人形は啼く、主のそばでいつまでも

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  Level.6 『やれるものならやってみろ』  

『こんにちは、メルム=シフォニーさん。今日から私達があなたの家族よ』

 白くモヤ掛かり、日に日に色褪せていく記憶の中で未だ鮮明に焼き付いて離れない園長先生の笑顔。
 私の人生は、あの時から始まったんだ。
 自分の物ではない誰かの血にまみれて置き去りにされ、本来帰るべき場所である教会にも見捨てられた私を拾って育ててくれた。

『どうしたの? 他のお友達と一緒に遊ばないの?』
 
 なかなか周りに溶け込めない私を、園長先生はいつも気遣って優しい声で話し掛けてくれた。顔の洗い方も、歯の磨き方も、スプーンとナイフの持ち方も、ペンの使い方も、そして他人とのふれ合い方も。
 身の回りのことは全部園長先生に教わった。
 園長先生は何でも知っていて、聞いたことには何でも丁寧に答えてくれた。
 雲ってなに? 雨ってなに? 鳥ってなに? 痛いってなに? 気持ちいいってなに? 楽しいってなに? 友達ってなに? 
 園長先生が色々教えてくれたから、私は誰かと一緒にいることの楽しさを知った。力を合わせることの素晴らしさを知った。他人を思い遣る心を知った。
 あの時私は、最高に幸せだった。

『凄いわ、メルムさん! あなたにそんな才能があるなんて!』

 私がドールマスターとしての力に開花した時、園長先生は自分のことのように喜んでくれた。そしてソレを伸ばすために沢山の力を貸してくれた。
 ドールに関する書物の購入、素材の収集、ギルドへの登録費の援助。お金に余裕なんかあるはずないのに、園長先生は私を応援し続けてくれた。そして精神的にも支えてくれた。
 失敗した時には励ましてくれ、私が元気になるまで色んな楽しいお話をしてくれた。成功した時には孤児院にいた人達全員で喜びを分かち合い、私に更なる向上心と刺激をくれた。

