ロスト・チルドレン〜Slaves of the Nightmare〜

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5th floor in underground.
Laboratory Block. Operator Room.
PM 11:36
View point in ジュレオン=リーマルシャウト.

 今、目の前で新たなロスト・チルドレンが誕生した。
 生まれ変わったその少年は、目覚めと同時に私たちに実にステキな挨拶をしてくれた。
「超振動波か……使えそうだ」
 彼が発現したサイキックフォースはどうやら物質の粒子を強制的に異常振動させ、破壊するモノのようだ。
「モーニングコールには、もってこいだな。起きなければ永遠に眠らされる」
 オペレーター・ルームの隅から小さく笑い声が聞こえた。
「よし、デモンストレーションはこのくらいで良い。バイオチップに信号を送って、フリーズさせろ」
「了解」
 巨大コンピューターの前に座っているオペレーター達は短くそう言うと、慣れた手つきでコンソールを操作し始めた。特殊合金で仕切られた冷たく薄暗い空間の中にパネルを叩く無機質な音だけが響く。
 五重層殻の巨大な強化ガラスに閉じこめられた少年は、突然動きを止めると苦しみ始めた。頭を両手で覆い、体内で発生しているであろう激痛と戦いながら両膝を付く。
「意識レベル低下……100……76……35……12……」
 オペレーターの読み上げを聞きながら私を静かに目を閉じた。
 これで強力なコマがまた1つ。あの政府の狸ジジイ共に泡を吹かせられる日に一歩近づいた。
「……3……。まもなくフリーズ……ああ!」
「どうした」
 オペレーターが突然上げた大声に、私は眼を開き彼の方を見た。
「意識レベル130……245……367! 大変です! 暴走します!」
 強化ガラスの中に少年に目を移す。少年は、口の端から涎を垂らしながら、髪の毛を振り乱して絶叫していた。
 チッ。コレだからK値の高いヤツは……。
「処分だ」
 私は短い言葉で冷淡に言った。
 その言葉に場の雰囲気が変わる。皆一様にざわめき始めた。
 まったく、この程度で動揺するとは。低脳共が。
「し、しかし……」
 私の近くにいたオペレーターの1人が、意外そうな顔で聞き返してきた。その目にはありありと困惑の色が見て取れる。
「元々、5000ものK値を持っていたヤツだ。長持ちはしない。いずれにしろ使い捨てにする予定だった。その予定が少し早まっただけだ。早くしろ」
 5000のK値なら、連続して使用できるサイキックフォースはせいぜい2、3回と言ったところだろう。激しい実戦になれば、すぐに壊れるさ。
「わ、わかりました」
 彼は渋々といった感じでコンソールを操作し始める。
「バイオチップに生命機能停止の命令を送ります」
 指が流れるように動き、そして最後の決定キーを押そうとした時、私はその手を掴んだ。
「待て」
 手を掴まれた男は目を白黒させながら私の方を見上げてくる。
「気が変わった。マルスを投入しろ。ヤツに処分させる」
 その場に居合わせた、オペレーター達に再び動揺が走った。私の真意がつかめないのだろう。
 マルスは私の最高傑作だ。1人で2つものサイキックフォースを発現している。パイロキネシス(発火能力)とヒーリング(治癒能力)。攻防一体の上に、K値も230と非常に低い。
「し、しかし。マルスを投入するとなると、一度エントランスを開く必要があります。そうなると我々にも危険が及ぶ可能性が……」
「大丈夫だ。マルスの側にいれば私たちに火の粉が飛ぶことはない。いいから早くつれてこい」
 このところ実験ばかりで実戦を見ていなかったからな。良いストレス解消になってくれそうだ。強化ガラスの中で暴れている少年にこれからふりかかる災難を考えると、それだけで気持ちが昂ぶる。さぁ、どうやって処分してくれようか……。簡単に終わらせてしまっては面白くないぞ。マルスにも手加減をするように命令しないと。
「ククク」
 私は酷薄な笑みを浮かべ、オペレーターの1人がこの部屋を出ていくのを見送った。
「ジュレオン!」
 しかし、彼が部屋を出る前に雑音が私の耳に入った。
「アミーナか。何のようだ」
 チッ、と舌打ちし、私はコンソールの上で淡い光を放っている決定キーを押した。
「あ」
 前に座っていたオペレーターが短い声を発する。強化ガラスの中で暴走していた少年は急に大人しくなると、そのまま重力に引かれて倒れ込み、数回の痙攣を起こした後に全く動かなくなった。
 まったく、こいつはいつも私の興を削ぐようなことをする。
「今、何をしたの?」
 アミーナは眉間に皺を寄せながら、警戒の強い眼差しで私の方を睨みつけた。そして、その表情のまま私の方に早足で近寄ってくる。
「パーティに幕を下ろしただけさ。そんなに珍しい事じゃない」
 薄ら笑いを浮かべながら、肩をすくめてみせた。
 最近のコイツの行動は目に余る物がある。ユティスを庇っているだけならまだしも、盗撮機器を使って私の行動を監視しようとしている。
 しかも、それがバレてないと思いこんでいるのだからお笑いだ。まさに愚の骨頂。フェルアが私の愛人だとも知らずに。
「殺す必要性は本当にあったの? 一時停止で様子を見ても良かったんじゃない?」
「この研究所の最高責任者は私だ。私に意見を言いたければ、この組織のボスを通すんだな」
 アミーナは氷を連想させる冷たい蒼の瞳の奥に、ありありと嫌悪の念を抱きがら、私を無言で見上げた。疲労がたまっているのか、目の下にはうっすらと隈ができており、美しかった金色の髪は今はどこかくすんで見える。
 彼女は私から目をそらし、強化ガラスの中で倒れている少年に視線をやった。そして何かに気付いたのか、秀麗な顔を歪ませて私の方に向き直る。
「……ねぇ、あの子の名前は?」
 アミーナはそう言いながら、片手で器用にコンソールを操作した。眼前のモニターに映し出されている少年の映像を拡大する。彼の顔がハッキリとモニターに映し出された瞬間、彼女の目が大きく見開かれた。
「名前? さぁ? 例えば君は1週間前に見たCMの内容を覚えているのかい?」
 まったく、何だというのだ。
「……ねぇ、あの子の名前は?」
 両の瞳に剣呑な光を宿し、アミーナは手近にいたオペレーターの1人に全く同じ質問をする。
「た、確か。ターシャ、と……」
 彼のその言葉に、アミーナは弾かれたように私に掴みかかった。
 憎悪、困惑、悲嘆、焦燥、侮蔑。ありとあらゆる負の感情を入り混ぜた様な形相で、威圧的な視線を私に叩き付ける。白衣の首元が徐々に締まってきた。
 だが、所詮は女の力だ。 
「離せ」
 短くそう言って、私はアミーナの頬を掌で打った。小さな軽い音と、痺れるような感触の後、彼女は悲鳴も上げず、その場に倒れ込んだ。
 まったく。たかが実験サンプル1つ失ったくらいで。くだらん。
 とにかく私はこんな所で、安っぽいドラマに付き合っているほど暇じゃない。
「じゃあな。私にはこれから行く所がある」
 アミーナの横を通り過ぎてオペレーター・ルームの出口に向かおうとした時、倒れた姿勢のままアミーナが私の足首を掴んだ。
「待ちなさい! まだ話は終わってないわ!」
 本当にしつこいな……コイツ、何かあったのか? まさか私の計画を?
「おい」
 尚も言いすがろうとするアミーナを押さえるように私はオペレーター達に目配せすると、自室に向かった。

