モドル | ススム | モクジ

● 記憶の施術者 ◆第八話『拒絶! もうソレ以上喋るな!』◆ ●


刀w昔は昔。今は今。大人というのはそうやって割り切れるらしい。
  なら自分はまだ胎児といったところか』

 体がなんとか言うことを聞くようになって部屋を飛び出した時には、アリュセウの姿はどこにもなかった。
 あの異様なまでに目立つ、ブロンドと喪服と高下駄と釣り竿の組合せは、どこにも見あたらなかった。
「クソっ……!」
 マンション・エントランスのアーチに拳を叩き付け、真夜は忌々しげに顔をしかめた。
 油断していたとはいえ我ながら情けなさ過ぎる。いくら相手がプラクティショナーでも、自分の肩くらいまでしかない野郎にのされるとは。しかも傷だらけの。
(どこ行きやがった!)
 切れ長の目を大きく見開き、真夜は激しく首を振って辺りを見回しながら走り出す。
 まだそんなに遠くへは行ってないはずなんだ。腰を強く打ち付けたせいで体が動かなかったのは、せいぜい数分。確かにアイツは足が速いし、異様なジャンプ力を誇ってはいるが、この見晴らしのいい高台にあるマンションからなら――
「……ッ!」
 突然、足がもつれて真夜は前のめりに倒れ込んだ。反射的に両手を前に出して顔を庇う。荒いアスファルトの表面で手の皮膚が擦れ、痺れるような熱い痛みが走った。まだアリュセウにやられた腰が回復しきっていないようだ。
(情けねぇ……!)
 自分の無様すぎる醜態に反吐が出る。これまで一度も喧嘩に負けたことがないというのが、数少ない取り柄の内の一つだったのに。
(アリュセウの野郎……)
 あの様子だと、多分またストロレイユを探しに行ったんだと思うが……。だがどうやって? さっきは自分を囮にしたと言っていたが。だとすれば今もどこか遠くからコチラを見ている? いやしかし……。

『もう二度と会うこともないですよー。お前には興味がなくなったですよー』

 そもそもどうしてあそこまで言われなければならないんだ? 自分は何かおかしなことを言ったか? アイツにとって不都合なことを言ったか?
 元々アイツの目的は自分の記憶を奪うことなんだから、感謝されこそすれあんな目に遭わされる覚えはコレっぽっちも……! 大体アイツの方から勝手に押し掛けてきて……!
「こんな所で日向ぼっこですか? なかなか高尚なご趣味をお持ちのようで」
 四つん這いになった真夜の頭上から、低く籠もった声が掛かる。
「それとも、誰か人を探しておいでですか?」
 無条件に神経を逆撫でする声。血液を逆流させて沸騰させる声。本能的に殺意を感じる声。
「ラミ、カフ……!」
 真夜は立ち上がると同時に拳を声に突き出した。
「おやおや、ようやく自分の成すべきことに気付かれたのかと思いましたが。まだ時期尚早でしたかね」
 渾身の一撃を片手で軽々と受け止め、ラミカフは柔和な笑みを浮かべて言う。
「ですが、もう随分とご自分を取り戻されたご様子。実に素晴らしいことです。最初は取り合えずストロレイユから貴方をお守りできればと思っておりましたが、色々と“キッカケ”を与えて正解でした」
 続けて繰り出した逆の拳をもう片方の手で受け止め、ラミカフは鼻で小さく笑った。
「結構結構、元気があり余っていらっしゃるようでなにより。アリュセウに言われたことはそんなにお気になさらずに。貴方のたどり着かれた結論は疑う余地もなく正しい。私がこの命に掛けて保証いたします」
「……る、セェ!」
 叫びながら真夜は額を突き出す。ラミカフの鼻先を狙った頭突きは、同じように合わせてきた彼の額で止められた。
「今の人と人は繋がりすぎている。貴方はその極めて不要な物を断つために生まれた存在。すなわち『個』を望む者。強靱な魂を生み出し、選ばれた者に新たな生命の息吹を吹き込むことこそが貴方に課せられた使命だ」
「テメェは……! 訳分かん――ねぇんだよ!」
 首に力を込めて強引に押し返し、僅かに開いた隙間に脚を差し込む。真下から一直線に伸び上がってきた踵はラミカフの顎先を捕らえ、彼の体を大きく仰け反らせた。
「チョロチョロ蝿みてーに飛び回ってんじゃねぇ!」
 裂帛の怒声に乗せた拳を、ラミカフの鳩尾に埋め込む。ぐ、というくぐもった呻き声を漏らし、ラミカフは一歩後ろに下がった。
「言いたいことあんならハッキリ言えよ! 最初っから! テメーがやりたいことをよ! また“反転”させたいってな!」
「ク……」
 真夜の言葉にラミカフの口元が歪む。
「ク……ははは……。っははは……」
 そして危ない薄ら笑いを浮かべ、
「コレは失礼。貴方は私が考えているよりずっと、ご自身のことを取り戻しておいでのようだ」
 眼鏡の位置を直して、その奥にある金色の双眸を面白そうに細めた。ソレはまるで瞳孔を細くした爬虫類のように不気味で、目の前にある獲物を品定めでもしているかのような――
「この短い間に色々と繋げられたのですね。素晴らしい。実に素晴らしい。まさかこんなに早く認知していただけるとは」
 軽くウェイブ掛かった肩まである黒髪を掻き上げ、ラミカフは満足そうな表情で浅く頷く。
「ですがどうかご気分を悪くなさらないでください。私が全てを語ったのでは意味がないのですよ。貴方自身に自覚していただかないと。でなければ“反転”など起こり得ない。貴方が自分の意思で自分を追いつめていただかないと元には戻らない。“あの時”のようにね」
 コチラを試すような視線、そして何かを期待するような声。
 見てはだめだ。聞いてはだめだ。ラミカフの思うつぼだ。今まで通り、またコイツに踊らされるだけだ。
 しかし、体が動かない。動こうとしない。あの鬱陶しい口を塞ごうとしない。
「なら、どうしてストロレイユが『個』を望む者を――すなわち貴方を狙うのか。そのことについても、すでにある程度は分かっているのでしょう? 自分の犯してしまった罪の重さを悔いているのでしょう?」
 ああ分かっている。分かっているさ。
 どちらが楽な道なのかを。
 決まっている。当然元の姿だ。もうココまで知ってしまった以上、自分本来の姿を否定できるはずもない。
 『個』を望む者。
 ソレは周りに誰もおらず、誰とも繋がっていない存在。自身が唯一であり、唯一の世界が自身。自分は元々そうだったんだ。なのにソレに抗って、ややこしいことになってしまった。周りに多大な迷惑を掛けてしまった。
 だが今からでもまだ遅くはない。これから先、皆を巻き込まずに済むのであれば、そっちの方がどれだけ気が楽なことか。
「貴方は彼女に会った方が良い。いや、会うべきだ。そこで貴方はまた成長されることでしょう。貴方の力を体で思い出すことでしょう」
 そしてソレが反転のキッカケとなる。ラミカフはソレを望んでいる。
「どうぞ、私のオペレーション・ギアをお持ちになって下さい。使い方は……大丈夫ですね?」
 言いながらラミカフは左手の白い手袋を外し、中指にはめていた指輪を取る。
「ご武運を」
