貴方に捧げる死神の謳声 第三部 ―黄泉路からの慟哭―

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六『闇子の継ぐ血筋』


◆奸計と知略 ―荒神冬摩―◆
 玖音から話を聞き終え、冬摩は不快感も露わに舌打ちした。
(魎の野郎……)
 人を騙すのが生き甲斐のような男だった。訳の分からない事をして他人を煙に巻き、最後は自分だけが一人勝ちしているような気にくわない奴だった。
 だがそれでも、信用していた時期はあった。
 龍閃を追いつめるために。
 しかし魎は紫蓬と牙燕を自らの手で殺し、最後まで龍閃を騙し続けて――そして裏切った。
 確かに姑息ではあったが、彼以外の誰にも真似出来ない狡猾さだった。知謀は勿論の事、先見性や物理力といったその他の総合的な力が兼ね備わっていなければ、八百年間も自分以外全員を騙し続けるなど出来なかった。
 目的の為には手段を選ばない。あらゆる犠牲を払ってでも自分の野望を成就させる。魎にしか出来ないやり方で。
 決して彼の行動や考え方を受け入れた訳ではないが、それでも一部には畏敬の念を払っていた。龍閃とは全く別物の強さと恐さを持っていた魎に、ある種の憧れのようなモノを抱いていた時期すらあった。
 だが、今は違う。
 久里子だけではなく、全く無関係の玖音の妹にまで……!
 もはや姑息等という言葉では片付けられない。
 下劣だ。屑以下の思考だ。
 絶対に許す事はできない。下らない計画もろとも必ず叩き潰す!
 そして場合によっては――殺す。
「……美柚梨は全く覚えていないらしいんだ。多分、眠らされるか何かされたんだと思う。その後また解放されたという事は、水鏡魎は自分のそばに置いておくよりも、僕の近くで見せつけた方が効果的だと考えたんだろうな。確かに、アイツの波動を美柚梨からずっと感じているのは想像以上にこたえる」
 玖音は後ろで元気良くはしゃいでいる美柚梨を盗み見ながら、疲れたように息を吐いた。
(あのすぐ後か……)
 訳の分からない結界の中で戦って、つまらない置きみやげを残して逃げて行きやがったあの後に、魎は玖音の妹を召鬼にしたというのか。
 随分と手回しの良い。全部最初から狙っていたんだ。
「それで荒神冬摩……さっきの頼みなんだが」
 耳元で切り揃えたストレートの黒髪を僅かに揺らし、玖音は神妙な表情を向けてくる。
「あぁ」
 ソレに低く返し、冬摩はコチラに背中を向けてカードゲームに集中している美柚梨へと歩み寄った。
「おぃ」
「へーい」
 後ろから掛けた声に明るく返し、美柚梨はカードを胸元に押し当てて笑顔で振り向く。平和そのものの顔付きからは、悲壮感などまるで窺えない。
 まさか……。
「お前、自分が今どういう状況なのか分かってないのか?」
「ううん。なんか水鏡魎って奴の召鬼になったんでしょ? 大丈夫! 今のところ全然“正気”だから! なーんてか! ケーラケラケラケラ!」
「おぃ玖音……」
 立ち上がってコチラの胸板をバシバシバシィッ! と遠慮無く叩きながら、ハイテンションでまくし立てる美柚梨に、冬摩は呆れた顔でもう一度玖音を見た。
「ソレが素だ。諦めてくれ」
 重々しい語調で呻くように言った玖音に、冬摩はげんなりとした視線を美柚梨に向ける。
「……まぁ、混乱されるよりはマシじゃと思うんじゃな」
 半眼になってぼやく『死神』に、冬摩は大きく溜息をつき、
「後ろ向け」
 美柚梨に短く言った。
「へいへぃ」
 軽く返して素直に従う美柚梨。冬摩は自分の腕の肉を少し千切り、紅く長い美柚梨の髪の毛を左右にのけてうなじの辺りに押し当てた。
「うはへぇ〜。なんらコラー」
 冬摩の肉が体内へと呑み込まれていく感触に耐えるかのように、美柚梨はぞわぞわぞわっと体をくねらせる。そして肉片は完全に消えて無くなり、
「終わった? もう終わりましたかー?」
 美柚梨の体から放たれる波動に神経を集中させた。
 玖音も、朋華も。そして麻緒や『死神』、『羅刹』に『獄閻』といった面々も美柚梨の方をじっと見つめている。
「ねぇねぇ、何か言ってよー。ふ、不安になるじゃん。アタシ、パニくると恐いよ? 枕に居るダニの数とか言い当てたりするんだからっ」
「ダニ……」
 『羅刹』がピクっと体を震わせて反応し、
「出前で十段パフェ十個とか注文しちゃうんだからっ」
「ぱふぇ……」
 『死神』がじゅるりと涎を拭い、
「夜な夜なアーミーナイフ研いだりいるんだからー!」
「……、……」
 『獄閻』の瞳孔が僅かに大きくなり、
 ……って何だ? 今の反応は……?
「美柚梨!」
 玖音が美柚梨の体を力一杯抱き締めた。
「ま、最初から勝負は見えてたけどな」
 長い髪の毛を面倒臭そうにいじりながら発した冬摩の言葉に、痛い程に張りつめていた部屋の空気が急速に弛緩し始める。
 朋華は大きく息を吐き、麻緒は無邪気な顔付きで親指を立て、そして夏那美だけが取り残されたように周りをキョロキョロと見回していた。
「お? お? お? どーした兄貴ー? 今更ながらに美柚梨ちゃんの魅力に気付いちゃったってかー? そりゃーいくら何でも遅すぎるべー」
「良かった……本当に、良かった……」
 相変わらず飄々と言う美柚梨に、玖音は少しだけ声を詰まらせながら消え入りそうに呟く。
 心の底から彼女の事を心配していたのだろう。自分だって、もし朋華が同じような状況に追い込まれれば、とてもではないが冷静などでは居られない。
「大丈夫だって兄貴。アタシはどこにも行かないし、変なふうにもならないからさ」
 美柚梨は優しい声で言いながら、玖音の頭を何度も撫でた。
「ああ、そうだな……そうしてくれ……」
 弱々しい声でか細く言い、玖音は小さく鼻をすすらせて美柚梨から体を放す。そしてぎこちない笑顔を作って美柚梨に微笑んだ。
 これではどちらが兄でどちらが妹か分からない。いつも落ち着いて大人びた雰囲気の玖音からは考えられない姿だった。
「良かったですね」
 隣で朋華が自分の事のように嬉しそうに言う。
 もう、美柚梨の体からは魎の波動など微塵も感じない。伝わって来るのは冬摩独特の雄々しく猛々しい雰囲気だけ。
 今、美柚梨は魎の召鬼ではなく、ソレを上回る支配力を持った冬摩の召鬼となった。これでもう美柚梨が魎に操られる事は万が一にも無い。
「そんじゃ次だ次。次行くぞ。時間がねーんだ」
 冬摩はぶっきらぼうに言って、パイプベッドの端に座り直す。そして顔を上げた時、目の前には玖音が立っていた。
「何だよ」
「荒神冬摩、有り難う。心から礼を言わせて貰う」
 いつにも増して真剣な表情で言い、玖音は深々と頭を下げた。
「ッかー! 下らねー事言ってんじゃねーよ!」
 間髪入れず冬摩は大声で叫び、体の内側に蟲でも這わされたように身をよじらせる。
「いいか! 俺は別にテメーの為にやった訳じゃねー! 魎のクソッタレが気に入らねー事しやがるからソレをブッ潰しただけだ! 勘違いしてんじゃねーよ!」
「おーおーおー、兄さん。こりゃまた典型的なツンデレだねー。今時珍しいよー。天然でココまで出来るなんてさー。下手すりゃ国宝モンだよー?」
 お辞儀をした体勢の玖音に後ろから乗っかり、美柚梨は口を真横に大きく開いてにっへーと得意げな笑みを浮かべた。
「っだー! テメーら兄妹揃ってウザってー! ブッ飛ばすぞ!」
「やーん、おにいちゃーん。鼻息で飛ばされるー」
「で、だ。荒神冬摩。話を戻そうか」
 抱きついて来た美柚梨をよしよしと迎え入れてやりながら、玖音はいつもの鋭く冷たい目つきに戻ってその場に座る。そして蒼のハーフジャケットを脱ぎ、首の骨をコキコキと鳴らしながら泰然と構えた。
 コイツ……本当に感謝してんだろーな……。まぁ心配事が無くなって余裕が出来たのは良い事だけどよ……。
 話を進める事に関しては大賛成だが、どこか納得のいかない表情で冬摩は不満そうに唸った。
「じゃあまずは簡単な現状把握からしたい。取り合えずアレは何のつもりだ。仁科朋華の新しい趣味か?」
 冷めた口調で言いながら、玖音は『獄閻』を一瞥する。
「馬鹿ヌカすな。あんなクソデカいモン。しょーがなくだ。その事でテメーに聞きたかったんだよ」
「そうか、安心したよ。正直邪魔なだけだからな」
 冬摩と玖音から浴びせられる辛辣な言葉に、『獄閻』の浮遊高度が下がり始めた。そして瞼でも下ろすかのように、巨眼の上半分が黒く塗りつぶされていく。
「そうですか? 私はちょっとだけ、可愛いかなーとか思ったりしますけど」
 隣りに腰を下ろした朋華が、『獄閻』を見ながらボソリと言った。途端、『獄閻』の目から暗黒が晴れると、最初より高く浮いて斜め上を見る。ソレはまるで、自慢げに胸に反り返らせているようにも見えた。
 ……今まで知らなかったが、かなりのお調子者のようだ。油断していると、『死神』や『羅刹』のように自我を主張し始めるかも知れない。そのまま朋華が気に入りでもしたら……。
(いかん!)
