになった。
 つまり、この状況は魎にとって最高に近い物となった訳だ。
 もっとも、少しくらいの罠なら、冬摩はその圧倒的な力で相手の思惑ごと破壊してしまうだろうが。昔は自分もソレで色々と苦労させられた。
 しかし今回の相手はあの水鏡魎だ。頭のキレは勿論の事、冬摩を知り尽くしている。コチラが想像もしない戦術で仕掛けてくる可能性は大きい。
 気になるのはやはり龍閃の死肉、か……。アレをどう使うつもりなのかが全くと言っていいほど見えてこない。
 確かにアレを使う事で擬似的に召鬼化できるが、相手を操れる程の力はない。ソレに水鏡魎が真性魔人である以上、そんな物に頼る必要もないのだ。
 だとすれば召鬼化以外にも何かの効力がある? 例えば、冬摩の体に致命的な影響を及ぼすような何かが――
「真田さん!」
 朋華の悲鳴じみた声に玖音は思考を中断し、僅かに顔を上げる。
 さっき、冬摩を追おうとして彼女も部屋を出て行ったが、すぐに戻って来た。きっと見失ったのだろう。まぁ、コチラも予想通りだ。
「どうした?」
「どうしたじゃないですよ! どうしたんですか!? 冬摩さん! 急に! どうしちゃったんですか!? 付いて来るなって! 付いて来るなって言ってどっか行っちゃいましたよ! どうして!?」
 肩の上辺りで切り揃えた栗色の髪を振り乱しながら、朋華は感情を剥き出しにして叫ぶ。
 冬摩が居なくなっただけでこの動転のしようか……。彼女の中で冬摩が占めている割合の予想は外れたらしいな。それに普段、冬摩があんな事を言うはずがないから余計なんだろう。
「落ち着けよ。君は荒神冬摩の召鬼だろう。魔人と召鬼は繋がってる。目を瞑って冷静になれば、アイツの位置くらい知覚出来るはずだ」
「あ……」
 言われてようやく思い出したのか、朋華は目を閉じて胸に両手を当て、顔を俯かせた。
 魔人と召鬼には精神的な繋がりがある。以前、玖音はソレを利用して、冬摩の保持する使役神の記憶を朋華から読み取ろうとした。残念ながら失敗に終わり、今はもうどうでもよくなったが。
「……あ! アッチ!」
 朋華はすぐに声を裏返らせて叫んだかと思うと、『死神』が居るパイプベッドの方を指す。そしてすぐに飛び出して行こうとした彼女の足元に、玖音は鞘に収まった夜叉鴉を差し出した。
「わきュあッ!」
 甲高い悲鳴を上げ、朋華はフローリングの床に鼻を擦りつけて盛大に転び倒す。
「だから落ち着けって。君の脚で荒神冬摩に追いつける訳が無いだろう。それに向こうだって君の事は感じ取れるんだ。逃げられるに決まってる」
 実際に感じ取っているかどうかは定かではないが。
「で、でも……!」
「『絶対ついてくるな』、アイツはそう言ってたな」
「あ、ぅ……」
 赤くなった鼻を涙目になってさすりながら、朋華は言葉を詰まらせた。
「アイツは水鏡魎の囮になるつもりだ。そんな危険な事に君を巻き込む訳にはいかないから、ああして一人になったんだ」
「そんな……!」
「大丈夫。心配ない。アイツはやられはしない。僕が保証する」
 根拠などは勿論無い。しかし、妙な自信がある。
 あのタフさ。戦闘本能。守るべき者へ掛ける執念じみた想い。
 ソレらがどれだけ凄まじいかは、実際に戦った自分が一番良く知っている。
 だからコレで良いんだ。冬摩の暴走で、相手は恐らく当初の予定を変更するはず。より効率的な物へと。そこに何らかのヒントが浮かび上がってくるかも知れない。魎の最終目的を知るための手掛かりが分かるかも知れない。
 とにかく、今のままではまだまだ情報量が少なすぎる。そして自分のように理詰めで考えていては魎の後手に回る可能性が高い。
 ソレでは駄目だ。それでは次に狙われた時にやられるかもしれない。
「それに、僕達の方でもやるべき事がある」
 だからコチラから先手を打てるように、出来る限りの情報を集めて準備しなければならないんだ。
「何、ですか……?」
「まずは残った保持者の確認だ。ソチラにも水鏡魎の手が回されている可能性は極めて高い。白原と繭森、この二家は土御門財閥に連絡を取って調べて貰おう。嶋比良久里子の事を伝える必要もあるしな。問題は九重麻緒だ」
「あ! 麻緒君!?」
「彼は今、完全に土御門財閥の管轄から離れている。直接会いに行くしかないんだが、残念ながら僕は彼の居場所を知らない。彼が保持しているのは『玄武』だから、もし一キロ圏内に居れば、同じく四聖獣である僕の『朱雀』と共鳴させられる。ただソレには具現化させる必要があるんだが、僕はソレが苦手だ。せいぜい数秒といったところか。だからかなり当たりを付けた上で確認するくらいの事しかできない。何か良い知恵はないか?」
「麻緒君の、居場所……。嶋比良さんに聞けばすぐに分かるんでしょうけど……」
「今は無理だな」
「土御門財閥の館の誰かが知ってるって事はないんでしょうか」
「無いだろうな。嶋比良久里子は九重麻緒が日常に戻る事に、かなりのこだわりを持っていた。土御門財閥という場所から完全に切り離そうとしていた。言ってみれば九重麻緒の個人情報は超トップシークレット。把握しているのは嶋比良久里子本人くらいのものだろう」
「ですよねー……」
 落胆したように言って、朋華はその場に座り込んだ。
 今、九重麻緒に関して分かっている事と言えば、その名前と中学生である事くらいか……。
「『月詠』、君の記憶の中に九重家の住所に関する物はないか?」
 玖音は蒼いハーフジャケットを脱ぎながら、視線を上げて聞く。
『有ることは有りますけど……私か知っているのは、もう随分昔の場所ですから……』
「それでいい。十分だ。その住所と電話帳を照らし合わせれば、本人とまでは行かなくても親戚と連絡が取れるかも知れない。その人から九重麻緒の居場所を聞き出せばいい。根気は要るだろうが手掛かりが全く無いよりは遙かにましさ」
『そうですか……』
「はーい、しつもーん」
 『月詠』が何か言おうとしたのを遮って、御代が場違いに明るい声を上げた。玖音は大きく溜息をつき、面倒臭そうに後ろへと顔を向ける。
 御代はソファーの上に寝そべり、チュニックブラウスのラフな袖元をヒラヒラとさせながら手を振っていた。常備しているのか、彼女の手にはいつの間にかスナック菓子の袋が握られ、もう片方の手には携帯電話。そしてソコから伸びたイヤホンコードが、御代の耳に伸びていた。
 コッチは真剣な話をしているというのに、力一杯くつろいでくれて……。
「何だ」
「ポチッとな」
 露骨に不機嫌そうな顔をする玖音を全く気にする事無く、御代はリモコンを操作してテレビの電源を入れる。
「君な、もう少し状況を把握して行動を――」
《――以上、現場より緊急速報をお届けしました》
「あーぁ、終わったちゃったー」
 リモコンを手放してぼふん、とソファーに体を沈ませ、御代はツインテールの毛先を指で弄んだ。
「だから何なんだ。見たい番組があるなら早く家に帰って――」
「九重麻緒、十三歳、ただ今都内の病院を抜けだして、とーそーちゅー」
「帰っ、て……」
「いいのかにゃー?」
 口元をニンマリとイヤらしく曲げ、御代は得意げに言う。
「やー、何か完全に置いてけぼり食らっちゃったから退屈だなー、とか思って携帯でニュース見てたらビックリ、今まさに時の人である九重麻緒って子の事をほーそーちゅー。人生何があるか分からないわよねー」
「そ、そうか。ソレは素晴らしいタイミングだったな。それで、どこの病院なんだ?」
「いくら出す?」
「ぐ……」
 コイツ……。守銭奴キャラだったのか……。
「御代ちゃーん……」
「あー朋華、じょーだんよジョーダン。そんな顔しないで。いくら私の家が貧乏でも、そこまで切羽詰まってないって。ま、貸し一って事で手ぇ打っといてあげる」
 余計タチが悪い……。
 右手の甲を左頬に軽く沿えて、打算深く目を細めながら言う御代に、玖音は苦々しい呻き声を漏らした。