 紅い小さな宝石の付けられた指輪を手渡し、ラミカフは含みを持たせた笑みを浮かべた。真夜は指輪とラミカフの顔に一度ずつ視線を落とし、口の中で小さく舌打ちする。
 こんな物は地面に叩き付けて壊してしまいたい。粉々に粉砕してしまいたい。そうすればコイツも軌跡を使えなくなるかもしれない。
 だが、今の自分にはコレが必要だ。ストロレイユと正面から話し合いをするには、どうしてもコレが必要だ。アイツは何の躊躇いもなく、自分の命を狙ってくるだろうから。
「忘れんな」
 指輪を持った手を強く握り込み、真夜はラミカフを下から睨み付ける。
「テメェは絶対にしばく」
「楽しみにしていますよ」
 表情を崩すことなく言ったラミカフにもう一度舌打ちし、真夜は背を向けて歩き出した。

 ストロレイユの居場所を見つけるのは簡単だった。
 自分の中にある彼女の記憶を消せば軌跡が発生する。ソレを辿って行けば彼女の場所に行き着く。
 プラクティショナーは自分で自分の記憶を消すことはできないらしい。だが自分にはできた。多分、まだ揺れ動いているからだ。頭では理解できても、体がまだソレに順応していない。
 記憶を消せば当然その人のことは頭の中からなくなる。だが自分にはまだ残っている。多分、今の力のおかげだ。朝顔やアリュセウに記憶を取り戻させた力のおかげで、自分とストロレイユとの繋がりは消えずに済んでいる。
 だが、もしかするとこの力ももうすぐ……。
 真夜は鉄製の扉のノブに手を掛け、ゆっくりと回した。いつもなら鍵が掛かっているはずのソレは何の抵抗もなく回転し、少し力を込めて押し込むと扉は向こう側に退いた。
 まるで、真夜を迎え入れるかのように。
 青蓮高校の屋上。背の高いフェンスで囲われた広大な立ち入り禁止区域。
 沈みかけた夕日を背に、彼女は悠然と立っていた。
「あら……」
 胸の下で組んでいた手を解き、ショートシャギーの栗髪を右手で梳きながらストロレイユは少し驚いたような表情を浮かべる。
「貴方だったの。てっきり、あのおチビちゃんかと思っていたわ」
 黒紫色に染められた唇を妖艶に曲げ、彼女は挑発的に微笑した。
「意外ね。まさか貴方の方から来てくれるなんて。何か策があってのことなのかしら?」
「ま、そんなところだな」
 腕を戻して斜に構えるストロレイユに、真夜は苦笑いを張り付かせて返す。
 策、ね……。確かに策とも言えるかもしれない。だがそんな格好の良い物じゃない。結論を自分で出せず、ただ周りの判断に委ねただけだ。
「交渉の道具として、私に大人しく使われてくれる気になった?」
「俺がアンタの探してる『個』を望む者だ、って言ったら信じるか?」
 ストロレイユの柳眉が痙攣するように動く。大きな二重の瞳に怪訝そうな光を宿らせ、彼女は左頬の泣きぼくろをそっと撫でた。
 よく、考えた。今まで生きてきた中で一番頭を使って考えた。本当に必要とし、必要とされているのか。それとも、惰性だけの付き合いで上辺だけの関係なのか。
 単に繋がっているだけなのか。それとも、もっと深いところで結びついているのか。
 考えた。ひたすら考えた。どうすれば答えが出せるのか、あれからココに来るまで何度も何度も自問自答した。
 だが、結局何も分からなかった。考えれば考えるほど泥沼に嵌っていった。
 少し前まではもう決まっていたはずなのに。あそこでアリュセウが頷いてくれていれば、ソレで全て納得できたはずなのに。やはりそういうことなんだと、自分に言い聞かせられたはずなのに。なのに……。

『……一人で全部分かったような顔してないで、お前はいつも通りやっていればいいんですよー』

 アイツは否定した。本気で怒って、真っ向から否定した。正直、訳が分からなかった。まさかアイツに……自分を使ってポイントを大量に得ようとしていたアイツに、あんなことを言われるとは思っていなかった。
 いつも通り。いつも通りって何だ? お前が言う『いつも』っていうのはどういうことなんだ?
 考えなしで突っ走ることか? 鉄拳制裁で事を片付けることか? 女に目がなくて誰彼構わず尻を追いかけ回すことか?
 それとも、最初から一人で大人しくしてろって、ことなのか? あの時ダダをこねずに、ありのまま受け入れているべきだったということなのか?
 自分は忘れ子になるべくしてなったのだと。孤独でいるべくしていたんだと。
 そうすれば無駄に周りを巻き込むこともなかったし、今もこんな気持ちにならずに済んだ。わざわざ義理の父親になってくれた人と死別することもなかったし、アリュセウに余計なことを思い出させずに済んだ。無駄に広い人間関係に四苦八苦もしなかっただろうし、自分のせいであんな風になってしまったんだろう朝顔と再会することだってなかった。
 あの時。あの時から全てが狂ってしまったんだ。
「貴方、自分で意味が分かってて言ってるのよね」
 低く、底冷えする何かを内包させてストロレイユは眼を細める。
「ソレは私に、殺してくれって、言ってるのよね」
 確認するような、それでいてすでに決められた運命を押しつけるような。限りなく断定的な疑問形。彼女の放つ殺意が物理的な振動となって伝わってくる。そんな錯覚さえ覚えた。
「俺は、アンタに謝りに来たんだ。どうしても先に、コッチを済ませたかった」
 だが真夜は怯まない。学生スボンのポケットに手を入れたまま、一歩ずつストロレイユの方に近寄っていく。
「そう……」
 ストロレイユがまるでコチラを迎え入れるように両腕を広げる。次の瞬間、自分の眉間を狙って彼女の付け爪が急迫した。
(見える)
 真夜は首を横に傾けてソレらを後ろに流し、歩速を落とすことなく進む。
「つまり認めるのね。貴方が、私の恋人を殺したことを!」
 左から三本、右から四本、そして後ろから三本。それぞれの爪がばらばらの軌道を取って大気を切り裂いた。だが分かる。鮮明な映像が勝手に頭の中に送られてくる。
 ソレは自覚が強くなっているからなのか、あるいは彼女が手負いだからなのか、その両方なのか……。
「恋人、だったのか……」
「私は彼の復讐のために今まで生きてきた! 殺した奴を! 貴様を見つけ出すために!」
 狂ったように上がるストロレイユの声に呼応して、爪は速さを増す。だが真夜には当たらない。
「アンタの恋人は生まれたての俺を討伐するために招集された。けど、返り討ちにあった」
 『個』を望む者は全ての繋がりを断ち切る。常に唯一の存在で居続けようとする。
 人と人との繋がり。ソレはプラクティショナー達の言うポイントによって支えられている。繋がりを取り除けばポイントが得られ、繋がりを形成するためにはポイントを消費する。
 『個』を望む者の力は、そのポイントを消滅させる。自分の周りに存在している繋がりを、全て無へと帰す。
 だからプラクティショナー達は危機感を抱いたんだ。
 このまま放って置いてもし力を強めでもすれば、繋がりの消失は加速度的に感染していく。そうなってしまっては人間の種存続は勿論のこと、自分達の存在も危うくなる。
 ポイントとは魂、すなわち生命の源。
