魔術書は喚ぶ、みんなの魔王をででーんと

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  Level.2 『ソレを早く言え!』  

『朝、目を開けるとそこには――』
 ○綺麗なお花畑が。
 ○美味しそうな料理が。

⇒○愛想笑いを浮かべたガイコツの団体さんが。

「骨格無視すんなドアホオオオオオォォォォォォォ!」
 蹴り上げたガイコツの頭部が天井でバウンドし、部屋の隅の方でスクラムを組んでいる他のガイコツ達の中へと消えていく。
「おはようメルム。昨日はよく眠れたか?」
 ソレを片手で受け止め、平然と姿を現したのは逆立った黒髪と逆三角形の目を持った男。
「おぃ! 何だコレは! 何がどうなってるか説明しろ!」
「よし良いだろう」
 私の叫び声に、レヴァーナはガイコツ達から見送られるようにして一歩前に出て、
「こちらがアシス、そっちがエルク。二人は双子で非常によく似ているが、尾てい骨の形が微妙に――」
「何の説明をしとるかああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
 その顎に膝が突き刺さった。
 甘かった……。
 我ながら呆れるほどの甘さだった……。
 余りにも希望的な観測だった……。
 明日になれば事が良い方向に進むなんて夢物語、在庫処分セールの桃缶の残り汁ほどの価値もない。
 やはり待つべきではなかったのだ。少しくらい無理をしてでも昨日のうちに片付けてしまうべきだった。なのに……。
「レヴァーナ! さっさと人を集めろ! エントランス・ホールに集合だ! 私が直接指示する!」
 とにかく、こうなってしまった以上しょうがない。今ココですべきは後悔などではない。
 もっと前向きで、確実な方法。
 一刻も早くあの魔術書を見つけ出し、コイツらを根本から何とかする。ソレしかない。
 ゾンビ、ゴースト、そしてガイコツ。放っておけばこの先、どんな不死者が出てくるか分からない。コイツらは時間が経てば経つほど増えやがる。特に昨日から今日に掛けての増加ぶりは異常だ。この部屋だけでこの数だと、外にはどれだけ待機しているか分からない。
「ほら行くぞレヴァーナ! いつまでも脳震盪ごときで目を回しているな!」
 レヴァーナに肩車させる形で彼に乗っかり、私は固い髪を手綱代わりに掴み上げる。
「ふ……良い蹴りだった。また一つ脚を上げたな」
 感心したように漏らし、レヴァーナは両腕を大きく振って走り出した。
 ……その後ろから冷やかしの声を上げながらガイコツ共が付いて来ているのには、取り合えず目を瞑っておいてやる。
 廊下に敷かれている複雑な模様の描かれた絨毯の上を駆け抜け、吹き抜けになっているエントランス・ホールの三階部分から一気に――
 ――ってオイ!
「白スーツ隊! メイド隊! ゾンビ隊! ゴースト隊! そして本日新たに加わったガイコツ隊! 全部隊集合だ!」
 真下から吹き付けてくる大量の空気と、内臓が浮かび上がる歪な感覚に、目元から何かが零れ出して――
「せいれーつ! 合い言葉!」
『若!』
『姉御!』
『いつまでも!』
『お幸せに!』
『でもたまには成仏もねっ』
「素晴らしいアドリブだ! ワンランクアップ!」

『おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!』

「くだらんことで盛り上がるなあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」 
 館内の景色の上昇が止まり、あの嫌な浮遊感が消えると同時に、アタシの口は勝手に叫び出していた。
 心臓が割れんばかりの悲鳴を上げている。手足の感覚がまるでない。目の前がグラグラと揺れる。そして頬には生温かい筋……。
 こ、コイツはー……まだ起き抜けの体にとんでもないことを……。
「どんな時でもツッコミの精神は忘れずに、か。大した物だ。憂子と互角か、あるいは――」
 横手から聞こえた声に反応し、その主の姿がすぐ目に入った。私が首を動かしたのではない。私を肩車しているレヴァーナがソチラを向いたんだ。
「おお、シングウジ。昨日は満足な持て成しもできずにすまなかったな」
 現れたのは昨日の変態一号。セレモニー・ルームを避けるようにして湾曲している階段の手すりにもたれ掛かり、皮肉っぽい笑みを浮かべて斜に構えていた。
「別にいい。今の寸劇で十分楽しめた」
 そしてどうやら、あのおかしな絵がプリントされたシャツは日替わりのようだ……。
 今日は巨大なパンを口一杯に頬張ったタンクトップ姿の少女か……理解できんな。
「それに、欲しい物も手に入ったしな」
 なん……だと……。
 どこか挑発的に言ったシングウジの言葉に、ぼやけていた私の意識が急速に輪郭を取り戻し始める。
「おお! ソレは良かった! 我々もこれから探そうと思っていたところだ! 手間が省けたな! メルム!」
「……ハッタリだ」
 私をトロフィーのように両手で掲げて叫ぶレヴァーナに低く言い、真っ正面からシングウジを睨み付けた。
 あの魔術書を見つけただと? この広い館をたった一人で、たった半日で?
 嘘だ。絶対に嘘だ。ハッタリだ。
 大体、目的があの本を見つけることで、すでにソレを達成したのであれば、いつまでもこんな場所にいる必要はない。さっさと出ていくはずだ。だがそうせずに留まっている。
 つまり、アイツがこの館にいることが、まだ見つけていない何よりの証拠。
 動揺を誘っているのか? それとも何か反応を見たい?
 まぁ何にせよ、よからぬことを考えているのは間違いない。やはりコイツにアレを渡すのだけは阻止しなければならない。
「ふん……」
 シングウジは小さく鼻を鳴らしてクセの強い紅髪を掻き上げ、私から目線を外して僅かに俯いた。
「レヴァーナ、とか言ったな。お前に一つ聞きたいことがある」
 そして不遜な態度で腕組みし、殺気にも似た強烈な意思を込めた視線を向けてくる。
「おぅ」
「レヴァーナ、答えるな」
「おぅ」
「ソイツはデレたか?」
「おぅ!」
「答えるな!」
 目を輝かせるな! 抱き寄せるな! 頬ずりするな!
 とゆーかお前! あの時まだ起きてやがったのか!
「そうか。ならばあの本について少し教えてやろう」
 お前も満足そうに頷くな!
