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● 三度目の正直  ●

◆六月三日 葉山鈴音の始まり◆

 ほんの偶然だった。
 たまたま宿題のノートを忘れて教室に取りに戻ったら、たまたまそこに那々美ちゃんが居た。
 那々美ちゃんはなんだか一人芝居をしていて声をかけづらい雰囲気だった。
 しばらく隠れて見ていたら急にみんなの持ち物をあさり始めて、そして私の机で止まった。那々美ちゃんは私の体操服を取り出すと嬉しそうに教室を出ていった。
「あーあ。ホントにもう。忘れん坊なんだから」
 私は苦笑しながら教室に入り、自分の席に向かった。
 私はいつも体育の授業見学してるから、使って貰っても全然問題ないし、新品のまま置いとくのも勿体ないから、このまま那々美ちゃんにあげちゃおっかな。
 そんなことを考えながら、私は机からノートを取りだした。その拍子に机の中から手紙が一枚落ちる。
「あ……」
 それを見て私は顔が火照るのを感じた。
 この手紙は凪坂君へのラブレター。いつか私に勇気が出たら渡そうと思っていた物。でも、その勇気が出る気配はない。多分、卒業するまでずっと。
「いいなぁ、那々美ちゃん……」
 那々美ちゃんは可愛くて、運動神経も良くて、明るくて、誰とでも仲良くなれる。特に凪坂君とは、ピッタリ息のあったコンビのように仲がいい。私は中学からずっと凪坂君を見てきたけど、それは一方的な物。多分、彼の記憶の中での私の存在は、薄い。
「帰ろ……」
 いつまでもこんなこと考えてても悲しくなるだけだ。
 私はノートを鞄にしまうと教室を出ようとした。その時に視界の隅に何かがうつる。
「これ……」
 それは那々美ちゃんのバスケットシューズだった。
 せっかく体操服を持って行ったのに。これじゃあ、またここに戻ってくるな。
 今頃、部室で溜息をついているだろう那々美ちゃんの顔を想像すると妙におかしかった。
 けど、私はちっとも笑ってなかった。
 ――持って行かれた私の体操服――那々美ちゃん――バスケットシューズ――
 私の中で悪魔のパズルが完成していく。
 それは今まで何度も繰り返し考えてきたこと。
 凪坂君に振り向いて欲しい。
 凪坂君に私を見て貰いたい。
 凪坂君を私だけの物にしたい。
 那々美ちゃんを凪坂君から引き離して……。
 黒い妄想はどんどん膨らみ、いつしか私は暇さえ在ればその方法を考えるようになっていた。
 そして今、数ある方法の中から抽出された断片が組み合わさり、また別の方法として形を成す。
 気が付くと、私は那々美ちゃんのバスケットシューズとハサミを持っていた。
 ――だめよ! そんなこと! 那々美ちゃんは私の親友なのに!  
 ――どうして? これが最初で最後のチャンスかもしれないのに?
 私の中で良心と欲望が激しい葛藤を生む。
 理性という檻の中で、闇の鼓動がどんどんその早さを増し、膨れ上がっていった。
 もうすぐ那々美ちゃんが戻ってくる。それまで耐えきることが出来れば今で通りの生活が続く。そう、コレまで通りの楽しくて、平和で、そして……退屈な。
 布が切れる音。
私はバスケットシューズの靴紐にわずかに切れ目を入れた。そして那々美ちゃんの残したメモをポケットにしまう。
 うっすらと笑っている自分が、少し嫌だった。

 私は自分の体操服が凪坂君に盗まれたことにした。涙目で『彼らしき人影を見た』と言って私が書いた手紙を見せると、委員長はすぐに信用してくれた。
「大丈夫よ、葉山さん。あなたが言えなくても、私がちゃんと言ってあげるからっ」
 私が嘘や冗談でこんな事を言う人間でないことはみんな知っている。それに委員長は、ちょっとお節介なほど面倒見がいい。
 これで彼が異常者だというイメージを植え付ける事が出来きた。あとは那々美ちゃんが来ないことを祈るだけ。