 ソレだけは断固阻止せねば! 
 最早一刻の猶予もない。一分一秒でも早くあの何とかという怨行術を解いて、可及的速やかに体に戻さなければ。
「玖音、今すぐにこのガンタレを何とかしろ」
「僕は街の便利屋さんじゃないんでね。出来る事と出来ない事がある」
「怨行術はお前の得意分野だろーが」
「怨行術……? まさか、『閻縛封呪環』?」
「あぁ」
 ソレだけで察してくれたのか、聞き返す玖音に冬摩は長い後ろ髪を触りながら頷いた。
「水鏡魎か。アイツと戦ったんだな? いつだ。昨日か?」
「ついさっきだよ」
「ついさっき……? しかしソレでは……。いや、待てよ。……ああそうか、そういう事か。それで九重麻緒がココに。恐らく昨日の夜出会った」
「あぁ……」
「それで九重麻緒、君が街中で暴れた相手は陣迂ではなく水鏡魎、そうだな?」
「うん……そうだけど……」
「あぁー、なるほど。大体掴めてきた。これで陣迂が言ったセリフと繋がった。つまり僕たちはまだまだ水鏡魎の手の上って訳だ」
「おぃ何なんだよ! さっきから! ちゃんと説明しろよ!」
 自分と麻緒から断片的な情報を聞き出し、一人で頷いている玖音に冬摩は苛立たしげな声を上げた。
「だとしたら早く離れた方が……。いや待て。焦って行動すると相手の罠に嵌る。少しくらい時間はあるはずだ。それに向こうには美柚梨の事も分かっていない。今からでも十分裏をとれるはずだ」
「おぃ!」
「結論から言おう。今、九重麻緒には水鏡魎の知覚できる何らかの目印が付けられている」
 膝の上でうにうにとジャレつく美柚梨の頭を撫でながら、玖音は鋭い眼光で言い放った。
 ……やってる事と言ってる事が合ってないんだよなぁ……。
「水鏡魎は昨日の夜、九重麻緒と戦った時にその目印を付けたんだ。そしてその後でお前の居る場所に誘導して合流させた。九重麻緒が戦いを求めてお前と行動を共にする事を見越してな。コレで二人の居場所は水鏡魎に筒抜けって訳だ。それからさっき僕が戦った陣迂は、お前の方から自分に仕掛けてくるよう伝えろと言っていた。更に九重麻緒がお前と一緒に居るともな。最初聞いた時は、どちらも気にするに当たらない事だと思っていたんだが、九重麻緒に目印があるなら納得だ。要するに、こうして一箇所に固まってくれれば全員の居場所を把握できるって訳だ。それに今は『獄閻』の『閻縛封呪環』もある。あの術は使役神の力を極端に弱めたり、体に宿せなくしたりするだけじゃなくて、ソレ自体が目印にもなるからな。具現化していようと、いまいと。つまり、お前と九重麻緒はどこに居ても魎からは丸見えって事だな」
 淀みなく説明し終え、玖音は細く息を吐く。
「……っあー……で?」
 そして冬摩は視線を上げながら難しそうに顔をしかめ、
「魎の野郎はドコに居るんだ?」
 周囲が揃って落胆の溜息をついた。
「だーかーらー! テメーの話はイチイチ分かりにくいんだよ! それにアイツをブッ飛ばせば全部終わるじゃねーか!」
「お前のそのシンプルな思考が時々羨ましくなるよ」
 コイツ……さてはバカにしてるな。
「それで真田さんはどうするのが良いと考えてるんですか?」
「別れる。僕も荒神冬摩も九重麻緒も、みんなバラバラに行動する。向こうは今、僕たちを纏めて何とかしようと考えてるはずだ。多分、当初の予定は各個撃破だったんだろうが、自分達の力とコチラの戦力を見誤ったせいで上手く行かなかったんだろうな。それで予定を変更したんだ。だから僕達はその裏を掻く。戦力を分散させれば向こうはまた予定を変更せざるを得ない。その隙を狙う。まぁハイリスク・ハイリターンだがな」
「じゃあ美柚梨さんは真田さんと、東宮さんは麻緒君と一緒に行動って事になるんですか?」
「えー? ちょっと朋華お姉ちゃんー。ソレ超ありえないんですけどー」
 背中と壁の間に挟んだクッションに身を沈め、麻緒は長い前髪を揺らしながら不満を漏らす。
「あたしはサンセー! だーいサンセー! 悪者からあたしの事シッカリ守ってよね!」
 後ろでおさげに纏めた黒髪をブンブンと勢いよく振り回しながら、夏那美は麻緒に抱きつかんばかりの勢いですり寄った。
「うぇー。超サイテー……。ボク絶対ヤだからねー。大体、何でこんなの連れてきたんだよ。今からでも置いてきて欲しいんですけどー」
「ムッキィー! 何よー! “こんなの”ってぇー! 人を物みたいにー! 大体誰が助けてあげたと思ってるのよ!」
「もぅ意味分かんないよ……」
 鬱陶しそうに後ずさる麻緒に、しつこく体を寄せて行く夏那美。
 のろけている……のではなく麻緒は本気で嫌がっているようだが……。
「美柚梨が狙われた以上、彼女も同じようにして人質候補に挙がっている可能性が高い。本人達はどうか知らないが、向こうは多分それなりに親しい仲だと認識しているはず。だから連れて来た。ココに居た方がまだ安全だからな」
「ちょ……マジ……?」
「ほーら見なさい! 端から見ればあたし達は恋人同士なのよ! この事実をさっさと受け入れて楽になりなさい!」
「……豚の足にキスする方がマシだよ」
「クキィー! 何なのよその例え! あたしは豚の足以下なの!?」
「豚足って美味しいよねぇ〜」
「そんな話してない!」
 ……ああ、うるさい。なんだかとてつもなく脱線している気がする。ええーっと、何の話をしていたか……。
「だが、九重麻緒には単独で行動して貰う。ソレは僕も同じだ」
 ああそうそう。三人で別れて動くという話で……え?
「じゃあ、美柚梨さんと東宮さんは?」
「荒神冬摩、お前が二人を守るんだ」
 えーっと……なにぃ……?