「そもそもあの本はこの世界の物じゃない。別の次元から偶然流れ着いた物だ。つまり、本来お前らが手にすべき物ではないということだ」
 ……コイツ、どこまで私を馬鹿にすれば気が済むんだ。
「それから表紙の裏に書かれていた言葉。どこまで解読できたか知らんが完全な内容はこうだ。『其は在りし日の記憶。汝に課せられた使命。違えることの叶わぬ契約。其を破り、己が堕欲に流された時、大いなる絶望が降りかかるだろう。絶望とは則ち、汝の心の海に棲みし最愛。彼の者が振るう無情の刃。決して忘れることなかれ』」
 まるで、吟遊詩人が歌でも奏でるかのように朗々と、流麗で滑らかな言葉の運び。この場に居合わせた全員が思わず聞き入ってしまう程の……。
「意味が分からん! 詳しい説明を要求する!」
 ……たった一人を除いて。
「ま、せいぜい考えるんだな」
 話はもう終わりだとばかりにシングウジは片手を軽く上げ、背中を向ける。そして皆が見守る中、客間へと続く一階西側廊下の方に姿を消した。
 クソ……最悪だ。ハッタリだと思っていたのに、まさか本当に……。
 ……いや、待て。アイツがさっき言った内容が正しいと思い込むのはあまりに安直だ。
 確かに、さっきの言葉の中に私が自分で解読した古代文字の一文も含まれていた。しかしその文章自体はレヴァーナも勿論知っている。そしてレヴァーナが他の誰かに言い漏らした可能性もある。
 シングウジが館の誰かからソレを聞きだし、前後に適当な言葉を繋げたとすれば……。
 考えられる。十分に考えられる。
 いや! そうに違いない! だからやっぱりハッタリなんだ!
 そうだ! 絶対にそうだ! 決まりだ! 今決めた! 私が決めた!
 だが、そんなことをする必要がどこにある。アイツの本当の目的は何なんだ。魔術書を手に入れることではないとすれば……手に入れてからが始まりだとすれば……今日、不死者が異常発生したのがアイツが本を見つけたせいだとすれば……。
 …………。
 ええぃクソ! 考えていてもしょうがない!
 今はとにかく行動あるのみ! 自分を信じるんだ!
「よし! 全員注目! コレから大規模家宅捜索を開始する!」
 広大な床面積と、目眩がするほどに高い天井を誇るエントランス・ホール。その圧倒的な空間に私の大声が響き渡る。
「いいか!」
 そして私を支え持つレヴァーナの両腕がぐぃっと上げられ、
「こうなりたくなかったら死ぬ気で探すんだ!」
 床に這いつくばったレヴァーナの背中を講演台代わりに私は続けた。
「今! この館には危険な本が眠っている! 可及的速やかにその本を探し出し! 見つけ次第私に報告するのだ!」
『ッサー! 姉御!』
 セレモニー・ルームへと続くレッドカーペットの上で五列になって整列し、白スーツ隊、メイド隊、ゾンビ隊、ゴースト隊、ガイコツ隊の面々が気合いの入った声を返した。
「本の大きさは……あそこにある風景画とほぼ同等だ!」
「“アソコ”、か……エロいな」
『ッサー! 姉御!』
「本には所々に鋲が打たれている!」
「つまり“突起”、か……エロいな」
『ッサー! 姉御!』
「そして特徴的なのは裏表紙にある何かで切りつけたような跡だ!」
「つまり“割れ目”、か……エロいな」
『ッサー! 姉御!』
「この捜索が完了するまで館からの出入りは一切禁止とする! いいな!」
「“出し入れ一切禁止”、か……つまり抜かずに――」
「さっきからやかまいいいいいいぃぃぃぃぃぃぃ!」
 手近にあったガイコツの頭を一つ鷲掴み、渾身の力を持って雑音の方に投げ付ける。
「何をそんなに怒っとるんだお前は。別に俺にまでツンデレの伏線を張る必要はないぞ」
「お前! あっちに行ったんじゃないのか!」
 レッドカーペットの両サイドに立ち並ぶ鷹の彫像の頭上に立ち、シングウジはガイコツの頭を小指の先で受け止めて悠然と構えていた。
「昨日の次は今日? 今日の次は明日? おいおい、いつまでそんな下らない因果律に縛られてるつもりだ?」
「ワケ分からんのじゃお前はああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
 プリーツスカートの裾をたくし上げ、両腿に取り付けたガンホルダーから二挺の拳銃を抜き放って私は迷うことなく乱射する。
「犯人はお前の近くにいる」
 声は耳のすぐそばで聞こえた。
「俺の目的がその犯人だと言ったら、お前は信じるか?」
 粉々に砕け散る鷹の彫像。宙に舞う灰色の粉を見つめたまま、私は一歩も動くことができなかった。
 何だこいつの動きは……。今、消えたようにしか……。
 コレがこいつのポテンシャル。例え封印体であっても、尋常ならざる速さで動き回れる。ヴァイグルやリヒエルよりも、さらに上を行くスピードで……。
「出入り禁止にしたのは正解だったな。俺もあまりチョロチョロされるのは望むところではない」
「貴様……!」
「ね、姉さん……」
 振り向きざま銃を構え直したその時、シングウジの更に向こうから良く知った声が聞こえた。
「ミリアム!」
 私と同じく、長い紫色の髪を持った幼い顔立ちの女性。体には薄紅色のワンピース。そこから伸びた華奢で白い腕には銀製のリングアクセサリー、そして足には黄色のパンプス。
 最近ようやく自分から館の外に出る気になってくれた、私の大切な妹。だが昼間はまだ殆どの時間を部屋の中で過ごしている。そんな彼女が出てきてくれたのは嬉しいが、今はあまりに間が悪い。この危険人物が野放し状態の今は……!
「危ない! 来るな!」
 ふらつく足取りでコチラに近付いてくるミリアムに、私は喉の奥から叫び上げる。
「姉さん……」
 だがミリアムは止まらない。まるで幽鬼の如くだらりと両腕を下げ、リングアクセサリーをカチカチと鳴らしながらゆっくりと、しかし確実に歩み寄ってくる。
「クソッ!」
 シングウジの横を通り過ぎ、私はミリアムに向かって全速力で走った。
 リヒエルもいない、ハウェッツもいない。こうなったらアタシが……!
