ロスト・チルドレン -screaming the deadly ambition-

BACK | NEXT | TOP

  Nightmare.7【死別 -happy end-】  

 ――よわいよ。このひと、すごくよわい。
 誰かの声。幼い声。耳障りな声。
 ――そんな事ないよ? アディクさんはすごく頼りになる人なんだから。
 ――よわい、よわい。
 ――んー、でもキミから見たらみんなそうならない?
 煩い。黙れ。喋るな。頭痛がする。
 ――だってずっとにげてばっかりだもん。
 ――え? そんな事、なかったよね?
 ――こわいこわいっていってるよ。みるのがこわいって。かんがえるのがこわいって。
 ――考えるのが……? どういう、事……?
 何だ。何なんださっきから。鬱陶しい。吐き気がする。
 ――うん。でもね。ぼくはちゃんとみたよ。ちゃんとかんがえたよ。ぱぱのことも、ままのことも。それでちゃんとすきになったよ。ねぇえらい? ぼくえらい?
 ――え? うん……。偉いよ。キミはとっても素直で良い子だからね。
 ――えへへへへ。
 虫酸が走る。怖気がする。殺意が湧く。
 ――ぼくのぱぱねー、さいしょはすごく、こわいひとだったんだー。ままもねー、ちっともあそんでくれなかった。おしごとばっかり。でもぼくなかなかったよ? えらいー?
 ――うん。偉い偉い。
 ――でもね、でもね。ぱぱがぼくになにかしてね。からだがおかしくなってね。それでぼくがうわーって、はしりまわってね。いたところが、ぐらぐらー! ってなって、どかーん! ってなって。それからふたりとも、ずっごくやさしくなったんだー。ぱぱのほうは、まだあってないけど、ぼくわかるんだよ? すごい? すごい?
 ――うん。凄い凄い。
 ああ駄目だ。もういっそのこと殺してくれて。俺を殺してくれ。
 どうして俺がこんなフェアリー・ブレイン同士の会話を聞かなければならないんだ。
 ――それでね、ゴメン。アディクさんの事……この人の事、もう少し教えて貰っていいかな。
 ――うんいいよー。
 俺の事? 俺の事をだと? 俺以外の奴がどうして俺の事を知ってるんだ。
 俺は俺だ。俺を知っている奴は、もう俺だけしか居ない。誰も俺の事など理解できない。誰にも理解などさせない。
 ――このひとはよわいんだー。
 止めろ。
 ――ぼくとちがってずっとないてるもん。
 ――泣いてる?
 止めろ。
 ――ぱぱとままのこと、ずっと――
 止めろオオオオオオォォォォォ!

Inner Space #9.
Governmental Organism.
School Area "Healing Room".
AM 10:36

―第9インナー・スペース
 政府組織
 スクール・エリア『ヒーリング・ルーム』
 午前10時36分―
 
View point in アディク=フォスティン

 目を開けた先には、ホワイト・スケール製の白い天井。全身を包み込むのは、暖色系の光と人肌程度の温度。
 上体を起こそうとして、俺は額を何かにぶつけた。すぐ近くにあったのは湾曲したクリアボード。どうやらヒーリング・カプセルにでも入れられているようだが……。
 俺は右手を動かしてスイッチを探り当て、強く押し込む。空気が抜けていくような音がしたかと思うと、クリアボードが上下に分かれて蓋が開いた。
「クソ……」
 顔をしかめながら身を起こし、俺は辺りを見回す。
 半径10メートル程の円形空間。そこに敷き詰められた虫の卵のような治癒装置。
 カプセルは満員だった。
 右腕が片結びになっている奴。はみ出た内臓が共食いしている奴。両脚の毛細血管でアートをしている奴。“目玉焼き”サニーサイドアップになっている奴。
 バリエーションは豊富だ。
 全く、ロスト・チルドレンのサイキック・フォースってヤツは悪趣味なのが多い。目覚めのぼーっとした頭には、もってこいって訳だ。なかなか気が利くじゃないか。
 俺は自分の体を見下ろす。
 黒くなっていたはずの両手、炎に舐められた左肩、筋力増強ハイ・ブーストのせいでイカれかけていた左脚。
 全て完治していた。外傷も無ければ痛みも無い。感覚は完璧に戻っている。
 このヒーリング・カプセルの効果も多少は有るんだろうが、ソレよりも1番大きな要因は――
「アディクさん!」
 名前を呼ばれ、俺は声のした方に顔を向ける。
 灼け溶けたヒーリング・ルームの扉の向こう側で、リスリィが顔色を変えていた。
「よかっ……たぁ……」
 そしてグッタリと肩を落とし、キャンディ・ピンクのロングストレートを揺らしながら近寄ってくる。俺に殺されかけたというのに、相変わらず平和な脳味噌をした奴だ。ああ頭痛がする……。
「どうなった」
 ヒーリング・カプセルから出て床に脚を下ろし、俺はリスリィを横目に見ながら聞く。
「え?」
「今ココはどういう状況だと聞いている」
 予想通り間の抜けた顔で聞き返してくるリスリィに、俺は言葉を付け足した。
「あ……」
 表情を陰らせ、悲しそうに顔を俯かせるリスリィ。
「もぅ……無茶苦茶です……」
「そんな事は分かってる」
 この女に聞くだけ無駄か。まぁいい。状況がどうだろうと俺の知った事じゃないさ。
 俺は今生きている。重要なのはその事実だけだ。
 それにココはもう終わりだ。十分満足できた。ディレクターがちゃんと責任を取ってくれたからな。
 だから次だ。早く次に行かないと。
 俺が、俺でなくなる前に――
「あの後……ロスト・チルドレンが、沢山来ました……」
「ほぅ」
 部屋を出ようと1歩踏み出した時、リスリィの口から興味深い言葉が漏れた。
「テロ共か?」
「いえ……」
「じゃあオッドカードのメンバーか。死んだはずの、な」
 最後の言葉を強調して言った俺に、リスリィはノーブル・ブルーの瞳を大きく見開いて口を半開きにする。
「どうして、ソレを……」
「さぁな」
 少し考えればすぐに分かる事だ。いちいち説明してやる義理は無い。
 アミーナの言った事を思い出してみるんだな。
 ああそうか。お前はあの時“死んだフリ”をしていたんだったか。
「で? 政府が培養していたそのロスト・チルドレンとやらは? ちゃんと言う事を聞いてくれてるのか?」
「それが……もぅ無茶苦茶に暴れてて……。ユティス君が居なかったら、今頃私なんか……」
「最強のロスト・チルドレン様が直々にって訳か。楽しいねぇ」
 所詮は相手の技術を盗み取って作り出した劣化コピー。まともに制御もできない、か。そんな事だろうと思った。無様だなぁオイ。もしディレクターが生きてたらどんな顔をするのか、考えただけで愉しくなってくる。