 人間の体はソレが一部に使われているだけだが、プラクティショナー達は肉体そのものがポイントで構成されているんだ。以前、アリュセウが言っていた『ポイントが生命維持に使われている』というのはそういうことなんだ。
 だからポイントを刈り取る軌跡に触れることで傷を負う。だからポイントを消費することで傷が癒える。だからポイントを沢山集めることで、より上位の存在になれる。
 言い換えれば、プラクティショナー達にとってのポイントとは生命量そのもの。
 ストロレイユの恋人は自分に全てのポイントを消失させられ――死んだ。他の、多くのプラクティショナー達と同じように。
「お前が殺したんだ! お前が……! あの人を……!」
「そうだ」
 半身引いて斜め前からの爪をやり過ごし、真夜はまた一歩前に踏み出す。
「そのことに関しては何の言い逃れも申し開きもしない。アレは全部、俺がやった」
「なら死ねぇ!」
「そうだな」
 両横から挟み込むようにして牙を剥いてくる十本の爪。その腹を叩いて矛先を自分から逸らし、真夜は確実にストロレイユとの距離を詰めていく。
「正直、そうしようかとも考えたよ。ない脳味噌使って頑張って考えた。けどな――」
 そこまで言って真夜は不敵な笑みを浮かべ、
「ココに来てアンタと話して、やっぱりソレはできないって思ったよ」
 ポケットから出した右手で爪を弾いた。
「アンタ、もう誰でも良くなってるんだろ? 自分の憂さ晴らしができればソレで良いんだろ?」
 右の中指には半径五十センチ程の銀円。ラミカフに渡されたオペレーション・ギアだ。
 ストロレイユのオペレーション・ギアが変形できるなら、ラミカフの物もできる。そう思って事前に試したんだが……その時よりも大きくなっている気がする。
「その危ない目つき見てりゃよく分かるよ。短絡的で、感情的で。そういや橋の上で会った時もそうだったよな。別に人違いでも構わない。俺を殺すことが重要、ってな。あまりに突っ走り過ぎてないか?」
 爪の動きが止まったのを確認し、真夜は指輪を元の大きさに戻して足を止めた。ストロレイユとの距離は約五メートル。
 この辺りが限界だ。コレ以上近付くと反射神経が対応しきれなくなる。一度でも食らえば即致命傷に繋がる攻撃をさばききれなくなる。
 多分ストロレイユは今、その必殺の瞬間を狙っている。
「他の奴等もそんな感じで意識奪って来たんだろ? コイツも恋人の仇と同じように、犯罪者のくせにのうのうと生きている。ソレが気に入らない。だから廃人にしてやる。生き地獄を味あわせてやる。鬱憤を晴らすために」
 軽く両腕を広げ、真夜は溜息を付いて続ける。
「確かに、アンタにそういうことされて当然の奴等も中にはいたんだろうな。ニュースとか見てても、こんな奴死刑だろってのは沢山いる。俺も昔、自分で体験したしな。子供の頃、人を人と思わない奴等の巣窟に入れられてた。で、今のアンタ見て思ったわけだ。アンタもそういう奴等と同じ目ぇしてるってな」
 今のストロレイユは復讐に身を捧げている盲目者ではない。単なる殺人鬼だ。
 相手はもう誰でもいい。自分の中の黒い感情を一時的にでも抑えることができるのであれば誰だって。
「最初は恋人の仇を一生懸命探してたんだろうな。足使って、色々聞き回って。けど、ソレがどこかで狂った。いつの間にか目的のための手段が、手段のための目的になってた」
 何かの拍子に全く別の自分が現れて、ソイツがすべてを狂わせてしまうんだ。
 我慢して我慢して我慢し続けて、でもいつか限界が来て。ある時、急に違う世界が開けるんだ。そして決めていたのとは全く違う方向に歩き出してしまう。
 まさに自分がそうだった。
 全てはあそこから始まった。あの児童養護施設で、孤独の極限に追い込まれた時から何かが狂ったんだ。
 あの時の直前まで、自分は確かに――『個』を望む者だった。
「俺はアンタの仇だ。けど、そう簡単には殺されてやれない。狂人の道楽に易々と命掛けられるほど人間できてないんでね。やるなら力ずくだ」
 指輪をした手を前に出し、真夜は僅かに腰を落として構える。
 自分がストロレイユの恋人を殺したこと。アレは言ってみれば不可抗力だ。生まれ持った『個』を望む者としての力が勝手に働いた。そして相手を殺さなければ、自分が殺されていた。
 だがそんな下らない理屈でストロレイユが納得するはずもない。自分が相手の立場だったら絶対に理解などできない。しようとも思わない。
 義父が遭った交通事故。アレは義父の方にも過失があった。
 車通りの少ない、歩き慣れた散歩道。まだ明け方の薄暗い時間帯。信号がなく見通しの悪い交差点を、義父はろくに周りを確認もせずに渡った。いつもはソレで問題なかった。しかしその日はたまたま運悪く車が通りかかった。そして接触して、死んだ。
 確かに義父にも落ち度はあった。少し気をつけていれば避けられた事故だった。
 だがそんなものは関係ない。全ての原因はドライバーにある。
 あの時、自分はドライバーが憎くて憎くてしょうがなかった。
 どうしてもっとスピードを落として運転しなかったのか。どうしてちゃんと歩行者を見てくれなかったのか。どうしてあの日あの道を通ったのか。どうして他の人間ではなく義父に当たったのか。
 ずっとそんなことばかり考えていた。義父の葬儀の間もそのことで頭が一杯だった。
 ――殺してやる。
 強く念じた。
 ――絶対に殺してやる。
 強く自分に言い聞かせた。
 そして、一人になりたいと思った。
 殺意を衰えさせたくなかったから。自分の顔を誰にも見せたくなかったから。
 悲嘆にくれる義母を見ているのが辛かったから。
 今のストロレイユは、あの時の自分と同じだ。とにかく仇と思える奴を殺したがっている。もう何でも良い、その後どうなってもいいから、自分の気持ちに決着を付けたがっている。
 だから力ずくだ。ソレしかない。互いの気持ちをぶつけ合うしかない。
 もし自分がココで死ぬのなら――しょうがない。
 ソレなら納得できる。やるべきことを全てやり終えて、確認した後なら諦めもつく。だから――
「ガキが知った風な口を……」
 どす黒い響きを孕んだ低い声。
 爪を伸ばしたまま両腕をだらりと下げ、力なく俯き、ストロレイユは呻くような声で続ける。
「お前に何が分かる? 二十年近く、そのことだけを考えてきた私の何が分かるというんだ……? さっきから反吐の出る綺麗事をグダグダと……」
 前髪で覆われた顔の隙間から目だけをコチラに向け、ストロレイユは危険な笑みを張り付かせた。
「でも心配しないで……すぐに分かるようになるわ。私と……同じ目に遭えば、ね……」
 紅い線が宙を走る。
 植物の根のように横たわっていた爪の一本が急激な動きを見せたかと思うと、一瞬にして自分の背後に消えた。的を外したのではない。爪の軌道は頭の遙か上だった。
 だが後ろを向くことはできない。致命的な隙になる。確かあの方向は、屋上の出入り口の、上……。
「コレ、貴方の大切な人なんでしょう……?」