「ミリアム!」
「姉さん……」
 ミリアムの両腕に白い輪郭を持った紅色の亜空文字が展開し、
「危ないわ!」
「姉さん……!」
 視界一杯にキャノン砲型ドールの砲口が映し出されて、
「――って、ちょ……!」
 反射的に屈めた私の体の上を、白色の熱線が通り過ぎて行った。
「あ、危ねぇ……」
 冷たい汗をぬぐい取りながら、私は光が抜け去った先に目を向ける。
 館の一部が溶けていた。
 高い位置から吊されたシャンデリアも、柔らかい光を採り入れていたステンドグラスも、情報共有用の巨大水晶モニターも……。
 今は上に逸れたから良いようなものの、アレがまともに放たれていたら……。
「み、ミリアム……ちゃん……?」
「姉さん! アタシダメ! もうダメ!」
 床に尻餅を付いたままミリアムを見上げた私に、彼女は髪を振り乱して喚き散らし、
「もう限界! もう我慢できない! コイツら全員……!」
 そしてミリアムはまた両腕に亜空文字を展開させる。リングアクセサリーがソレに包まれたかと思うと、今目の前にあるのと全く同じキャノン砲型ドールが更に五体現れた。
「消し飛ばす!」
 砲口の先には呆気にとられているゾンビ隊、ゴースト隊、ガイコツ隊。皆、一体何が起こっているのか理解できず、半笑いで互いに顔を見合わせて――
「よせミリアム!」
 白い閃光が目を灼いた。
 肌が灼熱に晒され、耳の奥で甲高い音がこだまする。続けてエントランス・ホール一杯に響き渡る声にならない声。光は視力を奪い取るだけでは飽きたらず、意識すら激しく責め立て、獰猛な波が精神を蹂躙して行った。
 やがてソレは収束し、そして虚しい静寂が訪れる。
 だが何も聞こえない、何も見えない、何も感じない。
 ただ、腹立たしいほどの無音が横たわっている。
 何という、ことだ……。まさか、こんな結末に……。何も力ずくで消し飛ばすことは……。方法は、他にもきっとあったはずなのに……。
「なぜそんなに落ち込んでいる?」
 小馬鹿にしたような声が頭上から届く。
「お前はコイツらを嫌ってたんじゃなかったのか? ああそうか。ツンデレだったな」
 ソレがシングウジのものだと分った瞬間、私の足は床を蹴っていた。
「黙れ! お前は消えろ! 私の前から! 今すぐに!」
 白くモヤがかった視界の中、私は声の主を力の限り締め上げる。
「お前が来たせいで! お前がいなければ! 全部お前が……!」
「やれやれ、言いがかりもいいところだな。やったのはお前の妹だろ?」
「うるさい! お前のせいだ! お前なんかのせいで……!」
「怒りのぶつけ所が欲しいのは分かるが、もう少し冷静に周りを見た方が良い」
 まるでシングウジの言葉に反応したかのように、私の視力が回復し始める。
 白かった世界が少しずつ色を帯びていき、徐々に明確な形を持ち始めた。
 いつの間にか熱の引いていたエントランス・ホール。そこにあったのは――
「え……」
 先程までと全く変わらない光景。いや、完全に元通りになった景色と言うべきか。
 溶けたシャンデリアは元の輝きを取り戻し、液体状になったはずのステンドグラスは透明感のあるガラス面をコチラに向けていた。水晶モニターからは下らないコント映像が流され、そしてレッドカーペットの上には、
「大した出力だ。おかげでなかなか良質の朝食がとれた」
 きょとん、とした表情のゾンビやゴースト達。
 どうして……確かにミリアムの放った……ミリアムのドール――
「――ミリアム!」
 頭の中で繰り返された名前を叫び、私は彼女がいた場所に目を向ける。
 倒れていた。うつ伏せになって。力なく、グッタリと。
「ミリアム!」
「心配するな。眠ってるだけだ。また暴走されると面倒なんでな」
 シングウジの言葉を背中で聞きながら、私はミリアムを抱き起こした。そしてすぐ耳に入る安らかな寝息。
 確かに……眠っているだけだ。しかしどうやって。特殊な薬剤か何かか? それとも呪術的な?
 いや、そうじゃない。そういうレベルではない。今、目の前で起こっている現象は、そんな生易しいモノではない。
 コレはそう。例えるなら魔法だ。奇跡さえも引き起こし、この世の常識を根底から覆すほどの力を秘めた魔法。そういう別次元の物の介入だとしか考えられない。
「お前、何者……」
 振り向きながら言った先に、シングウジの姿はなかった。
「ま、今回のことは気にするな。俺の目的は犯人なんでね。こんなことでソイツに楽になって貰ったら困るからやっただけだ」
 そして横手からする声。
 見ると煙を出す小筒を口にくわえ、西側廊下の壁にもたれてシングウジは皮肉めいた笑みを浮かべていた。
 コイツ……いつの間に……。
「今すぐ出て行けと言っても聞かなさそうだな」
 言いながら私はミリアムを床に寝かせて立ち上がり、
「いや、お前がハイレグメイド服を着て頭からバケツの水を被り、さらにM字開脚で尻餅を付いて左目を瞑り、右斜め三十二度の角度で顔を上げつつ、左手は頭頂部と後頭部の中間、右手は軽く床に添え、完璧な絶対領域に仕立て上げた太ももをスカートの間からジャスト八.六センチ覗かせながら、『いったたたたぁ〜、もー、誰だよ〜、ボクをこんな目にあわせるスナイパーさんは〜……』と涙声で言ってくれんるなら考えてやらんこともないが」
「死んでも断る!」
「死んだら断れないだろーに」
「お前が死ね!」
「ワケが分からんぞ」
「ソレはお前だ!」
 ぜーはー、ぜーはーと荒く呼吸ながら、私は両目にあらん限りの力を込めてシングウジを睨み付けた。
「いいね、その表情。やはり人の不幸ほど俺の心を満たしてくれる物はない」
「この非常識最低野郎!」
「ありがとう。最高の褒め言葉だよ」
 心底満足そうに頷くと、シングウジは煙を残して後ろ向きに下がっていく。
 ――足を全く動かすことなく。
「あとついでに言っておいてやると、お前がさっき締め上げたせいでその電波は無呼吸状態に突入している」
 そしてシングウジは私の後ろの方を指さし、
「ああ! レヴァーナ! どうして!」
 最初シングウジの声が聞こえたはずの場所では、レヴァーナが赤目を向いて伸びていた。
 い、いかん……完全に落ちている。いくらコイツが変態じみた生命力の持ち主とは言え、すぐに蘇生処理を施さなければ……。
「ま、せいぜい頑張れ。十三の時に成長が止まってしまったダブルAの六十三」
「なんで知ってる!」
「魔王に不可能はない」
 そして声と姿は同時に消えた。
 クソ……本当に何なんだアイツは……。レヴァーナにしか話していない私の特大の秘密まで……。