『研究の進行は決して順調であるとは言えない。バイオドールの安定的な製造法はほぼ確立したが、次のステップであるロスト・チルドレンへの移行に若干不安定さが残る。やはり今後の課題として、生体固有値であるK値をコントロールする方法を考える必要性があるようだ』
 私は自室で端末の前に座り、研究日誌を付けた。
 ――ロスト・チルドレン。
 モニターに映し出されたその文字を見つめながら私は手を休める。
 サイドテーブルに置かれたコーヒーを一口すすり、眼鏡の位置を直した。
「失われた子供達、か……」
 冷たくなって苦みの増したコーヒーに渋面を浮かべながら、私は席を立った。そして、真後ろにある書棚の前へと移動する。プラスチック・ケースを一つ抜き、中から小型の球状記録媒体[オーブ]を取り出した。ここには、過去の研究記録が残されている。
「やはりバイオドールでの研究には限界があるのか……」
 球体にある小さな突起を押した後、それをデスクの上に置いた。数秒後、何もない空間に黒い半透明のモニターが現れ、そこに記録された内容を再生する。
 映し出されたのは、政府軍の戦車部隊と攻防を繰り広げる数名の子供達。皆、バイオドールからロスト・チルドレンへの移行を成功させた者達だ。
「政府のクズ共め……私を追放したことを必ず後悔させてやる……」
 壁際にあるソファーに浅く腰掛けながら、私はモニターで繰り広げられる戦闘に目細めた。これは我々が政府軍の武器庫に奇襲を仕掛けたときの映像だ。撮影もロスト・チルドレンに任せてある。少数精鋭の彼らに奇襲はまさにうってつけの戦術だ。
 画面の中で、応戦してきた戦車の砲身が突然グニャリ、と折れ曲がり、自爆する光景が映し出された。
 最初のロスト・チルドレン、イーシャの持つサイキックフォース、サイコキネシスだ。人間の骨も遠距離から簡単に粉砕できる。ただ、ヤツのK値は1300。長期戦には向かない。
『Shit! このガキ! チョコマカと!』
 突然目の前に現れた少年に、政府の兵がゼロ距離から銃弾を撃ち込む。しかし、それは少年には当たらず、後ろにいた味方の兵士に命中した。少年はその後も、消失と顕現を繰り返しながら敵を翻弄していく。
 5番目のロスト・チルドレン、ワーグの持つサイキックフォース、トリック・アンビュレーション(瞬間移動)だ。敵の同士討ちがメインの戦術だが、1人か2人であれば味方の兵も一緒に移動できる。K値は850と低めだが、一度に移動できる距離が短いので何度も繰り返す必要がある。そのため、やはり長期戦には向かなかった。
『あ……あ、ああ……』
 モニターが切り替わる。そこでは数十人の兵士がたった1人の少女に恐れをなし、後ずさりしていた。
「マルス……」
 その少女を見て、私は思わず呟く。
 15歳くらいのその少女は、私と同じ銀色の短髪にダークグレーの瞳。肌の色はぬけるように白く、すらりと伸びた手足はモデルのように細く美しい。
 マルスは意思の感じられない虚ろな瞳で政府の兵士達を見下ろしながら、ゆっくりと近寄った。そして、その分だけ兵士達も後退する。
 ペタリ、ペタリと武器庫の金属床を裸足で歩きながら、マルスは自然な動きで右腕を前に突き出した。
 次の瞬間、画面が白一色で埋め尽くされた。瞬間最高温度が2000度にまで達するマルスの放つ炎は、もはや光と言ってもいい。そして、その光が収まる前に、画面が大きく揺れ始めた。
 武器庫にある爆薬に引火したのだ。今回の作戦の目的はコレで達せた。ロスト・チルドレン達も、そろそろ限界だった。しかし、引き返そうと武器庫を出たところで待っていたのは、数百人規模の大部隊だった。
 結局、生きて返ってきたのは、マルスとサイキックフォースを温存していたカメラ役の2人だけだった。
「まだ足りない……」
 もっと強いロスト・チルドレンが必要だった。
 アテはある。だが、ロスト・チルドレンへの移行はまだ早いかもしれない。3ヶ月ほど前から、アレがいつも打っている麻薬にバイオチップを混ぜて徐々に耐性を持たせているとはいえ、現段階では失敗の可能性が高い。
 バイオドールとは仕様が違いすぎる。神経浸食[ニューロハック]に体がついていけず、あっさり死亡してしまうかもしれない。
 だが……。
「アミーナ……」
 あの女が何か気付き始めている。今日の突っかかり方は、いつもとは様子が違った。どこか鬼気迫る物を感じた。証拠でも掴まれたらやっかいだ。
「例え失敗しても、貴重なデータが得られることには変わりない」
 私はソファーから立ち上がり、ベッド横の引き出しを開けた。
 そこには超小型の麻酔銃。そしてユティスの子供の頃の写真。ユティスの右側にはアミーナが、左には私が映っている。
「この頃は可愛かったな」
 私はバイオドールの研究が軌道に乗り始めた時に誓った。必ず、ユティスに尊敬されるような立派な研究者になる、と。私の父、レギオス=リーマルシャウトは私の知る中では最高の研究者だった。バイオドール技術の原型は父が構築したようなものだ。
 しかし、父は自殺した。
 遺書には自らの犯した罪の重さが延々と書きつづられていた。
 父は自分のことを否定した。ならば、その父を尊敬してた私も否定されたのか? 違う、そうではない。ただ単に弱かっただけだ。自らの偉業の重さを放棄し、死という安易な選択に走ったに過ぎない。
 だが私は違う。決して逃げない。
 例え悪魔と罵られようと、鬼と蔑視されようとも、私は自分に課せられた義務を放棄したりはしない。そして、この義務をユティスに受け継がせる責任がある。
 この技術は世界を変える。必ず世の中が必要とする。
 私はユティスに研究者としての姿を見せ続けた。何度もこの技術のすばらしさを教え込んだ。だが、ユティスは理解しなかった。
『あなたは研究者である前に、父親としてユティスに接するべきよ』
 違う! 私は研究者だ! 私の意思を受け継ぐには、この私の研究者としての姿を受け入れる必要がある! 父親ではなく、研究者としての姿をだ! そうでなければこの技術はこれ以上進化しない!
 この超技術が退廃して行くのをただ漫然と手をこまねいて見ているなど私には耐えられない。人類進化への冒涜だ。まさに、それこそが罪ではないか!
「ユティス、お前を寝かしつけるのは何年ぶりかな」
 ククク、と冷笑を浮かべながら、私は麻酔銃を白衣のポケットにしまった。
 お前は私を受け入れなかった。しかし、もうそんな事はどうでも良くなったよ。