 爪が戻ってくる。先程とはうって変わってゆっくりと。まるで、楽しむように。
「フラれたみたいだけどね」
 そしてその先に引っ掛かっていたのは――
「朝が……!」
 右脚が灼熱を帯びた。
「ぐ……ぁ!」
 自分の意思とは関係なく膝が折れ、激痛を訴えてくる箇所に目が行く。
 太ももから紅い爪が生えていた。
 肉を抉り、貫通し、コンクリートに深々と突き刺さっている。
「さぁ、私が憎たらしくなってきたでしょう? 殺したくなってきたでしょう? 少しは私の気持ち……分かってくれたかしらぁ?」
 爪を抜き取って戻し、滴る鮮血を舌先で舐め取りながらストロレイユは満面の笑みを浮かべた。
「ソイツは関係ねぇだろ!」
「あるわよ。大いにね。ちゃんと聞いてたんだから。貴方のとーっても素敵な告白。目は、付けていたのよ。さらうつもりでいたの。本当は貴方をおびき寄せる道具にするはずだったんだけど、まさかソッチから来てくれるとは思わなかったから」
 制服のリボンの下に通していた爪を引き寄せ、胸で吊られている朝顔の頬を撫でながらストロレイユは口元を妖しく歪める。
「本当はもう少し、楽しみたかったんだけどね。時間を掛けて、たーっぷりと。貴方が焦って、困惑して、狂いそうになりながら私を探し求めてるところを見てみたかったんだけどね」
 黒のノースリーブシャツから伸びた細腕で朝顔を抱き直し、ストロレイユはもう片方の手を彼女の頭に這わせた。緑色の髪がさらさらと揺れ、茜色の光を反射する。
「なかなか個性的で可愛い子じゃない。ねぇ、この子のどんなところに惹かれたの? よかったら教えてくれないかしら?」
 朝顔は何の反応も示さない。まるで精巧な蝋人形のように身動き一つすることなく、ストロレイユの腕に全てを委ねている。
「殺し……やがったのか……」
 左脚に全体重を移動させ、真夜は片足で立ち上がりながら低く言った。
「さぁ? どうかしらね?」
 耳の奥で聞こえる歪な摩擦音。ソレが奥歯を噛み締めたのだと気付くのに数秒を要する。
「……テメェも同じだよ。テメェが今まで狙ってきた奴等と同じ……。いらねぇ……テメェはいらねぇ……見てるだけで虫酸が走る……」
「その指輪」
 喉を震わせて吐き捨てる真夜を、ストロレイユは鼻で笑い飛ばし、
「その指輪、その紅い宝石の付いた指輪ねぇ。私達の物なのよ。貴方に殺されたあの人の指輪」
 自分の左の人差し指を立てて、そこにはめられた物を見せつけた。
 ソレは真夜がラミカフから渡された物と全く同じデザインの指輪。紅い小さな宝石のあしらわれた――
「婚約指輪なの」
 ストロレイユが朝顔から手を放す。支えを失った朝顔はストロレイユの体を伝って地面に吸い込まれ、うつ伏せに倒れ込んだ。
「良かったわぁ。今度こそ人違いじゃなくて」
 両腕を軽く広げ、ストロレイユは真紅のハイヒールを鳴らして近付いてくる。
「コレで、今までサヨウナラしてきた人達も浮かばれるわ。この子も含めて、ね」
 紅い筋が視界に引かれた。爪が幾重にも重なり合い、太い束となって真夜を襲う。
「そういうことかよ……」
 ソレを指輪の盾で受け止め、真夜は小さく舌打ちした。
 そうか。そういうことか。それでアリュセウはラミカフを……。
 つまりいたんだ。アイツも……アイツらもあの場所に……。
 自分が朝顔を巻き込んでしまったあの場所に、アイツらも居合わせていたんだ。
「あっははははははは! 死ね! 死ね死ね死ね死ね! 消えてなくなれ!」
 口を大きく開けて哄笑を上げ、ストロレイユは全方位から爪を叩き付ける。もう正気の色は見て取れない。狂気に呑まれてしまっている。
 完全にタガが外れた。いたぶり殺すつもりはない。その時がくれば一気に刈り取るつもりだ。だが――
(大丈夫……)
 見える。辛うじてだが付いていける。ストロレイユは間違いなく本気だろうが何とかさばける。
 多分、本調子にはほど遠いんだ。橋で見た時とは比べ物にならないくらい遅い。
(左――右斜め後ろ――真上――)
 きっとアリュセウとの戦いの直後だからだ。それで消耗しているんだ。
 だから今はこの動きが精一杯なんだ。朝顔から奪ったポイントでは、このくらいが――
「そうやって丸くなっていてどうする! どうするつもりだ! 諦めろ! 諦めて死ね! 死ね死ね死ね死ね死ね死ねぇ!」
 少し衝撃が強くなった気がした。爪の切り込んでくる角度も鋭くなったように感じる。
 確かにこのままでは犬死にだ。今のまま守りに専念していたのではいずれやられる。
 ストロレイユは自分が恋人の仇だと確信している。彼女にとっては今が全ての終着点。なら最後の力を振り絞る。例え自分の命と引き替えになろうとも。
「殺す! お前は殺す! ずっと……! ずっとお前を殺すことだけを……!」
 だから準備してきたんだ。最初からまともにやり合って勝てるなどとは思っていない。いくら相手が手負いだといってもキャリアが全然違うんだ。
「お前は死ね! 死ね死ね死ねぇ! ソレが私の存在……! ソレが私の生きている……!」
 身体能力も、オペレーション・ギアの扱いも、相手を殺すことへの決意も。
「あっはははははははは! 待っているのか! あのチビを! 無茶苦茶にしてやったクソ野郎を! 勘違いしやがって……!」
 ただもし唯一、勝てる物があるとすれば――
「あんな雑魚が私に……!」
 ストロレイユに向かって橙の発光線が伸びた。
「――ッ!?」
 自分の体から生まれた軌跡は意思を持ったようにストロレイユへと吸い込まれ――
「ク……!」
 紅い盾に弾かれた。
 ストロレイユの右の爪全てが彼女を中心に渦を巻き、母体を守護するように取り囲んでいる。
「ッハハ……!」
 そしてストロレイユの口が凶悪に歪められ、
「アハハハハハハハッ! 下らない! そんな物どうするつもり!?」
 軌道を変えられた軌跡は自分の元へと戻って――
「私を忘れて逃げようなど……!」
 弾けた。
「な――」
 たった一本だけだった橙の輝きは自分の中で一気に数を増し、四方八方に飛び散っていく。
 どうやら、人の話を真に受ける大バカ野郎共には事欠かなかったようだ。
「どうして……!」
「爪を全部戻した方が良い」
 顔を庇うように上げていた腕を下ろし、真夜は呼吸を整えながら言う。
 直後、ストロレイユの双眸が驚愕に見開かれた。そして自分に牙を向けていた爪が、激的に縮んで彼女の元へと舞い戻る。
「コ……! れは……!」
 複雑に編み上がり、まるで繭のようになってストロレイユを包み隠す十本の爪。
 次の瞬間、紅く覆われた彼女の全身に十数本の軌跡が突き刺さった。飛来した橙の槍は僅かに爪の鎧を押し込み、その表面に亀裂を穿っていく。
 一本打ち込まれるたびに後退していくストロレイユの体。鈍器で殴りつけたような重く低い音を響かせ、軌跡の衝撃は間断なく彼女を襲い続けた。
「く……」
 が、橙の光はストロレイユを押し切ることはできず、全て跳ね返されて空に呑まれて消える。
「まさか、だわ……」
 乱れた髪を顔に張り付かせ、ストロレイユは爪を解いてその間からコチラを睨み付けた。