 悪夢……まさに悪夢そのものだ。しかも覚めることはなく、ひたすら絶望を植え続ける。
 絶望、か……。
 あの魔術書に書かれていた通り、今私に降りかかっている絶望にアイツが含まれているとすれば、この状況を打破するには一刻も早く本を見つけ出すしかない。そして内容をより詳しく読み解く。表紙の裏に書かれていた古代文字を自分の手で。アイツの戯言など信じる価値などない。だから――
「あらあらー」
 前の方から聞こえた間延びした声に、私は思考を中断して顔を上げた。
「みなさんお揃いでー」
 栗色の髪をポニーテールに纏めた女、イロハカエデだった。
 今日はメイドの格好のようだ。ただし、スカートがあるはずの場所にはきついV字の水着を着用しているが。まさかコレがさっきあの非常識が言っていたハイレグメイド服……。
「じゃ、行きましょーか」
「ドコへだ」
 にこにこー、と悩みなどとは無縁そうな笑顔を向けて言ってきたイロハカエデに、私は低く返す。
「ハイキングー。たーくんが誘えってー」
「は?」
 何を唐突に。この状況でハイキングだぁ? 寝言は光の速さ超えてから言え。
「この辺りに良いところがあるんですかー? 私よく知らなくてー」
「だから何の話だ」
「だからハイキングの話ですー。行かないんですかー?」
「行くか」
 馬鹿馬鹿しい。ひょっとしてこの女に私の気を引かせている間に、自分はゆっくり本を探すつもりか? 下らん浅知恵を。だがソレはつまり、アイツがまだ魔術書を見つけられていないということ。そうか、やはりそうだったんだ。やはり全部ハッタリだったんだ。なら――
「えー? そーなんですかー? でもさっきたーくんがー、『お前が二つの丘をしっかり見せてやれば、絶望の意味がよく分かる』ってー」
「オラ起きろレヴァーナ! さっさと探すぞコラァ!」
 絶対に! 絶対にアイツより先に見つけてやる!

 一階はメイド隊とゾンビ隊、二階が白スーツ隊とゴースト隊。この二つの仕切りをリヒエルに任せ、私とレヴァーナとガイコツ隊で三階の捜索を開始した。
 やはり一番怪しいのはラミスの部屋だ。あるいはその近くの部屋。どちらにしろ三階に例の魔術書がある可能性が高い。
 レヴァーナが戻す場所を間違えたとしても、全く逆方向にある部屋に置いてくるとは思えないし、ましてや階まで違うということはさすがにないだろう。
 ……とはいえ、コイツの行動は常にコチラの予想の左斜め下を行くから油断はできないが。
「レヴァーナ、もう一度確認するが本当にこの部屋に戻したんだな?」
 私は上質の絨毯に頬を擦りつけてしゃがみ込み、机や本棚の下に入り込んでいないかを調べながら再確認した。
「うむ。ソレは間違いない。母の大切な遺品だからな」
 机の上の小物入れをかぱかぱと開けながら、レヴァーナは迷いのない声で返す。
「そうか……」
 まぁ、いくらコイツが変態の中の変態であっても、その辺りのことに関しては誠実に対応するだろう。ならばやはりこの近くにあるとしか……。
 だが探し始めてすでに三時間。もう昼も回ろうかというのに何の成果も上げられていない。他の階からもそれらしい物を見つけたという報告はない。ガイコツ共の骨と骨が当たる音が、ただ虚しく部屋に響くだけ。
 くそ……ココにはないのか……。ならば一体どこに。
 可能性として他に考えられるのは、レヴァーナが戻した後に誰かがまた持ち出したということ。誰かが……。誰だ……? 
 メイドが部屋の掃除をしている時に面白そうだから持ち出した? いやソレはない。あの本の中身は白紙。面白い面白くない以前の問題だ。
 では捨てられた? 鋲が打たれ、裏表紙に切り傷がある古い本をゴミだと勘違いして……。ありえない、話ではない……。この館の元当主の遺品を黙って捨てるような人間は、ココにはいないと信じたいが、ついうっかりということもありうる。あの本がラミスの所持品だったなどとは、私もレヴァーナに言われないと分からなかったし、もし床の上にぞんざいに転がされていたとしたら、誰かが変な物を持ち込んだと考えるのが普通だろう。
 しかし、だ。捨てたとしても、その人物はメイドではない。
 ドールマスターか、少なくともドールに関してある程度の知識と情報を持った人間だ。
 そう、あの本の……いや、あの本型ドールのプロテクトを解き、未知の力を発動させて今のこの状況を引き起こせるだけの力量を持った人間でなければならない。
 この館に常駐しているドールマスターは、かつての抗争時に比べて激減したとは言え、まだ十数人はいる。その中から一人に限定するのは難しい。
 だが、この部屋に気軽に入れるとなれば話は別だ。かなり限られてくる。
 ラミスと面識があり、そしてレヴァーナとも……。
 一番怪しいのはあのデブサンタだ。なんだかんだ言ってリヒエルはラミスの右腕だったし、当然レヴァーナとも面識がある。そして館のことは知り尽くしている。そう言えば最初にゾンビが現れた時もあまり動揺したそぶりを見せなかった。
 ……まぁ、ソレはこの館の住人全員に関して言えることだが。
 だがアイツは自分の体を真実体にすることはできても、他の封印体の力を引き出すことはできない。勿論、何らかの方法で亜空素材を扱うことはできるんだろうが……。
 二番目は、ルッシェか……。
 ただあの子の場合はココに住んでいるワケではない。ラミスが亡くなってジャイロダインとの契約が自然消滅したということもあるが、元々家族と一緒にいるのが好きな子だ。
 しかしソレでもちょくちょくは遊びに来る。大体週一、二回くらいのペースか。しかもかなり気楽に。この館全体が友達の家であるかのごとく。
 いや、まぁ、ソレで全然構わないのだが、あの子の場合たまに何をするか予想もできないことがあるからな……。
 この前など、私が自室で“いつも通り”ドール創りにいそしんでいたら、窓の外から覗きをしていたし……三階なのに……。館の外でガラの悪い声がするなと思って見たら、ルッシェが番犬五匹と大乱闘していたし。さらに私が誰もいない大浴場で朝風呂を楽しんでいたら、『先輩、昨日はお楽しみでしたね!』とかハウェッツをブン回しながら乱入してくるし……。
 …………。
 ……あのダブルフェイスめ。十分すぎる容疑者だな。
 次は、ハウェッツか。
 コレもリヒエルと同じく、封印体を直接真実体にすることはできないだろうが、何らかの方法で干渉することはできるだろう。ただ、リヒエルとの最大の違いはアイツが鳥であること。つまり何か物を持つといった器用な……器用な――
 アイツは異様に器用だからな。