『また、顔を見せに来てね。ずっと待ってるから』

 特待生としてアカデミーに呼ばれた時も、園長先生は笑顔で見送ってくれた。ずっと笑顔で、手を振ってくれていた。
 今思えば、あの人が笑っていない時などなかった。孤児院を運営するだけでも大変だったはずなのに、絶対に弱い部分を見せない人だった。そして私はずっと園長先生の気遣いに甘えていた。
 ――必ず恩返しをする。
 そう心に決めて、私はアカデミーに入学した。
 最初の内は少なくとも月一回は顔を見せていた。おもちゃや食べ物などのお土産を持って帰ると、まだ小さい子達はすぐに私の周りに集まってきてはしゃいでいた。そして園長先生はいつもと変わらない笑顔で私を迎えてくれた。
 しかしアカデミーにあったドールに関する情報量は、孤児院で得られた物とは桁違いだった。私は寝食を惜しんでドールの研究に没頭し始め、だんだんとアカデミーと寮の間を往復するだけになっていった。
 色んな賞を得て、色んな名声を受けて、沢山の研究資金を貰った。その中から自分が生活できる分だけを抜き取って、後は全部孤児院に寄付した。
 ――大丈夫、ちゃんと園長先生には恩返ししてるから。大丈夫。
 会いに行く時間をとらないことをお金で誤魔化して、私は何年も顔を見せなくなった。
 そして二十二の時、私はドールの世界から身を引いた。いや、逃げ出した。
 一人で殻に籠もって他を呪い、妬み、憎んで無様にすごしていた。
 急に寄付金が来なくなって、ひょっとしたら園長先生は心配しているかもしれない。顔を見せに行った方がいいかもしれない。
 だが思うだけで実際に行動に移すことはなかった。
 私のことを気に掛けてくれる人などいるはずがない、受けた恩を忘れて自分勝手に生きてきた人間のことなど覚えているはずもない、ましてや堕ちる所まで堕ちてしまった私の顔など見せる価値もない。
 本当は会いに行く勇気がなかっただけなのに、それらしい言葉を並べ立てて言い訳だけ立派にして、私は惨めに閉じ籠もっていた。
 頭に浮かぶのは楽しかった昔の頃の思い出だけ。どんな時でも私に優しく微笑みかけてくれた園長先生の顔だけ。
 まだ元気でやっているだろうか。だんだん頭に白い物が混じり始めていたし、声だって小さくなってきた気がする。今は何歳? もう六十近い? ちゃんと食事は摂っているだろうか、悩み事で苦しんではいないだろうか、孤児院の子達と上手くやっているだろうか。
 会いたい。顔を見たい。声が聞きたい。
 だが、どうしてもできない。
 どうやっても足を向けられない。体と心、その両方が拒絶している。
 けど、けど――今は……!
「そんな……」
 アタシの目の前に広がっていたのは半壊し、炎に包まれた二階建ての古い建物だった。
 木の屋根は殆どが剥がれ、二階部分は原型を留めていない。建物の半分は完全に焼け落ち、黒い炭クズと化していた。狭い敷地内には私がいた頃にはなかった遊具が沢山あったが、そのどれもが悪夢のようにねじ曲げられて破壊されている。綺麗だった花壇には大きな穴が開き、潰れた何かが押し込められていた。
「アレ……」
 そのそばに、人の腕のような物が見えるのはアタシの気のせいだろうか……。
「来た、な……? な? メルム、シフォニー」
 しゃがれた、不愉快な声が前から聞こえてくる。ソイツはいつの間にかアタシの前に立っていて、カンに障る挑発的な笑みを浮かべていた。
「なかなかいい顔になった、な? ミリアム様も、きっと、喜んでる」
「お前か……」
 血が出るほどに拳を握り締め、目を大きく見開いてアタシはジェグを睨み付ける。
「お前がやったのか!」
「そう、だ」
「コロ――シテやる!」
 目の前が白くなった。周りの景色が消え、音が止み、ジェグの姿しか視界に入らなくなる。目の前が大きく揺れ、ジェグの体が激的に大きくなっていった。
 心臓の鼓動が鮮明に聞こえる。血液が逆流し、全身が紅蓮に包まれたかのように熱くなった。
「ああああぁぁぁぁあ!」
 アタシは自分の叫び声を耳鳴りのように聞きながら、頭の中の声が命じるままに拳をジェグに叩き付ける。
「正気、じゃない、な……? な? ドールを使わないドールマスターなど、紙屑、な?」
 しかし横手から伸びてきた白い手によって、あっけなく止められた。
「ッは――」
 そして腹部に走る鋭い痛みと共に口から息が漏れ、アタシの体はジェグから遠のいていく。
「このバカ! なに無茶なことやってんだ!」
 すぐ隣で羽ばたく音と聞き覚えのある声がした。
「うるさい黙れ……」
 腹を押さえながら、アタシは震える足で立ち上がる。しかしすぐに膝が言うことを聞かなくなって地面に尻餅を付いた。
「殺す、殺、してやる……! 絶対に、コロシテヤル!」
 口の中に広がる鉄錆の味を噛み締めながら、アタシは両手で体を支えて何とか身を起こす。
「メルム! いいから頭冷やせ! 死ぬ気か!」
「どけ!」
 顔の前でうるさくまくし立てる鳥を払いのけ、アタシはジェグに一歩近づいた。
「あ、はははは! どうしようもない、な? メルム、シフォニー。残念ながら、殺すことはできない、が、半殺しなら、きっと大丈夫、な? な?」
 八本もの手を持つ白い筒のようなドールを横に従え、ジェグは耳障りな高笑いを上げる。
「殺す、殺す! コロス!」
 殺すコロス殺す殺すころすコろス殺すころす! コろす! 殺ス! こロス! 殺すコロす殺ス!
 もう何も考えられない。アタシの大切な物を奪ったジェグへの、ミリアムへの殺意だけが頭を埋め尽くしていく。
「メルム! よせって! せめてドールがないと……!」
 さっきからコイツは――
「うるさいんだよ!」
 アタシはハウェッツの頭を鷲掴みにすると、その手に亜空文字を展開させた。
 なら使ってやろうじゃないか! ドールを! 暴走でも何でもいいから! アタシを殺してもいいからコイツを殺せ!
「バカ……! メルム!」
 そして長い角を持った麒麟へとハウェッツが姿を変えていき――
「少し離れてろ」
 低い、男の声が耳元でした。
 直後、髪を大きく舞い上がらせるほどの突風が駆け抜けていく。
「また、お前、か……!」
 忌々しそうなジェグの声。そこには余裕など微塵もない。
「貴様を殺せば教会の戦力はガタ落ち。それは残念だが――」
 男の突進を迎え撃つ形で白い筒型のドールが前に出る。
「潰させて貰うぞ!」
 一瞬、男の両手がブレたように見えた。目を大きく開いて確認しようと思った時には、すでに腕が肘まで筒型ドールに埋め込まれた後だった。
「ッはぁ!」
 男から奇声に近い声が上がる。
 朽ち木をへし折ったような乾いた音。
 そして――ドールは二つになった。
「おいおい、マジかよ……」
 あまりに突然のことに呆気にとられているアタシの隣で、ハウェッツが驚嘆の声を漏らす。
 引き裂いた――ドールを素手で――真っ二つに――
 有り得ない。そんなことできるはずがない。生身の人間がそんなこと。
 じゃあアレは何だ。今、目の前で強引なまでの力業を見せたコイツは何者なんだ。
 アレではまるで――
「せ、先輩! だ、大丈夫ですか!?」
 ようやく追いついたのか、ルッシェが息を切らせて苦しそうに言ってくる。
「さぁ次のドールを出せ! 持ち駒がなくなったらお前を殺してやる!」
 狂気的な笑みを顔に張り付かせ、男は何かを迎え入れるように両腕を大きく広げて叫んだ。炎が発する淡い光が、男の姿を暗闇の中で紅く浮かび上がらせる。
 コイツ……。
 その無慈悲な横顔に底冷えする何かを覚えると共に、私はなぜか懐かしい物を感じていた。
 昔に、会ったことがある……?
「あの人……」
 ルッシェの口から漏れるか細い呟き。
「ヴァイグル、だ……。ラミスの飼い犬だな」
 拘束服のようなコートを着ている男から目を離すことなく、私はその場に座り込んだ。
 アイツのせいで感情が一度途切れてしまった。そのせいで頭の端に追いやっていた腹部の痛みが一気に吹き出し、体を浸食し始める。
 クソ……気を抜くと意識が飛んでしまいそうだ……。ハウェッツも封印体に戻ってしまっている。我ながら情けない。
 私の怒りはこんな物だったのか。こんな痛みくらいで吹き飛んでしまうような物だったのか……!
「せ、先輩! 早く戻りましょう!」
「ふざけるな……。帰るならお前一人で帰れ」
「でも――」
 ルッシェの言葉を遮るようにして、ジェグの前に巨大な黒い影が立ち上がった。
「ほぅ! コイツはバラしがいがありそうだ!」
 オールバックの蒼髪を掻き上げ、ヴァイグルは自分の目の前にそびえ立った壁を喜々として見上げる。
 ソレは植物だった。無数の蔦が地面から吹き出し、中心の太い茎の周りを触手のように覆っている。花の部分に当たる歪な球体は真ん中から裂け、口のように開かれた内部にはどす黒い唾液にまみれた牙が乱立していた。
 さっきの筒型のドールといい、この植物型のドールといい、なんと醜い……。性能さえ高ければ、造形などどうでも良いということか。教会のドールマスターのくせにラミスの考え方に近いな。
「あまり、舐めるな、よ……!」
 ジェグの声に応えて、植物型ドールがヴァイグルに蔦を伸ばす。弾丸のように飛来した蔦は二メートル近くあるヴァイグルの長身に絡みつき、軋んだ音を上げてその体を締め上げていった。
「クッ……」
 ヴァイグルの口から苦悶の音が漏れる。