「一度見た女の外見は忘れない自信があるんでね」
 指輪の大きさを戻し、真夜はその場に片膝を付く。
 正直、賭けの部分はあった。前に一度だけ同じことが起きたとはいえ、今回も上手く行くという確証は持てなかった。
 ココに来る前、すぐに頭に浮かんだ奴等と片っ端から連絡を取った。そしてできるだけ細かく説明した。
 ストロレイユの容姿を。
 そうすることで相手の頭の中に彼女に関する記憶を植え付け、自分とストロレイユが知り合いだという情報を与えた。
 だからさっき、自分の中からストロレイユの記憶を消すことで大量の軌跡が発生した。
「まさか、そんなことで軌跡を……」
 しかし言葉による情報だけで本当に軌跡が生まれるかどうかは、殆ど出たとこ勝負だった。
 昨日、眉なしの協力でストロレイユを見つけようとした時。
 最初にマフィア・グラサンの中からストロレイユと思われる女の記憶を消した。軌跡はマフィア・グラサンからストロレイユへと飛び、またマフィア・グラサンに戻って弾けた。そして他のストロレイユの目撃者達を経由して、再びストロレイユへ。
 予想では軌跡の動きはそこで止まるはずだった。
 しかし連鎖が起こった。
 目撃者の一人であるスキンヘッド。彼が証言したストロレイユの外見が、自分がその前に新幹線の駅で見ていた別の女と酷似していたから。ひょっとして同一人物なのではと考えたから。
 だから思ったんだ。
 もし言葉だけで外見を正確に伝えられれば――頭の中でハッキリとイメージできれば――本当にそういう人物が存在するのだと思い込めれば――
 例え実際にその人物を見ていなくとも、“見たのと同じくらいの繋がりを持たせられるのではないか”と。
 だからもし、コチラの言葉を疑うことなく受け入れてくれて、情報がそのまま伝わったのならば、ソレはきっと彼らが後押ししてくれているんだ。
 自分はこのままでいい。“いつも通り”でいいんだと。
 そう言ってくれている。そう思える。だから――
「だが……そんな小手先の……!」
「爪を戻した方が良い」
 落ち着き払い、静かな響きを持った真夜の声。ソレが何か見えない力でも行使したかのように、ストロレイユの動きが止まる。
 真夜の首を狙っていた十本の爪。その先端が一瞬微動したかと思うと、急速にストロレイユの方へと戻って再び濃密な鎧を編み上げた。
「悪いな。こういう下らない悪友には恵まれてるみたいなんでね」
 左脚に体重を掛け、真夜は苦笑しながらゆっくり立ち上がる。そのすぐ隣を橙の光が過ぎ去った。
 直後、更に十数本の光が。半呼吸置いて二十以上の。まばたき一回の間にまた十数本の――
 先程とは比べ物にならない数の軌跡が、まるでストロレイユに引き寄せられるようにして集結してくる。ソレら全てが彼女の爪の守りを崩さんと、絶え間なく鈍い音を轟かせた。
(大丈夫……)
 大丈夫だった。
 自分と他のバカ共との繋がりは表面的な物だけではなかった。反転することで得た力の効力だけではなかった。不可抗力で巻き込んでしまったのではなかった。ちゃんと、もっと深い場所で結び付き合えていた。
 でなければあんな意味の分からない頼み事など、聞き流しているに決まっている。というより無視して鼻で笑うのが普通なんだ。
 だがそうではなかった。ちゃんと聞き遂げてくれただけではなく、こんなにも沢山の……。
 今ストロレイユに降り注いでいるこの軌跡の数は、自分と彼らとの繋がりの強さその物だ。児童養護施設を出てからの十二年間で築き上げてきた、掛け替えのない宝物だ。
 ストロレイユの容姿を彼らに伝えた後、一つだけ付け加えておいたんだ。
 “自分が今言った女のことを、できるだけ沢山の人間に伝えて欲しい”と。
 彼ら自身が繋がっている他の友人達に、できる限り正確に情報を渡して欲しいと。
 何のことかと思っただろう。一体何の伝言ゲームなんだと
 だが彼ら一人一人が納得するまで説明している時間はなかった。精神的な余裕がなかった。
(いや……)
 そうじゃない。試したかったんだ。
 彼らとの繋がりがどの程度の物なのか。こんな訳の分からない頼み事でも本気にしてくれるのかどうか。ろくに理由も聞かずに実行してくれるのかどうか。
 自分で分からなくなったことを、彼らの本心に問い掛けていた。そういうことをしているんだということは、全く伝えずに。
 我ながら大した卑怯者っぷりだ。彼らのことを全く信用していなかったんだから。
 もし自分が逆の立場だったら、そんな奴との仲など何の躊躇もなく断ち切っている。
 しかし、アイツらはやってくれた。
 ダテ眼鏡も、禁煙パイポも、YMCAも、道祖神も、モンチッチも、下駄の鼻緒が切れたも、扇風機オタクも、押ッ忍も、三本眉毛も、長針短針秒針も、フライング・パンも、オヤジ男も、歯王も。
 何も聞かずに今はそうしてくれと頼んだら、本当にやってくれた。自分達の知り合いにストロレイユのことを伝えてくれた。
 だから今、こうして『連鎖』が起こっている。
 “自分とストロレイユが繋がっている”という事実を消したから、ソレが不自然でなくなるように彼らの中からもストロレイユのことが消えた。そして十数本の軌跡が発生した。
 だがソレだけでは終わらない。彼らの中からストロレイユの記憶が消えたことで、今度はその不自然さを解消するために連鎖が発生する。“彼らとストロレイユが繋がっている”という事実を知る者の記憶の中から、ストロレイユのことが消える。
 すなわち、彼らがストロレイユのことを伝えた別の友人の中から。
 彼らがどれだけ沢山の友人に伝えてくれたのかは、この軌跡の数を見ていればよく分かる。
 本当に良かった。知り合えていたのが彼らで本当に良かった。心の底から感謝している。彼らとの繋がりを誇りに思う。
 だが、ストロレイユは――
「アンタは、そうやってずっと一人で戦って来たんだろうな……」
 地面に膝を付き、両腕をだらりと垂らしているストロレイユを見下ろしながら真夜は言う。
「ずっと俺だけを探して、生きてきたんだろうな……」
 そして右脚を引きずりながら、彼女の方に近付いた。
 ストロレイユが何かをしてくる気配はない。無惨に折れた爪を伸ばすことも、黒く煤けた足で立ち上がることもしない。
 ただ悔しそうにじっと、下からコチラを睨み付けている。
 もう軌跡は彼女に牙を剥かない。止めたんだ。必要ないから。そのことをストロレイユも分かっているから、抵抗しようとしない。
「そのために、他の奴等を沢山巻き込んで……」
 横たわっている朝顔の方に目を向ける。
 微かではあるが胸元が上下していた。生きている、辛うじて。
 ストロレイユは朝顔を使って自分を苦しめるつもりだった。だから朝顔の意識を奪ってもそこから連鎖を起こさず、周りとの繋がりを保ったままにしておいた。
 今までストロレイユの手に掛かってきた被害者達は全員生きてはいる。だからもしかすると、殺してしまっては自動的に繋がりが断たれてしまうのではと思っていたが……それでも確信には程遠かった。ラミカフ同様、ストロレイユも被害者の苦しむ様子を楽しむために生かしている可能性だって十分あった。