 那々美ちゃんは昨日、バスケットの練習中に捻挫をしたらしい。靴紐が切れたのが原因だそうだ。
 私の計画は巧く行ってしまった。何かが、私の背中を後押ししているように思えてくる。

 サイは振られた。もう後戻りは出来ない。

 悪い噂は一日あればあっという間に広がる。 
例え、那々美ちゃんが真相を明かしても凪坂君が異常者だという周囲の評価は簡単には払拭できない。
 これでいい。周囲から孤立したときに、救いの手をさしのべられれば、その人を特別視せざるを得ない。私がそうだったように。

 次の日、那々美ちゃんが学校に来るのを見かけた。思ったより早い回復だ。もう一日くらいかかると思っていたのに。昨日、何度も携帯に着信があったけど全部無視した。私が体操服のことを那々美ちゃんから聞くのは学校でなければならない。
 私は廊下に出て、那々美ちゃんが来るのを待った。教室で余計なことを言われる前に、私にとって都合の良い情報を与えるためだ。案の定、那々美ちゃんは私の姿を見つけると、真っ先に声をかけてきた。
 そして、凪坂君と那々美ちゃんを助ける方法を教える。那々美ちゃんは感心したように私の提案に聞き入ってくれた。すぐにでも実行に移したいという意思がひしひしと伝わってくる。
 これで、凪坂君は『異常者』だけではなく、『暴力者』というイメージも周りに植え付けることが出来る。どちらも普段の彼からは想像も出来ない姿だ。人の信頼を築くことは難しいが、崩壊させることは簡単だ。

 昼休み。凪坂君が不良三人とケンカを始めた。那々美ちゃんには凪坂君がどれだけ強いかは教えていない。ハッキリ言ってあの程度であれば五人くらいまでなら楽勝だろう。けど、念のため那々美ちゃんが不良達にばらまいた手紙は、適当な数だけ残して処分させて貰った。
 ケンカの勝敗は、凪坂君の圧勝。
 私はその彼の姿に思わず見とれてしまっていた。
 私の計画はきっとこのまま巧くいく。彼の姿はいつも私に自信を与えてくれる。
 そう、あの時もそうだった。

 私は中学生の時、典型的なイジメられっ子だった。机に彫刻刀で卑猥な落書きをされたり、教科書をトイレに捨てられたり、運動靴を飼育部の動物のトイレ代わりにされたりする事が毎日のように続いた。
 ある時、歴史の授業で二人一組になる課題を言い渡された。内容は興味のある歴史人物の背景を自分なりまとめて発表する、と言うものだ。
 当然、私と一緒に組んでくれる人なんて居ないと思ってた。
 イジメられっ子と仲良くしたら、次は自分がイジメられる。その考えはすでに当たり前のように浸透していたからだ。
『葉山。一緒にやろうぜ』
 でも凪坂君は違った。彼は不良達のボスみたいな存在だったから、誰も文句は言え無かった。ましてや報復を考えるとイジメるなんて発想自体起こり得なかった。
 凪坂君は、ただ単に私と組めば、めんどくさい課題を全部やってくれるだろうって考えで私を誘ってくれたんだろうと思う。実際、作業は殆ど全部私がやった。でも全然苦にならなかった。それよりも、今まで恐いとばかり思っていた凪坂君の、優しい一面をたくさん見られて嬉しかった。
 図書館で調べ物をする時、重い資料は全部彼が持ってくれた。私がイジメられているのを見ると『俺の頭脳に触るな!』と追い払ってくれた。発表の最中も凪坂君のおかげでヤジを飛ばされずに済んだ。
 凪坂君が隣にいる。ただ、それだけのことで私は自信が持てた。

 歴史の課題が終わった後。私はイジメられなくなった。間違いなく凪坂君のおかげだ。
 私は彼に感謝した。いっぱい、いっはい感謝して……気が付いたらソレは恋に変わっていた。毎日毎日、凪坂君のことばっかり考えて過ごした。
 それから、喋ることは殆どなくなったけど、遠くから見ているだけでも私は幸せだった。

