アシェリー様のお通りだ!

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第一章

「こりゃあ、大分喰われちまってるねぇ」
 小さな村の真ん中にある酒場兼宿屋。
 オーク樹でできた年代物の椅子を軋ませながら、アシェリー=シーザーは呆れたような視線を外に向けていた。
 酒場の外にいるのは無邪気に遊ぶ子供達、畑仕事に精を出す筋肉質な男、談笑する主婦達。皆、何事もなく平和な日常を謳歌している。
「アイツは腕が根本からイカれちまってる。そっちの子は脇腹がない。あの女は顔が半分崩れてる」
 頬杖を付き、利き腕である左手に持ったフォークで村人を一人一人指しながら、アシェリーは自分の目に見えている光景を呟いた。
「飯食ってる時に胸クソ悪いこと言うなよ。不味くなるだろ、ボケッ」
「あァーん?」
 真下からした棘のある言葉にアシェリーは不機嫌そうに顔を向ける。そこにいたのは一匹の黒猫。前足で器用に皿の上の肉を切り分け、次々と胃袋に流し込んでいた。
「ガルシア……こーんな酷い光景見て、アンタよくガツガツ食えるね。ちったぁ心が痛むとか、そーゆー考えは浮かんでこないのかい?」
「それを何とかするのがお前の仕事だろ」
 皿から顔を上げることなく、黒猫――ガルシアはぶっきらぼうに返す。
 身も蓋もない答えにアシェリーは溜息をつき、黒いセミロングの髪の毛を乱暴に掻きむしった。そして気の強そうな切れ長の目をつり上げ、ガルシアの首根っこをつまみ上げて自分の視線の高さまで持ってくる。
「あーもーホントに役に立たないバカ猫だねぇ! 食費ばっか増やすんじゃないよ!」
「何だとコノヤロウ! 誰のおかけで見えるようになったと思ってやがんだ!」
「アンタが勝手に見せてるだけだろ! 恩着せがましいこと言うんじゃないよ!」
「テメ……!」
 ガルシアが何か言おうと口を開きかけた時、アシェリーの肩が後ろから叩かれた。
「お客さん、メルヘンの世界に浸るのは一人の時にしてくれねぇかな」
 恐る恐る振り返ると、厳つい体つきのスキンヘッドがフライパン片手に青筋立てて睨み下ろしている。
 ガルシアの声はアシェリーともう一人の旅の相棒以外には「にゃー」としか聞こえない。さっきまでの会話は端から見れば、若い女が飼い猫相手にストレス発散しているようにしか見えないだろう。
「わ、悪いね。商売の邪魔しちゃってさ……」
 ははは、と誤魔化し笑いを浮かべるアシェリーに、スキンヘッドの店主は無言で威圧してくる。痙攣している目元が、何よりも雄弁に『とっとと出て行け』と語っていた。
(コイツも喰われてる)
 顔は上に向けたまま、視線だけを僅かに下げて彼の二の腕を見る。女性の腰回りほどもある太い腕は大きく抉れ、暗い断面を晒していた。
「じゃ、じゃあ、お勘定ココに置いとくよ。ホント、邪魔したね」
 左手でガルシアを掴み上げて立ち上がり、店主とすれ違いざま喰われていた二の腕に軽く触れる。
(元を断たないと、気休めにしかならないねぇ……)
 肩越しに返り見た店主の腕は、健康そうな小麦色の肌を見せていた。


 この村に着いたのは今朝方。まだ日も昇りきっていない時間だった。
 その時は人影はなく、朧月草の放つ仄かな光だけが支配する平凡で静かな村でしかなかった。
「ねぇ、ガルシア。これだけ『星喰い』が進んでるってことは、目的の場所はすぐ側って考えていいんだろ?」
 村全体が見渡せる小高い丘の上。大きくスリットの入った黒いレザー製の戦闘ドレスから覗く白い足を組み替え、アシェリーは隣で欠伸を噛み殺しているガルシアに声を掛ける。
「だからソレを嬢ちゃんが今確認しに行ってんじゃねーか。ちったぁ、じっと待ってろよ」
 くぁ、と大きく口を開け、ガルシアは仰向けの体勢で大の字になった。猫にあるまじき格好だ。