 お前は最高の素材だ。


3rd floor in underground.
Life Space Block. Private Room.
AM 2:10
View point in ? ? ?

「あなたは狂ってるわ!」
 アミーナは部屋の扉を力強く開くと、その長く美しいブロンドを振り乱しながら抗議の声を上げた。
 金属の壁で囲まれた無機質な部屋に怒声が響く。普段彼女が発するソプラノ・ボイスからは想像も付かない金切り声だ。
「狂ってる、だって? 私がか?」
 ジュレオンは動じた様子もなく、目を通していた報告書から頭を上げた。
 短く切りそろえられたシルバーの髪の毛を軽くかき上げながら、アミーナの方に目をやる。小さ目の眼鏡の奥から覗く瞳には、いつも通り怜悧な雰囲気を宿したまま、ジュレオンはアミーナを一瞥した。
「そうよ! 自分の子供を実験体として使うなんて! コレが人間のやることなの!?」
 ダン! と手近にあった端末のキーボードに拳を叩き付けながらアミーナは激昂する。
「ああ、アミーナ。そこには大事なデータが入っているんだ。壊さないでくれよ」
 ジュレオンは軽く手を挙げてアミーナの行動を制すると、椅子から立ち上がった。白衣のポケットに両手を入れ、口の端に人を虚仮にしたような笑みを浮かべながら、アミーナの方に一歩近づく。
「私の話をちゃんと聞いて!」
「聞いてるさ」
 ふぅ、と溜息をつき、ジュレオンは目を細めた。二呼吸ほどその状態でアミーナの方を見つめたあと、視線をそらし持っていた報告書をサイドテーブルに置いた。
「アレは……ユティスは最高のサンプルだった。
 K値が1桁だぞ。分かるか、コレがどれほどの素晴らしさを意味するのか。今まで試してきたバイオドール共なんかとは比べモノにならない。最高傑作になる資質を秘めていたんだよ、アレは。これは私に理解を示さない、出来損ないだったアレの唯一にして最大の親孝行なんだよ」
「やめて!」
 再び、アミーナがヒステリックな声を上げる。
「やっぱり……間違っていたのよ、私たちは。こんな研究に手を染めるべきじゃなかったんだわ」
 スカイブルーの瞳いっぱいに涙を溜めながら、アミーナは肩を落とした。
「フン。何を今更。いったい何のためにテロ組織なんかに参入したんだ。君だって政府に復讐したいんだろう。私たちの実験成果を『悪魔の行為』と罵り、研究所から追放したあの狸ジジイ共に!」
 ジュレオンはそこで初めて声を荒げた。
「そうさ! 復讐だ! 武器の性能や兵力という点に置いて劣っている私たちが、政府の軍隊に勝つためには! 復讐を遂げるためにはコレしかない! この組織の連中もソレを認めているから私の研究に多くの予算を回してくれている! 違うか!?」
 一度理性のタガが外れると後は転げ落ちるようだった。
 ジュレオンはアミーナの肩を強くワシ掴むと、昂奮で顔を上気させながら荒っぽくまくし立てた。
「ユティスへの神経浸食[ニューロハック]は無事成功した。今頃、バイオチップがアレの全身に根を張り、バイオドール共が発現したモノとは比べ物にならないほどの強力なサイキックフォースを身につけているはずだ!」
 そう叫びながらアミーナの体を力任せにガクガクと振る。双眸に壮絶なモノを宿しながら自分の理論に酔いしれるその姿はまさにマッドサイエンティストそのものだった。
「狂ってる……狂ってるわ。こんな事……。政府はいずれこうなることが分かってたんだわ。追放されて当然よ……」
「何を言う! 君は嬉しくないのか!? もうすぐ私たちの悲願が叶うんだぞ!? もうすぐ最強のロスト・チルドレンが誕生するんだぞ!?」
 ジュレオンのその言葉に、アミーナは気丈にも肩の腕を振り払うと、右の掌を力一杯横に振るった。
 乾いた音が部屋に虚しく響く。
「なにが最強のロスト・チルドレンよ……そうよ、もうすぐあの子は……ユティスは、人形のようになってしまうのよ! コレまでのバイオドールと同じように!」
 ロスト・チルドレン――失われた子供達、か。記憶や感情と言った人間性を代償にして強力なサイキックフォースを得た存在。代償が大きければ大きいほど得られる力も、大きい。なるほど。
 頭の中でロスト・チルドレンの定義を反芻し、これから起こるであろう事態を思い描いた。
「それが、何だというのだ」
 張り飛ばされた頬に自分の手を添えながら、ジュレオンはゆっくりと視線を戻す。その目に先程までの狂気はない。ずれた眼鏡の位置を直しながら、まるで憑き物が落ちたかのように平静な口調で続けた。
「アレは私たちの事を親だとは思っていない。現に私の事をパパとも呼ばないし、君のこともママとは呼ばない。私自身、この数年アレの事を自分の息子だと思ったことはない」