「テロにしてみりゃ大助かりだな。政府の中で潰し合ってくれれば、自分達が血を流す事はない。のんびりキリング・ウォッチングを決め込めるって訳だ」
 だから多分、今は油断している。まさか本拠地に攻め込まれるなんて誰も考えちゃいないさ。丁度良い。絶好のチャンスだ。
「あの……! アディクさん……!」
 ヒーリング・ルームの出入り口に向かった俺の背中に、リスリィの声が掛かる。 
「アディクさんは、アディクさんですよね……?」
 何を言ってるんだコイツは。意味が分からないな。
「どこにも、行きませんよね……?」
 まぁ理解不能な事を言うのは、いつもの事か。相手にするだけ無駄だな。
「あの……ロスト・チルドレンになったり……しませんよね……?」
 ああそうか。コイツはあの時、俺の“力”を見ているんだったな。
 なるほど。なるほどね。
「お前はどう思う?」
 出入り口の前で足を止め、俺は顔だけ後ろに向けて聞く。
「どこにも行かず、何にもならず。そうやって人の世話を焼いているだけで、何とかなると思うか?」
「え……」
 呆けた様に単音を漏らすリスリィ。
 俺も以前はそうだった。
 何も知らないフリをして、何も考えないフリをして、周りが変わってくれるのをただひたすら待っていた。
 だがソレじゃ駄目だという事が分かった。その先に待っているのは、無意味で無価値で無様な最期だけだ。ヴェインのようにただ大きな流れに寄り掛かっているだけじゃ駄目なんだ。
「自分の事は自分で何とかする。頭痛がするくらい当然の事だ。お前も子供の頃、優しい優しいマミーにレクチャーされただろ?」
 結局そういう事なんだ。出た結論は、スラムに住んでいる奴等なら当たり前のようにやっている事。4歳の時に教えられた、馬鹿みたいに決まり切ったルール。
 そうさ。この薄汚い世界がもたらす得体の知れない不安から逃れるためには、自分で何とかするしかないんだ。だから――
「アディクさんは……やっぱりまだ泣いてるんですか?」
「……何?」
 リスリィが呟いた言葉に、俺は体ごと後ろを向いて聞き返した。
「お父さんとお母さんを失った哀しみを受け入れられずに、ずっと1人で泣いてるんですか……?」
 またコイツは意味不明な事を……。精神鑑定を受けた方が良いんじゃないのか? ま、ココじゃ正常と異常の区別も曖昧だけどな。
「人が沢山死にました。ロスト・チルドレンに殺されて、味方同士で殺し合って、政府の人がロスト・チルドレンを運んできて、また殺し合って。今もきっと、研究所では人が沢山死んでます。ロスト・チルドレンとオッドカードと研究員が殺し合ってます。私は戦えないし、戦う勇気も理由も無いから、ココでこうやって看病してます。でもちょっと考えたらおかしいですよね。こんな人達を目の前にして、どうして私……普通にしてるんでしょうね」
 言いながらリスリィは室内のヒーリング・カプセルを見回す。
 まともな傷を負っている奴は1人も居ない。どいつもこいつも、スプラッター映画で人気ナンバーワンを勝ち取れそうな奴ばかりだ。
「麻痺してるんだと思います。あまりにも重すぎで。受け入れられなくて。今は心が拒否してるんだと思います。アディクさんは強いから……今までずっと閉じてこられたんでしょうね。ご両親の哀しみを、ずっと麻痺させ続けて……。でも麻痺はいつか必ず解けるんです。解けてしまったら、今まで堪えていた物が全部溢れ出てきて……。私だったら辛過ぎて、そのまま潰されるかも知れません。私1人だけだったら、きっと駄目になると思います。けど――」
「アイツらはクズだ」
 長々と続きそうなリスリィの言葉を遮り、俺は鼻を鳴らして言った。
 全く、さっきから黙って聞いていれば、脳味噌が割れそうな邪推を延々と……。
「アイツらは負け組だ。アイツらはゴミ以下だ。アイツらの死は全くの無価値た。俺はああはならない。今までずっとそう考えて生きてきた。悲しい? 堪える? ああそうだな。よくもこんな場所に生みやがってって、罵声を浴びせられないのは悲しいな。ストレスを堪え続けるのは辛いな。分かったか。俺はこういう人間なんだよ。お前のハッピーな頭で理解できる程、単純な構造じゃないんだよ」
 リスリィを指さし、俺は早口で言い捨てて背中を向けた。
 コイツとまともに付き合うなんて俺もどうかしている。無視してさっさと行ってしまえば良かっ―― 
「そうやって……自分に言い聞かせて、哀しみを堪えてるんですね」
 リスリィの首を掴み上げた。
「殺すぞ」
 そして低く言い、指先に力を込める。
 さっきからカンに障る事をベラベラベラベラと。どうやら死なないと治らないらしいな。お前のその腐りきった考え方は。
「ど……どう、ぞ……。アディクさんが、居なければ……、もう……何回も、死んで、ますか……ら」
 苦しそうに表情を歪め、リスリィはそれでも俺の目を見て言い切る。
「そうか」
 薄く笑みを浮かべて返し、俺は望み通り首を締め上げて――
「はーい、そこまでそこまでー。リスリィー、親から貰った1つしかない命、大切にしなきゃダメじゃーん。お姉さんは悲しいぞー」
 背後から聞こえる底抜けに明るい声。
「コイツはヤルって言ったらヤルわよー? 決意の固いリーダー様だからねー」
 ポニーテールに纏めたウォーター・ブルーの髪を揺らし、ミゼルジュは俺の前に立った。そして小振りのハンドガンを突きつけてくる。
「4日も眠りこけてたお寝坊さん。今度はアタシとお話しない? ちょっと聞きたい事があるのよ」
 楽しそうに口元を緩め、ミゼルジュはウィンクしながら言う。
 だが目は全く笑っていない。何か、凍てつくような冷たい殺意を宿している。
「手短にな」
 俺はリスリィを解放し、ミゼルジュの方に押して渡す。ソレを受け止め、ミゼルジュはリスリィの頭を優しく撫でた。
「ホント、アンタってなーんか放っておけないわ。保護欲を掻き立てられるっていうか、守ってあげたくなるっていうか。最初はアタシ、アンタの事すごく嫌いだったのよ?」
「み、ミゼルジュさん。その怪我……」
「ああコレ? ココに戻ってくる時にちょっと、ね。まぁK値が5000も有るような出来損ないだったから、1人で何とかなったけど。人間ベースでもああいうのが生まれるのねぇ」
 インプレート・ウェアが破れ、紅く染まった脇腹を押さえながらミゼルジュは感心したように言う。リスリィと違ってさすがに気付いてるか。いや、ヴェインに聞いたのか?