「やる気ないねぇ。アタシゃアンタをそんな風にしつけた覚えはないよ」
「お前にしつけられた覚えもねーよ」
 頭の後ろで組んだ手を枕代わりに寝そべり、ガルシアは半眼になって返した。
「ホント、口の減らない子だねぇ……」
 大きく息を吐き、アシェリーも草むらの上に寝転がった。視界一杯に平和な日常を現したかのような蒼穹が広がる。
 星喰い――アシェリー達がそう呼んでいる現象は日に日に深刻化していた。星が自らの存在を維持するために、星に住む人間達のエネルギーを喰っているのだ。体の一部だけならば生活に殆ど支障はきたさないが、半分以上喰われると寝たきり同然となる。更に喰われ続ければ体は枯れたように萎縮し始め、そして近い内に死を迎える。
 しかし喰われている過程は普通の人には見えない。見えるのは最後の死ぬ間際だけ。途中が見えるのはアシェリーとガルシア、そしてもう一人の旅の相棒だけだ。
「ねぇ。星喰いが見えるのは良いんだけど、もうちょっと加減できないのかい? 見えすぎてたまに困るんだけど」
「そんな器用なマネ出来る訳ねーだろ。無茶言うな」
「ホント役に立たないねぇ。だいたい『出来ない』なんてやってもない内から簡単に言うモンじゃないよ。まったく……」
 出来ないのなら出来るまでやる。ソレはアシェリーの信念。
 そう強く思っていない限り、今の旅の目的は絶対に果たせない。
「お、戻って来たぜ」
 隣りでしたガルシアの声にアシェリーは上半身を起こす。視線の先に年端もいかない少女の姿が映った。
 腰まで伸びた鮮やかな紅い髪。丸みを帯びた頬を紅潮させ、少し息切れしながら彼女は小走りにコチラに近づいて来た。足下までスッポリ包み込む純白の長衣を翻らせ、短い手足を必死に振って前へ前へと進む。そのあまりに一生懸命な仕草は、見る者に癒しを与えてくれた。
「エフィナ!」
 アシェリーは立ち上がってその少女――エフィナ=クリスティアに大きく手を振る。
「お帰り! ご苦労様。で、どうだった?」
「……ん」
 どこか眠そうな薄く開いた眼を少し大きくし、エフィナは嬉しそうに微笑んだ。自分の腰くらいの位置にあるエフィナの頭を撫でてやりながら、アシェリーはしゃがんで目線を合わせる。
「そーかい、やっぱり近くにあったのかい。じゃあ早速案内しとくれよ」
「……ん」
 コクン、と可愛らしく頷き、エフィナは来た道を戻ろうと歩きだした。
「おいおい、今日来て速攻で行くのかよ。ちったぁ休んだ方がいいんじゃねーのか。大体お前、さっき自分の体喰わせたばっかじゃねーか」
 星喰いによって喰われた人達を、アシェリーは癒すことが出来た。やり方は至って単純。喰われた箇所に触れるだけだ。それだけでアシェリーのエネルギーが流れ込み、失われた部分が補完される。
 つまり、言い換えれば自分の体を代わりに喰わせているのだ。当然、喰わせ続ければ疲労は蓄積されていく。
「何呑気なこと言ってんだい。ドレイニング・ポイントの場所が分かってるってのに、のほほんと休んでられるかって話だよ。それにアタシは別に疲れちゃいないよ。余計な心配してないでアンタもさっさと来るんだよ」
 言いながらアシェリーはガルシアの首根っこをつまみ、無造作に持ち上げて肩に乗せる。そしてエフィナの小さな背中を追って歩き始めた。
 ドレイニング・ポイントは言わば星の口だ。そこから人間達のエネルギーを吸い上げている。
 アシェリーの旅の目的、それは世界中に散らばるドレイニング・ポイントを閉じること。
(アタシにしか出来ないことなんだ。だったらアタシがヤルしかないじゃないか。一日でも早く、一つでも多くのドレイニング・ポイントを)
 喰われた人達を癒すことも、ドレイニング・ポイントを閉じることもアシェリーにしか出来ない。アシェリーになら出来る。