「よくもそんなことを! あの子が、ああなったのは私たちの責任よ! 一番多感な時期に研究に没頭して、全然構ってあげられ無かった私たちの!」
 アミーナは、先程のジュレオンの狂気が乗り移ったかのように怒鳴り声を上げた。一歩距離を詰め、そして白衣の胸元を掴む。
「どうしてあの子なの!? 人間で試したいんなら私でも良かったはずよ!」
「君も知っているだろう。サイキックフォースを発現できるのは19歳までなんだ。それ以上は脳組織が劣化しすぎてしまっていて使い物にならない。第一、君のK値は高すぎる。話しにならないよ」
 ジュレオンはそう言って溜息をついた。アミーナの手を振り払い、乱れた白衣を正す。
「バイオドールの実験だってまだ途中段階だったじゃない!」
「あれ以上の成果は上げられないと見限ったんだよ。奴らはでは失う物が少なすぎるんだ。だから、その見返りも期待できない」
 ジュレオンは淡々と言った。少し疲れたように溜息を吐き、ソファーに腰を下ろす。しかしアミーナは引き下がらなかった。
「ねぇ! 戻す方法はあるんでしょ!? ユティスを返してよ!」
 双眸に涙を浮かべながらアミーナはジュレオンの肩を大きく揺らす。ジュレオンはそれに抗おうとしなかった。ただ、冷徹な光を宿した無慈悲な視線で、アミーナの行為を見ている。きっと、胸中では笑っているのだろう。そしてハンッ、と小さく鼻を鳴らすと容赦なく辛辣な言葉を浴びせた。
「そんなもの、あるはず無いだろう」
 その言葉を聞いてアミーナは泣きくずれた。体が小刻みに震えていた。金属の冷たい空間にアミーナの嗚咽だけが響く。
 そしてジュレオンが何か言おうと口を開きかけた時、けたたましい警戒音が部屋全体に響いた。
「なんだ!?」
 突然の事態にジュレオンは慌ててソファーから立ち上がり、壁に埋め込まれた小型マイクに向かって怒鳴り声を上げる。
「何があった!」
『ジュレオン博士! 大変です! 実験サンプルが逃げ出しました!』
 壁からした声は切羽詰まった様子で、早口に叫んだ。
「何だと!? それで奴は今どこだ!?」
『分かりません。サンプルが逃走して10分以上は立っているものと思われます』
「何故すぐに知らせない!?」
『それが……見張っていた研究員達は全員殺されています。外にいた者達が気付いたときには、もう……』
「どこから逃げだした!? あの部屋の出入り口は1つだけのはずだ!」
『それが、誰も目撃していません……』
「馬鹿な! 信じられん! あの五重層殻の強化ガラスを破った上に、一瞬で10人以上もの命を奪って、誰にも見つからず逃走だと!? どういうことか説明しろ!」
 そう言われても、説明なんてできるわけがない。まったく、愚かな男だ。
 アミーナの方を見る。彼女は相変わらず床に膝を突いたまま、何が起こったのかわかずにただ呆然としていた。まぁ、無理もないか。
「くそっ! 奴めいったいどんなサイキックフォースを……」
 ジュレオンは俯いて何かを考え始めた。ブツブツと呟きながら部屋を歩き回り、そして何かを閃いたように顔を上げた。
「まさか!」
 そして狂ったように首を振りながら、辺りを見回す。
「ユティス! ココにいるのか!?」
「ご名答」
 俺はジュレオンの背後から手を差し出した。俺の手はそのまま何の抵抗もなく、ジュレオンの体に吸い込まれる。引き抜いた時に飛び散った鮮血が体にかかり、透明だった俺の輪郭をわずかに浮かび上がらせた。
「ッぐ!」
「両方の肺に小さな穴を開けた。さぁ、どれくらい持つかな?」
 ジュレオンの前に回り透明化を解く。背中をえぐられた激痛に体を折り、倒れ込んだジュレオンを見下ろした後、後ろのアミーナに視線を移した。
「ユ、ティス……なの?」
「今のところはな」
 まだ俺の意識はハッキリしている。だが、すぐに浸食されていってしまうだろう。体中に行き渡ったバイオチップによって。
「さ、最高だ……最高だぞユティス……。すでにステルス・クォーツ(透明化能力)……とヴォイド・エッジ(真空刃)を発現している、とはな……」
 気管から逆流した血液を吐き出しながら、息も絶え絶えにジュレオンはそう言った。
「おかげさまでな。素敵な子守歌のお礼だ。この研究所をスクランブル・エッグみたいに滅茶苦茶にしてやるよ」
「ク……ククク……やって、見ろ……」
 苦悶の表情の中に笑みを浮かべながら血を吐く姿は、思わず目を背けたくなるほど凄惨な光景だった。だが、コイツにふさわしい最期だ。
「ほら、立てよ。行くぞ」
「え……え?」
 俺は惚けたままのアミーナを強引に立たせると、ジュレオンの部屋を出た。
 まずはあの実験室からだ。