「今のところ、ココに居れば絶対に安全という場所はない。向こうがどんな作戦で仕掛けてくるのか分からない以上な。だがそれでもあえて上げるとすれば、一番安全なのは荒神冬摩のそばなんだよ」
「おぃコラ、何でそうなるんだよ」
 疲れ切った声を怒りで震わせ、冬摩は玖音に聞く。
 冗談ではない。ただでさえ『獄閻』が増えて邪魔だというのに、さらにお荷物が二人も? これではますます朋華と二人きりの時間が無くなってしまうではないか。
「まず九重麻緒は誰かを守りながら戦えるほど器用でも余裕がある訳でもない。それに彼の性格から考えて、守ろうとするかどうかさえも怪しい」
 淡々と説明を始めた玖音に、部屋の隅の方で麻緒が満面の笑みを浮かべてうんうんと頷く。
「その点お前には有り余る使役神とソレらを何体も同時に具現化できる精神力、そしてあの龍閃を倒して最強の魔人となった力がある。さらに人命を尊ぶ清い心も持っている」
「……テメー、思いきり褒め殺してるだろ。ソレくらい分かるんだぞ、俺にもよー」
「でも、冬摩さんが優しいのは本当ですし、私は冬摩さんのそういうところ大好きですから」
 ……くそぅ、朋華にそう言われたら何も言えねーじゃねーか。
 麻緒と同じようにうんうんと頷く玖音に、冬摩は胡散臭げな目を向けた。
 ……さてはコイツ、朋華を利用しやがったな。
「僕も出来れば美柚梨を自分の手で守りたい」
「ならそうしろよ」
「だが、向こうはまだ美柚梨が魎の操り人形だと思い込んでいる。つまり、僕はすでに戦線離脱したと考えているはずなんだ。美柚梨の命を握っている以上、僕に派手な行動は出来ないってな。逆に言えば僕は今殆どノーマーク。ココに居る中では一番動きやすいポジションに居る。コレを活かさない手はない。しかし美柚梨がそばにいては僕の居場所も水鏡魎にバレる。取り合えず荒神冬摩の支配力は水鏡魎の支配力を上回ったが、美柚梨がアイツの召鬼である事に変わりはないんだ。だから美柚梨の位置も、お前や九重麻緒のように把握されている。これでは思うように動けない。美柚梨がお前の召鬼になった事を水鏡魎が見抜くのは時間の問題だ。その前にやっておかなければならない事がある。お前が美柚梨と一緒に居て、僕の位置を知られるまでの時間を少しでも稼いで欲しい」
「何なんだよ、そのやらなきゃなんねー事ってのはよ」
「祖母に会いに行く。本当は病院の後に行く予定だったんだが、陣迂が割り込んできたんで変更せざるを得なかった」
「会ってどうすんだよ」
「龍閃の死肉の事を聞く」
「あのバーさんは知らないっつってたって、お前が確認したんじゃないのかよ」
「確認した。だから今回聞きに行くのはもっと別の事だ。お前も知ってると思うが、祖母は頭がキレるし口も立つ。電話だけじゃ欲しい情報を聞き出せていない可能性が高い。だから直接会って話す」
「けっ」
 仏頂面になり、冬摩は不愉快そうに顔を逸らした。
 全く、コイツも魎の野郎も何考えてんのかサッパリだ。
 ――だが、朋華を守ってくれたのは事実だ。
 感情に任せて突っ走り、犯してしまった自分のミスをカバーしてくれたのは確かだ。こんな奴にいつまでも借りを作っておきたくはない。
「言っとくけどな、俺は朋華を最優先して護るからな。お前の妹とあのチンチクリンはその後だ。いいな」
「あぁ、十分だ。お前と一緒なら僕も安心して動ける。美柚梨、そういう事でいいな?」
「うーん、まぁ兄貴がそーゆーんなら仕方ない。そんかし、一段落したら今度は全身マッサージさせてね」
「あ、あぁ……考えとくよ……」
 平和なやり取りをする二人に、冬摩は居心地悪そうに舌打ちした。
 全く、本当に何考えてるんだか……。
「それに正直、僕は自分の力を過信していた所があった。その鼻っ柱をあの陣迂って奴に見事に折られた。まさか僕の方が仁科朋華に助けられるとはな」
「そう言えばその陣迂って人、何者なんでしょうね」
 苦笑しながら体の力を抜く玖音に、朋華はうーんと考え込みながら零した。
「敵だ。ソレ以上でもソレ以下でもない」
 突っぱねるように冷たく言い切る玖音。
「でももし……本当に冬摩さんの弟さんだとしたら……」
 しかし朋華は何やら真剣な顔付きになって眉を顰め、
「荒神陣迂、って事になりますよね……」
 鼻先に人差し指を持って来て難しそうな声を出す。
「それがどうかしたのか?」
「ああイヤ、ちょっと言いにくいなーって」
 生ぬるい沈黙。
「だ、だってホラ、ゆくゆくは私の弟になるかも……って何言わせんですかー! あーもー恥ずかしい!」
 顔を真っ赤にして、朋華は両手をブンブンと振り回しながら一人ではしゃぐ。そしてパイプベッドの上でドッタンバッタンと大きく跳ね回った後、『羅刹』に飛びついて顔を隠してしまった。
 何かホント……緊張感無いな。コレでいいのか?
「あー、まぁ。今、重要なのは、アイツの力が何かって事だな。魔人かどうかは知らないか、保持者なのは間違いない。戦ってる時に、使役神特有の気配を感じたからな。多分、宗崎、繭森、白原の誰かか、あるいは全員を殺して式神を奪ったんだろう。問題は、だ。その三人が保持しているはずの式神の能力の中に、アイツが使った力らしき物が含まれていないって事だ」
 後ろから美柚梨に抱きつかれながら、玖音は顎先に指を添えて呻く。
 ホントにどいつもコイツも……。
「まず宗崎が保持しているのは『勾陣』。能力は『天雷』。文字通り雷を操る事が出来る。次に繭森が保持しているのは『大陰』。能力は『心無』。心を無くすと書くんだが、要するに精神的な干渉を全て遮断する。コレを保持していると幻術や操身術も効かない。勿論、僕の『月詠』の力もな。使った術者まで巻き込まれてしまうような、強力な精神術を敵のただ中で使うために生み出されたらしい。で、最後の白原が保持しているのは『天后』。能力は『全反射』。物理、精神を問わずあらゆる力を何倍にもして相手に返す。敵の攻撃をわざと受けて、その力で相手を倒していたらしいが、当然コチラも傷を負う。ソレで死にかけた保持者も居たらしい。とまぁコレがそれぞれの力なんだか……実際に戦った僕の感想からすると、どうもアイツの力は幻覚を見せるたぐいみたいだ。となると一番近いのは『紅蓮』の『幻影』なんだが、『紅蓮』は水鏡魎が保持している。だから多分、ソレはない。あとは篠岡玲寺が怨行術を使っていたから、陣迂もソレを使っていた可能性も十分考えられる。水鏡魎は怨行術の権威だからな。僕の知らない術も沢山知っているだろう。だが確証はない。他に何か意見はないか?」
「つまり何も分かんねーって事かよ。へっ、バカバカしい」
 長々と説明し終えた玖音に嘲るような声を浴びせ、冬摩は小さく鼻を鳴らした。 
「どんな力持ってよーが使う前にブッ飛ばしゃいい話だろ。くだらねぇ」
「九重麻緒、君の意見を聞きたい。君も陣迂と戦ったんだろ? 何か気付いた事はないか?」
 素無視かよ……。
「気付いた事ぉ?」
 急に話をふられ、麻緒は自分の腕を抱き締めている夏那美から邪魔くさそうな視線を外して玖音の方を向いた。