 もし、朝顔の息がなければ――軌跡を止めはしなかった。あのまま、ストロレイユを殺していた。
 関係ないんだ。朝顔は何一つとして関係ない。
 普通に生まれて、普通に過ごして、普通の人生を歩んできたはずなんだ。
 楽しいことを沢山して、辛くて苦しいことも沢山味わうけど、いつかソレは忘れてしまって、また新たな楽しい思い出が包み隠してくれるはずだったんだ。
 なのに……。
「コイツはな、言ってみれば第一被害者なんだよ。コイツは……何も悪くないんだ。一つだっておかしいことをしていない。ただ運悪く……そこにいただけなんだ」
 朝顔の方に足を向け、真夜は独り言のように呟く。
「だから何……? まさか、貴方も悪くないだなんて言うつもりじゃないでしょうね」
 まるで血を吐くかのようなストロレイユの声。
「ただ『個』を望む者として生まれただけだって……。たまたま目を付けられただけだって……」
「誰だって、殺されそうになったら逃げるか、相手を返り討ちにするかくらいは考えるさ。生まれたての赤ん坊でもな」
「お前はあの人を殺した。私にとってはソレだけで十分なのよ。十分、お前を殺す理由になる……」
 後ろで立ち上がろうとして、またすぐに崩れ落ちる気配。
 真夜は肩越しにストロレイユを振り返り見、またすぐに顔を戻して朝顔の前にしゃがみ込む。そして彼女を両腕で抱きかかえ――思いを込めた。
「だからってコイツを巻き込んでいい理由にはならないだろ? アンタが俺を許せないんなら、俺だってアンタを許せない」
「はっ……馬鹿馬鹿しい綺麗ごとを。何だってやるに決まってるでしょ。何でも利用するわ。ソレが気に入らないんならさっさと殺せばいい。あの人を殺したみたいにね」
「コイツが息してなかったらそうしてさ。けど、コイツの意識をアンタが根こそぎ奪ってたら、俺は勝てなかったかもな。アリュセウにやられた傷がもっと癒えてたら……俺がココに来るのがもう少し遅れて体力が戻ってたら……。ただあんまり早すぎてもコッチの伝言ゲームが不完全で負けてたかもしれないけどな」
 徐々に安らかな息遣いになっていく朝顔を見ながら、真夜は溜息混じりに言う。
「……何が言いたい」
「偶然なんだよ」
 鬱陶しそうに聞いてくるストロレイユに、真夜は彼女の方を向いて返した。
「繋がりも、勝ち負けも、生き死にも、最初は全部偶然なんだよ。コイツはたまたま俺と病室が一緒になったから、たまたま居合わせた。アンタらプラクティショナーが俺を討伐に来た時、たまたまそこにいたんだ。それでたまたま俺の余波を食らって、運悪く異常記憶力になった、髪が緑になったのも多分そのせいだろ。記憶でも意識でも、赤ん坊のは刈り取らない。“そーゆーのが”しっかり安定してないガキの頃にイジると、特異体質の奴ができる。前にアリュセウが言ってた。あん時は俺のことかと思ってたけど、コイツのことだったんだよな」
 言い終えた直後、真夜の腕に痙攣にも似た反応が伝わってくる。
 朝顔の方に視線を戻す。彼女の口から小さく声が漏れたのを確認して、真夜はその体を優しく横たえた。
「コイツは俺の、第一被害者なんだ……」
 そしてまた同じ言葉を繰り返し、左脚だけで立ち上がって体ごとストロレイユの方を向く。
 ストロレイユが自分のことを憎む気持ちはよく分かる。理屈がどうであれ、自分を殺したいという気持ちは納得できる。昔、全く同じことを考えていたから。
 だが、朝顔に手を出すことだけは許さない。絶対に認めない。
 もうコイツを巻き込んではいけないんだ。コイツは自分のことで振り回されてはいけないんだ。すでに散々迷惑を被ってきたんだから。
 義父が交通事故で死んだ後。犯人を殺したいくらいに恨んでいた自分を、何とか普通の生活に引き戻してくれたのは朝顔だった。
 朝顔と義父のことを話せたから。唯一、義父についての記憶を共有できる存在がそばにいてくれたから、自分は辛うじて自暴自棄にならずにすんだ。義父のことを、事故という嫌な記憶で染めきってしまうことなく、優しく温かな人だったという楽しい記憶で維持できたから、非行に走らずに済んだ。
 義父が自分に注いでくれた愛情を。孤独から救い出して生まれ変わらせてくれたことへの礼を忘れなかったから、今の自分があるんだと改めて認識できた。
 一歩間違えれば、自分だってストロレイユと同じことをしていたかも知れない。
 誰からも教えられない犯人を探して、全く無関係の人間を……。
 今まで、単なる偶然なんだと思っていた。
 自分が朝顔と同じ病室にいたことも、朝顔の血縁に引き取られたのも、腐れ縁という繋がりを朝顔と持てたのも。
 全部偶然に偶然が重なり合ってできた物なんだと思っていた。
 だがソレは違った。決して偶然などではなく――
「で……?」
 屋上のフェンスに体を預け、ストロレイユは緩慢な動きで身を起こす。
「貴方は私を殺すの? 殺さないの? 忠告しておくわ。殺しなさい。こんなチャンス、二度とないわよ。貴方の言うとおり、単に偶然が偶然を呼んで運良くこうなっただけだもの……。次はないわよ。次は……間違いなく、貴方の番……」
 熱で少し溶けた髪を顔に張り付かせ、ストロレイユは凄絶な表情で言った。虚ろな光を宿した双眸には、底の見えない感情が内包されている。
 憤怒、怨嗟、焦燥、諦観、そして絶望。
 今の彼女の頭には自分を殺すことしかないのだろう。ソレが全て。後のことはどうなってもいいと思っている。
 だが――
「もし……」
 仮に――
「アンタの恋人さんを殺したのが俺じゃないとすれば?」
 ストロレイユの形の良い眉が僅かに動いた。だがすぐに蔑笑を浮かべ――
「あの時、『施術者殺し』がもう一人いたとすれば?」
 言いながら真夜は紅い宝石の指輪を外す。ソレはストロレイユの恋人の持ち物。そして――
「コレはな、ラミカフってムカつく野郎から渡されたんだよ」
 制服のネクタイを鬱陶しそうに緩め、真夜は指輪をストロレイユに投げて渡した。
「アイツが使ってたオペレーション・ギアなんだとよ」
 ストロレイユは震える腕を伸ばして指輪を受け取り、手を開いて目を落とす。
「俺なりに考えてみたんだよ。あの時のこと。色々思い出そうとして……全然できなかったけどよ。けど、だ。引っかかるんだよ。その討伐隊って奴等。アリュセウの話じゃ五十人も殺されたんだろ? けど、その施術者殺しは完全に野放し状態ってわけだ。こんな風にな」
 鼻で小さく笑いながら言い、真夜はおどけたように両腕を広げて見せる。
「アイツも言ってたし、アンタもそう思ってんだろーけど、普通に考えりゃ俺は殺されて当然なんだろうな。いくら自分の命守るためっつっても、家畜が人間様の命奪えばソイツは間違いなくあの世送りだ。どんな大義名分かざそうが、正当防衛だと主張しようが。俺はソレと同じことをしたワケだ。けど生きてる。何でだ?」