 詳しい理由は分からない。しかし随分前に言われたガルシアの言葉をいつの間にか受け入れ、すでに納得していた。
(アタシは選ばれたんだ)
 この星に住む人と、星自体を救うために。


 旅の足代わりである飛竜の子供に乗って三十分。だだっ広い草原と荒寥とした砂漠地帯を抜け、着いた場所は荒い岩肌の露出する火山の麓だった。乾いた風に乗って粒子の細かい灰が、砂塵のように舞い散っている。
「ここかい、アンタの見たドレイニング・ポイントは」
「……ん」
 アシェリーの足下でエフィナが小さく頷いた。
「よし。それじゃ行くよ、二人とも」
 胸元から取り出した真紅の紐を唇で軽く撫でる。ソレを頭の後ろに回し、シャギーに切りそろえたセミロングの黒髪をうなじの辺りできつく縛った。
 アシェリーが気合いを入れるための儀式だ。
 そして柔らかい灰の降り積もる死火山に足を一歩踏み出した時、頭上から謎の高笑いが響いた。
「見ぃつけたぞアシェリー=シーザー! ココで会ったが久しぶり! 今日こそ貴様を俺の剣の錆にしてくれるわ!」
 聞き覚えのある大声に、アシェリーの体から急速にやる気が失われていく。
 額に手を当て、左右に首を振りながらアシェリーは重い溜息をついた。
「な、何だその態度は! せっかく人が夜なべして海を越えて来たというのに! 騎士を愚弄する気か!」
「騎士『志願者』だろ、ヴォル……。アンタも懲りないねぇ……」
 面倒臭そうに後ろ頭を掻き、疲れた視線を彼――ヴォルファング=グリーディオに返す。
 クセの強い短髪は蒼く染まり、本人の性格と同じく自由気ままに跳ねている。お手製の無骨なレザーアーマーは使い込まれ、至る所に裂傷が刻まれていた。
「ぃやかましぃ! この俺様の天才的な剣の腕ならば王家騎士団に採用されることなど朝飯前のニラレバ定食もいいところ! だかそれは貴様を倒した後の話し。俺の剣を馬鹿にしたお前を野放しにしてどうしてスッキリ綺麗サッパリ騎士になれようか! いいやなれない!」
 八重歯の覗く口を大きく開け、ご丁寧に反語まで使って力説するヴォルファングにアシェリーは頭痛すら感じてきた。
「アンタも小さいねぇ……。男ならサラッと忘れて、別のことにその情熱を掛けようとか思わないのかい?」
「思わん! 大体、師匠だけならいざ知らず、俺様の腕前まで扱き下ろした貴様の罪、万死に値する! 大人しくそこになおれぇ!」
 師匠だけならいいのか、と胸中でツッコミを入れて、アシェリーは肩に乗っているガルシアに視線を向ける。
「相手してやれば? 寂しいんだよ、アイツも」
 感慨の籠もった声で言い、アシェリーの肩から飛び降りた。
 続けてエフィナに視線を落とす。
「……ん」
 任せる、と目が言っていた。
「仕方ないねぇ」
 はぁぁ、ともう一度大きく溜息をつき、アシェリーは腰の後ろに固定させてある得物を抜き放った。
 それは五つに折り畳まれた魔導素材の金属棒。折り畳み箇所である節は棒と同質の鎖で繋がれている。
「さぁ、相手してやるからどっからでもかかって来な!」
 アシェリーは五節棍を背中に回し、両端の一節をそれぞれ左右の手に持って構えた。
「いいだろう。ならば言わねばなるまい! コレが今回の俺様のディヴァイド、『岩石 巌君』だ!」
 黒目を爛々と輝かせ、ヴォルファングは勢いよく抜きはなったロングソードを真横に伸ばす。その呼び声に応えるように、彼の足下にあった巨大な岩が重力に逆らって宙へと浮いた。
「彼に託した力は二十パーセント! 特徴は空中浮遊と岩石跳ばしだ! 他に何か質問はあるか!」
 自分の戦闘能力を得意顔で述べるヴォルファングに、アシェリーは慈愛に満ちた憐憫の視線を送る。
「な、なんだその生暖かい視線は! 騎士たる者、正々堂々真っ正面から戦って相手を撃ち破る! コレが真の勝利という物だ!」