「ボクん時は殆ど不意打ちだったからなぁ……。良く覚えてないんだけど……」
「何でも良いんだ。驚いた事でも、寒気がした事でも、腹が立った事でも」
「何でもねぇ……」
 言われて麻緒は、何かを思い出すように天井を見上げ、
「あーそーそー。左だと思ってたのに右から来た」
 手の平でポン、と膝を叩いて軽い調子で返す。
「どういう事だ?」
「うん。左から突っ込んで来たと思ったのに右のほっぺた殴られた」
 黒い革手袋をした右拳で頬を殴る真似をしながら麻緒は言った。
「どうして左からだと?」
「気配」
「君が読み間違えたという可能性は?」
「分かんない。あの時はもうフラフラだったから」
「そうか」
 麻緒の話を聞き終え、玖音は浅く頷きながら思慮深げな視線を中空に這わす。そしてブツブツと独り言を繰り返しながら、何かを指さしたり弾いたりするような仕草を見せた。
(メンドくせえなぁ……)
「あー、そう言えば」
 魎についての話に戻そうと冬摩が声を上げ掛けた時、ソレを遮って朋華が何か思い出したようにコチラを向く。そして『羅刹』をヌイグルミのように抱きかかえたまま、目を少し大きくして続けた。
 くそぅ……全然前に進まねぇ……。
「真田さんとあの陣迂って人の戦い、最初はずっと上で見てたんですけど……何か、おかしかったですよ?」
「おかしい? 何が」
「えと……真田さんが一人で空回りしてるっていうか……刀の間合いが変っていうか……」
「どういう事だ?」
「おー、そーじゃそーじゃ。妾も思い出したわ。確かにお主、間の抜けた一人芝居をしておったのぅ。最初から最後までなぁ。実に滑稽な見せ物じゃった」
 『死神』は朋華の後ろから近付いたかと思うと、『羅刹』を真上に抜き取って自分の胸に抱き入れ、柳眉を深く伏せて蔑笑を浮かべた。
「一人、芝居……?」
 不愉快、というよりは不可解といった様子で聞き返し、玖音は僅かに身を乗り出す。
「とうに刀の届く位置なのに不動じゃったり、かと思えばまだまだ遠くにおるのに大振りしたり。アレは何のつもりじゃ。やる気が無いのか? あのような体たらくで、よくも妾達に文句が言えたものじゃな」
「届く距離……射程外……」
 『死神』の罵声に全く取り合う事なく、玖音は針先のように目を細めて下を向いた。そして美柚梨が彼を驚かせようと、背中を床に沿わせて顔を差し入れた時、
「仁科朋華。君が陣迂と打ち合った時、攻撃が空振りするような事はあったか?」
「打ち合っただぁ!?」
 何気なく発せられた玖音の言葉に、冬摩はパイプベッドを叩き割らんばかりの勢いで立ち上がった。
「テメェ! 朋華に何させてやがる!」
「僕が頼んだ訳じゃない。彼女の善意だ」
 玖音の胸ぐらを掴み上げ、冬摩は目を剥いて怒声を上げる。だが玖音は全く気にした様子も無く、溜息混じりに顔を背けた。
「と、冬摩さん! 本当です! アレは私が勝手に……!」
「朋華! 次からは絶対にするんじゃないぞ! アイツがくたばったところで痛くも何ともが、お前が居なくなったら俺は発狂する。目に映るモン片っ端からブッ壊す。無関係の奴等だって沢山殺すかもしれねぇ。そんな事させたくないだろ? な? な? だからもうするんじゃないぞ。いいな」
 後ろから押さえようとしてきた朋華の両肩を逆にわしっ! と掴み、冬摩は大きく顔を近付けて早口でまくし立てた。
「諭すか脅すかどっちかにしたらどうじゃ」
「アイツの頭じゃその使い分けは難しいだろうな」
 背後から『死神』と玖音が小馬鹿にしたように零すが、冬摩の耳には届かない。
 冬摩にとっては朋華が全てであり、自分のありとあらゆる行動原理は朋華に収束する。朋華をこうして身近に感じている事がこの上ない安息であり、満足であり、生きる意味ですらある。だから朋華に害を成す者が居れば、ソレが誰であれ叩き潰す。
 ココだけは絶対に変わらない。他から何を言われようが、世界中を敵に回そうが微塵も揺るがない。胸を張って言い切れる自信がある。
「あの……冬摩さん……」
 気が付くと、朋華を抱き締めていた。
 彼女の体に指が少し食い込むくらいに、強く。
「おぉ!?」
 冬摩は狼狽の声を上げて、慌てて朋華から離れる。
「す、スマン! だ、大丈夫か!?」
 そして、しどろもどろになりながら、行き場を失った両腕で宙を掻き――
「え、ええ……。ちょっと、ビックリしましたけど……」
 朋華はいつもの微笑を浮かべて優しい声で言った。
(やっぱり気絶しない……)
 そんな彼女の笑顔に、冬摩は言い知れない感動を覚える。
 コレで三度目。もう間違いない。事故や偶然で片付けられる次元を遙かに越えた。
 そう! ついに掴み取ったのだ! 朋華との明るい未来を!
「で、君の攻撃に空振りはあったか?」
 ぐぐぅ! と固く握りしめた拳を高く突き上げ、一人勝利のポーズに浸る冬摩を後目に、玖音が冷めた口調で言葉を挟んだ。
「え? あ、そうですねぇ……。そう言えば、あったような……。でも単に私が、向こうの動きに付いて行けてなかっただけのような……」
「『死神』、お前が見た彼女と陣迂の戦いはどうだ。僕の時のように、何もない所を攻撃していたか?」
「さぁてのぅ。妾も全てを記憶しておる訳ではないし」
「今度、高さ一メールの超特大パフェを奢ってやろう」
「あーあー! あたっぞー! 全くお主といい仁科朋華といい修業が足りんわ。無駄な拳が十五発、意味の無い蹴りが二十八発。全て虚空に向けられておったわ」
「決まりだな」
 あっさり釣られてベラベラ喋った『死神』に、玖音は短く言ってあぐらを掻き直した。ソコにすぐさま美柚梨が飛び込んで玖音を椅子代わりにする。
「陣迂が持っている使役神の能力は、コチラの認識レベルをコントロールする物のようだ。九重麻緒が左から来たと感じたのも、僕や仁科朋華が的外れの場所を攻撃してしまったのも、その力で感覚を狂わされたせいだろう。だがその力は陣迂から離れた場所にまでは及ばない。つまり奴の力の発生点だか作用点だかの射程範囲はそう広くはない。せいぜい半径一メートルそこそこ。そうだな……例えば、『呼気』とか。僕がアイツの後ろから斬り掛かった時は何も起こらなかった。ひょっとすると、息が掛からなくなったからかもな。ただソレだけでは説明の出来ない事もあったから、仮説の域を出ないが」
「でも、さっき真田さんが言ってた三人の保持者の中には、そんな人居ないんですよね」
「そう……そこが問題なんだ……。ただ、使役神一体につき能力が一つという訳ではないから、僕の知らない力がその三体にあったのか、それとも水鏡魎が引き出したのか……。いや、ソレはさすがにちょっと突拍子もないな」
 半笑いになり、玖音は少しおどけたように言った。が、すぐに真剣な表情に戻ると、視線の先に数多の可能性を巡らせて思索に耽る。
「あの……」
 そんな玖音に、朋華は躊躇いがちに声を掛けた。
「どうした。何か閃いたか」
「私、あの人が悪い人には見えないんです」
 話の筋を完全に無視した朋華の言葉に、玖音は怪訝そうに眉を寄せる。
