魔術書は喚ぶ、みんなの魔王をででーんと

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  Level.3 『結局最後はコレか……』  

『ラスボス・クラスの超強敵が何体も! どうする!?』
 ○逃げる
 ○神に祈る

⇒○愛と勇気を正義の力に変えて!

 ええぃクソ! もうヤケクソだ!
 何でもいいから私の中の力を絞り出し尽くす! それでコイツら全員消し飛ばす!
「ハウェッツ!」
「おぅ!」
 私の声に応えて白い稲妻が幾筋も走る。ソレは筋肉牛の脳天に直撃し、頭を黒く焦がして――
「チィ……!」
 私は舌打ちしてハウェッツの背中に倒れ込んだ。
 直後、さっきまで私の頭があった位置を、蛇女の長い爪が通り過ぎる。そして間髪入れずに後ろから分厚い咆吼が轟いた。
「クソッ!」
 さっき雷を喰らわせてやった筋肉牛が飛び上がり、汚い涎を撒き散らしながら斧を振り上げていた。
 デカイ図体のクセに機敏な動きを……! しかも雷が効いてない……!
「しっかり掴まってろよ!」
 ハウェッツは叫び、長い尻尾を大きく振ってミノタウロスに伸ばす。ソレは植物のツルのようにしなって牛の首に巻き付くと、急速に縮まって相手の体を引き寄せた。
 一瞬で間合いが狂い、斧の一撃が私の前を通り過ぎる。
「そぉら!」
 得物を振り下ろした力に引かれて行く筋肉牛から身を逃し、ハウェッツは真逆の方向へと舞い上がった。
 痛々しいほどにピンと張られる尻尾。そしてゴグッ、というくぐもった音。
 首の骨を折られ、ミノタウロスは全身を脱力させて落下していった。
「よし! まずは一体!」
「こんなチマチマやってられるか! おぃメルム! 熱血が足りてねぇぞ!」
 拳を握り込んで叫ぶ私に、ハウェッツは苛立たしげに言い返す。
「うるさい! そんなこと分かってる!」
「だったらヤレよ!」
「分かってるって言ってるだろ!」
 このワケも分からない状況下で、そんなすぐに感情をコントロールできるか!
 ドールの力の源はドールマスターからの感情。ソレが強ければ強いほど大きな力を発揮する。
 そんな常識的なことは十分すぎるほど分かっている! 分かっているさ!
 けど……! けど……! あんな見たこともないヤツ相手に……! それもあんなに沢山! 凶暴そうなのが!
「なくなっちまうぞ! お前の大切なモンがよ!」
 大切な、もの……。
 言われてアタシは視線を下に向ける。
 メイド達を庇い、辛うじて守り抜いている白スーツ達。ゾンビやゴースト、ガイコツ達は果敢にも戦いを挑んでいる。リヒエルは自分の身を削って体の一部を武器化し、その後ろには館に常駐していたドールマスター達が続いていた。
 そしてルッシェ……ルッシェは……?
 ルッシェの姿がない。さっきみたいにまだどこかにこっそり紛れているのか?
 それに、アイツは……?
 あのバカでド変態で底なしの友情オタクで、アタシの……! アタシの一番大切な……!
「レヴァーナ!」
「呼んだか」
「うおぉ!?」
 後ろでした声にアタシは反射的に振り返って肘を入れた。
「痛いではないか」
「おどかすな!」
「『脅かす』には確かに『びっくりさせる』という意味合いもあるが、この場合はやはり『おどろかすな』が適切な表現だな」
「どうでもいい!」
「『胴でもいい』? あぁ心配するな。少しくらいの膨らみは……」
「貴様あああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
 レヴァーナのみぞおちに私の腕が肘近くまで埋め込まれた。
「よし、良いパンチだ。そーゆーことで反撃開始だな。リートにパーヤ、見送りご苦労」
 しかし彼は何事もなかったのように平然と返し、去っていく二体のゴーストに手を振った。
 ……くそぅ、最近コイツの変態っぷりにまた磨きが掛かってきたな。まさかシングウジの影響だとか言うんじゃないだろうな。
「さぁメルム。ターゲットを指定しろ。一瞬にして塵に返してやろう」
 レヴァーナは黒髪を掻き上げて鋭く立たせ、黒いスーツの襟元を正しながら逆三角形の目に気合いを込めた。
 私とレヴァーナは個人契約を交わしている。だからレヴァーナの感情は私を介してハウェッツに伝わり、力へと変換される。私などとは比べ物にならない怪情が、壮絶な力へと。
 恐らくレヴァーナの言うとおり、その力であの化け物どもを消滅させられるだろう。仮に雷では無理でもまだ波動砲型ドールという切り札がある。
 だがこの密集状態だ。扱いを間違えれば味方に被害が及ぶ。
 それに何より――
「ルッシェだ」
「やはりキミもそう思うか。よし! 任せ……!」
「まずはルッシェを探す。次にあの本だ」
 ブーストオンしかけたレヴァーナの顎を右ストレートで打ち抜き、私は強引に気持ちを落ち着かせて言った。
 焦るな。冷静になれ。
 こんな奴ら恐くなどない。その気になればいつでも消せる力がすぐそばにある。それに化け物が化け物らしく暴れてくれているだけましだ。
 アイツらみたいに、化け物のクセして愛想笑いを浮かべたり、じゃれてきたり、気を遣ったりしないだけ受け入れやすい。
「メルム来るぞ!」
 だから鎧野郎が剣を投げ付けてきたところで、
「おい鳥! 左だ!」
「ハウェッツだっつってんだろーが! ソレに今は鳥じゃねー!」
 死に損ないのジジイが黒い塊を飛ばしてきたところで、 
「どうするつもりだメルム!」
「早く何とかしろよ! どんどん来るぞ!」
 筋肉牛が群で飛びかかってきたところで……!
「いた!」
 セレモニー・ルームへと続く白亜の扉のすぐ近く。鷹の彫像の裏側。台座の影に身を寄せるようにして、ルッシェは小さくなって隠れていた。そしてその手には例の魔術書。
 絶対に放すまいと、本の表紙にシワが寄るくらい強く握り締めている。
「ルッシェ!」
 私は叫んでハウェッツを急降下させた。
 化け物どもの咆吼を風の音で掻き消し、その隙間を縫うようにして突き進む。全てが後ろへと押し流されていく中、ルッシェの姿だけがコチラに吸い込まれるように大きさを増して行き――
「せ、先ぱぃ……!」
 ルッシェがコチラに気付く。
「掴まれ!」
 私はレヴァーナに支えられながら思いきり体を乗り出して、
「あ……!」
 視界の隅で何かが振り下ろされるのが見えた。
 ソレは斧――
「あ……」
 乾いた破砕音。床に突き刺さる凶器。そして頬に当たる小さな白い破片。
「おのれ!」
 レヴァーナの叫声が後ろから聞こえたかと思うと、目の前に立っていたミノタウロスが光に包まれた。残ったのは黒い炭クズだけ。
「ルッシェ乗れ!」
 ハウェッツは角でルッシェの体を持ち上げて器用に背中に乗せると、またすぐに宙へと飛び立った。その脚の下をデュラハンの剣が掠めて通り過ぎる。
「メルム! ルッシェ君は無事だ! そして本もな! だからもう良いな! 殲滅するぞ!」
「あ……あぁ……」
 なぜだ。どうしてレヴァーナの言葉がこんなにも遠くから聞こえる。
「メルム! 大丈夫! 彼らならきっと大丈夫だ! だから今は目の前のことに集中しろ!」
 大丈夫……? だって、アイツら粉々に……。アタシを庇って……。
「先輩ゴメンナサイ! わたしのせいなんです! 全部わたしのせいなんです!」
 アナタのせいって、何が……? 何がアナタのせいなの……?