『エマージェンシー! エマージェンシー! リスクレベルSS! 研究所内の戦闘員ただちにターゲットを破壊してください!』
 視界が紅く明滅する。どうやらカラーコンタクトは手術の時に外されたらしい。お気に入りだったんだが……まぁ、いい。
 俺は機械的に繰り返される警報をBGMに、俺は最下層にある実験室の破壊にかかった。
「ここはだけは守る!」
 無謀にもハンドガン1つで俺にケンカを売ってきた研究員を一瞥すると、俺は指をパチンと鳴らした。
 ゴグ、という鈍い音がして、首の骨が折れたことを俺に教えてくれる。
 その男は糸の切れた人形の様に崩れ落ちると、眼を開いたまま永遠の眠りについた。
「さーて」
 蜘蛛の子を散らすように逃げて行く奴らを後目に、コンソールに軽く触れた。ジュレオンの体をえぐった時と同じように、何の抵抗もなく手が呑み込まれていく。まるでスポンジケーキを押しつぶすように、次々と巨大コンピューターを破壊していった。手応えが無さ過ぎるのは少々拍子抜けだが、乱れ咲く大小様々な電子音はそれなりに破壊衝動を満たしてくれる。
「ねぇ、ユティス……この人は……?」
 アミーナは俺がさっきアッサリと片づけた男の側でうずくまっていた。
「ああ、死んだよ。邪魔だったから殺した」
 手を休めることなく、俺は背中でアミーナに返事をした。
「ジュレオン、も?」
「そうだな。まだ死んでないだろうが時間の問題だ」
「…………」
 アミーナは言葉を失ったようだった。
 まぁ、分からなくはないさ。ソイツはついさっきまでは仲間だったし、ジュレオンは夫だ。気持ちの整理がつかないのも無理はない。
 けどな、それだと困るんだよ。
「選べよ、アミーナ」
「え?」
 俺は再起不可能なまでにコンピューターを破壊し尽くすと、彼女の方に向き直った。
「ここで死んで楽になるか、生きて罪を償うか。どっちだ?」
「私、は……」
 アミーナは事ここに至ってまだ逡巡しているようだ。さっきのジュレオンとの会話は嘘だったのか?
「さぁ――」
 俺が言葉を続けようとした時、左肩が劇的な熱を帯びた。そこの筋肉が異常に盛り上がり、まるで風船が破裂するかのように爆発する。
「があああぁぁぁぁあ!」
 血と肉片を辺りに飛び散らせながら、俺は左肩を押さえてその場に片膝をついた。
「ロスト……チルドレン……」
 俺の目の前、実験室の出入り口にいたのは5人のロスト・チルドレン。皆、胡乱(うろん)げな瞳で無表情のまま俺の方を見ている。
「ユティス!」
「下がってろ!」
 負傷した俺に近づこうとするアミーナを視線でその場に縫いつけると、俺はゆっくり立ち上がった。
「強化ガラスの中にでも入ってろ。ちょっとはマシだ」
 俺は5人のロスト・チルドレン達を睨み付けながら一歩踏み出した。そして徐々に体を透明化していく。
「無駄だユティス!」
 聞こえたのはジュレオンの声。それに呼応するかのように俺の右足首が爆ぜる。高熱で溶かし込んだ鉄棒を骨の代わりに流し込まれたような気がした。あまりの激痛に一瞬意識が遠のく。透明化しかかった体も元に戻った。
「ジュレオン……貴様……」
「残念だったな。ロスト・チルドレンの中にはヒーリング能力を使える奴もいる。あの程度の傷なら、少しの時間で治せるのさ」
 ち……苦しめようとしたのが裏目に出たか。
「私を甘く見ないことだ。お前はまだ成り立てで不完全だ。さすがに5人ものロスト・チルドレンを相手には出来まい。残念だよ、最強のロスト・チルドレンに成れる資質を秘めていたのに、ここで処分しなければならないとは」
「ク……ククククク……」
 面白い、面白いよ、ジュレオン。だんだんノって来た。さぁ、クレイジーなパーティーを始めよう。
 薬をキメた直後のように、頭の中で狂葬曲が鳴り始めた。
 その調べが毒を塗り込めた鋭利な刃物となり、俺の精神を蝕(むしば)んでいく。ぱくっ、と音を立てて俺の中に小さな裂け目が走った。裂け目は徐々に大きくなり、裏にある別の何かを露出させていく。体の薄皮をゆっくりと捲(めく)られていくような感覚。その皮がすべて剥がれ落ちた時、”僕”は何かを失い、別の何かを得た。