「クハハッ……」
 しかしソレはすぐに薄ら笑いとなり、
「ギャハハハハハハハハハハ!」
 辺りの空気を抱き込んで震わせる哄笑へと変わった。
「いいねぇ……!」
 ヴァイグルの体を繭のように覆っていた蔦に、縦の切れ目が走る。その奥から水銀のような液体金属を思わせる輝きが覗いたかと思うと、蔦は細切れになって破片を地面に横たえた。
「他のドール共と違って――喰いでがありそうだ!」
 いつの間にか、ヴァイグルの右腕には曲刀が生えていた。手の甲から生み出されたソレは大きく反り返り、腕に沿うようにして肩まで伸びている。
 どういうことだ。隠し武器? あのコートの下に? だが、それらしい膨らみは見られなかった。
「ッはァ!」
 蔦の束縛から解放されたヴァイグルは両足をたわませて高く跳躍すると、そのまま植物型ドールの『花』の部分まで身を躍らせる。
「喰い、殺せ……!」
 切羽詰まったジェグの声。ソレに応えて『花』は大きく口を開け、黒光りする牙でヴァイグルの体を噛み切らんと襲いかかる。ヴァイグルの全身が巨大な顎に呑み込まれ、ソレが閉ざされる直前、右腕に生えた曲刀をつっかえ棒のようにして立てて噛み抜かれるのを阻んだ。
 しかし、それでも口は強引に閉ざされていく。上顎と下顎に刃を食い込ませながらもまるで怯むことなく、褐色の体液を噴出させてヴァイグルを噛み砕こうと隙間を狭めていく。
「残念」
 だがヴァイグルは全く動じることなく、左手を口の中にかざした。そしてその手がまた大きくブレ、
「な――」
 私の視界がまばたきで一瞬だけ連続性を欠いたかと思った直後、ヴァイグルの左腕が異様に膨らんでいた。
 いや、膨らんだのではない。生み出したのだ。
 新しい武器を。
「のたうち回れ!」
 声に悦楽と凶気を孕ませ、ヴァイグルは左腕をより深く口の中に突き入れる。
 そして――『花』が爆ぜた。
「次ぃ!」
 爆風に乗って後ろに跳び、ヴァイグルは空中で体勢を直すと何事もなかったかのように地面に着地する。さっきまで右腕にあったはずの曲刀、そして左腕に生み出した大砲は姿を消していた。
 やはり、コイツ。だが、そんなことが――
 私はヴァイグルと、その鬼神の如き戦闘能力に呆気にとられているハウェッツを見比べる。
 ――本当にできるのか?
 数多の法則、仮説、そして目の前の事実。
 混乱と疑念が頭の中で渦巻き、焦燥にも似た昂奮が沸き上がってくるのが分かる。
「こ、イツ……!」
 ジェグの前にさっきの植物型ドール以上の大きさを持つ竜型ドールが真実体化した。巨木のような太い後ろ足と長い尻尾で体を支え、前足の爪と鰐のような顎を突き出して威嚇の声を上げる。
「花の出来損ないの次は、蛇に毛が生えたヤツか!」
 物理的な衝撃波すら伴う竜型ドールの咆吼に逆らい、ヴァイグルは重心を低くして真っ正面から突っ込んだ。目の前でクロスさせた両手には、また知らぬ間に長い爪が生えている。
 ヴァイグルは一瞬にして竜型ドールの懐に入り込むと、下からすくい上げるようにして左の爪撃を放った。しかし分厚い竜の鱗に阻まれ、爪は僅かに食い込んだところで動きを止める。
 ほんの半呼吸ほどの間。しかしソレは致命的な隙。
 ヴァイグルの頭上から振り下ろされた竜型ドールの拳が、彼の体を地面に叩き付けた。さらに拳よりも遙かに大きな後ろ足が、全身を地中深くに埋め込む。
 くぐもった声と、何かが潰れる鈍い音。
「は、あは、はははは……! 死んだ、死んだ……!」
 ジェグの粘着質な高笑いが、暗天に吸い込まれて消える。
 やられた……? こんなにもあっけなく?
 いや――
 勝利を確信して天を仰いでいるジェグは気付かない。ヴァイグルを踏みつぶした竜型ドールの脚が持ち上がり始めているということに。そして僅かに開いた隙間からボロボロのコートに包まれた腕が這い出し――
「アァ……」
 掠れた声が漏れ――
「ガアアアアアアァァァァァァァ!」
 大気を鳴動させる獣吼が周囲に轟いた。
 湿り気を帯びた破砕音。肉が潰れ、骨が砕けた音。
「こんなもんか……」
 無惨に圧縮された竜型ドールの脚の影から、ヴァイグルの長身が幽鬼の如くゆらり、と立ち上がる。
「この――程度かああああぁぁぁぁぁぁ!」
 憎悪、狂気、悦乱、殺意。ありとあらゆる激情をない交ぜにして、ヴァイグルは竜型ドールの片足を力任せに胴体から引き千切った。歪に晒された断面から吹き出す真紅の液体を身に纏い、ヴァイグルは口を弧月の形に曲げて酷薄な笑みを浮かべる。
 オールバックに固めていた蒼い髪は荒々しく乱れ、着ていたコートは辛うじて胴体を包み、そして目にしていたミラーシェイドは片目を僅かに隠すだけになってしまっていた。
 そして壊れたミラーシェイドの隙間から覗いていたのは――
「機、械……?」
 微細なランプが無数に明滅する電子的な容貌。本来眼球のあるべき位置には、指先ほどの紅点が灯っていた。
「ガアアアアァァァァッウアアアァァァァ!」
 鼓膜を激震させる怪吼を上げ、ヴァイグルは右腕を竜型ドールの腹に突き刺す。片足を失いバランスの保てなくなった竜型ドールは、避けることも防ぐこともできずにヴァイグルの拳撃をまともに食らう。
 何か音が聞こえた訳ではなかった。だがその光景を見ている者には、内臓の潰れていく吐き気を催すような感触が伝わってきただろう。
 肩まで深々と埋め込まれたヴァイグルの右腕。さらに体を横にスライドさせ、拳大に開かれた傷口の隙間に左腕をも突き入れる。狭い空間を強引に押し入り、ヴァイグルの両腕が竜型ドールと一体化した。続けて聞こえてくる、繊維を引きちぎるようなブチブチという嫌な音。
 そして――中身が一気に吹き出した。
「そ、んな……」
 絶望に掠れたジェグの声。胃の中身をさらけ出すルッシェからの吐瀉音。集中豪雨のように地面を激しく叩く、血にまみれた臓腑。水平になる程に胸を反り返らせてヴァイグルが上げる怪笑。
 あまりにも現実から剥離した光景が、目の前に広がっていた。
「さぁ、次だ……」
 何かに取り憑かれたような危うい気配を纏い、ヴァイグルはゆっくりとジェグに歩み寄る。目に見えない獰猛な殺気に気圧されるようにして、ジェグはヴァイグルから距離を取り始めた。
「なんだ、もう品切れか……?」
 静かに、それでいて耳の奥にこびり付くくらい鮮明に、ヴァイグルの低い声が夜の空気に溶け出す。ミラーシェイドの奥で輝く機械の瞳が、まるで目を細めたかのように光量を僅かに落とした。
「じゃあ、終わりだな」
 ヴァイグル右腕に刃渡り三メートル近くある長剣が生み出され――
「そこまでだ!」
「大人しくしろ!」
 重い金属音が烈声を伴って近づいてきた。
 王宮の鎧兵か……。また随分と怠慢な職務態度だな。大方ジェグのドールを恐れて隠れていたんだろうが。
「鉄屑共か……。懲りもせずに、また潰されに来たのか……」
 そしてジェグを護衛するかのように展開した十数人の鎧兵達を、ヴァイグルは口元を冷淡に歪めて睥睨する。
 どういうことだ……。なぜジェグを守る。どうして捕らえようとしない。王宮は中立ではなかったのか。
「貴様もこの数に勝てると思っているのか!」
 鎧兵の一人が上げた声に応えて、後ろから更に十数人の男達が追いついてきた。袖や裾にゆとりを持たせたデザインの白いローブ。王宮のドールマスター達か……。
 彼らは手に持ったロッドや水晶で亜空素材を生み出すと、ローブの袖口から手の平サイズの箱のような物を取り出して触れさせた。
 次の瞬間、クラゲのような形をした巨大なドールが出現する。いや、クラゲなどと言った可愛い物ではない。不定形で流動性のある楕円から、湿った触手が伸びているだけの化け物だ。
 ――似ている。
 直感だが、一目見てすぐに分かった。
 ソックリだ。ジェグが操っていた筒型ドールと植物型ドールに。戦闘能力を重視して造形を捨て去った醜い真実体。それにアイツらが取り出した箱状の封印体。コレだけ大きな真実体をあんなに小さく纏めるには相当な技術が必要なはず。
 少なくとも、ココにいる王宮のドールマスター全員にそれだけの技能があるとは思えない。
 だとするとジェグが彼らに与えた? あらかじめプロテクトを解除して、誰でも使えるようにしておいて。
 ジェグがその名前を世に知らしめたのは、優秀な軍事用ドールを開発したから。なら、ジェグと王宮は裏で繋がっている……?
 どうなってる。私の知らないところで何が起こってるんだ。
「数で来れば勝てる……? お前らはそう思ってるんだな?」
 確認するように言いながら、ヴァイグルは鎧兵達に一歩踏み込んだ。
 そして――光が走る。
「脆い……脆すぎる。ソッチの不細工なドール共はどうだ? 俺を、楽しませてくれるのか?」
 鎧兵の胴体から上を左手で掲げながら、ヴァイグルは夢遊病者のようにフラフラと近づいた。
 見えなかった。何をしたのか全く分からなかった。気が付くと鎧兵の隣りに立って、あの分厚い装甲をいとも簡単に切断していた。
「こ……!」
 ようやく接近に気付いた別の鎧兵が剣を振り上げる。しかしソレが上がりきる前に、今度は縦に剣閃が走った。
 一瞬の間をおき、綺麗に割られた薪のように銀色の全身鎧が左右に分かれていく。その奥から凶笑を浮かべたヴァイグルがまた一歩、開かれた銀の門をくぐって鎧兵の方に歩み寄った。
「ひっ……!」