 もう本当にワケが分からない……。
 レヴァーナも、ルッシェも、何を言ってるんだ……? どうしてあのガイコツ達は、死ななければならなかったんだ……?
「頃合い、だな」
 前から誰かの声がする。
「人が憎しみの頂点に達した瞬間を見るのは楽しい。フィギュア鑑賞の次にな。人が徐々に焦燥に支配されていく様は面白い。ギャルゲーの次にな。そして人が絶望する姿は美しい。水晶ボンデージガールの次にな」
 中空で静止し、シングウジが口の端を皮肉っぽく吊り上げていた。
「お前達の不幸、十分に堪能した。コレで俺様の手間を取らせた罪は帳消しにしてやる」
 そして彼はゆっくりとした動きで手をコチラにかざし、
「さて、そろそろ渡して貰おうか。そのネクロノミコ――」
 そこで言葉は止まった。
 いや、時間そのものが止まったように感じた。
 皆が皆、シングウジの方を丸くした目で見つめている。
「おい、メルム……」
 レヴァーナが呟く。
 うん、刺さってるね。見事に。筋肉牛の斧が。
 シングウジの後頭部に。
『貴様……』
 そしてエコー掛かった不気味な声が、シングウジの口から漏れ出す。
『この俺に、刃を向けるか……』
 斧が蒸発した。
 比喩でも何でもなく。音もなく空気に溶け込んだ。
『この――魔王・真宮寺にいいいいぃぃぃぃぃぃ!』
 斧を投げ付けたらしいミノタウロスの体に亀裂が走ったかと思うと、内圧に絶えかねたようにして爆発した。ソレは次々と伝播して行き、眼下に敷き詰まっていた化け物どもは為す術もなく消えていく。

『があああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!』 

 ソレはまさしく、一瞬の出来事だった。
 私の放った雷を受けても平然とし、本気になったリヒエルが苦戦を強いられ、熟練のドールマスター数名がかりででようやく一匹と対等に持ち込める化け物を。
 五体のガイコツを軽々と粉砕し、館の二階部分を黒い玉の一撃で微塵にし、空気の摩擦熱で刀身が紅くなるほどの高速剣を振るう怪物を。
 一瞬で。
 直接触れることもなく。
 気合いだけで――消し飛ばした。
「ふん……雑魚どもが」
 せいせいしたと言わんばかりの表情で鼻を鳴らし、広くなったエントランス・ホールをシングウジは無慈悲な視線で睥睨する。
「さて……」
 そして再びコチラに向き直り、
「渡して貰おうか。ネクロノミコン」
 手をかざして――
「目的を聞いておこうか」
 本を持つルッシェを背中で庇いながら、私は聞き返す。
「その内容次第では、考えてやらんこともない」
「お、おぃメルム!」
 戸惑いの声を上げるハウェッツの頭を軽く押さえつけ、私はシングウジの答えを待った。
 コイツの狙いはさっきの化け物どもだと思っていた。魔術書を手に入れて凶悪な奴等を召喚し、街中を混乱に陥れるのだとばかり思っていた。
 だが違った。シングウジの目的はそこではなかった。
 自分に牙を剥いたということもあるだろうが、何のためらいも消し去った。しかも全員。
 そして不思議なことに、ゾンビやゴースト、ガイコツ達はなぜか無事ときている。
 一体何なんだ? コイツの目的は。何がしたいんだ? もし、その目的が邪悪な物でないのなら――
「目的なら達した」
 コチラに手をかざした体勢まま、シングウジは口を薄く開いて笑みの形に曲げる。
「達した?」
「俺の目的は犯人。つまりお前の後ろにいる、二次元に落とし込んで若干の加工処理を施せば意外と大化けするかもしれないが、俺の最近のハマリは無着色のフィギュアを自分色に染めることなので、とりあえずまぁいいかと見逃してやった女が不幸になることだからな」
「あー、何……?」
 今、形容詞が異様に長くて、大事なところを聞き逃してしまったんだが……。
「ルッシェ君の不幸が目的だと!? どういうことだ!」
 と、後ろからレヴァーナ。
 やはり変態の相手は変態にさせるに限る。
「ソレが俺の幸せなんでね」
「お前の幸せだと!? どういうことだ!」
「人が苦しむ様を見るのは楽しい」
「苦しむのが楽しいだと!? どういうことだ!」
「心が満たされる」
「満たされるだと!? どういうことだ!」
「…………」
「沈黙だと!? どういうごッ――」
 前を向いたままレヴァーナの喉に肘を入れ、私は少し目を細めてシングウジを見る。
「なるほど。お前の言いたいことはよく分かった」
「ソレは助かる」
 つまりこういうことだ。
 コイツはただ、ルッシェの知らないところでこの騒ぎをドンドン大きくしたかっただけなんだ。そうすれば事の発端人であるルッシェは困惑し、焦り、今起きている大惨事は自分の責任なんだと思い込む。何とかして収拾しなければと躍起になる。
 そして悲壮感に埋め尽くされていくルッシェの表情を、コイツは見たかった。
 今になって考えれば、ルッシェの行動は少しおかしいところがあった。
 まず昨日館に戻る時、“偶然”ルッシェに出会ったこと。
 アレは偶然なんかじゃない。きっとルッシェも館に向かっていたんだ。
 騒ぎを静めるために。本をもう一度手に取るために。
 もしかしてという思いはずっとあったんだろう。自分が本にしたことが原因なのではないかと薄々感じていた。だがなかなか確証が持てず時間だけが過ぎていった。そしてどんどん疑念だけが溜まり、どんどん言い出しづらくなっていった。
 まぁ私以外は面白おかしくやっているようだし、このままうやむやになって、いつの間にかいなくなってくれていればいいなとか、そんな儚い希望を抱いていたところにドラゴンが現れた。
 疑念は確証に変わった。
 あの時ルッシェはドラゴンが出てきてしまったのも自分のせいだと思ったんだろう。とんでもないことになってしまったと焦った。
 だからあんなにも必死になって本を探してくれていたんだ。館に泊まり込んでまで探し続けて、イロハカエデが発見したという報告を聞くや否や、私の所に血相を変えて知らせに来た。
 あの時の表情は何か鬼気迫るものがあった。きっともう限界だったんだろう。
 ゾンビやゴーストに加えてガイコツまで現れてしまったのだから。少しでも早く自分が見つけて何とかしなければならないのに、よりによって最悪な相手の手に渡ってしまったのだから。
 そしてダメ押しが、これまでとは比べ物にならないほど凶悪な化け物どもの召喚。
 しかもルッシェがイロハカエデの手から本を取り上げた直後にあいつらは出てきた。
 ルッシェはきっとこう考えるだろう。
 自分が触ってしまったせいでこうなった。また自分のせいで騒ぎを大きくしてしまった。
 そういう負の思考こそが、シングウジの狙いであるなどとは微塵も思わずに。
 あの時、シングウジはわざとルッシェに本を奪わせたんだ。ルッシェがイロハカエデの後ろから近付いて来ていることは知っていた。でなければあんな計ったようなタイミングで本を暴走させられるワケがない。
 そう、騒ぎを大きくしたのは間違いなくコイツなんだ。

『俺は他にやることができた』