 緩めたネクタイを首から取り、真夜は右脚の傷口にきつく巻き付けた。一瞬、頭が真っ白になったような激痛が走り抜ける。少し収まるのを待ち、右脚で軽く地面を叩く。さっきまでよりは微かに動きやすくなった気がした。
「前にアンタが言ってた“餌”の話。多分ソレもあるんだろうな。けどソレだけか? ソレだけで大量虐殺の重罪を犯した奴を無罪放免ってするか? まぁ俺にはアンタらにとってのポイントがどんなモノなのかいまいちよく分かってねーけどよ、イマイチしっくりこない。なんとなく“建前”って感じがするんだ。他のプラクティショナー達を辛うじて納得させる、な」
 ストロレイユは何も言わない。何の反応も見せない。
 ただじっと指輪を見つめたまま、コチラに顔も向けずに押し黙っている。
「じゃあどうすれば重罪人が許される? 開放される? 簡単なこった。権力を持った奴が働きかけりゃいい。有無を言わさねー絶対的な発言権持った奴が、『無罪』って言えばソレでしまいだ。例えば、あのラミカフとかよ」
 切れ長の目に力を込めて言い、真夜は舌打ちして続けた。
「執行部なんだろ? お偉いさんなんだろ? 人の命を玩具にして悦ぶような奴なんだろ? 誰かを殺すことなんざ屁とも思ってないような奴なんだろ? 自分の言うこと聞かない奴を力ずくで黙らせるなんざ平気でやるさ。自分以外の奴を本当に家畜としか考えてない奴だよ。ああいう類の目つきの奴等はみんなそうだ。どっか腐ってる」
 児童養護施設の連中と同じように。
「アイツは俺に思い出して欲しかった。俺をまた反転させたかった。アイツは俺を使って、“全部の繋がりを断とうとしてた”。下らねー宗教かかげてよ。アイツは俺に死んで貰っちゃ困るわけだ。ソレが“本音”だ。多分アイツは、病院でも俺を守ってた。討伐達を敵に回してな」
 言い終えて真夜は細く息を吐いた。そしてストロレイユの反応を待つ。
 コレはあくまでも推測だ。だが確信に近いものがある。
 あの時、あの場所に、ラミカフもいたんだ。そしてアリュセウも……。
 だからアイツはあんなことを――
「ソレで……?」
 目だけをコチラに向け、ストロレイユは無表情のまま言った。
 先程までの鬼気迫るモノはなくなっている。代わりにどこまでも空虚で、そしてどこまでも彩りの見えない感情が支配していた。
「その話を……信じろって? あの人の形見をラミカフが持っていたから? ラミカフが貴方と一緒にいた可能性があるから? ラミカフが貴方よりもずっと残虐だから? あの人を殺したのはラミカフだって、貴方はそう言いたいわけ?」
 ストロレイユの顔が上げられる。
 両目は何かが抜け落ちたようにぽっかりと開けられ、口は支えを失ったようにだらしなく開けられていた。乱れきった短い黒髪、割れ折れた爪、ささくれ立った手足。
 ソコにはかつての妖艶さは微塵もない。ただただ不気味で、そして酷く脆い内面を晒した復讐鬼の姿。
「もし私が貴方の話を信じたとして、ソレが何だというの? 私は別に真実を知りたいわけじゃないの。あの人の仇を取りたいのよ。もし二人が怪しいって言うのなら、二人とも殺してしまえばいい話じゃない? なんなら貴方の大切なその子も、私の仇に仲間入りさせてあげましょうか?」
 ダメだ。もう言っていることが無茶苦茶だ。
 説得は無理か。コレ以上は危険だ。自分だけではなく朝顔の命にも関わる。
 彼女は絶対に無事に帰さなければならない。絶対に、もう二度と巻き込まない。
「っふふふふ……。いいわぁ、ぼーや。男の子の顔付きになっちゃってぇ。ほら、私を殺しなさい」
 異様に肥大化したストロレイユの目が、地を這うように蠢いて自分の後ろへと向けられる。
「じゃないと、あの子を――」
 そしてストロレイユの左手がゆっくりと持ち上げられ、
「食べちゃうわよ?」
 折れていた爪が伸び――
「行けぇ!」
 橙の光がストロレイユを捉えた。
 空間に繋ぎ止められていた軌跡が自由を取り戻し、その力を解放する。
 避けられる距離ではない。爪を編み上げる時間もない。軌跡は正面からストロレイユを――
「く……」
 弾かれた。
 指輪の盾によって。
 自分がストロレイユからの攻撃を防いだ時と同じように、彼女もまた軌跡から身を守っていた。
「っははははははははは! 死ねぇ! 死ねシネしシネしネ死ね死ね死ね!」
 だが、十分予想はできた。あの指輪を渡した時点でこうなることは予測していた。説得の間にストロレイユの傷が少しずつ癒えているのも分かっていた。
 しかし、あの時間稼ぎはストロレイユのためだけではない。アレだけ派手に軌跡をまき散らせばさすがに気付くはずなんだ。もう少し待てば、きっと来てくれるはずなんだ。
 だから、それまで朝顔を――
「ち、ぃ……!」
 右脚からの痛みを堪えて真夜は後ろに飛ぶ。そして朝顔の体を抱きかかえ、全身を丸くしてうずくまった。
「下らない! そんな! そんな下らないことで……!」
 狂ったように哄笑を上げるストロレイユ。
「そんなもので守……!」
 その声が途中で止まる。
「ぁ……が……」
 そして苦悶の呻き。何か重い物が落ちる音。
(来た……)
 真夜は朝顔から身を放し、顔を上げて―― 
「彼の推測は正解ですよ」
 吐き気を伴う悪寒が走った。
「彼の言うとおり、貴女の恋人を殺したのは私だ。まぁその指輪を気に入らなければ覚えてなどいなかったでしょうが。なにせ、あの時は沢山殺しましたからねぇ。あっははっ」
 殺意が湧くほどに場違いな明るい笑い声。
「ストロレイユ、私は言ったはずですよ」
 顔を上げる。
「彼は貴女の探している人物ではないと」
 そこには嫌味な笑みを浮かべた軍服姿の男。そして彼の手には――
「な……ア……」
「これはこれは、ご機嫌麗しく。貴方様を危機よりお救いするため、馳せ参じましてございます」
 慇懃な仕草で頭を下げるラミカフの手に掴まれて、
「ア、リュ……」
 喪服を着た少年がぐったりとしていた。
「なかなか見応えのある戦いでした。反転した貴方の力を遺憾なく発揮された熱戦でしたよ。――『繋ぐ』者」
 アリュセウを持っているのとは逆の手で眼鏡の位置を直し、ラミカフは酷薄な笑みを口の端に張り付かせる。そして彼の視線が一瞬だけ手元に向けられ、急にとぼけたような表情になり、
「ああ、コレですか。いやいやお見苦しい物を。なに、ちょっと鬱陶しかったものですから。ココに来るまで時間がありましたので、ほんの暇つぶしに、ね」
 あたかも今初めて気付いたかのような様子で言いながら微笑した。
「テ、メェ……」
「昼間に少し確認させていただきましたが、貴方の『繋ぐ』者としての力は実に強い。貴方が今大切に庇ってらっしゃるお嬢さんは、特に念入りに消しておいたのに。非常にご立派です。そしてご友人がたは貴方の期待以上の働きをしてくれた。ですが――」
 無造作にラミカフの手が振るわれる。
「最も大事なところでコレだ」
 アリュセウの小さな体は宙を舞い、背中からアスファルトに叩き付けられた。
 アリュセウは動かない。ぴくりともしない。喪服の袂を地面に張り付かせたまま、目を瞑っている。