「そりゃ、最初に冬摩さんのニセモノが出てきた時はムッとしましたよ? あんなので騙すつもりなのかって。でも、無理矢理にでも私を連れ去ろうって感じじゃなかったですし、それどころか向こうの情報を色々教えてくれて……何人で動いてるだとか、嶋比良さんは無事だとか……」
「敵が言った事だ」
「た、確かに、私も最初は胡散臭いなーって思ってましたけど……でも……なんか、本当に冬摩さんと戦いたいだけみたく思えてきて……。だって東宮さんが飛び降りた事もあの人が教えてくれなかったら分からなかった訳ですし、落ちそうになってるの本気で焦ってるように見えましたし、もし真田さんを倒したいのならあの時後ろから攻撃すれば良かったのにソレもしなかったですし……それに麻緒君の時だって、結局は何もしないで帰って行った訳ですし……」
「仁科朋華」
 朋華の言葉に被せるようにして、玖音は冷たい響きを混ぜた声を発した。
「その考えは確実に君を殺す」
 そして断定的な口調で強く言い切る。
「君は僕の時も似たような事を言って、たった一人で塾の中に入って来た事があったな」
「……はい」
 冬摩の中で、かつての記憶が惹起された。
 玖音と真っ正面から敵対していた頃、朋華は彼に対しても『悪い人じゃない気がする』と言っていた。そして冬摩の侵入を阻む結界が張り巡らされた塾の中に、朋華は一人だけで入って行った。中に居る玖音と話を付けるために。
 朋華にそんな大それた行動をさせたのは、やはり玖音は危険な人物ではないという認識があったからなのだろう。
 だが――
「あの選択は間違いだ」
 明かに甘い考えだった。
 そして今、朋華にある種の信頼を寄せられていた張本人が、その考えを完全に否定した。
「あの時、僕の中には君を殺してでもという選択肢があった。君に荒神冬摩を説得してもらうのと同程度でか、下手をすればそれ以上の確率でソチラを選んでいた。つまり、君は一人で入って来た時点で半分以上死んでいたんだ。あまりに分が悪すぎる賭けだった」
 悔しいが、今回ばかりは玖音の意見に賛成だ。
 無理もない話だが、朋華は戦いという物の捉え方が甘い。僅かな油断や失敗が即、死に繋がるという考えを持てていない。
 少しでも共感できたり同情してしまったり、その人の良い面をほんの僅かでも垣間見てしまうと、敵なんだという意識が途端に薄れてくる。そして話せば分かるのではないかという幻想が頭をもたげ始める。
 だがソレはあまりに危険な考え方だ。自分の中に作り上げた理想を追い求め過ぎている。
 一度敵だと見なした者は、どこまで行っても敵。完膚無きまでに討ち倒すべき存在だ。余程の事がない限りその定義は覆らない。いや、覆してはならない事柄なんだ。
 ――決して。
「でも、真田さんは選ばなかった」
 しかし朋華はそんな戦いにおける暗黙の了解など知らない。一般人と比べれば遙かに血生臭い世界を知っているとはいえ、根幹の所は二十になったばかりの女子大生と大して変わらない。その年、その性別相応の考え方をする。
「アレは単なる気まぐれだ。不確定な要素というのは、その殆どが自分の期待を裏切ると思っていて間違いない。博打と同じさ」
「ならちゃんと当たる時だって……」
「陣迂は単独で存在している訳じゃない。アイツは水鏡魎の駒だ。水鏡魎は全てを騙す。騙されている本人は自覚がないまま、アイツの手の上で踊っている。敵味方に関わらずな。だから陣迂は水鏡魎本人だと考えていい。君はあの世紀の超天才詐欺師相手に、真っ正面から博打を挑むつもりか? 丸裸にされて捨て殺されるのは目に見えてるぞ」
「でも……」
 淀みなく言う玖音に朋華はついに言葉を詰まらせ、気弱に語末を濁す。そして悔しそうに下唇を噛み、助けを求めるかのような視線をコチラに向けた。
 ――冬摩さんは、どう思いますか?
 朋華の目から直接語り掛けられる頼りない言葉。
 いつもなら何の迷いもなく朋華の肩を持つ。何万人、何億人に否定批難されようが、朋華が正しいと言い切れる。
 だが、今回は――
「分からねぇ……」
 コレが、精一杯だ。今の自分に出来うる、最大限の支援だ。
 朋華の言った事を無条件に肯定する事は出来ない。朋華の身の安全を考えれば、陣迂という男に警戒を怠って欲しくない。命のやり取りをしている相手への心構えとしては、玖音の言い分の方が圧倒時に正しい。
 朋華は甘い。コレは事実だ。だがその甘さが自分をココまで変えたのもまた事実。
 その甘さから来る朋華の優しさが、二百年前に凍結したはずの自分の心を溶かしてくれた。そして生涯を賭して護るべき、掛け替えのない存在に気付かせてくれた。
 だからきっと、朋華の心を受け入れてしまった自分もまた、甘い考え方をしているのだろう。以前は、うわ言でも口にしなかったような事を言っているのだろう。
「荒神冬摩、水鏡魎におかしな術でも掛けられたか」
「さぁな」
 しかし決して悪い気分ではない。むしろ、確実に朋華に感化されている自分に誇らしささえ覚える。どんどん彼女に近付けているのだと、はっきり実感できる。その事が嬉しい。
「俺はまだ、その陣迂って奴と戦ってないしな」
 そう。玖音の時もそうだった。
 戦う前と戦った後とでは、印象がガラリと変わった。実際に拳を交える事で、言葉だけでは何十年掛かっても伝える事の出来ない物を、互いにやり取りしたような気がしたんだ。
 ――コイツは悪くない。
 天啓とも呼ぶべき直感がそう告げた。
 ソレは玖音が本気だったから。本気で怒って、本気で力を出し切って、本気で命を掛けていたから。そこに不純な物など見出す事が出来なかったから、自分は玖音を許す事が出来た。
 朋華が言った通りに。
「ソイツは俺とやり合いたいって言ったんだろ? ならすぐに分かるさ。どっちが合ってるかなんてのはな」
「……お前がソレでいいんなら僕はもう何も言わない」
 どこか馬鹿馬鹿しそうに息を吐くと、玖音は膝の上の美柚梨の頭を撫でながら視線を外した。
 何だぁ? コイツまさか、気を遣って……?
(いや……)
 まさか……はは、まさか、だな……。
「そんじゃ決まりだな。俺は取り合えずその陣迂って奴を探す。テメーと麻緒は、どっちかが魎で、どっちかが玲寺のバカを探せよ。そんで場所が分かったら何かで合図しろ。バラバラに動くんだからコレで良いんだろ? 魎の裏をかいた天才策士の真田玖音さんよ」
「で、具体的にどこをどう探すつもりだ」
 揶揄するような口調で言った冬摩に、玖音はやれやれと眉を上げながら返す。
「ンなモン適当に走り回ってたら向こうから来るだろー? 魎の野郎みたいによ。それにいつまでもココで唸ってたってしょーがねーじゃねーか」
「お前のそのお気楽さ、僕も少しは見習うべきかもしれないな」
 さてはコイツ……またバカにしてるな。
「まだ一番重要な事を聞いてない。お前と水鏡魎の戦いについてだ。アイツの目的はお前。ソレは間違いない。だが本人が直接出て来たって事は何かしらの意味があるはずなんだ」