「あの、まだ戦いはやっぱり……」
「バチバチやってるねぇ。ヴェインの野郎が勇ましく指揮なんか取っちゃってさ。今まで見た事ないよ。あんな真面目なトコ」
「アミーナさんは……」
「ん。頑張ってる。もう少しで出来るみたいな事言ってたよ? まぁあの人には無敵のボディーガードが付いてるから心配無いでしょ」
「手短に願いたいんだが」
 ミゼルジュの持つ銃の火線から身を外し、どうでもいい話をし始めた2人に言う。
「あーっと、ゴメンねー。アタシも色々と疲れててさー。癒しが必要なのよー」
「要件は何だ」
「ディレクターを殺したのは貴方?」
 銃口をコチラに向け直し、ミゼルジュは声質を変えて聞いてきた。
 浮ついていた表情が刃物のように鋭く締まり、フレッシュ・ブルーの双眸が細められる。まるで睨み殺さんばかりの憎悪を叩き付けながら、ミゼルジュはリスリィを自分の後ろに押しやった。
「だったら?」
「確認したいのよ。本当に貴方が殺したのか。ヴェインの口からじゃなく、貴方の口から」
「そうだ。俺が殺った。俺達をテロへの生け贄にして、裏では自分で連れ去って、オッドカードをロスト・チルドレンに変えていたあの下衆野郎をミートソースにしてやったのは俺だ」
「え……」
 掠れた声を漏らすリスリィ。やれやれ、本当にオメデタイお嬢様だ。
 オッドカードはテロへの生け贄。ロスト・チルドレンの素体とし、いずれ回収するための。だからメンバーとなるには20歳未満という条件を満たさなければならない。
 だがそう都合良く、ロスト・チルドレン化したオッドカードを捕らえられる訳じゃない。K値が200や300の奴等相手に、そんな余裕のある戦い方など出来るはずがない。
 だからソレはあくまでも表向きの理由。テロ共の目を欺くための。自分達がまだロスト・チルドレンの技術に関しては素人だという事を強調するための。そして時間を稼ぐための。
 政府組織内でロスト・チルドレンを完成させるために。俺達オッドカードを素体にして、K値の低い優秀なロスト・チルドレンを安定的に生み出すために。
 死亡確定の烙印を押す理由なんか何でもいい。誰も見ていない所で行方不明になれはソレでいい。リスリィの時と同じように戦闘能力の低い者を1人でアウター・ワールドに放り出して、適当に気絶させるか眠らせるかすればいいんだ。
 そうやってテロの連中の仕業に見せかけて、頃合いになったオッドカードを裏で連れ去っていったんだ。インサート・マターの使用によって体を少しずつバイオチップに慣らしていき、ロスト・チルドレン化の成功率を予め上げておいたオッドカードを。多分、どこか別のインナー・スペースにでも運んでいたんだろう。
 そして今、ようやくお披露目の時がやってきた。テロが攻め込んで来た事で、裏での繋がりが完璧に排除された。溜め込んでたロスト・チルドレンの私兵を解放する時が来た。
 カーゴトラックにでも乗せてココまで運んできたのか? そして起動させた。圧倒的な戦力で、インナー・スペースを攻め込んできたテロを押し潰すはずだった。
 だが結果はこの様だ。無様に自分で自分の首を絞める事になった。当然の報いだ。
「そう……やっぱり、そうなんだ……」
 銃を下ろし、ミゼルジュは力無い笑みを浮かべる。
 また雰囲気が一変した。
 強固な意志に支えられた揺るぎない鉄心から、儚く脆い薄氷のようなガラス細工へと。
「アタシ、ね。アイツの飼い猫だったんだぁ……。アイツに呼ばれればすぐに行って、好きなだけ嬲られてた。アブノーマルなプレイばっかり求めてくるモンだから、アタシの方はもうクタクタ。硬質ワイヤーだの、ナイフだの、スパイクボールだの。尻の穴だの、眼球だの、傷口だの。この躰の傷は殆どさ、アイツが付けた物。相手が苦しんだり、恐がったり、痛がったりするのが大好物なド変態だったからね」
 言いながらミゼルジュはインプレート・ウェアの締め付けを解除し、左右に剥いで上半身を露わにする。続けて中のシャツも脱ぎ去り、裸体を外気に晒した。
 リスリィが言葉を呑み込むのが聞こえる。
 首筋、肩、腕、乳房、腹部。古いモノから新しいモノまで。切られた物、刺された物、貫かれた物。様々な形の傷痕が、ミゼルジュの躰を覆い尽くしていた。
「いつか絶対コイツを操ってやる。コイツを操って周りを変えてやる。アタシにとって理想的な環境にしてやるって、ずっと思ってた。その為になら躰を玩具にされる事くらい、全然平気だった」
 生気を感じさせない視線を床に落とし、ミゼルジュは細く息を吐く。
「けど、その理想って何だったのかな。アイツに取り入る事だけで頭が一杯で、その後の事何も考えてなかった……。ホント馬鹿よね、アタシって。そう思うでしょ? アディク」
「ああ。間抜けだな」
 即答した俺に、ミゼルジュはどこか楽しそうに笑った。
「アンタなら絶対にそう言うと思った。けどね、アイツが居なくなって思ったの。ひょっとしたら、アイツの飼い猫でいる事自体、アタシにとっての理想だったんじゃないかって、ね……」
 自虐的な笑みを顔に張り付かせ、ミゼルジュは続ける。
「いつか絶対この訳の分かんない世界を変えてやるって、鼻息だけ荒くしてて。アイツに呼び出されるたびに、その“いつか”に向かって少しずつ進んでるんだって思えて。ソレで……結構安心してた。手応えみたいなのを持てた。あんなクズ野郎でも、アタシの存在意義だった……安住の、地だった。親に捨てられてドブクソみたいな生活してたアタシを拾ってくれて、オッドカードにしてくれて、人間らしい生活を与えてくれて、それで……アイツはアタシを必要としてくれた。アタシの躰を求めてくれた」
 長い髪を銃口で掻き上げ、ミゼルジュは頭を軽く左右に振る。