 片方の翼で三本同時にペン回しができるし、『箸』という異国の食事道具を完璧に使いこなしている。しかも両利き。おまけにクチバシだけで編み物までしてしまう始末。そう言えばルッシェが今着ているポンチョは、ハウェッツが作ったとかどうとか……。
 …………。
 ……前々からずっと頭にはあったんだが、絶対にサーカスで一儲けできると思うんだ。
 それにハウェッツは鳥だから当然飛べる。三階の窓の鍵をピッキングするなど目を瞑っていてもできるだろう。
 よし、コイツも容疑者としては申し分ないな。
 最後は……あまり考えたくはないがミリアムか……。
 あの子は滅多に館から出ようとしないから、触れる機会が一番多いとすれば彼女だ。なによりあの子のドールマスターとしてのセンスは目を見張る物がある。今まではずっと逆裏世界の腹の中にいて、ドールを創れる環境になかったから本人すら気付いていなかったが、一言で言うなら天才だ。
 ソレはさっきのキャノン砲型ドールを一つ取ってみても分かる。
 あの時の出力は、私の波動砲型ドールの威力に匹敵する。ソレだけの力を持ったドールを、創作に携わり始めて僅か数ヶ月で生み出してしまった。しかも封印体は極めてコンパクト。私のドールのように意思を持って話し掛けてきたりはしないが、その代わりにスペースを全くとらない。なにより自然に身に付けられる形状になっているから、邪魔になったり動きを制約したりすることがない。
 今ではミリアムが身に付けている物、全てがドールだ。
 きっと、今の彼女はドールを創るのが楽しくて仕方ないんだろう。昔の私がそうだったように。
 だから彼女であればひょっとすると、あの魔術書のプロテクトをいとも簡単に解くことができるかもしれない。
 しかし彼女の性格からして、すすんで人の部屋に入ろうとするとは思えない。人見知りが激しく、いまだに館の人間の大半とは口を聞いたことがないのに……。だから、ミリアムは違う。きっと違うはずなんだ。
「メルム」
「おわぁ!」
 突然目の前に現れた紅眼のバカ男に、喉の奥から大声が飛び出す。
「痛いではないか」
「ビックリさせるな! 心臓が止まるかと思っただろ!」
「大丈夫、ちゃんと動いている」
「確認せんでいい!」
「キミのはすぐに分かるから楽だな」
「どういう意味じゃあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
 踵でレヴァーナの顔面を床に沈め、私は上からさらにぐりぐりと踏みしめた。
「実はな、一つ思い出したことがあるんだ」
 大の字になって突っ伏しながらも右の人差し指を立て、レヴァーナはくぐもった声で続ける。
「あの本、キミに返して貰った後で一度なくなってるんだ」
「なにぃ!?」
 レヴァーナの顎を蹴り上げて立たせ、私は彼の胸ぐらを掴み上げた。 
「いつだ! いつの話だ! どーしてソレを早く言わない!」
「本がまたいつの間にか戻って来ていたからな」
「いつ! ソレはいつ!? いつなくなっていつ戻って来たの!?」
「実を言うと今すぐにでも亡くなって二度と戻ってこられそうにないんだが」
 瞳から生の光が薄れていくレヴァーナにハッとなり、アタシは反射的に彼の拘束を解く。
「……で? いつなんだ?」
 そして口からはみ出たエクトプラズムを呑み込み直すレヴァーナを見つめ、私は極力平静を装って聞き直した。
「なくなったのは十日ほど前。きみに返して貰った次の日にはなくなっていたな。で、その三日後くいらには戻って来てたと思う」
 三日後……一週間前……。不死者達が現れた時期とぴったり……。
「で、お前は最初になくなった時にどうしたんだ?」
「少し探した。だが何時間もは費やさなかった」
「なぜだ」
「他にやらなければならない仕事があったし、誰かが片付けてくれたのかと思ったからな。それに部屋のどこかにあるのならまた日を改めて探せばいいと思った」
「そうか……」
 確かに、気持ちは分からなくもない。まさかあの本が事件性を秘めているなどとは全く考えていなかった時だ。楽観的にとらえてしまうのしょうがないのかもしれない。ジャイロダイン派閥のトップとしてすべきことは他にも山のようにあるだろうし……。
「しかし、もし仮に三日で返ってこなければ、その時点で事は大きくなっていただろうな。少なくともキミには相談していただろうし、今のように人海戦術で館中探し回っていたかもしれない」
 何か含みを持たせたようなレヴァーナの言葉。
「……何が言いたいんだ?」
「例えば、だ。こうは考えられないか? 最初に本を持ち出した人物に悪意はなかった。少し借りるだけのつもりだった。だから三日くらいで戻した。しかし彼のおよびも付かない所でアクシデントが発生した。そして収集が付かなくなった」
「戻したからといって悪意がないとはかぎらない。自分の関与しないところで人が不幸になっているのを喜ぶ愉快犯だっている」
 あの、シングウジのように。
「それなら余計に戻すことなどしないだろう。本を見つけられれば騒ぎを止められるかもしれないからな」
 ……確かに。私達が今しようとしているのがまさにソレだ。
「だがまたなくなったじゃないか。コレはいつなんだ?」
「少なくとも二日前まではあった。ソレは確認している」
 二日前……シングウジ達が来る前の晩まではあった……。
「そしてコチラの遺失からは果てしない悪意を感じる」
「なぜだ」
「勘だ!」
 逆三角形の目をカッ! と大きく見開き、レヴァーナは鋼鉄の如き黒髪を逆立てて言い切った。
 赤目でソレをやられると恐いから止めてくれ……。
「だがな、メルム。人を疑うことは醜いことだし、最初から悪だと決めて付けて掛かるのは悲しいことだ。きっと俺の方にも至らない点は数多くあったんだろう。だから俺は彼が心を開いてくれるのを待ちたい。例えどれだけの時間を要そうとも」
 そうか……やはりレヴァーナも気付いているんだな。今、例の魔術書を持っているのが誰か。悔しいが、これだけ探してないとなれば……もう認めるしか……。
「老若男女を問わず、人は皆自分の心に正義を抱いている。話し合い、その正義にふれ、互いの信念を理解すれば必ず道は開けるはずなんだ。そこに真の友情というものが生まれるはずなんだ」
 愛、努力、友情、そして勝利、か……。ホント、このバカの頭の中はどこまで行ってもソレばっかりなんだから……。
「と、ゆーワケでだな――」
 そこまで言ってレヴァーナは一端言葉を切り、
「お近づきの印にどうだ、一骨」
 いっ、こつ……? 一杯、ではなくて……?