「恐怖で気が触れたか?」
「これからそうなる。お前がな」
 景色が揺らぐ。視界から彩りが失せ、白と黒だけで塗り分けられた。ィン、という糸を弾いたような音色を最後に世界から音が消える。視界に映る動きすべてがスローモーションの如く鈍くなった。僕の周りだけが不自然に切り取られたように、正常な時間と空間を描く。まるで、酷くできの悪い合成写真の中にいるような錯覚に襲われた。
「っな!」
 気が付くと僕はジュレオンの目の前にいた。景色も音も正常に戻っている。
 振り上げた右手を真空刃で覆い、僕はジュレオンの頭部めがけて力一杯振り下ろした。
「させ、ない……」
 いち早く反応したロスト・チルドレンの一人の少女が、感情のこもらない言葉を発してジュレオンを庇うように間に割って入った。ジュレオンの顔に安堵の色が戻る。
 バカが。
 僕の右腕を、交差した両腕で受け止めた少女は一呼吸のうちに体を真ん中で分けられた。指先がわずかに、その向こうにいたジュレオンにかすめる。
「ぎゃ!」
 胸元に浅い裂傷を負ったジュレオンは叫びながら後ずさった。
 まぁ、いいコイツは後だ。ゆっくり料理してやる。
 僕は左腕に力を込めた。皮一枚で繋がっていたはずのソレはいつの間にか完璧に治癒されている。さっきの時間を遅くした能力といい、この再生力といい、僕は確実に何かを失いつつある。
 だが、今はソレと引き替えでも力が欲しい!
「おおおおお!」
 左手を手近にいたロスト・チルドレンの少年の頭部に伸ばす。僕の頭が勝手にイメージしたことを、意志を持って解き放った。瞬間、少年の体が下に叩き付けられる。それだけでは終わらず、頑丈な金属床を押し下げて彼の体を潰していった。
 いったいこの小さな空間にどれほどの莫大な重力が発生しているのだろうか。ボキボキと嫌な音を立てながら、一瞬のうちに少年の体は小さくなり、人としての原形をとどめなくなったところで重力場は消えた。
「次ぃ!」
 叫んでその奥のロスト・チルドレンに目をやる。僕と同じくらいの女の子。少女と言うにはあまりに大人びている。
「やれぇ! マルス! そいつを処分しろぉ!」
 忌々しいジュレオンの言葉に応えるように、マルスと呼ばれたその女の子は僕から距離をとった。残る二人も同じようにして距離をとり、僕を囲む。
 本能的に危機感が生まれ、身を低くした。その直後に頭上を見えない力が通り抜けていく。これを放ったのは、後ろにいる二人のどちらか。しかし、それを確認する前に僕の視界が紅く覆われた。
「うわわああぁぁぁぁぁ!」
 前にいた女の子、マルスが僕の方に右手をかざしている。彼女が生み出した膨大な熱量が全身を呑み込み、体と意識を灼いていく。体中の水分が急速に蒸発し、目の前の空気が白い光を放ち始めた。
「フハハハハハ! いいぞ! さすがだ!」
 ジュレオンの哄笑。崩れかけたボクの意識が、その無遠慮な闖入(ちんにゅう)者に反応した。
「ジュ……レ、オン……」
 溶けた肉の再生が始まった。ボクの再生能力がマルスの発火能力を上回ったのだ。
「くっ、まだ生きているとは! マルス! もっと火力を上げろ! レム! ナータ! お前達も加わるんだ!」
 もう痛みは無い。あるのは、押さえきれない憎悪だけ!
 後ろからの見えない力が、ボクの腹を貫いた。そしてそれが抜けた時にはすでに傷口はふさがっていた。胸部が突然膨れあがり、中から爆発して炎の中に血の花を咲かせる。それも一瞬手をかざしただけで、何事もなかったかのように修復されていた。
「バカ、な……。リジェネレーション(再生能力)ではない、リザレクション(復元能力)か……」
 ジュレオンの絶望的な声が聞こえた。いいね、いいよ。そーこなくちゃ。ボクはそう言う声が聞きたかったんだ。
「アハハハハハ」
 炎の中で、体に穴を開けられ、内部爆発を起こされ、ボクは笑っていた。
 ステキだ。なんてステキな時間なんだ。薬をキメた時の比じゃない。こんな快感を知ってしまったら、もうちょっとやそっとじゃ満足できなくなっちゃうじゃないか。
「アーハッハッハッハッハッ!」
 笑いが止まらない。ボクは狂ってしまったんだろうか。