 剣を高々と掲げ、持論を熱く語るヴォルファング。
「アンタのオツム、随分とまた後ろに進化したモンだねぇ。感心するよ」
 ディヴァイド――それは高い戦闘センスの保持者が使うことの出来る自分の分身。自らのエネルギーの何割かを手を介して無機物、植物、動物などに分け与えることで、意のままに操ることが出来る。操る対象の生体構造が複雑になればなるほど、当然高いディヴァイドの技術が要求された。
「ふ……言っとくが褒めても手加減はしてやらんぞ」
 馬鹿もココまで来ると本当に感心してしまう。
「巌君! 君は左から回り込め!」
『ァゥ』
 ヴォルファングの指示を受け、岩のディヴァイド――岩石巌はしゃがれた音で返事をして左回りにゆっくりと旋回浮遊する。
 自分の操るディヴァイドだ。当然、肉声での命令などいらない。心の中で念じればそれだけで十分だ。
(ま、こういうヤツだからアタシも飽きずに付き合ってられるのかねぇ)
 半分自嘲めいた笑みを浮かべながら、アシェリーは腰を落として目を細めた。
 自分から見て巌は右から、ヴォルファングは左から弧を描く軌道で接近してくる。だがスピードは断然ヴォルファングの方が早い。
 彼はアシェリーから十メートル以上離れた灰の降り積もる不安定な岩場で両足をたわめる。そして剣を頭の後ろで構えて一気に跳躍した。
「うおぉぉぉら! ちぇすとぉぉぉぉぉぉ!」
 灰白色の粉塵を後ろで立ち上らせ、ヴォルファングは驚異的な脚力でアシェリーとの間合いをゼロ近くまで持っていく。そして溜めていた右腕の筋肉のバネに乗せて、剣を力一杯前に突き出した。
 鋭い。が、極めて直線的な剣撃。アシェリーは体を左に流してやり過ごし、さらにヴォルファングに背中を向けるように体を回転させる。その遠心力に乗せて左手で固定していた五節棍を離し、右手で下からすくい上げるように五節棍を彼の眼前に持っていった。
「のが!」
 背後で間抜けな声が響く。
 五節棍に勢いが無くても、ヴォルファングの方に充分ある。後は考え無しに突っ込んで来たヴォルファングの自滅だ。
「ほらほら、足下がお留守だよ」
 鼻の辺りに五節棍をめり込ませ、大きく体勢を崩したヴォルファングに足払いを掛ける。両手両足を中空に投げ出し、受け身も取れないまま仰向けの体勢で火山灰に身を沈めるヴォルファング。
 アシェリーは右手を大きく上げて五節棍を宙に浮かせると、真ん中の三節目に握り換える。そしてヴォルファングの鎧の中で最もガードの厚い胸元を狙って振り下ろした。
 直後に伝わる堅い手応え。
 肩まで呑み込む激しい振動と共に、間に割って入った岩石巌によって五節棍の半分が真上に弾き飛ばされた。
「ふははははは! 巌君の存在を忘れたか!」
 してやったり、といった顔で哄笑を上げるヴォルファング。直後、彼の脳天に手首を返して飛来させた手前側にある五節棍の半分が見事に命中する。
「戦いの最中は相手の得物から目を離すなって、前に教えてあげたよねぇ」
「おおおおおお……」
 痛そうに頭をさするヴォルファングを後目に、アシェリーは巌を見ながら嘆息した。
「や、やれ! 巌君!」
『ォゥ』
 異音と共に、灰色の岩石から拳大の石が無数に射出される。
 予想通りの行動だった。
 アシェリーは五節棍の鎖の部分を両手で握り、器用に棒を回転させながら一つ一つ丁寧に石を打ち落としていく。
「コイツ、アンタの二十パーセントって言ったっけ?」
 全てを落とし終え、アシェリーは悠然とした佇まいでヴォルファングと巌を睥睨した。
 口の端に酷薄な笑みを浮かべ、頭上で五節棍を一本の長い棒の如く大回転させる。
 ディヴァイドは自分のエネルギーの何割を分け与えるかで能力が違ってくる。大きく分け与えれば当然強くなり、例えば巌の場合ならもっと素早い動きも可能になるだろう。