 恐怖に全身を強ばらせ、剣を振るうことも盾で守ることも忘れた鎧兵の前にヴァイグルが立ち――
「ッ……」
 その長身を大きく震わせた。
「ッガアアアアアアァァァァァ!」
 そして悦びではない、激痛に喰われたような叫声がヴァイグルの口から迸る。
「ああッ! アアッッガアアァァァァ! ッハ、うァ! ごおあガアアアアァァァァ!」
 まるで体の中で吹き荒れる凶悪な内圧に振り回されるようにして、ヴァイグルは絶叫と鮮血を喉の奥から吐き出しながら地面をのたうち回った。
 な、なんだ……。どうしたんだ、急に。
「熱い……! 体、が!」
 自分の体を庇うように抱きかかえながら、ヴァイグルは辛うじて身を支える。そして大きく後ろに跳んで鎧兵から距離を取り、苦しそうに肩を落として睨み付けた。
 居合わせた全員が呆気にとられる中、ヴァイグルはそのまま何を言わずに立ち去ってしまう。
 停滞とも言うべき何もない間。静寂の空間。孤児院が焼け落ちる音だけが白々しく耳に届く。そして次に聞こえてきたのは金属質な重い音と、
「追わなくて、いい……!」
 ジェグの叫び声。
 私はようやく我に返り、目の前の奇妙な光景を見つめた。
 ヴァイグルを追おうとしていた鎧兵が、ジェグの声に従って動きを止めている。
 もうここまで来れば明らかだ。やはり教会と王宮は裏で繋がっている。
「コイツが、先だ、な? コイツをもっと、痛めつけ、ろ」
 ジェグの指示に反応し、鎧兵とドールマスター達が私の方に体を向ける。
 嬉しいことを言ってくれるじゃないか。逃げられたらどうしようかと思っていた。お前には地獄を見て貰わないとなぁ。
「ハウェッツ、行くぞ」
 私はルッシェの肩を借りて立ち上がり、腕を横に伸ばしてハウェッツを止まらせる。
「正気かよ! その体で! とっとと逃げんぞ!」 
「その選択はないな。私は勿論のこと、アイツらがそうさせてくれそうにない」
「チィ……!」
 さすがは訓練された兵士。一度冷静さを取り戻せば行動は迅速だ。いつの間にか囲まれている。
「ルッシェ。お前、自分のドールは持ってきてるか」
「は、はい」
「絶対に躊躇うなよ。迷えば、死ぬぞ」
 ルッシェの目を睨み付けるように見て、私は強い口調で言い切った。
 【カイ】か【フェム】、どちらかでもいてくれれば話は違ってくるんだが、今は宿屋のクローゼットにしまった白衣の中だ。ルッシェのドールの力を当てにするしかない。
 しかし、ソレだけでは明らかに不十分だ。
「ハウェッツ。一か八かだ。私を攻撃しても構わんが、ルッシェだけは絶対に手を出すなよ」
「まーだ頭冷えねーのかよ! ルッシェ守るためとか考えろよ!」
「……努力はするが、あまり期待しない方がいい」
 徐々に包囲を詰めてくる王宮の兵達を見ながら、私は自嘲めいた笑みを浮かべた。
 できるなら私だってそうしたい。ルッシェは無関係だ。ただ巻き込まれただけに過ぎない。だから無事帰してやりたい。
 しかし、ダメだ。
 アイツの、あの憎たらしい笑みを浮かべている気持ち悪い男の顔を見ると……!
「やるぞ!」
 私は叫んで両手に亜空文字を展開させた。
「ああクソ! こーなったら俺が気合いと根性で何とかしてやらぁ!」
 自棄気味に吐き散らしながら、ハウェッツは亜空文字の中に飛び込む。そして黄色の角オウムから、金色の麒麟へと姿を変え――
「ふ……残念ながら気合いと根性は俺の専売特許だ!」
 遠くの方から良く知った声が届いた。
「とぅ!」
「ゲペッ」
 ソイツは私達を包囲していた鎧兵の一人の背中を踏み台にして高く飛び上がると、空中で無意味に二回転して麒麟となったハウェッツの背中に尻から着地した。
「お、お前……!」
「愛と努力と友情と勝利の騎士、レヴァーナ=ジャイロダイン参上!」
 コチラに親指をグッ、と突き立てて見せ、レヴァーナは逆三角形の目を片方だけ瞑りながら寒気のするようなスマイルを浮かべる。
 あ、アブナイ……。危うく集中力が切れてハウェッツを封印体に戻してしまうところだった。恐ろしいまでの破壊力だ。
「レヴァーナさん! 来てくれたんですね!」
 突然の乱入者にルッシェが目を輝かせる。
 コイツが来たからどうなると言うんだ。
「できればもっと早く来たかったんだが、後頭部に重篤な傷害を受けてしまって目覚めるのに時間が掛かってしまった」
 ……悪かったな。
「まぁピンチに駆けつけられたから、ソレはソレでよしだ」
 ……狙ってたとかじゃないだろうな。
「さてルッシェ君。そこのツリ目ツンデレは任せだぞ!」
「誰がだ!」
「レヴァーナさんはどうするんですか!?」
 私を無視して二人は向き合い、
「キミはメルムを守る。なら、キミを守るのは俺の役割だ!」
 熱く言葉を交わし合った。
 ……クソ、なんか気に入らないぞ。
「ハイヨー! ゴールド!」
 レヴァーナのアホらしい言葉に応えてか、ハウェッツの体が帯電し始める。
「おおおおおお! 痺れるううぅぅぅぅ! コレが! コレが選ばれし者にのみ与えられるという勇者の力か!」
 一人で勝手に納得して熱くなっていくレヴァーナに呼応して、ハウェッツの纏う雷はどんどん強くなっていった。
 ……そ、そうか。何も私が操らなくてもいいんだ。私と契約したコイツなら、私を介してドールを操れる。そしてハウェッツを操るために必須の条件である、『他人のため』という項目をコイツは素で満たしている。加えてこの人知を遙かに越えた怪情。
 いける……。
 コレなら勝てる!
「レヴァーナ! まずアイツだ! ジェグを殺れ!」
「おっ? おおおおおぉぉぉ!?」
 さっきまで大人しかったはずのハウェッツが、いきなりレヴァーナを振り落とさんばかりに暴れ始めた。
 く……暴走。私が私怨を注いでしまったからか。
 目の前に憎い奴がいるというのに、私から大切な物を奪った仇がいるというのに……!
「レヴァーナさん前!」
 ルッシェの叫び声に、私はレヴァーナの前に視線を向ける。出来損ないのクラゲ型ドールが二体、愚鈍そうな見た目を裏切る俊敏さでハウェッツの前まで迫って来ていた。
「ドール相手には容赦せぬ! 食らえ正義の雷!」
 激しい動きをしていたハウェッツが急に大人しくなったかと思うと、クラゲ型ドールの頭上から金色の雷が降り注ぐ。目を灼く圧倒的な光量を持った柱がそびえ立ったかと思うと、さっきまでクラゲ型ドールのいた場所には黒い炭が堆積しているだけだった。
 凄い……私が操った時とは比べ物にならない破壊力だ。
「俺が活路を開くから、ルッシェ君は自分のドールでメルムを連れて逃げるんだ!」
「わ、分かりました!」
 レヴァーナの言葉に頷き、ルッシェは両手で呪術的な象徴を形作りながら口の中で何かを呟く。そして胸の前で広げた両手の間に亜空文字が出現した。ソレを頭の上まで持っていき、大きなチェック地のリボンに触れさせる。
 リボンが淡い燐光に包まれたかと思うと、巨大な鷲型ドールが羽を広げて出現した。 
「先輩乗ってください!」
「ふざけるな!」
 私の怒声に反応して、またハウェッツが暴れ始める。
「先輩、今のままじゃ完全に逆効果です。誰かのためを思って力を振るえるくらい冷静にならないと、ハウェッツ君は言うことを聞いてくれません」
「お前、どうしてソレを……」
 ……そうか。あの時、起きていたのか。
「スイマセン。盗み聞きするつもりじゃなかったんですが……」
「話はまとまったか!? そろそろ行くぞ!」  
 ソレだけ言い残すと、レヴァーナは奇声を上げながら包囲の一角に突撃した。
 他を寄せ付けない雷を纏い、残像すら生じさせる程の速さで攻撃と回避をほぼ同時に行うハウェッツに誰も付いていけない。敵のドールの黒い亡骸だけが次々と積み上げられていった。
「行きますよ先輩! しっかり掴まってて下さいね!」
「あ、おい……!」
 ルッシェは私の腕を強引に掴んで引き寄せると、鷲型ドールの背中に放り投げるように乗せる。
「飛んで!」
 重力が倍加したような錯覚。
 ルッシェの声に応え、鷲型ドールは大翼を羽ばたかせて上空へと舞い上がった。視界が急速に入れ替わり、炎の明るさに代わって重苦しい夜闇が周囲を埋め尽くす。
 下からクラゲ型ドールの触手が伸びてくるが、鷲型ドールのすぐ真下を飛んでいるハウェッツが電撃で焼き払った。
「よーし、このまま逃げ切るぞ!」
 私達のすぐ真横に付いて飛びながら、レヴァーナが大声で叫ぶ。
「クソ……! どうして! 私は……!」
 奥歯をきつく噛み締め、私は拳を鷲型ドールの背中に叩き付けた。羽根に覆われた筋肉の固い感触が返ってくる。
 ダメなのか!? 私怨で力を振るうことはそんなに悪いことなのか!?
 誰かのためだとかそんな面倒臭いことでしか大きな力は出せないというのか! 私の創り出した、最高のドールの力を!
 認めない! そんなことは! 妙なプロテクトが掛かってるというのならソレを取り外せばいいだけのことだ! 
 できる、私ならできる! 他の奴等にはできなくても私になら絶対にできる! 私は天才だから! 何でも一人でできる天才ドールマスターなんだから!
「先輩、孤児院の人達はきっと、みんな生きていますよ。ちゃんとどこかに逃げ……」
「黙れ! いい加減なことを言うな! いなかったじゃないか! ドコにも! 誰も! みんな死んでしまったんだ!」
 ルッシェの胸ぐらを掴み上げ、私は痛くなるほどに目を大きく見開いて叫んだ。
「ご、ゴメンナサイ……」