『ユティス、誕生日おめでとう』
『よーし、ユティス。パパが肩車してやろうな』

 灼かれていく。ボクの記憶が。

『ほーら、ユティス。好き嫌いしてないでちゃんと食べなきゃだめよ? ねっ』
『なぁ、ユティス。パパのこと尊敬してくれるか?』

 失われていく。ボクの人間性が。

『ユティス……もう、ママって呼んでくれないの?』
『お前は出来損ないだ、ユティス』

 壊されていく。ボクの世界が。

『ユティス、ユティス』
『ユティスっ、ユティス!』

 ボクハ! ダレナンダ!

「うワああアアアあぁぁァあああぁァァああああぁ!!」

 静かだった。気が付くと、攻撃はやんでいた。
 視線を前に向ける。煙がひどくて視界が悪かったけど、マルスが倒れている事は分かった。彼女は口や耳から血を流していた。ピクリとも動かない。後ろの2人も似たような状態だった。
「くそっ。マルスほどのK値でもアレが限界か!」
 誰かが悔しそうな言葉を吐いた。そちらに視線を向ける。
「やぁ、パパ。そんなところで何してるの?」
 煙の向こう。通路の壁に背中をあずけるようにしてパパはいた。
 ぼくはコイツを許せない。理由は分からないけど、コイツを許してはいけない。絶対に、絶対に、ゼッタイに。
「パパ……? ククク……そうだ。パパだユティス。お前は父親であるこの私を殺すのか、ユティス?」
 そう言ってパパは銃をぼくのカオに向けた。
「お前のその復元能力は、頭部を一瞬で破壊されても機能するのかな?」
 引き金に指をかける。ぼくはただ、それをどこか遠いセカイの出来事のように見守っていた。まだやりたいことがあるなら好きにすればいい。
「くたばれ! ユティス!」
「おっと、そこまでだ。ジュレオン博士」
 パパがそう叫んで指に力を込めようとした時、ケムリを割って横から大男が現れた。
「大切な仲間をこれ以上壊すなよ」
 大男は銃をパパのカオに当てると、恐い声でそう言った。
「ゴル……貴様。どういうつもりだ」
「失敗したら消す。それがボスの命令だ。あんた達家族はずっと監視されていたんだよ。俺達全員にな」
 大男はパパを見下ろしながら、口の端に笑みを浮かべた。
「くだらない寝言を言ってないで、コイツをどうにかしろ! 他のロスト・チルドレン共をかき集めてこい!」
「ここにいた戦闘員やロスト・チルドレン達はもう全員逃がした。みんな貴重な戦力だからな。内輪もめで潰すわけには行かないのさ。今のこの地下研究所に残っているのは俺達だけだ」
 パパは悔しそうな表情でギリ、と奥歯をかんだ。
「私を欠いて、この研究が進むとでも思っているのか?」
「実験データはすべて本部に転送済みだ。アンタが個人的に付けていた研究日誌もすべて、な。技術はほぼ確立されている。アンタの片腕だった男でも十分に進めていけるさ」
「愚かな……」
 パパは目をつぶって小さく笑うと、ぼくに向けていた銃を降ろした。
「アンタは優秀な研究者だった。だが最後で失敗した。この被害は大きい。死を持って償って貰う必要がある」
「くだらん。この程度の失敗がなんだと言うのだ。私は天才だ。歴史に名を残す男、ジュレオン=リーマルシャウトだぞ!」
 ハパは叫んで、下から大男のカオに銃口を定めなおした。
 ガン! という短い音の後に、もえカスと肉のこげた匂いがする。
「よく言うだろ。天才とジャンキーは紙一重、ってな」
 何か重いモノが落ちる音。パパは頭から紅い水を出してたおれていた。キツい何かの匂いが、ぼくのハナを突く。
 もうおわっちゃったの? パパ。ウソでしょ? そんなジョウダン、ぼくちっとも面白くないよ?
「さぁ、ユティス。お前の大嫌いだった奴は居なくなった。俺と一緒に行こう」
 大男はぼくの方に手をのばした。浅黒くて、大きな手が目の前にさし出される。
 彼を見上げた。人の良さそうなカオで、にっこりと笑みを浮かべている。
 彼はいい人だ。
 ぼくの中のダレかが言った。
《早く来いよクソガキ。さっき爆破スイッチを押して来たからな。ココも長くはもたねーぞ》
 ダレの声だろう。すごく気分がワルくなる。
「さぁ、ユティス」
 大男はもう一度ぼくの名前を呼ぶ。
《せっかくのジュレオンの置きみやげだ。大切にしねーとな》
 声は目の前からきこえる……そっか。
《コイツとは監視目的で何度も喋ってるから俺にはなついているはずだ。馬鹿のフリして、講義受けてたかいがあったってモンだぜ》
 この大男の心の声だ。いい人だと思っていたのに……。
 ゆるせない。ぼくをダマす奴はゆるせない。
《人間から生まれたロスト・チルドレン第一号。こいつを連れて帰りゃあ、昇格間違い無しだな。しばらくは娼婦[フッカー]共と遊ぶか》
 汚い目でぼくを見るな。
「ユティス。どうした?」
 汚い手でぼくにさわるな!
「なっ!」
 ぼくに差し出した大男の手をにらみ付ける。ッリ……という気持ちワルい音がして、紅い水が辺りにとびちった。
「ギ、アアアアアァァァァ!」
 右手の爪が全部なくなり、おくれてやってきたイタみに大男は声を上げる。
 こんなもんじゃおわらせない……。
 目に力を込める。大男の右ウデの血管がうき出て、まるでヘビのように動き始めた。
「ヒッ! ヒイッ!」
 うすい緑色のヘビは、大男の浅黒いヒフの下で外へ出たがるようにのたうち回る。自分のウデにふり回されながら、そいつはカオをゆがませた。
「バンッ」
 ぼくの短いコトバに反応して、ヘビはヒフをくいやぶり、大男の首に巻き付く。何匹も何匹も、次から次へとはい出るヘビに大男はカオを青くしていった。
「ぅご……が、はぁ……」
 このまま放っておいても死ぬだろう。けど、それじゃぼくの気が収まらないんだ。
 アタマの中にあたらしい何かがイメージされる。体の一部が枯れていく かんじがしたけど、ぼくはそのイメージどおりに右ウデを前につきだした。そして何もないトコロに投げ出された右手に力を込める。