 シングウジはココに来てすぐに本を見つけ、何か細工をした。ソレがどういう類の物なのかは見当も付かないが、最初からルッシェが犯人だと気付き、ドラゴンに姿を変えることができ、体を不可視化し、その状態でハウェッツの突進をいとも簡単に弾き、リヒエルの渾身の剣撃を片手で受け止め、頭に斧が刺さっても平然とし、そして気合いだけで化け物どもを一掃してしまうような奴だ。
 ……認めたくはないが、アイツはきっと『何でもアリ』なんだろう。
 あの本の力などなくとも、この街を崩壊させることくらい簡単なんだ。
 だから本が欲しい理由は本当に単純。
 昨日、イロハカエデが言ったように、ランランという人物に取ってこいと頼まれたからだけなんだろう。
 目的は悪用ではない。ソレは分かった。分かったが――
「やはり、本を渡すわけにはいかんな」
 この非常識な趣味を持つ変態野郎に渡すワケにはいかない。
「ほぅ」
「お前にも不幸を味あわせてみたくなった」
 人の痛みを食い物にするような奴の言うことを素直に受け入れられるほど、私は人間ができていない。
 そっちが『何でもアリ』ならこっちだって『何でもアリ』だ。
 目には目を、変態には変態で勝負だ。
「そうか」
 レヴァーナの首に腕を回して彼を前に出す私に、シングウジは針先のように目を細めて冷たい笑みを浮かべた。
「なら、しょうがないな」
 そしてかざしていた手をポケットの中に入れ、もう片方の手で新しい白筒に火を付けて煙を吐き出す。
「真の絶望を味わってくるか」
 刹那、空気の質が一変した。
 粘性を帯び、肌にまとわりつくような違和感。目の前が揺れて平衡感覚がなくなり、座っていることすら危うくなってくる。
「あ……」
 気が付けば景色の上下が逆になり、私は重力に引かれてハウェッツの背中から――
「メルム!」
 思いきり腕を引かれ、私は元の場所に引き戻された。
「大丈夫か!」
 目の前にレヴァーナの顔がある。
「あ、あぁ……」
 私は感覚の戻らない体を彼に預け、広い胸の中に身を沈ませた。
 ああ、温かい……。いい匂い……。
 やっぱりココが一番落ち着く。他の全てを忘れて安心できる。
 もうずっとこうしていたい。コレがアタシの幸せなんだから……。
「良かったメルム。無事でなによりだ」 
 うん。大丈夫。アタシ、アナタと一緒ならどんなことだって――
「俺が殺す前に死んで貰っては困るからな」
 え……。
「さぁ目を開けろメルム。こっちをよく見るんだ。自分の目で自分の最期を見届けるんだ」
 両肩を強く掴まれ、体がレヴァーナから離された。視界の隅に光る物を見つけてそちらに目だけを向ける。
 果物ナイフだった。
 レヴァーナはその刃物を逆手に持ち、真剣な眼差しでコチラを見下ろしている。すぐそばにいたはずルッシェはどこにもいない。
「レヴァーナ……?」
「メルム、安心しろ。苦しまないよう一突きで決めてやる」
 レヴァーナはナイフの先を私の胸に当て、強い口調で言いきった。
 ……ふふ、そうか。そういうことか。
 自然と、口から笑みが零れる。
 コレがアイツの言っていた、『真の絶望』。魔術書の本当の力か。

『絶望とは則ち、汝の心の海に棲みし最愛。彼の者が振るう無情の刃』

 なるほど。実に分かり易い。
 確かに絶望だ。最も愛している者が自分を殺しに来る。コレに勝る絶望はそうないだろう。
 悲惨だ。最悪だ。失意のドン底だ。
 ――滑稽なほどにな。
「待てレヴァーナ! ソレがお前にとっての正義なのか!」
 私は少し芝居がかった調子で叫びながら、レヴァーナに待ったを掛けるように手の平を突き出した。
「今のその行為がお前の中の確たる信念に基づいた物であるというのならば私は喜んでソレを受け入れよう! だがな! 本当にそうなのか!? ソレはお前の真意なのか!?」
 私の言葉にレヴァーナの表情が激烈に変わる。
 攻撃的な逆三角形の瞳は弱々しい正三角形になり、顎を外したように口が大きく開かれた。持っているナイフは「の」の字を描いて震え始め、彼だけに見えているんだろう妖精さんに話し掛けながらレヴァーナは少しずつ後ずさっていく。
 行ける。そうだ。やっぱり大丈夫だ。
「まぁ落ち着け、レヴァーナ。ここは一つ話し合おうじゃないか。腰を据えてじっくりとな」
 いくらレヴァーナの偽者を用意しようとも、やはりレヴァーナがレヴァーナであることに変わりはない。
「まず最初に聞こうか。人を愛するとはどういうことだと思う」
 レヴァーナがレヴァーナである以上、私にとって何の問題もない。
「私はこう思うんだ。相手のことを想い、敬い、自分のことのように考えて尽くす。この身が朽ち果てようとも、ソレが相手の血肉となるのならばよしと考える」
 例えどんな姿になろうと、レヴァーナがレヴァーナの心を持っているのなら、ソレは私に中にいるレヴァーナと何ら変わりはないんだ。
「ソレが愛だ! 真の友情だ! だが今のお前の行動にはソレを感じ取ることができない! なぜだと思う! 答えは簡単だ! 今のお前には志がない! 強く、気高く、猛々しい思いが込められていない!」
 この一年間、ずっとそばにいて、ずっと見てきたんだから。
「そんな薄っぺらで安っぽい行動で人の心を動かせると思っているのか! ふざけるな! 今のお前は努力もせず! 勇気も奮わず! 気合いと根性など微塵もなく! ただ流されるままに流されている愚鈍な人形だ! そんなことで本当の勝利を掴み取れるとでも思っているのか!」
 レヴァーナはナイフを放り出し、両手で頭を抱えて意味不明な雄叫びを上げる。上体が不自然なほどにぐーらぐらと揺れ、彼の葛藤が手に取るように分かった。
 よし! もう少しだ!
「さぁ言ってみろレヴァーナ! お前が本当にしたいことは何だ! お前が求める物は何なんだ!」
 私はレヴァーナに手を伸ばす。
「相手が誰であろうと誠意を持って話し合えば必ず理解できる! ゾンビでも! ゴーストでも! ガイコツでも! そう教えてくれたはレヴァーナ! お前自身だろう! なら分かり合えるはずだ! 心と心で! より深いところで!」
 レヴァーナの動きが止まった。そして俯き加減のまま、私の方をじっと見てくる。
「今のお前の気持ちはどうだ!? まだ私に対して殺意を抱いているのか!? いいやそんなはずはない! なぜなら最初からその気持ちは偽りだったのだから!」 
 レヴァーナが自分の手を恐る恐るコチラに差し伸べてきた。私はソレを強く握り返し――
「さぁ思い出せレヴァーナ! 私とお前の間で誓い合った永遠の愛の絆を!」
 目の前が白くなった。
 体が軽くなる。まるで綿雲にでも包まれているような、そんな夢見心地の中――
「おぅ、戻って来たか」
 レヴァーナの声が聞こえた。
「先輩! 大丈夫ですか!?」
「テメーはあんま心配させんなよなー」
 続いてルッシェとハウェッツの声も。
 ……えーっと? 何がどうなったん、だ……?
「どうやらキミが一番最後みたいだな」
 一番最後? 何のことだ?