『……ゴメン、なさい……。もう、絶対話しかけたりしませんから……』

『……ですよね。先輩って、何でも一人でできたから……』

 また、アタシは繰り返すの……?
 あのバカみたいなことを。自分の気持ちをムチャクチャに吐き出して、相手をサイアクに傷付けるだけの最低なことを……。

『ゴメン、ナサイ……。わたしの力じゃ、二人が精一杯で……』

『あの、教会の人達が先輩の家を壊してたから、わたし止めようとしたんですけど……』

 ルッシェは悪くない。だってこの子は巻き込まれただけなんだから。
 教会とジャイロダイン派閥の抗争に。ミリアムの復讐に。そして、アタシの身勝手な価値観に。
 なのにこの子はアタシのことを励ましてくれて、支えてくれて、元気付けてくれて。その見返りがまた身勝手な言い草じゃあんまりだ。
「……ああ、すまなかった。ルッシェ。私が言いすぎたよ。お前はよくやってくれた。今回も助けてくれて有り難う。本当に感謝してる」
 ルッシェを掴んでいた手を緩めて体を離し、私は極力平静を装って礼の言葉を述べた。
「先輩……」
 そうだ。孤児院のみんなはきっと生きている。園長先生だってきっとどこかで元気にしている。
 だから一刻も早く終わらせないといけない。この馬鹿げた抗争を。
 どうすればいい。これ以上大切な物を奪われないようにするためには、どうするのが最善の策なんだ――

=================報告書====================
 教会と王宮の奴等に接触。怪しいとは思っていたが、アイツらやっぱりツルんでやがった。だが別にどうでもいい。獲物が増えただけだ。遠慮しなくて良くなったのは好都合。
 ドールを切り刻む感触、腕で握りつぶす感触、鎧兵の鎧ごと中身をブッた切る感触。
 どれを取ってもたまらない。最高に快感だ。
 今回は近くに例の女がいやがった。メルム=シフォニー。ラミス、アンタのお気に入りだ。手に入れたいんだろ?
 どういう訳か、コイツがそばにいるといつも以上に力がわいてきやがる。怒りも殺意も、みんな膨れあがるんだよ! 特に教会の奴等にはな!
 だからちょっとミスっちまった。今回ので腐食が随分進んだ。
 けど気にすることはない。アンタはこれまで通り俺を使ってくれればいい。次は教会に直接乗り込みたいな。そうすればもっと気持ちよくなれる気がする。
========================================

 体が熱い。目の前がクラクラする。思考がぼやけて考えが纏まらない。
「ふーむ。大分良くなってきたな。小さいわりになかなかの体力ではないか」
 うるさい、このバカ。
「ホント、変にこじらせないで風邪くらいで落ち着いて良かったですよ」
 『くらい』って言うな、『くらい』って。
「あれから四日。特にどちらからも動きがないのが救いだな。キミのことだ。何かあったらまたその体で行こうとするだろう」
 当たり前だ。これ以上、大切な物を奪われてたまるか。
「とにかく今は大人しくして、一日でも早く体を治して下さいね」
 分かっているさ、そのくらい。
 私はルッシェから顔を逸らし、ぼんやりと窓の外を見つめた。バルコニーの枠の上ではハウェッツがどこか気まずそうにコチラをチラチラと見ている。
 私が二日前に目を覚ましてからというもの、ずっとあの調子だ。全く、一体何を考えているのかサッパリ分からない。実に不可解だ。
 ――あの後、元の宿屋に戻った私は急に倒れ込んでしまったらしい。らしい、というのはそこから先の記憶が全くないからだ。多分、緊張が完全に解けて、気力で保っていた意識が飛んでしまったんだろう。
 それほど、私が腹に受けた傷は酷い物だったらしい。
 医者を呼んで看て貰ったところ、幸い内臓には異常はなかったようだが、肋骨の何本かが折れていた。そして打ち身に内出血が多数。
 その傷が高熱を併発させて私は気を失い、丸二日昏睡状態に陥った。だが薬と看病のおかげで何とか持ち直し、今はこうして三十九度くらいの熱にうなされるだけで済んでいる。あと骨折の痛みを和らげるため、胸の辺りに固定帯をしているので呼吸がしにくい。
 ……十分、重傷だな。クソ。
 まぁ、レヴァーナのバカなら半日くらいで完治しそうではあるが。
「それじゃ買い物に行ってきますけど、何か欲しい物ありますか?」
「……桃缶」
 ルッシェの言葉に、私はぶっきらぼうに返す。
「またか。ホントにキミはお子様だな」
「ウルサ……!」
 あ、クソ……。骨が……。
「やれやれ。それじゃ買ってきてやるから、ちゃんと大人しく待ってるんだぞ」
 おのれ……子供扱いしてからに。完治したら覚えてろよ。
「じゃあちょっと行ってきますね。すぐに戻りますから」
 ルッシェはリボンの位置を直して銀髪を手櫛で整えると、レヴァーナと一緒に部屋の出入り口まで行く。
「あ、おいっ」
 そしてドアノブが回る音を聞いたところで私は咄嗟に声を上げてしまった。
「どうした? ミートボールも一緒に買ってきてやろうか?」
「いるか!」
 おぉ……。体の中で軋む音が……。
「じゃあ何だ」
 レヴァーナは溜息混じりに言いながら、いつもより逆立った髪型で攻撃的な視線を向けてくる。
 ……まぁ、全部無意識なんだろうが。
「い、いや。また、二人で行くんだな。気を付けて行けよ」
 あークソ。私は何を言ってるんだ。大体どうして呼び止めたりしたんだ。
「分かってる。こんな危険なご時世だ。か弱い女性を一人にしたりはしないさ」
 私はどうなるんだ、私は。
「ああ、それからな」
「何だ? まだ何かあるのか?」
 あーもー。私はどうして。何をしたいんだ。
「ええ、と。その……。孤児院は、どうなった?」
「昨日言ったろう。周りに鎧兵が数人見張りに立っていて、立ち入りは不可能。一応、表向きは中立を保っているつもりらしいな」
「あ、ああ。そうか」
 昨日と全く同じ答え。今のところ死体はドコにも見つかっていないらしい。花壇の近くで見たのは大根か何かだったんだろう。ルッシェの言うとおり、本当にドコかに逃げてくれたのかもしれない。
「気になるのは分かるが、今は自分の体のことを最優先して考えるんだ。まともに動けないといざという時後悔するぞ」
「……わかってるさ」
 そのくらい。お前に言われなくても。
 今回のことで色々と身に染みて分かった。
「じゃ、大人しく寝てろよ。すぐに戻ってくるから」
「ああ……」
 それだけ言い残すと、レヴァーナはルッシェと一緒に出ていってしまう。通り道を見つけた涼しい風が、開けた窓から入って来て髪を撫でていった。
 やれやれ、何だか妙な気分だ。疎外されたというか置いてけぼりを食らったというか。
 あの二人がいないから、このトリプルの部屋が広く感じるんだろうな。私が一人で家にいた時はこんな気持ちになることはなかった。無意味な空間というのは実に邪魔だ。
 ……それから、何なんだこのイライラ。昨日くらいからずっとだ。
 原因が分からないから解決のしようがない。ソレがまた余計にイライラを増加させる。
「ハウェッツ」
 私は窓の外でコチラを窺っているハウェッツを呼んだ。
 もしかしたら、ああやって目の前でイジケている奴がいるからかもしれない。
「何か言いたいことがあるならハッキリ言え」
 まるで、少し前の自分を見ているようで。
「別に……」
 しかしハウェッツは取り合わず、私に背中を向けて完全に目を逸らしてしまう。