「っぅぁ!」
 大男が肺にのこったわずかな空気をはき出した。目がグルリ、とウラがえり 白目をむく。ノドのおくから かすかに きこえる、小さな息づかいを ききながら、ぼくは右手に力をこめた。指先に、生あたたかく、ブヨブヨしたモノが伝わってくる。
 それは大男のハート。しんぞうだ
 右手に込めた力を少しずつ つよくしていく。少しずつ、少しずつ、アッサリ イかないようにカゲンをしながら。だんだん ぼくの右手が小さくなってくる。指で出来たスキマがほとんどなくなり、そして――
 大男は けぽっ、とコワれた すいどうのように口からアカい水を吐き出しながら たおれた。ピクピク、と何回かケイレンしたあと、そいつは うごかなくなる。
「おわっちゃった……」
 むなしい。もっとハッピーになれると思っていたのに、おわったあとには 何ものこらない。
「ねぇ、今度はパパがあそんでよ」
 パパはきっとまだ生きてる。体だってまだキレイだ。いつもみたいにぼくをビックリさせる気でいるんだ。
 ぼくがパパの方に近よったとき、きゅうに目の前がタテにゆれた。そして、ものすごい しんどうが ぼくの体に伝わってくる。
『エマージェンシー! エマージェンシー! ゼロ・プログラムを起動しました。この建物は後10分で爆発します。内部に残っている方は至急避難してください。繰り返します……』
 せまい つうろに、キカイが大声でさけんでいた。
 体がグラグラとゆれた。
 けど、ぼくはちっとも気にならなかった。今は他にやりたいことがある。
「フフフ」
 少し楽しくなってきた。パパとあそぶなんて久しぶりだ。
 ぼくがパパの体にふれようとしたとき、せなかを やわらかい何かが包んだ。
「ユティス……」
 白くほそいウデがぼくの体をつつみこむ。なつかしい匂いがした。
 穴だらけになったぼくの心が、少しずつ うまっていく気がする。
「もう、やめましょう……ユティス。気は、済んだでしょう……?」
 この声は、ぼくが大好きだった声。とてもキレイな声。どんな不安も、この声をきくとどこかへ行ってしまう。そうだ、この声はママの声だ。
 カオだけを後ろに向けて、ぼくはママのカオを見た。
「え?」
 ママは泣いていた。
 それは、ぼくの知らないママのカオ。ママはいつも笑ってた。笑って、ぼくに はなしかけてくれた。ぼくが わるいコトしたときも、いつも笑ってくれていた。
 ねぇ、笑ってよ、ママ。それでまた、ぼくのアタマをなでて『いい子ね、ユティテス』って言って。ぼく、ちゃんとママの言うこときくから。
「ママ……」
 ぼくがそう言うと、ママはビックリしたように目を丸くした。
 そして、ニッコリと笑ってくれた。
 まだ、少し泣いていたけど、ママが笑ってくれたから、そんなに気にはならなくなった。
「ユティス……私のこと、”ママ”って呼んでくれるの?」
 ぼくにはそのコトバの いみが良く分からなかった。
「ねぇ、どうしてそんなこと聞くの? ママはぼくのママじゃないの?」
 ママはクビをヨコに ふった。そしてまたニッコリと笑って、ぼくのアタマをなでくれた。
 ああ……気持ちいい。ママの手は、やわらかくて、あたたかくて、大好きだ。
「ユティス――」
 ママが何か言おうとしたとき、ものすごく大きなグラグラがきて、ぼくとママは しりもちをついた。
「だいじょうぶ? マ……」
 そう言って立ち上がろうとしたとき、目の前がおっきくゆがんだ。体に力が入らない。すわっていることもできない。
 きがつくと ぼくは ゆかに あたまを つけていた。
「ユティス! 大丈夫!?」
 ママは フラフラしながらも ぼくの そばに きてくれた。そして ぼくの かおの すぐよこに すわりこむ。
「ママ……なんだか、ねむいよ。つかれたみたいだ」
 ほんとうに すごく まぶたが おもい。からだに ちからも はいらないし あたまも ぼーっとする。
「そぅ……」
《きっと力を使いすぎたせいだわ。いくらK値が1桁でも、あれだけの種類のサイキックフォースをこの短時間で立て続けに使ったんだもの。無理もない……。普通のロスト・チルドレンだったら、10回は壊れているところよ》
 ママの こえが ぼくの あたまの なかでする。でも さっきの おおおとこ みたいな いやなかんじは ちっともしない。ママの やさしさが つたわってくる。なんてきもちいいんだ。
「ねぇ、ママ。ぼく すごく わるい ゆめを みていた きがするよ。もういっかい ねて おきたら だいじょうぶかな?」
 ママは ぼくの あたまを もちあげて ひざまくらを してくれた。
「ええ、目が覚めたらきっと悪い夢なんてどこかに行っちゃってるわ」
「そう、だよね……」
 めのまえが ぼやける。じめんの なかに からだが すいこまれて いくみたいだ。もう しゃべるのも だるい。
「ゆっくりお休みなさい。パパとママが、ずっとずっと側にいてあげるから」
 ほんとう? じゃあ あんしんだね。3人で いっしょに いられるなんて ひさしぶりだ。
 ぼく すごく さびかったんだ。でも、パパとママが いっしょに いてくれるなら ちっとも さびしくないよ。
「ユティス」
 ママが ぼくの あたまを やさしく なでてくれる。それはまるで こもりうたのように ぼくを ゆめの せかいへと はこんでいってくれた。
「愛してるわ」
 ぼくもだよ、ママ。
 そしてぼくは ねむりに おちた。ふかい ふかい……にどと めざめることのない ねむりに。





空メールでも送れますが、一言添えていただけると大変嬉しいです。
――The End of the Nightmare――
May you sleep in peace...bye.
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