「アイツの目的は俺の肉。で、直接喰いに来た。ソレだけだろ」
「もし本気でそう考えているのなら、水鏡魎はお前の肉を欲したりはしないさ」
「どういう意味だよ」
「馬鹿の肉は不味い」
「だからゴチャゴチャ考えててもしょーがねーっつってんだよ! 俺は!」
「例えば、だ――」
 玖音は耳元で切り揃えた黒髪を軽く梳きながら『獄閻』を目を向けた。『獄閻』は焦点の定まっていない虚ろな視線で、明後日の方向を投げやりに見つめている。
 ……ひょっとして、暇で眠いのだろうか。
「何故アイツが『閻縛封呪環』を掛けられたのかだ」
「だから俺が居るトコを知りてーんだろー? テメーが言ったんじゃねーかよ」
「それならどうして九重麻緒に使ったように分かりにくい術にしない。コッチには同じ術を使える僕が居るんだ。アレでは見つけてくれと言っているようなモノ。きっと何か別の意味があるはずなんだ」
「だから『金剛盾』を封じたかったんだろー? 敵からしてみりゃ鬱陶しいだけだからよー」
「『獄閻』が『閻縛封呪環』を掛けられた時の事を出来るだけ詳しく説明してくれ」
「あぁーん……?」
 またも一方的に続けられた玖音の言葉に、冬摩は殺気を込めた面倒臭そうな声を上げ、
「ボクは見てないよー。アッって思ったらグチャグチャのボロンボロンだったからねー」
 顔を向けようとした方から先に声が掛かった。
 麻緒の野郎まで先読みしやがって……気にいらねぇ……。
「おい玖音、約束しろ。コレで最後だ。コレでテメーが何か思いつこーが、相変わらずの役立たずだろーが俺は行く。ジッとしてるのもそろそろ限界なんでな」
 大きく舌打ちし、冬摩は玖音を上から睨み付けながら言った。
「分かってるさ。そろそろ言う頃だと思ってた」
 予想の範疇といった様子で、玖音は浅く頷きながら返す。
 ああクソ……やっぱ気にいらねぇ……。
 ブツブツと零しながらも、冬摩は魎と戦った時の事をかいつまんで説明した。
 いきなり現れて訳の分からない結界に閉じ込められた事。『無幻』や『紅蓮』を具現化させたり、『分身』や『幻影』を使ってコソコソ逃げ回っていた事。それでも最後は拳撃を食らわせた事。しかし龍閃の波動に気を取られている隙に逃げられてしまった事。
 そして、魎の『分身』を殺した事。
「結界術に関してはまだまだ僕の知らない怨行術が沢山ありそうだな。時間と空間を切り離す、か……。九重麻緒、君の時の同じか」
 全てを聞き終え、玖音は麻緒に目だけを向けて聞く。
「んー、だと思う。まーしょーじきどーでも良かったら、あんまよく覚えてないんだけど」
「そうか……。だがこの手の不安定な結界をずっと維持するわけには……まさか九重麻緒の時はやむなく……? いや、そんなはず無いか。あの水鏡魎がそんな単純なミスを……」
 適当に返した麻緒に、玖音はまた一人で考え込み始めた。そして俯き、「なぜ『分身』に……」「やはり龍閃の死肉には……」と断片的な言葉を重ねた後、顔を上げてコチラを見る。
「で、荒神冬摩。お前がその時に具現化させた使役神は最初に『白虎』、次に『獄閻』、最後に『餓鬼王』で間違いないな?」
「だったら何なんだよ」
「水鏡魎が『閻縛封呪環』を施したのは、きっとお前が『分身』に気を取られていた最中だろう。だからその後で具現化させた『餓鬼王』には術を掛けられなかった。ソレは良い。だが、どうして『白虎』には掛けなかったんだ? 何故『獄閻』だけなんだ?」
「ンなモン知る訳ねーだろ。どーせ時間が無かったとかそんなんだろーよ」
「かもな。だがもしかしたら、水鏡魎は『閻縛封呪環』を一体にしか施せないのかも知れないな」
 玖音は意味ありげな口調で言い、眠そうに黒い瞼を下ろす『獄閻』を見た。
「あまり言いたくはないが僕がそうだ。あの術は使役神の力を封じたり、保持者の場所を知覚出来たりと色々便利なんだが、その分維持するにはかなり神経を擦り減らす。とても二つ同時には扱えない」
「なら聞くなよ! ケンカ売ってんのかテメーは!」
「だがソレは僕の場合だ。水鏡魎は違うかも知れない。彼は真性魔人だし、怨行術の超熟練者だ。それに守りしか脳のない『獄閻』が、真っ正面からの戦いなどまずしない彼にとって驚異になるとは考えにくいし、かといってその場の思い付きで適当に術を掛けたとはもっと考えにくい。だからもかしたら、“一体にしか施せないフリをしている”のかもな。あえて『白虎』を見逃した理由はソコにあるのかも知れないな」
「あぁ……?」
「要するに、だ。本当はもっと別の使役神が目的なのに、ソイツから注意を逸らすため、わざと一見無意味な事をしたのかも知れないという事だ」
 本筋から注意を逸らすために意味の無い事を……。
 魎が人を騙す時の常套手段だ。
 なら、本当に封じたかった使役神は……。
「多分、水鏡魎は『閻縛封呪環』を同時にいくつも扱える。だが今回の事であたかも一つしか扱えないように見せた。そうしておいて油断させ、他の使役神は大丈夫だという幻想を抱かせる。しかし真の狙いは――」
「『死神』か」
「僕はそう思う」
 『死神』を体に宿している時にのみ行使できる圧倒的な回復術、『復元』。
 腕を切り落とされようが、内臓を抉り出されようが、一瞬にして元通りに出来る。勿論、『復元』を使うには膨大な生命力の供給が必要になり、百年単位で寿命が削られていく。しかし何千年も平気で生きられる魔人にとっては誤差でしかない。
 つまり一撃で頭部を吹き飛ばしでもしない限り、まずはコレを封じないと自分を倒す事は出来ない。かつては玖音も、この『復元』を使わせないようにするため、『死神』に『閻縛封呪環』を施してきた。
 だから魎も――
「まぁソレだと、どうして『死神』の居る所に陣迂を向かわせたのかが分からないが……またお得意の攪乱戦法の一環なのかもな」
 玖音は苦笑しながら小さく鼻を鳴らす。
 魎の狙いが『死神』。
 十分あり得る事だ。魎が玖音や麻緒、そして久里子に手を出したのも、自分の周りの力を無力化するためだとすれば。そして今度は自分の中の力を無力化しようと考えているのであれば……。
「『死神』」
 冬摩は短く言ってパイプベッドから立ち上がり、相変わらず『羅刹』を抱いたまま浮遊している『死神』に目を向けた。
「な、なんじゃ」
「そういう訳だ」
 そして『死神』の返答も待たずにもパチン、と指を鳴らす。
「と――!」
 吃音のような声を残し、『死神』は白い粒子となって姿を消した。支えを失った『羅刹』は音もなく床に着地し、そのまま三角座りをして彫刻のように固まる。
 コレでいい。自分の体の中に居る限り、『閻縛封呪環』は掛けられない。魎の思惑通りには行かない。コレで少しは先手を打つ事が出来た。
 ――そして、極めて自然な形でお邪魔ムシが一匹消えた。
(一石二鳥!)
 真面目な表情のまま、冬摩は胸中で快哉を上げる。
 これでもうしばらく『死神』は外に出て来られない。魎との揉め事が解決するまでは出さなくていい。そうするだけの大義名分がある! 朋華に文句を言われないだけの立派な理由がある!