「朝から文字通り、粉骨砕身働いてくれているエラスニーとジルだ」
 そして私の目の前に、二体のガイコツが照れくさそうに歩み出て、
『ど、どーもー。わてエラスニーいいますー』
『ジルでおますー』
 あごの骨をカクカクカクーと鳴らしながら愛想笑いを浮かべた。
 ぽっかりと抜け落ちた眼窩と鼻梁、そして当然の如く剥き出しの歯や肋骨、その他もろもろの骨、骨、骨。サイエンスの教科書に出てきそうなほどの綺麗なガイコツだ。
 今まで極力目を合わせないようにしてきたのだが……そろそろ限界らしい。
「彼らにも当然正義がある! 自分なりの主義主張がある! 生ある者を疎み! 妬み! 憎悪し! 自分の側に引きずり込もうとする! だぁが! ソレは後の深い友情を築き上げるための試練! 大いなる壁! そびえ立つ山! 数々の艱難辛苦(かんなんしんく)を乗り越え! その先に見出した希望こそが! 種族を越えた真の愛へと導かれるのだ! 現に俺は深い話し合いの末! 彼らと永遠の盟約を結んだ!」
 ぐぐぅっ! と固く握り込んだ拳を高々と掲げ、レヴァーナは自己陶酔に浸りながら熱弁を振るう。
 正直、言ってることはサッパリ分からない。だがそんなことは別にどうでもいい。
 今重要なのは、ついに来るべき時が来たということ。
 本来ならココは、『何でそうなる!』とかってレヴァーナをはり倒すところだが……コレも運命というヤツだ。もう、目を背けることはできない。逃げるのはやめだ。
「や、やぁ……」
 大体、こうなるように自分で仕向けたんだ。
 できるだけ早く馴染むために。できるだけ慣れやすいものから慣れていくために。
「あ、アタシは……メルム=ジャイロ、ダイン」
 あの青白い肉のただれたゾンビに比べればニオイもないし、ドコから出てくるか見当も付かない不定形のゴーストに比べればまだ理性を保ちやすい。
 そのために三階はアタシ達とガイコツ隊で捜索することにしたんだ。
「よ、よろ……シク……」
 臆するなメルム=ジャイロダイン。大丈夫。大丈夫だ。コイツが大丈夫なものは、アタシも大丈夫でなきゃいけないんだ。
 この先ずっとレヴァーナと共に過ごすと決めたのであれば、決して避けては通れない道だから。コレはレヴァーナ=ジャイロダインの妻としての義務だから。
『あ、こりゃごていねいにどうもー』
『これからもあんじょうたのんますわー』
 二人がコチラに差し出してきた白く細い手を見つめながら、アタシは自分の手もソレを合わせて前に出す。
「おぉ! 今まさに真の友情が芽生えた瞬間だ! 俺は今! 衝撃感動的な現場に居合わせている!」
 そして生と死の境界が徐々に狭くなり――
「先輩見つかりましたよ!」
 どたばったーん! と部屋がひっくり返ったような爆音をおっ立てて、誰かが飛び込んできた。
「本! 本が見つかりました! ……て、アレ?」
 見るとウシが……いやウシ柄の銀髪を着たポンチョが……ああいやウシ柄のポンチョを着たパツ金の幼女が……ってそうじゃなくて幼じゃなくて少じゃなくて……ああ! とにかくルッシェが!
「先輩……ソレ新しいボクシング・スタイル、ですか……?」
 激しく息を切らせながら、ルッシェは私の方を指さしながら呟いた。
「え? あ、ああそうなんだ! こぅ、抉りすり潰すように殺るべし! 殺るべし! 殺るべし!」
 げぅ! ごふっ! おぐ! と、レヴァーナの苦鳴を聞きながら、私は両手にはめた頭ガイコツタイプのグローブを機械的に打ち出す。
「って、そんなモノはどうでもいいんです!」
「ああ全くだ! こんなモノはどうだっていい!」
 自分でもビックリするほどの大声でルッシェに同意し、私はサンドバックを叩き続けた。
「下に! 下に来て下さい! 見つかったんですよ! 本! 探してた魔術書!」
「なに本当か! ソレはいかん! コイツを血祭りに上げたらすぐに行くから先に下りててくれ!」
「分かりました! できるだけさっさとトドメを差してくださいね!」
「まかせろ!」
 頬の筋肉を目一杯使った特大スマイルでルッシェに叫び返し、彼女の背中を見送りながら私は大きく息を吐いた。
 前を向く。両手には白いグローブ、グッタリしたレヴァーナ。
 なんでこうなったんだっけ……?

 一階のエントランス・ホールにはすでに人だかりができていた。
 白スーツ隊、メイド隊、ゾンビ隊、ゴースト隊、ガイコツ隊。全ての部隊が円を描くようにして勢揃いしている。そして彼らの拍手に讃えられ、中心にいるのは――
「あー、メルムさんー。見てくださーい。私、見つけられましたよー」
 イロハカエデ。
 ポニーテールを尻尾のように振り、ハイレグメイド服の格好で飛び跳ねている。そしてソレに合わせて激しく揺れる……じゃなくて!
「お前ら何してる! その女から本を取り上げろ!」
 私は湾曲する階段を三段飛ばしで駆け下りながら叫んだ。
「えー。でも私が見つけたのにー」
 本を守るかのように胸に抱き、唇を尖らせて不満そうに漏らすイロハカエデ。
「そうですぜ姉御、こういうのは早い者勝ち」
「いくらお嬢様のご命令とは言え、こんな可愛らしい方から無理矢理というのは……」
『人類みな兄弟姉妹いとこはとこ鬼ごっこの腐れ縁』
『浮いた存在を作ってはならぬ』
『信じる者は骨まで救われる』
 そして同調するアホ部隊ども。
 コイツら……使えないにも程があるぞ!