「夕薙病院。あと私が聞いたのは、三時間くらい前に結構な規模の器物損壊があったって事と、ソレをした犯人が中学生くらいの男の子だったって事。で、なんでその人が九重麻緒だって分かったかって言うと、同じくらいのタイミングで警察に捜索願が出てたんですって。ソコにあった顔写真と目撃談が完全一致って事らしいよ。もうネットニュースに流れてるんじゃない?」
「器物、損壊……」
 御代の言葉を玖音はゆっくりと繰り返し、顎を引いて顔を俯かせる。
 やはり、水鏡魎かその手駒とすでに接触したと考えるのが妥当な線だろう。もし出来る事なら彼と合流したい。魎の計画を狂わせられるし、貴重な戦力になる。
 だから久里子のように捕まってしまう前に、何としてでも……。
「明日、その病院に行ってみよう。足取りが追えるかも知れない。『朱雀』の声に共鳴する可能性も高いしな」
「そうですね……。麻緒君、無事だといいけど……」
 久里子と同じく、多分命に別状は無いと思う。
 ソレよりも心配なのは彼の戦闘スタイルだ。冬摩を真似し続けていたようだから、短絡的で直情的な戦い方をするんだろう。こうやってニュースになってしまうような派手な事を平気でするんだ。まず間違いない。
 だがその場合、見事に手玉に取られてしまう事になる。
 魎はああいう性格の輩は扱い慣れているだろう。冬摩で散々練習してきたのだから。
 しかし麻緒には冬摩のような圧倒的な力は無い。ソレが罠だと分かって飛び込んで、内側から強引に食い破る真似は出来ない。つまり、魎にとっては最もやりやすいタイプという事になる。コチラは急いだ方がよさそうだ。
 もう、手遅れかも知れないが……。
「ソレが終わったら僕の祖母に会いに行く」
「阿樹さん、にですか……?」
「ああ。龍閃の死肉について少し聞きたい事がある。直接顔を合わせてな」
 何か、嫌な予感がするんだ。とてつもなく嫌な何かが……。
「悪いが君にはしばらく僕と一緒に行動してもらう。荒神冬摩の残した使役神二体だけじゃ心許ない。もし君まで連れ去られたとなったら、今度はアイツが何をしでかすか分かったモンじゃないからな」
 それに、アイツにはまだ返していない借りがある。
「はい、有り難う御座います」
「大学はしばらくお預けだな。ソコでくつろいでいる彼女にでも代返して貰うといい」
「えーっ? 私も行くー。ソッチの方が面白そうだしー」
「馬鹿言うな」
 間延びした声で言う御代に、玖音は厳しい視線を向けて低く言う。
「遊びじゃないんだ。親不孝者になりたくなかったら家で大人しくしてるんだな」
「へぃへぃ分かってますよ。テロなんかよりずっとタチの悪い厄介事、巻き込まれたら私の儚い人生なんかあっと言う間におシャカですもんね。ちょっと言ってみただけよ」
 諦めたような、それでいてどこか不満そうな表情を浮かべ、御代はやれやれと嘆息した。
 本当に分かってるんだろうな、コイツ……。
 三年前に一度、冬摩と『死神』の戦いに巻き込まれた事で、変に慣れたりとかしてないだろうな。
「じゃー一般人はとっとと帰りまーす」
 投げやりな口調で言い、御代は携帯を鞄にしまい込んでソファーから立ち上がった。
「送っていくよ、今夜は。一応」
「結構ですよ。一応」
 玖音の申し出に拗ねたような声で返すと、御代は足早に部屋を出てしまう。が、すぐにまた引き返して来て、顔だけコチラに覗かせると、
「貸し一だからね」
「く……」
 余計な念をしっかり押して、今度こそ出て行った。玄関口で扉の閉まる音が聞こえる。
「大丈夫、ですかね……」
「さぁな。本人が一人で帰ると言ったんだ。それに彼女を捕らえたところでメリットは薄い。無駄な行動に時間を割くような事はしないさ」
「ですよね……」
 多分な。
 可能性がゼロだとは言い切れない。しかしそんな些細な事に注意を払って、朋華の方の護衛をおろそかにしていたのでは何をしているのか分からない。
 冷たいようだがコチラの人員が限られている以上、御代についての優先順位は一番低い。
「じゃあ明日、その夕薙病院って所に行ってみよう。朝の八時に駅前で待ち合わせでいいか?」
「はい」
「取り合えず今夜は君の家の周りを警戒しておく。だからグッスリ休んでくれ」
「え……でもソレは……」
「仮眠は取るさ。心配ない」
「いや、そういう事じゃなくて……」
『美柚梨さんが心配しますよ』
 う……。
 頭の中で囁かれた『月詠』の言葉に、玖音は表情を固まらせた。
『きっと今頃、“兄貴が戻って来るまで晩ご飯食べない!”なーんて可愛らしい事言ってるんじゃないですか?』
 ちょ……。
『なかなか帰ってこない貴方の事を心配して、街中探し回ってたりして』
 おま……。
『なのに当の本人と来たら別の女の家の周りでストーカー行為。幻滅モノですねー』
「ちがあああぁぁぁぁぁう!」
 あーやれやれといった様子でぼやく『月詠』に、玖音はたまらず大声を上げた。
「僕は単にコレ以上水鏡魎の思惑通りになるのが……!」
『分かってます。ちゃんと分かってますよ。貴方の考えている事は。ですがもう少し自分の事も気遣って下さい』
 玖音の言葉を遮り、『月詠』は諭すような喋り方で続ける。
『体を休める時に休めておかないと、いざという時本調子になれません。それに貴方が傷付いて一番悲しむのは美柚梨さんです。貴方の体はもう貴方だけの物ではないという事をしっかり自覚して下さい』
「そ、それは……」
『それにさっき貴方が自分で言ったように仁科様は荒神様と繋がっています。もし仁科様の身に何かあれば、荒神様はどこに居ても現れます。例え紅月の夜であったとしても。ソレは昔、貴方も体験したではありませんか』
 確かに、自分が一番最初に朋華に手を出した時、冬摩は紅月の影響がありありと残る危うい精神状態でも駆けつけた。まだ紅月まで日のある今なら、もっと早く来られるだろう。
 だがもし、魎がソレを上回る速さで朋華を連れ去ってしまったら……。
『貴方は何でも一人で背負い過ぎなんですよ』
 幾分軽い雰囲気で紡がれた『月詠』の言葉に、玖音は渋面を浮かべて呻いた。
『そういう責任感の強いところが貴方の良いところでもありますが、もう少し周りを信用してあげてください。仁科様は荒神様の召鬼ですし、その周りには『死神』と『羅刹』が待機しています。きっと大丈夫ですよ』
 言われて玖音は朋華、『死神』、『羅刹』と順番に目を移して行き、最後にまた朋華を見る。そして観念したかのように息を吐き、
「分かったよ。僕も今日は自分の家に帰る」
 脱いでいたハーフジャケットを羽織り直して零すように言った。
「え、と……。『月詠』さんと何を話されたのか知りませんが、その方が良いと思います」
 チェリーピンクのヘアバンドの位置を直しながら言い、朋華は満面の笑みを浮かべた。
 やれやれ緊張感のない……。あの水鏡魎に狙われているんだぞ。朋華は『死神』の記憶を受け継いでいるはずだから、魎の事は知っているはずなのに。大物なのか何も考えてないだけなのかは知らないが、本当に大丈夫なんだろうな……。
「『死神』、『羅刹』、お前らもしっかりしてくれよ」
「貴様に指図される覚えなどないわ」
 目を細め、高慢な態度で突き放すように言い、『死神』は不機嫌そうに顔を逸らした。
 『羅刹』は相変わらず冷蔵庫の後ろを凝視しているだけで、顔を合わせようともしない。
 駄目だ……ココに居るとますます心配になってきてしまう……。
「じゃ、じゃあ明日の八時に駅前で」
「はい、分かりました」
 重くなった体を引きずるようにして玄関口に向かう玖音。
『ッさー! きっと美柚梨さんの愛情たっぷりプリンなお出迎えが待ってますよー!』
 ソコに何故かハイテンションになった『月詠』が追い打ちを掛けた。
 コイツ……ホントは面白がってるだけじゃないだろうな……。最近、心なしか口調も似てきたし……はぁ……。