 いや、今はそんなことはどうでもいい。まず確認しなければならないのは――
「レヴァーナ。私の胸をどう思う」
「ない」
 拳が顔面にめり込んだ。
「よし、いつも通りだ」 
「何がしたいんだキミは」
 鼻からボタボタボターと紅い液体を垂れ流しながら、レヴァーナは真顔で聞いてくる。
「じゃあ今度はコッチから行くぞ!」
 レヴァーナの腕の中で身をよじって前を向き、私はシングウジの方を睨み付けて――
「その必要はなくなった」
「……みたいだな」
 目の前で繰り広げられている微笑ましい光景に息を吐いた。
「だーかーらーっ。危ないことはメッて言ったでしょーっ」
「……うるさいなぁ」
「うるさいって言わないのーっ。たまにはちゃんと先生の言うこと聞かなきゃダメーッでしょっ」
「……何でそこで先生になるだ」
 腕組みし、不満げな表情でそっぽを向いているシングウジ。つい先程まで纏っていた禍々しいオーラはどこにも感じられない。
 そして彼の隣りで空中浮遊し、立てた人差し指をゆっくり振りながら咎めるような口調で言い聞かせているイロハカエデ。多分、本人はいたって真面目に叱りつけているつもりなんだろうが、間延びした喋り方と、あのハイレグ・メイド服のせいで全く迫力がない。
 とはいえ、シングウジはソレなりに重く受け止めているようだが。 
「……で?」
「ん?」
 そんな二人のやり取りを横目に見ながら、アタシはレヴァーナの腕を肘置き代わりにして聞いた。
「さっきの、アタシが一番最後っていうのは?」
 さらにレヴァーナの胸板に背中を預け、完全に椅子扱いにする。
 張りつめていた神経がブチブチに切れてしまった。何だかもう何もする気が起きない。
「あぁ、どうやらみんな意識を失っていたらしくてな。目が覚めたのは俺が一番最初だった。少なくともこの中ではな」
「ふーん……」
 私は半眼になって適当に返し、イロハカエデの苦言をただ黙って聞いているシングウジに目を向けた。
 あれだけやりたい放題してくれたクセに、あの情けない様は何だ。本気でやり合う気でいたコッチまで惨めになってしまうではないか。
 ……それにしても、全員気を失っていたということは他の奴等もあの幻を見せられていたということか……。じゃあ、レヴァーナの相手は、やっぱり……? いや、でも……。
「で? お前はどうしたんだ?」
「どうしたとは?」
「どうやって抜け出したんだと聞いている」
 あークソ、何で私はこんなにも緊張してるんだ。
 別にわざわざ聞かなくても良いじゃないか。言いたくないことかもしれないし、もしかしたら、私だって聞きたくない答えかもしれないのに……。
「まぁ、いつも通りだな」
「……何よ、ソレ。ハッキリ言いなさいよ」
 自分でもイヤな声になっているのが分かる。心臓の音がみるみる大きくなっていくのが気に入らない。
「キミは考えていることと逆のことをするクセがあるからな。俺を殺したいくらいに愛してくれているのかと感動して、思いの丈をぶつけたらアッサリ折れたぞ」
「あ、そう……」
 半眼から更に深くまぶたを伏せ、アタシはレヴァーナの腕の中でズルズルと体をずり下ろした。
 全く、聞いたアタシがバカだった……。ホントにこのバカはどこまで行ってもどうなってもバカなんだから……。
 でもまぁ、やっぱホッとしちゃってるなぁアタシ……。まだ、信じ切れてないのかな……。まだ、分かり合えてないトコとか、あるのかな……。
「どんなになってもキミはキミだ。心と心で繋がり合っている以上、乗り越えられない壁などない。今回はソレを証明する良い機会になった」
 はっはっはと満足げに高笑いしながら、レヴァーナは大きな手でアタシの頭を撫でる。
 なんだ……同じこと、考えてた……。アタシもレヴァーナと同じこと考えて、それであの『絶望』から抜け出せた。
 なんだ、大丈夫じゃない。アタシだってバカなんだから。もうコイツと同じくらいバカになっちゃったんだから。
 このバカの言葉を真似するワケじゃないけど、今回はソレを自分自身に証明する良い機会になったってことよね。なーんだ、変な心配して損しちゃ――
「ところでキミはどうしたんだ?」
「へ?」
 レヴァーナの言葉に、アタシの思考は見事にフリーズした。
「キミはどうやって抜け出したんだと聞いている」
「ど、どうやってって……」
 い、言えない……さすがにココでは言えない。ルッシェだってハウェッツだって聞いているのに、完全にレヴァーナ化して熱血バカになってましたなんて……例え豊胸の秘孔を教えてやると言われてもコレだけは……。
「……べ、別に良いじゃない。アタシのことは……」
「フッ、そうか。言いたくないか。なるほど予想通りの反応……だぁが!」
 レヴァーナはアタシの体を反転させて自分の方に向き直らせ、両肩をワシィ! と掴んで鼻息の荒い顔を近付ける。
「俺には見える! ハッキリと見えるぞ! キミが『何をするつもりだこの馬鹿! そんな物騒な物を持ち出しおって! ち、力ずくで来るつもりか!? ……何? “乳からずくで”なんか言ってない? 私も言っとらんわボケエエエェェェェェェ!』とか叫んで俺を撲殺している様子がな!」
 勝ち誇ったような表情で言い終え、レヴァーナは逆三角形の凶暴な目をギラつかせた。
 わ、分かり合えてねぇ……。コイツ、アタシのこと全然信用してねぇ……。
「ん? 何だその顔は。む! まさか違うというのか! ううむ……。そうか! 分かったぞ! コッチか! 『何をするつもりだこの馬鹿! そんな物騒な物を持ち出しおって! ち、力ずくで来るつもりか!? あ! コラ! 変なトコ触るな! ……何? 私の体から私を表す音が聞こえる? むにゅう……むにゅう……ムニュウ……。“無乳”って言いたいのコラアアアアアアァァァァァァァァ!』 コレでどうだ!」
 フンッフンッと鼻から昂奮の息を吐き出しながら、レヴァーナは暑苦しい顔をさらに寄せてくる。
 この、野郎……。
「何ぃ!? コレも違うというのか! ならば……!」
 レヴァーナの体が宙を舞った。そのまま三階の天井近くまで飛び上がった後、僅かな停止時間を経て再び落下を始める。
「思うにだな。最近のキミは――」
 コチラに近付きながらレヴァーナは言葉を発し、そして私の目線の高さ辺りまで下りてきて――
「ツン比率があまりに高あああああぁぁぁぁぁぁぁ――……」
 床に吸い込まれていった。
「え……?」
 そんなバカを目で追って顔を下に向けた時、そのあまりに閑散とした光景に思わず声が漏れた。
 いなくなっていた。
 あれだけ沢山いたゾンビやゴースト、ガイコツ達が全員姿を消してしまっている。残っているのは、一人もいない。
 どうして……。確かシングウジは彼らを残していたはずなのに……。まさか、後から気が変わって? 私が『絶望』とやらを見せられている間に? 『絶望』の後にまた『絶望』を用意するために?