「ホント馬鹿みたい。そんなのが嬉しかったなんてさ。飼い猫なんてきっと他にも沢山いたはずなのに。何ての? ジーザスな言葉で言えば愛されたかったのよ、アタシは。多分ね」
 肩をすくめて言いながら、ミゼルジュは大袈裟に眉を上げた。
「構って欲しかった。温もりが欲しかった。守って欲しかった。アイツはアタシに、その全てをくれた。だからあの時は焦ったわ。インナー・スペースにテロが来たって聞いた時は。アイツが死んだらどうしよう。アイツが殺されたらどうなるんだろう。アイツが居なくなったらアタシはどうすればいいんだろう。そんな事ばっかり考えてた。そんな事ばっかりで頭一杯にして、インナー・スペースに着いたらすぐにアイツの部屋に行った。けど、誰も居なかった……」
 目を伏せ、深く溜息を付く。
「どこかに逃げたのかもって思って、インナー・スペース中探し回った。途中でロスト・チルドレンに殺されそうになりながら、アタシはそれでも探して、探して、探して……探しまくって、戻って来たら……もぅ、遅かった」
 俺が殺した後だったって訳か。そしてその事をヴェインから聞かされた。
「信じなかった。信じたくなかった。けどディレクター・ルームに行って、頭のない死体がアイツだってすぐに分かった。何回も何回も、飽きるくらいに見て、触って、嗅いできた躰だったから。笑っちゃったわ、ホント。だって股間丸出しにして、ひっくり返っててさ。生きてた時のあの偉そうな態度とは大違い。最低に情けない恰好。あまりに隙だらけだったから可愛くなっちゃってね。思わずくわえちゃった。立たなかったし出なかったけどね。それで添い寝とかまでしてあげちゃって。アタシが子供の頃、ダッディにしてあげたようにねー。柄にもなく昔の事とか色々思い出しちゃったわ」
 暗い顔付きを一転させてミゼルジュはケラケラと笑う。しかしまたすぐに表情を曇らせ、ハンドガンを顔の高さまで持ち上げた。
「アンタはアイツを殺した。アンタはアイツを奪った。アタシからアイツを奪った」
 そして銃口をコチラに突き付けながら、同じ意味の言葉を繰り返す。
「だから?」
 俺はソレに嘲笑で返し、ミゼルジュを真っ向から見据えた。
「俺を殺して仇討ちか? もっとスレた女だと思っていたが、意外に純情だな」
「余裕ね。さすがはリーダー様。アタシも、アンタみたいに強かったら……こんな風にはなってないんでしょうね」
「さぁな」
「アタシね……きっと色々疲れてるんだと思う」
 言いながらミゼルジュはトリガーに指を添える。
「今まで自分はずっと近道をしてるんだと思ってた。1番楽な道を選んでると思ってた。ズルしまくってさ、最初にゴールしてやるんだって、ずっとずっと思ってきた。けど、とっくにゴールしてたのよね。なのにソレに気付かずに、ずっと1人で馬鹿みたいに頑張ってて。そんな空回り、そりゃ疲れるわよね……」
 ミゼルジュの指が少しずつ引かれていく。あと10ミリ、8ミリ……。
「アンタがこれからどうなっていくのか見れないのは残念だけど、しょうがないわよね。ま、先にリタイアってのも悪くないと思うのよ。きっと生きててもつまんないと思うから」
 6ミリ、4ミリ……。
「あーあ、コレでお別れかと思うと、ちょっと寂しいかなぁ」
 3ミリ、2ミリ……。
「今更だけどさ、もうちょっと一緒に遊んどけばよかったね」
 1ミリ――
「ね? アタシってズルいでしょ?」
 銃声。
 そして落ちる音。
「ミ――」
 リスリィの口から吃音が漏れ、
「ミゼルジュさん!」
 倒れ込んだミゼルジュを抱き上げた。
 だが反応は無い。虚ろな目を中空に這わせたまま脱力している。
 当然だ。
 自分で頭を撃ち抜いたんだから。至近距離で。
 狙いを外すはずがないさ。
「話は終わりだな」
 短く言い残し、俺はヒーリング・ルームを出る。
 少し予想外だったがまぁいい。俺に向けて撃ったとしても結果は変わらなかったさ。
 結局、コイツも寄り掛かる事でしか安心感を得られなかった。他人の力を当てにする事でしか希望を見出せなかった。
 ミゼルジュの言う通り、確かにソレは最も楽な方法なんだ。最も確実で、最も分かり易い道に見える。しかしそれ故に失った時の代償は大きい。
 ヴェインのように必死に言い訳をしなければならない。ミゼルジュのように死に答えを求めなければならない。そして俺のように、激しい憤りを――
 だが今の俺は違う。自分の力で切り開く。
 “俺”を犠牲にしてな。
「私……どうして止めなかったんでしょう」
 独り言のような呟きが後ろから聞こえてくる。
「何となく感じてたんです……。ミゼルジュさんが、死のうとしてるの……。でも止められなかった。止めちゃいけないって思った。私なんかに……止める権利なんか……」
 そして声は聞こえなくなった。
「ソレで正解だよ」
 誰も居ない空間に向かって俺は返す。
 そう、ソレが正解。ソレが正しい選択だ。
 死にたがっている奴を止めるなんて、そんな無粋な事をしてはいけない。
 殺されるのではなく自ら望んで死ぬんなら、ソレは無意味な死じゃない。無価値でも無様でもない。自分の中にはっきりとした答えを見つけて逝くんだから、ソレはある意味理想的な死に方だ。ゴールしたと思ったら、考えが変わらないうちに“固定”したほうが良い。俺なら迷う事なくそうする。
 これから、な。

 おかしいと思う事は沢山あった。
 まずあの爆破だ。アレからしてそもそもおかしかった。
 放棄された旧地下研究所。捨てられた寄せ集めグラバッグ以外、誰も居ない閑散とした施設。
 もしテロの技術を盗みたいのであれば、爆破などする必要はない。まだ生きている施設を破壊するというのならともかく、テロにとって不要となった物をコチラが親切に掃除してやる事はない。向こうが当たり前のように知っている事であっても、コチラにしてみれば新規な情報だって有るかもしれないんだ。ならば腰を落ち着けてじっくりと探索すればいい。