(素晴らしい……)
 何だかコレだけで朋華との距離が大きく縮まったような気さえした。
『コラ冬摩! そのような不届きな考えで妾を閉じ込めて良いと思っておるのか!』
「で、どうする。他に何か魎の野郎を出し抜ける方法はないのか。主に使役神がらみで」
 いつになく冷静な声で言い、冬摩はまたパイプベッドの上にどっしりと腰を据えて玖音を見た。
『冬摩お主! 次に妾が出た時どうなるか分かっておるのじゃろうな!』
「『羅刹』も戻した方が良い。『死神』だけだとあまりに不自然だからな」
「よぉしきたぁ!」
 冬摩は歓喜の大声を上げ、『羅刹』も黒い粒子にして体に戻す。
「あと『獄閻』に関しては常に具現化を解く努力をしてくれ。水鏡魎は恐らく、お前が今まで外に出していた使役神を全員戻すつもりなのかと考えるはず。だから『閻縛封呪環』もある程度までは弱めてみるはずなんだ。『獄閻』を体に戻せるくらいまでにはな。ソレでやはりお前が戻せば、二撃目を警戒しているのかと少なからず納得もするだろう。狙いが『死神』だとコチラが気付いている事に気付かれにくくなるかも知れない。だから今後も、安易な具現化避けてくれ。とはいえ、女性陣を守る分には存分に振るって欲しいがな。その辺の加減は任せる」
「おぅよ!」
 冬摩は握り拳を腰溜めに作り、威勢良く言い放った。
 何だかよく分からないが、無駄なお邪魔ムシを出さなければ良いんだな。おやすい御用どころか、頭を下げてでもお願いしたいくらいの事だ。
「よし。で、次は」
 何だか玖音がとてつもなく良い奴に見えてきた。
「……気持ち悪いな、お前が僕に指示を仰ぐなんて。まぁいい。お前と九重麻緒には行って欲しい場所がある。ソレは後で言うとして、だ。最後に一つだけ確認しておきたい」
 玖音は気を引き締めるように眼光を鋭くして、
「お前が水鏡魎に一撃を食らわせたのは……“左拳”、なんだな?」
 訝しむような口調で聞いてきた。
「あぁ。確か、な」
 言われて冬摩は天井を見上げ、魎と戦っていた時の事を思い出しながら返す。
 右……? いや違う。左だ。間違いない。ちょこまかと避け回る魎をようやく捕らえた拳だ。まだ僅かに感触が残っている。左で間違いないはずだ。
「そうか……」
「何だよ」
「いや、別に」
「あぁん?」
 含みを持たせた言い方をして目を逸らす玖音に、冬摩は低く呻いた。
 いつもなら凄みを利かせた声で、もっと突っ込んでいる所だが今は機嫌が良い。特別に聞かなかった事にしておいてやろう。
「じゃあそろそろ動こう。九重麻緒、君は今や指名手配中の身だ。下手を踏めば警察が動く。人気のある場所で無茶な事はするなよ」
「はーいはぃっ、と」
「仁科朋華、あの病院の受け付けで書いたのは勿論偽名だが顔は見られている。君の方も十分注意してくれ」
「……分かりました」
「美柚梨、お前は荒神冬摩の召鬼となった訳だが……間違ってもその力を使ってみようなんて馬鹿な事を考えるんじゃないぞ」
「お兄様のご命令とあらば〜」
「頼むよ、ホントに……」
 歌うような裏声で言った美柚梨に、玖音は今にも泣き出しそうな表情で返した。
 大切な妹の前では自慢の能面も台無しだな。
「それで二人に行って貰う場所だが……」
「あたしにはー?」
 玖音の言葉を幼い声が遮った。
 見ると、麻緒の隣のスペースを完全に我が物とした夏那美が、不満そうな視線を向けている。
「あたしには何か一言無いのー?」
 どうやら仲間はずれにされたようで気に入らないらしい。
「あー、まぁ……親は大切にしろよ」
「何よソレー!」
 ムキー! と歯を剥いて叫ぶ夏那美を無視して、玖音は溜息混じりに口を開いた。

◆予想外の結末 ―真田玖音―◆
 水鏡魎が生きていたのは、二百年前の龍閃との戦いで『本体』をあらかじめ逃がしておいたからだ。あの時死んだのは全員『分身』。だから龍閃は魎の保持していた使役神を持っていなかった。
 しかし自分の力を分けた『分身』をあれだけ派手に殺されれば、『本体』の力は激減する。
 だから水鏡魎は二百年もの間、ずっと身を隠し続けていた。冬摩に対抗しうる力を蓄えるために。誰にも知られる事無く。
 コチラの動向をずっと見守りながら、魎は陣迂という手駒と作り上げ、玲寺を引き込み、そして草壁の三分家から使役神を奪い取る絶好の機会を待った。
 ソレがどうして今この時なのかまでは分からない。
 だが、当然何かしらのキッカケがあったのだろう。何かが完成したのか、もう力が十分だと判断したのか、それとも――冬摩について探っていた事が分かったのか。
(何だ、ソレは……)
 東北へと伸びている山脈の尾根を『朱雀』の『瞬足』で駆けながら、玖音はより深く思索を巡らせた。
 水鏡魎の行動に関してはまだまだ分からない事が山のようにある。
 今自分が聞きに行こうとしている龍閃の死肉についてもそうだが、他にも大きな疑問が二つ。
 一つは何故、『死神』を大地から継承しなかったのか。
 二百年前、『死神』の保持者であった神楽が、人間の身でありながら『復元』を使った事により、『死神』は誰にも受け継がれる事なく大地へと束縛された。その後、神楽家以外に適格者が現れるまで、『死神』は放置されていた。
 満足に身動きの取れなかった龍閃は、『死神』を受け継ごうとしても出来なかった。だからわざわざ召鬼を生み出して、ソイツに奪わせようとした。 
 冬摩に関してはハッキリした事は分からないが、恐らく神楽という面影から、そして未琴という最愛の女性の気配から少しでも離れたかったんだろう。余計な事を頭から振り払って復讐だけに専念したかった。そして埋葬という意味合いも込めて、『死神』をそのままにして置いた。少なくとも自分は継承したくないと考えていた可能性が高い。
 だが魎は……。
(保持者、使役神、力……)
 そう、力だ。
 水鏡魎は力を欲していたはず。そのためにこうして保持者達を襲い、使役神を集めようとしているのではないのか?
 なのに何故、無条件で手に入る『死神』を放置した。水鏡魎の目的は使役神から力を得る事ではないのか? 自分が生きている事がバレてしまうから? もしそうだとしてもずっと放っておく事はない。単純な損得勘定で考えるのなら、少なくとも仁科朋華に継承される前には手に入れなければならなかったはずなんだ。なぜなら誰かを殺して奪い取るという行為の方が、自分の存在を示す証拠を残しやすいのだから。さらに今、冬摩が『死神』を保持しているがために、苦労している事を考えると尚更。
 他に何か意味がある? 『死神』は冬摩が保持している事で何らかの変質を遂げるとか? それとも、『死神』自体に何か問題が……?
 分からない。仮説の域を出ない。
 そして二つ目の疑問は、そもそもあの激しい戦いの中で何故、魎は『本体』を逃がす事が出来たのかだ。
 冬摩が龍閃に勝つ事ができた理由はまだ誰にも分かっていない。記憶として残ってるのは結果だけだ。あの時は誰も退魔師側の勝利など予測していなかったし、それどころか圧倒的に龍閃が押していた。
 もし大方の予想通り龍閃が勝利を収めていたら、力の奪われた『本体』だけを残したところで何の意味も無い。すぐに龍閃に狩り殺され、使役神を奪われるのは目に見えている。
 だが、水鏡魎はある程度予想していた。
 冬摩が勝つのだと。
 だから『本体』を逃がす事に価値を見出した。そして力を蓄え、再び冬摩の前に現れた。
 完全なる敵として。
(『無幻』、『虹孔雀』、『紅蓮』……)
 あの時、水鏡魎が保持していた使役神はこの三体。
 その中にそんな能力を持った使役神など……。
(いや――)
 待て。
 可能性としてだが、あの力をより強く引き出していれば……。
「――ッ!」
 突然、眼前に痛烈な殺気を感じ、玖音は近くの木を蹴りつけて真横に飛んだ。直後、先程まで自分の頭があった位置を、光に包まれた何かが通り抜けていく。
「さすがに速えぇ。こんな攻撃じゃ掠りもしねーか」
 そして深い藪の奥から、良く知った低い声が聞こえてきた。まるで獰猛な攻撃性をそのまま体現したかのような。
「あー、どうだ? 私の言った通りになったろ? 少しはお父さんを尊敬したかな?」
 ソレとは対極に位置する、怠そうでやる気のない声。
 コチラは初めて聞く声だ。しかし知っている。記憶の中に置き去りにされてしまったような声だが、全く色褪せぬまま耳の奥で再現される。
(まさか……)
 腰を落とし、夜叉鴉を居合いに構えながら玖音は細く息を吐いた。