「何かみんな、帰っちゃったんです」
「帰っ、た……?」
 コチラの心中を察したのか、ルッシェが後ろから言ってきた。
「はい……。多分こういうの、昇天とか成仏とか言うんだと思うんですけど。みんな、満たされた顔でどっか消えちゃったっていうか。多分、わたし達が見せられた物と同じ物をみんなも見て、それでだと思うんですけど……」
 口の中で呟くような、どこか遠慮がちなルッシェの言葉。
 言っていることに自信がないのか、それとも私を気遣ってくれているのか……。
 いや、この子の性格からして後者であることは間違いないか。一見、大胆そうに見えて結構繊細な一面を持ち合わせているんだ、この子は。
「ハウェッツ、下りてくれ」
 私の声に頷き、ハウェッツはゆっくりと降下を始める。
 そうか……彼らにも愛する者がいて、レヴァーナの信念通り話し合いできっと解決して、そして、満足したんだ。もう思い残すことはないと満足してしまったんだ。だから消えた。
 そうか……いなくなって、しまったのか……。自分の意思で消えてしまったのなら、しょうがないな……。
「まったく……」
 床に下り、私は小さく呟いて溜息をつく。
 不思議なものだ。最初に見た時は嫌悪感しかなかったのに、いつの間にかソレが取り除かれていた。そして今なら彼らとも十分に分かり合える、そんな気さえするようにまでなってしまった。
 バカの力は偉大だ。今回ばかりはソレを嫌と言うほど思い知らされた。
 ただ、残念ながら私はまだバカに染まりきっていなかった。だから彼らへの理解が遅れた。
 本当は、身を挺して私を庇ってくれるような、そんな芯の熱い奴らだったのに……。
『まぁそう気を落とさえねぇでやってくだせぇ、姉御』
 せめて彼らとは、もう一度会いたかった。
 同じ昇天してしまうにしても、せめてバラバラになった体だけでも集めてやりたかった。
『アイツらも今頃、お星様の向こうで微笑んでるはずでさぁ』
 ああ、そうだな。そう願いたい。いや、きっとそうだ。そうに違いない。
 だって満足して消えたんだから。彼らが望んで帰ってしまったんだから。
『ですから姉御。祈ってやりましょうや。もう二度と変な風に喚び出されんなよって』
 そうだ。全くもってその通りだ。
 今の私にできる最大の手向けは、彼らの安らかな眠りを祈ること。彼らの冥福を願うこと。そして二度と起こさぬよう、本を封印してしまうことだ。
 誰か知らんが、さっきから良いこと言うじゃな――
『っへへ。こりゃどーも姉御。お疲れさんでやんした』
 化け物。
 化け物がいた。
 振り返るとそこには化け物と化け物と化け物の化け物が……化け、バケ……物……。
「何をそんなに驚いている、メルム。だからあの時言っただろう。彼らなら大丈夫だと」
 その隣りにはバカ物が。
「な、な、な……ナンダコレハ。何で、何が、なんで、どうして……」
 言葉が上手く纏まらない。舌の上で何度も何度も空回りし続ける。
「まぁつまりだな、彼らは一度死んでいるのだからちょっとくらい砕かれたところでさほど大きな問題ではなく、またこうして寄り集まっての復活が可能というワケだ。ただ少し、パーツが足りていない部分は互いにソレを補完し合うようだが」
 少し、だと……?
 コレが……コレが『少し』だと言うのか!
 ガイコツの頭を両肩と胸! それから股間にブラ下げた卑猥なガイコツ・キメラを『少し』の一言ですませるつもりか! 五体がこんなデタラメに合体しやがって! しかもデカイ! 普通の倍はあるぞ! お前らどう見ても強引に寄せ集まっただろーが!
 大体どうしてコイツは昇天してないんだ! コイツは満足できなかったとでも言うのか!
「俺がネクロノミコンの力を解放した時にはまだ復活しきってなかった。だから免れたんだろうな」
 突然、背後から声がした。私の心を読んで。
 だがもう別に驚かない。コイツはこういう奴なんだ。何だかある意味で分かり合えたような気がする。
「シングウジ、ソレはこの騒ぎの大きくしたのが自分であると認めた、そう解釈していいんだな」
「今更隠す必要もないな」
 白い筒から煙を吐き出し、シングウジは斜に構えて片眉を上げる。
「そうか! よくぞ言ってくれた! 自分の罪を認め、ソレを償おうという崇高なる精神! たった今をもってお前は俺の親ゆ――」
「その本はくれてやる」
 突進して行ったレヴァーナをデコピンで弾き飛ばし、シングウジは淡々とした口調で続ける。
「楓のせいで力の解放が中途半端になったとは言え、アレを乗り切るとは大したモンだ。しかも全員。あの電波の影響かなんか知らんが、なかなか面白い見せ物だった」
 鷹の彫像の台座に全身を埋め込こんで目を回しているレヴァーナを見下ろしながら、シングウジは皮肉っぽい笑みを浮かべる。
「やっぱりー、みんな仲良くが一番ですよねー。争いごとはよくないと思いますー。今回は色々とご迷惑をお掛けしましたのでー、そのおわびということでー」
 にこにこーと無邪気な笑顔で言いながら、イロハカエデは栗色のポニーテールを振って頭を下げた。
 ……やはり、ハイレグ・メイド服だと真剣さが伝わってこない。
「じゃあな」
「ホントはー、ゆっくりお喋りしたかったんですけどー。他の世界で見つけなければならなくなったのでー、ネコノノミトリー」
「……ネクロノミコン、な」
「あらあらー」
 どこか疲れた声で言うシングウジに、イロハカエデは相変わらず甲高い声で返す。
 伝説の魔術書が、二冊……? いや、それ以前に他の世界ってどういうことだ?
「もう二度と会うこともないな」
「またすぐ遊びに来ますねー」 
 正反対のことを言って二人はコチラに背中を向け、
「一つ聞かせろ」
 徐々に薄くなっていく彼らに私は最後の声を掛けた。
「お前らは何者なんだ」
 そして二人は顔だけをコチラに向け、
「探て……」
「愛のダブル・キューピット屋さんですー」
「ちょ……」
 シングウジが何か言いたそうに顔を引きつらせて、
「ダメですかー?」
「『未亡人限定』が抜けてるだろ」
「あらあらー」
 そこかよ。
「ではー」
 そして、二人の体は空気に溶け込むようにして消えた。きっとイロハカエデの言う、時空のトンネルというヤツに入ったのだろう。
「行っちゃいましたね……」
 セミロングの銀髪を揺らしながらルッシェは私の隣りに立ち、彼らの消えていった後を見つめる。その手には今回の騒ぎの発端となった魔術書。所々に鋲が打たれ、裏表紙に切り傷のあるボロボロの。
「わたし、あの人達から大切なことを学びました」
 ルッシェの言葉に私は少し驚く。だがすぐに思い当たり、私は紫色の髪の毛を後ろ手で掻き上げて息を吐いた。
「ああ」
 そうだな。
 確かに彼らが現れなければ……彼らが騒動を大きくしなければ、私は不死者達をずっと毛嫌いしていただろう。もし仮に分かり合える時が来たとしても、ソレはずっと先の話だったに違いない。そしてレヴァーナについても、より深いところで触れ合うことはできなった。
 勿論、全てが良い方向に行ったなどと言うつもりはない。
 館の破損は深刻だし、ミリアムはまだ寝込んだままだし、それに一体のガイコツ・キメラを残してみんな消えてしまった。
 ワイワイと大勢いた時には少なからず煩わしさを感じていたが、いざいなくなってしまうと淋しい気もするな。ない物ねだりというヤツかもしれんが、この館は少し広すぎる。
 きっとルッシェもそのことを憂んで――
「アレみんな消えちゃったのって、本当に満足して昇天したからなんですね。わたしテキトーに言ってみただけなのに」
 ……この子ともまだまだ分かり合えていないな。
「ま、取り合えず今回はコレで終わりってことでいいんじゃねーのか? ドタバタしたけどみんな何か得るモンはあったんだからよ。旅行先でのドンチャン騒ぎとでも考えりゃ納得しやすいんじゃねーのか?」
 と、いつの間にか封印体に戻っていたハウェッツが、ルッシェの肩に止まって言葉を挟む。