 だが、政府とテロが裏で繋がっていたとなれば話は別だ。
 政府の方はデメリットだけでも、テロの方には十分過ぎるくらいのメリットがある。
 表向きの理由はグラバッグの排除、そして情報の抹消とでもして依頼すればいい。ソレを受けた政府は爆破する前に出来るだけデータを集めようとするさ。テロにしてみれば抽出されたところで何も痛くない、クソ下らないデータを。
 そして爆破されれば、もうそこには何も無いという認識が植え付けられる。1度でもそう思えば、2度とその場所は探さなくなる。疑わなくなる。
 つまりソレこそがテロの本当の狙いだったんだ。
「やっぱり、な」
 人1人がようやく通れるくらいの金属ハッチを見つけ、俺はその蓋を片手で持ち上げた。
 錆び付いたような重い音を漏らしながら、暗い穴が口を開く。
 普段はこんなにも目立つようにはなってないんだろう。例の地下研究所の出入り口からは少し離れているし、蓋の色も周りの赤色土に溶け込むようにペイントされている。
 だが今はまだ新しい足跡が残り、大地との切れ目がはっきりと見て取れた。
 つまり最近使われたんだ。誰かがココを通って外に出てきた。その痕跡を自然の力が包み隠してくれるには、少し時間が足りなかった。
「無様だなぁ」
 笑いを含ませながら言い、俺はインプレート・ウェアの手首ポケットから細いワイヤーフックを取り出す。その先を地面に撃ち込んで固定し、暗い穴の中に体を入れた。
 ワイヤーを少しずつ伸ばしながら、冷たく狭い空間を下へ下へと降りていく。
 リスリィを連れ去ろうとした時、レコード物質をこの辺りに置いたのは生け贄をすぐに回収する為なんだろう。ココなら手持ちのロスト・チルドレンをすぐに送り込めるしな。
 そして決定的におかしかったのは、地下研究所で出くわした分裂のサイキック・フォースを使うロスト・チルドレン。打ち捨てられたはずなのに、K値が396しかない優秀な奴を野放しにしているはずがない。
 だからアレはアクシデントだったんだ。
 本当は“下”で大人しくしているはずだったのに、俺達が“上”で派手に暴れたモンだから遊びたくなって出てきたんだ。
 面白い。面白いよなぁ、ロスト・チルドレンってのは。
 尋常じゃない力を持っているクセに、思い通りに動いてくれないモンだから、周りに居る奴等全員がソレに振り回されてる。あんな喋り方も考え方も拙いガキに、いい年した大人が散々狂わされてる。
 ひょっとしてわざとやっているのか? アイツらはただ遊んでいるのが好きで、周りを困らせたり混乱させたりして楽しんでいるのか? そうやって心の底から笑っているのか?
 なら、アイツらはきっと満たされてるんだろうな。不安も不満も無く、見栄も意地も無く、素直に自分の感情をさらけ出して、恐い物など何も無いんだろうな。
 ソレなら別に悪くないかもしれない。そういうモノになるんなら、別に。まぁある意味、1つの答えだと思えば――
「…………」
 サイレントブーツの靴底が硬い感触を返して来る。どうやら下に着いたらしい。降りてきた深さからして、あの旧地下研究所の最下層から丁度1フロア下あたり、か。
 周りに明かりは無い。だが空間が一気に広がった事だけは分かる。空気の質がまとわりつくモノから、誘うモノへと変わった。
 ――居る。
 全身の感覚を研ぎ澄ませ、俺はコンセントレーションを高める。
 分厚くのし掛かってきていた闇が少しずつ薄くなり、その先に人影を捕らえて――
「――ッ」
 心臓の位置を狙って飛んできた何かを、俺は反射的に身を傾けてかわす。
「っへーぇ。さっすがだねぇ、相棒。絶対決まったと思ったのによー」
 そして軽い声と共に、周囲が明るく照らされた。
 半球状のドームのような場所だった。壁には持ち手がいくつも取り付けられ、その付け根から伸びたスリットが、俺が降りてきた細長い穴に繋がっている。多分、アレを掴めば勝手に上まで運んでくれるんだろう。そうするとココはさしずめ、ロスト・チルドレンのランチャー・ホールってところか。
「にしても、よっくココが分かったなぁ。俺なんかプライド捨てて、死ぬの覚悟して、ロスト・ガキ共に集団レイプされて連れてきて貰ったってのによぉ」
 声の方に顔を向け、俺は口の端に微笑を浮かべる。
「久しぶりだな。元気そうでなによりだ」
「ケッ……」
 紅い双眸を不機嫌そうに歪め、カーカスは白い貫頭衣のポケットに手を入れたまま近付いて来た。
「相変わらず余裕たっぷりの自信満々だなオイ。こんな敵のド真ん中にたった1人でトラベルしに来やがって。頭おかしいんじゃねーのか?」
「お互い様だろ?」
 両腕を広げておどけて見せ、俺は声に嘲りを混じらせる。
「ムカツクぜ……。テメーのそういうトコ、昔っからマジムカツクんだよ……」
「誰だって他人の事を100パーセント受け入れられる訳じゃないさ。他人に100パーセント依存なんて馬鹿げた事は出来ないから、自分の力で何とかするしかない。そうだろ? 俺に勝つ事を目標に、ひたすら自分の力を信じて努力を続けてきたカーカス=ラッカートニーさん?」
「へっ……」
 俺の口舌にカーカスは表情を緩ませ、クセの強いショート・ブロンドを乱暴に掻きむしる。
「随分とお喋りになったじゃねーか。無口、無関心、無愛想と3拍子揃ってたアディク様がよぉ。楽しそうだなぁ。今最高に充実してるってニオイがぷんぷん伝わってくるぜ」
「そうだな。もうすぐ俺なりの答えが出そうなんでな。気分も昂ぶるさ」
「そーかいそーかい。そりゃオめデとウごザいマすファッキン・コングラッツだな。記念に何か盛大なプレゼントでもしないとなぁ」
「別にいいさ。お前からはもう十分お祝いの品を貰った。逆にお礼をしなければと思ってたんだ」
「お礼、ねぇ……」