 しかし、そうすればヴォルファング本人の力が削がれることになる。
 ディヴァイドを使った戦いに置いて、要はココが駆け引きなのだ。
 どの物質、生物がディヴァイドなのか、それに何割の力を分け与えているのか。ソレを探りながら相手の力を見極める。騙すことに長けていれば、例え純粋な力で劣っていたとしても技で勝てる。
 しかし、ヴォルファングは最初からソレを放棄した。
「本当に二十パーセントなのか……確認しても良い?」
「俺が嘘を言うとでも思っているのか」
「思ってないよ。これっぽっちもね」
 アシェリーの笑いが悪魔の冷笑から、天使の微笑みへと一瞬変わる。
「だからお仕置きしてあげるんだよ! 何回言っても学習しない、出来の悪い穀潰しにね!」
 そして最後に鬼の如き形相へと変貌し、アシェリーは十分すぎるほどに勢いの付いた五節棍を巌めがけて振り下ろした。
 魔導素材の節は巌に接触してもまるで勢いを落とすことなく、痛快な破砕音を巻き上げてみるみる岩肌を削り取っていく。
「ほらほらほらほら! どうしたんだいヴォル! 早く何とかしないとアンタのエネルギーが無駄になっちゃうよ!」
 ディヴァイドに宿したエネルギーは、ディヴァイドが死ねば消えて無くなる。意識的に吸い上げない限り本人の元には戻らない。
 これだけ追い込まれた以上、一端引くべきだ。しかし――
「騎士は下がらぬわ!」
 そう。ヴォルファングはこういう人間だ。
 尻餅をついた体勢から剣を真上に付き出し、アシェリーの回転撃を強引に止めようとする。金属同士が弾き合う甲高い音を響かせ、アシェリーの五節棍は徐々に勢いを殺していった。
「ぬううぅぅぅぅ、おわたぁ!」
 ヴォルファングは裂帛の気合いと共に左腕だけで地面を押し、その勢いに乗って立ち上がる。そして両手でロングソードを握り、真っ向からアシェリーの五節棍を受け止めた。
「ふ、ふふふ……うふふふふふふふふふ」
 不気味な笑みと、奇怪な目の輝きを顔に張り付け、ヴォルファングは凄絶な顔つきとなってアシェリーを睨み付ける。
「巌君! さぁ、復讐の時だ! きゅうじゅっパーセンとぉぉぉぉぉ!」
 もはや小石と化した岩石巌に右手を乗せ、ヴォルファングはさらにエネルギーを注ぎ込んだ。
「アンタ、ホントにバカだね」
 巌が九割ということは、ヴォルファング自身は本来の一割しか力を出せない。エネルギーが移行したことをわざわざ報告しなければ逆転もあったかもしれないが、後の祭りだ。
「はぅっ」
 下から蹴り上げたアシェリーの踵が綺麗にヴォルファングの顎先を捕らえ、彼は白目を剥いて悶絶した。
「バカ正直な戦い方しなけりゃ、アンタも結構良い線行ってるのにねぇ」
 ヴォルファングの実力は初めて会った時よりも遙かに上がっている。だが彼の場合騎士道とやらが邪魔をして、実力を出し切れないでいるのだ。
(ま、諦めないでガンバンな)
 胸中で密かに激励の言葉を送り、アシェリーは巌に向きなおった。
 本体が気絶しても、すぐにディヴァイドがいなくなるわけではない。熟練者になればなるほど無意識下での制御が可能となる。
 巌は今、小石ほどの大きさしかない。しかしヴォルファングの九割の力を持っていることには変わりないのだ。油断は出来ない。
「……あれ?」
 構えるがいつまで立っても攻撃してくる気配がない。
 しばらくして巌は小さな体を小刻みに震わせると、力無く地面に落ちた。そのまま辺りの岩に混ざって、どれが巌だったのかすら分からなくなる。
 本来ならば罠かと疑うところだが、相手があのヴォルファングのディヴァイドなだけに騙し討ちをしようとしているとは考えにくい。
「気配、完全に無くなったぜ」
 ぴょんっ、アシェリーの肩に飛び乗ったガルシアが、ダルそうに言ってくる。
 それはアシェリーも分かっている。巌の気配は微塵もない。だが何故?