 中学を卒業する時、これでお別れかと思うと涙が止まらなかった。
 そして高校に入学し、彼の姿を見たときは本当に嬉しかった。嬉しすぎて、ここでも涙が止まらなかった。
 随分外見は変わっていたけど、それでも一目で彼だと分かった。だって、今までずっと彼だけを見てきたから。

 高校で一人目の友達はすぐに出来た。那々美ちゃんだ。
 彼女は誰とでも仲良くなれる才能を持っていた。勿論、凪坂君とも。
 ――邪魔だな。
 いつしか沸き上がったその本音。私は自分に嫌悪感さえ感じた。那々美ちゃんはいい子だ。そんないい子を邪魔者呼ばわりする何てどうかしてる。
 何度も何度も頭から振り払った。でも、そのたびにその黒い感情は強くなっていく気がする。
 そして、ついに表面化した。
 待ってて凪坂君。すぐに那々美ちゃんのこと嫌いになるから。

「那々美ちゃんと凪坂君、付き合ってるみたいなの」
 私は朋華ちゃんを捕まえてそう言った。彼女とは那々美ちゃんと三人で一緒に遊んだことが何度かある。私が凪坂君に気があるような態度をとると、彼女は何も聞かずに相談に乗ってくれた。本当は『気がある』なんてものじゃないんだけど。
「わかったわ! わたしが確認して来てあげる! その封筒、無理矢理にでも見てやるわ!」
 朋香ちゃんがこういう話題に敏感なのは良く知っている。彼女は弾かれたように走り出した。
「あ、待って!」
 私は慌てて呼び止めた。凪坂君を探しに行く前に彼女には言っておかなければならないことがある。
「私の勘違いかもしれないから、私が教えたって事絶対に言わないで」
 朋香ちゃんは強く頷いた。
「分かってるわ。私たちの友情は永遠に不滅よ! 聞かれたらテキトーに誤魔化すから!」
 そう言いながら彼女は走り去った。
 後は巧くいくことを祈るだけ。

 屋上で二人の会話を聞いた。
 そして私の計画が破綻したことを知った。
 てっきり凪坂君が一方的に那々美ちゃんを罵倒して終わるのかと思っていた。でも違った。彼は基本的に紳士で優しい。
 私は屋上の扉を開けた。
「鈴音……」
「葉山……」
 二人の視線が突き刺さる。
 でも逃げることは決して許されない。私は自分の罪を償わなければならない。これで那々美ちゃんには嫌われるだろう、凪坂君には殴られるかもしれない。でも、そうなって当然のことは私はした。自業自得だ。
「ゴメンネ……」
 謝って済むような問題じゃない。けど謝らずに入られない。
「鈴音。説明、してくれる?」
 那々美ちゃんの言葉に私はゆっくり頷いた。そして最初から全部説明する。
 言葉はまるで堰を切ったように溢れ、とどまる事を知らなかった。内に秘めた想いも全部吐き出した。自然と涙が溢れ出た。
 そして最後に、
「凪坂君……大好き」
 言葉は驚くほど自然に出た。いままで、何回も言おうとして出来なかったその一言。
 それがまるで息を吐くかのように、自然に、あっけなく、私の口から飛び出した。
 二人は何と言っていいか分からない表情で私の方を見ている。
「ゴメンネ……」
 私は最後にもう一度、小さくそう言って二人に背を向けた。
 私はこれからみんなに話さなければならない。
 またイジメられるだろう。停学になるかもしれない。いや、退学かも。私は那々美ちゃんの大事な足を傷付け、凪坂君の学園生活を無茶苦茶にしようとしたのだ。
 ああ……でもそうなったら、凪坂君とはもう会えなくなるなぁ。寂しい。寂しすぎて、私は死んでしまうかもしれない。
 でも、当然の報い。
「待てよ、葉山」
 屋上の扉のドアノブに手をかけた時、凪坂君に呼び止められた。
 まだ、何か言いたいことがあるんだろうか。出来れば凪坂君の口から悲しい言葉は聞きたくなかったけど、それは都合良すぎる。殴られなかっただけでも幸せなのだから。
「なに?」
「俺に良い考えがある」
 そう言った彼の瞳には、忘れかけていた中学生の頃の悪戯っぽい光があった。




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