 目を閉じ、カーカスは1人で納得したように何度も浅く頷き、
「じゃあ死んでくれよ」
 凶気的な輝きを双眸に宿して、口元を狂悪に曲げた。
「ずっと、ずっと思ってたんだ。テメーさえ居なきゃって。テメーさえ俺の前に現れなきゃ、こんなクソ惨めな気分にならずに済んだのにって。テメーはずっと重りだったんだよ。目障りだったんだよ。なんでテメーの方が強いんだよ。なんでテメーの方が何でも上手くできるんだよ。なんでテメーの方がずっとずっと先に進んでんだよ。そういう事考えてるとなぁ、もう不安で不安で堪んねーんだよ。俺ぁテメーと違って、繊細で傷付きやすいからよ」
「被害妄想と醜い嫉妬心に囚われただけとも言うな」
「ルセェ!」
 カーカスの叫び声に呼応し、ランチャー・ホールが大きく鳴動した。立て続けに響き渡る金属の悲鳴が不協和音を生み出し、不快な振動を耳の奥に蟠らせる。
「オッドカードになってテメーが出てきてからずっとだ! ずっとテメーの上に行く事だけ考えてきた! どうすれば強くなれる! どうすればテメーを見下ろせる! どうすればテメーに勝てる! ずっとだ! ずっと考えてきた!」
「勝ってどうする。俺に勝てばお前の答えが出るのか」
「そうさ! 当たり前だろ! テメーに勝てば俺は変われる! テメーに勝った時から、俺の本当の人生ってヤツが始まるのさ! 他の奴の助けを借りた訳じゃねぇ! 俺自身の手で掴み取った気持ちの答えだ!」
 なるほど。カーカス、お前のは単純で分かり易いから助かるよ。
 リスリィみたいに意味不明でも、ミゼルジュみたいに唐突でもない。
 お前のその気持ちは最初からずっと感じてたさ。そしてそのうち、こういう日が来るだろうって事もな。
「けど勝てねーんだよ。俺の1番の得意分野でも、どーしてもテメーには勝てなかったんだよ……。だから――」
 だから俺の方も素直に受け入れられる。ややこしい事を考えずに済む。お前の望みに応えてやれる。
「こんなになっちまったよ」
 自分の意思で。自分の力で。
「ロスト・チルドレンってヤツに」
 そう。そうだよなぁ、カーカス。お前の言う通りだよ。お前の言う通り、本当の安心が欲しいんなら自分で何とかしなければならない。自分の力だけで。
「コレでようやく、お前に追いつける。お前に勝てる」
 そういう意味では、お前はとっくに俺を追い越していた。俺が10年近くかけてようやく辿り着いた所に、お前は最初から居たんだ。
「なぁアディク。俺は多分、もうすぐこうやってまともに喋れなくなる。知的障害者グロスのガキみたいに、おにいちゃーん、あそぼー、とか言うようになる。情けねぇ事によ……」
 つまり気持ちの持ち方次第って事さ。どちらが上でどちらが下かなんて、絶対的な価値基準がある訳じゃない。ある意味で俺の方が遙かに格下だった。
 だがお前は自分が下だと決めつけた。お前はそういう道を選んだ。その先に答えを見出した。そして今のどうしようもない状況を何とかできるのなら、例え自分を捨てても構わないと覚悟を決めたんだ。 
「そんなクソ虫みたいなトコ、意地でもテメーには見せらんねぇ」
 上等じゃないか。最高だよカーカス。初めてお前の事を尊敬できたよ。
「そうなる前に、テメーを殺す」
 最初からそうしていれば良かったなぁ。1人で悩むなんて、元々お前には向いてない作業だったんだ。
「最後だ、アディク……」
 静かに、そして低く言い、カーカスの姿が掻き消えた。
「戦いに感傷を持ち込むな」
 溜息混じりに言って俺はその場を飛び退く。
 直後、さっきまで俺の立っていた場所の金属床が深く抉れたかと思うと、カーカスがうずくまるようにして拳を叩き付けていた。
 今、カーカスはロスト・チルドレンとオッドカードの中間に居る。だからサイキック・フォースとインサート・マターを両方使える。自分の意思と理性を持って。
 完全にロスト・チルドレン化する前に与えられた、ほんの僅かな時間。しかしソレは最高の力を振るえる、最昂の瞬間。
「ムカツク! マジにムカツクぜ! テメーのそのスカした顔がよぉ!」
「黙って戦え」
 でないとせっかくの瞬間移動トリック・アンビュレーションが台無しだぞ。
「マジに死ね!」
 後ろから横薙ぎに繰り出される右腕。身を屈めてやり過ごし、俺は立ち上がりの勢いに乗せて左肘を撃ち込む。硬い手応え。
「効かねぇんだよ!」
 カーカスの顎先を捉えた一撃はしかし、怯ませる事すら出来ない。俺は身を翻し――
「ガアアアアアアァァァァァ!」
 咆吼と共に拳が背中を掠めて通っていく。硬質プレートの埋め込まれたインプレート・ウェアを易々と割き飛ばし、拳圧がホールの壁を殴りつけた。
 体を半回転させるのがあとコンマ1秒遅かったら、心臓を持って行かれていたな。
「テメーは……!」
 カーカスの膝が下から跳ね上がってくる。
「イツもそうやって……!」
 体を後ろに流してかわし、そのまま飛んで距離を取った。
「器用に……!」
 右拳を振り上げ、正面から突進してくるカーカス。
「ムカツクんだよ!」
 極限まで引き付けて下に避け、懐に潜り込む。そして鳩尾に拳をめり込ませ、肉の内側で更に深く捻った。
「がっ……」
 苦悶の声を漏らし、カーカスは数歩後退する。しかしすぐに踏ん張ると、真上から両拳を突き落として来た。
「へっ……銃はどうしたんだよ、銃は。テメーの得意分野だろ?」
「お前の方こそサイキック・フォースはどうしたんだ? 身に付いたばかりで使いこなせないか?」
 カーカスの横手に回りこみ、俺は半笑いになって言う。
「テメーにゃ分からねーさ。俺の事はな……!」
 叫びながら体をコチラに向け、その回転に乗せて左の裏拳を放ち、
「そうでもないさ」
 クロスさせた両腕でその拳撃を受け止めた。
「な……」
「お前は恐いんだ。自分を失う事を恐れてる。だが俺を殺したいなら――」