 なるほどな。物は考えようというヤツか。まぁアイツらにとってみれば本当に“旅行”なワケだし、私達もいつもとは違う日常を経験したと思えば、か……。
「今日のところはゆっくり休んでよ、補修工事やら何やらは明日からにすれば? 得るモン得たら、次はソイツを自分の中で噛み砕かないとな。忘れちまわねーよーに早い方がいい」
 まぁ確かに、今回のことは色々ゆっくりと考えたい気分ではあるが。
「と、ゆーワケでひとまずコレで解散、だな」
 そしてハウェッツはルッシェの肩から飛び立ち、
「何を勝手にまとめてるんだ?」
 その小さな鳥頭を鷲掴みにして私は低い声で言った。
「な、何だよ……。本は取り戻したし、アイツらはどっか行ったし、化けモンはまとめて消えたし。メデタシメデタシでお開きじゃねーのかよ」
「ああーそーだな。大体、片付いたな。大体、はな……」
 メシメシというハウェッツの頭蓋骨の悲鳴を聞きながら、私はハウェッツに顔を近付けて、
「だが、まだ肝心の部分が未解決のままだよなぁ。共犯者クン」
 可能な限り凄みを利かせてゆっくりと言葉を並べる。
 そして素直に反応するハウェッツの顔色。 
 コイツはルッシェずっと一緒にいたはずだし、本を取り戻すことに関しても必死だった。だからほぼ間違いなく関与しているだろうと思っていたんだが……ビンゴだったようだ。
「さて、聞かせて貰おうか、ルッシェ。その本をラミスの部屋から持ち出した経緯をな」
 逃げようとしたルッシェの足元を早抜きした銃で打ち抜き、私は据わらせた視線を彼女に投げかける。
「は……はは……。そんなこと、ありましたっけ……?」
 二発目の銃声が轟いた。
「しょ、しょーがなかったんです! ハウェッツ君に脅迫されて無理矢理!」
「あ! テメーきったね! お前が持ってきたんじゃねーか! メルムを越えるチャンスだってよ!」
「先輩信じて! わたしハウェッツ君に恥ずかしい声を録音されてて! 『へっへっへ、コイツを街中に垂れ流されたくなけりゃ一生俺の毛繕いをしなっ』って脅されてたんです!」
「ッがー! 違うだろ! テメーのイビキがウルサすぎるから、ソレがどんなモンか聞かせてやろうとしただけじゃねーか!」
「ほら認めた! 先輩今この鳥認めましたよ! 動かぬ証拠です!」
「ちーがーうー!」
 三発目。
「私を越えるチャンス? ハウェッツ、どういうことか説明しろ」
 静かになった二人に一度ずつ目を向けた後、ハウェッツを睨み付けて言葉を促す。
「お、おぅ。だからよ。テメーが解けなかったあの本のプロテクトを……」
「させるかぁ!」
 バッ! という大きな音がしたかと思うと、ルッシェの着ていたウシ柄のポンチョが翻った。その裏生地には数十本の投げナイフが。
 ルッシェは素早い動きでソレらを指の間に挟むと、ハウェッツに向かって投げ放つ。そして銀色の軌道は正確にハウェッツの眉間を――
「ルッシェ、少し大人しくしていろ」
 ハウェッツの前で高速回転させた私の銃により、ナイフは全て叩き落とされた。
「チィ!」
 顔をしかめて飛び上がるルッシェ。今度は髪の中に手を入れたかと思うと、無数の長針を投げ付けてきた。が、全て銃弾で弾き飛ばす。
「く……! なかなかやりますね先輩!」
「テメーは俺を殺す気かああああぁぁぁぁぁ!」
「大丈夫よハウェッツ君。痛いのは一瞬だけ。だから安心して死ねええええええぇぇぇぇぇぇぇ!」
 叫んでルッシェはポンチョの下に着ていたタイトスーツから新たな暗器を――
「ガイコツ・キメラ」
『合点!』
 私の声に応えて、巨大なガイコツ・キメラがルッシェを後ろから羽交い締めにする。
 素晴らしい反応速度だ。まるで命令されることを予め予測していたかのように。心の繋がりは完璧だな。
「あ! ひ、卑怯ですよ先輩! 男らしくタイマン勝負を!」
「私は女だ」
「大丈夫! そんな背中との区別がつかな――」
 フルフラット。ソレは弾倉が空になるまで撃ち続ける全弾発射。
「ハウェッツ、説明を」
 ルッシェが真っ白になったのを確認して、私はハウェッツにもう一度言葉を促した。
「まぁつまりですね、マスター様。ルッシェさんは貴女様を大きな目標として掲げておられまして、いつか越えたいと日々精進に精進を重ねていたわけでございます」
 ハウェッツは焦点の合っていない目を前に向け、機械仕掛けの人形のように抑揚のない口調で続ける。
「そんなある時、いつものように貴女様の後ろを追い掛けて覗き……自己研鑽のための修業に励んでおりますと、マスター様がプロテクト解除を諦めたドールに出会ったワケでございます。そこでルッシェさんは考えたわけですな。もし自分がこのプロテクトを解ければ、明日から大威張……少しは尊敬する先輩に追いつけるのではないかと。申し訳ないとは思いつつもルッシェさんはソレを自分の家に持ち帰り、プロテクトの解除作業に明け暮れました。しかしそう簡単に解ける代物ではございません。一日挑戦し、ルッシェさんは飽き……自分の力量不足に早くも気付いたのです。そして彼女は思いました。ドールがダメなのであれば、別の方法で近付こう、と。そして考えました。我が敬愛する大先輩の特徴と言えば何か。すぐに思いつきました。『ツンデレ』であると。もしかして自分もツンデレになれば、先輩に歩み寄ることができるかもしれない。そう考え、ルッシェさんはすぐさまツン期に入られました。それはもう見るも無惨な……目も当てられない……大変緊張に満ちた時間と空間でございました。私はこの世の地獄を……血を見るような……かつてない闘志に燃えるルッシェさんを影ながら応援しておりました。ルッシェさんはツンに関する腕前を驚くべき速さで上達させ、そばで見ている私は早く終わってくれ……頼むから刃物は……もう免許皆伝の腕前だろうと確信しておりました。そんな時です。ふと、例の本が目に止まりました。完全に返し忘れて……必ず解いてやろうと常にそばに置いていた本。ルッシェさんは涙を呑んで館に戻そうと思いましたが、ちょっとした気まぐれで……一瞬の閃きでもう一度亜空文字での真実体化を試みました。しかし、その時には何も起こらなかったのですが、どうやら偶然プロテクトを緩めてしまったようでして……」
 そこまで説明し終えてハウェッツは言葉を止めた。
 後は私達も良く知っての通り、中途半端に真実体化してしまった本から次々と不死者が出てきたというわけか。そしてシングウジの手によって完璧に解かれた。必殺技『何でもアリ』によって。
 なるほど。大体のことは分かった。
 だがまだ一つだけ謎が残っている。
「どうしてルッシェはプロテクトを緩められた。ツンになったことと何か関係あるとでも言うのか」
「えー、私が思うにですね。恐らくポイントは『私怨』ではないかと」
 私の手の中で、ハウェッツは声のトーンを全く変えずに続ける。
「例えば、私自身には私怨を用いて動かそうとすると暴走してしまうというプロテクトが掛けられています。ならばその逆、つまり私怨を用いなければまともに動かせないドールが存在してもよろしいのでないかと。本を奪……借りてきた直後のルッシェさんと、返す直前のルッシェさんの大きな違いといえばツンであるかどうか。そしてあの時のルッシェさんを客観的に判断するに、どーひいき目に見ても私怨まみれ。単なるツンというよりは八ツン当たりといった塩梅でございました」
 ハウェッツの言葉を聞き終え、私は大きく息を吐いた。
 私怨、ね……。ソレがあの本を制御するための必要条件……。
 まぁ、ありえない話ではないだろうな。元々かなり危険な代物なんだし、使い手としてそういう屈折した人間を選ぶというのは分からなくもない。
 それに表紙の裏に書かれていた言葉。

『己が堕欲に流された時、大いなる絶望が降りかかるだろう』

 私怨に染まるとは自分を客観的に評価することをやめ、利己的で身勝手で自堕落な物の考え方に走るということでもある。ソレは私自身、かつてイヤというほど体験してきた。だからこの“己が堕欲”という部分の意味が私怨であったとしても、何ら不思議なことではない。