「コイツがヘタレで操りきれなかったんだろ。カタ付いたんだ。さっさと行こうぜ」
「あ、ああ……そうだね」
 ヴォルファングは確かにバカでヘタレで単細胞で病んだ心の持ち主だが、戦闘センスはなかなかのものだ。気絶したとはいえ、彼のディヴァイドがこれ程アッサリ無くなるとは思えない。
(ま、こういう日もあるか)
 どこか釈然としないが、今は他にやるべき重大なことがある。
 仰向けになったカエルのような体勢で意識を失っているヴォルファングを一瞥し、アシェリーはドレイニング・ポイントへと向かった。


 ソレは火山の中腹にあった。
 周囲の風景を呑み込み、不自然に歪められた光景。まるで酷く出来の悪い合成写真を見せられているような錯覚に陥る。
 静寂と停滞を感じさせる死火山の灰色をバックに、螺旋状にねじ曲げられた空間が浮かんでいた。景色の一部が切り取られ、不可視の力で絞り上げられたようにすら見える。
「間違いない。ドレイニング・ポイントだ……」
 目線より僅か上に位置する歪んだ空間に、アシェリーはノースリーブの戦闘ドレスから覗く細腕を伸ばした。
「気ぃつけろよ。ヤバくなったらすぐ手ぇ離せ。いいな」
 顔のすぐ隣で助言するガルシアに視線だけを向け、アシェリーはいつになく神妙な面もちで頷く。
 細く息を吸い込み、数秒掛けてゆっくり吐き出した。神経の糸を束ね、集中力を極限まで高めていく。そして薄く眼を開き、確かな決意を込めてドレイニング・ポイントに触れた。
「……ッ!」
 全身を駆けめぐる戦慄に似た悪寒。自重が何十倍にもなったような虚脱感に襲われ、危うくドレイニング・ポイントから手が放れそうになる。
 アシェリーは気力で意識を繋ぎ止め、奥歯を噛み締めて白み始めた視界に抗った。霧に覆われつつある焦点を必死に絞り、大きく開眼して仇でも睨み付けるような顔を歪んだ空間に向ける。
 遠くの方で耳鳴りに聞こえるガルシアの声。視界の隅でエフィナが自分のレザードレスを引っ張っているのが見えた。
「大、丈夫、だよ……」
 喉を震わせ、何とかその言葉だけを発する。
 魂すら持って行かれそうな精神の崩落。体が自分の制御から離れ、手が下がりかけた時、急に視界が開けた。
 先程までの茫漠とした雰囲気は霧散し、代わって言いようのない昂揚感が沸き上がってくる。
「……よし……任務完了、だね」
 コレまでも何度か味わってきた達成感、充実感。
 ドレイニング・ポイントを無事閉じ終えた時にのみ感じる独特の感触。
 これでココにあった星の口は満足した。アシェリーのエネルギーを喰ったことで。
「ったく、冷や冷やさせんなよ」
「……あしぇりー」
 ガルシアとエフィナが安堵の息を漏らした。
「へぇ。エフィナはともかくアンタが心配するなんて珍しいじゃないか」
「バ……! 心配なんざしちゃいねーよ! お前にココで倒れられたら、お前を選んだ俺の責任問題になるだろーが!」
 黒い毛を逆立て、激昂したかのようにまくし立てるガルシアにアシェリーは温かい視線を送る。
「はいはい、それじゃそう言うことにしといてあげるよ。じゃ、下りようか」
「テメー! 納得してねーだろ!」
 耳元でギャーギャーわめくガルシアの声もこの時だけは妙に心地よい。これでさっきの村の星喰いも収まっていることだろう。
 少し沈んだ顔になっていたエフィナの頭を撫でて下山し始めた時、突然視界が縦に大きく揺れた。
「何だい!」