 頭の中で編み上げた構成を両腕に集約し、ソレを解放する。
「出し惜しみするな」
 全身を炎に包まれ、紅い発光体と化したカーカスを見下ろしながら俺は言う。
「テ、メェ……」
 その炎を体内に吸収するようにして消し去り、カーカスは緋色の両目を大きく見開きながら立ち上がった。
「自分の事は自分にしか分からない。確かにその通りだ。だがまぁ全く同じ立場になれば、ほんの少しくらいは分かるモンだな」
 それだけ今の俺とカーカスには共通点があり過ぎる。
 オッドカードの所属である事。ロスト・チルドレンになりつつある事。得体の知れない不安に侵されている事。抜け出そうと足掻いている事。自分の力で道を切り開こうとしている事。
 コレだけ似通っていればアイツが考えている事も何となくは分かるさ。
 恐いんだ。自分を失ってしまう事が恐い。もうソレしか方法は無いと分かっているのに、本能が往生際悪く拒絶している。
 だがもう少しの我慢だ。もう少しで答えが見付かる。意味のある死に辿り着ける。死に意味を見出せる。そうすれば恐くはない。そうすれば――
「テメェも、ロスト・チルドレンに……」
「全部お前のおかげだよ。感謝してる」
 俺がこうなれたのは、カーカスがイリーガルな事をしてくれたおかげ。“慣らし運転”に必要な量よりも遙かに多くのバイオチップを取り込めたおかげ。
 だがさっきからその鬼神クラスト・キラーを発動させ続けているのに、何も感じないのはどういうことなんだ? 少し前まで、世界観が一変するような凄まじい気分を味わう事が出来たというのに。
「またかよ、まーたお前が先かよ……」
 目元に手を当てて背中を丸くし、カーカスは肩を小刻みに震わせながら喉で笑う。
「マジにお前は、いっつも俺より先に行ってるよなぁ。何でもそうだ。俺は、苦労してこうなったってのに……。追い付いたと、思ってたのによー……」
 そして周囲の温度が急高した。
「わーったよ、アディク。テメーの言う通りだ……。クソ下らねーブレーキなんざ、もうコレでサヨナラだ」
 両腕をダラリと下げ、カーカスは焦点の無い目をコチラに向けながら呟いた。上体をゆらゆらと揺らし、まるで泥酔者のような足取りで近付いてくる。1歩踏み出すたびにカーカスの足元が溶け、足跡が金属床に刻み込まれた。
「アディク……」
 俺の名前を呼び、カーカスの右腕が持ち上げられて、
「――ッ!?」
 視界が朱に染まった。
「だらだらヤルつもりはねーんだよ……。どーせ動きじゃテメーには勝てねぇ……」
 コイツ……正気か?
 “このホール全部”を炎で満たすなど。
「早く焼け死ぬのはどっちかなぁ。言っとくが、ゼッテー逃がさねーぞ……」
「フン……」
 逃げる? 馬鹿な事を。俺の方にもそんな選択肢は最初から無いさ。元々生き延びるつもりでこんな場所まで来たんじゃない。答えを見つけて、ソレを“固定”するためだ。
「カーカス。お前が考えついた火遊びにしては上出来だ」
 俺は巨大な構成を頭に思い描き、ソレを一気に解放した。辺りを覆う炎の密度が倍加し、目の前にいるはずのカーカスの姿さえ見えなくなる。
 我慢比べ、ね。面白いじゃないか。小細工など一切無しで、ただ純粋に体力と精神力の真っ向勝負。自分の力を試すにはおあつらえ向きだ。
 特にカーカス。お前とやり合うのにコレ以上の舞台設定は無い。
「意外だなぁリーダー。てっきりレイセイでテキカクな判断で、このキュウチを乗り越えてくれるのかと思ってたぜ」
「だらだらヤルつもりがないのは俺も同じさ」
 カーカスの居る方向から手を叩くような音が聞こえる。
「初めて見るなぁ。テメーがそんなにムキになってるトコ」
「同感だ」
 灼け溶けていく皮膚を再生させながら、俺は軽口を叩く。
 ――ィ……。
 何か小さな音が頭の奥で聞こえた。快楽と激痛が同時に走り抜け、一瞬頭が白くなる。
 カーカスに表情を見られなくて助かった。さすがにコレだけはポーカーフェイスで流せそうにない。
「テメーとの付き合いも長い、よなぁ。けどマジに、無愛想でよぉ……。まともに話もしなかった……なぁ……」
 余り喋らない方が良いんじゃないのか? 声が掠れてきてるぞ。それとも俺を油断させるための演技か? まさかな……。
「興味無かったからな」
 早口で短く言い、俺は再生に集中する。
 ――ィ、リ……。
「ッハハ。テメーらしい……」
 クソ……予想以上に火力が強い……。もっと壊さないと、再生が追い付かない……。いや、コチラも火力に精神を割くべきか……。
「俺とテメーは違い、過ぎた……。何もかも……。だからテメーは、目立ち過ぎた……」
 ――ィリッ。
「何なんだろうな。ちょっと、羨ましかったのかな……。アンタが俺に無いモンいっぱい持ってたから……ちょっと憧れてたのかな……」
「気持ち悪い。頭痛がする」
 クソ……ソレは今の俺の状況だろ。わざわざ教えてどうするんだ。
「まぁそう言うなよ……。サイゴだろ? 俺は、ずっとアンタに勝ちたかったんだ……」
「下らん妄想だ」
 内臓にまで熱が伝わってくる。胃液が沸騰して口から飛び出しそうだ。
 再生力だけでは足りない。ヒーリング系のサイキック・フォースを……。だが、そうすると火力が……。
 足りない。まだ足りない。力が足りない。カーカスは、あんなに余裕があるのに……。
 体にあるバイオチップの絶対量が違うのか。そういえばカーカスはスロットを5個も持ってるんだったな。ソレだけ沢山のバイオチップに体が耐えられるという事……。
 ひょっとして鬼神クライスト・キラーの中にあったヤツはもう全部放出してしまって……。それでいくら発動させても効果が……。
 あるいは恐れているのか? カーカスにあんな事を言っておいて、俺自身が……俺でなくなる事を恐れて……?