◆不意の引き合わせ ―荒神冬摩―◆
 気にいらねぇ。
 気にいらねぇ気にいらねぇ気にいらねぇ!
 何もかもが気にいらねぇ!
 またコソコソと裏で動き回ってる魎も! どういう訳かソレに付き従ってる玲寺も! 龍閃の波動をバラ撒くクソ野郎も!
 そして――こんなにも焦っている自分自身が一番気にいらねぇ!

『っほー、アンタが荒神冬摩かい。千年以上生きてるらしいけど、ウチと同いくらいにしか見えんなー。嶋比良久里子や。ま、よろしゅーな』

 今の時代の土御門財閥に、一番最初に来た覚醒者。
 カンに障る喋り方をする女。ソレが第一印象だった。

『せやから自分の仕事ちゃんとせーゆーとるやろ! アンタが動かな他の二人が出られへんねん! ……冬摩、あんまフザけとったら玲寺さんにお仕置きして貰うで?』

 効率的で合理的で、言いたい事をハッキリ言う、とにかく気の強い嫌な女だった。
 どうしてこんな奴が土御門財閥を仕切っているんだと何度も思った。けど――

『あん? 親? あぁ、それやったらとっくにポックリ逝ったでー。ウチが殺してもーたんや。『天空』に覚醒した時の暴走でな』

 自分の暗い過去を信じられないほど明るく話す女だった。
 せいぜい三十年生きたかどうかのガキのクセして、割り切った考え方の出来る人間だった。千年以上経った今でも引きずり続けている自分とは大違いだった。