『クエストに“ペットの気を惹く”が追加されました。どうしますか?』
 ○餌でつる。
 ○甘い声で呼んでみる。

⇒○威嚇射撃を行う。

 黄色い羽根が数枚舞った。
「な、な、な……」
 一部ハゲ上がった頭を震わせながら、ようやくハウェッツがコチラを向く。
「で? 何をそんなに拗ねているんだ?」
「テメー! 危ねーだろ!」
「心配するな。サイレンサーは取り付けてある。見つかる心配はない」  
 何事もなかったように言い、私はベッドに落ちた薬莢を指先で弄んだ。
「ホントにテメーは……」
 フラフラと体をよろめかせ、ハウェッツは力無く言いながら飛んでくる。
 最初から素直にそうしていれば私も手を汚さずに済んだものを。
「お前、絶対当てる気だったろ」
「まさか」
 本当はもっと余裕をもって外すつもりだったんだ。
 ま、仮に当たったとしても私の創った最高のドール。ちょっと痛いだけで我慢できないほどじゃない。……多分な。
「どーせ人ごとだと思ってやがるな」
 ハウェッツは私の足元辺りに羽根を下ろし、半眼になって言ってくる。
 全く、相変わらず勘の鋭い鳥だ。
「で? どうかしたのか?」
 私は解けた長い紫色の髪を梳きながら聞いた。どうせ私が寝ている間にレヴァーナにからかわれたとか、そういう下らない理由だろう。ひょっとすると孤児院で馬みたいに扱われたのを根に持っているのかもしれない。
「だから別に何でもねーよ」
「何でもなかったらどうしてあんな思わせぶりな視線を向けてくる。あれじゃ私に理由を聞いて下さいと言っているようなものだぞ」
「うるせーな。関係ねーだろ」
「関係あるから私を見るんだろう? いいから話してみろ。茶化さずに聞いてやるから」
 暇潰しになるしな。
 そんなことを考えながら、私は真っ正面からハウェッツの目を射抜いた。
「……わかったよ」
 私の真面目な態度に観念したのか、ハウェッツは渋々といった様子で頷く。そしてくちばしを小さく開いて、ボソボソと独り言のように呟いた。
「だから、よ……」
 視線を宙に泳がせながら、ハウェッツは口元を羽根で隠すように押さえて続ける。
「悪かったな……。思い通りになってやれなくてよ」
「……は?」
 何を言っているのか分からず、私は素っ頓狂な声で聞き返した。
「だーから悪かったっつってんだよ! お前の言うこと聞けずにジェグのヤロー見逃しちまってよ!」
 私の顔の前で激しく羽ばたきながら、ハウェッツは自棄気味になって当たり散らすように叫ぶ。
 コイツ……本当に何を言ってるんだ?
「んだよ、その顔は! 何か文句あるならハッキリ言えよ!」
 いや、逆ギレされてもなぁ……。
「だって、お前……アレはしょうがないじゃないか。私が私怨でお前を動かそうとする限り、お前は私の思い通りにはならない。お前が自分で言ってたことだろ?」
「だからそれでも俺は……!」
 ハウェッツはピンと立てた長い尾羽根を震わせながら言葉を途中で呑み込み、
「ああクソ! もういい! どーせ全部俺が悪いんだよ! お前がイジケたのも、変な抗争に巻き込まれたのも、復讐できないのも、熱出して寝込んでるのもぜーんぶ俺のせいにすりゃいいんだよ!」
 一層激しい口調で無茶苦茶の論理を並べ立てた。
 ……このバカは、全く。
「そうだな確かにお前は悪い」
「ああそうだよ!」
「けど私も悪い」
 ハウェッツの怒声に被せて発した私の言葉に、うるさかった羽ばたき音が止む。
「お前から制御の仕方を教わったのに、感情に任せてソレを実行しなかった私も悪い。自分の精神をコントロールできなかった私にも落ち度はある」
「……なんだよ、ソレ」
「つまりお互い様ってことだ」
 ハウェッツの小さな黒目が大きくなった。
 こうもっていかれると、どういうわけか素直に頷いてしまう。ちょっと前に身を持って経験した。
「だからそんなこと気にするな。お前はいつも通り憎まれ口叩いてればソレで良いんだよ」
 そっちの方がお前らしいし、私も元気が出る。
「……ったく、調子狂うな」
 ハウェッツはふてくされたような口調で言いながら私の肩の上に止まり、
「あの坊ちゃんの影響も大したモンだぜ」
「ミディアムとウェルダン、どっちがいい?」
 声を低くして言い放った私から即座に離れて、ハウェッツは窓の側にある丸テーブルの上に移動する。
「なぁ。俺とお前がこうしてんのも、やっぱ見られてんのかな」

『『穴』からずっと姉さんのこと見てたわ』

 ミリアムが持っている、空間を操る不思議な力。彼女はその力を使って、今までずっと私を見てきたと言っていた。
「多分、な」
 そして嫉妬した。かつての幸せだった私に。
 だから今のように楽しそうにしていると、またどこかで私の大切な物が奪われてしまうかもしれない。ハウェッツはソレを心配しているのだろう。演技でも不幸な顔をしていた方が良いのではないかと暗に言っている。
 全く、鳥のくせに変なところで気が利く。
「見たいなら好きなだけ見せてやればいいさ。隠れても同じなら堂々としていた方が気が楽だ」
 そのことはレヴァーナもルッシェも分かっている。
「それに恐らく、ミリアムは私達を『見る』ことはできても『聞く』ことはできてないと思う」
「へ……? なんでそんなこと分かるんだよ」
 分かるさ。孤児院より先に奪われてもおかしくないはずの、ずっと私のそばにいる一番大切な物をミリアムは無視した。それは表面上の関係だけしか読みとれていないという何よりの証拠。
 ……ま、恥ずかしい独り言を聞かれずに済んだのは嬉しいが。
「直感だ」
「またソレかよ……」
 呆れたように言ってハウェッツは溜息をついた。
 いつもは勘の鋭いお前も今回ばかりは鼻づまり気味だな。もっとも、気付かれても困るのだが。
「けどま、確かにそうかもな。話してること聞いてんなら、お前連れ去るにしても、もっと上手い方法がありそうなモンだもんな。先回りして待ち伏せとかよ」
「まぁな」
 先回りして待ち伏せ、か……。
 いいかもしれないな。
「時にハウェッツ」
 私はコホン、と咳払いを一つしてハウェッツをチラ見する。
「あの二人、妙に仲がいいと思わないか?」
「はぁ?」
 私の問い掛けに、ハウェッツは首をひねってとぐろを巻いたような声を出す。
「誰だよ、二人って」
「だ、だから、レヴァーナとルッシェのことだ」
「別に、普通だろ?」
「いや、買い物に行く時、ルッシェの顔がやけに明るかったような気がする。それに孤児院で戦った時もレヴァーナが『キミを守るのは俺の役割だ』って口説いてたしな」
「……お前、そりゃ考えすぎだろ。ルッシェちゃんはいつも明るいし、あの坊ちゃんが恥ずかしいセリフ何の臆面もなく平気で言うのはお前が一番よく知ってんじゃねーか」
「いやしかしな……」
 口ごもる私にハウェッツは何か続けようとして一旦その言葉を呑み込んだ。
「お前、ひょっとして――」
 そしてどこか面白がるようなからかうような口調で言い直し、羽を口元に持っていって盗み見るような視線を向け、
「ヤキモチ焼いてんのか?」
「バっ……!」
 顔に熱が集中していくのが分かる。血流の音すら聞こえてきそうなくらい、心臓が激しく体の内側を叩き始めた。
「バカなこ……!」
 そこまで声を上げて、私は骨折から来る痛みに体を折り曲げる。
「ほーら言わんこっちゃない。慣れねーことすっからだよ」
 ケッケッと下品に笑いながら、ハウェッツは私の目の前に降り立った。
「いいかハウェッツっ。私は別に――」
「連れてってやろうか?」
 体を庇いながら発した私の声に、ハウェッツは目を細めながら言葉を被せる。
「気になるんだろ? 二人が今何してるか」
「だ、だからっ。私はただ単に――」
「先回りして待ち伏せたい。どんな会話してるか聞きたい。ンなところだろ?」
 コイツ、本当に下らない所ばっかり勘が鋭……じゃなくて!
「誰がそんなことを思うか。私は病人だぞ。今は安静にして一日でも早く治すのが仕事だ」
 あークソ。このバカ鳥が変なことを言うから余計な熱が出た。こういう時はさっさと寝てしまうに限る。
 私はベッドに横になって布団を頭までかぶり、固く目を瞑って――
「よーし、じゃあこうしようぜ。これからやるのは訓練だ。お前が俺を思い通りに扱えるようになるための練習さ」
 ……何?
「三人のリーダーであるお前は、部下のレヴァーナとルッシェの関係をちゃんと把握しておく必要がある。今後の活動に支障が出ないようにな。そのために今から二人をこっそり観察する。俺を足代わりにしてな。けど俺は誰かのためじゃないと動かない。だからお前は“あの二人のために”という思いを持って行動する。リーダーとしてな」
 ……なるほど。確かに二人の気持ちを知るのは大切だ。場合によっては私がクッツケ役を担ってもいい。それに一刻も早くハウェッツを使いこなさなければならないのは事実。そのための精神特訓、か。
「いいだろう」
 私は布団を払いのけ、イヤらしい笑みを浮かべているハウェッツと顔を合わせる。
「お前の妙案、乗ってやろうじゃないか」
「決まり、だな」
 そう、コレはあの二人のためにやることだ。断じて個人的な興味からの行為ではない。 断じてな。