「妄想ねぇ……確かに、そうかもなぁ……」
 馬鹿な。何を今更バカな事を。答えを見つけるんじゃなかったのか。見つけてソレを“固定”するんじゃなかったのか。自分の行動と思考に自信が有るんじゃなかったのか。
「オレぁ、目標が欲しかっただけなのかもなぁ……」
 恐れるな。手を差し伸ばせ。精神を捧げろ。
 新しい力を。自分自身と引き換えに強い力を……!
「アンタを追っかけてれば……追っかけてるウチは、なーんも考えなくて良いモンなぁ……。とりあえず、安心だわなぁ……」
 ――ィリッ!
「そっかそっか……そーゆー事かぁ……。なーるほーど、ねぇ……」
「ソレがテメェの答えか?」
 言いながら俺は火炎の勢いを強めた。すぐにカーカスの方から苦しそうな声が漏れ出す。
「結局、全部思い込みだったっていうのが、テメェの答えか?」
 自分の力で目標を掴み取るのではなく、目標に向かい続けてるのが良いというのがアイツの答えなのか?
「さぁなぁ……。しかし……さすがに余裕あるなぁアンタ」
「テメェとは出来が違うんだ」
 良いぞ持ち直してきた。大分楽になってきた。熱さを感じなくなってきた。気分がハイになってきた。このまま一気に――
「俺の父さんと母さんは政府の連中に殺された」
 ――何を、言ってるんだ……? 俺は……。
「オッドカードを出来の良いロスト・チルドレンにするためさ。ロスト・チルドレンの強さを表すK値は生体固有値じゃない。条件によって大きく変わるんだ。どうすればいいかって? 簡単なことさ。辛い目見させりゃいいんだよ」
 口が、勝手に……。
「ロスト・チルドレンの力は自分の心と引き換えだ。ソレを差し出すってことは大切なモンを失うってこと。辛い目に耐えなきゃならないってこと。耐えたら耐えただけ力を得られる。ギブ・アンド・テイクってヤツだ。だからK値を下げるにはボコボコにヘコませりゃいい。ゴミクズみたいに叩きのめしてやればいい。で、最初からヘコんでる奴連れてくりゃ手間が省けるってワケだ。だからオッドカードはスラム出身の奴が多いんだよ。あそこはそういう奴等の掃き溜めだからな」
 違う。そんなことじゃないだろ。今しなければならないのは……。
「父さんと母さんはそのために殺された。俺を追いつめるために殺されたんだ。強いロスト・チルドレンにするために。俺は、アイツらを許せなかった……。今までずっと信頼していたのに裏切ったアイツらを。父さんと母さんを殺しやがったアイツらを……絶対に……」
 そうじゃない。そんな下らないことどうでもいい。少しも考えちゃいない。
「政府は壊した。次はテロ共の番だ。だからこんなトコでイツまでもテメェと遊んでるワケにはいかねぇんだよ」
 そうだ。俺が今しなければならないのはテロを潰すこと。このテロの本拠地を無茶苦茶にしてやること。そのためにはコイツが邪魔なんだ。このクソ野郎を殺して――
「……はっ、まさかこんな所で、アンタのことをきけるとはね……」
 真に受けるなバカ。冗談に決まってるだろ。
「アンタも、色々あったんだなぁ……イロイロと、よ……」
 あるワケないだろバカ。知った風なこと言うな。
「こういう話、もっと早くにしてりゃ……こんな事にはなってなかったのかもなぁ……」
 知るかバカ。誰がするかバカ。
「答えは、見付かった……。もうサイゴまで、行か……な……」
 喋るなバカ。とっとと死ねバカ。頭が痛いんだよバカ。
 このバカバカバカバカバカバカ。大バカ野郎。
 全く信じられないバカだ。救いようのないバカだ。ド天然級のバカだ。
 色々あった? 話してりゃこんなことにはならなかった?
 そんな大昔のこと今更引っ張り出してきてどうするつもりなんだよ。後悔と反省だけ繰り返していれば何とかなると思ってるのか? 本当にバカだなコイツは。いい加減――
「……おい」
 俺はカーカスに声を掛ける。だが返事はない。
「……死んだか?」
 声は返ってこない。
 俺は腕に込めていた力を緩める。紅くなっていた目の前がだんだん元通りになり、真っ赤に焼けたホールの壁が姿を現した。
「……なんだよ。死んだんなら死んだって言えよ」
 そして床に、黒い塊が1つ転がっていた。辛うじて人間の形をしたオブジェが倒れ込んでいた。
「無様な最期だなぁオイ」
 ソレの側にしゃがみ込み、俺は鼻で笑い飛ばして言ってやる。
 ……いや、無様なんかじゃないか。コイツは答えを見つけたんだったな。それで自分で死を選んだんだったな。
 コイツが最後まで行ってれば、多分俺が負けてた。消し炭になってたのは俺の方だった。
 コイツの方こそまだまだ余裕があった。コイツは最後までコイツのままだった。
「くそっ……」
 面倒な死に方しやがって。せっかく考えが纏まってきたところだったのに。俺もようやく答えを出せると思っていたのに。
 コイツが否定しやがった。
 自分の力で道を切り開くってのは、妄想かもしれないって言いやがった。
 俺より何年も早くそう考え続けてきたコイツが、単なる建前かもしれないってヌカしやがった。
「クソッ……!」
 じゃあ何なんだ。どうすりゃいいってんだ。
 この意味の分からない不安をどうにかするには、どうすれば……。あと、一体何が……。
「……まぁいいさ」
 こんな所で考え込んでいてもしょうがない。体を動かしているウチに答えが出ることもあるさ。カーカスのバカみたいにな。
 それに何も答えを出せずに、ロスト・チルドレンになるっていうのもアリだな。あそこまでなってしまえば、本当の意味で下らないことを考えずに済む。
 まぁ何にせよ、今俺がすることはテロを潰すことだけだ。シンプルに行こう。
 俺は冷たくなってきた金属床の上を歩き、しかしすぐに立ち止まって後ろを振り向き、
「バーカ」
 カーカスにソレだけ言い残して俺は施設の奥へと向かった。
BACK | NEXT | TOP
Copyright (c) 2008 飛乃剣弥 All rights reserved.
 

-Powered by 小説HTMLの小人さん-

inserted by FC2 system