「メルムさんー。それなら一緒に見ましょー。私も別にそんなに急いでるわけじゃないですしー」
「やかましぃ!」
 こうなったら私一人でもやってやる! この天才ドールマスターの力を思い知らせてやる!
 手持ちのドールは【アルフ】と【ウェンディ】。どちらも戦闘用ではないがこの際……!
「メルム、加勢するぜ」
 耳元でする聞き馴染んだ羽ばたき音。目の前を舞う黄色い羽根。
「ハウェッツ!」
 いつの間にか私の顔の横を、長い尾羽根を後ろになびかせた角鳥が飛んでいた。
 生意気で裏切り者で、そのくせ変なところに気の回る、私の生み出した最高にして最強のドール。
「先輩! わたしも微力ながらお手伝いします!」 
 そしてさらにその隣には、大鷲型ドールの封印体であるリボンを手に持ったルッシェの姿。
「よぉし行くぞ!」
 自然と体に滾り始めた熱い感情を声に乗せ、私は両手に亜空文字を展開させる。白い輪郭を持った紅色の文字が真円を象り、私の腕を中心にしていくつもの同心円を描いた。そしてソレがハウェッツの小さな体を包み込んでいき――
 視界の中で劇的な変化が巻き起こった。
 額の小さな角は天を突かんばかりに鋭く長く伸び、頭部とくちばしが一体化して精悍な馬の顔となる。黄色の胴は燐光を帯びてやがて黄金へと変わり、羽は大気を叩く大翼となって背中の位置に生えかわった。艶やかで雄々しく、力強さをそのまま体現したかのような四肢は中空をしっかりと捕らえ、長い尾羽根は鞭のようにしなる尻尾となる。
 コレが私の麒麟型ドール。
 最高にして最強、そして絶対の信頼を寄せる相棒だ!
「飛ぶぞルッシェ!」
「はい!」
 声に応えてルッシェが隣でリボンを真実体化する。そして私に続いて階段の手すりから身を翻し、大鷲型ドールの背中に飛び乗った。
「行けぇ!」
 顔に叩き付けられる空気の塊、耳元で呻りを上げる乱気流。
 私は真っ正面から、ルッシェは横手からイロハカエデに向かって一気に急迫する。
「あらあらー」
 緊迫感の欠片もない彼女の声。
 だがそんなことくらいで気を緩めるワケにはいかない。何としてでもあの本を取り戻さなければ。
 とにかく危険なんだ! 絶対に! 理屈ではなく直感的に!
 あの魔術書がアイツの手にあるのは! 特にもう一人の――
「――ッ!?」
 突然、何かに弾かれたようにして体がハウェッツごと後ろに飛ばされた。

『最後は実力行使、か……。あまり感心しないな』

 そしてどこからともなく低く不気味な声が聞こえる。

『それに、組織のトップが部下の意見を完全無視というのは問題ありなんじゃないのか?』

 エントランス・ホール内で広く反響し、脳髄を侵蝕するかのような不快な振動数。

『まぁそう慌てるなよ』

 ソレはやがて一点に収束し始め、
「パーティーは始まったばかりだ」
 イロハカエデの前で人の形を取った。
「出たな……」
 ソイツを上から見下ろし、私は舌打ちして漏らす。
「やはり全ての元凶はお前だったんだな! シングウジ!」
 イロハカエデを庇うようにして現れた紅髪の男は全く動じた様子もなく、煙を出す白筒をくわえたまま皮肉っぽく口の端を吊り上げた。
「元凶、ね……」
 そして小さく鼻を鳴らして続ける。
「言ったろ? 俺の目的は犯人だってな」
「つまりお前だ!」
 叫んで私はハウェッツをシングウジに突進させた。
 コイツをドールだと思ってはいけない。そんな生易しい存在ではない。コイツは悪魔――いや! あの魔術書が喚び出した絶望そのものだ!
「やれやれ……」
 シングウジは溜息混じりに紫煙を吐き出し、
「お待ち下さい姉御!」
「客人に失礼ですぞ!」
「ひとまず話し合いましょう! 若の教えに従って!」
 白スーツ達が壁を作ってシングウジの前に立ち塞がった。 
「お前ら……!」
 邪魔だ! そこをドケ! 間に合わ……!
「失せろ」
 シングウジの短い声。そしてハウェッツの体が突き刺さる。
 何の手応えもなく。
「え……」
 イロハカエデの背後に通り抜け、そこから後ろを振り返り見て私は自分の目を疑った。
 さっきまでシングウジのそばにいた十数人の白スーツ達の姿が、跡形もなく消えていた。
「お前……」
 自然と口から言葉が零れる。
「アイツらをどうした!」
「さぁな」
「貴様!」
 地鳴りのような轟音。目を灼く閃光。
 辺りに熱波を撒き散らし、太い落雷がシングウジの体を呑み込んだ。
 コレでどうだ! いくら何でもまともに食らったら……!
「心配しなくても大丈夫ですよー。あの人達はー、ちょっと外に飛ばされただけですからー。ピンピンしてますよー」
 収まり行く光の中から、間延びしたイロハカエデの声が聞こえる。
「……楓。少し、黙ってて貰えると非常に嬉しいんだが」
「あらあらー。もっと沢山お喋りしたいのにー」
「……後でな」
 そして気まずそうに後ろ頭を掻きながら、平然とシングウジは現れた。
 効いて、ないのか……。全く、傷一つ負わせられず……。
 こうなったら……!