 続けて耳をつんざく爆音と共に、異様な熱気が辺りに立ちこめる。降り積もった灰がもうもうと浮かび上がり、アシェリー達にまとわりついた。
「おいおいマジかよ……」
 ガルシアが半笑いになって頂上の方を見上げている。アシェリーもそちらに目を向けると、信じられない光景が広がっていた。
「溶、岩……?」
 白い光を放つ真紅の流動体が、ゆっくりとこちらに向かって来る。
「逃げるよ!」
 エフィナを小脇に抱きかかえ、アシェリーは飛び跳ねるように猛スピードで下山を始めた。
「死火山じゃなかったのかい!」
「知らねーよ! 俺の記憶じゃここは百万年くらい火ぃ吹いてないはずなんだよ!」
 耳の奥で気流が渦を巻き、ガルシアの声がエコーがかって聞こえる。
「それじゃ今日この日がめでたい噴火記念日ってわけかい!」
「あーあーきっとそーだろーよ! さすがアシェリー、悪運だけは天下一だぜコンチクショー!」
 振り落とされないようにアシェリーの肩に必死になって捕まりながら、ガルシアがやけになって叫ぶ。
 愛想のない灰色の景色を急速に後ろへと追いやりながら、アシェリーは風を斬り裂くように疾駆した。ドレイニング・ポイントを閉じ終えた直後で体が言うことを聞いてくれないが、そんな泣き事など言ってられない。熱気はどんどん増して行っている。
 肩越しに後ろを見ると、予想よりも速いスピードで溶岩が迫っていた。
(逃げ切れる、か……?)
 下まで距離と自分の出しうる脚力、そして溶岩の接近速度を頭の中に思い描き、勝算を計算していく。
 そして何とか勝てると見込んだ時、不安要因が横から割り込んだ。
(まさかとは思うけどあのバカ……まだあの場所に居るんじゃないだろーね)
 嫌な予感ほど的中する物。
 火山の麓には、マヌケ面を晒してのびきっているヴォルファングがいた。
「ああああ! もぅ! しょうがないねぇ!」
 叫びながらエフィナを抱えていない右手で五節棍を抜き放ち、目一杯伸ばしてヴォルファングの下にある地面を穿つ。彼の体が僅かに浮いたところで脇腹を蹴り上げ、自分の目線の高さまで持って来た。そしてダラリと垂れ下がっている腕を脇で挟み、力任せに引っ張る。
「毎回毎回人に世話やかせて! 一回死なないとアンタのバカは治りそうにないねぇ!」
 未だに気絶から立ち直らないヴォルファングを罵倒しながら、アシェリーは余計に出来た重りを抱えて足に力を込めた。ゴグ、と妙な音がしたがそんなもの気にしていられない。
「急げよ! やばいぞ!」
「うるさいねぇ! ンなことアンタに言われなくても分かってるんだよ!」
 ヴォルファングの顔面で地面を抉りながら、アシェリーは溶岩の追跡を逃れるためひた走った。


 疲弊した筋肉を揉みほぐしながら、アシェリーは狩った山狼の肉を口に入れる。大分香辛料で誤魔化したが、独特の臭みは完全に取れてはいなかった。
「さすがに今日は疲れたねぇ」
 街道から離れた森の中。さっきの村で宿を取れなくなったアシェリー達は、野宿をするハメになった。炎の中ででパチパチと小さく爆ぜる薪を見ながら、アシェリーは大きく溜息をついた。
「けどおっかしーなー。絶対噴火なんざするはずねーのになー」
 朧月草とまだらキノコのスープを舌先で冷まして呑みながら、ガルシアは納得のいかない顔で思案する。
「起こっちまったモンはしょーがないよ。まーみんな無事だったんだし良いじゃないか。溶岩に追いかけ回されるなんて、滅多に体験出来るモンじゃないよ」
「……お前のその性格、羨ましいよ」