 ビニールの屋根と木の枠だけで作られた即席の露店から、五階建てのコンクリート建造物まで、豊富な種類の店が道の両サイドに狭い間隔で立ち並ぶ第一ストリート中部のマーケット・エリア。抗争の爪痕は見られるが、治安が良いせいかそれほど大きな物はない。
 食品や衣類といった日用雑貨から、行くところに行けば銃や刀剣類といった物騒な物まで何でも手に入る。勿論ゲームソフトもだ。
 だが今用があるのはそんな物ではない。
 レヴァーナ達が行ったのは食料品店のはず。なら先回りして待ち伏せるとすればココだ。
「おい……」
 安価で質の良い物を提供する店ばかりが集まった商店街。マーケット・エリアの中でも下町気質の人間が沢山いて、値切られることを前提に商売をしている。そうやって客とのコミュニケーションを大切にし、常連を沢山抱え込もうという戦略だ。
「おい、メルム……」
 宿代で持ち金の殆どを食われ、食事の面では余り贅沢のできない今の状況なら必ずココに現れるはず。
「おいメルム!」
「さっきから何だ。黙ってないと溶け込めないだろ」
「なんで俺がペットショップの飾りやってんだよ!」
「実に似合ってるぞ。全く違和感がない」
 店の屋根の上でなぜか不満を漏らすハウェッツに、私は極めて冷静な口調で返す。
 木を隠すならハゲ山の中、というヤツだ。ココでペットショップの飾り物よろしくじっとしていればまずバレることはない。ココからなら辺りを一望できるし、見つかりそうになったら即行で飛んで逃げられる。
 つまりハウェッツの外見と能力をこれほど活かしきれる場所は他にはないということだ。
「……お前、本当に目立ってないと思ってんのかよ」
「当然だ。超絶美少女にして世紀の大天才たるこの私に隙などない」
 店の下でコチラに手を振っている子供達に中指と人差し指をピッと立てて返しながら、私は自信に満ち満ちた声で言い切った。
「ダメだな……こりゃ。熱と怪我で完全に頭がイカれてやがる」
「電波はレヴァーナだけで十分だ」
 ハウェッツの長い角を握り締めて頭の上によじ登り、私は遠くの方を見回した。
「いでででで!」
「うるさいぞ」
 二人の姿が見あたらない。おかしいな。私の天才思考回路に狂いなどあるはずがないのに。
「む……!」
 角の先端でつま先立ちになった私の視界に、トゲトゲ頭にウシ柄のポンチョが目に入った。
「おわあああぁ! 危ねえ! 危ねぇって!」
「黙れ」
 目標捕捉。これより捕獲……じゃなかった。
 観察作戦に移る。
「行くぞ。あの二人のためにな」
 後の言葉を強調して言い、私はハウェッツの背中に飛び乗った。そして感情を送って指示を出す。
「ったく……。大丈夫かよ」
 ブツブツ零しながらもハウェッツはゆっくり舞い上がると、風の流れを捕らえて滑空する。そして店の前で何かを物色しているレヴァーナとルッシェの死角から回りこみ、二人の真後ろにある建物の屋根に音もなく降り立った。
 よーし、完璧なアングルだ。距離も遠からず近からず。二人の会話だけに集中すれば、なんとか声は拾える。
「コレ、おいくらですか?」
 二人が足を止めていたのは、ハゲ上がったタコ頭にねじりハチマキを巻いた、『いかにも』といった風体のオッサンが仕切っているグローサリーだった。
「おっ、お嬢ちゃん可愛いねぇ! いいよいいよ、マケとくから! 十個で五百ゼット! もっててよ!」
「わぁーぃ! ありがとうございますぅ!」
 両手を握り込んで口の前に持っていき、ルッシェは星マークを混じらせた高い声で言う。
 ……おい、何だそのキャラは。頭の後ろから空気抜けてるぞ。
「ルッシェちゃん、意外と世渡り上手だったんだな……」 
 呻くように言ったハウェッツに、この時ばかりは心の底から同意した。
「じゃーあ、コレとコレもいいですかぁ?」
「おぅ! じゃんじゃん持ってってくんな! ガッツリ食ってドカンと寝て、教会だかジャイロダインだか知んねーけどブッ飛ばしちまえよ!」
「はぁーぃ」
 ルッシェは甘い色声を使い、ここぞとばかりに野菜やら果物やらを買いあさる。
 ……ひょっとすると、私は見てはいけない物を見てしまったのかもしれない。
「ほら、熱でてきたろ? 帰るか?」
「バカ言うな」
 ここまで来て引き下がれるか。それにまだ二人の仲を見極めていない。
 職務は果たさねばならない。二人のために! リーダーとして!
 私は自分に強く言い聞かせ、店の前から移動し始めた二人に合わせてバレないように隣の屋根へと飛び移って行った。
「しかしいつもながら素晴らしい腕前だな、ルッシェ君。おかげで金銭的にかなり助かるよ」
 いつもながら、か……。少なくとも三回以上は一緒に買い物に来ていると見て間違いないな。
「ホントは先輩も一緒に来られれば楽しいんですけどね」
 ルッシェ……お前という奴は……。
「いや、あのツルペタピーチ姫がいては値段を上げられる」
 レヴァーナ! お前という奴は!
「……なぁ、メルム。やっぱ帰った方が……」
「却下」
 ココまで来たら見届けさせて貰うぞ! レヴァーナ! 貴様の最期を!
「あ、ヤバ、ヤバいぞ、メルムっ。体がっ」
 ルッシェのためにな!
「ふぅ……」
 そう、私はあの毒電波虫から大切な後輩であるルッシェを守るために監視しているのだ! 断じて私怨などではない!
「お前も色々忙しいな……」
「誰のせいだと思っているんだ」
 そんなことをしているウチに二人は商店街を出てしまう。
 なんだ。買い物はもう終わりか?
「……この抗争、いつになったら終わるんでしょうね」
 商店街を抜けてしばらく歩いたところで、ルッシェは少し俯き加減になって言った。歩道は黄色い土が敷かれただけの質素な物から、輝石の埋め込まれた洒落た物へと変わってきている。
 この先は高級食料品店の並びか?
「三回目だな」
 ルッシェの言葉にレヴァーナは短く返す。
「え、あ、スイマセン……」
「別に謝ることはない。だが、そうやって心配だけしていても終わらないのは確かだ。終わるのを待つのではなく、俺達が自分の手で教会を制圧して終わらせる。一日でも早くな」
「そう、ですねっ」
 レヴァーナの力強い声に、ルッシェは声を弾ませて返す。
「ホント頼りがいありますね、レヴァーナさんって」
 む……。
「そうでもない。ま、放っておけない意地っ張りなお姫様が身近にいるから、自然とこうなってしまうのかもしれんがな」
 ……悪かったな。
「でも、先輩って昔は全然あんなのじゃなかったんですよ? もっと明るくて、研究熱心で、すごく周りに気が利いて。わたしの憧れでした。あ、勿論今もそうですけど」
「分かっている。俺が初めて見たメルム=シフォニーもそういう女性だった」
 三年前のことか? あの時の私はすでにヤバかったがな。
「そう言えばいつなんですか? レヴァーナさんが初めて先輩と会ったのって」
「そうだな……もうかれこれ五年以上は前か」
 何?
「ま、アカデミーでの発表を見ていたというだけで、向こうは全く気付かなかったがな」
 その時からストーカー体質だったというわけか。
「素晴らしい発表だった。何というか、会場が呑まれていたな。メルムの発するオーラみたいな物に。今思えば、あの時からメルムはドールに人間のような感情を持たせようとしていたんだろうな。データも発想も目新しい物ばかりだったから、発表が終わっても聴講者からの質問がずっと続いていたよ」
「レヴァーナさんはしなかったんですか?」
「俺は、しなかったな……。そこまでの気力がなかったからな。元々、気分転換のためにちょっと遊びに行っただけだったし」
「へぇ……。レヴァーナさんでも落ち込むこととかってあるんですね」
 ルッシェ、いくら何でも失礼だぞ。
 ……ま、激しく同感だが。
「辛さを乗り切って初めて得られる強さもある。大切な物を失って初めて見えてくる世界もある。まぁ、そういうことさ」
 レヴァーナは小さく鼻を鳴らしてキザっぽく髪を掻き上げた。
 コイツが言うとホントに胡散臭いからな。ミリアムよりコイツの言葉の方がどこまで本当なのか分からん。
「よく分かりませんけど、レヴァーナさんも昔に色々あったんですね」 
「まぁな。機会があればいずれルッシェ君にも聞かせてあげよう」
「そうですね。わたしもレヴァーナさんのこと知りたいですし」
 む……。
「意外にいい雰囲気だな」
「うるさいぞ」
 ハウェッツの言葉を一蹴して、私は屋根の影に身を隠しながら尾行を続けた。
 二人は一旦会話を切って無言で歩を進め、そして五階建ての建物の前で立ち止まる。ソコは主に上流階級向けの商品を扱う総合店だった。透明感のある擬似水晶壁で外側が形作られ、スーツを着たボーイが金持ちそうな客達を案内している。いかにもセレブといった佇まいだ。実に気に入らない。
「ルッシェ君。キミに一つ頼みたいことがある」
 レヴァーナは声を低くして、いつになく真剣な様子で言った。
 まさかこの最上階で一緒にダンスでも踊ってくれとかほざくんじゃないだろうな。
「俺は、メルムを母の前に連れて行こうと思っている」
 な――
「ど、どういう、ことですか……?」
 ルッシェが掠れた声で聞き返す。
 全くだ。いったい何のつもりで……。
「キミも見ただろう。どういう訳かは知らんが教会と王宮は手を組んでいる。戦力的には教会とジャイロダイン派閥はほぼ互角。となれば、このまま行けば母は確実に負ける」
「それは、そうかもしれませんけど……」
「ドール同士の戦いではなく、人と人との戦いだということをこの目で見た時から考えていたことだ。それでもまだ力が均衡していた時は、メルムの意志を優先させて母とは別行動を取ろうと思っていた。どさくさに紛れて教会のトップを懲らしめ、この抗争を終わらせようとな。しかし現状を鑑みるにそんな悠長なことは言ってられなくなった。このまま別々に教会と王宮の連合軍と戦っていれば、母は負ける。母はプライドの高い女性だ。素直に負けを認めて投降などはしない。だから、母は負ける」
 レヴァーナは思い詰めた表情で同じフレーズを繰り返した。
「だがメルムのドール、ハウェッツを真っ正面からぶつけることができれば、まだ勝てる見込みは残っている。そのために、メルムの力を母に貸して貰いたい」
「で、でも先輩は絶対に……」
「分かっている。メルムが母を嫌っていることは。しかしソレは濡れ衣だったということが分かったはずだ。『終わりの聖黒女』、ミリアムのおかげでな。だから話の持って行き方によっては、メルムの協力を仰げるかもしれない」
 コイツ……何を馬鹿なことばかり言ってるんだ。私がラミスに協力? はっ、冗談じゃない。三年前、アイツの方から私を見下して突き放したにもかかわらず、今になって自作自演で引き入れようとしてきたことは事実なんだ。あの女と一緒に戦うくらいなら、一人で特攻して死んでやる。
「わたしは……上手く行くとは思えませんけど……」
「ああ、俺一人じゃな。そこでキミの協力が必要になってくるんだよ、ルッシェ君!」
 レヴァーナはルッシェの両手を握り込んで自分の方に引き寄せ、さらに息が掛かるくらいに顔を近づけた。
 ぬうぅ……。
「俺の愛とキミの友情があれば不可能などない!」
「あ、あの……人が見てますから、ちょっと……」
 恥ずかしい言葉で群衆の注目を一身に集めるレヴァーナに、ルッシェは顔を赤らめながら体を放す。
 コイツらまるで恋人同士みたいじゃないか! いつの間に……!
「いや、ソレは違うと思うぞ。メルム」
「心まで読まんでいい」
 全く、勘が鋭いにもほどがあるな。
「ルッシェ君。キミはメルムのことが心配じゃないのか?」
「え……?」
 突然話題を転向したレヴァーナに、ルッシェは目を大きくして返す。
「メルムは自分の大切な物を奪おうとするミリアムを止めたがっている。だがソレは容易なことではない。孤児院の時は死者がいなかったから何とか収まったが、次もそうとは限らない。逆上して暴走して、俺達の言葉に耳を貸すことなく一人で敵中に突っ込むかもしれない。そうなってからでは遅いんだ」
 そこまで言ってレヴァーナは一度言葉を切り、
「俺は、そんなことでメルムを失いたくない」
 ルッシェの目を真っ向から見据えて強い語調で言った。
 ……ふん、ドコまで本音だかな。
 結局は自分の母親が心配なだけじゃないのか?
 それとも――