『アホ言うな。今回はウチも行くで』

 朋華が龍閃に連れ去られた時は、本気になって前線に立った。
 力は弱いクセして、気持ちだけは無駄に強かった。

『それより早よ玖音のとこ案内してくれ! このままやったらアイツ死ぬで!』

 自分を陥れ、『天空』の記憶を盗み見たはずの玖音の事でも、向こうの事情を知るや本気になって助けようとしていた。馬鹿だとは思ったが、僅かながらに共感出来た。
 時に驚くくらい冷静で頭がキレ、時に無茶苦茶だと思えるほど感情的で本能的だった。
 面白い奴だとは思っていた。まぁそれなりに頼りになる奴だとも思っていた。
 だが別にソレだけだった。ソレ以上の印象は何も持っていなかった。
 だから例え居なくなったとしても、例え死んでしまったとしても、別に何も――
「――!」
 前傾させていた体を起こし、冬摩は脚を前に出して地面を踏み抜いた。腿の付け根に無理な力が掛かり、微痛を伴いながら全身が前に引っ張られる。そして大きく前のめりになろうとする体を、もう片方の脚で踏ん張って何とか堪えた。
「出や、がったな……」
 舌打ちして顔を灼怒に染め、冬摩は眼前の大気を焦がす程に睨み付ける。
 周りを背の高いフェンスが囲っているだけの、何もない空間だった。
 月の無い夜。影など出来ぬはずの広い平地に、辺りの闇よりなお暗い場所が無数に散見される。そしてソレらの一つ一つから、龍閃の波動が放たれていた。
「殺しはしねぇ……」
 自分を取り囲むようにしてゆっくりと展開していく影達を見据えながら、冬摩は前に掲げた右腕に力を込め、
「殺しはしねぇが……」
 上体を落として脚をたわませ、
「ボロクズしてやらぁ!」
 低い弾道で真っ正面から突っ込んだ。
 二十メートル以上あった距離が一瞬にしてゼロになり、冬摩はその勢いに乗せて下から拳撃を放つ。標的にされた影は辛うじて反応し、胸を反らせて避けようとするが、冬摩の右拳の甲が体を掠めて――
 鮮血が舞った。
 冬摩の右拳は何の抵抗もなく影の体へと潜り込み、まるで鋭い刃物のように易々と相手を切り裂く。
「オラァ!」
 その衝撃で宙を舞い、四肢を垂らして脱力する影。冬摩は振り抜いた腕を瞬時に戻し、肘をその胸板に叩き付けた。
 固く乾いた音。
 影の口から吐き出された生暖かい液体を浴びながら、冬摩は全身を鞭のようにしならせて体をひねる。その回転の勢いに乗せ、真後ろに右の踵を叩き付けた。
 ブーツ越しに伝わってくる顔の骨格。
 ソレをへし折り、潰し、抉り、そして引き抜く。
 蹴撃の勢いを殺す事すら出来なかった背後の影は、意思を持たない人形のように吹っ飛び、真横にいた別の影を巻き込んで崩れ落ちた。
「――ッ!」
 直後、軸足にしていた左の腿に熱が走る。
 いくつかの影がソコに密集し、爪を立て、歯を食い込ませ、拳をめり込ませていた。
「ッざってェんだよ!」
 冬摩は吐き捨てるように怒声を上げると、右拳を高く振り上げる。そして腿からの『痛み』を乗せ、渾身の膂力をもって足元へと叩き付けた。
 低く、くぐもった音。次の瞬間、深々と地面に食い込んだ右拳は爆風を巻き上げ、真空の刃を飛散させて影に突き刺さる。
「オラ次ぃ!」
 影の血肉を全身に浴び、冬摩は咆吼を上げてクレーター状に陥没した足場を蹴った。ソレを追うようにして影から打ち出される力の塊。
「けっ!」
 避けようともせず、冬摩は左腕一本で弾き飛ばし、
「こうやるんだよ!」
 右腕に力を乗せて真下に突き出した。
 目を灼く紅い閃光。周囲の空気を呑み込み、焼き尽くし、抹消して眼下に着弾する。
 ――そして、大地が爆ぜた。
 土砂は激流となって視界を奪い、分散した力は灼熱の槍となって影達の全身へと降り注ぐ。
「ち……手応えのねぇ」
 まともに立っている影が居ない事を上空で確認し、冬摩は苛立たしげに言いながら地面に降り立った。そして手近にいた影の胸ぐらを掴み上げて顔を近づける。
「魎の野郎はどこだ!」
 しかし影は答えない。口から血を流し、ただ薄笑いを浮かべている。
「テメェ、ブッ殺すぞ!」
 握り込んだ拳を潰れた鼻先に叩き付け、冬摩は凄む。だが何の反応もない。神経を逆撫でする龍閃の波動を垂れ流し、コチラに挑発するような目を向けてくる。
 ――出来るものならやってみろ。
 まるでそう、言っているように見えた。
「テ、メェ……!」
 眦が裂けんばかりに目を大きく見開き、冬摩は右拳を振り上げて――
「く……」
 振り下ろす事なく、そのまま固まった。
 出来ない。どうしても出来ない。
 こんなに憎んでいるのに。こんなにも殺意が沸いてくるのに。
 この拳を振り下ろす事が出来ない。まるで誰かに押さえられているかのように動かない。
 魎を見つけ出さなければならないのに。玲寺をブッ飛ばして理由を聞き出さなければならないのに。この忌々しい龍閃の波動を根絶やしにしなければならないというのに……!
 どうして――
 まだ憎しみが足りないのか。
 魎も玲寺も、かつて一緒に戦った事があるという事実が拳を引かせているのか。
(関係ねぇ!)
 今、アイツらは敵だ。
 玲寺は魎の味方についた。そして魎は自分の肉を喰う為に、久里子を――
『オオオオオォォォォォ!』
 大気を激震させる獣吼を上げ、冬摩は右腕に力を込めて、
「ち……!」
 肘が逆関節の方向に押し込まれた。
 まだ、動ける奴が残っていたらしい。丁度良い。死に損ない相手よりもいたぶり甲斐がある。
 冬摩は軋みを上げていた関節を強引に元に戻し、そのまま肘を影の顔面に――
「な……」
 手応えは無かった。
 ほんの僅かの衝撃もなく、影の顔は胴体から離れて地面へと吸い込まれていく。そして――
「オラァ!」
 自分の声ではない叫声がすぐそばで上がった。
 鈍い、湿った音が立て続けに夜闇に響く。まるで獣の慟哭のようにソレは長く細く連なり、確実に龍閃の気配が消えていった。
「アッハハハハハハハハッ! 何だよコレ! 何なんだよコイツら! どーなってんだよ! 何でこんな転がってんだよ! どーゆー事なんだよ龍閃!」
 あの、声は……。
 血生臭い闇を切り裂いた場違いに明るい声。
 無邪気で純粋で天真で、それ故に人の痛みを知らず、分かろうともせず、ただ本能のままに振るわれる無慈悲な力。
 ――俺はアイツを知っている。
「麻緒……!」
 気が付くと冬摩は叫んでいた。
「あぁーん?」
 すぐに怠そうな声が返ってくる。
 暗闇に浮かび上がる小さなシルエット。ソレがコチラを覗き込むかのように前屈みになり、
「そーか、ソコに居たのか。お兄ちゃんのニセモノさんよぉ!」
「な……!?」
 突然、訳の分からない事を口走って麻緒は地面を蹴った。そして完全に辺り闇に紛れて見えなくなる。
「オラァ!」
 横手から聞こえる烈声。殆ど反射的に左のガードを上げ、冬摩は麻緒の拳を受け止めた。
「お、おぃ! 麻緒!」
「不意打ちで勝った気になってンじゃねぇぞコラァ!」
 点ではなく面で打ち付けてくる拳の段幕。その一撃一撃が冬摩の腕の肉をこそげ落とし、剥ぎ取り、そして萎縮させていった。