「ハウェッツ! 飛べ!」
「お、おぅ!」
 視界が急速に上昇していく中、私はプリーツスカートをたくし上げてガンホルダーから――
「ちょおおおぉぉぉぉぉぉっと待ったああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
 バカのバカ声が響き渡った。
 続けてカコカコカコカコカコー! というドコかで耳にした乾いた音と、ゴッ、ゴッ、ゴッ、ゴッ、という鈍器で殴り倒されているような歪な音。
 ソチラに目を向ける。
 自分の頭を小脇に抱えたガイコツ二体が、レヴァーナの両足を一本ずつ持って三階から一気に駆け下りてきていた。
 必然的にレヴァーナの後頭部は大変なことになっている。それでも平然としていられるのは、変態の変態であるゆえんなのだろうが……。
「とーちゃく!」
 残った白スーツやメイド隊、そして大勢の不死者達が見守る中、レヴァーナは仰向けの体勢でシングウジの前に運ばれてきた。
「こんな体勢ですまんなシングウジ! なにぶん足腰が立たんモンでな!」
 そして腕を組み、大威張りで言い放つ。
「あぁ、気にするな」
「まずは一言! 我が愛妻の暴走から大切な仲間を救ってくれてどうも有り難う!」
 無駄に声を張り上げて言うレヴァーナに、シングウジは挑発的に片眉を上げ、
「何の話だ?」
「またまたー。たーくんたらー。照らなくてもいいのにー」
 後ろからイロハカエデに頭を撫でられた。
「……楓。本当に少し黙っててくれるかな」
「あらあらー」
 額を軽く押さえて溜息混じりに漏らすシングウジに、イロハカエデは残念そうに言って手を引っ込める。
「だがなシングウジ! ハッキリ言ってキミからは壮絶な悪意を感じる! キミの本当の目的は何なんだ!」
「何度も言うが……」
「だがなシングウジ! 俺は敢えてキミの悪意を受け入れようではないか! そして敢えて目的は聞かん! 大切なのは己が心に持つ強き信念! 猛き野望! 周囲の不理解にも怯まず、挫けず、へこたれず! 邁進し続けるキミの気概は非常に高く評価している!」
「俺は……」
「だがなシングウジ! 誰しも一人の力には限界がある! どんな強者でもいずれ心が折れる時がある! その時に支えとなる物はなんだ! さぁ言ってみろ! そうだ! その通りだ! 友情だ! 愛だ! 掛け替えのない者との心の繋がりだ! 互いに支え合い! 励まし合い! そして高め合い! 人は人としての枠を離れ! やがて天より大いなる寵愛を授かることになるのだ!」
「…………」
「だがなシングウジ! コレだけは忘れるな! 俺は――」
 潰された。
「メルム=ジャイロダイン、お前は自分で言ってておかしいと思わないか? 今の状況になったのは俺がこの世界に来る前。つまり、ネクロノミコンを起動させた人物は他にいるってことだ」
 シングウジはレヴァーナの顔面に片足をめり込ませたまま、先程の会話など最初からなかったかのように話し掛けてくる。
 あの本に関わった者が最低もう一人いる。私がレヴァーナに本を返した後に持ち出した人物……。ソレは……。
「まぁ確かに、そう考えるのが自然ではあるわなぁ」
 下から軽薄な声が聞こえた。
 カッターシャツとスラックスをだらしなく着こなした中年の男が、お腹の肉を揺らしてシングウジの前に歩み出る。
「けどよ、だからってお前さんに非がねぇとは言えねぇだろ?」
 蔑んだ視線を向けてくるシングウジを真っ向から見返し、リヒエルはシニカルな笑みを浮かべて続けた。
「少なくともお前さんが来るまではこんなヒデー状態じゃなかったんだ。ウチの姫さんもなんとか堪えてた。『姉さんも頑張ってるんだから』ってな。けどよ、テメーが来た途端こうなった」
 声の中に剣呑なモノを混じらせ、リヒエルは小馬鹿にしたように鼻を鳴らす。
「こいつぁどー考えたってお前さんが悪い。実際はテメーのせいじゃなかったとしても、そう思われて仕方ないことばかりしてやがる。悪いがその本、渡して貰うぜ」
 そして底冷えするような殺気が立ち上り――
「力ずくでな!」
 走る銀色の光。甲高い硬質的な音。
 まばたきする間に二人の距離はゼロとなり、空気を胎動させて力と力が衝突した。
 リヒエルの肘から先には凶悪に反り返る刃。腕に直接生えた二本の剣をクロスさせ、リヒエルは両肩の筋肉を大きく膨らませて力を込める。しかし――
「全ては俺のせい、ね。まぁソレで納得行くなら別にいいさ」
 シングウジはその一撃を片手で平然と受け止め、余裕の笑みすら浮かべて眼を細めた。
「だが、そう思わない奴が一人だけいるだろ?」
 紫煙をリヒエルの顔に吹き付け、シングウジは意味ありげに視線を泳がせる。
 そして――
「取ったー!」
 歓喜の大声が上がった。
「先輩やりました! 取り戻しましたよ!」 
 見るとルッシェがイロハカエデのそばから走り去っている。その手には例の魔術書。
「あ、あらあらー?」
 空になった手を何度も握り開き、イロハカエデはありありと困惑の表情を浮かべていた。
「ルッシェ……。や……」
 やったぁ! あの子いつの間に! みんなの注意がシングウジに行っている時を見計らって!
「偉いぞルッシェ! よくやった! コッチに!」
「はい!」
 私の方に向かってルッシェが高々と足を上げて振りかぶり、
「せぃりゃ!」
 中空に投げ出された魔術書は直線的な軌道を取って、
「ハウェッツ! ちょい右だ!」
「おぅよ!」
 位置を微修正した私の元に完璧な角度で――
「フィナーレだ」
 下から指を鳴らす音が聞こえた。
「な――」
 そして視界が黒く覆われる。
 ルッシェと私の中間。後もう少しで届きそうな位置。
 そこで――本が爆発した。
 いや、まるで爆発でもしたかのように溢れ出してきた。
 魔の者達が。
 漆黒の甲冑に身を包み、大剣を振りかざす頭部のない騎士。薄汚れた法衣に覆われ、眼窩に不気味な青白い火を灯す骨と皮だけの老衰者。太い蛇の下半身と、長く紅い爪を持った妖艶な女。異常発達した筋肉の鎧を纏い、巨大な斧を持った二足歩行の大牛。
 デュラハン、リッチ、ラミア……そしてミノタウロス……。
 神話や伝承の中でしか語られていないような凶悪な化け物が、本の中から吐き出されるようにして現れた。
 何十体も。
「こ、こいつぁ……!」
 狼狽したリヒエルの声。
「せせせせせせ、せせせんぱいいいいぃぃぃぃぃ!」
 歯の根が噛み合わないルッシェ。
「おぃメルム!」
 すぐそばでしたハウェッツの声に私はようやく我に返り、
「く……! やるぞ!」
 ワケも分からないまま叫んで体に力を込める。
 薄くほくそ笑む、シングウジの横顔を睨み付けながら。
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