 胸元の上下運動は――ない。
「分かったでしょう? 自分の期待がどれだけあっけなく裏切られるか。他との繋がりがどれだけ意味のない物か。最初から期待しなければこんなことにはならなかった。最初から一人でやるつもりなら、ストロレイユと話し合うなどという馬鹿げた考えを持たなかった。ですが貴方はその道を選んだ」
 耳の奥に直接響く、ある種の不快な韻を孕んだ声。
「ストロレイユもまた貴方の期待を裏切り、貴方が守ろうとした女性を殺そうとした。貴方は思っていたはずだ。ソレだけは避けなければならないと。彼女だけは巻き込むまいと。ですが結果はご覧の通り。辛うじて一命は取り留めていますが、貴方の『繋ぐ』力を持ってしたところで果たして完全に元通りになるかどうか。ストロレイユは私と違い【意識の施術者】ですからねぇ。何かしらの意識的後遺症は免れないでしょう。貴方がご自分で言われたとおり、彼女は最初の被害者であり最も多くの被害を受けた者だ。どうしてこうなったのか分かりますか?」
 体が重い。まるでラミカフの一言一言が楔となり、手足に、そして心の中にまで突き刺さってくる。
「ソレは貴方が自分自身を拒んだからですよ。自分の本来の役割を拒んだからこうなってしまった。『個』を望む者であることを否定し、『繋がる』ことを選んでしまった。貴方は幸せだったでしょう。ですが無理矢理繋げられてしまった方はどうですか。貴方を児童養護施設から引き取ってくれた老夫婦を始めとして、そのご家族、沢山のご学友達、貴方が毛嫌いしてきた素行不良者達、そして五月雨朝顔、そこに転がっているアリュセウ、ひょっとするとストロレイユもでしょうか。皆、望むと望まざるに関わらず、貴方の力によって引き寄せられてしまった。そして皆、何らかの形で不幸な結末を迎えることとなった。貴方さえわがままを言わなければ、貴方さえ定められた運命を受け入れていれば」
 硬質的な音を立てて、ラミカフはコチラに近付いてくる。
「ですが、今からでも決して遅くはありません」
 そして目の前で片膝を付いてしゃがみ込み、金色の瞳を向けてきた。
「『繋がり』を断ち切るということは、全ての過去を断ち切るということ。貴方を知る者が誰もいなくなれば、貴方は誰からも咎められはしない。解放されるのですよ。全てのしがらみから。さぁもう一度思い出して下さい。どうして貴方が生まれたのかを。貴方が何をすべきなのかを」
 自分の役割……自分が、しなければならないこと……。
「貴方はあの時何をしましたか? 生まれてすぐ『個』を望む者としての力に目覚めた貴方は、沢山のプラクティショナーに命を狙われることになった。その時、貴方はどうしたのですか?」
 あの時、あの時……自分は……。
 白いシーツの上で、誰にも話し掛けられることなく、誰にも目を向けられることもなく、誰にも知られることなく。
 泣いても叫んでも誰も来てくれず、ただひたすら孤独と向き合っていて。
 ずっと一人で白い天井を見つめていて、その先には恐い顔をした沢山の――プラクティショナー達。
 自分を殺しに来た彼らを、どうした……?
「その時、貴方は素晴らしい力を発揮したはずだ。彼らを次々と自分の中に取り込んでいった。彼らの体を構成している魂を奪い尽くしていった。二十? いや三十人は食ったはずだ。そしてお腹が一杯になった貴方は眠りについた。その間ずっと私は貴方のお守りをしていました。残った者たちを“説得”しながら、ね」
 プラクティショナーの体は魂だけでできている。ポイントという名の精神的な繋がりだけで。『個』を望む者の力はその繋がりを断ち切ること。自分の物とすること。
 言い換えれば、彼らの存在そのものを消し去ること。
 自分はそうやって窮地を逃れようとした。だが取り込める量に限界があった。
 それ故に自分の『個』を望む者としての力は、一時的に休眠状態となった。
 ラミカフはそのことを理由に討伐隊を“説得”した。力ずくで。
「まぁ色々と苦労しましたよ、あの時は。討伐隊の中には執行部も混じっていましたから。ですが全ては貴方のため。貴方の成長を見守るため」
 それから乳児院に入れられ、児童養護施設に移され、そのたびに自分は成長し、そして『容量』を増やしていった。
 周りの人間と繋がりを作っては断ち、ポイントを体内に溜め込んでいった。
 行けども行けども終わりの見えない完全なる『個』の世界。しかしそのことに精神が異常をきたし始め――反転した。
 『個』を望む者から『繋ぐ』者へと。
 そしてこれまで溜め込んだポイントを吐き出し、周りとの広い繋がりを構築していった。
「残念ながら、貴方の内面の未熟さ故に思いも寄らないトラブルに見舞われましたが、それ程大きな問題ではなかった。むしろ良い面の方が強かった。反転した貴方はポイントを使って沢山の『繋がり』を築き上げ、かつてない連鎖を見込める素晴らしい“餌”となった。コレによってほぼ全ての上層部が貴方の存在に肯定的になった。貴方へのマークは殆どゼロとなった。ストロレイユのような、一部の存在を除いてね。ですが貴方の中のポイントはいずれ枯渇する。そうなれば貴方はまたポイントを求め始める。元々、貴方の体はそういう風にできているのだから。そうなるように“創った”私が言うのだから間違いない」
 創った……創った?
「貴方は最初から特別なんですよ。極めて純度の高い魂を体に宿している。私がその時に持っていたポイント全てを注いで生み出した特別な存在だ」
 人は、精子と卵子の融合だけで生まれるものではない……。そこにポイントという魂が加わって初めて形となる。
 自分が生まれたのは、コイツの手によって……?
「さぁ、もうそろそろ限界でしょう。貴方すでに繋がり過ぎている。餓死寸前のはずだ。食らいなさい。本能の赴くままに。自分自身を受け入れて」
 ラミカフの言葉が脳髄の奥にまで響き渡る。絡みつくような振動が意識を蝕んでいく。
 考えられない。何も思い浮かばない。
 自分は何をしようとしていたんだ? こんな所で、自分は一体何を……。
「戸惑っておられるようですね。では、もう少し単純な質問に変えましょう」
 確か、謝りに来て……でも、その前……。いや、その後か……?
「私が憎いですか?」
 アイツを……。
「私を殴りたいですか?」
 あの男を……。
「私を――殺したいですか?」
 好き勝手振り回してくれたあの野郎を……。
「ですが今の貴方では無理だ。そこに転がっている期待はずれのプラクティショナーと同じ末路を辿ることになる」
「……セェ」
 手に力を込める。
「ただ、一つだけ可能性があるとすれば――」
「……ルセェ」
 立ち上がる。右脚に鋭痛。だがすぐに忘れる。
「『個』を望むことです」
「ッセェンだよ! テメーは!」
 頭の中の物全部放り出し、拳だけに意識を込めた。
モドル | ススム | モクジ





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