(『玄武』か!)
 舌打ちして後ろに飛んび、冬摩は麻緒から距離を取る。が、一瞬にしてまた詰められると、麻緒はコチラの着地点を狙って脚払いを放った。
(早い!)
 空中でバランスを崩し、冬摩は左手を地面につく。
 しかし、手の平に返ってきたのは固く冷たい土の感触ではなく、掴み所のない夜気だった。
「ッハァ! 引っかかったァ!」
 喜声を上げる麻緒。爪を大きく振りかぶった彼の目の前に、何故か自分の腕が晒されていた。
(『次元葬』……!)
「オラァ!」
 熱く鋭い衝撃。鉤状に曲げた麻緒の拳が左腕に突き刺さり、爪が肉を喰い破って――
「ちぃ!」
 右手の狙いを麻緒の胴体に付け、白銀の針を無数に射出する。
「っとぉ!」
 麻緒はすぐさま手を離して横に飛ぶと、針の火線上から身を逃した。しかし針は何もない所で反射して方向を変えると、再び麻緒を追って飛来する。
 『白虎』の『操針』だ。針の大きさは勿論、その形状や放った後の軌道もコチラで操る事が出来る。
「猿マネは使役神までもって訳か! 芸が細かいねぇ!」
「馬鹿な事言ってんな! 何やってんだよテメーは!」
「けどやっぱニセモノはニセモノ! 鋭さが無い! 所詮その程度って事さ!」
「こ……!」
 『操針』を器用に爪で弾きながら言った麻緒の言葉に、一瞬目の前が白く染め上げられた。
 鋭さが、無い? その程度、だと?
「麻緒――テメェ……!」
 人が手加減してやればいい気に……!
「アッハハハハッ! そーやってムキになるトコはお兄ちゃんソックリだ! でも実力は段チだよ!」
「ブッ飛ばす!」
 暗天に叫声を轟かせ、冬摩は右腕を真横に構えて大地を蹴った。視界にはもう麻緒しか映らない。
「直情! 突進! 『ブッ飛ばす』! いいねぇ! ますますお兄ちゃんソックリだ!」
 直線と曲線を織り交ぜ、まるでコチラを翻弄するかのように先の読めない動きをする麻緒。暗闇の中でダンスでも踊るかのようにはしゃいでいる。その姿は遊んでいるようにさえ見えた。いや、事実遊んでいるのだろう。麻緒はこの戦いを心の底から楽しんでいる。
「オラァ!」
 右拳を横薙ぎに払う。しかしその拳の位置に合わせるようにして、『次元葬』が現れた。が、冬摩は構わずそのまま振り抜き、出現地点も確認せずに『騰蛇』の『重力砕』を放つ。
「うわっち!」
 背後で地面の抉れる鈍い音と、麻緒の甲高い声が聞こえた。
 あの一瞬の間に後ろに。早い。どんどん早くなっている。下手をすると玖音の持つ『朱雀』の『瞬足』と同じレベルかも知れない。
 『次元葬』から腕を引き抜き、冬摩は振り向きざま右肘を放つ。しかし麻緒の声が聞こえた所に手応えは無かった。
「上だよバーカ!」
 頭上からの声。そして首に走る熱い筋。
 コチラの頸動脈を掻き切り、麻緒は又すぐ離れて闇に紛れた。
「っのガキィ!」
 壊れた蛇口の様に首筋から吹き出す鮮血にも構わず、冬摩は麻緒を追って脚の筋肉を爆発させる。そして両手で印を組み、
「使役神鬼『餓鬼王』召来!」
 無貌の黒い巨人を喚び出した。
 捕らえきれないなら全部喰らい尽くせばいい! 周りの景色ごと、あのチョロチョロと鬱陶しいチビ野郎を!
 そして――『餓鬼王』が吼えた。
 地獄の釜が開いたようなおぞましい響きが鼓膜を揺さぶり、フェンスが、地面が、龍閃の波動を放っていた影の体が呑み込まれて行く。
「ちょ……!」
 狼狽したような麻緒の声。
 すでに冬摩の目の前は何も無く、誰もおらず――
「何てね」
 声はまた後ろからして――
「――ッ!」
 今度こそ、動揺に包まれた麻緒の気配が漏れた。
 分かっていたさ。麻緒がこの位置に来るだろうという事は。完全に自分のペースだと思い込み、いい気になった子供の単純思考くらいは。
「クソ……!」
 まんまとコチラの裏を取ったと思い込んだら、何をするかという事くらいは。
「食らえオラァ!」
 右肘の先に展開させた漆黒の盾――『金剛盾』で麻緒の爪を受け止め、冬摩はそのまま相手の体を押し返す。
「くっ……」
 そしてバックステップで間合いを取ろうとする麻緒に追撃を仕掛け――
「使役式神『玄武』召来!」
 視界一杯に硬質的な輝きを放つ甲羅が広がった。
「メンドくせぇんだよ!」
 しかし冬摩は迂回する事も弾く事もせず、裂帛の怒声と共に右拳を叩き付る。
 鈍い音。重く硬い手応えの先でまとわりつく生暖かい肉の感触。甲羅の中に肩まで潜り込ませ、冬摩の拳はその向こう側にあった小さな体を捕らえていた。
「ぅがっ……!」
 そして漏れる苦悶の声。
 『玄武』の巨体は消失し、腹を押さえながら目を大きく見開いている麻緒の姿が映った。
「けっ!」
 口からごぼごぼと血を吐き出す麻緒に詰め寄り、冬摩はその胸ぐらを掴み上げて大地に叩き付ける。更に逆の拳を振り上げて、
「分かったか。テメーとの実力の差がよ」
 低く威圧的な声で言った。
「は……ははは、何してんの……? お兄ちゃん、こんなトコで……」
 眠そうに目を半開きにし、麻緒は地面に身を沈めながら力無く呟く。
「そりゃコッチのセリフだバーカ。お前こそ何で俺に喧嘩売ってんだよ」
「んーとね……長くなるなぁ、話せば……」
「ち……まずは傷か」
 面倒臭そうに言いながら、冬摩は麻緒から腕を放した。自分も首の傷くらいは何とかした方が良いかも知れない。気持ち悪くてしょうがない。
「んだねー。まー、手加減してくれたから大した事無いと思うけど……。ちょっと今は立てないなぁ……」
 のんびりとした余裕のある声で麻緒が漏らす。
 手加減? 確かに最初はしていたが途中からは殆ど本気で……いや、相手が麻緒だから無意識のうちに手を抜いてしまったのかも知れない。でなければ麻緒にあそこまで手こずるなどという事は……。
「この辺で休める場所はドコだ」
「別にドコでも良いよ。学校の外ならドコでも……」
「学校だぁ?」
「アレ? 知らなかったの? ココ、ボクの中学のグラウンド……」
「お前の……?」
 周りなどろくに見もせずに走り回っていたから気付かなかった。龍閃の波動を感じたからココで足を止めた。そして麻緒と出会い、訳も分からないまま戦うハメになった。
 コレは偶然なのか? それとも……。
(まぁいい)
 面倒臭くなって考えを途中で止め、冬摩は片手で麻緒を抱いて立ち上がった。
 取り合えず、自分が一人になった途端向こうから仕掛けて来た。大人数を送り込んで来た。このまま囮になり続けて来る奴を片っ端からブッ飛ばしていけば、そのうち魎の場所に行き着くはず。
 そして自分がそうしている間は周りに危害は及ばないはずだ。時間はまだある。
(魎の狙いは俺の肉)
 その事を念頭に置いて動いていれば、コチラが何をするべきなのか見失う事はない。
「そんじゃその辺の草むらかどっかでいいな」
「……せめて公園とかにして欲しかったな」
 贅沢な野郎だ……。
 髪を纏めていた龍の髭を解き、冬摩は軽く頭を振って溜息をつく。そして地面を蹴り、その場を後にした。