 私怨によって無数の化け物を吐き出すドール……。当然、私怨の度合いが強ければ強いほど、凶悪な化け物を召喚するんだろう。
 とりわけシングウジの私怨は凄まじそうだ。何せ『人の不幸が自分の幸福』と言い張るような奴だからな。
「しかしまぁコレで一件落着だな。なかなか難解な事件ではあったが、フタを開けてみれば大元はキミのツンだったというワケかー。うーむ、なかなか興味深い」
 いつの間にか復活したレヴァーナが、私の隣りに立って大きく頷きながら言う。
「馬鹿なことを言うな。全ての元凶はルッシェの覗きグセだろ」
「そんな先輩ヒドイ! わたしが悪いって言うんですか!?」
「当たり前だ!」
「せめてハウェッツ君9、わたし1くらいの責任分担になりませんか!?」
「なるか!」
「ならせめてツン8、デレ2くらいの比率にならないか?」
「今関係ないだろ!」
「しかしツン9、デレ1の現状ではなぁ……。今後の予防策としても早急の改善が必要なんじゃないかと思うのだが、どうだろう」
「真顔で言うなああああぁぁぁぁぁぁぁ!」
 みぞおちに埋め込んだ右拳をそのまま振り抜き、レヴァーナの体をまた台座の中へと押し戻した。
「先輩のそのツンさえなければ……わたしは……きっと真っ当な人生を歩めたのに……」
 そして明らかに芝居がかった涙声で漏れ聞こえるルッシェの嘆き。
「思うに、だな。ツンとはデレを引き立てるためのスパイス。アメの甘さを際だたせるムチ。だから俺はツンそのものを否定するわけでは決してないんだが、キミの魅力をより強く感じ取るためには若干デレ寄りになってくれた方が好ましいわけだな、うん」
 何事もなかったかのように講釈を垂れ流すレヴァーナ。
『姉御! 我々も若の意見に賛成です!』
『人外の客人を一気に失ってしまったこの館に活気を取り戻すためだと思って!』
『当主様とお嬢様が手と手とを取り合い、館内に響き渡る和やかな声。私達、是非聞きとうございます!』
 さらに白スーツ隊とメイド隊が煽り立て、
「おしとやかな嬢ちゃん、ねぇ……。まぁ見てみたい気はするがな。ヲハハ」
 リヒエルがどさくさに紛れて言葉を挟む。
 こ、コイツらぁ……。
 私の手の中でメキメキと音を立てるハウェッツの頭蓋骨。体の奥から自然と沸き上がってくる熱い猛り。
「そうか……」
 私は俯いて呟き、一端全身から力を抜いた。ゴトン、と味気ない音がしてハウェッツが床に落ちる。
 そしてガイコツ・キメラによって羽交い締めにされているルッシェの方に歩み寄り、彼女の足元に落ちている本を手に取った。
「そんなに活気が欲しいか」
 表紙を開く。
「そんなに和やかな声を聞きたいか」
 書かれている古代文字に改めて目を通す。
「そんなに――」
 私は両手に力を込め、
「私のツンが気に入らないのかああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
 亜空文字を展開させた。
 あらん限りの私怨を込めて。
『はろはろー』
『こんちきまた良いお日よりでー』
『やー、またお会いしましたでげすなー』
『今後とも一つヨロシクお世話になりますよっと』
 本の中から溢れ出す無数のゾンビ、ゴースト、ガイコツ。
「なら気に入るまで味わえええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」
 そして、ミノタウロス、デュラハン、リッチ、ラミア、サイクロプス、オーガ、ヴァンパイア、ケルベロス、ハーピー、ヒュドラ、マンティコア、メドゥーサ……。
 エントランス・ホールの密度が激的に増し、至る所で悲鳴と叫声が上がる。
「ッハハハハハハ! 泣け! 喚け! 逃げまどえ! 足を止めると喰われるぞぉ!」
 そこに私の口から発せられた邪悪な声が入り交じり――
 何で、こんなことになってるんだっけ……?
 
 夜。
 館の屋上に設けられた全面水晶張りの半球ドーム。
 満天の星空から降り注ぐ淡光を浴びながら、私は椅子に腰掛けてぼーっと空を見上げていた。
 この二日間、本当に散々だった。自分でも一体何をしていたのか分からない。
 シングウジとイロハカエデが現れて、ネクロノミコンがどうとか言い出して、ソレがこの館に眠っていて、実はレヴァーナが私の所に持ってきたラミスの遺品で、プロテクトを解けなくて、不死者達が大量発生して、ルッシェが本を一度持ち出していて、そのことが原因で。シングウジが化け物を喚び出して、館は滅茶苦茶になって、レヴァーナに殺されそうになって、シングウジとイロハカエデが本を置いて帰ってしまって、ハウェッツから裏事情を聞き出して、そもそもの元凶は……。
「くそっ……」
 何だコレは。何の冗談なんだ。
 あれだけ大騒ぎして分かったことは……。
 私だって好きでこんな性格になったんじゃない。望んで半二重人格のようなことをやっているんじゃない。
 生まれつきなんだ。だからしょうがないじゃないか。今更どうこうできる物ではない。もしできるんだったらとっくにそうしてる。
 でも、それでも頑張ってきたつもりなんだ……。四六時中は無理だとしても、せめてあのバカの前では……。
「はぁ……」
 溜息をついて椅子から立ち上がる。
 首元のケープコートを巻き直し、紫色の長い髪を片手で梳いて水晶の表面へと歩を進めた。そしてそっと手を触れる。固く、滑らかで、そして冷たい感触。
 疲れた……。
 何だか本当に疲れた。
 自分を否定されることには慣れているつもりだったが、どうやらそうではないらしい。
 たった一人。あのバカの口から発せられる言葉に関しては別のようだ。
 何千、何万、世界中の全員から非難の声を浴びせられても跳ね返す自信はあるが、アイツの物だけはどうにもならない。どういうわけか、胸の奥に直接響く……。 
 分かり合えていると思っていた。
 アイツの言葉を借りるわけではないが、心と心で繋がり合えていると思っていた……。なのに……。
「もう少し優しく、か……」
 ハーフミラーとなった水晶の表面。そこにはまだ着慣れていないプリーツスカートを身に付けた幼い顔立ちの女。口の端に力のない笑みを浮かべて……。
 これでも努力してるんだぞ。ちゃんと女らしい格好をして、女らしい振る舞いをして、がさつな性格だって何とかしようとしてるんだ。
 お前のために。お前のことを考えて。
 お前のことが好きだから。お前のことを愛しているから。
 私の全てを受け入れてくれたお前が、たまらなく――
「ま、今は気持ちだけが先走っているがな」
 私だって本当は、もっとお前と一緒に……。
「気持ちは大切だぞ。強い想いがあれば何でも叶うからな」
「ぃひぁ!?」
 突然後ろから掛けられた声に、私の口から甲高い声が飛び出す。
「痛いじゃないか」
「気配を絶って近付くな!」
 レヴァーナの首筋に踵落としを叩き付け、私は目に力を込めて睨み付けた。
「いつの間にかいなくなっていると思ったら、こんな所にいたんだな」
 僅かにずれたネクタイの位置を直しながら平然と言い、レヴァーナは私の足を掴んで体を持ち上げる。
「こ、コラっ……!」
 膝の下に腕を入れ、もう片方の腕で背中を支え――いわゆるお姫様抱っこの状態で彼の胸の中に収まった。
「下の方の片付けは随分とはかどっている。キミが彼らを完全に制御してくれているおかげでな」
 逆三角形の目を水晶の向こう側にある夜景に向け、レヴァーナは微笑しながら言う。
「ふ、ふんっ、当然だ。私は天才ドールマスターだからな。シングウジのように無責任な扱い方はせん」
「うむ。さすが我が最愛の妻。あっぱれ!」
 はっはっは、と高笑いしながら自慢げに言うレヴァーナ。
 最愛、ね……。まぁ、そう言ってくれるのは嬉しいけど……。
「ところでこの部屋は気に入ってくれたか?」
 私の方を見下ろし、レヴァーナは優しく言って微笑みかけてくる。
「……別に」
 素っ気なく返して私は視線をそらし――
 ――って、ああっ! 違う! そうじゃないだろ!