 結局、溶岩は麓近くにあった砂漠を完全に呑み込んで動きを静めた。村まで足が伸びなくて一安心と言ったところだ。
 ヴォルファングは街道の途中で適当に捨ててある。運が良ければ誰かに拾われて、肩の脱臼と打ち身、擦り傷を手当してもらえるだろう。
「で、今度はどこの街に行くんだい?」
 隣でルカの実を頬張っているエフィナに顔を向ける。なんだかハムスターみたいで可愛らしい。
「……ぜいれすぐ」
 エフィナの言葉に、一瞬体が硬直する。
「ゼイレスグ、かい……正直あんまり行きたくないんだけどねぇ。その近くにドレイニング・ポイントがあるってのかい?」
 こくん、とエフィナは小さく頷く。
 世界中に散らばるドレイニング・ポイントを的確に見つけられるのは、ひとえにエフィナの功績だった。彼女があらゆる場所に置いてきたディヴァイドを通して大雑把な位置を把握し、旅をして近くに来れば自分の目で更に正確な位置を調べる。そしてアシェリーがその場に赴いてドレイニング・ポイントを閉じるというのが大きな流れだった。
「だったら石海を渡らないとねぇ。この近くに船の出てるとこあったかなぁ……」
 石海は文字通り石だけで埋め尽くされた領域だ。地盤も緩く、時々石自体が波打つことからその名前が付けられた。歩いて渡ることも可能だが、途中で物資を補給出来る所が無いため、それなりの準備と覚悟がいる。
「『石渡り船』なら街道の終わりの街にあっただろ。まぁ、歩きなら五日ってトコかな」
 例の噴火騒ぎで足代わりだった飛竜の子供は逃げてしまった。しばらくは歩いて旅を続けなければならない。
「五日かぁ……しょうがないねぇ」
 黒髪を首筋の辺りに撫でつけながら、アシェリーは嘆息した。
「ま、明日からしっかり歩くんだな」
「アンタもね」
 その一言にガルシアはスープから顔を上げて、絶望的な表情を浮かべる。
「お、おい、いつも通りお前の肩の上でいいだろ。別にそんなに重いわけじゃないしよ」
「あー、疲れた疲れた。今日はもう寝るよ」
 ガルシアの訴え掛けに答えることなく、アシェリーは自分のバックパックを枕代わりに柔らかい草むらの上に寝ころんだ。
「おいいぃぃぃ! 聞けよ!」
 横になると同時に心地よい睡魔が襲ってくる。今日は本当に色々あって疲れた。
(次のドレイニング・ポイントはゼイレスグ、か……。ソレまでに鋭気を養っておかないとねぇ)
 喰われたエネルギーは当然すぐには戻らない。もし体調が万全でないままドレイニング・ポイントを閉じようとすれば、命を危険に晒すことになる。
「じゃ、じゃあエフィナ! お前の肩に乗せくれよ」
「……や」
 平和なやり取りが瞼を重くする。
(なんでアタシが選ばれたのかねぇ……)
 五年前、ガルシアと出会って星喰いが見えるようになった。そして星が異常な状態であることを知った。解決法はないのかと聞くと、ガルシアは星の仕組みとアシェリーの持つ特別な力について教えてくれた。
(ま、いいか……)
 自分の授かった力の正体。ソレを知りたいとは思う。しかし今は重要なことではない。今大切なのは自分がこの力を使えるという事実。
 自分の生まれ育って来た星のために出来ることがある。旅を続ける理由はそれだけで十分だった。
(余計なことは考えないようにしないとね)
 視界が狭まる。体が沈むような感覚に支配され、アシェリーは心地よい眠りへと誘われた。


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