◆虚無の心 ―篠岡玲寺―◆
 前々からずっと思っていた事だが、やはりこの男が何を考えているのか分からない。
 最初の狙いは冬摩以外の保持者全員を押さえてしまう事だったはずだ。そうする事で周囲からの邪魔を無くし、最終的な狙いである冬摩に近付き易くするのが目的だったはず。
 つまり、保持者達はなるべく分散していてくれた方が都合が良いんだ。
 そのために宗崎を連れ去った後、わざわざ間を空けて白原と繭森をさらった。そうする事で異常事態が起こっているのだという事をハッキリと認識させ、警戒させて動きを制限した。
 ――下手に動けばソコを狙われる。
 久里子や玖音ならそう考えるはず。魎はそう踏んだ。
 例えそうではなかったとしても、その場に留まられて次に何をするか分からないより、前に出てきて貰った方が動きを読みやすい。罠も色々と仕掛けられる。この街の至る所に用意してある呪針の場所にもおびき出しやすい。
 魎はそう考えていたはずなんだ。
 なのに……。
「あー、どうした。玲寺。難しい顔して。便秘気味か?」
 無愛想なビルの最上階。太陽の光が埃を浮かび上がらせ、かび臭い空気が堆積した灰色の空間。
 隅にある木箱の上に乗せられた小型テレビから目を外し、魎は視線だけをコチラに向けて聞いた。
「まぁ、そんなところですよ」
「あー、そーか。繊維を沢山取った方が良いぞ。コンビニ弁当やファーストフードだけでは栄養も偏るしな。まぁ私は好きだが。少なくとも人間の肉よりは上手いなぁ、アレは。うん」
 魎は機嫌良く言いながら、スポンジの剥き出しになったソファーに背中を預けた。昨日の夜、どこかのゴミ置き場から拾ってきたらしい。テレビは盗んで来たのだろうか。他にもマガジンラックやコート掛けが置かれている。ココで生活でも始めるつもりなのか、この男は。
「……魎、一つ聞きたい事があります」
「あー、なんだ?」
「昨日の貴方の行動について、説明していただけないでしょうか」
 テレビから目を離さずに返した魎に、玲寺は単刀直入に聞いた。
 魎は昨日、麻緒を捕まえてくると言ってココを出て行った。しかし実際には捕まえるどころか、麻緒を挑発するだけ挑発して逃走した。更に麻緒の学校のグラウンドに、龍閃の波動を放つ自分の召鬼を配置し、冬摩をおびき寄せた。
 そして当然の結果として、近くに居た麻緒が龍閃の気配を感じ、そのグラウンドに行って冬摩と合流した。
「貴方の狙いは冬摩以外の保持者を押さえる事、ですよね」
「あー、そうだが」
 長い足を組み替え、魎はサングラスの位置を直しながら返す。
「では何故、冬摩と麻緒を会わせたのですか?」
「やー、アレはビックリしたなー。まさかあんな偶然があるなんてなー。参った参った」
 はっはっは、とわざとらしく笑いながら、魎は額をペシペシと手で叩いた。
「なるほど、偶然ですか。分かりました」
 玲寺は諦めたように息を吐き、黒いオーバーコートの前を寄せて壁にもたれ掛かる。
 まぁ、聞いたからと言って本当の事を答えてくれるだなどとは思っていない。これからの行動で察していくしかない。
「九重麻緒が予想より強かったんでなぁ。もしかして冬摩をある程度まで追い詰められるんじゃないかと期待していたんだ」
「そしてトドメは貴方が刺す、ですか」
「そう」
 コレも嘘だな。
 麻緒に冬摩を何とか出来るのであれば魎一人でも十分に出来る。なら、他の保持者を先に押さえるなどといった回りくどい手法など取らずに、最初から冬摩に向かっていけば良いんだ。
 それに大体、本当に冬摩以外の保持者を沈黙させたいのなら、完全な不意打ちで良かったのではないのか? 事実、玖音に関しては警戒させた事で、夜叉鴉を持ち歩かせる理由を与えてしまった。あの霊刀さえ無ければ、恐らく玖音には勝てたはずだ。
 夜叉鴉にまさかあんな使い方があるなど予想していなかった。あんな方法で力の作用点の範囲を広げてくるなど思ってもみなかった。
 自分には失った力もあるが、その代わりに得た力もある。その力でねじ伏せる事だって出来たはずなんだ。
「お、見ろ見ろ玲寺。昨日の事やってるぞ。やー、あの少年もなかなか派手好きだよなー。あっ! 『謎のミイラ』だってさ! 自分の体をミイラ呼ばわりされるのも何か変な感じだよなー」
 テレビでは大破された繁華街の看板、割られたビルの窓ガラス、へし折られた交通標識、そして全身の水分を抜かれた魎の体について報道されている。コレらは全て麻緒がやった物だ。ソレはもう自分達も、そして世間一般の人達も知る事になっている。そして麻緒を挑発し、誘導したのは魎本人だ。
 そもそもコレからして訳が分からない。こんな事をすれば報道があった場所の近くに自分達が居ると知らしめているようなもの。そういう事が起こらないように、魎は街の至る所に呪針を埋めたのではないのか? 街中では時間と空間を切り離した結界内で戦う事で、自分達の事を隠そうしていたのではないのか?
(分からないな……)
 本当に分からない事だらけだ。
 魎は冬摩の持つ『死神』を取り出す事が最終目的だと言っていた。その理由を聞かされた時は、それなりに納得できて興味深くもあったが、今となっては……。
(冬摩の左腕、か……)
 冬摩には力の発生点が二つあるらしい。『肉体苦痛』と『精神苦痛』。そしてそれぞれ対応している力の作用点が『右腕』と『左腕』。だが左腕の力は極限まで追いつめられないと発揮されない。
 その秘密を知るために、魎は『死神』を欲しているのだと言っていた。だが、本当に……?
「魎」
 玲寺は指先で伊達眼鏡を少し上げ、僅かにクセのある柔らかそうな髪を掻き上げた。
「んー?」
「まだ行かなくて大丈夫なんですか? 玖音の行動が貴方の読み通りなら、そろそろ陣迂が動き出すはずですが」
 そしてどこか自嘲めいた笑みを浮かべて面白がるように言う。
 全く、何をどう読んだのやら……。
「あー、もうそんな時間か。もう少しで『女子中学生日記』が始まるんだが……しょうがないな、諦めるか。ココでは録画も出来んし……」
 両腕を上げて大きく伸びをし、魎は重そうに腰を持ち上げた。
「あー、留守番、よろしく頼むぞ。それから、しばらくは二人きりなんだから変な気はしっかり起こすように。いいな」
 ソレだけ言い残すと、魎は扉の無い出入り口から部屋の外に出る。コンクリートを踵で叩く音が遠ざかって行き、階下へと呑み込まれていった。やがて何も聞こえなくなったのを確認して、玲寺はつけっぱなしの小型テレビを消す。
「相変わらず、変な人ですねぇ……」
 肩をすくめて言い、玲寺は昨日から同じ姿勢で座っている久里子に目を向けた。
「そろそろ疲れたでしょう。次に魎が戻って来たら、体を横にしてくれるよう頼んであげますよ」
 久里子は軽く曲げた両脚を前に投げ出し、背中を丸め、腕は後ろで組んでいる。いや、組まされているのだ。魎からの束縛によって。
「玲寺さん、何でや……」
「昨日の答えでは満足できませんでしたか?」
「分からん……そんで何で冬摩とまた戦わなあんかねん。何で玖音と麻緒にちょっかい出すねん……」
 久里子は顔を上げる事もせず、項垂れたまま呟くように言う。
「ですから繰り返すようですが、私は魎と取り引きをした。そして賭けをして負けた。だから彼に従っている。彼は冬摩達に用がある。だから私も用がある。ソレだけですよ」
 冷めきり、諦観した喋り方で玲寺は返した。
 そう。アレは六年……いや、もう七年くらい前になるだろうか。
 富士の樹海で荒れ狂う地霊を封印し終えた帰り、自分は偶然にも龍閃を見つけた。魔人の心臓部である核を削られ、二百年前に冬摩から受けた傷がまだ生々しく残る姿だった。
 そんな手負いの龍閃と戦い、自分はたった一人で勝利した。勝利してしまった。
 満足など出来なかった。日常を捨て、龍閃を討ち倒す事だけに全てを投じて来た自分の心を満たす事など到底出来なかった。
 だから龍閃の召鬼となった。
 新たな力を手に入れ、間違いなく今の龍閃より強い荒神冬摩に勝つために。
 それからずっと、冬摩と敵対できる時を待った。手加減など一切無く、お互いに全ての力を出し切れる機会を待った。
 龍閃は『死神』を欲していた。『死神』の『復元』で自分の傷を癒すのだと。
 ソレが果たされれば龍閃は冬摩に戦いを挑むだろう。その時ようやく自分も表だって動けるようになる。
 龍閃の召鬼として。
 そしてその頃には自分を納得させられているだろう。
 荒神冬摩の敵として。
 動けない龍閃に代わり、玲寺は自ら手足となって『死神』を探した。
 それから一年くらい後だろうか。狂おしい光を放つ紅月の美しい夜だった。 
 覚えのある魔人の波動を感じた。
 龍閃の物ではない。だが自分が実際に感じた物でもない。
 ただ式神から受け継いだ記憶の中でひっそりと眠る、もう殆ど忘れ去られていた波動。
 まさかと思った。半分は興味本位だった。
 玲寺はその正体を確かめるために、波動の気配を追った。ソレは自分との距離を一定に保ちながら移動し、徐々に微弱な物へとなっていった。
 おびき出されているのだという事は分かっていた。危険だという事も理解していた。しかしそれでも自分の中の好奇心に勝てなかった。
 やがてその気配は完全に消え、何も感じ取れなくなった。
 だから玲寺は一瞬だけ、龍閃の波動を解放した。今度はコチラが相手をおびき出すために。もし自分の記憶に間違いがないならば、向こうはこの波動に何らかの反応を示すはずなんだ。