「実は俺も最初はできるとは思っていなかった。しかし、キミのことを強く想えばこそ何とか完成にこぎ着けたんだ。やはり誰かを思い遣る気持ちというのは最強の武器となる」
 いつになく真剣な表情で語るレヴァーナ。
 そんなに大変だったのか……? ココを造るのは。
 確かに、これだけ透明度の高い水晶を大量に集めてくるのは並大抵の作業ではなかっただろう。でも、アタシのことを想って……?
「本当はココが完成した昨日の夜にお披露目したかったんだがな。色々とごたごたがあって暇がなかった。許して欲しい」
 言い終えてレヴァーナは口を固く結び、深く頭を下げる。
 なんだろう……この満たされていく感じは……。さっきまでの苛立ちが、びっくりするくらいあっと言う間に消えていく。不思議なくらい、穏やかな気持ちになれる。
 この二日間の最悪なことは、今こうしてレヴァーナと二人きりでいられる時間をより充実させるためなんだと思えば、別にソレはソレでいいかな、とか……。
 アメとムチ、ね……。
 確かに、そういうことならレヴァーナの言っていたことも分かる気がする。
 ならこれからはもっと意識して、優しく……。
「さぁメルム! 結婚一周年の前祝いとして俺からキミへのプレゼントだ! 受け取ってくれたまえ!」
 叫んでレヴァーナはアタシを片腕で抱き直し、黒いスーツの内ポケットから何かを取り出した。ソレは硬質的な輝きを放つ筒状の物体。レヴァーナが強く握り締めると燐光を帯び、白い輪郭を持った紅文字が数個の同心円を描いた。
 アレは……亜空文字……? そんな物を一体何に……。
 ただ見守ることしかできないアタシの前で、レヴァーナは亜空文字を水晶のドームに近付けて――
「え……」
 部屋の雰囲気が一変した。
 その身に暗天を映し出していた水晶は見る見る姿を変え、人肌を思わせる色の物体となって落ち着く。夜の海に包み込まれていたかのような清廉な雰囲気は消し飛び、まるで巨大な生き物の体内にいるようなおぞましい錯覚さえ覚えた。
「こ、コレは……」
 夢見心地だった気分は一瞬にして霧散し、私は自分でもはっきり分かるくらい顔を引きつらせる。そして変わり果てたドームに手を伸ばして――
 柔らかい……。そしてこのドロリとした体液のような……。何だこの甘い香りは……。
「見よメルム! コレが二ヶ月の期間と五十人の精鋭ドールマスターを使って作り上げた『桃缶型ドール』だ!」
 バッ! と両腕を広げ、声高に宣言するレヴァーナ。
 も……桃、缶て……。
 私はその声をどこか遠くの方で聞きながら、手に付いた粘性のある液体を舌先で舐め取る。
 シロップの味だ……。
「いやー、苦労したぞコレは。何せ誰に聞いても食べ物のドールなんぞ創ったことがないといわれてなー。構想を一から練り直さなければならなかった」
 ま、まぁ、それはそうだろうな。私も今初めて聞いたぞ……そんなドール……。
「しかしなかなか上手いアイディアだろう。桃缶の中に入ってるあの半球状の桃を、ドームに見立てて部屋にするというのは。コレも全てはキミのことを想い、驚きと幸せを同時に運んでやろうという執念が実現させたのだ」
 執念、ね……。確かにこんなバカな企画、相当の精神力がなければ最後までやり遂げようなどとは思わないだろうな……。
「さぁ思う存分食べてくれ! コレ全てキミのためだけに用意した桃缶だ! ただしバランスを考えて食べないと崩れてくるから、その辺のことについては十分注意してれ!」
 いや……イバられてもなぁ……。
「さぁ!」
 一際大きく叫んで、レヴァーナはどこに持っていたのか一本のスプーンを差し出してくる。私はいまいち状況を把握しきれないままソレを受け取り、じっと見つめた。
 分からない。このバカの考えることは本当に分からない。何をしでかすのかサッパリ読めない。
 ……でもまぁ、たまにはそういうのもいいのかもね。
 お互いに完全に分かり合ってて、次に何が出てくるのか分かっちゃってたら、こんな驚きもないんだろうし。
 ソレって案外退屈な生活なのかもしれない。
 今みたいに、分かり合える部分と分かり合えない部分を両方持ってて、お互いに刺激し合ってる方が楽しかったりするのかも。
 うん。きっとそうだ。間違いない。
 だって今、アタシまた凄くドキドキしてるんだもん。バカみたいなプレゼントでも、レヴァーナがアタシのことを想って作ってくれたって考えただけで、凄く温かい気持ちになれる。イヤなことなんか全部まとめてどうでも良くなってくる。
 この驚きと、この幸せがあれば――
「はい」
 アタシは思いきり腕を伸ばし、受け取ったスプーンをレヴァーナの前に差し返す。
「ん? どうした。今はお腹一杯か?」
「食べさせて」
 アタシの言葉にレヴァーナの表情が固まった。
「た、た、たたた、食べっ、食べっ……?」
「そうよ。コレ作ったのはアナタなんだから。ちゃんと崩れないように気を付けながら食べさせて」
「いやっ、ソレは、その……っ」
 スプーンをデタラメに振り回して、わたわたわと面白いくらいに狼狽するレヴァーナ。
 全くコイツは……。いつも愛だの友情だのと恥ずかしいことを平気で言っておきながら、変なところで純情なんだから。
「ほらっ、早くっ」
 へっへー、驚かされてるだけじゃシャクだからねー。コッチだってやり返すんだから。
「あ、あー! あんなところにルッシェ君が! み、見られてるぞメルム! 一大事だ!」
 ホントバカなんだから。そんな見え透いた嘘――
「ちぃ! 見つかった! ずらかるぜハウェッツ!」
 な……。
「あ、アイアイサー!」
 ちょ……。
「レコード・オーブは!」
「ば、バッチリです!」 
「オーケー! 絶対落とすなよ!」
「貴様らあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
 声のした方に向き直り、アタシは手近にあった物を投げ付ける。
 ソレは桃の外壁を突き破り、ターゲットに見事命中した。
「素晴らしい怪力とコントロールだメルム。オーブは無事、我が手に」
 そして夜空を舞いながら会心の笑みを浮かべるレヴァーナ。
 よぉし! よくやった!
 ――って、アレ……?
「ちなみに早くそこから脱出した方がいいいいいぃぃぃぃぃぃぃ――……」
 声糸を引いてレヴァーナの姿が彼方へと消えていく。
 直後、ぼふんという何か大量の空気が抜ける音。
 上を見る。
 レヴァーナの開けた穴を中心として桃の果肉に皺がより、全体を萎縮させながら私の方に接近してきていた。
 コレは……まさか……この後の展開は……。
 天井はどんどん低くなり、甘い蜜の香りが急速に濃くなって――
「もぅ、どうでもいいわ……」
 アタシの呟きは粘着質な音の中に呑み込まれたのだった。

 GameOver.
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