「あー、相変わらず冷静だな玖音。コチラとしてはもう少し驚いてくれた方が張り合いがあるんだが」
 腰まである長い黒髪を掻き上げながら、ダークコートを羽織った胡乱な雰囲気を持つ男――水鏡魎は軽い口調で話し掛けてきた。
「敵を喜ばせるような事をする趣味は無い」
「いいねぇ、玖音。今、お前の頭の中ではこの危機をどうやって切り抜けるか、どう行動するか最善なのか、何通りもの可能性を模索している真っ最中なんだろうなぁ。さすがは儀紅の遺志を受け継いで『月詠』を保持しただけの事はある。どうだ? 私が創った使役神は。仲良くしてるか? ソイツとは心が通じ合うほど『精神干渉』の力が増す。日々のコミュニケーションは大事だぞ?」
 面白そうに、そして嬉しそうに目を細め、魎は腕組みしながら斜に構える。その後ろから、地肌に直接シャツを纏った厳つい体つきの男が、胸元に下げた狼のシルバーアクセサリーをいじりながら前に出てきた。
 陣迂……。荒神冬摩そっくりな外見をした男。
「あー、安心しろ。私は戦わない。まぁこんな山の中じゃ結界を張る必要もないだろうから、今回は挨拶だけだ。またいつかゆっくりと、酒でも飲みながら昔話をしたいところだな」
 言いながら魎は陣迂に場所を譲り、自分は一歩後ろに下がる。例の本拠地に帰るつもりなんだろう。
 ――だが、ソレでは困るんだ。
 まだもう少し時間稼ぎをしなければ。
「九重麻緒と荒神冬摩に付けられた印から、真田玖音は三人ともバラバラに行動した方が得策だと考える。自分の召鬼となった芹沢美柚梨もきっと何とかするだろうから、真田玖音の行動を制限する事は出来ない。更に九重麻緒の性格と、芹沢美柚梨の居場所が自分に筒抜けである事を考えると、東宮夏那美と芹沢美柚梨は冬摩が面倒を見る事になるだろう。なら、真田玖音と九重麻緒は単独で行動する事になる。計画を軌道修正するチャンスだ。お前はそう読んだ。そしてその通りに行動した僕の後を付けて、こうして戦いを挑んで来た。違うか?」
 相手を馬鹿にしたような挑発的な声で言い、玖音は含みを持たせた笑みを浮かべた。
「でも驚いた。まさか二人も釣れてくれるとは思わなかったからな。てっきり、その陣迂って奴か篠岡玲寺が来て、お前は都内にある建設中止になった放置ビルでふんぞり返ってるのかと思ってたよ」
 わざと説明的な口調で言葉を並べた玖音に、魎の顔から薄ら笑いが消える。そして再び陣迂の前に歩み出て、不気味ささえ感じる異質な笑みを顔に張り付かせた。
「あー、なかなか興味深い長台詞だったな。普段、無感動で朴念仁の私が珍しく心を動かされたよ」
 サングラスを外し、魎はその奥にある深い色の双眸でコチラを見つめた。
 体温が一気に下がったような錯覚。まるで、コチラの内面を否応なく露呈させられそうな――
「あー、つまり何だ。お前は私がそう読む事を読んでさらに先手を打った訳だ、玖音」
「だったら?」
 全身が緊張していくのが分かる。夜叉鴉を握った手の平に、冷たい汗が滲み出てきた。
「そうか……」
 魎は短く言って、まるで落ち込んだように頭を深く下げ、
「アッハハハハハハハハハハハ!」
 壊れたように高笑いを上げ始めた。
 目を大きく見開き、大口を晒して、魎は腹を抱えながら笑い転げる。泥酔者のように足元をフラつかせ、周りの木々に不安定な体をぶつけながら、そのたびに増していく声量で辺りに怪笑を撒き散らせた。
 鼓膜を不快に揺さぶり、枝葉を蠢動させ、近くに住み着いた動物達を恐怖に駆り立てて、危険な響きを孕んだ魎の嗤い声は静かな山の中に轟いた。
「――ック! クヒヒッ! ヒハハハハッ! あはは、アハハハハ……」
 どのくらい続いただろう。
 辺りから生命の気配が何一つとして感じられなくなった時、魎の異常者じみた嗤いはようやく収束し始めた。隣りに立っている陣迂は気持ち悪そうに顔を歪めながら、未だ膝の落ち着かない魎の姿を見つめている。
「あはっ、アハハハっ。や、やー、笑った……本当によく笑った……。もぅ、千年分くらいの笑いを一度に使い切ったんじゃないかぁ……?」
 近くの木に体を預け、魎は満足げな顔をコチラに向けて言った。
「儀紅とは結局、敵同士にはなれずじまいだったからなぁ……。だから居るとすればお前くらいだろうと思っていたよ。この私を嵌めてくれるのは」
「……嵌められたフリをしているのかもな」 
「そうかもなぁ。その辺りが、こういう駆け引きの面白いところだよなぁ」
 大きく息を吸い込みながら言って魎はキザっぽく髪を掻き上げる。
「陣迂、気が変わった。玖音とは私がやる。お前はビルに戻れ。きっと今頃、冬摩達がその辺りをうろついてるはずだ。嶋比良久里子と穂坂御代を連れ戻すためにな」
「じゃあ……」
「ああー、私は今大変気分が良いー。野鳥のさえずりに合わせてダンスでも踊りたい気分だ。居なくなってしまったがな。ハハッ。兄貴と戦ってこい、陣迂。まぁ確実に負けると思うがな」
「へっ、ヌカせ」
 好戦的な笑みを浮かべて陣迂は返すと、地面を蹴って大きく跳躍した。更に太い木の枝を蹴り、何もない空間を蹴ってあっと言う間に見えなくなってしまう。
「あー、玖音。見ての通りだ。邪魔者は居なくなった。コレでゆっくり話せる」
「随分と的確な指示だな。嵌められたという言葉にますます信憑性が無くなってきた」
 魎を油断無く見据え、玖音は少しだけ茶化したような口調で言う。
 冬摩に嶋比良久里子を探させている事まで読まれてしまっている。そのための時間稼ぎをしようとしていた事さえも。
 自分の作戦を逆手に取られて読み返された瞬間に、ソコまで判断したというのか。
「なぁに、今改めて冬摩とお前の妹の居場所を確認しただけだ。ついさっきまで全然違う場所に居たのになぁ。コレもお前の指示か。大したモノだ」
 いくら魔人と召鬼が繋がっているからといって、ソコまで正確な位置が分かる訳じゃない。せいぜい方角とおおよその距離感くらいのものだ。『閻縛封呪環』とて同じ事。
 だから都内からこんなに離れた場所で、冬摩達がビルに向かっているという事など普通は分からない。だが――
(『超知覚』、か……)
 『虹孔雀』の能力を用いれば。地味だと思っていたが、想像よりずっと厄介な能力だ。
 恐らく、二百年前もソレで……。
「冬摩が昂奮気味なのも頷ける。あの気の強い女が余程大事なんだろうなぁ」
 魎の言葉に玖音は眉を顰めた。
 冬摩が昂奮気味、だと? 何故そんな事まで分かる。コレも『超知覚』のせいか? いや、そんなはずはない。感情まで読むには力の作用点を介さなければならない。だとすればハッタリか? 適当な事を言ってコチラの精神に揺さぶりを掛けている?
「穂坂御代……今確か、そう言ったな」
 玖音は胸中で舌打ちし、思考を切り替えた。 
「言ったなぁ」
「何故彼女に手を出した。関係無いはずだ」
「関係の有る無いはコチラが決める事だ。使えそうな物は何でも利用する。まぁ、連れてきたのは私ではなく玲寺だがな」
「篠岡玲寺が……?」
「さすがのお前でも読み切れてない部分はあるんだなぁ。少し残念だが安心するよ」
 普段の軽い物ではなく、底冷えするような薄ら笑いを浮かべて言う魎に、玖音は更に思考を切り替える。そして病室内で陣迂にしたように、急激に集中力を高めていった。
 このままでは知らない間に向こうのペースに嵌っているかも知れない。
 そうなる前に、斬る――
「あー、それよりそろそろ聞かせてくれないか。お前がどうしてそんなに上手く、私の裏をかけたのかを。人質が居る場所をソコまで正確に特定できたのかを」
「答える義務は無い」
「あー、やれやれ。恐い顔になったな。私としてはお前のと会話をもう少し楽しみたいんだが」
「付き合う義理も無い」
 頭の中で鮮明に描き上げられていく魎の輪郭、息遣い、鼓動、筋肉の収縮、そして血流。
「なら情報交換と行くか。多分、お前がこれから行く先で聞き出したがっている内容だ」
 玖音は居合いの構えから、右の摺り足で体を僅かに沈め、
「お前の予想通り、龍閃の死肉は私が阿樹に渡した物だ」
 ――ッ!
「そして私はかつて阿樹と交わった。女児を生ませてやるためにな」
「な……!?」
 完全に、心と体が切り離された。
 そして――
「つまり、お前は私の孫という訳だよ。真田玖音」
「がっ……ぁ」
 魎のダークコートから伸びた黒鎖が、玖音の腹を貫いた。





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