『自分の持ち駒である息子への協力を自然な形で取り付けさせる。後は彼を介して姉さんに指示を出せば――』 

 ミリアムのあの言葉がまた、頭の中で蘇った。
 レヴァーナはラミスの手駒? ルッシェと一緒に私を説得するのがラミスの筋書き通りだとすれば……。
 もしそうなら、私はレヴァーナもラミスも絶対に許さない。
「レヴァーナさん……ひょっとして先輩のこと……」
 ルッシェが何かに気付いたように小さな声で言葉を紡ぐ。
 ……ん?
「好き、なんですか?」
 ちょ、おぃ……!
「いや全く」
 即答したレヴァーナに私はハウェッツの上から落ちそうになった。
 ア、アイツ……。
 ――って、な……何をしてるんだ私は。どんな言葉を期待していたというんだっ。
「じゃあ、どうしてそこまで?」
「パートナーだからな。相手のことを思い遣るのは当然だ」
 自分から私を巻き込んでおいてよくもヌケヌケと……。
「そう、ですか……」
 ルッシェは何かを考えるようにしばらく俯いた後、
「分かりました。そういうことならわたしもレヴァーナさんに協力します」
 晴れ晴れとした表情で答えた。
「おお! 分かってくれたか!」
「わたしだって先輩を失いたくありませんから。それに先輩はもっと評価されるべきなんです。だから裏でコソコソしてないで、この抗争を鎮めた立て役者ってことでみんなに知れ渡れば、きっと……。あ、でも力ずくで無理矢理連れて行くなんてのは絶対になしですよ?」
「ああ、分かっている。俺だってそんな意味のないことはしたくない」
 二人はすっかり意気投合して互いに頷き合う。
 ……ほぅ、面白いじゃないか。
「それで、具体的にどうするんですか?」
「心配するな。もう策なら練ってある」
 一体何をするつもりかは知らんが、説得できるものならして貰おうじゃないか。
 どれだけ努力しても報われないことがあるということを、今度こそ教えてやろう。
 私は小さく鼻を鳴らし、総合店の中に入っていく二人の背中を白い目でしばらく見つめていた。

=================報告書====================
 教会の奴等が出てこない。もっと肉を! もっと血を! もっと悲鳴を! 教会の奴等の死体を積み上げさせろ!
 なぁラミス、いい加減こちらから仕掛けようじゃないか。いつからそんな保守的になったんだ? 俺の体を研究していた時のお前はもっと攻撃的だったろ? 野心に燃えていただろ? 
 それともあの暴走で臆病になったのか? メルム=シフォニーのように。
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