『あー、妙な奴が釣れたもんだな』

 そして予想通り、相手は自分の前に現れた。
 ソレが水鏡魎だった。
 二百年前の龍閃との戦い以降、完全に姿を消してしまった真性魔人。

『私に何か用があるんでしょう?』
『あー、そうだな。まぁ正確にはお前の持つ使役神に、だが』
『そのためにわざわざこんな場所まで引き寄せたんですか。私を一人にするために』
『ココは私にとって特別な場所でね。いわゆる想い人が居るんだ。最近はこの辺りに住み着いてる』
『だから自分に有利な場所であると?』
『あー、まぁそういう事だな』

 言葉と同時に時間と空間を切り離された。魎の結界術、『歪結界』によって。
 そして彼と戦った。
 強かった。龍閃や冬摩とは間違う、捕らえ所のない強さだった。
 コチラの動きを三つか四つくらい先まで読み、その上で罠にも似た攻撃や回避行動を取った。一撃一撃はそれほど重くはないが、連続して食らい続ければ確実に追い込まれ、そして気が付いたら負けている。
 そんな不気味な戦い方をする男だった。
 しかし――

『あー、止めだ』

 突然向こうから停戦を切り出した。

『一つ、情報交換をしないか? どうして私が生きているのか、知りたくはないか?』

 そして訳の分からない提案をしてきた。

『その代わり、お前は退魔師の身でありながらなぜ龍閃の召鬼となったのかを教えてくれ』

 戦い方だけではなく、思考まで捕らえ所のない男だった。
 相手の真意を探るために玲寺はしばらく考え、そして彼の提案を呑んだ。
 自分が魎におびき出されたのは興味本位から。その根元はたった今魎が言った、何故生きているのかという所にある。
 魎は二百年前の出来事を回想しながら淡々と喋り、最後に、

『ま、一種の予知能力というヤツだな』

 小さく笑いながら締めくくった。
 納得の出来る……いや、納得せざるを得ない説明だった。何故彼が自分の式神を狙ったのか、この二百年間どうして隠れていたのか、ソレらが同時に分かってしまったから。
 次は自分の番だった。
 今に至るまでの経緯をかいつまんで話し、魎はソレを興味深げに聞き終えた後、

『あー、よし。取り引きと賭けをしないか? お前は私の事を他の保持者達に黙っている。勿論、冬摩も含めてな。その代わり、私もお前の真意は黙っていよう』

 また訳の分からない事を言い出した。いや、この取り引きを持ち掛けるために、最初の情報交換とやらをしたのだろう。
 今思えば、自分はすでにあの時から魎の術中に嵌っていたのだ。

『……賭けの方は?』
『お前が冬摩と戦って勝てば、賭けはお前の勝ちだ。私はお前がその後しようとしている事を支援しよう』
『そんなモノはありません。私は冬摩に勝つ事が出来ればそれでいい』
『力を取り戻した龍閃と戦いたくないか? アイツの本気をまだ味わった事はないんだろう?』
『……負ければ?』
『私の勝ちだ。その時は私の“実験”に付き合って貰う』

 玲寺はしばらく考え、

『……いいでしょう』

 魎の取り引きと賭けを受け入れた。

『正直、貴方がコチラに手出しをしないというのなら、私には貴方と戦う理由がない。それに、かつては龍閃討伐のため力を合わせた……まぁ仲間という表現は不適切ですが』
『盟友か?』
『ただし、コチラからも一つだけ条件があります』
『ほぅ』
『久里子と麻緒には一切手を出さない。今日、私にしてきたような事は絶対にしない。彼らこそ、私の大切な仲間ですので』
『あー、いいだろう。今のところ私が興味あるのはお前だけだ』
『そのセリフ、冬摩に言って欲しかったですね』

 そしてその一年後、玲寺は冬摩と戦い――負けた。そして魎との賭けにも。
 だから今、自分は魎と一緒に居る。彼の言う事に従い、冬摩達とまた敵対している。
「ああ、でも安心して下さい。貴女と麻緒にはそんなにキツイ事はしませんから。彼も一応今のところはその約束を守ってくれているようですし」
 あの時交わした条件は『一切の手出しをしない』という物だった。しかし今の魎の計画からしてソレは無理だ。その事は自分も理解している。あの時はあの時、今は今だ。
 代わりに『出来るだけ穏便な処置で』と変更した。そして魎もその案を受け入れてくれた。
 もっとも、あっさり了承したのは引き続き自分を利用して束縛するためであり、力が不要となれば躊躇わないだろうが。
「……アイツとの決め事なんか反故にしてまえばええんや。どんな取り引きして、どんな賭けしたんか知らんけど、何で律儀に守ったる必要があんねん……相手はあの水鏡魎やで? 人騙して罠に嵌めんのが常識の……。ウチにはどう考えても納得できん……。玲寺さんは龍閃の召鬼になっても操られんかったんやろ? せやったらウチと違って魎の召鬼になっても抵抗できるはずや。それやのに何で言いなりやねん……。なんか他に理由あるんかい……玲寺さん」
 まるで血でも吐くかのように、久里子は途切れ途切れに言葉を紡いだ。
 相変わらず顔は上げず俯いたままで、時折何かに耐えるように体を震わせて。
「まぁ、そうですね。強いて言うなら彼のしようとしている事に興味があった、といったところでしょうか。なかなか奥が深いんですよ、水鏡魎のという男の考える事は」
「……せやったら玲寺さんは何でウチの前で水鏡魎と話するんや。作戦とか、計画とか……。聞かれたらアカン事、ぎょーさんあるんちゃうん」
 ソコまで言って久里子は顔を上げ、眼鏡の奥から訴え掛けるような視線を向けてくる。
「そう、ですね……。確かにアレは浅はかな言動だったのかも知れません。以後、気を付ける事にしましょう」
 言われて少し言葉を詰まらせ、玲寺は苦笑を浮かべながら返した。
「なぁ玲寺さん、ホンマは計画とかアイツの考えてる事とか、どーでもええんちゃうん? どーでもええのに、ソレが重要やとか興味あるとか、無理矢理自分に言い聞かせてんのんちゃうん?」
 ある種の確信を帯びた久里子の言葉。
「まさか、そんな訳ないじゃないですか」
 鋭い。 
「私は魎の真意を探りたいんですよ。彼はまだ色々と隠しているはずですからね」
 冷静に、そして的確にコチラの内面を見破ってくる。
「ソレが何なのか分かるまでは、私は彼のそばに居るつもりです」
 だが、自分の本心を吐露する訳にはいかない。こんな情けなくて弱い精神を晒す訳にはいかない。
「なぁ、玲寺さん。このままやったらまた負け組になってまうで」
「負け組?」
 突然言ってきた久里子の言葉に、玲寺は眉を顰め返した。
「冬摩は強い。玲寺さんより、あの陣迂って奴より、水鏡魎より強い。姑息な戦法取ったかて力で潰されんで」
 ああそうか。久里子の得意な精神的な揺さぶりか。
「私はともかく、魎や陣迂は簡単にはいかないでしょう」
「水鏡魎が何で生きとったんか、何で今まで出てけぇへんかったんか、何で保持者狙ってんのか。ソレ考えたら少なくとも力は冬摩の方が圧倒的に上や」
 ……さすがに頭のキレる。
「陣迂の方はどうですか? 彼に関する情報はまだ何も無いはずですが」
「どーせ怨行術か何かで作った冬摩のソックリさんやろ? そんなんで攪乱しよう思ーても無駄やで。玖音がおるからな」
 まぁ、半分までは当たり、か。
「勝負の結果は最後まで分からないものです。どんなどんでん返しが待っているか分かりませんから。そして魎はそういう仕掛けを最も得意とする男。どうです? 面白そうでしょう?」
「勝負は勝たなオモロない。観客は接戦の方がエエんやろーけど、参加してるモンはどんな圧倒的でも勝った方が気持ちええんや。玲寺さん、考え直すんやったら早い方がエエ。勝ち組の方に来ぃや」
 やれやれ……。
(寝返れ、か……)
 相変わらず言う事が過激だ。
 だが、別にその選択肢が無い訳ではない。冬摩達に付いた方が面白いというのなら、そうするだけだ。しかしソレでは、久里子の言ったように圧倒的になる可能性がある。
(どうやら、私は観客のようですね……)
 苦笑しながら、玲寺は久里子から視線を逸らした。
「玲寺さん!」
 自分は魎の『実験』に付き合った。そして『実験』は終了した。賭けに負けた事への対価は支払った。だから今は魎と一緒に居る理由など無い。誰にも付いて行かず、どこにも属さず、一人で勝手気ままに放浪する事だって出来た。
 しかし実際にはこうして魎に従い、彼の手足となって動いている。
 魎が本当は何を企んでいるかに興味があった? だから彼と一緒にいる?
 久里子と麻緒に致命的な危害を加えたくなかった? だから『一切手を出さない』から『出来るだけ穏便に』という条件に格下げされてもソレで納得している?
「ホンマはこんなんやりたいんちゃうやろ!? ホンマはちゃうんやろ!?」
 そんな物は言い訳だ。愚にも付かないただの言い訳。
 赤ん坊だって説得できない、陳腐な戯れ言だ。
「ホンマの理由はなんや! ホンマの訳は……!」
 そん物は無い。そんなご立派な物は最初から存在しないんだ。
 強いて言うなら、理由が無い事が理由だ。
「玲寺さん!」
 今頃きっと、陣迂が玖音と朋華に接触している。そして魎が冬摩と麻緒に。
 自分は、しばらく待機。退屈な時間。
(嫌な感じだ……)
 ソレは今、最も敬遠したい物。
 久里子の叫び声を聞き流しながら、玲寺は思索に耽る。
 確かに、久里子の言葉にも一理ある。今でもそれなりに強いとは言え、魎の力はかつての十分の一にも満たない。昔は策謀などに頼らずとも純粋な力だけで冬摩を圧倒できただろうが、今はもう無理だ。もしかすると圧倒的な展開になってしまうかもしれない。しかしソレでは面白くない。
 観客席に居る身としては。
 ならば自分が今、すべき事、出来る事、やっておくに越したことはない事。
(使える物は何でも使え、か……)
 ソレは魎が掲げていた歪んだ選民思想。
(まぁ足元を掬われない程度になら……)
 それに遅かれ早かれ魎から注文が来るだろう。姑息で卑劣な手段ではあるが……気乗りはしないが……。
(芹沢美柚梨、東宮夏那美、それから一応、穂坂御代も押さえておきますかね)
 玲寺は伊達眼鏡の位置を直しながら立ち上がると、久里子の横を通り過ぎてビルを出た。





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